EUの労働法政策

欧州社会民主主義に未来はあるか?

Royo_bio フランス大統領選が明日に迫る今日この頃ですが、ソーシャル・ヨーロッパ・マガジンからセバスチャン・ロヨの「欧州社会民主主義に未来はあるか?」を。まんまタイトル通りですが。

https://www.socialeurope.eu/2017/04/future-social-democracy-europe/

The response to the Great Recession from European social democratic/centre-left parties, with some notable exceptions like Portugal’s, was largely to implement the austerity policies of the right: they bailed out the banks and the bondholders, and they tightened fiscal policies and supported loose monetary ones. The economic and political consequences of these policies have been disastrous, particularly for Southern Europe: they led to brutal recessions that have left many of our countries in shambles, with deepening inequalities, increasing political instability, and a pervasive sense of fear and loss of hope about the future. These have led to the electoral defeats of centre-left parties and fueled the rise of populism all over Europe.

欧州社会民主主義/中道左派政党の大不況への反応は、ポルトガルのような例外を除き、おおむね右派の緊縮政策を実施するものだった。彼らは銀行と債権所有者に資金援助し、財政政策を締め上げ、金融政策を緩和した。これら政策の経済的政治的帰結は、とりわけ南欧諸国では惨憺たるものであり、多くの国を残酷な不況により不平等の拡大と政治的不穏の増大と恐怖と未来への希望の喪失の感覚の瀰漫とともに混乱を残した。これらが選挙における中道左派の敗北をもたらし、欧州全域にわたるポピュリズムの興隆を焚き付けたのである。

The biggest mistake, of course, was the acceptance and implementation of austerity, which turned social democratic governments into reactionaries. Centre-left politicians, convinced that elections were won from the centre, obsessed with a mission to prove that they could also be fiscally responsible, incapable of joining forces at EU level to counter Germany’s dogmatism, and complacent because they felt that leftist voters had no alternatives, jumped eagerly onto the austerity bandwagon, in some cases even doubling down to prove their bona fides to the markets, with all the consequences our countries will suffer from for years to come.

最大の失敗はもちろん、緊縮策の受容と実施であり、これが社会民主主義政権を反動へと転化した。中道左派政治家たちは中道からの票で選挙に勝てると信じて、彼らが財政的に責任あることを証明する任務に取り憑かれ、左翼の有権者にはほかに投票する先なんていないとおもって、熱心に緊縮政策の流行に飛び乗り、ときには市場への善意に倍掛けするほどだったが、そのあげくはこの有様だ。

・・・・・Rather than blindly supporting fiscal austerity and free trade agreements, which have hurt their core traditional constituencies, progressive governments need to find the right mix of monetary and fiscal policies, support public sector investment, and lower taxes to the middle class to encourage greater consumption. They also need to reform their tax and welfare systems to encourage a fairer distribution of wealth and reduce inequality, as well as invest in infrastructure and in their communities; implement industrial policies that help diversify our economies as well as apply labor standards that protect our workers, even if we need to change our trade rules; and enforce financial regulations that prevent the damage caused by short-term capital flows. Finally, they need to rethink how we educate and train our workforce to meet the demands of the future.

・・・・・伝統的な中核的支持基盤を痛めつける緊縮財政と自由貿易協定を盲目的に支持するのではなく、進歩的政権は金融政策と財政政策の正しいミックスを見いだし、公共部門の投資を支持し、消費拡大のため中間層を減税する必要がある。彼らはまた税制と福祉制度を改革して富の公平な分配と不平等の削減を促進するとともにインフラとコミュニティに投資し、経済のダイバーシティを拡大する産業政策を進めるとともに労働者を保護する労働基準を適用し、短期的な資本の移動で引き起こされる被害を防止するための金融規制を強化する必要がある。最後に彼らは我々労働力が将来の需要に対応できるよう教育訓練のあり方を再検討する必要がある。

And they need to accept that many of the solutions need to be implemented at the European level. The constraints imposed by EU rules are central to understand the predicament of centre-left parties because Eurozone members must abide by a plethora of strict fiscal rules that constrain national policies and have forced centre-left parties to worship at the altar of budgetary restraint and competitiveness to satisfy their Eurozone masters (as well as financial markets), often at the expense of social policies and their citizens’. Right now, for any country to escape the fiscal straitjacket of the Growth & Stability Pact, the only real option is to leave the euro. That is the solution offered by extremist parties. Rather, what we need is more fiscal flexibility and a Eurozone-wide investment plan funded by Eurobonds. While this is now opposed by Germany, centre-left parties need to find a way to come together and counter this rigid stance.

そして彼らは多くの解決策がEUレベルで実施される必要があることを受け入れる必要がある。EU規則で強制された制約は中道左派の苦境を理解する上で枢要である。というのは、ユーロ圏諸国は国内政策を制約する厳格な財政規則の多血症に従わなければならず、これが中道左派政党に社会政策や市民を犠牲にして財政制約の祭壇に跪かせた。いまや、成長安定協定の財政的拘禁服から逃れ出るために唯一の現実的な選択肢はユーロから脱出することだ。これは急進派政党から提示されている選択肢である。むしろ我々に必要なのは、財政的柔軟性の拡大であり、ユーロ圏全域でユーロ債でまかなう投資計画である。ドイツがこれに反対しているが、中道左派政党はこれを乗り越え道を見いだす必要がある。

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福田耕治編著『EU・欧州統合研究[改訂版]』

51rzab447fl__sx350_bo1204203200_引馬知子さんより、福田耕治編著『EU・欧州統合研究[改訂版]Brexit以後の欧州ガバナンス』(成文堂)をお送りいただきました。

http://www.seibundoh.co.jp/pub/search/030621.html

2009年に出た本の改訂版です。2009年にいただいた時のエントリはこちらです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/eu-6583.html

副題にもあるように、初版が出た時からのEUは疾風怒濤の時期を経験し、昨年は遂にイギリス離脱というところまでいきました。

はしがき…福田耕治
第1部 EU/欧州統合研究の基礎
第1章 ヨーロッパとは何か
―欧州統合の理念と歴史…森原隆…2
はじめに…2
第1節 「ヨーロッパ」の起源とギリシア・ローマ世界の
「ヨーロッパ」…3
第2節 聖書・初期キリスト教の「ヨーロッパ」…6
第3節 中世「キリスト教世界」の精神的統合と
近世「ヨーロッパ」の分化…10
第4節 近世ヨーロッパの勢力均衡,統合・平和思想…13
第5節 近代ヨーロッパの国民・文明・文化統合の動き…16
第6節 20世紀「ヨーロッパ連合・EU」前史…18
おわりに…20
第2章 EU・欧州統合過程と欧州統合理論…福田耕治…23
はじめに…23
第1節 欧州統合の起源とクーデンホーフ・カレルギー…24
第2節 欧州統合の目的と制度設計…26
第3節 欧州地域統合の歴史的発展…28
第4節 EU条約―マーストリヒト条約から
リスボン条約までの変遷…30
第5節 欧州統合理論アプローチ…34
おわりに…42
第3章 EU経済通貨統合と世界金融・経済危機…田中素香…47
はじめに…47
第1節 経済統合について…47
第2節 EUの経済統合発展の諸段階(経済統合の深化)…49
第3節 域内市場統合―経済統合の後期(広域国民経済形成)
その1―…53
第4節 通貨統合―経済統合の後期(広域国民経済形成)
その2―ユーロについて…56
第5節 EUの拡大…63
第6節 世界金融・経済危機とEU…67
おわりに…71
第2部 EU機構と政策過程
第4章 EU/EC法秩序とリスボン条約…須網隆夫…76
はじめに…76
第1節 EU/EC法秩序の基礎…77
第2節 「多義的な主権概念」と「主権の分割可能性」…78
第3節 国家主権とEC権限…83
第4節 統治権限の移譲の意味…87
第5節 リスボン条約の構造とEU法…91
おわりに…95
第5章 EU・欧州ガバナンスと政策過程の民主化
―リスボン条約による機構改革―…福田耕治…100
はじめに…100
第1節 EUにおける法制化と民主的ガバナンス…101
第2節 欧州ガバナンス:ハード・ローによる法制化と
デモクラシー…105
第3節 EU政策過程と欧州ガバナンスの類型…111
第4節 EU・リスボン条約における法制化と民主的ガバナンス…113
おわりに…120
第6章 欧州議会の機能と構造
―立法・選挙・政党…日野愛郎…124
はじめに…124
第1節 欧州議会の立法権…124
第2節 欧州議会の選挙制度…129
第3節 欧州議会の政党システム…135
おわりに…137
第3部 EUの持続可能なガバナンスとリスク管理
第7章 EU高齢者政策とリスク管理
―貧困・社会的排除とCSRによるリスク制御―…福田耕治…142
はじめに…142
第1節 EUの持続可能な社会の構築とリスク管理…143
第2節 EU高齢者政策と各加盟国の年金制度改革:
開放型年金整合化方式(OMC)による調整…147
第3節 EUの高齢者雇用・社会的排除のリスク制御と
EUのCSR政策…151
おわりに…154
第8章 EU対テロ規制と法政策…須網隆夫…158
はじめに…158
第1節 EUにおける国際テロリズム規制…158
第2節 国際テロリズム規制と基本的人権の保障…165
おわりに…173
第9章 EU不正防止政策と欧州不正防止局
…山本直…177
はじめに…177
第1節 EU不正防止政策の始動…177
第2節 欧州不正防止局の設置と捜査活動…180
第3節 EU政治システムにおける欧州不正防止局…185
おわりに…186
第10章 EUタバコ規制政策と健康リスク管理…福田八寿絵…189
はじめに…189
第1節 喫煙と健康リスク…190
第2節 EUのタバコ規制政策の形成…191
第3節 各加盟国のタバコ規制の取り組み…194
第4節 タバコ規制に係わるステークホルダー…199
第5節 タバコの喫煙率の現状と喫煙に対する市民の意識…201
おわりに…202
第4部 EUの域内政策の展開と課題
第11章 EU共通農業政策と東方拡大…弦間正彦…212
はじめに…212
第1節 共通農業政策と改革…213
第2節 東方拡大とCAP…219
おわりに…223
第12章 EU社会政策の多次元的展開と均等待遇保障
―人々の多様性を尊重し活かす社会の創造に向けて―…引馬知子…226
はじめに…226
第1節 EU社会政策と均等待遇保障…227
第2節 EU均等法…230
第3節 雇用均等枠組指令とEU全加盟国での置換…232
第4節 加盟国間の履行上の相違と収斂…234
第5節 EUによる均等施策・行動計画…243
第6節 EU均等法施策における「福祉アプローチ」と
「市民権アプローチ」の共存…244
おわりに…245
第13章 EU科学技術政策とジェンダー
―先端生命医科学研究政策を事例として―
…福田八寿絵…250
はじめに…250
第1節 EU科学技術政策の形成…251
第2節 EU科学技術政策(FP7)とリスボン戦略…252
第3節 EUにおける科学技術政策とジェンダー…254
第4節 女性と科学―生命医科学研究開発分野への
女性支援政策の形成と展開…256
第5節 生命医科学研究におけるジェンダー配慮の必要性…259
おわりに…263
第5部 EUの対外政策と課題
第14章 EU共通通商政策とWTO…須網隆夫…270
はじめに…270
第1節 共通通商政策に係る権限の性質…271
第2節 共通通商政策の範囲―WTO協定の文脈において―…273
第3節 WTO法の裁判規範性…279
おわりに…285
第15章 EUとアフリカ…片岡貞治…289
はじめに…289
第1節 EUの開発援助政策の特殊性と概略…290
第2節 EUの対アフリカ戦略…297
おわりに…304
第16章 EUの対西バルカン政策…久保慶一…308
はじめに…308
第1節 欧州の「挫折」―EUと旧ユーゴ紛争…308
第2節 EU加盟プロセスの発足…312
第3節 危機管理能力の向上―CFSPの発展と紛争後
平和構築…316
おわりに…319

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右翼ポピュリズムと社会問題

例によって、ソーシャル・ヨーロッパ・ジャーナルから「右翼ポピュリズムと社会問題」という論考を。筆者はコヴァルとリントナー。

https://www.socialeurope.eu/2017/04/right-wing-populism-social-question/

Kowall_bio

・・・There is now a heated debate about whether right-wing populist support is mainly driven by social and cultural or by economic anxiety. However, both types are highly interdependent: socio-economic uncertainty is related to cultural anxiety. The loss or feared loss of well-paid jobs can lead to a general sense of identity erosion and the search for easy scapegoats. But while right-wing populists play up and upon socio-cultural anxiety, they also tend to offer economic certainty by drawing on traditional social democratic discourse. This discourse gains credibility and support because many feel that social democratic parties have embraced neoliberalism “light” in recent decades, thereby opening the political space for right-wing extremists to offer protection from an uncertain world.

・・・いま右翼ポピュリズムへの支持が主として社会文化的な不安によるものか経済的な不安によるものかという熱い議論が行われている。しかし、どちらも高度に相互依存的だ。社会経済的不確実性は文化的不安に関係している。高収入の仕事の喪失やその恐れは一般的なアイデンティティ溶解感覚をもたらし、安易なスケープゴート探しをもたらす。しかし右翼ポピュリストは社会文化的不安をかき立てているが、彼らはまた伝統的な社会民主主義的議論を引き出すことで経済的確実性を提供しようとしている。この議論は信頼と支持を得られる。というのも、多くの人は社会民主主義政党が過去数十年間ネオリベラルズムの「光」を抱きしめてきたため、右翼急進派が不確実な世界からの保護を提供する余地を与えてきたと感じている。

Linder_bio ・・・Right-wing extremists can justly claim that the nation has lost much of its control over economic, social and cultural developments. Indeed, one of the reasons German social democrats used to explain their cuts in labour market regulation and the welfare state in the early 2000s was globalisation and its impact on wage costs. Also, the centre-left’s steady promise to re-establish control over the economy at transnational level – for instance in the EU – sounds increasingly hollow when austerity and mass unemployment in many crisis countries was often advocated by leading European social democrats.

右翼急進派は国家が経済的社会的文化的発展へのコントロールの大部分を失ってきたという主張を正当化することができる。実際、ドイツ社会民主党が2000年代初頭に労働市場規制と福祉国家の削減を正当化した理由はグローバリゼーションとその賃金コストへの影響であった。超国家レベルで経済へのコントロールを再建するという中道左派の繰り返される約束-たとえばEUとか-は、多くの危機に陥った諸国における緊縮策と大量失業が欧州の社会民主勢力によって唱道されているときにはうつろに響く。

ここで一言。一昨日の金曜日、同志社大学でEUの労使関係と労働法というタイトルで講義した話は、まさにここのところに関わるんですね。閑話休題。

This has opened the door for right-wing populism and nationalism: right-wing populists seek to “take back control” by nationalistic means. Social democrats in the second half of the 20th century promised to protect workers within a nation through democratic policies. Now they have abandoned this promise, right-wing populists instead become increasingly credible by making the same promise.

これは右翼ポピュリズムとナショナリズムへのドアを開く。右翼ポピュリストはナショナリズム的な手段で「コントロールを取り戻す」ことを追求する。20世紀後半に社会民主主義者は民主主義的な政策を通じて国家の中で労働者を保護することを約束した。いまや彼らはこの約束を放棄し、その代わりに右翼ポピュリストが同じ約束をすることで次第に信頼を勝ち得てきている。

・・・・The strategy of offering national protection from the anonymous and malign forces of globalisation is not peculiar to the FPÖ: Marine Le Pen in France has adopted the same kind of discourse, promising to stop the austerity and deregulation demanded by European institutions and Germany.

匿名で悪意あるグローバリゼーションの力からのナショナルな保護を提供するという戦略はFPÖに限らない。フランスのマリーヌ・ルペンも同様の議論を採用し、欧州機関とドイツの要求する緊縮策と規制緩和をストップさせると約束している。

・・・Paul Krugman nicely summarized the promises of modern right-wing extremists as offering “herrenmensch social democracy”; “a welfare state but only for people who look like you”

ポール・クルーグマンは現代右翼急進派の約束を「支配民族社会民主主義」を提供するものと見事に要約している。福祉国家、ただしあなたのように見える人々のためだけの。

・・・The scary thing is that this modern right-wing strategy is not modern at all, but the very principle of 20th century fascism: it and national socialism already offered “herrenmensch social democracy” in the 1920s and 1930s. Widely overlooked today, this aspect explains much of its appeal at the time – when there was almost no welfare state in Europe and the economy was devastated by war, inflation and financial crises.

恐ろしいことに、この現代右翼戦略はちっとも現代的なんかじゃなく、20世紀ファシズムの原則そのものだってことだ。ファシズムと国家社会主義は既に1920年代と1930年代に「支配民族社会民主主義」を提供していた。今日では看過されているけれども、この側面こそが当時のファシズムの魅力の多くを説明するのだ。ヨーロッパに福祉国家なんて全然なく、経済は戦争とインフレと金融危機で破壊され尽くしていた頃の。

Fascists identified real economic and social problems of the time, using them to build nationalistic mass political movements while many socialists were still fighting each other over the right interpretation of Karl Marx.・・・・

ファシストがその時代のリアルな経済社会問題を明らかにし、それを使ってナショナリスト的な大衆政治運動を確立していた頃、多くの社会主義者たちはカール・マルクスの正しい解釈をめぐってお互いに争い合っていたのだ。・・・・・

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ギード・フィッシャー『労使共同経営』@『HRmics』26号

Image1海老原嗣生さんのニッチモが出している『HRmics』の26号が届きました。なぜかまだニッチモのホームページにアップされていませんが、その関係のHRicsレビューの案内は載っているので、何かの手違いかも知れません。

http://www.nitchmo.biz/

特集は「あーせい、そーせいいわない地域創生」で、なぜか高橋洋一氏とか古賀茂明氏といった「脱藩官僚」な方々が出てきて、いろいろと語っています。今度のHRmicsレビューもこのお二人のようですね。

それはともかく、わたしの連載「原典回帰」は、ギード・フィッシャー『労使共同経営』を取り上げています。

ギード・フィッシャーといってもほとんどの人は知らないかも知れませんが、ドイツ経営学の一つの頂点みたいな人です。

 前回のフリッツ・ナフタリ編『経済民主主義』に続いて、今回もドイツです。ただし、ナフタリの本がワイマール期の労働組合サイドの考え方を提示したものであるのに対し、今回のギード・フィッシャーはドイツ経営学の代表的な学者で、本書は「ドイツ的経営」の神髄をまとめた本として知られています。えっ?ドイツ的経営?そう、日本が毀誉褒貶はともかく「日本的経営」で特徴づけられるのと似て、ドイツの企業経営もアングロサクソン型の経営思想に対してドイツ的な経営思想で特徴づけられるのです。
 この点については、ミシェル・アルベール『資本主義対資本主義』(竹内書店新社)や有名どころではロナルド・ドーア『日本型資本主義と市場主義の衝突』(東洋経済新報社)などで、ライン型資本主義という言葉で知っている方も多いのではないかと思います。ただ、アルベールはフランス人だし、ドーアはイギリス人です。彼らがアングロサクソン型に比べて推奨するそのドイツ的経営を、ドイツ人自身が「こういう考え方なんだぜ」とまとめた本というのは、実はなかなか見つかりません。今回のフィッシャーの本は、原著が1955年、邦訳が1961年と半世紀以上も昔の本ではありますが、それだけに純粋にドイツ的経営の神髄を打ち出しているところが見られますので、ドイツの労働システムを前回のナフタリと合わせて労使両方の観点から眺める上でも、結構有用な本だと思います。

1 経営パートナーシャフト-生活の安定

2 公正賃金 

3 共同体メンバーとしての従業員

4 組織原則の違い

5 フィッシャー経営学とカトリシズム

で、最後に海老原さん曰く:

う~ん、深いなフィッシャー

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医師の労働時間はEUでも大問題

一昨日のエントリで「医師は労働者にあらず!??」を取り上げましたが、これはもちろん、医師会の会長さんの発言をあげつらったものではありますが、医師の労働時間について特有の問題があること自体は、日本に限らず他の諸国、とりわけ厳格な労働時間規制で知られるEU諸国でも(同じではありませんが)似たような問題が生じていることも確かです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2017/03/post-4cf3.html

Eulabourlaw その経緯については先日刊行した『EUの労働法政策』でも詳述したところですが、ここではやや古いですが、2010年に経営法曹会議で喋ったものを引用しておきます。

http://hamachan.on.coocan.jp/keieihousoueu.html

(2)オプトアウトと待機時間をめぐる経緯

 ところが、それだけではなくて、もう1つ、労働時間をめぐる問題として起こってきたのが、「待機時間」をめぐる問題です。何かというと、どこの国にも病院があります、救急病院があります。救急病院は、夜中に患者が運ばれてくるわけです。ということは、そこで、すぐに医者やら何やらが対応しないといけない。これは、どこでも同じです。ということは、夜中にちゃんと病院の中にお医者さんやいろいろな人たちが待機していて、当然、対応しなければいけない。これも同じです。

 問題は、「待機」している間は労働時間法上、一体どういう扱いになるかというので、各国はどこでも、患者が運び込まれて実際に動き出してからそれが終わるまでの実際に動いている時間は労働時間で、それ以外は労働時間ではないというふうに扱っていましたが、それはけしからんと、スペインとドイツの医師や看護婦たちが訴えたわけです。

 そうすると、まず各国の裁判所でこの審議がされます、そして、最高裁まで行きます。そうすると、労働時間指令があるということは、各国の労働時間法はもちろんそれ以前からありますが、指令がある以上は、すべて各国の労働時間法制は、その指令を実施するための法律になって、各国法は下位法令になるわけです。そこで、各国の最高裁は、待機時間が労働時間であるかないかという解釈を勝手にすることは許されないので、「いかがでしょうか」と、ルクセンブルクの欧州司法裁判所にお伺いを立てないといけない。お伺いを立てたところ、「待機時間は労働時間である」と言われてしまったわけです。

 言われてしまうと大変です。この大変さを、日本人に理解してもらうのは、実は結構難しい。いろいろなところで申し上げますと、「それは金がかかって大変ですね」と言われますが、金がかかるだけの話ではありません。つまり、EUの労働時間指令は、実労働時間規制で、週48時間というのは、時間外を含めて48時間以内にしないといけないのであり、ということは、「待機時間」が労働時間だということは、「金を払えばいい」というのではなく、「待機している時間も全部含めて、週48時間以内にしないといけない」ということなのです。そこで、本当にそれを実行しようと思ったら、スタッフを倍以上に増やさないといけないということになります。これは大変で、そんなことは、実際にできるはずがない。「医療費をもっと上げて何とかすればいい」と日本人は直感的に思いますが、それはできない。医者の数が倍以上に増えないと対応できないのです。

 そうしたことが、欧州司法裁判所の判決により、欧州各国の置かれた状況といえます。ですから、困るわけです。そこで、各国はどうしたかというと、非常に皮肉ですが、「オプトアウト」しようということになりました。今まで、オプトアウトしていたイギリスはけしからん、直ちに22条のようなばかな規定はなくせ、と言っていたところが、国によって、オプトアウトを「医療機関」としたところもあるし、業界は関係なしに、「待機時間についてはこういう形で」というのを、オプトアウトという形でしたところもあります。いずれにせよ、オプトアウトを使わざるを得ない状況に、大陸諸国も追い込まれてしまった。それが、「労働時間指令」の改正が始まるときのそれぞれが置かれていた状況です。

 そうすると、イギリスでは、使用者側はオプトアウトを維持したい、イギリス政府は維持したい、労働組合側はなくしたい。また、大陸諸国は、オプトアウトを潰せと言いますが、と同時に、迂闊にオプトアウトだけ潰してしまうと、自分がやっているものがアウトになってしまうので、同時に、待機時間についての欧州司法裁判所の判例をひっくり返す立法をしないといけない、という状況に置かれたわけです。

(3)指令改正の失敗と今後

 ということで、当然のことながら、先ほどの条約の規定に基づいて、労使に協議をしました。ところが、結局、合意はしませんでした。とにかく労働側は、待機時間が労働時間でないというのはけしからんという建前論を、あくまでも振りかざして、「うん」と言わない。使用者側も、とりわけCBIは、「オプトアウト断固死守」という考え方なので、交渉は全然うまくいかずに、結局、決裂ということで、元に戻って、欧州委員会が「改正案」を出しました。

 「改正案」(労働時間指令の改正案)は、まず待機時間については、「第2a条 待機時間」のところで、「待機時間の不活動部分は(中略)別様に定めない限り、労働時間とは見なされない」としております。とにかく、各国政府としては、どうしてもこれを入れたい。それから、「職業生活と家庭生活の両立」という、きれいごとのような規定もありますが、重要なのは、第9項です。ここでは、「第22条を次のように改正する」としています。

この部分は、「改正案」の“修正案”であり、当初の改正案は、「恒久的にオプトアウトを残そう」というものでした。ただ、その適用条件を、もう少し厳しくするとか、オプトアウトする場合であっても、1週間の総実労働時間の上限(キャップ)をつけようという考え方でした。総実労働時間の上限規制には、欧州議会が反対したので、オプトアウト自体を、3年と区切り、ただし、もう少しその先に延ばすかもしれないという形の“修正案”になっています。

 これを延々と議論したわけですが、実は、この“修正案”に関しても、イギリスを初めとして、中東欧の諸国は、どちらかというと、なかなかそんな高いレベルのものはできないということで、イギリス派につきました。一方、もともとの大陸諸国は、どちらかというとフランス派というような感じで、拮抗していました。

 そして、一昨年の2008年6月になって、閣僚理事会レベルでは、何とか合意が成り立ちました。なぜかというと、各国政府レベルでは、とにかく「待機時間」を何とかしないといけない、欧州司法裁判所というこの上ないところが、じっとしていようが、横になっていようが、ごろんとしていようが、眠っていようが、とにかく、いざというときには、「ぱっと起きて治療しなければいけないということになっている以上は、労働時間である」という判決を下してしまっている以上は、「指令」を変えない限りは、それに逆らえない。したがって、「待機時間」を何とか変えたい、それが多分、すべてに優先したのだと思います。

 2008年に、一応、閣僚理事会レベルでの合意が成立しました。「待機時間」のうち、“動いていない時間”は労働時間ではない。オプトアウトについては、基本的には、「恒常的に期間を限らずずっと存続さていい」けれども、その場合は、「オプトアウトに合意しないことを理由として不利益取扱いをしてはいけない」、つまり、「いつでも労働者側はそれを撤回することができる」、「オプトアウトしている場合でも実労働時間は60時間あるいは65時間という上限を付ける、そこが安全衛生上のぎりぎりのところだ」ということになるのだろうと思いますが、そういう形で各国政府レベルでは、何とか合意ができました。

 閣僚理事会ですから、各国の労働大臣の間では、一応、そういう合意ができたわけですが、ここで一番最初に戻って、昔は閣僚理事会だけが立法機関で欧州議会は単なる諮問機関でしたが、今やそうではない。両者は対等の立場の立法機関であり、両方が合意しないと、「指令」はできないし、「指令」は改正されない。そこで、閣僚理事会で合意に達したものが、欧州議会に送られましたが、欧州議会は、こんなものは認めないということで、結局、ひっくり返ってしまいました。

 ひっくり返した後、どうなったかというと、条約に基づいて、閣僚理事会と欧州議会の間で「調停委員会」を置くことになっていますので、そこで、一応、2カ月ほどかけて議論しました。だが、結局、ここでも、合意に達することなく、決裂しました。昨年4月に最終的に決裂して、5~6年越しで延々やっていたものがパアになってしまったわけです。そして、今は、元に戻ったという状況になっています。

 元に戻ったというか、その“元”が大事で、要するに、欧州司法裁判所の判決付きの“元”ですから、結局、各国とも、救急病院のようなところは、オプトアウトで何とかしのいでいるというのが、現在の実情です。いろいろな意味で、非常に皮肉だといえますが、EUの立法システムが、今まで申し上げたような形になっているということから、結局、こうなっているのです。

 そして、実は今年の3月、ついこの間ですが、欧州委員会が、もう一遍、再び労使団体に対して「協議」をしました。これは、条約によってそう決まっているわけです。何かをやるときは、まず協議から始めないといけないと書いていますから、またそれを始めた。しかし、中身は、実は同じことを書いていて、前にやったのが2002年ですから、8年ぶりに、また同じことを言っているのです。「オプトアウトをどうするか」、「待機時間は今こうなっているけれどもどうするか」ということです。今月、ETUC(欧州労連)が、それに対する返事の手紙を送っています。だが、また同じことを書いており、「認められない」と言っています。また同じことを繰り返すつもりなのか、という感じです。

 非常に変な話ですが、労働時間規制については、今、そういう状況になっていて、今度はもう少しうまくいくのか、いかないのか、よくわからない。それが、今の状態です。

勤務医は疑いもなく労働者ですが、とはいえとりわけ救急医療という現場には、なかなか労働時間規制がそのまま適用しがたい現実があるというのもまた事実なのでしょう。

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左翼の文化闘争?

ここんとこ、ソーシャル・ヨーロッパ・マガジンはこの手の記事を繰り返しよく載せていますね。

https://www.socialeurope.eu/2017/03/kulturkampf-left-extremes-gone/

Blaha_bio 17日付のこれは「Kulturkampf Of The Left? Extremes, Be Gone!」(左翼の文化闘争?極端派よ、去れ)です。クルトゥールカンプフ?

Kulturkampf Of The Left? Extremes, Be Gone!

With ongoing hyper-globalisation, but especially since the beginning of Europe’s migration crisis, European society as a whole, including the Left, has seen the emergence of two extreme camps engaging in a philosophical trench warfare. The ultra-liberals and the ultra-conservatives. Socialist concerns have been suppressed. And that is a mistake.

進行するハイパーグローバル化とともに、しかしとりわけ欧州の移民危機の始まりから、左翼を含む欧州社会全体が哲学的塹壕戦を戦う二つの極端な陣営に分かれてきた。ウルトラリベラルとウルトラ保守だ。社会主義的関心は抑圧されてきた。これは間違っている。

A culture war has erupted in Europe, and it’s happening even amongst left-wingers. On the one hand, we have the liberal cosmopolitans who “welcome” refugees, advocate supra-national identities, consider borders obsolete, and have an inclination to label working-class people with some conservative prejudices as pure fascists. On the other hand, there are the traditional socialists who distrust globalisation, supra-national projects and individualistic liberal values. They consider the post-material “New Left” ridiculous and they blame it for the fact that working-class voters are leaving the Left and beginning to vote for the far-right. In their extreme, both these attitudes are dangerous – one leads to neoliberalism, the other to nationalism.

欧州に文化闘争が勃発し、それは左翼勢力の中でも起こっている。一方には、難民を歓迎し、国家を超えたアイデンティティを唱道し、国境を時代遅れとみなし、保守的な偏見を持つ労働者階級の人々を真性のファシストとレッテル張りしたがるリベラルなコスモポリタンがいる。もう一方には、グローバル化、国家を超えたプロジェクトや個人主義的なリベラルな価値観を信用しない伝統的な社会主義者がいる。彼らは脱物質主義的な「新しい左翼」を馬鹿げているとみなし、それ故に労働者階級の投票者が左翼を離れて極右に投票し始めているのだと批難する。これらの立場はその極端においては危険だ。一方はネオリベラリズムに他方はナショナリズムに至る。

The ultra-liberal part of the Left is gradually changing to a more social version of liberal globalism, and it fights hand-in-hand with right-wing neoliberals for a world without borders. In this kind of world, transnational capital can exploit people all over the planet without any constraints from the nation states, but the social globalists add to this grim neoliberal picture a promise of a brighter tomorrow in the form of a global welfare state and transnational regulatory bodies.

左翼のウルトラリベラルな部分は次第にリベラルグローバリズムの社会的バージョンに変わっていき、右翼ネオリベラリズムと手に手を取って国境なき世界のために戦う。この種の世界では、超国家的資本は国民国家によるなんの制約もなしに地球上のどこでも人々を搾取できるが、社会的グローバル主義者はこの不気味なネオリベラルな絵にグローバルな福祉国家や超国家的規制機構といったより明るい将来像を付け加える。

The problem is that, in reality, even the strongest one of these transnational bodies – the European Union – sometimes behaves like a neoliberal tank that crushes the social achievements of the post-war era. Look at the neoliberal rape of Tsipras´s Greece or the Americanization threat of TTIP. And there is nothing else besides the EU that would even begin to look like a more progressive and cosmopolitan order. Whether we like it or not, the cosmopolitan “brighter tomorrow” is nowhere in sight. In the meantime, we live in a cruel neoliberal reality, in which the cosmopolitan Left loses out, and transnational capital takes all. That is why liberal cosmopolitanism is not just a utopian concept, but also a dangerous one. It is useful for transnational capital, which wants to get rid of the socially protective measures of nation states.

問題は、実際にはこれら超国家的機構の一番強力なもの-EUでさえ、時々戦後期の社会的達成を踏みにじるネオリベラル戦車のように振る舞うということだ。チプラスのギリシャに対するネオリベラルな強姦を見よ。EU以外にはより進歩的でコスモポリタンな秩序はない。好むと好まざるとに関わらず、コスモポリタン的な「明るい未来」はどこにも見当たらないのだ。その間、我々は残酷なネオリベラルな現実の中に暮らし、そこではコスモポリタンな左翼は全てを失い、超国家的な資本が全てを得る。これこそが、リベラルなコスモポリタン主義が単にユートピア的な概念であるにとどまらず、危険なものである理由である。それは、国民国家の社会的な保護措置を剥ぎ取りたい超国家的資本にとって役に立つ。

It looks even worse when we look at cosmopolitanism through the prism of electoral mathematics. Paradoxically, despite the decades-long progress of hyper-globalisation, a somewhat compact cosmopolitan identity has been achieved mainly amongst the higher middle class – amongst businesspersons, artists, scientists and elite students of global universities who regularly travel across the world and their place of birth is nothing for them, but a banal data point in their CVs. On the other hand, the social groups that the Left traditionally stands up for generally don’t have a cosmopolitan identity. They are integrally connected to their homelands, because they don’t have the resources, the education, nor the real freedom to travel around and enjoy the magic of living as a global citizen.

選挙数学のプリズムを通してコスモポリタン主義を見ると事態はもっと悪い。逆説的だが、何十年にわたるハイパーグローバル化にもかかわらず、なにがしかコンパクトなコスモポリタンなアイデンティティが主として上層中間階級の間で、とりわけ世界中を定期的に旅行し、出生地は何の意味もなく履歴書の平凡なデータに過ぎないようなビジネスマン、芸術家、科学者、グローバル大学のエリート学生の間で広まっている。他方では、左翼が伝統的に寄り添ってきた社会集団にはコスモポリタンなアイデンティティはない。彼らにはグローバル市民として生きる魔法を享受する資源も教育も旅行する真の自由もなく、その生まれ故郷と密接に繋がっている。

The political consequences are grim. At the end of day, this kind of globalised liberal Left turns its back on the Left’s traditional electorate, and, if anything, appeals mostly to an educated, reasonably wealthy, globalised and mobile middle class. The problem with this is that these people don’t seem to care about left-wing economics. They are willing to advocate some limited form of welfare state at best, but their priorities lie elsewhere. They care about lifestyle or the recognition of minorities – in short, post-material topics. Their material needs are, after all, already met, so they don’t need to care about questions of poverty and exploitation of the working class. They would rather have a fine raw cake in their favourite café than go out and fight against transnational capital.

その政治的帰結は恐るべきものだ。日の終わりに、この種のグローバル化したリベラル左翼は左翼の伝統的な支持基盤に背を向け、高学歴で結構裕福でグローバル化した流動的な中間階級に主として呼びかける。問題は、この種の人々は左翼の経済学には関心がなさそうに見えることだ。彼らはせいぜい限られた形の福祉国家は唱道するが、その優先順位はほかのことにある。彼らはライフスタイルやマイノリティの認知、つまり脱物質主義的なトピックに関心がある。彼らの物質的な必要は結局既に間に合っており、それゆえ貧困だの労働者階級の搾取なんて問題にかかずりあう必要はないのだ。彼らは外へ出かけて超国家的資本と戦うよりもお気に入りのカフェでおいしい生クリームケーキでも食べてる方がいいのだ。

This brings the more radical alter-globalist Left to a stalemate – it is quite problematic to fight for socialism if your allies are the people who are comfortable in global capitalism. Thus, the priorities and the electorate of the liberal Left have been changing – no more are they working-class people and poor employees, nowadays more of them are urban liberals, minorities, the LGBT community, the NGO activists and so on. The Left is becoming a kind of postmodern liberalism, in which social and economic radicalism finds no home. Farewell, socialism.

これは、よりラディカルなオルタ・グローバリストの左翼を手詰まりに追い込む。グローバル資本主義が快適な人々がキミの同盟者だとしたら、社会主義のために戦うというのはまったく問題だ。それゆえ、リベラル左翼の優先順位と支持基盤は変わってきた。それはもはや労働者階級でも貧しい従業員でもなく、都会的なリベラルとかマイノリティとかLGBTとかNGO活動家とかそういうものだ。左翼はある種のポストモダンなリベラリズムになり、そこでは社会的経済的なラディカリズムは住みかがない。さらば社会主義だ。

The opposite element among socialists, the more conservative and nationalist one, however, is no better, either. It sometimes adopts the far right’s nationalistic, xenophobic and Islamophobic attitudes.

とはいえ、社会主義者の中の反対側、より保守的でナショナリスト的な方も良いところはない。そっちは時々極右のナショナリズム的で排外主義的で反イスラム的な態度をとる。

The Left has to fight against fascism and racial hatred. But we must not express contempt for people of lower social classes with their fears and prejudices. This is crucial. Without them, there is no Left to speak of. That is also why we must not overlook the real security, economic and cultural risks that might stem from the migration crisis. Be it terrorism, protection of progressive European values against religious irrationalism, global pressure on employment and social standards or the loss of national identity, all of these are important and sensitive topics for the working class.

左翼はファシズムや人種的憎悪と戦わなければならない。しかし我々は恐怖と偏見を持った下層社会階級の人々に対して侮蔑を表してはならない。これは枢要だ。彼らなくして、左翼は語るべき人々はないのだ。これ故にまた、我々は移民危機から生ずる真の安全、経済的、文化的なリスクを見過ごしてはならない。テロリズムであれ、宗教的非合理主義に対する進歩的な欧州価値の保護であれ、雇用と社会基準へのグローバルな圧力であれ、ナショナルアイデンティティの喪失であれ、これら全てが労働者階級にとって重要でセンシティブなトピックなのだ。

True leftists do not view the dilemma between liberalism and conservatism as a key issue. They know that the Left’s job is, first of all, to advocate the social and economic interests of working people – our topics are the fight for democratic socialism, the welfare state and social protection and against exploitation, poverty and inequality. The Left can – and should – be politically moderate when it comes to cultural questions, it can adjust its progressive priorities according to the level of cultural development of our own communities. However, when it comes to economics, the Left must be radical and search for socialist alternatives to neoliberal global capitalism.

真の左翼はリベラリズムと保守主義の間のジレンマを最重要問題とは考えない。左翼の仕事はまず何よりも、労働者階級の社会的経済的利益を唱道することであり、我々のトピックは民主社会主義と福祉国家と社会保護のための、そして搾取と貧困と不平等に対する闘いである。左翼は文化的な問題については政治的には穏健であるべきであり、我々自身のコミュニティの文化的な発展のレベルに応じて進歩的な優先順位を調整すればいい。しかしながら経済問題に関しては、左翼はラディカルであり、ネオリベラルなグローバル資本に対して社会主義的な代替策を求めなければならない。

というわけで、「ソーシャル・ヨーロッパ」というタイトルのサイトに載っているのですから当たり前ではありますが、その中に出てくる「liberal Left 」(リベラル左翼、「リベサヨ」ですな)が、日本のネット上で圧倒的に用いられているような奇怪な意味ではなく、まさに言葉の正確な意味におけるリベラル左翼という意味で使っているのは、改めて同じ使い方をしている同志を見つけた感がありますな。

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EU労働法研究の次代を担う人

51x7oy647al__sx351_bo1204203200_さて、先日遠藤公嗣さんの論文を紹介した『季刊労働法』256号ですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2017/03/ilo100256-b316.html(遠藤公嗣さんの「ILO100号条約の審議過程と賃金形態」@『季刊労働法』256号)

実はこの号に、ある若手研究者の論考が載っています。

集団的整理解雇の局面における手続的規制の在り方

―EU集団的整理解雇指令上の被用者関与制度との比較法的研究―

同志社大学大学院博士後期課程 岡村優希

同志社大学の博士課程におられる岡村優希さんの論文ですが、これが、EU労働法それ自体に真正面から取り組んだ意欲的な論文です。

Ⅰ 問題の所在

Ⅱ EU集団的整理解雇指令序説

 1 EU集団的整理解雇指令の概要

 2 EU集団的整理解雇指令の立法背景・立法史

Ⅲ 指令の適用範囲

 1 集団的整理解雇の定義

  (1) 概要

  (2) 整理解雇概念

  (3) 事業所概念

  (4) 使用者概念・労働者概念

 2 適用除外

Ⅳ 使用者の義務

 1 労働者代表との協議義務

  (1) 協議義務の発生時期

  (2) 協議事項

  (3) 労働者代表概念

  (4) 合意に達する目的の保持

 2 情報提供義務

 3 管轄機関への通知義務

Ⅴ 国際的企業グループにおける整理解雇

Ⅵ 義務違反に対するサンクション

Ⅶ 日本法への示唆

日本の労働法研究者はどうしてもそれぞれ自分のお得意先の国をもって、その国の労働法制の動きをあれこれ紹介するというのが中心になりますが、そうするとEUみたいなどこの国とも言えない鵺みたいな存在は常にどこかの国の分析に付け加えられるものみたいな扱いになります。いやもちろん、それが悪いというのではありませんが、EU労働法はそれ自体のロジックで展開してきた面もあり、EU加盟諸国との様々な相互作用の中で、影響したりされたりしてきたことを考えると、特定の国の労働法との関係だけで論じられるのはいささかもったいない面もあります。

そういう意味では、岡村さんのような若手研究者が、正面からEU労働法を研究対象としてぶつかっていく姿は、ようやくここまできたか、という感があります。

半ば冗談で、「私はEU労働法の第一人者だ、なぜなら第二人者も第三人者もいないからだ、いるというなら連れてこい」といってきた私ですが、去る1月に今までのまとめの本を出したこともあり、そろそろより意欲的で優秀な若手に第一人者の席を譲るべき時期が来つつあるのかも知れません。

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反動的労働者階級?

さて注目されていたオランダの下院選挙は、右翼の自由党は議席を伸ばしながらも第2党にとどまり、与党の自由民主党が議席を減らしながらも第1党に踏みとどまった、と報じられていてその通りなのですが、選挙結果を良く見ると、最大の敗者は38議席を一気に9議席に激減させた労働党であることが分かります。

https://www.mizuho-ri.co.jp/publication/research/pdf/insight/eu170316.pdf

オランダ労働党といえば、労働組合出身のウィム・コックがむしろ福祉国家の見直し路線を進め、EUレベルではフレクシキュリティの唱道役を務めたことで記憶が鮮烈ですが、むしろ足下の労働者の支持を失い、その票が右翼に流れたという面があるようです。

Asbjrnwahl例によって、ソーシャル・ヨーロッパ・マガジンには、「反動的労働者階級?」(Reactionary Working Class?)という刺激的な論考が載っています。

https://www.socialeurope.eu/2017/03/reactionary-working-class/

Large parts of the western working class now seem to congregate around right-wing populists, demagogues and racists. They vote for reactionary and fascistic political parties. They helped to vote the UK out of the EU, to make Trump US president, and they give such massive backing to far-right political parties that these have power in sight in several of Europe’s most populous countries.

西洋労働者階級の大部分は今や右翼ポピュリスト、デマゴーグ、人種差別主義者のまわりに結集しているようだ。彼らは反動的でファシスト的な政党に投票している。・・・

Since working people are traditionally expected to vote for the left, this creates unrest, insecurity and confusion among experts as well as commentators and mainstream politicians – particularly in the labour movement. There is no lack of moralizing condemnation of those who go to the far right. An increasing number of commentators, however, are now beginning to suspect that this shift may be an expression of protest against the prevailing state of society. Not all have benefitted from the globalization success story, they say.

働く人々は伝統的に左翼に投票すると期待されてきたので、これは専門家やコメンテーターや主流政治家、とりわけ労働運動の中に不安と混乱をもたらしている。極右に走った人々を道徳的に非難することに不足はない。しかしコメンテーターの多くは今や、このシフトが広がりつつある社会状況に対する抗議の表明なのではないかと疑い始めている。グローバル化のサクセスストーリーでみんなが利益を得たわけじゃないのだ。

Many politicians and activists on the left have great difficulties orienting themselves on this new political terrain. People who otherwise would have been for Britain’s withdrawal from the authoritarian, neoliberal EU, for example, have told me that they voted to stay, “not to be made cannon fodder for the racists and anti-immigration forces in the Brexit camp.” Thus, they left it to the far right to voice the necessary opposition to the anti-social, anti-union policies of the EU.

左翼の多くの政治家や活動家はこの新たな政治的地勢に対応するのが困難なようだ。・・・それゆえ、彼らは反ソーシャルで反組合的なEU政策への反対を極右に委ねたのだ。

Maybe it would have been more important and more helpful if the left had taken a somewhat more self-critical look at their own role and policies. Could it be that they have failed their constituencies, that left parties are not seen as dependable tools to defend the interests of those who have the least power and wealth in today’s society? Perhaps there has been too much identity politics and very little class politics. Can it even be that the left’s social analysis fails to grasp the essential reality of the current economic and political state-of-play?

多分、もし左翼が自分たち自身の役割や政策をもっと自己批判的に見ていたら、もっと有用だったろう。これは左翼が自分たちの支持基盤を失った、つまり今日の社会でもっとも力と富に乏しい人々の利益を守る頼れる手段とはみなされなくなったということじゃないのか?多分、アイデンティティ政治がありすぎて階級政治がほとんどなかったのだ。左翼の政治分析は今日の経済と政治の状況の本質的実態をつかめていないということじゃないのか?

What most people on the left can agree on is that the situation is serious, even dramatic. In Europe, the level of unionization has almost halved over the last 30 years, and labour rights, labour laws and collective agreements have systematically deteriorated and/or been completely abolished. Most things are worse than here in Norway, but that does not mean that we are unaffected by this development. There is no doubt that Norway is still on the upper deck of the global welfare ship, but much indicates that it is the upper deck of Titanic.

左翼の多くの人々が同意するだろうが状況は深刻で劇的ですらある。組合組織率は過去30年にほぼ半減し、労働権、労働法、労働協約は体系的に劣化し、完全に廃棄された。・・・

In short, inequalities in society are increasing here too, more authoritarian relations are emerging at the workplaces, including through an Americanisation of organisational and management models. Wage growth for those at the bottom of the ladder has stagnated.

要するに、社会はますます不平等になり、職場では権威主義的関係が生まれ、・・・下っ端の賃金は上がらない。

At the same time, we experience more and more offensive and aggressive employers, who, among other things, escape an employer’s responsibility through outsourcing and the increasing use of temporary agency workers – weakening trade unions. Furthermore, employers strongly benefit from the ever more anti-trade union policies of the EU/EEA and their courts. Work is increasingly emptied of content in many parts of the labour market. It is becoming more and more fragmented and standardized, employees are being subjected to increased monitoring, control and management – and work intensity is increasing.

同時に、アウトソーシングや派遣労働者を活用し、労働組合を弱体化させて使用者の責任を免れようとする攻撃的な使用者が増えている。さらに、使用者はEU/EEAとその裁判所の反組合的政策から強く利益を得ている。・・・労働はますます断片化され標準化され、労働者たちは監視と管理の下に置かれ、労働密度は高まっている。

In addition, welfare-to-work ideology contributes strongly to shifting attention from organizational structures and power relations to individualization – with moralizing, suspicion and a brutal sanctions regime against individuals.

さらに福祉から労働へのイデオロギーが注意を組織構造や権力関係から個人化へ向け、個人に対するモラル化、疑いの目、暴力的なサンクションをもたらしている。

・・・In Europe, it becomes increasingly clear that important goals of this policy are to get rid of welfare states and defeat the trade unions. This is indeed what is taking place – under political leadership of the EU Institutions. That millions upon millions of workers worldwide become “losers” in this process of globalization should not surprise anyone. Nor that they will eventually react with mistrust, rage and blind rebellion. That part of the working class, given the absence of left political parties with analyses, policies and strategies to address and meet this crisis and offensive of capitalist forces, is attracted by the extreme right’s verbal anti-elitism and anti-establishment rhetoric, is against this background understandable.

欧州では、この政策の目的が福祉国家を廃棄し労働組合を倒すことだということが次第に明らかになってきた。これはEU機関の政治的リーダーシップの元で進められてきた。このグローバル化のプロセスで「敗者」となった世界中の何百万の労働者たちに驚くべきではない。彼らが遂に不審と怒りと盲目的な反逆でもって反応したからといって驚く必要はない。左翼政党にはこの危機と資本主義勢力の攻勢に対処する分析と政策と戦略が欠如している以上、労働者階級の一部が極右の公然たる反エリート主義と反エスタブリッシュメントのレトリックに惹き付けられるのはよく理解できる。

・・・The reality is that worker’s exploitation, increasing powerlessness and subordination now hardly command a voice in public debate. Labour parties have mainly cut the links with their old constituencies. Rather than picking up the discontent generated in a more brutal labour market, politicizing it and channelling it into an organized interest-based struggle, middle class left parties offer little else than moralizing and contempt. Thus, they do little else than push large groups of workers into the arms of the far-right parties, which support all the discontent and do their best to channel people’s rage against other social groups (immigrants, Muslims, gays, people with different colour, etc.) rather than against the real causes of the problems.

労働者の搾取、増大する無力さと従属は今や公的議論の声を動かすことが滅多にない。労働党は古い支持基盤との関係を切ってきた。より野蛮な労働市場で生み出される不満を引っ張り上げ、それを政治化し組織的利益の闘争に流し込むのではなく、中流階級の左翼政党はモラル化と侮蔑以上の何者も提供しなかった。それゆえ、彼らは労働者の膨大なグループを、その不満を全て支持し、問題の真の原因ではなく、人々の他の社会集団への怒りに流し込む極右政党の手に委ねる以外ほとんど何もできないのだ。

・・・In summary, the balance of power at workplaces has shifted dramatically – from labour to capital, from trade unions and democratic bodies to multinational companies and financial institutions. Over a few decades, capitalist interests have managed to abolish the main regulations that made the welfare state and the Nordic Model possible; international monetary cooperation, capital controls and other market regulations. In this situation, social partnership ideology constitutes a barrier to trade union and political struggle.

要するに、職場のパワーバランスは劇的にシフトした、労働から資本へ、労働組合から多国籍企業と金融機関へ。過去数十年間、資本家の利益が福祉国家・・・を可能にしてきた主な規制を廃棄してきた。・・・

The left’s main challenge today is to organize resistance against this development. Only in this way can right-wing populism and radicalism be pushed back at the same time. Once again, we must be able to construct the vision of a promised land – i.e. perspectives of a better society, a society with a radical redistribution of wealth, where exploitation ends and where human needs form the basis for social development. If so, statements, protests and appeals to a tripartite cooperation that is constantly drained of content will not suffice. It is all about power – economic and political power. This will require massive social mobilization – in the way that trade unions built their strength to win power and influence at the beginning of the last century. Are we prepared for that?

今日左翼の課題はこの展開に対する抵抗を組織することだ。このやり方でしか、右翼ポピュリズムと急進主義を追い返すことはできない。・・・・・・・・

タイトルも過激ですが、内容もそれに劣らず過激です。

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宗教的冠り物禁止は宗教信条差別に非ず@欧州司法裁

Img_70e05df587c486f5cdcd02238424e5cさて、本日オランダで反イスラムの極右政党が政権を取るかも知れないと世界が固唾を呑んでいた昨日、欧州連合司法裁判所が注目すべき判決を下しました。

http://www.afpbb.com/articles/-/3121380(企業に宗教や思想信条示す服装禁止を認める判断、欧州司法裁)

【3月14日 AFP】欧州司法裁判所(European Court of Justice)は14日、欧州連合(EU)加盟国の企業が従業員に対し、ヒジャブ(イスラム教徒の女性が頭部を覆うスカーフ)など自身の宗教や政治などに関する思想信条を表すものの着用を禁止することは可能だとの判断を示した。企業が社内規定で「政治的、哲学的、または宗教的信条を表すもの」を身に着けることを禁止しても「直接的な差別」には当たらないと裁定した。

 欧州司法裁が裁定を下したのは、ベルギーの大手民間警備会社G4Sで受付として働いていたイスラム教徒、サミラ・アクビタ(Samira Achbita)さんの2003年の事案。アクビタさんは業務中にイスラム教徒用のスカーフを着用したいと主張したが認められず、その後、社規で着用禁止とされ、自分は解雇されたと訴えていた。

ではさっそく、欧州連合司法裁判所のサイトで当該判決を確認しておきましょう。

http://curia.europa.eu/juris/document/document.jsf?text=&docid=188852&pageIndex=0&doclang=EN&mode=lst&dir=&occ=first&part=1&cid=218488

2000年の一般雇用均等指令に関わる判決ですが、企業が社内規定で「政治的、哲学的、または宗教的信条を表すもの」を身に着けることを禁止しても「直接的な差別」には当たらないと判断したようです。

判決の当該部分は以下の通り。

Article 2(2)(a) of Council Directive 2000/78/EC of 27 November 2000 establishing a general framework for equal treatment in employment and occupation must be interpreted as meaning that the prohibition on wearing an Islamic headscarf, which arises from an internal rule of a private undertaking prohibiting the visible wearing of any political, philosophical or religious sign in the workplace, does not constitute direct discrimination based on religion or belief within the meaning of that directive.

By contrast, such an internal rule of a private undertaking may constitute indirect discrimination within the meaning of Article 2(2)(b) of Directive 2000/78 if it is established that the apparently neutral obligation it imposes results, in fact, in persons adhering to a particular religion or belief being put at a particular disadvantage, unless it is objectively justified by a legitimate aim, such as the pursuit by the employer, in its relations with its customers, of a policy of political, philosophical and religious neutrality, and the means of achieving that aim are appropriate and necessary, which it is for the referring court to ascertain.

雇用職業における均等待遇の一般的枠組を設定する指令の第2条第2項(a)号は、職場においていかなる政治的、哲学的または宗教的な徴をも目に見える形で着用することを禁止する民間企業の社内規定から生ずるところの、イスラム的な冠り物を着用することの禁止は、同指令の意味する宗教または信条に基づく直接差別には該当しないことを意味すると解釈されるべきである。

これとは対照的に、かかる民間企業の社内規定の一見したところ中立的な規定が実際には特定の宗教または信条を保持する人に特定の不利益を与える場合、それがその顧客との関係において使用者が政治的、哲学的または宗教的中立性を追求するといったような合法的な目的により客観的に正当化され、当該目的を達成する手段が適切かつ必要な範囲でない限り、同指令第2条第2項(a)号の意味における間接差別に該当するが、それを判断するのは国内裁判所だよ。

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EU労働法政策における『協約』の位置

EulabourlawJILPTのホームページのコラム「リサーチアイ」に、「EU労働法政策における『協約』の位置」を寄稿しました。

先日刊行した『EUの労働法政策』の基軸になるトピックです。

このコラムを読まれて関心をそそられましたら、是非本書それ自体をお読み頂ければと思います。

http://www.jil.go.jp/researcheye/bn/019_170310.html

去る1月27日に、JILPTより『EUの労働法政策』を上梓した。かつて日本労働研究機構(JIL)時代の1998年に刊行した『EU労働法の形成』の全面改訂版である。本書はEU労働法の全領域にわたり、指令として結実したものも、未だに結実していないものも、法政策として取り上げられたほとんど全てのトピックを、さまざまな公刊資料やマスコミ報道等をもとに、歴史的視座に立って叙述している。細かい活字で500ページを超える本書は、現在日本で話題の同一労働同一賃金や長時間労働の規制といったトピックについても詳細なEU法政策を紹介しているが、より広くイギリス、フランス、ドイツを始め、EU加盟国の労働法政策に関心を寄せる人々にとっても、有益な知識や情報が詰まっているはずである。

今回は本書における重要なトピックとして「EU労働法政策における『協約』の位置」についてごく簡単に論じてみたい。・・・・・

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