医師不足 勤務医の労働環境改善を

産経の「主張」(社説)が、涙が出るくらいの正論を述べています。

http://sankei.jp.msn.com/life/body/080620/bdy0806200329002-n1.htm

> 医師不足を解消するための厚生労働省の「安心と希望の医療確保ビジョン」がまとまった。これまでの医師養成数の抑制方針を百八十度転換し、医師の増員を打ち出す内容である。

 しかし、医師不足は単純に全体的な医者数を増やせば、解決する問題ではない。

 現在、不足しているのは病院勤務医であり、増やした医師がビル診(オフィス街のビルの診療所)などの開業医に流れるようでは意味がない。大学医学部の定員数を増やしても実際に医師が増えるには10年はかかり、当面の医師不足にはほとんど効き目がない。

 拘束時間が長く、医療事故の訴訟が多いなどその勤務の過酷さから敬遠されがちな産婦人科や小児科、麻酔科、救急医療などの病院勤務医の労働環境を改善して重点的に支援する必要がある。

 そのためには産科や小児科に多い女性医師を積極的に活用したい。結婚や出産で病院を辞めることが多い女性医師に民間企業と同じように短時間労働制度を適用し、夜勤や泊まり勤務をなくす。病院内に保育所を設けるのも有効な手段だろう。

 次に診療報酬を手厚く配分して勤務医の収入を引き上げる。その分、国民の医療費負担が増えないように開業医の診療報酬を引き下げる必要がある。開業医の年収が勤務医の1・8倍にも上ることを考えれば当然だ。

 医師を補助する医療クラーク(事務員)制度を充実させたり、看護師や助産師らの資質を向上させたりして医師の仕事量を少しでも軽減することも大切である。

 地方の郡部で医師が不足する地域的偏在も大きな問題になっている。これを解決するには、研修医が都市部に集中して医師不足を表面化させた臨床研修制度(平成16年に必修化)を必要に応じて見直さなければならない。医師数の余裕のある地域から不足する地域へ短期間、医師を派遣するシステムもさらに拡大していきたい。

 こうした対策の大半は医療ビジョンでも掲げてはいるが、対策を確実にひとつひとつ実行していくことが何よりも肝要である。

 医師は国民の健康を支える公共性の強い存在である。医療ビジョンでは医師に対する厚労省の権限を抑制しているが、厚労省がある程度規制し、医師が特定の診療科に集中する偏在や地域的偏りを解消することも必要だろう。

付け加えることはありません。

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日雇い派遣、「やめる方向で」 厚労相が法改正を表明

http://www.asahi.com/job/news/TKY200806130155.html

舛添厚生労働相は13日の閣議後会見で、批判の強い日雇い派遣労働について、「気持ちから言えば、やめる方向で行くべきだと思っている」と述べ、臨時国会に日雇い派遣を原則禁止とする労働者派遣法改正案の提出を目指す考えを明らかにした。

 舛添氏は「労使の意見も聞かなければならないが、日雇い派遣はあまりに問題が多い。かなり厳しい形で考え直すべきだ」と指摘。通訳などの専門的な職種を除いては禁止すべきだとの考えを示した。

 労働者派遣法をめぐっては昨年、厚労省の労働政策審議会の部会で改正案が論議されたが、規制強化を求める労働側と、規制緩和を主張する経営側との溝が埋まらず、日雇い派遣についても、禁止を求める労働側と継続を主張する経営側が対立していた。

派遣法に問題が多いから改正すべきだということと、日雇い派遣を丸ごと禁止することとは別の話のはずです。いささか「空気」に流されている嫌いがありますね。

逆に、日雇い派遣を禁止したからこれで問題は解決した、とばかりに安心してしまって、日雇いでない派遣に今既にある問題をそのままにしてしまう危険性を考えるべきだと思います。

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日研総業と関東自動車のプレスリリース

今回の秋葉原事件について、派遣元事業主である日研総業と派遣先事業主である関東自動車工業がそれぞれ次のようなプレスリリースを発表しています。

http://www.nikken-sogyo.co.jp/news/2008/pdf/news_080610.pdf

>弊社では、引き続き当局の調査に全面的に協力するとともに、二度とこのような悲惨な事件が繰り返されることのないよう、派遣スタッフの管理体制を改めて見直してまいります。

http://www.kanto-aw.co.jp/jp/corporate/080609.pdf

>今後、人材派遣会社に対しては、このような不祥事が二度とないように、人材の確保、管理、監督について要請していきたいと思います。
また、弊社としましても管理、監督を含めて良い職場づくりに努めていきたいと思います。

派遣元責任と派遣先責任の振り分け・・・。

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木村大樹氏の日雇い派遣論

ようやく最近になって、日雇い派遣禁止論に対する批判がぽつぽつ出てくるようになりました。もともと労働規制緩和一本槍系の人がいっても、ああまた云ってる、になってしまうので、そうでない労働者保護論系の人が言わないと、禁止論の人になかなか説得力がないわけですよ。

労働調査会のHPで、木村大樹氏がこの問題を取り上げています。

http://www.chosakai.co.jp/alacarte/a08-05-4.html

>日雇派遣は禁止されるべきものだろうか

>新聞報道によれば、いくつかの政党で日雇派遣を禁止する法案が検討されていると報じられている。中には、労働者派遣法を小泉構造改革の前の状態に戻すべきだと主張する人たちもいる。このような人たちには、憲法で保障する職業選択の自由について、どのように考えられているのかを問うてみたい。憲法では、公共の福祉に反しない限りは、すべての人に職業選択の自由が保障されているからである。

 日雇派遣には、日雇労働者という要素と派遣労働者という要素の2つの要素がある。

 日雇労働者は昔からある働き方で、少し古くなるが、平成14年の就業構造基本調査によれば、日雇労働者は157万人おり、日雇派遣労働者は36,500人いる。日雇労働者については、社会保障制度にも雇用保険の日雇労働被保険者制度や健康保険の日雇特例被保険者制度がある。また、中小企業退職金共済制度の特定業種退職金共済(建設業、林業、清酒製造業)制度も日雇労働者を対象とした制度である。日雇労働者という働き方が公共の福祉に反しているとは思えない。

 それとも、派遣労働者という働き方が問題なのだろうか。平成19年の労働力調査によれば、派遣労働者は133万人に達している。派遣労働者という働き方を規制している労働者派遣法に問題がないとは言えないが、さすがに公共の福祉に反しているから、派遣労働者という働き方は全面禁止すべきだということにはなっていない。

 それでは、日雇労働者という要素と派遣労働者という要素の2つの要素が組み合わされることによって、問題が生じているのだろうか。グッドウィルの事件などに代表されるように、日雇派遣に問題がないとはいえないが、それは労働者派遣法や労働基準法が守られていなことが問題なのである。このため、厚生労働省も日雇派遣労働者指針を公表しており、法令遵守の定着を図るとともに、さらに問題があれば制度の見直しがなされるべきであって、そのことがただちに禁止ということにはならない。

 平成14年の就業構造基本調査では日雇派遣労働者の数は36,500人であるが、現在ではもっとその数は増えているであろう。このような日雇派遣労働者や日雇労働者派遣事業の事業者だけが言われのない非難の対象になっているように思えて仕方がない。
日雇派遣労働者はワーキングプアやネット難民の代表的な存在と位置づけられ、そのことが禁止の根拠にもなっているようだが、日雇派遣が禁止されたら、彼らはどのような方法で働く場を確保し、どのように生計を立てるのだろうか。それこそ、収入を得る道が途絶えて、一層困窮化するのではなかろうか。

 また、もし現在日雇派遣が担っている機能をハローワークに期待するのであれば、現在のハローワークにそのような機能を果たすことを不可能であると思われるし、仮に本当にそういう方法を選択しようとすれば、膨大な人員、つまり膨大な国費の投入を余儀なくされることになることも認識しておかなければならない。

こちらも、ほぼ私の云いたいことと重なっています。こういう冷静な議論があちこちで出てきだしたことは好ましいことです。

ただ、木村さんにちょっと苦言というのではないのですが、次の一段落は余計だったのではないでしょうか。

>かつて、売春防止法が制定された時には、売春婦として働いていた人たちの生活をどのように保障するのかが議論になったといわれているが、もし、日雇派遣を禁止するのであれば、そういう議論が最低限必要であり、それより前に日雇派遣を禁止するということは、日雇派遣労働者という働き方が、風俗営業適正化法の規制の下に適法に働くことのできるソープランドの従業員の働き方よりも公共の福祉に反しており、売春防止法で禁止する売春婦の働き方並みであることを立証しなければならないのではないか。

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改革減速?

だから、一方で規制緩和のせいでワーキングプアとか何とか書いておいて、これだからなあ。90年代以来の「改革」と名が付けば思考停止状態でとにかくマンセー症候群もいっこうに変わっておいでにならないようで。ねえ、朝日新聞さん。

http://www.asahi.com/politics/update/0607/TKY200806060309.html

>海外の高度人材受け入れ、数値目標は削除 改革減速?

>政府が10日の経済財政諮問会議で決定する経済成長戦略の全容が明らかになった。経済連携協定(EPA)の締結加速など「グローバル戦略」が柱だが、専門技術を持つ海外の「高度人材」受け入れの数値目標は削除された。検討期限を定めただけの項目も目立ち、改革は減速気味だ。

 戦略は、少子高齢化が進むなかでも成長を維持するための具体策を列挙。今月下旬に政府が決める「骨太の方針08」の主要部分となる。今後3年間を「重点期間」と位置づけ、基本的に各施策ごとに期限を明記したが、「年内に計画を作る」といった表現にとどまる項目も多かった。

 高度人材受け入れについて、諮問会議の民間議員による原案は「15年までに(現在の2倍の)30万人」という目標を明示していた。国内で不足が目立つ介護士や看護師も高度人材に加え、在留資格を新設することもうたった。

 だが、政府内に「安い労働力だから受け入れるというのではダメ」(舛添厚生労働相)といった慎重論が出たことから、いずれも削除。「数値目標設定を検討し、年内に行動計画を作る」とされた。

「改革減速」というネガティブな見出しを付けた以上は、朝日新聞は介護の仕事も「高度人材」だからじゃんじゃん(日本の若者が逃げ出すような)低賃金の仕事に外国人を導入しろというお考えなんでしょうね。舛添大臣の(私が「大正論」だといった)反対論は「改革に逆らう守旧派」だとお考えなんでしょうね。それでいいんですね?

数値目標の問題じゃないですよ。政策の方向性それ自体の問題ですよ。

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島田陽一先生の派遣論

hamachanごときが何をいっても聞く耳持たぬ人でも、早稲田大学の島田陽一先生のいうことならなるほどと耳を傾けるかも知れません。

http://www.jinzai-business.net/gjb_backnumber_details.php?years=200806

http://www.jinzai-business.net/pdf/200806_specialpreview.pdf

『人材ビジネス』誌6月1日号の巻頭に、島田先生の派遣労働に関する論考が載っていてます。熱に浮かされたように日雇い派遣の禁止を訴える人々には、一服の清涼剤となるのではないかと思います。

>人材ビジネス界は今、逆境にある。日雇い派遣問題、偽装請負問題など、あたかも人材ビジネスが雇用問題の諸悪の根源であるかのような雰囲気すら漂っている。

しかし、、人材ビジネス業は、国際的にはILO181号条約において、労働市場で果たしうる正当な役割があることが承認されていることを忘れてはならない。今必要なことは、日本の労働市場において、人材ビジネス業が適切に機能する条件を冷静に議論することである。

日雇いの仕事は、それが派遣であろうとなかろうと、不安定であることに変わりはない。しかし、それは、派遣であるからというよりは、日雇いであることに原因がある。そして、この現実は、日雇い派遣の禁止で解決できることではない。

今、日雇い派遣に頼って生活している者にとって、日雇い派遣の禁止は、良好な雇用機会を生み出してくれる特効薬ではない。その処方箋は、日雇い派遣でしか暮らすことのできない状態を改善することに求められるべきである。

すなわち、日雇い派遣禁止ではなく、低所得者に対する所得保障、低技能者に対する職業教育、雇用形態にとらわれない社会保険制度の整備などによって解決していくべき課題である。

勿論、日雇いで働く立場の弱さにかこつけて、ピンハネまがいの行為をすることは断じて許してはならない。そして、このピンハネまがいの行為の一掃を行政の規制に頼っていたのでは、人材ビジネスの未来は開けてこないであろう。・・・

>日本においては、ILO条約が指摘する事項についてなお十分な措置がとられているとは思われない。例えば、就業前の安全教育など検討されるべき点は少なくない。人材ビジネス業界自身が積極的な提案を示していくべきであろう。

他方、偽装請負問題のように、実質的に何を弊害と考えるべきかについて、冷静な議論を欠いた一律的な規制には弊害が多いことについても積極的な発言が必要である。

日本の企業における働き方を前提として、どのような範囲であれば、委託先の直接的な指示があったとしても、それが請負労働者の雇用環境を悪化するものではないのか、そして、かえって請負労働者のキャリアアップになる場合があることなどを、事実をもって示していくべきであろう。・・・

ほとんど全面的に私の考えと同じなので、何も付け加えることはありません。

ちなみに、その次のページにはUIゼンセンJSGUの木村徳太郎氏が「日雇い派遣を禁止して誰が幸せになるか」と語っています。

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登録型派遣の本質

『時の法令』6月15日号掲載の「21世紀の労働法政策」シリーズ3回目です。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/21seiki02haken02.html

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久坂部羊氏の介護労働論

久坂部羊氏といえば、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_6cc3.html(医師に労基法はそぐわない だそうで)

>医師の勤務が労基法に違反している云々(うんぬん)などは、現場の医師にとっては寝言に等しい。

とまで断言された方ですが、介護労働者に対してはまた違ったご見解をお持ちのようです。

http://sankei.jp.msn.com/culture/arts/080605/art0806050320001-n1.htm【断 久坂部羊】介護業界の隠れた危機

>ある会合で、若手のヘルパーやケアマネジャーに話を聞いたら、勤務環境の悪さにあきれさせられた。給与も低いが、その上、ベテラン職員がサービス残業や休日出勤を進んでやるので、手当の請求ができないというのだ。

 なぜベテランがそうするのかと聞くと、「奉仕精神に燃えているから」と、半ば揶揄(やゆ)するような答えが返ってきた。

 介護は心身ともに重労働だが、ある種の精神性を伴っている。高齢者の役に立っているという喜びや、福祉を担う尊い仕事という実感だ。その気持ちは大切だが、行き過ぎると、お金のためにしているんじゃないという、いびつな高潔さにつながる。

 現場では、残業代や休日手当を請求しない介護職員がけっこういるという。それくらい介護の現場には善意にあふれた人が多いのだ。サービス担当者会議などに出席すると、介護の問題について熱い議論が交わされる。熱心な人にかぎって、待遇面での不満を言わない。だから介護職が安く使われる。

 理想に燃えるのはいいが、正当な手当を請求できないようでは、若手が離れてしまう。

 介護事業所も、経営が楽なところは少ないだろう。しかし、だからと言って、権利放棄で働く職員に寄りかかり、支払うべき手当を出さないのは言語道断だ。

 超高齢社会を迎えつつある今、介護職の行き過ぎた奉仕精神と、それにつけ込む介護事業所は、将来に深刻な危機を招くおそれがある。(医師・作家)

ご自分が属する医師の労働と、介護労働に対しては全くダブルスタンダードという感じもしますが、もちろん今回の「権利放棄で働く職員に寄りかかり、支払うべき手当を出さないのは言語道断」というのが正しいのです。医師も看護師も「お金のためにしているんじゃないという、いびつな高潔さ」でもって「理想に燃えるのはいいが、正当な手当を請求できないようでは、若手が離れてしま」いますからね。

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過半数組合論の欠如

『賃金事情』6月5日号掲載の「パースペクティブ・日本の労働システム」の5回目は、標記のとおり、過半数組合論を取り上げました。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/chinjikahansu.html

なお、私のホームページでは、書籍論文を除き、過去の雑誌掲載論文をすべてアップしておりますが、雑誌の号別だけではどこにどの種類のものがあるのかわかりにくいので、読者の皆様の便宜のために項目別の目次を設けております。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/items.html

この入口から分野別に過去のほとんどの論文にアクセスできますので、ご利用ください。

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良心的な手配師

かつて自民党の厚生族有力議員で、今は国民新党副代表の自見庄三郎氏が、ブログでこう書かれています(雑誌「医療労働」に載った講演記事です)。

http://blogs.yahoo.co.jp/jimisun2007/22872637.html

>厚生労働省と文部科学省の医局をめぐる百年戦争。薬剤師が6年制になるのに10年以上かかりました。文部科学省で論議し、6年生になったら、臨床薬学は病院でしよう、ときちんとしている。ところが厚労省と文科省のケンカで、法律では、臨床研修を2年間義務化しただけ、実質医者は8年間の義務化です。医療保険を使えないと実際には医療行為ができません。おかしいですよ、よく考えないと。

 私は反対しました。そんなことをしたら、日本には70数校の医局があり、みんな若い頃は医局に入り、田舎の町立病院などへ行かされた。でも、帰ってこられたのです。今は片道切符。子どもの教育どうなるの。奥さんは怒る。

 医局は明治以来、過疎地の医療に対し、1年行ったらまた1年代わりを派遣してきたのです。

 私は、九大の第一内科の副医局長をしていて、手配師もしていたので、あの町立病院は田舎だけど苦労している。先輩が病気だ。では1人、あそこへやろう。日本の社会だから、あの医局員はお父さん亡くなったからお金に困っているだろうから、給料が高い町立病院にやろうかとか・・・。まだ独り者だから無茶苦茶忙しい町の病院に、給料は安いけど鍛えようとか・・・。一人ひとりの個性を考えていました。良心的な手配師です。それで日本の医療を守っていたのです。

 日本では、自由にしたら、医師はみんな東京、大阪、名古屋に集まってしまう。宮崎大学では90人卒業し、医学部に残っているのはたった5人。過疎の町にはますます医者がいなくなります。若い人に言わせれば、いい病院はいっぱいありますし。職業の自由、住居の自由もありますから、そうなりますが、本音と本当のことがわかっていない。

 大事なのは国民の健康です。医者は、看護師もそうですが、患者を診せていただくのです。苦しみ、痛みをもった人を診せていただくことが大事なのです。

 2000年も前から医学の神様ヒポクラテスが何と書いていますか?

医者、医療につく人は相手がたとえ貴族であっても、人間を平等に診なければならない。

 それが2000年前から医療の基本的な考えでしょう。金持ちだけで、社長さんだけ診る。そんなのは医療ではない。

 医療の道から外れています。人間の命は平等という大原則でいかないと医療制度はおかしくなります。

 今、それが大きく脅かされつつありますから、しっかりみなさん方の心を心として、医療界の人が誇りと自信を持って働けるようにしておかなければなりません。

 アクセス数、クオリティー、コスト等、世界198国家中一番いい医療制度が日本国だとWHOは言っています。みなさん方の先輩たちが築いてきたのです。それを、文句ばかり言って、金を出さないと言って、アメリカのオバケのような医療資本を持ってきて、金持ちはかかるけれど、貧乏人はどうぞお帰り下さい。そんな医療を企んでいるものとは、断固闘わなければならない。

 一人ひとりの命は平等ですから、そこをきちっと、医療の最大の医療の最大の貴重な性質としていかなければいけないと、最期に申し上げ、決意表明に代えさせていただきます。ありがとうございました。

自見氏が自らを「良心的な手配師」と呼んでいるところにコメントしておきます。

人的資源を適確に配分するというのは、何を「適確」と考えるかによってその内容が変わってきます。医師という国民の生命の安全と福利厚生に大きな関係を持ち育成に多大なコストのかかる人的資源を、どこにどのように配分するのが適確であるかは、その適確さの評価基準をもっぱら金銭評価されたプライベートな利害に基づくものとするか、何らかのパブリックな利害を考慮するかによって大きく判断が変わり得ます。

自見氏は、ご自分が副医局長としてやってきたことを、金銭評価された私的利害を超えた公的な利益実現のために尽力する「良心的な手配師」と評しているわけです。

自見氏が手配師として良心的であったことを疑うわけではありません。自見氏以外にも、各医局には良心的な手配師の方々がいらして、まさにパブリックな観点から医療人的資源の適正配分に尽力されてこられたのでしょう。そのことを疑うわけではありません。

しかしながら、医局の人的資源配分が何らかの法律に基づく公的な労働力需給調整システムとしてではなく、医局という名の私的権力の「事実上の支配関係」に基づくものであったこともまた事実でしょう。

自見氏が「良心的な手配師」であったとしても、すべての手配師が良心的であったということにはなりません。むしろ、公的な規制に束縛されない私的権力であるが故に、「俺の云うことを聞かねえ奴は許さねえ」的な親分子分関係が蔓延していたというのもまた事の反面であろうと思われます。「白い巨塔」を始めとする医局モノ小説があれだけいっぱい書かれているというのは、医者の世界にそれだけトラウマが溜まっていると云うことを意味するのでしょう。

医局という私的権力が日本の医療を守ってきたのに、それを潰しやがって、という自見氏の反発には、医療を金銭評価された私的利害の市場による調整のみに委ねていいのかという意味においては、大いに聞くべき内容があるように思いますが、それが「昔はよかった」的なノスタルジーになってしまうとすれば、肯定するのは難しいでしょう。

公的な利益実現のために適確な人的資源配分をしなければならないというのであれば、その権限行使の在り方自体が公的なものでなければならないでしょう。身分が国立大学医学部教授だから「公的」なんてことはないわけで、民主性と透明性が欠如しているのであれば、主体が公務員であろうが何であろうがそれは私的権力なのです。

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非正規労働者に年金拡大を 国民会議が中間報告の素案

共同通信の記事で、東京新聞から、

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2008060201000608.html

>政府の社会保障国民会議の雇用・年金分科会がまとめた中間報告の素案が2日、判明した。焦点の公的年金制度では、厚生年金の非正規労働者への拡大や、低所得者の国民年金保険料を本人の申請がなくても社会保険庁が免除する仕組みの導入を求めている。

 政府は厚生年金の加入対象を週20時間以上のパート労働者まで広げる法案を提出しているが、それ以上の拡大を「早急に検討するべきだ」と指摘。素案は4日の分科会で示された上で、月内に首相へ提出する中間報告に盛り込まれる。

 基礎年金を全額税で賄う「税方式」と現行の社会保険方式については、それぞれのメリット、デメリットを比較しているが、全体としては社会保険方式の手直しに比重を置いている。

 厚生年金の対象拡大が必要な理由としては、(1)企業が社会保険料を負担せずに済むため非正規雇用が増えている(2)非正規労働者の老後保障-などを挙げた。

 このほか、全員に一定額の年金を支給する「最低保障年金」の導入や、25年の最低加入期間の短縮についても「具体的に検討を行うべきだ」とした。

これはかなりの権丈節が濃厚な中間報告になりそうですね。

本来、社会保険料とは雇用税であって、それを払わなくてはいけない労働者と払わなくてもいい労働者をわざわざつくれば、企業としては後者にシフトしてしまうのは見やすい道理で、そこのところをほったらかして何の議論もないはずなのですが。

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国家公務員制度改革基本法案の修正

衆議院HPに、標記修正が載っています。

http://www.shugiin.go.jp/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/syuuseian/2_2A22.htm

ただし、

>「○○」を「△△」に改める

という調子の、法制局に通った経験のある人でないとなかなか解読しにくい代物なので、労働法政策に関係あるところを溶け込み条文にしてみると、

まず労働基本権に関わる第12条ですが、原案では

>(労働基本権)

第十二条 政府は、国家公務員の労働基本権の在り方については、協約締結権を付与する職員の範囲の拡大に伴う便益及び費用を含む全体像を国民に提示してその理解を得ることが必要不可欠であることを勘案して検討する。

だったのが、

>(労働基本権)

第十二条 政府は、協約締結権を付与する職員の範囲の拡大に伴う便益及び費用を含む全体像を国民に提示し、その理解のもとに、国民に開かれた自律的労使関係制度を措置するものとする。

となっています。

定年引上げ関係は、第10条です。

>(能力及び実績に応じた処遇の徹底等)

第十条 政府は、職員が意欲と誇りを持って働くことを可能とするため、次に掲げる措置を講ずるものとする。

 一 各部局において業務の簡素化のための計画を策定するとともに、職員の超過勤務の状況を管理者の人事評価に反映させるための措置を講ずること。

 二 優秀な人材の国の行政機関への確保を図るため、職員の初任給の引上げ、職員の能力及び実績に応じた処遇の徹底を目的とした給与及び退職手当の見直しその他の措置を講ずること。

 三 雇用と年金の接続の重要性に留意して、次に掲げる措置を講ずること。

  イ 定年まで勤務できる環境を整備するとともに、再任用制度の活用の拡大を図るための措置を講ずること。

  ロ 将来における定年の引上げについて検討すること。

  ハ イの環境の整備及びロの定年の引上げの検討に際し、これらに対応した給与制度の在り方並びに職制上の段階に応じそれに属する職に就くことができる年齢を定める制度及び職種に応じ定年を定める制度の導入について検討すること。

これが、

>  ロ 定年を段階的に六十五歳に引き上げることについて検討すること。

  ハ イの環境の整備及びロの定年の引上げの検討に際し、高年齢である職員の給与の抑制を可能とする制度その他のこれらに対応した給与制度の在り方並びに職制上の段階に応じそれに属する職に就くことができる年齢を定める制度及び職種に応じ定年を定める制度の導入について検討すること。

これはなかなか含蓄のある規定ぶりですねえ。ふむふむ、定年を65歳にしちゃったらコストがかかってしょうがないよ、という当然予想される反論に対して、いやちゃんと引き下げられるようにするから大丈夫、という話です。

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関根・濱口対談

先週木曜日の「日雇い派遣 禁止は有効?」が大阪版には載っていなかったというコメントがありましたので、既に時間も経っていることもあり、対談の記事を掲載します。

> 電話一本で呼び出され、賃金も低くて「ワーキングプア(働く貧困層)の温床」と批判を浴びる日雇い派遣。4野党は先月、労働者派遣法を改正し「原則禁止」を盛り込む方針を固めた。禁止派の関根秀一郎・派遣ユニオン書記長と、禁止に疑問を示す濱口桂一郎・政策研究大学院大学教授に議論してもらった。(編集委員・竹信三恵子)

 ――「日雇い派遣禁止」は、なぜ必要なのですか。

 関根 派遣労働は、派遣会社が派遣料(マージン)をとるのでピンハネが横行しやすい仕組みだ。なのに、派遣法が年に改正されたとき、対象を立場の弱い肉体労働にまで広げた。このため1日単位で使い捨てる日雇い派遣が急拡大し、三つの問題が起きた。①3~5割ものピンハネによる賃金の大幅下落②生計を主に担う働き手まで派遣労働に落とし込まれる③派遣先が「ウチの社員じゃない」と、派遣社員の安全対策を怠り労働災害が多発――だ。

 濱口 問題点は同感だが、ニーズがあるのに禁止しても、企業は他の形に逃げるだけ。年に派遣法ができた当初、対象を専門的職種に限ったが、一般事務が「ファイリング」の名で派遣OKとなり、女性の非正社員化が進んだ。事業規制ばかりを考え、労働者保護をほったらかしにする日本の派遣法の枠組みこそ問うべきだ。

 ――日雇い派遣のニーズとは?

 濱口 アルバイトや、本業がほかにある人の週末の副業など、こうした働き方が必要な人もいる。企業にとっても、社員が急病の場合や仕事の繁閑が大きい職種など、1日単位の派遣が必要なケースはあるはず。日雇い派遣という業態そのものは、あってもいい。

 関根 日雇い派遣の広がりは「あってもいい」のレベルを超えている。人集めも解雇も簡単で便利なため、20~30代の「ネットカフェ難民」だけでなく、40~50代の「サウナ難民」まで出ている。

 濱口 そもそも「日雇い派遣」だから問題なのか。直接雇用の日雇いも過酷さは同じだ。

 関根 20年ほど前、直接雇用の日雇いとして物流業界でバイトしたが、日給は1万円を下らなかった。日雇い派遣の広がりでピンハネが激しくなり、今は6千~7千円。派遣はマージンを取るので、働き手の取り分を減らし、過酷さを増幅する。

 濱口 日雇い派遣なら、毎日別の職場に派遣されても、合わせて週時間働いていれば「派遣社員として正社員と同等の時間働いている」ことになり、均衡処遇を求める契機になる。

 関根 現実は違う。厚生労働省に、「実質は正社員と同じように毎日働いているのだから、仕事が途絶えたら休業手当を払うよう派遣会社を指導すべきだ」と求めたがダメだった。理由は「日雇いだから」だ。

 ――日雇い派遣を禁止しないとすると、どう解決しますか。

 濱口 関根さんの挙げた三つの問題点でいうと、賃金については、派遣会社のマージン率を公開させ、規制する。安全面では危険有害業務への派遣を制限し、労働時間について定める労使協定(36協定)や労災補償について、派遣先にも使用者責任を負わせる。安いからと非正社員を増やす反社会的な企業行動には、労組などによる監視の目をはりめぐらす方が効果的だ。

 関根 今の提案はすべて賛成だ。派遣法全体の見直しも求めていく。だが、禁止措置も意味は大きい。確かに、違法派遣をしたグッドウィルが事業停止処分を受けると、仕事がなくなり困る人も出たが、グッドウィルとの取引をやめた会社から「直接雇用に」と誘われ、日給が4割アップした人もいる。とりあえずストップをかけて企業の方向を変える必要がある。

 ――労組による監視で企業行動に歯止めをかけられますか。

 濱口 日雇い派遣という業態は認め、そのかわり派遣労働者と正社員との均等待遇や均衡処遇を徹底し、「手軽だから日雇い派遣」という動きに歯止めをかけることが必要だ。4月に施行された改正パート労働法で均衡処遇が定められたので、派遣に広げればいい。

 関根 日本の「均等待遇」は正社員並みに働くごく一部のパートにしか適用されず、その他のパートへの「均衡処遇」も極めてあいまいだ。

 ――マージン率の公開は可能でしょうか。

 濱口 ピンハネして自家用飛行機を買うような経営者は困るが、マージンは、社会保険料負担や働き手への情報提供などのために必要な経費でもある。その透明化はまともな派遣元にはプラスだ。

 関根 派遣業界との交渉で、「悪質な派遣会社と一線を画すためにもマージンの公開を」と迫ってきたが応じない。

 ――今後は何が必要ですか。

 濱口 日本の派遣法は、正社員の派遣社員への置き換えを防ぐことに主眼を置いている。そのため、派遣事業の規制ばかりに目が向き労働者保護は二の次だった。世界の流れは非正社員も含めた均衡処遇と透明化で、事業規制はこれに逆行する。

 関根 日雇い派遣を合法化したことで、派遣への置き換えが進んだ。労働者保護にはもちろん賛成だが、欧州のような均等待遇の実現は遠すぎる。緊急避難として日雇い派遣の禁止を急ぐべきだ。

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蟹工船がすごいことになっている件について

Bk20080502162111862l1 初めてそれを聴いたのは、確か先月18日の岩波書店で開かれた若者政策研究会のあとの懇談の席で、どなただったか最近若者の間で蟹工船がすごい売れているんですよと仰ったときだったと記憶しています。

その後、5月2日の読売に

http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20080502bk02.htm

>プロレタリア文学を代表する小林多喜二(1903~1933)の「蟹工船(かにこうせん)・党生活者」(新潮文庫)が、今年に入って“古典”としては異例の2万7000部を増刷、例年の5倍の勢いで売れている。過酷な労働の現場を描く昭和初期の名作が、「ワーキングプア」が社会問題となる平成の若者を中心に読まれている。

という記事が載り、

5月13日の朝日に

http://book.asahi.com/clip/TKY200805120295.html

>作家小林多喜二の代表作「蟹工船」の売れ行きが好調だ。若い世代を中心に人気を呼び、コーナーを特設する書店も相次ぐ。凍える洋上で過酷なカニ漁や加工作業を強いられる男たちが、暴力的な監督に団結して立ち向かう昭和初期のプロレタリア文学。いまなぜ読まれるのか。

ついには5月25日の産経のコラム「断!」でも、

http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080525/trd0805250332002-n1.htm

> 小林多喜二『蟹工船』が売れているという。意外に感じるが、じっさい大手書店には平積みのコーナーまでできている。

 新しい読者は若いフリーター層、ワーキング・プア層が中心らしい。とすればこれまで、プロレタリアという言葉も知らなかったひとたちなのではないか。彼らが『蟹工船』の労働者たちに共感し、自分たちの境遇が「自己責任」などのせいではないと知るのは喜ばしいことだ。

 わたしが『蟹工船』を読んだのは、40年近くも昔、20歳前後のことだったろう。短期の肉体労働を繰り返していたころだ。それでもそのころすでに『蟹工船』は遠い時代の物語だった。労働3法は、たとえばわたしの体験した自動車工場の内部でも、とりあえず機能していた。日産京都工場の大争議など、『蟹工船』を連想させる事例は散発していたにせよだ。

 しかし、いまの派遣社員やワーキング・プア層の労働環境を見ると、事態は40年前よりもずっと小林多喜二の時代に近くなっているようだ。わたしの身近にいる若いひとたちの例を聞いても、その悲惨さは理解できる。現在は管理のシステムが洗練されただけだ。

そして昨日、下高井戸駅を降りた私は改札を出てすぐの啓文堂にふらりと入って目を疑いました。その「蟹工船」が、入ってすぐの平積み台に、8冊分の面積をとって堂々と並べられていたのです。確かその前の日は平積みとはいえ1冊分だったような気が・・・。もはや大手書店どころか駅前小書店まで巻き込んだ騒ぎになっているようで、なんだか幾何級数的事態のようですね。

Kani_3

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日雇い派遣 禁止は有効?

昨日予告したとおり、本日の朝日新聞に、派遣ユニオンの関根秀一郎氏と私の対論が掲載されています。顔写真付きです。HP上には載っていません。

中身は新聞紙上でお読みいただくとして、それぞれにつけられた形容語が面白い。

>派遣労働者を支援している関根秀一郎・派遣ユニオン書記長と

>労働法のブログを主催する濱口桂一郎・政策研究大学院大学教授に議論してもらった

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日雇い派遣を自粛

朝日の記事で、

http://www.asahi.com/life/update/0528/TKY200805280305.html

>日本人材派遣協会は28日、製造業などでの日雇い派遣の原則禁止を柱とする「自主ルール」を発表した。大手のグッドウィルなどで違法行為が相次ぐなか、ワーキングプア(働く貧困層)の温床と批判されている日雇い派遣を自粛することで、業界全体への不信感を取り除くのが狙いだ。

>自主ルールはこの日の定時総会で議決された。製造・運送業などでの軽作業に関し、「意図的な1日単位の細切れ契約は行わず、労働者の希望に応じて可能な限り長期の契約を確保する」と明記。通訳など専門業務や、臨時的で日雇いの必然性がある業務は対象外となる。

いや、もちろん、ある期間継続する仕事なのに意図的に短くしたり日雇いにしたりというようなことが望ましくないのは、派遣であれ直用の有期雇用であれ同じです。昨年末成立した労働契約法でも、

>使用者は、期間の定めのある労働契約について、その労働契約により労働者を使用する目的に照らして、必要以上に短い期間を定めることにより、その労働契約を反復して更新することのないよう配慮しなければならない。(17条2項)

と定めていますし、これをもとに指針では、3回更新したら終了1ヶ月前に予告しろと定めています。臨時的で日雇いの必然性のある場合はいいのは当然です。派遣だからどうこうと考えること自体がおかしいのです。

>派遣労働者を支援する派遣ユニオンの関根秀一郎書記長は「対策が遅すぎ、派遣会社のピンハネや多発する労災への対策もなく不十分。日雇い自粛だけでなく、5年、10年先を見据えて将来設計ができる働き方にしていくべきだ」と話す。

実は、明日の朝日新聞で、この関根さんと私が日雇い派遣禁止の是非について対論しております。お読みいただければ幸いです。

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公務員改革修正合意

今国会では成立しないと思われていた公務員制度改革基本法案が、急転直下修正して成立することになったようです。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20080527-OYT1T00628.htm

>焦点だった「団体協約締結権」を付与する公務員の対象拡大や政官接触制限の見直しなどで、与党が民主党の主張を大幅に受け入れ、26日の修正協議の不調から一転、今国会で成立する見通しとなった。修正案の表現の詳細を詰め、28日の衆院内閣委員会に共同提出し、29日の本会議で可決、参院に送る方針だ。

>給与水準などの労働条件を労使で決める団体協約締結権を付与する公務員の対象拡大に関しては、政府案では「検討する」としていたが、「(国民の)理解をもとに、関係制度を措置する」と修正する方向だ。

「措置する」と云うことは、そういう方向性は明確にするということなんでしょうね。ここのところは、民主党が連合から突き上げられて、せっかくのタネを潰すなということになったのでしょう。まあ、どこまでどうするかはまだまだこれからの話ですが。

あと、

>定年の65歳への段階的引き上げを「検討」と明記し

というのが、大変重要な意味を持つと思われます。

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労働市場改革専門調査会議事録 on 生活保護

5月8日に開かれた経済財政諮問会議労働市場改革専門調査会については、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_fbbc.html

で紹介したとおり、地方財政審議会の木村陽子さんの報告がされたのですが、その議事録がアップされました。

http://www.keizai-shimon.go.jp/special/work/20/work-s.pdf

木村さんの報告は、全国知事会・全国市長会がまとめた生活保護制度の見直し案がベースですが、あとの議論で佐藤先生との間で、

>(佐藤委員)生活保護基準額と昀賃なり非正規雇用者の収入との均衡について、例えば生活保護を受給している2人世帯の場合、母子家庭の生活保護受給額が 231万円で、昀低賃金で児童扶養手当をもらっている場合は 203万円で、これだと、なかなか生活保護から非正規雇用に移らないだろうということがポイントだと思う。

この場合、考え方として2つあって、1つは生活保護基準額を下げろという議論と、もう1つは非正規雇用者の年収を上げろということだと思うが、先生の主張は非正規雇用者の年収を上げろということなのか。

(木村先生) 私達の主張は均衡を図る必要があるということ。

(佐藤委員)非正規雇用者の方は、御存じのように、数字的に圧倒的に多いのは 114万円台の既婚女子。これが非正規雇用既婚女子の配偶者の年収である 526万円とセットになっている。既婚女子の多くはでこの水準でよいと思っていて、他方で、このことが母子家庭の 203万円を制約している状況がある。

ここはもう前々から議論しているところで、この 114万円のところの人たちが更に上の水準でなければ困るというふうにしない限りは、こちら側は変わらない。これは今日、大沢委員が別の会議で言われていたが、103万円なり 130万円のところの話で、これが変わらない限り、非正規雇用者の年収はなかなか上げられない。114万円の人は労働市場から出ていってもらうか、あるいは 103万円や 130万円を超えて働くというインセンティブをつくらないと、こちら側の賃金が上がらない。

(木村先生) 私達は均衡だから、どちらが高い、どちらが低いということではない。

というやりとりが面白かったです。そりゃ、どっちが高いとか低いとか言えば、それ自体が大騒ぎのもとですからね。

あと、小林さんが就労支援の主体について、こういう興味深いことを言っています。

>政府等がやっている制度は、フリーターの人たちにとっては何となく敷居が高いというか、NPO関係の共同住宅も何となく違和感があって入りづらいとかいうような問題があって、なかなか普及しない。これをどうやって、どういう形ですんなりと入れるようなものにしていくかということだがどのように考えたらいいのか。

>何でこんなことを言うかというと、例のネットカフェも、だんだんビジネスが行き詰まってきて、日々でなくて 30日の長期間で4~5万円の使用料というコースも出てきた。そこで何をやっているかというと、住民票が取れるとか、郵便を受け付けるということをやった上に、就職支援もやるという。どこかを紹介して紹介料を取ろうという話かもしれないが。また、レンタルオフィス・ビルビジネスも、レンタルのネットルームとかいって1か月間小さな部屋を貸して、併せて就業支援を行うというビジネスを始めているという話も聞く。これらの決め手は就業支援、就職支援活動で、ネットカフェなどの方が職業訓練施設に行くよりも、彼らにとっては敷居が低くて入りやすいのではないかと思う。私はそこに一番のメリットがあるだろうと思う。職安にも来たがらない層がいるし、仕事は山谷や釜ヶ崎に行けばあるけれども、何となくあそこは近寄りがたいというところがあって、ネットカフェが一番いいということだろう。ネットカフェ等で就業支援等を担える層が出てくると、そこに支援のお金が出れば、もうちょっとスムーズに就業支援等が行われるのではないかという感じがしているが、そんな考え方は突拍子過ぎるか。

ジョブカフェよりもネットカフェというわけですか。貧困ビジネスと貧困対策は紙一重というところもあるのかもしれませんが。

おそらくもっとも本質に関わる論点は、八代先生とのこの対話でしょう。

>(八代会長)先ほど木村先生より、ワーキングプアと言われる人たちが必要昀低生活費と賃金の差額を福祉給付でもらうというのは避けなければいけないと現場の人が言っているということだが、ある意味、そうすることは逆に非効率ではないか。つまり、色々な賃金の人がいるわけなので、就労と福祉の組み合わせが必要ではないか。

>(木村先生)現場の感覚としては、一旦生活保護を受給し始めると、本当に自立が難しいという感覚を持っている。だから、本当に所得の低い人たちに基本手当との組み合わせではなくて、何かできないかということを思っている。そのことを申し上げた。

>(八代会長)生活保護と同じ考え方だけれども、いわゆる生活保護とは違う第2のシステムをつくる必要があるということだろうか。

>(木村先生)国によって生活保護はテンポラリーなもので、ほかの制度、例えば障害年金で生活保護の代わりをするとか、いろいろある。生活保護にも頼らない制度をつくるとか。それと似ているのかもしれないが、とにかく一旦生活保護を受給し始めたら、卒業しにくいというのが現場の感覚である。

生活保護じゃない形の生活保障システムを考える必要があるのではないかという議論まで、あと少しの所まで来ています。

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経済同友会の消費活性化提言

経済同友会が「消費活性化が経済成長を促す」という提言を発表しています。

http://www.doyukai.or.jp/policyproposals/articles/2008/pdf/080522a.pdf

興味深いのは、国民の不安を払拭することが消費活性化につながるとし、その2つの柱の一つとして「働く個人の不安払拭に向けて企業がすべきこと」を挙げていることです。

消費が低迷する原因は政府の無策にあるだけではなく、企業の労働に関する行動にもあったということを率直に反省しているといっていいのでしょうか。

中身を見ていきましょう。

>本提言では、働く個人の中でもとりわけ若年層の雇用環境、所得環境に着眼し、企業がすべきことを提示する。これには、本来、若年層は家族形成等により活発な消費を行う年齢層と考えられるが、その一方で、現在の若年層は、雇用環境の変化に加え、少子高齢化による税・社会保険料の増加の影響も相俟って、終身雇用制度、年功序列の賃金体系の下で所得を得ていた世代に比べ賃金が安定的に拡大しにくい状況にあることを踏まえたという背景がある。
今後、人口減少により労働市場が逼迫する中で、企業が行うべき若年層に対する処遇のあり方を通し、若年層が所得について長期的な見通しを立てられるような労働市場の形成を促すこと、加えて、少子化対策として、企業による仕事と育児の両立支援について提示する。

では具体的に何をどうするというのか。

>企業がすべきことの第一は、人口減少社会において、競争力を向上させていくために人材にも経営資源を適切に充当することである。今後は優秀な人材に対し、能力、さらには成果に応じた報酬を払えなければ、企業は競争力を失うことになる。

まあ要するに、労働者にも適切に配分していかなくちゃというマクロ経済的にごく当然の話。

>第二は、若年層が長期的な所得の見通しを立てられる労働市場の形成を企業が促すことである。

おっと、経済同友会がそれを言いましたか!という感じです。まさにそれが重要なんですよ。ただ、この「長期的」という形容詞がそのすぐ後に必ずしもつながっていかないような気がします。

>そのためには、先ずは、企業が求める人材像と報酬を労働市場に明確に示すことが必要であるが、人材要件の提示にあたっては、所謂「ジョブ・ディスクリプション」で示すような職務に求められる専門知識、能力やスキル、成果のみならず、企業が掲げる理念への共感、職務を通して社会に貢献しようとする姿勢含まれるだろう。
これにより、労働力の供給側である個人は、自身が労働市場を通じ雇用を確保し続けるために、どのような能力やスキルを磨き、成果を出さなければならないかがわかる。こうした労働市場の形成は、個人が所得獲得能力を培い、長期的な所得の見通しが立てられるようになること、労働市場の流動性を高めることに繋がる。

文脈が入り組んでいるんですが、「ジョブ・ディスクリプション」のような、その時その時の職務内容でもってものごとを決めていくのではなくて、もっと長期的な視野(ここでは出てきませんが「キャリア」とでも言うべきでしょうか)でのスキル形成を考えろと言っているわけで、筋は通っているんですが、「のみならず」「も」という助詞の使い方になにがしかジョブ志向の形跡が見受けられたりして、しかも最後のところで「労働市場の流動性」が出てきたり、なかなか労務管理思想上興味深いところです。

>第三は、雇用形態に関わらない処遇を行うことである。能力、さらには成果により価格(報酬)を決める労働市場の形成を促すには、正規、非正規といった雇用形態の違いによる処遇の差を縮小していくことが必要である。

いや、だから同一労働同一賃金原則ということを言うつもりであるならば、「能力、さらには成果」などといった主観的要素ではなく、客観的な職務内容自体に値札が付く労働市場を形成するんだと主張すべきなんですが、そうでもないわけで、その辺、非正規も職能的処遇でやっていくんだそれが日本的均等待遇なんだ!という割り切りをしているわけでもないところが、この一見すっぱりとものを言ってるようで実はその筋の人が見るとうーむという提言なんですね。

>第四は、仕事と育児の両立支援である。子育て期間中の社員の支援策には、時差出勤制度や事業所内への保育施設の設置等があるが、こうした支援も正規、非正規といった雇用形態の区別を設けず実施していくべきである。少子化は、消費を下押しする要因であり、少子化対策の観点からも個人のワーク・ライフ・バランスの推進が求められる。

これはわりとすっきりいえますね。

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榊原英資氏の「正論」

産経の正論欄で、榊原英資氏がこういうことを言われています。

http://sankei.jp.msn.com/life/welfare/080527/wlf0805270242000-n1.htm

>結論から述べてみよう。国が民間型の保険をやること自体が誤りなのである。1960年代、国民皆年金、国民皆保険ということで、福祉制度の充実のスローガンのもとに現在の制度がつくられたのだが、福祉制度の充実と保険制度の導入とが同じものと考えてしまったことに問題があったのだ。

 福祉制度の充実は必要だし、国がそのために大きな役割を果たすことは必要である。しかし、国ができることは、税金を取って福祉にあてること、つまり、福祉サービスのメニューを充実して、そのための税金を取ることなのである。これは、広義の所得再分配であると考えられる。また、税金といっても、所得税や消費税のような一般財源ではなく、例えば、社会福祉税という名の特定財源でもいいわけである。

 しかし国には民間のように保険料をとって、これを金融市場で運用する能力はない。つまり、個人から保険料という形で資金を預かって、これを運用して、保険金として返すことはできないのである。

>では、どうすればよいのか。答えは簡単である。厚労省が保険業務から全面的に撤退すればいいのだ。年金は、基礎年金のみとし、全額税金で負担する。基礎年金の額が現在のものでは低すぎるというのなら、例えば、消費税を増税して年金額を上げればいい。また、医療や介護についても、全額、税金(例えば医療サービス税などという特定財源か消費税)でまかなうこととすればよい。現在の保険料が税金に変わるだけなので増税(正確には国民負担の増加)にはならないはずだ。

 このように考えていくと、厚労省・社会保険庁の業務は大幅に合理化できる。税の側は国税庁へ、支払いの側は地方自治体に任せれば、省そのものがいらないということにもなるのだろう。そろそろ厚労省・社会保険庁解体を真剣に考えるべき時だろう。

ここまで仰る以上、榊原氏が責任を持って、あらゆる社会保障需要をことごとく賄うだけの税金をどこからか取り立ててきてくれるんでしょうね。

それがどれだけの税率になろうが、責任を持ってそれだけの税金を持ってこれると。

市民の皆様は、やがて自分たちに返ってくる保険料だという名目もなく、喜んで山のような税金を払ってくださると。

榊原氏が近年熱を入れて支持しておられるらしい民主党も、「俺の払った保険料はどこにいった。サッサと返せ」などという民間保険原理に毒された馬鹿げたフレームアップはなさらないと。

ましてや、役所のムダをなくせば、税金などびた一文上げなくても急増する社会保障ニーズは全部賄えるとかいう訳の分からないご主張もなされないと。

まあ、社会保険と民間保険の違いも知らずに「正論」おひねりになるんですか、などとはいいませんが。

(参考)

実は、某所で榊原氏の本を推薦したりしてるんですけど。

http://www2.gakkou.net/daigaku/gkmnavi/books_detail_49.html

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讃井暢子さん

20080520dd0phj000005000p_size5 毎日新聞に讃井暢子さんの記事が出ていました。

http://mainichi.jp/life/job/news/20080519ddm013100028000c.html

>経済界の重鎮が歴代会長を務め、「男社会」のイメージが強い日本経団連。その事務局で今月28日、常務理事に昇格する。終戦直後から約60年に及ぶ歴史で、初の「女性役員」誕生だ。

>各国経済界との橋渡し役を担うきっかけは大学院時代の修士論文だ。政府と労使代表が参画する「国際労働機関」(ILO)を研究した。「実態を知りたい」と80年、労使関係を扱う旧日経連に就職し、国際畑を中心にキャリアを積み重ねた。「仕事で女性を意識しない」と語るが、娘の幼少時代、午後5時過ぎに帰りの電車に駆け込み、保育園へ迎えに行く忙しい日々を過ごした。家族との時間を大切にし、今でも8時ごろ帰宅し、料理をして夕食を共にする日も多い。「違う世界を持つことがストレス解消法」と、自然体で仕事と家庭を両立させている。

ワーク・ライフ・バランスという言葉を、その「ワーク」と「ライフ」のそれぞれの重さをよく判った上で語れる方というべきでしょう。

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心の病労災

読売が、心の病労災について突っ込んだ記事を書いています。

http://job.yomiuri.co.jp/news/jo_ne_08052603.cfm

>心の病気の労災認定者数が過去最悪となった理由として、厚労省、労組関係者、心療内科医などが共通して指摘するのは「職場環境の悪化」だ。職場に成果主義による人事制度が導入された結果、競争が激化し、人間関係がぎくしゃくするケースが増えた。「弱み」を見せまいと、心身の不調を一人で抱え込み、限界まで我慢する。外見だけでは異変が分からず、周囲が気付いた時には手遅れという場合もある。

http://job.yomiuri.co.jp/news/jo_ne_08052602.cfm

>連日接待…得意先奪われ 不眠

同僚に相談できず 成果主義「ライバルだから」

>NPO法人「働く者のメンタルヘルス相談室」(大阪市)の伊福達彦理事長は、「うつ病は、特別な病気ではなく誰にでも起こりえるが、身近にいても気づかないことも多い」としたうえで、「会社には、従業員の心の健康状態を専門家が定期チェックする労務管理が必要。国も、過労死ラインとされる残業時間に近い勤務実態があれば、強制的に休ませるなど労働時間を規制すべきだ」と語る。

http://job.yomiuri.co.jp/news/jo_ne_08052601.cfm

>病院内で「模擬出勤」

心の病気で休職…職場復帰へプログラム

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「産経新聞の残業代と週刊新潮さんの記事」というブログ記事

産経HPの記者ブログで、池田証志記者が週刊新潮の悪意ある記事に反論しています。それも、22日、24日、25日と、既に3回にわたって。

http://sankei.jp.msn.com/entertainments/media/080522/med0805222256001-n1.htm

ま、週刊誌は何かというと残業代、残業代とゼニカネのことしか脳みそにないような記事ばっかり書くことは、既に例のホワエグの時以来周知のことですから、今さら驚きませんが、

>週刊新潮さんにはいつもお世話になっていますが、今週号(20008年5月29日号)で取り上げていただいた「『産経新聞』だけじゃない 『経費削減』でサラリーマンはつらいよ」の見出し記事には、驚かされました。弊社は今年4月から、コンプライアンスと社員の健康管理・ワークライフバランス、賃金の公正な配分の観点から、時間管理と関連手当に関する新制度を施行しましたが、同記事には誤報、アンフェア、非常識な記述が少なからずありましたので、指摘させていただきます。

>同記事には、「会社側は残業代削減30%の目標を掲げているだけに、社員は戸惑いを隠せない」と書かれていますが、そんな目標はありません。

 「残業時間を30%削減する」という目標はあります。ただし、もしこの目標が達成できたとしてもいわゆる給料が減るわけではありません。新制度は基本的に、残業や深夜労働、休日出勤など、勤務時間に関する手当を合計すると、残業時間を30%削減したときに旧制度と同額が支払われるように設定されています。当然、残業時間を削減できなければ、これらの手当は旧制度時を上回ります。

 ですから、新潮さんが「産経新聞社は新制度を使って残業代をカットしようとしている」と主張されたいなら、間違いです。

いやあ、でも産経新聞さん(だけではありませんけど)だって、残業代残業代と、ゼニカネのことしか頭にないような報道をされていたような気が・・・。

あと、いろいろと書いていることも、それ自体が新聞社の労働時間管理というものを大変良く浮き彫りにしておりまして、実に興味深い記述がたくさんありました。

> 「私用時間には給与を払わない、そのことによって経費削減を確実にするという狙いのようだ」

 ・・・。当たり前じゃないですか! どこの会社が「私用時間」に給与を払うんですか? しかも、逆風の新聞業界ですよ。「私用時間手当」でも作らない限り無理です。

 時間管理を事実上まったくせず、比較的高い給与水準を維持し、事実上の第4の権力となっているマスコミ業界の給与体系と人事管理、リスク管理は、一般企業からみれば噴飯モノです。マスコミ業界の常識は世間の非常識だったりするものです。

 弊社は、そういったマスコミの悪弊から早く、少しでも抜けだしたいのです。さらに、弊社はご存じの通り、マスコミ内では給与が低いので、限られたパイを公正に分け合うことで納得性を確保したいので、新制度を導入した次第です。

まあ、でも新聞記者のような本来的意味における裁量労働制がふさわしい職種の場合、そもそも何が「私用時間」で何がそうでないかがそんなに明確に区別できるのかという根本的な問題がそういう「悪弊」の元にあるような気もします。

でも、池田記者のように、

>何が勤務時間で何が勤務時間でないのか、弊社の多くの社員(私も含め)はそれすら認識していない状況でした。旧制度の打ち切りの残業代では、社員を働かせ過ぎたり、社員が残業代をもらい過ぎたりしますので、改革の必要性がありました。

というふうに感じている記者も多かったから、こういう制度になったのでしょう。労働時間問題の難しさを、新聞記者ご自身の労働時間の在り方を素材にあれこれ考えてみるというのも、今後の報道を充実させていく上でお役に立つのではないでしょうか。

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職場いじめと過労自殺

既に新聞等で報じられていますが、厚労省が個別労使紛争と労災の発表をしています。

まず、平成19年度個別労働紛争解決制度施行状況ですが、

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2008/05/h0523-3.html

>総合労働相談の件数は約100万件、民事上の個別労働紛争に係る相談件数も約20万件となり、制度発足以降依然として増加を続けている。

また、助言・指導申出受付件数は6千6百件を超え、あっせん申請受理件数は 約8千件と昨年度実績を上回っており、引き続き、制度の利用が進んでいることが窺える。

例年もそうですが、解雇紛争が一番多く、次いで労働条件の引き下げ、いじめ・嫌がらせが主たるものです。

例として、こんなのが:

> 申請人は、顧客からクレームがあった際、上司から人格的価値、社会的評価・名誉を害する発言を受け、会社に職場環境の改善を求めたが聞き入れてもらえず、逆に会社からも言葉の暴力等により精神的に追いつめられ、退職を余儀なくされたとして、精神的苦痛及び経済的損害に対する補償を求めて、あっせん申請を行ったもの。

>あっせん委員が双方の主張を確かめ、当事者間の調整を行った結果、解決金○○万円を支払うことで双方の合意が成立した。

こういうふうに個別労使紛争として浮かび上がってくればまだ良いのですが、労働者の心の中で葛藤が進むと、こちらの発表のほうの数字になってきたりもします。平成19年度の「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(「過労死」等事案)の労災補償状況」及び「精神障害等の労災補償状況」です。

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2008/05/h0523-2.html

これについては、朝日の記事を、

http://www.asahi.com/job/news/TKY200805230291.html

>仕事のストレスが原因でうつ病などの精神障害になり、07年度に労災が認められた人は前年度の1.3倍の268人で、過去最多を更新したことが23日、厚生労働省のまとめでわかった。そのうち、過労自殺も15人多い81人(未遂3人含む)で過去最多。長時間労働や成果主義が広がる中、心の病に悩む人が増えていることを示した。

最近、この関係でいくつも注目すべき判決が出ています。どれも新聞記事なので詳しいことは分かりませんが、

http://www.asahi.com/national/update/0522/TKY200805220289.html

>「海外出張重なり過労死」 残業短くても労災認める判決

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200805190056.html

>過労の背景に家事労働の負担も認定 大阪地裁判決

などです。

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移民と生活保護

本ブログで何回か田村哲樹さんの議論を取り上げて疑義を呈したことがありますが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_48ae.html(労働中心ではない連帯?)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_0a8b.html(ナショナリティにも労働にも立脚しない普遍的な福祉なんてあるのか)

純粋哲学的な議論は別にして、実は一番気になっているのは、最近与党筋の方からやたらにかまびすしい移民受入れ論との関係なんです。

ヨーロッパはかつて外国人労働力を導入したつもりが、家族もろとも移民の大集団が居着いてしまって、実は今何が一番の問題かというと、俺たちが乏しい収入から払った税金があいつら移民野郎どもの福祉給付に無尽蔵に垂れ流されてしまっている、ふざけるな、という憤懣なんですね。

福祉の哲学的根拠を「シチズンシップ」に置く限り、あいつら移民どもに俺たちのシチズンシップを認めてやった覚えはねえぞ、という血の論理が湧いてくるのを止めることは原理的に不可能です。ヨーロッパ人だって決して高級じゃない。「仲間」と認める範囲は限られているのです。

「高度人材」という名目で実は低賃金労働をやってくれる外国人を移民として導入したら、ヨーロッパの経験に鑑みる限り、間違いなく彼らや彼らの家族が莫大な福祉給付の対象になっていかざるをえませんが、それを心広く受け入れるだけの心の準備が日本人にあるのか、というのが最大の問題です。

先日のぶらり庵さんのコメントに対して述べたこととも関連しますが、戦前戦中に大日本帝国臣民として全く合法的に居住就労していた人々に対してすら、戦後長らく福祉の手を差し延べることを拒否してきたわけですからね。

人種・民族差別を禁止しようとする人権擁護法案は、提出されてから早くも6年になりますが、抵抗が強すぎて、全然成立の見通しはないようですし。

私は、外国人をもっと大幅に受け入れていくこと自体には決して反対ではありません。ただ、その前提条件はかなりハードルが高いように思います。

この問題を論ずる人々は、まずはこういう問いを自らに発してみてもいいのではないでしょうか。

>働いてもらうつもりで連れてきた外国人が働きもせずに貧しいから生活保護をくれとわめいている。さあ、どうしますか?

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70歳定年など月内に素案

読売から、

http://job.yomiuri.co.jp/news/jo_ne_08052110.cfm

>政府・与党は、雇用や税制の優遇措置などを含む総合的な高齢者施策の取りまとめに着手した。後期高齢者医療制度(長寿医療制度)に対する国民の批判が強まる一方の中で、福田政権として高齢者に配慮した政策を打ち出す必要があると判断した。

 自民党は今週中に厚生労働部会などの合同部会を設置し、検討を急ぐ。与謝野馨・前官房長官が中心となり、〈1〉定年を70歳に引き上げる〈2〉高齢者マル優を復活させる〈3〉後期高齢者の扶養控除を認める――ことなどを検討対象とし、月内に結論を出す考えだ。

 高齢者施策の策定をめぐっては、与謝野氏が16日、「後期高齢者医療制度の話ばかりやらず、自民党としてもう少し大きく出た方がいい」と首相に進言したことで動き出した。

 首相は20日の閣僚懇談会で、月内に施策を取りまとめるよう自民党の谷垣政調会長に指示したことを明らかにした。

うーむ、70歳定年ですか。これは実はなかなか簡単ではありません。肝心の高齢者の側がどこまでそれを望むのか、という問題があります。

厚労省HPにアップされたばかりの労政審職業安定分科会の議事録にこんなのがありました。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/03/txt/s0328-1.txt

これは雇用保険法施行規則の一部改正で、70歳定年引上げ等モデル企業奨励金というのができるということで、労働側委員が、

>○長谷川委員 徳茂委員もおっしゃったのですが、この間、70歳まで働く企業の普及促進に関しては、何回か議論があったわけですが、いつどこで70歳と決めたのかというのが、私の記憶がおかしいのかわからないのですが、どこで決めたかがわからないのですね。誰がいつどこで70歳まで働き続けようと決めたのかというのがはっきりしない。

>・・・そうすると国民の中にも、労働者の中にも60以降の働き方については、いろいろ議論があるわけですから、その働き方の議論は労働者の人生設計にかかわることだから、もう少しきっちりと議論をしてほしいのです。現在70歳ですごく元気な方がいらっしゃって、そういう意味では70歳というか結構、働きたいという人はたくさんいると思うのですが、でも、働きたいということと、職場の中でどういうふうに働くかということと、処遇をどうするかということは、非常に重要な関係にあることで、こういうことをしっかりと議論しないまま、何か70まで働きましょう、働きましょうというのは、私は少し問題があるし、労働者もなかなか自分の人生設計が作れないのではないかと思うのです。
 もう1つは石井委員からもありましたが、みんなやはり68歳とか70歳の年金開始年齢を気にしているわけです。またこんなことをやれば、70歳年金開始年齢って延ばされるのではないか。これみんな思っているわけですよね。そういうことに対して、この70歳が出れば出るほど、みんなが年金を延ばされるのではないかと、この不安と疑問が現時点では払拭されていないと私は思うのです。

○長谷川委員 もう1つ、しつこいようですけど、55→60、60→65というのは、全部年金とリンクしている話なのですね。だから70と言われたときも、ほとんどの人たちは、私のところで会議を開いたときに年金開始年齢70を、厚生労働省は今回は旧労働省が雇用の機関で70という、年金開始年齢を射程距離に置いて出してきたのではないかと、この疑問に対して全然私たちには反論できないのですよ。いままでの例がやはり60、65となったときに、また5年で70といったときに、どうもこれは年金を70にやるための布石ではないかというふうに、ほとんどの構成組織から言われています。それに対して、それは違うって私たちは言ったとしても、誰も本当だと思っている人はいないということも事実なのですよ。最後まで違うと言えますか。70という年金開始年齢は絶対ないと言えますか。

実は、熊本の労働法学会の懇親会で、長谷川さんとちょっとこの話をしたんですけど、やっぱり職種によるよねえ、という結論。もういいかげん疲れたから年金もらって引退したいって人もいるし、後記高齢者になっても元気満々儂が居なくてどうするてな人もいるわけで、人によるんだけど、マクロに見るとやはり職種が効いている。

政治家なんてのは、一番そういう方向性の強い職種でしょうね。50,60は洟垂れ小僧というくらいですから。

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時短・残業免除を義務化へ 子育て支援で厚労省

さて、昨日の朝日に標記のような記事が載りました。1面左の目立つ記事ですが、リークっぽい感じです。

http://www.asahi.com/national/update/0518/TKY200805180156.html

>子育てと仕事を両立できるように、厚生労働省は企業に短時間勤務と残業を免除する制度の導入を義務づける方針を固めた。少子化対策の一環で、育児休業を取った後も、働き続けられる環境を整えるのが狙い。早ければ、来年の通常国会に育児・介護休業法の改正案を提出する。

 有識者らによる厚労省の研究会が6月にもまとめる報告にこうした方針を盛り込む。経営者側から反対も予想されるが、厚労省は少子化対策の柱として実現を目指す。

ということで、その研究会でどんなことが議論されているのか見てみましょう。厚労省HPに、今後の仕事と家庭の両立支援に関する研究会の資料が載っています。最近の4月25日の資料はこれです。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/04/s0425-9.html

ここにある「本日ご議論いただきたい事項」を見てみますと、

>1. 短時間勤務等について

(1)短時間勤務制度及び所定外労働の免除の制度の取扱いについて

○ 法第23条において事業主の選択的措置義務とされている「勤務時間短縮等の措置」の中から、短時間勤務制度と所定外労働の免除の制度の重要性が高いことが議論されている。

○ 法制的に格上げする場合、以下の2通りが考えられるが、両者の法的効果の違いは何か。

① 事業主の措置義務とする場合

② 労働者に請求権を付与する場合

○ 短時間勤務制度と所定外労働の免除の制度について

① 両者並列で格上げするか、

② どちらかを優先的に考えるべきか。

(2)短時間勤務等を請求する場合の例外規定について

○ 労働者に請求権を付与する場合、事業主の負担を考慮し、「合理的な理由」、「事業の正常な運営を妨げる場合」等がある場合には、事業主は請求を拒めることとすべきか。

○ 事業主が請求を拒めることとする場合、請求を拒めるのは、短時間勤務制度と所定外労働の免除の制度について、全く同等の取扱いとするべきか、事業主の負担の大きさを考慮して取扱いを別にするべきか。

(3)短時間勤務制度の対象となる労働者の範囲について

○ 短時間勤務制度の対象となる労働者の労働時間については、現行では1日6時間以下の労働者を制度の対象外としているが、多様な勤務形態を考慮し、週単位や月単位についても対象となる労働者の範囲を明示するべきか。

○ 短時間勤務を希望した労働者が、予期しないほど労働時間を短くされるといった事態を回避するため、例えば1日4時間を下回らないこととする等、短時間勤務中の労働時間の下限や上限についても何らか定める必要があるか。(週単位、月単位についても同様)

(4)両立支援制度の対象となる子の年齢について

○ 親の就労と子育ての両立を支える制度について、子どもの年齢に応じ、①目指すべき理想のもの、②企業に課す最低基準とすべきものとして、どのような形が考えられるか(労働者に請求権を付与すべきもの、事業主の措置義務/選択的措置義務/措置すべき努力義務とすべきもの)

2.父親も母親も育児にかかわることができる働き方の実現

(1)産後8週間の父親の育児休業取得促進

○ 産後8週間の父親の育児休業の取得促進策としては、以下の2通りが考えられる。

① 現行の育児休業とは別立ての休暇を新たに設ける、

② 産後8週間に父親が育児休業を取得した場合には、再度の育児休業取得を認める等により、現行の育児休業の枠組みの中で対応する。

○ 上記①、②のメリット・デメリットとしてはどのようなものが考えられるか。

○ 産後8週間に父親が育児休業を取得する場合に、再度の育児休業取得を認めることは、母親が産休後に育児休業がとれることとバランスがとれていると考えられるか。

(2)父母ともに育児休業を取得した場合におけるメリット

○ 育児休業を取得していた母親(又は父親)にとって配偶者のサポートが必要な職場復帰前後のケアやならし保育への対応の必要性等の観点から、父母ともに育児休業を取得する場合には、育児休業の期間を現行よりも延長できるようなメリットがあってもよいという意見がある。こうした意見に対する考え方としては、以下の3通りが考えられるのではないか。

① 職場復帰直後の精神的負担の軽減やならし保育への対応という観点から、2か月程度延長する。

② 現在、子が保育所に入所できない場合等の特例措置の上限が1歳6か月であることを踏まえ、6か月程度延長する。なお、この場合、現行の1歳6か月までの育児休業の延長は、保育所に入れない場合等特別な事情がある場合に限られた特例措置であることに留意する必要があるのではないか。

③ 現在、父母が育児休業を取得する場合の休業期間が最長1年であることを踏まえ、1 年程度延長する。

○ 上記①~③のメリット、デメリットとしてはどのようなものが考えられるか。

○ また、現状において実現可能性が高く、かつ、「男性の育児休業取得促進の起爆剤となるような仕組み」としては、どれが適当と考えられるか。

というように、かなり具体的な制度設計の議論になっています。

本日、この次の第10回研究会が開催されているはずなので、その資料も早晩アップされるでしょう。

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教師の時間外労働

4月25日のエントリーで紹介した京都の教師の時間外勤務の判決が最高裁HPに掲載されたのでリンクしておきます。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_a3ad.html

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20080519105248.pdf

>前提事実記載のとおり給特法(10条)は教育職員に対して労働基準法32条の適用を除外しておらず,本件条例も教育職員に対して職員の勤務時間を定める条項の適用を除外していない。
ところで,前提事実記載のとおり本件通達により定められた使用者において労働者の労働時間の適正な把握のために講ずべき基準は管理監督者及びみなし労働時間制が適用される労働者を除くすべての労働者に適用される(なお,同通達は同除外される労働者についても,健康確保を図る必要があることから,使用者において適正な時間管理を行う責務がある旨記載している〔甲6〕。)ところ,
本件通達は教育職員にも適用がある旨の文部科学省の国会答弁のとおり公立の教育職員にも適用があるものと解される。しかし,給特法及び本件条例は,教育職員が自主的,自発的に正規の勤務時間を超えて勤務した場合にはこれに対して時間外勤務手当を支給しないものとしていることは前記2で説示したとおりであるうえ,教育職員の職務遂行のうち,その職務の特質に照らしてどこからどこまでが指揮監督の下での労働と評価されるのかについても一義的に明確な基準を見いだすことが困難なことを考慮すると,教育職員について時間外・休日・深夜労働の割増賃金を支払うという点から正確な時間管理が求められているとまで解することはできない。そうすると,公立学校の設置者にタイムカード等を用いて教育職員の登校及び退校の詳細な時刻を記録することまで求められていると解することは相当でない。
しかし,上記基準の適用を除外された管理監督者やみなし労働時間制を採用された労働者と同様,
少なくとも教育職員についても生命及び健康の保持や確保(業務遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことのないように配慮すること)の観点から勤務時間管理をすべきことが求められていると解すべきであるため,原告らが勤務する公立学校の設置管理者である被告は,教育委員会や校長を通じて教育職員の健康の保持,確保の観点から労働時間を管理し,同管理の中でその勤務内容,態様が生命や健康を害するような状態であることを認識,予見した場合,またはそれを認識,予見でき得たような場合にはその事務の分配等を適正にする等して当該教育職員の勤務により健康を害しないように配慮(管理)すべき義務(以下「本件勤務管理義務」という。)を負っていると解するのが相当というべきである。そのような場合で,教育職員が従事した職務の内容,勤務の実情等に照らして,週休日の振替等の配慮がなされず,時間外勤務が常態化していたとみられる場合は,本件勤務管理義務を尽くしていないものとして,国家賠償法上の責任が生じる余地がある。

教師は残業代はエグゼンプトだから、残業代を正確に払うために労働時間を管理するという必要はないけれども、生命や健康を害しないために労働時間を管理する義務はあるということです。私が本ブログで繰り返し述べていることが、こうして少しづつ裁判官の中で常識化していっていることが判ります。

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可哀想な山田正人氏

5月7日付のエントリーで紹介した「日本をダメにした10の裁判」ですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/10_723c.html

可哀想なことに、山田正人氏、こともあろうに、あの池田信夫氏に褒められてしまいました。解雇権濫用法理と整理解雇4要件(ないし4要素)の区別もできない一知半解氏に、

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/c86cd90e5f05b5d1caa9264ede2847b1

>解雇権濫用法理を「合成の誤謬」という経済学用語で説明している論理は、当ブログの記事とそっくり(強調は原文ママ)

などと見当違いの賞賛を浴びてしまっては、わざわざ高裁判決に過ぎない東洋酸素事件判決を引用した折角の工夫も水の泡ですし、この池田信夫珍解釈が山田正人氏の理解であるという風に誤解されることによって、その名誉に泥を塗られたも同然ですね。

経済産業省の課長補佐として1年間の育児休業をとった山田正人氏がその思いを見事に示した東亜ペイント事件の章もそのすぐあとにあるのに、まるで彼が「転勤拒否した莫迦野郎をクビにしようが、残業拒否したド阿呆をクビにしようが、なんの問題もない」とうそぶく池田信夫氏のようなリバタリアンであるかのように褒め殺しするというのは、ほとんどブラックユーモアの域に達しています。

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舛添大臣の大正論地方分権編

舛添大臣の大正論(おおいなるせいろん)は、外国人問題だけではありません。金曜日の閣議後記者会見では、霞ヶ関が権限を握って話さないから云々と地方分権とかいいながら、箸の上げ下ろしまで指示してくれないからうまくいかないんだと泣き言をいう地方自治体を見事に斬っています。

http://www-bm.mhlw.go.jp/kaiken/daijin/2008/05/k0516.html

>(記者)

活保護の通院移送費のことなんですが、当事者からは北海道滝川事件を例にとって一般化しているのもではないかという声がですね、自治体からは基準が明確ではないために運用面で混乱が生じるのではないかという声があるのですが、それについて大臣のお考えを。

(大臣)

要するに滝川のようなことがあってはいけません。かといって本当に困っている人の交通手段が奪われるといったことがあってもいけません。だからこういうものは、普通の人が考えておかしくないということをやればいいわけです。普通の人が考えてこれはおかしいよということはやめればいいのです。常にここのところ私が強調して言っていますことは、後期高齢者の問題にしてもそうですが、何もかも厚生労働省がきっちり基準を決めて、それをやらなければ自治体はできないのですか。地方自治というのは何だと考えているのですか。私ははっきり言います。方針転換をしなさいと。厚生労働行政すべてについては、箸の上げ下げまでそこまでやらないといけないのかということです。それは基本的に国民の生命を守っていくというナショナルミニマムは、必要な基準は、それはだから残留農薬がどれだけあったらどうだとか、あのギョウザの事件も、そういう基準は決めます。だけど、どういう病気の人がどういう状態でどうでなければこれは遠いところの病院にかからないといけない、なぜ私が霞ヶ関にいて決めないといけないのですか、厚生労働省が。まさに地方自治でしょう。ですから、大きなガイドラインは示せます。しかし、国民の目線に立って、暴力団にそこまでやらせていいのか、それは良くないです。しかし、本当に困っている人にちょっと何km差があったからと言って運ばないということがあっていいのですか。それはやらないといけないです。そういうことが国民の目線、住民の目線に立ってきちんとやるというのが今からの政治のやり方であるし。特に地方自治体は何のためにあるのですかと。介護とか医療とかいうのは、地方自治そのものでしょう。ですから、これからは、まさに地方自治、地方の自主性をもっと前面に出す形の厚生労働行政に変えたいと思っております。何もかも中央からの指示がなければ動かない。それで指示が悪いからどうだ、指示が遅かったからどうだ。だって後期高齢者の医療制度だって99.5%はきちんと保険証だって送ったじゃないですか。0.5%がミスをしているわけでしょ。そしたらミスした方は、「厚生労働省の指導が悪い」。箸の上げ下げまで言えません。ご飯食べなさいということは言うけれども、「そこから先は自分で考えなさいよ」。それくらいの気持ちであえて言えば。それは国民の目線、住民の目線に立てば間違いありません。そういう行政に変えていきたいと思っております。

そこまで言うなら、全部国の事務にしろよな。知事さん以下みんな国の出先機関になって、本省の事細かな通達通りにやるようにしたらいいんじゃないの。地方分権とか何とか偉そうな口きくんじゃないぜ!とみごとな啖呵です。

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日本労働法学会@熊本

昨日、熊本大学で第115回日本労働法学会がありました。

午後のミニシンポは、派遣関係の「労務供給の多様化をめぐる今日的課題」に出ると見せかけて、フェイントで「外国人の研究・技能実習制度の法律問題」に出席。研修契約はそもそも労働契約でないという前提は労働法にはなく、入管法が勝手に「研修」を「非就労目的在留資格」に分類しただけではないのか、と嫌らしい質問をする。

この点、次の拙論文も参照。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/gaikokujin.html(外国人労働者の法政策)

懇親会の後、2次会に流れ込み、1時頃まで呑み続ける。

今朝は、朝一で熊本城見学。渡辺章先生と一緒に先月新装開店したばかりの本丸御殿を見る。午前の便で東京に戻る。Fatigue!

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舛添大臣の大正論@経済財政諮問会議

5月9日の経済財政諮問会議の議事録が出ました。早速舛添大臣の発言を見ましょう。

http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2008/0509/shimon-s.pdf

>(舛添臨時議員) 国際化ということを、ずっと私は大学にいるときから格闘してきており、この前も申し上げたところ。

アトラクティブな国になって、外国の優秀な人にとって、日本に来ることはいいことだと思わせるための、例えば様々な生活環境、社会環境を整備することは大変結構である。ただ、最終的に、働く人たちであるから、受入企業が例えばどれだけの処遇をしてくれるのかということ。現状を見てみると、有体に言えば、八代議員が最後におっしゃったように、高度人材と言っているけれども、とにかく安い労働力を何とか手に入れるみたいなことに事実上なっているとすると、それは生活環境も違うところに家族も連れてきちんと来るということであれば、それなりの処遇をきちんと受入企業がやれるのかどうなのかということ。優秀な人は、アメリカでもイギリスでもインドでも英語が通じるところの方がはるかに楽であるから、そういうことを考えたら、やはり基本的には受入側の企業の方でそれだけの処遇ができるのかということだ。明治維新のときは、日本が近代化するという大きな目標があった。時の内閣総理大臣以上のお金を出して、お雇い外国人を雇ったわけだ。それだけの気概があるのか。30万人という数字も、何十万でもいいが、ただ、数字が先になったときに、高度と言っておきながら、高度ではない人を入れて30万人にされたらたまらない。現状を見てみたときに、はるかに安い賃金で働いている外国人の方がはるかに多い。

長期的に見て、この方たちは通過していく人たちだけなのか。3年なら3年、5年なら5年でなく、ナチュラライゼーション、帰化までさせて最終的に日本人になることも考えての、移民政策の様なことを考えているのか。

そして、以前も申し上げたが、私自身が若いころ海外にいたので、例えば私のいたフランスの発想について言えば、フランスで仕事をしてフランス語ができるのは当たり前であるという感じだ。そこまで言わなくてもいいが、いずれにしても、私はカギは企業の受入体制で、競争、今おっしゃった様に争奪戦であるから、アメリカやイギリスに行かないで、なぜ日本かということの答えがないといけない。

それから、生活環境づくり、医者の問題は、要するに英語しかしゃべれないのに、日本語しかしゃべれない日本人が診れるかということがある。ただ、こういう問題は柔軟に考えてもいいのであるが。

また、日本人の大学生も就職したいと思っている。そういう人との競合関係をどうするかといった様々な問題点もある。

長期的な国家戦略として、高度人材を日本人にすること、つまり永住、定着、帰化まで考えているのであれば、私はそこまでやっていいと思うが、もっと抜本的に変えないと、彼らには日本語をしゃべってもらわないと困る、書いてもらわないと困る。

そうではなく、3年間でさよならとする場合、特に単身赴任ではなく家族を連れてきたとすると、子どもの教育はどうするのか、家族という視点から日本語の教育をどうするのか、そういった意味でのコストも含めて我々は投資しないといけない。

したがって、高度人材の受入の中身について、私が今言ったようなことをかなり細かく詰めないといけないのではないか。

いささか八方破れだった記者会見に比べるとかなり整理されたしゃべり方になっているようですが、趣旨は同じです。

日本的リフレ派から受けのいいらしい伊藤隆敏氏が、

>それで、介護士、看護師の点も、先ほどEPAの絡みで認めるということだったが、なぜEPAをつくらないと来ていただけないのか。そういった協定がない国からでも日本の看護師になりたいという人がいるかもしれない。あるいは日本に住んでいる外国人子女で、介護士、看護師になりたいという人がいるのかもしれない。

そういった国家資格があるような分野、これはやはり高度人材である。したがって、そういった国家資格がある、あるいはひょっとしたら何とか検定という検定試験でもいい。そういうものが課せられているものはいっぱいある。会計士も、観光ガイドも、そういったものが、日本語で試験を受けて通れば、当然在留資格が与えられるべきである。そういった意味で、先ほど資格は通達でということで拡大解釈あるいはきちんと意味を決めているという話だったが、もう少し就労ができる在留資格というのはわかりやすい形で、是非、書き直していただきたい。

先ほど言ったように、民間議員ペーパーのとおり、国家資格がある者あるいはきちんとした検定試験があるような者、これに受かった人は自動的に就労できる在留資格を出していただきたい

と、あくまでも国家資格または検定試験即高度人材、ゆえに自動的に在留資格を出せと主張しています。

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連合総研設立20周年記念シンポジウム記録集その3

まとめ     いま、日本の労働組合運動に期待するもの

濱口/私は徹底して世俗的にお話をしたいと思います。宮本さんからは、職場を超えたコミュニティというテーマをいただいたのですが、むしろ逆に、職場のコミュニティを再建すべきではないかというお話をしたいと思います。

なぜ世俗に徹するかというと、本日のような会合で、あまりにも高邁で美しい話を聞くと、これは徳の高い高僧のお説教を聞いているのと同じで、たいへん素晴らしい話を伺いました、ありがとうございました、では現実に返りましょうということになってしまうのですね。ですから、私はもっと現実的な、生々しい話をしたいと思います。

パートだから先にクビでいいのかこれはフロアからいただいた質問ともかかわります。私が先ほど正社員の解雇規制の問題を取り上げたことについて、それは労働ビッグバン論者の言っていることと同じではないかという質問がおそらく出るだろうと思いましたが、案の定ご質問をいただきました。結論的には、私の主張は労働ビッグバン論者とかなり近いところにあります。

ただし、ここで考えていただきたいのは、職場のコミュニティ、職場の連帯というときに、それはどの範囲の労働者までを想定しているのか、ということなのです。解雇規制を議論するときにも、同じ職場にいるパートさんのクビのことまで考えてその議論をしているのでしょうか、ということです。この点を捨象して、どこか遠くにあるコミュニティの話-本当はコミュニティというのは遠くにあるはずはないのですが-にしてしまってはいけない。

いま必要なのは、むしろある意味で空洞化しつつある職場のコミュニティ感覚、連帯感覚をもう一度復活させること、そこにいる一人ひとりを組み込むような形での連帯をつくり出していくことだと思います。この問題には様々な側面があると思います。例えば、報酬をどのように分け合っていくかということもあるでしょうし、場合によっては、会社経営が厳しくなったときに、だれがその不利益を受けるのかということも問われるでしょう。「あなたはパートなんだから当然先にクビになっていい」ということで、本当によいのだろうか、ということです。このように、一人ひとりの利害状況を考えた上で、誰も排除することなく、「ひとりはみんなのため、みんなはひとりのため」という原理に基づく問題解決をめざしていくという感覚、すなわち包括的・普遍的な連帯感覚の再構築が必要ではないかと思うのです。

連合が代表しているのは誰?

次に、これは連合への提言につながってくるのですが、マクロの政策決定の場における労働組合の発言力をどうやって高めていくかを考えなければならない。いま日本のマクロ経済運営に関する政策決定の場には、労働代表はいません。経済財政諮問会議に、経営代表は2人いますし、学者は2人入っていますが、労働代表はいません。厚生労働省の労働関係の審議会は公労使三者構成で労働代表が入っていますが、今年5月の規制改革会議の報告は、「現在の三者構成システムは、とりわけ労働代表の選び方においてフェアではない」という指摘を行っています。そういうあなたはフェアなのか、という問いは一応括弧に入れておきましょう。考えなければいけないのは、「あなた方が代表しているのはいったいどういう方々ですか」という問いかけだろうと思います。

実はこの問題は、職場の連帯、職場のコミュニティのあり方と、おそらく深くつながってくるだろうと思います。やはり、職場のコミュニティをもう一度再建すること、遠く離れたコミュニティというよりは、まさに職場に根ざしたコミュニティを再建するところから、マクロの政策決定の場における労働組合の発言を強めていく第一歩がはじまるのではないかと思っています。

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連合総研設立20周年記念シンポジウム記録集その2

問題提起2 労働政策と生活保障

濱口/広井さんのお話は、2ラウンド目でますます広くなったのですが、私の2ラウンド目は、ますます世俗的な話になります。

第1ラウンドで私がお話ししたのは、この『福祉ガバナンス宣言』第1章で書いたことと大体同じです。この委員会にはもっとほかにいろいろな先生方がいます。本当は福祉国家とか福祉ガバナンスという議論をするのであれば、社会保障システムや生活保障システムといったテーマについて議論されていた、駒村康平さん、後藤玲子さんといった委員の方々にご登場いただくのが筋のような気もするのですが、労働を中心とした、仕事を中心に据えた福祉社会という視点から、生活保障をどう考えるかについて、ごく簡潔にお話ししたいと思います(編集部注̶当日配布資料の論文、濱口桂一郎「労働政策と生活保障」を巻末に収録したので、参照されたい)。

雇用保険(失業給付)と生活保護の断層

労働が商品として売られなくても済むような生活保障ということでいうと、もちろん日本にもそういうシステムがないわけではありません。雇用保険の失業給付や生活保護があるのですが、しかし、これらの制度にはいろいろと問題が多い。まず、失業給付は給付期間がたいへん短い。短い場合には3カ月、長くても1年弱です。しかも、カバレッジがかなり狭くて、いわゆる非正規雇用で働いている人たちはにはなかなか適用されない。そうすると、非正規雇用で働く人たちが失業しても失業給付を受けられないことになる。

一度入ったら抜けられない理由最後のセーフティネットとしての生活保護があるではないかと言われます。しかし、これも、よく言われているように、なかなか入れてくれない。「入れてくれないのはけしからん」というのがマスコミの論調なのですが、しかし、実は窓口の立場からすると、入れないのにも理由がある。なぜかというと、一たん入るとなかなか出ていかないというか、ほとんど出ていかない。これもやむを得ないところがあって、預金があったら入れない、親類縁者が扶養したら入れない、車があったら入れないという厳格なミーンズ・テストを行っていますから、身ぐるみはがれないと入れない。したがって、一度入ったらなかなか抜けられない。こうした事情があるので、たいへんに多くの方々が生活保護も受けられないで路頭に迷っている。ここをどうするか、ということが、いま大きな課題になっているわけです。

■ 最低賃金と生活保護の矛盾

それからもう1つ、最低賃金法の改正に関して、最低賃金が生活保護を下回っているのはけしからんではないかという議論がありました。

これももっともです。もっともなのですが、そこで最低賃金と比較されている生活保護基準は、実は18〜19歳の単身者のものなのです。若い単身者ですら、働いて得る賃金が生活保護の額より下回っている事態はけしからんということも、確かにもっともなのですが、しかし生活保護基準は生活のニーズに対応していますから、扶養家族が増えていけば、それに応じて増加していきます。そこまで最低賃金で面倒をみられるのかといえば、やはり無理がある。

労働に対する報酬と生活保障

実は民主党が出した最低賃金法改正案には、「全国最低賃金及び地域最低賃金は、労働者及びその家族の生計費を基本として定められなければならない」と規定されていました。しかし、では最低賃金額を家族数に比例して定めるのかとなったら、そんなわけにいかないでしょう。

生計費の一番高いところを基準に最低賃金を決めたら、単身者にもその水準を出すのかという文句が出るでしょう。このようになかなか解きほぐせない問題が出てきます。

ここをどう考えるかは、制度論としてもなかなかむずかしい問題なのです。しかし、この制度論を本当に解くためには、実は哲学のレベルで、労働に対する報酬と生活保障の関係をもう一度考え直す必要が出てくると思います。

いま、ヨーロッパで大きな流れになっているのは、基本的には「ウエルフェア・トゥ・ワーク」、福祉でずっと食べていくということではなくて、働ける人はできるだけ仕事を通じて社会に参加していこうという考え方です。すべての人が働いて社会に参加できる仕組みをつくっていこう、そのためには公的な負担もしましょうという「ウエルフェア・トゥ・ワーク」が大きな流れになっているのです。いままでの生活保護の仕組みは、本当にどうしようもなくなった人だけを対象としています。どうしようもなくなった人だから、ずっと生活保護の下にいる。一方、どうしようもある人はこの仕組みの中には入れない、そういう形でやってきたのです。

「トランポリン型の福祉システム」

これに対して、「どうしようもある人」を救済の対象として、何とかなるようにして、また出していくという仕組みこそが重要ではないかという議論が起きてきました。ブレア政権の言い方でいえば「トランポリン型の福祉システム」です。これからの福祉は、おそらくこのような
方向に考え方を変えていく必要があるだろうと思っています。

ただし、問題はそれだけでいいのかということです。そこがまさに90年代以来の、欧米における福祉見直しの議論の焦点のひとつでした。

最低賃金法改正における議論との関係でいえば、本人が働ければそれで生活できるというとき、その生活ニーズとは何なのかという問題があります。これは一見、最低賃金と生活保護だけの話のように見えますが、実は、もっと広がりのある話です。

つまり、生活保護基準には、本人の分もありますが、家族の部分もあります。子どもの教育費も、住宅費もあります。これはいったいどこで面倒をみているのか。生活保護だったら生活保護の中で全部面倒をみています。では、生活保護を脱却して働き始めた、という人の場合どうなるか。働き初めは、本人分の非常に安い給料しか払われません。では、誰が本人分以外の部分の面倒をみるのか、子どもたちや住宅費の面倒をみるのか。日本の雇用システムは、正社員については、こうした本人以外の部分も面倒をみるシステムだったのですね。これは歴史的にはたいへん長い経緯があるのですが、端折っていうと、新入社員のころは、本人だけが狭い部屋に住んで生活できる程度の低い給料から出発するけれども、その後、結婚して子どもができて、家族の生計費も子どもの教育費、住宅費もかさんでくるようになると、それに見合った水準の給料が支給されるようになる。そうしたライフステージの上昇に伴う生計費は、全部給料の中で面倒をみるという仕組みになっていました。

ところが、一たん正社員の雇用システムからこぼれ落ちると、このような生活保障が全部なくなってしまいます。そこをいったいどういう形で面倒みるべきか、という問題が、最低賃金と生活保護という形で出てきている問題の背後にあるのではないかと思います。

子どもや住宅について小さい政府基本的には、この問題への対応の中にこそ、これからの日本の福祉国家-あえてここは福祉国家と言いますが-のありようを考える際の、1つの方向性が示されているのではないかと思います。

実は、日本の福祉国家が「大きい政府」か「小さい政府」か、という問題は、どこに注目するかによって、見方が違ってきます。年金にしろ、医療にしろ、日本は必ずしも小さい政府ではありません。ある意味ではむしろ大きい政府であるという面がある。一方、ヨーロッパにはごく普通にあって日本にほとんどないのが、子どもの面倒をみるシステム、あるいは住宅の面倒をみるシステムなのです。現金給付を行うだけではなく、現物給付的なやり方(例えば、教育費負担をなくす等)、あるいは各種の補助措置を講じるなど、ヨーロッパではさまざまな手段を通じて、この分野での保障の仕組みが展開されているのですが、この分野に関する限り、実は日本はたいへん小さい政府になっています。なぜ日本がこの分野でたいへん小さい政府でいられたかというと、そこを企業が全部面倒みていたからです。議論をつめていけば、おそらく、こうした仕組み全体の見直しに進まざるを得ないだろうと思っています。

非常に大きな話と小さな話の間をどうつないでいくかは、なかなかむずかしいところかもしれませんが、私は福祉国家論を考えたときに、日本に今まで欠けていた部分は、むしろこの小さな話が関わる生活保障システムの問題ではないかと考えています。それがある意味で露呈したのが、雇用保険と最低基準と生活保護をめぐる三大噺なのではないかとも思います。

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連合総研設立20周年記念シンポジウム記録集その1

標記シンポジウムの記録集が、連合総研のHPにアップされました。

http://www.rengo-soken.or.jp/houkoku/sympo/20anniversary/sympo_menu.htm

本ブログの読者の中からも多くの方々においでいただいたものです。

パネルディスカッションの記録から、私の発言部分を以下に引用しておきます。全体の流れはリンク先のファイルでご覧ください。

>問題提起 構造改革と日本的雇用システム

濱口/広井先生がたいへん雄大な視点からお話をされたので、私の話は、若干世俗的な観点からのものになるかと思いますが、むしろその方がここにお集まりのみなさまにとっては、スッと入るところがあるかもしれません。

■ 日本における構造改革論議を振り返ると

昨年から今年にかけての流行語と言えば、言うまでもなく「格差社会」が上位にあげられます。毎日新聞の連載やNHKのワーキングプア特集など、マスコミでも大きく扱われ、政府の白書でも取り上げられました。いまや与野党こぞって「格差問題」がたいへんな課題になっているわけです。

構造改革を支持し続けてきたのはしかし、一昨年の2005年は、国民が構造改革に熱狂した年であったということは、まだ記憶に新しいところです。その少し前にさかのぼると、連合が組織的に支持していた民主党が、「もっと構造改革をやれ、与党は守旧派だから改革はできない、われわれこそ構造改革をやるんだ」と言っていたわけです。

これはけっして21世紀になってからのことではありません。この構造改革路線という旗が振られるようになったのはいつからかというと、実は、90年代、非自民の細川連立政権の下ででした。

例えば1993年の平岩レポートは細川内閣の時に発表されました。そこでは、経済的規制は原則自由、社会的規制も次第に見直すという考え方が提起されています。

次に、村山内閣の時の、1995年経済社会計画では、自己責任のもと、自由な個人や企業の創造力が十分発揮できるように、市場メカニズムを十分働かせ、規制緩和を進めると言っています。その延長線上に、この間の小泉改革があるわけです。こういう言い方はたいへん皮肉なのですが、連合はこの10年あまり、新自由主義的な構造改革を支持し続けてきたと言えないこともありません。

別にそれがけしからんと申し上げたいわけではありません。それにはそれなりの理由があったのだろうと思います。先ほど宮本さんが言われたように、それまでの日本的なシステムにいろいろな矛盾が出ていたのは確かです。しかし、それに対して何をなすべきか、という対案を提示すべきところで、それなりに連帯の精神がある、それなりに保障のあるシステムを全部ぶち壊せという方向に突っ走ってしまったのです。これは、実は、ここにお集まりの方々が、自分たちがやってきたことでもあると考える必要があります。

■ ヨーロッパにおける「第三の道」

私はちょうどそのころ、1995年から98年まで、ヨーロッパに赴任していました。日本で構造改革路線が主流化していく時期に日本を離れて、3年間ヨーロッパにいたわけです。そのためもあるのかもしれませんが、日本の動きが非常に不思議に思われました。

ヨーロッパでも、80 年代から古い福祉国家を変えなければいけないと言われており、90年代は、その福祉国家を担っていた社会民主党や労働組合といった勢力が、改革の実践に乗り出した時期です。しかし、彼らが何をやったかというと、いままでやってきたのは全部間違っていたから、全部ぶち壊せということではありませんでした。それをやったのはサッチャーでしたから、同じことをやってもしようがないのは当然ですが、ヨーロッパの改革派の主張は、「自分たちがつくってきた福祉国家の根っこにある連帯は大事だ。だからこれは維持する。けれども、そのやり方は間違っていた。だからやり方を変えなければいけない」というものでした。当時の私は、このような主張を展開している人たちとしばしば会って、話を聞いていたこともあって、さて、日本はいったい何をやっているのだろうと、大変違和感を感じておりました。

「労働は商品ではない」の意味

では、いったいどこが問題の中心なのか。これはみなさまにとっては非常に親しみ深い言葉だと思いますが、ILOのフィラデルフィア宣言に「労働は商品ではない」という言葉があります。これは労働にかかわる者にとっては、憲法よりももっと大事な言葉なのですが、しかし「労働は商品ではない」とはいったいどういう意味なのか。よく考えていくと、2つの意味があり得ます。

1つは、労働は商品ではないのだから、資本の論理で弄ばれるものになってはいけない、ということです。

だから、労働者保護法制や完全雇用政策によって、ちゃんと扱われるようにしなければいけない。商品としてではなく、人間として扱われるようにしなければいけない。これが1つの考え方ですね。

もう1つの考え方は、商品ではないのだから売らなくてもいいようにしよう、ということです。つまり、労働力商品を売らなくても、お金が天から、というか、国から降ってくるようにすれば、商品にならなくて済むわけです。

以上の二つの考え方は、全く矛盾するわけではありません。後者がないと、前者の保障もきちんと担保できないわけです。例えば失業保険がきちんとしていないと、嫌な会社でもなかなか辞められないという形でこの両者はつながっています。しかし、後者が強調され過ぎると、働かなくてもいいではないかという話になります。

私も3年間ベルギーのブリュッセルにいたのですが、昼間から十分働ける若い人がぶらぶらしているのを見て、これは何だ、と思ったこともありました。実は、ヨーロッパで新自由主義的な考え方が非常に強くなっていった1つの原因は、まさにこういう第2の意味での労働力の脱商品化というものが社会をおかしくしているのではないか、「働けるのに怠けているヤツに、何でオレたちの税金が使われるんだ。けしからんじゃないか」という感情が高まったことです。みんな「そうだ、そうだ」と思うわけですね。こうした批判感情に対して、初めのころは、「いや、それでも福祉国家は大事なのだ」と言っていたのですが、そのうちに、やはり現状維持ではいけない、ここは何とか改革しなければいけないという考え方が強くなってきました。これが、90年代のヨーロッパでの社会民主主義勢力の政策転換を促した基本的な考え方です。ブレアの言う「ウェルフェア・トゥ・ワーク」とか、あるいはドイツのシュレーダー政権の政策も、基本的にはこういう考え方に立っていたわけです。

「日本的ワークフェア」 事実上の「第三の道」か?

仕事を通じて社会に参加していくここで、先ほど宮本さんが言われたように、ヨーロッパで「第三の道」なんだから、日本でも「第三の道」という流れにいくかというと、そう簡単にはいかない。ここでちょっと奇妙なねじれがあります。つまり、ある意味では、日本は昔から「第三の道」だったのですね。「第三の道」とは、簡単にいえば、「福祉で食うのではなくて、仕事を通じて社会に参加していくこと、それが大事なのだ。しかし、そのためにいろいろな公的な支援をしていくのだ」という主張なのですが、日本はまさにそういうことをやってきたわけです。

最近でこそ、生活保護などに関していろいろ問題が出ていますが、しかし、「働けるのに福祉で食うというのはよくない、みんな何らかの形で仕事に参加して、それで社会の中に居場所を与えられて、その中でみんなが生活を保障されていくことをめざす」という意味で、日本はある意味で「第三の道」だったのです。

ただし、それには大きなふたつの前提がありました。

1つは、その対象となっているのは世帯主たる成人男性であり、彼らには手厚い雇用保障を与えるかわりに、非常に広範な労務指揮権のもとで、時間外労働や配置転換に関しては言うことを聞いてもらう。

第2に、世帯主男性の奥さんはパートタイマー、そしてまだ学生の子どもたちはアルバイトという形で、縁辺的な労働力として使っていく。

いわば「日本的ワークフェア」ともいうべきこのシステムも、世帯の核所得者と縁辺労働力の組み合わせという限りでは、あまり矛盾はなかったのです。パートの人は、「自分はパートとして差別されている」と思うかというと、多くは「私は正社員の妻である」と思っていますから、けっして疎外されてはいないわけです。アルバイトの学生だって、雑役をしているわけですが、それはあくまで就職するまでのエピソードであって、正社員として就職すれば、そこから全然別のルートに入る。その限りでは、それなりにハッピーなサイクルが回っていた。ところが90年代になって、それがだんだん崩れてくるのです。

■ 日本的システム見直しとセーフティネットの不在

この間のプロセスについては、あまり細かいことは申し上げませんが、そこからこぼれ落ちる人がどんどん出てきた。その中でどういう意見が出てきたかというと、これは1999年、小渕内閣のときの「経済戦略会議」で、当時学者であった竹中平藏さんが書かれた主張がその典型です。要するに、「日本は護送船団方式で雇用を保障しているからダメなのだ。生産性の低い人に対してはもっときびしく、ビシビシやる。しかし、そこからこぼれ落ちた人に対してはちゃんとセーフティネットでもって保護していくのだ」と。

それだけ聞いていると、昔のヨーロッパの福祉国家をめざすのかなというようなことを言っていたのですが、ではそうなったかというと、そうはならなかったのですね。こぼれ落ちた人に対するセーフティネットが手厚くなったというわけでもなかった。では、そこを手厚くすべきだったと言えるかというと、なかなかむずかしいところがある。つまり、日本社会そのものが、非常に強く「働かざる者、食うべからず」という哲学を持っていたために、働けるのに働いてないのはけしからんではないか、という考えが強くて、そういうセーフティネットを強く張りめぐらすという方向にいかなかったということなのだろうと思います。

■ 日本版ディーセントワークと福祉の再構築

では、今後どういう方向に向かうべきか、ということなのですが、やはりそういう日本的な福祉社会のあり方のいいところはきちんと残していかなければならない、むしろ確保していかなければならないと思っています。それは仕事を通じてスキルを上げていく、いい仕事を生涯にわたって確保していくようなシステムです。これはヨーロッパでも、そしてある意味ではアメリカの優良な企業でも、けっして否定されているものではありません。

スキルが上がらない非正規労働いま、この90年代以降の格差社会の中で、いろいろな問題点が指摘されているのですが、最大の問題は、正社員という形で仕事に就けば、その仕事をしていく中で技能も賃金もそれなりに上がっていくけれども、そこから排除されたフリーターの人たちは、そもそもスキルが上がるような仕事をさせてもらえない、いつまでやっていても永遠に同じままである、という点にあると思います。

ILOに「ディーセントワーク」という言葉があります。ILOでのコンテキストと日本はちょっと違うのですが、いまの日本でもこのディーセントワークという考え方が重要です。「いい仕事、まっとうな仕事」、つまりディーセントワークというものを考えたときに、やはり、まず第一義的に、「仕事を通じてスキルを上げ、そして処遇もそれなりに上がっていくような仕事」をできるだけ多くの人々に確保していくことが重視されなければいけないと思います。

日本的システム見直しの視点

ではどこを変えるべきか、という話をしなければいけません。

90年代に、当時「革新」といわれた人たちの方がむしろ積極的に「日本的システムはけしからん」という考え方に走った1つの原因は、「会社の中に労働者が囲い込まれて、無制限の時間外労働を余儀なくされる。あるいは、会社の都合でどんな遠距離の配転でも受け入れなければいけない」という状況への批判があったと思います。労働者の個人としての生活と仕事とのバランスを回復し、人間らしい生活を取り戻したいという気持ちがその背景にあったのだろうと思います。ワーク・ライフ・バランスという言葉が最近はやっていますが、それを先取りしていた面がある。そして、その後の10年間、日本的システム破壊の方向に突っ走ってきたマイナスの側面がいくら多いからといって、その原点にあった日本的システム批判の考え方まで否定していいものではないはずです。

つまり、かつての80年代までの「いい仕事」とは、「時間は無制限、どこに配転されるかわからない。会社の言うがままになるけれども、しかし一生は保障されている」というものでした。そのような意味での「いい仕事」は変わっていかなければいけません。まず何よりも、女性の労働市場参加率の急速な高まりを考えると、世帯の核所得者の無制限労働と縁辺労働力の組み合わせというようなやり方が、家族を維持するという意味でも持続可能とはとてもいえません。

80年代までの日本的な雇用システムは、男性正社員の雇用を守るために、パートとかアルバイトの人々については、ちょっと景気が悪くなったら先に辞めていただく、という形の格差をその中に含んでいたわけですが、この点についても一定の見直しが必要になってこざるを得ないだろうと思います。

これは、おそらくここにいらっしゃるみなさまにとって、いささか耳に逆らうところがあるかもしれませんが、解雇規制の問題について、解雇規制はすべて守るべしとは必ずしも言えないということだろうと思います。

もちろん、アメリカのように解雇が全く自由な社会になってしまうと、使用者に何を言われても、クビが恐くて「はい、わかりました」と言わざるを得ないので、そんなことがあっていいわけではありません。

しかし、70年代に確立したいわゆる整理解雇法理が規定する整理解雇4要件というものを厳格に守ろうとすると、いささか無理が出てきます。

その無理が、労働時間とか配転とか、あるいは非正規労働といったところに出てこざるを得ないので、そこをどのように変えていくかということが、まさにいま問われているのだと思います。

同時に、ここから先は実は2巡目の話題にも関係するのですが、仕事(ワーク)と生活(ライフ)をバランスさせたような「いい仕事」とは、一時点だけで考えるのではなくて、むしろ、生涯を通じたレベルで考えていく必要があります。まさに、ライフには生涯という意味もあるわけです。

一時的に労働からの撤退も先ほど、「労働は商品ではない」ということの2番目の意味、「働かなくても、労働力を売らなくても生活できる」ということを強調し過ぎたために、ヨーロッパの福祉国家は批判を受けるようになったと指摘しました。そのような行き過ぎも問題でしょうが、しかし、人間が生きていく上では、けっして仕事だけがすべてではないわけです。これは本当に女性の方々にとっては切実な問題だと思いますが、子どもを育てなければいけない、あるいは親の介護も双肩にかかってくる、さらにその上に、仕事をしながら自分自身を啓発し、能力を高めていかなければいけないということを考えると、実はそういうことのためにも-これをこういう形で言うのがいいのかどうか、いろんな議論があるところだと思いますが-、一時的にその労働から撤退して、仕事という形でない社会への参加なり、仕事のための準備活動に時間を費やせるような仕組みをつくっていくことを考えていく必要がある。実は、こうした方向こそが、この「労働は商品ではない」ということを体現した福祉社会の1つのあり方になっていくのではないかと思います。

以上、第1巡目では、やや世俗的ではありますけれども、大きな観点からの話をいたしました。2巡目ではもう少し具体的な制度論についてお話したいと思います。

ありがとうございました。

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移民受入れ案自民議連が合意

朝日の記事ですが、まだHPにアップされていないようです。

中川秀直氏と云えば、最近政局業界では、

>〈与謝野本命、中川秀直対抗――〉

「ポスト福田」をめぐる自民党の権力闘争は、通常国会終盤、いよいよ本番が始まろうとしている。

http://diamond.jp/series/uesugi/10028/?page=3

と、次期総理とまで目される人のようなのですが、そして、ネオリベ軍団別働隊日本的リフレ小隊の方々からは、熱烈な支持を受けている人のようなのですが、(そして、「リフレ汁!」とかいっているだけなら、それ自体は結構なことなので、あれこれ批判がましいことなど云う必要のないことなのですが)、実は自民党における外国人労働力導入論の急先鋒という面もある方のようなのです。

>自民党の国会議員約80人で作る外国人材交流推進議員連盟(会長:中川秀直元幹事長)は15日、会合を開き、海外からの移民の受入れを進める「日本型移民政策」の提言案について大筋で合意した。中長期的には「移民庁」の創設もめざす。6月中に内閣に提出する方針。

提言案は、人口減が進む中持続的な経済成長を図るため、外国人の積極的な受入れが必要だとした。今後50年間で、欧州諸国並みに人口の10%を移民が占める「多民族強制国家」をめざす。

ああ!ほんとに、何遍云っても、こういう空疎な論理が湧いてくるんですね。

「欧州諸国並み」って、あのさあ、見習うべきところを全然見習わないでおいて、こういう絶対見習ってはいけないところ、欧州諸国自身が「ああ!なんて莫迦なことをしたんだろう、しかし覆水盆に返らず、入れてしまったものはどうしようもないから、何とか騙し騙しやっていくしかないなあ!」と後悔の念にさいなまれているところだけを、わざわざよりによって、めざさなくてもいいのではないでしょうかね。

念のため云っておくと、私は移民が1000万人入ってきてもいいと思っているんです。EU諸国におけるEU加盟国同士の国民と同じ様な厳格な差別禁止内国民待遇を完全に実施するつもりがあるのであればね。欧州諸国の「外国人」には、全く異なる二つの概念があります。一つは、EU条約、各指令に基づき各国国内法で厳格に均等待遇が要求されているEU域内国民であり、もう一つはそれ以外の「第三国人」です。フランスのアルジェリア人、ドイツのトルコ人、ベルギーのモロッコ人、英国のパキスタン人など、だいたい都市郊外の移民地区に集中して、いわゆる内政問題としての「移民問題」の原因となっている人々です。

中川氏らは、どういう「移民」を念頭においているのでしょうか。もし前者だというなら、EU諸国がとっているのと同様の法制を完備することが先決ではないでしょうか。韓国や台湾くらいの経済水準であれば、それは可能だろうとは思います。でも、多分、この議連の皆さんの考えているのはそういうことではないのでしょう。

>提言では、対象を熟練労働者などにも広げる。

具体策としては、研修・技能実習制度を廃止し、国内の職業訓練施設で外国人に技能を身につけさせた上で定住を認める新制度を提言。

職業訓練校で技能を身につけなければいけないような「熟練労働者」を大量に導入しようというわけですね。

>現在約13万人の海外からの留学生を、25年までに100万人に増やすことも掲げている。

いや、まじめに学問研究に励む留学生を増やすことには誰も反対ではないでしょう。でも、多分間違いなくこれで喜ぶのは、勉強よりもアルバイト就労が目的の偽装留学生を大量に在籍させることでなんとか息をつないでいるある種の大学の経営者たちなのではないでしょうかね。

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相続税で高齢者医療又はソーシャルな伊藤元重氏

少し前の産経にこういう記事があったのを知りました。

http://sankei.jp.msn.com/life/welfare/080503/wlf0805030151000-n1.htm

>税の専門家の間では、所得から徴税するのと、資産から徴税するので、どちらがより好ましいのかという議論が続けられている。私は資産からより多くの徴税をするという見方にひかれる。

>では、高齢者医療問題に、この原理はどう当てはまるだろうか。そもそも拡大を続ける高齢者の医療を誰が負担するのか、という問題がこの根幹にある。今のままでは高齢者医療は財政的に破綻(はたん)してしまう。そこで誰かの負担を増やすことが必要となる。高齢者自身の負担を増やすのか、それとも現役世代の負担を増やすのか? 現役世代の負担を増やそうとすれば、消費税や医療保険負担をさらに引き上げることになる。そうした負担増は、現役世代に不公平感をもたらすだけでなく、経済活力をもそぐ結果になりかねない。

 では、高齢者の負担を増やすことは可能だろうか。高齢者負担を増やすべき、などと書けば、高齢者いじめなどといわれかねない。しかし、高齢者の年金所得からの天引きを増やすだけが方法ではない。よく知られているように、高齢者は膨大な資産を持っている。(負債を差し引いたネットの)金融資産の75%近くを60歳以上の人が、個人保有の不動産の75%が50歳以上の人によって保有されているのだ。ここに税をかけるのはどうだろうか。

 ただし、生前ではない。死亡時に課せばよい。資産を持っている高齢者も持たざる高齢者もいるだろう。しかし、高齢者全体で見れば、遺産相続税を重くすることで、現役世代の負担を減らすことができる。遺産相続人は自分たちの負担が増えると言うかもしれないが、そもそも資産は相続する人のものである以前に、高齢者のものではないだろうか。社会の貴重な資産が相続という形で一部の運のよい子孫に相続されるよりは、社会全体のために使われた方がよいという見方もあるだろう。(いとう・もとしげ)

極めて合理的であるだけでなく、個人レベルでは努力の成果を本人に帰属させつつ、世代をまたぐ段階で資産の再分配を行うという意味で、スマートなソーシャル派の思想ともいえます。

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「NTTで偽装請負」元従業員、直接雇用求め提訴

朝日の記事で、

http://www.asahi.com/job/news/OSK200805140091.html

>NTTの研究所で違法な偽装請負の状態で働かされ、一方的に契約を打ち切られたとして、京都府に住む20代の元業務請負会社員が14日、NTTと子会社を相手取り、NTTへの直接雇用や慰謝料500万円などを求める訴えを京都地裁に起こした。

 訴状によると、元社員は06年10月、兵庫県西宮市の業務請負会社に就職。翌月、NTT子会社などを通してNTTと請負契約を結び、京都府精華町のNTTコミュニケーション科学基礎研究所で、NTT社員らの指示を受けて翻訳ソフト開発の仕事をしていた。NTTは今年2月、「法的にグレー」との理由で契約打ち切りを通知。元社員は直接雇用を求めたが、3月末に契約が打ち切られた。

 元社員は「NTT社員の面接で採用され、賃金も請負会社などを通じてNTTから支払われた」とし、暗黙の合意でNTTと労働契約が成立していたと主張している。

先月の松下ブラズマディスプレイ事件判決の影響でしょうか。今後続々と訴訟が提起される可能性もあります。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_fb6e.html(松下電器子会社の偽装請負、直接雇用成立を認定)

ここにも書いたように、現時点ではまだ判決文を読んでいませんので、判決の論理構成がどの程度どうなのかについて確定的なことはいえませんが、報じられている限りでは判決がとっているとされる「黙示の雇用契約論」については、

>かつても、黙示の契約論にはかなり批判も強くて、最高裁に上がって維持されるかどうかはかなり疑問な面もあります。

という認識を持っています。

>わたしは、そもそも派遣であれ、労供であれ、請負であれ、労働法制は契約で判断するのではなく、実態で判断するのが原則と思っているので、無理に契約論にはめ込む黙示の契約論にはいささか疑問があり、契約はともあれ実質に応じて使用者責任を負うというのが一番すっきりすると思っている

ので、当事者の意思の合致が現実に存在しないのに、むりやりに「黙示の契約」などという契約論的枠組みで問題を解決しようという発想には批判的なんですが、どうなんでしょうかね。

ただ、一方には、法的に何がどう問題になっているかすら全く弁えないまま、

http://ascii.jp/elem/000/000/129/129024/

>「ワイドショーの正義」は錯覚

>「偽装請負」を禁じたらどうなるか

などと一知半解無知蒙昧を垂れ流して恬として恥じない御仁も之有ることですから、頭が痛くなってくるわけですが。

(参考)

>このコラムでは法的な問題には立ち入らないが、

といいながら、

>特に派遣労働者の規制が強化されたあとは、一定期間雇ったら正社員に「登用」しなければならないようになったため、そうした規制のない請負契約が増えた。

とか、

>こういう判例が定着して、請負契約が違法だということになったら、「コンプライアンス」を重視する企業は請負契約を打ち切り、需要の変動には正社員を残業させて対応するだろう。

といった、法的認識としても事実認識としてもトンデモの二乗か三乗くらいの放言をしても許されるんだから、ありがたいものです。

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使用者命令による借金漬け不法行為編

本ブログで紹介した面白い事例の続き、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_25c1.html

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20080514132148.pdf

>呉服販売を業とする被告健勝苑,被告松葉及び被告ニッセンにおいて外交員やパート勤務をしていた原告が,勤務先の呉服店から高額な着物などを購入させられ多額のクレジット契約を締結させられたとして,被告販売会社とともに,信販会社である被告オリコ,被告ニコス,被告クオーク,被告セントラル及び被告ジャックスに対し,既払い金の返還などを求めた訴訟。

>1 自社の従業員にその支給される給与に相当する額を支払わせることとなる商品の販売を継続した呉服販売会社の行為は,著しく社会的相当性を逸脱するものであり,不法行為を構成するとされた事例

2 信販会社が,加盟店である販売会社が不法行為に当たる社会的に著しく不相当な商品の販売行為をしていることを知りながら当該商品の購入者と立替払契約を締結した行為は,販売会社の不法行為を助長したものとして,販売会社と共同不法行為を構成するとされた事例

1月の判決は、使用者命令で着物を山のように買わされた人が、その債務の無効を争った事案ですが、こちらはそういうやり口は不法行為だからと損害賠償を求めた事案です。

こういうのって、着物業界ではけっこう横行してるんでしょうか。

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丸尾拓養氏の「中間管理職」論

日経BIZPLUS連載の丸尾拓養氏「法的視点から考える人事の現場の問題点」、今回は中間管理職がテーマです。

http://bizplus.nikkei.co.jp/genre/jinji/rensai/maruo2.cfm?p=1

例のマクド裁判が話の糸口で、

>この点、長時間労働における健康問題を強調する向きもあります。しかし、長時間労働を非難するだけでは、個別問題に収束してしまいます。個々の事案としては「悲惨」とも評される長時間労働の職場は存在するかもしれません。しかし、これは一般化するまでには至っていません。統計でも、1週60時間以上働く労働者は、30歳代男性で4分の1程度にとどまっています。

という御意見にはいささか賛同しかねるところもありますが、そこは本論ではありません。丸尾氏も経営法曹ですから、「管理監督者」がいかなるものであり、いかなるものでないかはちゃんと判っています。その上で、

>企業の中には、管理職の範囲を見直して、労働基準法の「管理監督者」に明確にあてはまるものだけを管理職とする動きも見られます。そして、「管理監督者」から外れる「前」管理職に対し、企画業務型裁量労働制などの割増賃金を支払わない制度の適用を検討している例もあります。

という動きに対して疑問を呈しているのです。

ここんところ判りますか、特にマクドの記事で「管理職」「管理職」と書いていた方々。丸尾氏がいいたいのは、「管理監督者」じゃないからといって、人事処遇上の「管理職」じゃなくしてしまうのは、それは違うんじゃないか、ということなのです。両概念をきちんと区別した上で、以下をお読みください。

>たしかに、労働基準法の「管理監督者」の法的効果は、同法の労働時間に関する一部条文の適用除外(エグゼンプション)であり、特に時間外及び休日労働の割増賃金の支払いを義務付ける同法37条の適用除外は大きな意味があります。しかし、企業が、法律上の「管理監督者」にこだわらず、「管理職」という語を用いてきたことには、別の面があるように思われます。

 多くの企業では、管理職になると労働組合員から離れ、経営側として取り扱われます。出席を求められる会議の種類も大きく異なります。机の向きが変わることも、労働者本人にとってはプライドをくすぐる事項です。

 少なくとも、中間管理職という存在は、経営者からも労働者からも、「経営の一端」であることの共通認識はあるでしょう。これをもって「経営と一体」とするかは別の議論です。重要なのは、これまでの人事の仕組みであれば、ほとんどの労働者は中間管理職までは昇進したので、いつかは経営側に立つということです。つまり、管理される側は将来的には管理する側にまわります。このため、日本の労使関係においては、特に大企業の男性労働者においては、労働者側においても必ずしも労使対立を強く意識してきませんでした。

 企業は、「管理監督者」の範囲の見直しの動きの中で、「管理職」概念を捨て去ることに慎重になるべきでしょう。管理監督者ではない管理職がいても法的にはおかしくありません。残業代を支払われる管理職がいてもかまいません。「管理職」ではないと取り扱われてもっとも不利益を被るのは、当該労働者かもしれません。法に合わせるかのように、無理して「管理職」を狭める必要はまったくないのです。組織というヒエラルキーをどのように管理するかという機能的視点から、管理職の範囲を考える方が適当です。

経営側の立場からすると、「経営と一体」の「管理監督者」ではない人々を「経営の一端」の「管理職」として、経営サイドに引きつけておくことは重要なことじゃないか、ということですね。

>こうした一方で、女性が職場に進出し、また非正規労働者が職場に混在するようになると、管理職となることで管理される側から管理する側に変わるという「立ち位置」の転換を享受できない者も増加してきています。このことは、経営側として自己の意見を反映させた気になる機会を最後まで持たない労働者を生み出すことになります。しかも、近年のように正社員の人数が減少し、さらには成果主義人事により必ずしも管理職になれない正社員が増加する状況では、管理する側に立つ可能性がない者の比率が過半数をも占める勢いです。

 こうした状況で、職場に民主的な仕組みを導入することを模索する動きもあります。労働契約法の立案段階で突如浮上した労使委員会もその1つです。36協定などの労使協定の過半数代表を選出する方法の見直しの方向も、この動きの1つかもしれません。

 これらの民主的な仕組みは、当該事業場における労働者側の意見の人事施策への反映を狙うものです。必ずしも当該企業と労働契約を締結する労働者に限らず、派遣や請負の労働者も取り込むことを企図しています。

 顧みると、このような職場での意見の吸い上げは、中間管理職層が「板ばさみ」になりながらも、行ってきたことでした。そして、生え抜きが経営者になる限りは、経営者も職場の悩みを実経験していました。しかし、職場が急激に変わったことにより、また中間管理職が成果をあげるためにあまりに忙しくなりすぎたために、このようなコミュニケーションが乏しくなってきています。このごろは、一時の組織のフラット化を見直す動きもありますが、従前のような中間管理職の機能を期待することは難しいでしょう。

 それでも、企業にとって、法律により民主的な仕組みを導入されることは、いかにインセンティブが設けられたとしても、受け容れがたい部分があるかもしれません。一方で、なぜそのような声があがってくるかも、企業は理解しなければなりません。旧態依然の法律にとらわれることなく、企業の経営管理の中で人事管理が急速に変わりつつあることを認識すべきでしょう。そこに、新たな中間管理職層の意義が存在するものと思われます。単に「管理監督者」に「管理職」を合わせるだけでは、何ら進展はありません。「管理監督者」と異なる「管理職」を再生させ、その結果として職場を再生させることにこそ、企業の自由と適正な利潤があるのかもしれません。

おそらく、経営側の戦略としては、それがもっともフィージビリティが高いものであるのでしょう。

しかし、多様化する労働者の多様な利害を適切に吸い上げていく上で、旧来の中間管理職の再生がもっとも適切な路線であるのかどうかには、いささか、というよりかなりの留保がつくように思われます。

なにより、その中間管理職自身が労働者としての不満や悩みを抱えながら、それを適切に解決する回路を見出せないまま、矛盾が膨らんできているのではないでしょうか。「経営の一端」であるが故にかえってストレートに労働者としての要求を出せないという矛盾を解決するためには、彼らをますます上と下との「板挟み」にしていくのではなく、彼ら自身の意見を適切に吸い上げるメカニズムをきちんと作っていくことこそが重要なのではないでしょうか。

管理職問題の本丸はゼニカネでないのはもちろんのこと、健康問題ももちろん大事ではありますが(と新聞で喋ったばかりですが)、おそらくそれ以上に、この利害代表問題にあるように思われます。

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クローズアップ2008:横行「名ばかり管理職」

本日の毎日新聞から、クローズアップ2008という特集記事です。

http://mainichi.jp/select/opinion/closeup/news/20080513ddm003020128000c.html

>「名ばかり管理職」が依然として労働現場に横行している。ハンバーガーチェーン「日本マクドナルド」が店長に時間外手当を支払わなかったのは違法と認定した東京地裁判決から4カ月。判決を契機に改善に乗り出した企業は一部にとどまり、今月9日には新たにコンビニエンスストア「SHOP99」の元店長が会社を相手に提訴した。低賃金を価格競争の原動力にする企業実態が背景にある。【東海林智、小倉祥徳】

そのSHOP99やマクドの話が記事の中心ですが、中に挟み込まれたいくつかの発言が結構重要です。

>ある大手産別労組幹部は「割増率の引き上げは長時間労働の抑制には効果的かもしれないが、企業側はますます名ばかり管理職を増やし残業代を免れようとするのではないか」と危惧(きぐ)する。

私は、「長時間労働の抑制に」すら効果的ではないのではないかと思いますが。

最後のところに、こういう人のこういう発言が載っておりましたので、ご参考までに。

◇放置すれば健康守れず 金だけの問題ではない--濱口桂一郎・政策研究大学院大学教授(労働法・労働政策)の話

 「名ばかり管理職」について議論する際、まず人事処遇上の「管理職」と労働時間規制を外してもよい「管理監督者」は全く異なる概念だということを確認すべきだ。さらに、時間外手当さえ支給されれば問題が解決されると考えるのも正しくない。過重労働を放置すれば労働者の命と健康は守れないからだ。この認識のうえでなら、一定以上の年収がある社員の残業代免除という議論はありうる。お金の話は命や健康とは切り離して考えるべきだ。

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自治労の解雇不当 滋賀県本部の元嘱託職員が提訴

京都新聞から、

http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2008051200092&genre=D1&area=S00

ええ、これは自治労に加盟する滋賀県の嘱託職員が解雇されたのは不当だと云っているのではなくて、

その自治労滋賀県本部という団体に雇用されている嘱託職員が自治労滋賀県本部から解雇されたのが不当だと訴えたという話です。

いきさつを見ると、

>自治労滋賀県本部(大津市)に勤務していた元嘱託書記の清水潤子さん(57)=大津市=が12日までに、同県本部から不当に懲戒解雇されたとして、地位の確認などを求める訴えを大津地裁に起こした。労働組合の雇用問題が訴訟に発展するのは異例。 

訴状などによると、清水さんは昨年9月、守山市職労の組合員から匿名で「上司から嫌がらせを受けて退職を迫られている」との相談電話を受けた際、「嘱託書記のわたしたちも同じ状況ですよ」などと応答。今年3月18日に同県本部から名誉・信用を傷つけたなどとして雇用契約終了の通知を受け、同月末で解雇されたという。

 清水さんは、これまでも労働条件の改善などを求めて県労働委員会にあっせん申請したことがあり、「今回の懲戒解雇は職場で闘い続けた私への嫌がらせの延長線上にある」と主張している。

 同県本部は「解雇した嘱託職員は仕事の期待に応えなかった。また電話での労働相談で自治労の批判をした。就業規則違反であり、処分は適正と考える」としている。

詳しい事情はよく分かりませんが、いかにも皮肉な事件ではあります。

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舛添大臣の大正論

厚生労働省HPに、舛添大臣の金曜日の閣議後記者会見の様子が載っています。

http://www.mhlw.go.jp/kaiken/daijin/2008/05/k0509.html

土曜のエントリーで、経済財政諮問会議における発言(大田大臣による紹介)を「正論」と述べましたが、こちらでは正論がさらに全開です。舛添大臣に対してはいろいろと御意見のある方々も居られるでしょうし、私もすべてにわたってご立派な大臣であるかどうかまでは保証の限りではありませんが、少なくともこの問題に関するかぎり、他のどの論者よりもまともで物事の本質を見据えた発言であることは間違いありません。

(記者)今日の諮問会議で外国人労働者の話があるかと思うのですが、他にも自民党の中で移民省というものを検討するという話がありますが、厚生労働省所管の一部の分野から外国人労働者を求める声が強いと思うのですが、大臣の考えをお聞きしたいのですが。

(大臣)今日文部科学大臣も出席して教育の国際化のような話も行います。東京大学で先生をしておりましたから、ずっと私自身がそういうことに携わってきております。それからヨーロッパでの生活が長いので、ヨーロッパにおける移民政策も研究してきておりました。だからこの点につきましては、私もずっといろいろな考え方を持ってますが、単純労働者についてそう簡単に門戸を開くわけにはいかないと思います。移民を巡る様々な社会問題、今ヨーロッパでサードジェネレーションまできています。そうすると自分はドイツ人なのか、トルコ人なのかそういうアイデンティティクライシスに悩む若者がいるわけですね。開かれた国にしていろいろな文化が入るのは結構だと思いますけれども、そういう社会的コスト、そして第3世代まできたときにアイデンティティクライシスに苦しむ若者達をどうするか。こういうヨーロッパの先人達の経験を、きちんと学ぶ必要があります。それが一つ。それから、高度人材を入れるといいますが、「高度」というのはどういうことを意味するのですかと。要するに人手不足になる、そうすると安い賃金で外国人を使えばいいじゃないかと、そのレベルの発想で企業の方がおっしゃっているのであるなら、私はこれは失格だというふうに思っております。ただ単に高度人材を倍増計画なんて言っても、「高度」とは何を意味するのですか。明治維新の時には、時の総理大臣以上の給料を払ってお雇い外国人を雇ったのですね。それは必要だったからです。今ある会社の社長の給料の倍を出してすばらしい外国人を雇いますかと、それだけの覚悟はありますかと。だからそういうこともしっかり考えてもらわないといけない。ただ倍増計画を立てればいいというものではありません。英語が通じるようにすればいいじゃないかというのは結構です。だから、私は東京大学の先生の時に英語で授業をやってやろう、フランス語でやってやろうと言ったのだけど、今の東京大学の先生の中で何人英語で授業できますかというようなことも含めて現実をよく見て、外国の人達が生活しやすいようにする生活環境を作る。例えば、新宿駅に降り立った時に「SHINJUKU」とローマ字で書いているけど、小田急とか京王に乗り換えの案内というのは英語で書いていないです。例えばそんなことをよくするというのは、それは当然やるべきこと、外国の人が生活しやすいようにすることもやるべきことなのだけれども、単純に安い労賃で人を雇いたいからくらいの発想で、もしおっしゃる方がいれば私は絶対反対なのです。それで、すばらしい世界から求められるような方が、家族もいます、子供の教育もあります、日本で生活しても良いと思うならば、それなりの処遇がなければ、それは相当高給でないと来ません。それと、その方達を3年なら3年雇って「はい、さよなら」にするのですか。それともずっと定住させるのですか。定住させることはもの凄く大変です。だから、そういうことを総合的に考えて定住化政策か帰化政策をやるのか、それだけの大きなビジョンがないとそう簡単ではないです。私は、だからそういうことが原因で実は東京大学に辞表を叩き付けたのです。こんな閉鎖された大学では駄目だといってやったわけです。それ以来ずっとこの問題を考えてきていましたけれども、そう簡単ではありません。ですから、そういう申し上げるべきことは申し上げる。例えば、企業の中で、総合職に何人外国人を入れていますか。道具として使うのではないのです。やはり、世界中から優秀な人に来ていただくならそれなりの処遇をしないといけないし、それなりの社会にしないといけないです。だから、それは全く賛成ですけれども、絵空事に終わる、そして、本当に定住し、帰化するまでにやれるのだったら、例えば、フランスでは、サルコジさんという大統領、国家元首です、この方のお父さんはハンガリー移民です。だから、例えば、近隣の諸国だと中国や韓国あたりかた来られている方、次期大統領日本国籍のパクさん、日本国籍のオンさんというようになるというのは、フランス国籍のサルコジさんというのが生まれているのと同じなわけです。アメリカは全部そうですから。だから、そこまで開かれた国で実は良いと思うのですが、そうしますと、例えば、フランスは、フランス語を話すことが当然だと思うのです。フランス人になるならフランス語を話すのは当然だ。日本で仕事するなら日本語話すのは当然だ。だから、フランスで、例えば、フランスの博士号を取ります。国家博士号を取るというのは、普通のフランス人よりもフランス語でよく論文を書けるということですから、フランス語が上手いということなので、取った瞬間にフランス人になれるのです。そうすると、日本の国家博士号を決めて、普通の日本人よりはるかにすばらしい日本語の論文を書ける、その瞬間に日本国籍をあげるというくらいの発想が全くないのです。英語で教える先生だって、30の拠点大学で英語で教えるというけど、それだけの先生を探してごらんなさいと思います。ですから、それなら逆にやはり日本語をちゃんと学んでいただけるようにして日本文化の良いところを学ぶ。そうでないと、例えば、介護士、看護師さんにしてもフィリピンの方々は、英語を話せます。だから皆アメリカ、イギリスに行きます。なぜ日本に来るかというのは、やはり日本が好きで日本語もこれだけ話せてという人材でないといけないので、そういうことについて私はずっとこの問題で苦労してきて、何十年も格闘してきたし、経験もあるので、それは今言ったようなことを堂々と今日夕方言おうと思っております

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生活保護の問題とワーキングプア、雇用保険

さて、経済財政諮問会議の本体の方は、土曜日のエントリーに書いたように、外国人労働者(「高度人材」ね、あくまでも、但しその範囲は It depends. )の受入れ問題が中心となってきましたが、労働市場改革専門調査会の方も動き出していたようです。木曜日の調査会の資料がアップされています。

http://www.keizai-shimon.go.jp/special/work/20/agenda.html

http://www.keizai-shimon.go.jp/special/work/20/item1.pdf

報告者は、地方財政審議会の木村陽子氏ですが、中身はまえに本ブログでも紹介した

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_4d05.html

全国知事会・全国市長会がまとめた生活保護制度の見直し案がベースになっています。

こちらでもいよいよワーキングプアと生活保護の問題に取り組みますか。大変時宜を得た問題意識だと思います。

>1.ワーキングプアの広がり

(1)豊かさを実現した 1960年代のアメリカにおける「貧困の女性化」ワーキングプアは母子世帯に集中-1970年代、1980年代先進国で共通

(2)近年のワーキングプアの質的変化家族の変化、就業形態、産業構造の変化等によって家族の経済基盤は脆弱となり、世帯類型、性別にかかわらずワーキングプアになりうる。共働き夫婦、専業主婦世帯、単身世帯、単親世帯、高齢親と単身子世帯、日本でもこれまで最も安定していた中年男性の非正規雇用、失業率が高まった。

(3)ボーダーライン層(ワーキングプアにきわめて近い層)が厚みを増す

2.現行の生活保護の特徴と問題点

(1)包括的一般制度―「金銭給付」が中心となるべき高齢者世帯と「就労自立支援」が重要な稼動期にある者が混在。ライフステージにあっていない。

(2)貧困原因を問わない

(3)他方優先、「入りにくくてでにくい」制度

(4)捕捉率が低い

(5)生活保護受給世帯の変化-高齢者世帯が 5割、うち 9割は単身者。3の1は傷病・障害者、母子世帯は9%、その他が 10% である。

(6)複合的な貧困原因を除去する対策が十分でない。

3.生活保護とワーキングプア

(1)ワーキングプアの広がりは、被保護世帯の生活保護基準額と最低賃金、非正規雇用者の収入等との均衡を図る必要がある。-税金、利用料、料金、医療等も含む。

(2)家族の変化や非正規雇用者の増加は、ボーダーライン層の厚みを増す。

(3)ボーダーライン層の生活保護への移行防止のための対策。ボーダーライン層が一時的貧困から慢性的貧困に陥らないために集中的な職業訓練や紹介等が必要である。生活保護受給者に対する集中的な自立支援プログラムの一部を共同で利用。(基本的に収入が極めて低く生活保護基準の境界近辺にある者。生活保護を申請しないワーキングプアのこの制度の対象となる)

4.生活保護と雇用保険等

(1)雇用保険と生活保護は独立して設計されている。雇用保険でカバーされるのは被用者である。

(2)生活保護と雇用保険との整合性の問題失業保険の基本手当と保護基準との不均衡。失業・休職中の最低生活をどの制度により保障するか?(例)低賃金の母子世帯等が失業し、雇用保険の基本手当日額(賃金のおよそ 6割程度)を受給する。しかし、それだけでは不足するので生活保護を受給する(最低生活水準との差額)。→雇用保険基本手当受給期間が切れた後は生活保護受給世帯

(3)年金保険については非正規雇用者の加入を促進することが、高齢期の貧困をなくすことに貢献。高齢期の貧困は年金と密接な関係。一方で、厚生年金等年金の抜本的改革が必須。

5.生活保護の改革

(1)稼動世代に対する適用期間を最大 5年間とする有期保護制度=集中的な自立支援プログラムを実施=の創設。セーフテイネットをしっかり守ることは前提。

(2)高齢者対象制度の分離

(3)ボーダーライン層が生活保護へ移行することを防止する就労支援制度

(4)福祉・医療部門、労働部門、教育部門の一体的連携を確立。

(5)共通のデータベースを持つ。

(6)フォローアップ。

6.就労自立について

(1)完全に街中で独立しては暮らすことができないけれども、世話人がいる共同住宅の中で暮らすことはできるなど就労自立にもさまざまな局面があることを尊重する。

(2)ソーシャルインクルージョンとの関係

ということです。問題意識は私とほとんど共通していると思います。ただ、処方箋は少し違います。私がこの領域で考えていることは、この文章にまとめています。ご参考までに。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/seroukakusa.html

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介護士は「高度人材」?

一昨日のエントリーで紹介したように、養成大学から学生が逃げ出すほど処遇の低さが知れ渡っている介護福祉士が、外国から人材を導入するべき「高度人材」であるかどうかが、昨日の経済財政諮問会議で話題となったようです。

http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2008/0509/interview.html

例によって大田大臣の記者説明から、

>まず、高度人材についてですが、民間議員から、ペーパーに沿って説明がありました。高度人材の受入れについて、これを倍増するようにという提案がありました。説明の中で、外国人の人材を受入れるというときに、労働力不足だから受入れるというのではなくて、成長のカギが人材だからこそ受け入れていかなければいけない。つまり、成長するカギというのは、常に人なわけですね。世界から頭脳を持ってくる、技術、情報を持ってくるということが重要なわけで、そういう観点からこの高度人材を議論する。今、世界で人材の争奪戦が行われているということが言われました。

これに対して、舛添厚生労働大臣が次のように正論をぶち挙げたようです。

>これに対して、まず舛添大臣から、受入れ企業がどの程度の処遇をするのかということが大事である、安い労働力を手に入れるというようなことになっているといけない。民間議員の提案で、30万人ということが出ておりますけれども、数字が先になったときに、高度でない人が数値目標を達成するために入るというようなことがあってはいけないと。
 高度人材は単に通過するだけの人材を想定するのか、それとも日本人になっていくようなことを想定しているのか。やはり長期的な国家戦略として、永住、定着というようなことまで考えているのならば、抜本的に色々な仕組みを変えていかなければいけない。家族を受け入れるという視点で体制も整えなければいけないので、細かく詰める必要があるという発言がありました。

まさしく正論、外国人は単なる労働力というモノではなく、ヒトを日本社会の中に包摂するということを前提にしなければいけないわけで、その辺は、舛添さんはさすがにフランス通ですから、ヨーロッパの経験から何をしてはいけないかがよく分かっているというべきです。

で、その先が「高度人材」の話で、出来れば早く議事録を見たいところですけど、大田大臣によれば、

>民間議員から、この「高度人材」の「高度」というものがどういう定義であるのか、その分野別に定義を明確にしていくことが必要であるという発言がありました。

>介護士や看護師は、EPA交渉の中で受け入れるということが今まであるわけですけれども、EPAを締結しないとなぜ来てもらってはいけないのか。国家資格がある分野は、やはりこれは高度人材と言えるのではないか。日本語で試験を受けて通れば、それは在留資格を与えるべきではないか。もう少し就労ができる在留資格という方向で書き直してほしいと。

そこが最大の問題でしょう。国家資格があれば「高度人材」なんでしょうか。介護士を養成する大学の課程があるくらいなんだから立派な「高度人材」と言える?

いや、社会の将来のあるべき姿として、福祉がもっとも尊敬される職業の一つとなり、介護福祉士は医者並みの社会的地位と処遇を得られるような社会にするべきだ!と主張することは可能ですし、私も一定のシンパシーを感じますが、いかんせん、現実の姿はそれとは正反対であるわけで、多くの若者が逃げ出すような職域に「高度人材」という名目で実際は「低度人材」を大量に導入することがホンネであるならば、それはやはりちょっと待った、と言うべきところのように思います。外国人の導入に反対ではありませんが、使い捨ての「低度人材」として入れるのは考え物でしょう。

>増田大臣から、日本の各地域には、高度人材というよりワーカーとして入っている地域もたくさんある。集中的に入っている地域があるわけで、生活環境づくりに非常に苦労していると。教育の問題、成人への日本語教育の問題、色々苦労しているので、丁寧に解決していく必要があると。

いや、「ワーカー」でいいんですけどね、アンダークラスになってしまっては困るということであって。ちょっと労働に偏見もっていませんか?ただ、いいたいことは全くその通りだと思います。

> ここから教育の方の、留学生30万人計画の議論に入りました。

ということで、鳩山法務大臣が、

>鳩山大臣から、総理の留学生30万人計画というのは、ぜひ実現したいと。ただ、民間議員ペーパーの2ページ目の下に、就学と留学の区別を引き続き維持する必要性が薄いようであれば一体化すべきではないかということが書かれているんですけれども、これについて、就学というのは日本語学校に入るということなんですね。これが3万6,000人いるということなんですけれども、この1割以上が不法残留になっていると。それから、犯罪率も高いというので、やはりここは慎重に考えていく必要があるのではないかというコメントがありました。

日本語学校だけの話ではないような気もします。これも、いろいろ各方面に差し障りのある話なのかも知れませんが、ある種の大学などは、もっぱらアルバイトに精を出す建前上は「就学生」ではない「留学生」をたくさん抱えて経営を成り立たせているような所もないわけではないわけで、そういうのをどう考えるのか、というのもあまり問題にする人はいないけれども、実は結構問題なんじゃないかと思ったりもするわけで。

結局、

>この高度人材の受入れですけれども、政府部内でしっかりと議論をしなくてはならない課題であると。官房長官のもとに、有識者、産業界、労働界、政府からなる会議を設置して議論を開始してほしいという指示がありました。
 これまで、こういう外国人からの人材の受入れというのは、なかなか政府全体で議論する場がなかったわけですけれども、総理の指示を受けて、官房長官のもとに会議が設置されるということになります。

ということになったようです。

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財務省、雇用保険の国庫負担廃止を検討

な、なんか、デジャビュが・・・、

http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20080509AT3S0802208052008.html

>財務省は8日、雇用保険制度の財源の一定割合をまかなっている国庫負担を2009年度から廃止する検討に入った。社会保障費の伸びを毎年2200億円圧縮する政府計画に組み入れる狙いだ。雇用保険の積立金残高が5兆円近くに達し、国の負担なしでも給付に影響はないと判断した。同省は介護保険についても、利用者の自己負担率上げに向けて厚生労働省と調整する構えで、社会保障費抑制を巡る攻防が強まる。

 国庫負担の廃止は、財政制度等審議会(財務相の諮問機関)が6月の建議に盛り込む。

このブログの初期のころですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_cb3d_1.html(雇用保険の国庫負担)

ただね、私はその国庫負担分で現行雇用保険の外側に緊急失業手当制度を設けるというアイディアであれば、それはありかも知れないとは思っています。国が国民の失業に知らんぷりをしていていいはずはないですが、それをどういう形でやるかはいろいろな考え方があり得ます。保険料でまかなえている部分に国費を突っ込む代わりに、そもそもそれがカバーできていないところに国費を集中せよという発想はあり得るでしょう。もっとも、財務省が「なるほど!」と云ってくれるとは到底思えませんけど。

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湯浅誠『反貧困』をめぐって

4311240 岩波新書から出た湯浅誠氏の『反貧困』は、第1部が貧困の現場からの報告、第2部が湯浅氏らの反貧困運動のコンパクトな記録になっていて、この問題に関心のある人にとっては手頃で便利な本です。

先日、若者政策研究会の場で初めてお目にかかりました。

http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/

編集部の人のいささか主観的な紹介:

>本書の校了間際の土曜日、岩波書店の目の前の中学校で、「反貧困フェスタ2008」が開催されました。講演会や医療相談のほか、音楽ライブに屋台に映画上映にと、さながら文化祭のようでした。この社会には貧困問題が存在するのだということを訴えようと、さまざまな団体から成る「反貧困ネットワーク」が呼びかけて実施されたもので、1600人が参加したそうです。本書の著者の湯浅誠さんもまた、このフェスタの「裏方」の一人として走り回っていました。

 湯浅さんは、野宿者(ホームレス)の支援活動を行うなかで、すさまじい勢いで生活困窮者が増えていることに危機感を覚え、日本の貧困問題の拡がりについて警鐘を鳴らしてきました。本書は、そうした活動経験を生かしながら、どうして貧困が拡がってきているのか、そのことでどんな問題が起きているのかを考えます。そのうえで、人々が貧困問題にどのように立ち向かっているのか、「反貧困」の現場をレポートします。誰もが人間らしく生きることのできる社会へ向けて、その希望を語る熱い一冊です。

9784480063625 理論編としての岩田正美『現代の貧困』と読み合わせるといいと思います。こちらは、近年欧州で広がっている「社会的排除」という問題意識を踏まえながら書かれていて、湯浅氏の指摘する「五重の排除」といった現象と響き合うものが感じられるでしょう。

http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480063625/

同書については本ブログでコメントしています。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_dda2.html

私は「現代ネオサヨ知識人における観念論の過剰とマテリアリズムの欠乏症候群」を読み取りましたが。

Isbn9784569697130

湯浅氏の著書を読み物として読むと、福祉事務所に何回行っても追い返されていた人が、湯浅氏がついていくとすぐに生活保護の手続がされるなどというところで、ざまあみろ悪の権化の福祉役人め!と、まさに勧善懲悪的快哉を叫びたくなるところですが、実はそう単純明快な話ではないということを理解するためには、もう一冊、埼玉で生活保護のケースワーカーをされていた大山典宏氏の「生活保護vsワーキングプア」が必読です。

http://www.php.co.jp/bookstore/detail.php?isbn=978-4-569-69713-0

一旦はまりこむとなかなか抜けられないような生活保護だから、よほどの状況でなければなかなかいれないようにしようとする、そのことが却って、ますます一旦はいったらなかなか抜けられないという悪循環を大きくする。これは結局、現在の生活保護制度の在り方そのものをマクロに変えていかないとなかなか解決しがたい問題なのだろうと思うのです。

湯浅氏の活動にケチを付けようというわけではないのですが、また実際、貧困の縁に立たされている人々からすれば、まさに鞍馬天狗であるのも確かなのですが。

このあたりについては、いままでこのブログでもかなり書いてきましたし、まとめたものとしては、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/seroukakusa.html

などがあります。

最後に、いささか余談にわたりますが、39頁以下で、社会保険も公的扶助もセーフティネットとして穴があいてしまっている中で、「刑務所が第4のセーフティネットになってしまっている」という興味深い指摘があります。正確には、連合の小島茂氏の指摘の引用ですが。

どうしても食えなくなれば、こそ泥をして臭い飯を食わせて貰うのが、一番手っ取り早い福祉受給の道であるわけです。その例が幾つも挙がっているのですが、それで思い出したこと。

その昔、十年以上も前、私が欧州に勤務していたころ、先進世界ではアメリカと日本の失業率が低く、ヨーロッパの失業率が高かったころのこと、「アメリカは失業率が低いと偉そうにいうが、実はまともに働いていない人間の割合は同じだ、ただ、かれらを失業者と呼ばずに刑務所にぶち込んで、税金で面倒見ているだけだ。日本は失業率が低いと自慢するが、実はまともに働いていない人間の割合は同じだ。ただ、彼らを企業に雇わせて、補助金をぶち込んで面倒見ているだけだ。我々は素直に彼らを失業者として税金で面倒を見ているんだ」

それからしばらく、日本では護送船団方式だから日本はダメなんだ、役に立たない奴らは全部叩き落として後はセーフティネットで面倒見ろ!という竹中平蔵氏の議論が流行しておりましたな。どういうセーフティネットにしてくれるのかと思っていたのですが、結局アメリカ方式で刑務所がラストリゾートだったのでしょうか。

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介護福祉士養成大8割定員割れ

読売の記事ですが、

http://job.yomiuri.co.jp/news/jo_ne_08050707.cfm

>介護福祉士を養成する全国の4年制・短期大学で、養成課程入学者の定員割れが相次いでいることが、読売新聞の全国調査でわかった。回答のあった大学の8割で今春入学者が定員割れとなり、ほぼ半数で定員充足率が50%を下回っていた。各大学は、介護職が「低賃金・重労働」といわれることや、コムスン問題の影響を指摘。養成課程から撤退する学校もあり、介護保険を支える人材の不足が深刻化しそうだ。

 介護福祉士は、高齢者や障害者の介護を行う国家資格で、全国で約64万人いる。介護保険の導入に伴って各大学が介護福祉士の養成課程を開設し、国の指定養成施設の大学は全国で約150校にのぼる。調査は4年制・短期大学計80校を対象とし、うち51校が回答。51校の同課程入学者は2005年春の3273人をピークに3年連続で減少し、今春は05年より30%少ない2266人。42校で定員割れが生じ、25校で定員充足率が50%以下となった。

 九州のある大学では定員40人に対し入学者はわずか4人で、近畿の短大も定員50人に入学者は7人。今春の定員充足率が7割の北海道の大学は、来年度の募集中止を検討している。

 各大学は定員割れの理由について、「社会的地位が低い」「コムスン問題で業界イメージが悪化した」とし、奨学金を受けた学生が「介護職の賃金では返還できない」という理由で一般企業に就職した大学もあった。日本福祉大(愛知県)の担当者は「高校の進路指導の選択肢から介護福祉士が除かれつつある」と嘆く。

 危機感を抱く4年制大学は年内にも、「介護福祉士養成大学連絡協議会(仮称)」を発足させるが、厚生労働省は「養成施設対策は手つかずで、今後取り組むべき問題」としている。

いろいろな読み方ができるでしょう。介護労働問題の視点からは、だからいわんこっちゃない、いまのような低賃金のままではどんどん人が逃げ出すぞ、早く待遇改善しなくては・・・ということになるでしょう。それは極めて重要な視点です。

しかし、もう一つ、教育問題というか、高等教育の職業的レリバンス問題の観点から見ると、実に大変皮肉な側面を覗かせてもいます。

介護保険ができたころから日本中で一斉に雨後の筍の如く作り上げられた福祉系の大学課程は、それがその卒業生にふさわしい就職の場を提供しうるものであるならば、まさに高等教育レベルにおける職業的レリバンスの素晴らしきモデルというべきだったのでしょうが、上述のような実情を見ると、むしろ職業的レリバンスのいう名の振り込め詐欺をやってたんじゃないか、といわれても仕方がないようにも思えます。

大学卒はほとんどいない(最近でこそ看護系大学もちらほら出てきていますが)看護師の方が、医療介護の現場では遥かに社会的地位が高く、賃金水準も高いという逆転現象を前にして、わざわざ福祉系大学に進学しようという若者が減少していくのは当然の現象といえるでしょう。

も少し突っ込むと、そもそも福祉系大学で教えていることって、ホントのところどの程度職業的レリバンスがあるの?という聴いてはいけないタブー的質問にも、そろそろ踏み込んでみる必要があるような気がします。

大学4年間もかけて教えられているそれらのことどもは、やがて卒業して介護の現場で活躍していくであろう学生たちのためにではなくて、そこでものを教えるという安定した地位を福祉系の研究者たちに与えるために設定されているのではないの?という禁断の質問を。

いや、ブンガクやらテツガクやらは、まさにそういう学問を教えるセンセの生計のために、多くの学生(ないしその親)から搾取する家元的メカニズムとして確立しており、みんなそれで納得しているからあまり問題は起こらなかったわけですが、福祉の世界でそれをやられたんでは、搾取された側は堪らないのではないでしょうか。

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日本をダメにした10の裁判

http://www.nikkeibook.com/detail.php?class_code=26004260043

日本経済新聞社から新書版で出た『日本をダメにした10の裁判』を贈呈いただきました。著者は「チームJ」というグループですが、その中身は、

>バブル末期に東京大学法学部を卒業し、その後、検事、企業法務弁護士、官僚と多様な進路を辿ったメンバーで構成されるチーム。現在、各界の最前線で中堅的な役割を担う一方、週末や平日深夜に集まり、過去の裁判の社会的意義や正当性を検証する試みを重ねている。メンバーは、左高健一(アンダーソン・毛利・友常法律事務所弁護士)、西垣淳子(世界平和研究所)、渡辺元尋(元検事、弁護士)、山田正人(経済産業研究所総務副ディレクター)。

という面々。どこかで見た名前だなあ、と思ったあなたはえらい、そう、山田正人氏は、1年間の育児休暇を取ってそれを本にしてしまった経済産業官僚です。そして、西垣淳子氏は、山田氏が育児休業を取ったお子さんを出産された方で、同省の同期です。

この辺は以下の記述の前提となりますので、この辺りで事情をご覧いただくとよろしいか、と。

http://www.amazon.co.jp/dp/4532165512

http://hiog.seesaa.net/article/16360841.html

http://www.cafeglobe.com/career/interview/int_vol89.html

それを前提にして、この本の説明ですが、

>その判決に異議あり! 正社員になれない若者の増加も、企業と政治の癒着も、ムダな公共事業も……その原因に誤った裁判があった。気鋭の弁護士らが、社会に悪影響を与えた判例を選び、明快な論理で厳しく追及する。

で、具体的にやり玉に挙げられている判決は、

>第一章 正社員を守って増える非正社員の皮肉――東洋酸素事件

第二章 単身赴任者の哀歌――東亜ペイント事件

第三章 向井亜紀さん親子は救えるか?――代理母事件

第四章 あなたが痴漢で罰せられる日――痴漢冤罪と刑事裁判

第五章 「公務員バリア」の不可解な生き残り

第六章 企業と政治強い接着剤――八幡製鉄政治献金事件

第七章 なぜムダな公共事業はなくならないか――定数是正判決

第八章 最高裁はどこへ行った?――ロッキード事件

第九章 裁判官を縛るムラの掟――寺西裁判官分限事件

第十章 あなたは最高裁裁判官を知ってますか――国民審査

終 章 法の支配がもたらす個人の幸せ

というものです。

このうち、第1章と第2章が、まさしく本ブログの対象領域に該当していますが、この二つを書かれたのが経産省育休補佐こと山田正人氏です。

第1章は、まさに最近流行の正社員を守る解雇規制が非正規労働者を生み出した、という議論なのですが、一知半解のケーザイ学者とは異なり、狙うべき的を正確に捉えています。とかく一知半解の人は、解雇権濫用法理が諸悪の根源と言いつのりたがるのですが、本書で山田氏が攻撃するのは日本食塩でもなければ高知放送でもなく、高裁レベルの東洋酸素事件なんですね。

日本の解雇規制の特徴は、一般の解雇よりも企業の経済状況に原因する整理解雇をより厳しく規制しようとするところにありますが、その象徴ともいうべき整理解雇4要件を定式化したのが東洋酸素事件です。そして、これがより規制の少ない有期雇用へ、さらには派遣労働へという企業の逃避行動を促し、結果的に正規と非正規の格差を生み出す一つの要因となってきたということは、私もある程度までそうだと思っています。

(ただ、ややマニアックにいうと、この東洋酸素事件というのはそんな単純な事件じゃありません。去年本ブログでも紹介した研究が、最近本になりましたが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_930e.html

41oukursccl_ss500_ http://www.amazon.co.jp/dp/4535555540

>判例集に載ってる判決文だけ見ていたのでは分からない背景事情がよく分かります。一言でいうと、この裁判を起こした原告たちは、かつて主流派だったが民主化同盟(!!)に組合本部を取られて川崎支部に拠っていた少数派なんですね。組合本部は退職金1000万円+αで決着して、文句あるなら勝手に裁判でもやれ、俺たちは知らんぞ、という典型的な労々対立図式の中の事件だったようなのです。この事件と並行して不当労働行為の訴えも起こしていて、そっちで和解して、何人かが復職するという決着になっているんですね。

というまさしく労労対立事件。これは労働法に限らず、法律学者一般にいえる通弊ですが、ものごとを判決文に書かれたことだけで理解し、というよりほとんど下線の引かれた判旨の部分だけで理解し、ごじゃごじゃとした部分を切り捨てて綺麗な議論を組み立ててしまいがちで、如何なる法理も限りなく複雑な現実に一定の解決を与えるために創出されたものであるにもかかわらず、それをあたかも万古普遍の真理であるかの如く考えて違う現実にむげに当てはめようとするという悪い傾向がないとはいえないわけですが、法理の生み出された現場に帰ってそのごじゃごじゃしたものを見ることで、そういう「法解釈学教科書嫁症候群」からいささかでも身を引きはがすことができるのではないか、と、まあこれは私の独り言ですが、こういう研究が法律学者ではなく労働経済学者である神林龍氏によってなされたということ自体が、法律学者に対する反省を促しているようにも思えますね。まあ、それはともかく、話を戻しましょう)

山田氏がもう一つの「日本をダメにした」労働判決とするのが、東亜ペイントです。高齢の母と保育士の妻と2歳の子供を抱えて、大阪から広島への転勤を拒否して懲戒解雇された事案です。これはやはり、育児休業の山田補佐としては批判しないわけにはいかないでしょう。これともう一つ、時間外労働を拒否して解雇された日立製作所武蔵工場事件を付け加えると、天下無敵のワークライフノンバランス判決ということになります(もっとも、後者は実はとても複雑な事情がありますが)。

ただ、第1章と第2章は二つのロジックでつながっています。そこのところまで書かれているとよかったのではないかと思います。

一つは、そういうワークライフバランスを無視するような判決は、企業経営が傾いてきても雇用は維持せよというインペラティブに対応するものであり、整理解雇法理と表裏一体の関係にあるということです。第1章は、外部労働市場を経由した非正規労働者への影響を中心に書かれていますが、解雇するなら残業を減らせ、配転しろ、パートを先に首切れという形でのより直接的な影響もあるわけです。

もう一つは、にもかかわらず、解雇権濫用法理、あるいは何らかの解雇からの保護は必要であると云うこと。もしアメリカのようなエンプロイメント・アット・ウィルであれば、転勤拒否した莫迦野郎をクビにしようが、残業拒否したド阿呆をクビにしようが、なんの問題もないわけですから、そもそも第2章の議論自体が成り立たない。最低限の解雇規制がなければ、他のすべての労働者の権利は空中楼閣となります。

まあ、そこのところは判っているからこそ、第1章は東洋酸素事件なのです。どこぞのケーザイ学者のように、一切の解雇規制を無くせば労働者はハッピーになるなどと云ってるわけではありません。読者諸氏も、「経産省が解雇規制を攻撃してきた」などと莫迦を露呈するような勇み足的批判をしないこと。

あと、いささか労働法とかかわりがあるのは第5章で、民法の損害賠償であれば本人責任と使用者責任が両立するのに、国家賠償法の場合は公務員本人は責任を負わないという「公務員バリア」の問題です。これは、話を広げると、そもそも公務員は公法上の任用関係で私法上の雇傭関係ではないなどというカビの生えた古めかしい二分論が未だに生き残っていることの弊害の一端ですね。

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労働経済白書骨子案

連休中の5月4日(みどりの日ですよ、これが日曜日だったから5月6日が振り替え休日になった。ったく、休日だけ増やせばいいという発想にも困ったものですが)に、日経新聞に労働経済白書のベタ記事が出ました。

http://bizplus.nikkei.co.jp/genre/jinji/index.cfm?i=2008050306410b4

>長期的視点で人材育成必要、労働経済白書骨子案

 厚生労働省の2008年版「労働経済の分析」(労働経済白書)の骨子案が明らかになった。仕事に関する満足度が長期的に低下していると指摘。理由として正社員が減りパートや派遣などの非正規社員が増えていることを挙げた。対策として長期的な視点に立った社員の採用、配置や育成が必要だとしている。

 骨子案では企業が非正規社員を増やしてきたのは労務コストの削減が主目的で、労働者が柔軟な働き方を望んだことに応えたわけではないと分析。人材を安易に外部に求めることで新卒者の計画的採用と育成を怠った面もあると指摘している。

いよいよ、石水節全開でしょうか。白書本体を読むのが待ち遠しいですね。

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月給制と時給制

『賃金事情』5月5日号掲載の巻頭エッセイです。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/gekkyujikyu.html

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御山通商ほか1社事件

東大の労働判例研究会で標記判決を評釈しました。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/miyamatsushocase.html

償却制度、親方制度という興味深い制度を適用されるトラック運転手の事案です。似た事件に山昌事件というのがあり、それとの比較評釈という感じになっています。

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ビジネス系フェミニズムの悪弊

日経ビジネスオンラインから、

http://business.nikkeibp.co.jp/article/nba/20080428/154437/

いや、そりゃ、

>仕事か家庭か--。二者択一を迫られる女性は今も少なくない

>今の日本では、育児を機に正社員の立場を手放すと、再就職で同等の仕事を得るのは困難だ。もし、こうした女性たちが再びチャンスを得られれば、将来の労働力不足も解消でき、社会全体にとってもプラスになる。

というのは全くその通りなんですが、だからといって、すぐに

>やりがいのある仕事も幸せな家庭生活も諦めたくない。そう考える女性たちのお手本としてパネリストを務めたのが、早稲田大学大学院教授の川本裕子さん。銀行員、マッキンゼーの主任研究員、政府の各種委員を経て、現在は大学院で教鞭を執る。2人の息子の母親でもある川本さんは、夫の海外留学や転勤を経験しながら仕事を続けてきた。

と、こういうスーパーエリート女性を持ち出して、これこそお手本とかいう悪い癖が未だに抜けないんですね、ビジネス系フェミニズムには。

>川本さんは東京大学を卒業後、東京銀行(当時)に就職、入行2年目に結婚した。4年目には夫の英国留学に伴い退職し、英・オックスフォード大学で経済学修士号を取得。帰国後に2人の男の子を出産した。その後、再び夫の転勤があり、家族でパリに移り住む。この時は勤務先のマッキンゼーと交渉して、川本さん自身もパリへの転勤を認めてもらった。

>現在は大学で教鞭を取るほかに数社の社外取締役を務め、普通の男性以上に成功したキャリアを持つ川本さん。「今のような自分があるとは思っていなかった。意思あるところに道は開ける。どんな仕事でも手を抜かず、育児休暇中も無理のない範囲で社会の動きについていくように心がけた」という。

ふうーーん、それで?と、圧倒的多数の女性労働者諸氏は呟くでしょう。それがいまこの職場でへとへとになっている私に何の関係があるわけ?

>その語り口からは「仕事か家庭か」と悩む様子はうかがえない。仕事も好きだし家庭も大事。両方を求めるのは当たり前という自然な雰囲気が伝わってくる。

そりゃ、悩まなくてもいいご身分の方はいいですねえ、と。

>メディアは育児に関する後ろ向きな話題を“社会問題”として追及するだけでなく、前向きに両立している人たちを紹介することに注力した方がいいように思う。

一般論としてはそういう面はあります。現実に普通の女性労働者が何とかかんとか両立していくことがそれほど変わったことではない、むしろ普通のことだという風潮は広がって来つつあるとは思います。ただね、もういい加減、こういう超エリート女性を手本に祭り上げる、女版かつてのプレジデントみたいなビジフェミ症候群からはそろそろ脱却された方がいいように思います。

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第1回介護労働者の確保・定着等に関する研究会

先日紹介した「介護労働者の確保・定着等に関する研究会」の第1回目の資料が公開されました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_f3af.html

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/04/s0418-3.html

座長は労働経済学の大橋先生、委員は厚生出身の河さん、労働出身の北浦さん、駒村先生、佐藤先生、堀田先生、皆川先生という面子です。

「研究会で議論していただく論点」というのがあって、

>1 今後、介護労働が目指す姿 労働者がやりがいを持って働き続けられるような、介護労働のあるべき姿は何か

2 介護労働市場を踏まえた、人材確保・定着のための取組 少子高齢化が進展し、2014年には140万~160万人の介護労働者が必要とされるなかで、将来にわたって安定的に人材を確保していく仕組をどのように構築していくか

(1) 潜在的な有資格者の参入

(2) 多様な人材の参入・参画

(3) ハローワーク等のマッチング機能や募集・採用ルートの検証

3 介護分野にふさわしい雇用管理・処遇の在り方 雇用管理・処遇の改善を通じて、魅力ある仕事として評価され選択されるためには、どのような雇用管理・処遇が介護分野にふさわしいか

4 介護分野における生産性の向上について 労働集約型産業であり、介護報酬の枠組にある介護労働分野において、介護労働者の生産性向上について、どのように考えていくか

5 その他 ・必要に応じ、適宜論点を追加

もちろん、3の雇用管理・処遇の改善が中心なわけですが、そのためには生産性向上というのが現下の経済政策の基本線なので、4を出さざるを得ない。

ただ、これはほかのサービス業にも多かれ少なかれいえることですが、介護のような誠に感情労働的色彩の強い対人サービス業務の場合、そもそも「生産性向上ってなあに?」という疑問に答えるのが相当難しいような。

まさか、マクドナルド方式で、セルフサービス化を進めるのが生産性向上っていうわけにはいかないでしょうし。先日の経済産業研究所の森川論文に従って、要介護老人が人の少ない田舎にいたんじゃ介護の生産性が上がらないから、都会に集めてまとめて介護できるようにするのが生産性向上というのも、かなり批判を浴びそうだし。

生産性とはつまるところ付加価値生産性なんだからと考えれば、要はたくさんの金が介護事業に回るようになれば生産性が高まったことになるわけで、結局介護報酬の問題に集約されてしまうような気もしますし。

(このサービスにおける生産性の話題は、以前本ブログでちょっと展開してみたことがあります)

ああ、そういえば、上のリンク先のエントリーで話題にした「介護従事者等の人材確保のための介護従事者等の処遇改善に関する法律案」、自民党と民主党が合意した奴というのは、これです。

http://www.shugiin.go.jp/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/houan/g16901016.htm

>介護従事者等の人材確保のための介護従事者等の処遇改善に関する法律案

 政府は、高齢者等が安心して暮らすことのできる社会を実現するために介護従事者等が重要な役割を担っていることにかんがみ、介護を担う優れた人材の確保を図るため、平成二十一年四月一日までに、介護従事者等の賃金水準その他の事情を勘案し、介護従事者等の賃金をはじめとする処遇の改善に資するための施策の在り方について検討を加え、必要があると認めるときは、その結果に基づいて必要な措置を講ずるものとする。
   附 則
 この法律は、公布の日から施行する。

     理 由
 高齢者等が安心して暮らすことのできる社会を実現するために介護従事者等が重要な役割を担っていることにかんがみ、介護を担う優れた人材の確保を図るため、平成二十一年四月一日までに、介護従事者等の賃金水準その他の事情を勘案し、介護従事者等の賃金をはじめとする処遇の改善に資するための施策の在り方について検討を加え、必要があると認めるときは、その結果に基づいて必要な措置を講ずるものとする必要がある。これが、この法律案を提出する理由である。

これだけです。1条だけだから、「第一条」という見出しもない。

とにかく、来年の4月1日までに「介護従事者等の賃金をはじめとする処遇の改善に資するための施策の在り方について検討を加え、必要があると認めるときは、その結果に基づいて必要な措置を講ずる」というもっぱら宣言するだけの、国民の権利にも義務にも何にも関係のない、つまり法律事項の全くない法律ということですね。

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偽装請負と日雇い派遣の再検討

『時の法令』に4月15日号から隔旬(毎月)連載で「21世紀の労働法政策」を載せておりますが、今回から本論に入りました。「第1章 労働者派遣システムを再考する(1) -偽装請負と日雇い派遣の再検討」 です。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/21seiki02haken01.html

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日本電産永守社長発言をめぐって

話がややこしくなってきました。

はじめはこの朝日の記事です。

http://www.asahi.com/business/update/0423/OSK200804230044.html

>「休みたいならやめればいい」急成長の日本電産社長

> 「休みたいならやめればいい」――。日本電産の永守重信社長は23日、記者会見で「社員全員が休日返上で働く企業だから成長できるし給料も上がる。たっぷり休んで、結果的に会社が傾いて人員整理するのでは意味がない」と持論を展開。10年間で売上高が6倍超という成長の原動力が社員の「ハードワーク」にあることを強調した。

これが批判を浴びました。

4月26日のMayDayじゃないメーデーで、連合の高木会長は、

http://www.jtuc-rengo.or.jp/news/rengonews/2008/20080426_1209016677.html

>3日前の4月23日、日本電産の社長が、記者会見で「休みたいならやめれば良い」という趣旨の発言をしたと伝えられています。この会社の時間外・休日労働の実態等を調べてみたいと思いますが、「社員全員が休日返上で働く会社だから成長できる」と発言するなど、まさに言語道断、労働基準法という法律が雇用主に何を求めていると思っているのか、問い糾してみなければなりません。

と発言。

これに対して日本電産のHPに、永守社長はそんなこと云っていない、という文章が載りました。

http://www.nidec.co.jp/news/indexdata/2008/0428/CMFStandard1_content_view

>4月23日の決算発表記者会見において、弊社社長永守が「休みたいならやめればいい」と発言したかのような記事が掲載されましたが、そのような事実はなく、誠に遺憾に思っております。

 永守がお伝えしたかった主旨は以下の通りでございます。
 当社は雇用の創出こそが企業の最大の社会貢献であるとの経営理念のもと、安定的な雇用の維持が、社員にとっても最重要であると考えております。
 このような考え方に基づき、これまで経営危機に瀕し、社員の雇用確保の問題に直面していた多くの企業の再建を、一切人員整理することなく成功させて参りました。

 「ワークライフバランス」につきましては、当社では、上記の安定的な雇用の維持を大前提に、「社員満足度」の改善という概念の中の重要テーマとして位置づけております。
 このような考え方に基づき、社員の満足度向上を目的として、2005年度から「社員満足度向上5ヵ年計画」をスタートさせ、2010年には業界トップクラスの社員満足度達成を目指し、推進中であります。

 現に、社員の経済的処遇面に関しては、年々業界水準を上回る率で賃金水準を改善してきており、本年度も、平均賃上げ率は業界水準を大きく上回る6%にて実施することと併せ、年間休日も前年比2日増加させております。尚、休日については、来年度以降も段階的に増加させていく予定であります。
 加えて、男女ともに働きやすい会社を目指し、昨年4月にはポジティブ・アクション活動の一環として、家庭と仕事の両立を支援する目的で新たな制度の導入もし、更なる社員満足度向上に向けて努力を続けております。
     
 以上が、永守が記者会見で申し上げた考え方の要旨でありますので、皆様のご理解を賜りたくお願い申し上げます。

まあ、要旨はそういうことなんでしょうが、いささか舌が滑ったところもあったのではないか、と。

ただ、実はこの問題は突っ込むとすごくディープな話になります。単純素朴にとんでもない発言や、では済まない。

ポイントは、永守社長はほかのいろんな会社の社長さんたちよりも、遥かに深く「安定的な雇用の維持が、社員にとっても最重要」と信じ、「企業の再建を、一切人員整理することなく成功」させてきたことを誇りに思っている方であろうということです。

他の何よりもただひたすら雇用の安定が大事であり、人員整理は一切しないという信念を追及しようとすると、労働時間短縮だのワークライフバランスだのといった寝言、おっと失礼、2番目3番目ぐらいに大事なことは、まあ2の次3の次ということになるのは、これはやむを得ないことと云うべきではないでしょうか。

実際、日本でなぜ時間外労働の法的な上限規制がされてこなかったかというと、そんなことをするといざ不況の時に残業削って雇用を維持するというのが困難になり、ひいては解雇をせざるを得なくなるから、と、これは労働基準法研究会報告が何回も云ってることです。

ですから問題は、そんな長時間労働をしてまで、ワークとライフのバランスもとらないで、ただひたすら雇用の安定のみを追及するんですか、という話なのであって、その裏腹にあるのは、人間らしい働き方をする代わりに、不況の時にはやむを得ずクビになるかも知れないね、というのをどこまで認めるかという話でもあるわけです。両者はトレードオフなんであっていいとこ取りというわけにはいかない。そこんところを抜きにして表面的なバッシングで済ませてしまうのはもったいない話なんです。

参考:

http://homepage3.nifty.com/hamachan/espworklifebalance.html(労働時間短縮とワーク・ライフ・バランス『ESP』2007年6月号)

>また、雇用維持という目的を家庭生活との両立の上位に置かないということは、整理解雇法理の一定の緩和というインプリケーションも持つ。アメリカという異常例を除き、先進国で解雇を使用者の恣意に委ねている国はないが、日本の整理解雇法理は欧州諸国の解雇規制に比べても過度に抑制的であり、そのツケが長時間労働や遠距離配転にしわ寄せされているという面もある。これらも含めてさまざまな規制間のバランスについて、社会的な検討が行われることが望ましい。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/roubenflexicurity.html(解雇規制とフレクシキュリティ『季刊労働者の権利』2007年夏号)

>最後に、現行の整理解雇法理については労働法制全体の観点から抜本的な見直しが求められているように思われる。それは福井・大竹編著が言うように「経営判断、解雇の必然性、解雇者選定などは、企業固有の経営的、技術的判断事項であって、裁判所がよりよく判断できる事柄とは言えない」からではない。むしろ逆であって、この法理が形成された1970年代という時代の刻印を強く受けているために、専業主婦を有する男性正社員の働き方を過度に優遇するものになってしまっているからである。

 解雇回避努力義務の中に時間外労働の削減が含まれていることが、恒常的な時間外労働の存在を正当化している面があるし*16、配転等による雇用維持を要求することが、家庭責任を負う男女労働者特に女性労働者への差別を正当化している面がある。そして、何よりも非正規労働者の雇止めを「解雇回避努力」として評価するような法理は、それ自体が雇用形態による差別を奨励しているといってもいいくらいである。

 もちろん1970年代の感覚であれば、妻が専業主婦であることを前提にすれば長時間残業や遠距離配転は十分対応可能な事態であったし、非正社員が家計補助的なパート主婦やアルバイト学生であることを前提とすれば、そんな者は切り捨てて家計を支える正社員の雇用確保に集中することはなんら問題ではなかったのかも知れない。

 しかし、今やそのようなモデルは通用しがたい。共働き夫婦にとっては、雇用の安定の代償として長時間残業や遠距離配転を受け入れることは難しい。特に幼い子供がいれば不可能に近いであろう。そこで生活と両立するために、妻はやむを得ずパートタイムで働かざるを得なくなる。正社員の雇用保護の裏側で切り捨てられるのが、パートで働くその妻たちであったり、フリーターとして働くその子供たちであったりするような在り方が本当にいいモデルなのかという疑問である。

 近年ワーク・ライフ・バランスという言葉が流行しているが、すべての労働者に生活と両立できる仕事を保障するということは、その反面として、非正社員をバッファーとした正社員の過度の雇用保護を緩和するという決断をも同時に意味するはずである。「正当な理由がなければ解雇されない」という保障は、雇用形態を超えて平等に適用されるべき法理であるべきなのではなかろうか。この点は、労働法に関わるすべての者が改めて真剣に検討し直す必要があるように思われる。

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松下電器子会社の偽装請負、直接雇用成立を認定

世間の関心は長野の聖火リレーに集中している今日この頃ですが(まあ、ウヨもサヨも、固有名詞を入れ替えても同じロジックを喋らなきゃいけないんじゃないかとちらりとでも思う心の余裕はないようですな、それはさておき)、今朝の朝日の1面トップは例の松下プラズマディスプレイの偽装請負の高裁判決でした。

http://www.asahi.com/national/update/0425/OSK200804250070.html

ここはやはり、一昨年来偽装請負キャンペーンを張ってきた朝日新聞としては、1面トップでしょう、というところです。

>違法な偽装請負の状態で働かされていた男性について、大阪高裁が25日、当初から両者間に雇用契約が成立しているとして、解雇時点にさかのぼって賃金を支払うよう就労先の会社に命じる判決を言い渡した。就労先で直接、指揮命令を受け、実質的にそこから賃金支払いを受けていた実態を重視。「請負契約」が違法で無効なのに働き続けていた事実を法的に根拠づけるには、黙示の労働契約が成立したと考えるほかないと述べた。事実上、期間を区切ることなく雇い続けるよう命じる判断だ。

判決はまず、請負会社の社員だった吉岡さんらの労働実態について「松下側の従業員の指揮命令を受けていた」などと認定。吉岡さんを雇っていた請負会社と松下側が結んだ業務委託契約は「脱法的な労働者供給契約」であり、職業安定法や労働基準法に違反して無効だと判断した。

 そのうえで、労働契約は当事者間の「黙示の合意」でも成立すると指摘。吉岡さんの場合、04年1月以降、「期間2カ月」「更新あり」「時給1350円」などの条件で松下側に労働力を提供し、松下側と使用従属関係にあったとして、双方の間には「黙示の労働契約の成立が認められる」と認定した。この結果、吉岡さんはこの工場で働き始めた当初から直接雇用の関係にあったと結論づけた。

 松下側が06年2月以降の契約更新を拒否したことについても「解雇権の乱用」で無効と判断した。

 さらに、吉岡さんが期間工として直接雇用された05年8月以降、配置転換で単独の作業部屋に隔離されたことについて、「松下側が内部告発などへの報復という不当な動機や目的から命じた」と認定した。

 昨年4月の大阪地裁判決は「偽装請負の疑いが極めて強い」として、就労先には労働者を直接雇用する義務が生じるとの判断を示す一方、雇用契約の成立は否定していた

うーーん、「黙示の雇用契約」論ですか。かつて派遣法が出来る以前には、請負と称する実質労働者供給事業について、そういうロジックが用いられたことはあるんですが、派遣法が出来てそれが合法化されたあとではほとんど用いられなくなった議論ですが、久しぶりに出てきました。

ただですね、かつても、黙示の契約論にはかなり批判も強くて、最高裁に上がって維持されるかどうかはかなり疑問な面もあります。

わたしは、そもそも派遣であれ、労供であれ、請負であれ、労働法制は契約で判断するのではなく、実態で判断するのが原則と思っているので、無理に契約論にはめ込む黙示の契約論にはいささか疑問があり、契約はともあれ実質に応じて使用者責任を負うというのが一番すっきりすると思っているのですが、それは法律家の発想とはずれているんでしょう。

まあ、いずれにしても注目すべき判決が出されたことには違いありません。そのうち判決文もアップされるでしょうから、その段階でまた詳しいコメントを。

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就職氷河期世代のきわどさ

総合研究開発機構から、『就職氷河期世代のきわどさ―高まる雇用リスクにどう対応すべきか』と題する報告書が昨日出されました。

http://www.nira.or.jp/outgoing/report/entry/n080424_209.html

これは何を措いても読まなければなりません。なぜなら、目次をご覧ください。

I.総論
新たな雇用制度設計を迫る非正規雇用の増加-非正規雇用増加の背景と評価-

II.各論
非正規社員の構造変化とその政策対応 阿部正浩
人事管理からみた若年非正規雇用問題 荻野勝彦
非正規雇用を考える-企業に視点を置いた雇用政策を- 佐野 哲
若年就労問題に対してより強力な取組みを 本田由紀

III.資料編
英国労働党政権における「福祉から雇用へプログラム」
  -若年失業者ニューディールを中心に(ヒアリング配布資料) 藤森克彦
スウェーデンの若年者失業問題 小川晃弘
就職氷河期世代の老後に関するシミュレーション 辻 明子

新聞報道等では、

>70 万人を上回る大規模な将来高齢生活困窮者に対する生活保護費用は累計で約20 兆円-すでにみてきたように現在問題視されている非正規雇用のなかでは、就職氷河期に大量に発生した非正規雇用者の規模の大きさが目立っている。バブルが崩壊する前の非正規雇用者比率、無業者比率とバブル崩壊後に経済状況が悪化した時期に大幅に上昇した比率との差を景気悪化による需要要因と考えて、就職氷河期を通じて需要要因により増加した分の非正規雇用者、無業者の規模を試算すると120 万人程度となる。
新卒段階で正規採用されなかった若年層の正規雇用への転換は難しく、彼らの大部分が低水準の賃金のまま年金対応もできずに高齢化に突入するという前提で生活保護に必要となる追加支出を試算すると約20 兆円程度の規模となり、社会的にも深刻な影響を与える規模となる。

という脅しのところが注目されているようですが、

>非正規雇用から正規雇用への転換のためには、研修や教育などを通じた雇用者の能力向上が必要とされることはいうまでもない。しかし、そのための対応を一方的に雇用者に追わせることは現実的な解決策とはいい難い。日本では未だに外部労働市場は十分発達しておらず、雇用者に対する企業の能力評価の仕組みも整備されていない。
効率的な外部労働市場の整備が急がれるが、そのためには個別の労働の内容とそれに対する報酬の関係を明確化し、公正に評価できるような基準作りが必要となる。さらに、法的な強制力を持つ雇用契約に関する基準設定も必要となると考えられる。現行の制度の下では、ジョブカードのような仕組みを導入しても企業の自主的な判断で非正規雇用から正規雇用への転換を受け入れる可能性は限られている。非正規雇用から正規雇用への転換を実現するためには、ジョブカードなどで一定の資格要件を満たすものについては一定比率での採用を義務づけるなどの措置を伴わない限り実効性は期待できない。

と、かなり強硬な議論も提起しています。これは本田さんの主張のようですね。

>学校教育が就職のみを目標とすることは必ずしも望ましい姿とはいえないが、経済社会環境の変化に対応しながら就職に結びつくような方向へ教育内容を変革していくことは必要である。そのためには受け入れ先である企業側の積極的な関与も必要であり、学校、企業、行政がそれぞれの役割を果たしながら制度変革を行うことが求められる。

この辺もレリバンスですなあ。ここまでは総論ですが、後ろの方の本田さんの労働法制について触れたところはちょっといささかというところがありまして、

>このような事態を改善するためは、個別の労働の中身とそれに対する報酬の対応を可能な限り正当かつ公正なものとするためのルールや基準を明確化することが必要である。具体的には、正社員・非正社員のいずれについても、採用や配属・処遇の決定に際して、個々の仕事の内容や範囲、労働者の能力・貢献に対する評価の方法や賃金の基準について文書等により明示し、労働者側からの個別的・集団的な交渉・協議のプロセスを経て合意を形成した上で実施することを雇用者側に義務付けるべきである。

これは、一歩踏み間違えると、将来起こりうるありとあらゆることをあらかじめ雇用契約に書くことができるはずだから、不完備契約なんかあり得ない、というどこかの大学院大学の方と似た議論になりかねません。実のところ、労働のルールはある程度大まかな集団的なものでしかあり得なくて、むしろ何か揉めたときの解決のルールこそが大事なんです。

労務屋さんこと荻野さんのパートでは、

>世間の一部には「解雇規制の緩和・撤廃」を若年非正規雇用対策として主張する意見があるので、これから検討してみたい。

と、その根拠の薄さを指摘しているところが熟読玩味に値しますが、わたくしには最後のこの一節がなかなか効きました。

>企業の長期存続とそのための人材育成に強い信念を持っているオーナー経営者であれば、あるいは一時的な業績悪化、ひいては赤字に陥っても、技能伝承と人材育成の観点から継続的・安定的に新規採用を行うかもしれない。オーナー経営者であればこそ、リターンを求める投資家は存在せず、業績悪化に対して外部から責任を問われることもないからだ(もっとも、メインバンクの深い理解は必要だろうが)。
しかし、現実の多くの企業にとっては、ことはそう簡単ではない。短期のリターンのみに強い関心を持つ投資家が強い発言力を持つ企業では、目先の利益のために人材育成を犠牲にせざるを得ない場面もあるかもしれない。もちろん、経営の規律を失って放漫に陥ることもあってはならないわけで、経営者としても難しい舵取りを迫られるところだろう。
逆にいえば、経営者が業績と人材育成のバランスを取りやすいような会社制度のあり方というのも、考えられてもいい課題なのかもしれない。

このブログでも何回か触れたコーポレートガバナンスと労働の関係ですね。

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ユースポリシー2008

昨日新聞記事で紹介した公明党のユースポリシー2008ですが、公明党HPのここにありました。

http://www.komei.or.jp/youth_site/temp/youthpolicy2008.pdf

ここでの話に関係ありそうな項目は、

>4.未来の人材づくり

(教育環境の充実)

・ 教育関連予算をより一層拡充します!
→大学の入学金準備をはじめ、教育費の負担が家計に重くのしかかっています。意欲と能力のある学生に家庭の経済状況による教育格差を生まないため、入学一時金等の奨学金制度などの教育関連予算を一層拡充していきます。

・ 大学院生の学費、生活費を支援充実させます!
→ロースクールや今年度からスタートした教職大学院をはじめ、大学院の重要性が高まっています。意欲や能力さえあれば、誰でも学べるように、学費や生活費支援を拡充します。

>(職業教育・プロフェッショナルの育成)
・ 学校教育における職業能力開発教育を強化します!
→学校教育が雇用保障に結びつきにくい状況を改善します。大学・専門学校等で職業能力形成に役立つ「実践型教育プログラム」を充実・普及させます。

例の「職業レリバンス」はこれですな。

ただ、これが逆にいうと大学でブンガクやテツガクやってるようなセンセにとってはますます肩身が狭くなるという副次的効果をもたらすことも念頭においておく必要があります。経済財政諮問会議の専門調査会でもちらりと申し上げたことですが、

http://www.keizai-shimon.go.jp/special/work/15/work-s.pdf

>いずれにしても、日本のような大衆高等教育社会において、高等教育レベルの職業的な意義をいかに高めていくかということは、実はそう簡単な話ではないだろう。言うは易しだが、資料1の3頁で括弧書きにしたが、大学教員の労働市場に大きな影響を与えることになる。文部行政が今まで学術中心型の教育の拡大を行ってきて、そのための人材を多数養成し、大学院までどんどん新設してしまった。しかし、今それが大きな問題になっている中で、それすら要らない、むしろもっと実学的な、実務者を連れてきて教える仕組みにしていくべきということにはシンパシーを感じるものの、それを行うと社会的に大騒ぎになる可能性があり、そこまで議論する必要がある。50、60 年代の大学進学率がそれほど高くなかった時代の方が、むしろそういう改革をやり得たはずなのに、そのときにはうまくいかなかった。今の状況でそれをどうするのかを考えると、私は根が実務家なので、想定される多くの大学の先生方の抵抗に耐えてでも実行すべきだというだけの力はあるのかな、という感じを持つ。

まあ、逆にいうと、だからこそ公明党のような庶民感覚の政党にこそそういう蛮勇を振るうような改革ができるのかも知れませんがね。

あとは労働市場関係です。

6.未来の仕事づくり

(若年層の雇用促進)
・ 仕事に就きたい人の就労支援とセーフティネットを整備します!
→過去の職業訓練の内容がわかる「ジョブカード制度」の推進でフリーターを応援。「働くこと」への様々な悩みが相談でき、就労まで支えてくれる「地域若者サポートステーション」を拡充(100ヶ所へ)。ネットカフェ難民等の相談・支援をするセーフティネット対策を強化し
ます。

・ 派遣・パートなどの働き方を見直します!
→劣悪な条件の違法派遣を一掃。正社員と同じ仕事・責任を担うにも関わらず賃金や福利厚生が低いパート社員・派遣社員など非正規労働者の待遇を改善(交通費支給など)します。ライフスタイルに合わせて短時間就労とフルタイム就労を柔軟に移行できる短時間正社員制度など多様な働き方を応援します。

(職場復帰やチャレンジ支援)
・ 育児休業制度の使いやすさを向上させます!
→育児休業制度取得の向上を目指し、育児休業給付金の一括支給や短時間勤務による部分休業にも給付されるよう制度を改正します。

・ 職場復帰のための短時間勤務制度を普及促進します!
→育児休業からの復帰後の柔軟な働き方を可能とするため、一日あたりの労働時間や週当たりの労働日を減らす短時間勤務制度の普及・定着を促進します。

・ スキルアップの機会を拡大します!
→教育訓練給付にかかる自己負担分の後払い制度導入や、公共職業訓練の土日・夜間の開設をめざします。

・ 公務員再チャレンジ試験の対象を拡大します!
→公務員再チャレンジ試験の対象を拡大し、より多くの若者にチャレンジの機会を提供します。

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大阪の社会・労働関係専門図書館の存続を求める会

大阪府の橋本知事が発表した財政再建プロジェクト案で大阪府労働情報総合プラザを7月末で廃止することとされていることに対して、存続を求める運動が始められたようです。

http://rodoshomei.web.fc2.com/

>大阪府知事 橋下 徹様

要望書  

 先般、大阪府財政再建プロジェクト試案が発表されました。同試案によりますと、大阪府が設置し財団法人大阪社会運動協会が運営を受託している大阪府労働情報総合プラザについては廃止、同協会への補助金はゼロになるということでありますが、これは社会・労働分野を専門とする研究者である私たちにとって重大な損失と考えます。

 大阪社会運動協会は1978年の設立以来、『大阪社会労働運動史』(既刊8巻、現在9巻編纂中)の編纂とそのための資料収集に取り組み、集めた資料の専門性の高さについてはいうまでもなく、成果物としての同運動史のレベルの高さは言をまちません。大阪だけではなく、全国は言うに及ばず、遠くイギリスはケンブリッジ大学及びロンドン大学の図書館にも所蔵されている図書であります。

  同協会が2000年より大阪府労働情報総合プラザの運営を受託して以来、人件費の大幅削減を実現し、さらに8年間で利用実績を4倍に上げたという成果も聞き及んでおります(国立国会図書館「びぶろす」平成20年4月号参照)。すなわち、同協会の事業は貴職の政策課題である「財政再建、民間活力の導入」の好個の例として誇るべきものでこそあれ、その成果を全否定するような今回の試案にはまったく納得できません。これでは財政再建に向けたあらゆる努力を無に帰するに等しい暴挙と考えます。

 大阪府労働情報総合プラザと大阪社会運動資料センターは一体のものとして運用されてこそ、その資料の専門性の高さとレファレンス能力の高さを発揮することができます。図書館は文化遺産を次代に残す重要な責務を負い、かつ、専門図書館の価値は「建物と本」をモノとして見るような視点では語れない重要な財産、すなわち専門性の高い「人」を有していることにあります。専門図書館の宝である専門性の高い資料群と、それを使いこなせる人材を活かさずして大阪の再生がありえるでしょうか。しかも、先にも述べたとおり、貴職が掲げられている財政再建と民間活用という好個の例である大阪府労働情報総合プラザと大阪社会運動資料センターが、まさにその財政再建という旗印の下に運営の危機に陥るとすれば、なんとも皮肉な結果と言わざるをえません。

 大阪府労働情報総合プラザは中小企業の労務担当者及び社会保険労務士の利用が非常に多いことから鑑みても、中小企業の町大阪の福利に役立つ施設であることもまた明らかです。

 関西において社会労働関係専門図書館としての両図書館の所蔵資料の量と質は群を抜いており、大阪府労働情報総合プラザが廃止されると、研究・教育活動に大きな支障をきたします。大阪府の危機的財政状況については存じておりますが、私たち社会・労働関係の研究者にとって資料の宝庫である大阪社会運動資料センター及び大阪府労働情報総合プラザの存続を願い、しかるべき予算措置をとられることを貴職に切に要望するものであります。

これがどれくらいの意味のあるものなのか、東京にいるとよく判らないところもありますが、

>大阪社会運動協会の資料を含む大阪府労働情報総合プラザは、関西における随一の人事労務管理、労使関係の専門図書室です。関東には、労働政策研究・研修機構や法政大学大原社会問題研究所、東京都労働資料センターなどに専門図書室がありますが、関西でそれに比肩できるのは、唯一この専門図書室しかありません。(京都大学大学院経済学研究科 教授 久本憲夫)

というくらいの値打ちのある機関のようです。

日本の産業化の最前線を担って来た大阪から労働・社会問題の専門図書館をなくしてしまうのはもったいないといわざるを得ませんね。

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教員の超勤100時間超 京都市に55万円の支払い命令

産経から興味深い記事、

http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080423/trl0804232310011-n1.htm

残業代は既にエグゼンプトになっている教師ですが、だからといって過度な長時間労働をさせると、こういう判決が出てくることもありますので、気をつけましょう。

>違法な残業を行わせたうえ健康保持のための安全配慮義務を怠ったとして、京都市立小、中学校の教員ら9人が市に総額約3300万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が23日、京都地裁であった。中村哲裁判長(異動のため辻本利雄裁判長が代読)は、残業そのものの違法性は認めなかったものの、残業が月100時間を超えた教員について「勤務が過重にならないよう管理する安全配慮義務を怠った」として、市に55万円の支払いを命じた。

残業は違法じゃないけれども、やらせすぎると安全配慮義務が出てくるというわけです。これは民間企業の人事の人だったら常識ですが、教育界の方々にとっては(医療界の方々と同じように)あまり想像したこともなかったことかも知れませんね。

> 判決によると、原告側は授業の準備や部活動の指導などで月に約67~108時間の超勤があったと指摘。「教職員の残業を原則禁止する給特法に違反する」と主張し、慰謝料や未払いの賃金の支払いを求めた。

 判決で中村裁判長は残業について「自発的、自主的な側面がみられる」として違法性は認めなかったが、「市は教員が心身の健康を損なうことがないよう、勤務時間を管理する義務がある」と指摘。残業が月100時間超と、原告で最長だった中学校教員(47)について「校長は時間外勤務が極めて長時間に及んでいたと認識、予見できたのに改善措置を取らなかった」として安全配慮義務違反を認定した。

興味深いのは、少なくともこの記事だけからは、残業月100時間超の人も、特段倒れたりとかしていないようなのに、改善措置をとらなかったということで安全配慮義務違反を認めているらしいところです。

安全配慮義務は事実上結果責任じゃないかという批判も一部にありますが、そうじゃない傾向が現れてきたのかも知れません。ま、判決文を見ていないので、これ以上立ち入ったコメントはやめときますが。

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公明党のユースポリシー2008

一方、与党の公明党は、「ユースポリシー2008」と題して、若者政策を発表したようです。

http://www.asahi.com/politics/update/0423/TKY200804230267.html

>公明党は23日、20~30代をターゲットにした政策「ユースポリシー2008」を公表した。内閣官房に青年担当庁を新設し、青年担当相を置いて若年層が抱える問題に取り組むことが柱。次期衆院選のマニフェスト(政権公約)にも反映させ、この世代への浸透を図る。

 パート労働者の正社員なみの処遇、学校教育への職業訓練導入の普及促進なども盛り込んだ。積極的な社会参加を促すため、選挙権年齢の引き下げやインターネット選挙の解禁も掲げた。

興味深いのは「学校教育への職業訓練導入」ですね。職業レリバンス推進政策ということですか。

現時点ではまだ公明党のHPに載っていないようなので、詳細は判りませんが、興味深いところです。

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民主党の労働者派遣法改正案

昨日、民主党の「次の内閣」で、労働者派遣法の改正案とそれを含む非正規雇用対策が了承されたということです。

http://www.dpj.or.jp/news/dpjnews.cgi?indication=dp&num=13148

法案要綱はこれで、

http://www.dpj.or.jp/news/files/080423yoko.pdf

その骨子は、

>(1) 短期派遣→規制強化

(2) 日雇い派遣→禁止

(3) 派遣先と派遣元→共同雇用責任。派遣先の責任を強化

(4) 情報公開→契約料金、派遣労働者の賃金、マージン比率、派遣期間、教育訓練、社会・労働保険の加入状況とその保険料等

(5) 専(もっぱ)ら派遣→禁止規定の拡大

(6) 均等待遇原則の徹底

ということです。

均等待遇のところの条文は、

>労働者派遣をし、又は労働者派遣の役務の提供を受ける場合においては、労働者の就業形態にかかわらず、就業の実態に応じ、均等な待遇の確保が図られるべきものとすること。

と、なんだか変な日本語になっています。「労働者派遣をし」、「役務の提供を受ける」のはそれぞれ派遣元会社、派遣先会社のはずですから、それらが主語であれば、「均等な待遇を図る」と能動態でなくてはおかしいでしょう。「均等な待遇が図られる」と受動態で書くのであれば、その主語は派遣労働者でなければならないでしょう。まあ、労働契約法の国会修正みたいなもので、その辺が曖昧なところがいいのかも知れませんが。

日雇い派遣禁止のところは、

>派遣労働者に係る雇用契約は、期間の定めのないもの又は二月を超える期間の定めのあるものでなければならないものとすること。

やっぱり、どうして、派遣労働者に係らない雇用契約は、2ヶ月未満の期間や1日でもいいのか、どういう弊害の違いがあるのか、よく判りません。日雇いで働きたい人は山谷や釜が崎に行きなさい、そうすれば日雇い派遣みたいなひどい目に遭うことはないですよ、とでもいうんですかね。そっちの方がよっぽどアブナイように思いますが。

非正規労働対策は

http://www.dpj.or.jp/news/files/080423koyo.pdf

(参考)本ブログの過去エントリー

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_18a8.html(民主党が日雇い派遣禁止法案を提出?)

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新雇用戦略

昨日の経済財政諮問会議で、厚生労働省が提出した新雇用戦略が了承されました。

http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2008/0423/interview.html

厚労省の資料はこれですが、

http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2008/0423/item4.pdf

数値目標が入って、若者は3年間で100万人の正規雇用化、女性は3年間で最大20万人の就業増、高齢者は3年間で100万人の就業増ということになっています。

有識者資料の方にはこの数値目標とともに、保育サービスの規制緩和などが要求されています。

http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2008/0423/item5.pdf

大田大臣の説明:

>それから、次の「新雇用戦略」について、まず舛添大臣から、この「新雇用戦略」の御紹介がありました。舛添プランですね。フリーターを3年間で100万人正社員化すると。それから、女性の25から44歳、ちょうどM字型の底になるところですけれども、ここで20万人雇用を増やし、60代前半の高齢者で100万人雇用を増やすという発表がありました。それから、民間議員から、ぜひこれを進めるべきだという提案がありました。
 次のような発言がありました。
 この新雇用戦略の趣旨は、やはりこれから日本の潜在成長率の低下を食いとめるということが大事であって、その観点から言うと、この新雇用戦略ももちろん必要だけれども、海外からの労働力を積極的に受け入れるのかどうか、長期的な視野で考えていくタイミングに来ているのではないかという発言がありました。
 それから、別の民間議員から、この税と社会保障の議論は制度の問題をきっちりやっていきませんと、例えば103万円の壁とか130万円の壁というのがあるわけですね。ここを100万円前後を超えないようにという、結構大変な動きをしているわけで、有能な女性を社会として使いこなすことができないと。日本だけがM字カーブになっているわけで、この税の問題は早急に取り組んでいく必要があると。
 それから、上川大臣から、子供の視点という意味で、働くお母さんを持つ子供という視点があるし、もう一つ、社会人になるまでの子供の育つ過程ということを重視しなきゃいけないと。これが労働の質にもつながってくるわけで、福祉、教育、労働の縦割りの中で漏れていくところがないように、横断的、包括的に子供の成長を見ていくということが、人間力の形成に大事であると。
 それから、舛添大臣から、ヨーロッパでドイツ、フランス、イタリア、そういうところで外国人労働者の問題も研究してこられたようで、労働力の核という視点だけでとらえてはいけないと。やはりヨーロッパでは外国人労働者の子供たちが苦しんでいると。このソーシャルコストというものを考えなくてはいけない。専門的、技術的な人はいいけれども、単純労働力というのは問題だと。そういう意味で、介護労働者の問題も、このソーシャルコストをどうするかということを考えていかなくてはいけないと。
 それから、額賀大臣からは、アンケート調査の御紹介がありました。今、研修生のような形で雇われていても、技能研修とか、そういう形で雇われていても、雇っている側は必ずしもそういう形ではない、趣旨と違う雇い方をしている場合もあって、そういうことも含めて、きちんとルール、制度を整備していかなくてはいけないと。
 それから、民間議員から、この外国人労働力の問題ですが、訓練や教育をしっかりして、どういう政策をとっていくかを考えるべきだと。
 別の民間議員から、高度な技能者というのも、やはり人材が不足していると。それから、留学生が国内に来て、そこで長く日本で勤められるようにしていくということを考えなくてはいけないという御発言がありました。
 それから、これは甘利大臣ですが、日本は賃金を上げながら、国際競争力をつけていくということが大事で、高付加価値化に資する人材かどうかというのを重視しながら考えるべきだという発言がありました。
 以上のような議論の後で、総理から次のような御発言がありました。
 「新雇用戦略」では、今日示された案に沿って、この3年間に若者、女性、高齢者、障害者などすべての人が働きやすい、全員参加の経済を実現すべく、政府を挙げて取り組んでいくと。その際、今日示された2010年の目標が確実に達成できるように、政府を挙げて取り組むとともに、地方、経済界、労働界など関係するすべての方々に、この戦略の実現に向けて参画していただくことが必要だと。今後、舛添大臣、上川大臣には、今日の議論を踏まえて、実現への具体的取り組みを詰めてほしいと。

なぜか外国人の話が話題になっているようですが、これは財務省の資料で「外国人の活用」という項目が入っていたからでしょう。厚労省の資料では若者、女性、高齢者の次の4つめは「障害者等ー福祉から雇用へ」なので、関心のありかの違いがよく判ります。

外国人問題については舛添大臣の「労働力の核という視点だけでとらえてはいけないと。やはりヨーロッパでは外国人労働者の子供たちが苦しんでいると。このソーシャルコストというものを考えなくてはいけない。専門的、技術的な人はいいけれども、単純労働力というのは問題」というのが、きちんと問題を踏まえた発言ですね。

この点については、私は見ていないのですが、最近のサンデープロジェクトで、中川秀直氏と坂中英徳氏が1000万人の外国人移民を導入せよとぶち挙げたとかいう話も之有り、をいをい、その1000万人をちゃんと日本人とまったく差別なく扱うだけの用意は万端調えるお積もりなんでせうね、と思わずいいたくなります。

http://www.tv-asahi.co.jp/sunpro/

>大胆提言!移民受け入れが少子化日本を救う!
1000万人移民で「上げ潮」ニッポン


日本は人口減少社会に突入した。

日本の人口は2004年の1億2800万人をピークに減少が始まり、
このままだと100年後には現在の3分の1にまで減ると予想されている。
この問題が深刻なのは、出生率の低下はすでに30年以上前から始まっており、
もし少子化対策が進んで今後出生率が劇的に回復したとしても、
しばらくは働き盛りの世代の人口が減り続けるということだ。
つまり、日本社会にとって、労働力人口の減少は、待ったなしの問題なのである。
では、どうするのか?

今回のサンプロでは、
人口が減り続ける今後の日本は、国をオープンにして、
外国から移民を多数受け入れて、多民族国家として経済成長を目指すべきだと大胆な提言をしている中川秀直氏と、
人口危機を乗り越えるためには今後50年間で1000万人の移民を
受け入れるべきだと主張する坂中英徳氏を招いて、日本の将来像を探る。

人口の1割を外国人が占める「多民族国家」ニッポンが果たして実現するのか?
大胆提言だ!



≪出演≫
中川 秀直(自民党元幹事長) 
坂中 英徳(外国人政策研究所)

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荻野進介氏の城繁幸著書評

日経ビジネスオンラインで、リクルートワークスの荻野進介氏が、城繁幸氏の『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか』を書評しています。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080422/153926/

荻野氏は、「Works」誌での私のインタビュー記事を書かれた方なので、興味深く読みました。はじめの方は、定例通り、内容の紹介なのですが、最後の一節がいささか辛口です。

>こうしたルポの合間で、著者は、昭和的価値観の源泉、日本企業に色濃く残る年功序列制度を激しく批判する。仕事内容によって賃金が決まり、実力によって昇進が決まるべきなのに、年齢や勤続年数が基準になるから、若者が雑巾がけをさせられる期間が長くなる。キャリア意識に目覚めた優秀な若者ほど見切りをつけてしまう、というわけである。

 年功序列を止めるために、職務給の導入を著者は主張するのだが、あまり現実的とは思えない。職務給とは仕事の中身によって決まる賃金である。例えばファーストフードやコンビニの店員といった非正規社員がそうだ。接客という仕事に時給単位で値段がついている。マニュアルがあるような、こういう定型的な仕事には職務給がうまく機能する。

 ところがこれを一般のホワイトカラーにあてはめて考えると、ことはそう簡単に行かない。部長や課長といっても、こなしている仕事は千差万別である。仕事の中身を細かく見て行き、それに応じた値段をつけるには膨大な作業が必要だ。異動の多い企業では、頻繁に改定しなければならず、そのための手間も計り知れない。

 また歴史的に見ても、1950年代に、当時の先進的な大手企業数社が競って職務給の導入を試みたが、どれも失敗している。著者は「官僚にこそ導入すべき」と説くが、実は戦争直後、アメリカの影響下で、実質上の職務給に近い職階制度を入れている。が、運用は形骸化。まず仕事ありきで、そこに人がつく欧米と違って、人がいて、その人次第で、仕事の中身が柔軟に変わるのが日本なのだ。

 働く人といえば男性の正社員を指し、新卒で入った会社に定年まで勤め上げることが正しい生き方だ、という価値観を捨て去り、雇用形態や性別・年齢を問わず、多様な働き方の実現を、という著者の主張には賛成する。しかし、それを目指すための職務給化は劇薬過ぎるのではないだろうか。

このあたりは、私が力説したこととほぼ同じです。

> 著者がいうほど昭和的価値観と平成的価値観は截然と分けられるものでもなく、いいところ、まだら模様。その結果、本書で取り上げられたようなアウトサイダーたちは、いつまでもアウトサイダーのままかもしれない。そんな気もしている。

ちなみに、「Works」誌の私のインタビュー記事はこれです。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/recruitworksjingi.html

http://www.works-i.com/flow/works/contents87.html

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介護職員賃金アップ法案 自民・民主が修正協議

1月に民主党が介護労働者人材確保法案を国会に提出したということはこのブログでもお伝えしましたが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_bdea.html

産経によると、自民党がこの法案の修正協議に応じていたようです。

http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/080419/stt0804191801002-n1.htm

>介護職員の賃金を引き上げるため、民主党が議員立法で提出した「介護労働者人材確保特別措置法案」をめぐり、これに反対していた自民党が修正協議に応じていたことが分かった。

 法案は地域、サービス内容別に平均的な賃金水準を定め、基準を上回る「認定事業所」の介護報酬を3%加算し、事業主には介護職員の労働条件を改善する努力規定を課す内容。認定された事業所は、職員賃金を月額2万円程度引き上げる。財源は事業所の自己負担や保険料の引き上げとならないよう税金でまかなう考えで、実施には約900億円を要するという。

 修正案は賃上げ案について具体的に明記しないこととし、職員の待遇改善措置を来年4月までにとることを政府に義務付ける方向だが、自民、民主両党とも異論が残っており、なお調整が必要とされる。

 今月9日から衆院厚生労働委員会で始まった法案審議で、与党側は「財源の裏付けがない」「他の低賃金労働者との間で不平等になる」などと民主党提案を批判し、正面から議論する考えはなかった。

 しかし、舛添要一厚生労働相が「来年度は介護報酬を上げたい」と明言するなど政府・与党内に介護職員の賃上げに賛同する声が広がったほか、後期高齢者医療制度の導入に対し高齢者を中心に政府への批判が集まった。こうした情勢から、介護職員の待遇改善に前向きに取り組む必要があると判断し、自民党も修正協議に応じることにした。

ということは、正面から介護報酬の引き上げで対処するという決意を固めたということなんでしょうか。「職員の待遇改善措置を来年4月までにとることを政府に義務付ける」というのが具体的にどういうことを意図しているのかよく判らないところもありますが、。

いずれにしても、介護労働者の待遇改善というのは大きな政策テーマになってきたようで、

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/04/s0418-2.html

職業安定局でも、「介護労働者の確保・定着等に関する研究会」というのを設置して議論を始めたようです。既に18日に1回目が開かれ、今週金曜日の2回目には業界団体ヒアリング等が予定されているようです。

これによると担当は雇用政策課で、これまで担当していた需給調整事業課から替わったようです。もともと、介護労働問題を需給調整事業課で担当していたのは、昔の看護婦家政婦紹介所の関係で一種の業界担当みたいな感じだったからですが(1992年の介護雇用管理改善法の時には、介護業務を派遣のポジティブリストに入れようという思惑もあり、当時の厚生省との間でドンパチやったという経緯もあったりするんですが)、やはりこういう問題になってくると業界レベルの話というわけにはいかないのでしょう。ミクロな労働条件改善とマクロな労働力確保を政策的に進めるという話になると、雇用政策課の出番ということになるんですかね。

そういえば、派遣のマージン率みたいに、介護サービス業界でも介護報酬のうちどれだけを介護労働者の賃金に回しているのかを明らかにさせろ、みたいな話もあるようですね。引き続き要注目です。

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3回目の石水白書

石水喜夫氏が労働経済調査官に就任してから3回目の労働経済白書は、「労働者の「やりがい」低下を問題視」だそうです。

http://www.asahi.com/life/update/0423/TKY200804220351.html

>もっと働きがいのある社会を――。厚生労働省の08年版「労働経済の分析」(労働経済白書)が、非正規雇用の増加や賃金の低迷により労働者の「やりがい」が低下している問題を指摘していることが22日、わかった。雇用の安定化が働きがいを高め、生産性も伸ばすと提言している。

 この日、自民党の雇用・生活調査会と厚生労働部会の合同会議で骨子案が示された。

 骨子案は、内閣府の調査で「仕事のやりがい」に満足している人の割合が81年の31.9%から05年は16.6%に低下したと指摘。「失業の不安なく働ける」と感じる人も34.4%から14.8%へ低下したとして、背景には、派遣やパートなどの非正規労働者が同じ期間に約3倍に増えたことがあると分析する。

 非正規労働者の増加は「企業にとってコスト削減が主目的で、労働者の希望に応じた柔軟な就業形態を用意するという認識は低い」と批判し、新卒者の計画的採用と育成を怠った面もあると指摘。安定的な雇用を増やすことの重要性を強調している。

ただ仕事があればいいというわけではない、「いい仕事」でなければならない、というわけです。

ただし、1981年頃の「いい仕事」がいま現在の男女労働者たちにとってそのままいい仕事であるというわけでもない、というところも重要でしょう。

このあたり、どういう風に記述されているか注目していきたいと思います。

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雇用促進住宅の社会経済的文脈

産経で雇用促進住宅に未だに公務員が入居していると叩かれています。

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080421/plc0804210021009-n1.htm

>>厚生労働省所管の独立行政法人「雇用・能力開発機構」が所有する雇用促進住宅に、入居資格のない国家・地方公務員が3月末現在で計124人も入居を続けていることが分かった。住宅には、昨年3月末時点で計302人の公務員が無資格で入居し、その後、会計検査院から「不適切な入居」と指摘されていた。機構側は退去を促しているが、地方では雇用促進住宅並みの安価な賃貸物件が少ないとの事情から、完全退去の見通しは不透明だ。

 厚労省によると、雇用促進住宅は全国各地に約1500団地あり、3月末現在で約14万世帯が入居している。このうち、雇用促進住宅に入居している公務員は計124人に上る。内訳は、国家公務員3人、市町村職員や教員など地方公務員121人。

 入居対象は雇用保険の被保険者で、入居条件は公共職業安定所の紹介により失業者が就職する際、再就職先が遠隔地のために転居に迫られ、一時的な仮住まいが必要となる場合-などに限られている。家賃は1万1500円から10万2300円(平均約3万円)で、「民間の賃貸住宅より比較的安い」(厚労省職業安定局)という。

 雇用保険料を負担していない公務員は入居の対象外だが、雇用・能力開発機構は「空き室対策」として一部で例外を認めてきた。だが、平成17年に公務員の無資格入居の問題が表面化していた。

ところが一方で、こういう話もあります。社民党の保坂議員のブログより。

http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/3e93d549ac7b06c389548c2df371fde4

>今日は格差是正に取り組む議員有志の会で厚生労働省職業安定局を呼んでヒアリングをした。今年の2月に、自ら「派遣労働者」である労働組合の青年が、「はたして雇用促進住宅に入れるかどうか」を調べるために、何ヶ所かのハローワークを訪ねて、入居資格を問い質した。結果は、たらい回しの末に「NO」だった。現在1500ヶ所14万戸(35万人)もが暮らす雇用促進住宅になぜ入れないのか。社民・民主・国民新党の3党の議員で厚生労働省の話を聞いた。

雇用促進住宅の窓口は職業安定所(ハローワーク)である。ところが、ハローワークに行くと、「うちはパンフを置いているだけで実際に決めているのはここだよ」と財団法人雇用振興協会の窓口を紹介されたという。「日雇い? ああ、難しいね。1年以上常用で働いていないと入れないんですよ。入居の時に『事業主の証明』が必要なんだよね」と言われたという。派遣労働は数カ月単位の細切れなので、「常用」と言われるとそこで排除される。

ただ、特例があって「失業しておおむね半年以内の人で求職中の人」は職業安定所長の判断で入居することも出来るのだが、「離職証を下さい」と言われて戸惑ったという。日雇い派遣の実態は日毎契約であり、毎日働いていても仕事が終われば離職する。だが「失業中」という概念にも当てはまらない。要するに、制度が想定していない雇用形態なのだ。

厚生労働省職業安定局に見解を求めたところチンプンカンプンな答えが返ってきた。「雇用促進住宅は低所得者向けというわけではないんです。そういう人たちには公営住宅があります。雇用保険の企業側の財源で出来ているわけで、共同寮のようなもので、そもそも雇用保険に入っていない人は入れないんです」

ただし、雇用促進住宅にかつて厚生労働省の職業安定所長などの国家公務員、これを維持・管理する独立行政法人・雇用・能力開発機構の職員などが入居していた事実が問題となったことがあった。かれらは雇用保険を支払っているのか。

「もう出ました。しかし、一部の公務員で居残っている人が今もいます」と厚生労働省も正直だ。ならばなぜ、生活の再建のために住宅を必要としている人が排除されなければならないのか。小泉内閣・安倍内閣の構造改革路線は、この雇用促進住宅を全部売り払うことを決めた。だが、本来は炭鉱離職者の住宅支援のためにつくられた雇用促進住宅が、現在の雇用の危機に改めて有効に使うことを考えてもいいのではないか。

もともと、雇用促進住宅は、移転就職を余儀なくされた炭鉱離職者向けの宿舎として始まり、その後高度成長期に労働力の広域移動政策が進められるとともに、それを住宅面から下支えするために建設されていったものです。その頃は、労働力流動化政策と一体となって、有意義な施策であったことは間違いないと思います。

ところが、70年代以降、地域政策の主軸はもっぱら就職口を地方に持ってくることとなり、地方で働き口がないから公的に広域移動を推進するという政策は消えてしまいました。これは、もちろん子供の数が減少し、なかなか親のいる地方を離れられなくなったといった社会事情も影響していますが、やはり政策思想として「国土の均衡ある発展」が中心となったことが大きいと思われます。大量の予算を、地方の働き口確保に持ってくることができたという政治状況もあったでしょう。こういう状況下では、雇用促進住宅というのは社会的に必要性が乏しいものとなり、そこに上記のような公務員が入居するというような事態も起こってきたのでしょう。

それが90年代に大きく激変し、地方に働き口がないにもかかわらず、公的な広域移動政策は為されないという状況が出現し、いわばその狭間を埋める形で、請負や派遣のビジネスが事実上の広域移動を民間主導でやるという事態が進みました。こういう請負派遣会社は、自分で民間アパートなどを確保し、宿舎としているのですが、その実態は必ずしも労働者住宅として適切とは言い難いものもあるようです。

このあたりについては、私はだいぶ前から政府として正々堂々と(もう地方での働き口はあんまり望みがないので)広域移動推進策にシフトしたらどうなのかと思い、そういうことを云ったりもしているんですが、未だに地域政策は生まれ育った地元で就職するという「地域雇用開発」でなければならないという思想が強くありすぎて、かえって適切なセーフティネットのないまま広域移動を黙認しているような状況になってしまっている気がします。

一連の特殊法人・独立行政法人叩きの一環として、雇用促進住宅も全部売却するということになり、それはもっとうまく活用できるんじゃないのかというようなことを口走ることすら唇が寒いような状況のようですが、実は経済社会の状況は、雇用促進住宅なんてものが要らなくなった70年代から90年代を経て大きく一回転し、再びこういう広域移動のセーフティネットが必要な時代になって来つつあるようにも思われます。

雇用促進住宅ネタは、例によって例の如き公務員叩きネタとして使うのがマスコミや政治家にとっては便利であることは確かでしょうが、もう少し深く突っ込むと、こういう地域政策の問題点を浮かび上がらせる面もあるのではないでしょうか。もちろん、その前に公務員に退去して貰う必要があるのは確かですが、

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人材サービスゼネラルユニオン

3月31日の第3回労働者派遣制度研究会の資料が厚労省HPにアップされています。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/03/s0331-9.html

この日は労使、というか、人材派遣協会と、派遣ユニオンと、も一つ人材サービスゼネラルユニオンからのヒアリングで、前2者については、まあだいたいその主張はご推察の通りでありますが、三つ目のこの労働組合の意見はなかなか興味深いだけでなく、余りマスコミ等にも取り上げられる機会が少ないものであるだけに、リンクを張っておきます。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/03/dl/s0331-9e.pdf

この組合はUIゼンセン同盟に加盟する組織で、派遣会社の従業員(3割強)と派遣労働者(7割弱)が加入しています。まあ、だから、簡単に派遣なんてけしからんから禁止しろ、潰せ潰せ、というような議論には反対なんですね。

>このところ格差社会を論じる際に、間接雇用である派遣がその元凶であるという意見がたびたび出てきます。
私たちは、マスコミや一部の労働界、政党から出されている、派遣イコール「ワーキング・プア」、派遣イコール「不本意な働き方」という見方には強く違和感を覚えます。
組合員の話を聞き、さらに厚生労働省の調査結果をみると、こうした見方が一方的であることが浮かび上がってきます。
間接雇用であるがために「不安定である」、「かわいそう」、「ひどい働き方だ」などといわれ、信念・プライドをもって派遣労働者として働く仲間は傷ついています。職業選択の自由の下、間接雇用も直接雇用も同等に「労働」であることの評価がされるべきです。
たしかに、労働者派遣制度にはいくつかの問題があるものの、①雇用契約2 ヶ月以下の登録型派遣の禁止、②日雇派遣の禁止については、JSGU は反対します。
法令違反はあってはならないことです。安全衛生を含めた労働環境整備など、労働者保護の観点から改善・解決し、業界の健全な発展に注力することが、人材サービス業界全体を網羅している最大の労働組合である、私たちJSGU の使命であると強く感じています。
そのために、何ら根拠を持たずに「派遣=悪」とされている誤解を解き、真の派遣の実態を世の中に知ってもらいたいと考えます。

という基調で、現状の労働者派遣制度の問題改善のために取り組むべき課題として、

>派遣を選ぶ労働者は、特定の派遣先にこだわらず、希望する特定の仕事での能力発揮やキャリア形成を重視している。こうした派遣労働者の要望に応えていくためには次の3 点を重視した政策が必要である。

①派遣労働者のキャリア形成の安定
キャリアアップができるように、特定の派遣先を超えた継続的な就業機会の確保派遣労働者の希望する業務の派遣先の開拓

②派遣労働者の能力向上機会の確保
派遣先の社員と同等の教育訓練機会を派遣先が確保すること
派遣元が行う教育訓練に、派遣労働者が参加できるように派遣先が配慮すること

③派遣労働者の働きにあった処遇・賃金
正社員との均衡
業務別最低賃金の設定
派遣労働者の職業能力の適切な評価
職業能力や仕事に見合った公正な賃金(派遣料金)の確保

といったことを掲げています。また、派遣先責任の強化もいくつか提起しています。

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研究会2連発

昨日、都内某所で某研究会2連発。

午後は連合総研の労働法制の研究会で毛塚先生のお話し。焦点は、団結原理と代表民主主義を峻別すべきか。毛塚先生はドイツ派だからどうしても峻別派になるけれども、私は日本の現実から出発するので、組合即労働者代表と考えたいのですね。

夜は岩波書店で若者政策の研究会。私が日本の雇用システムの歴史を踏まえて、「学校から仕事へ」と人材養成の在り方について報告。こちらは、木下さんや本田さんなどジョブ型志向の方が多いのですが、私はやはり現実主義者なので、少なくとも入口の所をジョブ型にするのは若者がこぼれ落ちるだけだと思うんですね。ヨーロッパは若者政策において決して成功していないんです。そういう「官能」的採用が教育システムに悪い影響を与えているという事実を踏まえても、トータルのメリデメは日本的システムに軍配が上がるのでは。ただ、入って何年もたった連中は、メンバーシップを薄めて行っていいと思う。いつまでも年功制にしがみつくなよ、という感じはあります。

(追記)

ちなみに、若者政策研究会の報告メモはこちら。ベースは私の「日本の労務管理」講義メモですが。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/wakamono.html

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社会主義者が剰余価値所得範疇を擁護するなよ!

今年度から立命館に移られた松尾匡さんの、一発目がこれ、

http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay_80412.html

>ところで、民主党もひどいけど、共産党! 働く者の味方を常々公言してきた共産党。大資産家の利益を代弁することなど、よもやないはずの共産党。当然、多少のインフレでちょっとぐらい資産が目減りしたり、資産家の不労所得が減ったりしたとしても、失業を減らし雇用を拡大することを目指すはずだよな。

 ちょっとみなさんこの動画見て下さいよ。共産党の公式ホームページに載っている市田書記局長の談話ですけどね。日銀の総裁人事の話。

http://203.179.91.149/stream/20080319_ichida.wmv

 民主党みたいに財務省の天下りという理由で反対したわけではないとわざわざことわったうえで、「超低金利政策に反対しなかった」という理由で、総裁案にも副総裁案にも不同意と言っています。おいおい・・・

社会主義者が剰余価値所得範疇を擁護するなよ!

まあ、社会主義などとうに捨て去っているのかもしれませんけど。まったく、こんなこと言うやつは、世が世なら共産主義革命が起こったら銃殺されてたぞ。

思わず吹き出してしまいましたがな。うーーん、今の学習指定文献には、そういう傾向的な用語は載っていないんでしょうかね。

> 政治的判断としては、多少不況になって失業者が増えても、その方が競争が激しくなって、生産性の低いところがつぶれて、生産性の高いところが伸びるので良い、がんばって成功してお金持ちになった人の資産価値を守るためにインフレは断固防ぐ、という判断があるかもしれません。「小泉チルドレン」の人達などはそういう価値観でしょう。そういう判断の人達が、「低金利けしからん」「金融引き締めてインフレ防げ」というならば、筋が通っているのでわかります。しかし、民主党や共産党は、常日頃それとは反対の政治的立場にあったはずです。「格差けしからん」とか「首切りけしからん」とか言ってきたはずです。だとしたら、世の中を不況にして失業を増やす手段をとってはならないはずなのに、全く矛盾したことをやって、今まさに日本を不況にしようとしているのです。

まあ、民主党の若い連中、霞ヶ関から飛び出したとか、松下政経塾出身だとかいう連中は、頭の中がほとんどチルドレンですから、むしろ筋が通っているのかも知れません。

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バランスのとれた働き方

Balance_work 連合総研設立21周年記念出版と銘打った『バランスのとれた働き方-不均衡からの脱却』がエイデル研究所から刊行されました。御贈呈ありがとうございます。

http://www.jtuc-rengo.or.jp/info/tosho/balance_work.html

>2007年12月、連合総研は設立20周年を迎えました。その記念事業の1つとして、都市勤労者の仕事と暮らしの定点観測アンケート「勤労者短観」6年分のデータ、延べ1万人のビジネス・パーソンの声を再分析する研究プロジェクトを発足させました。

 本書はその研究成果のエッセンスとして、アンケート調査データからビジネス・パーソンの仕事や暮らしの“不均衡”の実態を明らかにし、今後バランスのとれた仕事と暮らしを実現するために何が必要かを考察しています。

内容は次の通りです。

はじめに 都会で働くビジネス・パーソンの特徴―正社員・非正社員の比較
連合総研事務局

第1章 必要な人にセーフティネットを―消えない雇用不安
千葉登志雄 連合総研主任研究員

第2章 「過労死予備軍」と「賃金不払い残業」―解消に向けて
川島千裕 連合総研主任研究員

第3章 働く女性の二極化―ビジネス・ウーマンの実像
佐藤 香 東京大学准教授

第4章 男性の家事参加を進めるために―家事が意味するもの
永井暁子 日本女子大学准教授

第5章 ビジネス・パーソンは景気に敏感―格差拡大
岡田恵子 連合総研主任研究員

第6章 権利理解と労働組合―組合効果のアピールを
佐藤博樹 東京大学教授

第7章 劇場政治と勤労者―問われるこれからの選択
前田幸男 東京大学准教授

おわりに ワーク・ライフ・インバランスの解消を
佐藤博樹 東京大学教授

このうち、第6章までは、毎度おなじみのテーマですが、第7章が政治学的分析になっていて、結構面白かったです。

>働き方との関連で見ると、大企業に勤める人や管理職では自民党支持率と民主党支持率は拮抗しているのに、事務職や労務職では自民党支持率の方が民主党支持率よりも高い。また就業形態では、パートや契約・派遣でやはり自民党が民主党に差をつけている。自民党が裾野の広い支持を持っているのに対して、民主党の支持は大企業高学歴ホワイトカラー層に集中しており、経済的に弱い立場にある人たちには魅力的に見えていないことが判る

そりゃそうでしょうね、小泉改革ではまだ足りない、もっと構造改革!、もっと規制緩和!もっと地方分権!といいつのってきた政党が、経済的に弱い立場の人に魅力的なはずはないのであって。そういう政党を組織的に支持してきた連合のシンクタンクでこういう分析がされるというところが何とも皮肉ではあるわけですが。

>今回、勤労者短観のデータを分析して痛感したのは、民主党の支持が大企業に勤める男性の大卒ホワイトカラーに偏っており、その裾野が狭いことです。女性の支持率は低く、特にパートや派遣で働く女性の間での民主党の不人気ぶりは、かなり問題に思えます。

前田氏は「女性の就業や家庭と仕事の両立を目的とするわかりやすい政策を推進することで支持を増やすことができるかも知れない」というのですが、いやもちろんそれも大事ですが、問題はそれが「大企業に務める女性大卒ホワイトカラー」のためのものとしか見られない危険性です。それでは何ら裾野が広がったことにはなりません。

中高一貫男子校から一流大学に行った男性の感覚に、中高一貫女子校から一流大学に行った女性の感覚を加えただけで、事態が解決するわけではないので。

エリート臭が強すぎ、教科書嫁的な偉ぶった態度で、生活のひだを無視した図式的な結論を振り回したがる傾向がやたらに鼻につく民主党議員たちが、もっと下々の感覚に近いどぶ板の生活臭を身につけるにはどうしたらいいのか、これは結構深刻な問題でしょう(まあ、自民党に近頃増えた何とかチルドレンも似たようなものですが)。

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家族手当の文脈

『賃金事情』2008年4月号の巻頭エッセイ日本の労働システムの第3回目、「家族手当の文脈」 をアップします。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/kazokuteate.html

このテーマは、突っ込んでいくと実にディープな話につながっていくんですね。戦前、内務省社会局の監督課長から東大経済学部に転じた北岡寿逸が、1940年に『経済学論集』に「家族手当制度論」というのを書いているんですが、その問題意識がまさに、

>抑も賃金(俸給を含む)なるものは雇主より之を見れば労務の報酬なるが故に、為されたる労務に応じて支払はれるのが原則である。・・・然し賃金は之を受くる労働者(俸給生活者を含む)より之を見れば、生計の手段であつて其の必要額は家族の数に応じて著しく異なる。然るに現代に於ける経済現象の支配者は事業主なるが故に、事業主より見たる必要資源が実際賃金の額を決する。・・・即ち生計の必要は家族に依つて異なるに拘わらず賃金は労働成果に依つて支払われる。斯くの如くにして家族の数に応じて異なる生計費用を、如何にして労働成果に応ずる賃金に適合せしめるやは、個々の労働者に取つては誠に重要なる問題である。

まさにこの問題意識-市場原理と生活原理の矛盾をどう調和させるか-というところから、戦時期の、そして戦後の家族賃金が20世紀の新発明として生み出されてきたのであり、それはまさに一つの社会主義的企てだったのであって、それを「封建的」といった類の悪口で片付けたつもりになっている人は社会とか歴史とかに鈍感な人たちでしょう。

問題はそういうミクロレベルの社会主義による解決が、マクロレベルの矛盾を生み出してしまう危険性なのであって、その意味では、児童手当を社会保障制度として確立しようとしたかつての日本政府(厚生省)の企図が、企業レベルの家族手当の存在自体によって足を引っ張られて、何とか制度は作ってもまともに発達することができず、神話のヒルコのような存在になってしまったという歴史にアイロニーを感じずにはいられません。

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道路特定財源で勤務医の待遇改善?

読売の記事です

http://job.yomiuri.co.jp/news/jo_ne_08041501.cfm

>福田首相は14日、産科・小児科の医師不足に伴う救急医療の問題点を解消するための具体策を、来月にも策定する考えを表明した。厚生労働省が今年1月から取り組む医師不足対策の検討を加速するもので、勤務医の待遇改善策や女性医師の継続就業の支援などが柱となりそうだ。財源には、首相が2009年度から一般財源化するとした道路特定財源が想定されている。

 首相は14日、最先端の産科・小児科医療で知られる国立成育医療センター(東京都世田谷区)を視察後、産科医や小児科医不足の対策について、「急がなければいけない。来月ぐらいにはビジョンをまとめ、実現に向け努力したい」と記者団に強調した。

 体制強化を図るのは、昨年以来、医師不足や受け入れ態勢不備による患者の「たらい回し」の実態が表面化したためだ。「日銀総裁人事などの懸案が一区切りつき、自分のやりたい政策に取り組もうという首相の意欲の表れだ」(周辺)との見方もある。

 厚労省は今年1月から、舛添厚生労働相の私的懇談会で医師不足解消に向けた「安心と希望の医療確保ビジョン」策定の検討に着手しているが、首相の指示を踏まえ、作業を急ぐ。

わたしはこうして、道路特定財源を一般財源化して勤務医の待遇改善を図ろうとしているのに、安ガソリンに火をつけることしか考えてない民主党・・・ウフフ、と、反転攻勢をかけよう、と。まあ、環境よりこっちの方が切実ですから、説得力もあるかも知れません。

さて、民主党は何を出しますか。例の介護労働者人材確保法案みたいに、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_bdea.html

産科と小児科の勤務医の賃金に認定基準額を設けて、認定を受けたら加算診療報酬を払うという法案でも出すのでしょうかね。

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共産党と社民党の派遣法改正案

共産党と社民党の労働者派遣法改正の考え方が示されています。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-04-11/2008041105_02_0.html

http://www5.sdp.or.jp/policy/policy/labor/labor0804.htm

私の派遣システムに対する考え方はこのブログ上やHP上に詳しく書いておりますので、いちいち申しませんが、一言でいうと、両者とも労働者派遣事業という事業の規制には極めて熱心で、やたらに禁止禁止といいたがっているのに対して、その目的だと称するところの派遣労働者自身の保護については派遣元規制中心の現行法の枠組みになおも囚われていて、抜本的にものを考えようという姿勢が薄いようです。

共産党案では、まず何よりも、

>2 労働者派遣は、常用型派遣を基本とし、登録型派遣を例外としてきびしく規制します。日雇い派遣を禁止します

 (1)労働者派遣事業をおこなってはならない業務に、物の製造の業務を追加します。

 (2)登録型派遣をおこなうことができる業務は、専門的業務(ソフトウェア開発、機械設計、通訳・翻訳など)に限定します。一九九九年以前の状態にもどします。

 (3)上記(1)(2)の措置によって、登録型による日雇い・スポット派遣を事実上禁止し、常用型派遣に限定します。

と、派遣会社の事業自体を禁止してやらせない部分を大きくすることに熱心であり、次に、

>3 常用代替を目的とした労働者派遣を禁止します

 (1)過去一年間に、常用労働者を解雇・削減した事業所が同一業務に派遣労働者を受け入れることを禁止します。違反に対して、罰則を設けます。

 (2)派遣労働者を新たに導入したり、増やすときは、派遣先事業場の過半数労働組合、それが存在しない場合は過半数労働者の代表との事前協議を義務づけるとともに、各都道府県にある厚生労働省の労働局に届け出ることを派遣先に義務づけます。

 (3)派遣先に対して、派遣労働者の比率と受け入れ期間、さらには臨時的・一時的業務かどうかについて、各都道府県にある厚生労働省の労働局に届け出ることを義務づけ、公表するものとします。

と、労働者保護についてはまず真っ先に派遣先の常用労働者の利益を取り上げ、派遣労働者自身の雇用条件についても、

>4 派遣受け入れ期間の上限を1年とします

 労働者派遣を受け入れることができる期間の上限を一年とします。

と、派遣労働者自身にとっての利益に反する可能性のあるものを真っ先に持ってきて、

>5 派遣期間をこえた場合や違法行為があった場合、派遣先が直接雇用したものとみなします

 (1)以下の場合において、派遣先は、派遣労働者とのあいだで、当該派遣労働者が希望するときは、期間の定めのない雇用契約を締結したものとみなします。

  • (1)派遣先が一年をこえる期間継続して派遣労働者を受け入れた場合
  • (2)派遣先が事前面接や履歴書の閲覧などをおこない、労働者を特定した場合(採用行為に相当する)
  • (3)派遣先が系列子会社の派遣会社に常用労働者を移籍させ、そこから派遣労働者を受け入れた場合(系列派遣)
  • (4)派遣元が雇用する派遣労働者のうち、二分の一以上の者を同一の派遣先に派遣した場合(「もっぱら派遣」)

 (2)偽装請負や多重派遣、無許可・無届け派遣、社会・労働保険未加入派遣などの場合、派遣先は、派遣労働者に直接雇用を申し込まなければならないものとします。違法状態が一年をこえて継続している場合、(1)の規定を適用します。

と、ようやく派遣労働者自身の保護に関わるような事項についても、基本的には事業禁止や規制を中心に置き、それに反した場合の制裁という形で考えようとしていて、そもそも事業自体の禁止や規制を緩和するという方向(私はそういう方向に向かうべきだと思いますが)では意味の薄い措置ですし、なによりも派遣労働者にとって重要な通常の派遣状態における保護という視点はここまで来てもなかなか出てきません。

次の項目もなお

>6 紹介予定派遣を廃止します

 紹介予定派遣(派遣した労働者を派遣先に職業紹介できる制度。紹介予定派遣という名目をつければ、派遣法で禁止されている事前面接などの特定行為が可能になるので、脱法行為が横行する危険性のある制度)は、廃止します。

と、事業禁止症候群の延長で、事前面接がそもそも(労働者保護という本質論において)どこが悪いのかという基本に立ち返って考えた跡がまるで見受けられません。

ようやく7番目以降に来て、

>7 均等待遇を実現し、派遣労働者の権利をまもります

 (1)派遣労働者の賃金は、派遣先労働者の賃金水準を勘案しなければならないものとします。派遣先は、その賃金水準をあらかじめ派遣元に通知しなければならないものとします。

 (2)派遣先は、食堂や診療所などの施設の利用について、差別のない便宜の供与など必要な措置を講じなければならないものとします。

 (3)派遣元は、派遣労働者が有給休暇を取得することができるようにしなければならないものとします。

 (4)派遣先は、派遣労働者がセクシュアルハラスメントとパワーハラスメントなどを告発し、是正を求めたことを理由に不利益にとりあつかうことのないように、必要な措置を講じなければならないものとします。違反に対して、罰則を設けます。

 (5)派遣元・派遣先での組合活動を保障する措置を講じます。派遣先は、派遣労働者を組織する労働組合との団体交渉に応じなければならないものとします。

8 労働契約の中途解除を制限します

 (1)派遣労働者の責めに帰すべき理由以外の理由で労働者派遣契約が中途解除された場合、派遣元は、派遣労働者との労働契約を解除してはならないものとします。

 (2)派遣労働者の責めに帰すべき理由以外の理由で労働者派遣契約が中途解除され、派遣労働者を休業させる場合、派遣元は、派遣労働者に六割以上の賃金を支払わなければならないものとします。派遣先に責任があって労働者派遣契約が中途解除された場合、派遣元は、派遣労働者に十割の賃金を支払わなければならないものとします。

9 個人情報を保護します

 派遣元・派遣先が個人情報を他に漏らすことを禁止し、違反に対して罰則を設けます。

10 ピンはねを規制し、賃金を確保します

 マージン率(派遣料金から派遣労働者の賃金を差し引いた額)の上限を政令で定め、労働者の賃金を確保しなければならないものとし、違反に対して、罰則を設けます。派遣元は、派遣労働者に派遣料金を通知しなければならないものとします。

といった事項が出てきますが、特に8のところを見ると判るように、派遣先の責任で起こったことであっても派遣元に責任を負わせようという、現行法の歪んだ仕組みを、ますます増幅させるような制度設計になっており、つまり共産党は労働者派遣事業という事業自体が憎たらしくて潰したいだけなのか、と思わせるようなものとなっています。

社民党案はそれに比べると派遣労働者自身の保護にも目が向いていますが、やっぱり真っ先に

>1.派遣対象業務の見直し

登録型派遣を行うことができる業務を現行の第40条の2第1項第1号、第3号及び第4号の業務に相当する業務に限定すること。

が来ています。いやあ、共産党にも社民党にも是非伺いたいのは、派遣法制定当初から「ファイリング」という名目でやっていた実質的なOL型一般事務ってのは、どこが専門的業務なんでしょうか、ってことなんですが。政治的妥協の産物であるインチキな業務限定に今更こだわって何の意味があると思っているんですかねえ。

以下は、

>2.派遣労働者に対する賃金の支払に係る規制等

(1) 派遣元(偽装請負における請負事業主を含む。以下同じ。)は、その雇用する派遣労働者に対し、当該派遣労働者について算定した労働者派遣に関する料金の額に政令で定める割合を乗じて得た額以上の額の賃金を支払わなければならないものとすること。

(2) 派遣元は、派遣労働者に対し、(1)の労働者派遣に関する料金の額を通知しなければならないものとすること。

(3) 労働者派遣契約の当事者は、当該労働者派遣契約の締結に際し、厚生労働省令で定めるところにより、派遣先の事業所その他派遣就業の場所ごとに、派遣労働者が従事する業務ごとの労働者派遣に関する料金の額を定めなければならないものとすること。

(4) 賃金の額を定めるに当たっては、派遣元は、その雇用する派遣労働者について、その就業の実態、派遣先の労働者との均等・均衡等を考慮しなければならないものとすること。

(5) 労働者派遣の役務の提供を受けようとする者は、労働者派遣契約を締結するに当たり、あらかじめ、派遣元に対し、その事業所における賃金水準に関する事項を通知しなければならないものとすること。

>3.情報の公開

(1) 派遣元は、厚生労働省令で定めるところにより、毎年、労働者派遣事業を行う事業所ごとの当該事業に係る派遣労働者の数、労働者派遣の役務の提供を受けた者の数、労働者派遣に関する料金の額及び派遣労働者の賃金の額等を公開するものとすること。

(2) (1)の労働者派遣に関する料金の額及び派遣労働者の賃金の額は、1年間に就業した派遣労働者一人当たりの平均額として厚生労働省令で定めるところにより算定した額とすること。

こういうやり方(派遣料金の一定割合保障)がいいかどうかには議論があるでしょうが(私はかなり疑問ですが)、派遣料金と賃金の関係を透明にして派遣先労働者との均衡を図るという方向は妥当であろうと思います。

>4.派遣先及び派遣元の共同責任

(1) 派遣労働者に時間外労働又は休日労働を行わせるためには、派遣元の事業場に加え、派遣先の事業場においても、派遣労働者が従事する業務について36協定が締結されていなければならないものとすること(派遣先の事業場に係る36協定と派遣元の事業場に係る36協定の内容が異なる場合には、そのいずれにも抵触しない範囲内において時間外労働又は休日労働を行わせることができるものとすること。)。

(2) 派遣労働者が業務上負傷し、又は疾病にかかった場合において、派遣元がその負傷又は疾病に係る損害賠償の責任を負うときは、派遣先は、当該損害賠償に係る債務を連帯して保証したものとみなすものとすること。

(3) 派遣先は、派遣元の派遣労働者に対する未払賃金に係る債務を保証したものとみなすものとすること。

このあたりは派遣元責任にこだわる共産党案にはないものですが、もう少し踏み込んでもいいのではないかという気がします。

>5.派遣先による直接雇用みなし制度の創設

同一の派遣労働者について1年を超える期間継続して労働者派遣の役務の提供を受けた場合においては、派遣先と当該派遣労働者とは、当該派遣労働者が希望する場合に限り、厚生労働省令で定めるところにより、期間の定めのない労働契約を締結したものとみなすものとすること。

>6.労働者派遣の役務の提供を受ける期間

派遣先は、当該派遣先の事業所その他派遣就業の場所ごとの同一の業務(現行の第40条の2第1項各号に掲げる業務を除く。)について、派遣元から1年を超える期間継続して労働者派遣の役務の提供を受けてはならないものとすること。

これらについては、登録型派遣については一定の合理性があるとは思われますが、常用型派遣にまで強制するのは(現行法規制もそうですが)かえっておかしな結果をもたらすでしょう。常用型派遣とは、派遣元にパーマネント・メンバーシップがあるのですから、それを無理に断ち切ることは、かえって労働者保護に反する可能性が高いでしょう。

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暫定税率失効の雇用的帰結

読売から

http://job.yomiuri.co.jp/news/jo_ne_08041105.cfm

>道路特定財源の暫定税率の失効で、国の道路建設に伴う発掘調査の見通しが立たなくなったとして、高知県埋蔵文化財センター(南国市)が、いったん雇った発掘作業員21人を、労働基準法に基づく予告などをせずに解雇していたことがわかった。高知労働基準監督署は違法解雇とみて調査している。

 県教委などによると、発掘調査を予定していたのは、国直轄事業として道路特定財源を充てる高知南国道路など3路線の8か所。同センターが1日、発掘に携わる作業員21人に雇用を通知したが、直後に国土交通省土佐国道事務所から「暫定税率が失効し、道路事業が進められなくなった。発掘調査は見合わせたい」と連絡があり、2日付で全員を解雇した。

 労働基準法では、解雇の場合、30日前に予告するか、解雇予告手当の支払いが必要と定めている。また、天災など、やむを得ない理由で事業継続が不可能な場合は解雇予告が除外されるが、同センターは手続きをしていなかった。小笠原孝夫所長は「違法とは気づかなかった」としている。

暫定税率の失効が「天災事変その他やむを得ない事由」にあたるというのは難しいような。

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自由民主党中小企業労働者問題に関する提言

4月9日、自由民主党の自由民主党雇用・生活調査会中小企業労働者問題プロジェクトチームが、標記のような提言をまとめました。

http://www.jimin.jp/jimin/seisaku/2008/pdf/seisaku-005b.pdf

>近年、国際競争の激化や市場競争中心主義の考え方の進展の下、大企業は短期的な利潤追求を余儀なくされ、下請企業に対する優越的地位を濫用した買いたたき等により利潤の確保を図っていると指摘されている。その結果、下請として大企業を支える中小企業の付加価値は伸び悩み、賃金の引下げやパート・派遣の増加が進み、地域経済における消費の冷え込みが深刻化している。

既存の労働組合は、大企業労働者の賃上げには熱心であるが、大企業の利潤を中小企業に振り向け、下請労働者の賃金や雇用に配慮した成果配分を目指す意欲は希薄である。

今こそ、自由民主党が先頭に立って、大企業と中小企業、そして中小企業労使が助け合い、支え合う国民運動を巻き起こし、中小企業労働者に適正な配分が行われる社会づくりに向けた政策を主導し、大企業労働者と中小企業労働者の格差の拡大や固定化を食い止めなければならない。

中小企業労働者の味方は、野党でもなければ大企業の正社員組合でもなく、この自由民主党ですよ、と。

なかなか役人レベルでは思いつかないような大胆な提言が含まれています、例えば、

>3 労働基準監督機関からの通報制度の新設等

(1) 労働基準監督機関において、賃金不払事案や最低賃金法違反事案等の背景に、大企業の下請たたきが存在することを把握した場合下請企業の意向を踏まえ、かつ秘密保持に万全を期した上で公正取引委員会・経済産業省に取り次ぎないし通報し、下請法に基づく処理状況について、下請企業が特定されないよう配慮しつつ報告される仕組を新設すること。

具体的にどういう仕組みになるんでしょうか。

なお、「今後、納入者いじめといわれる問題や、製造業における重層的な下請構造をめぐる労働問題について議論を深めていく」ということなので、引き続き深い関心を持って見ていく必要がありますね。

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OECD対日経済審査報告書2008年版

OECDの対日審査報告書2008年版が公表されました。

http://www.oecd.org/document/17/0,3343,en_2649_201185_40353553_1_1_1_1,00.html

本体はこちら:

http://puck.sourceoecd.org/upload/1008041e.pdf

日本語の要約はこちら:

http://www.oecd.org/dataoecd/26/39/40377219.pdf

第6章が「Reforming the labour market to cope with increasing dualism and population ageing」(増大する二極化と人口高齢化に対処するための労働市場改革)です。まず、日本語要約でざっと見ると、

>製品市場の改革は労働市場の改革と並行して実施し、効率性と公平性を高めるべきである。日本では労働市場の二極化が急速に進んでおり、非正規労働者の割合は1994 年の20%から2007年には34%に上昇した。企業が臨時契約で働く非正規労働者の雇用を増やして柔軟な雇用システムを構築し、結果として非正規労働者の比率は上昇している。非正規労働者の賃金は相対的に低く、非正規労働者の3/4 を占めるパートタイム労働者の時間当たり賃金はフルタイム労働者のわずか40%にとどまっている。さらに、一部の社会保険制度からも除外されている。二極化の進展により、労働経験が短く、日本で重要な役割を果たしている企業内訓練が受けられないために能力を高める機会に恵まれない人々が若年層を中心に増えている。正規労働者と非正規労働者の賃金格差は生産性の差をはるかに上回っているため、公平性の面でも深刻な問題を提示している。両者の間に移動がなく、非正規労働者の大半が低賃金労働から抜け出せない状況がさらに問題を難しくしている。こうした労働市場の二極化を反転させるには、柔軟性の高い正規雇用、臨時雇用者に対する社会保険の適用拡大、研修プログラムの改善による非正規労働者の雇用可能性の改善など、包括的なアプローチが必要とされる。

>非正規労働者の2/3 以上を女性が占める現状を考えると、上述した労働市場の二極化傾向の反転は魅力的な雇用機会の提供と労働契約の柔軟性向上によって女性の労働参加を後押しする可能性がある。女性の労働参加率が上昇すれば、生産年齢人口の減少(2007 年からの10 年間で9%の減少が見込まれている)による影響を緩和できるだろう。副次的稼ぎ手の就労意欲を削ぐ税制・社会保障制度上の保護は早急に撤廃すべきである。また、民間部門が広く取り入れている配偶者手当、年功序列型賃金制度、採用時の年齢制限なども女性の労働参加を阻む障害とみられる。政府は、女性にフルタイムで働く意欲を失わせている税制や社会保障制度の項目を廃止するべきである。女性のパートタイム労働者の比率は41%と、OECD 諸国の中では最も高い部類である。女性の労働参加率と出生率の両方を高める意味で、保育施設の拡充は効果的であろう。最後に、労働基準法の厳正な適用など、仕事と家庭生活のバランスを向上させる努力も女性の労働参加率を押し上げるとみられる。

まあ、今まで耳にたこができるくらい繰り返されてきていることですね。

本体で興味深かったのは、この4月に施行されたばかりの改正パートタイム労働法についてかなり詳しく解説と論評がされていることです。

>Policies to cope with increased labour market dualism

>The 1993 Part-time Workers Law was revised in 2007 in an effort to improve the working conditions of part-time workers. The revisions, which were fully implemented in April 2008, are aimed at achieving balanced treatment of all part-time workers relative to regular workers. The key points of the revision include:

で、中身が箇条書きされて、以下論評

>The direct impact of the provisions against discriminatory treatment may not be so large, as they protect only around 4-5% of part-time workers. However, over time, the provisions against discrimination could have a larger impact to the extent that it encourages employers to change management practice and improve the treatment of parttime workers. In practice, international experience suggests that it is often difficult to determine how much of the wage gap between regular and part-time employees is explained by workers’ characteristics (education, experience, etc.) and how much is due to discrimination. Given these uncertainties, enforcing a prohibition on discrimination against part-time employees could subject firms to costly and time-consuming litigation that would discourage the employment of such workers. For example, if non-discrimination were interpreted as wage parity, the total wage bill could increase substantially. The end result could be a reduction in employment of part-time workers and in overall employment. In any event, the anti-discrimination provision will only cover a small fraction of part-time workers, as noted above. In addition, the introduction of subsidies for firms improving their employment practices for part-time workers raises concerns, as these subsidies often result in high deadweight costs.

いささか皮肉な口調で、パート法のお陰で企業はコストと時間がかかる訴訟に見舞われるので、そういう労働者を雇うのを控えるようになるだろう、非差別が同一賃金という風に理解されたら、トータル賃金コストが上がって、パート労働者や労働者全体の雇用が減少するだろう、と。まあ、だから差別禁止なんて莫迦なことをするな!と福井秀夫氏流に主張しているわけでもないのですけど。

>As for labour costs, while the government cannot narrow the difference in wages, it should decrease the overall gap in labour costs by increasing the coverage of non-regular workers by the social insurance system. In addition, it should reduce employment protection for regular workers to weaken the incentives to hire non-regular workers. Countries with strict protection for regular workers tend to have a higher incidence of temporary employment (Grubb et al., 2007). While the incentive could be reduced by raising the effective protection for non-regular workers, such an approach would risk reducing overall employment. Finally, the government needs to ensure adequate training for non-regular workers.

政府は賃金格差を縮小することはできないのだから、パート労働者に社会保険制度を適用し、正規労働者の雇用保護を緩和せよ、というのがOECDの処方箋というわけです。

もう一つのトピックは公共職業訓練の拡充です。

>Ensuring adequate vocational training in Japan

>Traditionally, job training in Japan has been a company responsibility, especially in large enterprises, in a context of long-term employment relations. In contrast, public training programmes were relatively limited compared to other OECD countries. For example, public expenditure on training programmes for the unemployed amounted to only 0.04% of GDP in FY 2005, well below the OECD average of 0.17%.

企業内訓練が中心だったため、日本の公的訓練費用はOECD平均より遥かに低い、と。ところが、

>However, the rising proportion of non-regular workers who benefit little from firmbased training creates a need for a larger government role in this area. The problem is concentrated among the so-called “freeters”.

で、再チャレンジ政策の紹介があって、

>The success of training in Japan will depend on the design of the programmes and the extent to which they provide qualifications and expertise that are attractive to firms. It is essential to closely monitor the outcomes of these training initiatives in order to ensure a positive outcome.

最後のところに、ボックス形式で結論がまとめられています。

>Box 6.1. Summary of recommendations to reform the labour market

Reverse the trend toward increasing labour market dualism

● Reduce employment protection for regular workers to reduce the incentive for hiring non-regular workers to enhance employment flexibility.

● Expand the coverage of non-regular workers by social insurance systems based in workplaces, in part by improving compliance, in order to reduce the cost advantages of non-regular workers.

● Increase training to enhance human capital and the employability of non-regular workers, thereby improving Japan’s growth potential.

Raise the labour force participation rate of women, while encouraging higher fertility

● Reverse the rising proportion of non-regular workers to provide more attractive employment opportunities to women.

● Reform aspects of the tax and social security system that reduce work incentives for secondary earners.

● Encourage greater use of performance assessment in pay and promotion decisions.

● Expand the availability of childcare, while avoiding generous child-related transfers that may weaken work incentives.

● Encourage better work-life balance, in part by better enforcing the Labour Standards Act.

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サービス業の生産性と密度の経済性

経済産業研究所の森川正之氏が、標記のようなディスカッションペーパーを著しています。「サービス業の生産性向上」が謳われながらも、一体それは何をどうすることなのか、実のところ誰にもよく判らない状況じゃないかと思われる今日この頃、これは、なるほどと思わせるものがありました。

http://www.rieti.go.jp/jp/publications/summary/08040005.html

http://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/08j008.pdf

>本稿は、サービス業における規模の経済性、範囲の経済性、密度の経済性といった基本的な観察事実を明らかにすることを目的として、サービス業の中でも「生産と消費の同時性」が顕著な対個人サービス業約十業種を対象に、生産関数の推計や生産性格差の要因分解を行ったものである。

分析結果によれば、(1)ほぼ全てのサービス業種において「事業所規模の経済性」、「企業規模の経済性」、「範囲の経済性」が存在する。(2)
全てのサービス業種で顕著な(需要)密度の経済性が観察され、市区町村の人口密度が2倍だと生産性は10%~ 20%高い。この係数は、販売先が地理的に制約されにくい製造業と比較してずっと大きく、サービス業の生産性に対する需要密度の重要性を示している。(3)付加価値額ではなく数量ベースのアウトプットを用いて推計しても以上の結果は追認される。(4)全国サービス事業所の生産性格差のうち、都道府県間格差で説明される部分はわずかだが、市区町村間格差の寄与は比較的大きい。

これらの結果は、事業所レベルでの集約化・大規模化、企業レベルでの多店舗展開やチェーン化が、対個人サービス業の生産性向上に寄与する可能性があることを示唆している。また、仮に人口稠密な地域を形成していくことができるならば、生産性に正の効果を持つことを示唆している。ただし、この点は生産性向上と他の社会的・経済的な政策目標との間での選択にも関わる。

要するに、田舎にパラパラ人がいたんじゃ密度の経済性が低いから、サービス業の生産性が上がらない、こいつらみんな都会に連れてきて、多角経営の大規模店舗でまとめて買わせるようにすれば、生産性が上がってハッピー、というロジックのようでありますな。

>全国あるいは都道府県内の全ての地域を均等に振興しようとすることは、集計レベルでの生産性を高めることとは矛盾する可能性がある。

物事の本質が見えてきた感じであります。

もちろん森川氏は、

>しかし、サービス産業の生産性をさらに高めようとするならば、地域の均衡ある発展、企業・事業所の存続といった他の社会的・経済的価値とのトレードオフを伴う可能性があることも認識する必要がある。

と、ちゃんと付け加えています。

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三種の神器を統べるもの

リクルートのワークス研究所から発行されている「Works」という雑誌がありますが(その昔の統合ソフトじゃありません)、その最新号(87号)が「三種の神器とは何だったのか」という特集をしておりまして、次のようなすごいラインナップです。

http://www.works-i.com/flow/works/contents87.html

特集 三種の神器とは何だったのか
はじめに 50年後の総括を
荻野進介(本誌)

第1章 鏡・曲玉・剣の本質と生成過程

終身雇用

日本は終身雇用の国ではない/野村正實氏(東北大学大学院経済学研究科教授)
諸説の交通整理/荻野進介(本誌)
終身雇用とは「組織との一体化」である/加護野忠男氏(神戸大学大学院経営学研究科教授)

年功序列

選抜の時期が遅いから年功に見える/小池和男氏(法政大学名誉教授)
諸説の交通整理/荻野進介(本誌)
実務家の眼(1) 日経連『能力主義管理』が目指したもの/山田雄一氏(明治大学名誉教授)
年功システムは敗戦とともに消滅した/楠田 丘氏(社会経済生産性本部 雇用システム研究センター所長)

企業別組合

GHQが企業別組合を促進した/竹前榮治氏(東京経済大学名誉教授)
実務家の眼(2) 企業別の強みを生かしつつ企業外へも目配りを/團野久茂氏(連合 副事務局長)
諸説の交通整理/荻野進介(本誌)
戦後の労働組合は企業内組織である/二村一夫氏(法政大学名誉教授)

第2章 雇用システムとしての三種の神器

三種の神器を統べるもの/濱口桂一郎氏(政策研究大学院大学教授)
雇用システムの日米独比較/宮本光晴氏(専修大学経済学部教授)
メンバーシップを基本に人事を考える/(本誌編集部)
日本企業 持続的成長の条件/川田弓子氏(リクルートマネジメントソリューションズ 組織行動研究所 主任研究員)
コラム 企業とは内部共同体かつ社会の公器である/野中郁次郎氏(一橋大学名誉教授)

まあ、私を除けば、いずれもこの世界の大御所級の方々ですね。上記リンク先でこれらは全部読めますので現時点ではまだリクルートのHPに載っていませんが、じきにそちらに載るでしょうから、偉い方々のお話はそちらで読んでいただくとして、ここでは私の喋ったものをアップしておきます。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/recruitworksjingi.html

これは、私がworks編集部の荻野進介さんに喋ったものを荻野さんがまとめたものですが、ほぼ過不足なく要約していただいています。

ここでさらりと流されていることについて詳しく知りたいとお考えの方がおられましたら、私のHPにアップしてある「日本の労務管理」という講義案をお読みください。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/hrm.html

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アルバイトは労働者に非ず

いうまでもなく、アルバイトというのはドイツ語のArbeitAlbeit(労働)に由来する言葉で、昔の学識ある学生さんたちが、自分たちの雑役的パートタイム就労をそういう風に気取って呼んでみたところから使われるようになったわけですが(ですから、日本以外では「パート」と区別された「アルバイト」などという概念は存在しません)、その「労働」という意味の言葉で呼ばれる人々を、労働者ではないと主張する会社があるようです。

もともとは、例の店長は管理監督者にあたるかという問題から派生したようなんですが、つまり時給制のアルバイトが店長として応援に駆り出されたのに管理職だからと残業代を払われなかったという、まあよくある話だったようなんですが、なぜかそこから白馬は馬に非ずよりももっとすごいアルバイトは労働者に非ずという議論が飛び出してきたようです。

http://www.asahi.com/national/update/0408/TKY200804080324.html

>告訴状などによると、3人は時給制のアルバイトとして雇われたが、残業代分の割増賃金などが支払われなかったという。さらに、女性の1人は、店長として他店の応援などを指示されたが、管理職であることを理由に、その分の賃金は支払われなかったという。これらは時間外賃金の支払いを定めている労働基準法に違反しているとしている。

 元店長の女性は05年春、本社が希望者を募って行う昇格試験に合格して、2万円の手当を毎月もらえる店長になった。アルバイトから契約社員になったが、時給950円での勤務だったという。

わたしは、管理監督者でなくてもそれなりの高給を得ているのであれば「残業代ゼロ」には一定の合理性があるとは思いますが、時給950円でエグゼンプトというのはなんぼなんでもひどいでしょう、月2万円ぽっちの手当では補えませんよ、というところですが、まあここまでは普通の議論。

ところが、

>同社は昨年11月、都労委に書面を提出。実質は個人を事業主として業務を委託する委託契約であり、割増賃金の支払い義務はないとした。

はあ?

業務委託契約を時給950円でやるわけ?

「時給」ってどういう意味?

で、

>同月、3人は仙台労働基準監督署に是正申告を行った。原告側によると、時間外賃金の支払いについて同署が2月、同社に対し是正勧告をしたが、同社は受け取りを拒否したという。

なるほど、そういういきさつがあって、

>牛丼チェーン「すき家」を展開するゼンショー(東京)が、残業代などを適切に支払わなかったとして、すき家仙台泉店(仙台市)のアルバイト3人が8日、同社を仙台労働基準監督署に刑事告訴した。

という次第になったわけですね。

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リバタリアンな団塊の世代

「代替案」というブログに、雨宮処凜さんの書かれた記事が引用されていて、たいへん興味深いものがありました。

http://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/3acf222a439537072916d8c0c85a3fe5

>さて、雨宮さんの記事は、京都の若者向け労働組合「ユニオンぼちぼち」のパネルディスカションの際に起こった「事件」を書いたものでした。パネルディスカッションは、反貧困そして生存のため、若者がどのように連帯していけばよいのか真剣に話し合うものだったそうです。その際、フロアーにいた団塊の世代の学生運動経験者らしいオジサンが、「甘えるな」「一人一人がしっかりしていない」「戦略意的に生きてこなかった結果」などと、すごいケンマクで「フリーター=自己責任論」をまくしたて、あげくの果てには会場にいた生活保護受給者に対し、「生活保護を受けられるだけでも有り難いと思え」などと暴言を吐いたというのです。

ブログ主の関さんは、これを赤木風の世代間対立として捉えて書かれているのですが、私には団塊の世代という一世代の特性がよく現れているのではないかと思われました。

以前からこのブログでも何回か書いていますが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_a90b.html(リベじゃないサヨクの戦後思想観)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_dbb1.html(日本における新自由主義改革への合意調達)

日本の戦後革新派知識人というのは、「日本はもっと市民社会にならなくちゃいけない、もっと個人の自由を」と、国家からの自由と市民的自立をもっぱら追い求め、自由主義の持つ野蛮な市場至上主義や非民主的性格に関心を向けず、福祉国家なんて大変いかがわしいものであるかのように見てきたんですね。

さらに、戦中戦後の日本型20世紀システムの中で確立した日本型雇用による企業内労働市場への労働者の包摂(それ自体は西欧型20世紀システムたる福祉国家の機能的等価物)を、前近代的な集団主義と個の未確立だと見なし、ひたすら非難してきました。

そういう価値観を全身に浴びて、60年代末の学生運動を戦ったのが団塊の世代であってみれば、彼らの価値基準がもっぱら個人と自由におかれるのは見やすい道理でしょう。「68年組」が社会連帯よりも個人の自由を追求した点では欧米と同じですし、それを70年代以降のネオリベラリズムが巧妙に掬い取ってきたのも共通ですが、それに対して「ふざけんじゃねえ、俺たちの生活をどうしてくれる」と一喝すべき左翼陣営が保守派よりも百万倍リベラル志向であってみれば、止めどがなかったのも宜なるかなでありましょう。

>私は、いわゆる「全共闘運動」というものに対して決定的に嫌悪感を抱いています。全共闘が掲げた「大学解体」「自己否定」などという全く訳の分らないスローガンには怒りを覚えます。運動の目的も何も分らない。甘ったれもいいところだ。そんならアンタたちがトットと大学を退学すればよいだけじゃないですか。何で勉強したい人々の邪魔しながら大学をバリケード封鎖などしなければならないのですか?
 連帯などはじめから求めていないから、各個人がバラバラに孤立していくしかなかったのです。彼らは破壊しか知らず、創ることなど何もできなかった。信州大学全共闘で破壊活動ばかりしていた猪瀬直樹が、小泉政権による日本破壊政策の片棒を担いだのは、象徴的なことだったと思います。

あえて弁護的にいえば、猪瀬直樹的心情にとっては、田舎の人々の「連帯」精神で、その生活を支えるために道路が造られるなんてこと自体が、そういう自由民主党的社会民主主義が許しがたいんでしょうねえ。

そういうウルトラリバタリアンな全共闘のなれの果てが社会民主党という名の政党に入ってきているというのも、またいかにも日本的ではありますが。

こういう凄まじいばかりの年季の入ったねじれ現象を見れば、昨今の「ねじれ」なんぞほとんどねじれの気配すらないというものです。

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日本経団連の新人事

御手洗会長の記者会見要旨に、「事務局の常務処理役員人事について」というのが載っています。

http://www.keidanren.or.jp/japanese/speech/kaiken/2008/0407.html

>5月28日(水)の定時総会に諮る事務局常務処理役員の人事を以下の通り内定した。

事務総長 中村 芳夫
専務理事田中 清
常務理事久保田 政一
常務理事椋田 哲史
常務理事濱 厚
常務理事讃井 暢子
常務理事川本 裕康

これを見ると、紀陸専務理事がお辞めになり、旧日経連からは常務理事として讃井さんと川本さんが就任するということのようですね。

財界として労働問題をどれだけ重視しているかという観点からすると、事務総長、専務理事いずれも旧経団連というのはどうなのかな、という気がしないでもありませんが、そういう人を出身で考える発想がいけないんでしたっけ。

まあ、それでいえば旧労働省も二代続けうわなにをするやめqあwせdrftgyふじこlp

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日本のオトナの嘘

医師に労働基準法はそぐわない、と言ってくれました久坂部羊氏、制限速度オーバーでねずみ取りに捕まって腹を立てた勢いで、日本の大人の嘘を片っ端から糾弾していきます。例によって産経のオラム「断」。

http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080406/acd0804060227001-n1.htm

>先日、制限速度14キロオーバーで、ねずみ取りに捕まった。在宅医療で患者宅へ向かう途中だったので、白衣姿で降りていくと、警官が困惑気味に「10キロオーバーまでなら、OKなんですが」と言った。それならはじめから制限速度を10キロ上にしておいてよ。

 しかし、日本ではこういう現実と法律(建前)のずれが多い。

 まずは売春。売春防止法があるのに、ソープランドなどの風俗店では、実質的な売春が行われている。わたしがかつて外務省の医務官として勤務したウィーンでは、売春は地区と時間を指定して、合法的に行われていた。その代わり、保健省は娼婦(しょうふ)を登録制にし、定期的な健康診断と、性病の検査を義務づけている。日本よりよほど健全な気がした。

 二番手は人工妊娠中絶。母体保護法(以前の優生保護法)で認められる場合以外の中絶は、非合法である。しかし、この法律は極端に幅広く“運用”され、現在、年間33万件以上の人工妊娠中絶が行われている。

 日本の“オトナの嘘”の最たるものは、何といっても自衛隊だろう。憲法第九条には、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と明記してある。戦車やイージス艦や戦闘機を配備していて、陸海空軍を保持しないってどうよ、と思わず若者言葉で突っ込みたくなる。

 戦争放棄は世界に誇れる条文なのに、こんな嘘がまかり通っていては、その信憑(しんぴょう)性も薄れる。惜しいことである。

いや、それよりもなによりも、夜通し救急医療でてんてこ舞いしているのに、労働基準法の監視断続的労働の規定に基づく宿日直と称してやらしていることほどすさまじい「現実と法律(建前)のずれ」も珍しいんじゃないんでしょうかね。

ようやく朝日新聞も問題の深刻さに気付いて、1面トップにこういうのを持ってきたようですが。

http://www.asahi.com/health/news/TKY200804060137.html

>過酷 救急医療 39時間勤務――ルポ にっぽん

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21世紀の労働法政策

『時の法令』誌には、昨年度1年間「そのみちのコラム」という短文を書かせていただきましたが、今年度からいささか分量を増やして、「21世紀の労働法政策」という通しタイトルで連載することとなりました。4月15日号ではその序論として「連載にあたって-近代日本の労働法政策を概観する」を書いております。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/21seiki01hajimeni.html

なお、この号は、教育改革関連3法の解説が載っています。

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後藤和智『「若者論」を疑え!』

51hj0ydfpvl_ss500_ 「ニートっていうな!」の、というより、ネット界では「新・後藤和智事務所」と「雑記帳」で有名な後藤和智氏(現在、東北大の工学系の博士課程)の新著です。わざわざお送りいただきありがとうございます。

巻頭に、本田由紀氏との対談が入り、章の間には佐口賢作氏(例の「派遣のリアル」のリアルなドキュメントを書かれた方)のドキュメントが挟まっていますが、後藤氏の単著といっていいでしょう。

http://www.amazon.co.jp/%E8%8B%A5%E8%80%85%E8%AB%96%E3%82%92%E7%96%91%E3%81%88-%E5%AE%9D%E5%B3%B6%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%BE%8C%E8%97%A4%E5%92%8C%E6%99%BA/dp/4796663533

>『ニートって言うな!』(光文社新書)の著者、後藤和智氏が一般に報道等がされている「若者論」に対しメスを入れる知的エンターテインメントです。フリーター・ニート社会悪論、キレる若者、携帯によるコミュニケーション不全化論、少年犯罪凶悪化論、オタクバッシング、他人を見下す若者論などに対し、「世間でもっともらしく語られている若者論には嘘がある!」をテーマに、詳細なデータと若者へのルポを交えて分析した1冊です。

対談では、本田氏が冒頭「今日は、私は後藤さんのお考えを引き出すような、聞き手の役割」といいながら、半ば以降は「Nobody is perfect!」と、本田節全開ですが・・・。

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管理監督者の範囲の適正化について

4月1日付で、労働基準局監督課長名で標記の通達が出されました。

http://www.jil.go.jp/kokunai/mm/siryo/pdf/20080404.pdf

「管理職」と「管理監督者」をまったくごっちゃにして何の反省もないNHK始めとするすべてのマスコミの皆さんは、この通達をよく読むこと。

>しかしながら、近年、以上のような点を十分理解しないまま、企業内におけるいわゆる「管理職」について、十分な権限、相応の待遇等を与えていないにもかかわらず、労働基準法上の管理監督者として取り扱っている例も見られ・・・

>このため、労働基準監督機関としては、・・・企業内におけるいわゆる「管理職」が直ちに労働基準法上の管理監督者に該当する者ではないことを明らかにした上で、・・・

ちなみに、3月27日に連合が行った厚生労働省に対する要請では、

http://www.jtuc-rengo.or.jp/news/rengonews/data/20080327.pdf

>このような事例が多発している背景には、労働基準法上の管理監督者とはどのような者であるのかについて正しく理解されておらず、「管理職=管理監督者」であるとの誤解が広がっていることがあると認識しております。

と、的確に言葉を用いています。

先日のNHKの「名ばかり管理職」でも、遂に一度たりとも「管理監督者」という正確な表現はされなかったですね。こうして、マクドナルドの頑固な社長は、「店長は現に管理職じゃないか!」と、ますます自分の正当性を強く信じることと相成るわけであります。マスコミの責任恐るべし。

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的外れだなあ 改革後退批判 by 町村官房長官

産経より、町村官房長官の会見録

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080404/plc0804041234009-n5.htm

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080404/plc0804041234009-n6.htm

>--福田内閣が発足して以降、公務員制度だけではなくて空港の外資規制や道路特定財源など、いわゆる改革の議論が行われているが、外国からはJapanとpainをあわせて「JAPAiN」といった表現を用いて、福田内閣では小泉内閣、安倍内閣で続いてきた改革の基調が後退したのではないかという批判もある。こうした批判がどういう理由で出てくると思うか。また、こうした批判に対する反論は

>「あのー、そもそも福田総理が選ばれた理由。それは当然。改革を進めるという一面と、改革に伴って生じた影の部分に対する配慮が足りないのではないかと。そこにも目配りをしていきましょうという主張をして福田総理が、総理総裁が選ばれたという経緯があります。従いまして、福田内閣はその当初の選ばれた理由、立候補した理由に基づいてしっかりとした政策を進めている。やるべき改革はしっかり進めておりますし。しかし、同時に、たとえば、雇用関連のたとえば規制緩和。これはよかったと思うんですが、それに伴って非正規雇用が非常に増えてしまったこと。これについてはやはり、正当な配慮をしていかなければならない。できるだけ非正規雇用から正規雇用に転換をしてもらいたい等々、そのための必要な政策も打っているということでありまして、それをもって改革の後退という批判は、私はあたらないと、このように思っております。今回の国家公務員にしろ、あるいは外資規制にしろ、別に何らこれ、改革の後退という的外れな批判があるんだなと私はしばしば思っておりますが、要はいい結果を出していくことだろうと、このように考えております」

いやもちろん、小泉内閣の改革路線が100%正しく、いささかの修正も許されないと考える竹中前総務相みたいな人にとっては、まさに「改革後退」なのでしょうし、その意味では「的外れ」という言い方は的確ではないわけです。

そうではなく、小泉改革路線には軌道修正すべき問題点があったと考える人にとっては、それは「改悪修正」なのでしょうし、それを「正しいあるべき改革からの後退」と見なす考え方自体が(方向性の認識ではなく、その価値判断が)間違っていると言うべきなので、やはり「的外れ」という表現はいささか的外れの感があります。

まあ、とはいえ、同じ派閥の先輩総理の悪口を言うわけにもいきませんしねえ。「的外れ」という表現が穏当な所以でしょうが。

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ゲイのカップルにも遺族年金を支給すべし!

昨年9月のエントリーで、法務官意見を素材に紹介した事案について、去る4月1日に欧州司法裁判所が判決を下しました。4月1日といってもフールじゃありませんよ。正真正銘の、職域年金における遺族年金について、性的志向に基づく賃金差別として認めた初めての判決です。

http://curia.europa.eu/jurisp/cgi-bin/form.pl?lang=en&newform=newform&Submit=Submit&alljur=alljur&jurcdj=jurcdj&jurtpi=jurtpi&jurtfp=jurtfp&alldocrec=alldocrec&docj=docj&docor=docor&docop=docop&docav=docav&docsom=docsom&docinf=docinf&alldocnorec=alldocnorec&docnoj=docnoj&docnoor=docnoor&typeord=ALLTYP&allcommjo=allcommjo&affint=affint&affclose=affclose&numaff=&ddatefs=&mdatefs=&ydatefs=&ddatefe=&mdatefe=&ydatefe=&nomusuel=&domaine=PSOC&mots=&resmax=100

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_b643.html(ゲイのカップルに遺族年金を支給すべきか)

判旨の重要部分は以下の通り。

>1.A survivor’s benefit granted under an occupational pension scheme such as that managed by the Versorgungsanstalt der deutschen Bühnen falls within the scope of Council Directive 2000/78/EC of 27 November 2000 establishing a general framework for equal treatment in employment and occupation.

2.The combined provisions of Articles 1 and 2 of Directive 2000/78 preclude legislation such as that at issue in the main proceedings under which, after the death of his life partner, the surviving partner does not receive a survivor’s benefit equivalent to that granted to a surviving spouse, even though, under national law, life partnership places persons of the same sex in a situation comparable to that of spouses so far as concerns that survivor’s benefit. It is for the referring court to determine whether a surviving life partner is in a situation comparable to that of a spouse who is entitled to the survivor’s benefit provided for under the occupational pension scheme managed by the Versorgungsanstalt der deutschen Bühnen.

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NHK視点・論点のスクリプト

一昨日のNHK視点・論点で喋った「労働者派遣システム再考」のスクリプトが、NHKの解説委員室ブログにアップされていますので、リンクしておきます。

http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/7872.html#more

要するに、結論は最後のところで言っているように、

>労働者派遣システムの問題解決の方向は、事業規制の強化ではなく、派遣先責任による派遣労働者の保護の強化にこそあるのではないでしょうか。

ということになるわけなんですが。

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松井彰彦氏の「経済論壇から」について

去る日曜日の日経読書欄に松井彰彦氏による「経済論壇から」が掲載され、その中で私と福井秀夫氏の、例の「東洋経済」誌での”間接キッス”コラムが取り上げられています。取り上げられるのは有り難いのですが、いささか見当外れの取り上げられ方をしていて、正直、をいをい、という感じです。

>こうした実情を踏まえ、日本では雇用保護法制上の格差をなくすことが喫緊の課題になっている。しかし、そのために正社員の解雇要件を軽減すべきなのか(解雇しやすくすべきなのか)、それとも非正社員の解雇要件を厳しくすべきなのか(解雇しにくくすべきなのか)という点では、関係者の意見が大きく分かれている。

と、状況説明をした上で、

>政策研究大学院大学教授の福井秀夫氏(・・・)は、「・・・」と指摘、正社員の解雇をしやすくすることで対応すべきだと主張している。

>それに対し、同じ政策研究大学院大学教授の濱口桂一郎氏(・・・)は、「・・・」として、非正社員を解雇しにくくする(正社員に近づける)ことで対応した方が望ましいと訴えている。

と述べています。

東洋経済2月16日号を読まれた方は、この要約が的外れであることがすぐお判りになると思います。福井秀夫氏は、「解雇をしやすくする」などという生ぬるいことではなく、およそ労働者の保護はことごとく廃絶せよと主張しているのですし、わたくしはそもそもこのインタビューの最初のパラグラフで語っているように、「正社員の解雇規制を緩和し、非正規との調和を図っていくことは必要だろう」と言っているのです。それにしても、正規であれ、非正規であれ、労使の力関係が不均衡である以上、ボイスの機能を果たすためにも一定の解雇規制が必要だと述べているのであって、松井氏による要約はそれがまったく無視されてしまっています。

もちろん、世の中には正規の解雇規制はまったくそのままで維持し、非正規をそこまで引き上げるべし、と主張される方もおられますし、労働法学者には結構多いことは確かですが、私はそういうことを述べてはいませんし、そのような誤解をされる理由は(このコラムを一読しただけでも)ないはずです。

松井氏が意識的にそういう誤読をしたふりをしてこういう図式に当てはめたのか、私の喋った言葉を読み落としただけなのかは、これだけではよく判りませんが、少なくとも、自分の考え方とは違う意見の持ち主として分類されてしまうのは、あまり愉快なことではありませんね。

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再就職斡旋はしろというのかするなというのか

いうまでもなく、常識のある人であれば誰でも判っているはずのことではありますが、非公務員型独立行政法人の職員の労働法適用関係は、まったく民間の労働者です。労働組合法も労働基準法も、男女均等法も育児休業法もパート労働法も、とにかく民間労働者であって公務員扱いではありません。え?そんな分かり切ったことを何を今更書くのか、って?

どうも政府部内には必ずしもこの常識を弁えていらっしゃらない方もいるような気がするものですから。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20080325-OYT1T00803.htm

>政府は25日、独立行政法人による職員の関連企業への再就職あっせんを全面禁止することなどを定めた独立行政法人通則法改正案の概要をまとめた。

Click here to find out more!

 国家公務員が独法に再就職し、さらに関係企業に移る流れを断ち切ることで、不透明な天下りを封じる狙いがある。政府は4月中旬にも閣議決定し、今国会に提出する考えだ。

 改正案では、国家公務員に義務付けられた再就職規制に準じ、〈1〉独法から関連企業への再就職あっせん〈2〉独法職員から関連企業に対する違法な求職活動〈3〉関連企業に再就職した独法職員から独法への違法な働きかけ――の3点を禁止する。

 2005年度(一部は06年度を含む)の集計によると、101の独法が出資する関連企業は236社あり、こうした企業に役員として再就職した独法職員は230人に上る。独法と関連企業との契約の約9割は随意契約で、「再就職の見返りに契約を結んでいる」という批判もあるため、規制することにした。

 改正案にはこのほか、理事長職と監事職への公募制導入を盛り込んだ。また、独法の業務の評価体制について、各府省に置いている評価委員会を廃止し、首相が任命する新たな評価委員会に一元化することにした。監視機能を強化するのが目的で、評価委には、独法の理事長や監事の解任を所管する閣僚に勧告する権限を与える方針だ。

 政府は昨年12月に独立行政法人整理合理化計画を閣議決定し、独法を16削減して85法人とすることや独法と関連企業との関係を見直すことなどを決めている。

国家権力を背景にした公務員の再就職斡旋については、そもそもその地位の独自性からして特別の取扱いが論じられるのはおかしなことではありません。しかし、非公務員型独立行政法人とは、そういう直接国民の権利義務を左右するような権力行使に携わる機関ではないはずでしょう。だから、労働法適用上、完全な民間労働者として扱っているのでしょう。

彼らには労働法制の一つとして、高年齢者雇用安定法も適用されます。公務員ではないのですから当然ですね。ですから、各独立行政法人には65歳までの継続雇用義務が課せられています。公務員のように60歳を超えたら再任用するかしないかは当局次第というわけにはいきません。

そして、同法第4条第1項には、

>(事業主の責務)

第四条  事業主は、その雇用する高年齢者について職業能力の開発及び向上並びに作業施設の改善その他の諸条件の整備を行い、並びにその雇用する高年齢者等について再就職の援助等を行うことにより、その意欲及び能力に応じてその者のための雇用の機会の確保等が図られるよう努めるものとする。 

第15条第1項には、

>(再就職援助措置)

第十五条  事業主は、その雇用する高年齢者等(厚生労働省令で定める者に限る。以下この節において同じ。)が解雇(自己の責めに帰すべき理由によるものを除く。)その他これに類するものとして厚生労働省令で定める理由(以下「解雇等」という。)により離職する場合において、当該高年齢者等が再就職を希望するときは、求人の開拓その他当該高年齢者等の再就職の援助に関し必要な措置(以下「再就職援助措置」という。)を講ずるように努めなければならない。

ちなみに、高年齢者等職業安定対策基本方針には、この再就職援助措置の内容について「関連企業等への再就職のあっせん」を明記しています。トヨタの労働者が退職する際にはどこか子会社に斡旋しろよ、と。そのことの当否はいろいろ議論があるかも知れません。民間企業でも取引先との間で「再就職の見返りに契約を結んでいる」というような実態が見られるのかも知れません。しかし、日本国政府は(非公務員型独立行政法人を含む)民間企業に対して、関連企業に再就職の斡旋をしろと言っているわけです。

ところが、一方でそれは禁止するというわけです。この間の調整をどのようにされるおつもりなのか、まさかそんな下らん法律のことなんか気がついていなかった、とは言わないでしょうね。私が2回も改正に関わった法律なんですぜ。

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留保利益の横取りを許すな

産経の正論欄に、まともな正論が載っています。筆者は加護野忠男氏

http://sankei.jp.msn.com/economy/business/080402/biz0804020327000-n1.htm

>≪絶対的でない株主権≫

 英国の投資ファンドが日本のJパワー(電源開発)の株式を購入し、経営の改善と役員の派遣を要求し、それが認められないとなると、外為法に抵触する比率まで持ち株の買い増しをすると宣言した。現在は経済産業省がその適否を審査中である。このような海外投資家の要求にいかに対応すべきかについて議論が分かれている。

 公益事業であるから外国人株主の株主権の制限は妥当だという見方と、株主権の制限は外国人投資家の日本からの離反を招くから避けるべきだという見方との対立だ。

 私は株主権を絶対視するのは間違いであると考えている。本来、株主権は絶対的なものではない。法的にもさまざまな制限が課せられている。株主に与えられた特権に対応した制限があるのは当然である。その制限は国によって微妙に違う。

 それ以外に法律として明文化されていない制限もある。利害関係者が守るべき不文律として慣習法化しているものもある。

 今回のような攻撃的株主の狙いは、日本企業が営々とため込んだ内部留保資金を奪い取ることである。彼らは自己資本利益率に注目する。留保資金を株主に配分すれば自己資本利益率を高めることができると考える。

 そのためには次のような論理が使われることがある。利益はすべての利害関係集団への支払い義務を果たした後に残るものであり、株主のものである。留保利益も例外ではない。

 ≪年度で完結しない取引≫

 この留保利益を企業の将来の利益を伴う成長のために使うのであれば、株主の利益になるが、現金として置いておくのであれば、その利回りはきわめて低い。そのようなお金は株主に配分すべきだという理屈である。

 多様な利害関係集団との取引が、毎年その年度内に完結するのであればこの論理は正しい。しかし、日本の企業は多くの利害関係集団と長期的取引をしている。長期的取引にはその年度中で完結しない貸し借りがある。それは明確な契約として行われるのではなく、不文律に従って行われている。従業員との間には終身雇用の不文律がある。

 このような慣行があるから、会社側は従業員の能力開発に投資できるし、従業員もそのための研鑽(けんさん)を積むことができる。サプライヤーとは長期継続取引の慣行がある。

 顧客企業に長期的な安定性があるからサプライヤーは技術や設備に安心して投資ができる。このようにつくられた取引ネットワークが日本の産業システム全体の高品質を支えている。

 攻撃的投資家はこのルールを変えることによって自らの利益をはかろうとする。

 自己資本を株主に配分するというやり方は、企業の安定性を低め、債権者などの他の利害関係者に迷惑をかけるリスクを高める。有限責任の株主はそれでよいかもしれないが、従業員や取引先には取り返しのつかない損害を与えてしまう。

 ≪投資利益の源泉は実業≫

 それだけではない。一部株主の要求は日本の産業全体の競争力をも奪ってしまう。英国は企業統治がうまく行われている国だというが、そこでは製造業のよい企業は育たない。製造業は付加価値が低いから、金融業に産業構造をシフトさせたのだという説明がおこなわれることがあるが、投資利益の源泉は製造業などの実業であるということを忘れてはならない。

 現在までのところ、このような攻撃的株主の利己的な要求に迎合する株主は日本ではまだ少ない。留保利益を株主に分配せよという要求は、株主総会で否決されることが多かった。しかし、他の株主の辛抱がきかなくなる危険はある。また、攻撃的株主が経営妨害を行う危険は常に存在している。経営妨害をすることによって、自分たちの要求を無理やり押し付けやすくなるからである。

 このような株主の跋扈(ばっこ)を防ぐためには、留保利益の分配を要求した株主は長期保有を義務付けるという法的制限を加えるべきである。攻撃的株主は自らを正当化するために自分たちは長期的投資家であるということが多い。だとすれば、長期保有を義務付けられても痛くもかゆくもないだろう。

 残念なことに規制当局は、投資家保護を標榜(ひょうぼう)しており、投資家の権利に制限を加えることに消極的である。しかし、投資家保護の大前提は、健全な経営を行う強靱(きょうじん)な企業をつくることであるということを思いだしてほしい。

 投資家保護という名目をもとに企業経営の健全性を低下させるのは本末転倒である。(かごの ただお)

どこぞの得体の知れない奇矯なリバタリアンと違い、堂々たる正論と申せましょう。

問題は海外投資家だからどうとかいうことではなく、企業の利益をすべて吸い尽くしてしまおうとする搾取的投資家に「どうぞどうぞ、お好きなように」というのかどうかということなのですから。

北畑次官は、自らの信念に基づいて、堂々とこの問題に対処すべきでしょう。

ちなみに、前にこのブログで叩いた元厚生省年金局長ドノは、そのもっとも責任を痛感すべき公的年金についてはどこへやら、ひたすら株主主権をぶち挙げる一方のようです。何が「平成の攘夷論」ですかね。誰か鈴をつける奴はいないのかねえ。

http://markets.nikkei.co.jp/column/rashin/article.aspx?site=MARKET&genre=q7&id=MMMAq7000024032008

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_bfee.html(企業年金は「モノ言う株主」でいいのか)

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雇用対策法改正と年齢差別禁止

『地方公務員月報』2008年3月号に掲載した「雇用対策法改正と年齢差別禁止」をアップしました。雇用対策法の年齢関係の改正の経緯と、それが公務員に及ぼす影響についてやや詳しく解説しています。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/chikounennrei.html

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医師に労基法はそぐわない だそうで

産経のコラム「断」、これは実に以て典型的な「センセイ商売は労働者に非ず」思考を露わに示しているので、全文引用の値打ちがあります。

http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080327/acd0803270325001-n1.htm

>先日、ある新聞の1面に「救命医宿直7割『違法』」という記事が出た。救命救急センターの当直が労基法に違反しているとの内容である。医師の激務の実態を報じるのはいいが、そこに労基法など持ち出しては百害あって一利なしだ。

 記事には、労基法上、残業などの時間外労働は原則、月45時間までとか、労基法に違反すると、労働基準監督署が改善指導し、従わない場合は書類送検することも、などとある。医療にそんな建前が通用するわけがないではないか。それとも、治療を求める患者を前に、医師が労基法をたてにして、病院に権利主張ができるとでもいうのか。

 医師に労基法を適用して、臨床研修制度が大きな矛盾を抱えたことは記憶に新しい。研修医に30万円程度の給料を保障したため、指導医のほうが安月給になったり、週末や当直明けを休みにしたため、研修医の一部が、医師のありようを学ぶ前に、休暇の権利を覚えたりするようになった。

 医師の勤務が労基法に違反している云々(うんぬん)などは、現場の医師にとっては寝言に等しい。医師の激務や待遇の改善は必要だが、今さら労基法を当てにする者など、まずいないだろう。万一、医師が労基法の適用を求めだしたら、現場はたいへんな混乱になる。

 患者の治療よりも、労基法の遵守を優先すべきだとまで主張するならいいが、そうでなければ、表面的に「違法」をあげつらうのは、単なる絵空事にすぎない。(医師・作家)

絵空事だの寝言だのと非難していれば、どんなに睡眠不足の医師でも患者を前にすれば100%完璧な治療ができるというのなら結構ですがね。

この方もお医者さんのようですが、救急病院で昼間勤務に続いて夜間当直で休む暇なく診療に当たり、引き続き翌日昼間勤務を繰り返しておられるんでしょうねえ。それでよく「作家」業もつとまるものです。おそらく超人なのでせう。まさか暇な開業医とかいわないでせうね。

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コンメンタール パートタイム労働法

51utymb2nl_ss500_ 法改正後に出される役人の名著というには、あまりにも熱っぽい一冊。

そもそも、最近では役人が名著を出すことも少なくなっていますが、これは本日施行された改正パートタイム労働法の改正作業を担当した高崎真一氏(短時間・在宅労働課長)が自ら書き下ろしたもので、役人本とは思えない熱っぽい記述が見られます。

http://www.chosakai.co.jp/purchase/books/syousai/1001.html

どれくらい「熱っぽい」かというと、オビに曰く「改正パートタイム労働法の施行を契機に「同一労働同一賃金の原則」が実際に労働の現場で適用される時代に!」。

なぜそこまでいうかというと、巻頭言(「敢闘言」というべきか)に曰く、

>「同一労働同一賃金の原則」というものがあります。・・・

一見当たり前のことをいっているようで、現に、経営側もある意味では同意しています。・・・

ところが、問題はそれほど簡単ではありません。どのようにして「同一価値労働」かを判定するかが具体的に決められていなかったからです。その結果、お互い「抽象的」に、労働者は「同じ仕事をしているのだから、同じ賃金が支払われるべきだ」と主張するのに対して、経営者は「同じ仕事に見えても将来にわたる期待が違うので、同一価値労働ではない」と反論するわけです。このような議論が繰り返されてきました。

今回、改正パート労働法は、「同じ職務(業務+責任)、同じ人材活用の仕組み・運用、実質的契約形態が同じ」=「同一(価値)労働」であり、その場合は、すべての待遇について差別してはならない(当然同一賃金)ことを法定しました。いわば現時点における日本版「同一労働同一賃金の原則」を、我が国の法制上は初めて「具体的」に実定化したものです。この規定そのものは正社員とパート労働者間のルールですが、男性正社員と女性パート労働者にさえ適用されるルールが、例えば男女の正社員間に準用されないわけはなく、一般法理としての意味も併せ持つと考えます。

ううむ、そこまで言えますか、という感じですが、高崎氏がこの法律にかけた情熱の強さは十分伝わってきます。

課長名著といえば、終戦直後には結構多かったんですね。復刻された寺本広作『労働基準法解説』を始め、労政関係では松崎芳伸氏の軽妙な名著が有名です。

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規制改革会議の方は残念ながら来ていただけませんでしたが

3月25日に、参議院予算委員会で公聴会が開かれ、八代尚宏氏も公述人として出席しています。

http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kaigirok/daily/select0115/main.html

本当は、もっと引っ張り出したい人がいたようなんですが、

>○櫻井充君 ・・・今ずっとお話をお伺いしながら、やっぱりこういう議論を国会で本当はできれば僕はもっといいんじゃないのかなと正直思いました。つまり、私は今まで規制改革会議であるとか経済財政諮問会議であるとか、そういう方々に是非国会に来ていただいて自由に発言していただきたいと。そして、それを我々がどう受け止めるのかということが問題なのであって、そこを今日、本当に僕は八代公述人には物すごく感謝申し上げているんですが、今日来ていただいて良かったなと、本当にそう思います。
 ですから、
規制改革会議の方は残念ながら来ていただけませんでしたが、これからやっぱりこういう機会が僕はもっともっとあっていいんじゃないのかなと、そういうふうに思っています。

ほほお、あの方は、ご自分が居丈高に反論できない立場の役人をいじめ抜くのは大好きですが、居丈高な国会議員にいじめ抜かれるのは嫌で堪らないようですね。

>行政庁、労働法・労働経済研究者などには、このような意味でのごく初歩の公共政策に関する原理すら理解しない議論を開陳する向きも多い

とまで仰っている以上、正々堂々と国会議員を論破されてはいかがだったのでしょうか。

そういう意味では、この公聴会における八代氏の答弁はしっかりしたもので、特にこの派遣法をめぐるやり取りは、低姿勢で答えながらきちんというべきことはいうという役人の鑑のようなものです。

>○小林正夫君 ・・・八代公述人に労働関係を中心に少し質問をさせていただきたい、このように思います。
 まず、日雇派遣から抜け出す策は何なのかと、こういう質問をしたいと思います。
 公述人におかれましては、規制改革会議の前身である規制改革・民間開放推進会議において委員を務められました。労働者派遣法の見直しについて度々発言もされておりまして、事前面接の解禁、あるいは派遣禁止業務の解禁、雇用契約申込義務の見直しを行うべき、こういう趣旨の発言が多く見られると私は感じております。さらに、次のような発言もございました。日本的労働慣行である正社員の働き方を守るために派遣労働の働き方を制限しなければならないという考え方はおかしく、そのために様々な規制がなされているものであり、こうした考えを改めるべきである、こういう旨の発言もされていると記憶しております。私は、昨今のこの非正規雇用者がこれだけ増えて不安定な社会を生み出してしまっている、こういう社会を見るときに、八代公述人のこうした考え方はどうしても理解できない、こういう立場に私はおります。
 ・・・ そこでお伺いしたいんですが、この日雇派遣、あるいは日雇という働き方を望んでいる方も確かにいらっしゃると思いますけれども、そこから抜け出したいと、まあこういうふうに思っている方も私は数多く、どちらかというとその人の方が多いと、このように思っておりますけれども、この人たちが常用雇用から遠ざかっている理由は何なのか、どうしたらこういう状態から抜け出せるのか、このことについて御所見をお伺いいたします。

○公述人(八代尚宏君) ありがとうございました。
 今様々な御質問をいただきましたが、少しちょっと整理してからお答えしたいと思います。
 まず、二重派遣を始めとする違法行為が許されないのはこれはもう当然のことであって、これはもう厳しく処罰していただかなければいけないかと思います。規制緩和は決して違法を奨励するためのものではないわけで、きちんとしたルールで合法的な仕事をするということが当然のことでありますので、まず違法の問題は違法の問題としてちゃんと解決していただきたいというのが第一点であります。
 それから、派遣の問題と日雇派遣の問題はまたちょっと違うわけでして、まず日雇派遣の方の問題からいきますと、こういう新しいタイプの派遣というのは、ある意味で当初は必ずしも想定されていなかった面があるんじゃないかと。今議員の御質問のように、携帯電話の普及ということがあって、言わば電話一本でハローワークに行かなくても仕事が見付かるというような形で、利用者の方もある意味では非常にそれを、便利さというのを活用していた面があると。しかし、別の面からいいますと、何といっても一日単位で仕事が区切られていますと、当然ながら毎日違う仕事をする場合もあるわけで、熟練形成というものもままならないわけで、やはり長い間働いていても質が向上しない、したがってなかなか正社員の道に行くことが困難であるという問題があります。ですから、これは少しでも長く、一日よりは一か月、一か月よりは三か月、三か月よりは半年という形で、働く期間を延ばしていくというためにはどうしたらいいのかということが大きなポイントではないかと思われます。
 今、厚生労働省の方では、専門家の方が集まってこの日雇派遣の問題を議論されているというふうに聞いております。ただ、そこでやはり議論されるポイントといいますのは、この日雇派遣を禁止したらその人たちはじゃどうなるのだろうかというポイントで、例えばその人たちがすぐに正社員になれるのかというとそれはかなり難しいわけでありまして、例えば派遣ではない直用という形の日雇の方に移るということになった場合、それはそれとしてどういう意味を持つのだろうかというような問題もあるわけで、いろんな形から多面的にこの問題を厚生労働省の方の研究会で議論していただく必要があるんじゃないかと思われます。
 それから、こういう日雇ではない派遣の問題、これは委員御承知のように言わば派遣元の会社の正社員である常用雇用型の派遣と登録型の派遣に分かれるわけでありまして、この正社員である派遣社員については本来問題はないはずなわけですね。つまり、きちっとした雇用が保障されていて、ただ働き場所がそれぞれ違うということにすぎないわけであって、正社員でも、コンサル会社なんかはあちこちクライアントの下で行って働くということは一般に行われているわけです。問題はこの登録型の派遣であるということであります。
 今の派遣法というのは、ある意味でこの登録型の派遣の人をどう考えるかというときに、どちらかといえばこれは望ましくない働き方であるという形で、対象業務であるとかあるいは働く期間というものを規制するという考え方になっているんではないかと思われます。その派遣期間が延びたときにも、雇用の申込義務という形で、派遣先の方から正社員としての、その派遣社員がやっていた仕事を正社員がやる場合にはその人に雇用の申込義務を、しなければいけないというような規制が掛かっているわけでございます。
 これが本当にこの派遣社員のためになっているかどうかというのが実は大きなポイントでございます。つまり、雇用の申込義務があれば、その方が正社員になりやすいという考え方は当然あるわけでございます。ただ、企業の方がもしこの人を正社員として雇いたいと思っていれば、それは別に規制がなくたって勝手にやるわけであります。むしろ、よその会社に優れた派遣社員を取られないうちにもうさっさと正社員にしてしまうということは当然考えられるわけで、もし逆にこの企業がこの人を派遣社員としてでは喜んで雇うけれども正社員にしたくないというふうに考えていたとすれば、三年の雇用契約があったときに、三年後には雇用の申込義務が必要だとすれば、ある意味で二年半で雇用契約を解消してしまうということが当然行うわけでありまして、そうなった場合には、これは別に違法でも何でもないわけでありますが、そうなった場合には、この派遣社員の人から見れば、そういう規制がなければもっと長くこの会社で働けたかもしれないのにやむを得ず会社を変わらなければいけないということになってしまうのじゃないか、そういうふうに考えられても仕方がないんじゃないか。
 ですから、委員もおっしゃるように、私は、派遣法というのは、派遣事業者を規制する法律というより、派遣労働者を保護する法律でなければいけないと思います。それは、あくまでも派遣社員の利益のために何が必要かということを考えて、派遣社員と正社員とのできる限り均衡待遇の強化、こういうことをどんどん厳しくするのはいいと思うんですが、就業期間を制限するという形で規制するということが本当に派遣社員のためになっているかどうかということをやっぱり考えなければいけないんじゃないか、そういう趣旨で先ほど委員が御指摘になったような発言をしたわけであります。

○小林正夫君 派遣という働き方はある、このように私も認識をしております。ただ、日雇派遣、先ほど公述人おっしゃったように、携帯電話一本でどこに行かされるか分からないと、こういう働き方をせざるを得ない人が相当増えてしまった、このように思います。私は、やっぱり雇用の大原則は期間の定めのない雇用であり、直接雇用、これがやはり私たち雇用の大原則、このように思います。
 そういう立場から見ると、日雇派遣、派遣会社に登録して、そこから派遣先が決められて、要は働く人間は直接契約をしていないところで働かなきゃいけないという、この実態が今本当に世の中に蔓延していると。やっぱり働かせる側が責任持って雇用してその労働者を働かすという、こういうやはり私は社会に戻していかなきゃいけない。
 私は、やはりこの二〇〇三年の労働者派遣法の改正、これは当時の規制改革会議の中で、規制緩和の中でそういうことを求めた、またそれを政府が実行した、私はこのことに大きな誤りがあったんじゃないかと思いますけど、公述人はいかがでしょうか。

○公述人(八代尚宏君) ありがとうございました。
 最後の点でございますが、規制改革会議の方でこういう規制緩和をする必要があるということを提言いたしまして、これは規制改革会議の答申というのは二つに分かれております。問題意識という委員だけの意見の部分と、具体的施策という、関係各省、この場合は厚生労働省と合意した部分という二か所に分かれておりまして、この規制の緩和部分は厚生労働省との合意に基づいたものでございます。これは、厚労省の審議会でその後審議され、国会に上程されて、国会の決議を得て法律となったわけでありまして、規制改革会議だけが勝手に作ったものではないということは御承知のとおりだと思いますが、まず述べさせていただきます。
 それから、おっしゃいましたように、この日雇派遣というのが決して望ましい働き方であるとは私は思っておりません。これは全く同意見でございます。ただ、それを禁止することでもっとより良い働き方に本当に行けるのかどうかという点がやや御意見と違う点であるわけです。
 今、この日雇派遣の問題点というのは、さっき申し上げましたような不安定性ということもさることながら、非常に派遣会社のマージン率が高いということ、一説によると五割以上を取っているということになるわけで、このマージン率が低ければもっと労働者の手取り部分は大きくなるわけであります。
 ですから、何でこんな大きなマージン率を労働者は甘んじて受けているのかというと、一つは情報の不足ということ。したがって、今厚生労働省ではもっときちっと派遣会社がどれくらい派遣料金と労働者が受け取る料金との差があるかということを明示せよというような指導をされていると聞きますが、これは一つのやり方だと思います。
 それからもう一つ、私の専門といたします経済学の立場からの御提言といいますのは、こんな高いマージンを取っているということは、やはりこの業界が余りにも寡占的に過ぎる、民間のよく言われている二つの会社辺りが独占的に日雇派遣をやっている、もっと他の会社がこういう日雇派遣に参入すれば競争を通じてこの労働者の取り分が上がるのではないか、これは経済学の非常に単純な議論でございます。
 例えばNPOとか、私の個人的な全くの印象でありますが、連合がワークネットという派遣会社を持っておられる。これはまさに連合が非営利でやるわけですから安心して派遣労働者がここを使えるということなんですけれども、例えばこのワークネットが日雇派遣をやっていただくと、言わば非常に少ない手数料で日雇派遣者を雇えるわけで、争って日雇派遣の方はこっちに行くんじゃないかと。そうなると、こういうふうにピンはねされる率がもっと少なくなる。つまり、これは事業者間の競争を通じて派遣労働者の言わば利益を高めようという考え方で、禁止だけじゃなくて、例えばこういうことを政府がもっと奨励するというのも一つの手段ではないかと思われます。
 以上であります。

以上のやり取りに関するかぎり、私は八代氏の議論にまったく賛成というわけではありませんが、妙な感情論に走らずまともな議論になっているように思います。私が昨日NHKの番組で喋った内容とも通ずるものがあります。

福島瑞穂氏は、福井秀夫氏の例の大論文を八代氏にぶつけて、こういなされています

>○福島みずほ君 ・・・次に、労働ビッグバンのことについてお聞きをします。
 規制改革会議の第二次答申ですが、確かにこれの労働法の部分など、問題意識の部分というふうにされていますが、これも政府の公式の文書です。労働ビッグバン路線そのものですが、同じ考え方でしょうか。

○公述人(八代尚宏君) 今、福島議員が問題意識とおっしゃいましたが、それはひょっとして規制改革会議のペーパーのことではないですか。

○福島みずほ君 そうです。

○公述人(八代尚宏君) 私は、残念ながら規制改革会議のメンバーではありませんので、規制改革会議がどういう答申を出してどういうことをやっているかというのは十分に存じませんが、規制改革会議というのは諮問会議の下にある組織ではございません。別の組織でありますので、規制改革会議の方に聞いていただきたいと思います

○福島みずほ君 これが出しているものが労働ビッグバン路線そのものだと思ったもので、そういうふうに質問をいたしました。
 この間、経済財政諮問会議は労働法制の規制緩和を提案をずっとされ続けてきております。御手洗さんは、派遣法に関しては事前面接をなくせ、あるいはもっと業種の制限を全部撤廃すべきだというふうにも言っております。このような労働法制の規制緩和に関して八代公述人、どうでしょうか。
 舛添大臣は、先日この委員会で、ディーセントワーク、人間らしい労働とは何を指すと考えるかということに関して、常用雇用、直接雇用が望ましいというふうに答えました。八代公述人は、過去、再チャレンジ支援策の中心は労働市場の流動化だというふうにおっしゃっています。労働法制の規制緩和を、派遣法の規制撤廃とを一貫して主張し、見直しをリードされてこられたわけですが、間違っていたんではないですか。

○公述人(八代尚宏君) まず、労働ビッグバンという言葉はいろんな意味に使われていますが、単なる規制緩和ではないわけで、これは規制の組替えであります。つまり、今の私の理解では、派遣法、パート法、高齢者雇用安定法というように、労働者の属性ごとに別々の法律があると。これを言わば金融ビッグバンと同じように、一つの法律、例えば均衡待遇の重視といいますか、そういう方向に変えていく、それによって言わばその派遣と請負との間のすき間に落ちるような人たちをきちっと救済していくということが大事であるわけです。
 これは私が総合規制改革会議にいたときの第三次答申でありますが、こういうことを書いております。派遣労働者と常用労働者の均衡待遇が実現すれば、派遣対象業務や派遣期間の制限は不要であり、これを撤廃した方が労働者の働き方の選択肢拡大という観点から労働者の利益になるということでありまして、無条件に派遣とか派遣の規制を撤廃しようというのは、私がいたときの規制改革会議で少なくともそういうことは言っておりません。ですから、ビッグバンというのはあくまで労働者にとって働きやすい規制に変えていくということが大事なわけであります。
 この労働専門調査会では今まで三つの報告書を出しておりますが、第一がワーク・ライフ・バランスの実現のためにどうしたらいいかということ。第二番目が外国人労働者の問題と在宅勤務を増やすためにはどういう形が必要か。最後の報告書は、高齢者の雇用を増やす、特に高齢者が言わば定年退職後は一年間の有期雇用を継続しているのがほとんどであるという現状を改革し、どうしたらもっと責任のある形で働けるかというためにはどうしたらいいかということを検討した報告でありまして、いずれも単なる規制緩和ではありません。すべて労働者が質の高い働き方をできるためにはどうしたらいいかという観点からの言わば提言をしているわけでございます。

○福島みずほ君 労働者派遣法の期間を撤廃したり、労働者派遣法の規制を緩和することが質の高い労働にどうつながるんですか。

○公述人(八代尚宏君) 今申し上げましたように、単純に派遣の期間とか派遣対象業務を自由化するんじゃなくて、あくまで一方で均衡待遇ということを進めるというふうに、一緒にやるということが第一です。
 それから、派遣の期間の問題でいえば、御承知のように、一年間の就労よりは三年間の就労、五年間の就労というふうに、同じ企業で例えば長い期間働けば働くほどその企業に特有な技能を吸収できやすい。その意味では、短い派遣期間より長い派遣期間の方が労働者にとって望ましい場合もあるわけであります。
 もちろん、これは福島委員がいつも言っておられるように派遣の固定化につながるとすれば問題でありますが、同時にそれは、三年ごとにあるいは二年ごとに派遣労働者が企業を変わらなければいけないという状況になれば、なかなか熟練形成というのは進まないんじゃないか。その意味では、一定の条件の下で派遣の期間の見直しといいますか、より長くするという方向は派遣労働者の熟練形成にはプラスになる面も大きいんではないかと思っております。

○福島みずほ君 三年あるいは五年、今は三年もありますが五年、長く働くのであればなぜ直接雇用にしないのか。均等待遇は本当に進んでいません。
 舛添大臣は、ディーセントワークに関して、ILOが言っているように直接雇用、常用雇用が望ましいと言いました。私もこれはそのとおりだと思っております。この点についてはいかがですか。

○公述人(八代尚宏君) 常用雇用が望ましいかどうかは、やっぱり労働者の判断もあるわけで、無条件に望ましいとは言えないと思います。
 それは、今の正社員というのは、御承知のように、雇用の保障、年功賃金の代償として長時間労働とか絶え間のない転勤とか配置転換という犠牲を払っているわけであります。派遣社員にアンケートを取りますと、正社員になりたいけれどもやむを得ず派遣社員になっている方というのも当然おられますが、最初から派遣社員で働きたいという人もかなりの数おられるわけでありますから、一方的に常用雇用だけが望ましい働き方で、派遣はすべて悪い働き方だということは必ずしも正しくないんじゃないかと思います。
 大事なのはその中身でありまして、常用雇用でもひどい働き方もあります。派遣でも、専門職であれば極めて質の高い、ある意味では給料の高い派遣もあるわけで、問題は働き方の中身であって、派遣は一律に悪い、常用雇用は一律に望ましいという形の切り口というのは別の問題があると思っております。

いや、「規制改革会議の方に聞いていただきたい」といっても、その方は「残念ながら来ていただけませんでした」ようなんですがね。ただ、「をいをい、俺は福井のボスじゃないぜ。なんであいつのツケを俺に回すんだ」という気分は伝わってきます。

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大竹文雄氏のバランス感覚

日本労働研究雑誌の4月号が「通説を検証する」という特集をしていて、大変面白い。

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2008/04/index.htm

>世間に広く通用している説(通説)には、専門家からみて根拠がないというものが意外に多い。不可思議なオカルト現象のカラクリをあばく「ガリレオ」准教授のように、科学的な根拠のない議論に対しては、専門家がきちんと一般の人にもできるだけわかるように真実を伝えておく必要がある。「労働」の分野でも同じである。「労働」に関する通説には、専門家からみて明らかにおかしいと思えるものが少なくない。また専門家の間では決着していない論争的なテーマについて、あたかも既に解決されているかのごとく、特定の意見だけが通説となっていることもある。本特集では、専門家には、こうした「通説」はどのように映っているのか、論争状況にあって決着のついていないテーマは、どうしてそうなっているのか、ということを一般の人の目線に立って解説しようとするものである。読者には、専門家の議論の奥深さを味わってもらうと同時に、日頃から通説を批判的に見る視点の重要性も感じてもらいたい。

どういうテーマが取り上げられているかというと、

●「制度」の検証対談最低賃金を考える
大竹 文雄(大阪大学社会経済研究所教授)

橘木 俊詔(同志社大学経済学部教授)

エッセイ割増率の上昇は残業時間を減らすか?
佐々木 勝(大阪大学大学院経済学研究科准教授)

社会保険料の事業主負担部分は労働者に転嫁されているのか
太田 聰一(慶應義塾大学経済学部教授)

「定年制」を考える
戎野 淑子(嘉悦大学経営経済学部准教授)

ポジティブ・アクションは有効に機能しているのか
川口 章(同志社大学政策学部教授)

少数組合の団体交渉権について
奥野 寿(立教大学法学部准教授)

●人事管理対談ホワイトカラーの労働時間管理
藤村 博之(法政大学大学院イノベーション・マネジメント研究科教授)

山口浩一郎(上智大学名誉教授)

エッセイ成果主義は日本の賃金制度を変えたか
中嶋 哲夫(人事教育コンサルタント)

非正社員から正社員への転換制度について
武石恵美子(法政大学キャリアデザイン学部教授)

わが国におけるキャリア教育の課題──若干の通説的理解を見直す
寺田 盛紀(名古屋大学大学院教育発達科学研究科教授)

適性検査を活用する有効性について
室山 晴美(JILPT主任研究員)

●労働市場座談会派遣労働をめぐって
南部 靖之((株)パソナグループ代表取締役グループ代表)

浜村 彰  (法政大学法学部教授)

守島 基博(一橋大学大学院商学研究科教授)

エッセイ人材ビジネスか、それともハローワークか──職業紹介サービスにおける国と民間の関与
佐野 哲(法政大学経営学部教授)

フリーターの中高年齢化
太田 清((株)日本総合研究所主席研究員)

外国人労働力の導入
渡邊 博顕(JILPT主任研究員)

ワークシェアリングは雇用促進に有効だったか
小倉 一哉(JILPT主任研究員)

いずれも知的刺激満載のおもしろエッセイですが、ここでは冒頭の大竹・橘木ビッグ対談がお値打ちです。

テーマは最低賃金で、いうまでもなく、「最低賃金を引き上げると貧困解消に役立つ」という世間一般や法学者の「通説」を経済学で斬るなどという初等教科書嫁的な低レベルのものではなく、「最低賃金を上げると失業者が増える」という経済学者の「通説」を検証しようという中級クラスのものですが、カード・クルーガー対ニューマークの実証に基づく論争やワークフェア、ケインズ政策、低生産性企業の退場など最低賃金をめぐる様々な論点が的確に紹介されていて、わずか10頁ですが大変ためになります

しかし、ここでわざわざ取り上げたいのは、最低賃金の話ではなく、大竹文雄氏がそれにからめて取り上げているサラ金の金利制限の話です。こちらも、最低賃金と同様に、一知半解の徒輩が初等教科書嫁的知ったかぶったかを繰り広げたがる分野ですが、さすが我が国労働経済学の中堅の雄の大竹文雄先生、視野を広くとっていいバランス感覚を示しておられます。

>そうですね。私も最低賃金を引き上げる必要がないと考えているわけではありません。元々はそんなに引き上げる必要はないと思っていたのですが、消費者金融の研究をするようになって、経済学者が想定しているような合理的な行動をとらない、余裕がなくてそれができない人というのが実はかなりいるということがわかったわけです。だから、その人たちの行動を変えたり、企業がそうした人たちの弱みにつけ込めないようにする規制というのは必要かなと。

経済学者の発想でいくと、消費者金融の話なら、高金利でも喜んで借りているのだからいいじゃないか、低賃金労働についても本人がそれでいいというならいいではないかというのが普通の考えなんです。でも、例えばパチンコがしたくてつい消費者金融に駆け込む、今遊ぶ金が欲しいから、あるいは今日生活していくために日雇い労働を受け入れるということが現実には往々にしてあるわけです。規制を設ける際には、人は必ずしも合理的に行動しないということを前提にして、そうした事態を防ぐようなものにしていくことが必要かと思います。

アリとキリギリスではないですが、その時はいいと思っても長い間そういうことをしていたら、結局そこから抜け出せなくなって、後々悔やむことになるのではないか。・・・

どこぞのリバタリアン氏は、大竹文雄氏に対しても

>パターナリズムってわかる? これ、ほめてるんじゃないよ。日本語では「家父長主義」と訳し、君のように「かわいそうな貧乏人を助けてあげよう」という善意で規制を強化して、結果的には日本経済をだめにすることをいうんだよ

てな調子で「馬を射る」つもりでしょうかね。

ちなみに、サラ金問題については本ブログでも「朝三暮四ザル」で語ったことがあります。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_1616.html(パターナリズムは悪か?)

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視点・論点-労働者派遣システム再考

本日夜10時50分から11時まで、NHK教育テレビの「視点・論点」という番組で、わたくしが約10分弱、標記テーマについて喋ります。

http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/

再放送は明日の朝4時20分からです。ご参考までに。

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研修生は労働者!by 鳩山法相

読売によると、鳩山邦夫法相が国会で「外国人研修生に労働関係法令を適用すべき」と答弁したようです。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20080324-OYT1T00497.htm

>鳩山法相は24日の参院予算委員会で、外国人研修・技能実習制度が安価な労働力として外国人を雇用する隠れみのとして使われていると指摘されていることに関し、「『研修は労働でなく、技能実習になって初めて労働』という考え方は改めるべきだ」と述べた。

Click here to find out more!

 外国人研修生に最低賃金法などの労働関係法令を適用すべきとの考えを示したものだ。民主党の相原久美子氏の質問に答えた。

 同制度は日本の技術、技能などを移転することを目的に、海外から研修生を受け入れ、企業で実務研修や技能実習を最長3年間行う。技能実習に移行するまでの研修期間は「労働者」にあたらないとして、労働関連法令が適用されず、研修手当が払われる。このため、企業によっては、外国人研修生を安価な手当で過酷な労働に従事させている実態がある。

この問題については、昨年5月に厚労省、経産省、それに長勢法相の案が出てわりと話題になったことがありましたが、鳩山法相の考え方としては厚労省の実習に統一という方向に近いようですね。

本ブログにおけるこの問題のエントリーを下に掲げておきます。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_6b23.html(研修・技能実習制度研究会中間報告)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_8cc4.html(経済産業省の「外国人研修・技能実習制度に関する研究会」とりまとめ)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_0efe.html(法相の短期外国人就労解禁案)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_f09d.html(法務大臣私案アップ)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/imfjc_on_ddf6.html(IMF-JC on 外国人労働)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_f0c3.html(労働市場改革専門調査会が外国人労働問題を論議)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_2655.html(法務省が先に考えていた!?)

また、日本における外国人労働法政策の推移を概観したものとして、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/gaikokujin.html(外国人労働者の法政策)がよくまとまっていると思います。

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雨宮処凜氏のOJT

爆問学問の話の流れで、ぶらり庵さんが、

>職業レリバンスを全く意識しない大学生活を送り(文学部女子)、幸いに資格は問わない試験(知識は問われた)で実業団に移籍でき、移籍後も、日本の組織の特徴であろうところの、自己の希望と無関係な人事異動に従順に従って、ひたすらOJTで現在の職業への「レリバンス」を磨いてきましたね、振りかえってみると。

と語っていますが、全く異なる人生コースで、同様にOJTの重要さを語っているのが、雨宮処凜さん。

http://www.magazine9.jp/karin/080312/080312.php

>こんなことを強く思うのは、私自身がまさに「仕事をしながらトレーニングさせてもらった」からだ。しかも相当良質な「教育」をしてもらった。編集者にマンツーマンで、物を書くということについてものすごく勉強させてもらった。そうして小説やエッセイなどを書き、出版してきたわけである。
 こんなことを言うと、「結局雨宮さんはニートよりは努力し、戦略的な生き方をしている」というようなことを言われることがある。が、「物書き」になるということについて、自分で言うのもなんだが、私はまったく「努力」していない。なってからは少しは努力しているが、なるための努力は1ミリもしていない。だって、私が本を出すきっかけは、私が右翼団体を脱会するまでを描いたドキュメンタリー映画「新しい神様」が劇場公開されることになった、というそれだけのことだ。ということは、私が物書きになる、そのチャンスを作ったのは、「右翼団体に入った」ということである。誰が「戦略的に」、或いは「キャリアアップ」のために右翼団体に入るだろう・・・。まったくの奇跡のような偶然で、物を書くようになり、そうしたら編集者の人がいろいろ教えてくれたのだ。そしてただのフリーターだった私は「物を書く」ということを、仕事をしながら学んでいったのである。

これは、例の赤木智弘氏について語っている中での言葉ですが、最後に

>日本の企業社会に、「人を育てる」という感覚が戻ってくれば、事態は少しはいい方向に変わるのではないか。

と、売れ線狙いのマスコミ的にはあまりにも平凡に見える言葉を書き付けています。

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爆問学問 本田由紀 vs 太田光

昨日のNHKのお笑い系教養番組なんですが、

http://www.nhk.or.jp/bakumon/previous/

>田中:すごく面白い先生だったね。何か強さともろさが同居した感じがあって。すごく可愛い面と、すごく怖い顔する時とあるので。人間としてすごく面白かった。
太田:途中で「ああ、小学生の時にこういう女の子ともめたなあ」って…。
田中:多分子どもの頃に、「太田君!」みたいに言われて、「ちゃんと掃除をやるのがルールでしょ!」とか怒られたりして、それでもめるみたいな…。そういうタイプですよね。だから本当に、我々芸人とああいう東大の受験勉強をガーッとやっていた人というのが、多分すごく対照的。
太田:でも同じところもある。結局おれはあの先生はやっぱりすごくいいなと思ったのは、そうやって自分の経験から発想しているものだから、それが間違っていようが何だろうがいいと思う。その自分の傷ついた経験とか、過去の経験、そこから出発している。で、その思いがすごいべったり乗っかっているから、それ、考えすぎじゃない?ってこっちは思うんだけど、あの先生の思いっていうのが強いから、そういう研究っていうのはおれ、素晴らしいなと思うのね。やっぱり個性なんだよね。
田中:一番悪いことがサザエさんの立ち読みっていうのは笑ったよね。ネタですよね、ほんとに。楽しい先生でした。

そういう「カワイイ優等生」の役割演技に嵌ってしまっていて、そこを(上野千鶴子流に)うっちゃりで投げ飛ばすワザが決められれば、一枚剥けたんでしょうけど。

太田光に、田中が弁当恵んでくれていたからあんたは恵まれていた、と言ってみたって仕方がないんで、「そんな日大ゲージツ学部なんて逝ってる段階であんたは人生捨ててるの!私が相手にしてるのは、まともに就職できると思っておベンキョしてたのに、不景気で就職できなかった人たちなの。」と冷ややかに言わなくちゃいけないんですけどね。

そこが、そう割り切れないから、「テツガクを専攻したんですが、その教育レリバンスはなんですか?」と聞かれて、「ああそう、職業レリバンスのないお勉強をされたのね」と返せないわけですけど。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_c7cd.html

(追記)

ちなみに、このレリバンスのシリーズ、後続のエントリーも結構面白いですので、並べておきます。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_bf04.html(職業レリバンス再論)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_722a.html(なおも職業レリバンス)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_c586.html(専門高校のレリバンス)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_8cb0.html(大学教育の職業レリバンス)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_5804.html(労働法の職業レリバンス)

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マクドナルド裁判の本質

『エコノミスト』誌3月18日号に掲載された「焦点は残業代ではない マクドナルド賃金訴訟の本質は長時間労働の規制にある」という小論の原稿をアップしました。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/macdo.html

雑誌掲載版とは題名と中身の一部が異なっていますが、本質的な違いはありません。このブログで書いてきたこととほとんど同じ内容です。

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労働者派遣システム再考

労働者派遣システムのあり方について、まとまった形で喋ってみました。噛み合わない両極の議論の間に妥協点を見つけようとするのではなく、噛み合わない両者が共有する土俵自体を一遍ひっくり返して議論を組み立ててみると、こういう風になるのではなかろうか、という試論です。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/hakensaikou.html

私は、今から11年前にILO181号条約が審議採択されたILO総会に出席して、世界の流れが事業の禁止・規制から労働者保護に向かう姿を目の当たりに見たこともあり、派遣労働に問題があるとすればそれは何より労働者保護規制によって行うべきであり、事業規制を復活強化しようというのは適切ではないと思っているのですが、どうしても世間は「近視眼的リーガリズム」に向かってしまいがちです。その土俵でお約束通りの定型的な喧嘩を繰り返すことで、労働者にとって大事なものが却って没却されているのではないか、という問いかけが今こそ必要なのではないかと思うのですが。

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「公正」の在り方は集団的な対話の中で決まる

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_c7ec.html

につづいて、ダイヤモンドオンラインの辻広氏のコラムにおける水町先生のインタビュー後編です。

http://diamond.jp/series/tsujihiro/10019/?page=1

>――もう一度お聞きしますが、価値観が多様化すると、なぜ労使の対話に委ねることが必要となるのですか。

水町:大量生産大量消費の時代は、いわば正義は一つでした。だから、それを守るためのルールを国が定めてそれを強制しても、さほど問題は起きませんでした。けれど、もはや正義は一つではなくなりました。差別なき労働者の権利保護なのか、経済効率追求なのか、地球環境が一番重要なのか、さまざまな正義が存在します。複数ある正義を調整するには、理性が必要です。それを「手続的理性」と呼びます。労使で対話を進め、複数の正義を調整する手続やルールをいかに決め、運用するかが重要だ、という考え方が国際的に広がりつつあります。

――では、遅れている日本の労働法制を、具体的にどう変えていけばいいのですか。

水町:国は基本ルールだけを決め、具体的なルールやその運用は労使の集団対話に委ねます。そして、その運用が公正に行われたか否か裁判所が事後チェックを行う形にします。

 例えば、国は、「合理的理由がない限り処遇差別をしてはならない」という基本原則だけを掲げて、労使対話には、正社員だけでなく非正社員、派遣、請負労働者まですべての労働者が参加し、平等とは何かを徹底的に議論し、ルールを作成し、運用に関与するのです。

――日本の労働法制は、正社員に対する法的保護があまりに強い。派遣や業務請負との格差を解消して、「公正」を本当に実現できますか。

水町:正社員の既得権や正社員という枠を見直す動きは、その対話、議論の中で出てくると思います。

 90年代以降の労働問題は、正社員が日本的雇用システムという枠のなかで守られ、それと非正社員とのバランスが悪くなってしまったことに大きな原因があります。コスト削減圧力が強まっても、正社員は簡単には雇用調整ができません。

 だから、新卒を採らず、まずパートを拡大し、その雇用調整も難しいということになると、次には派遣の利用を拡大し、それがまた法規制で使い勝手が悪いとなると、今度は業務請負の利用に走ります。格差が拡大する方向に一直線に向かってしまう。と同時に、枠のなかで守られていると思ってきた正社員が少数化して過剰労働に陥るという状況も生まれてきています。全体としてのバランスが悪い中で、全体が不幸に陥るという事態が起こってきました。これはおかしいんじゃないかという議論が起こってくると思います。

――例えば、どのように「公正」が実現されますか。

水町:「公正」のあり方は、それぞれの集団的な対話のなかで決まってきます。例えば、正社員の雇用は保護し、非正社員の雇用は流動的にするという企業では、非正社員の雇用が不安定になる分それを補償する手当を出すということも考えられます。

――正社員の雇用調整が容易になり、逆に、非正社員が正社員になりやすくなる、という改革もできますか。

水町:現在の法規制の話でいうと、この3月に施行される労働契約法の16条に、解雇は「客観的合理性」と「社会的相当性」がなければ無効であると定められています。このルールをめぐっては、これまで裁判所による判断の蓄積があり、いわゆる「整理解雇の四要件または四要素」という法理が裁判所によって確立されています。

 しかし、この判例法理が画一的に解釈されすぎると、時代環境や個別事情に対応できないという問題が出てきます。このルールの解釈・運用の仕方として、労使の話合いを重視する、つまり、労使がそれぞれの企業・職場における雇用のあり方についてどのように考え、どのようなルールを作り、それを公正に運用しながら労使の納得のいく形で雇用調整が行われている場合には、その労使の取り組みを重視する、という法解釈をすることが考えられます。

――「新しい労働ルール」が実現するには、何が一番重要ですか。

水町:労使をはじめとする当事者が自分でルールを作り運用するという覚悟を決めて、それに真剣に取り組むことです。中小企業の多くには労働組合すらないので、集団的対話の基盤から構築しなければなりません。そのために相談に乗り、アドバイスを行う第三者機関、NPOがインフラとして必要でしょう。これが最大の課題だと思います。連合の全国の支部や商工会議所は、この面でサポートをすべきでしょう。

――既得権者である正社員が抵抗勢力になりませんか。

水町:なかには抵抗するひとたちもいるでしょう。しかし50代のひとたちと20代、30代のひとたちでは意識が大きく違います。なぜなら、コストカット目的による非正社員の急増で、最もしわ寄せされているのが、20代、30台の若手だからです。難しい仕事を少人数で背負い込み、仕事のノルマや締切りもきつくなってきています。仕事が増えるばかりで、過労死やメンタルヘルス問題が急増しているわけです。正社員と非正社員の雇用条件のバランスがあまりにも悪いために、正社員自身があえいでいるのです。そのことは、若い人たちの多くは敏感に感じています。年収は減るかもしれないが、負担が軽減して早く帰れるのなら、歓迎するかもしれません。正社員と非正社員の入れ替えが行われるようになっても不思議ではないのです。

――日本人に、「手続的理性」はあるでしょうか。

水町:日本には自分たちで話し合って物事を決めるという土壌があります。あとは、自分と環境や考え方の違うひとたちを仲間外れにせず、公正で透明な話合いをしていこうという意識を広げていくことが重要です。そういう意味での「理性」を育てていく教育も必要だと思います。

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ナショナリティにも労働にも立脚しない普遍的な福祉なんてあるのか

『世界』の4月号に掲載されている田村哲樹氏の「国家への信頼、社会における連帯――「高福祉高負担」の条件 ―― 」という論文が、福祉国家を支える哲学的基盤は何なのかという大問題の所在を極めて明瞭に示しているので、ちょっとコメントしておきます。

http://www.iwanami.co.jp/sekai/index.html

福祉国家を支える「我々意識」や「連帯」が衰退ないし解体しつつあるという認識のもとで、田村氏は4つの対応策を示します。第1は、個人化を所与の前提として個人の選択、ニーズに可能な限り応えていく行政サービス。しかしこれはもはや福祉国家ではないですね。第2は、ナショナリティの再興。第3は労働を共通性とした連帯の再生。第4がより普遍主義的な福祉制度。

そして、ナショナリティには排除がつきまとうから駄目だといい、労働については、男性稼ぎ手モデルではだめだとか、今後十分な雇用機会は供給されないとか、労働できないものを排除するといって批判し、第4の選択肢としてベーシックインカムを持ち出すわけです。

労働中心の福祉への批判については、いろいろと反論したいことはありますが、それよりも何よりも、一体一方でナショナリティを根拠として捨てておいて、何を根拠に「普遍的な福祉」が可能なのか、どこまできちんと考えているのだろうか、という点です。

実を言うと、労働中心主義でも、様々な就労や社会参加をフルに活用して最後になお残る労働に立脚しない福祉というのは残ると思うのですが、ナショナリティという我々意識なしにそんなものが維持可能なのでしょうか。働かない同胞になお福祉が与えられなければならないとしたら、それは「同胞」だから、としか言いようがないのではないでしょうか。ヨーロッパの場合、EU統合の中で狭義のナショナリティを超えて一種の我々意識が形成されていけば、そのレベルの普遍的福祉というのもありうるかも知れません。しかし、それが、アフリカの貧しい人々にも同じように適用されるべきだと、多くのヨーロッパ人が思うようになるとは、正直言って私には思えません。

ベーシックインカムを軽々しく持ち出す人々に対して、私がどうしても拭いきれない疑問は、それが究極的には「同胞」意識にしか立脚できないにもかかわらず、なんだかそれを離れた空中楼閣の如きものとしてそれを描き出している点です。日本人だけでなく、地球人類すべてに等しくベーシックインカムを保障するつもりがあるのかどうか(誰が?)、そのための負担を、そう「高負担」を背負うつもりがあるのか、そこまで言わないと、ナショナリティを排除したなんて軽々しく言わないで欲しいのです。

私は、福祉の根拠としてナショナリティを否定することはできないと思っていますが、しかしそれを過度に強調することは望ましくないと思っています。だから、労働を根拠に据える必要性があるのです。様々な事情に基づいて「いったん労働市場から退出することの保障」も含めたものとして、しかしながら永続的に労働市場の外部に居続けることを保障するすることのないものとして。

(参考)

かつてのエントリーで似たようなことを書いていました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_cda3.html

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どれだけサービス残業をやっていると思っているんですか

橋下大阪府知事のお騒がせシリーズ第何弾目かは知りませんが、こういうのも飛び出してきたようです。産経から。

http://sankei.jp.msn.com/politics/local/080313/lcl0803131157002-n1.htm

>大阪府の橋下徹知事は13日、30歳以下の若手職員を対象に初めて朝礼を開いた。

・・・さらに、橋下知事は「始業前に朝礼をしたかったが、超過勤務になるのでできなかった。たかだか15分の朝礼ができないというなら、勤務時間中のたばこや私語も一切認めない」と発言。

 これに対し、後方で聞いていた女性職員(30)が突然立ち上がり、「どれだけサービス残業をやっていると思っているんですか。知事は不満があればメールを送れといって、職場を分断している」と反論した。

 橋下知事は「ありがたい意見。どんどんいってほしい」と余裕の表情で応じたあと、「サービス残業に感謝している」とも述べた。

あのお、「サービス残業に感謝している」で済むんだったら労働基準法は要らないんですよ。どこぞの社長さん並みですな。

念のために申し上げておきますと、(国家公務員とは異なり)地方公務員には労働基準法が適用されてます。

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公務労働の法政策

I0eysjiymi2g 『季刊労働法』の第220号に、「労働法の立法学」シリーズ第17回の「公務労働の法政策」を書いております。

http://www.roudou-kk.co.jp/quarterly/archives/003098.html

今回は、公務員制度改革とか何とかが騒がしい今日この頃であるだけに、原点に帰って、そもそも公務労働者に対する労働法の適用の歴史を振り返ってみよう、というものです。その昔の労働法規課を知っている人にとっては懐かしい話でしょうし、知らない人にとっては全然懐かしくない話でしょうけど。

ちなみに、この号の特集は、「ワーク・ライフ・バランスは実現できるか? 」と「改正パート労働法の検討 」です。

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登録型派遣は労働者供給なんだが・・・

月曜日のエントリーに、新運転の太田武二さんからコメントが付きました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/on_5181.html#comment-23155300

実際に労働組合の労働者供給事業を行っている立場からの御意見で、

>しかし、日々雇用を原則とした労供事業に五十年近く取り組んできたわれわれとしては、派遣会社への責任追及と法改正だけに留まることは許されない。
日雇い派遣への風当たりを絶好の機会として捉え、労働組合による労供事業と供給派遣への追い風にしなければいけない。

というあたりは、まさに面目躍如という感じです。

ただ、実際は戦後60年間、労働組合による労働者供給事業はごく一部の業種で細々と行われてきたのが実態で、そこのニーズを捉えたのが労働者派遣事業だったのでしょう。

このニーズというのは、畢竟するところ、必要なときにすぐに供給してくれて、要らなくなったら後腐れなく切れるという、労働力のジャストインタイム供給であって、そういうニーズが世の中にあることは確かなのだし、それがケシカランと云ってみても仕方がないので、それをできるだけ弊害のない形で(単なるチープレイバー供給ではなく)やれるようにするにはどうしたらいいのか、というのが法政策の課題であったはずです。

その意味で、登録型派遣というのは実は労働者供給そのものであるにもかかわらず、そこを妙な理屈でごまかしてしまったところに混迷の源泉があるように思われます。労供は悪だ!という思考停止をそのままに、派遣は労供に非ずといって、ここまで来てしまったわけですね。本当は、労供は弊害が起こりやすいけれども、しかし世の中のニーズに対応するものでもあるので、民間企業でもきちんとやらせるのだ、というべきだったのだと、私は考えています。

実は、家政婦、マネキン、配膳人といった臨時日雇い型有料紹介事業も、紹介したといいながら紹介所に属したままで、そこから繰り返し「紹介」という形で実質的には供給=派遣されているので、ビジネスモデルとしてはほとんど同じです。これも、そういうニーズがあるからそうなっているわけです。

で、何が違うかというと、労供でも臨時紹介でも、労働者を使用することから生ずる使用者責任は供給先=紹介先にあるという点で、本当は派遣もそうあるべきなのでしょう。もう一つ、いわゆる派遣マージンの話については、労働組合の労供事業の場合、無料ということですが、実質的な費用は組合費で賄っているわけで、言い換えればその分込みの供給労働者の賃金設定になっているわけですし、臨時日雇い紹介の場合は、登録と紹介のつど手数料を取る形で賄っていて、いずれにしても明朗会計になっているわけです。そこが、派遣の場合中間搾取じゃないと言いたいがために却って不明朗になっているように思われます。

まあ、一旦作られてしまった制度設計というのは、なかなか変えるのは難しいものですが、労供は悪だが派遣はいいという変な理屈でここまで拡大した挙げ句に、これだけいろんな問題が出てきたことを考えると、元に戻って、いい労働者供給事業はどういうものだろうか、という観点から、考え直してみる必要性が高まってきているように思われます。

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毎日の社説 on 日雇い派遣

毎日新聞が日雇い派遣を禁止しろという社説を書いています。

http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20080310k0000m070124000c.html

>社説:日雇い派遣 法改正で禁止へ踏み出せ

 日雇い派遣大手のグッドウィルから派遣された男性が昨年12月、荷降ろし作業中に指を骨折した。男性が訴えても同社は労働基準監督署に報告せず、社員は「派遣先にも迷惑がかかるのではないか」と告げたという。報告したのは事故の2カ月後、けがが悪化して男性が自ら労災申請した後だった。

 派遣元の各社から全国の労基署に報告された派遣労働者の労災件数(休業4日以上)は06年に3686件と前年の1.5倍に達し、1日に10件以上も発生した計算だ。そのうえ、グッドウィルのケースのように、発覚を恐れて報告しない労災隠しが派遣業界で横行している疑いがある。

 中でも労働者が派遣会社に登録し、仕事があればその日ごとに雇用される日雇い派遣では、安全対策や安全教育がおろそかになり、労働者は危険にさらされがちだ。加えて極めて不安定な雇用で、派遣先から派遣会社にマージンが支払われる分、労働者の日給は7000円前後と低賃金にならざるを得ない。こうした働き方は仕組みそのものを全面的に見直す必要がある。

 日雇い派遣が広がったのは、労働者派遣法の99年の改正で、それまで専門業種に限定していた派遣対象を原則自由としたためだ。不況下で労働者の賃金を抑え、雇用調整もしやすくしたいという経済界の要望を受けた規制緩和だった。単純労働への派遣が解禁されたことで、派遣会社に登録する登録型派遣が爆発的に増え、登録者は06年度で延べ234万人にも上る。

 しかし、労働者の権利を守るには直接雇用が大原則で、派遣はあくまでも一時的・臨時的にとどまるという制度の趣旨を考えれば、派遣法を99年の改正前に戻し、派遣対象は専門業種に限ることが望ましい。

 あるいは登録型派遣を禁止し、派遣会社は労働者を1日ごとの雇用ではなく常用雇用とする常用型派遣だけを認める仕組みに改める方法もある。いずれにせよ法を改正して日雇い派遣の禁止に踏み切るべきだ。

 厚生労働省も法改正を検討したが、一層の規制緩和を求める経済界の抵抗で今国会での改正を見送った。代わりに日雇い派遣の監督を強化する指針などを策定したが、日雇い派遣が抱える不安定・低賃金・危険という根本問題の解決にはつながらない。学識者で派遣のあり方を議論する厚労省の研究会も発足したが、結論までには時間がかかる。

 ここにきて日雇い派遣の禁止に向け、各党の議論が活発になってきたことは歓迎したい。野党だけでなく、与党の公明党も原則禁止を検討するという。民主党は近く改正案をまとめる方針だが、2カ月以内の派遣契約を認めないとの案が浮上しているようだ。しかし、それだけでは2カ月先の不安定雇用は解消されない。抜本的な見直しを求めたい。

派遣法の在り方については、私なりの考え方もありますが、こういう表層的な議論だけがまかり通ることには、警戒心が必要でしょう。

そもそも「日雇い派遣」の何が悪いのでしょうか。フルキャストやグッドウィルが悪いというのは個別企業の問題です。「日雇い」も「派遣」もそれだけでは禁止されていません。それが組み合わさるとなぜ禁止しなければならないほどの悪さが発生するのか、説得的な論拠は示されていないのです。生活の安定という観点からすれば、直用であれ派遣であれ日雇いは究極の不安定雇用です。そして、我々は今まで、そういう不安定な日雇い就労を何ら制約することなく、存在することを認めてきたのです。

安全対策や安全教育がおろそかになるのは、派遣じゃない日雇い労働者だって同じでしょう。直用であろうが、派遣であろうが、安全衛生はもっぱら就労先、派遣先の責任なのです。派遣が悪いのではなく、派遣労働における責任は全部派遣元に押しつければいいという発想に問題があるのでしょう。

 日雇い就労には、基本的に毎日日雇いで就労して生計を立てているタイプと、別に本業ないし本来の社会的位置(学生等)を持ちながら、その空いた時間にアルバイト的に就労するタイプの2種類があります。後者は、安全衛生や労災補償等の労働者保護が欠けることにならない限り、それ自体として弊害があるとは言えないでしょう。彼らについては、日雇い就労の不安定さは、必ずしも政策的に対応しなければならない社会学的な問題ではありません。これに対して前者は、その雇用の不安定さがまさに社会学的問題であり得る人々ですが、しかしながら我々はそういう日雇い就労を禁止することはせず、特別の雇用保険制度によってその不安定さに対応しようとしてきたのです。これは、日雇い就労が身元を明かすことなく就労できるという意味で、様々な問題を抱える人々にとって、一種のアジール的な機能を果たしてきたこともあるように思われます。

 いずれにしても、日雇い派遣禁止論は単に近視眼的であるだけでなく、法制としての整合性が何ら見当たらないように思われます。

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焦点は残業代ではない

明日発売される『エコノミスト』誌3月18日号に、マクドナルド裁判に関する私の小論が載っております。

http://www.mainichi.co.jp/syuppan/economist/

>■働 く 焦点は残業代ではない マクドナルド賃金訴訟の本質は長時間労働の規制にある  濱口 桂一郎

ご関心のある方々はお買い求めいただければと存じます。ちなみに、特集記事は、

■【特集】米国発 世界不況

■【特集】淘汰される不動産ファンド

です。

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福田首相の賃上げ要求

既に各紙各局で報じられていますが、

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20080306-OYT1T00670.htm

>福田首相は6日、日本経団連の御手洗冨士夫会長を首相官邸に呼び、春闘の労使交渉について、「景気を浮揚させる一つのきっかけとして、今回の春闘に期待する」と述べ、春闘での積極的な賃上げ努力を求めた。

 首相が直接、経済界トップに賃上げを要請するのは異例だ。

 これに対し、御手洗会長は、「首相の意向は十分理解している。余力のある企業はできるだけ配慮してもらいたいと、これからも言っていく」と応じた。そのうえで、「実際には手取りを増やさなければいけない。我々がそういう(賃上げの)努力をすると同時に、減税も検討すればさらに効果がある」と述べ、新たな減税策を打ち出すよう訴えた。

 首相は6日配信の福田内閣メールマガジンでも、「改革の果実が、給与として国民に還元されるべき時がやってきている」とし、経営側に積極的な賃上げを求めていた。

そのメルマガはこちらです。

http://www.kantei.go.jp/jp/m-magazine/backnumber/2008/0306/0306souri.html

>物価が上がっても、皆さんの給与がそれ以上に増えれば、問題はありません。しかしながら、働いている皆さんの給与の平均は、ここ9年間連続で横ばい、もしくは減少を続けており、家計の負担は重くなるばかりです。

 日本経済全体を見ると、ここ数年、好調な輸出などに助けられて、成長を続けています。企業部門では、不良債権などバブルの後遺症もようやく解消し、実際は、大企業を中心として、バブル期をも上回る、これまでで最高の利益を上げるまでになっています。

 これらは、さまざまな構造改革の成果であり、そうした改革の痛みに耐えてがんばった国民皆さんの努力の賜物にほかなりません。

 だからこそ、私は、今こそ、こうした改革の果実が、給与として、国民に、家計に還元されるべきときがやってきていると思います。

 今まさに、「春闘」の季節。給与のあり方などについて労使の話し合いが行われています。

 企業にとっても、給与を増やすことによって消費が増えれば、経済全体が拡大し、より大きな利益を上げることにもつながります。企業と家計は車の両輪。こうした給与引き上げの必要性は、経済界も同じように考えておられるはずです。政府も、経済界のトップに要請しています。

春闘がここまで時の首相に応援されたことは、未だかつてなかったのでは? 労働組合の支持政党が与党であった時期も含めて。

しかし、この福田首相のロジック、まさに典型的なフォーディズム的ケインジアン政策ですね。クルマを作る人がクルマを買えるような賃金を払うことで世の中が回るというメカニズムは、決して古くなったわけではないということでしょう、モリタク先生がいうように。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_e1ba.html

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マック元店長に労災認定

共同通信から、

http://www.47news.jp/CN/200803/CN2008030701000023.html

>豊田労働基準監督署(愛知県豊田市)は6日、日本マクドナルドの元店長で愛知県内の50代の男性が脳梗塞などで倒れたのは、長時間の残業など過重な労働が原因だったとして、労災を認定した。

 同労基署は勤務記録などから月80時間以上の残業が続いていたと認めた。

 支援する日本マクドナルドユニオンなどによると、男性は1982年に入社。豊田市でマクドナルドの店長として勤務していた2004年11月に大動脈瘤と脳梗塞を発症した。

 男性は昨年1月、豊田労基署に労災を申請。脳梗塞発症前の残業時間について、マクドナルド側は1カ月当たり55時間から67時間前後と主張。これに対し男性は「2店舗の店長を兼務していた時期もあり、月百時間以上だった」と訴えていた。

別に、残業代を払わないのがいいとか悪いとか、そういう話とは関係ないんですよ。残業代を払わなくていい人だから、倒れても労災にならないわけではないし、残業代を払っていたからと言って労災補償責任を免れるわけでもない。

マクドの社長さんも、マスコミの皆さんも、政治家の皆さんも、いい加減残業代しか興味のない状態から脱却してもらいたいものです。

なお、例の高野広志さんの裁判の関係で、来週月曜日発売の『エコノミスト』に小論を書いておりますので、ご関心のある方はどうぞ。

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企業年金は「モノ言う株主」でいいのか

『エコノミスト』3月11日号が、「株3月危機」という特集を組んでいて、

http://www.mainichi.co.jp/syuppan/economist/

その中に、

>“モノ言う株主”からの提言 日本はあまりに株主軽視の国、見放されて当然だ    矢野 朝水

という短いコラムがありました。曰く、

>このような判決が日本の司法は投資や市場に対する理解が乏しく、投資活動を否定するという印象を世界に与えてしまった。

>いま日本には改革を拒否し、市場開放を拒む時代錯誤的な攘夷論が蔓延しているように思える。

>極めつけは、1月の講演での北畑隆生経済産業事務次官の株主・投資家蔑視の発言だ。・・・・・・国益を大きく損なった経産次官は更迭に値すると言わざるを得ない。

ああ、また例によって例の如き「会社は株主のモノ」論か、といって済ませるわけにはいきません。これがどこぞのヘッジファンドの人の発言ならば、それで済ませていいのですが、そういうわけにはいかないのです。なぜなら、こういう株主至上主義を得々と説いているこの矢野朝水氏は、厚生省年金局長から厚生年金基金連合会(現在の企業年金連合会)に転じ、その専務理事を務めている人だからです。

あなたが預かっている企業年金のカネとは一体どういう性質のものであるのか、それを少しでも考えたら、ここまで脳天気な株主至上主義は語れないはずです。あなたが責任を負っているステークホールダーは、ただカネを増やしてくれといって持ってきた客ではありません。企業年金の掛金は事業主拠出分だといっても、それは企業にとっては賃金と同じ労務コストです。企業年金の使命は、預かったカネを増やすことに専念して、そのカネを預けてくれた企業を潰したり、あるいは労働者のクビを切って、その労働者がもはやその掛金を払えなくしてしまうことにはないはずです。カネは確かに増やしてくれたが、そのもとの給料がなくなりました。めでたしめでたしというのが、企業年金連合会のステークホールダーに対する責任なのでしょうか。

これは「社会的責任投資」などというハイレベルな話以前の問題です。環境も結構、人権も結構、しかし、企業年金にカネを預けている肝心の労働者の利益を無視して、一体どこに企業年金の責任があるのでしょうか。まさか、いま働いている労働者なんかどうでも良い、労働者が引退して企業年金をもらうようになって初めて我々のステークホールダーさまになるんだ、とお考えなのでしょうか。

正直言って、経済産業事務次官を擁護して、元厚生省年金局長を批判するようなことになるとは、想像もしていませんでしたが、これはあまりにもひどいので、一言苦言を呈しておきたいと思います。更迭に値するのは、北畑次官の方ではありません。

(追記)

「さすがにこのhamachan発言は暴走かと、、」言われているのですが、

http://blog.livedoor.jp/a98031/archives/51252486.html

わたくしにはどこが「暴走」なのかよく判りません。

むしろ、「確定給付企業年金を実施しようとする厚生年金適用事業所に使用される被用者年金被保険者等の過半数で組織する労働組合があるときは当該労働組合、当該被用者年金被保険者等の過半数で組織する労働組合がないときは当該被用者年金被保険者等の過半数を代表する者の同意を得て」(確定給付企業年金法第3条)作成された規約に基づき設立された制度を実施する役目の者が、その「確定給付企業年金を実施しようとする厚生年金適用事業所に使用される被用者年金被保険者等」の利益を考えなくても良いという方が、よっぽど「暴走」に思えますが。

村上世彰氏にお金を預けている人は、そのお金を増やしてくれと頼んでいるだけですから、その個々の行為の違法性はともかく、顧客に対しては正しいことをしているというべきでしょうが(それに加えて社会的責任をどこまで要求するかはまた一段上の話)、矢野氏が預かっている金は、顧客をクビにして増やして顧客に返せば責任を全うしたことにはならないでしょう、ということです。

わかりやすくするために、いま日本にはヤマト自動車という会社一つしかないとしましょう。ヤマト自動車は従業員のために企業年金を設立し、その運用を企業年金基金が行っています。さて、このヤマト自動車企業年金基金が、ヤマト自動車は従業員を大事にしすぎて当然出すべき利益を出していない、余計な従業員のクビを切れ、賃金をもっと下げろ、と、「モノ言う株主」として主張して、その結果、ヤマト自動車企業年金基金がより多くの利益を上げたとして、その利益を還元すべき相手はどうなっているでしょうか。

現実には多数の企業年金が存在するので、利益を還元すべきある会社の従業員の利益と、株主として労働者への配分をぎりぎりまで切りつめろと主張する別の会社の従業員の利益とは別物ということで済むわけですが、それは個々の企業年金レベルの話です。

企業年金連合会というのは、日本の企業年金すべての利益を代表しているわけですから、いわば上の設例の、日本に一つしかないヤマト自動車企業年金基金と同じ立場です。そういう立場の人が、上述のようなことを平然と語っていることの方が百万倍「暴走」なのではないでしょうか。

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水町勇一郎先生インタビュー前編

ダイヤモンドオンラインの辻広さんのコラムに、水町勇一郎先生のインタビュー完全版が載っています。今回は前編です。

http://diamond.jp/series/tsujihiro/

>――水町さんは、連合総合生活開発研究所(連合総研)で「新しい労働ルールのグランドデザイン策定に向けて~イニシアチヴ2008研究委員会~」の主査を務めておられますね。

水町:はい。メンバーは労働法学者、労働経済学者が中心で、20代から30代の若手が主力となっています。外国の労働法制の基礎研究をしっかりと行い、直近の改革についても熟知している若手たちで、政府の審議会にも入っていない、自由に発言できる方々です。また、トヨタ自動車の人事担当部長、経団連幹部にも加わってもらっています。連合は、意見は言うが、研究報告内容に口を出さない約束です(笑い)。

つまり、「主力」は「20代から30代の若手」ということで・・・。

このあとは、リンク先をご覧ください、というところですが、現時点でのメンバーは以下の通りです。

発足時のメンバーは、

http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no221/houkoku_3.pdf

の一番下にあるとおり、

主 査:水町勇一郎 東京大学社会科学研究所准教授

委 員:大石  玄 北海道大学大学院法学研究科博士後期課程

 〃  太田 聰一 慶應義塾大学経済学部教授

 〃  神林  龍 一橋大学経済研究所准教授

 〃  桑村裕美子 東北大学大学院法学研究科准教授

委 員:櫻庭 涼子 神戸大学大学院法学研究科准教授

 〃  濱口桂一郎 政策研究大学院大学教授

 〃  両角 道代 明治学院大学法学部教授

アドバイザー:荻野 勝彦 トヨタ自動車株式会社人事部担当部長

 〃  杉山 豊治 情報労連政策局長

でしたが、その後、

委 員:飯田 高 成蹊大学法学部准教授

が加わり、

また、オブザーバーとして、連合と日本経団連からも参加しています。

最終的には2009年初め頃に報告書を取りまとめてシンポジウムをやるという予定になっています。

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そういう二項対立ではないのです

日経BIZPLUSで、金融経済学の深尾光洋氏が「日本的雇用慣行と成果主義」というコラムを書かれています。労働問題にあまり詳しくない方が陥りがちな典型的な思考パターンを見せていますので、このブログの読者の皆さんには今更ながらのお話ですが、ちょっとコメントを。

http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/jcer02.cfm

>最近、ある人から、日本的雇用慣行と欧米型成果主義の違いを整理してほしいと頼まれた。従来型の日本型雇用慣行では対応できない仕事が増えてきているが、成果主義の導入も副作用が大きい。私の限られた経験では見落としも多いと思われるが、議論のたたき台になるのではないかと考え、あえて2つの人事制度のメリットとデメリットを大づかみにまとめてみた。

そういう風に、二項対立させてしまっていけないのです、というのが、まずしなければならなかった答えなのです。しかし、深尾氏はその土俵を何ら疑うことなく、まず日本的雇用慣行についてこう書きます。

>日本的雇用慣行では、長期雇用を前提に採用された総合職については、入社後10-15年程度は報酬、昇進とも表面上はあまり差をつけない。ほぼ全員、同じ時点で社内資格や報酬が上がっていくが、人事管理の面では入社時点から上司や人事部による各人の評価がスタートし、制度的に蓄積されて管理職への昇進が決定される。

 入社後10-15年を過ぎると係長、課長などに昇格する。その時期や仕事の重要さに差が発生するが、同期入社者の給与格差はあまり拡大させない。能力の差は、報酬ではなく仕事の内容で本人に報いる形をとる。実力のある者には、より大きな達成感のある仕事を与える。

 このような制度の下で、給与体系は年功的な要素が強く、年齢別の報酬と実力の関係を見れば、若年層は平均的には実力以下の報酬、年配層は平均的には実力以上の報酬を受け取る。採用は現場部署で決定するのではなく、人事部で全社の新人を採用する。人事異動も現場部署と人事部の交渉で行われる。人事部が人事異動全体を見るので、長期的な人材育成の観点からローテーションを組むことが可能である。現場部署による総合職の採用を認めないのは、現場で採用した人材が不要になっても、社内のどこかで働く場を提供しなければならないからである。

 この日本的雇用慣行のメリットは、第1に、上司や先輩が新人をライバル視する必要がないため、長期的観点から職場内訓練(OJT)など教育指導をするインセンティブを持つことである。第2に、同期入社者が同僚意識を持つことができ、情報共有が容易になる。ライバル意識はあっても、社内ランキングが入社当初は明確にならないためである。

 第3に、当初は昇格に差をつけないことを利用し、人事部や上司が巧みに新入社員全員に対して「皆が幹部候補生だ」と思いこませることができれば、相当長期間にわたって総合職の社員全員に高いモチベーションを持続させることが可能になる。職場には一体感が生まれ、支出が大きい年配層の生活も安定する。

 しかし良いことずくめに見える日本的雇用慣行にもデメリットがある。実力の差が報酬に反映しないため、優秀な人材にとっては待遇面に不満が生ずる。このため、実力主義を採用する外資系などの他企業に優秀な人材が引き抜かれる可能性がある。さらに入社20年を超える層に管理職が務まらない者が現れても、若年層を上回る報酬を支払い続ける必要があり、いわゆる窓際族の発生が避けられない。

細かいところではいろいろと問題はありますが、大まかな描写としては大体こんなところでしょう。一言で言えば、「長期的に差がつく査定付き年功制」です。正社員である限り、ノンエリートのかなり下の方まで、こういう仕組みが適用される点が日本の特徴です。

これに対して、欧米型雇用慣行の基本形は「査定のない職務給」であって、一部のエリート層に適用される成果主義ではありません。というか、欧米型成果主義も、職務給ベースの成果主義であって、日本で成果主義といわれている職務給ベースのないものとは違います。

ところが、深尾氏がその後で縷々書かれるのは、そういう両者の本質的な違いではなく、

>これに対し典型的な欧米型成果主義では、入社同期の間でも大幅な報酬格差が発生しうる。実力が収益に密接に関係する営業や証券ディーリングなどの分野では、入社数年で同期の報酬格差が数倍以上に拡大しうる。年齢が上がってもパフォーマンスが悪ければ報酬は上がらず、場合によってはカットされうる。仕事の面でも実力があれば、若くても管理職に抜てきされうる。

 新人採用は現場部署が決定し、人事部はサポート役しか果たさない。典型的には、採用部署のトップと数名の補佐が面接して採用を決定する。現場部署のトップは部下の報酬を決定したり解雇したりする権限も持ち、解雇も人事部を通さず現場で行われる。一方、現場部署のスタッフは上司の許可を得ず社内で自主的に動けるため、現場部署のトップに人望がなければ部下の離反が発生しうる。上司や人事部はローテーションなどによる長期的な人材育成をあまり考えないので、現場のスタッフは自分でキャリア形成を考える必要がある。

 この成果主義のメリットは、第1に、若年の優秀者を昇格や高い報酬で処遇することができる点である。パフォーマンスの悪い中高齢者を降格や解雇でリストラし、窓際族の維持に伴うコストを下げることもできる。第2に、制度がうまく機能すれば、全社員のチャレンジ精神を強められる。投資ファンドの運用など実力で大きな成果の差が発生する場合は、毎年最もパフォーマンスの悪い者を懲罰的に解雇することで現場に高い緊張感を維持することもできる。

 しかし成果主義にも、当然デメリットがある。職場では周囲の同僚は皆がライバルであり、先輩には新人に仕事を教えるインセンティブが少ない。部署のトップも即戦力の人材を必要とするため、長期的な観点で部下を育てるインセンティブが弱い。また、個々人のパフォーマンスを計測することが困難なサポート部門や調査部門などの職場では、成果主義の実施が困難になる。

 さらに現場トップに強い権限が集中するため、評価者に対するゴマすりや追従が発生しやすくなる。これをチェックするためには、管理職の評価をその上席の者が評価するだけではなく、部下や同僚による、いわゆる360度型の評価が必要になる。現場部署のトップに実力がなければ、部下が全くついて行かないことも起こり得る。「あんな上司に評価されるくらいなら辞めた方がまし」といったことが発生しうるのだ。

この中のいくつかは、職務給システムの特徴であって、成果主義であるか否かとは直接関係ありません。欧米ノンエリートの大部分がそのもとにある査定なき職務給でも、人事権は現場にあり、人事部の力は余り及びません。それはむしろ、日本における非正規労働に近いと言えます。

そして、成果主義ということで言えば、欧米のような職務給ベースの成果主義の方が、そういうベースのない日本で行われる成果主義よりも、より客観的な判断基準でありうるという点がむしろ重要でしょう。もちろん、あらゆる査定は主観的でしかないのですが、職務範囲が明確であれば、その主観性にも限定が加わります。職務範囲が明確でない中での、短期的な上司による査定は、実はよりどころがなくて、主観的な人格判断になってしまいがちです。

もちろん、今までの日本型査定付き年功制でも、査定は基本的に人格判断だったのですが、それが長期的に多くの上司の判断によって行われることで、まあなんというか共同主観性という意味での客観性を持ってきたのだと思うのですが、それをやめてしまうと、ほんとに主観的でしかない判断であり得てしまうところが恐ろしいのです。成果主義を論じるのであれば、本当はそういうレベルに踏み込んで論じないと、問題の本質に届かないと思うのですが。

もちろん、これは深尾氏の責任と言うよりも、深尾氏が通常読まれるようなレベルのこの分野の本が、大変表層的で問題の本質からかけ離れた薄っぺらな売らんかな主義の「てえへんだてえへんだ」的イエロージャーナリズムでしかないという事実の反映なのですが。

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労働法における「使用者」

『時の法令』3月15日号掲載の「そのみちのコラム」最終回は、「労働法における『使用者』」です。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/shiyousha.html

前回に続き、労働法における契約論的発想の弊害を、今度は派遣の法的構成を例にとって述べています。

なお、この「労働法は契約じゃない!」というまことに反時代的な主張は、先日刊行された『日本労働研究雑誌』の学界展望の座談会の最後のところでもちらりと述べております。ご参考までに、

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2008/02-03/index.htm

>【濱口】いささか挑発的な言い方になるかも知れませんが、労働法における契約論的発想の弊害が露呈されてきた時期であったのではないかと感じています。こういうことを言うと、せっかく労働契約法が成立したのに、何を時代遅れなことを言っているのだと言われかねませんが。
 労働法の世界におけるここ数年来の流行は、契約原理という市民社会のルールに基づいて労働関係を規律すべきという考え方だったように思われます。大変皮肉なのは、労働契約法の制定過程において、労働政策審議会で労働側委員までもがそういう主張を繰り返したことです。しかし、そういった民法の私的自治原則にのみ立脚して労働関係を構成するならば、労働者の利害の共通性に立脚してその労働条件を集団的・斉一的に規律しようとしてきた労働法独自の労使自治原則は否定されてしまいます。民法学からも集団的・制度的契約という考え方が提起されてきている中で、労働法学が改めて再検討すべきは、一方的決定ではなく労使対等決定が確保された制度的契約の在り方という方向にあるように思います。
 本日の議論でも指摘されたように、労働契約法の議論がうまくいかなかった最大の原因は、集団的労使関係法理への目配りが欠如していたことであると考えるならば、これからの労働法学の課題は、憲法上自発的結社と位置づけられている労働組合という装置と、職場のすべての労働者の利益を代表するべき従業員代表という仕組みを、いかに整合的に制度設計していくかにあるのではないでしょうか。労働条件の変更問題だけではなく、非正規雇用や解雇など多くの個別的と思われている労働問題に対しても、集団法的アプローチが改めて検討される必要があるように思います。近年、集団的労使関係は研究者に人気のない分野ですが、取り組めば様々な成果が期待される豊穣な分野ではないでしょうか。

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生活給と同一労働同一賃金

『賃金事情』3月5日号掲載の「日本の労働システム②生活給と同一労働同一賃金」 です。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/seikatukyu.html

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「働く」ワーキンググループ報告

昨日読売の記事で紹介した国民生活審議会総合企画部会の「働く」ワーキンググループの報告が、総合企画部会の資料としてアップされています。

http://www5.cao.go.jp/seikatsu/shingikai/kikaku/21th/index.html

http://www5.cao.go.jp/seikatsu/shingikai/kikaku/21th/080304shiryo04.pdf

改めて読んでみると、実に的確な認識に基づき、適切な政策を提示していて、ほとんどそのまま引用したいくらいです。この中から自分の興味に引っかかった「ニート」だけを見出しに取り上げた読売記者の見識(および、その見出しに引っかかってこの報告をあれこれ批判して見せたネット界の人々の良識)が問われますね。

>「働く」ことは、生活者一人一人にとって、生きていくための営みのひとつであるだけでなく、社会への貢献であり責任であり、同時に本人の自信や幸福につながる自己実現のための最重要な方策である。一人一人が自己実現に向け努力していくことは不可欠であるが、制度上、自助努力を促したり意欲を維持・向上させる仕組みも大切である。

しかし、「働く」ことをめぐっては、個人の自助努力のみでは限界があるような事象が現実には多発している。非正規労働者の増加、ワーキング・プアの問題などが生じ、格差の拡大や固定化が懸念され、ときには個人の尊厳が損なわれかねない問題が起こっている。また、長時間労働の労働者が増加し、仕事と健康、家庭生活、地域活動、自己啓発等の両立の困難さが顕在化し、仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)が喫緊の課題となっている。さらに、サービス残業、偽装請負・違法派遣、社会・労働保険の未加入等、「働く」ことに関する基本的なルールが守られていない状況がある。さらには就業形態が多様化し、企業との雇用関係にはないディペンデント・コントラクター(ひとつの企業と専属の委託業務契約や請負契約を交わし、常駐に近い形で就業する個人自営業者等)やNPO 活動に従事する有償ボランティア、二つ以上の企業で働くダブルジョブホルダー(二重就職者)等が増加しているにもかかわらず、必ずしも法制度が十分整備されておらず、既存の労働法制や諸制度の適用から漏れることで問題が生じている実態も見受けられる。

だれもが意欲と能力に応じて働くことのできる状況や、多様な働き方が認められ尊重される状況をつくることは、最大の福祉の実現へとつながり、安心して意欲と能力を発揮できる就業環境の提供は生活者の福祉向上にとって不可欠である。また、働く人がより良いライフスタイルを実現することができるようにするためには、働く人が、家事や育児・介護はもちろんのこと、イベントや学校行事など地域の活動や地域づくり等に積極的に参加できるような取組を進めることが必要である。さらに、これらのことにより労働生産性の向上を図り、社会全体の底上げにつなげることも重要である。

国はこうした視点から、地方公共団体や企業、労働組合、NPO 等と協力・連携し、国民に対して、「働く人を大切にする社会」を保障していかなければならない。本報告は、安心して意欲と能力を発揮できる就業環境を提供する上での緊急の課題とその解消に向けた取組について提言するものである。

まず、「「働く」に関する緊急の具体的課題」として、「就職困難者一人一人に対する支援体制」が挙げられます。

>障害者や母子家庭の母、ホームレスやニート、フリーターなどの若者等、就職困難者一人一人に対し、訓練から、職業紹介、就職に至るまできめ細かく支援する体制(一人別のチーム支援体制)が十分に整備されている状況にはない。これまでの行政の取組は、相談窓口に来た人に対する支援を行うが、自ら積極的に出向いて支援することには限界があったところである。このため、就職困難者一人一人に対する一人別のチーム支援体制が、NPO 等の民間団体の協力を得て労働・福祉分野の行政により、一体的に整備されるようにすることが最重要な課題の一つである。
また、これと併せて、就職困難者の安定雇用に至るプロセスを埋める働く場を創出していくことも重要である。

これについては、さらに「当該課題の解消に向けて(試案)」の中で、

>就職困難者については、厚生労働省において、ハローワークに自ら出向き登録する生活の余裕がない人たちや登録しても無理だと諦めてしまっている人たち、低賃金のパートタイム労働に従事することを余儀なくされている人たちも多く存在するとの認識のもと、よりきめ細かい実態把握を行う必要がある。その上で、就職困難者一人一人に対する一人別のチーム支援体制について、都道府県ごとの官民の協力・連携体制の強化を通じて、
就職困難者の属性に応じた支援チーム(労働・福祉分野の行政及びNPO 等の民間団体で構成)を着実に整備する取組を進める必要がある。

読売さんはどこから「ネットカフェ」という言葉を持ってきたのでしょうか。いや、もちろん、ネットカフェに行ってもいいと思うんですが、「ニート」をわざわざ見出しにして「ネットカフェ」という報告にない言葉を持ち出して、なんだか特定の人々を想定した一定の方向に読者の意識を持って行きたがっているようです。その結果、およそ労働政策に対して憎悪を燃やす一部の人々の格好の餌になってしまうようなミスリードをしてしまっているわけで、少しは反省していただきたいところではあります。

>また、各地域で、働くことについての施策や相談窓口の情報が、生活者に対してわかりやすく、利用しやすい形で提供されるようにする必要がある。具体的には、厚生労働省において、全国レベルで、ポータルサイトの新設により必要な情報を簡単に検索できるような仕組みを整備するとともに、地域レベルにおいても、都道府県ごとに、入口段階であらゆる相談を受け付けるワンストップサービス窓口の整備及び専門相談窓口のネットワーク化による相談体制の整備を図る必要がある。

このワンストップサービスの発想が、今までの労働行政にはわりと欠けていたところだと思います。

昨日もちらりと触れましたが、次の一節は極めて重要です。

>労働関係法令遵守は経営課題としても最重要な課題であり、産業振興行政・中小企業行政においても単に労働行政に協力するという姿勢に止まらず、企業の健全な存続・発展を図る上で避けて通ることのできない課題として主体的に取り組むことが必要である。また、我が国における労働関係法令遵守水準の低さは、学校教育段階で働くことの意味をはじめ働くことに関する的確な教育が行われていないことも大きな原因であるとの指摘もあるところであり、これは若年者の職業意識の形成が十分に行われていないことにもつながっている。

このため、内閣府、厚生労働省、経済産業省、文部科学省等関係府省庁の連携の下に、学校教育段階から社会に出てからの教育を含め、働くことの意味など職業意識の形成を図るとともに、労働関係法令遵守や働くことの権利と義務など働くことに関する教育の充実等のための取組を進めることが必要である。具体的には、学校教育については、文部科学省において、例えば、人は何故働くのか、社会の一員として働く意義は何かなど働くことの意味に加えて、サービス残業の問題や解雇時の保護、困ったときの相談窓口など働き続ける上で最低限必要な知識が実際にどの程度教えられているのかについて実態調査を行い、不十分な部分について厚生労働省はじめ関係府省庁が協力して対応を行うなどの取組が必要である。また、大企業を含め、企業経営者への労働関係法令の周知徹底を図ることは緊急性を要するところであり、中小・零細企業経営者を中心に、最低限必要な労働関係法令の知識について、厚生労働省、経済産業省はじめ関係府省庁が中小企業団体や業界団体との連携を図りつつ、創業支援時、労働保険の適用開始や年度更新の手続きの機会等あらゆる機会を活用して周知・徹底を図る必要がある。

また、

>就職困難者一人一人に対する一人別のチーム支援体制や地域における相談機能の強化については、通常の行政手段(受け身の姿勢の行政や、働く人の自助努力に大きく委ねる方法)に比し格段に人の手間と予算が必要となるところである。例えば、一人別のチーム支援体制の整備については、通常の求職者に対する支援と比べて多くの業務が必要となり、また極めて多くの時間を必要とするところである。また、労働関係法令遵守の徹底を図るためにも、現行以上の監督指導のための体制の一段の強化が不可欠である。

しかし現状を見ると、厳しい定員管理のもと、我が国の労働者1万人当たりの労働行政職員数(職業安定機関、労働基準監督機関等)は諸外国と比較すると極めて少ない実態にあり、さらに地方公共団体においても労働行政担当職員数の減少がみられる状況にある。

こうした状況において、上記の取組を推進するためには、既存の定員・予算の効率化・合理化を図る必要があることは当然であるが、これのみでは真に必要なところに定員・予算を確保することは困難である。このため、職員の専門性の向上や官民の連携強化を図りつつ、地域の労働行政に対する支援を含め、定員や予算を確保するための特別措置を講ずることが必要である。

なんでもかんでも小さい政府がいいというわけではないということです。どういう分野に精力を傾注する政府を望むのか、という選択の問題なのですね。

たいへん興味深く、かつちょっと慎重に考える必要があるかな、と思われたのが、

>公労使の三者構成の審議会等については、実効性のある政策を進める上で三者構成を維持することが必要であるが、同時に生活者の意見を幅広く吸い上げる取組を今後とも進めることが適当である。その他の生活者委員の登用ルールが整備されている審議会等においては、生活者委員の構成比率の向上に取り組むほか、それが変わらない場合でも生活者の意見を幅広く吸い上げる取組を進める必要がある。一方、生活者委員の登用ルールが構築されていない審議会等については、早急にルールを構築することが求められる。なお、すべての審議会等を通じて、現在は働いていないが、今後、就業を希望している人たちや一般の生活者の意見を聞く機会も設けていく必要もある。

また、「働く人を大切にする社会づくり」について、関係府省庁で生活者重視の行政が的確に行われることを担保するため、職員の教育、意識改革の徹底を図るとともに、設置法上その趣旨の明確化を図るべきである。

とりわけ内閣府においては、今後とも「働く人を大切にする社会づくり」について総合調整機能の強化を図ることが求められているが、審議会等への生活者委員の登用ルールが必ずしも整備されていない等とともに、設置法上、「働く人を大切にする」という趣旨も含めて生活者の視点に立った行政を推進するという趣旨が明確になっていないところである。このため、これらについて早急に取組や整備が図られることが適当である。

ここで言っている「生活者」ってどういう人のことなんだろう?

「三者構成を維持するのと同時に」といってるところを見ると、労働者じゃないの?だけど、それって変だよね。「働く人を大切にする社会づくり」のために「生活者」の意見を幅広く吸い上げようというわけなんでしょう。

多分、現在の三者構成のもとで労働者代表として出てきているのとは違う種類の労働者たちというイメージなのじゃないかと思うのですが、それをうかつに(90年代に流行った言葉を持ち出して)「生活者」とか言わない方がいいように思うのですが。下手すると「消費者」サマの要求に従え、みたいなイメージでとられかねませんし。まあ、これは連合にとって厳しい話につながりうるテーマではありますが、逃げるわけにはいきませんよね。

消費者の意識改革という話も最後に出てきます。

>安全・安心で持続可能な未来の実現を図るためには、社会全体として「働く人を大切にする社会づくり」への取組が進められるようにすることが極めて重要である。このため、来年度から開催される社会的責任に関する円卓会議において、消費者としての利便性と働く人としての仕事と生活の調和の関係、消費者の意識改革、社会的責任投資や社会的責任調達等について十分な議論ができるよう、諸外国の制度・状況把握も含めて内閣府を中心に、事業者団体、消費者団体、労働組合、投資家、その他のNPO 等多様な関係者間の対話・調整を進めることが適当である。

なお、本円卓会議の働くことに関わるテーマとしては、仕事と生活の調和や格差是正などが考えられるが、メンタルヘルスやキャリアアップ、職場のハラスメント、長時間労働、不均衡処遇など働く人からの相談体制の整備を促進するために、企業の取組をCSR の観点から評価し支援するような仕組みについても議論していくことが適当である。

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鎖国してえ

餃子事件自体は本ブログで取り上げるべきネタではありませんが、これがこういう形で反中感情を喚起する要因になるのは、やはり、餃子がヒトのメタファーであるからでしょう。

それを極めてわかりやすい形で示してくれているのが、例によって剥き出しの本音全開で下品なコラムを書いてくださる大月隆寛氏です。

http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080302/acd0803020341002-n1.htm

>本欄で「鎖国してえ」とごちてからちょうど1年たったんでもう1度。でも、もうひとりごとくらいにゃおさめてられないんで、はっきり声に出しておおっぴらに。

 ああ、ほんとに心底、鎖国してえ。あの無駄にでかい国限定でいいから。

 かの毒入り冷凍ギョーザ事件、ますます絶好の教材になってきています。われらが食の現在の? それもありますが、何よりもいま、われらニッポンが直面してつきあわなきゃいけない「世界」ってやつを、むかつきながら思い知るための。

「日中友好」なんざもう、デキの悪いギャグ。ここまでコケにされてまだ、隣近所とは波風立てず仲良く、で追従笑いじゃあ政府も外務省も、真性売国奴確定、ですよ。

中国以上に日本の食料を依存しているアメリカのBSE牛肉では「鎖国してえ」とは思わなかったのですから、問題は食べるモノではないのでしょう。

この「鎖国してえ」は、中国人労働力の拡大に対する日本人労働者の表立っては出せない反発感情の別ルートを通じた噴出という面があるように思われます。それがこういういささかファナティックなショーヴィニズムの形態をとることはまことにゆゆしきことではありますが、それを高邁な理念で批判していれば済むというものでもないでしょう。これは、

http://www.nri.co.jp/opinion/region/2008/pdf/ck20080202.pdf

>迫られる労働市場の国際化-多文化共生社会の実現に向けて

などというたぐいの、いささか美辞麗句的な綺麗綺麗な議論では掬い取られない部分ですが、人間という生き物が織りなす労働市場が、社会心理学的分析の対象であり、ひいては政治学的分析の対象でもあるということは、ヨーロッパ諸国における外国人労働者問題とネオ右翼運動の動向をトレースすればよく判ることでもあります。

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OECD on 日本の解雇規制

日経が伝えていますが、

http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20080305AT3S0401404032008.html

>日本の正社員は過保護?・OECDが労働市場分析

 経済協力開発機構(OECD)は4日、加盟先進国の労働市場に関する分析をまとめた。日本は正社員へ手厚い雇用保護をしている半面、パートなど非正社員の処遇改善が遅れていると指摘。正社員への過剰な保護を緩める政策的な取り組みが進んでいないと批判した上で、正社員・非正社員の待遇格差を縮めて、より効率的な労働市場を目指すべきだとした。

 今回の分析は加盟各国に構造改革を促す報告書「成長に向けて(2008年版)」に盛り込んだ。

この「成長に向けて2008」は、これです。

http://www.oecd.org/document/58/0,3343,en_2649_201185_40157242_1_1_1_1,00.html

この本の第2章が各国編になっていて、そのうちの日本の節は、この1頁です。

http://www.oecd.org/dataoecd/13/16/40172723.pdf

そこで、労働市場について書かれているのは、このパラグラフです。

>Reform employment protection legislation for regular employment

Challenge and recommendations: To reduce labour market dualism, it was recommended that more transparent statutory guidelines on the dismissal of workers be introduced and that employment protection for regular workers be relaxed, thereby lowering incentives to circumvent strict conditions for dismissal by hiring non-regular workers.
Actions taken: No action has been taken to ease employment protection for regular workers. The revised legislation on part-time workers, which will come into force in 2008, aims at achieving more balanced treatment between part-time and regular workers. While this may improve the treatment of non-regular workers, it may also discourage firms from hiring part-time workers, thus depressing overall employment.

労働市場の二重化を避けるため、解雇ルールを明確化し、正規労働者の解雇規制を緩和せよ、と書かれていることは確かですが、特に後半のパート法の記述を見ると、あまりきちんと理解がされていないようにも見受けられます。とりわけ「thus depressing overall employment」というのは、明らかにおかしな議論でしょう。

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薬害エイズ事件最高裁判決

私は医薬行政については全く知識がありませんし、意思決定がどういう風にされるものなのかについても全然知りませんので、本判決自体の適否についてあれこれ論ずる資格は全くないことをあらかじめ断っておきます。

医薬行政、あるいは一般的に、企業活動に対してその安全面から規制を加える行政機能と当該業種における企業活動を振興促進する行政機能とが同一行政機関に属するような行政分野においては、本判決の判断が適切であるのかも知れません。日本の行政においては、そういうタイプの振興=規制行政が主流であることも事実なので、そういう分野における問題についてまで異議を唱えようとするものではありません。

ただ、世の中には、必ずしもそうでないタイプの行政も存在し、ある行政機関が安全面から規制を加えようとすると、「うちの可愛い業界を潰す気か?」と別の役所が出張ってくるようなこともあります。さらに近年では、およそ当該規制がなければ必ず被害が発生すると立証できない限り、いかなる規制もやるべきではないという強い信念に燃えた政府機関も存在し、当該規制をしなければ被害が発生するかも知れないなどというあやふやな根拠で規制をしようなどというパターナリズムは許しがたい、と圧力をかけるという現象も生じてきています。そういう中で、次のような最高裁の判断をどういう風に理解すべきなのか、なかなか整理がつきかねるところがあります。

>このような状況の下では,薬品による危害発生を防止するため,薬事法69条の2の緊急命令など,厚生大臣が薬事法上付与された各種の強制的な監督権限を行使することが許容される前提となるべき重大な危険の存在が認められ,薬務行政上,その防止のために必要かつ十分な措置を採るべき具体的義務が生じたといえるのみならず,刑事法上も,本件非加熱製剤の製造,使用や安全確保に係る薬務行政を担当する者には,社会生活上,薬品による危害発生の防止の業務に従事する者としての注意義務が生じたものというべきである。
そして,防止措置の中には,必ずしも法律上の強制監督措置だけではなく,任意の措置を促すことで防止の目的を達成することが合理的に期待できるときは,これを行政指導というかどうかはともかく,そのような措置も含まれるというべきであり,本件においては,厚生大臣が監督権限を有する製薬会社等に対する措置であることからすれば,そのような措置も防止措置として合理性を有するものと認められる。
被告人は,エイズとの関連が問題となった本件非加熱製剤が,被告人が課長である生物製剤課の所管に係る血液製剤であることから,厚生省における同製剤に係るエイズ対策に関して中心的な立場にあったものであり,厚生大臣を補佐して,薬品による危害の防止という薬務行政を一体的に遂行すべき立場にあったのであるから,被告人には,必要に応じて他の部局等と協議して所要の措置を採ることを促すことを含め,薬務行政上必要かつ十分な対応を図るべき義務があったことも明らかであり,かつ,原判断指摘のような措置を採ることを不可能又は困難とするような重大な法律上又は事実上の支障も認められないのであって,本件被害者の死亡について専ら被告人の責任に帰すべきものでないことはもとよりとしても,被告人においてその責任を免れるものではない。

本件事案ではそういう風に言えるのかも知れませんが、たとえば、安全面からの規制権限は確かにその行政機関に存在するけれども、当該対象業種の一般的監督権限は他の行政機関に存し、その行政機関が当該規制に反対した結果として、安全面の規制権限を有する行政機関がその行使を断念したような場合、その不作為は違法になりうるのだろうか、とか、一般的に規制緩和の推進を任務とする行政機関が、当該規制の合理性に疑問を呈した結果として、当該安全面からの規制権限を有する行政機関が規制を断念したような場合はどうなんだろうか、とか、いろいろと考えさせられます。「必要に応じて他の部局等と協議して所要の措置を採ることを促すことを含め」ということの中には、協議しても賛成してくれない場合も含まれるんだろうか、とか。

いや、もちろん、これはどなたかを念頭において言ってるわけではなく、純粋に頭の中の思考実験なんですが。

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ニート支援、官民チームがネットカフェに出向き相談

現時点では、まだ内閣府のHPに資料も何もアップされていないようですが、

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20080304-OYT1T00171.htm

>国民生活審議会(福田首相の諮問機関)の「働く」作業部会は3日、ニートやフリーターのほか、障害者や母子家庭の母親などの「就職困難者」の就業を支援するため、雇用環境の改善策を盛り込んだ答申案をまとめた

んだそうです。

>官民共同の支援チームが若者の集まる場所に出向いて相談を受ける仕組みの創設などを提案している。月内に答申をまとめ、首相に提出する予定だ。

 答申案は、「就職困難者一人一人に訓練から職業紹介、就職に至るまできめ細かく支援する体制が十分に整備されていない」と問題点を指摘したうえで、具体的な改善策を列挙した。

 支援チームは、都道府県ごとに、NPO(非営利組織)法人などの民間支援団体と、国・地方自治体の労働・福祉分野の職員が協力して結成し、ネットカフェなどに出向いて相談を受けることを想定している。

 また、ハローワークでの就職相談、労働基準監督署での労災事故申請など、労働関係のすべての相談に対応できる窓口を各都道府県に設置するよう求めている。

 このほか、〈1〉労働関係の施策や相談窓口の情報が全国で簡単に検索できるホームページの整備〈2〉学校教育での「働くことの権利と義務」の周知徹底〈3〉労働行政の予算、定員の確保――などを提案している。

ブツがまだ手に入っていないので、とりあえずこういう記事があるというだけにとどめておきますが、この記事を見る限り、「ニート支援」を見出しに持ってくるのは、ミスリーディングとまではいわないまでも、かなりの程度バランスを失しているように見受けられますが。

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タイトルが誤解を招きやすい水町先生のインタビュー記事

ダイヤモンドオンラインの辻広さんのコラムに、水町勇一郎先生が登場しています。

http://diamond.jp/series/tsujihiro/10014/

>当コラムで2回にわたって、「正社員の整理解雇を容易にする改革」が必要であると書いた。その主張の理念的背景と方法論を提示してくれたのは、各国の最新の労働法制改革を熟知する若手の労働法、労働経済学者たちだった。その中心人物である水町・東大社科研准教授に、「新しい労働ルールのグランドデザイン」を聞いた。これは要約版であり、全文は2倍以上ある。完全版は来週以降に掲載する予定だ。

――水町さんは、連合総合生活開発研究所(連合総研)で「新しい労働ルールのグランドデザイン策定に向けて~イニシアチヴ2008研究委員会~」の主査を務めておられますね。

水町:はい。メンバーは20代から30代の労働法学者、労働経済学者が中心。外国の労働法制の基礎研究をしっかりと行い、直近の改革についても熟知している若手たちで、政府の審議会にも入っていない、自由に発言できる方がたです。トヨタ自動車の人事担当部長、経団連幹部にも加わってもらっています。

私も一応メンバーなんですが、「20代から30代の労働法学者」ではないですが。

http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no221/houkoku_3.pdf

>――では、遅れている日本の労働法制をどう変えていけばいいのですか。

水町:国は基本ルールだけを決め、具体的なルールやその運用は労使の集団対話に委ねる。そして、その運用が公正に行われたか否か裁判所が事後チェックを行う。例えば、国は、「合理的理由がない限り処遇差別をしてはならない」という基本原則だけを掲げる。労使対話には、正社員だけでなく非正社員、派遣、請負労働者まですべての労働者が参加し、平等とは何かを徹底的に議論し、ルールを作成し、運用に関与するのです。

――日本の労働法制は、正社員に対する法的保護があまりに強い。派遣や業務請負との格差を解消して、「公正」を本当に実現できますか。

水町:正社員の既得権や正社員という枠を見直す動きは、その対話、議論の中で出てくると思います。90年代以降の労働問題は、正社員が日本的雇用システムという枠のなかで守られ、それと非正社員とのバランスが悪くなってしまったことに大きな原因があります。コスト削減圧力が強まっても、正社員は簡単には雇用調整できない。だから、新卒を採らず、まずパート、次には派遣、それが法規制で使い勝手が悪いとなると、今度は業務請負の利用に走り、格差拡大の方向に一直線に向いてしまった。と同時に、枠のなかで守られていると思ってきた正社員が少数化して過剰労働に陥るという状況も生まれてきた。全体としてのバランスが悪いなかで、全体が不幸に陥るという事態になってきた。これはおかしいんじゃないかという議論が起こってくると思います。

――例えば、どのように「公正」が実現されますか。

水町:「公正」のあり方は、それぞれの集団的な対話のなかで決まってくることになります。例えば、正社員の雇用は保護し、非正社員の雇用は流動的にするという企業では、非正社員の雇用が不安定になる分それを補償する手当を出すということも考えられます。

――正社員の雇用調整が容易になり、逆に、非正社員が正社員になりやすくなる、という改革もできますか。

水町:この3月に施行される労働契約法の16条に、解雇は「客観的合理性」と「社会的相当性」がなければ無効であると定められています。このルールをめぐっては、いわゆる「整理解雇の四要件または四要素」という法理が裁判所によって確立されています。しかし、この判例法理が画一的に解釈されすぎると、時代環境や個別事情に対応できない。このルールの解釈・運用の仕方として、労使がそれぞれの企業・職場における雇用のあり方についてどのように考え、どのようなルールを作り、それを公正に運用しながら労使の納得のいく形で雇用調整が行われている場合には、その労使の取り組みを重視する、という法解釈をすることが考えられます。

詳細インタビューは次号以下で、ということなのですが、大体水町先生の意図を適確に伝えていると思われます。タイトルを除けばね。あえていえば「労働ルールは労使の集団対話に」とでもつけるべきところで、わざわざ「正社員のクビを切りやすくする、新たな労働ルールの実現性」などと(ある意味では正しくないわけではないが、それだけが主眼だと誤解されると適当ではない)いう必要はないと思うのですが・・・。

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理科が大事!

日本経団連の「月刊経済Trend」に、ソニーの中鉢社長の「科学技術立国を担う次世代を育てるために」というエッセイが載っています。

http://www.keidanren.or.jp/japanese/journal/200803.html

>昨年12月、OECDから世界57カ国の15歳を対象にした学習到達度調査の結果が発表された。日本の高校生は、「科学的応用力」6位(前回2003年2位)など全科目で前回より順位が後退した。特に深刻なのは、科学への興味が希薄で「科学に関連する職業に就きたい」と考える生徒が諸外国の平均25%に対し、わずか8%と極端に少なかったことだ。科学技術創造立国を標榜する日本としては、重く受け止めなければならない結果である。

1946年、ソニーの創立者の一人、井深大は、設立趣意書の中で「自由闊達にして愉快なる理想工場の建設」とともに、「国民科学知識の実際的啓蒙活動」を目標に掲げた。そして、日本の将来の発展を支える子どもたちが、科学に関心を持ち好きになるには、小中学校における理科教育が最も重要と考え、1959年に「ソニー理科教育振興資金」を設立し、その教育支援事業は、今に続いている。戦後の荒廃の中、資源の乏しい日本にとって、科学、技術を中心とした国づくりを進めるという目標は、国力を回復し国際社会に再び認められるための希望でもあった。

翻って今日、世界的にはグローバル経済の進展と新しい国々の台頭が経済の流れを変え、また、国内的には少子高齢化と対峙する中で、日本の国際競争力の向上は喫緊の課題となっている。21世紀の日本にとって、科学力、技術力こそが競争力の根幹であり、それを担う人材の育成が、従前にも増して重要となっていることを、再認識する必要がある。そして、科学を理解し、好奇心や創造力を養い、モノを生み出すことに喜びと充実感を感じる子どもたちを育てることに、社会として真剣に取り組まなければならない。

それには、企業も教育のあり方に関心を持ち、次の社会を担う次世代の育成を企業の社会的責任と位置づけ、長期的な視点で、教育の充実に積極的に携わることが重要だ。たとえば、企業が理科教育や技術教育等で「体験の場」を提供していくことは、子どもたちに科学、技術やモノ作りの面白さを知ってもらうために効果的である。こういった「場の提供」は、既に各企業で取り組んでいることだが、さらに産業界として連携してひろげていくことが、日本の将来を支える人材育成の一助となるのではないかと考えている。

大学入試の仕組みのために、いわゆるヘタレ文科系インテリに一番欠けているのは理科の教養なんですね。理科の大事なところは、理屈が通っていることと、経験的事実に即していることの両方が絶対に大事だというところで、事実に即さない屁理屈をこねくり回すだけでは理科にならないし、理論抜きに個別の事実をもてあそぶだけでも理科にならない。多分、その辺がヘタレ文科系って奴の最大の弱点なんじゃないかと思うわけです。エセ科学にころりとやられる。

前にこのブログで引用した大瀧雅之氏の

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_54bc.html

>・・・そうした中、まことに単純で杜撰な想定に基づく計算から導出された証券価格やリスク評価を盲信し金融経営の中心に据えることは、経営の怠慢に他ならず、背筋に寒いものを感じる。筆者が文科系学生の数学・理科教育が何にもまして重要と考えるのは、こうしたプリミティブな「数学信仰」そして同じコインの裏側であるファナティシズム・ショーヴィニズムを抑止し、広く穏やかな視野で論理的な思考を涵養せねばならないと考えるからである。彼らが数理科学の「免許皆伝」となることは残念ながらまったく期待できないが、組織・企業の要として活躍するには、そうした合理精神が今ほど強く要求されているときはない。

>筆者の理想とする銀行員像は、物理・化学を初めとした理科に造詣が深く、企業の技術屋さんとも膝を交えて楽しく仕事の話ができる活力溢れた若人である。新技術の真価を理解するためには、大学初年級程度の理科知識は最低限必要と考えるからである。そうした金融機関の構成員一人一人の誠実な努力こそが、日本の将来の知的ポテンシャルを高め、技術・ノウハウでの知識立国を可能にすると、筆者は信じている。

という痛烈な批評とも通ずるものがあります。

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雇用政策基本方針

先週金曜日に、雇用政策基本方針-すべての人々が能力を発揮し、安心して働き、安定した生活ができる社会の実現-が告示されました。

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2008/02/h0229-1.html

内容については、今までもこのブログ上で何回か紹介してきていますが、

1 雇用政策の基本的考え方

(1)安定の確保

(2)多様性の尊重

(3)公正の確保

という、例の「基軸」がこちらでも基本になっています。

かつての企業主義時代の雇用政策は、「雇用安定」一辺倒で、労働者の多様性は軽視され、その結果として公正さにも欠ける面があったのに対して、その後の市場主義の時代には、安定性が軽視されたため公正さも担保されなくなったといえるでしょう。いつクビになるか分からないとなれば、いいたいことも言えなくなるのは必定です。とはいえ、かつてのようなただクビさえつながればいいから何でも会社のいうことを聞け、という時代に戻ることができるわけもありません。

まあ、この3つを両立させるということは、全部100%満足させるなどということは不可能なのですから、逆にいえばどの一つもある程度のところで我慢するということでもあり、中庸の感覚が必要であるということでもあります。

具体的な施策としては、

第1に、性別、年齢、障害の有無にかかわらず、誰もが意欲と能力に応じて働くことのできる「全員参加型社会」の実現を目指す。

第2に、人々の意欲と能力に応じた適切な職業キャリア形成が行われ、能力が十分発揮できるような環境の整備を図る。

第3に、誰もが、生涯を通じ、人生の各段階に応じて、多様な働き方が主体的に選択可能となるとともに、仕事と生活の調和のとれた働き方ができる社会を実現していく。こうした社会の実現により、長時間労働により生じる健康被害の防止や少子化の流れを変えることが期待できる。

このうち第2の職業キャリア形成に関して、

>労働者の職業キャリアの形成は、企業の事業運営において重要なものであり、OJTが引き続き大きな役割を果たしていくことから、企業内における職業能力開発に係る支援を進める。加えて、企業外におけるOFF‐JTや自発的な職業能力の開発及び向上も重要性を増していくことから、多様な教育訓練を提供する教育訓練機関の育成を目指し、民間企業、中小企業団体・業種別団体等の事業主団体、公益法人、大学・専修学校等の学校等を教育訓練の受け皿として活用すること等により、各機関の特性を活かした教育訓練機会の確保を図る。

と、90年代に過度に「自己啓発」至上主義に走った能力開発政策を、企業と社会の責任を強調する方向に切り替えていることが、政策の大きな流れとしては重要だと思われます。

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五十嵐仁さんへの応答

私が本ブログ上で何回か批判した政治学者の五十嵐仁さんが、ご自分のブログ上で反論を書かれています。

http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2008-02-28

本論に入る前に、五十嵐さんが極めて冷静かつ温厚な態度で反論されていることに敬意を表したいと思います。そんなことは当たり前と言えば当たり前なのですが、自分の書いたことが批判されると逆上して、議論の中身はどこへやら、もっぱら人格攻撃と罵倒、さらには人格攻撃ですらない属性攻撃に終始するといった香ばしい方々もいらっしゃることですから。五十嵐さんの対応はたいへん真っ当で、真正面から私の批判に対して事実を摘示する形で反論されています。

五十嵐さんは、

>「市場主義的な構造改革路線を政策の中心に置いて走り出したのは、細川、羽田、そして何より村山といった非自民党首班内閣の時代であったこと」を隠すつもりは全くないということです。

>実は、この月例研究会では、濱口さんが指摘されるような内容についても報告しております。

と述べ、その報告会におけるペーパーを引用しておられます。そこでは、宮沢、細川、村山各内閣において、生活大国から規制緩和へ徐々に重点が移っていったことが書かれており、事実五十嵐さんは月例研究会ではそのように語られたのでしょう。

実のところ、昨年のエントリーで批判した『大原社研雑誌』のやや長めの論文では、こういった時期についての上述のような記述はなく、まさに橋本内閣から規制緩和路線が始まるような記述になっていたものですから、今回の短い報告文でもそうだと即断してしまったのですが、少なくとも今回の月例研究会の報告については、そうではなかったようです。したがって、そこを隠している云々といった私の批判は当を得ていないものというべきであり、撤回させていただくとともに、それを「知的誠実さ」の欠如と表現した点についてはお詫びしたいと思います。以上が第一点です。

第二のこの時期の内閣を熱狂的に支持したか否か云々については、おそらく五十嵐さん自身は「それまでの自民党内閣よりはましだが支持するわけではない」という立場(リベラルでないサヨク)なのでしょうし、おそらくその点では他の政治学者の方々を念頭に置いた表現を適用するのはいささか適切ではなかったと言うべきだったと思います。ただ、問題はむしろその先にあります。

上述の点とも関わるのですが、実のところ、宮沢内閣から細川内閣を経て村山内閣へと連なる政策路線には、その当時の社会状況からして、確かに積極的に評価されるべき要素があったのであり、それゆえに当時多くの学者やマスコミが支持したわけです。それは、それまでの企業中心社会の在り方にいくつかの矛盾が生じ、それを修正しなければならない状況が生じていたことを反映していました。当時、それをもっとも明確な形で定式化したものとして、例えば大澤真理さんの『企業中心社会を超えて』などが挙げられるでしょう。そこに示された批判は、それ自体としてはもっともなものが多かったことは確かです。

しかしながら、そのある面で正当な批判は、同時にそれまでの企業中心社会のもっていたそれなりの社会性、連帯性、福祉性を否定するという側面も有していました。そして、続く橋本内閣以降ではその側面が次第に前面に出るようになり、小泉内閣でその頂点に達するわけです。ここで重要なのは、この両面性をきちんと認識することであって、誰がどの内閣を支持したかしなかったかといったようなことではないのではないかと思います。

これは、やや抽象的に言うと、政策批判における過度の政治主義の弊害と言うことになるのではないかと思います。政治は友敵の区別から始まりますから、批判するなら全面的に批判した方がかっこいいし、見栄えもします。支持するなら全面支持、批判するなら全面批判、中途半端なことを言っていると、こいつはどっちつかずのいい加減な奴だということになる。しかし、世の中の物事は、そうすっぱりと割り切れるようなことはほとんどありません。企業中心主義には、確かに当時批判されたような弊害があったかも知れませんが、同時に多くの国民にそれなりにまともな生活を保障し、ワーキングプアというような状態にまで追いつめないという面もあったわけです。しかし、そういう言い方は、政治の場ではあまり見栄えがしません。

逆に、事態がここまで進んだ段階で、規制緩和路線を諸悪の根源のように批判するのは、ある意味でたやすいことではありますが、その出発点にあった(はずの)当時の生活者優先という問題意識自体が(短慮であったとはいえても)邪悪な意図であったとはいえないことも、また、当時のその主唱者たちの発言に照らして明らかであろうと思います。

政治的にかっこいい議論を追求することが、確かに批判されるべき面を有するがそれなりに有用なシステムに対して、想定以上の破壊的効果を及ぼすことがあり得るというパラドックスを、残念ながら90年代の日本人はあまり理解していなかったのではないかというのが、私の基本的な問題意識にあります。この批判を五十嵐さんに向かって投げかけるのは、あるいはむしろ適切ではなかったのかもしれません。

ただ、その時々の政治的な流行に乗って、確かにそれなりに正しい議論を展開するだけでは、言論の責任をまっとうすることはできないのではないか、それなりの正しい議論の裏側の、確かにそれなりに問題はあるけれどもやはりそれなりに有用な物事にもきちんと目線を配るという配慮がなければ、90年代のこのあやまち、確かにそれなりに正しかった生活者優先、企業中心社会を変えようという議論が、気がついたら規制緩和万歳に至りついていたというこのパラドックスを再び別の形で繰り返すことになりかねないのではないか、という私の思いが、「知的誠実さ」というややもすれば人格批判にもなりかねない言葉を用いたことの背後にあることを、同時にご理解いただければ有り難いと思います。

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分権真理教?

いや、別に呉智英老師の向こうを張ろうというわけではないのですが、

http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2008/0228/agenda.html

昨日の経済財政諮問会議で「政府機能の見直し」ということで、「国と地方の仕分け」「官と民の仕分け」が議論されたようです。官民の問題は市場化テストとしてここでも何回か取り上げてきましたが、昨日は全国知事会から「国の地方支分部局(出先機関)の見直しの具体的方策(提言)」というのが示されていて、有識者議員もそれをエンドースする文書を出しており、一言コメントしておく必要を感じます。

労働行政関係では、労働基準行政と職業安定行政をまるごと地方に移譲可能だと書いてあるのですが、どこまで本気なのでしょうか。正直いって、をいをい、という感じです。ただ、「をいをい」の中身はだいぶ違います。

労働基準行政を地方に移管するとどういういいことがあるのか、提言の後ろの方の「国の出先機関の廃止等によって地域活性化や行政改善が想定される事例」にも載っていません。多分、どう頭をひねってみても見つからなかったのでしょう。その代わりに、弊害は山のように思い浮かびます。労働基準行政というのは、すべての事業場をある意味で仮想敵として臨検監督し、違反を摘発するわけですから、地方政治レベルでは山のような圧力が予想されます。何でこんな我が県のためになっている大事な会社を詰まらん労基法違反如きで摘発するんだ、という政治的圧力に、県庁の一課長如きがどこまで堪えられるか、ということについて、常識的な感覚を少し働かせれば、どういう事態が現出するか容易に想像できるものだと思うのですが。

これに対して、職業安定行政は、実はそもそも1999年までは県庁の中にあったのです。知事の指揮監督を受ける国家公務員という特殊な形態、地方事務官という仕組みだったのですが、それが地方分権の趣旨に反するということで、国と地方で取り合いした挙げ句、国に一元化されてしまったという経緯があります。その結果、都道府県は国とは別に職業紹介事業ができるという規定が設けられ、まさに二重行政の弊をもたらしてしまいました。私は、職業安定行政の性質からして、地方自治体と切り離して動かすことは適当ではないと思っています。産業振興や福祉、教育といった、他の地方レベルの行政とも密接に連携していく必要がありますし、地方政治レベルの要望に敏感に対応していく必要性も高いと思うからです。しかし、一方で、職業紹介と失業給付は表裏一体でなければモラルハザードを大きくしますし、雇用対策の財源ともなっている雇用保険は多くの大企業が集中する都市部から地方への再配分機能を果たしていて、これを完全に分権化すると地方は雇用対策が困難になるでしょう。カネの面倒は国が見るという仕組みをやめてしまって本当に大丈夫だと、多くの地方の知事さんたちがお考えなのか不思議です。

私は、かつての地方事務官制度は決して悪いものではなかったのではないかと思っているのですが、地方分権というのは地方自治体と国とでどっちが100%とるかとられるかの喧嘩だというようなおかしな分権真理教のせいで、かえって地方自治体から引き離されてしまい、いささか浮いてしまっているように思います。労働基準行政はむしろKYの方がよく、浮いているぐらいでちょうどいいのですが、職業安定行政の場合はちょっとまずいと思います。

まあ、いまさら地方事務官制をそのまま復活するわけにもいかないのでしょうが、国と地方自治体が有機的に組み合わされた二重行政でないいいシステムを作り上げるにはどうしたらいいかという積極的な方向性でものごとを検討してもらいたいものだと感じます。

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学界展望における福井論文の紹介とコメント

一昨日のエントリーで紹介した日本労働研究雑誌2/3月号所収の「学界展望 労働法理論の現在」ですが、そのうち、私が報告を担当したうちの一つである福井・大竹編著の「脱力本」に関する紹介とコメントの部分を載せておきます。

ちなみに、このあと、有田先生、道幸先生、奥田先生からもさまざまなコメントがされていますが、それらは是非雑誌そのものをお買い求めの上お読みください。

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2008/02-03/index.htm

>●福井秀夫/大竹文雄『脱格差社会と雇用法制――法と経済学で考える』

【濱口】  この著作をなぜ取り上げるかといいますと、一つは、特に福井秀夫氏が規制改革会議の労働タスクフォースの主査として、2007年5月に意見書を出して、これがかなり大きな反響を呼んだということで、日本の労働政策決定の中枢に近いところにいて、いろいろな意見を言っている人だということと、それから、これは副題が『法と経済学で考える』となっていて、法と経済学という新しいディシプリンでもって労働法にチャレンジしたものだという触れ込みなのですが、しかし、実は特定の立場に立った法と経済学でもって今の労働法制を非難するものになっていて、これこそが法と経済学だというふうに理解してほんとうにいいのかということについては、かなり疑問があります。

 この本に対しては、『季刊労働者の権利』でも取り上げられましたし、あるいは『労働法律旬報』でも批判が載ったんですが、その中で、経済学から労働法に対する挑戦状だというような記述がありました。しかし、そういうとらえ方はあまり適切でないのではないか。本来、経済学にはもっといろいろな考え方があるはずなのに、特定のイデオロギーのものだけが経済学で、経済学というのはけしからんというふうになってしまうと、いい意味の労働法と経済学のコラボレーションができなくなってしまうのではないか。そういう意味で、この本をきちんと批判的しておくことが必要ではないかということで、この本を取り上げることにしました。

 この本は何人もの人が各章で論文を書いているんですが、中心になっているのは、第1章「解雇規制が助長する格差社会」という福井秀夫氏の論文ですので、ここでも専らそれについて議論したいと思います。この第1章自体、いささか論点が錯綜しているんですが、大きな流れとしては、現在の労働経済学で解雇規制を正当化する議論、これを不完備契約理論といいますが、これに対する批判が中心になっていますので、そこを中心に見ていきたいと思います。

 この不完備契約理論というのは、労働者にとって情報に非対称性がある。つまり、将来起こり得る事態をすべて雇用契約に明記して、その履行を強制するということはそもそもできないという特質があるということから、どうしても雇用契約というのは粗くなってしまう。そうすると、それにつけ込んで、使用者が機会主義的な行動をする危険性というのが出てくる。それを防止するために解雇を規制する必要があるというものです。これに対して福井氏は、同じく長期継続的な契約である借家契約というのを取り上げまして、それと同様、雇用契約だって、かなりの部分を契約に記述することは可能であると言います。また、技能というのは他の使用者のもとでも十分生かせることが多いから、解雇規制が情報の非対称性を改善する効果は乏しいと、その効果を否定します。それに対して、解雇規制を導入してしまうと、逆に使用者側にとっての情報の非対称性が高まるという論点を出します。つまり、採用する前は生産性が高いか低いかわからない。これが情報の非対称性です。ところが、採用後、実は生産性の低い労働者だったということがわかっても、解雇規制があると解雇できないために、採用する前にあらかじめ生産性が高いと見込まれる類型の労働者を採用しようとする。その際、学歴がシグナルとして利用されるので、学歴差別が促進されるんだということを、かなり縷々書いています。

 また不完備契約理論については、これも労働経済学では、転職すると企業内での教育投資の効果が発揮できなくなるような当該企業固有の投資、これを企業特殊的投資というんですが、これがあるから不完備契約になるという理論があるのですが、そんな投資は普遍的ではない。多くは、どの労働者にとっても共通の知識、技能であると言って、その根拠を否定します。また、企業が機会主義的行動をとるという前提に対しても、そんな蓋然性はあまりない、もしその企業が機会主義的な行動をとるのであれば、雇用契約を完備契約、つまり、起こり得ることをすべて書き込んだ契約に近づけるために詳細で客観的な契約条項を規定すればいいんだ、それが大事だという言い方をします。

 きょうも取り上げられた内田先生をはじめとする、いわゆる継続的契約論についても、たとえ契約が長期継続的な契約であっても、将来の権利義務関係を完全に予測することは可能だというような前提に立って、したがって解雇規制を強制する理由はないんだということを言っています。

 それから、もう一方で、労使の非対等性というのは、これは労働法、労働経済学の出発点からの前提だと思うんですが、これについても、そもそも労働市場というのは需要独占や寡占ではなくて使用者間に競争があるから労使の非対等性はないという論理になっています。

 さらに、憲法に基づく生存権から解雇規制を論ずる議論に対しては、そんなものは各企業にやらせるんじゃなくて、国家が失業給付や生活保護で行えばいいというような議論をしています。

 具体的な立法論として、これは結構おもしろいところなんですが、金銭解決に対しては極めて否定的でありまして、金銭解決というのは、本来あるべきでない規制を前提としたものなので、ないほうがいいんだけれども、しかし、とりあえず、やるんだったら金銭解決でもやむを得ないと、妥協的改善策としては認めるという議論になっています。

 コメントですが、この福井さんという方は、もともと建設行政が専門で、借地借家法の規制緩和に活躍された方です。それはそれでいいんですが、どうもそのために、雇用契約についても、自分の土俵である借地借家契約と同視するような議論を展開する傾向が見られます。確かに借地借家契約も雇用契約と同じように長期継続契約なんですが、しかし、借地借家というのは人間の意思的行為自体を目的とするものではなくて、単に物的設備の貸借にすぎないんです。それに対して、雇用契約というのは、日々の人間の意思的行為そのものが契約の目的になっているわけです。つまり、単に長期継続というだけでなくて、人間が意思的に行う行為を長い将来にわたってことごとく予測し記述することができるという前提に立っているという点において、彼の議論には大きな問題があるだろうと思います。

 あるいは、議論の手法にもいくつか大きな問題がありまして、例えば、企業特殊的技能の問題についても、100%他企業に移転できないような、全くその企業でしか使えないような技能というものはないだろう、かなりのものは企業で共有されるという議論でもって、あたかもすべての技能が普遍的で、転職しても全くロスがないということが論証できたという議論を展開しています。

 真実はおそらく中間にあって、非常に企業特殊的な熟練から全く普遍的な単純労務までさまざまな技能があるはずですが、100%かゼロかという話で、100%を否定したからゼロだと言わんばかりの、こういうレトリックの使い方というのは問題があるのではないか。

 それから、労使の非対等性について、独占や寡占じゃない、競争があるからいいんだというロジックなんですが、これは外部労働市場で移動可能性があれば非対等性があるというロジックです。ここには、企業内部における権力関係という認識が全く欠落しているんじゃないか。経済学でも、例えばハーシュマンの議論では、相手に対して行動を要求する際に、エグジット、退出することによって相手にメッセージを伝えるというやり方とともに、集団内部でボイス、発言することによって変えていくという2つの在り方を論ずる議論というのがちゃんとあるわけなんですが、このボイスという観点が全く抜け落ちている。特に労働関係の場合には、集団内部に非対称性があるわけですから、ボイスをいかに集団的にやっていくかというのが中心的な課題になるはずなんですが、そういう観点が全く欠落しているというところにも大きな問題があります。

 それから、やや論点は変わるんですが、生存権は国がやればいいという議論は、まさに旧来の福祉国家の発想で、ヨーロッパの場合、国が福祉の面倒を見すぎたために、今、むしろ「福祉から就労へ」とか「メイク・ワーク・ペイ」という議論になってきているのに、今から全部福祉で面倒を見るつもりだろうか。おそらくそんなことをする気は全くないはずですが、しかし、レトリックとしては、生活保護で面倒を見ればいいというようなことを言っているというところも大きな問題だろうと思います。

 それから、特に実証性ということでいうと、解雇規制があるから学歴差別の原因になるというような議論をするのであれば、例えば、世界で最も解雇規制が緩い随意雇用原則をとっているアメリカでは最も学歴による差別が少なくて、ヨーロッパは解雇規制が厳しいところも緩いところもありますが、それと学歴差別の程度というのはおおむね比例しているとか、少なくとも、どこまできちんとやるかは別として、そういうことを実証しなきゃいけないなと思わなければいけないのではないかと思うんですが、そういうことはない。レトリックだけで、解雇規制があるから学歴差別になっているのがよくないという議論に終始していています。

 総じて、こういうロジックが「法と経済学」だとなってしまうと、経済学的な発想で労働法を論じていくという、本来、豊穣な可能性があるものを、かえって閉ざしてしまう可能性があるので、大変問題ではないか。そういう意味では、むしろ望ましい経済学からの労働法の分析の例として、矢野誠編著の『法と経済学』に入っている樋口美雄先生と山川隆一先生の「労働法」の章が、労働法規制があることによってどういうメリットがあるのか、また同時にどういう問題点があるのかを指摘していて、非常にバランスのとれたものだと思います。


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プリンスホテルvs日教組問題の文脈

この問題、その後もいろいろと火花を散らせているようですが、どうも世間は日教組を左翼思想を世に広めるための政治思想団体であるかのように考えて、集会結社の自由だなんだという方向でばかり議論されているようで、正直いって私には大変違和感があります。

http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20080226AT1G2604426022008.html

http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20080226AT1G2604H26022008.html

裁判所の命令を聞かないのは法治国家に反するだとか、旅館業法違反だとか、そういう議論もそれなりにもっともではあるけれども、なんだか個人の思想信条の自由の延長線上でのみこの問題を議論していくと、結局憲法学者が大好きな立憲主義の枠組みの中の議論になっていってしまって、個人の自由を守るために国家権力を動員するという話にしかならない。

いやもちろん、そういう枠組みも大事だし、憲法学者や法哲学者にとってはそれが飯の種だからそういう議論でいいのですが、そうじゃない視角があんまり見えないというのは問題だと思いますね。

逆に、労働組合の団結権の問題だと(連合のボイコットはまさにそういう考え方の上に成り立っているわけですが)考えれば、これは少数者の弱々しい権利を国家権力にお願いして守ってもらうような話ではなく、国家権力に頼らず多数者の力で労働者の権利を侵害する企業に対して言うことを聞かせるという話であるはずです。多数者がボイコットするから効き目があるのであって、少数者であることに自己満足している集団がボイコットしてみたところで、蛙の面にションベンでしかない。そういう集団ほど、自分たちの力不足を補うために国家権力に頼りたがるのですがね。

これを言い換えれば、労働者の団結は多数者であることが唯一の武器なのですから、労働者の労働者としての利益と直接関係がないような政治思想運動には距離を置いた方がいいということでもあります。様々な政治的立場の労働組合が、教育労働者の団結への攻撃には共通してボイコットするというのが労働者の連帯というものでしょう。余計な話ですが、日本の労働運動は平和運動とかなんとかに余計な精力を使いすぎてきた嫌いがあるのは否めません。

労働運動の歴史からすれば、あまり司法権力に頼る方向ではなく、まさに「団結は力なり」を自分たちの力で示していくことこそが本筋だと思います。

(追記)

よく判らないのは、プリンスホテルがケシカランと言っている人々が、もしホテル側が最初から「いやあ、日教組さんは右翼を連れていらっしゃるからお断りさせていただきます」と言っていたら、それはしょうがないと考えるのかと言うことです。法律的には、それは私的自治の世界ですから、一方が嫌だというものを強制することはできません。

初めから契約していない相手に、会議を開かせろ、宿泊させろという裁判を起こすこともできないでしょう。法治国家云々と言ってみたって、一回目のうっかりして日教組と契約してしまったときだけは通用するにしても、それに懲りた二回目以降は通用しませんね。

しかし、そうやって排除されてしまって手も足も出ないという情況が、労働組合の団結権にとってはもっとも望ましくないことなのですから、必要なのはそういう風にさせないことでしょう。それはもはや法治国家だとか旅館業法だとかといった話ではないはずです。

初めから「労働組合はお断り」というようなホテルこそ、労働組合の総力を挙げて(国家権力に頼ることなく)ボイコットしないといけないわけでしょう。それはもう、(暴力ではないが)実力行使の世界です。そういう感覚がなくなってしまうことの方が、逆に心配なんですが。

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hamachan=八代尚宏?

労務屋さんが、『東洋経済』の「雇用漂流」特集の福井秀夫 vs hamachanを取り上げて論評されています。

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20080220

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20080221

私の発言のうち、整理解雇法理を見直すべしというところにいささか意外の感を抱かれたようで、

>hamachan先生と解雇規制緩和という組み合わせにちょっと意外感があり、具体的にはどういうことをお考えなのだろうとhamachan先生のブログをサルベージしてみましたが、なにしろ膨大かつ充実したブログなので発見できませんでした。ただ、この文脈から読めば、解雇回避努力の一部、つまり正社員の解雇を回避するために有期契約社員の雇い止めや派遣の打ち切りを先行させなさい、という部分を見直すべきだ、ということだと思われます。

で、実はこれは規制緩和論者、たとえば八代尚宏先生の主張と同じなんですね。

と述べられています。やたらに量ばかり多いブログで済みません。

こういう感想は、実は昨年11月の連合総研20周年シンポでも会場からいただきまして、お前のいっていることは労働ビッグバンと同じじゃないか、と。

ネット上でも、hidamari2679さんの「風のかたちⅡ」というブログで、

http://ameblo.jp/hidamari2679/entry-10043928066.html

>特に濱ちゃん先生の「整理解雇法理の見直し」のくだりは、道理に暗いひだまりワン公にはドッキリものと思えた。福井君はともかく、「カナダ型」とかおっしゃっている八代先生と一瞬かぶって見えた

こういう感想は、ある面で正しいのです。実際、八代先生の本拠の労働市場改革専門調査会に呼ばれていったときに、こういうふうに喋っています。

http://www.keizai-shimon.go.jp/special/work/15/work-s.pdf

>今日の議論とどこまでつながるかわからないが、解雇ルールを論じるときには、2つの次元に区別した方がいいだろうと思う。

1つ目は、一般的に雇用契約が成立している中で、使用者側が、ある労働者について、とにかく気に入らないから首にするという行為、これは両者の力関係に差があり、一種の権力的な行為になってしまわざるを得ないが、それを認めるのかどうかという問題である。

2つ目は、企業が市場の中で運営している中で、どうしても労働力の投入量を削減せざるを得ないときに、整理解雇するのは良くないので、日ごろから時間外労働に従事させて、不況になったらそれを減らしなさい、あるいはどこか遠くに配転して賄いなさい、あるいはパート・アルバイトを解雇して、正社員の雇用は何が何でも守りなさいというような、いわゆる「整理解雇法理」に結集しているようなものの考え方である。この二つの次元を分けて考える必要があると思っている。

前者について、およそ雇用契約関係という、単純なものの売り買いでない人間関係の中で、権力的に私の言うことを聞かないからお前は首だというものを全く野放図に認めている国はヨーロッパでは1つもなく、アメリカという特異な例があるだけである。解雇規制が非常に緩いと言われている、例えばデンマークモデルと言われるデンマークでも、そういう公序良俗に反するような解雇についてはきちんと規制されている。そういう次元の解雇規制、解雇ルールの問題と、整理解雇を過度に規制することによって、時間外労働、配転、非正規労働者などに様々な無理を生じさせているような解雇規制とは分けて議論する必要がある。

そういう意味から、これは基本的には労働契約法の中でも議論されたが、今の整理解雇法理をそのままの形で法制化するのは、やはり抜本的に考えた直した方がいいはずだと思っている。

ただ、逆に言うと、一般的な解雇規制については、今の解雇権濫用法理のようなあいまいな形ではなく、正当な理由がなければ解雇してはならないと、きちんと書いた方がいいのではないかと思っている。

ここのところをもっと詳しく展開してみたのが、昨年夏に『季刊労働者の権利』に書いたものです。上のhidamari2679さんは、これを読まれて上の感想を漏らされたわけですが。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/roubenflexicurity.html

最初のところは福井秀夫氏の批判、本体部分はEU諸国の解雇法制の解説(この部分はあまりほかになく役に立つはずです)、そして最後のところが日本の解雇規制の見直し論です。

(1) 権利濫用法理からの脱却

(2) 金銭解決の検討の必要性

(3) 整理解雇法理の見直しの必要性

と、いずれも同誌の購読者であると想定される労働弁護士の皆様には大変刺激的なものになっています。

で、最初に戻りますが、これは「八代尚宏先生の主張と同じなんですね」と言われれば、その限りではその通りだとお答えすることになりましょう。労働者の側にとって弊害をもたらしているような規制は緩和すべきだという点では、意見に違いはありません。

ただ、だからといって「すべての規制は定義上労働者のためになるように見えて必ず労働者に不利益をもたらすものである」とは私は考えていないというだけです。そして、何が利益で、何が弊害かという判断基準自体、社会の変化、時代の流れの中で変化してくるものだという、まあある種歴史主義的な発想(と言っていいのかどうか分かりませんが)が、私の基本にあるので、70年代にはそれなりに社会的妥当性があった整理解雇法理も、今の時代には見直さないといけないでしょう、と考えているわけです。

その意味においては、

hamachan≒八代尚宏

という等式は別に間違っておりません。ただ、その緩和の代わりに、どういう点で労働者保護のための規制を強化すべきかという点についてまで意見が一致するという保障はありません。

(追記)

平家さんにも、「労働・社会問題」ブログで当該記事を取り上げていただいています。

http://takamasa.at.webry.info/200802/article_12.html

こちらは、主として福井秀夫氏の議論について、経済学的な立場から吟味しているもので、大変参考になります。(左にトラバが来ています)

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福井秀夫氏の反・反論

さて、規制改革会議のHPに「『規制改革会議「第2次答申」(労働分野の問題意識)に対する厚生労働省の考え方』に対する規制改革会議の見解」というのが載っています。

http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/publication/2007/0222_02/item08022202_01.pdf

>厚生労働省は『規制改革会議「第2次答申」(医療分野及び労働分野の問題意識)に対する厚生労働省の考え方』(以下『厚生労働省の考え方』という)において、「契約内容を当事者たる労働者と使用者の「自由な意思」のみにゆだねることは適切でなく、一定の規制を行うこと自体は労働市場の基本的性格から必要不可欠である。」としているが、労働契約について、当会議が単に労働者と使用者の「自由な意思」のみにゆだねるべきであるなどと主張した事実はない。「労働市場における規制については、労働者の保護に十分配慮しつつも、当事者の意思を最大限尊重する観点から見直すべき」と主張しているのである。
したがって、労働者の保護に必要な法的な手当を行うべきことは当然である。

ほほう、「当会議が単に労働者と使用者の「自由な意思」のみにゆだねるべきであるなどと主張した事実はない」んですかあ。限りなくそれに近いことを主張しておられたようにお見受けしますが、まあ御本人がそうでないと仰るんですからそうでないんでしょうねえ。なにしろ「労働者の保護に必要な法的な手当を行うべきことは当然である」と、はっきり仰られたのですから、今後その言葉に則った言動をされることを切に期待いたします。

金銭解決すらケシカランといわんばかりの口ぶりであった解雇規制についても、

>厚生労働省は『厚生労働省の考え方』において、「契約の内容を使用者と労働者との「自由な意思」のみにゆだねることは適切ではなく、最低限かつ合理的な範囲において規制を行うことは必要であり、専ら情報の非対称性を解消することで必要な労働者保護が図られるとの見解は不適切である。」としているが、当会議において、厚生労働省が主張するように、雇用契約の内容を単に「『自由な意思』のみにゆだねる」べきであるなどと主張した事実はない。むしろ、「労働市場における規制については、労働者の保護に十分配慮しつつも、当事者の意思を最大限尊重する観点から見直すべき」と主張したのである。規制の見直しによって生じうる問題点について、必要な法的手当てを行うべきことは当然である。

そういうことであるならば、日本語は通じるようですよ、厚生労働省の皆さん。

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学界展望:労働法理論の現在

日本労働研究雑誌の2/3月号に、「学界展望:労働法理論の現在──2005~07年の業績を通じて」というかなり長い座談会形式の論文批評が載っています。

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2008/02-03/index.htm

出席者は、有田 謙司(専修大学法学部教授)、奥田 香子(京都府立大学福祉社会学部准教授)、道幸 哲也(北海道大学大学院法学研究科教授)、濱口桂一郎(政策研究大学院大学教授)です。

取り上げた論文は以下の通りです。

荒木尚志「労働立法における努力義務規定の機能-日本型ソフトローアプローチ」

鎌田耕一「安全配慮義務の履行請求」

川田知子「有期労働契約に関する一考察-有期労働契約の法的性質と労働契約法制における位置づけ」

内田貴「制度的契約と関係的契約-企業年金契約を素材として」

柳家孝安「雇用・就業形態の多様化と人的適用対象の在り方」

鎌田耕一「労働基準法上の労働者概念について」

毛塚勝利「労働契約変更法理再論-労働契約法整備に向けての立法的提言」

道幸哲也「労働契約法制と労働組合-どうなる労使自治」

福井秀夫・大竹文雄編著『脱格差社会と雇用法制ー法と経済学で考える』

なお、私たちも全然知らなかったのですが、同じ号に、福井・大竹編著の経済学者による書評論文が載っています。

書評論文

雇用法制を巡って 福井秀夫・大竹文雄 編著『脱格差社会と雇用法制──法と経済学で考える』

江口 匡太(筑波大学システム情報工学研究科准教授)

神林  龍(一橋大学経済研究所准教授)

読み比べてみるのも一興でしょう。

さらに、同号には、大竹先生と一緒に解雇規制分析をされた奥平さんの論文も載っています。

論文(投稿)

整理解雇判決が労働市場に与える影響

奥平 寛子(大阪大学大学院経済学研究科博士課程)

これは是非お買い求めいただく値打ちの高い雑誌だと思いますよ。

ちなみに、巻頭エッセイは仁田道夫先生が労働法教育について書かれています。

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2008/02-03/pdf/001.pdf

>90%以上の人が学校を出れば働くのだから, 労働法を高校の必修科目にしたらどうかとも思うが,自分の経験に照らしても, 学校で学んだことは忘れやすい。とくに, 労働法のように, 自分が働く立場になってみると切実だが, それまでは, なんだかよくわからないというような科目は, 学校で教えてもなかなか身につかない。だいたい, 普通の市民は, ごく常識的なことを除いて, あまり法律を知らないものである。法律を知らなくても,普段の生活には困らないのだ。いざ必要になれば,専門家に相談すればよいとも思っている。しかし,労働組合を結成する権利を国民が知らないというのは, 少々問題ではないか。

>話は飛ぶが, マンションの管理組合理事を務めると, 防火管理者というものを置かなければならないことを知る。住民の中には仕事にからんで防火管理者の資格をもっている人が一人くらいいるから, その人にお願いすることになるが, 特定の人に負担をかけるのを避けようとすれば, 選ばれた理事の一人が消防署にいって防火管理者の研修を受け, 資格を取得しなくてはならない。防火は確かに大事だが, 労働法上の権利侵害を防ぐことも, 同様に大事だろう。どの事業所にも一人くらいは「労働法管理者」を置くべきではないか。会社の人事・総務担当は確かにそういう知識をもっているが, 彼らの立場は, 従業員側ではなく, 会社側である。
労働組合がない場合, 従業員側「労働法管理者」に最もふさわしいのは, 過半数代表であろう。私は, かねて, 過半数代表者に研修を義務づけるべきだと考え, 主張してきた。声が小さいので, 世間には, ほとんど知られていないが。法律上, 過半数代表者にはいろいろな役割が負わされている。その役割を遂行するためには, 常識や, 職場の事情を知っていることだけでなく, 最低限の労働法知識が必要とされる。労働基準法を全然知らないのに三六協定にサインしてよいはずがない。消防法を全然知らないで「防火管理者」になれないのと同じことではないか。全国に従業者10 人以上の事業所が120 万くらいあり, 少なく見積もっても80 万人くらいは過半数代表者が選ばれているだろう。この全員に研修をほどこそうとすると,最初は膨大な作業になるが, だんだん「労働法管理者」有資格者が増えていくから, それほどの負荷ではなくなるだろう。行政がサービスを提供し,講師は労使団体から出してもらえばよい。夢物語だろうか。

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天工銭を空しうする勿れ、時に判例なきにしもあらず

下記エントリーの参考として、戦前の大審院判例を引用しておきます。大審院刑事部昭和8年4月14日判決(刑集12巻6号445頁)です。

これは、民法上の「組合」のケースですが、労務提供者を組合員として事業を行っていた被告が工場法違反として有罪となった事件です。

>本件組合に於いて被告人の個人経営の当時職工30余名と共にその共同事業として浴布製造を目的とする組合を設立すると同時に該組合の事業遂行のため被告人が其の業務執行代表者となり総事業の執行監督利益分配並びに組合員の加入脱退除名に関する全般の事務を司り自余の組合員はすべて被告人の指揮監督の下に組合の工場に於いて工業的作業の労働に従事して労務に応じ月給日給及び製品出来高等の標準により毎月その報酬を受けこれを各人生活の資となし因って以て右組合員たると同時に一面組合に従属して傭使せられおる事実を看取しうべし。然りしこうして工場法にいわゆる職工とは工業主に対し従属的関係に於いて有償に工業的作業に従事する工場労働者を言うものと解すべきを以て如上被告人以外の組合員が各自組合の一員たると同時に一面組合の職工に該当することもちろんなり

彼らは我が組合の組合員ですから工場法の適用はないんですよというやり口はだめだよ、と戦前の大審院は明確に言ってました。

この判決を受けて、同年5月24日、内務省社会局労働部から次のような通達が出されています。昭和8年発労第52号です。

>近時工場法の適用を免れんがために職工間接雇用の方法により或いは職工をして社員若しくは組合員たらしむる等工場経営の組織形態を変更して工業主と職工との間に使用関係なしとなすもの之有候処、工場法に所謂職工とは工業主に対し従属的関係に於いて有償に工業的作業に従事する労働者を言う義に之有り、如上の場合に於いても法規適用の対象たる工業主及び職工間の使用関係を否定するを得ず、従って当然工場法を適用すべき次第に之有り候条、御了知相成りたく候。追って右の解釈は従来より当局のとり来たるところに候所、先般個人経営工場を組合組織に改めたる実際の事例に関し大審院は右解釈と同様の解釈に基づく判決をなしここに之が確定を見るに至り候条念のため

お前の持ち出す判例や通達はいつも戦前のモノばっかりじゃないかと言われそうですが、そっちの方が役に立つモノばっかりなんだから仕方がないんですよ。

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労働者協同組合について

新雇用戦略へのぶらり庵さんのコメントで、労働者協同組合に関する記事がリファーされていました。

日本労働者協同組合連合会のホームページはこれですね。

http://www.roukyou.gr.jp/

議員連盟立ち上げについては、ここに詳しく書かれているようです。

http://www.roukyou.gr.jp/17_topics/2008_01_2.htm

欧州諸国にはこういう労働力出資型の協同組合という法制度がありますし、社会的に一定の役割を果たしているのは確かなので、法制化を超党派で支援するというのは結構なことだとは思うのですが、それが労働者にとって利益になるものだとばかり強調するのはいかがなものかという疑問もないではありません。とりわけ、前連合会長という立場の方が肩入れすることの問題点ということにもちょっと意識を持っておいていただきたいという気がします。

端的に言うと、労働者協同組合における労務提供者は労働法上の労働者ではないということに(とりあえずは)なるので、労働法上の労働者保護の対象外ということに(とりあえずは)なります。この事業に関わるみんなが、社会を良くすることを目的に熱っぽく活動しているという前提であれば、それで構わないのですが、この枠組みを悪用しようとする悪い奴がいると、なかなかモラルハザードを防ぎきれないという面もあるということです。

いや、うちは労働者協同組合でして、みんな働いているのは労働者ではありませんので、といういいわけで、低劣な労働条件を認めてしまう危険性がないとは言えない仕組みだということも、念頭においておく必要はあろうということです。

それこそ最近の医師や教師の労働条件をめぐる問題を考えると、どんな立派な仕事か知らんが、労働者としての権利をどないしてくれるンやというところを没却してしまいかねない議論には、少しばかり冷ややかに見る訓練も必要なのではないか、というきがしているものですから。

この辺の危惧、『福祉ガバナンス宣言』に掲載された坪郷さんとの対談でも、かなり失礼なぐらいに強調しておいたのですが。

ちなみに、この対談のナマ録を昨年9月にこのブログに載せてありますので、参考までに。いささか冗長ですが。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_e58b.html

>それからさっき言った、フルタイムの人、パートの人、有償ボランティアの人、無償ボランティアの人、など、要は、就業形態が多様化しているということですね。これを、普通の営利企業で就業形態が多様化しているといった時に、たしかに企業側は「これはみなさんがそれぞれにボランタリーにいろんな働き方をお選びになった結果、こういう風になっております」という言い方をしますけれども、「なに言ってやがるんだ。お前ら金をケチるためにやっているんだろ」という話にどちらかというと行くんです。

だけど、特に、介護みたいに公的部門も民間営利部門も、そして、この市民部門も、みんなそれぞれ、実は物理的に言うと、同じことをやっているという中にそれを置いてみると、──すごくいやらしい言い方をすると──民間企業では要するに労働法の規制がゆるいとは言いながら、まだあるのでそこまでは出来ない、というのをこの市民事業だから、有償ボランティアだ、無償ボランティアだと言って、よりチープな労働力を利用できているんじゃないか。営利部門はそれが出来ないから、コムスンみたいにインチキをしなくてはいけないんだ、という、──すごく皮肉な言い方ですけどね──実はそういう面も……。

>ところが、そこがだんだんひろがっていって、例えば、転じて、高齢者を介護をするとか、お世話するとかいう話になってくると、それを自己実現とか──そういう面があるのは確かなんですが──実はそれが自己実現であることが労働者としては、極めて、ディーセントでない働き方の状態を、人に対してだけでなく自分自身に対してもジャスティファイしてしまうようなメカニズムが働いてしまうのではないかと思うんです。それで、さっきから同じところの周りをグルグル回っている感じがするのですが、そこのところをどこで線を引いて仕分けをするべきなのか、というのが、この問題のある意味、永遠の課題なのかなと思います。

(追記)

この問題について、「いちヘルパーの小規模な日常」の杉田俊介氏がなかなか鋭い嗅覚を示しています。

http://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/20080220/p2

>法制化の可能性は五分五分、と言われていたけど、ちょっと変な流れになってきた。協同組合は伝統的に失業者対策/失業者の自主的雇用創出の面をもつので、おかしな話ではないのだけれども、少しきな臭くもある。

 協同組合の法制化もまた、「行政からの補助金など、公的支援に頼らない点も特徴だ」「地方自治体の行政サービスを民営化する際の委託先などになることも想定されている」など、社会的企業やらワークフェアやらの流れに沿って、下請け産業・孫請け産業の水際へと押し流されていく危うさもありそう。まあ、阪神淡路大震災の「後押し」もあって特定非営利活動促進法(NPO法人法)ができたみたいに、歴史の後押しは常に必要であるわけだし、行政・企業の思惑と草の根の動きが必ずしも一致するわけでもないわけで。

 ちなみに、これも歴史的に、労働組合運動と協同組合とは相性が悪いので(労働者が協同組合を自主的に運営してしまえば、使用者と労働者の対立=敵対性が見失われるため)、今後、反貧困の流れの中で、どの辺に接点が見出せるのか見出せないのか。

なお、時事通信と読売新聞の記事も引用されています。

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人生と暮らしと労働

斬り込み隊長氏が、人間という非合理な生き物の行う生活と労働という現象について、一歩深い感想を。

http://kirik.tea-nifty.com/diary/2008/02/post_8dbe.html

>それ以上に、私よりも先に結婚をし、子どもを持ち、充実した家庭生活を送っている人を無条件に尊敬できるようになりました。前は、社員が子どもの養育費を理由に給料アップを求めてきたら激怒していたんですが、なるほど人生と暮らしと労働というのは本来切り離してはならないものだったのだなあという。

理屈だけで割り切れるようでそう簡単に割り切れないのが労働というものでして・・・。とはいえそこを、ある程度のところでわざと割り切りながらやらないと進まないという面もあるのですが・・・。まあ、すべてについて言えることですが。

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辻広雅文氏の誤解を招きやすい正論

ダイヤモンドオンラインのコラムで辻広雅文氏が書いた「正社員のクビを切れる改革は本当にタブーなのか?」は、「轟々たる批判、非難が寄せられた」そうで、それに対する再反論がさらに掲載されています。

http://diamond.jp/series/tsujihiro/10011/

http://diamond.jp/series/tsujihiro/10013/

辻広氏自身にもきちんと区別がついていないかに見受けられるところもあるのですが、解雇規制ということの概念規定がいささか不用意であるために、いたずらに批判を招いているふしがあるように思われます。辻広氏の言う「正社員のクビを切れる」というのは、社長とセックスするのが君の仕事だと言ったのに言うことを聞かないから「クビを切れる」ということでもなければ、求人広告に月給30万円だと書いてあったのに、実際は10万円だったので、こんなのおかしいじゃないですかと苦情を言ったら「クビを切れる」ということでもないはずです。

「はず」というのは、辻広氏は明示的にそういうのを除くと明記してはいないからですが、まあ、そういう場合でもクビを切れるようにしておかないと、そういう目にあった労働者の既得権を保護したりすれば、当の労働者を過酷な地位に追いやり、若い既得権のない人々を不幸にする、これはニュートンの力学法則のようなものだ!とまで仰るつもりはないだろう、と推測するわけです。

実際、辻広氏は

>日本では正社員の整理解雇は、ほぼ不可能だ。社員保護の判例が最高裁判決まで積み重なり、いわゆる「整理解雇の四条件」が厳格基準となり、ありていに言えば、倒産寸前に追い詰められなければ、解雇など許されない。であれば、労働法制を大転換し、「正社員の整理解雇を容易にする改革」が不可欠となろう。

と、述べているので(労働法を学んだ人ならすぐ気がつくでしょうが、この表現には事実に反する誇大な表現があるのですが、それはとりあえず措くとして)、ここでいう「クビが切れる」というのはあくまでも、労働力の絶対量を減らさなければならないときに、どういう形で減らすかという規範の問題に限られているはずです。

とすれば、それがまさに正規労働者と非正規労働者の雇用保障の格差問題であることも見やすい道理ですし、今までの整理解雇法理が正規労働者の雇用保障の代償として非正規労働者には(上記のような人権侵害的な場合であっても)ほとんど雇用保護を与えてこなかったことをどう考えるかという課題への一つの回答として、ある意味で極めてリーズナブルなものであることも了解されるでしょう。

さらに、辻広氏は最近の水町勇一郎先生の議論を引きながら、

>価値観が多様化、多元化し、なおかつ、産業別あるいは企業ごとに、経営事情、労働状況がそれぞれに異なるようになった今、国が法律で金太郎飴的に縛ってももはやうまくいかない。それなら、欧州ではソーシャルダイアログ、米国では構造的アプローチと呼ぶ、労使の対話、集団的コミュニケーションによって、個別に労働ルールを決めたほうがいい。労働法制は、その対話を促進するような内容に変えていくべきだ――そういう考え方に変化してきているのだという。

>例えば、国は、「合理的理由がない限り、処遇差別をしてはならない」という平等原則だけを掲げる。労使対話には、正社員だけでなく非正社員、派遣、業務請負に至るすべての雇用者が参加し、平等とは何かを徹底的に議論し、ルールを作成し、運用に関与する。

 その集団対話のなかで、あまりに強い正社員の法的保護、既得権が浮かび上がり、どうにかして派遣や業務請負との差別的格差を解消して、同一労働同一賃金などの「公正」を実現しようとするプログラムが組み立てられていく。例えば、あくまで正社員の雇用を維持し、非正社員を不況時の人員調整弁に使おうとするなら、正社員の雇用条件を下げ、一方、不安定な立場の非正社員には優遇措置を行う、といった工夫はできるだろう。

 さらに踏み込んで、正社員の雇用調整が容易になり、逆に、非正社員が正社員になりやすくなるという改革もありえる。正社員の雇用調整が不可能であるのは、裁判所が判例を積み重ねて、いわゆる「整理解雇の四要件」を越えられぬ壁としたからだ。つまり、国が決めている。それでは、時代環境にも個別事情にもついていけない。労使が考え抜いて、ルール、運用を工夫し、納得したら、柔軟な雇用調整を許容すればいい

という風に議論を進めていきます。労働問題を個別関係の中に閉じこめるのではなく、集団的な枠組みで解決を図っていこうというのは、まさに私も強調していることであり、そしてそのためにこそ、正規労働者も非正規労働者も、パートも派遣も請負も、その職場で働くすべての労働者が参加する集団的枠組みを構築していかなければならないという話につながるのですね。

もちろん、すべてを集団的な枠組みに委ねられるわけではありません。上で例示したような経営上の必要性のない恣意的な「クビ」は、健康を危うくするような長時間労働と同様、「政府が作る画一的な規定」が必要な領域でしょう。

しかし、労働力の絶対量を減らさなければならないときに、それをどういう形でやるべきかは、それに直接利害が関わるすべての人が関わる形でなされるべきだというのは、民主制原理から考えてももっともまともな判断だと思います。

かつてのように正社員はみんな女房子供を養わなければならない成人男性で、非正規は旦那に養われている主婦パートか親がかりの学生アルバイトなんだから、当然後者のクビを切って前者の雇用を守るべし、という風には言えなくなってきた時代であればこそ、その間の利害調整(利益と不利益の分配)は、それぞれの状況に対応できる形で分権的に行われる必要が高まってきているわけです。

個別労働者の権利ばかりに関心が逝っていた近年の風潮に対して、集団的労使関係的発想を再度再建する必要性ということでもあります。

ま、それを「正社員のクビを切れる改革」というような不正確な上に不必要に刺激的な言い方で打ち出す必要はないのではないかとは思いますがね。

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知的誠実さについて

大原社会問題研究所雑誌の2月号に、五十嵐仁氏の「政策形成過程の変容と労働の規制緩和」という短い報告が載っています。

http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/591/591-14.pdf

私が近年取り上げている問題領域と大幅に重なるのですが、次のような記述を見ると、基本的なスタンスとして知的誠実さが欠けているとしか思えません。

>現在に至る政策転換は90年代初頭に始まる。その背景となったのは「バブル経済」の破綻と湾岸戦争の勃発である。これによって,日本的経営と軽武装国家としてのあり方が否定され,「ワシントン・コンセンサス」に基づく新自由主義による市場原理主義と規制緩和路線が強まり,「東アジア戦略報告」によって安保体制が再定義され,軍事的国際貢献論の具体化が進む。
その「改革」メニューと舞台装置がそろうのは橋本内閣の時代であった。
これは小渕・森内閣で紆余曲折を経るが,小泉首相の登場で頂点に達する。小泉首相は小選挙区制導入(政治改革)や省庁再編(行政改革)によって強化された官邸の力や首相の権限を最大限に利用し,トップ・ダウン型の政策形成を採用した。安倍首相は基本的にはこれを引き継ぎつつも部分的な修正を図り,参院選惨敗後に登場した福田首相はさらなる修正を図ろうとしている。

なぜかここに出てくる内閣名は、橋本、小渕、森、小泉、安倍、福田といった自民党首班のものばかりです。

しかし、いうまでもなく、こういう動きの出発点は五十嵐氏が「現在に至る政策転換は90年代初頭に始まる」というように、その前の内閣の時代です。

市場主義的な構造改革路線を政策の中心に置いて走り出したのは、細川、羽田、そして何より村山といった非自民党首班内閣の時代であったことを、そして、「リベラル」なサヨクの皆さんがそれを熱狂的に支持したことを、文章の上だけで隠してみたってしょうがないでしょうに。

五十嵐氏の議論の作法については、前にもこのブログで取り上げましたが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_e7f8.html(労働政治の構造変化)

>ふーーーん、橋本内閣からネオリベ政策が始まったんですかあ。

>その前の村山内閣は社会主義的だったんですかあ。

>ここが日本の90年代のネオリベ化の最大のアイロニーなんです。サヨクが一番ネオリベだったのですよ。ここのところを直視しないいかなる議論も空疎なものでしかありません。五十嵐さんの議論はそれを党派的に正当化しようとしているだけさらに悪質ではありますが。

こういう頭隠して尻隠さず的党派性は相変わらずですね。

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過労になると脳下垂体細胞が次々と死滅

ちょっと前の朝日の記事ですが、労働時間規制(残業代ではなくって)がなぜ必要なのかについての科学的根拠付けの一つとして。

http://www.asahi.com/science/update/0215/TKY200802150139.html

>極度の過労によって、脳の中心部にある内分泌器官、脳下垂体の細胞が次々と死滅していることを、大阪市立大の研究チームがラットによる実験でつかんだ。これまでは過労は生体の機能が落ちるだけとみられていたが、実際は生命維持の中心器官の一つが破壊されていることを初めて立証した。熊本市で15日から始まった日本疲労学会で報告した。

 厚生労働省によると06年度の脳・心疾患で死亡した「過労死者」は147人。研究チームは過労を早く見つける「過労マーカー」の開発に役立つと期待している。

 大阪市立大の木山博資(ひろし)教授(解剖学)らは、ラットの飼育箱の底に1センチ強の深さに水を張り、5日間観察した。ラットは体が水にぬれるのをとても嫌う性質があり、立ったまま数分うとうとする程度しか眠れなくなる。徹夜で働く人間と、ほぼ同じ状態だ。

 このような状態のラットの脳下垂体を調べると、5日目に細胞が死滅し始め、下垂体の中葉と呼ばれる部分がスポンジ状になっていた。

 下垂体中葉には、脳の神経核A14という部分から神経伝達物質ドーパミンが供給されている。疲労がつのるにつれて、A14のドーパミン生産能力が減り、下垂体の死滅細胞が増えていた。

 実験後、飼育箱から水を抜くと、ラットはすぐに睡眠をとり、半日後には活動を再開した。しかし、下垂体が元の状態に戻るには数日間かかった。早めの休養が重要であることを示している。

まあ、こういう記事を書いてる新聞記者の皆さんが、実は一番脳下垂体細胞が死滅するような働き方をしていたりして・・・。

http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20080220/p4#seemore

>それと、マスゴミの中の人たちがマジで1年365日「24時間オンコールが義務」と考えている可能性は高いと思う。だってブンヤもTV屋もしばしば自分たちが無茶苦茶な生活をしているわけで、建前では「ワークライフバランス」「過労死を防げ」とか言っていても、本音ではそんなの全然信じてないもんね。挙げ句は『働きマン』だの作って自分たちの激務を自慢しているわけでしょ?

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学校選択制は、「ダメな学校」を構造的に作り出す

(最近これを紹介することが多いですが、別に日経BPの回し者じゃありません)日経ビジネスオンラインで広田照幸氏のインタビュー記事が載っていて、私も前に本ブログ上で何回か書いたフリードマン信者大好きの教育バウチャー制について、教育専門家の立場から的確な批判を加えています。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080215/147257/

>バウチャー推進論者は、教育バウチャー制度によって「教育がよくなる」と連呼しているのですが、私には、どうも納得ができません。どうしてあんなにラフで楽観的に導入推進を主張できるのですかね。

>いま推進論者が提案している形のバウチャー制度を日本で実施したら、どうしてそれが毒薬にならず良薬になるのかについては、ほとんど説明されていないのです。「これさえ飲めばガンが治りますよ」という、怪しいセールストークを聞かされているような気分です。

>「最悪のシナリオ」というのは、ニュージーランドのように、学校間の格差が拡大していき、バウチャーが実質的に富裕層への補助金になってしまう、というものです。

 というのも、いままでの議論をみるかぎり、私学にどう手をつけるのかが全然議論されていないし、競争状態を作り出すための条件、すなわち公立学校のカリキュラム編成などに自由度をどう与えていくかという議論もなされていません。

 つまり、公立学校が私立学校と対等な条件で競争できるようにするにはどうすればいいのかという議論が、まったく欠けているのです。私学を経営している人にとっては、触れてほしくない論点かもしれません。

 具体的にはこういうことです。私学の自由度(特に授業料徴収の自由、選抜の自由)が保持されたまま制度が運用されたら、私立の学校は競争条件に変化がないまま、今までよりもはるかに多額の補助金を「児童・生徒の数」に比例して受け取るようになってしまいます。

 そして教育予算は大枠がかぎられていますから、結果的に、公立学校への財政配分は低下します。私学に食われてしまうからです。また、赤林氏がいうように、選抜の自由が保持されたままでは、バウチャーは私立に子どもを通わせたい教育熱心な富裕層への補助金にしかなりません。

 同時に、公立学校は人気校・不人気校に分化していきます。学校選択制をやってきている品川区でも、そういうふうになっていますけれども、生徒が集まらない不人気校には予算をカットする、というふうになると、その流れに拍車がかかります。「うちの子の学校は少人数でいいわぁ」なんて、呑気なことを言っていられなくなってしまいます。

推進論者が抱いてきた願望と違って、生徒の問題行動の総量は減らないで、ひょっとしたら増えるかもしれない。しかも、「問題集中校」みたいな形で、特定の公立学校は、今以上に大変な状態になっていくんじゃないでしょうか。

>冒頭に紹介した教育再生会議の報告でも、バウチャー制度は学校選択制とセットで提案されています。単なる個人への補助金交付ではなく、保護者と子どもに学校を選ばせる。ユーザーである保護者や子どもは「教育の質」を判断して学校を選ぶようになるから、学校間でよりよい教育を提供すべく競争が起こり、結果として教育全体のパフォーマンスも向上する、という論理構成です。

 一見すると、もっともな議論に見えますが、ここには「情報の不完全性」あるいは「情報アクセスの不完全性」という問題がするっと抜け落ちているように思います。

>、「宣伝」にせよ「評判」にせよ「評価」にせよ、情報や情報アクセスには、つねに不完全性がつきまとわざるをえません。「教育の質」が情報化されることにさまざまな困難があるし、仮に十分な情報が提示されたとしても、選択の際に使われるとはかぎらない、ということです。

 だから、各学校が教育の改善や工夫をしたからといって、それがストレートに保護者に伝わり、地域の評判も上がって、入学者が増加する、という具合にはいかないと思います。

 むしろ、各学校でやれる工夫の幅が小さい中で、一元的な尺度で学校の評判が決まっていき、ひとたび悪評に見舞われた学校は、教師たちのさまざまな努力や工夫にもかかわらず、ずるずると入学する生徒は減っていく、というふうなことが起きてしまうはずです。

 これを極端な悲観論のように思われる方もいるでしょう。でも、たとえば学校選択制をいち早く導入した東京都品川区の公立小中学校の選択動向を見ると、そうなっています。入学者数が減った後に巻き返しができた学校はごくわずかで、ほとんどは増加と減少の二極化傾向にあります(小林哲夫「親子の本音が招く人気校への雪崩現象」『中央公論』2006年11月号)。

 たんなる学校選択だけでもそうなのだから、予算のカットと連動したら、ますますいったん「不人気校」のラベルを貼られると、脱出が困難になってしまいます。

>経済学者の小塩隆士氏も、学校選択においては初期条件がかなり重要なポイントになると述べています。格差がゼロという状態はありえないから、親は「あの学校は学級崩壊が多いからやめよう」とか「進学率が高いからここにしよう」とか、限られた情報で学校を選択する。その結果、「いい学校」はますますよくなり、「悪い学校」はますます悪くなる、と(『教育を経済学で考える』)。

 そうであるならば、大前提(1)を改める必要があります。「親や子どもは『教育の質』を厳密に判断しない」と考えないといけません。

 学校選択制やバウチャー制の導入論者は、この点を決定的に無視しています。彼らは、親や子どもが完全情報のもとで、消費者として合理的な選択をする、というモデルで学校改革を考えています。でも、実際にそうはならないのです。

 「学校がもっと情報発信を」とか、「評価結果の公表を」といったふうに、学校選択制やバウチャー制の導入論者は主張します。でも、それは、完全情報のもとでの合理的な選択を保障することにはなりません。多くの人は単純な序列や風評・イメージで学校を選択し、不人気校はその結果、いくら努力しても浮き上がれないという泥沼に落ち込むでしょう。

 学校間のゼロサム・ゲームで、予算の取り合い競争させるようなしくみは、長期的には、公教育一般への信頼性を揺るがせてしまう、と思います。「ダメな学校」をいつも構造的に作り出すしくみだからです。

 そうではなく、「どこの学校に行ってもちゃんとした教育が受けられる」という安心感を与えるだけの公教育の充実こそが、長期的に好ましい戦略だと思います。問題を抱えた子どもが多くいる学校には教員を加配するなど、プラス・アルファの発想で、公教育をトータルに底上げしていく施策こそが必要なのです。

単純素朴な初等ケーザイガク教科書嫁派がうかつに労働という高等生物たる人間の絡み合いの世界に手を突っ込んだときに起こる愚かな現象と、ほとんどパラレルな事態が教育の分野でも起こることを、説得的に説明されています。どちらも人材養成と活用という同じ課題をもった領域ですから、当然といえば当然でしょう。

まあ、公立学校にカネを流すなんて無駄遣いはやめて、金持ちの子供だけがもっともっと国から金を貰えるようになればいいじゃんか、と本音では思っている人が、アフォなB級国民をだまくらかすためにケーザイガクを操っているだけなら、それこそイデオロギー暴露だけで済む話なのですが、世の中そう単純な構造になっていない。唱道者の少なからざる部分は、多分本気でカルトなケーザイガクを信じ込んで、本気でバウチャーにしたら世の中がよくなると思いこんでいるから話はややこしいのです。人間はなぜエセ科学に引き込まれるのか、というテーマともつながる大きな問題なのでしょう。

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出向名目の違法人材派遣

読売ですが、記事を読んで一瞬なんだかよく判らなくなりました。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080221-OYT1T00102.htm?from=main3

>学校法人「大阪初芝学園」(本部・堺市)で、前理事長が社長を務めていたうどん店などの外食チェーン「グルメ杵屋」(本社・大阪市)の社員を教員として出向させており、この雇用形態が、出向を名目とした違法な人材派遣にあたるとして、大阪労働局が学園と同社を職業安定法違反で是正指導していたことがわかった。

はあ?うどん屋の店員を教員にしてたって?

よく読むと、

>学園と同社によると、新採用の教員は学園が常勤講師として1年間雇用。2年目にグルメ杵屋の正社員となり、学園に出向する形で5年間教員を務める。7年目以降は、出向期間を更新して学園での勤務を続けるか、自主退職かのどちらかとなっている。同社に戻って働くことはないという。

 同社の椋本彦之前社長が学園理事長を兼務していた2000年度から始め、07年度現在、出向教員は96人おり、全教員の4分の1を占める。給与はいずれも学園が払っているという。

 厚生労働省などによると、出向はグループ会社内や研修目的などの場合に認められる。学園と同社には資本関係はなく、出向を終えて同社に戻った例はないことから、同労働局は実態は労働者供給事業にあたると判断したとみられる。

つまり、はじめから初芝学園で教えるために雇っている人を、籍だけうどん屋さんに置かせて、出向でございますという形にしていたということですね。いろいろと知恵を働かせるもんです。

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グッドウィルが労災隠し

朝日の記事で、

http://www.asahi.com/national/update/0220/TKY200802200433.html

>日雇い派遣大手グッドウィルが、昨年12月に宮崎県都城市で起きた労災事故を労働基準監督署に適切に報告しない「労災隠し」をしていたことがわかった。事故にあった派遣労働者の男性(29)は指の骨が折れる大けがだったが、会社側から労災を隠すよう強要されたと訴えており、都城労基署が調査を始めた。

 男性は昨年12月17日、日本通運の作業現場に派遣され、荷下ろしでコンテナの扉を閉める際に左手薬指を金具に挟み、病院で骨折と診断された。男性によると、グッドウィルの従業員に「労災は使わせない。仕事はできるだろう」といわれ、無理に働かされたという。

 2月にけがが悪化し働けなくなったため、都城労基署に申告した。労働安全衛生法では、労災事故は定期的またはすみやかに届け出る必要があり、意図的に報告しなければ50万円以下の罰金。グッドウィルは今月18日に労基署に報告したが、男性は「会社側は労災隠しの事実を認めようとしない」として労基署に刑事処罰を求めるという。

 グッドウィルでは昨年2月、東京都内での違法派遣で労災事故があり、労基署への報告も不適切だったと発覚。全事業所が2カ月間の事業停止命令を受けた。同社は「今回の労災事故対応については明らかに不適切で反省している」として、関係者を処分する方針だ。

 派遣先の日本通運も「安全管理の責任者が現場におらず、グッドウィルから報告もなかったため労災に気づかなかった」と認めている。

まあ、グッドウィルという名前のバッドウィルな会社ですし、「労災は使わせない。仕事はできるだろう」てのはいかにもひどい話ですから、GW社が批判されるのは当然なんですが、日本通運の「労災に気づかなかった」てのも、(新聞記者はあまり気がついていないみたいですけど)考えてみればとんでもない話なんです。

なぜなら、派遣法上、現場の安全衛生責任は派遣先にあるのであって、派遣元にあるのではない。本件がどんな作業なのか詳細は分かりませんが、コンテナからの荷下ろしの現場に日本通運の人がいなかったわけがない(もしいなかったのなら、それはもはや派遣ではない)。

この辺、やはり派遣先のモラルハザードをきちんと指摘しておかないと、叩かれてる「善意」な会社だから、そっちを叩いておけばいいやろ、というだけでは問題の本質から逸れてしまいます。

そして、ここらあたりにも、安全衛生責任と労災補償責任を派遣先と派遣元に分断してしまった派遣法の立法的問題が顔を覗かせているように思われます。派遣という就労形態において、使用者としての責任をきちんと果たさせるようにするためには、どういう仕組みが必要なのかという議論にこそ、この事件がつながっていくといいんですけれどもね。

世間では、野党だけでなく与党の一部からも、とにかく目につく日雇い派遣を禁止するといった、はっきり言ってポピュリズム的な議論ばかりが出てきて、そういう地道ではあっても本当に意味のある話になっていかない嫌いがあります。困ったもんです

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ねじれ国会よりも年金論議のねじれ現象の方がおもしろいよな

例によって、権丈先生の権丈節ですが、特に連合さんはじっくり読む必要があると思いますよ。

http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/korunakare136.pdf

>ねじれ国会は最近のことですけど、ねじれ年金論議はかなり昔からのことです。
連合が経済界の味方をしてしまっているし、自民党が経済界にとって最も辛い選択肢側にいるわけですから。

>わたくしは、今日の年金論争は、「経済界対生活者=労働」という構図でとらえるのが、かなり都合が良いだろうと思っている。生活者=労働の老後の所得を安定させるためには、この国で租税に依存するのはかなり危なっかしい、しかも生活者=労働の生活に安心をもたらすためには、年金もさることながら医療介護というような現物給付の充実がこの国ではどう考えても急務である。よって、生活者=労働の側に立てば、朝日新聞が言うような「(基礎)年金は税と保険料を合わせて」という解に到達するのは自然の理。同様に、年金制度設計上の善し悪しを生活者=労働に有利となるか不利となるかで判断する年金研究の専門家たちも、「(基礎)年金は税と保険料を合わせて」という解に到達しているのも自然の理。ところが、この立場は、朝日新聞的には困ったことに(笑)政府与党の立場であり、連合や野党は、おかしなことに、経済界よりの「基礎年金は税で」という解がお好きなようで!?

Kenjoh

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日雇いは三日やったら・・・

やめられない・・・ということはありませんが、辞めてもらうのはいささかむづかしくなるかも知れませんよ。

http://wwwhourei.mhlw.go.jp/hourei/doc/tsuchi/200206-e00.pdf

>有期労働契約の締結、更新及び雇止めに関する基準の一部改正について

>雇止めに関する基準第2条の雇止め予告の対象の範囲として、有期労働契約が3回以上更新された場合を追加したものであること。
これより、使用者は、有期労働契約が3回以上更新されている場合において、当該有期労働契約を更新しないこととしようとする場合には、少なくとも当該契約の期間の満了する日の30日前までに、その予告をしなければならないものであること。

日雇いももちろん雇用期間1日のれっきとした有期労働契約ですから、日雇いを3日続けて更新して使うと、その期間の満了する日の30日前までに雇止めの予告をしなくちゃいけないわけです。ということは、3日で辞めてもらうためには雇い入れる27日前にあらかじめ予告しておかなくてはいけないので、ということは3日でお終いというのはすごく困難ですね。

まあ、さすがにそこのところは厚労省の担当者も気付いていないわけではないので、

>なお、
ア 30日未満の契約期間の労働契約を3回以上更新した場合

の雇止めに関しては、30日前までにその予告をするのが不可能な場合であっても、雇止めに関する基準第2条の趣旨に照らし、使用者は、できる限り速やかにその予告をしなければならないものであること。

と、「できる限り速やかに」で柔軟に対応できるようにしてはいますが、それにしても、期間2ヶ月の有期労働者だったら雇止め予告されるために6ヶ月かかるところを、日雇いは3日で到達しちゃうんですからすごいですねえ。

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日本企業は財務主導の悪循環に陥っている

日経ビジネスオンラインの記事。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/pba/20080214/147229/

>バブル経済の崩壊後、年齢に関係なく社員一人ひとりの業績に基づいて処遇を決める成果主義型の人事制度を日本企業の多くが取り入れた。しかし、それによって人事制度の面で欧米のグローバル企業と肩を並べたと思うのは幻想に過ぎない。彼らは早くも次のステージへと進んでいる。

こういう、なんでも日本が遅れている、ぐろーばるをみならわなくては・・・という発想が実は「失われた十数年」の混迷の原因なのではないですか?と問い返したいところはありますが、それにしても、次の一節は、一昔前に流行っていためりけん風のぐろーばるに未だにいかれていらしゃるみなさんには一服の清涼剤になるのではないでしょうか。

>社員の管理に利用している指標でも、世界全体と日本企業とでは大きく異なっています。日本企業の回答で多いのは、従業員1人当たりのコスト、利益、売り上げといった財務に関連する指標です。一方、世界全体では従業員の定着率や離職率、労働意欲や満足度を活用しているところが多い。

>この違いから分かるのは、日本企業は財務上の結果ばかりを重視しているのに対して、海外の企業は離職率や満足度を通して従業員そのものをしっかりと見ていることです。

 実際、欧米の企業の多くは社員満足度の調査を定期的に行っています。例えば、キャリアや機会をきちんと与えられているか。仕事をする環境に不満はないか。同僚との関係はうまくいっているか。ビジョンを明確に示せるリーダーはいるか。

 IBMの場合はこれらの項目について毎年調査し、どれだけ改善しているかを把握しています。そして満足度の低い項目があれば、改善策を考えて実行する。このように社員満足度調査の結果を分析して、人事施策へと結び付けています。

 日本企業が財務指標ばかりを見るようになったのは、おそらく長い不況の中で財務主導によって数字が先に来るようになったからでしょう。もともとは人材を大切にしたり、徒弟制度的に人を育てていく文化が日本企業にはあった。それが不況で次第に余裕がなくなり、新卒や中途社員の採用を抑制した。

 その弊害がここにきて表れています。20代から30代の社員がほかの世代に比べて少なく、ノウハウや技能の伝承が進まない。不況の中で新しいことに挑戦することもままならず、社員としての能力も向上しない。

>こうした悪循環の中で、数字ばかりを追い求める傾向も強まっています。日本企業から価値観やビジョンといったものが失われた理由もここにある。以前にグローバル企業を調査した時に途中から気づいたのですが、欧米のグローバル企業は、ウェブサイトの社員募集のページにミッション(使命)とかビジョンを明示しているケースが多いのです。

 「自分たちはこういうミッションを持っている。賛同する人は当社で一緒にビジネスをしよう」。こうした姿勢が強いのでしょう。日本は単一民族ということもあって、ミッションやビジョンの必要性を強く感じてはこなかった。経済のグローバル化に伴って、外国人社員の採用や登用の必要性が高まる中、ミッションやビジョンを明確に掲げることに日本企業も取り組むべきでしょう。

 企業にとって今、人材が最大のアセット(資産)になってきています。このアセットを十分に活用するためには、財務一辺倒の管理から脱却して社員の離職率や満足度も重視する形へと転換することが急務です。

あのさあ、そういうのをふるくさいじゃぱん風だといって捨てろ捨てろと言いつのってきたのが、日経病にかかっていらしたころのぐろーばるなみなさんじゃなかったでしたっけ。

ちょうど十年前、よーろっぱから帰ってきたばかりのわたしは、世の中の流れと真っ向から逆向きになってしまって、たいへんさみしいおもいをしたものですよ。

まあね、日本では、何かいおうとすると「出羽の守」にならないとなかなか聞いて貰えない。

IBMをもちだして日本企業の財務主導を批判するというのもなんだか皮肉だけど、まあ、そういうソシオグラマーの中でやるしかないわけで・・・。

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キャリア教育は食育と同レベルですか

マスコミで様々に取り上げられている新学習指導要領の答申ですが、実物はこれです。

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/news/20080117.pdf

で、教育内容に関する主な改善事項としてあげられているのが、

(1) 言語活動の充実・・・・・・・・・・・・・・・53
(2) 理数教育の充実・・・・・・・・・・・・・・・54
(3) 伝統や文化に関する教育の充実・・・・・・・・・・・・・・・57
(4) 道徳教育の充実・・・・・・・・・・・・・・・58
(5) 体験活動の充実・・・・・・・・・・・・・・・61
(6) 小学校段階における外国語活動・・・・・・・・・・・・・・・63
(7) 社会の変化への対応の観点から教科等を横断して改善すべき事項・・・・65

この(7)の中にさらに、

(情報教育)
(環境教育)
(ものづくり)
(キャリア教育)
(食育)
(安全教育)
(心身の成長発達についての正しい理解)

なるほど、キャリア教育は食育と同レベルなんですね、そうですか。

まあ、その中身も、

>○ 2.で示したとおり、「生きる力」という考え方は、社会において子どもたちに必要となる力をまず明確にし、そこから教育の在り方を改善するという視点を重視している。
近年の産業・経済の構造的な変化や雇用の多様化・流動化等を背景として、就職・進学を問わず子どもたちの進路をめぐる環境は大きく変化している。このような変化の中で、将来子どもたちが直面するであろう様々な課題に柔軟かつたくましく対応し、社会人・職業人として自立していくためには、子どもたち一人一人の勤労観・職業観を育てるキャリア教育を充実する必要がある。

○ 他方、4.(1)で示したとおり、特に、非正規雇用者が増加するといった雇用環境の変化や「大学全入時代」が到来する中、子どもたちが将来に不安を感じたり、学校での学習に自分の将来との関係で意義が見出せずに、学習意欲が低下し、学習習慣が確立しないといった状況が見られる。さらに、勤労観・職業観の希薄化、フリーター志向の広まり、いわゆるニートと呼ばれる若者の存在が社会問題化している。

○ これらを踏まえ、現在においても、
・中・高等学校における進路指導の改善、
・職場体験活動、就業体験活動等の職業や進路に関する体験活動の推進、
などの取組を行っているところであるが、今後更に、子どもたちの発達の段階に応じて、学校の教育活動全体を通した組織的・系統的なキャリア教育の充実に取り組む必要がある。

すなわち、8.で示すとおり、生活や社会、職業や仕事との関連を重視して、特別活動や総合的な学習の時間をはじめとした各教科等の特質に応じた学習が行われる必要がある。特に、学ぶことや働くこと、生きることを実感させ将来について考えさせる体験活動は重要であり、それが子どもたちが自らの将来について夢やあこがれをもつことにつながる。具体的には、例えば、
・特別活動における望ましい勤労観・職業観の育成の重視、
・総合的な学習の時間、社会科、特別活動における、小学校での職場見学、中学校
での職場体験活動、高等学校での就業体験活動等を通じた体系的な指導の推進、などを図る必要がある。

といった職業意識啓発程度の内容ではありますが。まだまだ「労働教育」という言葉は教育界には届いていないということのようです。

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労働者と使用者は決して対等ではない

先週発売された『東洋経済』2月16日号(特集「雇用漂流」)に掲載された私のインタビュー記事を、次の号が発売されたので、ここにアップしておきます。

>特定の労働者を保護することによって、当の労働者自体にマイナスの影響が出ることはあり得る。保護対象外である労働者との格差を生むというのも、ある程度は正しいだろう。解雇規制に関する判例法理が形成されたのは1970年代。当時は正社員が中心で、パートやアルバイトなどの非正規社員は補助的な労働力だった。正社員の雇用を守るために非正規社員に先にやめてもらうということも、社会的な妥当性はあった。それが90年代以降、非正規社員が著しく増加し、社会状況が変化した。それに見合う形で、正社員の解雇規制を緩和し、非正規との調和を図っていくことは必要だろう。

>それでは、労働者保護が一切不要かといえば、それは違う。労働者が使用者から一方的に「クビだ」といわれることに対して、何らかの保護はあるべきだ。

>ごく単純な労働でない限り、起こりうるすべてを契約に書き尽くすことはできない。その中身が日々決まっていくのが労働契約の特徴だ。そもそも労働者と使用者の立場は対等ではない。こうした現実においては、労使の個別契約ですべて決めるのではなく、問題解決のための集団的、社会的な枠組みが必要だ。

>規制緩和論者には、「その会社が嫌なら辞めて他に転職する」というエグジット(出口)があれば労使関係は対等だ、という考え方が強い。だが、労働力という商品は特殊であり、同じ職場で長く働くことによってその性能が高まっていく。ある会社に継続して勤め、能力が高まった労働者は、いったんエグジットしてしまうと、まったく同じ価格で売ることは非常に困難だ。最終的に転職するにせよ、現在の職場で一定のボイス(意見)を発することが認められるべきだろう。

>労働者派遣については、労働力の需給調整の機能を果たしていることは事実だが、労働者を雇用する会社と使用する会社が分離しているために弊害も多い。特に、登録型の実態は限りなく職業紹介に近いから、派遣先の使用者責任を強化すべきだ。制限期間を超える長期派遣の場合には、自動的に直接雇用とする「みなし」規定を設けることも検討課題になる。

1時間以上にわたるお喋りを編集部の方がまとめられたものなので、自分で書けばちょっと違う書き方になるというところもありますが、おおむね私のいいたいことを的確にまとめていただいています。

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プリンスホテルの不使用呼びかけ 連合

労働組合の立場からすれば、もっとも正しい反応と言えましょう。

http://www.asahi.com/national/update/0215/TKY200802150348.html

>日本教職員組合の教育研究全国集会をめぐり、グランドプリンスホテル新高輪(東京都港区)が会場使用を拒んだ問題で、連合は15日、プリンスホテル系列の施設を利用しないよう呼びかけることを決めた。事実上の不使用運動で、「プリンス側が社会的責任を明確にするまで当分の間続ける」という。

 連合が傘下労組や関係団体に不使用を呼びかけるのは近年では例がなく、古賀伸明事務局長も「異例の対応」と話す。春闘の勉強会などですでに予約していた数件もキャンセルするという。

 連合は「プリンス側は司法判断に従わず、宴会場に加えて約190室の宿泊予約も一方的に解除している。ホームページで公表した見解も居直っているもので容認できない」と主張している。

 プリンスホテルは「お客様の安心、安全を考えてお断りしたものであり、その点を引き続きご理解いただけるよう努めていきたい」としている。

この問題を、思想信条の自由の問題とか、政治活動の問題だとか、日の丸君が代がどうとか、ウヨクとサヨクがどうしたとか、そういう類の話だと理解するのであれば、それにふさわしい反応の仕方があるのでしょう。そういう理解のもとにそういう反応をすること自体を否定するつもりはありません。

しかし、日本教職員組合という、教育に関わる労働者の労働組合の大会を拒否したと言うことは、何よりも働く者の団結権への攻撃なのであり、そうである限りにおいて、同じ労働者である以上思想信条の違いを超えて、ボイコットという手段を執ることは労働組合の歴史からして当然のことと言うべきでしょう。

残念ながら、マスコミも日教組をあたかも政治思想集団であるかの如くとらえて、今回の件の是非を論ずるかの如き歪んだ傾向がありますが(まあ、日教組の中にそういう傾向があることも否定できませんが)、労働組合の当然の活動への否定なのだという観点が世間から欠落してしまうことは、やはり大きな問題だと思います。その意味で、さまざまな政治的立場の組合が属する連合が、こういう姿勢を示したことは重要な意味があるでしょう。

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新雇用戦略

昨日、経済財政諮問会議に提出された民間議員の新雇用戦略です。

http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2008/0215/item1.pdf

>「全員参加の経済戦略」の第一弾として、働く意欲のあるすべての人々が年齢や世帯の構成、就業の形態にかかわりなく能力を発揮することを目指し、以下の内容を骨子とする「新雇用戦略」を策定すべきである。

>Ⅰ: 対象別に講ずべき対策

1. 女性= 「新待機児童ゼロ作戦」の策定等 目標: サービスが利用できないために就業を断念することのないよう、2010年代半ばまでに、対象年齢児童の5割程度が子育てサービスを受けられるようにする。 それに向け、2009年度から2011年度までの3か年において、緊急のサービス整備を行う。

2. 若者= ジョブ・カードの全国展開 ① ジョブ・カードの全国展開 目標:2010年代半ばまでに、フリーターを現在(187万人)より50万人以上減少させることを目指し、ジョブ・カードの拡充等を図る。

3. 高齢者= 「70歳現役社会」の実現 目標:団塊世代の能力が定年後も十分活用されるよう、希望者は、 70歳まで安定的に働けるようにする。

なお、これについての太田大臣の会見の中で、次のようなやりとりが紹介されています。

>民間議員から、雇用を増やすということの数値目標を明確に立てて、成長率にしっかりつながるような戦略を立てることが必要だと。
 それから、今日、舛添大臣、渡海大臣においでいただいたのは、保育所と幼稚園の両方の性格を持つ、縦割りを越える認定子ども園というのができたわけですが、なかなか広がっていないという実態。それから、放課後の児童サービスも、それぞれ厚労省、文科省がやっているということがあるわけですけれども、民間議員から、保育・幼稚園、それぞれ厚労省と文科省が異なる施策を講じている。国の一律ではなく、これは地域の実情に応じて地方が裁量性を持ってできるようにすべきだと。
 それから、最低賃金は、遵守状況を厚労省にしっかりとチェックしてほしいという発言がありました。去年、厚労省は、この最低賃金の遵守状況をしっかりとチェックしたわけで、今年も引き続きやってほしいという発言がありました。
 これに対して舛添大臣から、最低賃金改正法で罰則が強化されたということが抑止力になると思うけれども、引き続きチェックしたいという御発言がありました。
 それから、渡海大臣から、この民間議員ペーパーの中に、厚労省、文科省縦割りになっている認定子ども園について、内閣府に一元化したらどうかという話があるわけですけれども、内閣府に移すことでうまくいくのか、実施部隊はどうするのか、今スタートしたばかりなので、やはり改良していくことが大事なのではないかと。それから、学校教育法の中で、幼稚園も教育の場であると位置づけられているわけで、これに保育をどう組み合わせていくのか、しっかりとした議論が必要だと。
 それから、舛添大臣から、この認定子ども園について、一緒にするという試みはよいけれども、福祉という見方からの子ども、それから教育という見方からの子どもというのをよくよく議論しなくてはいけないと。例えば、インフルエンザなどで学級閉鎖するときに、幼稚園までは学級閉鎖できるけれども、保育園というのは閉鎖できないというようなことがあるようで、なかなかそういう問題もあるので、よく議論していく必要があると。
 それから、増田大臣から、やはりそれぞれの地域の現場では、この認定子ども園、あるいは保育所と幼稚園が縦割りになっていることに対して、父母や関係者の不満は非常に強い。認定子ども園という形になっても、根っこが縦割りになっていると、上を足し合わせただけですから、地方では子どもの数が減っているので、お互いに現場では取り合いになってしまっている。父母のニーズに応えるということが大事ではないかと。
 それから、町村官房長官から、文部大臣をしておられるときに、そのときの小泉厚生大臣と、縦割りではなく保育と幼稚園というのを一緒にやっていこうということは、そのときから議論して、先行準備もしたけれども、やはり一緒になれないのは補助率の問題なのですね。保育というのは措置ですから、国費がしっかりと出るけれども、幼稚園というのは教育であって、これは国費は出ないということで、この問題が非常に大きいというような御意見が出ました。
 それから、民間議員から、この保育の分野では、保育に欠ける児童を市町村が認定するという、この措置というのが根源的な問題で、これを利用者の立場に立ったサービスに変えていく必要があると。かつての待機児童ゼロ作戦、今、新・待機児童ゼロ作戦をつくろうとしているわけですが、前の待機児童ゼロ作戦は2万人の待機児童を解消しようとした。これは自治体に登録された子どもであって、潜在的な需要というのは、もっと膨大なものである。このターゲットを大きく広げるには、措置では対応できないので、これを変える必要がある。地方分権委員会と連携して議論していくということが必要だという議論がありました。
 この今、問題になっている措置については、舛添大臣からは、やはり多様な選択肢というのは当然必要だけれども、財源問題が絡んでくるし、それからこういうサービスは「安かろう悪かろう」になってはいけませんから、サービスの質ということも含めて、もう少し議論したいということがありました。
 あと、甘利大臣から、地域の産業振興に適合した職業訓練というのが必要で、今、経産省としても、その観点からの地域人材育成の支援というのに取り組んでいくという発言がありました。
 それから、舛添大臣から、やはり少子化対応は財源をどうしていくのか、それから地方財源についてもどうするのかということを、しっかりと議論しなくてはいけないと。
 額賀大臣からこれに対して、新しい戦略をつくるのはもちろん必要だけれども、その際、既存のものをやはり見直していく。そして、有効な方策をつくる。そして、次世代に負担を先送りしないということが必要ではないかという発言がありました。
 あと、この民間議員の提案の中に、高齢者に関しては柔軟な雇用ルールをつくって取り組んではどうかという提案があるわけですけれども、最近、労働法制が遵守されていないというような問題がいろいろあるので、この高齢者に対する柔軟なルール、あるいは在宅勤務についても、やはりこのルールをしっかりとつくる、その具体的な仕組みを検討することが必要だという意見がありました。
 これに対して民間議員から、あくまで柔軟なルールというのは高齢者を対象にしたもので、高齢者という年齢を区切って弾力化すると。今、高齢者はもともと非常に不安定な状況に置かれていて、嘱託という形で1年更新の雇用になっているので、そこに柔軟なルールを適用して、より安定したよい状態にしていこうというのが趣旨だという発言がありました。
 あと、民間議員から、子育てしている女性の就業率が下がらないようにするという目標が大事だと。M字カーブをつくらないということですね。そのためには、発想を親の側に完全に転換して、預けたいときに子どもを預けられる、3月31日を過ぎても申請できるという安心感が必要で、そのためには措置という制度を大きく変えていく必要があるという御発言がありました。
 それから、最後に民間議員から、就労という点では、新しい成長戦略で、この成長で得られた成果が賃金の引き上げで家計に確実に配分されることが必要だ。それが消費や住宅投資など、安定成長につながっていく。今、春闘の真っ最中だけれども、こういう好循環を確立することが、企業にとってもプラスである。収益の状況、賃上げの状況は企業によって異なるけれども、この認識、つまり好循環が企業にとってもプラスなのだという認識を、経営者も中・長期的な視点に立ってしっかりと共有することが重要であるという発言がありました。
 私から、今日は措置とか認定子ども園については、まだ意見が分かれておりますので、引き続き議論したいということを申し上げました。それから、雇用戦略全体については、今日の議論も踏まえて、舛添大臣に次回、数値目標ですとか改革工程も含めて、いわゆる「舛添プラン」というものをお出しいただきたいというお願いをいたしました。
 総理から、次のような御発言がありました。
 これから日本は人口が減少するけれども、その人口減少の下でも安定した成長を実現していかなければならない。これは大きなチャレンジであるけれども、うまく活用すれば、日本の経済構造をさらに強くするチャンスでもある。こうした観点から「新雇用戦略」は、全員参加の経済戦略を展開していく上で大きな柱となるものであり、女性、若者、高齢者に対するどの政策分野も重要だと。
 総理が、今日、都内の企業内保育所を訪問されたそうで、これはもう理想的にも見えるような保育所なのだけれども、働くお母さんの側からすると、そういう中でもいろいろと問題があるようであるけれども、政府としてもいろいろな取組をしっかりと推進していく必要がある。厚生労働大臣を中心に、新・待機児童ゼロ作戦というのを推進してもらいたい。また、認定子ども園など保育サービスを充実していくことは、生活者の立場に立ってこれを進めることが不可欠なので、舛添大臣、渡海大臣には、役所の縦割りを越えて知恵を出してほしいと。
 それから、今日、民間議員から、経済成長の果実が賃金として国民に還元されるということは重要な課題で、民間議員から今日そういう発言、企業もその方向で努力することが重要だという旨の発言をいただいたことは、大変心強いという発言がありました。

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日雇供給労働者への失業保険の適用

日雇い派遣と雇用保険の関係について、その後もいろいろ追いかけているんですが、こういう面白い通達がありました。

「労働者供給事業によって就労する日雇労働者に対する失業保険法の適用に関する件」昭和24年11月5日失保発第257号

1,職業安定法第45条によって、労働組合が労働者供給事業を行っている場合、これによって供給されている日雇労働者の失業保険における雇用関係は、供給事業を行っている労働組合に存在するものではなく、直接の使用関係を有する供給先の事業主に存在するものであるから、若しも、供給先の事業主が失業保険の適用事業主であれば、当然その事業主が失業保険印紙の貼付、その他の失業保険法に規定する届出及び報告の義務を有するのである。

2,供給先の事業主に対しては、1による趣旨を十分徹底させ、賃金が供給事業を行う労働組合を通じて支払われる場合であっても、供給先の適用事業主が供給によって就労する個々の労働者の賃金を不明確にし、印紙の貼付等に支障を及ぼすことにないように指導監督をすることが必要である。

ここから分かることは、労働者派遣がそこから抜き取られたもとの概念である労働者供給においては、雇用関係は供給元ではなく供給先との間に存在すると行政では整理されていたということです。そして、その整理に基づき、賃金の支払いが供給元からされていたとしても、失業保険の保険料を支払う責任は供給先にあるとされていたことです。

考えてみれば、供給元を使用者と見なして日雇い失業保険をそのまま適用すれば、前にこのブログでも何回か指摘したような供給元のモラルハザードが発生し、これを防ぐことはほとんど困難です。ちょうど日雇い保険が満額貰えるように、供給をコントロールすればいいわけですから。大変おいしい商売になってしまいます。この通達にはその辺の消息は書かれていませんが、そういう配慮はあったのではないかと想像されます。

ところが、23年前の労働者派遣法は、それまでの労働者供給の中から労働者派遣をとりだしたにもかかわらず、雇用関係は派遣元との間にだけ存在すると整理されてしまい、それゆえ雇用保険の保険料を支払う責任も派遣元にあるとされました。その矛盾が、日雇い派遣にも日雇い雇用保険を適用しなければならないという事態になって、今更のように浮かび上がってきたというべきではないかと思われます。

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「新雇用戦略」の原案

同じく日経です。

http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20080215AT3S1402H14022008.html

>政府の経済財政諮問会議が成長戦略の柱としてまとめる「新雇用戦略」の原案が明らかになった。人口減社会でも成長を続けるため、女性と若者、高齢者の労働参加を重視。保育所と幼稚園を事実上、一体化して子育てサービスのすそ野を広げるなどの施策に取り組む。福田政権にとっては初の具体的な成長戦略が動き出す。

 原案は15日に開く経済財政諮問会議で民間議員が提案する。臨時議員として出席する舛添要一厚生労働相と渡海紀三朗文部科学相に具体策を作るよう求める。検討した施策は3月にもまとめる成長戦略「環境力とつながり力」に盛り込む計画だ。

本日提示されるということですね。まだ中身は見てませんけど、「女性と若者、高齢者の労働参加を重視」する「雇用戦略」が、ようやく日本でも成立の運びに近づいたかと、いささか感慨無量です。

いや、だって、

http://www.rengo-soken.or.jp/houkoku/koyousenryaku.htm

連合総研でやった雇用戦略の報告書が出たのは2002年1月ですよ。

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労働問題の報道に必要な知見の程度

先日のマクド店長事件にしてもそうでしたけど、例えばこの事件の報道ぶり、日経ですが、

http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20080214AT1G1302X13022008.html

>「請負」で事故死、派遣先にも使用者責任・東京地裁が賠償命令

 請負会社の指示で働いていた男性が製缶工場で転落死したのは安全対策の不備が原因として、遺族が製缶会社と請負会社に1億9000万円の賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁の山田俊雄裁判長は13日、「製缶会社に実質的な使用従属関係があった」と認め、2社に約5100万円の賠償を命じた。原告側は「偽装請負を認めた画期的な判決」と評価した。

 派遣社員に対しては派遣先企業も安全管理義務を負うが、請負契約で業務委託した場合、派遣先企業が安全管理責任を負わないケースもある。実態は派遣労働なのに「偽装請負」することが社会問題化しており、就業実態を重視した今回の判決は影響を与えそうだ。

 訴えたのは亡くなった飯窪修平さん(当時22)の両親。賠償命令を受けたのは請負会社「テクノアシスト相模」(神奈川)と「大和製缶」(東京)。両社は製缶工場で検査をする請負契約を締結。大和製缶は「飯窪さんはテクノ社の請負業務に従事しており、工場側は安全配慮義務を負わない」などと主張した。

派遣じゃない、つまり偽装請負じゃないれっきとした請負であっても、元請や発注者側が安全配慮義務を負うというのは確立した判例です。本件の詳しい中身は分かりませんが、「偽装請負を認めた画期的な判決」ということではないのではないかと思われます。逆に、現行派遣法では、れっきとした派遣であっても(つまり派遣先が指揮命令していても)派遣先に安全衛生上の義務はありますが労災補償責任はないと整理されています。人によっては、これを「補償と賠償の分離」と呼ぶ人もいますが、私は法設計上の失策と評すべきだと考えています。まあ、それはともかく、労災補償責任はないけれども安全配慮義務はあるという点において派遣先と請負就労先は違いがないのです。いずれにしても、それは「使用者責任」を認めたという話ではないはずです。

社会部の記者にそこまで要求するなよ、という声も聞こえてきそうですが、その辺がいい加減なまま、派遣法の改正問題をうかつに報道すると、変な上に妙が重なるような話になって行きかねないものですから。

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大瀧雅之氏の金融立国論批判

先日の後藤田正純氏のインタビューでも、サブプライムはサラ金だ云々という一節があって、例によってケインズよりもフリードマンが大好きで、ヒトやモノよりもカネしか目に入らない、高利貸し応援団の特殊日本的リフレ派の面々から非難されていたようですが、そういうインチキ連中ではなく、まともな経済学者は、こういう文章を書いているようです。

http://www.iwanami.co.jp/sekai/

大瀧雅之氏の「「金融立国論」批判――日本経済の真の宿痾は何か」というのが、『世界』3月号に掲載されています。物事の本質をわかりやすく説明していて、私には大変有益でした。要約は:

> 日本は「モノづくり」への幻想を捨て、これからは「金融業」によって国を立てるべきだ――一部のメディアや経済学者がそう主張している。しかし、そもそも米国でなぜサブプライム問題が発生し、それが日本の金融機関にまで影響を及ぼしたのだろうか。「金融立国論」が成り立たない理由を詳説し、「貯蓄から投資へ」とか「市場型間接金融」の名の下に繰り返される言説に徹底的に批判を加える。

特に、近頃ブログ界に流行るインチキ連中への痛罵とも言うべき次の一節が拳々服膺すべき内容を含んでいるように思われました。

>・・・そうした中、まことに単純で杜撰な想定に基づく経産計算から導出された証券価格やリスク評価を盲信し金融経営の中心に据えることは、経営の怠慢に他ならず、背筋に寒いものを感じる。筆者が文科系学生の数学・理科教育が何にもまして重要と考えるのは、こうしたプリミティブな「数学信仰」そして同じコインの裏側であるファナティシズム・ショーヴィニズムを抑止し、広く穏やかな視野で論理的な思考を涵養せねばならないと考えるからである。彼らが数理科学の「免許皆伝」となることは残念ながらまったく期待できないが、組織・企業の要として活躍するには、そうした合理精神が今ほど強く要求されているときはない。

>筆者の理想とする銀行員像は、物理・化学を初めとした理科に造詣が深く、企業の技術屋さんとも膝を交えて楽しく仕事の話ができる活力溢れた若人である。新技術の真価を理解するためには、大学初年級程度の理科知識は最低限必要と考えるからである。そうした金融機関の構成員一人一人の誠実な努力こそが、日本の将来の知的ポテンシャルを高め、技術・ノウハウでの知識立国を可能にすると、筆者は信じている。

付け加えるべきことはありません。エセ科学を的確に判別できる合理精神は、分かってないくせに高等数学を駆使したケーザイ理論(と称するもの)を振り回して人を罵る神経(極めて高い確率でファナティシズムと共生)とは対極にあるわけです。

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時短~なぜ早く帰れないのか

リクルートが出している「WORKS」という雑誌の最新号が、時短の特集をしています。

http://www.works-i.com/flow/works/contents86.html

いろんな観点からこの問題を取り上げていて面白いです。

編集長氏のこのまとめが、この問題に対する実感レベルの本質を言い当てていて、言い得て妙という感じです。

>健康への影響?まだ頑張れそうだなあ。少子化の一因といわれても、うちの会社だけで解決できる問題でもないし。仕事と生活の調和は美しいが、それでうちって儲かるんだっけ・・・。

>逆に、仕事の積み残しがサービスの質を落としたらどうする。増員すれば管理が大変だ。そうこうしているうちに競合に出し抜かれたら・・・。

>実感しにくく、責任の範疇外に見えるリターン。はっきり予想できる、犠牲や混乱というコスト。2つを天秤にかければ、目の前の数字を追う事業の現場が、人事部のかけ声ほど時短に積極的になれないのは、合点がいく。

「時短はこんなにいいですよ」という普及啓発路線の限界というべきでしょうか。

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労働条件分科会の委員交代

労働政策審議会労働条件分科会の委員が一部交替したようです。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/02/s0212-3.html

あれっ、奥谷禮子さんがいない!

せっかく、世間の注目を労政審の議事に集めてくれた最大の功労者なのに。

あの伝説の奥谷・長谷川バトルの再現が見られなくなるのも残念です。

いずれにしても、リング内外を通じて多くの人々の関心を労働法制に向けていただいたその功績は大きなものがあると思います。心より感謝申し上げるとともに、これからもマスコミ誌上等でますますのご活躍を祈念いたします。

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使用者命令による借金漬け

平成20年01月30日大阪地方裁判所 第22民事部の判決です。

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20080212135247.pdf

>1 呉服販売業者がその従業員に対し呉服等の自社商品を販売した行為が,従業員の支払能力に照らし過大であり,売上目標の達成のために事実上購入することを強要したものであるとして,公序良俗に反して無効であるとされた事例
2 事業者がその従業員に対して行う割賦販売について,割賦購入あっせん業者に対する抗弁を規定する割賦販売法30条の4の適用を除外する同法30条の6,8条5号の適用が否定され,呉服販売業者がその従業員に対して呉服等の自社商品を販売した行為が公序良俗に反して無効であることをもって,その売買代金の立替払債務の履行を請求する信販会社に対して対抗することができるとされた事例

なんですが、いやあ、奈良松葉という呉服販売会社がその従業員に呉服を無理やり買わせて、ニコス,オリコ,アプラス,セントラルファイナンス、クオークといったクレジット会社に莫大な借金を作らせたという事案です。

いやもちろん、リフレ派の皆さんはじめ市場取引に力関係の強いも弱いも糞もあるかいな、という人々にとっては、会社から借金してこれを買えと言われて断らない労働者の方がアホなんでしょうね。

ついでに、こういうのを見てもやっぱり解雇規制はことごとく当該労働者を過酷な地位に追いやり、不利益をもたらすものだということは「ニュートンの力学法則のようなもの」であり、「権利を強化するほどその保持者の保護になるという考え方は、よほどの特異な前提をとらない限り成り立たない」ものであり、「圧倒的に多くの事象を説明できる原理的ロジックは、学術的に確立している」と仰るんでしょうねえ。

まあ、「原理的ロジック」にかなうものはありませんわな。

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後藤田正純氏の「消費者重視」について

日経ビジネスオンラインに後藤田正純氏の「規制緩和論者はもう、かなり少数派」というインタビュー記事が載っています。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20080205/146477/

このうち、

>市場経済を否定するつもりは毛頭無い。しかし、行き過ぎた市場経済、市場の暴走は抑えられるべきだ。今の日本で手っ取り早い景気対策は、公正取引委員会が不公正取引をもっと厳格に審査して、廉価販売などの流通を規制することだ。

 廉価販売を規制すれば、ものの値段は上がる。これは一時的には、消費者に不利かもしれない。しかし、消費者が安いものを買うのは、家計が苦しいから。家計が苦しいのは、中小企業が大企業からダンピングさせられたり、過当競争で会社の業績が落ち込み、人件費を削られるから。家計が苦しいから、安くしないと売れない。こうしたデフレスパイラルに陥ったままにしないためにも、政府が適切な価格を導く政策を上手にしないといけない。

というところに、一部経済系ブロガーから批判がされているようです。

http://d.hatena.ne.jp/Baatarism/20080212/1202786957

>後藤田氏は廉価販売を規制すれば景気対策になると言ってますが、廉価販売規制というのは値下げ規制ですから、市場によって需給が均衡している均衡価格よりも高い価格で強制的に取引をさせるということになります。その場合、均衡価格よりも供給は多くなり需要は少なくなりますから、生産者側は売れ行き不振で苦しみ、消費者側は物価高で物が買えずに苦しむということになってしまいます。

これが景気対策になるのでしょうか?

実をいうと、後藤田氏の議論はいささか概念が混乱しているところがあり、全体として消費者重視路線という枠組みの中で論じようとしているために、かえって矛盾した印象を与えることになっているように思われます。

つまり、世間の人々は「消費者重視」という言葉から、財・サービス市場における購入者たる消費者サマが絶対君主よろしく偉くって、財・サービスの供給者は奴隷の如く卑しいのが消費者主権であるという観念でもって考えるものだから、廉価販売規制は奴隷が絶対君主さまに反旗を翻すが如く見えるのでしょう。

しかし、これは「消費者」という概念を財・サービス市場の購入者という局面にのみ限定するからそういうふうになるので、後藤田氏がその前のところで労働者保護を論じ、「家計」云々といっているように、彼がいう「消費者」重視というのは、労働市場における供給者重視でもあるわけです。労働市場における廉価販売規制とはまさに最低賃金規制等の労働市場規制ですから、上のBaatarism氏の議論というのは、まさに規制改革会議意見書とまったく同じロジックを述べたものということになりましょう(この辺が、かつて「リフレ派というのはネオリベにちょいちょいとリフレ粉をかけただけの連中に過ぎない」と述べたことにつながるわけですが)

そして、とりわけサービスという商品は労働者による労務供給それ自体が商品としてのサービス供給であるという特性を持っていますから、物的財のように生産過程における労働者保護と販売過程における消費者保護をそれぞれの領域で使い分けて両立させるということができにくいのです。その特性がもっとも端的に表れているのが、ここのところ取り上げている医療現場における医師の医療サービスという労務供給兼サービス供給であることは、賢明な読者の皆さんには既にご理解されているところでしょう。あるいは教育現場における教師のサービスも。そして、様々な領域のサービス供給労働者たちが抱える矛盾と悲鳴も、ここから生じてきているわけです。

こういう風に腑分けしないで、安直に消費者重視とか言ってしまうから誤解されるところもあるのですが、後藤田氏の考えていること自体はまことにもっともなことであるので、妙な批判で潰したくはないと切に思います。

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労働タスクフォース第8回議事録

昨年5月に行われながらずっと公開されないままであった規制改革会議労働タスクフォース第8回議事録がようやく公開されました。

http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/minutes/wg/2007/0521_02/summary052102.pdf

今回のお相手は厚労省(労働部門)の中堅どころの面々です。

労働基準局監督課 岸本調査官
労働基準局勤労者生活部勤労者生活課 吉田課長補佐
職業安定局雇用保険課 宮川課長
職業安定局需給調整事業課 坂口課長
職業安定局若年者雇用対策室 阿部室長
雇用均等・児童家庭局短時間・在宅労働課 高崎課長
政策統括官付労働政策担当参事官室 山田参事官

トップバッターの岸本氏のパートを引用します。

>○岸本調査官 それでは、提出させていただきました意見の順に沿ってということで御説明を申し上げます。まずは労働基準局でございます。よろしくお願いいたします。
本日、問題意識の記述であるにもかかわらず、このような機会を与えていただきまして、まずはありがとうございました。見解の相違にわたる部分もあるのかもしれませんが、とりあえず提出させていただいた意見を御説明します。
まず、最初のページでございます。これは問題意識の最初のページの第2段落の中ほどでございます。解雇規制について厳しい要件を課され、人的資源の機動的な効率化・適正化を困難にし、再チャレンジを阻害しているという部分でございます。これについては、内容的には3ページの意見ともつながっているかと思いますので、まとめて申し上げさせていただきます。
今回、解雇規制を始めとする労働保護規制といいますか、労働基準関係の法規制につきまして、お立ちになられている基本的な立場としまして、情報の非対称性を解決することが本質的な課題である。そこで市場の失敗が生じているのを是正するのが労働法の役割と考えるべきではないかというお考えがベースにあるのではないかと思います。
私どもとしては、それは勿論、情報の非対称性は一つの労働者保護の観点から重要な視点だと思いますし、そういったことで、例えば労働基準法において労働条件の明示義務を課するとか、あるいは別の法律では求人の際の条件の明示義務を課するとか、そういう法規制を設けているわけでございますが、問題はそれ以外の法規制がすべからく不合理で、情報の非対称性を解消するという目的以外の法規制は要らないと言えるのかどうかということでございます。そこはそれこそ政策論であるのかもしれないのですが、せっかくの機会をいただきましたので、出させていただいた考え方は1ページ、3ページ、大体、同じようなことを最初の段落は書いてございます。
1つは、交渉力といいますか、労使間で持っております資産も違いますし、それから、交渉相手の数といいますか、会社にとっては100 人の従業員がいれば、100 人のうちの1人とのトラブルである。でも、労働者本人にとってはその会社を首になるかどうかは、即、明日からの不安定につながるというようなことが、実際、労使間の立場としては多いかと思います。そういった場面を考えますと、労働法というのはそういった場面が出発点であるようにも思いますが、交渉力の差があって、それを補完するような法規制を設けることが公正さの観点から必要であるという考え方があるのではないかと思います。
そうした交渉力の格差といったことについて、必ずしもどういった整理でこういう結論になったのかはうかがい知ることはできないのですが、いずれにしましても、情報の格差、情報の非対称性を是正することで労働法が以上終わりということではないのではないかというふうに、基本的な考え方としてもそう思うところでございます。
また、それは労働法だけではなくて、消費者契約法でも交渉力の格差ということは目的に書かれていますし、免責条項を一部無効にするとか、そういうのはなかなか情報の非対称性だけでは出てこない話なのではないか。あるいは独禁法の優越的地位の濫用とか、ああいうものも説明がつかなくなるのではないかと思いますが、勿論、ああいったものも不要だという議論はあるのかもしれませんけれども、まず考え方の入り口としてはそういう点がございます。
そういったことから、私ども、初歩的な公共政策に関する原理を理解していないからこう思ってしまうだけなのかもしれませんが、そういった観点が必要ではないかということから、1ページ目や3ページ目の意見を出させていただいています。

濱口さんは言いたいことが言えていい身分ですねえ。私はこんなに平身低頭しながらじゃないと同じことが言えないんですよ、という腹膨るる思いが伝わってくるような言葉の数々でありますな。「私ども、初歩的な公共政策に関する原理を理解していないからこう思ってしまうだけなのかもしれませんが」なんてのは、分かってる人にはわかる役人として許される最大限の皮肉を効かせた言葉なんですが、さてどこまで伝わっていることやら。

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世の中の問題の多くは労働問題なんだよ

読売の記事で、「24時間勤務 最高で月20日…産科医」というのが載っています。

http://job.yomiuri.co.jp/news/jo_ne_08020809.cfm

>「このままでは死んでしまう」。茨城県北部にある日立総合病院の産婦人科主任医長、山田学さん(42)は、そう思い詰めた時期がある。

 同病院は、地域の中核的な病院だが、産婦人科の常勤医8人のうち5人が、昨年3月で辞めた。補充は3人だけ。

 しわ寄せは責任者である山田さんに来た。月に分娩(ぶんべん)100件、手術を50件こなした。時間帯を選ばず出産や手術を行う産婦人科には当直があるが、翌日も夜まで帰れない。6時間に及ぶ難手術を終えて帰宅しても夜中に呼び出しを受ける。自宅では枕元に着替えを置いて寝る日々。手術中に胸が苦しくなったこともあった。

 この3月、さらに30歳代の男性医師が病院を去る。人員の補充ができなければ、過酷な勤務になるのは明らかだ。山田さんは、「地域の産科医療を守ろうと何とか踏みとどまっている。でも、今よりも厳しい状態になるようなら……」と表情を曇らせた。

 燃え尽きて、分娩の現場から去る医師もいる。

 別の病院の男性医師(44)は、部下の女性医師2人と年間約600件の分娩を扱っていた。24時間ぶっ続けの勤務が20日間に及ぶ月もあった。自分を病院に送り込んだ大学の医局に増員を訴えたが断られ、張りつめた糸が切れた。2005年夏、病院を辞め、分娩は扱わない開業医になった。その病院には医局から後輩が補充されたものの、やはり病院を去ったと聞いた。

>医者の産科離れを加速させるのが、医療事故や訴訟のリスクだ。「子どもが好きだから、将来は産婦人科医も面白そう」と考えていた医学部3年生男性(22)は、「一生懸命やっても訴訟を起こされたり、刑事裁判の被告になったりしたら人生が台なしになる」と、産婦人科に進むことをためらっている。

 勤務医は過労で燃え尽き、開業医も分娩から撤退。現状を知った医学生が産科を敬遠する。医師も施設もますます減っていき、緊急時の妊婦の受け入れ先がなくなる――そういう悪循環が見えてくる。

そういう風にしてきた責任の一端は、読売新聞も含めたマスコミにあることを認識していただきたいとも思いますが。医療問題を専ら健康保険財政問題と消費者サービス問題に極小化し、医師たちの労働実態という目の前にある問題から目を背け続けてきたのは、(もちろん国民の意識がそうだったからそれに沿っただけだと言えばそうでしょうが)記者たちの頭の中に、そういう問題意識に反応する回路ができていなかったからであることは確かなんですから。

教育問題にしろ、道路問題にしろ、(ついでに、北畑発言問題にしろ)世の中の問題の多くは実のところ労働問題なんですが、そこをすっぽりと頭からぬけ落としたままで薄っぺらなきれいごとっぽい議論ばっかりするもんだから、ますます解決策が問題の本質から遠ざかっていく一方になるという悪循環が現代の日本を覆っているように見えます。

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週刊東洋経済本日発売

先週金曜日に予告いたしました週刊東洋経済2月16日号が本日発売です。確かに、ダイヤモンドよりずっと面白いですよ。

H20080216 福井秀夫氏と私の発言が向かい合わせのページに載っていますので、どちらがよりまともで社会的に通用する議論であるか、読者の方々がそれぞれに判断することができるようになっております。

どっちも同じ法学部卒業で、どっちも霞ヶ関官僚出身で、どっちも現職が政策