本日の日経新聞の書評欄で、拙著『管理職の戦後史』(朝日新書)が1段ベタ記事ですが紹介されています。
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO94256950W6A200C2MY6000/
管理職は戦後から現在まで日本型雇用システムの重要な存在であり続けてきたが、その立ち位置は驚くほど変わった。働き方改革から取り残され、権限は乏しいのに残業代が出ない「名ばかり管理職」のイメージが強いが、終戦直後は労働運動の先頭に立って経営者を追及していた。最近では若者から「罰ゲーム」とさえ呼ばれるようになった管理職の波瀾万丈の歴史をたどり、その在り方を考える。
「Assert Web」で杉本達也さんが拙著『管理職の戦後史』を書評されています。まずもって、
https://assert.jp/archives/13644
『ジョブ型雇用社会とは何か』などにおいて、欧米・アジアとは異なる日本の雇用システムの特徴を「メンバーシップ型雇用」と定義してきた著者が、今回はその日本型雇用システムにおける管理職の問題に迫った。通常の新書は200~250ページであるが、本書は340ページもある非常に分厚いものとなっている。厚くなったのは、著者が原資料を大幅に引用して、専門的な議論を紹介しているからであるが、そのため読み込むには若干苦しい。特に、ホワイトカラーエグゼンプションの部分は、規制改革会議や経団連の提言、労政審答申など、通常読む機会のない資料を多数紹介しており、経緯を把握するには便利であるが、かなり専門的ではある。
「非常に分厚い」「原資料を大幅に引用」「専門的な議論」「読み込むには若干苦しい」等々、読まれた皆さんが共通に指摘される点で、仰るとおりですが、せっかくの資料をちゃんと紹介しておきたいと願ったからなんです。
とはいえ、中身に関してはご自分の経歴なども振り返りながらいろいろと感じるところもあったようで、各章ごとにこのように個人的な経験を踏まえて感想を述べられています。
2 女性管理職の時代
・・・1986年、私の所属組合でも人事課長との団体交渉が行われた。団交参加者は女性専門職の多い職場が中心だったが、そこに本部・総務課・会計課などの若手女性職員が多数押し掛けたのである。その日の朝、管理職の机を拭き掃除したり、お茶を出したりしていた女性職員が団体交渉に参加したのである。当時、キャリア職はもちろん、ノンキャリア職を含め、男性職員の95%は管理職に登用されて退職するといわれていた。一方、女性職員の管理職は専門職などのごく一部であった。人事課長は、団体交渉の場で組合の男性役員に対し、もし、女性管理職を増やすと、男性の管理職への登用は60%まで落ち込むが、それでもよいのかとつぶやいた。当時、団体交渉に参加した女性職員の多くが、いま定年を迎えたが、部長職・課長職で退職している。
3 管理職手当を要求した団体交渉
・・・1993年の団体交渉では組合側から管理職手当を要求した。当初、技術専門職の職場では、高度成長前期に採用した職員から順に管理職に登用されていたが、管理職のポストが限られており、年齢順にポストがあてがわれていた。いわゆるキャリア採用の団塊の世代が管理職の年代に差し掛かっていたが、管理職のポストがない、このままでは管理職にもなれないと不満を募らせていた。しかし、労働組合から管理職ポストを増やせなどとはいえない。当時、管理職は部長級のA級、次長級のB級、課長級のC級、課長級スタッフ職のD級に分類されていた。労働組合としては課長級スタッフ職D級の管理職手当相当を管理職年代に差し掛かった団塊の世代に配分せよと要求した。結果、D級管理職手当よりは若干手当額は低く、もちろん超過勤務手当はなくなるが、管理職ではなく組合員として処遇するポストが新設された。交渉後、人事課長は、これまでの人事管理に不備があったと組合役員に詫びた。
4 超過勤務
バブル期はともかく仕事が多かった。あるプロジェクトの担当として15億円の事業費を1人で抱えることとなった。当時、月150~200時間の超過勤務を行った。深夜1・2時、土日もないとなると少し体調も崩した。笑い話であるが、深夜2時にFAXを東京のある事業所に送って、今日の仕事はこれで終わりだと課員とともに帰宅した。翌日、FAXが返っていたので時刻を確認するとAM3の文字があった・・・
私的な経験としてはメンタルヘルスで休職していた職員が復職する場合が大変である。200人程度の本部と支所の人事を統括していると、人事課から10人程度の復職者の受け入れを迫られる。本人と直接会話することもなく、復職可能とする医師の診断書のみで判断せざるを得ない。復職後、月曜の朝に「今日は休ませて欲しい」という電話がかかってこないかどうかドキドキである。
先日、ある元職員と話をする機会があったが、元職員の退職理由は、時間外労働時間が月40時間を超えるにも関わらず、上司がそれを認めず時間外労働時間を削るように指示していたからだという。超勤時間を全て記入するよう通知されてから30年以上経つが、いまだに闇超勤が行われていることは実に嘆かわしい。採用者よりも中途退職者が多いとも聞く。職種によっては求人を出しても全く応募者がいない。元職員は退職後、士業を志して、今は士業で働いている。
というわけで、戦後労働史を生きてこられた方々にとっては、この話もあの話もみんな思い当たるところのあるエピソードなのではないでしょうか。
最後にこう締められているのは、著者としては大変嬉しい言葉です。
本書はどこから読み進めても非常に味のある構成となっている。是非、一読をお勧めしたい。
ネット書評家として名高い山下ゆさんが、拙著『管理職の戦後史』(朝日新書)を取り上げてくださいました。
http://blog.livedoor.jp/yamasitayu/archives/52428053.html
「メンバーシップ型雇用」「ジョブ型雇用」などの用語を普及させ、日本の雇用システムについてその特徴を明らかにしてきた著者が日本の管理職の問題に迫った本。
以前の著者の本でも書かれていたことですが、日本だと中途採用の面接で来た中高年が「部長ならできます」と言えばそれは笑い話として消費されてしまいますが、欧米では当たり前の受け答えになります。「管理職」という職務がしっかりと確立しており、ビジネススクールでマネジメントについて学んできた人が就くポジションだからです。本書は、そんな日本の管理職の特殊性を戦後の歴史を紐解きながら探り、アメリカの影響を受けた労働法と実際の日本の管理職のズレと、そこから生まれるさまざまな問題を論じています。
著者は複数のレーベルから新書を出していますが、同じ朝日新書から出た『賃金とは何か』と同じく、この新書もやや硬めで決して読みやすいとは言えませんが、「なぜ管理職が罰ゲームになってしまったのか?」ということがよく分かる内容になっています。
少し前のXでの短評でも言われていたように、「この新書もやや硬めで決して読みやすいとは言えません」というのはやはり確かなようです。
書いているときは、話の中身が結構波乱万丈で自分で書きながら面白いので、ついつい原資料を長々と引用してしまいがちになるんですが、そうすると一般読者にとっては読みにくくなってしまうんですね。
冒頭にも書きましたが、資料や法令などで管理職の実態を浮かび上がらせようとするスタイルは新書にしてはやや硬めかもしれません
個人的には今までの新書との重複を恐れずに、例えば、最後のほうのパワハラの話などを紙幅をとって論じたほうが多くの人が手に取りやすかったのではないかと思いますが、その代わりに日本の労働法と実態のズレといった部分は印象に残りました。
本書は、日本の管理職の困難を歴史と法制度の両面から教えてくれる内容になっています。
まあ、パワハラの話はそれだけで一冊の本にできるネタでもあるので、むしろ、資料部分をもっと削るべきだったかな、と今は思っています。
日刊ゲンダイに、拙著『管理職の戦後史』の短評が載ったようです。
https://www.nikkan-gendai.com/?p=news_detail&id=382789
近年、働き方改革から取り残され、管理職として働くことが罰ゲーム化していると評されている。
管理職の問題は今に始まったことではなく、1970年代にも人事労務管理上の大きな問題になっていた。不況の際に賃金カットや出向など真っ先に狙われ犠牲を受ける一方、この時代には管理職ポスト不足=管理職の過剰が企業人事にとって大きな課題になりつつあったのだ。さらにさかのぼり、1950年代には労働組合が管理職をつるし上げるような運動を展開した時期もあれば、終戦直後には管理職が労働組合運動の先頭に立って経営陣をつるし上げていた時期もあるという。
戦後日本社会におけるそうした管理職の変遷をたどり、日本型管理職の特殊な姿を浮き彫りにする歴史テキスト。
昨年11月に上梓した『管理職の戦後史』に対して、書評サイトでさらにいくつかの短評がアップされました。
まず、アマゾンカスタマーさんから
https://www.amazon.co.jp/dp/4022953454
管理職の線引きの複雑性を分かりやすく説明しているところに本書の特徴がある。ただ、管理職がどういう意味合いを持つのかに対し、ドイツの参考事例による管理職員の事を取り上げていたが、参考事案として管理職の線引きが複雑な日本にはセメダイン事件があったが、①団体交渉にあたる会社の担当者を誰にするか②交渉事項に関する会社の機密事項が組合側に漏洩された場合の会社側の組合に対する団体交渉を断る立証責任についてもどの様な考えをもっているのか言及して欲しかった。それは、ドイツのように管理職が独立した権限をもっているのに対し日本は独立した権限を持つことに厳しい管理職に対し本書は現実の受難から栄光に向かう独立した権限を勝ち取るための受難だという事を伝えたいと読者は感じたがそれは如何に・・・。
また読書メーターでも、お抹茶さんとすのさんから、
https://bookmeter.com/books/22966813
お抹茶
出版物や報告書や試案や基発の引用が多く専門的。戦後すぐは管理職層まで労働組合が取り込んで経営側を圧迫したが,次第に使用者の利益代表者ではない係長以下の現場職制層までを敵に回して追いつめられた。管理職ポスト不足で設けられたスタッフ職は,管理監督者と同格ながら管理監督機能とは別の専門職という独特の解釈。エリートとノンエリートの差を極小化した戦後日本の企業社会では,上から下まで,自律的にも裁量性を有してないホワイトカラーが所定内労働時間では処理できない業務量を抱える。メンバーシップ型とジョブ型の齟齬が影響。すのさん
かつて管理職は労働組合の先頭に立ち、使用者と対峙していたという。そのような時代があったと想像できないほどに今の管理職が置かれた立場は不安定で苦しい。それはそもそも日本のメンバーシップ型雇用社会に由来するものであるという。一般社員から管理職までが各々PDCAを回す。管理と事務が混在した仕事をするという日本の雇用制度が、管理職という存在を曖昧化させている。労働組合には入れず、労働時間規制の対象からも漏れ落ちる。そんな管理職の労働状況を改善するにはジョブの明確化、ジョブ型への移行が肝となるように思われる。
さらに、X(旧twitter)でも、本べんさんから、
https://x.com/bookreadben/status/2009544139139113058
濱口桂一郎『管理職の戦後史』(朝日新書)を読了。特に後半は(新書としては)原資料の転載が多く、読むのが若干苦痛でした。前半の労働組合における管理職の位置付けの変遷は、大変興味深かった。上から下まで経営者であり、従業員でもある役割の曖昧さが、制度を混乱させているというお話でした。
確かに、新書本にしては原資料を大幅に引用して専門的な議論に入り込みすぎているところがあり、普通の読者の方々にはいささか読みにくい印象を与えてしまったという反省はあります。
ただ、議論の焦点が、日本のヒラ社員はなにがしか管理職であり、日本の管理職はなにがしかヒラ社員であるという日本の特色が、まさに裁量労働制やエグゼンプションの議論にこそ露呈するということなので、どうしてもそれらの議論の過程を詳細に追いかけていくことにならざるを得ず、結果的に「読むのが若干苦痛」になってしまったようです。
all4every1さんが、拙著『管理職の戦後史』を微に入り細を穿って緻密に書評していただいております。
かつての栄光、今の罰ゲーム。濱口桂一郎『管理職の戦後史』が解明する「幸福な共犯関係」の崩壊
序論:なぜ日本の管理職は「つらい」のか ― 本書の核心的問いと本稿の視座
かつてサラリーマン人生の「栄光」の象徴であった管理職は、なぜ今や「罰ゲーム」とまで揶揄されるようになったのか。濱口桂一郎氏の労作『管理職の戦後史』は、この問いを解き明かすため、戦後日本において管理職がいかにして「法的には労働者、現実には経営側」という矛盾を内包した存在となり、その役割と苦悩が変遷してきたかを鮮やかに描き出した。それは、日本型雇用システムの構造的矛盾が、一人のアクターの身に凝縮されてきた80年の記録である。
本稿は、戦後史を「①原点の形成」「②日本的モデルの確立と矛盾の潜伏」「③矛盾の噴出」「④現代の三重苦」という4つの時代区分に整理し、日本の管理職をめぐる法制度と企業慣行の乖離が、いかにして生まれ、糊塗され、そして破綻に至ったかのメカニズムを深く掘り下げる。
この分析を通じて、我々は単に管理職の「受難」を追体験するのではない。その歴史的軌跡から日本型雇用システムの構造的課題を浮き彫りにし、現代における「管理」という機能そのものの再定義に向けた重要な示唆を得ることを、本稿は目的とする。
ここから、第1部第1節・・・と、あたかも大論文の如く書評が書き進められていきます。
第1部 原点の形成:法と現実の乖離(1945年~1950年代)
第一節:労働基準法第41条の「建前」―厳格に限定された管理監督者
第二節:労使関係における「本音」―経営の尖兵への転換
第三節:原点における二重構造の確立
第2部 「日本的」管理職の確立と矛盾の潜伏(1960年代~1980年代)
第一節:「職能資格制度」という発明―ポストと処遇の分離
第二節:「部下なし管理職」の増殖と法的矛盾
第三節:なぜ矛盾は問題化しなかったのか
第3部 矛盾の噴出:成果主義と司法の鉄槌(1990年代~2000年代)
第一節:成果主義の導入と「プレイングマネージャー」化
第二節:「名ばかり管理職」訴訟の衝撃―日本マクドナルド事件
第三節:立法府の攻防―ホワイトカラー・エグゼンプションの挫折
第4部 「働き方改革」時代の新たな三重苦(2010年代~現在)
第一節:「働き方改革」の蚊帳の外で
第二節:現代管理職を苛む「三重苦」の構造
第三節:新たな政策潮流との相克―女性活躍と高度プロフェッショナル制度
総括:『管理職の戦後史』が示す歴史的含意と現代への問い
第一節:歴史的含意―日本型雇用システムの矛盾の凝縮点として
第二節:現代への政策的・実務的示唆
※所見
第三節:結論―「管理」の再定義に向けて濱口氏は、安易な「ジョブ型」礼賛に警鐘を鳴らしつつも、職務の明確化なくしてこの問題は解決しないことを強く示唆している。ここで著者が警告しているのは、欧米のジョブ型モデルを単純に「コピー&ペースト」しても失敗するということだ。目指すべきは、外国の制度を丸ごと輸入することではなく、その核心原理―すなわち、職務、権限、待遇の明確化―を適用し、日本の管理職を長年苦しめてきた「曖昧さ」を最終的に解消することである。
『管理職の戦後史』が描く「受難」の歴史に終止符を打つために、我々は「管理職とは何か」という根源的な問いから逃げてはならない。それは、日本社会がこれまで自明としてきた働き方のOS、すなわち日本型雇用システムそのものの再設計に取り組むことを意味している。その覚悟が、今まさに問われているのである。
正直言って、拙著で書いたことを超える記述もいくつも見られ、むしろ拙著を出汁にして主張をされている面もありますが、いずれにしても拙著をここまで詳細に読み込んでご自分の意見を練り込みながらかくも長大な書評論文をものされていただいたことには感謝申し上げます。
なお、このall4every1さん、わたくしの旧著『働く女子の運命』についても同様に長大な書評論文を書かれていますね。
序章:本書の射程――なぜ日本の女性は「運命」を背負うのか
濱口桂一郎による『働く女子の運命』は、単なる女性労働史の叙述に留まるものではない。本書の真価は、これまで文化論や精神論に回収されがちであった日本のジェンダー格差問題に対し、法制度的かつ経済的な分析のメスを入れ、その病根が日本社会の根幹をなす雇用システムそのものの構造的欠陥にあることを冷徹に論証した点にある。本書は、従来「女性問題」として扱われてきた論点を、実は「男性正社員の働き方の問題」であると再定義するパラダイムシフトを提示し、社会全体の設計思想に潜む病理を告発する、一級の社会科学的論考なのである。
本書が刊行された2015年、世界経済フォーラムの「ジェンダー・ギャップ指数」において、日本は145カ国中101位という不名誉な地位にあった。女性の教育水準は世界最高レベルであるにもかかわらず、経済・政治分野における地位は著しく低い。この「高学歴・低地位」という深刻なパラドックスこそ、日本社会が長らく抱え込んできた構造的問題の表出に他ならない。
多くの論者は、この原因を「伝統的な性差別意識」といった文化論に求めてきた。しかし濱口は、そうした情緒的な言説を退け、真の病根は日本の企業社会を支配する独特の「日本型雇用システム」にあると喝破した。これこそが、本書の核心的な貢献である。
本稿は、核心理論の提示から歴史的経緯の検証、法制度がもたらした意図せざる結果、そして現代における分断構造の分析を経て、最終的な処方箋に至るまで、濱口理論の射程を明らかにしていく。
この分析を通じて、私たちは、なぜ日本の「女子」だけが、あたかも不可避であるかのような特有の“運命”を背負わされてきたのか、その構造的メカニズムを解き明かすことになるだろう。
第1章 核心理論:メンバーシップ型雇用という「見えざる檻」
雇用モデルの構造的対比
構造的女性排除のメカニズム:「無限定性」という本質
第2章 歴史的構造:日本型雇用の成立と女性の周縁化
産業革命期:「女工」という名の補助的労働力
戦時体制と「生活給」思想の誕生
「職能給」の確立と女性の制度的排除
高度成長期:「結婚退職制」と補助的役割の固定化
第3章 法政策の意図せざる結果:均等法が生んだ新たな分断
男女雇用機会均等法(1986年)が生んだ「コース別」という名の分断
育児・介護休業法が直面した「メンバーシップの壁」
第4章 カテゴリー別分断構造:連帯を阻む三つの階層
総合職女性:滅私奉公を強いられる「エリート」
一般職女性:役割を失いつつある「絶滅危惧種」
非正規女性(派遣・パート等):搾取されるアンダークラス
女性同士の分断という悲劇
第5章 現代的含意と政策的迷走
「活用」という功利的な視点
「二兎を追わせる政策」の過酷さ
すべての根源はメンバーシップ型雇用に繋がる
なぜ日本では「均等」が「分断」を生むのか
第6章 結論:「運命」を克服するための処方箋
問うべきは「男性の働き方」である
根本的処方箋:ジョブ型への移行と新たな標準モデル
結論:「制度的欠陥」との決別濱口桂一郎の『働く女子の運命』は、日本のジェンダー問題が、根拠の薄い感情論や文化論ではなく、明治以来の産業構造に根差した巨大な「制度的欠陥」であることを論理的に証明した。企業中心のメンバーシップ型の呪縛から脱却し、働く個人の人生設計に即した、公正で予見可能性の高い雇用慣行へ社会全体で転換すること。それこそが、日本の働く女性たちに長らく課せられてきた不条理な「運命」を克服する、唯一の道筋なのである。
こちらも、私の書いたことを超える表現が多々見られますが、むしろ、濱口が言わないことまでもはっきり言い切るぞという決意なのでしょうか。
ココナツ・チャーリーさんが、noteの「2025 読書この一年」で、新書新刊の5冊のうちに拙著『管理職の戦後史』を入れて次のように評していただいています。
https://note.com/charlieinthefog/n/ndf940107e966
『管理職の戦後史』は興味深いネタが多数。個人的に興味を引いた点を列挙しておきますと、①戦前はホワイトカラーとブルーカラーとで法的枠組みも所管省庁も違っていたこと、②戦後の生産管理闘争の時代には管理職が労働組合の運動をリードしていた時代があって、経営側が巻き返す過程で係長・職長レベルを含めた「職制」という概念につながっていったこと、③管理も監督もしないスタッフ職の「管理監督者」が認められる有名な通達の背景には、当局の「思い切り」があったこと、といったあたりです。(12月6日読了)
ちなみに他の4冊は、善教将大『民度』飯田一史『町の本屋はいかにしてつぶれてきたか』小野圭司『太平洋戦争と銀行』内務省研究会編『内務省』でした。
先月刊行した『管理職の戦後史』(朝日新書)に対しては、X(旧twitter)上でもいくつか短評が寄せられていますので、若干紹介しておきます。
読めば読むほど弊社は一部部署除いてホワイトというかぬるいという感想しか出てこない 一部出来る認定された人間に寄せられる業務の幅の広さはゾッとするが
日本の管理職の意味について戦後から見事に描いた渾身作。日本雇用は年齢の区切りに基づく。国の制度も全て年齢。ジョブ型、役割給も絵に描いた餅に終わる日本の末路。
また、読書メーターでは、Francisさんに続いてみぐさんからもこのようなコメントをいただきました。
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