書いた覚えのない「名文」で「名著」と褒められる書評
「年間500冊読書するアラサー営業マン」と自称する「よねさんの読書ナビ」で、書いた覚えのない文章でもって妙に褒められてる「書評」があったのですが、
その「よねさん」がさらに3回連続で、引き続き拙著『賃金とは何か』を「書評」していただいているのですが、さらにさらに輪をかけて、わたくしが書いた覚えのない文章をやたらに「引用」して、妙に褒めちぎられてしまっていて、一体喜んでいいのか怒るべきなのか、頭が混乱の極みに達しております。
まずもって、「「同一労働同一賃金」は本当に公平なのか――『賃金とは何か』が照らす“平等”という幻想」というnoteで、
「同一労働同一賃金」は本当に公平なのか――『賃金とは何か』が照らす“平等”という幻想
同一労働同一賃金の理想を実現するには、まず「違いを認めたうえで、納得できる差を作る」という成熟が必要です。
それは、制度の正しさではなく、社会の誠実さの問題です。
真の公平とは、「誰もが、自分がなぜそう評価されているのかを理解できる状態」である。
『賃金とは何か』は、この視点を私たちに突きつけます。
賃金とは単なる「報酬」ではなく、社会が人をどう扱うかを映す鏡なのです。
そのまま読むと、いやあこの『賃金とは何か』って本はええこと言うてるやないか、と思わず感心してしまいそうになりますが、いやいやこの本にそんな一節は存在しません。書いた本人が言うんだから確かです。
次の「年功序列が「悪」だとは限らない――『賃金とは何か』に学ぶ、戦後日本の“見えない合理性”」では、
年功序列が「悪」だとは限らない――『賃金とは何か』に学ぶ、戦後日本の“見えない合理性”
しかし、濱口桂一郎氏の『賃金とは何か――職務給の蹉跌と所属給の呪縛』(岩波新書)を読むと、この見方がいかに浅いかがわかります。
著者はこう語ります。
「年功序列は、単なる企業文化ではなく、戦後日本社会そのものの“合理的な制度設計”の一部だった。」
つまり、「年功序列=悪」という単純な図式では語れないのです。
いやあ、いかにもこの濱口桂一郎という奴がほざきそうなセリフですが、ところがところがこの本のどこを探してもこんな気のきいたセリフは見つけられません。
年功序列は、もはや現代の経済環境には合わないかもしれません。
しかし、それは単なる“ぬるま湯”ではなく、社会を支える合理的なインフラだったという事実を忘れてはいけません。
年功序列は、雇用の安定・生活の安心・社会の秩序を同時に維持するための「時代の最適解」だった。
『賃金とは何か』は、そんな制度の裏にある“社会の知恵”を見つめ直させてくれる一冊です。
「制度の裏にある“社会の知恵”を見つめ直させてくれる一冊」などという究極の誉め言葉におもわず舞い上がりそうになりますが、残念ながらそんな台詞はでてこないのです。書いた本人に身に覚えがないのですから間違いありません。
最後に、「すぐ会社をやめる若者は悪か――『賃金とは何か』が教える、“辞めない世代”と“辞める世代”の合理性」では、
すぐ会社をやめる若者は悪か――『賃金とは何か』が教える、“辞めない世代”と“辞める世代”の合理性
でも、本当に“すぐ辞める=悪”なのでしょうか?
そして、“辞めない=美徳”は普遍的な価値なのでしょうか?濱口桂一郎氏の名著『賃金とは何か――職務給の蹉跌と所属給の呪縛』を読むと、
その答えは意外にも、「どちらも合理的」というところにあるのです。
そんなこと書いたかなあ、と書いた本人が首をひねりながら読み進めていくと、
『賃金とは何か』を通して見えてくるのは、
社会がどう変わり、個人がどう適応してきたかという“働き方の進化の物語”。そして私たちが今すべきことは、
過去を否定することでも、未来を盲信することでもなく、
「お互いの合理性を理解しあうこと」。“辞めない”も、“辞める”も、どちらも社会の鏡なのだ。
いやいや、本人が書いた覚えのない気の利いた「名文」を山のように捏造された挙句に「名著」と褒め称えられるというこの状況は、一体喜ぶべきなのかそれとも怒るべきなのか、私はいま底知れぬ悩みのさなかにあります。













最近のコメント