若者と労働

2017年11月29日 (水)

ここら辺が一挙に胸に落ちた感じがある

Chuko_2久しぶりに『若者と労働』への書評。「本のアプリStand」というサイトで、評者は「天パ太郎」さん。

https://standbk.co/b/%E8%8B%A5%E8%80%85%E3%81%A8%E5%8A%B4%E5%83%8D%20%E3%80%8C%E5%85%A5%E7%A4%BE%E3%80%8D%E3%81%AE%E4%BB%95%E7%B5%84%E3%81%BF%E3%81%8B%E3%82%89%E8%A7%A3%E3%81%8D%E3%81%BB%E3%81%90%E3%81%99-%E6%BF%B1%E5%8F%A3%E6%A1%82%E4%B8%80%E9%83%8E/82859

ずっと積まれていたのを今更読了。
就活に悩まされた一個人として、「なるほど!」と思わず唸る良書。

筆者は厚生労働省の役人から労働政策研究の専門家になった人。

労働のあり方を、
欧米は特定の仕事に人を割り当てるジョブ型社会、
日本は特定の人に仕事を割り当てるメンバーシップ型社会
と二つに大別した上で分析。

入社というものがどういうものかを分析。
何故、就活に苦しむのか?
どうしてブラック企業が日本にはびこるのか?
といったことを歴史、判例や研究を元に綺麗に説明。

誰しも就活で思ってしまうであろう、
・何故、新卒採用の時に、大学で学んだことではなく、テニスサークルの副幹事長の話をするのか?
・禅問答に近しい自己分析と就活の関係性
・大学の学びの空虚さ
ここら辺が一挙に胸に落ちた感じがある。

ブラック企業の分析に多少言葉が足りなかったり、
いわゆる一般職をもう少し広げた限定正社員の導入による労働政策の見直しが少し楽観的ではないか?と思う部分もあるが、
概ね頷くことばかり。

就活のテクニック本に疑問符をつける人には、是非読んで欲しい一冊。

「ここら辺が一挙に胸に落ちた感じがある」という言葉が嬉しいです。

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2017年10月22日 (日)

日本の雇用の常識を知ることは、自社の雇用の思い込みを知ること@ヒトフレ

Chuko 「人事や採用担当をフレーフレーと応援するメディア」の「ヒトフレ」というブログで、拙著『若者と労働』が取り上げられていたことに気がつきました。

http://www.hitofure.jp/posts/3116186

題して「日本の雇用の常識を知ることは、自社の雇用の思い込みを知ること「若者と労働」人事の代わりに読みました。」

今回の人事の代わりに読みましたは、「若者と労働」。

少し古い本ですが、ビッシリ貼られた付箋を見てわかるように、HR系のビジネスをしている私には非常に勉強なった本でした。

と言うことで、リンク先にブログ主のお持ちの本の写真が載っていますが、びっしりと付箋が付いていますね。

・・・本書は、当時、社会的な問題としてヒートアップしていた、若者雇用の問題を日本の「メンバーシップ型雇用」と欧米の「ジョブ型雇用」を比較しながら日本の雇用システムの特殊性をあぶり出しつつ、歴史的な経緯とともに、その日本独自の雇用システムが誕生し袋小路に陥った理由と、それを解決しようとした労働政策がうまく機能しなかった背景と、その結果としての若者雇用問題を、分かりやすく冷静な議論で解き明かしてくれます。

もちろん欧米の雇用システムの方が、優れているわけではありませんが、比較対象が生まれることで、客観性が生まれ、その特殊性が、よりクリアに理解することができます。

日本の採用市場の特殊性や構造を知ることは、そこで優秀な人事を獲得するための戦い方のヒントをもらうこと。

さらに日本の雇用の常識を知ることは、私たちが無意識で前提にしてしまっている自社の雇用の常識を、意識することにつながります。

気づいていなかった固定観念が外れれば、自社の採用や人事制度に関しても、新しい発想がでやすくなるのではないでしょうか。

「彼を知り、己を知れば、百戦して危うからず」と言いますが、その両方が、一冊でできるのがこの「若者と労働」。おすすめです。

「彼を知り、己を知」るが両方できる本というのは身に余るお褒めの言葉で痛み入ります。

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2017年10月 4日 (水)

就活生による拙著書評

Chuko

拙著『若者と労働』に対して、大学4年の就活生の方がこういう書評を書かれていました。夏休みに読んだ30冊の中で、特にお奨めの3冊の一つということです。

http://timeleft-blog.hatenablog.com/entry/2017/10/04/001340

「は?なんで私が面接で落とされるの?能力の面で見れば他の就活生と比べて劣ってるわけでもないし、むしろ優れてるほうでしょ?なんで?は?これが人柄採用ってやつ?糞だね!!」と思っている方におススメの一冊。日本式就職活動の基盤となっているものが良く分かります。これを読んだからといって、内定獲得のテクニックを得ることは決してできません。しかしこの本は、就職活動でこれまで当たり前だと考え、問題にさえしなかったことを可視化させます。読者によっては多くの盲目的な就活生が持ってしまう既存の価値観を捨て去ることができるでしょう。私のように就活に失敗した人。特に、それにより自信を無くした人は是非一読してみてください。

まさに「これを読んだからといって、内定獲得のテクニックを得ることは決してでき」ない本ですが、ある構造が可視化されることは確かだと思います。

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2017年9月 5日 (火)

『若者と労働』への書評

Chuko「ともだちがいない人の日常」というブログで、拙著『若者と労働』への大変丁寧な読み解きとコメントをしていただいています。

http://blog.livedoor.jp/friendless_tomoe/archives/18411885.html

東大の労働法の荒木先生が推薦していた新書。荒木先生は「判例百選」という法学部生にポピュラーな判例評釈の本のなかでも本書を用いている。荒木先生が推薦するからには読まなければならない一冊だろうと思っていたが、まさにそのとおりだった。・・・

ありがとうございます。ただ、実は『労働判例百選(第9版)』のブルームバーグ・エル・ピー事件の評釈の中で引用されているのは、『若者と労働』ではなくて、『日本の雇用と労働法』の方なんですが、いやまあでも、それを契機に本書をここまで深く読んでいただいたとすれば、大変有り難いことです。

・・・非常にすばらしい本で、日本がいかに特殊な雇用慣行をとっているのか、その問題、今後の方向性まで示している。やや冗長な部分があったが、それでもこの本で得られた知見は日本の労働環境を考える上で必要不可欠なものだった。・・・

と述べて、本書のエスキスを見事に解説していただいております。

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2017年6月30日 (金)

『若者と労働』第6刷

Chuko拙著『若者と労働』に第6刷がかかることになりました。2013年に刊行して以来ほぼ4年ですが、この間着実にロングセラーとして読み継がれていることになり、改めて読者の皆様に感謝申し上げます。

改めてそのまえがきから

 若者の労働問題は何重にもねじれた議論の中でもみくちゃになっています。
 一方には、日本の労働社会では中高年が既得権にしがみついているために若者が失業や非正規労働を強いられ、不利益を被っていると糾弾する議論があります。他方には、近頃の若者は正社員として就職しようとせず、いつまでもフリーターとしてぶらぶらしているのがけしからんと非難する議論があります。現実社会の有り様をきちんと分析することなく情緒的な議論で世の中を斬りたがる人々が多いことの現れなのでしょうが、いつまでもそのような感情論でのみ若者の労働が語られ続けること自体が、この問題をきちんと位置づけ、正しい政策対応を試みる上での障害となる危険性があります。
 本書は、今日の若者労働問題を的確に分析するために、日本型雇用システムやそれと密接に結びついた教育システムの本質についてかなり詳細な議論を展開し、それを踏まえて若者雇用問題とそれに対する政策の推移を概観し、今後に向けた処方箋の提示を行います。
 そのポイントをごくかいつまんで述べれば、まず第一に、仕事に人をはりつける欧米のジョブ型労働社会ではスキルの乏しい若者に雇用問題が集中するのに対して、人に仕事をはりつける日本のメンバーシップ型労働社会では若者雇用問題はほとんど存在しなかったこと、第二にしかし、一九九〇年代以降「正社員」の枠が縮小する中でそこから排除された若者に矛盾が集中し、彼らが年長フリーターとなりつつあった二〇〇〇年代半ばになってようやく若者雇用政策が始まったこと、第三に、近年には正社員になれた若者にもブラック企業現象という形で矛盾が拡大しつつあること、となります。これらは、メンバーシップ型社会の感覚を色濃く残しながら都合よく局部的にジョブ型社会の論理を持ち込むことによって、かつてのメンバーシップ型社会でも欧米のジョブ型社会でもあり得ないような矛盾が生じているものと見ることができるでしょう。
 これに対して本書が提示する処方箋は、中長期的にはジョブ型労働社会への移行を展望しつつ、当面の政策としては正社員と非正規労働者の間に「ジョブ型正社員」という第三の雇用類型を確立していくことにあります。
 分かりやすく攻撃対象を指し示すようなたぐいの議論に慣れた方には、いかにも迂遠で持って回った議論の展開に見えるかも知れませんが、今日の日本に必要なのは何よりもまず落ち着いて雇用システムや教育システムの実態をきちんと認識し、一歩一歩漸進的にシステムを改革していくことであるとすれば、本書のような議論にもそれなりの意味があるのではないかと思われます。

これまでにいただいた各種書評はこちらにまとめてあります。

http://hamachan.on.coocan.jp/chukobookreview.html

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2017年3月 3日 (金)

むかしの銀行員・・・

昨日の日経夕刊の「あすへの話題」というコラムに、元内閣府事務次官の松崇さんが「サラリーマン川柳」というエッセイを寄稿していて、その中に拙著のある部分が引用されておりました。

http://www.nikkei.com/article/DGKKZO13570750S7A300C1MM0000/

第一生命保険が毎年行っているサラリーマン川柳の入選作が発表された。今年は、政府が働き方改革の旗を振っていることもあって長時間労働是正などに関する句が目立つ。「効率化 提案するため 日々残業」「生産性 部長の異動で 急上昇」など思わず苦笑する句が多く選ばれている。
 それにしても、こんなに余裕のない働き方になってしまったのはいつ頃からだろうか。・・・

Chuko「いつ頃からだろうか」ということは、そのむかしはそうでもなかった、ということで、その一つのエピソードとして、拙著『若者と労働』のこの部分が引用されています。

・・・濱口桂一郎氏の「若者と労働」という本は、30年くらい前に銀行を定年退職した人の話として「俺たちの頃は、だいたい3時にシャッターを閉めたらある程度仕事をし、その後、近所の子供たちの野球のコーチをしていた」というエピソードを紹介している。・・・

で、その後には、私も講演なんかではよく引っ張り出す例の「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」が出てきます。

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2017年1月 3日 (火)

釣り上げられた『若者と労働』

Chuko 「Fish On The Boat」という書評ブログで拙著『若者と労働』が取り上げられました。このブログ、「記事、それはまるで、釣り上げた魚たち」とのことで、拙著も釣り上げられたというわけです。

http://blog.goo.ne.jp/mask555/e/5019531aa11a280596522ee80e59c715

とてもおもしろかったです。

現代の日本の労働状況をときほぐして説明してくれる本でした。

というところから、拙著の内容を大変丁寧に解きほぐしつつ解説していただいています。

そして最後に、

長くなりましたが、中身の濃い良書です。

善良な経営者に読んでもらって、雇い方に着いて見識を深めてほしいです。

ふつうのいろいろなタイプの労働者のひとたちも

読んで知っておくと、

自分の気もちや態度に自信が持てるようになると思います。

社会よ、少しずつ良いほうへ変わってゆけ。

そのきっかけになる可能性を秘めた本です。

とまとめていただいています。

(追記)

なお、ツイート上でも、「ますく555」さんに新年早々

https://twitter.com/Heartacheman/status/815961307040124928

濱口桂一郎『若者と労働』おもしろかった。しりすぼみにならない良書。日本の労働状況をじょうずにときほぐして伝えてくれています。

と評していただいています。

(再追記)

その、「ますく555」さんがブクログにもう少し長い感想を書かれていました。

http://booklog.jp/users/mask555/archives/1/4121504658

とてもおもしろかったです。現代の日本の労働状況をときほぐして説明してくれる本でした。日本の、職業に直結しない教育の度合いというか、卒業して就職へ臨む若いひとたちの「これまでの教育が職業に役立つかどうか」の意識というかは、先進国で最下位だったそうです。義務教育を受けても、それがその後の就職にはつながらないと日本人は考えているし、実際そうなのでした。そんな日本の労働システム。本書では、メンバーシップ型と読んでいます。年功序列だとか、新卒一斉就職だとか、そしてそれらとマッチングした企業内のシステムだとか、特殊なんですね。欧米に限らず、中国を含むアジアの先進国にも、日本のようなメンバーシップ労働システムはないそうです。日本では、仕事のスキルのない新卒者をいっせいに採用して、社内で少しずつ教育して使いものになる労働者に育てていきます。一方で、欧米型では、スキルのない若者は採用されません。欠員がでたときに、その仕事ができる人を公募して、若者にしろ中年にしろそこは構わず、持っているスキルで採用の有無を判断するそうです。その結果、若者たちが就職できないという問題を生みますが、公的な職業教育制度があったりして、その問題に対処しているそうです。もともと「人」を大事にする思想ではじまったメンバーシップ型労働システムなんだそうだけれど、法律など建前としては欧米的なジョブ型労働システムをよしとしているようです。ハローワークでの職探し、職業訓練、などは「仕事」に「人」をはりつけるジョブ型の考え。日本的なのは、「人」に「仕事」をはりつけるメンバーシップ型の考え。そして、いまや学生たちは就活と職探しを別々に考えているらしい。職探しは就活より下とみていて、なんとしても新卒で就職しようと躍起になる。給料もそんなに違わなくて、長い時間かけて取り組んだとしてどこがブラックかもわからなくても、既卒で職探しはしたくないみたいなんですよね。

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2016年12月27日 (火)

迷い猫さんの拙著評

Chuko「迷い猫」というブログで、拙著『若者と労働』がやや詳しく紹介され、感想が書かれております。

http://pochi-ug.hatenablog.jp/entry/2016/12/27/083241(日本が目指すべき雇用契約)

「メンバーシップ型をとりもどせ。かつての日本をとりもどせ」という論調でなく、しっかりとした内容でした。

私は、本を読む前は「全員ジョブ型」の社会が望ましいと考えていたのですが、本書を読むと、歴史の中でジョブ型への舵を切ったところは多くあったのがわかりました。ただ、多くは失敗に終わったようです。

日本の今の流れでは、残業時間の縮小が求めらています。とても良いことだと思います。もちろん、その分、正規労働者のメリットを減らせばよいと思います。

本書でも述べていますが、給与と職務の明確な関係性か低い日本では筆者が提案するバランスのよい労働環境が必要なのかと思います。

刊行から3年半経った今でもこうして拙著をしっかりと読んでいただける読者が続いているのは嬉しいことです。

ブログのコメント欄にやたらに書き込まれる方がお読み頂けているのかはよくわかりませんが。

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2016年11月30日 (水)

拙著短評いくつか

ここ半月くらいの拙著への短評をいくつか。

Chuko まず、『若者と労働』へのアマゾンカスタマーレビュー。

https://www.amazon.co.jp/product-reviews/4121504658/ref=cm_cr_dp_synop?ie=UTF8&showViewpoints=0&sortBy=recent#R3Q0RJ48U0M09M

現代の労働問題の本質が全て詰まっている

非常に内容が詰まっており、かつ本質的な問題を提起しており、この類の書籍では最高に面白かった。氷河期就職世代とその前の世代のギャップがなぜ生まれ、ブラック企業の発生と結びついていくプロセスが構造的に理解できた。

同じ『若者と労働』への「不純物」さんのツイート。

https://twitter.com/calc_9029/status/803097145448370177

この本すごい…濱口さんの他の本も読もう 「若者と労働(濱口桂一郎)」

https://twitter.com/calc_9029/status/803098225414541312

日本的雇用慣行の問題点について感情論なしで細かく研究されてる もっと早く読んでおけばよかった

https://twitter.com/calc_9029/status/803099948380061696

人事の人が書いた本ってある程度予想とか感情が入ったものが多いけど研究者はしっかりしてる

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次に『日本の雇用と労働法』への読書メーター。評者は「たろさん」。

http://bookmeter.com/cmt/60616202

日本の雇用慣習、歴史、労働法に関する推移を書いた本。日本の労働者と企

業、法律が歩んできた軌跡を確認することができる貴重な本。今や当たり前の法律がどのような歴史的背景で出来たのか、非常にわかりやすい。体型的に雇用、法律の歴史を知るにはとても良い本。また読みたい

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5 最後は『働く女子の運命』へのツイート。まず「ダーリン&サマンサ」さん。

https://twitter.com/20150424ebisu/status/802019452250267648

『働く女子の運命』濱口桂一郎 著。 濱口氏の本を久しぶりに購入。人事を離れてから暫く読んで居なかった。楽しみ。彼の本は間違いなく面白い。

https://twitter.com/20150424ebisu/status/803144208303296512

『働く女子の運命』(著・濱口桂一郎)。 日本型雇用システムを変えられないまま次々と導入された男女雇用平等の施策。結果的に女性は更に生き辛くなった。非正規雇用。労働法からのアプローチは可視化の早道。

そしてもう一人の「御用会社員」さんは、

https://twitter.com/hawks54kaishain/status/800279004703952897

「働く女子の運命」 この第1章だけ読みましたが、日本の労働史を1章でまとめていると言う点と、その中に的確に「これを読め」という具合に書物の引用があり、図書館で古典を大量に発注をかけました。次の章はどんなでしょうか。

と書かれているので、どんな本を発注したのかと思うと、

https://twitter.com/hawks54kaishain/status/802279507935670272

濱口桂一郎氏が読みなさいと書いていたので、書庫から出してもらいました1冊目。 「私のBG論」バラ色のがめつさ、Office Lady 以前のBusiness Girl のお話

いやいや、なんと、上坂冬子さんの今や稀覯本、『私のBG論』(三一新書)を図書館の奥の院から掘り返してこられたようです。

本書を読まれた方の中でも、さすがに上坂冬子のBG本を読もうと一念発起されたという方は初めてです。

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2016年11月23日 (水)

学問と教育、大学の存在意義とか

Chuko 群馬で経済学を勉強している大学生の「うれいちゃん」のブログ「うれろぐ」で、拙著『若者と労働』について突っ込んだ批評が書かれていましたので、昔のエントリを引きつつ少しコメント。

http://ur-e1log.hatenablog.jp/entry/2016/11/22/211740

この本の第3章「『入社』のための教育システム」が個人的にとても興味深い。

として、その中身を紹介されたあと、

・・・この本ではジョブ型社会*1には職業教育を行うシステムが自然と必要みたいに書いてるけどそうなったとしたら大学等のいわゆる高等教育機関の存在意義は何なのだろうと思った。大学教育までもが就職に必要な能力を養成するものになってしまったら純粋な学問を学ぶ場所はどこへ行くのだろう。社会を前進させるためには一歩進んだ知識が必要になる。それはどこで教えられるのだろう、と考えた。

もし仮に「一歩進んだ知識」が学者や政治家といった職業に必要なものだとしたらそれを教える大学は職業学校?だとしたら学問って何?とネズミ算式のように疑問が湧いては消えていく。そうなら学問って何?

同じ大学の友人も言っていた。「学んだことを就職先で活かせないようであればそれはただその分野に詳しい人だ」と。大学で学ぶことは就職後かんたんに役に立つような知識なのか?そのほうが社会にとって望ましいのか。

自分のこの考えこそ、職業学校を卑下している最たる例なのかもしれない。

疑問は深まるばかり。

と、大変本質的な疑問を呈されています。

言うまでもなく、全ての学問がその本来の性質として職業につくための知識でありそのための教育であるわけではありません。法学や医学は伝統的な高等職業教育ですし、商学や工学も近代的な高等職業教育ですが、少なくともその基礎部分は純粋学問的性質を有していますし、ましてや文学や理学はそれ自体純粋学問ではないか、と考える人が多いでしょう。学問自体の性質論(だけ)からすれば、そういう発想の方が普通です。

しかし、そういう学問を学んでいる人々や教えている人々の社会的有り様を客観的に分析するという職業社会学的視点からすれば、学問自体の性質論は別として、いかなる学問も全てその学問を修了した人がそれに関わる職業に就いていくための職業教育と位置づけられます。

哲学を勉強している学生は、彼/彼女が主観的にどう認識しているか否かにかかわらず、主として大学文学部で提供される哲学教師という希少な雇用機会を獲得するために必要な職業教育を受講しているのです。

このあたりのことについては、本ブログで非常に昔いくつかのエントリで述べたことがあります。

せっかくなのでそろそろ棚卸ししてみましょうか。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_c7cd.html(哲学・文学の職業レリバンス)

一方で、冷徹に労働市場論的に考察すれば、この世界は、哲学や文学の教師というごく限られた良好な雇用機会を、かなり多くの卒業生が奪い合う世界です。アカデミズム以外に大して良好な雇用機会がない以上、労働需要と労働供給は本来的に不均衡たらざるをえません。ということは、上のコメントでも書いたように、その良好な雇用機会を得られない哲学や文学の専攻者というのは、運のいい同輩に良好な雇用機会を提供するために自らの資源や機会費用を提供している被搾取者ということになります。それは、一つの共同体の中の資源配分の仕組みとしては十分あり得る話ですし、周りからとやかく言う話ではありませんが、かといって、「いやあ、あなたがたにも職業レリバンスがあるんですよ」などと御為ごかしをいってて済む話でもない。

職業人として生きていくつもりがあるのなら、そのために役立つであろう職業レリバンスのある学問を勉強しなさい、哲学やりたいなんて人生捨てる気?というのが、本田先生が言うべき台詞だったはずではないでしょうか。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_bf04.html(職業レリバンス再論)

哲学者や文学者を社会的に養うためのシステムとしての大衆化された大学文学部システムというものの存在意義は認めますよ、と。これからは大学院がそうなりそうですね。しかし、経済学者や経営学者を社会的に養うために、膨大な数の大学生に(一見職業レリバンスがあるようなふりをして実は)職業レリバンスのない教育を与えるというのは、正当化することはできないんじゃないか、ということなんですけどね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_722a.html(なおも職業レリバンス)

歴史的にいえば、かつて女子の大学進学率が急激に上昇したときに、その進学先は文学部系に集中したわけですが、おそらくその背景にあったのは、法学部だの経済学部だのといったぎすぎすしたとこにいって妙に勉強でもされたら縁談に差し支えるから、おしとやかに文学でも勉強しとけという意識だったと思われます。就職においてつぶしがきかない学部を選択することが、ずっと仕事をするつもりなんてないというシグナルとなり、そのことが(当時の意識を前提とすると)縁談においてプラスの効果を有すると考えられていたのでしょう。

一定の社会状況の中では、職業レリバンスの欠如それ自体が(永久就職への)職業レリバンスになるという皮肉ですが、それをもう一度裏返せば、あえて法学部や経済学部を選んだ女子学生には、職業人生において有用な(はずの)勉強をすることで、そのような思考を持った人間であることを示すというシグナリング効果があったはずだと思います。で、そういう立場からすると、「なによ、自分で文学部なんかいっといて、いまさら間接差別だなんて馬鹿じゃないの」といいたくもなる。それが、学部なんて関係ない、官能で決めるんだなんていわれた日には・・・。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_8cb0.html大学教育の職業レリバンス

前者の典型は哲学でしょう。大学文学部哲学科というのはなぜ存在するかといえば、世の中に哲学者という存在を生かしておくためであって、哲学の先生に給料を払って研究していただくために、授業料その他の直接コストやほかに使えたであろう貴重な青春の時間を費やした機会費用を哲学科の学生ないしその親に負担させているわけです。その学生たちをみんな哲学者にできるほど世の中は余裕はありませんから、その中のごく一部だけを職業哲学者として選抜し、ネズミ講の幹部に引き上げる。それ以外の学生たちは、貴重なコストを負担して貰えればそれでいいので、あとは適当に世の中で生きていってね、ということになります。ただ、細かくいうと、この仕組み自体が階層化されていて、東大とか京大みたいなところは職業哲学者になる比率が極めて高く、その意味で受ける教育の職業レリバンスが高い。そういう大学を卒業した研究者の卵は、地方国立大学や中堅以下の私立大学に就職して、哲学者として社会的に生かして貰えるようになる。ということは、そういう下流大学で哲学なんぞを勉強している学生というのは、職業レリバンスなんぞ全くないことに貴重なコストや機会費用を費やしているということになります。

これは一見残酷なシステムに見えますが、ほかにどういうやりようがありうるのか、と考えれば、ある意味でやむを得ないシステムだろうなあ、と思うわけです。上で引いた広田先生の文章に見られる、自分の教え子(東大を出て下流大学に就職した研究者)に対する過剰なまでの同情と、その彼らに教えられている研究者なんぞになりえようはずのない学生に対する見事なまでの同情の欠如は、この辺の感覚を非常に良く浮かび上がらせているように思います。
・・・いずれにせよ、このスタイルのメリットは、上で見たような可哀想な下流大学の哲学科の学生のような、ただ研究者になる人間に搾取されるためにのみ存在する被搾取階級を前提としなくてもいいという点です。東大教育学部の学生は、教育学者になるために勉強する。そして地方大学や中堅以下の私大に就職する。そこで彼らに教えられる学生は、大学以外の学校の先生になる。どちらも職業レリバンスがいっぱい。実に美しい。

(追記)

http://b.hatena.ne.jp/kyo_ju/20161124#bookmark-309546081

これ、濱口さんは哲学や文学だけを撃ってるつもりかもしれないけど政治学や経済学も撃つことになるんだよなぁ(その大学学部学科を出て得るものがほぼシグナリング効果だけであるという点では文学部より悪いとも言え

そういう誤解をする人がいるとわかっていたら、はじめからこのエントリも載っけておくべきでしたね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-f2b1.html (経済学部の職業的レリバンス)

たまたま、今から11年前の平成10年4月に当時の経済企画庁経済研究所が出した『教育経済研究会報告書』というのを見つけました。本体自体もなかなか面白い報告書なんですが、興味を惹かれたのが、40ページから42ページにかけて掲載されている「経済学部のあり方」というコラムです。筆者は小椋正立さん。本ブログでも以前何回か議論したことのある経済学部の職業的レリバンスの問題が、正面から取り上げられているのです。エコノミストの本丸中の本丸である経企庁経済研がどういうことを言っていたか、大変興味深いですので、引用しましょう。

>勉強をしないわが国の文科系学生の中でも、特にその傾向が強いと言われるグループの一つが経済学部の学生である。学生側の「言い分」として経済学部に特徴的なものとしては、「経済学は役に立たない(から勉強しても意味がない)」、「数学を駆使するので、文科系の学生には難しすぎる」などがある。・・・

>経済学の有用性については、確かに、エコノミストではなく営業、財務、労務などの諸分野で働くビジネスマンを目指す多くの学生にとって、企業に入社して直接役立つことは少ないと言えよう。しかし、ビジネスマンとしてそれぞれの職務を遂行していく上での基礎学力としては有用であると考えられる。実際、現代社会の特徴として、経済分野の専門用語が日常的に用いられるが、これは経済学を学んだ者の活躍があればこそ可能となっている。・・・

>・・・ところが、経済学の有用性への疑問や数学使用に伴う問題は、以上のような関係者の努力だけでは解決しない可能性がある。根本的には、経済学部の望ましい規模(全学生数に占める経済学部生の比率)についての検討を避けて通るわけにはいかない。

>経済学が基礎学力として有用であるとしても、実社会に出て直接役に立つ分野を含め、他の専攻分野もそれぞれの意味で有用である。その中で経済学が現在のようなシェアを正当化できるほど有用なのであろうか。基礎学力という意味では数学や物理学もそうであるが、これらの学科の規模は極めて小さい。・・・

>大学入学後に専攻を決めるのが一般的なアメリカでは、経済学の授業をいくつかとる学生は多いが専攻にする学生は少ない。もちろん、「望ましい規模」は各国の市場が決めるべきである。歴史的に決まってきた現在の規模が、市場の洗礼を受けたときにどう判断されるのか。そのときに備えて、関係者が経済学部を魅力ある存在にしていくことが期待される。

ほとんど付け加えるべきことはありません。「大学で学んできたことは全部忘れろ、一から企業が教えてやる」的な雇用システムを全面的に前提にしていたからこそ、「忘れていい」いやそれどころか「勉強してこなくてもいい」経済学を教えるという名目で大量の経済学者の雇用機会が人為的に創出されていたというこの皮肉な構造を、エコノミスト自身がみごとに摘出したエッセイです。

何かにつけて人様に市場の洗礼を受けることを強要する経済学者自身が、市場の洗礼をまともに受けたら真っ先にイチコロであるというこの構造ほど皮肉なものがあるでしょうか。これに比べたら、哲学や文学のような別に役に立たなくてもやりたいからやるんだという職業レリバンスゼロの虚学系の方が、それなりの需要が見込めるように思います。

ちなみに、最後の一文はエコノミストとしての情がにじみ出ていますが、本当に経済学部が市場の洗礼を受けたときに、経済学部を魅力ある存在にしうる分野は、エコノミスト養成用の経済学ではないように思われます。

おまけにこれも、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/27-040d.html (大学教育と企業-27年前の座談会)

今は亡き『経済評論』なる雑誌がその昔ありまして、その1983年12月号-ちょうど27年前ですな-が「曲がり角に立つ大学教育」なる特集を組んでおりまして、その中で中村秀一郎、岩田龍子、竹内宏の3人の「大学教育と企業」という座談会が載っています。

竹内宏と言っても最近の若い方はご存じないかも知れませんが、この頃大変売れっ子だった長銀のエコノミストです。って、その長銀も今は亡き長期信用銀行ですが。

そういう昭和の香り漂う座談会の会話を読むにつれ、「曲がり角に立」っていたはずの27年前からいったい何がどう変わったのだろう、という思いもそこはかとなく漂うものがあり、やや長いのですが、興味深いところをご紹介したいと思います。いうまでもなく、昔話のネタというだけではありませんで。

>竹内 企業にしてみると、大学は志操堅固なんです。志操堅固というのはどういうことかというと、自分の問題意識を持って、それを達成するために何かやろうということでしょう。つまり自分の人生の目的があって、それを達成するために企業を使ってやろうという人を今までは作ってくれているらしい。だから、そういうモラルがしっかりしている人だけもらって、育ててくれればいい。ですから、現在のところは、経済学でも何でもそうですが、専門的知識は全然要求していない。要求してもむだだから、その知識を企業は期待していない。ただ、そのモラルを期待している。

>中村 そうでしょうね。高度成長のちょうど中ごろ、昭和30年代の終わりごろですが、私は徹底的にフィールドワークをやるから、企業に出入りすることが多かったんですが、あの頃企業の偉い人が必ず僕に言うことは、「先生、大学はもうちょっと企業で役に立つ方法を教えてもらわなくちゃ困りますよ」と、こういうお説教が非常に多かった。ところが40年代に入ってから、それがなくなりましたね。これはあきらめムードだと思う。まず第一に、そんなことを大学に言っても無理だということになったと、僕は解釈しているんです。・・・

>岩田 半分は竹内さんのおっしゃるとおりですところが、私は反面ちょっと違う考えがあって、会社が全然期待してくれないから、学生がやる気にならないのだという見方をしているわけです。というのは、日本の企業は、終身雇用・・・という組織構造があって、入社してから教育し、あちこち部局を動かして、組織の中で教育しないと使いものにならない。そういう構造的な条件があり、企業の側は、ものすごく熱心に人材育成をなさる。大変精緻な教育システムができているわけです。

そこで、企業はどんな人材を採るかということになると、今おっしゃったように、大学で学んできた経済学とか経営学は、ほとんど問題にならない。優れた潜在能力を持った人たちが、意欲とかリーダーシップを大学時代に大いに鍛えていれば、後は企業が教育するからといわれる。そうなると、逆に学生の方は専門に対して不熱心になる傾向が、盾の半面としてあるんじゃないか。・・・

>竹内 企業がなぜ専門性を重視しないかといえば、猛烈に経済学をやったりすると、私はケインジアンだ、なんていいだす。そうすると、ケインジアンだから、今は財政を拡大しろと、それだけでしょう。これは困っちゃうんです(笑)。・・・だから、むしろない方がいいということで、かえって専門性が嫌われちゃう。怖くて採れないのです。

>岩田 ということは、日本の大学の現状は、企業にとっては理想的な状況になっているということになりますね。妙に専門性を叩き込んでいない。

ちなみに、座談会の冒頭で、司会の人が

>竹内さんの言葉を使えば「その他学部」である(笑)経済学部、経営学部に限定させていただきます。

と言っていますが、「その他学部」なんて言葉があったんですね。

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