『日本の雇用と労働法』書評いくつか
なぜかAmazonの労働法部門で『日本の雇用と労働法』(日経文庫)が1位になっているので、どうしたのだろうと思ったら、ネット上にいくつか本書の書評というかコメントがアップされていたようです。
なかでも、ライナスさんという方の「子供の落書き帳 Renaissance」というブログに、こういうエントリがアップされてます。
https://linus-mk.hatenablog.com/entry/2020/01/04/150000
以前に読んだ「若者と労働」との違いはというと、本書の方が
労働法制のほうもかなり細かく説明している
歴史的経緯が多い(ので、昔のことはどうでも良いわという人には不向き)
判例の文章からの抜粋が多く出てくる(ので難しい言葉が使われがち)
という特徴がある。
判例に限らず、全体的に文体も硬い。もしも先に「若者と労働」を読んでなかったら、挫折していただろう。日本の労働社会についての本を初めて読もうという人には、絶対に「若者と労働」の方を勧める。
このエントリにも紹介されていますが、ところてんさんが本書の感想をツイッターに連投されています。
https://twitter.com/tokoroten/status/1213120516283719688
ここら辺の一連の流れは、「日本の雇用と労働法」という本を読みながら、ツラツラと考えた結果ですので、興味がある人はこちらをどうぞ。
おそらくこのタイムラインで興味をひかれた方のつぶやきも
https://twitter.com/toudou_U2plus/status/1213375263725113346
タイムラインで知ったこの本、目次だけで最高におもしろそう。採用や賃金体系だけでなく労使関係や解雇、就業規則、人事異動、男女格差と非正規労働についての法と歴史が並んでる。謎だと思っていた「身元保証」についての記述もある。
こういう流れの中で、本書に関心を持たれた方がかなりいたのでしょうね。
<追記>
と思ってたら、なんとAmazonの在庫が払底したようで、中古品が3,422円とか果ては13,414円とかクレイジーな値段がついていますな。いやいや、こういうときには絶対にAmazonでは買わないでください。書店に普通に売っていますから。
さて、上のライナスさんのエントリでこういう疑問が呈されていたのですが、
中途採用・転職活動に関しては、ガッチリ募集条件が書いてあって「ジョブ型」に近いと思うんだけど、その点はどう捉えれば良いのだろうか。 「日本の雇用と労働法」「若者と労働」のどちらにも、中途採用や転職の話はほとんど書いていないので、よく分からない。
そもそも「中途採用」てのは日本独自の概念であって、ジョブ型社会では「仕事」に「人」を当てはめる「採用」があるだけです。ただ、日本型雇用システムではそれが周縁化されてしまっています。
ではその「周縁」的な部分はどこに書かれているかというと、ライナスさんも読まれた『若者と労働』の中で、法制度の解説という形でちらりと触れています。
第1章 「就職」型社会と「入社」型社会
3 日本の法律制度はジョブ型社会が原則
職業紹介は「職業」を紹介することになっている
以上二つに比べるとやや小さな領域ですが、労働者の失業問題に対処するために、職業紹介や職業訓練、失業保険といった労働市場に関わる法律群があり、これらに基づいてハローワークや職業訓練校などが設けられています。これらの法律が前提としている労働者や失業者は、当然のことながら会社のメンバーになろうというのではなく、上でみてきたようなジョブに基づいて働こうとしている人々です。そう、はっきりと、欧米のようなジョブ型社会を前提にした規定になっているのです。たとえば、職業安定法では「公共職業安定所及び職業紹介事業者は、求職者に対しては、その能力に適合する職業を紹介し、求人者に対しては、その雇用条件に適合する求職者を紹介するよう努めなければならない」(適格紹介の原則)と定めています。
あまりにも当たり前に聞こえるかもしれませんが、職業紹介というのは「職業」を紹介することです。「会社」を紹介するのではないのです。田中氏の説明を思い出してください。欧米の社会では、「仕事」が厳密に、明確に決められていると同時に、それにはりつけられる「人」についても、「仕事」によってその「人」が区別できるようになっていなければなりません。私は○○という「仕事」ができます、というレッテルをすべてのサラリーマンがぶら下げており、そのレッテルによって労働市場に自分を登録し、会社などに対して売り込みを行うということでしたね。これを田中氏は「『職業』というものが社会的に確立してい」ると表現しました。そう、日本の職業安定法も、まさにそういう意味での「職業」が社会的に確立していることを前提として作られているのです。6 周辺化されたジョブ型「就職」
ハローワークは誰のためのもの?
さて、以上のようなメンバーシップ型の仕組みが日本社会に確立してくればくるほど、法律が本来予定していたジョブ型の仕組みは社会の周辺部に追いやられていくことになります。そのもっとも典型的な例が、職業安定法が本来その中核に据えていたはずの公共職業安定所、愛称ハローワークです。
賃金センサスで、「標準労働者」を「学校卒業後直ちに企業に就職し、同一企業に継続勤務している労働者」と定義しているということは、そのまま定年退職するまで継続勤務すれば、その人はハローワークを直接利用する機会はないことになります。少なくともその職業紹介機能を使うことはないはずです。実際、現代日本社会では、大企業の正社員のような安定した仕事に就いている人であればあるほど、一生のうちハローワークのお世話になった経験が乏しくなると思われます。
新規学卒採用制の展開のところでお話ししたように、終戦直後から高度成長期半ばまでの中卒就職者が多かった時代には、彼らの就職を担当するのは職安でした。もっとも、中卒者に「私は○○という『仕事』ができます」というレッテルがぶらさがっているはずもありませんから、かれらの就職は職業安定法の本来予定する適格紹介の原則とはいささか異なるものにならざるを得ませんでした。
一九五〇年代に労働省職業安定局の協賛で刊行されていた『職業研究』という雑誌を見ると、毎号のように職業解説やとりわけ適性検査に関する記事が載っているのが目につきます。「できる仕事」というレッテルがまだ貼られていない中学生に、擬似的に「ふさわしい仕事」というレッテルを貼って、中卒用の求人と結びつけていくためのさまざまな仕組みが工夫されていたわけです。
ところが、高度成長期以降中卒就職者は激減し、多数を占める高卒就職はほとんどもっぱら学校自身の手によって行われるようになりました。細かくいうと、労働省は一九六〇年代半ば頃、高卒就職に対しても中卒就職と同様に職安の権限を強めようと職業安定法の改正も考えていたようですが、高校側は譲りませんでした。結果として、日本型高卒就職システムの特徴とされるいわゆる「実績関係」、つまり高校と企業の間の密接なつながりにもとづく「間断のない移動」が確立していったのです。
さらに大学進学率の上昇により、今では同世代人口の過半数が大卒者として就職するようになっています。中卒者や高卒者と異なり、就職時には既に成人に達していることからも、彼らの就職は国や学校によるパターナリズム的な保護下にはなく、基本的に個人ベースで求人と求職のマッチングが行われることになります。しかしながら、そこで行われているマッチングのための諸活動は、職業安定法が想定している「適格紹介の原則」とはまったく異なるものとなっていきます。
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