中国は「左翼的な独裁国家」!?

アナルコ・キャピタリスト(無政府資本主義者)を標榜する蔵研也氏が、そのブログで、

http://d.hatena.ne.jp/kurakenya/20080814

>中国に見る社会主義者の国家主義

>オリンピックで水泳をみていたら、

「国家水泳センター」で行われていた。

体操なども、どうやら「国家スタジアム」で行われているらしい。

この例に明らかなように、小生は長らく、

左翼的な独裁国家のリーダーは、

ファシズムのリーダーと同じくらいに権威主義的だと思っていた。

これはアイゼンクなども旧ソヴィエトの政治について指摘している見解だ。

と語っています。

いや、中国が独裁国家というのはまったくそうでしょうが、未だに「左翼的」という形容詞がつく独裁国家と思われていたのか!といささか感慨無量でした。

いや、たしかに毛沢東の中国は正確な意味での「左翼的独裁国家」だったんでしょうけど。市場原理主義と愛国主義だけが頼りの今の中国が「左翼的」ねえ。

最近の感覚では、ハーヴェイの本などに見られるように、むしろ英米とならぶネオ・リベラリズムの先兵というのがふつうの見方かと思っていただけに、かえって新鮮な感じです。

ま、「サヨク」って言葉が、あまり内容を指し示す効果を持たない、単なるけなし言葉になっているということのあらわれでしょうか。少なくとも、今の中国が「ソーシャル」とは口が裂けても言えないでしょうから。日本はあまりにも「社会主義的」だ、もっと中国を見習って資本主義に邁進せよ、と叱咤される方々も多いようですし。

>しかし、それにしても、

現存する独裁国家の権威主義はあまりにも鼻につく。

比較の対象となるべき現存する右翼的な独裁国家が

まったく存在しないことにもよるのだろうが、、、、

いや、だから、市場原理主義と愛国主義に立脚する「共産党」という名の独裁政権をはなから「右翼的」という形容詞から排除しているから「まったく存在しない」と見えるだけなんじゃないかと。

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本日100万件突破

ということで、読者の皆様のお陰でこのブログも、右上のカウンターにありますように、無事100万件を突破いたしました。心より御礼申し上げます。

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外国人専門職・技術職の雇用問題

03027484 明石書店から出版された塚崎裕子著『外国人専門職・技術職の雇用問題 -職業キャリアの観点から 』を謹呈いただきました。ありがとうございます。

http://www.bk1.jp/product/03027484

著者の塚崎裕子さんは、

>1961年東京生まれ。東京大学法学部卒業。労働省、政策研究大学院大学助教授等を経て、内閣府男女共同参画局推進課長。

というわけで、大学における私の前任に当たりますが、その後内閣府で男女共同参画関係の仕事をしながら、ライフワークとしての外国人問題に取り組んでこられました。

内容は、

>少子高齢化が進み、労働力供給も次第に抑制されていくことが見込まれる中、日本の労働市場で外国人は重要なプレイヤーとなりつつある。専門的、技術的分野の外国人の雇用の現状と課題を追究し、現実に即した政策提言を放つ。

外国人問題というと、どうしても単純労働力問題が中心になりがちですが、本当の意味での高度人材の外国人というもう一つの重要な問題領域を分析した貴重な本だと思います。

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ポストケインズ派経済学入門

41eprwrt0vl ナカニシヤ出版から発行されたマルク・ラヴォワ著、宇仁宏幸・大野隆訳の『ポストケインズ派経済学入門』を謹呈いただきました。

ナカニシヤさんのHPの紹介ページはここです。

http://211.9.219.130/modules/myalbum/photo.php?lid=466&cid=59

私の下手な言葉で紹介するよりも、こちらの方がいいと思うので、

新自由主義に対抗するポストケインズ派の理論と政策。
市場への介入と完全雇用政策を主張し、自由市場政策と新古典派経済学への体系的な代替案を提示するポストケインズ派。従来難解で知られたその理論を初学者向けに平易に解説し、その政策的インプリケーションを明らかにする画期的入門書。

「Ⅵ おわりに」より
 ケインズに触発されたポストケインズ派は、資本主義を自発性と技術革新を促進するシステムであるとみる。とくに、所得分配や、すべての社会階層への公的サービスとインフラの提供に関して、資本主義は、その欠点とその過剰を処理できる国家や民主的な制度によって支えられるならば、効率的な経済システムとなりうる。
 本書の一貫した基本的テーマの1つは、自由放任状態にある資本主義は、破壊的な競争と浪費を招くということである。すなわち、国家介入がなければ、資本主義は不安定性と景気循環を生成する。そして資本主義それ自体は、完全雇用も十分な水準の総需要のいずれも保障できない。
 新古典派経済学とは対照的に、ポストケインズ派は、この資本主義の不安定性を、競争力や競争メカニズム、もしくは価格柔軟性の欠如の結果であるとは考えない。それどころか、価格管理、慣習、(資本の自由な移動の制限といった)規制が、経済システムの安定性を強化するとポストケインズ派は信じている。

目次は:

日本語版への序文
はじめに

Ⅰ ポストケインズ派という異端
 1 誰がポストケインズ派なのか
 2 異端派経済学の特徴
 3 ポストケインズ派経済学の本質的特徴
 4 ポストケインズ派理論のさまざまな潮流

Ⅱ 異端派ミクロ経済学
 1 消費選択理論
 2 寡占的な市場と企業の諸目的
 3 費用曲線の形状
 4 価格設定
 5 費用マージンの決定要因
 6 マクロ経済理論にとっての含意

Ⅲ マクロ経済的貨幣サーキット
 1 ポストケインズ派の貨幣分析のおもな特徴
 2 民間銀行と中央銀行の関係
 3 銀行と企業の関係
 4 貨幣的経済の体系的見方

Ⅳ 短期:有効需要と労働市場
 1 有効需要とその構成
 2 カレツキ・モデル
 3 カレツキ・モデルのさらなる展開

Ⅴ 長期:古い成長モデルと新しい成長モデル
 1 古いポストケインズ派成長モデル
 2 新しいカレツキ・モデル
 3 カレツキ・モデルの拡張と批判

Ⅵ おわりに

参考文献

訳者あとがき
索引

「はじめに」の次の文章が興味をそそります。

本書は、新古典派理論とは逆の、以下の命題を論じることに全力を挙げる。

・有効需要が増加しても、必ずしも価格は上昇しない。

・最低賃金や実質賃金が増加しても、失業は拡大しない。

・実質賃金が増加しても、利潤は減少しない。

・貯蓄率が低下しても投資は減少しないし、経済成長も低下しない。

・価格の伸縮性は、産出水準の均衡(もしくは最適値)に経済を導かない。

・財政赤字は、インフレーションも利子率の増加ももたらさない。

(追記)

そのあとにはこういう言葉が続きます。

>経済的な至福を得るためには、社会が緊縮政策に耐え忍ばなければならず、しかも、自由競争で勝たねばならないという、主流は経済学が作った想定のために、多くの人が、経済学に「憂鬱な科学」というレッテルを張る。しかし、対照的に、ポストケインズ派経済学は、根本的に異なったメッセージを送る。私の観点から見ると、より積極的で心躍るメッセージである。それは、競争や対立よりもむしろ、協力がよりよい結果をもたらすというメッセージである。実際、(新古典派経済学が重視する)希少性という概念は、脇に置いておくことができる単なる知的構成物であるに過ぎない。

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人事部の仕事

日経ビジネスオンラインに高橋伸夫先生が出てきて、成果主義批判をされています。

http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/nbonline.cfm?i=2008063000770cs&p=1

http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/nbonline.cfm?i=2008063000770cs&p=2

http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/nbonline.cfm?i=2008063000770cs&p=3

内容は『虚妄の成果主義』そのままですので、いちいち引用しませんが、3頁目のこの一節は目にとまりました。

>成果主義の導入を巡って、企業のトップ、管理職、そして労働組合までもが無責任になってしまった。「誰も守ってくれない」と社員は不安を募らせています。これはトヨタ自動車の人事部の方に聞いた話ですが、同社の人事部の仕事は毎年1回、「従業員の生活は会社が守る」と社長に言ってもらうことだそうです。その一言さえあれば、あとは人事部がどんな人事施策を出しても、従業員は受け入れてくれるということでした。

このように「従業員の生活を守る」と明言する会社は今、ほとんどなくなりました。それどころか、トップが従業員の「自己責任」を強調する。これでは従業員の士気は低下する一方です。

そうだったんですか。

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脱藩官僚?脱力官僚?

朝日から、

http://www.asahi.com/politics/update/0616/TKY200806150214.html

>「脱藩官僚」が政策点検集団 脱・官僚国家目指し発足へ

>中央省庁を退職し、官僚主導の政治に批判的な「脱藩官僚」が、政策集団を結成することになった。政府が打ち出す政策を点検し、官僚による「骨抜き」をあぶり出す狙い。近く発起人会を立ち上げてメンバーを公募し、8月下旬にも召集される臨時国会前に設立総会を開く予定だ。

 名称は「官僚国家日本を変える元官僚の会」。省庁再編を進めた橋本元首相の秘書官だった江田憲司衆院議員が呼びかけた。「ゆとり教育」の旗振り役だった寺脇研氏らが発起人を務める。

 出身省庁の支援を受けていないことが参加条件。特定の政治路線と結びつかないよう、既成政党の議員や候補者は対象としない方針だ。

 設立趣意書で「多くの政治家が官僚の手のひらの上で踊っている」と指摘。将来は霞が関と対抗するシンクタンクを目指す。霞が関改革が与野党の結集軸となれば、政界再編にも影響を与えそうだ。

何もコメントしません。この面子を見ただけで、からだじゅうに脱力感がみなぎってくるのを禁じ得ないのではないですかね。

>■「官僚国家日本を変える元官僚の会」の発起人

江田憲司 衆院議員(52)旧通産省=代表

寺脇研 京都造形芸術大教授(55)文科省

高橋洋一 東洋大教授(52)財務省

上山信一 慶大教授(50)旧運輸省

福井秀夫 政策研究大学院大教授(49)旧建設省

木下敏之 元佐賀市長(48)農水省

岸博幸 慶大教授(45)経産省

石川和男 新日本パブリック・アフェアーズ上級執行役員(42)経産省

ただ、この記事の文体からすると、朝日の記者さんは大変こういうコーゾーカイカクまんせーの「志士」官僚に感情移入しておられるようで。何とかチルドレンにもよくあるたぐいですが、こういう手合いが、一番国民に惨憺たる被害を及ぼすことになるのですがね。

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松尾匡「はだかの王様の経済学」

41bye34nctl 松尾匡さんの新著『はだかの王様の経済学』は、『近代の復権』で示された松尾流マルクス解釈を分かりやすく説明すると共に、それが最先端のゲーム理論と一致することをクリアに教えてくれる名著です。

中身については、別のところで詳しく解説されていますので、そこにリンクを張っておいて、

http://d.hatena.ne.jp/econ-econome/20080612/p1

私が違和感を感じたところだけちょっと。それはやっぱり、最後の処方箋としてのアソシエーションのところです。

そのご立派なアソシエーションがまさに疎外が生み出すはだかの王様にならない保障はどこにあるんだろう、と。

いや、理論的にどうこうというよりも、まずはこういう実例が頭に思い浮かんでくるものですから。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/yutaka.html(ゆたか福祉会事件評釈)

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松尾匡さんの右翼左翼論

松尾匡さんの新しいホームページに、用語解説として「右翼と左翼」が加わっていたことに気付きました。

http://matsuo-tadasu.ptu.jp/yougo_uyosayo.html

社会科学分析の枠組みとしては極めてすっきりしていることはよく理解できますし、

http://critic3.exblog.jp/8501792/

のような「ちょいとでも中国を批判したら右翼だ」みたいなのを見ると、そういいたくなるのも判りますが、しかしやっぱりそれは無理でしょう(ちなみに、チベット問題で中華人民共和国側の意見を聴くべきだというのはまことにその通りであって、それはいわゆる「歴史問題」で大日本帝国側の言い分を聞くべきだというのと全く同程度に正当ですが)。

松尾さんの枠組みでは、右翼vs反右翼の軸と左翼vs反左翼の軸はお互いに独立であり、この二つの軸で世の中が4つの象限に分けられます。

右翼かつ左翼

右翼かつ反左翼

反右翼かつ左翼

反右翼かつ反左翼

これは、最初の軸の定義にのみ立脚して考えればまことに一貫していますし、その枠組みの中では無矛盾的に議論を展開することができるのは確かですが、いかんせん、「右」と「左」という日常言語においてもっとも典型的なアンチニムであるプリフィックスを相互に独立な二つの軸に振り分けるというところが致命的でありまして、まあ日常言語をテクニカルタームに転用するという社会科学に宿命的な問題の一環ではあるのですが、人間の頭がついていかないという最大の弱点があるわけです。

右の反対は左じゃない、左の反対は右じゃない、というのは、日常言語から切り離された抽象的思考をするのに慣れた方々にとっては何とか可能かも知れませんが、世俗に生きる市井の人間たちにとっては日々の思考回路にかなりの苦痛を伴う無理を効かせることになり、それを徹底させることはどうやってみたって無理でしょう。

どうしてもというのであれば、世界は3次元からできているわけですから、「前翼」と「後翼」とか、「上翼」と「下翼」とかという用語をひねり出すという手もありますが、これはこれで問題がありそうだし、人が使わなければどうしようもないわけで。

いや、松尾さんの解説は実に極めて明晰なんですよ。ただ、それは世間で「右翼」「左翼」という用語が用いられるときにそれを解読する測定器として有用であるということであって、人にこういう風に使えというのはそれはなかなか無理でしょうということで。

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「労働は神聖である」岩波茂雄

Acd0804250303000p1 別に、皮肉でも何でもなく、産経新聞で岩波茂雄の書いた「労働は神聖である」という言葉を紹介しています。

http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080425/acd0804250303000-n1.htm

>長野県の農家の長男に生まれた茂雄は1913(大正2)年、東京・神保町で岩波書店を創業した。社のマークは働く姿を描いたミレーの「種をまく人」をイメージしたもの。この言葉をモットーに晴耕雨読を好んだ。昭和21年4月25日没。

まあ、しかし、正論欄を見ていても判るように、ネオリベ、リバタリアンとともに、むしろ右派コミュニタリアンも産経文化人の重要な一翼ですから、この言葉に共感を感じる土壌はあるのだと思われます。

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ご自分の診療報酬は大事だが・・・

「医師に労基法はそぐわない」と断言された久坂部羊氏、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_6cc3.html

> 医師に労基法を適用して、臨床研修制度が大きな矛盾を抱えたことは記憶に新しい。研修医に30万円程度の給料を保障したため、指導医のほうが安月給になったり、週末や当直明けを休みにしたため、研修医の一部が、医師のありようを学ぶ前に、休暇の権利を覚えたりするようになった。

 医師の勤務が労基法に違反している云々(うんぬん)などは、現場の医師にとっては寝言に等しい。医師の激務や待遇の改善は必要だが、今さら労基法を当てにする者など、まずいないだろう。万一、医師が労基法の適用を求めだしたら、現場はたいへんな混乱になる。

今度はご自分の勤める在宅医療専門のクリニックの関連の診療報酬が引き下げられたと大変お怒りのご様子です。産経のコラム「断」

http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080420/acd0804200244001-n1.htm

>平成20年度の診療報酬改定が発表された。私は在宅医療専門のクリニックに勤めているので、その関連の項目に着目したが、改定の内容を見て驚いた。

 在宅医療には、24時間対応を含む総合的な診療の費用として、「総合管理料」という項目がある。いわば1カ月分の基本料である。それが有料老人ホームなどの施設に入っている高齢者の場合、これまでの4200点(4万2000円)から3000点(3万円)に下がっているのだ。

 同様に、特定施設に入所している患者への訪問診療も、1回830点(8300円)から一挙に200点(2000円)に下がっている。こんなバカな値下げ幅があるだろうか。これまでと同じように往診しても、4分の1以下の診療報酬になるのだ。

 政府は社会的入院による医療費削減のため、施設入所者を含む在宅医療の導入を進めてきた。そのため在宅医療が優遇されてきたのは事実だ。しかし、今回のような極端な切り下げをすれば、せっかく根づきかけた在宅医療が、立ち消えになりはしないか。

 今回の切り下げは、施設の入所者が対象で、自宅で在宅医療を受ける患者は除外される。施設の高齢者を多く診ている医師の撤退が危ぶまれる。理由の説明もなく、いきなり診療費を大幅にカットされて、それでも患者を見捨てない立派な医師は、どれだけいるだろうか。

なるほど、一睡もせず36時間連続操業で働く救急医療の現場の医師が労働基準法なぞを持ち出すのは笑止千万で、患者を見捨てるなどとんでもない、過労死するまで働くのが当然だが、在宅医療専門クリニックの医師は診療報酬をカットされたら患者を見捨てるのが自然だ、と。

いやいや、よく判りました。

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白山ひめ神社御鎮座二千百年式年大祭

これはまったく労働法政策とは関係ありませんが、ある政治的主張を通すために、一見使いやすい「正義」を持ち出した結果、それが暴走してとんでもない方向に走ってしまう一つの事例として。

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20080417102937.pdf

平成20年04月07日名古屋高等裁判所 金沢支部

白山ひめ神社御鎮座二千百年式年大祭奉賛会損害賠償請求控訴事件(平成19(行コ)11)

>白山市長であるAが同市の職員を同行して白山ひめ神社御鎮座二千百年式年大祭の奉賛会発会式に出席し白山市長として祝辞を述べたところ,白山市の住民である控訴人が,上記行為は,特定の宗教を助長,援助,促進する効果があり,政教分離原則に違反し違憲であり,これに伴う公金支出は違憲・違法であるとして,地方自治法242条の2第1項4号本文に基づき,白山市の執行機関である被控訴人に対し,Aに対して,上記支出額相当の損害賠償金1万5800円及び遅延損害金を白山市に対して支払うよう請求することの義務付けを求めた住民訴訟の控訴審。

>白山市長が来賓として白山ひめ神社御鎮座二千百年式年大祭の奉賛会発会式に出席し白山市長として祝辞を述べた行為が憲法20条3項の禁止する宗教的活動に当たり,これに関する費用等につき公金を支出することは違法であるとされた事例

政教分離というのはもちろん一つの正義ではありますが、世界遺産登録をめざす白山の伝統文化の中心である白山ひめ神社の2100年式年大祭で式辞を述べるのまで違憲だなどという馬鹿げた結論が出るなどと云う事態はやはり異常でしょう。

もともと、この手の訴訟は、靖国神社とか護国神社といった明治に作られた国家神道のナショナリズム機能に対する政治の関与を追及することが主たる目的だったのではないかと思われます。それについてはいろんな考え方があるでしょうが、少なくとも、国家のために命を投げ出した戦死者を追悼することを通じて近代的ナショナリズムを推進しようという立場をめぐる論争なのであって、こういう固有信仰に一切公的部門がかかわるななどという話ではなかったと思うのですが。

まあ、しかし、憲法20条の政教分離という便利なものを使えば追及しやすいものだから、もっぱらそればかり使っていくと、その本来の目的から乖離して勝手に暴走をはじめ、なにやらおよそ宗教的な行事にちょっとでもかかわれば違憲だみたいな信じがたい方向に突き進んでしまうわけです。

この手の訴訟は最初からねじれているんですが、最初はねじれながらもその意図はある意味明確であったものが、ねじれた議論をねじれたまま無理やりに突き進めていくと、こういうまったく訳の分からないところにいってしまう。

他の分野でも気をつけるべき点でしょう。使いやすい正義に過度に頼ると必ずそのツケが回ります。

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財金分離2

別に欧州労連が大したことを言ってるわけではなくて、これがごく普通の反応でしょう、というだけなんですが。

http://www.etuc.org/a/4761

>Demand side problems need to be solved primarily by demand side policies. Casino capitalism gone out of control should be addressed by financial market re-regulation. Abusing the crisis to push through an unwarranted deregulation of labour markets and worker rights will add more insecurity and simply make matters even worse.

>The right response to prevent the European economy from following the US economy down the hill is to intervene on exchange markets to stabilise the euro, to cut interest rates and boost public investments in order to strengthen domestic demand. It is not to using the economic crisis as an alibi to push through fake structural reforms.

日本の労働組合が組織的に多くの票を差し上げている某政党は、円を安定化し、利率を下げ、公共投資を拡大することには興味がなく、似非構造改革のアリバイに経済危機を使おうという方々なのでしょうか。

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財金分離

これは直接労働法政策には関係ないのですが、日本の労働組合のナショナルセンターが組織的に支持している政党が、中央銀行総裁候補を認めるかどうかの基準として、財政と金融の分離、つまりどんなに景気が悪化して労働者がひどい目に遭おうとも、断固として中央銀行の独立性を守るべし、という超タカ派的思想を明確にし、あまつさえ、低金利政策をとり続けたことを理由に反対するという事態は、もちろんいろんな考え方があってもいいわけですが、比較政治的には極めて奇妙な事態とは言えるでしょうね。

通常、まあ何が「通常」かは人によっていろんな考え方があるでしょうが、少なくともヨーロッパでは、労働組合や社会民主主義政党は、中央銀行の独立性には否定的で、政治的要請に迅速に応じて、できるだけ金利を低くしろというのが通常であるように見受けられますので、多分、連合の支持政党はそれとは正反対の経済思想をお持ちなのだろうなあ、と思うだけですが。

参考までに、最近の欧州労連の欧州中銀に対する発言です。

http://www.etuc.org/a/4374

>ETUC expresses disbelief over ‘hawkish’ messages coming from the European Central Bank

At the meeting of the governing council of the European Central Bank (ECB) last Thursday, council members are reported to have discussed the possibility of raising interest rates. The European Trade Union Confederation (ETUC) finds this attitude unhelpful and calls instead for a cut in interest rates to address the unfolding economic slowdown.

With three month inter-bank interest rates shooting up to 4.86%, the financial crisis is intensifying. Higher finance costs, together with tightening credit standards and an overvalued euro exchange rate, are working to produce a significant slowdown in growth. To avoid a new slump in growth, interest rates should be cut, not raised.

http://www.etuc.org/a/4540

>European Central Bank must respond to wake-up calls

The European Trade Union Confederation (ETUC) calls on the board of the European Central Bank (ECB), meeting today in Frankfurt, to abandon its outdated theoretical monetary approaches and instead open its eyes to economic reality.

At the current time:

Strong transatlantic economic ties mean the euro area will not escape recession in the US economy.

The Federal Reserve’s policy of aggressive rate cuts will work to undermine the dollar and the euro area’s competitive position.

The subprime-induced financial crisis has not been contained at all, but is spreading in an alarming way. Potential investors are confronted with a credit squeeze as well as higher credit costs.

Business cycle indicators are going down, indicating growth prospects are shallow.

http://www.etuc.org/a/4692

>The ECB must respond to the strengthening euro

European Central Bank (ECB)and euro area finance ministers should take action to adjust the value of the EU currency, instead of hiding behind US policy-makers, urges the European Trade Union Confederation (ETUC).

The euro exchange rate has recently breached the 1.50$ barrier. The euro’s continuing appreciation is becoming alarming. An excessively expensive euro will cost European jobs, coming as it does on top of other setbacks to growth (the sub-prime financial crisis and credit squeeze, the US recession, and the end of the construction boom in several EU countries).

The ETUC calls on the Governing Council of the ECB, which meets today, to recognise at last that the balance of risks has shifted and that the threat to growth is now so serious that an urgent cut in interest rates is required.

(追記)

つまり、連合が組織的に支持している政党は、階級論的分析からするとですな、労働者階級でもなければ企業家階級でもなく、金利生活者階級の利益をひたすら追求する政党であるということに相成るわけなんですが、そんなことでええのですか?と誰か言わんのかねえ。

ちなみに、はてぶで「反リフレを標榜するhamachan先生」と言われていますが、

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_8e8c.html

いや、私は反「特殊日本的な99%フリードマン主義者のリフレ派」なだけで、「反リフレ」を標榜した覚えはありませんが。

そんなの、インフレは目減りにより金利生活者に損失を与え、デフレは失業により労働者に損失を与えるなんてことは、ケインズ先生が大昔から言ってることでしょう。

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電波により頭の中の考えが字や映像になったり,指をさされたり,右,左手を上げたり,いる場所がわからないのに人がくる理由がわかる文書

これは雑件です。

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20080207142424.pdf

平成18年03月10日東京地方裁判所判決(平成17(行ウ)547)

主文

1 本件訴えのうち行政文書開示決定の義務付けを求める部分を却下する。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1 請求

1 総務大臣が原告に対し平成17年8月19日付けでした行政文書不開示決定を取り消す。

2 総務大臣は,原告に対し,原告が平成17年8月1日に開示請求をした行政文書の開示決定をせよ。

第2 事案の概要

本件は,行政機関の保有する情報の公開に関する法律(以下「情報公開法」という)4条1項の規定に基づいて,総務大臣に対し,行政文書の開示請求をした原告が,文書不存在を理由に不開示決定を受けたことから,当該不開示決定の取消しと,開示請求に係る行政文書の開示決定の義務付けを求める事案である。

1 前提となる事実

原告は,平成17年8月1日,情報公開法4条1項の規定に基づき,総務大臣に対し,請求する行政文書の名称等を「電波により頭の中の考えが字や映像になったり,指をさされたり,右,左手を上げたり,いる場所がわからないのに人がくる理由がわかる文書」として,当該文書の開示請求をした(以下当該文書を「本件文書,当該開示請求を「本件開示請求」という(乙1 。。) )
総務大臣は,平成17年8月19日,本件開示請求について「開示請求に係る行政文書を作成・取得しておらず,文書不存在であるため」との理由を付して,本件文書を不開示とする決定(以下「本件不開示決定」という)をするとともに,これを原告に通知した(乙2 。。)
原告は,平成17年8月29日,本件不開示決定を不服として,総務大臣に対し,異議申立てをするとともに(乙3 ,同年11月16日,本件訴訟)を提起した。
総務大臣は,情報公開・個人情報保護審査会への諮問を経て,平成17年12月28日,原告に対し,前記の異議申立てを棄却する旨の決定をした(乙7ないし乙9 。)

2 当事者の主張

被告の主張

ア 本件不開示決定の取消請求について

本件文書は,電波によって直接的に,人の思考が字や映像にされ,又は,人が指を指す,手を上げる,若しくはその人には分からないはずの他人の居場所を訪れることがあるという前提で,そのような現象が起こる理由について明らかにする文書であると考えられる。
しかしながら,電波によって上記のような現象が引き起こされるとは想定されていないことから,総務省においては,当該現象に関する調査,研究等は実施していない。
また,総務省において,このような現象が起こる理由を明らかにする行政文書の有無につき,事務室及び書庫の探索を行ったほか,関係部署にこれを保有していないか照会したところ,そのような文書は存在しないことが確認された。
以上によれば,本件文書は存在しないことが明らかであるから,本件不開示決定は適法であり(情報公開法9条2項,その取消しを求める原告)の請求には理由がない。

イ 行政文書開示決定の義務付けの訴えについて

本件不開示決定は適法であり,取り消されるべきものではないから,本件開示請求に対する開示決定を求める原告の訴えは不適法である(行政事件訴訟法37条の3第1項2号。)

原告の主張

原告は現在も頭(脳)の中に電波を入れられているということは,電波が人体に与える影響に関する研究などを原告の脳を使って医学的及び工学的な観点から研究しているのと同じである。総務省は,生きた人間,生命,人体を使って研究を進めているのであるから,本件文書を開示すべきである。

第3 当裁判所の判断

1 本件不開示決定の取消請求について

情報公開法の規定に基づいて行政文書の開示請求を受けた行政機関の長は,開示請求に係る行政文書を保有していないときは,開示をしない旨の決定をすることとされている(情報公開法9条2項。)
本件文書の存在に関しては,総務大臣が,情報公開・個人情報保護審査会に対し平成17年10月6日付けで提出した諮問書添付の理由説明書の中で,「総務省では,電波を安全に安心して利用できる環境を確保するため,電波が人体に悪い影響を与えないよう電波防護指針に基づいた規制を行っているほか,電波防護指針の基準値よりも弱い電波であっても人体に何らかの影響があるのではないかとの懸念に応えるため,電波が人体に与える影響に関する研究の推進等を行っているところである。電波が人体に与える影響に関する研究については,国際保健機関(WHO)等を中心とした国際機関とも協調し,電波が,がんの発生,免疫機能,神経系等に与える影響について医学的及び工学的な観点から,研究を進めているが,不服申立人が主張する『頭の中の考えが字や映像になったり,指をさされたり,回りの人が右,左手を上げたり,いる場所がわからないのに人がくる』という現象が,電波によって引き起こされるとは,想定されていないことから,当該現象に関する調査及び研究は実施しておらず,さらに,不服申立人が存在を主張する行政文書の有無について,事務室及び書庫の探索を行ったほか,省内関係部署が作成又は取得した事実がないか照会を行ったところ,不服申立人が存在を主張する行政文書は存在しないことが確認できたので,総務省において該当する文書を作成又は取得したことはないと説明している(乙7 。また,総務省総合通信基盤局総務課調査係の担当職員が,平成17年9月1日,本件文書を保有していないかどうかを総務省内の関係部署に照会したところ,いずれの部署からも,保有していない旨の回答があったことが認められる(乙10の1,2 。)
社会通念上「電波により頭の中の考えが字や映像になったり,指をさされ,たり,右,左手を上げたり,いる場所がわからないのに人がくる」という現象が客観的に存在するものとは認められず,当該現象に関する調査及び研究が総務省その他の関係機関において実施されているものとは容易に想定し難いから,当該現象が生じる理由について説明した文書が存在する蓋然性もまた,極めて低いものといわざるを得ない。このことと,上記のような総務大臣の説明及び総務省内の関係部署からの回答の状況とを併せ考慮すれば,本件不開示決定が行われた当時において,本件文書は不存在であったものと認められる。したがって,文書不存在を理由として本件文書の開示をしないこととした本件不開示決定は適法である。

2 行政文書開示決定の義務付けを求める訴えについて

本件訴えのうち行政文書開示決定の義務付けを求める部分は,情報公開法による開示請求に対して不開示決定がされたことを不服として,当該開示請求に係る行政文書の開示決定をすべき旨を命ずることを求める訴訟であるから,行政事件訴訟法3条6項2号の義務付けの訴えに該当するものである。
ところで,行政事件訴訟法37条の3第1項2号は,同法3条6項2号の義務付けの訴えは,申請を却下し又は棄却する旨の処分がされた場合においては,当該処分が取り消されるべきものであり,又は無効若しくは不存在であるときに限り,提起することができると定めている。
これを本件についてみると,本件不開示決定が取り消されるべきものでないことは前記1に説示したとおりであり,同決定が無効又は不存在でないことも明らかである。
そうすると,本件の義務付けの訴えは,行政事件訴訟法37条の3第1項2号の要件を満たさないから,不適法な訴えであるといわざるを得ない。

第4 結論

以上の次第で,本件訴えのうち行政文書開示決定の義務付けを求める部分は不適法であるから却下し,原告のその余の請求は理由がないから棄却することとし,訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第3 部
鶴岡稔彦裁判長裁判官
古田孝夫裁判官
潮海二郎裁判官

ということですが、ふむふむ、総務省総合通信基盤局総務課調査係の担当職員の方は「このような現象が起こる理由を明らかにする行政文書の有無につき,事務室及び書庫の探索を行ったほか,関係部署にこれを保有していないか照会」されたんですねえ、ご苦労様でございました。

(追記)

いや別に本件原告の方を誹謗中傷しようなんて、そんな畏れ多いことを考えているわけではありませんよ。本件訴訟はまことに適法です。だって、総務省設置法にもちゃんとこう書いてあるんですから。

総務省設置法
(平成十一年七月十六日法律第九十一号)

  第二節 総務省の任務及び所掌事務

第四条  総務省は、前条の任務を達成するため、次に掲げる事務をつかさどる。
・・・・・・
七十一  電波が無線設備その他のものに及ぼす影響による被害の防止又は軽減に関すること。

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佐藤優氏の警告

アホなSAPIO右翼が、嫌韓、嫌中のノリで沖縄叩きに熱中していることに対して、まともな保守主義者の佐藤優氏が少し前のサンケイビジネスアイで的確な一言を述べています。

http://www.business-i.jp/news/sato-page/rasputin/200710030005o.nwc

>沖縄県民と沖縄以外の日本国民の間で、明らかに歴史認識に対する差異が生じ始めている。この問題を放置すると日本において、沖縄とそれ以外の地域の間にヒビが入る危険性がある。いったん、ヒビが入れば、それにちょっとした刺激が加わると亀裂が広がり、日本国家が内側から崩れ始める危険がある。また、このような歴史認識のすき間に中国が「どうも日本国内にも歴史問題があるようですね」と付け込んでくる危険性がある。国家主義者として筆者は沖縄で現在生じている事態に強い危惧(きぐ)を覚える。

近年のナショナリズム論をひもとくまでもなく、あるエトニーがネーションとして自己意識するか否かは産業化における様々な条件でどちらにも行きうるものですから、沖縄人が韓国人や中国人のような感覚で日本(ヤマト)人を見るように仕向ければ、そういう方向に展開する可能性はいくらでもあるわけです。

考えてみれば、本土復帰運動が盛んだった頃、本土の日教組が日の丸反対闘争をやっているのに、沖縄の教組は日の丸を振る運動をやっていたわけですが、これを一次元的論理で矛盾と評したところで何の意味もなく、むしろそれなるがゆえに琉球ナショナリズムを喚起することなく、「平和な本土」への復帰が政治象徴として有効たり得たのでしょう。まことに日本国家の国益に大きく貢献したと云うべきでしょう。

もし当時SAPIO右翼みたいなのが今の調子で本土復帰を唱えていれば、「また集団自決の悲劇が繰り返されるぞ」などという政治宣伝のいい材料になったかも知れません。この辺の政治センスがあるかどうかが、話のできる人間かそうでないかの分かれ道なんですがね。

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「食の安全」で本来考えるべきこと

私の見る限り、この問題に関するもっとも的確な発言でしょう。

http://kgotoworks.cocolog-nifty.com/memo/2007/11/tbs_ce4d.html後藤和智の雑記帳

>そもそも「食の安全」が脅かされていると言われる昨今の「事件」においていったい何人の人が死んだのだろうか。こういうことを考えるのは極めて愚かなことはわかっているけれども、このような「事件」が騒がしく取り沙汰されることによって、他に採り上げられるべき問題が隠蔽されてしまう。というよりも、今この状態で集団食中毒なんて起こったら、果たしてどのような反応をマスコミはしてしまうのだろう。

>我が国においては食品の安全管理はかなり徹底されており、渡辺正が言っているとおり「普通に生活している分には何の問題もない」。さらに言うと、これらの「事件」は、ただ単に賞味・消費期限の表示が偽装されていただけで、製造工程で異常なまでの菌が入っていたなどの、真に危険視すべき情報は(少なくとも報道に依拠する限りでは)ない。

>「食の安全」で本来考えられて然るべきことは健康とリスクの観点であり、「日本人の感性が衰退した」などという反証不可能かつ左翼くずれ高齢者層の「癒し」にしかならないことを述べるのは論外もいいところだ。

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君たちに明日はない

51eljayqhl_ss500_ 軽い小説ですが、ちょいと塩味が聞いていてなかなか。

まあ、まったく労働法に関係がないわけではないので、雑件扱いですがご紹介しておきます。

垣根涼介

君たちに明日はない

新潮文庫

http://www.shinchosha.co.jp/book/132971/

>リストラ請負人、村上真介は今日も行く。彼を待ち受けるのは、部下に手をつけるセクハラ上司、管理能力ゼロのオタク主任、お上に楯突くキマジメ社員……。山本周五郎賞受賞作。

>「私はもう用済みってことですか!?」リストラ請負会社に勤める村上真介の仕事はクビ切り面接官。どんなに恨まれ、なじられ、泣かれても、なぜかこの仕事にはやりがいを感じている。建材メーカーの課長代理、陽子の面接を担当した真介は、気の強い八つ年上の彼女に好意をおぼえるのだが……。恋に仕事に奮闘するすべての社会人に捧げる、勇気沸きたつ人間ドラマ。山本周五郎賞受賞作。

「労働基準法により解雇が禁じられている」とかのいささかな記述もあって、をいをいですが、まあ読んで面白い小説であることは間違いありません。筑波大卒という真介の設定は著者の自画像?

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Watashi wa kila dess

ブリュッセルの公園で屍体が発見され、その傍に「Watashi wa kila dess」という紙が落ちていたという事件。調べてみると、ブリュッセル南郊のドゥーデン公園、私が10年ほど前に住んでいたところから歩いて1キロちょっとのところではありませんか。ブルブル。

まあ、私がいた頃から日本マンガは流行っていましたが、ますます盛んなようで、この点については麻生前幹事長と同意見ですが、しかしブリュッセルに「キラ」が出現するとはね。

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愉快な経験

>しばらく見ていないうちにhamachan先生がひどいめにあわされているようですが・・・・・

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20070927

いやいや、イナゴの親分の号令一下、どっとやってきたイナゴが口々に「天下りの低学歴男」と云いだしたのは愉快な経験でした。まあ、親分が、

>修士号もないくせに、役所の地位を利用して大学に天下った最低の人物が、「労働政策」を語るとは笑止千万です。

とけしかけているのですから、時津風部屋ではないですが、子分が金属バットを振り回すのはまあそういうものでしょう。

私が低学歴であることは隠れもない事実ですし、大学院でアカデミックなお勉強をしたのではなく、政策の現場で叩き上げた実務派ですから、教科書嫁族の皆様にはお気に召さないのはよく理解できます。

天下り大学のGRIPS(@池田信夫)のみならず、東大の大学院生までそんな低学歴の低能男の講義やゼミを聞かされていると知ったらもっと怒りまくるでしょうね。まあ、丈夫な大学の学生さんは高学歴な方に教わることができて大変幸せです。

おそらく、

>企業も組合も官庁も左翼も、すべてフリーターの敵というわけだ

が、修士号をもった自分は味方だと云いたいんでしょう。ただし勉強して修士号を取ってこいと。そういうのがギルド的思考なんですがね。

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いちいち叩いていたら身が持たないが

マスコミ界でやたらに威勢がいいらしい人がブログでこんなことを

http://blog.tatsuru.com/2007/09/21_1501.php

『文藝春秋special』に書いたものらしい。

>ある年代から上にとって、「やりがいのある仕事」というのは、「どこかで誰かの役に立っている仕事」のことを意味している。おのれ労苦の「受益者」がどこかにおり、その笑顔や感謝を想像することが労働のモチベーションを担保する。それが「やりがい」という語の意味だったはずである。
だが、この定義は若い世代にはもう適用できない。というのは、今ではどうやら個人の努力がもたらす利得を「私ひとり」が排他的に占有できる仕事のことを「やりがいのある仕事」と呼ぶ習慣が定着しているようだからである。
「受益者が私ひとり」であるような仕事を「やりがいのある仕事」と呼ぶ不思議な労働観が生まれたのにはもちろん理由がある。それは「受験勉強」の経験が涵養したものである。
受験勉強では努力と成果の間に「正の相関」があり、個人的努力の成果は本人が100%占有する。一生懸命勉強をして入試で高得点を取ったので、あまり勉強していなかった隣席のヤマダくんもその「余沢」に浴していっしょに合格できた、というようなことは受験勉強の場面では絶対に起こらない。
けれども、私たちの日々の仕事の現場ではむしろそちらの方が常態なのである。仕事のほとんどは集団の営為であり、利益は仲間の間で分配され、リスクはヘッジされる。人間的労働は集団的に行われることで効率を高め、危機を回避するメカニズムだからである。
受験勉強は将来の労働者を類別・序列化するためのシステムではあるが、それ自体は労働ではない。それを同一視して、受験勉強をする気分で労働の現場に踏み込んでくる若者は仰天してしまうのである。どうして、ここでは自分の努力の成果が自分に専一的にリターンされないのか?受験勉強的「成果主義」になじんだ子どもは、自分の努力が固有名での達成としてはカウントされず、集団で(それもろくな働きをしていない人間も含めて)分配しなければならないという「不条理」が理解できない。

>成人の労働の本質は、個人の努力が集団の達成に読み替えられる変換のうちに存する。自分の努力の成果が、できるだけ多くの他者に利益として分配されることを求めるような「特異なメンタリティ」によって成人の労働は動機づけられている。それが納得できないという人は成人の労働には向かない。事実、多くの若者たちが「三年で辞める」のはそのせいである。

>私たちが労働するのは自己実現のためでも、適正な評価を得るためでも、クリエイティヴであるためでもない、生き延びるためである。成人の労働ができるだけ多くの他者に利益を分配することを喜びと感じるような「特異なメンタリティ」を私たちに要求するのは、それが「生き延びるチャンス」の代価だからである。この代価は決して高いものだと私には思われない。

まず、集団のために個人が努力することが当該個人の「生き延びるチャンス」につながるような労働社会の在り方が必ずしも普遍的であるわけではないと云うことを理解していない。ここにも労働史に無知なまま好き勝手に書き殴るヒョーロン家氏。

大体受験勉強が激しかったのはより集団主義的労働観が普遍的であった時代、今の若者なんかより内田氏より年長の世代であろう。それだけ受験勉強的「成果主義」になじんだかつての若者たちが、それほど受験勉強に追われていない今の若者たちよりも、そういう「特異なメンタリティ」になじんでいったのはなぜなのだろうか?といった問いかけをする気もないらしいし。

こういうのが平然として通用するのが今の日本の論壇なるものなんですかねえ。

(追記)

そのすぐ下を見ると、自分でこう書いていた。判ってるじゃない。

http://blog.tatsuru.com/2007/09/20_2227.php

>さらに問題を困難にしているのは、(あまり大きな声では言われないが)「働くことの意味」を教えねばならない大学教師たちの過半は学生たちがこれから参入することになる会社組織というところで働いた経験がないという事実である。

>実は私もないのである。

判ってないことが判っているくせに知ったかぶったか・・・。

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「労働者」は死語

http://d.hatena.ne.jp/odanakanaoki/20070922#p1

>この本は「労働者」といういまや死語になりつつある表現が頻出しますが、それほど違和感がありませんでした。

そうか、「労働者」なんて言葉は今や死語になっていたんだ。

我々はゾンビを相手にしていたに違いない。

ね、労働法、労働経済、労働行政その他労働関係者の皆様。

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博物士さんの書棚

http://d.hatena.ne.jp/genesis/20070919

ずらりと並んだ(あるいは積み上げられた)マンガの片隅に、申し訳なさそうに「労働判例」DVD版の箱が・・・。

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どっちが正論?

産経新聞の「正論」欄はいつも正論が載っているはずなんですが、

http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/seiron/070901/srn070901000.htm

9月1日の佐伯啓思氏の正論と、

http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/seiron/070904/srn070904000.htm

9月4日の竹中平蔵氏の正論とは、

いずれかが正論であることはあり得ても、両者が同時に正論であることは不可能な関係にあるように思われます。

まあ、しかしこれは保守派メディアたらんとする産経新聞だけの問題ではなく、両足をそれぞれの相矛盾する「正論」に突っ込んだまま歩こうとする安倍首相自身の問題でもあるわけです。

おまけに、

http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/seiron/070829/srn070829000.htm

>法や政策を官僚抜きで作り「改革」を

などと、ポピュリスト的「正論」を吐く御仁もいらして、正論業界もなかなかダイバーシティの世界でありますな。

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コメント消失事件?

私が稲葉先生に因縁をつけた

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_d06d.html

に対し、稲葉先生がコメントをつけられたようなのですが、それが「よくわからない理由で消されました」と書かれています。

http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20070903/p1

「何かお気に触ったのでしょうか」とのことですが、お気に障るも何も、私は昨晩まったくアクセスして居らず、稲葉先生のコメントを消したりすることはあり得ません。どなたのコメントも書き込まれた形跡はありません。しかし、いったん書き込まれたものが消されたということになると、かなり問題ですし、稲葉先生以外にも被害にあっていらっしゃる方もいるやも知れず、対応を考える必要がありそうです。

もし、他にこのような被害に遭われた方がいらっしゃいましたら、ここにコメントをつけるか、それができないようであればメールでご一報いただければと思います。

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知の欺瞞は健在

こういうのを「こんな素朴マルクス主義説教」というようでは、その方がよっぽど・・・。

http://www.diplo.jp/articles07/0708-2.html

http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20070903/p1経由)

部分的に、いささかこれは?とか、おっとっと、というところもなきにしもあらずですが、このルーヴァン大学の物理学の先生、概ね正しい。とりわけ、

>ここで述べている意味での社会主義は、資本主義の発展に結びついた諸問題に対するきわめて自然な応答である。つまり、現在もはや社会主義が堂々と議論されることはほとんどないという事実は、現代社会で「教育」や「報道」と呼ばれる独特の教化洗脳システムの効果のほどを物語っている。

>社会主義の問題は、資本主義の危機や、自然の破壊(現実上か想定上かは問わない)、労働者階級の小市民化(現実上か想定上かは問わない)といった問題とは無関係である。自己の生を管理することが人間の基本的な願いである以上、社会主義の問題は生活水準が向上しても消滅することはない。社会主義の問題が提起されるために、(2度の世界大戦のような)破滅的な出来事が起こる必要もない。生物学的な欲求、すなわち生命を存続させるという欲求が充足されればされるほど、自律や自由という人間に固有の欲求の充足が、いっそう強く求められるようになるのである。

>社会主義がもはや、だれの興味も引かないと考えるのは間違いである。今なお左派が支持される分野があるとすれば、公共サービスの擁護や労働者の権利の擁護にほかならない。それこそが、資本所有者の権力に対する今日最大の闘争手段であるからだ。ヨーロッパ建設に暗黙のうちに含まれている政策プログラムは、民主主義的な見かけだけは残しながら、社会保障や普通教育、公的医療からなる「社会民主主義の楽園」の破壊をもたらすに至ったが、これらの制度は社会主義の萌芽的形態であり、現在も人々に大きく支持されているものだ。

といったあたりは、軽々しく読み飛ばす人間の知性の程度を明らかにするものでもあります。

また、左派が

>道徳を訴えることに専念して、反人種差別やフェミニズム、反ファシズムなどの「価値観」を振りかざした。これらの価値観をうたうことで、右派との違いを打ち出せると考えたからだ。

しかし、

>対立の根本は「価値観」の問題、とりわけフェミニズムや反人種差別のように、現代の右派が完全に受け入れる準備ができている問題にはない。

というのも、真剣に、骨の髄から考える必要のある話なんですね。ここでの言い方を使えば「リベサヨ」さんでは道は開けなかったということにつながるわけで。

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超リベサヨなブッシュ大統領

これも雑件ですが、突っ込むと日本の労働法政策ともつながってくるんですけどね。

http://www.asahi.com/international/update/0824/TKY200708240002.html

いやあ、云ってくれました。

>日本の軍国主義者・・・は、人類のあり方への無慈悲な考えに突き動かされていた。イデオロギーを他者に強いるのを防ごうと立ちはだかった米国民を殺害した。

>第2次大戦に着手した時、極東の民主主義国は二つしかなかった。オーストラリアとニュージーランドだ。日本の文化は民主主義とは両立しないと言われた。日本人自身も民主化するとは思っていなかった。

>結局、日本の女性は参政権を得た。日本の防衛大臣は女性だ。先月の参院選では女性の当選が過去最高になった。

>国家宗教の神道が狂信的すぎ、天皇に根ざしていることから、民主化は成功しないという批判があった。だが、日本は宗教、文化的伝統を保ちつつ、世界最高の自由社会の一つとなった。日本は米国の敵から、最も強力な同盟国に変わった。

こういう台詞を日本国内で戦後60年間吐き続けてきたのは、ブッシュ大統領の盟友の側ではなく、その反対側の人たちであったと云うところが、日米関係の歴史の皮肉という奴なんでせうねえ。

朝日新聞自ら指摘するように、「戦前の日本を国際テロ組織アルカイダになぞらえ」るような「粗雑な歴史観を露呈」しているわけですが、その台詞はほとんどそのままリベサヨな皆さんに降りかかってくるというわけで。「大正デモクラシーを経て普通選挙が実施されていた史実は完全に無視され、戦前の日本は民主主義ではなかった、という前提」で近代日本を語られたんじゃかないませんや、まったく。

ま、ここくらいまでは、ちょいとモノの分かったブロガーなら書いてるでしょうけど、その先があります。じゃ、なぜその日本が戦争に突入していったのか。多くの一見穏当な歴史観はそこで間違う。戦前の日本は立派にリベラルだったのに、軍国主義に席捲されたとか、そういう類のね。

戦前の日本が過剰にリベラルだったから、それに対するソーシャルな対抗運動が「革新派」として拡大していったからなんでね。まさに、ポランニーの云う「社会の自己防衛運動」。戦前の二大政党制の下では、本来そっちを取り込むべき立場にあった民政党は、確かに社会政策を重視し、労働組合法の制定に努力したりしたけれども、同時に古典派経済学の教義に忠実に従うあまりに金解禁を断行し、