雑件

ブックマーク代わりに

なんだかんだといろいろ仕事を引き受けてしまうので、マルチタスクに耐えられない貧弱な頭が悲鳴をあげてます。

いまは、年内刊行を目指すOECDの『若者と雇用』報告書の日本編の監訳作業で頭の半分が英語漬けのまま、派遣請負関係の依頼が続けざまに飛び込んできたところへ、集団的労使関係の話も突如吹き上がってきて、うーん、オレの脳みそ、もっとメモリ増やしてくれ!!!という感じ。

それはともかく、お気に入りサイトに「そうだよなあ!」というエントリがいくつか上がったので、いちいち論じませんが、ブックマーク代わりに。

まず本ブログでもよく引用する黒川滋さんの「きょうも歩く」から、

http://kurokawashigeru.air-nifty.com/blog/2009/10/1021-7642.html(結局政治家の考える雇用対策なんて)

>とにかく内容が、念力主義というか、観念的というか、自公政権のまま陳腐で、ため息しか出てこない。緊急雇用対策なら、ちゃんとお金使わないと。介護なら介護報酬を自活できる水準に上げること。グリーンなら、林業、農業従事者の所得問題を解決すること。社会的起業の前に、自治体などが地域で目詰まりしている社会サービスを提供し、そこに臨時・非常勤職員からでいいから雇い入れ、そこに補助金や交付金を払うこと。
公共事業でないかたちで雇用を創るってそういうことではないのか。コンクリートから人へと言うことってそういうことではないのか。

雇用ってなんだろうか、生活にとって働くって何だろうか、雇用がなくなるってどういうことだろうか、もうちょっと考えてもらいたいものだ。一億総豊臣秀吉みたいな社会を求めるのはよろしくない。

次にkechackさんの「Munchener Brucke」から、

http://d.hatena.ne.jp/kechack/20091022/p1年功序列を批判しながら、子育て支援も批判する悪魔

>終身雇用・年功序列を批判しながら、子ども手当てや高校の授業料の無償化をも批判している人たちは、この国をいったいどうしようと考えているのか? 日本人を殺して絶滅させようと考えていると穿ってしまう。

 今後、賃金のフラット化は避けられないであろう。特に熟練度が求められる職業を除き、年功的要素はなくなり、能力や職種による付加価値に応じた賃金になってゆくのは避けられない。連合なども同一賃金同一労働を基本とするとしているが、これを認めることは同じ仕事をしていれば年齢に関係なく同一賃金となることを認めることでもある。

 そのような環境でも我々が生きていけるようにするには、子育てに関する社会コストの低減は絶対条件である。私は年功序列賃金を批判するのは許されるが、子育てに関して社会コストを低減させるあらゆる施策を社会主義だと批判する人たちは相当質悪だと考える。

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百花斉放百家争鳴と反右派闘争

いや、単にむかし読んだ中国現代史を思い出しただけです。

毛沢東が、「何でも言いたいことを言えばよい、百花斉放、百家争鳴だ」と言ったものだから、それを真に受けた愚かな連中が本当に共産党批判をやったら、とたんに反右派闘争が開始され、馬鹿な連中が軒並み手ひどい弾圧に遭ったというお話です。

こういう歴史の教訓を学ばない愚か者こそが嘲笑されるべきなのでしょう。

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阿久根民主主義人民共和国刑法第247条第2項第3項

労働と関係のない雑件を引きずって申し訳ありませんが、これはもうあまりにも素晴らしき世界で。

http://www5.diary.ne.jp/user/521727/

>公務員が背任行為を行った場合の刑罰は非常に厳しい。
国民に財産上の損害を加えた場合には、終身刑又は無期懲役である。

刑法247条(背任)

2項 他人のためにその事務を処理する公務員が、自己若しくは第三者の利益を図り又は本人に損害を加える目的で、その任務に背く行為をし、本人に財産上の損害を加えたときは、十五年以下の懲役又は五百万円以下の罰金に処する。

3項 他人のためにその事務を処理する公務員が、自己若しくは第三者の利益を図り又は国民に損害を加える目的で、その任務に背く行為をし、国民に財産上の損害を加えたときは、終身刑又は無期懲役に処する。

ちなみに、法学部の学生は六法全書を引かなくても、日本国刑法第247条は、

>(背任)
第247条 他人のためにその事務を処理する者が、自己若しくは第三者の利益を図り又は本人に損害を加える目的で、その任務に背く行為をし、本人に財産上の損害を加えたときは、5年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。

だけであって、第2項も第3項もないという事は判ってなくてはいけませんよ。

さて、阿久根民主主義人民共和国刑法ですが、法律フリークの方々は「公務員にとって「他人」とは誰か?」とか、2項の「本人」と3項の「国民」の意義如何といった解釈論に熱中してしまうかも知れませんが、ここはやはり、一般国民であれば「5年以下の懲役又は50万円以下の罰金」であるものが、犯罪主体が公務員になると「終身刑又は無期懲役」になるという刑罰の格差に注目したいと思います。

その格差を維持して、一般国民でも刑罰が「死刑又は無期禁固」であるような重罪について公務員に適用すると、どんな厳格な刑罰を適用しなければならなくなるか、想像するだけでも興味深いところですが、例えば、これなんかどうでしょう。

>(内乱)
第77条 国の統治機構を破壊し、又はその領土において国権を排除して権力を行使し、その他憲法の定める統治の基本秩序を壊乱することを目的として暴動をした者は、内乱の罪とし、次の区別に従って処断する。
1.首謀者は、死刑又は無期禁錮に処する。
2.謀議に参与し、又は群衆を指揮した者は無期又は3年以上の禁錮に処し、その他諸般の職務に従事した者は1年以上10年以下の禁錮に処する。
3.付和随行し、その他単に暴動に参加した者は、3年以下の禁錮に処する。
2 前項の罪の未遂は、罰する。ただし、同項第3号に規定する者については、この限りでない。

公務員であるところの竹原阿久根市長の

>自治労事務所問題で公務員仲間の裁判官に判断させれば結論は明らか。
市民の税金を使って、公務員の舞台で踊るようなマネはできません。

というお言葉は、「日本国の領土において国権を排除して権力を行使しその他憲法の定める統治の基本秩序を壊乱することを目的と」しているように読めなくはないんですが。

いうまでもなく、日本国政府は阿久根民主主義人民共和国を承認していませんし、阿久根市という地方公共団体の区域内において日本国の国権を排除する権力の存在を認めたことはないはずです(私の知る限り)。内乱罪の「首謀者は死刑又は無期禁固に処する」んですけど。未遂であってもね。

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ぼやき

そりゃね、もっぱら公務員数の大小だけで「大きな政府」「小さな政府」を測るんなら、「小さな政府」で「大きな福祉」ってのはじゅうぶんありうるよ。

だけど、たとえば予算額の大小で「大きな政府」「小さな政府」を測るんなら。「大きな福祉」即「大きな政府」、「小さな福祉」即「小さな政府」でしょ。

そうじゃないというためには、いや家族(具体的には嫁さん)が面倒見るんだという70年代の日本型福祉社会論にいくのか、それとも崇高なるボランティアさんたちが労働の対価も求めずに身を挺してくださるというのか、いずれにしても市場経済原理とは激しく反する代物を大量に持ち込む必要があるわけで。

実行部隊が公務員じゃなくて民間人だというのは、労働基本権があるという点では大きな違いだけど、給料の出所が社会保険料を含む広い意味での税金であるという点では何の変わりもないわけで。

まあ、「公共」を叩くことと「福祉」を持ち上げることをくっつけることで、俗情的には一番ウケル議論になることだけは間違いないわけだけど。

そういうのが未だに「ウケ」てるということが、日本の絶望のもとでもあるんだが。

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サンドバッグを叩いても喜んでくれる上客

スウェーデンみたいに解雇を自由にせよとぶちあげて大恥こいた一知半解の3法則氏、事実を尊重する方向に舵を切り替えるなどというコストのかかるやり方ではなく、もっぱら攻撃用のサンドバッグを空中にこしらえて、そいつを一生懸命叩く演技をすることで、なお木戸銭を払ってくれる愚かな観客をつなぎ止めようという戦術のようですな。

もちろん、人様の生計の途をあれこれ論評するのは上品な行いとはいいがたいですから、流れ弾が飛んでこない限り、正面から喋々するのは避けておきますが、それにしても、3法則氏が便利なサンドバッグとして活用している「勤勉革命」だの「集団主義」だの、最近御転向された中谷巌大先生が涙を流して喜びそうな品物ばかりであります。そのうち縄文文明も出てくるか知らん。

ただ、歴史学の基本のキとして、念のため言っておくと、「日本は農耕民族だが、欧米は遊牧民族」などというその昔流行ったインチキ議論は、網野喜彦が「日本人は必ずしも農耕民族ばかりではない」という的確な指摘をする遙か以前のレベルで、「欧米人も日本人と同じくらい農耕民族である」という歴然たる事実によって却下されているのですがね。

まあ、雑件です。「ニッポンみたいな集団主義のノーコー民族だけが労働者保護などという愚かなことをやっているんだ」と思いこむことで可哀想な自らを慰められる人々の自慰具としての機能はそれなりに有用なのかも知れませんし。

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有給休暇は学校のずる休みと一緒

これはもうただの雑件。

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51204186.html(学生にも「有給休暇」を!)

馬鹿馬鹿しいのでいちいち説明する気もないし、本ブログの読者にその必要もないでしょう。

ただ、「なるほど、世間の普通の人の感覚では、労働者の権利としての有給休暇などといっても、親のカネで学校に通わして貰っている生徒のズル休みに毛が生えた程度という認識なんだな」、という荒涼たる事実を目の当たりにするいい機会かもしれませんな。

そういう意識が瀰漫していることこそが、日本の有給休暇取得率が低いことの最大の要因ではないか、などと、この世間感覚から一歩も出ないおじさんは感じることなどないのでしょうが。

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スウェーデン海賊党人気急上昇

労働とは関係のない雑件ですが、EU関係ネタということで。

EUobserver紙の伝えるところによると、来る欧州議会選挙に向けて、スウェーデンでは海賊党が人気急上昇。特に、去る17日、ストックホルム地方裁判所が、音楽、映画、コンピュータソフトの違法ダウンロードサイトの「海賊湾」を運営していた若者たちに1年の懲役を宣告し、音楽や映画会社に3000万クローナの賠償金を払うよう命じたのを期に、海賊党の人気はますますうなぎのぼりで、緑の党を追い抜く勢いだとか。

http://euobserver.com/9/27969

>Support for the Pirate Party, a political party running in the European elections, has soared in the wake of last week's conviction of the four Swedish founders of the file-sharing site.

Backing for the Swedish Pirate Party has now leapfrogged that of the domestic Green Party. While it may be a blip of anger after the verdict and opinions may change come election day, almost 50 percent of young men under 30 say they intend to vote for the new faction in the June 2009 elections to the European Parliament.

Hours after the sentence, membership swelled as well, from under 15,000 to around 20,000, making the party the fifth biggest in the country and easily the most popular amongst young people.

The numbers bring the party within spitting distance of a seat in the European Parliament. To reach Sweden's 100,000 vote threshold for sending a deputy to Strasbourg, each of the party's members would just have to convince another four people to cast their ballots for the upstart political group.

Even before the verdict, the party had shown surprising strength in polls and support, having already surpassed the long-established Green and Left parties in number of active members, as earlier reported in the EUobserver.

On Friday (17 April), the Stockholm district court sentenced Fredrik Neij, Carl Lundstrom, Peter Sunde and Gottfrid Svartholm Warg to a year in prison each for the establishment and maintenance of the Pirate Bay site, which helps users find copyrighted music, film and computer programmes to download without permission.

The court also ordered them to pay 30 million kronor (€2.7 million) in damages to record labels and movie studios EMI, Columbia Pictures, Sony Music Entertainment and Warner Bros.

All four men have said they intend to launch an appeal of the verdict, which takes the case before the Swedish Supreme Court, a process that is expected years to complete.

The day after the conviction, around a thousand people took to the streets of Stockholm to protest the sentence. Rallies against "judicial murder," organised by the Pirate Party also took place in Goteborg, Karlstad and Lund.

The head of the party, Rickard Falkvinge told the crowds: "The establishment and the politicians have declared war against our whole generation," he said, calling on "file-sharing for the people," according to reports from the AP.

The party, which has no official links with the Pirate Bay site or founders, has a stripped down electoral platform of only three planks: fundamentally reform copyright law, eliminate the patent system, and ensure that citizens' rights to privacy are respected.

Protests also spread online on Monday, with the website of the International Federation of the Phonographic Industry (IFPI) - the record industry lobby group - coming under repeated distributed denial of service (DDoS) attacks from hackers angry at the verdict.

Though the site appears to be functioning normally today, on Monday the site was down frequently and at other times loaded extremely slowly. Pages on the site have also reportedly been defaced.

The actions appear to be part of a co-ordinated assault its perpetrators have christened "Operation Baylout," according to internet discussions, with individuals also encouraged to bombard black faxes to Monique Wadsted, a lawyer for the film industry and the offices of the Motion Picture Association of America (MPAA).

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神戸大学法学部入試問題小論文

最近は、入試問題に論文が使われると、出版社から赤本に収録したいので・・・という依頼が来るので、ああこの大学に使われたんだというのがわかるんですね。

今年度の神戸大学法学部の後期日程の小論文の問題の資料として、私の世界論文「ホワイトカラーエグゼンプションの虚構と真実」の一部が使われたようです。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/sekaiexemption.html

そのほかには、風間直樹さんの「雇用融解」の一部、日本経団連の提言、連合の「対応方針」、経済同友会の意見書、日経新聞での安藤至大氏の文章、日経BPでの城繁幸氏の文章が並んでいて、最後に私の文章がきます。

これらを読んで、ホワエグに賛成する論拠、反対する論拠を1000字以内にまとめなさいという問題です。お暇な方はやってみますか?

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タクシー事業を巡る諸問題に関する規制改革会議の見解

去る7月31日付で、内閣府の規制改革会議から「タクシー事業を巡る諸問題に関する見解」が出されていました。

http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/publication/2008/0731/item080731_01.pdf

そこでいわれていることは、必ずしもおかしなことというわけでもないと思われます。社会的問題に対しては原則として事業規制ではなく社会的規制で対応すべきこと、それも審議会の審議を経て行うべきで、官僚が通達で勝手にやるべきではないことなど、私も、その通りだと思います。ただ、それを、昨年同会議が公表した意見書と比べて読むと、なかなか含蓄がありますが・・・。

>タクシー車両が増加したことに伴い、タクシー運転者の待遇が悪化し、過労運転による安全性・サービスの質の低下等を招いているとの指摘もあるが、・・・事故への対応は、台数規制ではなく、悪質な事故を発生させた運転手や会社に対する行為規制で対応すべきである。タクシー運転手の労働条件改善は基本的にはタクシー事業者の経営課題として、また、より広い社会政策を通じて実現されるべきものである。(タクシー事業を巡る諸問題に関する見解(平成20年7月31日)

>一部に残存する神話のように、労働者の権利を強めれば、その労働者の保護が図られるという考え方は誤っている。不用意に最低賃金を引き上げることは、その賃金に見合う生産性を発揮できない労働者の失業をもたらし、そのような人々の生活をかえって困窮させることにつながる。過度に女性労働者の権利を強化すると、かえって最初から雇用を手控える結果となるなどの副作用を生じる可能性もある。正規社員の解雇を厳しく規制することは、非正規雇用へのシフトを企業に誘発し、労働者の地位を全体としてより脆弱なものとする結果を導く。一定期間派遣労働を継続したら雇用の申し込みを使用者に義務付けることは、正規雇用を増やすどころか、派遣労働者の期限前の派遣取り止めを誘発し、派遣労働者の地位を危うくする。長時間労働に問題があるからといって、画一的な労働時間上限規制を導入することは、脱法行為を誘発するのみならず、自由な意思で適正で十分な対価給付を得て働く労働者の利益と、そのような労働によって生産効率を高めることができる使用者の利益の双方を増進する機会を無理やりに放棄させる。(脱格差と活力をもたらす労働市場へ~労働法制の抜本的見直しを~(平成19年5月21日)

>なお、当会議としては、平成20年7月11日の通達のような監視対象領域を大幅に拡大する規制が法令によることなく、また審議会等での審議を経ることもなく、一府省内の手続きによって発出されたことは、極めて不適切で速やかに見直されるべきと考えており、またタクシー事業分野に限らず、通達等の形で規制の導入・強化等が可能となっている現状は根本的に改められるべきと考えている。(タクシー事業を巡る諸問題に関する見解(平成20年7月31日)

>現在の労働政策審議会は、政策決定の要の審議会であるにもかかわらず意見分布の固定化という弊害を持っている。労使代表は、決定権限を持たずに、その背後にある組織のメッセンジャーであることもないわけではなく、その場合には、同審議会の機能は、団体交渉にも及ばない。しかも、主として正社員を中心に組織化された労働組合の意見が、必ずしも、フリーター、派遣労働者等非正規労働者の再チャレンジの観点に立っている訳ではない。特定の利害関係は特定の行動をもたらすことに照らすと、使用者側委員、労働側委員といった利害団体の代表が調整を行う現行の政策決定の在り方を改め、利害当事者から広く、意見を聞きつつも、フェアな政策決定機関にその政策決定を委ねるべきである。(脱格差と活力をもたらす労働市場へ~労働法制の抜本的見直しを~(平成19年5月21日)

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中国は「左翼的な独裁国家」!?

アナルコ・キャピタリスト(無政府資本主義者)を標榜する蔵研也氏が、そのブログで、

http://d.hatena.ne.jp/kurakenya/20080814

>中国に見る社会主義者の国家主義

>オリンピックで水泳をみていたら、

「国家水泳センター」で行われていた。

体操なども、どうやら「国家スタジアム」で行われているらしい。

この例に明らかなように、小生は長らく、

左翼的な独裁国家のリーダーは、

ファシズムのリーダーと同じくらいに権威主義的だと思っていた。

これはアイゼンクなども旧ソヴィエトの政治について指摘している見解だ。

と語っています。

いや、中国が独裁国家というのはまったくそうでしょうが、未だに「左翼的」という形容詞がつく独裁国家と思われていたのか!といささか感慨無量でした。

いや、たしかに毛沢東の中国は正確な意味での「左翼的独裁国家」だったんでしょうけど。市場原理主義と愛国主義だけが頼りの今の中国が「左翼的」ねえ。

最近の感覚では、ハーヴェイの本などに見られるように、むしろ英米とならぶネオ・リベラリズムの先兵というのがふつうの見方かと思っていただけに、かえって新鮮な感じです。

ま、「サヨク」って言葉が、あまり内容を指し示す効果を持たない、単なるけなし言葉になっているということのあらわれでしょうか。少なくとも、今の中国が「ソーシャル」とは口が裂けても言えないでしょうから。日本はあまりにも「社会主義的」だ、もっと中国を見習って資本主義に邁進せよ、と叱咤される方々も多いようですし。

>しかし、それにしても、

現存する独裁国家の権威主義はあまりにも鼻につく。

比較の対象となるべき現存する右翼的な独裁国家が

まったく存在しないことにもよるのだろうが、、、、

いや、だから、市場原理主義と愛国主義に立脚する「共産党」という名の独裁政権をはなから「右翼的」という形容詞から排除しているから「まったく存在しない」と見えるだけなんじゃないかと。

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本日100万件突破

ということで、読者の皆様のお陰でこのブログも、右上のカウンターにありますように、無事100万件を突破いたしました。心より御礼申し上げます。

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外国人専門職・技術職の雇用問題

03027484 明石書店から出版された塚崎裕子著『外国人専門職・技術職の雇用問題 -職業キャリアの観点から 』を謹呈いただきました。ありがとうございます。

http://www.bk1.jp/product/03027484

著者の塚崎裕子さんは、

>1961年東京生まれ。東京大学法学部卒業。労働省、政策研究大学院大学助教授等を経て、内閣府男女共同参画局推進課長。

というわけで、大学における私の前任に当たりますが、その後内閣府で男女共同参画関係の仕事をしながら、ライフワークとしての外国人問題に取り組んでこられました。

内容は、

>少子高齢化が進み、労働力供給も次第に抑制されていくことが見込まれる中、日本の労働市場で外国人は重要なプレイヤーとなりつつある。専門的、技術的分野の外国人の雇用の現状と課題を追究し、現実に即した政策提言を放つ。

外国人問題というと、どうしても単純労働力問題が中心になりがちですが、本当の意味での高度人材の外国人というもう一つの重要な問題領域を分析した貴重な本だと思います。

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ポストケインズ派経済学入門

41eprwrt0vl ナカニシヤ出版から発行されたマルク・ラヴォワ著、宇仁宏幸・大野隆訳の『ポストケインズ派経済学入門』を謹呈いただきました。

ナカニシヤさんのHPの紹介ページはここです。

http://211.9.219.130/modules/myalbum/photo.php?lid=466&cid=59

私の下手な言葉で紹介するよりも、こちらの方がいいと思うので、

新自由主義に対抗するポストケインズ派の理論と政策。
市場への介入と完全雇用政策を主張し、自由市場政策と新古典派経済学への体系的な代替案を提示するポストケインズ派。従来難解で知られたその理論を初学者向けに平易に解説し、その政策的インプリケーションを明らかにする画期的入門書。

「Ⅵ おわりに」より
 ケインズに触発されたポストケインズ派は、資本主義を自発性と技術革新を促進するシステムであるとみる。とくに、所得分配や、すべての社会階層への公的サービスとインフラの提供に関して、資本主義は、その欠点とその過剰を処理できる国家や民主的な制度によって支えられるならば、効率的な経済システムとなりうる。
 本書の一貫した基本的テーマの1つは、自由放任状態にある資本主義は、破壊的な競争と浪費を招くということである。すなわち、国家介入がなければ、資本主義は不安定性と景気循環を生成する。そして資本主義それ自体は、完全雇用も十分な水準の総需要のいずれも保障できない。
 新古典派経済学とは対照的に、ポストケインズ派は、この資本主義の不安定性を、競争力や競争メカニズム、もしくは価格柔軟性の欠如の結果であるとは考えない。それどころか、価格管理、慣習、(資本の自由な移動の制限といった)規制が、経済システムの安定性を強化するとポストケインズ派は信じている。

目次は:

日本語版への序文
はじめに

Ⅰ ポストケインズ派という異端
 1 誰がポストケインズ派なのか
 2 異端派経済学の特徴
 3 ポストケインズ派経済学の本質的特徴
 4 ポストケインズ派理論のさまざまな潮流

Ⅱ 異端派ミクロ経済学
 1 消費選択理論
 2 寡占的な市場と企業の諸目的
 3 費用曲線の形状
 4 価格設定
 5 費用マージンの決定要因
 6 マクロ経済理論にとっての含意

Ⅲ マクロ経済的貨幣サーキット
 1 ポストケインズ派の貨幣分析のおもな特徴
 2 民間銀行と中央銀行の関係
 3 銀行と企業の関係
 4 貨幣的経済の体系的見方

Ⅳ 短期:有効需要と労働市場
 1 有効需要とその構成
 2 カレツキ・モデル
 3 カレツキ・モデルのさらなる展開

Ⅴ 長期:古い成長モデルと新しい成長モデル
 1 古いポストケインズ派成長モデル
 2 新しいカレツキ・モデル
 3 カレツキ・モデルの拡張と批判

Ⅵ おわりに

参考文献

訳者あとがき
索引

「はじめに」の次の文章が興味をそそります。

本書は、新古典派理論とは逆の、以下の命題を論じることに全力を挙げる。

・有効需要が増加しても、必ずしも価格は上昇しない。

・最低賃金や実質賃金が増加しても、失業は拡大しない。

・実質賃金が増加しても、利潤は減少しない。

・貯蓄率が低下しても投資は減少しないし、経済成長も低下しない。

・価格の伸縮性は、産出水準の均衡(もしくは最適値)に経済を導かない。

・財政赤字は、インフレーションも利子率の増加ももたらさない。

(追記)

そのあとにはこういう言葉が続きます。

>経済的な至福を得るためには、社会が緊縮政策に耐え忍ばなければならず、しかも、自由競争で勝たねばならないという、主流派経済学が作った想定のために、多くの人が、経済学に「憂鬱な科学」というレッテルを張る。しかし、対照的に、ポストケインズ派経済学は、根本的に異なったメッセージを送る。私の観点から見ると、より積極的で心躍るメッセージである。それは、競争や対立よりもむしろ、協力がよりよい結果をもたらすというメッセージである。実際、(新古典派経済学が重視する)希少性という概念は、脇に置いておくことができる単なる知的構成物であるに過ぎない。

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人事部の仕事

日経ビジネスオンラインに高橋伸夫先生が出てきて、成果主義批判をされています。

http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/nbonline.cfm?i=2008063000770cs&p=1

http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/nbonline.cfm?i=2008063000770cs&p=2

http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/nbonline.cfm?i=2008063000770cs&p=3

内容は『虚妄の成果主義』そのままですので、いちいち引用しませんが、3頁目のこの一節は目にとまりました。

>成果主義の導入を巡って、企業のトップ、管理職、そして労働組合までもが無責任になってしまった。「誰も守ってくれない」と社員は不安を募らせています。これはトヨタ自動車の人事部の方に聞いた話ですが、同社の人事部の仕事は毎年1回、「従業員の生活は会社が守る」と社長に言ってもらうことだそうです。その一言さえあれば、あとは人事部がどんな人事施策を出しても、従業員は受け入れてくれるということでした。

このように「従業員の生活を守る」と明言する会社は今、ほとんどなくなりました。それどころか、トップが従業員の「自己責任」を強調する。これでは従業員の士気は低下する一方です。

そうだったんですか。

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脱藩官僚?脱力官僚?

朝日から、

http://www.asahi.com/politics/update/0616/TKY200806150214.html

>「脱藩官僚」が政策点検集団 脱・官僚国家目指し発足へ

>中央省庁を退職し、官僚主導の政治に批判的な「脱藩官僚」が、政策集団を結成することになった。政府が打ち出す政策を点検し、官僚による「骨抜き」をあぶり出す狙い。近く発起人会を立ち上げてメンバーを公募し、8月下旬にも召集される臨時国会前に設立総会を開く予定だ。

 名称は「官僚国家日本を変える元官僚の会」。省庁再編を進めた橋本元首相の秘書官だった江田憲司衆院議員が呼びかけた。「ゆとり教育」の旗振り役だった寺脇研氏らが発起人を務める。

 出身省庁の支援を受けていないことが参加条件。特定の政治路線と結びつかないよう、既成政党の議員や候補者は対象としない方針だ。

 設立趣意書で「多くの政治家が官僚の手のひらの上で踊っている」と指摘。将来は霞が関と対抗するシンクタンクを目指す。霞が関改革が与野党の結集軸となれば、政界再編にも影響を与えそうだ。

何もコメントしません。この面子を見ただけで、からだじゅうに脱力感がみなぎってくるのを禁じ得ないのではないですかね。

>■「官僚国家日本を変える元官僚の会」の発起人

江田憲司 衆院議員(52)旧通産省=代表

寺脇研 京都造形芸術大教授(55)文科省

高橋洋一 東洋大教授(52)財務省

上山信一 慶大教授(50)旧運輸省

福井秀夫 政策研究大学院大教授(49)旧建設省

木下敏之 元佐賀市長(48)農水省

岸博幸 慶大教授(45)経産省

石川和男 新日本パブリック・アフェアーズ上級執行役員(42)経産省

ただ、この記事の文体からすると、朝日の記者さんは大変こういうコーゾーカイカクまんせーの「志士」官僚に感情移入しておられるようで。何とかチルドレンにもよくあるたぐいですが、こういう手合いが、一番国民に惨憺たる被害を及ぼすことになるのですがね。

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松尾匡「はだかの王様の経済学」

41bye34nctl 松尾匡さんの新著『はだかの王様の経済学』は、『近代の復権』で示された松尾流マルクス解釈を分かりやすく説明すると共に、それが最先端のゲーム理論と一致することをクリアに教えてくれる名著です。

中身については、別のところで詳しく解説されていますので、そこにリンクを張っておいて、

http://d.hatena.ne.jp/econ-econome/20080612/p1

私が違和感を感じたところだけちょっと。それはやっぱり、最後の処方箋としてのアソシエーションのところです。

そのご立派なアソシエーションがまさに疎外が生み出すはだかの王様にならない保障はどこにあるんだろう、と。

いや、理論的にどうこうというよりも、まずはこういう実例が頭に思い浮かんでくるものですから。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/yutaka.html(ゆたか福祉会事件評釈)

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松尾匡さんの右翼左翼論

松尾匡さんの新しいホームページに、用語解説として「右翼と左翼」が加わっていたことに気付きました。

http://matsuo-tadasu.ptu.jp/yougo_uyosayo.html

社会科学分析の枠組みとしては極めてすっきりしていることはよく理解できますし、

http://critic3.exblog.jp/8501792/

のような「ちょいとでも中国を批判したら右翼だ」みたいなのを見ると、そういいたくなるのも判りますが、しかしやっぱりそれは無理でしょう(ちなみに、チベット問題で中華人民共和国側の意見を聴くべきだというのはまことにその通りであって、それはいわゆる「歴史問題」で大日本帝国側の言い分を聞くべきだというのと全く同程度に正当ですが)。

松尾さんの枠組みでは、右翼vs反右翼の軸と左翼vs反左翼の軸はお互いに独立であり、この二つの軸で世の中が4つの象限に分けられます。

右翼かつ左翼

右翼かつ反左翼

反右翼かつ左翼

反右翼かつ反左翼

これは、最初の軸の定義にのみ立脚して考えればまことに一貫していますし、その枠組みの中では無矛盾的に議論を展開することができるのは確かですが、いかんせん、「右」と「左」という日常言語においてもっとも典型的なアンチニムであるプリフィックスを相互に独立な二つの軸に振り分けるというところが致命的でありまして、まあ日常言語をテクニカルタームに転用するという社会科学に宿命的な問題の一環ではあるのですが、人間の頭がついていかないという最大の弱点があるわけです。

右の反対は左じゃない、左の反対は右じゃない、というのは、日常言語から切り離された抽象的思考をするのに慣れた方々にとっては何とか可能かも知れませんが、世俗に生きる市井の人間たちにとっては日々の思考回路にかなりの苦痛を伴う無理を効かせることになり、それを徹底させることはどうやってみたって無理でしょう。

どうしてもというのであれば、世界は3次元からできているわけですから、「前翼」と「後翼」とか、「上翼」と「下翼」とかという用語をひねり出すという手もありますが、これはこれで問題がありそうだし、人が使わなければどうしようもないわけで。

いや、松尾さんの解説は実に極めて明晰なんですよ。ただ、それは世間で「右翼」「左翼」という用語が用いられるときにそれを解読する測定器として有用であるということであって、人にこういう風に使えというのはそれはなかなか無理でしょうということで。

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「労働は神聖である」岩波茂雄

Acd0804250303000p1 別に、皮肉でも何でもなく、産経新聞で岩波茂雄の書いた「労働は神聖である」という言葉を紹介しています。

http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080425/acd0804250303000-n1.htm

>長野県の農家の長男に生まれた茂雄は1913(大正2)年、東京・神保町で岩波書店を創業した。社のマークは働く姿を描いたミレーの「種をまく人」をイメージしたもの。この言葉をモットーに晴耕雨読を好んだ。昭和21年4月25日没。

まあ、しかし、正論欄を見ていても判るように、ネオリベ、リバタリアンとともに、むしろ右派コミュニタリアンも産経文化人の重要な一翼ですから、この言葉に共感を感じる土壌はあるのだと思われます。

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ご自分の診療報酬は大事だが・・・

「医師に労基法はそぐわない」と断言された久坂部羊氏、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_6cc3.html

> 医師に労基法を適用して、臨床研修制度が大きな矛盾を抱えたことは記憶に新しい。研修医に30万円程度の給料を保障したため、指導医のほうが安月給になったり、週末や当直明けを休みにしたため、研修医の一部が、医師のありようを学ぶ前に、休暇の権利を覚えたりするようになった。

 医師の勤務が労基法に違反している云々(うんぬん)などは、現場の医師にとっては寝言に等しい。医師の激務や待遇の改善は必要だが、今さら労基法を当てにする者など、まずいないだろう。万一、医師が労基法の適用を求めだしたら、現場はたいへんな混乱になる。

今度はご自分の勤める在宅医療専門のクリニックの関連の診療報酬が引き下げられたと大変お怒りのご様子です。産経のコラム「断」

http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080420/acd0804200244001-n1.htm

>平成20年度の診療報酬改定が発表された。私は在宅医療専門のクリニックに勤めているので、その関連の項目に着目したが、改定の内容を見て驚いた。

 在宅医療には、24時間対応を含む総合的な診療の費用として、「総合管理料」という項目がある。いわば1カ月分の基本料である。それが有料老人ホームなどの施設に入っている高齢者の場合、これまでの4200点(4万2000円)から3000点(3万円)に下がっているのだ。

 同様に、特定施設に入所している患者への訪問診療も、1回830点(8300円)から一挙に200点(2000円)に下がっている。こんなバカな値下げ幅があるだろうか。これまでと同じように往診しても、4分の1以下の診療報酬になるのだ。

 政府は社会的入院による医療費削減のため、施設入所者を含む在宅医療の導入を進めてきた。そのため在宅医療が優遇されてきたのは事実だ。しかし、今回のような極端な切り下げをすれば、せっかく根づきかけた在宅医療が、立ち消えになりはしないか。

 今回の切り下げは、施設の入所者が対象で、自宅で在宅医療を受ける患者は除外される。施設の高齢者を多く診ている医師の撤退が危ぶまれる。理由の説明もなく、いきなり診療費を大幅にカットされて、それでも患者を見捨てない立派な医師は、どれだけいるだろうか。

なるほど、一睡もせず36時間連続操業で働く救急医療の現場の医師が労働基準法なぞを持ち出すのは笑止千万で、患者を見捨てるなどとんでもない、過労死するまで働くのが当然だが、在宅医療専門クリニックの医師は診療報酬をカットされたら患者を見捨てるのが自然だ、と。

いやいや、よく判りました。

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白山ひめ神社御鎮座二千百年式年大祭

これはまったく労働法政策とは関係ありませんが、ある政治的主張を通すために、一見使いやすい「正義」を持ち出した結果、それが暴走してとんでもない方向に走ってしまう一つの事例として。

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20080417102937.pdf

平成20年04月07日名古屋高等裁判所 金沢支部

白山ひめ神社御鎮座二千百年式年大祭奉賛会損害賠償請求控訴事件(平成19(行コ)11)

>白山市長であるAが同市の職員を同行して白山ひめ神社御鎮座二千百年式年大祭の奉賛会発会式に出席し白山市長として祝辞を述べたところ,白山市の住民である控訴人が,上記行為は,特定の宗教を助長,援助,促進する効果があり,政教分離原則に違反し違憲であり,これに伴う公金支出は違憲・違法であるとして,地方自治法242条の2第1項4号本文に基づき,白山市の執行機関である被控訴人に対し,Aに対して,上記支出額相当の損害賠償金1万5800円及び遅延損害金を白山市に対して支払うよう請求することの義務付けを求めた住民訴訟の控訴審。

>白山市長が来賓として白山ひめ神社御鎮座二千百年式年大祭の奉賛会発会式に出席し白山市長として祝辞を述べた行為が憲法20条3項の禁止する宗教的活動に当たり,これに関する費用等につき公金を支出することは違法であるとされた事例

政教分離というのはもちろん一つの正義ではありますが、世界遺産登録をめざす白山の伝統文化の中心である白山ひめ神社の2100年式年大祭で式辞を述べるのまで違憲だなどという馬鹿げた結論が出るなどと云う事態はやはり異常でしょう。

もともと、この手の訴訟は、靖国神社とか護国神社といった明治に作られた国家神道のナショナリズム機能に対する政治の関与を追及することが主たる目的だったのではないかと思われます。それについてはいろんな考え方があるでしょうが、少なくとも、国家のために命を投げ出した戦死者を追悼することを通じて近代的ナショナリズムを推進しようという立場をめぐる論争なのであって、こういう固有信仰に一切公的部門がかかわるななどという話ではなかったと思うのですが。

まあ、しかし、憲法20条の政教分離という便利なものを使えば追及しやすいものだから、もっぱらそればかり使っていくと、その本来の目的から乖離して勝手に暴走をはじめ、なにやらおよそ宗教的な行事にちょっとでもかかわれば違憲だみたいな信じがたい方向に突き進んでしまうわけです。

この手の訴訟は最初からねじれているんですが、最初はねじれながらもその意図はある意味明確であったものが、ねじれた議論をねじれたまま無理やりに突き進めていくと、こういうまったく訳の分からないところにいってしまう。

他の分野でも気をつけるべき点でしょう。使いやすい正義に過度に頼ると必ずそのツケが回ります。

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財金分離2

別に欧州労連が大したことを言ってるわけではなくて、これがごく普通の反応でしょう、というだけなんですが。

http://www.etuc.org/a/4761

>Demand side problems need to be solved primarily by demand side policies. Casino capitalism gone out of control should be addressed by financial market re-regulation. Abusing the crisis to push through an unwarranted deregulation of labour markets and worker rights will add more insecurity and simply make matters even worse.

>The right response to prevent the European economy from following the US economy down the hill is to intervene on exchange markets to stabilise the euro, to cut interest rates and boost public investments in order to strengthen domestic demand. It is not to using the economic crisis as an alibi to push through fake structural reforms.

日本の労働組合が組織的に多くの票を差し上げている某政党は、円を安定化し、利率を下げ、公共投資を拡大することには興味がなく、似非構造改革のアリバイに経済危機を使おうという方々なのでしょうか。

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財金分離

これは直接労働法政策には関係ないのですが、日本の労働組合のナショナルセンターが組織的に支持している政党が、中央銀行総裁候補を認めるかどうかの基準として、財政と金融の分離、つまりどんなに景気が悪化して労働者がひどい目に遭おうとも、断固として中央銀行の独立性を守るべし、という超タカ派的思想を明確にし、あまつさえ、低金利政策をとり続けたことを理由に反対するという事態は、もちろんいろんな考え方があってもいいわけですが、比較政治的には極めて奇妙な事態とは言えるでしょうね。

通常、まあ何が「通常」かは人によっていろんな考え方があるでしょうが、少なくともヨーロッパでは、労働組合や社会民主主義政党は、中央銀行の独立性には否定的で、政治的要請に迅速に応じて、できるだけ金利を低くしろというのが通常であるように見受けられますので、多分、連合の支持政党はそれとは正反対の経済思想をお持ちなのだろうなあ、と思うだけですが。

参考までに、最近の欧州労連の欧州中銀に対する発言です。

http://www.etuc.org/a/4374

>ETUC expresses disbelief over ‘hawkish’ messages coming from the European Central Bank

At the meeting of the governing council of the European Central Bank (ECB) last Thursday, council members are reported to have discussed the possibility of raising interest rates. The European Trade Union Confederation (ETUC) finds this attitude unhelpful and calls instead for a cut in interest rates to address the unfolding economic slowdown.

With three month inter-bank interest rates shooting up to 4.86%, the financial crisis is intensifying. Higher finance costs, together with tightening credit standards and an overvalued euro exchange rate, are working to produce a significant slowdown in growth. To avoid a new slump in growth, interest rates should be cut, not raised.

http://www.etuc.org/a/4540

>European Central Bank must respond to wake-up calls

The European Trade Union Confederation (ETUC) calls on the board of the European Central Bank (ECB), meeting today in Frankfurt, to abandon its outdated theoretical monetary approaches and instead open its eyes to economic reality.

At the current time:

Strong transatlantic economic ties mean the euro area will not escape recession in the US economy.

The Federal Reserve’s policy of aggressive rate cuts will work to undermine the dollar and the euro area’s competitive position.

The subprime-induced financial crisis has not been contained at all, but is spreading in an alarming way. Potential investors are confronted with a credit squeeze as well as higher credit costs.

Business cycle indicators are going down, indicating growth prospects are shallow.

http://www.etuc.org/a/4692

>The ECB must respond to the strengthening euro

European Central Bank (ECB)and euro area finance ministers should take action to adjust the value of the EU currency, instead of hiding behind US policy-makers, urges the European Trade Union Confederation (ETUC).

The euro exchange rate has recently breached the 1.50$ barrier. The euro’s continuing appreciation is becoming alarming. An excessively expensive euro will cost European jobs, coming as it does on top of other setbacks to growth (the sub-prime financial crisis and credit squeeze, the US recession, and the end of the construction boom in several EU countries).

The ETUC calls on the Governing Council of the ECB, which meets today, to recognise at last that the balance of risks has shifted and that the threat to growth is now so serious that an urgent cut in interest rates is required.

(追記)

つまり、連合が組織的に支持している政党は、階級論的分析からするとですな、労働者階級でもなければ企業家階級でもなく、金利生活者階級の利益をひたすら追求する政党であるということに相成るわけなんですが、そんなことでええのですか?と誰か言わんのかねえ。

ちなみに、はてぶで「反リフレを標榜するhamachan先生」と言われていますが、

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_8e8c.html

いや、私は反「特殊日本的な99%フリードマン主義者のリフレ派」なだけで、「反リフレ」を標榜した覚えはありませんが。

そんなの、インフレは目減りにより金利生活者に損失を与え、デフレは失業により労働者に損失を与えるなんてことは、ケインズ先生が大昔から言ってることでしょう。

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電波により頭の中の考えが字や映像になったり,指をさされたり,右,左手を上げたり,いる場所がわからないのに人がくる理由がわかる文書

これは雑件です。

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20080207142424.pdf

平成18年03月10日東京地方裁判所判決(平成17(行ウ)547)

主文

1 本件訴えのうち行政文書開示決定の義務付けを求める部分を却下する。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1 請求

1 総務大臣が原告に対し平成17年8月19日付けでした行政文書不開示決定を取り消す。

2 総務大臣は,原告に対し,原告が平成17年8月1日に開示請求をした行政文書の開示決定をせよ。

第2 事案の概要

本件は,行政機関の保有する情報の公開に関する法律(以下「情報公開法」という)4条1項の規定に基づいて,総務大臣に対し,行政文書の開示請求をした原告が,文書不存在を理由に不開示決定を受けたことから,当該不開示決定の取消しと,開示請求に係る行政文書の開示決定の義務付けを求める事案である。

1 前提となる事実

原告は,平成17年8月1日,情報公開法4条1項の規定に基づき,総務大臣に対し,請求する行政文書の名称等を「電波により頭の中の考えが字や映像になったり,指をさされたり,右,左手を上げたり,いる場所がわからないのに人がくる理由がわかる文書」として,当該文書の開示請求をした(以下当該文書を「本件文書,当該開示請求を「本件開示請求」という(乙1 。。) )
総務大臣は,平成17年8月19日,本件開示請求について「開示請求に係る行政文書を作成・取得しておらず,文書不存在であるため」との理由を付して,本件文書を不開示とする決定(以下「本件不開示決定」という)をするとともに,これを原告に通知した(乙2 。。)
原告は,平成17年8月29日,本件不開示決定を不服として,総務大臣に対し,異議申立てをするとともに(乙3 ,同年11月16日,本件訴訟)を提起した。
総務大臣は,情報公開・個人情報保護審査会への諮問を経て,平成17年12月28日,原告に対し,前記の異議申立てを棄却する旨の決定をした(乙7ないし乙9 。)

2 当事者の主張

被告の主張

ア 本件不開示決定の取消請求について

本件文書は,電波によって直接的に,人の思考が字や映像にされ,又は,人が指を指す,手を上げる,若しくはその人には分からないはずの他人の居場所を訪れることがあるという前提で,そのような現象が起こる理由について明らかにする文書であると考えられる。
しかしながら,電波によって上記のような現象が引き起こされるとは想定されていないことから,総務省においては,当該現象に関する調査,研究等は実施していない。
また,総務省において,このような現象が起こる理由を明らかにする行政文書の有無につき,事務室及び書庫の探索を行ったほか,関係部署にこれを保有していないか照会したところ,そのような文書は存在しないことが確認された。
以上によれば,本件文書は存在しないことが明らかであるから,本件不開示決定は適法であり(情報公開法9条2項,その取消しを求める原告)の請求には理由がない。

イ 行政文書開示決定の義務付けの訴えについて

本件不開示決定は適法であり,取り消されるべきものではないから,本件開示請求に対する開示決定を求める原告の訴えは不適法である(行政事件訴訟法37条の3第1項2号。)

原告の主張

原告は現在も頭(脳)の中に電波を入れられているということは,電波が人体に与える影響に関する研究などを原告の脳を使って医学的及び工学的な観点から研究しているのと同じである。総務省は,生きた人間,生命,人体を使って研究を進めているのであるから,本件文書を開示すべきである。

第3 当裁判所の判断

1 本件不開示決定の取消請求について

情報公開法の規定に基づいて行政文書の開示請求を受けた行政機関の長は,開示請求に係る行政文書を保有していないときは,開示をしない旨の決定をすることとされている(情報公開法9条2項。)
本件文書の存在に関しては,総務大臣が,情報公開・個人情報保護審査会に対し平成17年10月6日付けで提出した諮問書添付の理由説明書の中で,「総務省では,電波を安全に安心して利用できる環境を確保するため,電波が人体に悪い影響を与えないよう電波防護指針に基づいた規制を行っているほか,電波防護指針の基準値よりも弱い電波であっても人体に何らかの影響があるのではないかとの懸念に応えるため,電波が人体に与える影響に関する研究の推進等を行っているところである。電波が人体に与える影響に関する研究については,国際保健機関(WHO)等を中心とした国際機関とも協調し,電波が,がんの発生,免疫機能,神経系等に与える影響について医学的及び工学的な観点から,研究を進めているが,不服申立人が主張する『頭の中の考えが字や映像になったり,指をさされたり,回りの人が右,左手を上げたり,いる場所がわからないのに人がくる』という現象が,電波によって引き起こされるとは,想定されていないことから,当該現象に関する調査及び研究は実施しておらず,さらに,不服申立人が存在を主張する行政文書の有無について,事務室及び書庫の探索を行ったほか,省内関係部署が作成又は取得した事実がないか照会を行ったところ,不服申立人が存在を主張する行政文書は存在しないことが確認できたので,総務省において該当する文書を作成又は取得したことはないと説明している(乙7 。また,総務省総合通信基盤局総務課調査係の担当職員が,平成17年9月1日,本件文書を保有していないかどうかを総務省内の関係部署に照会したところ,いずれの部署からも,保有していない旨の回答があったことが認められる(乙10の1,2 。)
社会通念上「電波により頭の中の考えが字や映像になったり,指をさされ,たり,右,左手を上げたり,いる場所がわからないのに人がくる」という現象が客観的に存在するものとは認められず,当該現象に関する調査及び研究が総務省その他の関係機関において実施されているものとは容易に想定し難いから,当該現象が生じる理由について説明した文書が存在する蓋然性もまた,極めて低いものといわざるを得ない。このことと,上記のような総務大臣の説明及び総務省内の関係部署からの回答の状況とを併せ考慮すれば,本件不開示決定が行われた当時において,本件文書は不存在であったものと認められる。したがって,文書不存在を理由として本件文書の開示をしないこととした本件不開示決定は適法である。

2 行政文書開示決定の義務付けを求める訴えについて

本件訴えのうち行政文書開示決定の義務付けを求める部分は,情報公開法による開示請求に対して不開示決定がされたことを不服として,当該開示請求に係る行政文書の開示決定をすべき旨を命ずることを求める訴訟であるから,行政事件訴訟法3条6項2号の義務付けの訴えに該当するものである。
ところで,行政事件訴訟法37条の3第1項2号は,同法3条6項2号の義務付けの訴えは,申請を却下し又は棄却する旨の処分がされた場合においては,当該処分が取り消されるべきものであり,又は無効若しくは不存在であるときに限り,提起することができると定めている。
これを本件についてみると,本件不開示決定が取り消されるべきものでないことは前記1に説示したとおりであり,同決定が無効又は不存在でないことも明らかである。
そうすると,本件の義務付けの訴えは,行政事件訴訟法37条の3第1項2号の要件を満たさないから,不適法な訴えであるといわざるを得ない。

第4 結論

以上の次第で,本件訴えのうち行政文書開示決定の義務付けを求める部分は不適法であるから却下し,原告のその余の請求は理由がないから棄却することとし,訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第3 部
鶴岡稔彦裁判長裁判官
古田孝夫裁判官
潮海二郎裁判官

ということですが、ふむふむ、総務省総合通信基盤局総務課調査係の担当職員の方は「このような現象が起こる理由を明らかにする行政文書の有無につき,事務室及び書庫の探索を行ったほか,関係部署にこれを保有していないか照会」されたんですねえ、ご苦労様でございました。

(追記)

いや別に本件原告の方を誹謗中傷しようなんて、そんな畏れ多いことを考えているわけではありませんよ。本件訴訟はまことに適法です。だって、総務省設置法にもちゃんとこう書いてあるんですから。

総務省設置法
(平成十一年七月十六日法律第九十一号)

  第二節 総務省の任務及び所掌事務

第四条  総務省は、前条の任務を達成するため、次に掲げる事務をつかさどる。
・・・・・・
七十一  電波が無線設備その他のものに及ぼす影響による被害の防止又は軽減に関すること。

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佐藤優氏の警告

アホなSAPIO右翼が、嫌韓、嫌中のノリで沖縄叩きに熱中していることに対して、まともな保守主義者の佐藤優氏が少し前のサンケイビジネスアイで的確な一言を述べています。

http://www.business-i.jp/news/sato-page/rasputin/200710030005o.nwc

>沖縄県民と沖縄以外の日本国民の間で、明らかに歴史認識に対する差異が生じ始めている。この問題を放置すると日本において、沖縄とそれ以外の地域の間にヒビが入る危険性がある。いったん、ヒビが入れば、それにちょっとした刺激が加わると亀裂が広がり、日本国家が内側から崩れ始める危険がある。また、このような歴史認識のすき間に中国が「どうも日本国内にも歴史問題があるようですね」と付け込んでくる危険性がある。国家主義者として筆者は沖縄で現在生じている事態に強い危惧(きぐ)を覚える。

近年のナショナリズム論をひもとくまでもなく、あるエトニーがネーションとして自己意識するか否かは産業化における様々な条件でどちらにも行きうるものですから、沖縄人が韓国人や中国人のような感覚で日本(ヤマト)人を見るように仕向ければ、そういう方向に展開する可能性はいくらでもあるわけです。

考えてみれば、本土復帰運動が盛んだった頃、本土の日教組が日の丸反対闘争をやっているのに、沖縄の教組は日の丸を振る運動をやっていたわけですが、これを一次元的論理で矛盾と評したところで何の意味もなく、むしろそれなるがゆえに琉球ナショナリズムを喚起することなく、「平和な本土」への復帰が政治象徴として有効たり得たのでしょう。まことに日本国家の国益に大きく貢献したと云うべきでしょう。

もし当時SAPIO右翼みたいなのが今の調子で本土復帰を唱えていれば、「また集団自決の悲劇が繰り返されるぞ」などという政治宣伝のいい材料になったかも知れません。この辺の政治センスがあるかどうかが、話のできる人間かそうでないかの分かれ道なんですがね。

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「食の安全」で本来考えるべきこと

私の見る限り、この問題に関するもっとも的確な発言でしょう。

http://kgotoworks.cocolog-nifty.com/memo/2007/11/tbs_ce4d.html後藤和智の雑記帳

>そもそも「食の安全」が脅かされていると言われる昨今の「事件」においていったい何人の人が死んだのだろうか。こういうことを考えるのは極めて愚かなことはわかっているけれども、このような「事件」が騒がしく取り沙汰されることによって、他に採り上げられるべき問題が隠蔽されてしまう。というよりも、今この状態で集団食中毒なんて起こったら、果たしてどのような反応をマスコミはしてしまうのだろう。

>我が国においては食品の安全管理はかなり徹底されており、渡辺正が言っているとおり「普通に生活している分には何の問題もない」。さらに言うと、これらの「事件」は、ただ単に賞味・消費期限の表示が偽装されていただけで、製造工程で異常なまでの菌が入っていたなどの、真に危険視すべき情報は(少なくとも報道に依拠する限りでは)ない。

>「食の安全」で本来考えられて然るべきことは健康とリスクの観点であり、「日本人の感性が衰退した」などという反証不可能かつ左翼くずれ高齢者層の「癒し」にしかならないことを述べるのは論外もいいところだ。

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君たちに明日はない

51eljayqhl_ss500_ 軽い小説ですが、ちょいと塩味が聞いていてなかなか。

まあ、まったく労働法に関係がないわけではないので、雑件扱いですがご紹介しておきます。

垣根涼介

君たちに明日はない

新潮文庫

http://www.shinchosha.co.jp/book/132971/

>リストラ請負人、村上真介は今日も行く。彼を待ち受けるのは、部下に手をつけるセクハラ上司、管理能力ゼロのオタク主任、お上に楯突くキマジメ社員……。山本周五郎賞受賞作。

>「私はもう用済みってことですか!?」リストラ請負会社に勤める村上真介の仕事はクビ切り面接官。どんなに恨まれ、なじられ、泣かれても、なぜかこの仕事にはやりがいを感じている。建材メーカーの課長代理、陽子の面接を担当した真介は、気の強い八つ年上の彼女に好意をおぼえるのだが……。恋に仕事に奮闘するすべての社会人に捧げる、勇気沸きたつ人間ドラマ。山本周五郎賞受賞作。

「労働基準法により解雇が禁じられている」とかのいささかな記述もあって、をいをいですが、まあ読んで面白い小説であることは間違いありません。筑波大卒という真介の設定は著者の自画像?

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Watashi wa kila dess

ブリュッセルの公園で屍体が発見され、その傍に「Watashi wa kila dess」という紙が落ちていたという事件。調べてみると、ブリュッセル南郊のドゥーデン公園、私が10年ほど前に住んでいたところから歩いて1キロちょっとのところではありませんか。ブルブル。

まあ、私がいた頃から日本マンガは流行っていましたが、ますます盛んなようで、この点については麻生前幹事長と同意見ですが、しかしブリュッセルに「キラ」が出現するとはね。

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愉快な経験

>しばらく見ていないうちにhamachan先生がひどいめにあわされているようですが・・・・・

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20070927

いやいや、イナゴの親分の号令一下、どっとやってきたイナゴが口々に「天下りの低学歴男」と云いだしたのは愉快な経験でした。まあ、親分が、

>修士号もないくせに、役所の地位を利用して大学に天下った最低の人物が、「労働政策」を語るとは笑止千万です。

とけしかけているのですから、時津風部屋ではないですが、子分が金属バットを振り回すのはまあそういうものでしょう。

私が低学歴であることは隠れもない事実ですし、大学院でアカデミックなお勉強をしたのではなく、政策の現場で叩き上げた実務派ですから、教科書嫁族の皆様にはお気に召さないのはよく理解できます。

天下り大学のGRIPS(@池田信夫)のみならず、東大の大学院生までそんな低学歴の低能男の講義やゼミを聞かされていると知ったらもっと怒りまくるでしょうね。まあ、丈夫な大学の学生さんは高学歴な方に教わることができて大変幸せです。

おそらく、

>企業も組合も官庁も左翼も、すべてフリーターの敵というわけだ

が、修士号をもった自分は味方だと云いたいんでしょう。ただし勉強して修士号を取ってこいと。そういうのがギルド的思考なんですがね。

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いちいち叩いていたら身が持たないが

マスコミ界でやたらに威勢がいいらしい人がブログでこんなことを

http://blog.tatsuru.com/2007/09/21_1501.php

『文藝春秋special』に書いたものらしい。

>ある年代から上にとって、「やりがいのある仕事」というのは、「どこかで誰かの役に立っている仕事」のことを意味している。おのれ労苦の「受益者」がどこかにおり、その笑顔や感謝を想像することが労働のモチベーションを担保する。それが「やりがい」という語の意味だったはずである。
だが、この定義は若い世代にはもう適用できない。というのは、今ではどうやら個人の努力がもたらす利得を「私ひとり」が排他的に占有できる仕事のことを「やりがいのある仕事」と呼ぶ習慣が定着しているようだからである。
「受益者が私ひとり」であるような仕事を「やりがいのある仕事」と呼ぶ不思議な労働観が生まれたのにはもちろん理由がある。それは「受験勉強」の経験が涵養したものである。
受験勉強では努力と成果の間に「正の相関」があり、個人的努力の成果は本人が100%占有する。一生懸命勉強をして入試で高得点を取ったので、あまり勉強していなかった隣席のヤマダくんもその「余沢」に浴していっしょに合格できた、というようなことは受験勉強の場面では絶対に起こらない。
けれども、私たちの日々の仕事の現場ではむしろそちらの方が常態なのである。仕事のほとんどは集団の営為であり、利益は仲間の間で分配され、リスクはヘッジされる。人間的労働は集団的に行われることで効率を高め、危機を回避するメカニズムだからである。
受験勉強は将来の労働者を類別・序列化するためのシステムではあるが、それ自体は労働ではない。それを同一視して、受験勉強をする気分で労働の現場に踏み込んでくる若者は仰天してしまうのである。どうして、ここでは自分の努力の成果が自分に専一的にリターンされないのか?受験勉強的「成果主義」になじんだ子どもは、自分の努力が固有名での達成としてはカウントされず、集団で(それもろくな働きをしていない人間も含めて)分配しなければならないという「不条理」が理解できない。

>成人の労働の本質は、個人の努力が集団の達成に読み替えられる変換のうちに存する。自分の努力の成果が、できるだけ多くの他者に利益として分配されることを求めるような「特異なメンタリティ」によって成人の労働は動機づけられている。それが納得できないという人は成人の労働には向かない。事実、多くの若者たちが「三年で辞める」のはそのせいである。

>私たちが労働するのは自己実現のためでも、適正な評価を得るためでも、クリエイティヴであるためでもない、生き延びるためである。成人の労働ができるだけ多くの他者に利益を分配することを喜びと感じるような「特異なメンタリティ」を私たちに要求するのは、それが「生き延びるチャンス」の代価だからである。この代価は決して高いものだと私には思われない。

まず、集団のために個人が努力することが当該個人の「生き延びるチャンス」につながるような労働社会の在り方が必ずしも普遍的であるわけではないと云うことを理解していない。ここにも労働史に無知なまま好き勝手に書き殴るヒョーロン家氏。

大体受験勉強が激しかったのはより集団主義的労働観が普遍的であった時代、今の若者なんかより内田氏より年長の世代であろう。それだけ受験勉強的「成果主義」になじんだかつての若者たちが、それほど受験勉強に追われていない今の若者たちよりも、そういう「特異なメンタリティ」になじんでいったのはなぜなのだろうか?といった問いかけをする気もないらしいし。

こういうのが平然として通用するのが今の日本の論壇なるものなんですかねえ。

(追記)

そのすぐ下を見ると、自分でこう書いていた。判ってるじゃない。

http://blog.tatsuru.com/2007/09/20_2227.php

>さらに問題を困難にしているのは、(あまり大きな声では言われないが)「働くことの意味」を教えねばならない大学教師たちの過半は学生たちがこれから参入することになる会社組織というところで働いた経験がないという事実である。

>実は私もないのである。

判ってないことが判っているくせに知ったかぶったか・・・。

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「労働者」は死語

http://d.hatena.ne.jp/odanakanaoki/20070922#p1

>この本は「労働者」といういまや死語になりつつある表現が頻出しますが、それほど違和感がありませんでした。

そうか、「労働者」なんて言葉は今や死語になっていたんだ。

我々はゾンビを相手にしていたに違いない。

ね、労働法、労働経済、労働行政その他労働関係者の皆様。

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博物士さんの書棚

http://d.hatena.ne.jp/genesis/20070919

ずらりと並んだ(あるいは積み上げられた)マンガの片隅に、申し訳なさそうに「労働判例」DVD版の箱が・・・。

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どっちが正論?

産経新聞の「正論」欄はいつも正論が載っているはずなんですが、

http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/seiron/070901/srn070901000.htm

9月1日の佐伯啓思氏の正論と、

http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/seiron/070904/srn070904000.htm

9月4日の竹中平蔵氏の正論とは、

いずれかが正論であることはあり得ても、両者が同時に正論であることは不可能な関係にあるように思われます。

まあ、しかしこれは保守派メディアたらんとする産経新聞だけの問題ではなく、両足をそれぞれの相矛盾する「正論」に突っ込んだまま歩こうとする安倍首相自身の問題でもあるわけです。

おまけに、

http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/seiron/070829/srn070829000.htm

>法や政策を官僚抜きで作り「改革」を

などと、ポピュリスト的「正論」を吐く御仁もいらして、正論業界もなかなかダイバーシティの世界でありますな。

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コメント消失事件?

私が稲葉先生に因縁をつけた

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_d06d.html

に対し、稲葉先生がコメントをつけられたようなのですが、それが「よくわからない理由で消されました」と書かれています。

http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20070903/p1

「何かお気に触ったのでしょうか」とのことですが、お気に障るも何も、私は昨晩まったくアクセスして居らず、稲葉先生のコメントを消したりすることはあり得ません。どなたのコメントも書き込まれた形跡はありません。しかし、いったん書き込まれたものが消されたということになると、かなり問題ですし、稲葉先生以外にも被害にあっていらっしゃる方もいるやも知れず、対応を考える必要がありそうです。

もし、他にこのような被害に遭われた方がいらっしゃいましたら、ここにコメントをつけるか、それができないようであればメールでご一報いただければと思います。

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知の欺瞞は健在

こういうのを「こんな素朴マルクス主義説教」というようでは、その方がよっぽど・・・。

http://www.diplo.jp/articles07/0708-2.html

http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20070903/p1経由)

部分的に、いささかこれは?とか、おっとっと、というところもなきにしもあらずですが、このルーヴァン大学の物理学の先生、概ね正しい。とりわけ、

>ここで述べている意味での社会主義は、資本主義の発展に結びついた諸問題に対するきわめて自然な応答である。つまり、現在もはや社会主義が堂々と議論されることはほとんどないという事実は、現代社会で「教育」や「報道」と呼ばれる独特の教化洗脳システムの効果のほどを物語っている。

>社会主義の問題は、資本主義の危機や、自然の破壊(現実上か想定上かは問わない)、労働者階級の小市民化(現実上か想定上かは問わない)といった問題とは無関係である。自己の生を管理することが人間の基本的な願いである以上、社会主義の問題は生活水準が向上しても消滅することはない。社会主義の問題が提起されるために、(2度の世界大戦のような)破滅的な出来事が起こる必要もない。生物学的な欲求、すなわち生命を存続させるという欲求が充足されればされるほど、自律や自由という人間に固有の欲求の充足が、いっそう強く求められるようになるのである。

>社会主義がもはや、だれの興味も引かないと考えるのは間違いである。今なお左派が支持される分野があるとすれば、公共サービスの擁護や労働者の権利の擁護にほかならない。それこそが、資本所有者の権力に対する今日最大の闘争手段であるからだ。ヨーロッパ建設に暗黙のうちに含まれている政策プログラムは、民主主義的な見かけだけは残しながら、社会保障や普通教育、公的医療からなる「社会民主主義の楽園」の破壊をもたらすに至ったが、これらの制度は社会主義の萌芽的形態であり、現在も人々に大きく支持されているものだ。

といったあたりは、軽々しく読み飛ばす人間の知性の程度を明らかにするものでもあります。

また、左派が

>道徳を訴えることに専念して、反人種差別やフェミニズム、反ファシズムなどの「価値観」を振りかざした。これらの価値観をうたうことで、右派との違いを打ち出せると考えたからだ。

しかし、

>対立の根本は「価値観」の問題、とりわけフェミニズムや反人種差別のように、現代の右派が完全に受け入れる準備ができている問題にはない。

というのも、真剣に、骨の髄から考える必要のある話なんですね。ここでの言い方を使えば「リベサヨ」さんでは道は開けなかったということにつながるわけで。

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超リベサヨなブッシュ大統領

これも雑件ですが、突っ込むと日本の労働法政策ともつながってくるんですけどね。

http://www.asahi.com/international/update/0824/TKY200708240002.html

いやあ、云ってくれました。

>日本の軍国主義者・・・は、人類のあり方への無慈悲な考えに突き動かされていた。イデオロギーを他者に強いるのを防ごうと立ちはだかった米国民を殺害した。

>第2次大戦に着手した時、極東の民主主義国は二つしかなかった。オーストラリアとニュージーランドだ。日本の文化は民主主義とは両立しないと言われた。日本人自身も民主化するとは思っていなかった。

>結局、日本の女性は参政権を得た。日本の防衛大臣は女性だ。先月の参院選では女性の当選が過去最高になった。

>国家宗教の神道が狂信的すぎ、天皇に根ざしていることから、民主化は成功しないという批判があった。だが、日本は宗教、文化的伝統を保ちつつ、世界最高の自由社会の一つとなった。日本は米国の敵から、最も強力な同盟国に変わった。

こういう台詞を日本国内で戦後60年間吐き続けてきたのは、ブッシュ大統領の盟友の側ではなく、その反対側の人たちであったと云うところが、日米関係の歴史の皮肉という奴なんでせうねえ。

朝日新聞自ら指摘するように、「戦前の日本を国際テロ組織アルカイダになぞらえ」るような「粗雑な歴史観を露呈」しているわけですが、その台詞はほとんどそのままリベサヨな皆さんに降りかかってくるというわけで。「大正デモクラシーを経て普通選挙が実施されていた史実は完全に無視され、戦前の日本は民主主義ではなかった、という前提」で近代日本を語られたんじゃかないませんや、まったく。

ま、ここくらいまでは、ちょいとモノの分かったブロガーなら書いてるでしょうけど、その先があります。じゃ、なぜその日本が戦争に突入していったのか。多くの一見穏当な歴史観はそこで間違う。戦前の日本は立派にリベラルだったのに、軍国主義に席捲されたとか、そういう類のね。

戦前の日本が過剰にリベラルだったから、それに対するソーシャルな対抗運動が「革新派」として拡大していったからなんでね。まさに、ポランニーの云う「社会の自己防衛運動」。戦前の二大政党制の下では、本来そっちを取り込むべき立場にあった民政党は、確かに社会政策を重視し、労働組合法の制定に努力したりしたけれども、同時に古典派経済学の教義に忠実に従うあまりに金解禁を断行し、多くの労働者農民を不況の苦痛に曝すことを敢えて行うほどリベラルでありすぎたわけで。どっちにも期待できない労働者たちは国家主義運動に期待を寄せるしかなくなったわけで。

この辺、二大政党制に舞い上がりかけている民主党さんによーく歴史を勉強し直して貰わなければならないところでっせ。

夏休みの課題図書を増やすのは心苦しいのですけど、

http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480061577/

41h6rr4ey0l_ss500_

坂野潤治『昭和史の決定的瞬間』ちくま新書

この中味を簡単に喋ったものが、連合総研のDIOに載っていますので、そっちをリンクしておきます。

http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no156/leadersseminar.htm

(追記)著者と書名を書くのを忘れていました。

ちくま新書は玉石混淆ですが、これはもっとも読むに値する名著です。

せっかくなので、決定的瞬間、つまり広田弘毅内閣が退陣して、宇垣一成内閣が流産するあたりの記述をいくつか引用しておきます。

>「平和」と「反ファッショ」を掲げる「人民戦線派」は宇垣内閣の成立を期待し、「戦争」と「社会主義」を求める「広義国防派」は、宇垣内閣反対、林銑十郎内閣支持の立場

>筆者が近年、「平和」と「改革」の背反性という難問に直面しているからである。仮に「ファシズム」という便利な概念が存在しなかったとすれば、昭和12年1月の日本で、社会大衆党と既成政党のどちらをとるかは、大問題であったはずである。

>さらに、「戦争」と「平和」の問題に目をつぶれば、陸軍と結んでも資本家に打撃を与えようとする社会大衆党の立場は、十分に社会主義的であった。労働組合法はもちろん退職手当の法的保障にすら応じない資本家側の全国産業団体連合会の立場を、民政党も政友会も衆議院で忠実に代弁していたのである。

>そのような政友会と民政党が、「ファシズム」と「戦争」に反対するために宇垣一成内閣を支持しようと呼びかけても、社会主義者は簡単にはその呼びかけには乗れなかったのである。

>戦後の歴史学にあっては、一方の極に「平和と反ファシズムと資本主義」があり、他方の極には「戦争とファシズム」があったことが前提とされてきた。この図式を「ファシズム」抜きに歴史的事実に即して描き直せば、一方の極には「平和と資本主義」が、他方の極には「戦争と社会主義」があったことになる。宇垣一成内閣構想は前者を代表し、林銑十郎内閣構想は後者の支持を得ていたのである。

>社会大衆党の改革要求、資本主義批判を「ファシズム」の側に組み込んでしまっては、当時の日本の政治社会を理解できないのである。

(再追記)

ついでに、戦後歴史学では反戦平和の闘士としてもてはやされている斉藤隆夫、帝国議会で軍部を痛烈に批判した粛軍演説ですが、彼はその冒頭こういういい方をしているんですね。

>一体近頃の日本は革新論及び革新運動の流行時代であります。

>しからば進んで何を革新せんとするのであるか、どういう革新を行わんとするのであるかといえばほとんど茫漠として捕捉することはできない。

>畢竟するに、生存競争の落伍者、政界の失意者ないし一知半解の学者等の唱えるところの改造論に耳を傾ける何ものもないのであります。

生存競争の落伍者」ごときのいうことに耳を傾けることなんぞできるか!

とまで罵られて、反ファシズムのため連帯しませうと云えるほど、日本の社会主義者たちは心広くはなかったわけです。

赤木君ではないが、「ひっぱたきたい」と思ったであろうことは想像に難くありません。

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リフレ出版のメイ著

夏休みの課題図書が分厚くて難しい本ばっかりという苦情もあるようなので、疲れた頭を癒すのに絶好の本を紹介します。

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/486223058X.html

486223058x 三浦正好という人の『日本語の語源の謎』という本です。

発行所は東京図書出版会というところですが、発売元がリフレ出版というところで思わず失笑ですが・・・。

たまたま手に取ったのですが、はしがきを読んでひっくり返りました。こうです。

>この本は主に日本語と英語、ドイツ語、ロシア語の中に見られる、同一語源と思われる言葉を、比較して並べてみたものです。

>日本語は孤立語だとする学者もかなりいるようです。しかし、この本を読んでいただければ日本語は決して孤立語ではないことをおわかり頂けるものと思います。私が調べたのは英語、ドイツ語、ロシア語の3語族だけであり、しかもいまだに不十分です。

>・・・しかしそれはあまりにも偏った考え方なのです。私は自由にヨーロッパの言葉を勉強するうちに、日本語族がいかにヨーロッパに広く言葉の源を残してきた人たちであるかに気がついたのです。その事情はこの本をお読みいただければご理解いただけると思っております。

どういうレベルの言語学かというとですな、たとえば、

日本語       メシ      飯

英語        mess      食事、おかゆなど

ドイツ語      Meβ      会食

ロシア語    месиво  ごっちゃまぜの食べ物、あまりうまくない食べ物

とか、

日本語       タベル      食べる

ドイツ語      tafeln       食べる

ロシア語  табльлот  定食

スペイン語     taberna     食堂

とか、

日本語       イヒ       飯

英語         eat       食べる

ドイツ語      essen      食べる

ロシア語    есть      食べる

てなぐあいです。

ここまでくると、清水義範氏の『蕎麦ときしめん』に収録されたあの稀代の名作「序文」を想起される方も多いのではないでしょうか。

http://www.eng.ritsumei.ac.jp/asao/penpen/bookreview/soba.html

あとがきに、三浦氏がなぜこんな研究に志したのかについて、少年時代の思い出が書かれています。

>小学1年生の3学期には和英辞典でローマ字を覚えました。そして歩くという言葉を調べてみたらwalkであり、私はこれをウアルクと読み、火のことはフィアー(fire)と読みました。中国語の火のホァという言葉とも似ているので、これらの言葉から、昔の人たちは皆どこかでつながっていたのではないかと考えました。

疲れた頭がますます発酵してしまったって?それはごめんなさい。

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資本主義の多様性

378 比較制度分析の世界では有名なホールとソスキスの『資本主義の多様性』が遂に翻訳されたようです。

版元のナカニシヤのHPから惹き句を引用すると:

福祉国家のミクロ的基礎
グローバル化とイノベーションの競争圧力の下で、各国の政治と経済は一つの共通のモデルの下に収斂していかざるをえないのか? 「福祉国家」の政治的経済的役割はもはや時代遅れのものとなったのか? 比較制度優位,制度補完性,企業中心的政治経済論を軸に、比較政治経済のための新しい分析視角を提供する「資本主義の多様性」論の基本文献、ついに登場。


「序文」より
新しい組織の経済学にもとづいて本書が展開するアプローチは、マクロ経済およびその諸制度を理解するためのものであり、「強い」国家と「弱い」国家もしくは「ネオ・コーポラティズム」社会と「多元主義」社会といった影響力ある区別の上に構築された従来の概念を超えるものである。本書のアプローチが政治経済の理解の中心に復権させるのは企業である。……本アプローチは、経済学の新制度主義とゲーム理論から引き出された概念を、国民経済を理解するさいの問題に適用するものであり、政治学は言うに及ばず経済学にとっても重要な、企業理論とマクロ経済概念の統合を生み出す。

ということで・・・。

目次は以下の通り。

日本語版への序文:資本主義の多様性と日本・・・・・・・・・ホール/ソスキス

第1章 資本主義の多様性論・序論・・・・・・・・・・・・・ホール/ソスキス

第2章 先進民主主義国における労働政治の多様性・・・・・・セーレン

第3章 金融政策と賃金・価格交渉における制度的部門的相互作用・・・・・・・・・・・・・・フランツェーゼ

第4章 社会保護と技能形成:福祉国家の再解釈・・・・エステベス‐アベ/アイヴァーセン/ソスキス

第5章 企業と福祉国家:経営者にとって社会政策が重要となるのはいつか、なぜか、そしてどのようにしてか・・・・・・・・・・マレス

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23年前のメモ

コンピュータのデータの奥から昔書いたメモが出てきました。1984年というともう23年も前になりますな。こんなことを書いていたのか、といささか懐かしい思いとともに、学生気分の抜けていない文体に気恥ずかしさも感じますが。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/shikirareta.html

ちょうど男女雇用機会均等法が成立する前夜の頃で、ちょいと斜め後ろ側から一言コメントしてみたという感じではありますが。

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金正日と日本の知識人

41dcrowtpdl_ss500_ 何でこんなエントリーがこのブログにあるのかいぶかしくお思いの方もおられるでしょうが、この本の著者の川人博氏は過労死、過労自殺問題で有名な闘う人権派弁護士です。

私が『ジュリスト』に書いたニコン・アテスト事件の評釈が会社側の証拠として提出されたりしたこともあり、いささか微妙な(というか下手すると敵対するような-私は評釈の形をとって法政策論を論じたのであって、そういうつもりは毛頭ないのですが)関係であったりするのですが、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/atestnikon.html

これはそういう労働弁護士としての活躍とは別の、川人氏のもう一つの顔が現れています。

http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=1498975

>姜尚中は金正日のサポーターか――
政治学者と人権弁護士が「諸君!」「週刊朝日」で繰り広げたマスメディア騒然の大論争の核心がここにある。類似の発言を続ける知識人の責任を問う!

>なにを「主張する」かではなく、なにを「する」かが喫緊の問題なのだ。
六者協議の進展を図りつつ「拉致問題」の解決をすることが荊棘の道であることを、日本人は知っている。著名大学教授は、<虚妄>を説き論点を巧妙にズラしている……。

第1章 姜尚中氏は、民衆とともに闘え
第2章 知識人の責任を問う
第3章 苦悩する在日と私
第4章 拉致被害者を救い、北朝鮮に人権の旗を
第5章 アジアの人権と平和を求めて
エピローグ 被害者救出と金正日独裁体制の崩壊をめざして

雑誌『諸君』で始まり、『週刊朝日』で繰り広げられた姜尚中氏との論争に加えて、和田春樹、佐高信氏ら、口では人権を言いながら北朝鮮にはダブルスタンダードを使う知識人たちを片っ端から叩きのめしていて、痛快な本です。

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記号化した対語の羅列化により,宇宙論,生命誕生,人類誕生,文明開化を理論化する方法

これはいかなる意味においても労働法政策とは関係ありません。単純にオモロイから紹介するだけで。

平成19年06月14日、知的財産高等裁判所の判決です。平成19(行ケ)10067、審決取消請求事件 記号化した対語の羅列化により,宇宙論,生命誕生,人類誕生,文明開化を理論化する方法 ってやつで。

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20070618103504.pdf

本件は,原告が,後記特許出願をしたところ,拒絶査定を受けたので,これを不服として審判請求をしたが,特許庁から請求不成立の審決を受けたので,その取消しを求めた事案です。

その「発明」の内容は、「宇宙論,生命誕生,人類誕生,文明開化の各思想を,記号等を用いて理論化することにおいて,記号化した対語だけを用い,宇宙論,生命誕生,人類誕生,文明開化の各思想を,自然科学,社会科学,人文科学の自然法則だけを利用して(利用してとは,自然科学,社会科学,人文科学の自然法則の定説だけを根拠にしてということである),その記号化した対語を羅列化することで,限定的に,そしてコンパクトに理論化する技術」なんだそうです。

どんなに素晴らしい「技術」かは、判決文だけではよく分からないところもありますが、

>例えば,「丁半」は,「文明開化」に分類され,その理由について「丁半という対語が成り立つには,双六がいる。丁を偶数,半を奇数と考える事も出来るが,丁半とは双六の采の目の事である。」と説明されている。「上下」は,「人類誕生」に分類され,その理由について「上下という概念は人類の判断基準である。」と説明されている。「体用」は,「宇宙論」に分類され,「体用という対語が成り立つには,先ず事物がいる。」と説明されている。「伯叔」は,「生命誕生」に分類され,「伯叔という対語が成り立つには,先ず生命がいる。」と説明されている。

というあたりを一瞥しただけで、そのすばらしさがよく分かります。

いやあ、なんともはや・・・。

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なぜか学問ナビ

ナレッジ・ステーションというところにある「学問ナビ」という「学問理解を深めるおすすめ本」のコーナーに、何を勘違いしたか「国際(法律・政治・経済系)」という題目でhamachanの書評みたいなのが載っています。

http://www.gakkou.net/07ksbooks/g09006.html

思わず笑っちゃうね。あんたのどこが「国際(法律・政治・経済系)」やねん、「国際(労働系のみ)」やろが、といわれそうですが、まあせっかくの機会ですので畑違いの分野ですが紹介文を書かせていただきました。

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ある老社会学者のエッセイ

これは雑件です。「日本の労働法政策」に関するエントリーではありません。

加藤秀俊さんという高名な社会学者の方が、猪瀬直樹ブログにこんなエッセイを寄せています。

http://www.inose.gr.jp/mailmaga/mailshousai/2007/070329.html

ホワイトカラーエグゼンプションをネタに書いてはいますが、もちろん、労働問題については何の知識もないまま、大学の先生というご自分の大変狭い経験のみに基づいてあれこれもっともらしいことを書き並べた、まあよくあるタイプの典型的なヨタエッセイではあるのですが、こういうのが偉い先生のご発言として有り難がられるのが、まあ現代日本の知的風景というものなのでしょうね。

相当のご高齢である加藤さんご自身の無知を咎め立てするつもりはあまりありません。むしろ、こういうヨタを政治的に使うある種の人々のやり口が、いかにも典型的だなあ、というのが率直な感想です。

少なくとも、八代先生も、今回の専門委員会報告書に見られるように、この問題については大変的確なご認識をされるに至っているわけで、もはやこういう無知蒙昧を振り回すメリットなどどこにもないのですがね。

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国交省がキャリア速成指南書

読売がたいへん興味深い記事を載せています。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070402it01.htm

「将来の幹部候補生として国家公務員1種で採用したキャリア官僚育成のため、国土交通省は1日付で入省した新人職員から、実践的なマニュアルを使って研修をすることを決めた」という記事です。

>法令や予算案の作り方から国会内での手続きなど役人のノウハウを具体的に指導することで、「入省3~4年で一人前にする」ことを目指しており、中央省庁では異例の試み。政府が掲げる公務員の能力実績主義を見据え、同省は早期育成で若手登用を進めて、優秀な人材が「能力を発揮できない」として民間に流出する傾向に歯止めをかけたい考えだ。

 マニュアルで指導するのは、省内での予算案の立案や税制見直しの協議など、具体的な手順が中心。耐震強度偽装事件を例に、1級建築士の資格制度見直しなど同省が実際に行った施策について、業界団体や学界との意見集約、政府・与党との調整、野党への建築士法改正の法案説明の経緯も盛り込んだ実践的な内容になる。

 中央省庁では、キャリア官僚の仕事を体系的にまとめたマニュアルはなく、個別に仕事をしながら教育する「職場内訓練」(OJT)が基本。国交省では、主に入省5年目以下の係長クラスが仕事を教えてきた。

 しかし、国家公務員の定数削減で各省庁では採用が減少。国交省はこの10年余りで、係長クラスを配属できない部門が増え、入省1~2年目のキャリア官僚が、指導なしに法令作成などの実務を担当させられるケースが起きていた。

 このため、国交省はOJTだけでは職員を育成できないと判断。キャリア官僚の増員が見込めない中で、質を維持するためには、OJTに代わる効率的な人材育成策が必要として検討を進めていた。

 国交省では、若手キャリアの早期育成で、入省後の早い時期から責任ある仕事を任せられるようになり、早い時期から競わせることで、これまでの横並びの昇任昇給を基本とする年功序列制度も順次見直し、能力実績主義導入の布石にもしたい考えだ。

 新たなマニュアルは、4月中旬から始まる新人研修のうち、事務、技術系キャリア約30人らを対象とした研修で使用する。

確かに、「入省1~2年目のキャリア官僚が、指導なしに法令作成などの実務を担当させられるケースが起きていた」というのは、他省庁でも似たような状況でしょうから、こういう暗黙知のOJTから明示的な訓練システムへの移行というのは不可避なのかも知れませんね。

しかし、そうすると、それを省庁入省後にやらなければならない理由はなくなって、たとえば公共政策大学院で教えるなどということになってくると、これはいよいよ教育訓練の外部化の進行になります。いろんな意味でたいへん興味深い話でもあり、今後の動きが注目されます。

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反管理教育の人はこの人に投票しよう

近くの掲示板にはまだポスターが貼られていませんが、こういう人も出馬しているんですねえ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E5%B1%B1%E6%81%92%E4%B8%80

http://www.warewaredan.com/contents/

「反管理教育中高生ネットワーク」から<反教育の革命児>へ、<反学校、反教育、反民主主義、反・反差別、反フェミニズム、反ヒューマニズム、反大衆……>へ、「反共左翼革命結社・日本破壊党」へ、「福岡版だめ連」へ、そして遂に「我々団(九州ファシスト党)」へという素晴らしき思想遍歴。目がくらくらしますな。

その昔大田龍というトロツキズムから辺境最深部に退却していまやユダヤの陰謀を暴き続けておられる方がいらっしゃいましたな。

いずれにせよ、反管理教育の人は是非この人に投票しませうね。

(本エントリーは「EU」にも「労働」にも「法政策」にも関係ないただの「雑記帳」です)

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遺族厚生年金不支給処分取消請求事件

労働法政策というより社会保障法政策ですが・・・。

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20070308164237.pdf

>民法734条1項によって婚姻が禁止される近親者間の内縁関係は,時の経過ないし事情の変化によって婚姻障害事由が消滅ないし減退することがあり得ない性質のものである。しかも,上記近親者間で婚姻が禁止されるのは,社会倫理的配慮及び優生学的配慮という公益的要請を理由とするものであるから,上記近親者間における内縁関係は,一般的に反倫理性,反公益性の大きい関係というべきである。殊に,直系血族間,二親等の傍系血族間の内縁関係は,我が国の現在の婚姻法秩序又は社会通念を前提とする限り,反倫理性,反公益性が極めて大きいと考えられるのであって,いかにその当事者が社会通念上夫婦としての共同生活を営んでいたとしても,法3条2項によって保護される配偶者には当たらないものと解される。そして,三親等の傍系血族間の内縁関係も,このような反倫理性,反公益性という観点からみれば,基本的にはこれと変わりがないものというべきである。

>もっとも,我が国では,かつて,農業後継者の確保等の要請から親族間の結婚が少なからず行われていたことは公知の事実であり,前記事実関係によれば,上告人の周囲でも,前記のような地域的特性から親族間の結婚が比較的多く行われるとともに,おじと姪との間の内縁も散見されたというのであって,そのような関係が地域社会や親族内において抵抗感なく受け容れられている例も存在したことがうかがわれるのである。このような社会的,時代的背景の下に形成された三親等の傍系血族間の内縁関係については,それが形成されるに至った経緯,周囲や地域社会の受け止め方,共同生活期間の長短,子の有無,夫婦生活の安定性等に照らし,反倫理性,反公益性が婚姻法秩序維持等の観点から問題とする必要がない程度に著しく低いと認められる場合には,上記近親者間における婚姻を禁止すべき公益的要請よりも遺族の生活の安定と福祉の向上に寄与するという法の目的を優先させるべき特段の事情があるものというべきである。したがって,このような事情が認められる場合,その内縁関係が民法により婚姻が禁止される近親者間におけるものであるという一事をもって遺族厚生年金の受給権を否定することは許されず,上記内縁関係の当事者は法3条2項にいう「婚姻の届出をしていないが,事実上婚姻関係と同様の事情にある者」に該当すると解するのが相当である。

ちなみに、旧厚生省出身の横尾和子さんだけが反対意見をつけています。

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モダン屋さんの労働価値説?

少し前の生産性論争(のようなもの)で感じたのは、なんていうか、開発経済さんも情報経済さんも、実体的な生産性というのが厳然としてあって、それに基づいて労働の価値というものが一義的に定まるんだというモダンな世界観をお持ちのようだな、ということでした。

それって、一種の労働価値説(労働にはその生産性に応じて価値が定まっており、それが生産物に転化する、みたいな)なんじゃない?と感じるのは勘違いというものでしょうか。

でも、宇野理論によると、流通過程では価値はお互いの使用価値によって相対的に決まるだけ。これだけの生産性の労働何時間分が投入されているからいくらという風に決まるわけではない。それは古典派の幻想。商人資本が生産過程を掌握し、産業資本として恒常的に労働力を使って生産活動を行うようになって、初めてこれくらいで売れる商品をこれだけ生産するのにこれだけの労働力を何時間分投入しなければいけないということから、労働の価値みたいなものが共同主観的に形成されてくるに過ぎない。それ以前に即自的な労働の価値なんてものはない。

そういうポスモダな発想の方が多分最近は有力で、恐らく歴史的にも正しい。ただ、共同主観的に形成といっても、生産を繰り返す産業資本にとってはそれは客観的に存在し、作用しているのだから、幻想だといってみたって意味はない。しかし、それを過度に実体化して、生産過程なく労務がそのまま最終商品として消費される対人サービスにまで同じように当てはめることができるわけではない、ということではないかと。

前にちらと書いた、生産主義と流通主義の応用編みたいな感じですが。

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天に唾する・・・

規制改革会議が、文部科学省を呼びつけて文句を言おうと必死です。

http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/publication/2007/0302/item070302_01.pdf

最初に呼びつけたところ、

http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/publication/2007/0302/item070302_01.pdf

文科省は「教育委員会の在り方については、本年1月24日の教育再生会議による第一次報告等を参考としつつ、現在、中央教育審議会に審議をお願いしているところであり、当省としての考え方を申し上げる段階にない」と断ってきたので、

http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/publication/2007/0220/item070220_02.pdf

再度の呼びつけとなったわけですが、さて。

そんなに教育再生会議のやってることに文句があるのなら、上からやれといわれてやらされている文科省の役人をいじめてみても仕方がないのではないのでしょうかね。

え?トップにくっついている学者や評論家の集まりはいじめにくいから、反抗できない役人をいじめるんですか。なるほどね。

ご自分たちが今までおやりになっていらしたことを、人様がやるのを見るのはなかなか乙なものでしょう。

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負け太り

権丈先生の最新エッセイですが、

http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/korunakare68.pdf

この中に、辛辣に現実を言い当てた一文があったので、思わずコピペ。

>「焼け太り」に類する言葉として、わたくしは「負け太り」という言葉をしばしば使っている。論者が間違えたことを言っているために専門家の間での論争では簡単に勝負がつくのであるが、論点の専門性ゆえに世間はそのことがわからず、間違えた論者は注目を浴び、功成り名を遂げて、世俗的には成功者となる。自然科学の世界ではいざ知らず、社会科学の世界では、「負け太り」の例は枚挙にいとまがない。

いやあ、まったく。

何の話かというと、こういう続きです。

>「抜本改革だ抜本改革だ!」と連呼する、九官鳥か?と見まがうようなやたら目立つことを言っている人が採用されやすくなり、地味に良質な研究をしている人は競争面でものすごく不利な立場に立たされるという構造的な問題がある。 この種の構造的問題は、メディアや政界をはじめいろいろな世界で共通することだとは思う。そして研究者・メディア・政治家が強固な「抜本改革トライアングル」を形成して互いに互いを利用し合いながらスパイラル的にこの構造問題は増幅されているようにみえたりもする・・・。彼ら「抜本改革トライアングル」はほとんどの場合おかしなことを言っているのであるが、素人目にはなかなかそのあたりが見破られない――しかもほんの少しでも研究領域がずれると隣接領域の研究者にも同様に見破られない。

まったくね、抜本改革トライアングルか、言い得て妙。

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いつからそのような権限が・・・

公務員の労働基本権について議論している行政改革推進本部専門調査会小委員会に経済産業省さんが呼ばれて説明したときの資料のようなのですが・・・。

http://www.gyoukaku.go.jp/senmon/iinkai/dai2/a_siryou3.pdf

「当省の業務内容」として、真っ先に「柔軟な事業・雇用環境の整備」てのが載っているのは、多分何かの間違いですよね。経済産業省設置法のどこを見ても、「雇用環境の整備」なんて挙がっていませんものね。

後ろの方に「多参画社会の実現」と題して、「雇用形態や税制、行政の在り方、人材育成制度、消費者政策など広範な分野にわたって制度設計の見直しを実施」と書いてありますけど、いつからそのような広範な権限をお持ちになられるようになったのか、是非ともご教示いただきたいところです。

まあ、鉱山の雇用環境に関しては大変重い責任を担っておられることは承知しておりましたが。

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上がってもない足を取りたがる症候群

またも日刊ゲンダイ・・・。

http://news.www.infoseek.co.jp/gendainet/society/story/19gendainet02030659/

>柳沢大臣またまた差別発言 (ゲンダイネット)

>この大臣はもうどうしようもない。「産む機械」発言の柳沢伯夫厚労相がまた口を滑らせた。

>15日の参院厚生労働委員会で残業代ゼロの「ホワイトカラー・エグゼンプション」制度に関する質疑の場面で、生産現場で働く従業員について、「工場労働者というか、そのぉ、ベルトコンベヤーの仕事。労働時間だけを売り物です、というようなところですね」と言ってのけたのだ。

>柳沢大臣は残業代ゼロ制度の対象外となる労働者もいるということを説明しようとしたのだが、「ベルトコンベヤーの仕事」とはあまりにもお粗末。口を開くたびに誤解を招く失言を繰り返す大臣は一刻も早く辞めたらいい。

一体どこが「差別発言」なのか?誰がどういう誤解をするというのか、是非ともご教示いただきたいところです。

労働には、時間で価値を計ることがふさわしい労働と、時間で価値を計るのがふさわしくない労働があるという事実を述べただけではないのでしょうか。

時間で価値を計るべき労働であればこそ、時間に正確に比例して残業代を払わなければならないのですし、時間で価値を計るべきでない労働ならば、時間比例の残業代を払うべきそもそもの根拠が消滅するわけです。これこそが、ホワイトカラーエグゼンプションのもとも本質的な論点であり、その余はすべて余計であるということを、このブログで繰り返し述べてきたわけです。時間で価値を計るべきでないということと、時間で健康への影響を計るべきであるかどうかは全く別であるということも、繰り返し述べてきましたが、それはまた別の話ですが・・・。

とにかく、一体ゲンダイさんは何を言いたいのか。ベルトコンベアの仕事だって「労働時間だけを売り物です」といってはいけないんだ、時間で価値を計ってはいけないんだ、ブルーからーだって残業代をエグゼンプトすべきなんだ、とでも主張したいのでしょうか。

まあ、最近は工場でもセル生産方式がかなり導入されてきていますから、ブルーカラーだから「時間だけが売り物」というのは適切ではないというのは結構正しい指摘ではあり得ます(日刊ゲンダイがそんなことを想定しているわけはないけど)。

何にせよ、とにかく、こういう脊髄反射的な上がってもない足を取りたがる症候群がマスコミに瀰漫しているというのは、ゲンダイ日本人のレベルを物語っているというべきなんでしょうかね。

(追記)

と思ったら、民主党が一緒になってその足を持ち上げてたようです。

http://www.sankei.co.jp/seiji/seikyoku/070219/skk070219004.htm

>19日の衆院予算委で、民主党の川内博史氏が「現場で一生懸命働いている方に失礼だ」と批判し、柳沢氏自らが議事録からの削除を申し出るよう要求。これに対し、柳沢氏は「全体を見れば誤解が生じるとは思わないが、『だけ』という言葉がある人々を傷つけるとの指摘なので、(削除が)可能かどうかを相談したい」と述べた。

ふうーーーん、民主党の議員さんは、「労働時間だけ」を売っている労働者というのは、言葉に出すのも恥ずかしいような、そんなことを言ったら失礼に当たるような、そういう人々だとお考えになっておられるんですかねえ。

時間当たり賃金で働いている人に対して、時間だけを売っている人だというのは失礼なんですか。時間とは別の基準で労働を売っている人の方が高級で偉いとでもお考えなんでしょうか。エグゼンプトの人だけが偉いとでも?

「アメリカではエグゼンプトは誇りを持っている」という経済界の方と同じことを言いたいわけですかね。

まあ、しかしもう疲れますなあ、こういう御仁たちには。ホントに、日本の政治というのは言葉尻だけで動いているんですねえ。ご自分のいっていることを論理的に組み合わせるとどういう整合性があるのかなんててんでアタマにはないんでしょう。

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女性機械説

その昔、

>畏れ多くも畏くも、天皇陛下を「機関」とは何ごとであるかぁ!

と喚き散らして憲法学者美濃部達吉氏を攻撃したマスコミや政治家がおりましたが、歴史はネタを変えて繰り返すものなのでしょうか。

http://www.asahi.com/politics/update/0128/009.html

機関とか機械とかいう言葉は、対象をその「機能」に着目して表現する言葉に過ぎないのですから、労働者が労働機械であり、兵隊が戦争機械であるのと同様、出産可能な女性が子どもを産む機械であることはある意味で当然。その機能だけで評価されるべき者ではないというのも、また当然のこと。

しかし、とにかく今の時代、何であれ攻撃するネタはフルに使うということなのでしょう。しかし、目先の攻撃のために何でも使うというやり方は、最終的にはまともな政治的議論の場を破壊します。できれば、統帥権干犯の類にまで手を出さないでいただきたいものではありますな。

(追記)

やっぱり、べージ別アクセス数でぶっちぎりになりましたな。稲葉先生のところからやってこられた方が多いようです。

補足することもないのですが、そもそも合計特殊出生率を問題にするということ自体が、女性をその出産機能において判断しているということなのであって、それを「機械」と表現することは、唯物論的インプリケーション(『人間機械論』)を持つ点においていささか問題はあるかも知れませんが、左翼系人士がぎゃあぎゃあ喚くべきことではありますまい。

一方、EUの雇用戦略のように、女性の就業率に数値目標を設定して、その引上げを政策課題とするということは、女性をその労働機能において判断しているわけであり、柳澤大臣風にいえば、「働く機械の数は限られているから・・・」云々ということになるわけですが、それもけしからんと批判するのであれば首尾一貫するわけですが。

結局、女性の労働機能と出産機能が順機能的ではなく、逆機能的に作用するような社会の仕組みになってしまっていることが問題であるというのが、そもそもの少子化対策の論点であったはずなのですが、こういうふうに機能的思考を情緒的に非難するポピュリスト的風潮が広がると、話はどんどんあさっての方向に飛んでいってしまうしかないでしょう。こういう点において、マスコミと野党の責任は重大なはずです。戦前の歴史の教訓を学んで欲しいものです。

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別に嫌みじゃありませんが・・・

経済産業省事務次官の会見録にたいへん面白い記事がありました(「続・航海日誌」経由)。

http://www.seri.sakura.ne.jp/~branch/diary.shtml

http://www.meti.go.jp/speeches/data_ej/ej070115j.html

Q: 13日に菅総務大臣が情報通信省の創設について発言されたと思うのですけれども、経済産業省側からするとどのようにお考えですか。

A: ・・・・・・大臣が行かれたインドには、確かに情報通信省というものがあるのですけれど、それとは別に規制を監督する省もあり、規制と振興の分離が行われています。発展途上国は割と情報通信省というのがあるようですけれど、先進国のほとんどは規制と振興の分離、規制の方は行政委員会のような形で非常に透明な形で規制し、振興はむしろ産業振興と一緒になって、産業部門が担当するという形になっているのであり、組織のあり方を議論するのであれば、私は後者、規制と振興をベースにした組織の議論をする方が良いと思います。

 自動車産業との比較をしていただければよくわかります。自動車の製造は安全規制は国土交通省の自動車局が行っています。振興は私どもの製造産業局の自動車課一課で担当しており、そのように2つに分かれて振興しています。
 それから、自動車をめぐる行政という意味では、環境省が自動車の大気汚染防止対策、CO2対策をしており、自動車の運行に関する交通事故の防止という意味では警察庁が行政をしています。自動車産業省というのがあって自動車が立派になったのではなく、それぞれ役割分担をして自動車産業を育ててきたということです。私どもであれば、自動車課一課ですけれど、自動車の貿易摩擦や自動車の国際振興、輸出、あるいはEPAなどは省全体でほかの部局がほかの産業と同じように処理をしていく、非常に効率的な振興行政ができていると思います。
 自動車はそのようにいろいろなところでやっておりますが、国土交通省と経済産業省の間で二重行政があって、自動車業界が文句を言っているという話は一度も聞いたことがありません。・・・・・・

仰っておられることは全く正論です。しかし、そういうことを半世紀前にも仰っていただきたかったという感はありますな。

なにしろ、労働省設置当時、鉱山保安行政はいったん労働省所管と整理され、労働基準局に鉱山課までおかれたにもかかわらず、「鉱山における保安行政は、石炭増産の必要上、商工大臣が一元的に所管する」と話をねじ曲げてしまい、結局鉱山だけは生産が安全衛生に優先する行政体制になってしまったという故事来歴もこれあるわけで・・・。まさに、商工省と労働省の間で二重行政になったら困ると仰っていたわけでしょうに。

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曲学阿世様

権丈善一先生のきつい一発

http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/korunakare59.pdf

>前政府税制調査会会長をかばい続けた官邸への責任問題が問われている。しかしながら、すぐに更迭しなかった官邸の初動の在り方に責任を問うのは、少々かわいそうな気がしないでもない。彼ら官邸は、政府税制調査会会長として前任者は余人を以て代え難い、すなわち代替性が低く代わりがいなかったから、かばわざるを得なかったのであり、事態の深刻さを甘く見ていたからすぐに更迭しなかったわけではないであろう。というのも、つぎのようなことを言ってくれる経済学者は、世界中を探してみてもなかなかみつかりそうにないのである。

>政府税制調査会の本間正明会長(阪大教授)は28日、大阪市内の関西プレスクラブで講演し、法人税率の引き下げについて「(利益のうちどれだけ賃金に回ったかを示す)労働分配率を上げて賃金を増やさなければ、個人消費に点火しない。そのためには、経済成長で企業収益を伸ばす必要がある」と述べ、法人減税が個人消費の増加につながるとの見方を強調した。 本間会長は企業の設備投資は堅調だが、消費が伸び悩んでいる理由として「企業収益が賃金ではなく設備投資や配当に回り、景気の回復感が個人に広がらないからだ」と指摘。そのうえで「名目成長率3%強の経済成長を達成すれば、必ず労働分配率が向上する」とした。

>理論的にも詰まっておらず、いかなる実証例をどのように繋げれば言うことができるのかと疑問がでるようなことをプレスの前で話してくれる経済学者を官邸は求めているとすれば、後任探しは至難のわざ。

雇用政策も社会政策もいらない、ただただ経済成長さえすれば、労働者の利益になりますぞよよ!と仰ってくださるケーザイ学者サマはそんなに希有なんですかね。なんだかブログ界隈には一杯いたような気が・・・。まあ、そういうのは税調会長にはお呼びじゃないのかも。

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リベラルとソーシャル

端的に言うと、ウヨクとサヨクという軸はいろんな要素が絡まり合ってぐちゃぐちゃになっているんで、レトリックに使うんでない限り避けといた方が無難。私も、リベサヨとかソシウヨとかいってるけど、そもそもサヨとウヨは何を意味してるのかってところはわざとスルーしているしね。

しかし、少なくとも欧州的文脈でいえば、リベラルとソーシャルという対立軸は極めて明確。それが日本でぐちゃぐちゃになりかけているのは、ひとえにアメリカの(本来ならば「ソーシャル」と名乗るべき)労働者保護や福祉志向の連中が自らを「リベラル」と名乗ったため。それで本来「リベラル」と名乗るべき連中が「リバタリアン」などと異星人じみた名称になって話がこんがらがっただけ。そこのところをしっかり見据えておけば、悩む必要はない。

もちろん、「第三の道」など両者を架橋する試みは繰り返しあるが、それもこれもリベとソシの軸がしっかりあるから。そして、経済学はじめ諸々の社会科学においても、これが最も重要な政策判断の軸であることになんの変わりもないし、およそ社会思想史なるものを少しでも囓った人間であれば、これが近代社会における最も重要な政治的対立の軸であることも分かるはず。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_5a72.html

一時のポストモダーーンとかいう妙なはやりで、そういうのを「超越」したつもりの方々が結構大量に産み出されたようだが、近年はそういうふわふわさんもだいぶ片付いたようだなあ、と安心していたところ、妙な形で生き残っていたのには愕いたというところ。

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北朝鮮系の派遣会社

読売の記事

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20061129it06.htm?from=top

「在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)傘下の「在日本朝鮮人科学技術協会」(科協)の顧問(74)が社長を務めていた川崎市内の人材派遣会社が、無届けで労働者を派遣したとして、神奈川県警外事課は29日、労働者派遣法違反の疑いで、この前社長宅や同社などを捜索した」。

県警外事課が労働者派遣法違反を摘発してくれるのですから有り難いことです。

「調べによると、同社は2004年6月ごろ、厚生労働相に無届けで人材派遣業を営み、群馬県太田市のモーター製造会社に労働者を派遣した疑い」。

いやもちろん、詳しくはリンク先をどうぞ。ちなみに、このエントリーは「日本の労働法政策」ではなく「雑件」です。

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どなたかメールを頂きましたでしょうか

毎日、山のようなスパムメールをざくざくと削除していたため、ついまともなメールまで一緒に捨ててしまったようです。

昨日から今日にかけて、私のNIFTYメールアドレス宛に「サービス指令案」についてメールを頂いた方がおられましたら、まことに申し訳ありませんが、今一度お送り願えればと存じます。

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麻生外相罷免要求を支持?

労働法政策とは関係ありませんが、連合が「麻生外務大臣に対する罷免要求を支持する談話」なるものを出しているので、ちょいと斜め脇からコメントしておきます。

http://www.jtuc-rengo.or.jp/news/danwa/2006/20061110_1163154372.html

私は、労働組合が政治活動するのは当然だと思っています。政治とは価値の権威的配分の技術であり、労働者が価値をより多く獲得するために政治的ルートを活用するのは何ら不思議なことではありません。

ただ、労働組合の政治活動の目的は労働者の利益に貢献することだという出発点からあまり離れない方がいいと思うのです。政党というのは、特定の政治的イッシューだけを取り扱うわけではありません。労働者の利益と直接関係のないテーマについて、あまり変に深入りしておつきあいするのは如何なものか、と思うわけです。

この麻生外相罷免要求を支持するなんていう談話は、別に言わなくてもいいのに、という感じです。ろくに労働者の利益のことを考えてくれない民主党の政局狙いの振る舞いに義理立てすることもないんじゃないかと思うのですがね。

いやいや、核廃絶こそ労働者の利益だと仰いますか。そこは人によってさまざまな考えのあるところだと思いますが、少なくとも、民主党の幹部連中よりは遙かに「中道左派」のエマニュエル・トッド氏が、朝日の記者に核武装論を説いていますよ。

http://www.asahi.com/column/wakamiya/TKY200610300159.html

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日教組ももう少し政治感覚を

今官公労がどういう立場に立たされているかということをもう少し考えて、特殊な政治言語が通じる相手だけでなく、もっと広く国民に訴えるような言葉遣いというものができないのだろうか、と保守反動のパターナリストは考えるのですがね。

http://www.jtu-net.or.jp/news/06/10/26n1.html

「教育基本法改悪阻止に非常事態宣言」、って、そりゃちょっと普通ひくよ、まともな人なら。

さいわい、そう、実にさいわいにも、安倍さんの周囲の人達が考えていたのとは異なる教育問題が一気に噴出してきているのだから、それをどううまく使うかという風に思考をめぐらさなければいけない。細かい議論より何より、例えば「今こそ教育基本法にいじめ防止の努力義務を書き込むべきだ」とか「受験偏重にならないような監視体制を規定せよ」とか、とりあえず今は思いつきでもいいから、「アフォなサヨクがわめいとるで」とならないように、一般国民が「おっ、そうや」と思ってくれるようなプレゼンテーションができないと、この台詞も繰り返し使ってますけど、「殷鑑遠からず」ですからね。

森元総理も「日教組、自治労を壊滅できるかどうかということが次の参院選の争点」と言ってることだし、

http://www.sankei.co.jp/news/061031/sei001.htm

サヨク的闘争方針で何とかなると思っているとしたら大変まずいことになりますよ。

これはほかの官公労も同じ。基本ラインとしては、格差社会を前面に出しつつ、国民全てに教育等々の公共サービスを均霑するような仕組みを守ろうという方向でしか生き残れませんよ。

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必修世界史の逆襲

話自体は必ずしも労働法政策と関係するわけではありませんが・・・。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20061027it01.htm?from=top

いま日本中の受験校を巻き込んだ騒ぎになっている世界史必修逃れのバレバレ事件、規制緩和の人は何黙ってるんですかあ?受験による市場メカニズムに従って生徒のとりたい科目をとらせればいいのに、無理やり世界史を必修なんぞにしているからこういう事態が起こるんだと、なぜ反論しないんですかあ?

世界史なんぞを必修にしてるから、二言目には「歴史を見ろ」とうるさく喚く莫迦野郎がはびこると思っているんじゃないんですかあ?価格の神様さえ崇めておればいいのだから、下らん歴史なんぞ必修から外せと、はっきり言いたいことを仰ればいいんじゃないんですかあ?

世界史に加えて日本史まで必修にしろと喚いている文部科学大臣はとんでもない野郎だと、思っていることをはっきり言われたらいいんじゃないですかねえ。

(追記)

ちなみに、自民党の議員さんたちも、うかつに文部省の学習指導要領なんか従わなくてもいいんだ、と受け取られかねないような発言をしちゃってもいいんですかねえ。文部官僚も、ここはきちんと、そういうことを仰ると、日の丸君が代に従わなくてもいいじゃないか必修世界史すら従わなくてもいいんだからということになりますよ、とお諌め申し上げなければならないですねえ。

(再追記)

どうでもいいことだけど、必修逃れバレバレが高岡南高校じゃなくって、灘高校から始まっていたら、最初の世間の雰囲気はがらりと違っていただろうな、と。そんなん、今すぐ今年中に夜中に徹夜してでも単位とれ、何が受験がありますだこの野郎!さんざんやっとるやろが、てな感じになっていたのではなかろうか・・・。

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再告知

最近、コメントやトラックバックをしてもすぐに表示されなくなった、とお感じになっておられると思いますが、先日書いたように、依然として猥褻かつ危険なトラバが多く、やむを得ずすべていったん保留して、スパムでないもののみを表示することとしております。ご迷惑をお掛けしますが、ご寛恕願います。

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告知

最近、猥褻かつ危険なスパムコメントやスパムトラックバックが大量につけられるようになったため、不本意ではありますが、コメント及びトラックバックは一時保留し、スパムでないことを確認の上で公開することとします。

内容が本ブログの趣旨に関わるものである限り、その立場の如何によって非公開とする様なつもりはありません。イナゴさんのコメントも、スパムでない限り公開しますので、ご遠慮なくどうぞ。

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リベラルに世界を読む

別に中味に文句をつけようというわけではないんだけれども、

「格差正当化社会と闘う」

とか

「誰が格差を肯定しているのか」

とか叫んでる雑誌の標題の横にデカデカと

「リベラルに世界を読む」

ってのは、どうしても耐え難いものがある。

http://www.rock-net.jp/sight/next.html

おもわず、「そりゃ、お前だろ、お前」と口走ってしまいそうになる。

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所感

今週に入ってからアクセス数が連日4桁を大幅に超えている。それはいいんだけど、今までなかったようなたぐいのコメントがごちゃごちゃつくのがうざい。「ブログを公開で運営していく精神的・時間的余裕がなくなってき」たわけじゃないけど、書いてる側のレベルでコメントしてくれないと、気持ちがよくないね。(「今さら何を言う」と稲葉先生には叱られそうだな。いやおっしゃるとおり自己責任です。)

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妥協の哲学と美学

 旧労働省の役人はときどき自嘲気味に「足して二で割る労働省」なんてなことを申しておりましたが、足して二で割れば妥協が成り立つのであれば、こんな簡単なことはないわけで、技能も熟練もありはしない。本当はそんな単純なものではないのですよ、ということです。

 大体、何事でも、対立する両者間には複数の論点があるものです。この論点ではこう、その論点ではそうという風に、いくつもの妥協案を組み合わせることになるわけですが、さて、そこで単純にこっちでなんぼ、そっちでなんぼと単純な算術で計算すればいいというものではありません。実は、世の中では論点ごとに各プレイヤーの主観的重み付けが異なることが多いのです。使用者側にとってはこの論点が重要で、その論点はそれほどではないが、労働側にとってはその論点の方が大事で、この論点はそれほどでもないという風な、主観のずれが常に発生します。そこをうまくイクスプロイットするのが妥協屋の腕の見せ所ということになります。

 Aが主観的により重要と考える論点ではAにやや有利な妥協案とし、Bが主観的により重要と考える論点ではBにやや有利な妥協案として、両者を結合すると、客観的にはA,Bいずれにとっても五分五分の妥協案でありながら、主観的にはA,Bいずれも自分の方にやや有利な妥協案であると認識するという事態が発生しうるのですね。これはとりわけ、後ろに応援団というか「やれやれ、いてまえ」と叫んでいる連中を控えた交渉においては極めて重要なことです。こういう妥協案をうまく調合するのが、妥協の哲学であり、美学である、と、私は教えられてきたと思っています。

 で、話が飛ぶように見えるかも知れませんが、最近麻生外相が提案した靖国神社を非宗教法人にして国立追悼施設とする案ですが、このブログで前に書いたように、この問題の経緯からしても適切な提案だと思いますが、それだけでなく上の妥協の哲学から見ても実にうまくできているんですね。

http://www.asahi.com/politics/update/0805/006.html

 日本は民主主義国家です。靖国社設置法(?)を審議立法する国会は国権の最高機関であり、主権の存する国民の意思にのみ基づいて、その慰霊対象を決定するのであって、ここのところがきちんと守られていることがもっとも重要なことです。国民の意思が結果的に中国が騒いでいたことと一定程度対応することがあったとしても、それは結果論に過ぎず、民主的立法過程が重要です。一方、中国はパワーを信奉する一党独裁国家ですから、民主的立法過程などはあまり関心がなく、そのいうところのA級戦犯が排除されるかどうかが主たる関心事です。つまり各論点に対する日中両国の主観的重み付けが異なることから、いずれの側も自分の主張が通ったと認識し、説明することが可能なような構成になっているんですね。ここが麻生提案の絶妙なところです。

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杉本信行元上海総領事死去

3日、杉本信行元上海総領事がお亡くなりになりました。

http://www.sankei.co.jp/news/060803/sei045.htm

私にとっては、彼が欧州連合日本政府代表部公使だった時代におつきあいさせていただいたという関係ですが、直接業務上のつながりはなかったこともあり、彼の専門である中国関係のお話をする機会はほとんどありませんでした。交流協会に出向時、朝日新聞の船橋記者に李登輝総統へのインタビュー記事を書かせるべくどう動いたか、という話を、連合の方が来たときに一緒に聞いたぐらいでしょうか。

中国公安当局が絡んだ領事の自殺事件の報道で総領事としてお名前がよく出てきて、大変な心労だろうな、と思っていたのですが、先月出版された「大地の咆哮」を読んで、末期ガンに冒されておられたことを知り、その中でこういう本を書かれていたことに鬼気迫る思いがしたものです。この本の目次に加え、前書きと後書きが下記HPに掲載されています。

http://duan.exblog.jp/3312137/

外務省チャイナスクールというと、特に最近はウヨク系メディアからまるで売国奴みたいな言われようですが、こういう難しい立場の中で相手との関係をなんとか維持しつつ、きちんと日本の国益を見据えながら頑張っている外交官こそ、真の愛国者でしょう。少なくとも・・・(以下自粛)

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法政策としての靖国問題

いや、別にヒートアップした論争に加わろうなどという気はありません。ただ、法政策として見たときに教訓になることがあるように思われるので、その点だけ。

言うまでもなく、靖国神社は戦前は陸海軍管下の別格官幣社で、内務省管下の一般の神社とは異なり事実上軍の組織の一環でした。敗戦後、GHQの神道指令で、国の機関たる神社は国から引き離されて宗教法人になったわけですが、このとき靖国神社は神社であることを止めて国の機関として残ることもあり得たのですが、結局そうならなかったわけです。これが第一のボタンの掛け違えですね。このとき陸海軍の機関として残って居れば、第一復員省、第二復員省を経て、厚生省援護局の機関となり、恐らく今頃は厚生労働省社会・援護局所管の独立行政法人靖国慰霊堂という風になっていたと思われますが、その道を選ばなかった。

次は独立後の50年代、このころ靖国神社を国の機関にしようという動きがあり、自民党から靖国○社法案、社会党から靖国平和堂法案が提起されています。政教分離を意識して神社といわないのですが、このころは社会党も戦没者の慰霊を国がやることには否定的でなかったことが分かります。「平和堂」というところが社会党的ですが、客観的に言えば一番まともな案だったかも知れません。

一番実現に近づいたのは、60年代後半から70年代初めにかけて、自民党から5回も靖国神社法案が提出され、最後は衆議院を通過しながら参議院で廃案になった時期です。神社でありながら特殊法人といういかにも憲法上筋の悪い法案ではありましたが、しかしこれを潰してしまった結果、今のような事態に立ち至ってしまったことを考えると、まことに惜しいことをしたと言えましょう。そりゃ、とんでもない法案だったかも知れないけれど、有は無に優るのでね。こうやって靖国神社を政府のコントロールの利かない一宗教法人のまま野放しにしてしまったために、いささか問題のある方々を勝手に合祀したりして、かえって問題をこじらせてしまったわけです。特殊法人の長だったら監督官庁の許可を得ずに勝手にそんなことできません。

まあ、ここまで来たら今さらどういっても仕方がないですし、よそ様の分野に何をどうすべきだというようなことを言うつもりもないのですが、これは他の分野の法政策にもいい教訓となるように思われます。そんな悪法だったら要らない!なあんて、あまりうかつに言わない方がいいですよ。ほんとに潰れてしまったら、事態はもっと悪くなるかも知れないんですからね。え?何の話?何の話しでしょう。

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