『スキルとデキル』いよいよ刊行
奥付上の発行日は明日ですが、都内の書店ではすでに今日から『スキルとデキル』(角川新書)が並びつつあるようです。
https://www.kadokawa.co.jp/product/322511000924/
本書の「はじめに」を公開しておきましょう。
近年、日本政府は「リ・スキリング」を大々的に唱道しています。このリ・スキリングという言葉は岸田文雄政権下の2023年5月に『三位一体の労働市場改革の指針』で使われて以来、政府の政策文書におけるバズワードになっていますが、とりわけ2024年6月に閣議決定された『新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画2024年改訂版』は、「三位一体の労働市場改革の早期実行」の項目として、①個々の企業の実態に応じたジョブ型人事の導入、②労働移動の円滑化と並んで、③リ・スキリングによる能力向上支援を挙げており、これは石破茂政権下の2025年6月に閣議決定された『新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画2025年改訂版』や高市早苗政権下の2026年7月に閣議決定された『日本成長戦略』にも引き継がれています。それ以前も「スキルアップを通じた労働移動の円滑化」(2022年版)、「社会人の創造性育成(リカレント教育)」(2020年成長戦略実行計画)、「個々の働き手の能力・スキルを向上させる人材育成・人材投資の抜本拡充」(未来投資戦略2017)、「実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関」(日本再興戦略 2016)、「若者等の学び直しの支援のための雇用保険制度の見直し」(2013年日本再興戦略)等々、労働者の職業スキルの向上(教育訓練)は政策の中心課題の一つであり続けてきました。近年の政府の教育訓練政策の特徴は、それが職務給などのジョブ型人事や労働移動の促進と相まって、外部労働市場志向型の政策として打ち出されてきていることです。この傾向は、既に1990年代後半から現れてきており、私はそれを「市場主義の時代」と呼んできましたが、第二次安倍晋三内閣以来より鮮明になってきています。ここ数年の『新しい資本主義のグランドデザイン』はその到達点と言えましょう。ジョブ(職務)に対応する「スキル」(技能)こそが職業能力を示すキーワードとなっているのです。とはいえ、政府が鉦や太鼓でリ・スキリングを煽り立てても、肝心の企業や労働者の側は、笛吹けども踊らずという状態が続いているようです。それに対して、それに先立つ1970年代後半から1990年代前半までの約20年間は、企業内の雇用維持を最優先とする雇用政策がとられた「企業主義の時代」でしたが、教育訓練についても企業内訓練、とりわけ上司や先輩の指導の下で実際に作業をしながら仕事を覚えていくオン・ザ・ジョブ・トレーニング(OJT)を最重要視する政策思想が社会を支配していました。その頃はスキル、あるいはそれに対応する日本語の「技能」ではなく、「能力」という一般的な言葉が職業能力を示すキーワードでした。この「能力」というのは、具体的な特定のジョブを遂行するスキルとは異なり、何でもできる一般的能力、あるいはむしろ、何でも頑張って取り組めばできるようになる潜在的能力を示す言葉です。私が累次の拙著で繰り返し説明してきた日本的なメンバーシップ型雇用システムに極めて適合的な概念ですが、逆に言えば、特定のジョブを遂行するスキルというものに対する社会的評価が著しく低くなった時代でした。このスキルとは対照的な「能力」概念を、「何でもできる」というところに着目して「デキル」と呼ぶならば、日本の職業能力をめぐる考え方は、デキル重視の時代からスキル重視の時代に大きく変わってきたということができます。ところが話はそれで終わりません。それより以前の1950年代後半から1970年代前半までの高度経済成長時代は、それとは全く逆に、つまり1990年代後半以降と同様に、特定のジョブに対応するスキルを身につけることが政策目的とされ、そのために企業外におけるフォーマルな教育訓練とそれを社会的に証明する技能検定制度が重視されていた時代でした。スキル重視とデキル重視とは交互にスポットライトを浴びていたのです。その職業教育訓練をめぐる歴史の転変を遡っていくと、幕末から明治維新の時期に欧米諸国の先進技術を導入するために、それまでの伝統的な徒弟制から技能者養成制度を確立しようとした苦闘の時代に至ります。今日の日本において、政府が鉦や太鼓で奨励しても近代的なスキル重視の発想がなかなか根付かず、デキル重視の思想が依然として根強いのはなぜなのか、本書はその理由を、歴史の草むらに分け入って解明していきたいと思います。
第1章 産業革命期の職業教育訓練――徒弟制から技能者養成へ1 徒弟制の展開(1) 江戸時代の徒弟制(2) 伝習生の時代(3) 職人徒弟制の時代(4) 工場徒弟制の時代2 徒弟制の法規制(1) 民法における徒弟制(2) 工場法における徒弟制(3) 徒弟制改善への動き3 実業教育の展開(1) 職工学校(2) 徒弟学校(3) 実業補習学校(4) 実業学校(5) 実業専門学校(6) 商業教育(7) 法学・医学教育4 技能者養成の展開(1) 養成工制度の生成(2) 養成工制度の展開(3) 養成工制度の変容5 職業補導の始まり第2章 戦時・改革期の職業教育訓練――企業で技能者を養成せよ!1 技能者養成の法規制(1) 工場事業場技能者養成令(2) 労働基準法と技能者養成規程(3) 養成工制度の再興2 職業補導の展開(1) 戦時体制下の職業補導(2) 職業安定法と公共職業補導所3 実業教育から職業教育へ(1) 戦時体制下の実業教育(2) 職業高等学校(3) 新制大学4 技能評価制度(1) 戦時体制下の技能検定(2) 戦後期の技能検定第3章 近代主義の時代の職業教育訓練――技能は今や国政課題に1 職業訓練法による統一(1) 1958年職業訓練法(2) 事業内職業訓練(3) 公共職業訓練(4) 技能検定2 企業内技能教育訓練体制の確立(1) 大企業における技能教育訓練(2) 中小企業における技能教育訓練3 職業教育の展開(1) 職業教育制度改正の試み(2) 技能連携制度(3) 技能高校の提唱(4) 職業高校の多様化(5) 高等専門学校(6) 高等教育の多様化4 国政課題としての職業教育訓練(1) 経済政策における人的能力政策(2) 雇用政策における技能者養成(3) 1969年職業訓練法(4) 職業訓練校の衰退第4章 企業主義の時代の職業教育訓練――技能よりも「能力」が大事!1 政策の大転換(1) 近代主義から企業主義へ(2) 「能力」主義の興隆(3) 職能資格制度と非技能的「能力」観の一般化(4) 高卒者のブルーカラー化とOJT(5) 労働経済学におけるOJT礼賛論(6) 企業現場のOJTの実像2 企業中心の職業能力開発政策(1) 雇用保険法による能力開発事業(2) 1978年改正職業訓練法(3) 多様な企業内教育訓練への助成金(4) 認定職業訓練の拡大(5) 1985年職業能力開発促進法3 公共職業訓練と技能検定(1) 1970年代の法改正(2) 1980、90年代の法改正(3) 企業主義時代の技能検定4 職業教育の低迷(1) 職業教育に対する日教組の否定的思想(2) 職業高校の動向(3) 専修学校第5章 市場主義の時代の職業教育訓練――自己啓発からリ・スキリングへ1 政策の再転換(1) 企業主義から市場主義へ(2) 経営側のスタンス2 「自己啓発」の時代(1) 「自己啓発」へのシフト(2) 教育訓練給付の創設(3) 教育訓練給付の見直し(4) 専門実践教育訓練給付と特定一般教育訓練給付3 職業教育の復活(1) 職業高校から専門高校へ(2) 高等職業教育の再認識(3) 法科大学院(4) 専門職大学院(5) 専修学校の職業実践専門課程(6) 専門職大学(7) 大学等の職業実践力育成プログラム4 公共職業訓練の諸相(1) 自己啓発の時代の公共職業訓練(2) 雇用・能力開発機構の廃止(3) リーマンショックと基金訓練(4) 求職者支援法と認定職業訓練(5) 公共職業訓練の現在5 キャリア形成支援と教育訓練助成金(1) キャリア形成支援への政策転換(2) 日本版デュアルシステム(3) ジョブ・カード制度(4) 企業内教育訓練への助成金6 職業能力評価制度の紆余曲折(1) 職業能力評価基準(2) ジョブ・カード制度と日本版NVQ制度(3) 職業能力の「見える化」7 今さらながらのリ・スキリング(1) リカレントガイドライン(2) リ・スキリング支援補章 諸外国の職業教育訓練1 イギリス――ギルド徒弟制から現代徒弟制へ2 フランス――企業研修の光と影3 ドイツ――世界に冠たるデュアルシステム4 アメリカ――コミュニティカレッジとプロフェッショナルスクール終章――日本社会を支配する「能力」概念おわりに
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そもそも、日本で最も一般的な入職の形は新卒大学生の採用ですね。
我が家にも一人、決まらずに悩んでいるのがおりますが、見ていると「スキル」と「デキル」を実感しまスル。読書好きの、比較的おとなしいヤツで、大学にては哲学なんぞを専攻した孫ボーイ。「ぼく、ガクチカとかないし、哲学なんて専攻しているからね。」と、連戦連敗にため息まじりです。ガクチカ=リーダーシップ、明朗、他体力、好奇心などなどの「デキル」能力、に欠けており、「適性検査=デキル検査」もごく普通、「哲学」は「スキル」としてさえ認められておらず、むしろ「めんどくさいヤツ」と思われるふしあり、のもよう。「TOEICでも受けようと思ってる」「おう、そうか、がんばれ。」と励ますと、「点数とかよりも、そういうのをきちんと受けるタイプの人間とみてもらえることがだいじだと思うんだ。」おー、孫よ、哲学しとるではないか、まあ、しっかり考えて生キルのだよ、と祈るしかないですが。
投稿: ぶらり庵 | 2026年9月16日 (水) 16時47分
拝読いたしております。すみからすみまできっちりとというより、けっこう飛ばし読みですが、やはり、一番気になるのは、今、どうなっているかという。で、私としては、一番興味があったのが、第5章(6)(7)と、補章の海外というか、英仏独米のつまり欧米の動向ですね。
すっごく簡単にまとめて、日本も、高等教育を、日本のこれまでの大学教育だけでなく、職業教育・生涯教育まで含めての教育機関として、文科省・厚労省の枠を取り払って行くべきではないかとのメッセージに思えました。とりわけ、第5章(7)の「大きくは少子化の中で大学生の数が減っていく、(中略)日本は世界的に見ても、高等教育在学生が一定の若年層に集中しており、社会人の学び直しの機関としての性格が極めて希薄な国です。(中略)これから若年層が激減していく中で。、積極的に社会人に客層を拡大していかないと膨れ上がった大学が大量に経営危機に陥っていくことは目に見えています。」、それに、これからのAi導入・自然環境の大きな変化などの社会変化によって、大きく、仕事・生活が変わりつつある時代、入職の時期からその後の生涯にわたる教育を考えないと、社会はたちゆかないように思います。日本はどの都道府県にも国立大学がありますし、少子化で経営が、の私学も多い、大学と職業訓練・生涯教育の接合を考えられる土壌はあると思いますけれどね、と、もとぶらり庵は読ませていただきました。
投稿: もとぶらり庵 | 2026年9月26日 (土) 13時41分
本書では、いくつかのところで高等教育における職業教育への指向がちらちらと垣間見えるような記述がされています。あくまでも歴史叙述の中の客観的な事実の叙述という形ではありますが、そこは読む人が読めばすぐわかるようにはなっているだろうと思っています。
投稿: hamachan | 2026年9月26日 (土) 18時23分