マシナリさんの拙著書評
労務屋さんに続いて、刊行からまだ間もないのにマシナリさんがさっそく『スキルとデキル』を丁寧に書評していただいています。
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-859.html
hamachan先生の新著をさっそく拝読しました。hamachan先生ご自身が「『スキルとデキル』という変な本」とおっしゃっていたので何かギミックがあるかとwktkしながら拝読しましたが、いつも通りの重厚な歴史書でありつつ、ところどころにクリティカルな指摘がちりばめられていて安心(?)しました。 ・・・
マシナリさんが本書の重要ポイントとして指摘していただいているのは、このエントリのタイトルにもあるように、「一番肝心の回路が塞がれた人事労務管理」という点です。
その中で、職能資格制度という仕組みによって労使の「対立」が結果的に解消されてしまったのではないかという指摘は、世の中の人事労務担当者のみならず、経営側も労働者側も正面から向き合うべき課題であろうと思います。・・・
前著に引き続き本書でもその立役者(?)として小池和男先生が名指しで批判されていまして、経済学的に「正しい」とされる理論が生々しい現実を覆い隠してしまっていた(る)状況に薄ら寒いものを感じてしまいますね。・・・
ここは、実は小池批判というよりも、労働経済学全般に対する批判という意図がありました。企業特殊的熟練によって日本の人事労務管理を説明するというのは、知的熟練論に限らず、当時の労働経済学者に広く見られた傾向であったと思います。
その点では、日本型雇用の典型である大企業のみならず、広く中小零細企業に至るまで「職務を遂行しうるスキルを認識し、評価し、操作するという一番肝心の回路が塞がれたままになってしまっているという事態」が広く浸透しているものと思われます。hamachan先生は自虐的に
私自身を含む今の中高年世代は、まさに若き日の精神形成期に、そういうイデオロギーをたっぷり前進に受けて育った世代です。その世代が社会の中枢を担い始めた1990年代末期から日本経済は長期停滞期に入り、今やGDP世界第5位に転落しつつあります。しかし、政府のリ・スキリングの掛け声にもかかわらず、スキルよりデキルの心性は私たちの骨髄に沁み込んだまま、消え去る気配はありません。本書がそれに対する一服の清涼剤になれば幸いです。
濱口『同』p.274とおっしゃいますが、その下の世代も十分に日本型雇用にどっぷり浸かっている、というよりそれ以外の働き方を想定できないのではないかと思います。もしかすると「静かな退職」コースが定着していく中で変わるかもしれませんが、本書を読むとそれも一筋縄ではいかないかなと悲観的になってしまいます。ということで、本書で指摘された歴史的経緯をじっくり読んで、かつ日本型雇用の現状を認識できれば、本書は清涼剤どころかセイレーンもビックリのキャロなんとか並みの激辛だと思うのですが。。
これは「おわりに」の最後のパラグラフですが、その一つ前のパラグラフと併せて、この最後の2パラグラフが、たぶん本書のメッセージという感じになります。激辛とまでは思いませんが、まあ清涼剤にしては辛口すぎるかもしれません。
全体としては、近現代日本の職業教育訓練のコンパクトな歴史書というふぜいでありながら、最後のところでちょびっと炎上気味の一節を投げ込んでみたというところでしょうか。
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さっそく捕捉いただきありがとうございます。いつも自分の関心事に引きつけた感想ばかりで恐縮です。本書でも歴史的経緯が重層的に記載されていて、拙い感想も多面的な読み方ができることの副反応としてご容赦いただけると幸いです。それはさておき、労働経済学を含む経済学が一見客観的に示すロジックには、その実それを主張する側の価値判断が含まれているということは、歴史的な観点から振り返りながら十分に意識しなければならないなと改めて思います。
投稿: マシナリ | 2026年9月17日 (木) 14時51分