竹田誠『王子製紙争議』
竹田誠博士は『王子製紙争議』で日本の民間大企業労働者の精神構造を解読することが最も重要な課題なのだと規定し、そこから顕著におかしくなりました。研究者としても破綻してしまいましたね。
てなことを呟いていたので(その前後のやりとりもおもしろい、下記参照)、昨年刊行した『管理職の戦後史』でちょびっと使ったことを思い出しました。
同書のはじめのところの、終戦直後には管理職が労働運動をリードしていた話のネタに使ったのが山本潔の『読売争議』と『東芝争議』ですが、その後経営側が反転攻勢に出てくるところでは日産争議と王子製紙争議がネタで、後者について同書で引用したのが、希流さんと稲葉さんが話題にしていた竹田誠の『王子製紙争議』(多賀出版)でした。
・・・職場闘争は官公部門、とりわけ国鉄では1960年代から70年代前半まで延々と続けられましたが、民間部門では1950年代まででほぼ後を絶ちました。その最後を飾るのが、1957-60年の王子製紙争議です。詳しいいきさつは竹田誠『王子製紙争議(1957-60)』(多賀出版、1993年)に委ねますが、興味深いのは王子製紙が当時最も「近代的」な労務管理をめざしていた企業であったことです。前著『賃金とは何か』でも触れたように、王子製紙は1949年の段階でGHQの考え方に従い、職務分析、職務評価に基づく職務給を導入していました。そのリーダーは38歳で本社勤労部副部長を務めていた田中慎一郎でした。ところが理想主義的な職務給はうまくいかず、1957年からレッドパージ復職闘争や連続操業反対闘争が始まると、当時の若手管理職たちは、終身雇用の社是を確立し、職場自主管理運動を組織するとともに、労働者の日本的心情を活用して、争議に対応していきます。その結果、職場は「王子労組を脱退して第二組合に加入した現場職制層に対する労働者の“近親憎悪感情”」で嫌がらせ行為が横行しました。竹田はこの「近親憎悪感情」の背景に、現場職制と労働者の間の「癒着関係」があったと指摘します。
王子製紙の職場闘争にコンサルタント的立場で関与していたのが、当時東大社会科学研究所講師であった労働法学者の藤田若雄ですが、彼は前述の総評『組織綱領草案』の実質的執筆者でもあります。彼は無教会派キリスト教徒であり、日本的な共同体意識を批判して、労働組合を誓約集団として純化すべきと唱えていました。その気持ちは分からないではないですが、欧米の労働組合も(ごく一部を除けば)イデオロギー的な誓約集団などではなく、職種と熟練に基づく企業横断的な利益団体なのであって、藤田理論が現実化する見込みははじめからなかったというべきでしょう。
私はこの人について、著書以上のことはほとんど知らなかったのですが、お二人のやり取りによると、かなり、いや相当に、いやいやとてつもなく、とんでもない人であったようですな。
あれ、僕は当人からは捕まらなかったと自慢されたのですが、しかし服役したことも自慢していた記憶があるし、色々やらかしすぎていてよくわからなくなりますな。
実刑食らったのは結局何によってなんでしょうかね。判例データベースじゃ見つからないので。
「竹田誠」っていま検索しても東大の医学者しかヒットしないでしょうねほとんど。かつて2ch共産趣味者板などでさんざんヲチされていたわけのわからない人です。革マルの活動家だったそうですがよくわかりません。
一部大学図書館に彼の本が入ってますがまともなのは一次資料を駆使し関係者聞き取りも踏まえた最初の王子製紙争議の本(博論)くらいでしょうか。あとは聞き取りがかえって妄想を膨らませる陰謀論本になってます。
竹田誠博士は『王子製紙争議』で日本の民間大企業労働者の精神構造を解読することが最も重要な課題なのだと規定し、そこから顕著におかしくなりました。研究者としても破綻してしまいましたね。
なるほど!ありがとうございます。不思議なことに本人は頑なに北大での修士課程時代を語ろうとしませんでした。色々と屈折した精神が最終的に破綻したのですな。他山の石としなければならないですね。
実は、わたくしが『管理職の戦後史』を刊行した後で、ある労働法研究者の方から、藤田若雄が王子製紙争議のコンサルタントだったという話はいったいどういう根拠があってのことかと問われたことがあって、竹田誠の『王子製紙争議』の中にそう書かれていますよ、とお答えしたことがあるのですが、

でもそういう人だとは知りませんでしたがな。
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