優秀な現場力こそが諸悪の根源だった!?
たまたま、ネット上にこんな記事を見つけたのですが、
優秀さという檻 ―― なぜ日本人の「Excel習熟度」の高さが、国のIT投資を遅らせたのか
ここで言われていることが、本日お送りいただいた首藤さんの『なぜ賃金は上がらないのか 日本経済30年の陥穽』(講談社現代新書)のメッセージと通底しているように感じました。
再掲になりますが、首藤さんが日本の賃金が上がらなかった最大の要因として指し示すのは「優秀過ぎる現場力」です。
本日のエントリですが、もう一度ここに載せます。
・・・・・・しかし、本書で首藤さんはその先に論を進めます。
なぜ交易条件の悪化を企業内の賃金調整で凌いでしまうのか?
いや、凌げてしまうのか?
そこに、首藤さんは、これまでカイゼンや知的熟練などとともに日本の競争力の源泉として賞賛されてきた「現場力」がプラス要因からマイナス要因に転化してしまったという皮肉な構造を見出すのです。
・・・重要なのは、この現場力が発揮されていた時代背景である。高度成長期から安定成長期にかけて、日本企業は設備投資を行い、人員にも一定の余裕を持っていた。現場ごとにOJTを通じた教育訓練が行われ、改善提案をする能力が培われ、新たな投資が工程改革と結びつき、生産性が向上していった。そして、その成果は賃金の上昇や雇用の安定として、労働者にも還元されていた。現場の努力と企業の成長、賃金の上昇は、相互に結びついていた。
しかし、本書で見てきたように、賃金が上がらず、価格も動かず、投資が抑制される状況が長期化する中で、現場に求められる役割は、次第に変質していった。人が減っても、どうにか仕事を回す。コストが増大しても、現場で帳尻を合わせる。投資が行われなくても、既存の設備を工夫して使い続ける。ここで行われていたのは、必ずしも生産性向上を目的とした改善ではない。本来であれば価格の見直しや投資によって調整されるべき問題が、日々の業務の中で吸収されるようになっていった。
問題は、現場の労働者が怠けていたことでも、能力が不足していたことでもない。むしろ逆である。現場が優秀で、責任感が強かったがゆえに、調整の負担が現場に集中してきたのである。
重要なのは、この現場の強さが、価格や投資による調整の代替として機能してきた点である。その結果、問題は解決されるのではなく、表面化しないまま先送りされてきた。価格は上がらず、投資も進まず、調整の負担だけが現場に蓄積されていく。現場の優秀さは、日本経済の強みであると同時に、調整の在り方を歪めてきた側面をもつ。
・・・すなわち現場の努力は、成長を支える改善であると同時に、価格を動かさない経済を成立させる調整装置としても機能していた。現場が頑張れば頑張るほど、構造的な問題は表面化しにくくなり、「まだ回っている」という認識が温存される。その結果、賃金や人員、労働条件にかかる負担は蓄積していく。ここで生じているのは、現場力の低下ではなく、その役割の転換である。成長を支える能力であった現場力は、価格と投資の不足を補う制度的装置へと変わってきた。
・・・今問われているのは、現場を称えることではなく、現場になにを背負わせてきたのかを見直すことである。
現場に無理を聞かせられないような社会、日本以外のジョブ型社会は概ねそうですが、そういう現場がアホやから上が何とかせな回らへん社会では、こういう事態はそもそも起きようがないでしょう。
かつて40年前に自信満々の日本人が、欧米をみて「こいつら現場がアホや」「うちは現場が優秀ねん」と言っていた、そのツケが回り回って、今の事態をもたらしていると考えると、巡る因果の糸車の恐ろしさがひしひしと感じられます。
かつて、「スマイル0円が諸悪の根源」と論じたことがありますが、その伝で言うと、「優秀すぎる現場力こそが諸悪の根源」だったのかも知れません。
次に、kentrue1106さんのnote「優秀さという檻 ―― なぜ日本人の「Excel習熟度」の高さが、国のIT投資を遅らせたのか」の論ずるところを見てみましょう。
「日本のデジタル化が遅れているのは、現場のITリテラシーが低いからだ」。この説明を、私たちは何度となく聞かされてきました。役所の窓口でいまだに紙の書類が飛び交い、FAXが現役で稼働し、企業の基幹業務が表計算ソフトの上で危うく回っている――だから日本人はITが苦手なのだ、と。
けれども私は、二十五年間を事務職として過ごし、その後システムエンジニアとしてWebシステムを設計・開発する側に回ってみて、まったく逆の結論にたどり着きました。日本のIT化が遅れたのは、現場のリテラシーが低かったからではありません。むしろ現場が優秀すぎて、Excelを器用に使いこなせてしまったからこそ、私たちはシステムへの投資を「不要なもの」と錯覚し、構造改革を限界まで先延ばしにできてしまったのです。
これは、能力の欠如の物語ではありません。能力の過剰が、なぜか衰退を招いてしまったという、きわめて皮肉な物語です。・・・
これはどういうことなのか?
では、専用機がそれほど優れているのなら、なぜ日本企業はそちらへ投資してこなかったのでしょうか。ここで、第1章の不穏な問いが効いてきます。現場が優秀だったからです。
考えてみてください。本来なら全社の基幹システムを導入して自動化すべき業務でも、日本の現場は「とりあえずマクロを組んで、関数を駆使して、数日徹夜すれば動くもの」を自前で作り上げてしまいます。すると経営層はこう考えます。「お、システムに投資しなくても、現場が工夫して回してくれているじゃないか。うちの社員は優秀だな」。こうして投資判断は静かに見送られます。
その結果、起こったのは最悪の帰結でした。
日本人の真面目さ、器用さ、協調性、そして善意。これらは間違いなく世界に誇れる美徳です。誰も悪意など持ってはいません。むしろ「会社のため、みんなのため」を思って、夜遅くまで画面に向き合っているのです。なのに、その百パーセントの善意と努力が積み重なった果てに、国家規模のIT投資の遅れと生産性の低迷という、最悪の果実が実ってしまったのです。「現場の善意」「組織の協調」「経営の信頼」という美しい循環が、専用機の育つ土壌を根こそぎ奪ってしまったのです。
このnoteはこう皮肉に締めくくります。
日本人の優秀さ、器用さ、真面目さ、善意。それらは紛れもない美徳です。本稿は、その美徳を否定するために書いたものでは、決してありません。私が描きたかったのは、美徳がそのまま檻になりうるという、構造の皮肉です。・・・
あなたの会社で、いまも誰かが夜なべして磨き上げている、あの美しいExcelファイル。それは紛れもない優秀さの結晶です。けれど、一度だけ問い直してみてください。それは本当に、あなたの優秀さが向かうべき場所なのでしょうか。罠は、いつも心地よい顔をしてやってきます。
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コメント
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権力に胡坐をかいて自助を唱えることは、悪でしかないのかもしれない。
我が国の企業は経営陣という権力者の持っている人事権が大きく、責任を現場労働者に転嫁しやすい傾向にある。
円高不況、バブル景気後の不況によって、非正規雇用の拡大による終身雇用の崩壊、成果給などの賃金に対する経営陣の裁量拡大もあって、企業の人事権はますます強くなっていった。
そうなると、現場で頑張れば待遇が良くなるという前向きな意味(飴)ではなく、現場で頑張らなければ雇用がなくなるという恐怖感(鞭)が強くなってくる。労働者は、「やるべきことをやってから言え」「権利には責任が伴う」「働けるだけでもありがたいとおもえ」という風潮の下、経営陣の理不尽に耐えなければならなくなっている。
機関投資家の買収圧力にさらされている経営陣は、内部留保を貯め込みつつ、現場に恐怖心を与えることで投資を抑えても現場力を維持できると思い込んでいるかもしれない。
下の自助努力を当てにするのは、支配者の堕落につながるのだろう。
投稿: 国道134号鎌倉 | 2026年6月25日 (木) 00時37分
では現場が優秀でない方がいいかというと、労組の力が強いところが強い会社にはなっていない。
経営の話のはずなのに、忖度して経営側の無能を隠し、労働側の問題にもってきてる、ってのは穿ちすぎですかね。
投稿: ちょ | 2026年6月27日 (土) 07時01分
各々の現場が(マイナーな)コンクールとか、コンテストみたいになっている。
努力や競争がそこにはあるんだけど、それで、お客さんから、どれだけのお金が取れているんだろうか?
半分、趣味として割り切っているなら、いいと思うんですけどね。
集団自己搾取的な土壌があるが故に不況になるとブラック労働が蔓延るんでしょうね。
投稿: 人文冴E | 2026年6月27日 (土) 19時19分
>むしろ現場が優秀すぎて、Excelを器用に使いこなせてしまったからこそ、
現場が勝手に(関連部門との調整や承認なしで)業務アプリを作る事を 野良DX と言うそうです。
先日テレビを見ていたら
文系出身の部長のオレでも簡単に業務アプリが作れた!
というCMが流れていました。
>専用機がそれほど優れているのなら、なぜ日本企そちらへ投資してこなかったのでしょうか。
>現場に無理を聞かせられないような社会、日本以外のジョブ型社会は概ねそうですが、
かなり昔の話ですが、
日本では全社の基幹システムを導入しても外国ほど効果が上がらない
という事が言われていました。どんな基幹システムでも導入した会社の現場の業務と全く同じという事はありません。外国ではシステムの導入時に
導入したシステムに現場の業務を合わせる。つまり買ってきた靴に現場の足を合わせる
という、現場に無理を聞かせる事ができたのに対し、日本では
買ってきた靴に我々の足を合わせるのはおかしい! 靴を我々の足に合わせるべきだ!
という現場の要求に合わせて基幹システムを修正するそうです。現場も現場A, 現場B, … と複数あるとそれぞれに対応した修正が必要になります。また基幹システムでもバージョンアップがありますが、その場合でも外国の様に最初に現場に無理を聞かせておけばバージョンアップ時はシステムをそのまま置き換えればすみます。しかし日本のように各現場の業務に合わせてシステムを修正しているとバージョンアップ毎に各現場対応の修正を行う必要があります。このように日本では外国より同じ基幹システムでも導入や維持のコストがかかるそうです。
この記事を読んで
A.全体最適と部分最適
B.現場力の比重
という事が浮かびました。これはきちんとした根拠のない私の感想なので、おかしな点等があれば教えてください。
A.全体最適と部分最適
野良DXもそうですが各部門が独自に作るアプリはその部門の業務を改善する事が目的で他部門の業務は考慮していないと思います。つまり各部門がそれぞれ自部門の業務を改善するアプリを作っている事になると思います。
各部門で最適化したものをまとめると全社の最適化になる場合はそれでも良いですが、そうでない場合もあると思います。つまり全社の最適化のためには一部の部門が非効率になってしまう場合もあると思います。現場に無理を聞かせられる会社では、
全社の最適化のために、お前の部門は非効率になるのは我慢しろ
と押し付ける事が可能かもしれませんが、現場の
靴を我々の足に合わせるべきだ!
という主張が通ってしまう会社では、全社の最適化のために現場に非効率を押し付けるのは難しいと思います。、
B.現場力の比重
私が入社したのはメーカだったので全社員による品質向上活動(QC活動)が盛んでした。入社時の研修では、
日本の半導体事業では現場で作業する(高卒の)社員が作業を通じて不具合の原因を突き止め改善する事で
品質管理が専門の(学位を持った)社員だけが不具合の対応をする欧米の半導体事業を追い抜いた
と教育されました。その後、日本の半導体事業は韓国や台湾の半導体事業に追い抜かれ現在でははるかに引き離されてしまいました。私は韓国や台湾の半導体事業の現場については全く知りませんが、韓国や台湾でも現場のQC活動が行われているのでしょうか?これは何の根拠もない私の感想ですが、
日本が欧米を追い越した当時は技術のレベルが低かったので現場の作業員が問題点を発見できた。
しかし現在は技術のレベルが当時よりはるかに上がっているので現場の作業員では問題点を発見できない
という事でしょうか?そうであれば日本が誇る現場力の神通力もだんだん弱くなっているのかもしれません。
投稿: Alberich | 2026年7月 6日 (月) 20時47分