保守主義 vs 原理主義
かつての進歩派がほとんど道化の類いに退化していく中で、こういう記事を読売新聞で読むと、いまやまっとうな保守主義といかがわしげな原理主義が対峙しているらしいということが窺われます。
皇族として長く国民に親しまれている方が皇位継ぐべき、女性天皇も議論を…東大名誉教授・北岡伸一氏
たぶん、半世紀前には『諸君』や『正論』に出てきていた保守派の論客たちもそうだったんでしょうが、保守主義というのは日々の繰り返しとか近さや慣れ親しみといったまさに保守的な感覚を大事にする思想であって、皇室であれば、毎年新年の一般参賀で日の丸の旗を振る国民に手を振る皇族の方々の姿や、全国を訪問して国民と言葉を交わす姿、等々こそが大事にすべき皇室のイメージであって、だからこそ「皇族として長く国民に親しまれている方が皇位継ぐべき」と北岡氏は言うのでしょう。これこそ、言葉の正確な意味での保守的感覚であり、それを思想と呼ぶならば保守の思想なのでしょう。
ところが、そういうまっとうな保守主義では売れなくなったからなのか、それとはある意味で真逆の思想、すなわち日々の繰り返しとか近さや慣れ親しみといった保守的感覚を愚劣なものと見下し、それらとは対極にある観念的な原理主義的なイデオロギーが、「ホシュ」といういささか詐欺商法的な商標を纏って、熱心に売りつけられるようになってきたようです。原理主義とは、昨今はイスラム原理主義やキリスト教原理主義が流行ですが、戦前の日本でも蓑田胸喜の「原理日本」みたいに、保守と対極的な、当時の言い方で言えばまさに「革新的」な右翼思想が流行したこともあったわけで、その意味では別に不思議ではありませんが、保守的感覚を蔑視して人の心のあり方を自分の脳内の観念でもって全面的にたたき直そうという発想は、近現代史をひもとくまでもなく、あんまり素晴らしい結果をもたらしてこなかったのも事実でしょう。
いや、そんなことはソ連や共産中国の歴史を見れば分かることですが、でも不思議なのは、ここにきて、天皇というまさに日本の保守思想の中心に位置するであろう問題に対して、右翼原理主義の方々が、国民の多くが自然に胸中に抱いているはずの日々の繰り返しや近さや慣れ親しみといった保守的感覚を頭ごなしに否定し、南北朝時代の北朝の天皇の子孫の方々をいきなり天皇や皇族にしても、国民がその人を天皇や皇族として親しみを感じ、新年参賀で日の丸を旗を振ると思い込んでいるらしいことです。保守的感覚というものを失ってしまった原理主義者には、その辺が見えてこないのかも知れません。
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コメント
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この問題についておそろしく面倒なことはいくつかあるように思います。
仮に皇室復帰が実際に起きる場合、その人について、実際問題として今上、そして上皇両人の面接は当然にあり、十分に人格的に問題ない人が復帰するのであろう、ということです。あるいは、そのような方策が議論されている以上「そういう一族」が候補者のなかに、誰かいるものと思われる。
また、かならずしも、すぐにその人達に皇位をつがせる必要はない、というのもあります。たとえば伏見宮家のような世襲親王家にたてて復帰させた人たちはバックアップにつかせるというのも考えられえる。そして、時をかけて「国民に親しまれる方」に演出すればよいわけです。こういう慎重な手段がとられるならば、それがどういうことになるのか。
そして、これをやらないのであれば、結局、女系天皇を認めるか単に皇室を廃止して共和制に移行するか、という選択になってくると思います。ぼくは共和制でもなんでもいいのではないかとは思うんですが、それはあきらかに「保守主義」ではない。
そして女系については「保守派」のなかで一番揉めている部分だと思います。
投稿: ssig33 | 2026年6月 2日 (火) 13時01分
天皇制や皇室をめぐり近年のあれこれを眺めると、貴族制度抜きに君主制を維持することの限界が来ているのだと思わざるを得ませんね。華族制度が存続していれば、女性皇族の夫や子の身分をどうするか、民間人になって久しい旧宮家を皇族に復帰させることへの国民感情の問題はもっと対処しやすかったことでしょう。皇族の結婚問題も同様である。
貴族というクッションなしに君主が国民大衆と直接対峙するという戦後日本の天皇制のあり方は、大衆化が極まった現代社会ではあまりに厳しく、生身の人間である皇族の負担は限界なのではないだろうか。
私は天皇制の将来にわたる維持を本当に企図するのならば、真正面から華族制度の復活を検討すべきだと思う。女性宮家などは小手先の弥縫策であって、問題の解決にはならないだろう。
もちろん戦前の華族をそのまま復活させるわけにはいかないだろう。イギリスのような准男爵を創設して戦後勃興した実業家などを取り込んで皇室の藩屏の基盤を拡大させるべきである。一方で戦前の華族の爵位は一つずつ落として(公爵は侯爵、男爵は准男爵)、旧宮家の嫡流を公爵にすればよい。
門地差別という批判は、そもそも天皇制が憲法上の例外なのであり、あまり意味がない。華族に政治的特権を与えなければ齟齬は生じないだろう。
議会制民主主義の故郷であるイギリスで貴族が現存するように、身分制と民主主義は矛盾するものではない。むしろ歴史的にみれば、身分制こそ民主主義の前提条件だった。貴族の政治的特権を国民一般に拡大することで議会制民主主義は成立したのである。逆に安定的な身分制を形成しなかった中国の民主的基盤は弱い。
民主政は政治共同体のメンバーに政治的特権を付与することで成り立つものであり、論理的に身分制や門地差別を前提に含むものなのである。古代ギリシアの民主政が奴隷制に立脚していたという決まり文句はこのことを正確にとらえている。
「日々の繰り返しとか近さや慣れ親しみといった保守的感覚」を尊重するのが保守主義というのはそのとおりだが、人の感覚や意見といったものは不定形で揺れ動き、あいまいでころころと変化するものである。そのようなものに一々振り回されるのでは意思決定の基盤にはならない。旧宮家の男子が国民に受け入れられるかという疑念の声があるが、実現したらその男子たちに「推し」が生まれて結婚相手が誰かとマスコミが騒いで国民が話題に夢中になるのが目に浮かぶ。所詮民意などというのはそのようなものであるというのも厳然たる事実だろう。
保守主義がよって立つべきなのは、もちろん自称保守主義者の勝手な「脳内の観念」などではなく、「日々の繰り返しとか近さや慣れ親しみといった保守的感覚」に根ざしながら形成され維持されてきた歴史的な制度や伝統だろう。そのような制度や伝統の合理性を「さしあたり」信頼してこれを尊重しようというのが保守主義だと私は考える。当然、制度も時代の流れに合わせて変化せざるを得ないが、そのときどきのあいまいでうつろいやすい民意に振り回されるべきではない。追求すべきは客観的な時代状況のなかでの制度としての合理性である。単に女性天皇が見てみたいといったふわりとした民意に左右されるべきではない。誰が天皇にふさわしいかといった人気投票に委ねるべきことでもない。
憲法上保障されるべき歴史的制度として天皇制のほかに大学があげられる。歴史的制度としての大学は自治という特権を憲法上保障されると解釈されている。しかし天皇制のような歴史的制度のあり方がそのときどきの民意によって左右されるのを許すのならば、大学の自治など民意の前では風前の灯火だろう。天皇制も時代に合わせて根幹を変更したのだから、大学も時代に合わせて古臭い自治などという不効率なものなど捨てよと言われて抵抗できるだろうか。
ましてや欧米の大学と違って日本の大学の自治は近代国家以前の歴史をもたず、歴史的基盤は薄弱なのである。せいぜい旧帝国大学がその特権の歴史性を主張できるかもしれないが、それも多分に天皇制に由来するものである。天皇制のあり方を単純に民意に委ねるのは大学の自治にとっても自殺行為だろう。
女性天皇に賛成するかといった曖昧な意識調査を盾に女性天皇実現を主張する学者がいるが、自らの拠ってたつ基盤を掘り崩すことに気づかないでいる痴愚の所業というべきだろう。曲学阿世のそしりは免れない。
長くなるし疲れたので、つづきは明日
投稿: 通りすがり2号 | 2026年6月 4日 (木) 21時29分
世界の大勢は長子相続だというが、それは主に西欧の王室の話である。歴史的にみればユーラシアの辺境にすぎない西欧のあり方を特権的なものとみなす態度こそ相対化すべきだろう。
そもそも西欧は領地や位の男系相続を基本としながらも、補足的に男系が絶えれば女系に継承されるという制度を歴史的にとってきた。しかしこれは国境を超えて貴族同士が婚姻ネットワークを形成してきたことを前提としている。結果的に君主になりうる上級貴族家門が形成された。起源をたどれはフランクの帝国貴族に遡るそれは君主の位をめぐって家門の間で争いながらも独占してきたのである。これが大々的に破られたのはナポレオンによってであった。
長子相続への移行は、実際にはこのような上級貴族家門による君主位の独占を前提としつつも、国民国家が確立されて他国から君主を招くことが難しくなった事態に対応してより血統主義を強めたものと評価すべきである。それは西欧で女性による高いステータスの職業への進出が、実際には少子化のもとで上の階層によるそのような職業の独占を維持して下層からの進出を妨害する機能を果たすものにすぎないのとパラレルである。なにか先進的で開かれた改革と思うのはとんだ勘違いといえよう。わざわざ参照する価値はない。
日本など東アジアでは男系相続を基調とするが、これは実は多くの女性にとっては有利なものなのである。玉の輿による階層上昇の機会が広がるからである。一方、補足的に女系相続が行われる西欧では歴史的に下層の男性が婚姻によって階層を上昇する機会がある程度開かれていた。出自の不明な(おそらくは不自由民出身の)成り上がりの騎士が貴族の娘と結婚して一家をなすということがしばしばみられたのである。ただ近世から近代にかけて伝統的な身分制が階級構造に変化するにつれて、むしろ西欧の下層男性の階層上昇の機会は減少したかもしれない(この点は特に私が興味をもっているところである)。
歴史的にみて日本など東アジアでは身分制の弱さからくる自由な競争によって男性には階層上昇の機会が比較的開かれてきた。女性も婚姻を通じて上昇機会を享受できた。西欧は身分制の制約がきつく階層を超える婚姻は抑圧されていたが、補足的な女系相続によって多少男性に上昇機会が与えられて流動性をもたらしていた。しかし西欧の庶民の女性は上昇機会から疎外されてきたのである。
日本は開かれた社会であるがゆえに自由な選択と競争の結果、男性が高いステータスの職業に占める割合が欧米より高くなっている。女性は婚姻によって階層上昇の機会が与えられてきた結果、競争に参加するインセンティブが乏しく女性の高いステータスの職業に占める割合が欧米より低い。男女ともそれぞれの選好にしたがって階層上昇の機会を享受した結果が日本におけるジェンダー格差と呼ばれるものの正体であり、男女それぞれが自らの自由な選択に従った結果であって日本こそジェンダー平等が実現されているとすらいえる。
欧米は西欧の身分制の伝統から階層上昇の機会が小さく、下層の男性が自らの選好にしたがって教育を受けて職業を選択する余地が少なかった。経済が発展し高いステータスの職業が増えても下層の男性はそこから疎外され、少子化が進んでも上層の女性がその椅子を占める形で上層が高いステータスの職業を独占したのである。一方下層の女性はそもそも歴史的に階層上昇の機会が乏しかった。このような社会をジェンダー平等が実現されていると評価するのは倒錯していると言わざるを得ない。西欧で生まれたフェミニズムがいかなる意味をもつのか、少し考えれば分かることである。欺瞞的な欧米の社会が政治的対立によって現在危機に陥っているのは当然というべきかもしれない。
ただ、日本がより平等であるとしても、女性の婚姻機会が上昇婚の方向に開かれている結果、高い階層の女性がやや割を食うことは否めない。これを補完するものが一夫多妻制における正室と側室の区別ではないかと私は考えている。上層の女性を正室として尊重しつつ、下層の女性は側室や妾として階層上昇の機会が与えられるという構図が成立したのだろう。
戦後、一夫多妻が廃れ、社会が平準化した結果、上層の女性の不利が強まったのは否めない。フェミニズムの浸透にはこのような背景があるのかもしれない。一夫多妻の復活を真面目に考えるべきだろうか。
近年、男女共同参画のお題目のもとで女性の管理職の割合を増やせだの大学の女性教員を増やせだの理系の女子枠だの不合理で不公平なバカ騒ぎが横行している。自由で開かれた日本社会の利点を損なう愚劣な所業だが、上層の女性が正室の地位の代償を要求しているようなものなのかもしれない。あるいは娘をもつ上層の父親の意向というべきか。昔の上層の男性は見合いで上層の女性となかば強制的に結婚させられていたのが実情であろう。見合いが廃れて上層の女性の行き場がなくなったのが近年のバカ騒ぎを招いていると思われる。一夫多妻を復活させて上層の男性が上層の女性を正室に迎えるという妥協でこのバカ騒ぎをおさめるべきなのだろうか。
西欧キリスト教社会では一夫一婦制の規範が強力だが、近年の歴史学ではこの規範は多くの男性に妻を得る機会を与える機能を果たしたと評価されているようだ。西欧はやはり男性に有利であり、女性には不利な社会といえよう。戦士社会の性格が強かったゆえかもしれない。キリスト教は女性保護を謳うことでこれを補完していたのだろう。
このように日本は男系相続でむしろ女性の階層上昇の機会が確保されジェンダー平等が実現されているといえる。そのような日本社会の歴史的構造を前提として考えると、女系天皇はやはり日本社会の制度的伝統とは相いれないものであることは否定できないだろう。女系天皇を認めたインパクトから社会が変質し、多くの女性が不利を蒙る可能性すらある。その反動で男性の階層上昇の機会も制約されて自由で開かれた社会が失われる結果になるかもしれない。女系天皇は認めるべきでない。
女性天皇はどうか。歴史上の実例がみな生涯未婚か未亡人であるという事実は重い。女性天皇の存命の夫という歴史上存在しないものをどう位置づけるか、難問である。現実には女性天皇に未婚を強いる結果になる可能性が高いだろう。天皇もまた生身の人間であることを忘れてはならない。女性天皇も認めるべきではない。
女性皇族の身分保持については、前近代ではもともと女性皇族は臣下と結婚しても皇族のままだったので、伝統への回帰といえる。ただ夫や子の身分をどうするかは問題である。歴史上彼らに皇族の身分を与えたことはないし、皇族がとめどもなく増えるリスクを考えると、華族制度の復活によって対処すべきことのように思われる。皇族の身分を与えることはむしろ女性皇族との結婚を忌避させる結果にすらなりかねないだろう。
旧宮家からの養子については、伏見宮系の皇族の皇籍離脱は占領下という異常な状況でなされた事実を無視すべきでない。日本が独立を回復した時点で彼らを皇族に復帰させ、法の一般的な発想である原状回復を実現すべきだったと考える。当時の政治情勢では不可能だったとはいえ、政治の不作為は否定できない。
ただ、すでに半世紀以上が経過し世代交代が起こっているという時の重みも無視できない。
養子案は原状回復の要請と時間経過の重みとのあいだの妥協として合理的なものと評価できるだろう。
このように考えると国会の大勢はおおむね合理的で妥当な方向に動いていると評価できる。選良の役割を果たしているといえよう。
投稿: 通りすがり2号 | 2026年6月 5日 (金) 19時48分
いや、そういう長子相続か男系相続かという議論は大いにやればいいのですが、それ自体がまさに相続の「原理」がいかにあるべきかという原理の話なので、私が言っているのはそういう原理以前に、なじみのない赤の他人(馬の骨)が出てきて、素直に皇室だとお慕い申し上げることができるのか、という話です。
原理主義じゃない保守主義というのは、そういうレベルの話です。
いかに「正しい」男系相続原理に合致しているからと言って、何十代も前に分かれた家系の人(DNA共有率でいえば、ほとんどゼロに近いような人)を、DNA共有率が半分乃至4分の1くらいの方々よりも(感覚的に、感情的に)認められるかという話なので、原理的にどちらの原理が正しいという話を百万遍やっても、「いやあ、そうかもしれんけど、なんかいややわ」という気持ちを消滅させることはできないでしょう。
そして、今や天皇の地位は国民の総意に基づくのであって、その「総意」が観念的な原理よりも保守的な感覚に基づく限り、原理ばかりを振り回すと、結果的に天皇の地位を危うくするんじゃないかな、という危惧の念を抱かざるを得ないというだけのことです。
まあ、憲法を改正して、天皇の地位はそんなふわふわした「総意」なんかじゃなく、かくかくしかじかの「原理」に基づくと書き込んでしまえば別でしょうが、さすがにそれはもっと難しいでしょう。
投稿: hamachan | 2026年6月 5日 (金) 20時41分
ssig33殿
この問題は 男系か女系か と言われていますが、私は 男系か直系か というべきだと思います。
つまり
傍系の男性(男系)
と
直系の女性(女系)
のどちらが皇位の継承者としてふさわしいか という事だと思います。もちろん現在の規定でも皇位は子(直系)ではなく弟(傍系)に継承されます。しかし子ではなく兄弟というレベルの傍系であれば許容範囲だという方も多いと思います。しかし現在話題の旧宮家の先祖が現在の皇室の先祖と別れたのは室町時代、織田信長どころか応仁の乱よりも昔です。そこまで遡れば私とssig33殿やhamachan先生も男系でつながっているいるかもしれません。そこまで遡らなければ繋がらない血縁の方が男系という理由で皇位を継承する事になれば、”傍系にもほどがある!” と感じる方も多いと思います。
私も現在の皇室とこれだけ血縁が離れていて宮家でなくなって80年経っている家の方は民間人と言ってもよいと思います。皇室の直系を皇族とせず、このような方の子孫が皇位に就けば
皇を取って民とし、民を皇となさん
という崇徳上皇の呪詛が実現しかねません。
また江戸時代に皇族が当時の公家の当主となりそのまま男系が継承されている家があるそうです。私は男系で継承するなら少しでも現在の皇室に近い方に継承していただきたいと思います。その点で私は 男系継承 というと シンデレラ を連想してしまいます。シンデレラではガラスの靴を履ける人を王様の妃とするために王様の家来がガラスの靴を持って国中の女性に靴を履かせたそうです。男系継承では天皇陛下に最も近いY染色体を持つ男性を皇位につけるために宮内庁の役人が天皇陛下のY染色体のデータを持って国中の男性のY染色体を調べるのでしょうか?
>そして、これをやらないのであれば、結局、女系天皇を認めるか単に皇室を廃止して共和制に移行するか、という選択になってくると思います。
マザー・テレサは
愛の反対は憎しみではなく、無関心である
と言ったそうです。私は天皇制についても
天皇制の反対は共和制ではなく、無関心である
といえると思います。大多数の国民の意向に反した皇位継承が行われても国民は共和制を主張する事はないと思いますが、皇室に無関心になる(誰が天皇になるかなんてどうでもよいと思う)国民は増えると思います。皇室に無関心な国民の増加は共和制を主張する国民の増加よりも皇室の存続にとって問題だと思います。近年の皇室にもこのような危機がありました。昭和天皇の没後に現在の上皇陛下が皇位を継承されましたが、新陛下に対して ”良い人そうだけど頼りなさそう” と感じる人も多かったそうです。また戦前からの昭和天皇に親しんでいた人からは ”威厳がない” という批判も多く、即位直後は新年の一般参賀はガラガラだったそうです。しかし即位後に上皇夫妻は被災地で被災者と同じレベルで言葉を交わされたり第二次大戦の激戦地を慰問する事により皇室は国民から評価され、一般参賀の人数も昭和天皇の時代より増えました。
>そして、時をかけて「国民に親しまれる方」に演出すればよいわけです。
演出で多くの国民からの評価が得られるでしょうか?皇位継承でこの諺を引用するのは不適切かもしれませんが、私は
氏より育ち
という諺を思い出します。皇位継承に関しては
いずれ皇位を継承される方がその次に皇位を継承される方を教育する
(皇位を継承される方はその前に皇位を継承する方から皇位に就く者に対する教育を受ける)
という事(直系継承)が適していると思います。
歌舞伎では団十郎や菊五郎という地位は人間国宝が約束されているほど高く評価されていますが世襲です。これは団十郎や菊五郎の家に生まれたから団十郎や菊五郎という地位に就けるのではなく、幼少の頃からその時の団十郎や菊五郎の教育を受けてきたから団十郎や菊五郎という地位に就けるのだと思います。
皇位は団十郎や菊五郎よりもずっと大変な地位なので、その地位に就くための教育の重要性もずっと高いと思います。その点からは皇位継承者を早期に決定できる ”直系長子継承” が優れていると思います。
>ぼくは共和制でもなんでもいいのではないかとは思うんですが、それはあきらかに「保守主義」ではない。
ssig33殿は「保守主義」とはどの様なものだとお考えでしょうか?
これは私の感想ですが、「保守主義」には
A.新しい事ではなく、これまでやってきた事を尊重する
という考え方と
B.理論(理屈)ではなく、一般の人の考え(感情)を尊重する
という考え方があると思います。
これまでやってきた事というのは一般の人が是認してきたから続いたと思うので、多くの場合は2つの考え方は一致します。しかしこれまでやってきた事であっても一般の人が ”如何なものか” と思っている事であればどうでしょうか?
私はB.の考え方なので、
これまでずっと男系男子が皇位を継承してきた
という理論(理屈)よりも
直系の方(女性)がおられるのに、はるか昔に枝分かれした方(男性)が皇位を継承するのはおかしい
という一般の方の考え(感情)を優先したいと思います。
投稿: Alberich | 2026年6月 5日 (金) 20時55分
>>天皇の地位は国民の総意に基づくのであって、
日本国憲法第1条[天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。]でいう「地位」は天皇制という歴史的制度が憲法上保障される地位にあるか否かが国民の総意に基づくということであって、制度の中身をそのときどきの民意によって好き勝手に変更することが許されるわけではないのであり、それは大学という制度も同じであるというのが、私の確認したいことでした。
この問題に関するマスメディアにおける議論はあまりに頓珍漢なのでやや取り乱してしまいました。
もちろん、おっしゃるように
>>その「総意」が観念的な原理よりも保守的な感覚に基づく限り、原理ばかりを振り回すと、結果的に天皇の地位を危うくするんじゃないかな、という危惧の念を抱かざるを得ない
というのはそのとおりです。ただ、それは時間が解決してくれる問題ではないかと思います。養子となった本人には皇位継承権が発生せず、結婚して子が出来て数十年も経てば国民のあいだで「慣れ親しみ」も形成されるでしょう。それだけの時間的余裕はまだある。もっと早くに着手すべきではあったが。
まあ、このあたりは私の感性が他の人とは違うかもしれません。「南北朝時代の北朝の天皇の子孫の方々をいきなり天皇や皇族にして」しまうということに、私は萌える。『蒼き狼と白き牝鹿』というユーラシアを夢台にした国盗りゲームで(光栄は株で儲けた資金で新作を作れ!!)滅びたビザンツの王子を鎌倉幕府の後継者にしたり(家臣が謀反を起こす)、チンギスハンの息子のジュチを義経の婿にしてモンゴルを攻めたり、『信長の野望』で顕如の息子を信長の後継者にしたり(信忠たちが謀反を起こす)、そういうプレイが好きなので。
いずれにしても大衆化時代において君主制をどう維持するかは日本のみならず諸外国でも難しい問題意になっていることでしょう。
この点で戦後日本の天皇制の基盤はあまりに薄弱だ。もともと外国の王室との婚姻のつながりもなく、藩屏もなくなり、皇族自体も減少してしまった。
国外的基盤の構築は無理であろうから、国内的基盤を厚くしていくしかない。それをこれから長い時間をかけてやっていけば、問題は自ずから解決すると私は見ています。
投稿: 通りすがり2号 | 2026年6月 6日 (土) 20時01分
私は、世界、特に欧州の王室ウォッチャーでもありますが、欧州の王室・公室では、すでに北欧三国・ベネルクス三国・英国が男女平等に長子から王公位の継承権の継承順位を付すようになっており、スペイン・モナコの二国が男子に劣後するものの女子にも継承権を与えるというやり方で、昔ながらの男系による継承を維持しているのは、リヒテンシュタインだけとなっていますね。そのため、スウェーデン、ノルウェー、ベルギー、オランダ、スペインの各国が次代は女性君主となります(スウェーデンは次々代も女性君主)。
これも男女平等が当たり前となっている、現代人の感覚に適合した形で国民統合の象徴としての地位を維持していこうとしていることの現れですね。
まあ、神聖なる男系原理主義者の諸氏は、本音では「男尊女卑」こそが日本国民統合の象徴としてふさわしい、と思っておられるのでしょうから、正直に公言してもらいたいものです(苦笑)。
もちろん、彼らが新たに擁立する、旧伏見宮家系統の新天皇に対して「なんかいや」と感じて旗を振らないような非国民はことごとく、不敬罪で引っ括ってしまえば万事解決、ということなのでしょう。
投稿: SATO | 2026年6月 9日 (火) 18時04分
ssig33殿や通りすがり2号殿のような男系継承派はどのような状況であれば 男系が継承された と判断されるのでしょうか?
私の理想は
女性皇族も本人が希望すれば結婚後も皇族に留まる事ができ、本人もその子供も皇位継承権を持つ
事ですが、それが実現して
男系を継承している男性が1人の日本人男性として女性皇族と結婚し子供ができ女性皇族が皇位に就く
という状況になったら男系継承派はどのように判断されるのでしょうか?
子供は男系だから男系は継承された
と判断されるのでしょうか?それとも
男系男子ではなくその配偶者が皇位に就くのはケシクリからぬ
と判断されるのでしょうか?
明治以降の天皇家は、その時点では一般的ではなかったがのちに一般的になった生活様式を先取してきたと思います。例えば明治天皇は洋服や洋食など西洋式の生活を取り入れました。大正天皇は自分が父の妻の子供でない(お妾さんの子供)ので、子供はすべて妻との子供でした。上皇陛下は身分にとらわれず旧宮家でも旧華族でもない一般の家の女性(粉屋の娘)と恋愛結婚しました。天皇陛下は既に就職して活躍している女性(バリキャリ)と恋愛結婚しました。
最近は結婚したら退職して夫を支える(専業主婦)という女性は少なく結婚したも仕事を続ける女性が大半です。しかし私は、結婚後に双方が仕事を続ける事も、(男女を問わず)一方が仕事をやめもう一方のサポートを行う事もどちらも同じく評価されるべきだと思います。現在は結婚後に男性が仕事を止めて女性の仕事のサポートを行うという家庭は少数ですが、天皇家が女性天皇の公務を男性配偶者がサポートするという生活をして、それが普及すれば素晴らしい事だと思います。それに比べれば男性配偶者が男系かどうかは取るに足らないどうでもよい事だと思います。女性天皇の公務をサポートする男性配偶者が男系であれば男系継承派がそのような生活を認めるのであれば配偶者は男系でもよいと思います。
私は
日本の伝統だから、男系男子が皇位に就くべきだ(女系天皇反対!!)
とか
日本の伝統だから、夫婦の苗字は同じであるべきだ(夫婦別姓反対!!)
という伝統派の意見を聞くと江戸時代の終り頃の ”妖怪” と呼ばれた町奉行を連想します。彼は 遠山の金さん のモデルだった人が北町奉行だった時の南町奉行です。当時はアヘン戦争の後で日本では大国の清がイギリスに負けた事に衝撃を受け、西洋技術を取り入れるために蘭学が盛んになりました。しかし妖怪奉行は ”蘭学は幕府の伝統である朱子学に反する” として蘭学を弾圧し有能な蘭学者が亡くなりました。この弾圧がなければ後年ペリーが来た時の混乱はもっと少なかったと思います。
現在でも、伝統だからという理由で 男系継承 や 夫婦同姓 を変更しなければ後の混乱がひどくなると思います。
>制度の中身をそのときどきの民意によって好き勝手に変更することが許されるわけではないのであり、
一部の方の意見(民意)によって、少なくとも父の代から民間人である方を皇族にする というように制度の中身を好き勝手に変更する事は許されるのでしょうか?
>結婚して子が出来て数十年も経てば国民のあいだで「慣れ親しみ」も形成されるでしょう。
ssig33殿も
そして、時をかけて「国民に親しまれる方」に演出すればよいわけです。
と仰っています。お二人とも皇室の役割をかなり軽く考えておられるように思います。例えば、団十郎家や菊五郎家が遠縁だが父の代から歌舞伎とは無関係の人を養子にして
結婚して子が出来て数十年も経てば国民のあいだで「慣れ親しみ」も形成されるでしょう。
とか
そして、時をかけて「国民に親しまれる方」に演出すればよいわけです。
と考えて 養子の子供に団十家や菊五郎を襲名させたら、どのように思われるでしょうか?
上皇陛下が天皇在位中に
加齢により象徴としての職務を勤め続けることが困難になりつつあるので譲位したい
という声明を発表した時、伝統派の一部は
人気取りで公務を増やすからだ
と批判したそうです。そのような方は数学教師と同じく皇室が国民からどう評価されているかには関心がないように思います。
投稿: Alberich | 2026年6月10日 (水) 20時54分
Alberichさん
神聖なる男系承継の原理に対して臣民の分際で「評価する」などと言うこと自体が不敬の極みであって、臣民たるもの、この原理を恭しく奉戴すべきは当然であります。
だから、国旗損壊罪とともに、不敬罪も成立させて、そのような不逞の輩は、ことごとく引っ括るべし、ということになるんですよ(苦笑)。
中公新書「エリザベス女王」の著者、君塚直隆先生が、ご自身のX(旧twitter、「女王陛下」名義)で、「ヨーロッパの君主制の多くは、その最も中核に位置する熱心な支持者たちによって滅ぼされた。彼らは最も反動的であり、何の改革も変革も行わずにただただ体制を維持しようとする連中だった」という、エリザベス女王の御夫君、先代エディンバラ公のお言葉を引用して、痛烈に批判されていることも、付言しておきます。
投稿: SATO | 2026年6月11日 (木) 12時26分