保守主義 vs 原理主義
かつての進歩派がほとんど道化の類いに退化していく中で、こういう記事を読売新聞で読むと、いまやまっとうな保守主義といかがわしげな原理主義が対峙しているらしいということが窺われます。
皇族として長く国民に親しまれている方が皇位継ぐべき、女性天皇も議論を…東大名誉教授・北岡伸一氏
たぶん、半世紀前には『諸君』や『正論』に出てきていた保守派の論客たちもそうだったんでしょうが、保守主義というのは日々の繰り返しとか近さや慣れ親しみといったまさに保守的な感覚を大事にする思想であって、皇室であれば、毎年新年の一般参賀で日の丸の旗を振る国民に手を振る皇族の方々の姿や、全国を訪問して国民と言葉を交わす姿、等々こそが大事にすべき皇室のイメージであって、だからこそ「皇族として長く国民に親しまれている方が皇位継ぐべき」と北岡氏は言うのでしょう。これこそ、言葉の正確な意味での保守的感覚であり、それを思想と呼ぶならば保守の思想なのでしょう。
ところが、そういうまっとうな保守主義では売れなくなったからなのか、それとはある意味で真逆の思想、すなわち日々の繰り返しとか近さや慣れ親しみといった保守的感覚を愚劣なものと見下し、それらとは対極にある観念的な原理主義的なイデオロギーが、「ホシュ」といういささか詐欺商法的な商標を纏って、熱心に売りつけられるようになってきたようです。原理主義とは、昨今はイスラム原理主義やキリスト教原理主義が流行ですが、戦前の日本でも蓑田胸喜の「原理日本」みたいに、保守と対極的な、当時の言い方で言えばまさに「革新的」な右翼思想が流行したこともあったわけで、その意味では別に不思議ではありませんが、保守的感覚を蔑視して人の心のあり方を自分の脳内の観念でもって全面的にたたき直そうという発想は、近現代史をひもとくまでもなく、あんまり素晴らしい結果をもたらしてこなかったのも事実でしょう。
いや、そんなことはソ連や共産中国の歴史を見れば分かることですが、でも不思議なのは、ここにきて、天皇というまさに日本の保守思想の中心に位置するであろう問題に対して、右翼原理主義の方々が、国民の多くが自然に胸中に抱いているはずの日々の繰り返しや近さや慣れ親しみといった保守的感覚を頭ごなしに否定し、南北朝時代の北朝の天皇の子孫の方々をいきなり天皇や皇族にしても、国民がその人を天皇や皇族として親しみを感じ、新年参賀で日の丸を旗を振ると思い込んでいるらしいことです。保守的感覚というものを失ってしまった原理主義者には、その辺が見えてこないのかも知れません。
« 日本成長戦略会議労働市場改革分科会とりまとめ | トップページ | 障害者実雇用率 2.41%@『労務事情』2026年6月1日号 »
コメント
« 日本成長戦略会議労働市場改革分科会とりまとめ | トップページ | 障害者実雇用率 2.41%@『労務事情』2026年6月1日号 »

この問題についておそろしく面倒なことはいくつかあるように思います。
仮に皇室復帰が実際に起きる場合、その人について、実際問題として今上、そして上皇両人の面接は当然にあり、十分に人格的に問題ない人が復帰するのであろう、ということです。あるいは、そのような方策が議論されている以上「そういう一族」が候補者のなかに、誰かいるものと思われる。
また、かならずしも、すぐにその人達に皇位をつがせる必要はない、というのもあります。たとえば伏見宮家のような世襲親王家にたてて復帰させた人たちはバックアップにつかせるというのも考えられえる。そして、時をかけて「国民に親しまれる方」に演出すればよいわけです。こういう慎重な手段がとられるならば、それがどういうことになるのか。
そして、これをやらないのであれば、結局、女系天皇を認めるか単に皇室を廃止して共和制に移行するか、という選択になってくると思います。ぼくは共和制でもなんでもいいのではないかとは思うんですが、それはあきらかに「保守主義」ではない。
そして女系については「保守派」のなかで一番揉めている部分だと思います。
投稿: ssig33 | 2026年6月 2日 (火) 13時01分
天皇制や皇室をめぐり近年のあれこれを眺めると、貴族制度抜きに君主制を維持することの限界が来ているのだと思わざるを得ませんね。華族制度が存続していれば、女性皇族の夫や子の身分をどうするか、民間人になって久しい旧宮家を皇族に復帰させることへの国民感情の問題はもっと対処しやすかったことでしょう。皇族の結婚問題も同様である。
貴族というクッションなしに君主が国民大衆と直接対峙するという戦後日本の天皇制のあり方は、大衆化が極まった現代社会ではあまりに厳しく、生身の人間である皇族の負担は限界なのではないだろうか。
私は天皇制の将来にわたる維持を本当に企図するのならば、真正面から華族制度の復活を検討すべきだと思う。女性宮家などは小手先の弥縫策であって、問題の解決にはならないだろう。
もちろん戦前の華族をそのまま復活させるわけにはいかないだろう。イギリスのような准男爵を創設して戦後勃興した実業家などを取り込んで皇室の藩屏の基盤を拡大させるべきである。一方で戦前の華族の爵位は一つずつ落として(公爵は侯爵、男爵は准男爵)、旧宮家の嫡流を公爵にすればよい。
門地差別という批判は、そもそも天皇制が憲法上の例外なのであり、あまり意味がない。華族に政治的特権を与えなければ齟齬は生じないだろう。
議会制民主主義の故郷であるイギリスで貴族が現存するように、身分制と民主主義は矛盾するものではない。むしろ歴史的にみれば、身分制こそ民主主義の前提条件だった。貴族の政治的特権を国民一般に拡大することで議会制民主主義は成立したのである。逆に安定的な身分制を形成しなかった中国の民主的基盤は弱い。
民主政は政治共同体のメンバーに政治的特権を付与することで成り立つものであり、論理的に身分制や門地差別を前提に含むものなのである。古代ギリシアの民主政が奴隷制に立脚していたという決まり文句はこのことを正確にとらえている。
「日々の繰り返しとか近さや慣れ親しみといった保守的感覚」を尊重するのが保守主義というのはそのとおりだが、人の感覚や意見といったものは不定形で揺れ動き、あいまいでころころと変化するものである。そのようなものに一々振り回されるのでは意思決定の基盤にはならない。旧宮家の男子が国民に受け入れられるかという疑念の声があるが、実現したらその男子たちに「推し」が生まれて結婚相手が誰かとマスコミが騒いで国民が話題に夢中になるのが目に浮かぶ。所詮民意などというのはそのようなものであるというのも厳然たる事実だろう。
保守主義がよって立つべきなのは、もちろん自称保守主義者の勝手な「脳内の観念」などではなく、「日々の繰り返しとか近さや慣れ親しみといった保守的感覚」に根ざしながら形成され維持されてきた歴史的な制度や伝統だろう。そのような制度や伝統の合理性を「さしあたり」信頼してこれを尊重しようというのが保守主義だと私は考える。当然、制度も時代の流れに合わせて変化せざるを得ないが、そのときどきのあいまいでうつろいやすい民意に振り回されるべきではない。追求すべきは客観的な時代状況のなかでの制度としての合理性である。単に女性天皇が見てみたいといったふわりとした民意に左右されるべきではない。誰が天皇にふさわしいかといった人気投票に委ねるべきことでもない。
憲法上保障されるべき歴史的制度として天皇制のほかに大学があげられる。歴史的制度としての大学は自治という特権を憲法上保障されると解釈されている。しかし天皇制のような歴史的制度のあり方がそのときどきの民意によって左右されるのを許すのならば、大学の自治など民意の前では風前の灯火だろう。天皇制も時代に合わせて根幹を変更したのだから、大学も時代に合わせて古臭い自治などという不効率なものなど捨てよと言われて抵抗できるだろうか。
ましてや欧米の大学と違って日本の大学の自治は近代国家以前の歴史をもたず、歴史的基盤は薄弱なのである。せいぜい旧帝国大学がその特権の歴史性を主張できるかもしれないが、それも多分に天皇制に由来するものである。天皇制のあり方を単純に民意に委ねるのは大学の自治にとっても自殺行為だろう。
女性天皇に賛成するかといった曖昧な意識調査を盾に女性天皇実現を主張する学者がいるが、自らの拠ってたつ基盤を掘り崩すことに気づかないでいる痴愚の所業というべきだろう。曲学阿世のそしりは免れない。
長くなるし疲れたので、つづきは明日
投稿: 通りすがり2号 | 2026年6月 4日 (木) 21時29分
世界の大勢は長子相続だというが、それは主に西欧の王室の話である。歴史的にみればユーラシアの辺境にすぎない西欧のあり方を特権的なものとみなす態度こそ相対化すべきだろう。
そもそも西欧は領地や位の男系相続を基本としながらも、補足的に男系が絶えれば女系に継承されるという制度を歴史的にとってきた。しかしこれは国境を超えて貴族同士が婚姻ネットワークを形成してきたことを前提としている。結果的に君主になりうる上級貴族家門が形成された。起源をたどれはフランクの帝国貴族に遡るそれは君主の位をめぐって家門の間で争いながらも独占してきたのである。これが大々的に破られたのはナポレオンによってであった。
長子相続への移行は、実際にはこのような上級貴族家門による君主位の独占を前提としつつも、国民国家が確立されて他国から君主を招くことが難しくなった事態に対応してより血統主義を強めたものと評価すべきである。それは西欧で女性による高いステータスの職業への進出が、実際には少子化のもとで上の階層によるそのような職業の独占を維持して下層からの進出を妨害する機能を果たすものにすぎないのとパラレルである。なにか先進的で開かれた改革と思うのはとんだ勘違いといえよう。わざわざ参照する価値はない。
日本など東アジアでは男系相続を基調とするが、これは実は多くの女性にとっては有利なものなのである。玉の輿による階層上昇の機会が広がるからである。一方、補足的に女系相続が行われる西欧では歴史的に下層の男性が婚姻によって階層を上昇する機会がある程度開かれていた。出自の不明な(おそらくは不自由民出身の)成り上がりの騎士が貴族の娘と結婚して一家をなすということがしばしばみられたのである。ただ近世から近代にかけて伝統的な身分制が階級構造に変化するにつれて、むしろ西欧の下層男性の階層上昇の機会は減少したかもしれない(この点は特に私が興味をもっているところである)。
歴史的にみて日本など東アジアでは身分制の弱さからくる自由な競争によって男性には階層上昇の機会が比較的開かれてきた。女性も婚姻を通じて上昇機会を享受できた。西欧は身分制の制約がきつく階層を超える婚姻は抑圧されていたが、補足的な女系相続によって多少男性に上昇機会が与えられて流動性をもたらしていた。しかし西欧の庶民の女性は上昇機会から疎外されてきたのである。
日本は開かれた社会であるがゆえに自由な選択と競争の結果、男性が高いステータスの職業に占める割合が欧米より高くなっている。女性は婚姻によって階層上昇の機会が与えられてきた結果、競争に参加するインセンティブが乏しく女性の高いステータスの職業に占める割合が欧米より低い。男女ともそれぞれの選好にしたがって階層上昇の機会を享受した結果が日本におけるジェンダー格差と呼ばれるものの正体であり、男女それぞれが自らの自由な選択に従った結果であって日本こそジェンダー平等が実現されているとすらいえる。
欧米は西欧の身分制の伝統から階層上昇の機会が小さく、下層の男性が自らの選好にしたがって教育を受けて職業を選択する余地が少なかった。経済が発展し高いステータスの職業が増えても下層の男性はそこから疎外され、少子化が進んでも上層の女性がその椅子を占める形で上層が高いステータスの職業を独占したのである。一方下層の女性はそもそも歴史的に階層上昇の機会が乏しかった。このような社会をジェンダー平等が実現されていると評価するのは倒錯していると言わざるを得ない。西欧で生まれたフェミニズムがいかなる意味をもつのか、少し考えれば分かることである。欺瞞的な欧米の社会が政治的対立によって現在危機に陥っているのは当然というべきかもしれない。
ただ、日本がより平等であるとしても、女性の婚姻機会が上昇婚の方向に開かれている結果、高い階層の女性がやや割を食うことは否めない。これを補完するものが一夫多妻制における正室と側室の区別ではないかと私は考えている。上層の女性を正室として尊重しつつ、下層の女性は側室や妾として階層上昇の機会が与えられるという構図が成立したのだろう。
戦後、一夫多妻が廃れ、社会が平準化した結果、上層の女性の不利が強まったのは否めない。フェミニズムの浸透にはこのような背景があるのかもしれない。一夫多妻の復活を真面目に考えるべきだろうか。
近年、男女共同参画のお題目のもとで女性の管理職の割合を増やせだの大学の女性教員を増やせだの理系の女子枠だの不合理で不公平なバカ騒ぎが横行している。自由で開かれた日本社会の利点を損なう愚劣な所業だが、上層の女性が正室の地位の代償を要求しているようなものなのかもしれない。あるいは娘をもつ上層の父親の意向というべきか。昔の上層の男性は見合いで上層の女性となかば強制的に結婚させられていたのが実情であろう。見合いが廃れて上層の女性の行き場がなくなったのが近年のバカ騒ぎを招いていると思われる。一夫多妻を復活させて上層の男性が上層の女性を正室に迎えるという妥協でこのバカ騒ぎをおさめるべきなのだろうか。
西欧キリスト教社会では一夫一婦制の規範が強力だが、近年の歴史学ではこの規範は多くの男性に妻を得る機会を与える機能を果たしたと評価されているようだ。西欧はやはり男性に有利であり、女性には不利な社会といえよう。戦士社会の性格が強かったゆえかもしれない。キリスト教は女性保護を謳うことでこれを補完していたのだろう。
このように日本は男系相続でむしろ女性の階層上昇の機会が確保されジェンダー平等が実現されているといえる。そのような日本社会の歴史的構造を前提として考えると、女系天皇はやはり日本社会の制度的伝統とは相いれないものであることは否定できないだろう。女系天皇を認めたインパクトから社会が変質し、多くの女性が不利を蒙る可能性すらある。その反動で男性の階層上昇の機会も制約されて自由で開かれた社会が失われる結果になるかもしれない。女系天皇は認めるべきでない。
女性天皇はどうか。歴史上の実例がみな生涯未婚か未亡人であるという事実は重い。女性天皇の存命の夫という歴史上存在しないものをどう位置づけるか、難問である。現実には女性天皇に未婚を強いる結果になる可能性が高いだろう。天皇もまた生身の人間であることを忘れてはならない。女性天皇も認めるべきではない。
女性皇族の身分保持については、前近代ではもともと女性皇族は臣下と結婚しても皇族のままだったので、伝統への回帰といえる。ただ夫や子の身分をどうするかは問題である。歴史上彼らに皇族の身分を与えたことはないし、皇族がとめどもなく増えるリスクを考えると、華族制度の復活によって対処すべきことのように思われる。皇族の身分を与えることはむしろ女性皇族との結婚を忌避させる結果にすらなりかねないだろう。
旧宮家からの養子については、伏見宮系の皇族の皇籍離脱は占領下という異常な状況でなされた事実を無視すべきでない。日本が独立を回復した時点で彼らを皇族に復帰させ、法の一般的な発想である原状回復を実現すべきだったと考える。当時の政治情勢では不可能だったとはいえ、政治の不作為は否定できない。
ただ、すでに半世紀以上が経過し世代交代が起こっているという時の重みも無視できない。
養子案は原状回復の要請と時間経過の重みとのあいだの妥協として合理的なものと評価できるだろう。
このように考えると国会の大勢はおおむね合理的で妥当な方向に動いていると評価できる。選良の役割を果たしているといえよう。
投稿: 通りすがり2号 | 2026年6月 5日 (金) 19時48分
いや、そういう長子相続か男系相続かという議論は大いにやればいいのですが、それ自体がまさに相続の「原理」がいかにあるべきかという原理の話なので、私が言っているのはそういう原理以前に、なじみのない赤の他人(馬の骨)が出てきて、素直に皇室だとお慕い申し上げることができるのか、という話です。
原理主義じゃない保守主義というのは、そういうレベルの話です。
いかに「正しい」男系相続原理に合致しているからと言って、何十代も前に分かれた家系の人(DNA共有率でいえば、ほとんどゼロに近いような人)を、DNA共有率が半分乃至4分の1くらいの方々よりも(感覚的に、感情的に)認められるかという話なので、原理的にどちらの原理が正しいという話を百万遍やっても、「いやあ、そうかもしれんけど、なんかいややわ」という気持ちを消滅させることはできないでしょう。
そして、今や天皇の地位は国民の総意に基づくのであって、その「総意」が観念的な原理よりも保守的な感覚に基づく限り、原理ばかりを振り回すと、結果的に天皇の地位を危うくするんじゃないかな、という危惧の念を抱かざるを得ないというだけのことです。
まあ、憲法を改正して、天皇の地位はそんなふわふわした「総意」なんかじゃなく、かくかくしかじかの「原理」に基づくと書き込んでしまえば別でしょうが、さすがにそれはもっと難しいでしょう。
投稿: hamachan | 2026年6月 5日 (金) 20時41分
ssig33殿
この問題は 男系か女系か と言われていますが、私は 男系か直系か というべきだと思います。
つまり
傍系の男性(男系)
と
直系の女性(女系)
のどちらが皇位の継承者としてふさわしいか という事だと思います。もちろん現在の規定でも皇位は子(直系)ではなく弟(傍系)に継承されます。しかし子ではなく兄弟というレベルの傍系であれば許容範囲だという方も多いと思います。しかし現在話題の旧宮家の先祖が現在の皇室の先祖と別れたのは室町時代、織田信長どころか応仁の乱よりも昔です。そこまで遡れば私とssig33殿やhamachan先生も男系でつながっているいるかもしれません。そこまで遡らなければ繋がらない血縁の方が男系という理由で皇位を継承する事になれば、”傍系にもほどがある!” と感じる方も多いと思います。
私も現在の皇室とこれだけ血縁が離れていて宮家でなくなって80年経っている家の方は民間人と言ってもよいと思います。皇室の直系を皇族とせず、このような方の子孫が皇位に就けば
皇を取って民とし、民を皇となさん
という崇徳上皇の呪詛が実現しかねません。
また江戸時代に皇族が当時の公家の当主となりそのまま男系が継承されている家があるそうです。私は男系で継承するなら少しでも現在の皇室に近い方に継承していただきたいと思います。その点で私は 男系継承 というと シンデレラ を連想してしまいます。シンデレラではガラスの靴を履ける人を王様の妃とするために王様の家来がガラスの靴を持って国中の女性に靴を履かせたそうです。男系継承では天皇陛下に最も近いY染色体を持つ男性を皇位につけるために宮内庁の役人が天皇陛下のY染色体のデータを持って国中の男性のY染色体を調べるのでしょうか?
>そして、これをやらないのであれば、結局、女系天皇を認めるか単に皇室を廃止して共和制に移行するか、という選択になってくると思います。
マザー・テレサは
愛の反対は憎しみではなく、無関心である
と言ったそうです。私は天皇制についても
天皇制の反対は共和制ではなく、無関心である
といえると思います。大多数の国民の意向に反した皇位継承が行われても国民は共和制を主張する事はないと思いますが、皇室に無関心になる(誰が天皇になるかなんてどうでもよいと思う)国民は増えると思います。皇室に無関心な国民の増加は共和制を主張する国民の増加よりも皇室の存続にとって問題だと思います。近年の皇室にもこのような危機がありました。昭和天皇の没後に現在の上皇陛下が皇位を継承されましたが、新陛下に対して ”良い人そうだけど頼りなさそう” と感じる人も多かったそうです。また戦前からの昭和天皇に親しんでいた人からは ”威厳がない” という批判も多く、即位直後は新年の一般参賀はガラガラだったそうです。しかし即位後に上皇夫妻は被災地で被災者と同じレベルで言葉を交わされたり第二次大戦の激戦地を慰問する事により皇室は国民から評価され、一般参賀の人数も昭和天皇の時代より増えました。
>そして、時をかけて「国民に親しまれる方」に演出すればよいわけです。
演出で多くの国民からの評価が得られるでしょうか?皇位継承でこの諺を引用するのは不適切かもしれませんが、私は
氏より育ち
という諺を思い出します。皇位継承に関しては
いずれ皇位を継承される方がその次に皇位を継承される方を教育する
(皇位を継承される方はその前に皇位を継承する方から皇位に就く者に対する教育を受ける)
という事(直系継承)が適していると思います。
歌舞伎では団十郎や菊五郎という地位は人間国宝が約束されているほど高く評価されていますが世襲です。これは団十郎や菊五郎の家に生まれたから団十郎や菊五郎という地位に就けるのではなく、幼少の頃からその時の団十郎や菊五郎の教育を受けてきたから団十郎や菊五郎という地位に就けるのだと思います。
皇位は団十郎や菊五郎よりもずっと大変な地位なので、その地位に就くための教育の重要性もずっと高いと思います。その点からは皇位継承者を早期に決定できる ”直系長子継承” が優れていると思います。
>ぼくは共和制でもなんでもいいのではないかとは思うんですが、それはあきらかに「保守主義」ではない。
ssig33殿は「保守主義」とはどの様なものだとお考えでしょうか?
これは私の感想ですが、「保守主義」には
A.新しい事ではなく、これまでやってきた事を尊重する
という考え方と
B.理論(理屈)ではなく、一般の人の考え(感情)を尊重する
という考え方があると思います。
これまでやってきた事というのは一般の人が是認してきたから続いたと思うので、多くの場合は2つの考え方は一致します。しかしこれまでやってきた事であっても一般の人が ”如何なものか” と思っている事であればどうでしょうか?
私はB.の考え方なので、
これまでずっと男系男子が皇位を継承してきた
という理論(理屈)よりも
直系の方(女性)がおられるのに、はるか昔に枝分かれした方(男性)が皇位を継承するのはおかしい
という一般の方の考え(感情)を優先したいと思います。
投稿: Alberich | 2026年6月 5日 (金) 20時55分
>>天皇の地位は国民の総意に基づくのであって、
日本国憲法第1条[天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。]でいう「地位」は天皇制という歴史的制度が憲法上保障される地位にあるか否かが国民の総意に基づくということであって、制度の中身をそのときどきの民意によって好き勝手に変更することが許されるわけではないのであり、それは大学という制度も同じであるというのが、私の確認したいことでした。
この問題に関するマスメディアにおける議論はあまりに頓珍漢なのでやや取り乱してしまいました。
もちろん、おっしゃるように
>>その「総意」が観念的な原理よりも保守的な感覚に基づく限り、原理ばかりを振り回すと、結果的に天皇の地位を危うくするんじゃないかな、という危惧の念を抱かざるを得ない
というのはそのとおりです。ただ、それは時間が解決してくれる問題ではないかと思います。養子となった本人には皇位継承権が発生せず、結婚して子が出来て数十年も経てば国民のあいだで「慣れ親しみ」も形成されるでしょう。それだけの時間的余裕はまだある。もっと早くに着手すべきではあったが。
まあ、このあたりは私の感性が他の人とは違うかもしれません。「南北朝時代の北朝の天皇の子孫の方々をいきなり天皇や皇族にして」しまうということに、私は萌える。『蒼き狼と白き牝鹿』というユーラシアを夢台にした国盗りゲームで(光栄は株で儲けた資金で新作を作れ!!)滅びたビザンツの王子を鎌倉幕府の後継者にしたり(家臣が謀反を起こす)、チンギスハンの息子のジュチを義経の婿にしてモンゴルを攻めたり、『信長の野望』で顕如の息子を信長の後継者にしたり(信忠たちが謀反を起こす)、そういうプレイが好きなので。
いずれにしても大衆化時代において君主制をどう維持するかは日本のみならず諸外国でも難しい問題意になっていることでしょう。
この点で戦後日本の天皇制の基盤はあまりに薄弱だ。もともと外国の王室との婚姻のつながりもなく、藩屏もなくなり、皇族自体も減少してしまった。
国外的基盤の構築は無理であろうから、国内的基盤を厚くしていくしかない。それをこれから長い時間をかけてやっていけば、問題は自ずから解決すると私は見ています。
投稿: 通りすがり2号 | 2026年6月 6日 (土) 20時01分
私は、世界、特に欧州の王室ウォッチャーでもありますが、欧州の王室・公室では、すでに北欧三国・ベネルクス三国・英国が男女平等に長子から王公位の継承権の継承順位を付すようになっており、スペイン・モナコの二国が男子に劣後するものの女子にも継承権を与えるというやり方で、昔ながらの男系による継承を維持しているのは、リヒテンシュタインだけとなっていますね。そのため、スウェーデン、ノルウェー、ベルギー、オランダ、スペインの各国が次代は女性君主となります(スウェーデンは次々代も女性君主)。
これも男女平等が当たり前となっている、現代人の感覚に適合した形で国民統合の象徴としての地位を維持していこうとしていることの現れですね。
まあ、神聖なる男系原理主義者の諸氏は、本音では「男尊女卑」こそが日本国民統合の象徴としてふさわしい、と思っておられるのでしょうから、正直に公言してもらいたいものです(苦笑)。
もちろん、彼らが新たに擁立する、旧伏見宮家系統の新天皇に対して「なんかいや」と感じて旗を振らないような非国民はことごとく、不敬罪で引っ括ってしまえば万事解決、ということなのでしょう。
投稿: SATO | 2026年6月 9日 (火) 18時04分
ssig33殿や通りすがり2号殿のような男系継承派はどのような状況であれば 男系が継承された と判断されるのでしょうか?
私の理想は
女性皇族も本人が希望すれば結婚後も皇族に留まる事ができ、本人もその子供も皇位継承権を持つ
事ですが、それが実現して
男系を継承している男性が1人の日本人男性として女性皇族と結婚し子供ができ女性皇族が皇位に就く
という状況になったら男系継承派はどのように判断されるのでしょうか?
子供は男系だから男系は継承された
と判断されるのでしょうか?それとも
男系男子ではなくその配偶者が皇位に就くのはケシクリからぬ
と判断されるのでしょうか?
明治以降の天皇家は、その時点では一般的ではなかったがのちに一般的になった生活様式を先取してきたと思います。例えば明治天皇は洋服や洋食など西洋式の生活を取り入れました。大正天皇は自分が父の妻の子供でない(お妾さんの子供)ので、子供はすべて妻との子供でした。上皇陛下は身分にとらわれず旧宮家でも旧華族でもない一般の家の女性(粉屋の娘)と恋愛結婚しました。天皇陛下は既に就職して活躍している女性(バリキャリ)と恋愛結婚しました。
最近は結婚したら退職して夫を支える(専業主婦)という女性は少なく結婚したも仕事を続ける女性が大半です。しかし私は、結婚後に双方が仕事を続ける事も、(男女を問わず)一方が仕事をやめもう一方のサポートを行う事もどちらも同じく評価されるべきだと思います。現在は結婚後に男性が仕事を止めて女性の仕事のサポートを行うという家庭は少数ですが、天皇家が女性天皇の公務を男性配偶者がサポートするという生活をして、それが普及すれば素晴らしい事だと思います。それに比べれば男性配偶者が男系かどうかは取るに足らないどうでもよい事だと思います。女性天皇の公務をサポートする男性配偶者が男系であれば男系継承派がそのような生活を認めるのであれば配偶者は男系でもよいと思います。
私は
日本の伝統だから、男系男子が皇位に就くべきだ(女系天皇反対!!)
とか
日本の伝統だから、夫婦の苗字は同じであるべきだ(夫婦別姓反対!!)
という伝統派の意見を聞くと江戸時代の終り頃の ”妖怪” と呼ばれた町奉行を連想します。彼は 遠山の金さん のモデルだった人が北町奉行だった時の南町奉行です。当時はアヘン戦争の後で日本では大国の清がイギリスに負けた事に衝撃を受け、西洋技術を取り入れるために蘭学が盛んになりました。しかし妖怪奉行は ”蘭学は幕府の伝統である朱子学に反する” として蘭学を弾圧し有能な蘭学者が亡くなりました。この弾圧がなければ後年ペリーが来た時の混乱はもっと少なかったと思います。
現在でも、伝統だからという理由で 男系継承 や 夫婦同姓 を変更しなければ後の混乱がひどくなると思います。
>制度の中身をそのときどきの民意によって好き勝手に変更することが許されるわけではないのであり、
一部の方の意見(民意)によって、少なくとも父の代から民間人である方を皇族にする というように制度の中身を好き勝手に変更する事は許されるのでしょうか?
>結婚して子が出来て数十年も経てば国民のあいだで「慣れ親しみ」も形成されるでしょう。
ssig33殿も
そして、時をかけて「国民に親しまれる方」に演出すればよいわけです。
と仰っています。お二人とも皇室の役割をかなり軽く考えておられるように思います。例えば、団十郎家や菊五郎家が遠縁だが父の代から歌舞伎とは無関係の人を養子にして
結婚して子が出来て数十年も経てば国民のあいだで「慣れ親しみ」も形成されるでしょう。
とか
そして、時をかけて「国民に親しまれる方」に演出すればよいわけです。
と考えて 養子の子供に団十家や菊五郎を襲名させたら、どのように思われるでしょうか?
上皇陛下が天皇在位中に
加齢により象徴としての職務を勤め続けることが困難になりつつあるので譲位したい
という声明を発表した時、伝統派の一部は
人気取りで公務を増やすからだ
と批判したそうです。そのような方は数学教師と同じく皇室が国民からどう評価されているかには関心がないように思います。
投稿: Alberich | 2026年6月10日 (水) 20時54分
Alberichさん
神聖なる男系承継の原理に対して臣民の分際で「評価する」などと言うこと自体が不敬の極みであって、臣民たるもの、この原理を恭しく奉戴すべきは当然であります。
だから、国旗損壊罪とともに、不敬罪も成立させて、そのような不逞の輩は、ことごとく引っ括るべし、ということになるんですよ(苦笑)。
中公新書「エリザベス女王」の著者、君塚直隆先生が、ご自身のX(旧twitter、「女王陛下」名義)で、「ヨーロッパの君主制の多くは、その最も中核に位置する熱心な支持者たちによって滅ぼされた。彼らは最も反動的であり、何の改革も変革も行わずにただただ体制を維持しようとする連中だった」という、エリザベス女王の御夫君、先代エディンバラ公のお言葉を引用して、痛烈に批判されていることも、付言しておきます。
投稿: SATO | 2026年6月11日 (木) 12時26分
>>どのような状況であれば 男系が継承された と判断されるのでしょうか?
これは明確に継承制度の問題を話題にしているのであって、たまたま男系に血統が戻ったという話とは別次元の話でしょう。
>>一部の方の意見(民意)によって、少なくとも父の代から民間人である方を皇族にする というように制度の中身を好き勝手に変更する事は許されるのでしょうか?
これはそもそも異常事態で起こったことを原状回復するものだと私は評価しているのは上記のとおりです。制度が通常運行していれば実現していたであろう状態に戻すのと、そこから好き勝手に動かすというのはまったく別の事柄です。もちろん時間経過からそのまま戻すのは無理ですが、可能な形で戻すというのは現実的だと評価できるでしょう。
ヨーロッパの女性君主や女性王族の配偶者や子供の取り扱いをそのまま日本に当てはめるのは無理があると思います。階級社会であり、一般国民と隔絶した貴族身分が現存する状況を前提としたものでしょう。女性天皇は現在の日本の状況では現実には生涯未婚になる可能性が高いと思います。正直なところ女性皇族も結婚後皇族のままにとどまるとしたら、結婚する男性はかなり限られると思います。選択制にするという話のようですが。
華族を復活させてヨーロッパのような貴族社会が形成されれば、また話は変わってくるでしょう(そこまでいかないと私はみているが)。しかしその場合日本社会のあり方自体がかなり変質しているでしょうから、上記の私の議論の前提自体が覆ることになります。まあそれが私がもっとも恐れることであり、天皇制のあり方自体は私にとっては二次的な意義しかもたないわけですが。
天皇制で男系相続が続いたのは外戚による皇位簒奪を防ぐという機能もあったでしょうし、相続範囲を限定して皇位継承争いを抑制するという意味もあったでしょう。直系が絶えた場合、傍系相続で男系、女系いずれを優先するのかという争いを防ぐ意味もある。
>>養子の子供に団十家や菊五郎を襲名させたら
いや歌舞伎の家はもともと弟子を養子にとって襲名させたりしてましたよね。それは実力主義からであり、芸の評価というものがあった。むしろ近代になって血統主義が強まり灰皿テキーラとかアホなことが起きたが、それは歌舞伎に限らず多くの分野で起こったことだと思います。実は近代以降の方が血統主義が強まったという日本のパラドクスは注目すべきことです。西洋法の相続原理が浸透したためかもしれません。歌舞伎は芸を評価するという視点は薄弱になり、もはや情報消費の対象としてタレント的な人気に依存することでしか存続できなくなっている。
逆に皇位継承制度の安定を期すならば、人気争いのようなものは防がなければならない。
濱口さんの議論でずっと違和感があって考えていたんですが、そもそも天皇や皇族に対して、尊いものとしてお慕い申し上げる、といった感覚がほとんどなくなりつつあるように思います。特に若い世代からは。ちゃぶ台返しになってしまいますが。
人から聞いた話ですが、御婦人方の会話で、当時在位中だった上皇のことを「美智子さんの旦那」呼ばわりしていたと。慣れ親しんでいるのは事実ですが、芸能人や有名人と変わらない存在になってしまっている。はばかりながら、今上に対する視線と池上彰に対するそれとの間にさしたる違いはないのではないか。
何かを尊いものとして崇敬するという心性自体が日本社会から消失しつつあるように思われる。「推し」というのも単なる情報消費にすぎない。
私が子供のころ、昭和天皇には侵しがたい雰囲気があった。小学生のころ、とある造船所の進水式を見に行った時、来賓として宮様が来ていた。誰だったのか覚えていないが、近くにいた知らないおばあさんが熱心に宮様を拝んでいたのが子供心にひどく印象的だったのは覚えている。
このような素朴な心性はもはや失われて久しいでしょう。
いやまさにそれは天皇制の危機なのだが、この事態は直系にするとか女性天皇によってどうこうできるできるものではない。単なる情報消費の対象になるだけだ。まさにそのような消費の対象になることで生き伸びようとしたのが平成における天皇制の生存戦略だったのだろう。大衆化した社会状況にあって、それなりに合理的だし、他にやりようもなかったといえる。しかしネット時代にあってもはやこの戦略は天皇制の基盤自体を掘り崩すのではないかと私は危惧する。ネットのその時々の民意に振舞わされ、おもねるばかりであれば本当にそこらの芸能人と変わらなくなる。そんなものになぜ税金を費やすのかという話になる。
一方で目まぐるしい情報消費に飽きたのか近年では伝統回帰の志向も見られる。天皇制はむしろこの流れの中で生き残りを図るべきだと思われる。民意の支持は必要だが、民意を超越した存在意義を示すべきだろう。旧宮家の復帰もそのような伝統の重みを感じさせるという意義を持つと思われる。
結局、「推し」のような民意の支持獲得と伝統的価値の提示という二正面作戦が天皇制の生存戦略になるのではないか。
>>「ヨーロッパの君主制の多くは、その最も中核に位置する熱心な支持者たちによって滅ぼされた。彼らは最も反動的であり、何の改革も変革も行わずにただただ体制を維持しようとする連中だった」という、エリザベス女王の御夫君、先代エディンバラ公のお言葉を引用して、痛烈に批判されている
学者なら文脈不明の言葉を持ち出すだけでなく、具体的に実際の君主制廃止の経緯や状況を分析すべきでしょう。私の記憶する限り、ヨーロッパの君主制廃止は敗戦や革命によって起きたものであり、その前提として社会経済状況の危機があった。そのような事態なしに君主制が単に大衆の人気がなくなったからといって廃止されたという事例があっただろうか。
投稿: 通りすがり2号 | 2026年6月11日 (木) 21時06分
通りすがり2号殿
>これはそもそも異常事態で起こったことを原状回復するものだと私は評価しているのは上記のとおりです。
以前に
戦後レジームをぶっつぶせ
と言って一部の人にウケていた総理大臣がいましたが、通りすがり2号殿もそのようなお考えでしょうか?
私は
一歩譲って男系で継承するなら、600年前に分かれた旧宮家ではなく300年前に分かれた旧公家の方が継承すべき
と考えていますが、通りすがり2号殿は
そのような男系継承は認められず、旧宮家による男系継承でなければならぬ
とお考えでしょうか?つまり通りすがり2号殿は、
男系継承派
ではなく
旧宮家継承派
なのでしょうか?
>天皇制で男系相続が続いたのは外戚による皇位簒奪を防ぐという機能もあったでしょうし、
女系相続の例がないので女系相続で外戚による皇位簒奪が起きるかどうかは分かりません。しかし男系相続ならば内戚(?)による皇位簒奪が防げたかという点では平安時代という立派な(?)先例があると思います。当時の藤原氏は天皇と自分の娘を結婚させ男子が生まれると幼少のうちに天皇を退位させ自分が摂政となってその子を即位させました。その幼い天皇が大きくなると関白となり天皇と自分の娘を結婚させました(以下、初めに戻る)
>相続範囲を限定して皇位継承争いを抑制するという意味もあったでしょう。
相続範囲を男系に制限しても、保元の乱 とか 南北朝 とか立派な皇位継承争いが存在したと思います(壬申の乱も?)
>直系が絶えた場合、傍系相続で男系、女系いずれを優先するのかという争いを防ぐ意味もある。
直系が絶えて、傍系が相続する場合に
年齢に関係なく男子が相続する(男系優先)
という考え方と
性別に関係なく長子が相続する(長子優先)
という考えがあると思います。
>逆に皇位継承制度の安定を期すならば、人気争いのようなものは防がなければならない。
>そもそも天皇や皇族に対して、尊いものとしてお慕い申し上げる、といった感覚がほとんどなくなりつつあるように思います。
ずっと昔ですが、ある政治学者が
天皇主義者には
天皇陛下は立派な方だから尊敬すべきだ
という人がいるが、これはおかしい。立派な方ならば天皇陛下でなくても尊敬すべきで、天皇主義者ならば
天皇陛下だから(立派でない方でも)尊敬すべきだ
と言うべきだ
と言ったそうです。筋は通っていると思いますが、私にはそこまでの覚悟はありませんし、ほとんどの国民にとっても同じだと思います。
江戸時代までは大部分の人は天皇や皇族についてほとんど知らなかったと思います。明治になって西洋文明を取り入れる過程で天皇を神聖とする国の体制が出来たと思います。私は
天皇や皇族に対して、尊いものとしてお慕い申し上げる、といった感覚
は、鉄道 とか 電気 とか アイスクリーム とか ゴルフ と同じように明治の文明開化に伴って発生したものだと思います。鉄道 とか 電気 とか アイスクリーム とか ゴルフ は今も健在ですが、天皇を神聖とする国の体制は終戦で終りました。そのような体制の期間は終戦後から現在までの戦後レジームの期間より短いです。
その意味で私は
理屈ではなく、天皇や皇族に対して、尊いものとしてお慕い申し上げる、といった感覚は
その基となった、天皇を神聖とする国家体制と同じく日本の歴史全体から見ると非常に短い期間の徒花である
と思います。
投稿: Alberich | 2026年6月13日 (土) 21時10分
>> 男系継承派ではなく旧宮家継承派なのでしょうか?
男系継承が合理的であると考え、そのための方策として旧宮家復帰が現実的と判断しています。
私は別に戦後レジームを全否定するつもりはなく、財閥解体も農地解放も当時の文脈では合理的だったと思います。まあ、その副作用も大きかったわけですが。
しかし、伏見宮系皇族の皇籍離脱は合理性に乏しかった。天皇制を維持するならば、皇族の数を確保すべきだった。
人の権利を、しかも身分上の権利を合理性なく失わせるのは失当であり、男系継承維持のために養子案は現実的で合理的だと考えます。
皇別摂家は当時の段階でそもそも皇位継承権を有していないので、この話の埒外です。まあ天皇制維持の観点からは華族の廃止も合理性に欠けていたと思いますが。
男系継承だからこそ、藤原氏も皇位を簒奪できず、摂関の地位の独占にとどまったと言えるでしょう。そもそも摂関政治においても天皇が完全に権力を失ったわけではなく、結局院政によって天皇家は権力を回復したわけで、男系継承の安定性を評価すべきでしょう。
>>相続範囲を男系に制限しても、保元の乱 とか 南北朝 とか立派な皇位継承争いが存在した
いや制限したからこそ、その程度に争いを抑制したと考えるべきでしょう。単純に考えれば、双系ならば争いのリスクは倍になる。
>>直系が絶えて、傍系が相続する場合に年齢に関係なく男子が相続する(男系優先)という考え方と性別に関係なく長子が相続する(長子優先)という考えがあると思います。
いや、そもそも長子優先以前に男系か女系か、どちらの長子かという問題があるのであり、その争いを防ぐ機能があるわけです。
>>理屈ではなく、天皇や皇族に対して、尊いものとしてお慕い申し上げる、といった感覚はその基となった、天皇を神聖とする国家体制と同じく日本の歴史全体から見ると非常に短い期間の徒花である
たしかに全人民が天皇の存在を認識して崇敬するような社会のあり方が近代の徒花なのはそのとおりです。しかし徒花だからといってそれが嘘ということにはならない。宮様を拝むおばあさんの気持ちは本物でしょう。そしてそのような心性と近代日本国家は密接に結びついて発展してきたのであり、その上に今日の国民の生活が存立している。近代日本の国民国家も歴史的にみれば徒花にすぎないが、今後もなお長期にわたってこの徒花のうえで多くの人々は生きていかざるをえないのであり、その安定のために国民統合の象徴である天皇制の維持は重要な問題だと考えています。
天皇制という歴史的制度の維持において、男系継承というのは考えるだに合理的なものであると私は思うようになりました。
女性天皇や女性宮家の問題は次代への存続可能性が低いことでしょう。本人の選択肢をかなり制限しながらも、やはり次に継承できる可能性が乏しい。だとしたら男系継承を前提としてそれをいかに維持していくか、華族制度の復活や一夫多妻の復活も視野に入れながら考えるべきだと思います。
欧州の君主は国民国家の形成とは意外に距離があるように私は思います。イギリスの国民国家は議会における貴族やジェントルマンの特権を一般に拡大することで形成された。あるいは宗教が国民国家の形成に深く関与した。イギリスの国教会やフランスのガリカニスムはそうですし、ドイツの領邦国家の形成も宗教戦争を結びついたものだった。欧州は統一的なカトリック世界が分裂することで国民国家の形成が進んだが、日本はばらばらば封建社会を天皇の権威により統一することで国民国家の形成が進んだ。欧州と日本では君主の位置づけに大きな違いがあるように思えます。
投稿: 通りすがり2号 | 2026年6月17日 (水) 22時00分
通りすがり2号殿
>男系継承が合理的であると考え、そのための方策として旧宮家復帰が現実的と判断しています。
>皇別摂家は当時の段階でそもそも皇位継承権を有していないので、この話の埒外です。
旧宮家の方も現在は皇位継承権を有していないので、私には旧宮家復帰による男系継承と皇別摂家による男系継承を区別する理由が分かりません。
>伏見宮系皇族の皇籍離脱は合理性に乏しかった。天皇制を維持するならば、皇族の数を確保すべきだった。
伏見宮系皇族の皇籍離脱時には昭和天皇の弟3人と息子2人がおられました。私は
600年前の親戚がいなくても、直宮だけで天皇制を維持するのに必要な男性皇族の数は確保できる
という当時の判断は合理的だったと思います。
>男系継承だからこそ、藤原氏も皇位を簒奪できず、摂関の地位の独占にとどまったと言えるでしょう。
摂関時代の状況を通りすがり2号殿は
藤原氏も皇位を簒奪できず、摂関の地位の独占にとどまった
とお考えのようです。私は
皇位継承を完全に管理する事は実質的には皇位簒奪と同じである
と考えています。
>そもそも摂関政治においても天皇が完全に権力を失ったわけではなく、結局院政によって天皇家は権力を回復したわけで
摂関政治では天皇家にとって最も大事な皇位継承を藤原氏が管理していたので天皇家は権力を失っていたといってよいと思います。院政によって天皇家が権力を回復できたのは藤原氏が衰退したからだと思います。
>いや制限したからこそ、その程度に争いを抑制したと考えるべきでしょう。単純に考えれば、双系ならば争いのリスクは倍になる。
私は、
皇位継承争いがその程度に抑制されたのは男系に制限したからではなく皇位継承を管理する組織があったからである
と思います。平安時代は藤原氏、それ以降は武家(幕府)が皇位継承を管理していました。保元の乱や南北朝は管理する側の藤原氏や鎌倉幕府が衰退したために起こりました。管理する組織がしっかりしていれば双系になっても皇位継承争いは起きないと思います。
>いや、そもそも長子優先以前に男系か女系か、どちらの長子かという問題があるのであり、その争いを防ぐ機能があるわけです。
申し訳ありません。仰る事がよく理解できません。直系が絶えて傍系男子が相続する場合でも、傍系の男性候補者が複数存在した場合に候補者間の優先順位(継承順位)を決める規則があると思います。女系を認める場合は、優先順位を決める規則を男性候補者だけでなく女性候補者も含めて適用すれば良いだけの話だと思います。
>徒花だからといってそれが嘘ということにはならない。
”徒花”というのは、本来は ”実を結ばない花” の事だそうです。通りすがり2号殿が”徒花”をどのような意味で使われているか分かりませんが、私はここでは
後の世に影響を与えなかった時代
という意味で使っています。天皇を神聖とする国家体制の期間は南北朝の期間とほぼ同じです。私は南北朝は上の意味で徒花だったと思います。天皇を神聖とする国家体制も天皇の地位に関する点では後の世(戦後レジーム)に影響を与えていませんし今後も天皇を神聖とする国家体制が復活するとも思えません。その意味では私は
天皇を神聖とする国家体制は少なくとも天皇の地位に関しては徒花であった
と言えると思います。
戦後、新しい憲法では天皇の権限が大きく減らされると知らされた昭和天皇は
江戸時代以前に戻るだけだから、それで構わない
と仰ったそうです。
>そのような心性と近代日本国家は密接に結びついて発展してきたのであり、
終戦の時に
大ばくち 身ぐるみ脱いで すってんてん
と詠んだ軍人がいたそうです。
仰るように天皇を神聖とする近代日本国家は発展してきましたが、とどのつまりは すってんてん で開国時の振出に戻ってしまいました。開国時の日本の国際評価は0でしたが、終戦時の日本は侵略したあげくに敗けた国なので国際評価はマイナスで開国時よりも悪かったと思います。これが 天皇を神聖とする近代日本国家 の成れの果てです。
>その上に今日の国民の生活が存立している。
すってんてんで侵略敗戦国として振出の開国時未満の状況から今日の国民生活まで回復したのは、伏見宮系皇族に皇籍を離脱させ華族制度を廃止した戦後の国家体制(戦後レジーム)によるもので男系継承とは関係がないと思います。もちろん戦後の発展には戦前の蓄積に助けられた部分はあると思いますが、その蓄積は天皇を神聖とする国家体制とはあまり関係がないと思います。明治以降の近代日本国家の発展でも天皇とは関係ない江戸時代の蓄積に助けられた部分はあったと思います。
>宮様を拝むおばあさんの気持ちは本物でしょう。
そのおばあさんが宮様を拝んだのは、その宮様が男系で継承された方だからでしょうか?
その宮様が男系で継承された方でなかったら、そのおばあさんはそっぽを向いたのでしょうか?
>今後もなお長期にわたってこの徒花のうえで多くの人々は生きていかざるをえないのであり、その安定のために国民統合の象徴である天皇制の維持は重要な問題だと考えています。
私は現在の体制(戦後レジーム)が徒花だとは思いませんが、それはともかく
A.戦後レジームで多くの人は生きていかざるを得ないので、戦後レジームの安定が必要である
という事は全く同感です。
B.戦後レジームの安定のために国民統合の象徴である天皇制の維持は重要な問題である
という事も理解できます。しかし
C.天皇制の維持は、直系女子ではなく600年以上離れていても傍系男子によるものでなければならない
という点は全く理解できません。
B.の考え方では、目的は 戦後レジームの安定 であり、 国民統合の象徴である天皇制の維持 はそのための手段です。直系女子による天皇制の維持 と 600年以上離れた傍系男子による天皇制の維持 ではどちらが 国民統合の象徴にふさわしく、本来の目的である 戦後レジームの安定 に貢献するかという点では私は直系女子による天皇制の維持 だと思います。
>女性天皇や女性宮家の問題は次代への存続可能性が低いことでしょう。
単純に考えれば女性が天皇家や宮家を継承できれば、男性しか継承できない場合に比べて継承候補者が増えるので、次代への存続可能性が高くなると思います。
>だとしたら男系継承を前提としてそれをいかに維持していくか、華族制度の復活や一夫多妻の復活も視野に入れながら考えるべきだと思います。
一夫多妻はともかく、なぜ華族制度を復活させれば男系継承の存続可能性が高くなるのか分かりません。現在、男系継承の存続可能性が問題になっているのは皇太子家や宮家で男子があまり生まれなかったからです。秋篠宮殿下以降に皇太子家や宮家で生まれたのは女子が9名、男子が1名でした。通りすがり2号殿は
華族制度を復活させれば皇太子家や宮家で男子が生まれやすくなる
とお考えでしょうか?
>何かを尊いものとして崇敬するという心性自体が日本社会から消失しつつあるように思われる。
>このような素朴な心性はもはや失われて久しいでしょう。
天皇の子供を、この子は男系、この子は男系でない と賢しらげに区別する事は、素朴な心性からかけ離れていると思います。
投稿: Alberich | 2026年6月20日 (土) 19時52分
どうもAlberichさんとのすれ違いは歴史観や歴史解釈、社会観や価値判断の違いからくるようなので、この溝を埋めるのは困難だとは思います。
摂関政治については、近年の歴史学では摂関の権力をさほど過大視せず、朝廷の合議制の枠組みは一応守られていたというのが一般的な評価だと思います。摂関は絶対権力者ではないし、皇位継承を完全に管理する力などもっていなかったのであり、外戚の地位を失えばあっさり皇位継承への介入もできなくなったわけです。また摂関政治と院政との連続性も指摘され、いずれも天皇の祖父、家父長たる地位にもとづくものであって、氏が衰退して家の原理が出現する趨勢を反映したものと考えられています。
武家政権も皇位継承を完全に管理する力をもっていたと単純にはいえず、むしろ武家は皇位継承の決定から距離を置こうとするのが通例だったようです。また武家政権も女系で皇位を簒奪しようという動きを見せたことはなく、男系継承が簒奪を防ぐ機能を果たしていたと評価はできると思います。また女系も認めるのであれば、継承候補者が増えるわけですから南北朝の動乱はさらに収拾のつかないものになっていた可能性があります。
>>女系を認める場合は、優先順位を決める規則を男性候補者だけでなく女性候補者も含めて適用すれば良いだけの話だと思います。
いや女系も含めれば単純に候補者が倍になるのであり、調整コストは激増します。ルールを決めても同順位者が複数出現しますから。男系を優先するというルールなら調整コストが少なくすみますが、それはまさに男系継承なわけです。
>>天皇を神聖とする国家体制も天皇の地位に関する点では後の世(戦後レジーム)に影響を与えていません
>>戦後の発展には戦前の蓄積に助けられた部分はあると思いますが、その蓄積は天皇を神聖とする国家体制とはあまり関係がないと思います
というのは歴史解釈としては無理があると思います。戦前と戦後の連続性は近年の歴史学では強調されるところであり、昭和天皇が戦後も要所要所で上奏の場などで政治介入を行っていたという指摘はなされています。そもそも江戸時代でも天皇は全く政治的に無力といえず、一定の影響力をもっていたのであり、幕末にそれが顕在化したにすぎない。
>>直系女子による天皇制の維持 と 600年以上離れた傍系男子による天皇制の維持 ではどちらが 国民統合の象徴にふさわしく、本来の目的である 戦後レジームの安定 に貢献するかという点では私は直系女子による天皇制の維持 だと思います
というのはAlberichの価値判断であり、そうではない人もいっぱいいるでしょう。このような対立が大きい場合にはどちらを優先するかという根拠はなく、現在の制度を改変する積極的な理由がないのですから現状維持を選択すべきです。そして歴史的制度としての天皇制が憲法上の保障を受けている以上、民意によって好き勝手に動かすべきでないというのが私の意見です。
ちょっと誤解があるようですが、私は別に価値判断として男系継承を支持しているわけでなく、大学の自治のような歴史的制度はそれ自体合理性を有すると推定され尊重されるべきであり、それを改変するにはかなり強力な合理的理由が必要であり、旧宮家が現存する以上天皇制についてそのような理由は現在存在せず、動かすべきではないというのが私の見解です。
そして歴史的制度としての天皇制を維持するためには、旧宮家や華族制度の復活も、戦前そのままの形では無理にしろ、原状回復として合理性を有するというのが私の判断です。いずれも歴史的制度としての天皇制と結びつき、これを補完しその維持に貢献するものだからです。「旧宮家復帰による男系継承と皇別摂家による男系継承を区別する理由」はこのような歴史的制度の尊重という観点で主張していることです。
>>600年前の親戚がいなくても、直宮だけで天皇制を維持するのに必要な男性皇族の数は確保できる
という当時の判断は合理的だったと思います。
いや当時このような合理的判断がなされたとは思い難い。GHQから経済的圧迫を受けてやむなく皇籍離脱が行われたと理解しています。当時の人々は離脱した伏見宮系の旧皇族が場合によっては将来皇位を継承する可能性も考慮していたようです。
>>単純に考えれば女性が天皇家や宮家を継承できれば、男性しか継承できない場合に比べて継承候補者が増えるので、次代への存続可能性が高くなると思います。
この想定が私とは異なります、女性が天皇家や宮家を継承できるとなった途端に結婚相手に相当困ることになると思います。女性皇族と結婚する男性も皇位が関係してくると二の足を踏むでしょう。事実上結婚相手がかなり制限され、未婚のままになる可能性が高まると思います。
>>なぜ華族制度を復活させれば男系継承の存続可能性が高くなるのか分かりません
皇族の潜在的な結婚相手を確保できるからです。現状でも皇族の結婚相手の確保が難しい状況ですから、これを緩和することができる。
>>天皇の子供を、この子は男系、この子は男系でない と賢しらげに区別する事は、素朴な心性からかけ離れていると思います。
私は男系だからおばあさんが拝んでいるとは主張しておらず、そもそも何か尊いものを崇敬する心性が社会から消失しているということを主張しています。そのこと自体は男系でも直系でもどうにもならないことです。
多様性の時代と言われますが、それはみんなが同じものに共感することができない時代ということでしょう。あるものに共感する人がいても、同じものに反感を持つ人もいるでしょう。芸能人や有名人なら一部のファンの共感さえ集めればビジネスとして成立する。しかし国民統合の象徴である天皇はそうはいかない。
戦後の皇室は中流家庭のイメージを演じることで国民の共感をえて支持を集めるという戦略をとったといえる。上皇夫妻はそれをかなり自覚的に遂行して成功したといってよい。しかし、それは一億総中流社会にあってみんながそのような中流家庭を持てるというリアリティがあり、それに憧れるという状況を前提としていた。
そのような状況はすでに成立しなくなったといってよいでしょう。誰かの共感をえることが他の誰かの反感を招きかねないのが多様性の時代であり、共感を集めるという戦略は危険となりつつある。
この状況で天皇制はその歴史的伝統を強調してその存在意義を示すべきだというの私の主張です。まあ、積極策とはいえないが、守りの姿勢としては合理的だと考えます。
投稿: 通りすがり2号 | 2026年6月22日 (月) 20時58分
通りすがり2号殿
>Alberichさんとのすれ違いは歴史観や歴史解釈、社会観や価値判断の違いからくるようなので、この溝を埋めるのは困難だとは思います。
全く同意見です。
>武家政権も女系で皇位を簒奪しようという動きを見せたことはなく、
武家政権は皇位継承を管理できていたので皇位の簒奪までは必要ないと思ったのだと思います。江戸幕府は藩を統制していましたが細かな点は藩の自治に任せました。朝廷への対応も同様だと思います。
>女系も認めるのであれば、継承候補者が増えるわけですから南北朝の動乱はさらに収拾のつかないものになっていた可能性があります。
継承争いが継承候補者間の直接的な争い(タイマン)で決着するのであれば、仰るように継承候補者が増えれば混乱がひどくなるかもしれません。
しかし実際は継承争いは継承候補者間のタイマンではなく継承候補者を旗印とする勢力の争いで決着します。そのような勢力の数は限られているので継承候補者が増えても混乱がひどくなるとは限りません。南北朝で2つの勢力が対立したのは継承候補者が2人だったからではなく継承候補者を旗印とする勢力が2つだったからだと思います。このため女系が認められていたとしてもそのような勢力が2つであれば、旗印となる候補者は異なっているかもしれませんが2人の継承候補者の間の争いという構図は変わらないと思います。
>ルールを決めても同順位者が複数出現しますから。男系を優先するというルールなら調整コストが少なくすみますが、それはまさに男系継承なわけです。
申し訳ありませんが仰っている事が理解できません。皇位継承ルールは同順位者が複数出現しないように定められていると思います。皇位継承ルールで同順位者が複数出現する例を示して頂けないでしょうか?
>昭和天皇が戦後も要所要所で上奏の場などで政治介入を行っていたという指摘はなされています。
その介入は戦前と違い天皇の公式職務ではありません。このような非公式な介入も時がたつにつれ減っていったと思います。例えば田中角栄氏が総理大臣の時は上奏の場では田中氏が一方的に喋りまくって昭和天皇は閉口していたそうです。これらも
戦前の天皇の地位や国家における役割は戦後に引き継がれず徒花だった
事を示していると思います。戦後の昭和天皇の上奏の場などでの政治介入と聞いて
退職した元部長が御機嫌伺に来た元部下に対して現役のつもりで上から目線で業務の指示をして煙たがられている
という情景がうかびました。
>そもそも江戸時代でも天皇は全く政治的に無力といえず一定の影響力をもっていたのであり幕末にそれが顕在化したにすぎない
幕末にそれが顕在化した のは、藤原氏時代の保元の乱や鎌倉時代の南北朝と同じく江戸幕府が衰退したからだと思います。
>Alberichの価値判断であり、そうではない人もいっぱいいるでしょう。
仰る通りです。しかし
600年以上離れた傍系男子による天皇制の維持 のほうが、本来の目的である 戦後レジームの安定 に貢献する
というのも通りすがり2号殿の価値判断であり、そうではない人も同じくらいいっぱいいるでしょう。
>現在の制度を改変する積極的な理由がないのですから現状維持を選択すべきです。
全く同意見です。ですから私は皇位が直系長子ではなく弟の第3子(長男)に継承される事はやむを得ないと思います。
>旧宮家が現存する以上天皇制についてそのような理由は現在存在せず、動かすべきではないというのが私の見解です。
現在は旧宮家は宮家ではありません。養子縁組の対象となる方は父の代から民間人であり祖父も物心がついた時は民間人だった方がほとんどだと思います。そのような方の子孫を皇族にする事は現在の法律(皇室典範)を改定しないと実現しないので制度を動かす事です。
>民意によって好き勝手に動かすべきでないというのが私の意見です。
旧宮家を復活させたい という一部の方の民意によって、法律を改定してまで制度を好き勝手に動かすべきでないというのが私の意見です。
>当時このような合理的判断がなされたとは思い難い。GHQから経済的圧迫を受けてやむなく皇籍離脱が行われたと理解しています
それは通りすがり2号殿の価値判断ではないでしょうか?
>当時の人々は離脱した伏見宮系の旧皇族が場合によっては将来皇位を継承する可能性も考慮していたようです。
占領が終わり主権が回復する前から国民の間でBC戦犯の釈放を求める運動があり主権回復後に国会では戦犯の釈放に関する決議を行ったそうです。しかし伏見宮系宮家の皇籍復帰に関しては、そのような国民の運動も国会決議もありませんでした。当時の大部分の国民にとって、伏見宮系宮家の皇籍離脱は少なくともBC戦犯の状況よりも妥当性があったと考えていたと思います。
>女性が天皇家や宮家を継承できるとなった途端に結婚相手に相当困ることになると思います。女性皇族と結婚する男性も皇位が関係してくると二の足を踏むでしょう。
この想定は私とは異なります。以前のように結婚後は男性が仕事を続け女性は家庭で男性をサポートする(専業主婦)という家庭が多ければ、結婚後も皇族としての仕事を続ける女性皇族を結婚後はサポートしようとする男性は少ないかもしれません。しかし現在は共働きの家庭の方が専業主婦の家庭より多くなり、夫婦でお互いにサポートする事は普通になっています。共働きの家庭が多くなると女性の方が男性よりも重要な仕事に就く加あて委も多くなり、男性が女性の仕事のサポートするケースも多くなると思います。このような状況が続けば、皇族としての仕事を続ける女性皇族を結婚後はサポートしようとする男性も増えてくると思います。
>>>なぜ華族制度を復活させれば男系継承の存続可能性が高くなるのか分かりません
>皇族の潜在的な結婚相手を確保できるからです。現状でも皇族の結婚相手の確保が難しい状況ですから、これを緩和することができる。
一歩譲って結婚相手の確保が容易になったとしても、その結婚相手が男子を出産しなければ男系は持続できません。昭和天皇の妻(香淳皇后)は第四子まで女性だった事が問題視され、昭和天皇に父(大正天皇)が持たなかった側室を勧める意見もあったそうです。
結婚したら男子を産まなければならない(女子ではダメ)というのは結婚しようとする女性にとってかなりのプレッシャーだと思います。女系継承も認めれば、男子を産まなければならない というプレッシャーから解放され結婚に関するハードルが下がるので、男系継承しか認めず華族制度を復活させるより結婚相手を確保しやすくなると思います。
>戦後の皇室は中流家庭のイメージを演じることで国民の共感をえて支持を集めるという戦略をとったといえる。上皇夫妻はそれをかなり自覚的に遂行して成功したといってよい。
中流家庭のイメージを演じることで国民の共感をえて支持を集める
というのは昭和時代の戦略だと思います。以前のコメントでも申し上げましたが、昭和が終わって上皇陛下が即位した直後は、”昭和天皇に比べて頼りない”という印象もあって皇室の人気は下がりました。上皇夫妻が自覚的に遂行したのは
「皇室は国民に寄り添い国民と苦楽を共にする」事を発信し実行する事で国民の共感をえて支持を集める
という戦略だと思います。上皇夫妻は災害地の慰問や激戦地での慰霊を地道に行う事により国民の信頼を得て皇室の人気も回復しました。
>誰かの共感をえることが他の誰かの反感を招きかねないのが多様性の時代であり、共感を集めるという戦略は危険となりつつある。
「皇室は国民に寄り添い国民と苦楽を共にする」という事に反感を抱く方もいらっしゃるかもしれませんが、共感する方のほうがずっと多いと思います。
共感を集めるという戦略は危険となりつつある
という考えで共感を集める努力をしなければ皇室は国民から遊離してしまうと思います。
>天皇制はその歴史的伝統を強調してその存在意義を示すべきだというの私の主張です。
強調すべき 歴史的伝統 とはどのようなものでしょうか?通りすがり2号殿は
はるかに離れた傍系であっても男系男子が皇位が継承する事が歴史的伝統であり
直系であっても男系でない方が皇位を継承する事は歴史的伝統でない
というお考えでしょうか。そのような考えは、男性戸主が原則である家制度が法制化されていて、三従や良妻賢母が女性の理想とされ、女性に参政権がなかった戦前であれば賛成する方が多かったかもしれません。しかし家制度が廃止され、共働きの家庭の方が専業主婦の家庭より多くなり、女性の投票率が男性を上回っている現在では反対する方も多いと思います。
投稿: Alberich | 2026年6月26日 (金) 19時21分
歴史認識や社会観などでのすれ違いは埋まりそうにありませんが
>>皇位継承ルールで同順位者が複数出現する例を示して頂けないでしょうか?
親等と生まれ順で決めるのであれば、男系女系それぞれの同順位者が生まれるでしょう。
いずれにしても継承候補者が多ければ多いほど、権力秩序が乱れた場合に混乱が広がる可能性は多くなると思います。少ないほどに調整コストが減るのは自明です。
>女性が天皇家や宮家を継承できるとなった途端に結婚相手に相当困ることになると思います。女性皇族と結婚する男性も皇位が関係してくると二の足を踏むでしょう。
ということの意味合いが私の考えとは違います。ここで言っているのは、自分や自分の子供が皇族や天皇といった面倒な立場になるのを忌避するということです。このあたりは男性と女性では感覚が違うかもしれません。
>>共感を集める努力をしなければ皇室は国民から遊離してしまうと思います。
私はまったく共感を集めなくてもよいといっているのではありません。あまり国民の間で意見が分かれるようなことについて下手に共感を集めるのは危険だということです。そして、大衆は敵に回してはいけないが味方にするには頼りにならない。華族という藩屏を備えるのも有効でしょうし、歴史的伝統という価値を基盤として大衆からある種の超然とした地位を保った方がよい。
>>強調すべき 歴史的伝統 とはどのようなものでしょうか?
日本の文化や伝統そのものの体現ということです。
大衆は表向きは先進的なものに賛意を示すが腹の底では保守的なものだ。Alberichさんの先進的な考えは実際には大衆からは乖離したものだと思います。まあこのあたりは社会認識の差で溝は埋まらないでしょう。
投稿: 通りすがり2号 | 2026年6月29日 (月) 20時11分
通りすがり2号殿
>親等と生まれ順で決めるのであれば、男系女系それぞれの同順位者が生まれるでしょう。
>少ないほどに調整コストが減るのは自明です。
通りすがり2号殿は、男系女系に別々に継承順位規則を適用するとお考えなのでしょうか?そうであれば女系は無視して男系だけに適用する場合に比べると長男だけでなく長女も第1順位になるので女系の同順位者も出現する事になります。しかし私が申し上げたのは男女を考慮せず同じ継承順位規則を適用するという事です。つまり男女に関係なく第1子が第1順位になります。
>継承候補者が多ければ多いほど、権力秩序が乱れた場合に混乱が広がる可能性は多くなると思います。
皇族の数が減っているので対策が必要だと言われたのは小泉内閣の時です(当時は悠仁親王はまだ産まれていませんでした)この時は現在の陛下の子孫が女性であっても皇位を継承できるように女性皇族が結婚後も皇室に残れる様にする事が目的で、旧宮家の子孫を復帰させるという案は 国民の理解が得られない という理由で対象になりませんでした。
当時に比べると旧宮家出身者を継承候補者として皇位継承問題を引き起こす勢力が存在して混乱が広がっている現在は 権力秩序が乱れている という事でしょうか?
>ここで言っているのは、自分や自分の子供が皇族や天皇といった面倒な立場になるのを忌避するということです。このあたりは男性と女性では感覚が違うかもしれません。
仰っている事が理解できません。通りすがり2号殿は
男性配偶者は
自分や自分の子供が皇族や天皇といった面倒な立場になるのを忌避する
が、女性配偶者はそう考えない
とお考えなのでしょうか?つまり女性は
自分や自分の子供が皇族や天皇といった面倒な立場になるのを忌避しない
とお考えなのでしょうか?
都市伝説かもしれませんが、天皇陛下が若いころ結婚が話題になるとお相手と言われた女性は程なく結婚してしまう という事が続いたそうです。皇后陛下も結婚前は優秀な外交官であり皇室に入ると外交官を続けられないので、皇室入りを辞退するつもりだったそうです。しかし超エリート外交官だった父に
外交官を続けるのも皇室に入るのも国に尽くすという点では同じだ
と説得されて皇室に入る事を承諾したそうです。
>私はまったく共感を集めなくてもよいといっているのではありません。
しかし通りすがり2号殿は、
旧宮家の男系の方が共感を集める事よりも優先する
とお考えですよね。そうであればずっと昔の政治学者ではありませんが、旧宮家継承派らしく
旧宮家の男系の方だから、共感が集まらない方でも皇位を継承すべきだ
と仰るべきだと思います。
>あまり国民の間で意見が分かれるようなことについて下手に共感を集めるのは危険だということです。
現在の皇室の 「皇室は国民に寄り添い国民と苦楽を共にする」 という考え方に関して国民の間で意見が分かれているのでしょうか?これは私の感想ですが、この考え方に賛成する国民の方が反対する国民よりずっと多いと思います。
>大衆は敵に回してはいけないが味方にするには頼りにならない。
仰る通りかもしれません。でしたらなおさら大衆の間で意見が別れて大衆の一部でも敵に回るような事はするべきではないと思います。
大衆の中には現在の政府のやり方について
大部分の国民が支持している現在の皇室のあり方を懸命に踏襲しようとしている直系女性皇族を押しのけて
聞いたこともない民間人の男性を連れてきて横入りで皇位を継承させようとしている
と思う人もいるかもしれません。これは私の感想ですが、直系女性皇族は皇位継承に関係なく今後もこれまでと同様に現在の皇室のあり方を踏襲して公務を行われると思います。そうなるとこの女性皇族を
奸臣の悪だくみで皇位を継承できなくなった悲運のプリンセス
と同情する大衆も多いと思います。そして、現宮家の養子となる旧宮家の男系男性はその同情の分だけ
奸臣に祭り上げられて皇位を不当にかすめ取った男
として憎まれると思います。そのような状況が予想される中で養子として名乗り出る男性がいるでしょうか?大衆が反目に回ると怖いですよ
>華族という藩屏を備えるのも有効でしょうし、歴史的伝統という価値を基盤として大衆からある種の超然とした地位を保った方がよい。
通りすがり2号殿が仰る
皇室は歴史的伝統という価値を基盤として大衆からある種の超然とした地位を保つ様にする
事やそのために
華族という藩屏を備える
事はどちらも現在は実現していないので、実現するためには制度を変更する必要があります。制度を変更するためには大衆の(消極的でも)賛成が必要ですが、現在の皇室の在り方を変えるための制度変更を大衆は賛成するでしょうか?大衆が反目に(以下同じ)
>>>強調すべき 歴史的伝統 とはどのようなものでしょうか?
>日本の文化や伝統そのものの体現ということです。
通りすがり2号殿は、
直系であっても男系でない方ではなく、はるかに離れた傍系であっても男系男子が皇位が継承する事が
日本の文化や伝統そのものを体現している
とお考えなのでしょうか?通りすがり2号殿のようにこの考えに賛成する方もいらっしゃると思いますが、私のように反対する人間もいます。ずっと昔ですが保守派の評論家と社会学の教授の対談で、伝統を守れと力説する評論家氏に教授が
あなたが守れと言っているものは伝統じゃない! あなたの思い出だ!
と言ったら評論家氏は怒って帰ってしまったそうです。現在なら
それってあなたの感想ですよね!
と言うところでしょうか?
>大衆は表向きは先進的なものに賛意を示すが腹の底では保守的なものだ。
仰る通りかもしれません。しかし 保守的 というのはどのような態度でしょうか?
私は保守的というのはhamachan先生がこの記事の以前のコメントで述べられたように
いかに「正しい」男系相続原理に合致しているからと言って、何十代も前に分かれた家系の人を、
男系相続原理に合致していない近縁の方々よりも認める事はできない
という感情や感覚だと思います。
天皇や皇族に対して、尊いものとしてお慕い申し上げる、といった素朴な心性はこのような感情や感覚に基づいていると思います
>Alberichさんの先進的な考えは
私の考え方は上で申し上げた意味で保守的であり、進歩的(感情や感覚より理論や原理を優先する)ではないと思います。
西村博之という方は
高市政権は民間人の息子が天皇になれる改悪をする様子
高市早苗氏は天皇制を崩壊させた戦犯として教科書に載りたいのかな?
と述べているそうです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b81791114a23b4bc07a2192411520d29e171ef76
私も、そうかもしれない と思っています。
長期金利や愛子様に対する国民の評価という客観的な事実を無視して、 サナエノミクス や 皇室典範 という自分たちのやりたい事だけをやる現在の政府を見ていると、建武の時代に戻ったような気がします。
投稿: Alberich | 2026年7月13日 (月) 19時52分
>>私が申し上げたのは男女を考慮せず同じ継承順位規則を適用するという事です。つまり男女に関係なく第1子が第1順位になります。
男系は維持しつつ、女性天皇を実現しようというお考えでしょうが、例えば女性のあとに高齢の男兄弟が継いだりするケースが出てきたり運用上難しい面があると思います。
>>現在の皇室の 「皇室は国民に寄り添い国民と苦楽を共にする」 という考え方に関して国民の間で意見が分かれているのでしょうか?これは私の感想ですが、この考え方に賛成する国民の方が反対する国民よりずっと多いと思います。
抽象的な一般論としては反対しないでしょう。しかし具体的に何が国民に寄り添うことなのかという点について意見が多様化してまとまらなくなると思います。国民の趣味嗜好や利害関心はどんどんバラバラになっているのが現状でしょう。
どうも議論が取っ散らかりましたが、私が問題にしているのは制度の合理性です。そして制度の性能は混乱した難しい時代状況でも機能するか否かで評価すべきです。継承候補者が多くても安定した時代であれば問題がありませんが、混乱した時代になれば継承争いや皇位簒奪の危険が生じる。男系継承はこのリスクを双系よりは減らすことができる。あとからやはり女系の継承権を否定するというのは新たな政治的対立を生んで現実には難しいでしょうから、安易に継承資格の範囲を拡大すべきではない。
民間人として生きてきた旧宮家の養子を国民が受け入れるのかという懸念が見られるが、むしろどこの馬の骨ともしれない民間出身の男性が何らの血統的正統性もなく女性皇族と結婚したというだけで皇族となって国から多額のお金をもらうのを国民が受け入れるのかという方が厳しいと私は思います。民間女性が皇室入りしたのとは比較にならないほど、一億総小姑が襲い掛かってくることでしょう。
男性の方が女性よりも結婚によって自分の境遇が変わることへの覚悟が付きにくいのは一般論としていえるでしょう。なんらかの正統性や大義名分がないと男性は腹をくくれない。旧宮家の人間は本来皇位継承権を持ちえた人々なので正統性の裏づけがあり覚悟をもって養子となれるでしょうが。
そして女性皇族と結婚すれば皇族になれるとすると近づいてくるのは何らかの野心や政治的思惑をもった男性ばかりになる。まともな男性はそのような人間と思われたくないので女性皇族を忌避する。女性皇族の選択肢は狭まるし、おかしな男性が皇族になりかねない。実際のところ、この点がもっとも危惧されるところであろう。
もちろん今の平和の時代であれば野心をもった男性が皇族となっても影響は限られている。しかし将来混乱した時代がやってくればそのリスクは無視できない。制度の合理性という観点からは女性皇族の夫や子の身分は皇族とする先例をつくるべきではない。
歴史を鑑みれば、古代の日本は双系相続であったといわれる。また大君となりうる複数の王家があったという説もあるが、それは双系相続と結びついていたのかもしれない。
諸氏族と隔絶した天皇の氏族の地位が確立したのは壬申の乱以降とされる(どうでもよいことだが、乱で活躍し天武系王朝の成立に貢献して太政大臣になったのが高市皇子というのは暗合めいていて面白い)。
しかし奈良時代はまだ双系相続の観念が残っていたのか、女性天皇が複数見られた一方で皇族同士の血で血を洗う権力闘争が繰り広げられた。
平安時代に入り皇位継承が安定していく一方で男系相続が普及していった。注目すべきは奈良時代までは女性皇族の結婚相手が皇族に限られていたのが平安以降人臣と結婚できるようになっていったことだろう。
男系継承と皇位継承の安定、女性皇族の結婚の自由が結びついているという歴史的事実を重視すべきだろう。男系継承は女性皇族の結婚の自由を保障する上でも合理的な制度といえよう。
以後男系男子継承で皇位が世襲されてきた歴史的事実としての伝統は否定できない。江戸時代の2例の女性天皇はいずれも男子継承の中継ぎであることが明確であって、男系男子継承の伝統の否定とならないし、現代において女性天皇の先例とするのも不適格だろう。
近代になって神武以来の万世一系という言説がみられたのは事実だが、そのような言説レベルの伝統の創造があったからといって男系継承の歴史的事実の否定にはならない。異なる次元の話をごっちゃにしているにすぎない。
イングランドは男系継承を基調としながらも欧州の中では女系の継承権も比較的強く認めてきた。しかしノルマンコンクエスト以後の王家の歴史は王族同士のおぞましい権力闘争の歴史であって、何人もの国王が幽閉されたり暗殺されたりした。そしてその結果王家の聖性が失われた。この点は「万世一系」のフランス王家が聖性を維持したのとは好対照である。継承候補が多いゆえに血統の稀少性が薄れた故かもしれない。エドワード2世は肛門に焼け火箸を差し込む拷問で殺されたとされる。まあ、これは事実でないとしても、このような話が流布するのは王の聖性が剥落したゆえであろう。
ただ、このような激しい権力闘争の過程で議会による利害調整を通じた安定的な政治的決定の伝統が形成をされたのもまた事実だろう。イギリス議会主義は王が肛門に焼け火箸が差し込まれたことで生まれたといっても過言ではない(いや過言か)。
単なる欧州ローカルの話にすぎない長子相続への移行を世界の潮流と僭称して日本もこれに合わせよという議論が見られるが、欧州と日本の歴史的経緯を無視しており、論ずるに足らない。それとも遠い未来に双系相続がもたらす政治的混乱の果て、天皇の肛門に焼け火箸が差し込まれて議会主義が日本に確立することを夢想しているのであろうか。
女性宮家というのは実際のところ女性を家の論理に縛り付けようというものであって、保守的というよりは反動的というべきものだろう。家父長制を批判している人が女性宮家をもし支持していたなら大いなる矛盾である。
女性宮家への支持には実際にはかなり守旧的な志向があるように思われる。それは夫婦別姓が実際には娘しかいない家の家名を残したいという思惑で支持されているのに似ている。娘しかいない家の存続を婿養子でかなえたいという願望が反映されているのではないか。読売新聞が女系相続支持に舵を切ったのはこのような願望をもっている層への迎合という面があるように思われる。
伝統は常に創造されるものであり、伝統回帰は単なる守旧的なものではない。ルネサンスはまさにそのようなもので、積極的で前向きで建設的なものでありうる。
唐を中心とする東アジアのグローバルな秩序が崩壊していくなかで、日本は国風文化を形成していった。現在グローバリゼーションが曲がり角を迎える中で新たな伝統の創造がみられるだろう。そのような人々の草の根の動きに同調するかたちで天皇制は生き残りを図らざるをえないだろう。
旧宮家が天皇家から600年前に分かれたというのはまさに歴史の重みをまざまざと見せつけるものであって、戦後の天皇制のあり方が長い天皇制の歴史のなかの1コマにすぎないことをあからさまにすることだろう。そこに積極的に意味を見出す若い人々が新しい歴史をつくっていくのだろう。
このような新たな歴史の分岐点にいま立っていると思うとワクワクするものがある。
投稿: 通りすがり2号 | 2026年7月15日 (水) 21時59分
という風に、本エントリのコメント欄で熱っぽく議論が展開される中で、ついに昨日皇室典範の改正法が成立したようです。
わたくしの眼から見て大変興味深いのは、国会における議論の分布状況と、国会外、というか今までは国会の党派分布とかなり対応する形であったと思われるマスメディアとりわけ大新聞の意見分布とがものの見事に食い違っているように見えることです。
国会では与党のみならず、野党のかなりの部分までもが賛成に回ったのに対し、マスメディアでは、おおむね保守系に与すると思われてきた読売新聞や日経新聞がかなり強硬な反対論をの論陣を張っていて、このずれは一体何なのだろうかという興味を惹きます。賛成論は新聞では産経くらい、雑誌ではWILL、Hanadaといった極右系くらいのようです。
本エントリの本体で引用した北岡伸一さんもそうですが、現実主義、保守主義の立場に立って、大体自民党政権を支持してきて、野党系の議論を非現実的だと斬って捨ててきたような人が、おおむね揃いも揃って反対論に回っているのは、やはりこちらの方が保守感覚に近いのではないかという感想を抱かせますね。
逆に、本来天皇制廃止論のはずの共産党が「陛下の大御心に反する」みたいなことを言ってるのもなんだかなあ、ではありますが、
こういう事態は、皇室にとって望ましいことなのかどうか、本当に皇室の立場に立って考える人があまりいなくなてしまったということの帰結なのかもしれません
投稿: hamachan | 2026年7月19日 (日) 00時05分
>マスメディアでは、おおむね保守系に与すると思われてきた読売新聞や日経新聞がかなり強硬な反対論をの論陣を張っていて、
>現実主義、保守主義の立場に立って、大体自民党政権を支持してきて、野党系の議論を非現実的だと斬って捨ててきたような人が、おおむね揃いも揃って反対論に回っているのは、
文芸春秋(本誌, 週刊誌じゃない方)といえば、現実主義、保守主義の総本山のような雑誌だと思いますが、この雑誌も反対の様です。
https://bunshun.jp/bungeishunju/articles/h12173
「拙速改正で日本を分断するな」 御厨貴、林真理子、野田佳彦
>保守主義というのは日々の繰り返しとか近さや慣れ親しみといったまさに保守的な感覚を大事にする思想であって
>やはりこちらの方が保守感覚に近いのではないかという感想を抱かせますね。
これは私の感想ですが、最近は物価高等により衣食だけでギリギリで礼節の余裕がない方が増えて、正統保守の拠り所である 日々の繰り返しとか近さや慣れ親しみを大事にする 人が減っているような気がします。そうなるとパンとサーカスではありませんが、
難しい事を言っている偉そうな人(バラモン左翼?)が自分の意見が通らずに悔しがる様子を見物できて
自分たちの手取りが増えるのであれば、現在の皇室と360等身離れた男性が天皇になっても
日の丸を汚した人が塀の中に放り込まれても、そんな事はどうでもいい
と考える方が増えているのかもしれません。西村博之という方は最近の状況を
今だけ、金だけ、自分だけ
と仰っていましたが納得できる気がします。
>国会では与党のみならず、野党のかなりの部分までもが賛成に回ったのに対し、
以前の選挙では維新の会が躍進し、次の選挙では国民民主党が躍進し、直近の選挙では参政党が躍進しました。躍進した政党も次の選挙ではその勢いは続かず新しい政党が躍進しています。長期的な視野を持つ余裕がなくてその時点での興味だけで投票する国民が増えた事が国会の議席に反映されているのでしょうか?躍進できなかった政党も次の選挙での躍進を狙って選挙民にアピールする言動を繰り返しています。まるで売れっ子だったアイドルが、もっと若くて新しいアイドルに人気を取られたので、人気を取り戻すためにもっと派手なパフォーマンスをするようだと思います。
れいわ新撰組は先日の選挙で議席を大幅に減らし党首の山本太郎氏は政界を引退するそうです。これに対して
れいわ新撰組や山本太郎が終わったんじゃない。他の政党や党首が、れいわ新撰組化、山本太郎化 したんだ。
という意見がありました。連合の組織的支援を受けている政党の党首が、手取の大幅増加を主張しぞの財源を質問されると
それは政府が考える事だ
と答えたのを見ると、そんな気もします。
投稿: Alberich | 2026年7月30日 (木) 21時41分
通りすがり2号殿
>男系は維持しつつ、女性天皇を実現しようというお考えでしょうが、
私は長子継承が望ましいと考えているので、男系を維持しよう とか 女系を優先しよう とは考えていません。
>例えば女性のあとに高齢の男兄弟が継いだりするケースが出てきたり運用上難しい面があると思います。
仰る事が理解できません。長子継承で仰るような女性天皇の後に高齢の男兄弟が皇位を継承するのは女性天皇に(男女を問わず)子供がいない場合だと思います。男系継承の男性天皇であっても子供がいなければ高齢の男兄弟が皇位を継承すると思います。男系継承では男性天皇に娘がいても皇位が継承されず高齢の男兄弟が皇位を継承するので長子継承の場合より高齢の男兄弟が皇位を継承する確率が高くなると思います。
>抽象的な一般論としては反対しないでしょう。しかし具体的に何が国民に寄り添うことなのかという点について意見が多様化してまとまらなくなると思います。国民の趣味嗜好や利害関心はどんどんバラバラになっているのが現状でしょう。
私は、国民の趣味嗜好や利害関心はどんどんバラバラになっている現状であっても、
災害発生地への慰問 や 戦没者への慰霊 を行う
事が、具体的に
「皇室は国民に寄り添い国民と苦楽を共にする」
事であるという点については大部分の国民の意見は賛成でまとまっていると思います。
>私が問題にしているのは制度の合理性です。そして制度の性能は混乱した難しい時代状況でも機能するか否かで評価すべきです。継承候補者が多くても安定した時代であれば問題がありませんが、混乱した時代になれば継承争いや皇位簒奪の危険が生じる。
全く同意見です。
>男系継承はこのリスクを双系よりは減らすことができる。
女性でも皇位を継承できる長子継承は、このリスクを現在の皇室とは40等親近く離れた血縁で何世代も前から皇籍を離れて民間人になった方を養子にして継承候補者を増やす旧宮家継承よりも減らす事ができると思います。
>あとからやはり女系の継承権を否定するというのは新たな政治的対立を生んで現実には難しいでしょうから、安易に継承資格の範囲を拡大すべきではない。
現在の皇室とは40等親近く離れた血縁で何世代も前から皇籍を離れて民間人になった方を養子にして、あとからそのお方やその子孫の方の継承権を否定する事も新たな政治的対立を生んで現実には難しいと思います。ですから安易に継承資格の範囲を拡大すべきではないと思います。
>民間人として生きてきた旧宮家の養子を国民が受け入れるのかという懸念が見られるが、むしろどこの馬の骨ともしれない民間出身の男性が何らの血統的正統性もなく女性皇族と結婚したというだけで皇族となって国から多額のお金をもらうのを国民が受け入れるのかという方が厳しいと私は思います。
女性皇族と結婚される男性は、皇族としての血統的正統性は女性皇族にあり男性側には要求されないので、その方がどこの馬の骨ともしれない民間出身の男性であってもそれ自体は問題にならず、どこの馬の骨ともしれない民間出身の女性が男性皇族と結婚したというだけで皇族となって国から多額のお金をもらうのと同様に多くの国民は受け入れると思います。
>民間女性が皇室入りしたのとは比較にならないほど、一億総小姑が襲い掛かってくることでしょう。
政府が、大部分の国民が支持している現在の皇室のあり方を懸命に踏襲しようとしている直系女性皇族を押しのけて何世代か前が現在の皇室とは40等親近く離れた血縁の旧宮家だったという理由で聞いたこともない民間人の男性を連れてきて皇族にすれば
奸臣の悪だくみで継承すべき皇位を継承できなくなった悲運のプリンセス
に同情する一億総小姑が
奸臣に祭り上げられて横入りしてプリンセスから皇位を不当にかすめ取った男
に対して、プリンセスと結婚した民間男性が皇室入りしたのとは比較にならないほど襲い掛かってくることでしょう。
>旧宮家の人間は本来皇位継承権を持ちえた人々なので正統性の裏づけがあり覚悟をもって養子となれるでしょうが。
私には、そのような正当性や覚悟をお持ちの方が女性皇族との結婚ではなく養子を選ばれる理由が分かりません。
>もちろん今の平和の時代であれば野心をもった男性が皇族となっても影響は限られている。しかし将来混乱した時代がやってくればそのリスクは無視できない。制度の合理性という観点からは女性皇族の夫や子の身分は皇族とする先例をつくるべきではない。
制度の合理性という観点からは何世代か前が現在の皇室とは40等親近く離れた血縁の旧宮家だったという理由で民間人の男性や子の身分は皇族とする先例をつくるべきではない と思います。
>単なる欧州ローカルの話にすぎない長子相続への移行を世界の潮流と僭称して日本もこれに合わせよという議論が見られるが、
私は海外の王室については素人ですが、欧州以外に日本のように 民主主義 で 100年以上続いている王室がある 国は存在するのでしょうか?
>それとも遠い未来に双系相続がもたらす政治的混乱の果て、天皇の肛門に焼け火箸が差し込まれて
遠い将来に、何世代か前が現在の皇室とは40等親近く離れた血縁の旧宮家だったという理由で民間人を皇族にした男系相続がもたらす政治的混乱の果て、この民間人の子孫の天皇が同じ状況になる事は無いとお考えでしょうか?
>女性宮家というのは実際のところ女性を家の論理に縛り付けようというものであって、
現在の(男性)宮家というのは実際のところ男性を家の論理に縛り付けようというものではないのでしょうか?しかも現在議論されている女性宮家は
結婚後も希望すれば皇族に残れる
(結婚後に皇室という家の論理に縛り付けられたくない女性は希望しなければよい)
という内容ですから、女性を家の論理に縛り付けようというものではないと思います。
>女性宮家への支持には実際にはかなり守旧的な志向があるように思われる。それは夫婦別姓が実際には娘しかいない家の家名を残したいという思惑で支持されているのに似ている。
夫婦別姓が求められているのはビジネス上の理由からだと思います。夫婦別姓が認められ結婚後も女性に全く改姓に伴う負担がない国に比べると結婚後は女性に改姓に伴う負担があると、両手が自由に使える相手に片手の使用に制限があるようなもので試合にならないと思います。
経団連等の大企業の団体が夫婦別姓を支持しているのは、外国と対等な条件で競争する事を求めているためで、娘しかいない家の家名を残したいという方を配慮しているからだとは思えません。
>伝統は常に創造されるものであり、伝統回帰は単なる守旧的なものではない。
全く同感です。
皇室の伝統は直系長子継承容認等の様に常に創造されるものであり、男系系継承という理由で何世代か前が現在の皇室とは40等親近く離れた血縁の旧宮家だったという理由で民間人の男性に継承させるような単なる守旧的なものであってはならないと思います。
>唐を中心とする東アジアのグローバルな秩序が崩壊していくなかで、日本は国風文化を形成していった。
江戸時代の末期、清がイギリスに大敗するという東アジアのグローバルな秩序が崩壊していくなかで、日本ではイギリス(西洋)の勝利の基盤である科学技術を学ぶために一部の藩では蘭学が盛んになりました。しかし幕府の伝統固持派は 朱子学が伝統の学問である といって蘭学を弾圧しました。この弾圧がなければペリーが来た時の混乱はもっと小さかったと思います。
>現在グローバリゼーションが曲がり角を迎える中で新たな伝統の創造がみられるだろう。そのような人々の草の根の動きに同調するかたちで天皇制は生き残りを図らざるをえないだろう。
仰るように現在グローバリゼーションが曲がり角を迎えているかもしれません。しかし
国民は性別や生まれに関係なく同じ権利を持つ
という考え方は草の根まで浸透していると思います。
このような草の根の動きに同調するかたちで天皇制は直系長子継承等の考え方を取り入れて生き残りを図らざるをえないと思います。
>旧宮家が天皇家から600年前に分かれたというのはまさに歴史の重みをまざまざと見せつけるものであって、
これって通りすがり2号殿の感想ですよね。
>戦後の天皇制のあり方が長い天皇制の歴史のなかの1コマにすぎないことをあからさまにすることだろう。
仰る通り通りかもしれません。そうであれば、東夷の暮らす土地で暮らし異人の着るものを着て異人の食べるものを食べている明治以降の天皇制のあり方も長い天皇制の歴史のなかの1コマにすぎないと思います。
>そこに積極的に意味を見出す若い人々が新しい歴史をつくっていくのだろう。
非常に興味深いご意見ですが、これも通りすがり2号殿の感想ですよね。
投稿: Alberich | 2026年8月10日 (月) 21時09分
皇族の減少への対応が検討されたのは小泉内閣の時だったと思います。当時は悠仁親王がおられなかったので、もっと深刻でした。当時の検討は女性宮家一択で、旧宮家案は 国民の理解を得るのが困難 という理由で却下されたそうです。検討途中で悠仁親王が誕生されて、みんな安心してしまった(?)ので検討はうやむやになりました。
そして20年後の検討では、前回は 国民の理解を得るのが困難 という理由で却下された内容が優先項目になりました。
第二次大戦で海軍の撃墜王だった方が戦後に
開戦後しばらくは基地司令部の様子は開戦前と変わらなかった。しかし大戦後半になって
硫黄島の基地に赴任すると、司令部の周りに 八幡大菩薩 等の幟が乱立していた。
負けが込んでくると神頼みになるらしい。
と言ったそうです。
”米百俵の精神” や ”痛みを伴う改革” に多くの国民が共感する余裕があった20年前に比べると、出生数の激減で近い将来の釣瓶落し状態が予想され、多くの国民の関心が
政府は自分の手取をどれだけ増やしてくれるか
に集まっている状況では、神頼み(男系継承頼み)になってしまうのは仕方がない事なのかもしれません。
投稿: Alberich | 2026年9月 5日 (土) 22時01分