大谷享『中国TikTok民俗学』@『労働新聞』書評
月1連載の『労働新聞』書評ですが、都合により、先週に引き続き今週もわたくしが担当しました。取り上げたのは打って変わって大谷享『中国TikTok民俗学』です。
https://www.rodo.co.jp/column/219961/
現代中国の宗教事情といえば、新疆ウイグル自治区でのイスラム教の弾圧とか、共産党直轄でない非公認のキリスト教の抑圧とか、邪教とされて厳禁された法輪功の話など、暗い話がいっぱいだ。60年前には文化大革命で各地の宗教施設が片っ端から破壊されたこともある。なので、伝統的な漢民族の宗教儀礼を研究しようとする者は台湾や香港に向かうというのが通例であった。ところがところが、本書はその宗教に抑圧的なはずの大陸中国で、奇怪な神々が跋扈するディープな宗教世界を、これでもかこれでもかと紹介しまくっているのだ。著者はアモイで日本語を教えながら、中国各地を駆け回って宗教儀礼-ほとんど淫祠邪教のたぐい-を観察してきた。その探索手段はなんとスマホである。中国のTikTok(抖音)には、得体の知れない民俗動画が氾濫しており、著者はそれを頼りに外部世界には知られていないが現代中国では熱烈に信仰されているさまざまな「神様」たちを訪ね歩く。登場するのは、逆立ちする「張五郎」、やたらにセクシーな「九尾狐」、日本から逆輸入された「大黒天」、そして恐ろしい死神の「無常」といった神々だ。これらの神々は現地の中国人の生活の中にしっかりと根を生やし、日々の儀礼の中に生きている。著者自身の表現を借りれば「おそらく多くの読者は意外に思うだろうが、漢族の宗教の基層にあるのはシャーマニズムである」。その有り様はほとんど淫祠邪教と言いたくなるほどだが、イスラム教やキリスト教のような外部勢力と通謀する危険性のあるまともな世界宗教への警戒感とは打って変わって、中国共産党は寛容なようである。さて、宗教儀礼の中身もすさまじいが、本書を読んでもっとも驚かされたのは、著者の研究手法だ。タイトルにあるように、スマホに流れるTikTok動画を頼りに、とにかくその現場に行ってみる。そうすると、思いもよらない出来事が次々に押し寄せてきて、いろんなことが芋づる式に解明されていくのだ。これは、現代中国が日本とは比べものにならないくらいスマホ社会になっているからだろう。本当に社会の末端のごくごく普通の市井の中高年齢者たちが、自分たちの日常や非日常の姿をショート動画としてアップする。その膨大な民俗動画の大海には、その地域の人々以外にはほとんど知られていないような宗教儀礼が多数浮かんでおり、著者はまさにスマホ一つでそれらの姿を描き出していくのだ。とはいえ、TikTok動画だけを頼りに中国各地を旅行していく著者の行動力もすさまじい。張五郞探索の途次で、彼は張五郎はじめ神々を召喚し、招福と息災を祈願する儀礼の最終盤に立ち会う。生きた鶏の喉が鋭利な包丁でかっ切られ、鮮やかな鮮血がお椀にドボドボと注がれた時、「はよ飲まんかいな」と言われて一気に飲み干した。すると、「根性あんなあ。俺はよう飲まんわ」「鶏の生き血はサルモネラ菌の塊ですからね」。本書は、著者のこの時に無謀な行動力の結晶である。
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