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2026年6月

2026年6月29日 (月)

橘大樹さんの拙著書評@『経営法曹』

Chukogaikoku_20260629093301 経営法曹会議の機関誌『経営法曹』の2026年6月20日号(第228号)に、橘大樹さんによる拙著『外国人労働政策』への書評が載っています。3ページにわたって、詳細かつ丁寧に拙著を論じていただいております。

とりわけ、その最後の「本書から得られる学び」の項では、このように望外の言葉までいただいていります。

……今回、本書を読むことで気づかされたのは、我々が日本型雇用システムの価値観を無意識のうちに内面化しているおそれがあるということである。先述のように、外国人労働政策を巡る立法資料等を見ても、「日本型雇用慣行がこうなっているからサイドドアの仕組みを設計しました」という話が出てくるわけではない。「人材の受入れや育成、教育はこうあるべきである」という無意識が、かくも歪な制度につながったとのではないかという話である。  このように、明示された日本型雇用慣行との関係性(戦術の解雇権濫用法理)だけでなく、我々が知らず知らずのうちに内面化している「雇用システムはこうあるべき」という思い込みが、歪んだプロダクトを生み出してしまうかもしれないという「視座」を、本書を通じて感じた次第である。依頼者からの相談内容、個々のケースに登場する人事セ策やその運用、当事者・関係者の言動や言い分、あるいは自分自身の理解・分析には、システムの内側に組み込まれていることで気が付けない歪みがどこか作用しているのかもしれない。そうした労働法実務における視座獲得のトレーニングにもなる一冊である。

 

2026年6月25日 (木)

Minimum Wage Policy in Japan @Japan Labor Issues Summer 2026

Jli1058 JILPTの英文誌“Japan Labor Issues”のSummer 2026号に、“Minimum Wage Policy in Japan”を寄稿しました。

https://www.jil.go.jp/english/jli/documents/2026/058-05.pdf

中身は日本の最低賃金の歴史を淡々と解説したものです。

本号にはそのほか、

● Special Feature on Research Papers (III)
Looking Back on 30 Years of Measures to Address the Declining Birthrate MATSUURA Tsukasa
Transformation and Persistence in Japanese Youth Labor Market FUKUI Yasutaka
● Research
Article
Law and Policy on Health Protection in the Workplace during a Pandemic YAMAMOTO Yota
● Judgments and Orders
Commentary
Gender Equality and Indirect Discrimination: The Legality of Restricting Company Housing Scheme to Comprehensive-Track Workers The AGC Green-Tech Co. Case TAKIHARA Hiromitsu
● Series: Japan’s Employment System and Public Policy
Minimum Wage Policy in Japan HAMAGUCHI Keiichiro
● Statistical Indicators 

といった記事が掲載されています。

このうち山本陽大さんの論文は、昨年刊行した労働政策研究報告書No.232『新興感染症と職場における健康保護をめぐる法と政策―コロナ禍(COVID19-Pandemic)を素材とした日・独比較法研究』のうち日本法の分析のところだけを要約し再構成したもので、これだけで興味深い読み物となっています。

また、判例解説は滝原啓允さんのAGCグリーンテック事件です。

 

 

 

 

2026年6月24日 (水)

優秀な現場力こそが諸悪の根源だった!?

たまたま、ネット上にこんな記事を見つけたのですが、

優秀さという檻 ―― なぜ日本人の「Excel習熟度」の高さが、国のIT投資を遅らせたのか

Rnh6ocgklyu4xxiqybqmvx0p1nl0jf2fpahtb6rz ここで言われていることが、本日お送りいただいた首藤さんの『なぜ賃金は上がらないのか 日本経済30年の陥穽』(講談社現代新書)のメッセージと通底しているように感じました。

再掲になりますが、首藤さんが日本の賃金が上がらなかった最大の要因として指し示すのは「優秀過ぎる現場力」です。

本日のエントリですが、もう一度ここに載せます。

・・・・・・しかし、本書で首藤さんはその先に論を進めます。

なぜ交易条件の悪化を企業内の賃金調整で凌いでしまうのか?

いや、凌げてしまうのか?

そこに、首藤さんは、これまでカイゼンや知的熟練などとともに日本の競争力の源泉として賞賛されてきた「現場力」がプラス要因からマイナス要因に転化してしまったという皮肉な構造を見出すのです。

・・・重要なのは、この現場力が発揮されていた時代背景である。高度成長期から安定成長期にかけて、日本企業は設備投資を行い、人員にも一定の余裕を持っていた。現場ごとにOJTを通じた教育訓練が行われ、改善提案をする能力が培われ、新たな投資が工程改革と結びつき、生産性が向上していった。そして、その成果は賃金の上昇や雇用の安定として、労働者にも還元されていた。現場の努力と企業の成長、賃金の上昇は、相互に結びついていた。

 しかし、本書で見てきたように、賃金が上がらず、価格も動かず、投資が抑制される状況が長期化する中で、現場に求められる役割は、次第に変質していった。人が減っても、どうにか仕事を回す。コストが増大しても、現場で帳尻を合わせる。投資が行われなくても、既存の設備を工夫して使い続ける。ここで行われていたのは、必ずしも生産性向上を目的とした改善ではない。本来であれば価格の見直しや投資によって調整されるべき問題が、日々の業務の中で吸収されるようになっていった。

 問題は、現場の労働者が怠けていたことでも、能力が不足していたことでもない。むしろ逆である。現場が優秀で、責任感が強かったがゆえに、調整の負担が現場に集中してきたのである。

 重要なのは、この現場の強さが、価格や投資による調整の代替として機能してきた点である。その結果、問題は解決されるのではなく、表面化しないまま先送りされてきた。価格は上がらず、投資も進まず、調整の負担だけが現場に蓄積されていく。現場の優秀さは、日本経済の強みであると同時に、調整の在り方を歪めてきた側面をもつ。

・・・すなわち現場の努力は、成長を支える改善であると同時に、価格を動かさない経済を成立させる調整装置としても機能していた。現場が頑張れば頑張るほど、構造的な問題は表面化しにくくなり、「まだ回っている」という認識が温存される。その結果、賃金や人員、労働条件にかかる負担は蓄積していく。ここで生じているのは、現場力の低下ではなく、その役割の転換である。成長を支える能力であった現場力は、価格と投資の不足を補う制度的装置へと変わってきた。

・・・今問われているのは、現場を称えることではなく、現場になにを背負わせてきたのかを見直すことである。

現場に無理を聞かせられないような社会、日本以外のジョブ型社会は概ねそうですが、そういう現場がアホやから上が何とかせな回らへん社会では、こういう事態はそもそも起きようがないでしょう。

かつて40年前に自信満々の日本人が、欧米をみて「こいつら現場がアホや」「うちは現場が優秀ねん」と言っていた、そのツケが回り回って、今の事態をもたらしていると考えると、巡る因果の糸車の恐ろしさがひしひしと感じられます。

かつて、「スマイル0円が諸悪の根源」と論じたことがありますが、その伝で言うと、「優秀すぎる現場力こそが諸悪の根源」だったのかも知れません。

次に、kentrue1106さんのnote「優秀さという檻 ―― なぜ日本人の「Excel習熟度」の高さが、国のIT投資を遅らせたのか」の論ずるところを見てみましょう。

「日本のデジタル化が遅れているのは、現場のITリテラシーが低いからだ」。この説明を、私たちは何度となく聞かされてきました。役所の窓口でいまだに紙の書類が飛び交い、FAXが現役で稼働し、企業の基幹業務が表計算ソフトの上で危うく回っている――だから日本人はITが苦手なのだ、と。

けれども私は、二十五年間を事務職として過ごし、その後システムエンジニアとしてWebシステムを設計・開発する側に回ってみて、まったく逆の結論にたどり着きました。日本のIT化が遅れたのは、現場のリテラシーが低かったからではありません。むしろ現場が優秀すぎて、Excelを器用に使いこなせてしまったからこそ、私たちはシステムへの投資を「不要なもの」と錯覚し、構造改革を限界まで先延ばしにできてしまったのです。

これは、能力の欠如の物語ではありません。能力の過剰が、なぜか衰退を招いてしまったという、きわめて皮肉な物語です。・・・

これはどういうことなのか?

では、専用機がそれほど優れているのなら、なぜ日本企業はそちらへ投資してこなかったのでしょうか。ここで、第1章の不穏な問いが効いてきます。現場が優秀だったからです。

考えてみてください。本来なら全社の基幹システムを導入して自動化すべき業務でも、日本の現場は「とりあえずマクロを組んで、関数を駆使して、数日徹夜すれば動くもの」を自前で作り上げてしまいます。すると経営層はこう考えます。「お、システムに投資しなくても、現場が工夫して回してくれているじゃないか。うちの社員は優秀だな」。こうして投資判断は静かに見送られます。

その結果、起こったのは最悪の帰結でした。

日本人の真面目さ、器用さ、協調性、そして善意。これらは間違いなく世界に誇れる美徳です。誰も悪意など持ってはいません。むしろ「会社のため、みんなのため」を思って、夜遅くまで画面に向き合っているのです。なのに、その百パーセントの善意と努力が積み重なった果てに、国家規模のIT投資の遅れと生産性の低迷という、最悪の果実が実ってしまったのです。「現場の善意」「組織の協調」「経営の信頼」という美しい循環が、専用機の育つ土壌を根こそぎ奪ってしまったのです。

このnoteはこう皮肉に締めくくります。

日本人の優秀さ、器用さ、真面目さ、善意。それらは紛れもない美徳です。本稿は、その美徳を否定するために書いたものでは、決してありません。私が描きたかったのは、美徳がそのまま檻になりうるという、構造の皮肉です。・・・

あなたの会社で、いまも誰かが夜なべして磨き上げている、あの美しいExcelファイル。それは紛れもない優秀さの結晶です。けれど、一度だけ問い直してみてください。それは本当に、あなたの優秀さが向かうべき場所なのでしょうか。罠は、いつも心地よい顔をしてやってきます。

 

 

 

 

続・障害者雇用率制度の見直し検討@『労基旬報』2026年6月25日

『労基旬報』2026年6月25日に「続・障害者雇用率制度の見直し検討 」を寄稿しました。

 前回(5月25日号)では、去る2026年2月6日に「今後の障害者雇用推進制度の在り方に関する研究会」(学識者14名、座長:山川隆一)がとりまとめた報告書のうち、障害者雇用率制度に関わる2つの論点-手帳を所持していない難病患者と手帳を所持していない精神・発達障害者の位置づけについて、過去の経緯を振り返りながら解説しました。今回はその続きとして、就労継続支援A型事業所やその利用者の位置づけ、精神障害者について「重度」区分を設けることの是非、精神障害者である短時間労働者の算定特例、障害者雇用納付金の納付義務の拡大の是非といった問題について考えていきたいと思います。
 まず、就労継続支援A型事業所ですが、これは、障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律(障害者総合支援法)第5条第15条に基づき同法施行規則第6条の10第1項に規定されているもので、「通常の事業所に雇用されることが困難な障害者であって雇用契約に基づく就労が可能であるもの又は通常の事業所に雇用されている障害者であって前条に規定する事由により当該事業所での就労に必要な知識及び能力の向上のための支援を一時的に必要とするものに対して行う雇用契約の締結等による就労の機会の提供及び生産活動の機会の提供その他の就労に必要な知識及び能力の向上のために必要な訓練その他の必要な支援」を行う事業所です。これに対して、就労継続支援B型事業所とは、同条第2項に規定されているもので、「通常の事業所に雇用されることが困難であって雇用契約に基づく就労が困難であるもの又は通常の事業所に雇用されている障害者であって前条に規定する事由により当該事業所での就労に必要な知識及び能力の向上のための支援を一時的に必要とするものに対して行う就労の機会の提供及び生産活動の機会の提供その他の就労に必要な知識及び能力の向上のために必要な訓練その他の必要な支援」を行う事業所です。つまり、いずれも通常の事業所に雇用されることが困難ですが、前者は雇用契約に基づいて就労するのに対し、後者は雇用ではない就労である点が異なります。
 このA型事業所は、2005年9月に障害者自立支援法が成立する以前は、身体障害者福祉法に基づく身体障害者収容授産施設の一環として1972年7月の通知(社更第128号)に基づき設置されたもので、当時は「福祉工場」と呼ばれていました。そこでは従業員の要件として「作業能力はあるが、その障害のため当該施設以外の場所においては就業することが困難であると判断されたものであること」とされていました。障害者福祉政策に属するものですが、雇用契約による就労なので雇用率制度の対象になります。しかし、1976年身体障害者雇用促進法改正時点では、「福祉工場は、国及び都道府県から建設費及び管理部門の人件費について補助が行われるものであることに鑑み、調整金及び報奨金の支給は行わない」とされていました。ところが1979年8月の通知(業指発第29号)により、福祉工場は労働関係法の適用を受けるものであることに着目し、調整金及び報奨金の支給対象とされたのです。この考え方は、障害者自立支援法に基づき福祉工場が就労継続支援A型となった後も維持され、今日に至っています。
 ところが、この点について近年繰り返し疑問が呈されてきました。2018年7月の今後の障害者雇用促進制度の在り方に関する研究会報告書は、「就労継続支援A型事業所における雇用については、利用者である雇用者の数等に応じて障害福祉サービスの報酬が支払われる等、いわゆる一般の雇用とは異なることからも、就労継続支援A型事業所が増えれば増えるほど法定雇用率が引き上げられていくような仕組みは適当ではないとの意見が多く示され、法定雇用率の設定に当たっては、計算式の分子の数値から就労継続支援A型事業所の利用者数を控除した数を用いるべきとの意見」や、「就労継続支援A型事業所の利用者については、一般の雇用とは異なるものであることを前提にするのであれば、法定雇用率の計算式から控除するだけでなく、障害者雇用調整金及び報奨金の支給対象としないことや、当該事業所の利用者を障害者雇用率制度における雇用者とみなさないこと等の対応を検討すべきとの意見」が示されました。また2019年2月の労政審障害者雇用分科会意見書は、「就労継続支援A型事業所の見直しが近年行われてきたことに留意して、・・・納付金制度に基づく調整金と就労継続支援A型事業所に支給される障害福祉サービスの報酬との関係等の整理を踏まえつつ、・・・就労継続支援A型事業所に対する障害者雇用調整金の取扱いについて、労働施策と福祉施策の連携を進めながら、引き続き検討することが適当」と、2022年6月の同分科会意見書は「雇用率制度におけるA型の利用者の扱いについては、実態把握に基づきA型が障害福祉制度においてどのように整理されるかも踏まえた上で、雇用率制度・納付金制度からの除外の可能性も視野に入れ、一方で様々な影響も考慮しつつ引き続き検討していくことが適当」と議論を継続してきました。
 今回の研究会においては、
<論点1> 雇用率制度の対象とすべきか(全国で適用される法定雇用率の算定式にA型事業所の雇用量を含めるか/A型事業所における雇用量を各法人において実雇用率として計上可能とするか)。
<論点2> 納付金制度等の対象とすべきか(調整金及び報奨金の支給対象とするか/特定求職者雇用開発助成金等の事業主負担財源による財政支援の支給対象とするか)。また、障害福祉サービスとしてのA型事業所に与える影響をどう考えるか。
<論点3> その他、事業協同組合等算定特例制度(特にLLP)や、特例子会社制度(グループ算定含む)におけるA型事業所の位置づけをどう考えるか。
について議論が行われましたが、報告書を見る限り、「雇用率制度から除外すべき」「雇用率制度の対象に引き続き含めるべき」等々と両方の意見が並列されており、何らかの方向性が示されるに至っていません。項の最後には、「通常の事業所に雇用されることが困難な方の就労の受け皿や、一般就労への移行支援といった、A型事業所が果たすべき役割について、雇用、福祉の役割分担など、両面から丁寧に検討し、制度見直しがもたらす社会的影響にも留意しつつ、議論を進めていくことが必要」と、やや見直しへの気持ちがにじみ出るような先送りの結論になっています。
 
 次に精神障害者について2つの論点があります。まず、身体・知的障害者には重度区分があり、1人雇えば2人分にカウント(重度の短時間労働者は0.5人のダブルカウントで1人分にカウント)されますが、精神障害者には重度区分がありません。一方、短時間労働者は身体・知的障害者の場合には0.5人分にカウントされますが、精神障害者である短時間労働者は、2018年4月に精神障害者の雇用義務が施行されたときに、0.5人分ではなく1人分にカウントする特例措置が設けられました。これは2022年度末までに、新規雇入れ又は手帳取得から3年間の者に限る特例措置として、省令附則に設けられたものです。ところが2022年改正に伴って、2023年度からはこの3年間の要件を外した上で、「当分の間」の特例措置として維持されています。また、2022年改正では、精神障害者である特定短時間労働者(週所定労働時間10~20時間未満)を0.5人分にカウントする特例措置(附則ではなく本則上の特例措置)も設けられています。
 こうした仕組みについて、2022年6月の労政審障害者雇用分科会意見書は「精神障害者の就労困難性と精神障害者保健福祉手帳の等級は必ずしも関係するものではないという意見等様々な意見があることを踏まえると、精神障害者の「重度」という取扱については、直ちにこれを設けるのではなく、調査・研究等を進め、それらの結果等も参考に、引き続き検討することが適当」としていました。今回の研究会においては、ハローワークの求職者情報やJEEDの調査研究結果が報告され、就職率は各等級を比較しても同じであり、また精神障害者の雇用に係る事業主の負担感や就業の課題も等級別で大きな違いはなかったことから、手帳の等級に比例して就労困難性が高くなるとは言えない結果でした。
 そこで、精神障害者について「重度」区分を設けることは、就労困難性やそれに伴う事業主負担が合理的に反映された雇用率制度とならないとされ、引き続き現行制度の運用を維持する方向で概ね意見の一致があったとされています。
 また精神障害者である短時間労働者の算定特例については、特例措置の継続論と恒久化論の二つの意見が交わされましたが、結論としては「当分の間、特例を維持することとし、恒久化の要否については、現場の雇用状況の推移も踏まえて引き続き検討する方向性で概ね意見の一致があった」と述べています。
 なお、雇用義務の対象でない特定短時間労働者(週所定労働時間10~20時間未満)については、現在実雇用率算定の対象外である週所定労働時間10~20時間未満の重度以外の身体・知的障害者や週10時間未満で働く障害者も含め実態把握を進め、引き続きその取扱を検討すべきとしています。
 
 最後に、雇用義務はかかっているけれども納付金の納付義務が免除されている常用労働者100人以下企業の扱いが論じられています。前回見たように、元々1976年改正時に雇用率1.5%で納付金制度が出発したときに、従業員67人で障害者1人分の納付金の支払義務が発生するはずでしたが、当分の間300人以下企業は納付金が免除され、その後法定雇用率が引上げられてもこの免除はそのまま維持され、ようやく2008年改正時に段階的に100人以下企業にまで縮小されたという経緯があります(2010年7月に200人以下企業、2015年4月に100人以下企業)。もっともこの時にも、雇用率は2.0%なので従業員51人で障害者1人分の納付金の支払義務が発生するはずなのに、従業員100人までは免除されるという隙間のある制度であったのです。
 その後も法定雇用率は引上げが続き、2018年4月から2.2%、2021年3月から2.3%、2024年4月から2.5%、そして2026年7月からは2.7%になります。雇用率が2.7%ということは、従業員38人で障害者1人分の納付金の支払義務が発生するはずです。それなのに従業員100人までは免除されるというのは、その隙間がますます拡大してきているということになります。
 この問題については、2022年6月の労政審障害者雇用分科会意見書は「常用労働者100人以下の事業主については、ノウハウ不足等により、障害者の雇用数が0人であるところが多く、雇用率未達成企業が半数以上となっている。また、コロナ禍での経営環境の悪化、雇用保険料率の引上げ、健康保険・厚生年金保険の適用拡大等、中小企業を取り巻く雇用環境等は厳しいものとなっている。そのため、常用労働者100人以下の事業主に対する納付金の適用範囲の拡大については、これらの事業主における障害者雇用が進展した上で、実施することが適当である。この点、100人以下の企業における法定雇用率達成企業割合の改善状況等を踏まえるなど、一定の雇用環境が整った場合に検討すべきとの意見があった」と、否定的なニュアンスになっていました。
 今回の研究会では、この問題について積極論と消極論の間でかなり激しい論戦が戦わされました。研究会の議事録を見ると、中小企業団体中央会、日本商工会議所などの経営側委員は、中小企業の厳しい経営環境や、中小企業特有の難しさ(業務の切出しや人員体制が薄い中での障害者である労働者のサポート体制等)もあり、十分な受入れ体制が整備できないまま無理に雇用しても、企業・障害者双方に好ましくない結果につながるとして、消極的な意見を繰り返しています。それに対し、日本視覚障害者団体連合、全国手をつなぐ育成会連合会、日本身体障害者団体連合会、全国精神保健福祉会連合会などの障害者団体に加え、労働側の日本労働組合総連合会や労働法等の研究者は、納付金の豊富義務の適用拡大を通じて、まずは「障害者雇用ゼロ企業」から1人目の雇用に踏み出す背中を押し、障害者の働く場を増やしていくべきとか、受入れの難しさは個別性が高く、中小企業である子とを持ってそれら全ての受入れの難しさがあるとはいえない等として、積極的な意見を展開しています。
 報告書自体はこの項目の最後のところで、「今後、検討を深めていく際には、こうした意見を十分に踏まえ、障害者雇用促進法の基本的考え方である社会連帯の理念に基づき、議論を進めていくことが必要である。併せて、最初の1人を雇用する際の負荷が特に大きいことも踏まえ、障害者雇用ゼロ企業等に対する雇用に向けた支援や、雇用後の定着支援を中心に、中小企業に対する企業支援機能を一層強化する具体的方法を検討していくことが必要である」と、やや積極的な姿勢にシフトしたかのような記述ぶりにも感じられますが、両論併記であることに変わりはありません。
 ちなみに、1976年改正時に中小企業が納付金の納付義務を免除された際には、その理由として、厳しい経済情勢や徴収コストの問題と並んで、「身体障害者の雇用は中小企業に多く、従業員300人以下の中小企業については全体を平均すれば、雇用率が達成されているのに対し、大企業においては身体障害者の雇用状況は悪い現状にあって、大企業における身体障害者の雇用状況の改善を図ることが身体障害者の雇用対策の大きな政策目的となっていることを考えるならば、納付金は、当分の間は、大企業のみから徴収することとする方がより政策的な妥当性が大きいと考えられること」を挙げていました(遠藤政夫『身体障害者雇用促進法の理論と解説』日刊労働通信社(1977年))。ところが、2025年12月に公表された「令和7年 障害者雇用状況の集計結果」によると、2025年6月1日現在で、従業員100人未満企業の実雇用率は1.94%と他の規模企業よりもかなり低くなっています。全体で2.41%である中で、1000人以上企業は2.69%と最も高く、500~1000人未満企業が2.41%、300~500人未満企業が2.27%、100~300人未満企業が2.18%、そして100人未満企業が1.94%と、大規模ほど障害者を雇用し、中小規模ほど雇用していないという状況になっています。半世紀前に納付金制度が成立したときとは正反対の状況になっているわけです。この事実は、この問題を考える上で、見逃すことのできない重要な意味を持っているように思われます。

 

首藤若菜『なぜ賃金は上がらないのか』

Rnh6ocgklyu4xxiqybqmvx0p1nl0jf2fpahtb6rz 首藤若菜さんの近著『なぜ賃金は上がらないのか 日本経済30年の陥穽』(講談社現代新書)をお送りいただきました。

https://www.kodansha.co.jp/book/products/0000429123

食品から日用品まで、何もかも驚くほど高くなった。
スーパーで目にする野菜の値段が少しずつ上がっているなと思っていたら、「令和のコメ騒動」が起き、同じ価格でも内容量を減らす「ステルス値上げ」が普通になった。
長く続いたデフレの時代が終わり、生活必需品の値上がりが、暮らしを直撃している。
その分賃金などの収入が上がっていればいいのだが、一向にその実感はない。賃金の上昇率から物価の上昇分を引いた「実質賃金」は4年近くもマイナスが続いていることが示すように、その実感は、統計にもはっきり表れている。
物価上昇のしわ寄せが、暮らしを直撃しているのだ。
いったいなぜこんなことになってしまったのか。
急激な円安によって輸入品やエネルギー価格が上がったためなのか。
企業が値上げで儲かった分を労働者に還元せず、「内部留保」として貯めこんでいるためか。
日本人の働き方は効率が悪く、「労働生産性」が低いためか。
各企業の労働組合の交渉力が弱く、大企業の言うがままになってしまっているのか。
本書では、こうした俗説を一つひとつ検証し、その当否を探っていく。
もう一つ、いま労働の現場でもっともよく聴かれる言葉が「人手不足」である。
とくに飲食や宿泊などのサービス業では、客を集める人気店でも人出が足りないために接客ができず、予約を断るケースもある。
また、介護や医療などの現場の人手不足も深刻で、外国人材の手を借りないと維持できないことがはっきりしている。
なのになぜ、賃金は上がらないのか。

第一線の労働経済学者として活躍する筆者は、物流や運送業界などの現場の声を聴き、その実態を見ることから、日本の賃金が上がらない本当の理由を明かす。
人手不足に悩む労働の現場では、いままで8人で担っていた仕事を7人で回し、同レベルの成果を出す「効率化」を進めてきた。
しかし、現場の労働者の献身的な努力や「カイゼン」によって「効率化」すること自体が、実は、日本の低賃金を固定化している可能性がある、と筆者は言う。
それはいったいどのようなメカニズムによって起こっているのか。
緻密なフィールドワークを基礎とする研究を重ね、日本の低賃金の謎に真正面から挑んだ、画期的な論考。

この「なぜ賃金は上がらないのか」というスフィンクスの問いは、ここ数年間多くの人が問いかけ、私の『賃金とは何か』や河野龍太郎さんの『日本経済の死角』など、様々な答えをしてきたものです。

首藤さんは、ここ数年来追い続けてきた物流業界の実態をベースに、価格を上げられないためにそのツケを企業内で労働に回すということが繰り返されてきたことにその原因を見出します。

この辺の詳細については、先日行われた労働政策フォーラム「物流における労働問題を考える」でも語られたところです。

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しかし、本書で首藤さんはその先に論を進めます。

なぜ交易条件の悪化を企業内の賃金調整で凌いでしまうのか?

いや、凌げてしまうのか?

そこに、首藤さんは、これまでカイゼンや知的熟練などとともに日本の競争力の源泉として賞賛されてきた「現場力」がプラス要因からマイナス要因に転化してしまったという皮肉な構造を見出すのです。

・・・重要なのは、この現場力が発揮されていた時代背景である。高度成長期から安定成長期にかけて、日本企業は設備投資を行い、人員にも一定の余裕を持っていた。現場ごとにOJTを通じた教育訓練が行われ、改善提案をする能力が培われ、新たな投資が工程改革と結びつき、生産性が向上していった。そして、その成果は賃金の上昇や雇用の安定として、労働者にも還元されていた。現場の努力と企業の成長、賃金の上昇は、相互に結びついていた。

 しかし、本書で見てきたように、賃金が上がらず、価格も動かず、投資が抑制される状況が長期化する中で、現場に求められる役割は、次第に変質していった。人が減っても、どうにか仕事を回す。コストが増大しても、現場で帳尻を合わせる。投資が行われなくても、既存の設備を工夫して使い続ける。ここで行われていたのは、必ずしも生産性向上を目的とした改善ではない。本来であれば価格の見直しや投資によって調整されるべき問題が、日々の業務の中で吸収されるようになっていった。

 問題は、現場の労働者が怠けていたことでも、能力が不足していたことでもない。むしろ逆である。現場が優秀で、責任感が強かったがゆえに、調整の負担が現場に集中してきたのである。

 重要なのは、この現場の強さが、価格や投資による調整の代替として機能してきた点である。その結果、問題は解決されるのではなく、表面化しないまま先送りされてきた。価格は上がらず、投資も進まず、調整の負担だけが現場に蓄積されていく。現場の優秀さは、日本経済の強みであると同時に、調整の在り方を歪めてきた側面をもつ。

・・・すなわち現場の努力は、成長を支える改善であると同時に、価格を動かさない経済を成立させる調整装置としても機能していた。現場が頑張れば頑張るほど、構造的な問題は表面化しにくくなり、「まだ回っている」という認識が温存される。その結果、賃金や人員、労働条件にかかる負担は蓄積していく。ここで生じているのは、現場力の低下ではなく、その役割の転換である。成長を支える能力であった現場力は、価格と投資の不足を補う制度的装置へと変わってきた。

・・・今問われているのは、現場を称えることではなく、現場になにを背負わせてきたのかを見直すことである。

現場に無理を聞かせられないような社会、日本以外のジョブ型社会は概ねそうですが、そういう現場がアホやから上が何とかせな回らへん社会では、こういう事態はそもそも起きようがないでしょう。

かつて40年前に自信満々の日本人が、欧米をみて「こいつら現場がアホや」「うちは現場が優秀ねん」と言っていた、そのツケが回り回って、今の事態をもたらしていると考えると、巡る因果の糸車の恐ろしさがひしひしと感じられます。

かつて、「スマイル0円が諸悪の根源」と論じたことがありますが、その伝で言うと、「優秀すぎる現場力こそが諸悪の根源」だったのかも知れません。

 

2026年6月22日 (月)

共産党職員の労働者性に決着

以前、日本共産党が「雇用契約を締結しても労働者性はない!」という奇妙奇天烈な主張をしているというので、紹介したことがありますが、結局労働者性を全面的に認めることになったようです。

雇用契約を締結しても労働者性はない!@日本共産党

 いうまでもなく、労働者性の問題は労働法の世界で焦点の一つとなっている最重要課題ですが、そこに今までどの研究者も唱えたことがないと思われる独自の見解を投げ込んできた非営利法人があるようです。既に本ブログでも取り上げてきている当該非営利法人に雇用されていた職員の解雇事案をめぐる裁判に、当該非営利法人が提出してきた被告準備書面のなかに、その独自の見解が明記されています。

当該非営利法人に解雇された職員であった神谷貴行さんのブログに引用されているその見解とは:

 「ぼくがかんがえた さいきょうの ろうどうほう」は社会では通用しない

原告は、『被告らは、被告準備書面(1)2頁(1)アにおいて、原告の労働者性を正面から認めた』などと主張する。しかし、被告らが被告準備書面(1)2頁(1)アで認否したのは、形式上「雇用契約の締結」を認めたに過ぎず、それをもって、ストレートに原告の「労働者性を正面から認めた」ことにはならない。すなわち、再三述べているとおり、被告県委員会の勤務員は党員でなければならないところ、当該勤務員の活動は、一般私企業のような利潤追求のために指揮命令を受けて労働力を提供するという関係にはない。この点について、原告は知悉しているはずであろうに、これをあえて無視しようとするところに、原告の欺瞞性を感じざるを得ない。

まともに労働法を勉強してきてしまった脳みそにはいささか理解しがたいことが書かれているようですが、この主張からすると、形式的に雇用契約を締結していても、それが労働者性を有するためには「一般私企業のような利潤追求のために指揮命令を受けて労働力を提供するという関係」になければならないようです。

いうまでもなく、現代の世界には、利潤追求のための営利法人ではない非営利法人が山のようにあり、そういう非営利法人と雇用契約を締結して働いている人びとが山のようにいますが、そういう人びとは形式的に雇用契約を締結しているだけで労働者ではないのでしょうか。これはなかなかすさまじい独自の見解といえましょう。

現代の労働法学で問題となっているのは、形式的に雇用契約ではない請負契約等であっても、就労の実態が労働者であれば、労働者性を認めるべきという話なのですが、この独自の見解によれば、全く逆に、形式的に雇用契約であっても、雇用主が営利活動ではない非営利法人であれば、労働者性は認められないということのようです。

そうすると、例えば医療関係者はことごとく労働者性はないことになりますので、医労連も違法の存在になるのでしょうか。それはあんまりというものでしょう。

41l7kw6agpl_sl500_ なお、リンク先の神谷さんのブログのエントリでは、さすが(除名されたとはいえ)元共産党員らしく、かつて学習指定文献として勉強したのであろうある本の一節が引用されています。

その志位和夫『Q&Aいま「資本論」がおもしろい 』(新日本出版社)にはこういう極めてまっとうなことが書かれていたのだそうです。

労働者とは何か? とても大事な質問です。労働者というと肉体労働に従事する人という見方があるかもしれませんが、それは違います。はるかに広い人々が労働者のなかに入ります。労働基準法では、「労働者とは、職業の種類を問わず、事業又は事業所に使用される者で、賃金を支払われる者をいう」と定義されています。つまり、企業または事業所に労働を提供して賃金を支払われている人は、すべて労働者になります。(p.56-57)
現行法では労働者として扱われていない働き方をさせられている人も、すべて経済学の上では労働者です。(p.57) 

どうしたのでしょう。文句の付け所がないのですが・・・。

その日本共産党がようやく神谷さんの労働者性を全面的に認めたと、神谷さんのブログに書かれています。

日本共産党福岡県委員会に対する未払残業代請求訴訟の認諾による終結について

本日、福岡地方裁判所において、被告日本共産党福岡県委員会(以下「県委員会」といいます。)は、原告神谷貴行が提起していた未払残業代等請求訴訟(令和7年(ワ)第2423号 残業代支払請求事件)について、原告の請求を認諾しました。
 これにより、本訴訟は原告全面勝訴の内容で終了しました。

本件は、日本共産党が長く党職員を労働基準法上の「労働者」(同法9条)であると認めず、原告が2024年に内容証明を送っても無視される中でやむを得ず起こされました。原告が訴訟提起している別裁判(東京地裁令和6年(ワ)30571号地位確認等請求事件)においても、県委員会及び日本共産党は、勤務員につき「一般私企業のような利潤追求のために指揮命令を受けて労働力を提供するという関係にはない」「ストレートに原告の『労働者性を正面から認めた』ことにはならない」などと主張して、原告が労働者であることを正面からは認めておりませんでした。しかし、本裁判を通じて県委員会は原告が労働者であることを裁判上正式に認めざるを得なくなり、請求通りに支払うに至ったものです。日本共産党の104年の歴史において、このような結果は初めてのことになります。同様の問題に直面している全国の約2000人の同党職員にとっても、自らの権利を行使することの重要性を示す事例となることを期待しています。
 また、原告は東京地裁で、原告に対する共産党や県委員会による不当な除籍・解雇の撤回と不法行為(パワハラ)への賠償を求めて係争中であり、本件はその裁判にも重要な影響を与えると考えられます。

まあ、これはあまりにも当然の結論ですし、こんな事件で労働判例集に「日本共産党福岡県未払残業代請求事件」がでかでかと載って未来永劫学習されることになるのは、なんぼなんでも恥ずかしいと思ったのでしょう。

これに対して、もう一つの解雇・除籍裁判の方は、まさに日本共産党という典型的な傾向経営体であるので、職員の労働者性を全面的に認めたとしても、そう簡単な話ではなさそうですが、引き続き関心を持ってみていきたいと思います。

結社/経営体としての日本共産党

Jigazou_400x400 例の働き方改革の時に「ごはん論法」という名文句を案出し、左派関係者の間でミームとして一気に広がったことで我々労働関係者の間でも記憶されている神谷貴行(紙屋高雪)さんが、日本共産党を除籍・解雇されたとブログで書かれています。

日本共産党を除籍・解雇されました 

神谷さんを除籍・解雇した日本共産党の言い分が正しいのか、それとも神谷さんの言い分が正しいのか、といったことについてはここでは一切論じるつもりはありません。気分的には神谷さんに同情的ではありますが、ここで取り上げるのはそういうことではなく、「除籍・解雇」と異なる二つの概念が中ぽつでつなげて書かれていることに興味を惹かれたからです。

神谷さん自身はこう書かれています。

私・神谷貴行は、2024年8月6日付で日本共産党から除籍されました。
また、本日(2024年8月16日)付で日本共産党福岡県委員会から解雇されました。
これらについてはいずれも到底承服できないものです。

これを見る限り、政治結社たる日本共産党の一員としての党員籍を「除籍」されたことと、一個の経営体としてしんぶん赤旗等を発行する等の事業を営む使用者たる日本共産党から一方的にその雇用関係を解除(「解雇」)されたこととは、日付も異なり、別々の事柄であるようです。

前者が基本的にはよほどのことがない限り外部からの介入を認めにくい私的自治の世界に属するのに対して、後者はまさに使用者の一方的行為を外部から規制することが原則であるべき労働法の世界であり、とりわけ解雇に対しては解雇権濫用法理に従って、使用者たる日本共産党の言い分が許されるものであるかどうか厳格に審査さるべきものということになります。

とはいえ、経営体としての日本共産党は政治結社としての日本共産党と密接不可分であるはずで、結社の一員としてふさわしくないと当該結社(の意思決定者)が判断した以上、そのような者を労働者として使用することができないというのは十分立派な理屈であるという議論もありうるかもしれません。

112050118_20240816204801 つか、「社長の俺様に逆らうとはケシカラン。貴様なんかクビだぁ!」というたぐいの貴様ぁ解雇は、拙著『日本の雇用終了』にその実例が山のように溢れているように、日本の中小零細企業では結構日常茶飯事ですので、経営体たる日本共産党も、使用者としてはそうした貴様ぁ社長とよく似た性格であったということかもしれません。

ただ、下記裁判例(日本共産党愛知県委員会事件)に見られるように、日本共産党側は、そもそも神谷さんは雇用される労働者ではないと主張してくると考えられ、その意味ではこれは今流行りの「労働者性」をめぐる一事例ともいえることになります。

人さまの企業に対しては「労働者を守れ!」と叫ぶ一方で、自分のところで給料を払って働かせている人に対しては「労働者じゃないぞ!」と主張するというなかなか興味深い光景がみられることになりそうです。

なんにせよ、

今後のことは弁護士と相談して決めたいと思っていますが、もし訴訟になったらぜひみなさんに応援していただければ幸いです。

とのことなので、労働法研究者としてもなかなかに興味深いケースになっていく可能性があり、今後の動きについても注視していきたいと思います。

 

職工や女工は差別表現?

今、ある本の初校中ですが、校正の方の指摘に、「女工は差別表現」「職工は差別表現」というのが出てきて頭を抱えました。

いやいや、近代日本労働史を語るのに、最も基本中の基本の用語が差別だから使うなとなったら、およそいかなる歴史叙述も不可能でしょうに。

それともいまや、『女工哀史』も『職工事情』もタイトルを変え、中身も改竄しなければ出版禁止になるのでしょうかね。

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2026年6月18日 (木)

広田照幸『陸軍将校の教育社会史』書評再掲

日教組出身の立憲民主党議員古賀千景氏が「豊かな子供たちは自衛隊とかなりませんよ」と言ったとか言わないとかで騒然としているようですが、そもそも半世紀前の「教え子を戦場に送るな」の名残みたいな感覚が漂うのは別として言えば、相対的に豊かでない階層の人が一発逆転の出世を目指して軍隊に行く傾向があるのは古今東西を問わない事実でありましょう。

https://www.sankei.com/article/20260616-SP25IJHBBVEIZDC6OHRHLHP2SI/

これで思い出したのは、5年前に『労働新聞』の書評で取り上げた広田照幸さんの『陸軍将校の教育社会史』です。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2021/09/post-9b4307.html

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『労働新聞』の毎月一回の書評、今回は広田照幸『陸軍将校の教育社会史』(上)(下)ちくま学芸文庫です。

https://www.rodo.co.jp/column/113917/

 本書は1997年に刊行された学術書の24年ぶりの文庫版である。しかし、今読んでもワクワクするほど面白い。著者の広田照幸は教育社会学者で、その関心は軍人さんの「滅私奉公」イデオロギーは本気だったのか?を確認することにある。とはいえ、いやいや本音は「立身出世」主義だったんだよという結論を導き出すために次々に繰り出される、さまざまな歴史資料のディテールのあれこれがたまらなく面白いのだ。それは、著者の問題関心からは少しずれるかも知れないが、いわば「陸軍将校のキャリアデザイン史」としての面白さである。
 将校の地位が約束された陸軍士官学校、幼年学校は、いうまでもなく戦前期日本のエリートコースの一つだった。しかし、旧制高校→帝国大学というエリートコースと比べると、少し違いがあった。それは「大学を出るには少なくとも一万円は用意しなければなるまい。専門学校でも三千や五千の金はかゝる筈である。(中略)現在家貧にして身を立てる方面と言へば軍部方面、商船方面、教育界以外にはない。陸海軍ならば、いかに貧しくても家系が正しくて人間が良ければ思ふまゝに活躍できる」と当時の受験案内書にあるように、より低い社会階層の若者の上昇ルートであったという点だ。貴族や富豪が軍人になった欧州諸国と違うところである。
 将校という組織幹部の調達方式として、明治初期には下士官から将校への昇進という道があった。彼ら下士官上がりの将校は尉官で終わっても嬉しいだけで文句はない。ところが1880年代以降はその道はほぼ閉ざされ、士官学校卒業生が初めから将校になるのが当たり前のコースになる。彼らにとって出世できずに尉官で終わるというのは面白くない。しかも軍人はかなり早期退職で、予備役になると元々資産がないものだから恩給だけでは生活が苦しくなる。ヨーロッパ各国の軍隊の将校は貴族や富豪が多いので、尉官で辞めても資産があるし、議員や重役になれるが、学力試験のみで選抜してきた資産なき日本の将校は辞めたら惨めなのだ。近代化の先生の筈のヨーロッパよりももっと近代的な人材選抜方式を採用したことが、かれらに現役としての地位にしがみつくことを強制する。これこそ軍国主義イデオロギーの形而下的実体である。広田は「これまで封建的後進性と批判されてきた軍隊組織の諸問題は、実は経済的基盤を欠いた将校の保身という観点から理解されるべき」と喝破する。
 そうした彼らが軍縮と称して軍人のクビを切りたがる文官・文民エリートに敵意を持つのは当然だろう。そして彼らにとっての干天の慈雨が満州事変であったのもよく理解できる。昇進が停滞し、俸給水準が相対的に低下し、早期退職を迫られたら生活難に直面していた軍人たちは、満州事変から日中戦争、大東亜戦争と戦線が拡大していく中で、「天皇への献身」「聖戦」の名の下で野心を実現する機会を与えられたのだ。評者は本書を読んで、「日本版メリトクラシーの興亡」と名付けたい衝動に駆られる。

 

 

2026年6月16日 (火)

障害者と日本型雇用@WEB労政時報

WEB労政時報に「障害者と日本型雇用」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers/article/91010

2021年に刊行した『ジョブ型雇用社会とは何か』(岩波書店)では、通常、雇用システム論とはあまり関係がない領域だと思われている分野についても、日本型雇用との相性が大きな問題になることを論じました。その典型的な一つが障害者雇用です。・・・・・・

 

 

未払賃金立替払制度の法政策@『季刊労働法』2026年夏号(293号)

293_h1768x1108_20260616114301 『季刊労働法』2026年夏号(293号)に「労働法の立法学」第78回 として「未払賃金立替払制度の法政策」を寄稿しました。

https://www.roudou-kk.co.jp/books/quarterly/16241/

 地味ですが重要な労働法政策として、未払賃金の立替払制度があります。石油危機によって倒産その他による賃金不払が多発し、これに対処するために1976年に「賃金の支払の確保等に関する法律」の中で設けられ、労災保険を財源として今日まで活用され続けており、今年でちょうど50年になります。今回はこの制度の制定過程を振り返るとともに、今日までの推移を概観しておきたいと思います。

1 立法へのプロセス 
2 未払賃金の立替払制度
3 財源としての労災保険
4 未払賃金の立替払事業の実績

さて、本号は「過半数代表法制の再構築と国際動向」を特集しています。

過半数代表制のこれまでとこれから 小樽商科大学教授 國武 英生
労使関係法制としての過半数労働者代表制の整備のあり方 ―労働組合法制と従業員代表法制の調整を中心に 労働法学研究者 毛塚 勝利
フランス労働法における多数派代表制の意味 九州大学名誉教授 野田 進
労使コミュニケーション:韓国の現状 岩手県立大学准教授 徐 侖希 

このテーマは、私もこれまで何回も論じてきたテーマであり、『新しい労働社会』や『ジョブ型雇用社会とは何か』でも、後ろの方であれこれ論じてみたものであるだけに、いずれも大変興味深く読みました。

もし可能なら、連合と経団連の考え方を述べてもらうのもあってよかったのではないかと思いますが、全体の紙数の関係もあったのでしょう。

たまたま大内伸哉さんの『労働政策の再創造』(弘文堂)を読んだばかりだったこともあり、

 ■集中連載■ 労働者の個人情報保護をめぐる比較法研究(第1回)
AI共生社会における個人情報保護の再考―比較法研究のための挑発的問題提起 神戸大学社会システムイノベーションセンター・法学研究科教授 大内 伸哉

は興味深いものでした。わたしが「ビッグブラザーじゃないか」と違和感を感じたまさにその論点が展開されているからです。

これは是非多くの人々によって突っ込んで議論されるべきテーマであろうと思いました。

 

 

2026年6月13日 (土)

かつては職業紹介業と貸金業は兼業禁止だった

スキマバイトのタイミーが金融業に進出するというニュースを聞いて、

https://corp.timee.co.jp/news/detail-6659/

 当社は、「『はたらく』を通じて人生の可能性を広げるインフラをつくる」というミッションのもと、スキマバイトサービス「タイミー」を提供してまいりました。2018年のサービス開始以来、時間や場所に制約されず、その人らしい「はたらく」に手を伸ばせる社会の実現を目指し、現在では1,420万人(2026年4月末時点)を超える働き手の方にご利用いただくサービスへと成長しています。
 その一方で、スポットワーク事業を通じて給与の即時振込サービスなどの提供を行う中で、働き手の方の短期的な金融ニーズの高さを実感するとともに、働き手の方が抱える将来における経済的な不安や、スキルアップへの意欲があっても経済的な制約によって一歩踏み出すことができないなどの課題にも触れる機会が多くありました。私たちは、働く機会そのものを広げるだけでなく、そうした働き手の方の日常の利便性や未来の選択肢にも、まだ貢献できる余地があると感じています。働き手の方々がより自分らしい選択を重ねていけるようにすることも、私たちが果たすべき役割の一つだと考えています。こうした考えのもと、当社は既存のスポットワーク事業から領域を広げ、新たな事業領域として、銀行サービスを含む金融プラットフォームの提供を検討することといたしました。

これにこういうコメントを呟いている人がいましたが、

https://x.com/dakaravaz/status/2065064691190370337

今すぐお金が欲しい人(タイミーユーザー)が1,100万人以上
↓
タイミーファイナンシャルで簡単にお金を借りれる
↓
返済はタイミーで働きなさい

スキマバイト貧乏、流行りそう。

今から20年ちょっと前までは、有料職業紹介事業と貸金業等とは兼業禁止だったんですが、そのことを覚えている人もほとんどいなくなったということなのでしょうね。

これは戦前の職業紹介法時代から存在し、戦後職業安定法でも明記されていたのですが、2003年の改正で削除されたのです。

 職業安定法
 (兼業の禁止)
第三十三条の四 料理店業、飲食店業、旅館業、古物商、質屋業、貸金業、両替業その他これらに類する営業を行う者は、職業紹介事業を行うことができない。 

この改正時に、当時社民党の議員だった阿部知子さんがこんな質疑をしていました。『季刊労働法』2015年冬号(251号)に載せた「雇用仲介事業の法政策」から当該部分を引用しておきましょう。

・・・・・・なお2003年改正では、1949年に設けられた兼業禁止規定が全部削除されました。これは1LO第42号勧告に基づくとともに、戦前の営利職業紹介事業取締規則以来の規定でもあり、1985年に兼業を禁止する範囲を風俗営業やサラ金に限定することが検討されながら、業所管官庁との関係でそのままになっていたものです。これは国会審議において、特に貸金業及び風俗営業等について全面解禁に疑念が呈され、許可要件において対応することとされました。ややトリビア的ですが興味深い質疑がされていますので、国会の議事録から一部引用しておきましょう。2003年5月16日の衆議院厚生労働委員会です。
○阿部委員 社会民主党・市民連合の阿部知子です。
・・・職業安定法の三十三条の四というのがございまして、今回の法改正でこれの削除の問題が出てきております。・・・「料理店業、飲食店業、旅館業、古物商、質屋業、貸金業、両替業その他これらに類する営業を行う者は、職業紹介事業を行うことができない。」という法律が今回削除されます。大臣にお伺いいたしたいのですが、逆に、そもそもなぜこういう法律があったとお考えでありましょうか。この法律のあった意味は何でございましょうか。現在もありますが、そこは大臣のお考えをちょっとお聞かせいただきたいと思います。
○坂口国務大臣 私も、古着屋ですとか質屋の話まで十分に存じませんので、今初めて聞く話でございますから、満足にお答えができるかどうかわかりませんけれども、職業安定法三十三条の四でございますか、兼業の禁止規定というのがございまして、一九三三年に採択をされましたILO勧告におきまして、「個人及企業にして、直接に又は仲介者を通じて飲食店、旅館、古着店、質店又は両替店の経営の如き業務より利益を得るものは、職業紹介に従事することを禁止せらるべし。」こういうことになっているわけでございます。これは、昨年のILO総会におきまして撤回されたところでございますが、我が国の社会状況の変化も踏まえまして、今回、この兼業禁止規定というものを削除することにいたしました。職業紹介事業の許可基準におきましては、申請者が事業を適正に遂行することができる能力を担保するということがあるわけでありまして、そうしたことを中心にして、「不当に他人の精神、身体及び自由を拘束するおそれのない者であること。」というような要件が入れられている。そうしたことを考慮に入れて、今回この決定がなされたということではないかというふうに思います。
○阿部委員 私も、数ある法改正を一つ一つ勉強しながら、この法律はこういう意味でできていたのかということを改めて知るということが、国会に来て、当然、立法府ですから多いわけですが、この法律、先ほど、旅館業、飲食店業、古物商、質屋さん、金貸し業、両替業等が職業紹介事業を行うことができないということの理由といいますか意味づけは、東京高裁の昭和二十九年の九月十五日判決に書いてございまして、実はこれらの職種では、人身売買的事態の発生等、社会的、一般的弊害があることがあると。ですから、昔は、旅館で人身売買、売買春が行われたり、あるいは料理店もそのようなこともあったということにかんがみて、職業紹介事業を併設しない方がよろしかろう、それが社会的、一般的弊害があるおそれということで設けられた一項なんだと思うんです。私が先ほど申しましたように、労働市場とそれから経済動向は動くことがありますが、働くことということについての社会規範というものは、ある程度共通認識を持っていかないと非常に問題が多いということで、午前中、我が党の金子議員が、現時点において、特に金貸し業といいますかサラ金業者の方が、一方で職業紹介事業を併設されますと、ここにお金を貸した相手がいて、その方からお金を返していただくために、あなたにこの仕事を紹介しましょう、あなたはここで働いてください、そして私にお金を返してくださいという形で、その方の労働力を担保にとって仕事を紹介したという形態をとって、実はぐるぐる回すということも生じ得る。今、金子議員が例に引いたかどうかわかりませんが、サラ金でお金を借りると、目の玉を売れとか腎臓を売れとか、そういう脅迫まがいのことも実に起こっておりまして、私は、現下の社会情勢で、この金貸し業とそれから職業紹介業というのが並立する図を考えると、ちょっとぞっとするのであります。午前中にいただいた戸苅局長の御答弁では、ちょっと抽象的でどうするのかなと思ったけれども、この紹介業を許可する際に基準を厳しくするという御答弁でしたが、許可をする際に基準を厳しくするとは、例えば、一方でお金を貸しているような業者の方には、紹介業をその方が申請していらしたら、他と違うダブルスタンダードあるいは隠れたスタンダードを使うということなのか。何か、この基準を厳しくするとお答えになった中身について、今度は局長にお願いします。
○戸苅政府参考人 おっしゃるとおり、人身売買、中間搾取、強制労働というのが戦前に、職業安定法が制定される前に、今議論になっております飲食店、旅館、質屋、両替、そういったところでとかく行われていたということで、ILOの勧告もありということでやったところでありますが、時代も変化し、ILOの勧告も撤回されたということで、今回の法改正の一環として、兼業禁止規定を解除したということであります。ただ、正直言って、私個人的にも、貸金業を他の業種と同じような扱いでやって、本当に求職者の方の安全が確保できるのかというのは、かなり懸念をしていると言わざるを得ないわけでありまして、そういった意味で、一つは、許可する際に、許可基準として、これは所管の省庁あるいは都道府県知事の登録ということがありますので、まず、登録せずに貸金業をやっているような業者には許可を与えない。それからもう一つは、今おっしゃったように、恐らく、許可を与えるときの附帯的条件みたいなものを場合によったら検討できるんじゃないかとも思っていまして、今おっしゃったことも一つの検討材料になるかなと思います。確かに、貸金業の事業主が職業紹介をやって、それを回収のための手段にするというのも、一歩間違うと非常に危ない面もないわけでもないと思いますので、場合によったら許可の際の附帯要件として、労働者の安全が図られないというかそれが損なわれるような行為、例えば、金を貸している人に職業紹介し、それをピンはねは当然できないわけであります。基準法二十四条で直接払いになっていますから、そういうことはないとは思いますが、何か問題が起きそうなことがあるかどうか少し研究してみて、場合によったら附帯的な要件をつけた上で許可するとか、いずれにしても、求職者の方の安全が、保護がきちんと図れるような工夫は必ずしてまいりたい、こう考えております。
○阿部委員 我が国の金融の現状と申しますのは、銀行がうまく機能しない、そのかわり駅前はサラ金、やみ金ばかりと異様な国になっているわけですから、この一条、一項を、この三十三条の四を抜く前に、今戸苅さんがおっしゃったようなことも本当に真剣に検討していただきたいと思います。それくらい、働くということは、きちんと社会がその方の労働権を守っていくという覚悟がないと、現代はやれない時代だと私は思います。さらにもう一点つけ加えさせていただければ、今は一応許可制という形をとるものでも、将来、届け出制にだんだん規制緩和されていきますから、そうすると手もつけようもなくなりますから、一つ一つ慎重に臨んでいただきたいと思います。

 

 

 

大内伸哉『労働政策の再創造』

Ad2f1bd1b6bd4a12ae6f3687de2b7c94 大内伸哉さんから『労働政策の再創造』(弘文堂)をお送りいただきました。ありがとうございます。

https://www.koubundou.co.jp/book/b10168194.html

 「なぜ人は働くのか!?」 本書は、生成AIの登場によって、人々が労働社会の抜本的な変化に直面するなか、不確実な未来社会に向けて政府はどのように対応すべきかを考察します。
 AIの労働と人間の労働は何が違うのか、生物としての人間の労働とは何か。そこから思考の旅を始め、労働を〈生きるための営み〉と〈社会制度〉の両面から捉え直し、エネルギー論や思想史をたどりながら、AI共生社会における「自由」と「生存」の新たな均衡を模索します。
 それを踏まえつつ、現在の労働政策の行き詰まりの理由を指摘し、未来志向の労働政策の方向性を具体的に提起しています。

一言で言って、大変大風呂敷を広げた本です。普通の労働法学者だったら絶対に書かないような本というべきか。

第1編 労働政策の基礎理論 
第1章 労働政策とは何か
第2章 労働政策の基本概念の再考

第2編 「労働」の歴史からみた労働政策
第3章 生物学的視点とエネルギーからみた労働
第4章 社会制度的視点からみた労働

第3編 労働政策の再構築
第5章 日本の雇用システム
第6章 日本の労働政策

第4編 AI時代の社会政策・労働政策
第7章 政策の基礎理念と具体的提言
第8章 AIリスクにどう立ち向かうか

おそらく、労働界隈の人から見て一番大風呂敷に見えるのは第2編でしょう。ここでは、まさに人類史的視点から労働の歴史を論じています。ただ、私自身にとっては、ごくシンプルな形ではありますが、似たような試みをしたことがあり、その意味ではあまり違和感はありませんでした。今から22年前に出した『労働法政策』の第1章として「労働の文明史」というエッセイ風の文章を20ページ強書いたことがあり、金子良事さんから「場外ホームラン」だと批評されたことがあります。2018年に『日本の労働法政策』を出すときには、ただでさえページ数が膨大になりすぎていたので、この部分は全部カットしてしまいましたが、労働法政策を超マクロ的に考える上では、こういう人類史的文明史的視座は必要だと思っています。

第3篇は一番すっと入るところでしょう。ここで論じられている日本型雇用システムと日本の労働政策についての整理は、いくつか異論はありますが、おおむね私と認識はそれほど異ならないように思います。

なんといっても最大の論点は第4編のとりわけ第7章でしょう。ここでは、現在の労働政策、社会保障政策を抜本的に、それも政府がやたらに口走る全然抜本的じゃない口先だけの「抜本的」とは異なり、本当に根っこから全部変えてしまえというような「提言」を連発しています。

そのうち、多くの労働法学者が反発を感じるであろう雇用労働と自営業の区別をなくしてしまい、普遍的な制度にしてしまえという話は、大改正ではあるものの、大きな流れからするとそういう方向に進んでいかざるを得ないであろうな、という話だと思います。

それよりも読んでいて、一番違和感を感じ、「をいをい、ちょっと待て、それでいいんか」と思ったのは、何でもかんでも全部AIに委ねてしまえと言わんばかりのスタンスでした。とりわけ、第4編第7章第2節1の(1)で提起されている「公的マッチング・プラットフォーム構想-雇用仲介のデジタル化」のところは、「いやいや、これって、ビッグブラザーじゃないのか」という感を禁じ得ませんでした。

恐らく大内さん自身もそこはわかっていて、第8章はそれに対する説明を一生懸命しているのですが、ここはなかなか納得しがたいところではありましょう。

いろんな意味で、議論を誘発するネタが満載の本ですので、

 

2026年6月11日 (木)

島耕作再考

C6h2xnfusaasuzc なにやら、島耕作が話題になっているそうですが・・・、

「日本企業のダメな部分を煮詰めた作品」技術流出の話題から、日本の失われた30年と悪しき企業風土を読み解く例として『島耕作』に注目集まる

島耕作、あそこまで日本企業のダメな人材とダメな行動を煮詰めた作品はなかなかないと思う。
しかもおそらくは作者本人はそう思ってない可能性が高い。

そういえば、、拙著や拙論でも日本型雇用システムの典型例として何回か島耕作は使わせていただきましたな。

たとえば、もう12年前にWEB労政時報に寄稿したこのエッセイとか

「ミドル」という言葉
 
 日本では中高年労働者の問題が論じられるときには、「管理職」の問題として論じられることが少なくありません。なぜ中高年労働者の問題と管理職の問題が重なって現れるのでしょうか?
 というと、そんなのは当たり前ではないか、と思われる方が多いでしょう。若いうちは平社員として働き、年をとるにつれてだんだんと昇進して、中高年になると管理職になるというのが普通の職業人生というものだろう、と。しかし、日本以外のジョブ型労働社会の諸国では、そんなことは全然当たり前でもなければ普通でもありません。むしろ、管理職は若いうちから管理職であり、非管理職は中高年になってもずっと非管理職というのが普通です。つまり、管理職の存在形態がまるで違うのです。日本における管理職をめぐるさまざまな労働問題の根源は、つまるところここに由来します。
 この日本独特の感覚を示す言葉が「ミドル」という言葉です。最近はあまり使われませんが、かつてはよく使われた言葉です。ミドルというのは中くらいという意味ですが、何が中くらいなのか、そこには三つの意味が重ね焼きされていたようです。中高年リストラが進んでいた1979年に出された岩崎隆治『われら中高年サラリーマン』(日本労働協会)では、
 
・・・こうした“いやーぁな感じ”の時代状況を、わたしは「ミドル・パニックの時代」ということばで表現してみた。この言葉が適切かどうかは別にして、いま、ある種の“受難”を受けているのが、俗に「ミドル」という言葉に象徴される人たちだからである。ちなみに、ここでいう「ミドル」には、次の三つの意味を込めて使っている。
 第一の「ミドル」というのは、「ミドル・マネジメント」-つまり「中間管理者」という意味での「ミドル」なのだ。
 ここ数年来、経営合理化の矢面に立たされているのが、ほかならぬ部長や課長といった中間管理職にある人たちだ。ちなみに、マスコミの表現を借りると、とくに、ここ1,2年というものは、“肩たたき”による「部課長追い出し時代」が続いている。・・・
 第二の「ミドル」というのは、「ミドル・エイジャー」-つまり「中高年齢者」という意味での「ミドル」なのだ。・・・
 ところで、第三の「ミドル」というのは、「ミドル・クラス」-つまり「中流階級」という意味での「ミドル」なのだ。・・・
 
 外国人からすれば、ミドル・マネジメントとミドル・エイジとミドル・クラスをまとめて「ミドルと呼ばれる人々」などというのは、だじゃれ以外の何物でもないでしょう。経営学上の中間管理層と年齢階級上の中年層と社会学上の中間階層という、それぞれまったく異なる概念を混ぜ込みにして話が通じるのは、戦後日本くらいのものだと思われます。
 
 国勢調査や労働力調査などで国民の職業を分類するときに用いられるのが日本標準職業分類です。現在、12の大分類、74の中分類、329の小分類に分けられていますが、そのうち「管理的職業従事者」とは、「事業経営方針の決定・経営方針に基づく執行計画の樹立・作業の監督・統制など、経営体の全般又は課(課相当を含む)以上の内部組織の経営・管理に従事するもの」と定義されています。これは、専門的・技術的職業従事者や事務従事者、販売従事者等々と、まったく同じ水準で存在する職種概念ですね。
 そして、職業安定法第5条の7に定める適格紹介の原則とは、この職種単位での労働能力に着目した求人と求職者との結合の適格さを求めるものです。私は旋盤操作という「仕事」のできる人です、私は経理事務という「仕事」のできる人です、私は法務という「仕事」のできる人です、というレッテルをぶら下げているのとまったく同じ水準で、私は管理という「仕事」のできる人ですというレッテルをぶら下げているのが管理的職業従事者、つまり管理職のはずなのです。
 ところが、日本でそんなことをいえば笑い話になります。おそらく読者もどこかで耳にしたことがあると思いますが、大企業の部長経験者が面接に来て、「あなたは何ができますか?」と聞かれて「部長ならできます」と答えた・・・という小咄です。
 これのどこが笑い話なのか?と欧米人なら聞くでしょう。ビジネススクールを出て管理職として働いてきた人が「部長ならできます」というのは、メディカルスクールを出て医師として働いてきた人が「医者ならできます」というのと、ロースクールを出て弁護士として働いてきた人が「法務ならできます」というのと、本質的に変わりはないはずです。しかし、日本では変わりがあるのです。なぜなら、日本の労働社会では、管理職というのはいかなる意味でも職種ではないからです。
 では日本型雇用システムにおいて管理職とは何なのか?その答えは読者の方が重々ご承知です。少なくとも、上の笑い話をみておかしさがわかった人は知っています。それは、長年平社員として一生懸命働いてきた人にご褒美として与えられる処遇であり、一種の社内身分なのです。だから、その会社を離れた後で、面接で「部長ならできます」というのが笑い話になるわけです。
 こうした管理職に対する感覚をよく示しているのが、ベストセラーコミックの『課長島耕作』シリーズです。企業主義の時代まっただ中の1984年に初芝電器の係長として始まり、長く課長を勤めた後、90年代には部長に昇進、21世紀には取締役、常務、専務、社長を経て、会長になっていくというサラリーマンのサクセスストーリーです。回想編として近年「ヤング島耕作」「ヤング島耕作主任編」「係長島耕作」もあります。法律的には単なる労働者から管理職を経て労働者ではない経営陣に至るまでが一本のキャリアパスとして描かれているところが、いかにも日本型雇用システムを体現しています。日本の「正社員」は管理職でなくても企業のメンバーとしての性格を分け持っており(「社員」!)、平社員から中間管理職、上級管理職に至るまで、連続的に管理職的性格が高まっていくのです。
 こういう感覚を前提とすれば、ヤング島耕作=平社員、ミドル島耕作=管理職、シニア島耕作=経営陣という年齢と社内身分の対応はあまりにも当たり前なのでしょう。3つの「ミドル」が重ね焼きできる感覚の源泉がここにあります。そして、「部長ならできます」が笑い話として消費される理由も。管理職がいかなる意味でも職種ではあり得ない世界です。

 

 

 

2026年6月 9日 (火)

「研修生」契約は労働契約に該当するか?--ユーロピアノ事件

この4月から山形大学に赴任された石黒駿さんが、こんな呟きをしていたので、

新入生向けオムニバス講義で、濱口桂一郎『外国人労働政策』にあった日本における研修の位置付けに触れた。ちょうど労働法の講義ではKLM航空事件(東京地判令4・1・17労判1261号19頁。準拠法選択ではなく訓練契約の労働契約該当性の方)をレポート課題の題材にしていたので、意図せず話題が重なった。

この事件、なかなか興味深いと思っているのだが、評釈がほとんど見当たらなくて悲しい。そのうちEUにおけるトレーニー周りの動きも勉強したうえで考えてみたいなあとは思っている。

研修生の労働者性というのは、まさにEUで指令案が審議されているホットな話題であるんですが、日本でも外国人労働政策の歴史の中で論じられてきたテーマであることは、拙著でも述べたとおり。

でも、外国人問題とは別に、そもそも研修生の労働者性という論点は存在し、それを扱った裁判例もあるんですね。

というか、実はわたしが『ジュリスト』で初めて判例評釈を書いたのは、もう22年前になりますが、『ジュリスト』2004年5月1/15日号に載せた「「研修生」契約は労働契約に該当するか?--ユーロピアノ事件」だったのです。

https://www.yuhikaku.co.jp/jurist/detail/014875

この問題、掘れば掘るほどけっこう深いんですよ。

労働判例研究
「研修生」契約は労働契約に該当するか?
--ユーロピアノ事件
 
東京地裁平成14年12月25日判決
(平成14年(ワ)第12150号、賃金等請求事件)
労働経済判例速報1838号3頁
〔参照条文〕労働基準法9条、民法623条
 
[事実]
Ⅰ 原告XはYの「研修生」であった。Yは楽器の輸出入卸売・小売業を営む会社である。
Ⅱ 1  平成12年1月、音楽大学ピアノ調律科学生であったXはYの採用面接を受けた。YはXを「営業社員としては不的確(ママ)」であるが「出身大学と今後良好な関係を保つ必要」から、導入を検討していた「ピアノ調律技術者研修生」として「採用」した。平成12年3月1日、YはXを研修生として採用する旨告知し、「研修生(社員)採用規則」と題する契約書を交付した。研修生として他に2人採用された。
 2 本件契約は「研修を要するピアノ技術者に適用」され、「研修期間中は、本人の技術の向上と会社の利益に貢献することのバランスをとる前提で業務に従事する。ピアノ販売に関する総合的な知識・経験の修得も目的とする」。「給与は6か月間は、初級技術習得後はアルバイト料を支給することはあるが原則無給、その後は時給を支給し、一定技術習得後は月給を支払う」。研修期間は最長2年間で、「研修生の採用は研修開始後1か月に1次判断をし、その後3か月ごとに試験を実施して進級を判断することを原則とする。正社員として採用する場合は、一通りの課程修了後、試験を実施する。終了後は優先的に正社員採用を考慮するが、期間中に将来社員としてふさわしくないと考えられる場合は、直ちに当契約を解除できる」。なお、契約中には「給与・休暇等の規則は、・・・この雇用契約を締結する上で、現行の労働基準法に当てはまらないことを了解する」「労働時間」「労働契約書」等の記載がある。
 3 XはYにおいて3月3日から4月11日まで、ピアノの運搬、出荷作業を含む「研修」に従事した。YはXに対して(時期に争いあり)、3月は事前研修で4月から研修を開始すると告知した。Xの主張では、この間、Yの作業主任者KによるXに対する精神的苦痛を与える行為や言動が行われた(Yは否定)。4月11日、Kに「営業がやりたいなら、Yで技術研修するのではなく、他社に就職活動した方がいい」と言われ、Xは研修を「辞めた」(Xは解雇と主張)。
Ⅲ XはYを相手取って、賃金請求、解雇予告手当及び付加金の請求、債務不履行(正社員として採用する約束)による損害賠償、不法行為(トイレ掃除や朝礼での痛罵等)による損害賠償、を求めて提訴した。また訴訟中、Xの請求に、Yの不法行為として、在籍期間証明書不交付、調停での虚偽説明、タイムカードの破棄、長期の試用期間を定めた公序良俗違反、契約書の不当表示・説明義務違反、面接時説明義務違反等を追加している。なお、本件は原告の本人訴訟である。
 
[判旨]すべて棄却
Ⅰ 1 「労働者とは、労働の対償として契約に定められた賃金を支払われる者をいうから(労働基準法9条、11条)、同法にいう労働契約とは、使用者が労働者に労務の提供の対償として報酬を支払うものをいうと解される。また、民法623条によれば、雇用契約とは、雇用者が被用者に対し、労務に服することに対する報酬を与える約束をするものをいうと解される」。
2 本件契約書には「労働の対償としての賃金を支払うことやその金額、賃金支払開始の具体的時期についての記載はなく、報酬ないし賃金の支払いが当事者の合意の内容となっていないことが認められる」。従って、「本件契約には労働契約の不可欠の要素である労働の対償として支払われる賃金についての合意がないから、本件契約は労働契約ではないというべきであるし、同様の理由で雇用契約ではないというべきである」。
3 本件契約書に「雇用契約」「労働契約」等の記載があることに対して、「当該契約が労働契約か否かは、契約書の個々の文言に捕らわれることなく、その実質により決せられるべきであるから前記判断を左右しない」。
4 本件契約は労働契約ではないとの判断から、「その余の点について判断するまでもなく」、賃金請求並びに解雇予告手当及び付加金の請求は理由がないとして棄却。
Ⅱ 債務不履行による損害賠償請求については、「2年以内に正社員として採用する旨の合意は本件契約の内容となっていない」として棄却。
Ⅲ 不法行為による損害賠償請求については、トイレ掃除や痛罵等については「事実を認めるに足りる的確な証拠はない」として棄却。また在籍期間証明書不交付やタイムカード破棄等については「本件契約は労働契約でないから」「被告において在籍期間の証明書を交付すべき義務はな」く、また「原告のタイムカードを保存すべき義務はな」いとして棄却。
 
[評釈]判旨に反対。ただし結論は概ね一致。
Ⅰ 本件の主たる争点は、本件「研修生」契約が労働契約に該当するか否かであり、その余は事実認定の問題であるので、以下この問題に絞って論ずる。
Ⅱ 1 本件判決は、「労働契約か否かは、契約書の個々の文言に捕らわれることなく、その実質により決せられるべき」と労働者性に関する実質判断原則を引きながら、その「実質」の内容を「賃金についての合意はない」ことにのみ求めている。通常、労働者性の判断基準としては、指揮監督下の労働という労務提供の形態と報酬の労務に対する対償性が挙げられる(昭和60年12月19日労働基準法研究会報告『労働基準法の「労働者」の判断基準について』)が、これらについて検討された跡はない。
2 しかしながら、本件の場合、むしろ「賃金についての合意がない」との認定に問題がある。本件契約書では「給与は・・・原則無給」とされており、「原則0円」という「賃金についての合意」があると認定すべきであったと思われる。仮に契約書に「給与は6ヶ月間で1円とする」と書いてあったとすれば、(法違反の問題は格別)労働契約でないとの認定はあり得まい。それが「0円」であれば自動的に労働契約ではなくなると考えるのは著しく不均衡である。しかも、0円というのは「原則」であって、「アルバイト料を支給することはある」のであるし、6か月後は時給に移行することが予定され、これらを含めて「給与は・・・」と規定しているのであるから、これは0円であることを含め金額不確定の「賃金についての合意」があると認定すべきであった。
3 さらに、労働基準法及び民法においては、金額が完全に0円であっても「賃金」ないし「報酬」に該当しないわけではない。労働基準法及び民法の立法者意思を確認すると、労働基準法9条について「ある種の接客業に従事する女子の如く、唯単に客より報酬を受けるに過ぎない者」であっても、「客より報酬を受けうる利益」も賃金に含まれるとされ(寺本広作『労働基準法解説』)、また「労働の対償として一定の営業設備の使用が認められておれば、それもまた賃金」としており(『日本立法資料全集労働基準法(第53巻)』)、0円の賃金合意は想定している。また民法623条については、穂積陳重が「此報酬ハ金銭ニハ限リマセヌコトハ勿論言フヲ俟チマセヌ前ニ申シマシタ習業者ニ対スル世話ト云フヤウナコトデモ宜シイノデアリマス」(『法典調査会民法議事速記録四』)と述べている。穂積の言う「習業者ニ対スル世話」はまさに本件における研修に相当しよう(明治23年の旧民法では「習業契約」として独立の契約類型であった)。
4 従って、「賃金についての合意がないから、本件契約は労働契約ではない」し「雇用契約ではない」との判断には疑問がある。本件契約は労働契約であり、雇用契約であるというべきであろう。
Ⅲ 1 しかしながら、現行法上本件のような契約が正当と認められるかどうかは別である。民法上は明らかに予定されている雇傭契約類型の一種であるといえるが、労働基準法上はこのような労務の提供と「習業者ノ世話」との双務契約は、通貨払いの原則(24条)及び最低賃金法に違反する可能性が高い。通貨払い原則は「法令若しくは労働協約に別段の定め」があれば適用除外が可能であり、また最低賃金法は、試の試用期間中の者及び認定職業訓練受講者については、都道府県労働局長の許可を受けて適用除外とすることを認めている(8条)が、本件には該当しない。さらに、そういう契約類型自体、「徒弟、見習、養成工その他名称の如何を問わず、技能の修得を目的とするものであることを理由として、労働者を酷使してはならない」(69条)に違反する可能性もある。
2 そうすると、通常の労働法学の考え方では、本件労働契約においては「原則無給」との合意は無効であり、Xは少なくとも就労期間について一定額(少なくとも最低賃金額)の賃金請求権を有するという結論になりそうである。これはこれなりに筋の通った考え方ではあるが、現実妥当性に問題があると思われる。労働経済学的に言えば、通常の企業内訓練においては、訓練期間中の訓練コストや生産性の低い労務提供と(相対的に高い)賃金水準との差は企業側の持ち出しとなるが、訓練終了後の生産性の高い労務提供と(相対的に低い)賃金水準との差によって埋め合わされると考えられる。この場合、訓練終了後も長期継続雇用することへの期待がこのような長期的な取引を可能にしているが、労働力が流動化してこのような期待が一般的に持てなくなるとすれば、別途の訓練コスト負担方式を考える必要が出てくる。今後の労働市場の動向を考えると、その必要性は高いと考えられる。しかも、本件はピアノ調律師という高度の(芸術的センスを含む?)技能を要する職種であり、訓練終了後に生産性の高い労務提供が可能であるとは必ずしも言えないことも考慮に入れる必要があろう。原則無給の「研修生契約」を禁止してしまうことは、当初から有給で採用することは困難な限界的労働者に対して、雇用の道を閉ざしてしまうことにもなりかねない。
3 現行法解釈上、本件のような契約が正当と認められる余地はないであろうか。第1に、採用内定と同様の法的地位にあると考え、解約権留保付き就労始期付き労働契約(大日本印刷事件(最二小判昭54・7・20))が成立しているが、労務提供とこれに対する賃金支払いは発生していないと構成することが考えられる。内定期間中に研修への参加を求める例は多いことから、本件「研修生」契約もこれに当たると考えるのである。この場合、ピアノの運搬、出荷作業も調律技術の研修の一環であったとする必要があり、やや無理がある。第2に、さらに技巧的であるが、Xの労務提供に対する賃金債権とYの研修サービス提供に対する代金債権を相殺する合意があったと構成することが考えられる。これは当事者の明示の意思に反するように見えるが、そもそも当初6か月を原則無給とした趣旨は労務提供と研修実施を対価関係に置くことにあったと考えられる。
4 以上のような解釈が可能であれば、本件における主たる請求である賃金請求及び解雇予告手当等の請求は棄却されることになるが、労働契約の存在は肯定されるため、本件判決が「労働契約でない」との理由で棄却している在籍期間証明書不交付、タイムカードの破棄等については、事実認定によっては異なる結論があり得る。
 しかしながら、実は労働契約の存在を肯定する意義は、本件ではXの請求に含まれていないが、Yの側からの研修契約の解除を解雇として地位確認や慰謝料の請求を認めたり、「研修」中の事故を労働災害と認定しうる点にある。
Ⅳ その意味では、これは本来、立法的解決を図るべき問題であろう。現行民法上認められている労務の提供と「習業者ノ世話」との双務契約は、昭和47年の労働基準法では一定の技能職種について「技能者養成契約」として構成され、契約期間、賃金の支払い、最低賃金、危険有害業務等について別段の定めをすることができることとされ(70条)、これが職業訓練法(現在の職業能力開発促進法)に基づく認定職業訓練(同法24条)に変わって現在に至っている。しかしながら、認定職業訓練の基準は公共職業能力開発施設における職業訓練基準と同一であり(同法19条)、製造業を主に念頭に置いたもので、ピアノ調律技術のようなものは含まれていない。
 公共職業訓練の存在を前提としてそれと同等の訓練を使用者が行う場合にのみこういった契約を認めるという法的枠組みを前提とすると、公共職業訓練の手に負えない技能についての技能者養成は、①完全な労働契約として一定期間使用者側のコスト負担を求めるか、②労働契約ではないとして本来与えられるべき労働者保護を失わせるか、という選択にならざるを得ない。①が労働法学的には正しい解決であっても、労働経済学的には問題があること、労働力が流動化すれば①がますます困難になることは前述の通りである。その意味でも、公共職業訓練とは切り離した形での一般的な「研修生」契約を概念化する必要性が高まってきていると思われる。
Ⅴ 本件は一音楽大学卒業生による本人訴訟であり、それ自体としてはほとんど世人の関心を呼ばない小事案であるが、立法政策に対して含意するところは意外に大きいものがある。

 

 

フランスとドイツのセックスワーク論議

EUobserver紙に、Léa Marchalさんの「Listen: How should European countries regulate sex work?」(聞け、欧州諸国はセックスワークをいかに規制すべきか?)というポッドキャストが載ってて、その書き起こしが載ってますが、

https://euobserver.com/220257/listen-how-should-european-countries-regulate-sex-work/

これによると、フランスは10年前の2016年に、それまでは合法だった性サービスに対価を払うことを違法化し、客に1500ユーロの罰金を科すこととしたが、現在フランスの議会はセックスワークの非犯罪化の法案を審議しているのだとのこと。

セックスワーカー組合(というのがちゃんとあるんですね、さすがフランス)のストラスによれば、この抑圧的な法律はセックスワーカーに対する暴力の減少や搾取の撲滅に失敗し、彼女たちの不安定な状況と安全に「壊滅的な影響」を与えていると。

一方、ドイツでは全く逆に、2002年から性労働が合法化されており、2017年からは性労働者は当局への登録が義務付けられており、売春宿は営業許可を取得しなければなりません。

ところが最近、連邦議会の議長が「ドイツは欧州の売春宿だ」と言ったとかで、その見直しの議論が起っているそうな。

どの国もこの問題は一筋縄ではいかないようです。

2026年6月 5日 (金)

『季刊労働法』2026年夏号(293号)のお知らせ

293_h1768x1108 労働開発研究会のHPに『季刊労働法』2026年夏号(293号)の予告が載っているので、こちらでもご紹介。

https://www.roudou-kk.co.jp/books/quarterly/16241/

特集:過半数代表法制の再構築と国際動向

今号では、過半数代表制の再構築をめぐる制度的課題と国際的動向を取り上げます。日本の過半数代表制の歴史的展開と制度的課題を整理するとともに、労使関係法制としての代表制整備の方向性を検討します。さらに、フランスにおける多数派代表制の意義や、韓国の労使コミュニケーションの現状を紹介し、比較法的視点から代表制のあり方を多角的に考察します。
第2特集では、近時の主要判例を分野別に取り上げ、争点構造と判断傾向を分析します。労働者性、割増賃金、公務員の退職手当不支給処分といった実務上重要性の高い論点を素材に、裁判例の射程と今後の課題を展望します。

特集 過半数代表法制の再構築と国際動向

過半数代表制のこれまでとこれから

小樽商科大学教授 國武 英生

労使関係法制としての過半数労働者代表制の整備のあり方

―労働組合法制と従業員代表法制の調整を中心に

労働法学研究者 毛塚 勝利

フランス労働法における多数派代表制の意味

九州大学名誉教授 野田 進

労使コミュニケーション:韓国の現状

岩手県立大学准教授 徐 侖希

【第2特集】分野別にみる近時判例の主要争点と判断傾向

最近の労基法・労契法上の労働者性に関する裁判例について

―昭和60年労基研報告の見直しに向けて―

学習院大学教授 橋本 陽子

合意に基づく賃金と法律に基づく割増賃金の境界

―出来高払制賃金を参考に―

北海道大学教授 池田 悠

退職手当全部不支給処分と比例原則

立命館大学教授 須藤 陽子

■論 説■

企業価値担保権の創設と事業譲渡における労働者の保護

西南学院大学教授 有田 謙司

EUおよびドイツにおける人工知能をめぐる法

ミュンヘン大学教授 マーティン・フランツェン

訳:立正大学教授 高橋賢司

メリット制による事業主の労災保険料負担の公平性の実現に関する検討

―中小規模事業の視点も含めて

特定社会保険労務士 井寄 奈美

欠格条項違憲最高裁判決(最大判令和8.2.18)についての一考察

帝京大学准教授 青木 亮祐

■集中連載■ 労働者の個人情報保護をめぐる比較法研究(第1回)

AI共生社会における個人情報保護の再考

―比較法研究のための挑発的問題提起

神戸大学社会システムイノベーションセンター・法学研究科教授 大内 伸哉

■集中連載■ 比較法研究・職場における健康と男女の性差(第4回)

フランスにおける女性特有の健康課題と労働法

―月経・更年期をめぐる近年の議論動向を中心に―

弘前大学講師 渋田 美羽

■イギリス労働法研究会 第48回■

公務員労働法を見る視点

―官民の労働法制の違いに焦点をおいたイギリスでの議論を素材として―

信州大学教授・弁護士 弘中 章

■アジアの労働法と労働問題 第61回■

インドにおけるギクワーカー「保護」のための労働法改革

―連邦法に並行して成立する州法の改革

労働政策研究・研修機構調査部主任調査員補佐 北澤 謙

■要件事実で読む労働判例―主張立証のポイント 第16回■

就業規則変更事件の要件事実

―国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター事件・東京高判令和7・3・27労判1333号5頁を素材に

国士舘大学教授 亀田 康次

■労働法の立法学 第78回■

未払賃金立替払制度の法政策

労働政策研究・研修機構労働政策研究所長 濱口 桂一郎

■判例研究■

1年間の有期労働契約の試用期間該当性

TBWA HAKUHODO事件(東京高判令7・4・10労判1338号5頁)

弁護士 伊藤 昇平

解雇撤回と賃金請求権の帰趨

K’sエステート事件(東京高判令6・12・24労判1327号73頁、原審:さいたま地判令6・4・16労判1327号84頁)

弁護士 溝延 祐樹

■重要労働判例解説■

退職後2年間を限度として有効とされた競業避止義務の効力

シーリス元従業員事件(大阪高判令7・6・25労判1341号128頁)

富山県立大学教養教育センター教授 大石 玄

偽装請負該当性と労働契約申込みみなし制度適用の可否

大陽液送事件(大阪高判令5・8・31労判1336号50頁)

 

 

2026年6月 4日 (木)

大谷享『中国TikTok民俗学』@『労働新聞』書評

81qmduu138l_sl1500_257x400 月1連載の『労働新聞』書評ですが、都合により、先週に引き続き今週もわたくしが担当しました。取り上げたのは打って変わって大谷享『中国TikTok民俗学』です。

https://www.rodo.co.jp/column/219961/

 現代中国の宗教事情といえば、新疆ウイグル自治区でのイスラム教の弾圧とか、共産党直轄でない非公認のキリスト教の抑圧とか、邪教とされて厳禁された法輪功の話など、暗い話がいっぱいだ。60年前には文化大革命で各地の宗教施設が片っ端から破壊されたこともある。なので、伝統的な漢民族の宗教儀礼を研究しようとする者は台湾や香港に向かうというのが通例であった。
 ところがところが、本書はその宗教に抑圧的なはずの大陸中国で、奇怪な神々が跋扈するディープな宗教世界を、これでもかこれでもかと紹介しまくっているのだ。著者はアモイで日本語を教えながら、中国各地を駆け回って宗教儀礼-ほとんど淫祠邪教のたぐい-を観察してきた。その探索手段はなんとスマホである。中国のTikTok(抖音)には、得体の知れない民俗動画が氾濫しており、著者はそれを頼りに外部世界には知られていないが現代中国では熱烈に信仰されているさまざまな「神様」たちを訪ね歩く。
 登場するのは、逆立ちする「張五郎」、やたらにセクシーな「九尾狐」、日本から逆輸入された「大黒天」、そして恐ろしい死神の「無常」といった神々だ。これらの神々は現地の中国人の生活の中にしっかりと根を生やし、日々の儀礼の中に生きている。著者自身の表現を借りれば「おそらく多くの読者は意外に思うだろうが、漢族の宗教の基層にあるのはシャーマニズムである」。その有り様はほとんど淫祠邪教と言いたくなるほどだが、イスラム教やキリスト教のような外部勢力と通謀する危険性のあるまともな世界宗教への警戒感とは打って変わって、中国共産党は寛容なようである。
 さて、宗教儀礼の中身もすさまじいが、本書を読んでもっとも驚かされたのは、著者の研究手法だ。タイトルにあるように、スマホに流れるTikTok動画を頼りに、とにかくその現場に行ってみる。そうすると、思いもよらない出来事が次々に押し寄せてきて、いろんなことが芋づる式に解明されていくのだ。
 これは、現代中国が日本とは比べものにならないくらいスマホ社会になっているからだろう。本当に社会の末端のごくごく普通の市井の中高年齢者たちが、自分たちの日常や非日常の姿をショート動画としてアップする。その膨大な民俗動画の大海には、その地域の人々以外にはほとんど知られていないような宗教儀礼が多数浮かんでおり、著者はまさにスマホ一つでそれらの姿を描き出していくのだ。
 とはいえ、TikTok動画だけを頼りに中国各地を旅行していく著者の行動力もすさまじい。張五郞探索の途次で、彼は張五郎はじめ神々を召喚し、招福と息災を祈願する儀礼の最終盤に立ち会う。生きた鶏の喉が鋭利な包丁でかっ切られ、鮮やかな鮮血がお椀にドボドボと注がれた時、「はよ飲まんかいな」と言われて一気に飲み干した。すると、「根性あんなあ。俺はよう飲まんわ」「鶏の生き血はサルモネラ菌の塊ですからね」。本書は、著者のこの時に無謀な行動力の結晶である。

 

 

 

2026年6月 3日 (水)

大内伸哉さんが『外国人労働政策』を書評

Chukogaikoku_20260603234001 大内伸哉さんがそのブログ「アモリスタ・ウモリスタ」で、拙著『外国人労働政策』に懇切な書評を書いていただいています。

https://lavoroeamore.cocolog-nifty.com/amoristaumorista/2026/06/post-313d1b.html

面白い企画の本です。外国人労働政策の歴史を扱ったものですが,日本の外国人労働政策が30年も停滞してしまったのはなぜなのかという謎解きの書でもあります。・・・

拙著の意図を的確にとらえていただいておりまして、こういう書評に出会うととても嬉しくなります。

もちろん,一般国民からみれば,いつもの役所間の権限争いかというように思えますが,法務省と労働省の必死の戦いが見事に描かれており,ぐいぐいと引き込まれていきます。しかも,そこにとどまらないところが秀逸でした。日本型雇用システムと結びつけるところがなるほどと思わされました。両省では,「研修」というものの捉え方が違っていたのです。・・・

そう、労働省と法務省の仁義なき争いはとても分かりやすいし、本書も意図的にそれを前面に出してはいるんですが、それがこういう方向になったのは、労働省がメンバーシップ型にどっぷり漬かっていた時期に、法務省はジョブ型を堅持していて、その認識のずれはまさに「研修」に集約されていたという雇用システム論的な絵解きであって、そこがどれだけ読者に伝わるだろうかというのが、書きながら悩んだところでした。

その先のところで、規制改革会議が登場するあたりについて、本書を先日書評していただいた八代尚宏さんが大内さんにこう言ったそうです。

実は,制度・規制制度改革学会の雇用分科会(分科会の名称は不確定)で,毎月,オンラインで顔を合わせている八代尚宏先生から,1月のミーティングのとき,濱口さんのこの本を読みましたか,と早速聞かれました。役所が,いろんな業界のしがらみから本来の政策を展開できないときに,正論を述べて政策を論じるというのが,この学会の主たる役割だと思いますが,濱口さんのこの本は,八代先生たちが,この学会の精神をはるか昔に実現していた会議の意義を再確認させられたような気がします。・・・

この規制改革会議の(意外な)役割の指摘も、本書に込めたメッセージの一つでした。

 外国人労働政策そのものに関心がある人はもちろんですが,政策はどのように形成され,なぜ歪み,ときに長い時間をかけて迷走するのかという問題に関心がある人にも,ぜひ読んでもらいたい一冊です。私のような労働法屋の立場からも楽しめますし,同時に,優れた政策史・行政史としても読むことができます。

有難い言葉です。「政策はどのように形成され,なぜ歪み,ときに長い時間をかけて迷走するのか」のケーススタディとして読んでいただければ幸いです。

 

 

 

 

岩堀佳菜「フランスにおける労働者のリスキリング法制」

Iwahori_k JILPTのホームページに、リサーチアイとして、岩堀佳菜さんの「フランスにおける労働者のリスキリング法制」がアップされました。

https://www.jil.go.jp/researcheye/bn/092_260603.html

岩堀さんは先日、『フランスにおける自営業者の職業能力開発法制』というディスカッションペーパーをまとめたところですが、その前提になる雇用される労働者の方はどうなっているのかをごく簡単にまとめたものです。

近年、労働者のリスキリングに対する実務的・学術的関心が高まりをみせている。その背景には、働き方の多様化やデジタルトランスフォーメーション(DX)の進展といった構造的変化があり、こうした傾向は諸外国においても広く共通している。このような中で、日本においては、人材開発支援助成金制度や教育訓練給付金制度など、労働者のスキル向上およびキャリア形成を支援する既存の制度の充実が図られてきた。

他方で、諸外国に目を向けると、それぞれの雇用システムや労働市場の状況に応じた多様なリスキリング(継続職業訓練)制度が設けられている。中でもフランスは、労使代表による協議を基礎としつつ、国家が主導的な役割を果たしながら職業訓練[注1]政策を展開してきた国として位置づけられる。また、同国においては職業訓練が一種の「市場」を形成している点にも特徴があり、その制度的・実務的意義は極めて大きいものと評価できる。

このような問題意識のもと、筆者はこれまでフランスにおけるリスキリング制度に関する検討を進めてきたところであり、このたびJILPTから、ディスカッションペーパー26-03「フランスにおける自営業者の職業能力開発法制」(以下、DP26-03という。)を取りまとめ、公表した。DP26-03では、フランスにおいて、自営業者が職業能力を維持・向上させるための法制度としていかなる制度が設けられており、各制度が対象とする自営業者層およびその政策的意義がいかなるものであるかについて明らかにした。

しかしながら、自営業者を対象とした当該制度は、いわばリスキリング制度における「応用問題」といえる。すなわち、雇用労働者を対象とする制度の仕組みを理解することで、自営業者に関する制度も把握しやすくなるものと思われる。

そこで本稿は、フランスにおけるリスキリング制度のうち、DP26-03の理解に資すべく、雇用労働者を対象とする法制度について、その概要と特徴を示すこととしたい[注2]。

 

 

 

 

2026年6月 2日 (火)

障害者実雇用率 2.41%@『労務事情』2026年6月1日号

40215db63ea34292a3c26f9ac6647e0b 『労務事情』2026年6月1日号に「障害者実雇用率 2.41%」を寄稿しました。

https://www.sanro.co.jp/book/b10170748.html

 昨年12月に公表された「令和7年障害者雇用状況の集計結果」によると、法定雇用率が2.5%に設定されている民間企業の実雇用率は2.41%で・・・・・・

 

 

保守主義 vs 原理主義

Photo_20260602122801 かつての進歩派がほとんど道化の類いに退化していく中で、こういう記事を読売新聞で読むと、いまやまっとうな保守主義といかがわしげな原理主義が対峙しているらしいということが窺われます。

皇族として長く国民に親しまれている方が皇位継ぐべき、女性天皇も議論を…東大名誉教授・北岡伸一氏

たぶん、半世紀前には『諸君』や『正論』に出てきていた保守派の論客たちもそうだったんでしょうが、保守主義というのは日々の繰り返しとか近さや慣れ親しみといったまさに保守的な感覚を大事にする思想であって、皇室であれば、毎年新年の一般参賀で日の丸の旗を振る国民に手を振る皇族の方々の姿や、全国を訪問して国民と言葉を交わす姿、等々こそが大事にすべき皇室のイメージであって、だからこそ「皇族として長く国民に親しまれている方が皇位継ぐべき」と北岡氏は言うのでしょう。これこそ、言葉の正確な意味での保守的感覚であり、それを思想と呼ぶならば保守の思想なのでしょう。

ところが、そういうまっとうな保守主義では売れなくなったからなのか、それとはある意味で真逆の思想、すなわち日々の繰り返しとか近さや慣れ親しみといった保守的感覚を愚劣なものと見下し、それらとは対極にある観念的な原理主義的なイデオロギーが、「ホシュ」といういささか詐欺商法的な商標を纏って、熱心に売りつけられるようになってきたようです。原理主義とは、昨今はイスラム原理主義やキリスト教原理主義が流行ですが、戦前の日本でも蓑田胸喜の「原理日本」みたいに、保守と対極的な、当時の言い方で言えばまさに「革新的」な右翼思想が流行したこともあったわけで、その意味では別に不思議ではありませんが、保守的感覚を蔑視して人の心のあり方を自分の脳内の観念でもって全面的にたたき直そうという発想は、近現代史をひもとくまでもなく、あんまり素晴らしい結果をもたらしてこなかったのも事実でしょう。

いや、そんなことはソ連や共産中国の歴史を見れば分かることですが、でも不思議なのは、ここにきて、天皇というまさに日本の保守思想の中心に位置するであろう問題に対して、右翼原理主義の方々が、国民の多くが自然に胸中に抱いているはずの日々の繰り返しや近さや慣れ親しみといった保守的感覚を頭ごなしに否定し、南北朝時代の北朝の天皇の子孫の方々をいきなり天皇や皇族にしても、国民がその人を天皇や皇族として親しみを感じ、新年参賀で日の丸を旗を振ると思い込んでいるらしいことです。保守的感覚というものを失ってしまった原理主義者には、その辺が見えてこないのかも知れません。

 

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