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2026年6月

2026年6月11日 (木)

島耕作再考

C6h2xnfusaasuzc なにやら、島耕作が話題になっているそうですが・・・、

「日本企業のダメな部分を煮詰めた作品」技術流出の話題から、日本の失われた30年と悪しき企業風土を読み解く例として『島耕作』に注目集まる

島耕作、あそこまで日本企業のダメな人材とダメな行動を煮詰めた作品はなかなかないと思う。
しかもおそらくは作者本人はそう思ってない可能性が高い。

そういえば、、拙著や拙論でも日本型雇用システムの典型例として何回か島耕作は使わせていただきましたな。

たとえば、もう12年前にWEB労政時報に寄稿したこのエッセイとか

「ミドル」という言葉
 
 日本では中高年労働者の問題が論じられるときには、「管理職」の問題として論じられることが少なくありません。なぜ中高年労働者の問題と管理職の問題が重なって現れるのでしょうか?
 というと、そんなのは当たり前ではないか、と思われる方が多いでしょう。若いうちは平社員として働き、年をとるにつれてだんだんと昇進して、中高年になると管理職になるというのが普通の職業人生というものだろう、と。しかし、日本以外のジョブ型労働社会の諸国では、そんなことは全然当たり前でもなければ普通でもありません。むしろ、管理職は若いうちから管理職であり、非管理職は中高年になってもずっと非管理職というのが普通です。つまり、管理職の存在形態がまるで違うのです。日本における管理職をめぐるさまざまな労働問題の根源は、つまるところここに由来します。
 この日本独特の感覚を示す言葉が「ミドル」という言葉です。最近はあまり使われませんが、かつてはよく使われた言葉です。ミドルというのは中くらいという意味ですが、何が中くらいなのか、そこには三つの意味が重ね焼きされていたようです。中高年リストラが進んでいた1979年に出された岩崎隆治『われら中高年サラリーマン』(日本労働協会)では、
 
・・・こうした“いやーぁな感じ”の時代状況を、わたしは「ミドル・パニックの時代」ということばで表現してみた。この言葉が適切かどうかは別にして、いま、ある種の“受難”を受けているのが、俗に「ミドル」という言葉に象徴される人たちだからである。ちなみに、ここでいう「ミドル」には、次の三つの意味を込めて使っている。
 第一の「ミドル」というのは、「ミドル・マネジメント」-つまり「中間管理者」という意味での「ミドル」なのだ。
 ここ数年来、経営合理化の矢面に立たされているのが、ほかならぬ部長や課長といった中間管理職にある人たちだ。ちなみに、マスコミの表現を借りると、とくに、ここ1,2年というものは、“肩たたき”による「部課長追い出し時代」が続いている。・・・
 第二の「ミドル」というのは、「ミドル・エイジャー」-つまり「中高年齢者」という意味での「ミドル」なのだ。・・・
 ところで、第三の「ミドル」というのは、「ミドル・クラス」-つまり「中流階級」という意味での「ミドル」なのだ。・・・
 
 外国人からすれば、ミドル・マネジメントとミドル・エイジとミドル・クラスをまとめて「ミドルと呼ばれる人々」などというのは、だじゃれ以外の何物でもないでしょう。経営学上の中間管理層と年齢階級上の中年層と社会学上の中間階層という、それぞれまったく異なる概念を混ぜ込みにして話が通じるのは、戦後日本くらいのものだと思われます。
 
 国勢調査や労働力調査などで国民の職業を分類するときに用いられるのが日本標準職業分類です。現在、12の大分類、74の中分類、329の小分類に分けられていますが、そのうち「管理的職業従事者」とは、「事業経営方針の決定・経営方針に基づく執行計画の樹立・作業の監督・統制など、経営体の全般又は課(課相当を含む)以上の内部組織の経営・管理に従事するもの」と定義されています。これは、専門的・技術的職業従事者や事務従事者、販売従事者等々と、まったく同じ水準で存在する職種概念ですね。
 そして、職業安定法第5条の7に定める適格紹介の原則とは、この職種単位での労働能力に着目した求人と求職者との結合の適格さを求めるものです。私は旋盤操作という「仕事」のできる人です、私は経理事務という「仕事」のできる人です、私は法務という「仕事」のできる人です、というレッテルをぶら下げているのとまったく同じ水準で、私は管理という「仕事」のできる人ですというレッテルをぶら下げているのが管理的職業従事者、つまり管理職のはずなのです。
 ところが、日本でそんなことをいえば笑い話になります。おそらく読者もどこかで耳にしたことがあると思いますが、大企業の部長経験者が面接に来て、「あなたは何ができますか?」と聞かれて「部長ならできます」と答えた・・・という小咄です。
 これのどこが笑い話なのか?と欧米人なら聞くでしょう。ビジネススクールを出て管理職として働いてきた人が「部長ならできます」というのは、メディカルスクールを出て医師として働いてきた人が「医者ならできます」というのと、ロースクールを出て弁護士として働いてきた人が「法務ならできます」というのと、本質的に変わりはないはずです。しかし、日本では変わりがあるのです。なぜなら、日本の労働社会では、管理職というのはいかなる意味でも職種ではないからです。
 では日本型雇用システムにおいて管理職とは何なのか?その答えは読者の方が重々ご承知です。少なくとも、上の笑い話をみておかしさがわかった人は知っています。それは、長年平社員として一生懸命働いてきた人にご褒美として与えられる処遇であり、一種の社内身分なのです。だから、その会社を離れた後で、面接で「部長ならできます」というのが笑い話になるわけです。
 こうした管理職に対する感覚をよく示しているのが、ベストセラーコミックの『課長島耕作』シリーズです。企業主義の時代まっただ中の1984年に初芝電器の係長として始まり、長く課長を勤めた後、90年代には部長に昇進、21世紀には取締役、常務、専務、社長を経て、会長になっていくというサラリーマンのサクセスストーリーです。回想編として近年「ヤング島耕作」「ヤング島耕作主任編」「係長島耕作」もあります。法律的には単なる労働者から管理職を経て労働者ではない経営陣に至るまでが一本のキャリアパスとして描かれているところが、いかにも日本型雇用システムを体現しています。日本の「正社員」は管理職でなくても企業のメンバーとしての性格を分け持っており(「社員」!)、平社員から中間管理職、上級管理職に至るまで、連続的に管理職的性格が高まっていくのです。
 こういう感覚を前提とすれば、ヤング島耕作=平社員、ミドル島耕作=管理職、シニア島耕作=経営陣という年齢と社内身分の対応はあまりにも当たり前なのでしょう。3つの「ミドル」が重ね焼きできる感覚の源泉がここにあります。そして、「部長ならできます」が笑い話として消費される理由も。管理職がいかなる意味でも職種ではあり得ない世界です。

 

 

 

2026年6月 9日 (火)

「研修生」契約は労働契約に該当するか?--ユーロピアノ事件

この4月から山形大学に赴任された石黒駿さんが、こんな呟きをしていたので、

新入生向けオムニバス講義で、濱口桂一郎『外国人労働政策』にあった日本における研修の位置付けに触れた。ちょうど労働法の講義ではKLM航空事件(東京地判令4・1・17労判1261号19頁。準拠法選択ではなく訓練契約の労働契約該当性の方)をレポート課題の題材にしていたので、意図せず話題が重なった。

この事件、なかなか興味深いと思っているのだが、評釈がほとんど見当たらなくて悲しい。そのうちEUにおけるトレーニー周りの動きも勉強したうえで考えてみたいなあとは思っている。

研修生の労働者性というのは、まさにEUで指令案が審議されているホットな話題であるんですが、日本でも外国人労働政策の歴史の中で論じられてきたテーマであることは、拙著でも述べたとおり。

でも、外国人問題とは別に、そもそも研修生の労働者性という論点は存在し、それを扱った裁判例もあるんですね。

というか、実はわたしが『ジュリスト』で初めて判例評釈を書いたのは、もう22年前になりますが、『ジュリスト』2004年5月1/15日号に載せた「「研修生」契約は労働契約に該当するか?--ユーロピアノ事件」だったのです。

https://www.yuhikaku.co.jp/jurist/detail/014875

この問題、掘れば掘るほどけっこう深いんですよ。

労働判例研究
「研修生」契約は労働契約に該当するか?
--ユーロピアノ事件
 
東京地裁平成14年12月25日判決
(平成14年(ワ)第12150号、賃金等請求事件)
労働経済判例速報1838号3頁
〔参照条文〕労働基準法9条、民法623条
 
[事実]
Ⅰ 原告XはYの「研修生」であった。Yは楽器の輸出入卸売・小売業を営む会社である。
Ⅱ 1  平成12年1月、音楽大学ピアノ調律科学生であったXはYの採用面接を受けた。YはXを「営業社員としては不的確(ママ)」であるが「出身大学と今後良好な関係を保つ必要」から、導入を検討していた「ピアノ調律技術者研修生」として「採用」した。平成12年3月1日、YはXを研修生として採用する旨告知し、「研修生(社員)採用規則」と題する契約書を交付した。研修生として他に2人採用された。
 2 本件契約は「研修を要するピアノ技術者に適用」され、「研修期間中は、本人の技術の向上と会社の利益に貢献することのバランスをとる前提で業務に従事する。ピアノ販売に関する総合的な知識・経験の修得も目的とする」。「給与は6か月間は、初級技術習得後はアルバイト料を支給することはあるが原則無給、その後は時給を支給し、一定技術習得後は月給を支払う」。研修期間は最長2年間で、「研修生の採用は研修開始後1か月に1次判断をし、その後3か月ごとに試験を実施して進級を判断することを原則とする。正社員として採用する場合は、一通りの課程修了後、試験を実施する。終了後は優先的に正社員採用を考慮するが、期間中に将来社員としてふさわしくないと考えられる場合は、直ちに当契約を解除できる」。なお、契約中には「給与・休暇等の規則は、・・・この雇用契約を締結する上で、現行の労働基準法に当てはまらないことを了解する」「労働時間」「労働契約書」等の記載がある。
 3 XはYにおいて3月3日から4月11日まで、ピアノの運搬、出荷作業を含む「研修」に従事した。YはXに対して(時期に争いあり)、3月は事前研修で4月から研修を開始すると告知した。Xの主張では、この間、Yの作業主任者KによるXに対する精神的苦痛を与える行為や言動が行われた(Yは否定)。4月11日、Kに「営業がやりたいなら、Yで技術研修するのではなく、他社に就職活動した方がいい」と言われ、Xは研修を「辞めた」(Xは解雇と主張)。
Ⅲ XはYを相手取って、賃金請求、解雇予告手当及び付加金の請求、債務不履行(正社員として採用する約束)による損害賠償、不法行為(トイレ掃除や朝礼での痛罵等)による損害賠償、を求めて提訴した。また訴訟中、Xの請求に、Yの不法行為として、在籍期間証明書不交付、調停での虚偽説明、タイムカードの破棄、長期の試用期間を定めた公序良俗違反、契約書の不当表示・説明義務違反、面接時説明義務違反等を追加している。なお、本件は原告の本人訴訟である。
 
[判旨]すべて棄却
Ⅰ 1 「労働者とは、労働の対償として契約に定められた賃金を支払われる者をいうから(労働基準法9条、11条)、同法にいう労働契約とは、使用者が労働者に労務の提供の対償として報酬を支払うものをいうと解される。また、民法623条によれば、雇用契約とは、雇用者が被用者に対し、労務に服することに対する報酬を与える約束をするものをいうと解される」。
2 本件契約書には「労働の対償としての賃金を支払うことやその金額、賃金支払開始の具体的時期についての記載はなく、報酬ないし賃金の支払いが当事者の合意の内容となっていないことが認められる」。従って、「本件契約には労働契約の不可欠の要素である労働の対償として支払われる賃金についての合意がないから、本件契約は労働契約ではないというべきであるし、同様の理由で雇用契約ではないというべきである」。
3 本件契約書に「雇用契約」「労働契約」等の記載があることに対して、「当該契約が労働契約か否かは、契約書の個々の文言に捕らわれることなく、その実質により決せられるべきであるから前記判断を左右しない」。
4 本件契約は労働契約ではないとの判断から、「その余の点について判断するまでもなく」、賃金請求並びに解雇予告手当及び付加金の請求は理由がないとして棄却。
Ⅱ 債務不履行による損害賠償請求については、「2年以内に正社員として採用する旨の合意は本件契約の内容となっていない」として棄却。
Ⅲ 不法行為による損害賠償請求については、トイレ掃除や痛罵等については「事実を認めるに足りる的確な証拠はない」として棄却。また在籍期間証明書不交付やタイムカード破棄等については「本件契約は労働契約でないから」「被告において在籍期間の証明書を交付すべき義務はな」く、また「原告のタイムカードを保存すべき義務はな」いとして棄却。
 
[評釈]判旨に反対。ただし結論は概ね一致。
Ⅰ 本件の主たる争点は、本件「研修生」契約が労働契約に該当するか否かであり、その余は事実認定の問題であるので、以下この問題に絞って論ずる。
Ⅱ 1 本件判決は、「労働契約か否かは、契約書の個々の文言に捕らわれることなく、その実質により決せられるべき」と労働者性に関する実質判断原則を引きながら、その「実質」の内容を「賃金についての合意はない」ことにのみ求めている。通常、労働者性の判断基準としては、指揮監督下の労働という労務提供の形態と報酬の労務に対する対償性が挙げられる(昭和60年12月19日労働基準法研究会報告『労働基準法の「労働者」の判断基準について』)が、これらについて検討された跡はない。
2 しかしながら、本件の場合、むしろ「賃金についての合意がない」との認定に問題がある。本件契約書では「給与は・・・原則無給」とされており、「原則0円」という「賃金についての合意」があると認定すべきであったと思われる。仮に契約書に「給与は6ヶ月間で1円とする」と書いてあったとすれば、(法違反の問題は格別)労働契約でないとの認定はあり得まい。それが「0円」であれば自動的に労働契約ではなくなると考えるのは著しく不均衡である。しかも、0円というのは「原則」であって、「アルバイト料を支給することはある」のであるし、6か月後は時給に移行することが予定され、これらを含めて「給与は・・・」と規定しているのであるから、これは0円であることを含め金額不確定の「賃金についての合意」があると認定すべきであった。
3 さらに、労働基準法及び民法においては、金額が完全に0円であっても「賃金」ないし「報酬」に該当しないわけではない。労働基準法及び民法の立法者意思を確認すると、労働基準法9条について「ある種の接客業に従事する女子の如く、唯単に客より報酬を受けるに過ぎない者」であっても、「客より報酬を受けうる利益」も賃金に含まれるとされ(寺本広作『労働基準法解説』)、また「労働の対償として一定の営業設備の使用が認められておれば、それもまた賃金」としており(『日本立法資料全集労働基準法(第53巻)』)、0円の賃金合意は想定している。また民法623条については、穂積陳重が「此報酬ハ金銭ニハ限リマセヌコトハ勿論言フヲ俟チマセヌ前ニ申シマシタ習業者ニ対スル世話ト云フヤウナコトデモ宜シイノデアリマス」(『法典調査会民法議事速記録四』)と述べている。穂積の言う「習業者ニ対スル世話」はまさに本件における研修に相当しよう(明治23年の旧民法では「習業契約」として独立の契約類型であった)。
4 従って、「賃金についての合意がないから、本件契約は労働契約ではない」し「雇用契約ではない」との判断には疑問がある。本件契約は労働契約であり、雇用契約であるというべきであろう。
Ⅲ 1 しかしながら、現行法上本件のような契約が正当と認められるかどうかは別である。民法上は明らかに予定されている雇傭契約類型の一種であるといえるが、労働基準法上はこのような労務の提供と「習業者ノ世話」との双務契約は、通貨払いの原則(24条)及び最低賃金法に違反する可能性が高い。通貨払い原則は「法令若しくは労働協約に別段の定め」があれば適用除外が可能であり、また最低賃金法は、試の試用期間中の者及び認定職業訓練受講者については、都道府県労働局長の許可を受けて適用除外とすることを認めている(8条)が、本件には該当しない。さらに、そういう契約類型自体、「徒弟、見習、養成工その他名称の如何を問わず、技能の修得を目的とするものであることを理由として、労働者を酷使してはならない」(69条)に違反する可能性もある。
2 そうすると、通常の労働法学の考え方では、本件労働契約においては「原則無給」との合意は無効であり、Xは少なくとも就労期間について一定額(少なくとも最低賃金額)の賃金請求権を有するという結論になりそうである。これはこれなりに筋の通った考え方ではあるが、現実妥当性に問題があると思われる。労働経済学的に言えば、通常の企業内訓練においては、訓練期間中の訓練コストや生産性の低い労務提供と(相対的に高い)賃金水準との差は企業側の持ち出しとなるが、訓練終了後の生産性の高い労務提供と(相対的に低い)賃金水準との差によって埋め合わされると考えられる。この場合、訓練終了後も長期継続雇用することへの期待がこのような長期的な取引を可能にしているが、労働力が流動化してこのような期待が一般的に持てなくなるとすれば、別途の訓練コスト負担方式を考える必要が出てくる。今後の労働市場の動向を考えると、その必要性は高いと考えられる。しかも、本件はピアノ調律師という高度の(芸術的センスを含む?)技能を要する職種であり、訓練終了後に生産性の高い労務提供が可能であるとは必ずしも言えないことも考慮に入れる必要があろう。原則無給の「研修生契約」を禁止してしまうことは、当初から有給で採用することは困難な限界的労働者に対して、雇用の道を閉ざしてしまうことにもなりかねない。
3 現行法解釈上、本件のような契約が正当と認められる余地はないであろうか。第1に、採用内定と同様の法的地位にあると考え、解約権留保付き就労始期付き労働契約(大日本印刷事件(最二小判昭54・7・20))が成立しているが、労務提供とこれに対する賃金支払いは発生していないと構成することが考えられる。内定期間中に研修への参加を求める例は多いことから、本件「研修生」契約もこれに当たると考えるのである。この場合、ピアノの運搬、出荷作業も調律技術の研修の一環であったとする必要があり、やや無理がある。第2に、さらに技巧的であるが、Xの労務提供に対する賃金債権とYの研修サービス提供に対する代金債権を相殺する合意があったと構成することが考えられる。これは当事者の明示の意思に反するように見えるが、そもそも当初6か月を原則無給とした趣旨は労務提供と研修実施を対価関係に置くことにあったと考えられる。
4 以上のような解釈が可能であれば、本件における主たる請求である賃金請求及び解雇予告手当等の請求は棄却されることになるが、労働契約の存在は肯定されるため、本件判決が「労働契約でない」との理由で棄却している在籍期間証明書不交付、タイムカードの破棄等については、事実認定によっては異なる結論があり得る。
 しかしながら、実は労働契約の存在を肯定する意義は、本件ではXの請求に含まれていないが、Yの側からの研修契約の解除を解雇として地位確認や慰謝料の請求を認めたり、「研修」中の事故を労働災害と認定しうる点にある。
Ⅳ その意味では、これは本来、立法的解決を図るべき問題であろう。現行民法上認められている労務の提供と「習業者ノ世話」との双務契約は、昭和47年の労働基準法では一定の技能職種について「技能者養成契約」として構成され、契約期間、賃金の支払い、最低賃金、危険有害業務等について別段の定めをすることができることとされ(70条)、これが職業訓練法(現在の職業能力開発促進法)に基づく認定職業訓練(同法24条)に変わって現在に至っている。しかしながら、認定職業訓練の基準は公共職業能力開発施設における職業訓練基準と同一であり(同法19条)、製造業を主に念頭に置いたもので、ピアノ調律技術のようなものは含まれていない。
 公共職業訓練の存在を前提としてそれと同等の訓練を使用者が行う場合にのみこういった契約を認めるという法的枠組みを前提とすると、公共職業訓練の手に負えない技能についての技能者養成は、①完全な労働契約として一定期間使用者側のコスト負担を求めるか、②労働契約ではないとして本来与えられるべき労働者保護を失わせるか、という選択にならざるを得ない。①が労働法学的には正しい解決であっても、労働経済学的には問題があること、労働力が流動化すれば①がますます困難になることは前述の通りである。その意味でも、公共職業訓練とは切り離した形での一般的な「研修生」契約を概念化する必要性が高まってきていると思われる。
Ⅴ 本件は一音楽大学卒業生による本人訴訟であり、それ自体としてはほとんど世人の関心を呼ばない小事案であるが、立法政策に対して含意するところは意外に大きいものがある。

 

 

フランスとドイツのセックスワーク論議

EUobserver紙に、Léa Marchalさんの「Listen: How should European countries regulate sex work?」(聞け、欧州諸国はセックスワークをいかに規制すべきか?)というポッドキャストが載ってて、その書き起こしが載ってますが、

https://euobserver.com/220257/listen-how-should-european-countries-regulate-sex-work/

これによると、フランスは10年前の2016年に、それまでは合法だった性サービスに対価を払うことを違法化し、客に1500ユーロの罰金を科すこととしたが、現在フランスの議会はセックスワークの非犯罪化の法案を審議しているのだとのこと。

セックスワーカー組合(というのがちゃんとあるんですね、さすがフランス)のストラスによれば、この抑圧的な法律はセックスワーカーに対する暴力の減少や搾取の撲滅に失敗し、彼女たちの不安定な状況と安全に「壊滅的な影響」を与えていると。

一方、ドイツでは全く逆に、2002年から性労働が合法化されており、2017年からは性労働者は当局への登録が義務付けられており、売春宿は営業許可を取得しなければなりません。

ところが最近、連邦議会の議長が「ドイツは欧州の売春宿だ」と言ったとかで、その見直しの議論が起っているそうな。

どの国もこの問題は一筋縄ではいかないようです。

2026年6月 5日 (金)

『季刊労働法』2026年夏号(293号)のお知らせ

293_h1768x1108 労働開発研究会のHPに『季刊労働法』2026年夏号(293号)の予告が載っているので、こちらでもご紹介。

https://www.roudou-kk.co.jp/books/quarterly/16241/

特集:過半数代表法制の再構築と国際動向

今号では、過半数代表制の再構築をめぐる制度的課題と国際的動向を取り上げます。日本の過半数代表制の歴史的展開と制度的課題を整理するとともに、労使関係法制としての代表制整備の方向性を検討します。さらに、フランスにおける多数派代表制の意義や、韓国の労使コミュニケーションの現状を紹介し、比較法的視点から代表制のあり方を多角的に考察します。
第2特集では、近時の主要判例を分野別に取り上げ、争点構造と判断傾向を分析します。労働者性、割増賃金、公務員の退職手当不支給処分といった実務上重要性の高い論点を素材に、裁判例の射程と今後の課題を展望します。

特集 過半数代表法制の再構築と国際動向

過半数代表制のこれまでとこれから

小樽商科大学教授 國武 英生

労使関係法制としての過半数労働者代表制の整備のあり方

―労働組合法制と従業員代表法制の調整を中心に

労働法学研究者 毛塚 勝利

フランス労働法における多数派代表制の意味

九州大学名誉教授 野田 進

労使コミュニケーション:韓国の現状

岩手県立大学准教授 徐 侖希

【第2特集】分野別にみる近時判例の主要争点と判断傾向

最近の労基法・労契法上の労働者性に関する裁判例について

―昭和60年労基研報告の見直しに向けて―

学習院大学教授 橋本 陽子

合意に基づく賃金と法律に基づく割増賃金の境界

―出来高払制賃金を参考に―

北海道大学教授 池田 悠

退職手当全部不支給処分と比例原則

立命館大学教授 須藤 陽子

■論 説■

企業価値担保権の創設と事業譲渡における労働者の保護

西南学院大学教授 有田 謙司

EUおよびドイツにおける人工知能をめぐる法

ミュンヘン大学教授 マーティン・フランツェン

訳:立正大学教授 高橋賢司

メリット制による事業主の労災保険料負担の公平性の実現に関する検討

―中小規模事業の視点も含めて

特定社会保険労務士 井寄 奈美

欠格条項違憲最高裁判決(最大判令和8.2.18)についての一考察

帝京大学准教授 青木 亮祐

■集中連載■ 労働者の個人情報保護をめぐる比較法研究(第1回)

AI共生社会における個人情報保護の再考

―比較法研究のための挑発的問題提起

神戸大学社会システムイノベーションセンター・法学研究科教授 大内 伸哉

■集中連載■ 比較法研究・職場における健康と男女の性差(第4回)

フランスにおける女性特有の健康課題と労働法

―月経・更年期をめぐる近年の議論動向を中心に―

弘前大学講師 渋田 美羽

■イギリス労働法研究会 第48回■

公務員労働法を見る視点

―官民の労働法制の違いに焦点をおいたイギリスでの議論を素材として―

信州大学教授・弁護士 弘中 章

■アジアの労働法と労働問題 第61回■

インドにおけるギクワーカー「保護」のための労働法改革

―連邦法に並行して成立する州法の改革

労働政策研究・研修機構調査部主任調査員補佐 北澤 謙

■要件事実で読む労働判例―主張立証のポイント 第16回■

就業規則変更事件の要件事実

―国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター事件・東京高判令和7・3・27労判1333号5頁を素材に

国士舘大学教授 亀田 康次

■労働法の立法学 第78回■

未払賃金立替払制度の法政策

労働政策研究・研修機構労働政策研究所長 濱口 桂一郎

■判例研究■

1年間の有期労働契約の試用期間該当性

TBWA HAKUHODO事件(東京高判令7・4・10労判1338号5頁)

弁護士 伊藤 昇平

解雇撤回と賃金請求権の帰趨

K’sエステート事件(東京高判令6・12・24労判1327号73頁、原審:さいたま地判令6・4・16労判1327号84頁)

弁護士 溝延 祐樹

■重要労働判例解説■

退職後2年間を限度として有効とされた競業避止義務の効力

シーリス元従業員事件(大阪高判令7・6・25労判1341号128頁)

富山県立大学教養教育センター教授 大石 玄

偽装請負該当性と労働契約申込みみなし制度適用の可否

大陽液送事件(大阪高判令5・8・31労判1336号50頁)

 

 

2026年6月 4日 (木)

大谷享『中国TikTok民俗学』@『労働新聞』書評

81qmduu138l_sl1500_257x400 月1連載の『労働新聞』書評ですが、都合により、先週に引き続き今週もわたくしが担当しました。取り上げたのは打って変わって大谷享『中国TikTok民俗学』です。

https://www.rodo.co.jp/column/219961/

 現代中国の宗教事情といえば、新疆ウイグル自治区でのイスラム教の弾圧とか、共産党直轄でない非公認のキリスト教の抑圧とか、邪教とされて厳禁された法輪功の話など、暗い話がいっぱいだ。60年前には文化大革命で各地の宗教施設が片っ端から破壊されたこともある。なので、伝統的な漢民族の宗教儀礼を研究しようとする者は台湾や香港に向かうというのが通例であった。
 ところがところが、本書はその宗教に抑圧的なはずの大陸中国で、奇怪な神々が跋扈するディープな宗教世界を、これでもかこれでもかと紹介しまくっているのだ。著者はアモイで日本語を教えながら、中国各地を駆け回って宗教儀礼-ほとんど淫祠邪教のたぐい-を観察してきた。その探索手段はなんとスマホである。中国のTikTok(抖音)には、得体の知れない民俗動画が氾濫しており、著者はそれを頼りに外部世界には知られていないが現代中国では熱烈に信仰されているさまざまな「神様」たちを訪ね歩く。
 登場するのは、逆立ちする「張五郎」、やたらにセクシーな「九尾狐」、日本から逆輸入された「大黒天」、そして恐ろしい死神の「無常」といった神々だ。これらの神々は現地の中国人の生活の中にしっかりと根を生やし、日々の儀礼の中に生きている。著者自身の表現を借りれば「おそらく多くの読者は意外に思うだろうが、漢族の宗教の基層にあるのはシャーマニズムである」。その有り様はほとんど淫祠邪教と言いたくなるほどだが、イスラム教やキリスト教のような外部勢力と通謀する危険性のあるまともな世界宗教への警戒感とは打って変わって、中国共産党は寛容なようである。
 さて、宗教儀礼の中身もすさまじいが、本書を読んでもっとも驚かされたのは、著者の研究手法だ。タイトルにあるように、スマホに流れるTikTok動画を頼りに、とにかくその現場に行ってみる。そうすると、思いもよらない出来事が次々に押し寄せてきて、いろんなことが芋づる式に解明されていくのだ。
 これは、現代中国が日本とは比べものにならないくらいスマホ社会になっているからだろう。本当に社会の末端のごくごく普通の市井の中高年齢者たちが、自分たちの日常や非日常の姿をショート動画としてアップする。その膨大な民俗動画の大海には、その地域の人々以外にはほとんど知られていないような宗教儀礼が多数浮かんでおり、著者はまさにスマホ一つでそれらの姿を描き出していくのだ。
 とはいえ、TikTok動画だけを頼りに中国各地を旅行していく著者の行動力もすさまじい。張五郞探索の途次で、彼は張五郎はじめ神々を召喚し、招福と息災を祈願する儀礼の最終盤に立ち会う。生きた鶏の喉が鋭利な包丁でかっ切られ、鮮やかな鮮血がお椀にドボドボと注がれた時、「はよ飲まんかいな」と言われて一気に飲み干した。すると、「根性あんなあ。俺はよう飲まんわ」「鶏の生き血はサルモネラ菌の塊ですからね」。本書は、著者のこの時に無謀な行動力の結晶である。

 

 

 

2026年6月 3日 (水)

大内伸哉さんが『外国人労働政策』を書評

Chukogaikoku_20260603234001 大内伸哉さんがそのブログ「アモリスタ・ウモリスタ」で、拙著『外国人労働政策』に懇切な書評を書いていただいています。

https://lavoroeamore.cocolog-nifty.com/amoristaumorista/2026/06/post-313d1b.html

面白い企画の本です。外国人労働政策の歴史を扱ったものですが,日本の外国人労働政策が30年も停滞してしまったのはなぜなのかという謎解きの書でもあります。・・・

拙著の意図を的確にとらえていただいておりまして、こういう書評に出会うととても嬉しくなります。

もちろん,一般国民からみれば,いつもの役所間の権限争いかというように思えますが,法務省と労働省の必死の戦いが見事に描かれており,ぐいぐいと引き込まれていきます。しかも,そこにとどまらないところが秀逸でした。日本型雇用システムと結びつけるところがなるほどと思わされました。両省では,「研修」というものの捉え方が違っていたのです。・・・

そう、労働省と法務省の仁義なき争いはとても分かりやすいし、本書も意図的にそれを前面に出してはいるんですが、それがこういう方向になったのは、労働省がメンバーシップ型にどっぷり漬かっていた時期に、法務省はジョブ型を堅持していて、その認識のずれはまさに「研修」に集約されていたという雇用システム論的な絵解きであって、そこがどれだけ読者に伝わるだろうかというのが、書きながら悩んだところでした。

その先のところで、規制改革会議が登場するあたりについて、本書を先日書評していただいた八代尚宏さんが大内さんにこう言ったそうです。

実は,制度・規制制度改革学会の雇用分科会(分科会の名称は不確定)で,毎月,オンラインで顔を合わせている八代尚宏先生から,1月のミーティングのとき,濱口さんのこの本を読みましたか,と早速聞かれました。役所が,いろんな業界のしがらみから本来の政策を展開できないときに,正論を述べて政策を論じるというのが,この学会の主たる役割だと思いますが,濱口さんのこの本は,八代先生たちが,この学会の精神をはるか昔に実現していた会議の意義を再確認させられたような気がします。・・・

この規制改革会議の(意外な)役割の指摘も、本書に込めたメッセージの一つでした。

 外国人労働政策そのものに関心がある人はもちろんですが,政策はどのように形成され,なぜ歪み,ときに長い時間をかけて迷走するのかという問題に関心がある人にも,ぜひ読んでもらいたい一冊です。私のような労働法屋の立場からも楽しめますし,同時に,優れた政策史・行政史としても読むことができます。

有難い言葉です。「政策はどのように形成され,なぜ歪み,ときに長い時間をかけて迷走するのか」のケーススタディとして読んでいただければ幸いです。

 

 

 

 

岩堀佳菜「フランスにおける労働者のリスキリング法制」

Iwahori_k JILPTのホームページに、リサーチアイとして、岩堀佳菜さんの「フランスにおける労働者のリスキリング法制」がアップされました。

https://www.jil.go.jp/researcheye/bn/092_260603.html

岩堀さんは先日、『フランスにおける自営業者の職業能力開発法制』というディスカッションペーパーをまとめたところですが、その前提になる雇用される労働者の方はどうなっているのかをごく簡単にまとめたものです。

近年、労働者のリスキリングに対する実務的・学術的関心が高まりをみせている。その背景には、働き方の多様化やデジタルトランスフォーメーション(DX)の進展といった構造的変化があり、こうした傾向は諸外国においても広く共通している。このような中で、日本においては、人材開発支援助成金制度や教育訓練給付金制度など、労働者のスキル向上およびキャリア形成を支援する既存の制度の充実が図られてきた。

他方で、諸外国に目を向けると、それぞれの雇用システムや労働市場の状況に応じた多様なリスキリング(継続職業訓練)制度が設けられている。中でもフランスは、労使代表による協議を基礎としつつ、国家が主導的な役割を果たしながら職業訓練[注1]政策を展開してきた国として位置づけられる。また、同国においては職業訓練が一種の「市場」を形成している点にも特徴があり、その制度的・実務的意義は極めて大きいものと評価できる。

このような問題意識のもと、筆者はこれまでフランスにおけるリスキリング制度に関する検討を進めてきたところであり、このたびJILPTから、ディスカッションペーパー26-03「フランスにおける自営業者の職業能力開発法制」(以下、DP26-03という。)を取りまとめ、公表した。DP26-03では、フランスにおいて、自営業者が職業能力を維持・向上させるための法制度としていかなる制度が設けられており、各制度が対象とする自営業者層およびその政策的意義がいかなるものであるかについて明らかにした。

しかしながら、自営業者を対象とした当該制度は、いわばリスキリング制度における「応用問題」といえる。すなわち、雇用労働者を対象とする制度の仕組みを理解することで、自営業者に関する制度も把握しやすくなるものと思われる。

そこで本稿は、フランスにおけるリスキリング制度のうち、DP26-03の理解に資すべく、雇用労働者を対象とする法制度について、その概要と特徴を示すこととしたい[注2]

 

 

 

 

2026年6月 2日 (火)

障害者実雇用率 2.41%@『労務事情』2026年6月1日号

40215db63ea34292a3c26f9ac6647e0b 『労務事情』2026年6月1日号に「障害者実雇用率 2.41%」を寄稿しました。

https://www.sanro.co.jp/book/b10170748.html

 昨年12月に公表された「令和7年障害者雇用状況の集計結果」によると、法定雇用率が2.5%に設定されている民間企業の実雇用率は2.41%で・・・・・・

 

 

保守主義 vs 原理主義

Photo_20260602122801 かつての進歩派がほとんど道化の類いに退化していく中で、こういう記事を読売新聞で読むと、いまやまっとうな保守主義といかがわしげな原理主義が対峙しているらしいということが窺われます。

皇族として長く国民に親しまれている方が皇位継ぐべき、女性天皇も議論を…東大名誉教授・北岡伸一氏

たぶん、半世紀前には『諸君』や『正論』に出てきていた保守派の論客たちもそうだったんでしょうが、保守主義というのは日々の繰り返しとか近さや慣れ親しみといったまさに保守的な感覚を大事にする思想であって、皇室であれば、毎年新年の一般参賀で日の丸の旗を振る国民に手を振る皇族の方々の姿や、全国を訪問して国民と言葉を交わす姿、等々こそが大事にすべき皇室のイメージであって、だからこそ「皇族として長く国民に親しまれている方が皇位継ぐべき」と北岡氏は言うのでしょう。これこそ、言葉の正確な意味での保守的感覚であり、それを思想と呼ぶならば保守の思想なのでしょう。

ところが、そういうまっとうな保守主義では売れなくなったからなのか、それとはある意味で真逆の思想、すなわち日々の繰り返しとか近さや慣れ親しみといった保守的感覚を愚劣なものと見下し、それらとは対極にある観念的な原理主義的なイデオロギーが、「ホシュ」といういささか詐欺商法的な商標を纏って、熱心に売りつけられるようになってきたようです。原理主義とは、昨今はイスラム原理主義やキリスト教原理主義が流行ですが、戦前の日本でも蓑田胸喜の「原理日本」みたいに、保守と対極的な、当時の言い方で言えばまさに「革新的」な右翼思想が流行したこともあったわけで、その意味では別に不思議ではありませんが、保守的感覚を蔑視して人の心のあり方を自分の脳内の観念でもって全面的にたたき直そうという発想は、近現代史をひもとくまでもなく、あんまり素晴らしい結果をもたらしてこなかったのも事実でしょう。

いや、そんなことはソ連や共産中国の歴史を見れば分かることですが、でも不思議なのは、ここにきて、天皇というまさに日本の保守思想の中心に位置するであろう問題に対して、右翼原理主義の方々が、国民の多くが自然に胸中に抱いているはずの日々の繰り返しや近さや慣れ親しみといった保守的感覚を頭ごなしに否定し、南北朝時代の北朝の天皇の子孫の方々をいきなり天皇や皇族にしても、国民がその人を天皇や皇族として親しみを感じ、新年参賀で日の丸を旗を振ると思い込んでいるらしいことです。保守的感覚というものを失ってしまった原理主義者には、その辺が見えてこないのかも知れません。

 

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