山崎憲『ジョブ型の真実とAIと協働』
山崎憲『ジョブ型の真実とAIと協働』(日本生産性本部)をお送りいただきました。
いま、日本では「ジョブ型」か「メンバーシップ型」か、という問いが繰り返し語られている。政府や経済界は、低成長などといった問題への処方箋として「ジョブ型」を掲げ、これまでの日本型雇用慣行の見直しを求めてきた。
しかし、そもそも「ジョブ型」とは何か。「メンバーシップ型」とは何のために成立し、どのような役割を果たしてきたのか。そして、AIやデジタル技術の進展は、この論争の意味そのものを、どう変えようとしているのか。
本書は、こうした問いを歴史・政策・現場の実態に即して、考え直すためのものである。
そもそも、「ジョブ型」という言葉は、私が日本の雇用システムを表わす言葉として創出した「メンバーシップ型」の対義語として、ほかにいい言葉もないので欧米のブルーカラーやクラーク層の有り様を主として想定してでっち上げた言葉なので、もともと高度成長期に完成した日本型雇用なんかよりも遥かに古くさくて硬直的なものであることは、言い出した本人が最初から強調していたはずなんですが、なぜかそれがこれから世界中が目指すべき世界最先端の超モダンな働き方であるかのような訳のわからないインチキコンサル連の商売トークが世間に広まってしまい、ある程度もののわかった人から見れば、何を訳のわからんこと言うてるねん、という状況になっていたわけで、それをふざけるな!と叱りつけたくなる気持ちはわからないわけではありません。
とはいえ、世のジョブ型論者がみんながみんなそういう新商品売りつけ業者なのかといえばそうでもなく、とりわけ今から10年以上も前頃に、鶴光太郎さん辺りが音頭を取っていたジョブ型正社員論なんてのは、まさに柔軟で競争力が高いスバラ式日本型雇用といわれていたもののマイナス面を埋め合わせるために、膏薬を貼るようにジョブ型を導入しては如何かといっていたわけで、そんな生ぬるいことを言うてるから日本は負けたんや!80年代の世界を制覇していた日本経済の秘薬たる日本型雇用を捨てたから日本はダメになったんや!と今でも思っている80年代の日本企業のおじさんはけっこういそうですが、でも90年代以降の動向は、誰かさんが思い込んでいるように欧米の悪辣な陰謀によってせっかくの日本型雇用が壊されたというわけではなく、80年代に完成した当時は世界最先端を誇っていた日本型システムが、女性、若者、中高年等等様々な社会領域で矛盾をはらみ、社会的持続可能性が乏しくなっていたから起った一種の社会的化学反応なのであって、それをけしからん云々と愚痴をこぼしてみても仕方がないし、それが維持できたとも思えないですね。
山崎さん自身が、アメリカのジョブ型を、ジョブコントロールユニオニズムという組合主導の硬直的な仕組みに加えて、男女平等等の労働人権法制の展開によってヘイ社などによって精緻化されてきたものだと歴史的展開を詳しく説明していて、その辺は遠藤公嗣さん辺りが最近も熱心に追求していますが、それも世の流れというものであって、同一労働同一賃金なんてアホなことばかりいうから日本が没落したんや!と内心思っているご老人はなおけっこういるかも知れませんが、とはいえそれが維持可能であったとも思えません。
一方、まさに新商品を売りつけてなんぼのインチキコンサル連にとっては、この「ジョブ型」ってのは、商売ネタが払底していたところに向こうから飛び込んできてくれた実に有り難いおいしいネタであったらしく、本屋さんの人事関係の棚に行くと、「ジョブ型」がどうたらこうたらという本が所狭しと並んでいるし、そういうセミナーもけっこう盛況なようです。
もともとブルーカラーやクラーク層の硬直的な雇用システムであるはずの「ジョブ型」が、なぜか世界最先端の柔軟な働き方に変身して、硬直的な日本型サラリーマンを叱りつけるという、攻守所を変えた訳のわからんおとぎ話にされてしまうのを見たら、山崎さんみたいにアメリカの労働のことをよく知っている人であればあるほど腹が立ち、「この莫迦者どもめが!」と切り捨てたくなるのはよくわかるところではありますが、とはいえ、そういうインチキ話に乗ってでも、40年前には世界で一番素晴らしいと脳天気にも自慢していた日本型サラリーマンにビンタを食らわせたくなる企業サイドの気持ちも、わからないではないのですね。
というのも、本書にもちらりとは出てきますが、日本ではよく言われるブルーカラーがホワイトカラー化しているとか、クラークがマネージャー化しているというのは、そこだけみれば欧米よりも競争力が高くて素晴らしいという話になりそうで、実際70年代や80年代にはそういう日本礼賛論が世に満ち溢れていたわけですが、でも両者が似通ってくるということは、裏を返せば、ホワイトカラーがブルーカラー化しているということであり、マネージャーがクラーク化しているということでもあるわけで、90年代以降は企業人事サイドからすれば、「てめえらはホワイトカラーなんだぞ!ブルーカラーみたいに時間なんぼで働いてるんじゃねんだぞ!」とか「ヒラ並のこともできないくせに偉そうに管理職づらしてんじゃねえ!」という鬱屈した思いが蓄積してきていて、それがその時々にいろんな形で噴出してきたというのがこの30年の歴史であったわけで、それの最新版が、言葉の選択がねじれにねじれきった「ジョブ型」であったとすれば、そう批判ばかりする気にもなれないというのが正直なところではあります。
実際、本書を読むと、『ジョブ型人事指針』に出てくる政府ご推薦の「ジョブ型」企業実例に対して、山崎さんは必ずしも非難の矛先をぶつけているわけでもなく、むしろ大変シンパシーを感じさせる記述が続いていたりするので、その辺の事情はわかっておられるのだろうとは思います。
一方、こっちの「一方」は、本書の構成上の「一方」ですが、本書の後半はむしろ本当に新しい話、AIによって旧来のジョブが分解してタスクになっていくみたいな話が書かれています。これも、日本ではインチキコンサルの驥尾に付してジョブ型商売人になっているマーサー社が、本国のアメリカでは「ジョブなんか古いぞ!」という新商品商売に熱心なことを考えれば、当然書かれるべきことではあるんですが、前半における議論と後半の議論とのつながりが、恐らく著者の頭の中では密接につながっているはずだと思うのですが、私のおぼつかない読解力ではきちんと追いかけることができませんでした。個々の情報は大変有用で、有り難いのですが、本書全体で何を言おうとされているのかが、理解力の乏しい読者にまで伝わるように親切に書かれていると、有り難かったと思います。
というわけで、「ジョブ型」に冷水をぶっかける本が出るのは大変いいことなので、是非多くの方に読まれるといいと思います。
とりわけ、本書の版元である日本生産性本部は、自らジョブ型人事制度に関する研修・セミナーを開催したりもしているので、
https://www.jpc-net.jp/seminar/detail/006663.html
是非そういう場で本書を宣伝されるとよろしいのではないでしょうか。
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