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2026年5月

2026年5月29日 (金)

日本成長戦略会議労働市場改革分科会とりまとめ

昨日、日本成長戦略会議労働市場改革分科会の「とりまとめ」という文書が一応取りまとめられました。

https://www.mhlw.go.jp/content/12602000/001704959.pdf

「一応」というのは、最大の注目事項であった労働時間規制緩和問題が各論併記で先送りされておいるからですが、

(1)柔軟で多様な働き方の実現に向けた労働時間法制等

○ 柔軟で多様な働き方の実現に向けた労働時間法制等の在り方の検討については、本分科会の第2回においては、運用の見直しについて、第3回においては、労働力供給制約が強まる中で、労働参加の促進や労働生産性の向上を図る観点から、労働時間規制の在り方について集中的な議論が行われた。

○ 時間外労働の上限規制については、業種・業態や規模によっては対応が厳しい、月45 時間・年6回までの上限規制の一部例外措置が必要であるとの意見があった。また、ヒアリングでは、もっと働きたいのに働けない従業員がいる、都市と地方で温度差がある、労使協議の機会設定や労働時間管理の負担が大きいとの意見があった。

○ 他方で、労働者の健康確保や生活時間保障を基本とすべきであり、長時間労働が助長されるような働き方は結果的に多様な人材の労働参加の妨げになる、無限定・無制約な働き方を選択できる労働者は減少している、より長く働きたいとする一般労働者の割合は限定的で上限近傍で働いている労働者も少ない等の観点から、上限規制を緩和すべきでないとの多くの意見があった。

○ また、長時間労働の原因となっている業界慣行の見直しも必要、労働者の健康確保の実効性を高める等の観点から、集団的労使関係の基盤を整える必要があるとの意見があった。

○ 裁量労働制は、柔軟で自律的な働き方を可能にする、ワーク・ライフ・バランスに資する面もある等の観点から、適正に運用されれば労使双方にとってよい制度であるとして、制度の濫用防止策とセットで拡充の議論を進めるべき、実際の裁量の程度や業務量によって長時間労働となる確率等に影響があり、まずは 2024 年度改正後の状況把握が必要、適正に運用されるためにどうあるべきか労働政策審議会で慎重に議論を深めるべきとの意見があった。

○ 他方で、長時間労働になりやすく、裁量や適切な処遇が必ずしも確保されていない実態がある中で、制度拡充を行うべきではなく、2024 年度改正を踏まえた厳格な導入手続や定期的なモニタリングなどの適正運用を徹底すべき、柔軟で多様な働き方はフレックスタイム制度など現行制度の活用によっても可能であるとの意見があった。

○ 変形労働時間制は繁閑に応じて労働時間の配分を可能にする制度であり、労使の話合いにより労働時間短縮や法定労働時間枠の有効活用につながりうるが、天候の変化や取引先との関係等によって繁忙が大きく左右されることに十分対応できず、「30 日前」要件の短縮や特定後の勤務日変更を認める等の見直しを検討すべき、現場の実情に合わせた柔軟な設計の検討が必要であるが、労働者の予見可能性や健康確保が最優先であり、その客観的要件を明確化するなど限定的であることを前提に議論すべきとの意見があった。

○ 他方、原則の法定労働時間を超過することも可能となる例外的な制度であり、労働者保護の観点から様々な要件が課されている趣旨を踏まえれば、長時間労働の常態化や労働者のリカレント教育、リ・スキリングを含む生活時間設計を損なう要件緩和などは行うべきでないとの意見があった。

○ 勤務間インターバル制度や連続勤務規制は、労働者の休息や生活時間を確保するために重要な制度であるが、現行の努力義務の下や現行の変形週休制の下では労働者の健康確保の観点から限界があり、勤務間インターバル制度の義務化や長期の連続勤務の制限などについて、例外措置や代償措置も含め検討を進めるべき、つながらない権利の導入も検討すべきとの意見があった。

○ 勤務間インターバル制度について、年・月単位の対応に加えて更に日単位での規制を課すことは業務への柔軟性を欠く、各社の実態に応じた柔軟な制度設計が可能となる方向で検討することが重要であるとの意見があった。

○ 副業・兼業は、自己の判断で行うものであり、割増賃金の通算管理を見直すべきとの意見があった。

○ 実態として非正規雇用で働く者が生計維持や収入増を目的として副業・兼業を行っている割合が高いことを踏まえれば、割増賃金規制も含めた労働時間の通算規定の堅持が必要、健康確保の点から一定の配慮が必要であるとの意見があった。

○ フレックスタイム制は、働き手の働きやすさや働きがいを高めるために有用であり、フレックスタイム制と通常勤務日の組み合わせを可能とするべきとの意見があった。

○ 事業主や労働者が置かれている個別の事情に合った支援を、労働基準監督署と働き方改革推進支援センターが連携して実施することについては、

・ よろず支援拠点や商工会議所を含めて連携することで、中小企業の経営の視点も含めた労務支援というものが期待され、有効な方策であると考える

・ 時間外労働の上限規制の範囲内であっても、時間外労働を推奨する方向での制度・運用の見直しを行うべきではない

といった意見があった。

○ 労働基準監督署における指導については、
・ 指導が画一的・硬直的なものとなっているとの声もある
・ 時間外労働時間が 45 時間を超えた場合には適法の範囲内でも指導がなされていると承知しているが、法制度の違反という観点での指導とすべき
・ 労働者の命と健康を守るための最低基準である労働基準法の趣旨を踏まえた厳格な対応を堅持するべき
といった意見があった。

● 労働時間法制等に係る政策対応の在り方については、労働政策審議会でも議論されてきたとおり、柔軟で多様な働き方の推進の観点や労働者の一層の健康確保の観点から様々な論点が存在している。

● 本分科会の議論では、いずれも簡単に結論が得られるものではないが、日本成長戦略会議で取り上げた趣旨も踏まえ、労働参加率や労働生産性向上の必要性に鑑み、労働者の健康維持やワーク・ライフ・バランスを前提とするとの認識を共有しつつ、柔軟で多様な働き方を含む労働時間法制等に係る政策対応については、夏以降の労働政策審議会において、議論を行う必要がある。

・ 時間外労働の実態との間に「隙間」がある中で、上限規制は過労死認定ラインであり、上限規制を維持し、労働者の健康確保やワーク・ライフ・バランスの確保の観点から長時間労働の是正を図るとともに、労働生産性向上を促し、併せて多様な人材の労働参加を可能とすることが重要である。

・ 裁量労働制については、適正に運用されれば労働者にとっても良い制度であるが、長時間労働になる、裁量や適切な処遇が確保されない実態があることが指摘されている。 現場の実態や労使双方の立場を十分に踏まえて、健康確保、長時間労働防止、適切な処遇確保などの濫用防止措置を前提に、裁量労働制の対象の在り方について、見直しの検討を行う必要がある。また、変形労働時間制については、他律的な要因に十分対応できていない現場の実態や、労働者の生活時間や予見可能性の確保にも留意しつつ検討を進める必要がある。

・ 労働者の健康確保や生活時間の確保が重要であり、これらは多様な人材の労働参加に当たっても重要であることから、連続勤務規制や勤務間インターバル制度の法的位置付け、「つながらない権利」の在り方、副業・兼業に当たっての健康確保、テレワークの活用促進などについて、現場の実態や労使双方の立場を十分に踏まえて、検討を進める必要がある。

● また、運用については、時間外労働の実態を踏まえた、36 協定の締結や柔軟な労働時間制の活用について、よろず支援拠点等との連携を強化しつつ、「働き方改革推進支援センター」や労働基準監督署による相談支援の充実を速やかに実施するとともに、必要な体制整備については 2027 年度以降も着実に実施を図る必要がある。労働基準監督署において、重大・悪質な事案に対しては厳正に対応しつつ、労働時間や労働者の健康確保措置に関する労使の合意に則った指導が行われるよう速やかに見直す必要がある。

● さらに、運輸業における荷主対策、建設業における適正な工期の確保など、業種・業態の特性に応じた働き方改革推進の取組について、業所管官庁との連携を着実に進める必要がある。

夏以降の労政審に先送りではあるのですが、さりげなく変形労働時間制の見直しの話が顔を出していたり、労働基準監督署の「相談」とかソフト面の対応が出てきていたり、頭に留めておくべき事項がそれなりにありそうです。

ちなみに最後の項目の運輸業の荷主対策などといった話は、本日午後の労働政策フォーラムのテーマでもあります。

 

 

 

 

2026年5月28日 (木)

山下麻衣『「看護婦」の近代社会史』書評@『労働新聞』

81wewqv6xpl_sl1500_266x400 月イチの『労働新聞』書評。今回は山下麻衣『「看護婦」の近代社会史』(朝日選書)です。

https://www.rodo.co.jp/column/219552/

 4月から、NHKの朝の連続テレビ小説で『風、薫る』が放送されている。主人公の一ノ瀬りんと大家直美のモデルは大関和(おおぜきちか)と鈴木雅(すずきまさ)だ。
 ドラマにおける設定は歴史的事実とはかなりかけ離れているようだが、実在の2人は看護婦養成所を出て帝国大学医科大学附属医院に勤めた後、派出看護婦会を設立して、日本の看護婦の歴史を切り開いていった。本書はこの2人を中心に据えながら、明治初期から今日に至るまでの看護婦の歴史を描き出している。
 ただ筆者にとって、本書が描く派出看護婦会の誕生、発展、衰退、そして消滅と復活に至る有為転変の歴史は、人ごとは思えないところがある。というのも、派出看護婦会からすると資格のない女性たちによる商売敵に当たるのが、拙著『家政婦の歴史』で描きだした派出婦会であったからだ。
 大関和や鈴木雅に倣って続々と派出看護婦会が設立され、やがて大関の直訴によって東京府看護婦規則が制定され、遂に内務省令で看護婦規則が公布され、試験による免許制により質の悪い看護婦を排除することをめざした。しかし、派出看護婦に対する世間の目は冷たく、「社会の暗部」とまで見られていたという。資格のない見習看護婦を女中代わりに派出するという実態もあったようだ。そこで東京府は看護婦会取締規則を制定し、経営者に5年以上の看護婦経験を要求し、等級査定制度と見習看護婦の派出禁止が規定された。
 そういう中で、女中代わりの家事・介護労働力を臨時に派遣するニュービジネスとして派出婦会を立ち上げたのが、大和俊子(おおわとしこ)であった。彼女のビジネス・ヒストリーは拙著で詳しく書いたのでここでは省略するが、派出看護婦会の立場から見れば、これは自分たちが禁止しようとしている看護婦の資格なき付添婦の派出事業そのものであった。拙著では大和俊子は颯爽たる女性ヒーローだが、商売敵からは悪役(ヒール)に見えたであろう。
 本書はそこから戦後の職業安定法により派出看護婦会が解散に追い込まれ、その後看護婦家政婦紹介所として復活する姿を描いていくが、労働史の観点からすると若干注文をつけたいところがある。拙著で述べたように、戦前の派出婦会と派出看護婦会はいずれも1938年改正職業紹介法により労務供給事業と位置づけられ、それゆえに1947年職業安定法により労働者供給事業として禁止された。拙著で紹介した地方労働委員会でのいざこざも、派出看護婦会が中心であった。そして本書のいう「復活」も、本来のビジネスモデルたる労働者供給事業ではなく、派出先が使用者責任を負う職業紹介事業という「仮面」をかぶらざるを得なかったために、今日まで労働法上の問題を引きずっている。
 医療史の一部としての看護婦の歴史としては、労働法上の位置づけ如何というのは枝葉末節に属するのかもしれないが、筆者からすると、そこはもう少し緻密に論じてほしかったという思いが残る。

2026年5月27日 (水)

『中央公論』5月号掲載の裁量労働制論が、読売新聞の「思潮」で取り上げられました

148a35d9be0b71e08be32fc62ee9287_20260527090301 先月発売された『中央公論』5月号に寄稿した「日本型雇用システムと労働時間規制、40年の相克 「働きたい改革」の本丸、裁量労働制拡大は実現するか」が、読売新聞5月25日号の文化面の「思潮opinion」欄で、高久玲音一橋大学教授により「私の3編」の一つに挙げられていました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2026/04/post-9b1d4d.html

あとの二つは、吉川洋「日銀は『物価の番人たれ』」と佐藤主光「消費税減税よりも社会保障改革を」という堂々たるマクロ経済論で、この二つの間に労働時間問題を論じた拙稿が入るというのは、誠に嬉しい限りです。

裁量労働制か上限規制か、経団連と日商で異なる「緩和」策

管理職兼専門職兼事務職の日本型サラリーマン

管理職とスタッフ管理職

日本型サラリーマンは裁量的であり裁量的でない

ホワイトカラーエグゼンプションと高度プロフェッショナル制度

健康確保のための「上限規制付き裁量労働制」という選択肢

この最後のところでわたくしが提起している選択肢を、高久さんはこうとりあげてくださいました。

・・・一方、労働者ごとに仕事が明確に分かれていない日本では、裁量労働制が長時間労働に直結するという懸念があった。こうした議論の着地点として、筆者は健康確保のための上限規制付きの裁量労働制を提案している。・・・

 

 

 

 

 

 

 

2026年5月25日 (月)

外国人労働政策はなぜゆがんだのか 混迷の30年を検証@NikkeiBizGate

日経新聞系列のNikkeiBizGateというネットメディアに、わたくしのインタビュー記事が載っています。「外国人労働政策はなぜゆがんだのか 混迷の30年を検証」という、拙著『外国人労働政策』のごくごく端的な要約ですが、一気に読めるので、中身をやや誤解されている方にも有用ではないかと思います。

https://bizgate.nikkei.com/article/DGXZQOLM112SI011052026000000

人手不足が深刻化するなか、外国人材の受け入れは企業経営にとって大きな課題だ。これまで日本の外国人労働政策は、一貫した理念のもとで整えられてきたわけではなかった。霞が関の権限争い、日本型雇用の慣行が絡み合い、外国人を「労働者」として正面から受け入れる制度の導入は長く先送りされ、研修や技能実習という迂回的な仕組みが続いた。なぜ制度はゆがみ、いま何が変わろうとしているのか。労働政策研究の第一人者で『外国人労働政策』(中央公論新社)の著者である、労働政策研究・研修機構 労働政策研究所長の濱口桂一郎氏に聞いた。

 

 

 

2026年5月22日 (金)

労働政策フォーラム「物流における労働問題を考える─トラック業界の人手不足等を中心に─」

先日ご案内した労働政策フォーラム「物流における労働問題を考える─トラック業界の人手不足等を中心に─」のオンデマンド配信が、本日から始まりました。是非、リンク先からお申し込み下さい。

https://www.jil.go.jp/event/ro_forum/20260529/index.html

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日本の外国人労働政策――育成就労制度に焦点を当てて@『ジュリスト』2026年6月号(No.1624)

L20260529306 『ジュリスト』2026年6月号(No.1624)が「育成就労制度の展望」という特集を組んでおりまして、

https://www.yuhikaku.co.jp/jurist/detail/021769

【特集】育成就労制度の展望

◇〔座談会〕育成就労制度の導入と外国人労働法制の課題…山川隆一(司会)/指宿昭一/早川智津子/山脇康嗣……14

◇日本の外国人労働政策――育成就労制度に焦点を当てて…濱口桂一郎……38

◇育成就労制度とは何か?――労働移民政策としての視点からの評価…是川 夕……44

◇育成就労と労働法…斉藤善久……50

◇外国人と社会保障制度…島村暁代……56

その中で、わたくしも1本書いております。中身は、1月に出した『外国人労働政策』のうち、研修から技能実習、育成就労に至る流れのところを抜き出して要約したようなものですが、他のごちゃごちゃしたことがなしにすっと読めるので、頭の整理によいのではないかと思います。

Ⅰ はじめに

  日本の外国人労働政策は長らくフロントドア型ではなくサイドドア型であった。本音では人手不足を補うために外国人労働力を導入したいのに、建前上はそうではなく、労働者ではなく身分として在留を認める日系人が、入国後は労働者として自由に働けるという仕組みと、労働者ではなく学生のような立場である研修生として在留を認め、実際には労働者と同じ作業をさせるという仕組みが、1989年の出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」)改正で設けられた。前者はほぼそのまま維持されたが、後者は後述のような経緯で少しずつ労働者性を認め、労働者として在留を認める方向にシフトしてきた。本稿は主としてこの後者の流れを概観し、その中で2024年の入管法及び「外国人の技能実習の適正な実施及び技能実習生の保護に関する法律」(以下「技能実習法」)の改正(以下「2024年改正」)により導入された育成就労制度を位置づけたい。なお、本稿は大部分が拙著『外国人労働政策』の内容の要約であり、具体的な典拠等は全て同書を参照されたい。

Ⅱ 霞が関の権限争いと日本型雇用イデオロギーの影響

Ⅲ 非就労在留資格としての研修

Ⅳ 研修と技能実習の無原則的結合

Ⅴ 技能実習の確立

Ⅵ 特定技能の前段階としての育成就労へ

Ⅶ 残された諸問題

  最後に育成就労制度に限らず日本の外国人労働政策全般にわたる残された諸問題をいくつか指摘しておこう。

1 職種単位か業種単位か

2 労働者保護規定の散在

3 労働力需給調整システムの問題

 

 

障害者雇用率制度の見直し検討@『労基旬報』2026年5月25日号

『労基旬報』2026年5月25日号に「障害者雇用率制度の見直し検討」を寄稿しました。

去る2026年2月6日、厚労省に設置された「今後の障害者雇用推進制度の在り方に関する研究会」(学識者14名、座長:山川隆一)は報告書をとりまとめました。そこでは、障害者雇用の「質」の問題やいわゆる障害者雇用ビジネスの問題も取り上げられていますが、法令改正事項たる論点として挙げられているのは障害者雇用率制度の在り方についてです。一つ一つはやや小粒の論点に見えますが、いずれも障害者雇用率制度の本質に関わるような問題を孕んでおり、その問題のよってきたるゆえんをきちんとみておく必要があります。
 まず障害者雇用率制度の歴史をごく簡単に振り返っておくと、1960年7月の身体障害者雇用促進法により官民の事業所に身体障害者雇用率が設けられましたが、民間事業所は努力義務でした。これが法的義務(民間企業1.5%)になるとともに、雇用率未達成事業所に身体障害者雇用納付金(1人当たり月額3万円)の負担を課す制度になったのは、1976年5月の改正(同年10月施行)によってです。なおこの時、中小企業の負担能力にかんがみ、当分の間、300人以下企業からは納付金を徴収しないものとされました。また、身体障害者福祉法の身体障害者の範囲に合わせる形での身体障害者の範囲の変更が行われ、具体的には身体障害者手帳の交付を受けた者に限定されました。また、事業所単位から企業単位への変更、障害者の就業が一般に困難な業種について労働者数を控除する除外率制度、重度身体障害者を2人分にカウントする制度なども導入されました。なお、以下では民間部門のみをみていきます。
 1987年6月の改正(1988年4月施行)により、特例子会社制度を設けるとともに、精神薄弱者(後の知的障害者)について雇用義務は課さないが実雇用率の算定にカウントすることとし、法定雇用率は1.6%となりました。1997年4月の改正(1998年7月施行)により、知的障害者も雇用義務の対象とするとともに、法定雇用率は1.8%となりました。2002年4月の改正では精神障害者の定義規定を置き、特例子会社制度を企業グループに拡大し、除外率制度を本則で廃止するとともに附則の経過措置で段階的に縮小することとしました(2004年4月に一律10ポイント引下げ)。
 2005年6月の改正(2006年4月施行)により、精神障害者について雇用義務は課さないが実雇用率の算定にカウントすることとし、その場合短時間労働者は0.5人分にカウントすることとしました。法定雇用率はそのままです。また在宅就業する障害者に仕事発注する事業主に特例調整金を支給することとしました。2008年12月の改正では身体・知的障害者についても短時間労働者を0.5人分にカウントするとともに、納付金の支払義務を300人超企業から100人超企業に段階的に拡大しました(2010年7月に200人超企業、2015年4月に100人超企業)。また除外率を2010年7月に一律10ポイント引き下げました。なお2012年5月の政令改正で法定雇用率は2.0%となりました(2013年4月施行)。
 そして2013年6月の改正により、障害者差別の禁止と合理的配慮の規定が導入されるとともに、精神障害者にも雇用義務が課されることとなりました。ただし精神障害者の雇用義務の施行期日は2018年4月と5年先に設定されました。そして法定雇用率は2018年4月から2.2%、2021年3月から2.3%、2024年4月から2.5%と順次引上げられていき、2026年7月からは2.7%となる予定です。なお、雇用率の対象となる精神障害者は精神保健福祉法による精神障害者保健福祉手帳所持者に限られますが、障害者雇用促進法の対象としてはそれ以外の精神障害に加え、発達障害やその他の心身の機能の障害も明記されました。これらは同改正による差別禁止や合理的配慮の対象にはなるのですが、雇用義務がかからないだけでなく、雇用しても実雇用率にカウントされないのです。
 2019年6月の改正はいわゆる水増し報告問題を受けた公的部門の義務強化が主でしたが、週所定労働時間10~20時間未満の障害者を雇用する事業主への特例給付金やもにす認定制度が創設され、2022年12月の改正により週所定労働時間10~20時間未満の精神障害者、重度身体障害者、重度知的障害者について0.5人分にカウントする特例制度が設けられました。ただし、雇用義務はかからず、雇用率の算定式にも含まれません。2025年4月には除外率がさらに10ポイント引き下げられました。
 
 以上のような経緯で展開してきた障害者雇用率制度ですが、今回の研究会報告では6項目もの論点を挙げて論じています。今回はそのうち、現在の雇用率制度が1976年改正以来身体・知的・精神と対象を広げつつ手帳所持者のみを対象としてきたことに関わる問題を取り上げます。これには二つあり、一つはこれらの類型に属しながら手帳を所持していない障害者をどうするかであり、もう一つはこれらの類型に属しない「その他の心身の機能の障害」をどうするかです。上述のように、これら雇用率の対象外の障害者も職業リハビリテーションや差別禁止、合理的配慮の対象にはなります。
 まず後者、すなわち難病による心身の機能の障害についてですが、雇用率の対象となる身体障害者手帳は、身体障害者福祉法別表に掲げる身体上の障害があるものに交付され、そこには①視覚障害、②聴覚又は平衡機能の障害、③音声機能、言語機能又は咀嚼機能の障害、④肢体不自由、⑤心臓、腎臓又は呼吸器の機能の障害、⑥膀胱又は直腸の機能の障害、⑦小腸の機能の障害、⑧ヒト免疫不全ウイルスによる免疫の機能の障害、⑨肝臓の機能の障害は含まれますが、それ以外の様々な難病は含まれません。研究会に出された資料には、全身性エリテマトーデス、バージャー症、皮膚筋炎、重症筋無力症、多発性硬化症、慢性炎症性脱髄性多発神経炎、もやもや病、特発性拡張型心筋症、自己免疫性肝炎、強皮症、神経線維腫症、チャージ症候群といった難病が列挙されています。
 これらについて、これまでの検討経緯をざっとみておきますと、2012年8月の障害者雇用促進制度における障害者の範囲等の在り方に関する研究会報告書は「対象範囲が明確でなく、公正・一律性が担保されていないことから、職業生活上の困難さを把握・判断するための研究を行っていくことが重要」と述べ、2013年3月の労政審障害者雇用分科会意見書も同様でした。2021年6月の障害者雇用・福祉施策の連携強化に関する検討会報告書は「障害者福祉サービスについては必ずしも手帳所持が利用要件となっていないことや、生活困窮者等『働きづらさがある方』への支援ニーズも高まる中で、その対象範囲を改めて検討する必要があるのではないかという指摘があった」と述べましたが、2022年6月の労政審障害者雇用分科会意見書は「難病患者については、疲れやすさ、倦怠感など全身的な体調の崩れやすさといった一定の共通する点もある一方で、その症状の有無や程度は、疾病により個別性が高く、さらには治療の状況により個人差も大きい。他方で、適切なマッチング、雇用管理等により、活躍できる例もみられ」、「現状において、手帳を所持していない・・・難病患者について、雇用率制度における対象障害者の範囲に含めることを直ちに行うのではなく、手帳を所持していない者に係る就労の困難性の判断の在り方に関わる調査・研究等を進め、それらの結果等も参考に、引き続きその取扱を検討することが適当」と先送りしていました。
 今回の研究会において、厚生労働省事務局は「手帳が得られていない難病患者については、本人からの申請により、医師の意見書等も勘案しながら、個別の就労困難性(職業生活への「制限」の程度)を判定し、一定水準にある場合、まずは、実雇用率において一定の算定を可能とする。その上で、施行状況を注意深く見ながらさらに雇用義務の在り方を検討していく」という考え方を提示し、個別判定の方法としては、
案1:難病に罹患していることが分かる診断書+就労困難性のアセスメント
案2:難病の医療費助成の重症度判定+就労困難性のアセスメント
案3:難病の医療費助成の重症度判定+就労困難性のアセスメント+国が設置する審査委員会による合議
を提示していました。
 これに対して研究会の委員からは、「今回は方向性を示して具体的な制度設計に入る時期に来ているという認識の下、この方向性で検討を深めるべき」という意見や、「現時点においては具体的な判定基準等の仕組みが明らかでなく、実雇用率の算定の対象者についても、試算によって開きがあるため、個別判定制度を設けることの是非の判断はできず、引き続き慎重な検討が必要」という意見もあり、結論としては「就労困難性の個別判定のための判定基準等の仕組みについて、更なる調査研究等も併せて進めながら、手帳を所持していない難病患者の個別判定制度の創設及び実雇用率算定の妥当性について、引き続き丁寧に議論を進めていくことが必要」と述べています。次項の手帳を所持していない精神・発達障害者については極めて否定的な結論であるのに対して、こちらはかなり意欲をにじませたものにはなっていますが、「引き続き丁寧に議論」とやや先送り的な記述に落ち着いています。この「引き続き丁寧に議論」の意味ですが、今後労政審障害者雇用分科会で審議されることになるのかその先の議論ということなのか、現段階ではなんともいえません。
 もう一つの手帳を所持していない障害者の問題として、手帳を所持していない精神・発達障害者の問題があります。これについて2018年7月の今後の障害者雇用促進制度の在り方に関する研究会報告書は「障害者雇用率制度の対象となる精神障害者等の範囲について、精神通院医療の自立支援医療受給者証の交付者を対象としてはどうかというもの等、様々な意見が出されたほか、障害者雇用率制度の対象となる身体障害者の範囲について、障害者手帳ではなく就労能力の判定等によることとしてはどうかという意見が出されたところ、制度の公平性等を担保するため、まずは、フランス等の諸外国における就労能力の判定の仕組み等を十分に精査した上で議論することとすべきである」と述べています。また上記2022年6月の労政審障害者雇用分科会意見書は「手帳を所持しない精神障害者について、当分科会では、就労促進等の観点から自立支援医療受給者証の所持者等は雇用率制度の対象にすべきという意見がある一方で、自立支援医療受給者証はその目的が医療費の自己負担額を軽減することであり手帳と同一に取り扱うべきではない、自立支援医療受給者証の提出を事業主に提出することに抵抗を感じる障害者もいるのではないかという意見があった。また、自立支援医療受給者証所持者のうち「重度かつ継続」を雇用率の対象にしてはどうかという意見や、個別の就労困難性を判断することが重要という意見等、様々な意見があった。発達障害者については、比較的早期に診断を受け、手帳を取得する割合も高く、就職に当たっても可能な限り手帳の取得を促す支援が重要という意見があった」と述べた上で、「現状において、手帳を所持していない発達障害者・・・について、個人の状況を踏まえることなく、一律に就労困難性があると認めることは難し」く、「手帳を所持していない精神障害者、発達障害者・・・について、雇用率制度における対象障害者の範囲に含めることをただちに行うのではなく、手帳を所持していない者に係る就労の困難性の判断の在り方にかかわる調査・研究等を進め、それらの結果等も参考に、引き続きその取扱いを検討することが適当である」と先送りしていました。なお、ここで出てきた自立支援医療受給者証とは、心身の障害を除去・軽減するための医療について、医療費の自己負担額を軽減するための制度です。
 今回の研究会において、厚生労働省事務局は「精神障害者保健福祉手帳における対象範囲の網羅性や、判定内容(日常生活等における制限の状態を認める)に加え、・・・手帳を所持しない者を別途の基準を用いて雇用率制度の対象とする必要性・合理性は高いとは言えず、雇用率の対象を精神障害者保健福祉手帳の所持者とする現行の仕組みを維持する」という明確に否定的な結論を提示し、「この方向性で概ね意見の一致があった」と書かれているので、先送りではなくここで論点としては終了したものと考えてよいでしょう。
 ただし、精神障害者保健福祉手帳は有効期間が2年とされているため、手帳の更新ができなかった場合における雇用率の扱いをどうするかという問題があります。この点について、厚生労働省事務局は「精神障害者保健福祉手帳の更新が得られなかった場合については、当該労働者が企業に引き続き雇用されており、かつ、今後も雇用される見込みである(障害者雇用率の算定外となったことを理由とした契約の不更新等は行わない)と判断できる場合においては、一定期間(例えば、新規採用に向けた業務切出しや採用プロセスに要する期間を勘案した1年間程度)、雇用率制度及び障害者雇用納付金制度上の取扱を検討する」との考え方を提示し、「一定の場合、一定期間は引き続き対象障害者として取り扱う等制度上の取扱を検討する方向で概ね意見の一致があった」と書かれています。もっとも「一定期間」についてはなお議論を進めるとされています。
 以上のように、障害者雇用率をめぐる諸論点のうち、手帳を所持していない難病患者についてはかなり肯定的なニュアンスのにじんだ先送り、手帳を所持していない精神・発達障害者についてはかなり明確な否定論と方向性が分かれました。今後、労政審障害者雇用分科会でどのような審議が進められることになるのか、注目していく必要があります。
(今回取り上げられなかった雇用率制度に関わる他の論点については、次回以降に取り上げる予定です)

 

2026年5月21日 (木)

極右政党を無害化するたった一つの冴えたやり方@Hanadaプラス

ここ数日の話題をさらった東大五月祭の参政党講演会への爆破予告をめぐる話それ自体は、我らが常見陽平同志に委ねてわざわざ論じるつもりはないのですが、日本における参政党問題に相当するであろうドイツのAfD問題についての本を紹介する書評のタイトルが「極右政党を無害化するたった一つの冴えたやり方」という余りにもドンピシャでありました。

つうか、このタイトルの書評が載っているサイトがHanadaプラスというまさに極右系メディアであることを考えると、この梶原麻衣子さんの書評が自己言及的でありながら余りにも冷静沈着であることがじわじわくるのですが。

https://hanada-plus.jp/articles/1879

東大「五月祭」での参政党・神谷宗幣代表の講演が中止となり、その対応を巡って大学内外で議論が巻き起こっている。

特にSNSを中心に展開されている東大関係者(OB含む)たちの議論は、結論は違ってもさすがと思わされる論理展開のものもある一方、「いくら相手が参政党だからってここまで言うか」と思わされるようなものもあり、それゆえに「参政党をいかに扱うべきか」の難しさを感じさせる状況となっている。

参政党を巡って、大きく見ればリベラル層内、特にエリート層内で侃々諤々の議論が展開されているのは興味深くはあるのだが、問題はそれがやり方によっては参政党支持を後押しするものになりかねない点だろう。

実際に、そうした「予期せぬサイクル」が回っているらしいのがドイツである。

ドイツと言えば日本にとっては「戦前の行いを反省し」「ヘイトスピーチは違法」であり「ナチスの反省から右派には厳しい」はずのお国柄だが、この10年あまりは「極右政党」とも評される政党AfD(ドイツのための選択肢)が躍進を続けている。2025年の連邦議会選挙では、20%の得票を得て第二党となった。

もちろん日本とドイツ、あるいは参政党とAfDはあらゆる点において違うため、比較の際には気を付ける必要がある。だが、なぜAfDはここまで躍進することができ、それを続けているのかは、今後の参政党の行方を占ううえでも、またメディアや世論が対処する際にも一つの参考になるだろう。

そこで参考になるのがユストゥス・ベンダー著、田中辰明訳『なぜAfDは支持されるのか――右派ポピュリズム政党躍進の秘密』(同時代社)だ。

本書は2017年に書かれたものだが、2025年のAfDの躍進を機に再び話題になり、新版として最新状況が書き加えられたものだ。ドイツのある論客に言わせれば、「AfDの現状を言い当て、今後の暗い未来を予測している」一冊だという。

著者はFAZというドイツの高級紙の特派員で、本書は最終的には「2026年にAfDの首相が生まれる」可能性を指摘している。だが本書のキモはそのおどろきの予測ではなく、AfDを取材し、その「躍進」の本質を見極めている点にある。 ・・・

 

 

 

2026年5月20日 (水)

政策研究フォーラム講演の案内

政策研究フォーラムの2026年度・第2回「政研・政策懇談会」として、外国人労働政策について講演をします。案内が出たので、こちらでもご案内。

2026年度・第2回「政研・政策懇談会」

日 時 2026年6月26日(金) 9:30~10:30

場 所 友愛会館9階

講 師 濱口 桂一郎 氏 ((独)労働政策研究・研修機構労働政策研究所長)

テーマ 「外国人政策と日本的雇用慣行」

 

2026年5月17日 (日)

『日本労働法学会誌139号  労働者の健康とウェルビーイング』

Isbn9784589044921 『日本労働法学会誌139号  労働者の健康とウェルビーイング』(法律文化社)が届きました。

https://www.hou-bun.com/cgi-bin/search/detail.cgi?c=ISBN978-4-589-04492-1

昨年11月に、明治大学の中野キャンパスで開催された第142回日本労働法学会の大シンポと個別報告、ワークショップを収録したものです。

https://www.rougaku.jp/contents-taikai/142taikai.html

大シンポは、女性陣による

  1. 大シンポジウム報告統一テーマ:労働者の健康とウェルビーイング~女性の特性に着目して
  2. 会場:5階ホール
  3. 司会:浅倉 むつ子(早稲田大学名誉教授)、橋本 陽子(学習院大学)
    報告:

    1. 所 浩代(福岡大学)「女性の健康上の特性と労働法制~近年の国際動向を踏まえて」
    2.    渋田 美羽(弘前大学)「月経サイクルと労働法~諸外国での新たな動きを参考に」
    3. 志水 深雪(明治大学)「女性の体調変化と雇用平等~更年期をめぐるイギリス法の動向を手がかりとして」
    4. 阿部 理香(九州国際大学)「リプロダクティブ・ヘルスに係る法政策~妊娠プロセスの包括支援とフランスの動向」
    5. 岡本 舞子(北九州市立大学)「女性の体調に関わる情報の共有と自己決定~ドイツ法を手がかりに」
    6. 早川 智津子(佐賀大学)「労働者のウェルビーイング向上と法的規律のあり方~女性の体調変化の観点から」

個別報告は

会場: 5階ホール

  • テーマ:「労働者に対するデジタル技術を活用した監視に関する規制の構築」
    報告者:劉子安(神戸大学)

会場: 311教室(3階)

  • テーマ:「年次有給休暇の付与をめぐる解釈論的検討―法解釈の現状と働き方の多様化による新たな課題―」
    報告者:平木 健太郎(沖縄大学)
会場: 304教室(3階)
  • テーマ:「フランスにおける職業訓練制度の再構築―職業訓練個人口座制度に見る個人主導の制度化と普遍性の追求―」報告者:岩堀 佳菜(労働政策研究・研修機構)

ワークショップは、

  1. ワークショップ 第1部
    会場: 5階ホール
    • テーマ:「間接差別規制と構造的不利益」
      司 会:黒岩 容子(弁護士)
      報告者:石田 信平(専修大学)、長谷川 聡(専修大学)
    会場: 311教室(3階)
    • テーマ:「障害者雇用率制度の法的課題」
      司 会:柳澤 武(名城大学)
      報告者:長谷川 珠子(岡山大学)、植木 淳(名城大学/非会員)
    • コメンテーター:池田 悠(北海道大学)
    会場: 304教室(3階)
    • テーマ:「芸能従事者に対する法的保護のあり方」
      司 会:鎌田 耕一(東洋大学)
      報告者:森崎 めぐみ(一般社団法人日本芸能従事者協会)、佐々木 達也(名古屋学院大学)、水島 郁子(大阪大学)

  2. ワークショップ 第2部
    会場: 5階ホール
    • テーマ:「シフト制労働をめぐる実態と法理」
      司 会:山本 陽大(労働政策研究・研修機構)
      報告者:山本 陽大(労働政策研究・研修機構)、篠原 信貴(駒澤大学)、渡邊 木綿子(労働政策研究・研修機構/非会員)、
    会場: 311教室(3階)
    • テーマ:「人権デューディリジェンス立法の比較法的考察~労働法の観点から~」
      司 会・企画趣旨:井川 志郎(中央大学)
      報告者:井川 志郎(中央大学)、崔碩桓(ソウル大学校/非会員)、西畑 佳奈(岩手大学)
    会場: 304教室(3階)
    • テーマ:「派遣労働者に対する直接雇用申込みみなし制度(労働者派遣法40条の6)をめぐる諸問題」司 会:沼田 雅之(法政大学)報告者:小鍛冶 広道(弁護士)、塩見 卓也(大阪公立大学・弁護士)

なお、ワークショップのシフト制では、JILPTでシフト制の調査を担当した渡邊木綿子さんがその調査結果を報告しておりますが、本書では2ページだけになっていますので、元の調査結果はこちらで読めます。

https://www.jil.go.jp/institute/research/2023/documents/0227.pdf

 

2026年5月15日 (金)

田村伸子編『ジェンダー法と要件事実』

09697 田村伸子編『ジェンダー法と要件事実』(日本評論社)をお送りいただきました。

https://www.nippyo.co.jp/shop/book/9697.html

裁判実務で磨かれているジェンダー法の領域に、要件事実論がいかに寄与しているのか。「ジェンダー法と要件事実」の現在を探る。

本書は、昨年送っていただいた『労働法と要件事実』と同様、創価大学法科大学院要件事実教育研究所が昨年11月に開いた「ジェンダー法と要件事実講演会」の講演、コメント、質疑応答を収録したものです。

はしがき
ジェンダー法と要件事実・講演会 議事録
[講演1]池田弘乃
ジェンダー法と基本的権利
1 性と法
2 3つの訴訟の検討
3 少数者と権利
[講演2]寺原真希子
ジェンダー関連訴訟において主張立証活動を行ってきた立場から
第1 はじめに
第2 選択的夫婦別姓訴訟の概要
第3 「結婚の自由をすべての人に」訴訟(同性婚訴訟)の概要
第4 実際の主な主張立証活動
第5 立法目的の認定方法について
第6 立法事実の評価要素としての国民の意識/社会的承認について
第7 不利益性の重大性の認定・評価手法について
第8 司法の立ち位置について
[講演3]松田和樹
平等・性別・家族
──自由への制約や、異なる取り扱いへの正当化可能性をめぐって
今日の話の流れ
理論枠組みとしての平等主義的リベラリズム
性別割り当ての行方
婚姻・家族の行方
[コメント1]三浦徹也
[コメント2]吉良貴之
[質疑応答]
[閉会の挨拶]
要件事実論・事実認定論関連文献
要件事実論・事実認定論関連文献2025年版……永井洋士・山崎敏彦
Ⅰ 要件事実論
Ⅱ 事実認定論 

ここで大きく取り上げられている判例は、性同一性障害特例法違憲決定、「結婚の自由をすべての人に」訴訟、「セックスワークにも給付金を」訴訟です。

このうち最後のものについては、本ブログで何回もケチをつけてきたことはご存知の通りです。ただ、それは行政法上の「許可」と「届出」についての警察庁や裁判所の理解が全くひっくり返っているぞという話なので、ジェンダー法的観点からのものではなかったのですが。

許可制は健全で届出制は不健全?

・・・性風俗業がいかなるものであるかについてはここでは論じませんし、持続化給付金の対象にすべきかどうかもとりあえずここでの論点ではありません。

しかし、「本質的に不健全」であるがゆえに許可制ではなく届出制とするのだ、というこの政府が裁判所で論じたてているらしい論理というのは、どう考えてもひっくり返っているように思われます。

そもそも、行政法の教科書を引っ張り出すまでもなく、許可制というのは、一般的禁止を特定の相手方に対して解除するという行政行為です。なぜ一般的に禁止しているかといえば、それはほっとくと問題が発生する恐れがあるからであり、何か問題が起きたら許可の取り消しという形で対処するためなのではないでしょうか。

それに対して、届出制というのは一般的には禁止していないこと、つまりほっといても(許可制の事業に比べて)それほど問題は発生しないであろう事業について、でもやっぱり気になるから、念のために届出させて、何かあったら(届出受理の取り消しなとということは本来的にありえないけれども)これなりにちゃんと対応するようにしておこうという仕組みのはずです。

そして、労働法政策においても、たとえば有料職業紹介事業は許可制ですが、学校や公益法人等の無料職業紹介事業は届出制ですし、派遣も今は許可制に統一されましたが、かつては登録型派遣は許可制で、常用型派遣は届出制でした。これらはどう考えても、前者の方が問題を起こしやすく、いざというときに許可の取り消しができるように、後者はあんまり問題がないだろうから、届出でええやろ、という制度設計であったはずです。

それが常識だと思い込んでいたもんですから、このデリバリーヘルス運営会社の起こした持続化給付金訴訟において、政府が上述のような全くひっくり返った議論を展開しているらしいということを知って、正直仰天しています。

性風俗営業とコロナ給付金

・・・うわぁ、東京地裁の裁判官は、警察庁の言う「このような営業について、公の機関がその営業を営むことを禁止の解除という形での許可という形で公認することは不適当であると考えて、届出制にし・・・」云々というわけのわからない理屈を全くそっくりそのまま認めてしまっているよ。

この裁判官は、法学部で行政法の総論をきちんと勉強したことがあるのかな。そもそもここにあるように、許可制というのは「一般的禁止の解除」なんだが、性風俗でないダンスホールやパチンコ屋のような風俗営業はそんなに悪いものじゃないから一般的に禁止して簡単に許さないけれども、ソープやヘルスのような性風俗産業はそもそもけしからんものだから一般的に禁止しないで誰でも認めるという大前提に立つことになるんだが、日本国の全分野で整合的であるべき法理論としてそれでいいのかな。

許可制は健全で届出制は不健全?(再掲)

・・・大学の法学部で一通り行政法を勉強したはずの霞が関の役人だけではなく、日本国の法律のエキスパート中のエキスパートであるはずの最高裁判所の裁判官たちが揃いも揃って、

そして、本件特殊営業については、風営法において種々の規制がされているところ(第4章第1節第2款)、これは、本件特殊営業が上記の特徴を有することに鑑み、このような規制をしなければ、善良の風俗や清浄な風俗環境を保持し、少年の健全な育成に障害を及ぼす行為を防止することができないと考えられたからにほかならない(同法1条参照)。また、風営法が本件特殊営業を届出制の対象としているのは(31条の2)、本件特殊営業については、その健全化を観念することができず、風俗営業(同法2条1項)に対するものと同様の許可制をとること、すなわち、一定の水準を要求して健全化を図ることを前提とした規律の下に置くことは適当でないと考えられたことによるものと解される。

などという訳の分からない屁理屈を並べて満足しているように見えるさまは、些か唖然とせざるをえません。

類似の事業を営む者に対して、一方には許可制をとり、他方には届出制をとるという立法政策を説明するにあたって、行政法には統一的な基準というものはかけらも存在せず、そのときそのときに勝手にやっているのだ、それでいいのだ、と嘯くならともかく、日本国の行政について一般的に通用する許可制と届出制についての共通判断基準というのがあるのであれば、それはここで最高裁が堂々と謳い上げたこの基準ということになるはずですが、それでいいのですかね。

そうすると、最高裁の法理からすると、有料職業紹介事業は「一定の水準を要求して健全化を図ることを前提とした規律の下に置く」ために許可制にしているけれども、学校や公益法人等の無料職業紹介事業は「その健全化を観念することができ」ないから届出制にしているんですかね。思わず、「なるほど!」と言ってしまいそうですが。

 

2026年5月14日 (木)

山崎憲『ジョブ型の真実とAIと協働』

9784883726394_600 山崎憲『ジョブ型の真実とAIと協働』(日本生産性本部)をお送りいただきました。

いま、日本では「ジョブ型」か「メンバーシップ型」か、という問いが繰り返し語られている。政府や経済界は、低成長などといった問題への処方箋として「ジョブ型」を掲げ、これまでの日本型雇用慣行の見直しを求めてきた。

しかし、そもそも「ジョブ型」とは何か。「メンバーシップ型」とは何のために成立し、どのような役割を果たしてきたのか。そして、AIやデジタル技術の進展は、この論争の意味そのものを、どう変えようとしているのか。

本書は、こうした問いを歴史・政策・現場の実態に即して、考え直すためのものである。

そもそも、「ジョブ型」という言葉は、私が日本の雇用システムを表わす言葉として創出した「メンバーシップ型」の対義語として、ほかにいい言葉もないので欧米のブルーカラーやクラーク層の有り様を主として想定してでっち上げた言葉なので、もともと高度成長期に完成した日本型雇用なんかよりも遥かに古くさくて硬直的なものであることは、言い出した本人が最初から強調していたはずなんですが、なぜかそれがこれから世界中が目指すべき世界最先端の超モダンな働き方であるかのような訳のわからないインチキコンサル連の商売トークが世間に広まってしまい、ある程度もののわかった人から見れば、何を訳のわからんこと言うてるねん、という状況になっていたわけで、それをふざけるな!と叱りつけたくなる気持ちはわからないわけではありません。

とはいえ、世のジョブ型論者がみんながみんなそういう新商品売りつけ業者なのかといえばそうでもなく、とりわけ今から10年以上も前頃に、鶴光太郎さん辺りが音頭を取っていたジョブ型正社員論なんてのは、まさに柔軟で競争力が高いスバラ式日本型雇用といわれていたもののマイナス面を埋め合わせるために、膏薬を貼るようにジョブ型を導入しては如何かといっていたわけで、そんな生ぬるいことを言うてるから日本は負けたんや!80年代の世界を制覇していた日本経済の秘薬たる日本型雇用を捨てたから日本はダメになったんや!と今でも思っている80年代の日本企業のおじさんはけっこういそうですが、でも90年代以降の動向は、誰かさんが思い込んでいるように欧米の悪辣な陰謀によってせっかくの日本型雇用が壊されたというわけではなく、80年代に完成した当時は世界最先端を誇っていた日本型システムが、女性、若者、中高年等等様々な社会領域で矛盾をはらみ、社会的持続可能性が乏しくなっていたから起った一種の社会的化学反応なのであって、それをけしからん云々と愚痴をこぼしてみても仕方がないし、それが維持できたとも思えないですね。

山崎さん自身が、アメリカのジョブ型を、ジョブコントロールユニオニズムという組合主導の硬直的な仕組みに加えて、男女平等等の労働人権法制の展開によってヘイ社などによって精緻化されてきたものだと歴史的展開を詳しく説明していて、その辺は遠藤公嗣さん辺りが最近も熱心に追求していますが、それも世の流れというものであって、同一労働同一賃金なんてアホなことばかりいうから日本が没落したんや!と内心思っているご老人はなおけっこういるかも知れませんが、とはいえそれが維持可能であったとも思えません。

一方、まさに新商品を売りつけてなんぼのインチキコンサル連にとっては、この「ジョブ型」ってのは、商売ネタが払底していたところに向こうから飛び込んできてくれた実に有り難いおいしいネタであったらしく、本屋さんの人事関係の棚に行くと、「ジョブ型」がどうたらこうたらという本が所狭しと並んでいるし、そういうセミナーもけっこう盛況なようです。

もともとブルーカラーやクラーク層の硬直的な雇用システムであるはずの「ジョブ型」が、なぜか世界最先端の柔軟な働き方に変身して、硬直的な日本型サラリーマンを叱りつけるという、攻守所を変えた訳のわからんおとぎ話にされてしまうのを見たら、山崎さんみたいにアメリカの労働のことをよく知っている人であればあるほど腹が立ち、「この莫迦者どもめが!」と切り捨てたくなるのはよくわかるところではありますが、とはいえ、そういうインチキ話に乗ってでも、40年前には世界で一番素晴らしいと脳天気にも自慢していた日本型サラリーマンにビンタを食らわせたくなる企業サイドの気持ちも、わからないではないのですね。

というのも、本書にもちらりとは出てきますが、日本ではよく言われるブルーカラーがホワイトカラー化しているとか、クラークがマネージャー化しているというのは、そこだけみれば欧米よりも競争力が高くて素晴らしいという話になりそうで、実際70年代や80年代にはそういう日本礼賛論が世に満ち溢れていたわけですが、でも両者が似通ってくるということは、裏を返せば、ホワイトカラーがブルーカラー化しているということであり、マネージャーがクラーク化しているということでもあるわけで、90年代以降は企業人事サイドからすれば、「てめえらはホワイトカラーなんだぞ!ブルーカラーみたいに時間なんぼで働いてるんじゃねんだぞ!」とか「ヒラ並のこともできないくせに偉そうに管理職づらしてんじゃねえ!」という鬱屈した思いが蓄積してきていて、それがその時々にいろんな形で噴出してきたというのがこの30年の歴史であったわけで、それの最新版が、言葉の選択がねじれにねじれきった「ジョブ型」であったとすれば、そう批判ばかりする気にもなれないというのが正直なところではあります。

実際、本書を読むと、『ジョブ型人事指針』に出てくる政府ご推薦の「ジョブ型」企業実例に対して、山崎さんは必ずしも非難の矛先をぶつけているわけでもなく、むしろ大変シンパシーを感じさせる記述が続いていたりするので、その辺の事情はわかっておられるのだろうとは思います。

一方、こっちの「一方」は、本書の構成上の「一方」ですが、本書の後半はむしろ本当に新しい話、AIによって旧来のジョブが分解してタスクになっていくみたいな話が書かれています。これも、日本ではインチキコンサルの驥尾に付してジョブ型商売人になっているマーサー社が、本国のアメリカでは「ジョブなんか古いぞ!」という新商品商売に熱心なことを考えれば、当然書かれるべきことではあるんですが、前半における議論と後半の議論とのつながりが、恐らく著者の頭の中では密接につながっているはずだと思うのですが、私のおぼつかない読解力ではきちんと追いかけることができませんでした。個々の情報は大変有用で、有り難いのですが、本書全体で何を言おうとされているのかが、理解力の乏しい読者にまで伝わるように親切に書かれていると、有り難かったと思います。

というわけで、「ジョブ型」に冷水をぶっかける本が出るのは大変いいことなので、是非多くの方に読まれるといいと思います。

とりわけ、本書の版元である日本生産性本部は、自らジョブ型人事制度に関する研修・セミナーを開催したりもしているので、

https://www.jpc-net.jp/seminar/detail/006663.html

是非そういう場で本書を宣伝されるとよろしいのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

2026年5月12日 (火)

「スキル」と「デキル」@WEB労政時報

WEB労政時報に「「スキル」と「デキル」」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers/web_limited_edition

近年、日本政府は「リ・スキリング」を大々的に唱道しています。このリ・スキリングという言葉は岸田文雄政権下の2023年5月に「三位一体の労働市場改革の指針」で使われて以来、政府の政策文書におけるバズワードになっていますが、・・・・・・

 

2026年5月 8日 (金)

岸健二編『業界と職種がわかる本 ’28年版』

12423_1776134363 例によって毎年恒例の岸健二編『業界と職種がわかる本 ’28年版』(成美堂出版)をお送りいただきました。2005年版から始まって、今回で24年目、第24版となったそうです。

https://www.seibidoshuppan.co.jp/product/9784415241456

これから就職活動をする学生のために、複雑な業界や職種を11業種・8職種にまとめ、業界の現状、仕事内容など詳しい情報を掲載し、具体的にどのような就職活動が効果的かを紹介。
実際の就職活動に役立つ就職活動シミュレーションや、最新の採用動向をデータとともに掲載。
自分に合った業界・職種を見つけ、就職活動に臨む準備ができる。

四半世紀近く学生の就職活動のために本書を出してこられた岸健二さんについて、もう7年前になりますが、こんなエントリを書いたことがあります。2019年といえば東京オリンピックが翌年に予定され(1年延期になりましたが)、その前祝い的にNHKの大河ドラマで『いだてん』が放送されていた頃で、来年入社を目指す若い人にとってはまだ中学生だった頃になるでしょうが、こんなエピソードがあったのです。

岸清一の孫が岸健二さん

Kishikenji いやびっくりしました。「いだてん」の番組の最後に、いきなり岸健二さんが映ったのです。

え?それ誰?と思った方。本ブログで何回か登場していますよ。日本人材紹介事業協会の元事務局長で、いまは相談室長をされています。本ブログでは、だいたいは「労働あ・ら・かると」のエッセイの紹介ですが。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-4cf7.html (岸健二さん@『日本の雇用終了』)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-a461.html (成功した起業家が陥る‘ブラック企業’への道)

また、毎年『業界と職種がわかる本』の各年版をお送りいただいています。ありがとうございます。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2019/05/post-d3a96a.html

300pxkishi_seiichi で、その岸健二さんが画面に登場したのは、大河ドラマ「いだてん」で、戦前の東京オリンピック招致に向けて活動していたIOC委員の岸清一がちょうど亡くなって、これからどうするというところで回が終わって、登場人物の紹介に移ったところでした。その岸清一の孫として、岸健二さんの顔が大写しになったのです。

なるほど、さすがに祖父と孫だけあって、何か通じるものがありますね。

 

 

 

 

大学は学術研究機関か職業教育機関か?

なんだか世間(ネット界)ではまたもFラン大学がどうのこうのという百万回聞き飽きた議論が流行っているようですが、なんで日本ではこの手の議論が繰り返されるのかという本質に分け入った議論はほとんど見かけないようです。

世界情勢に通じた人なら知っていることですが、世界共通に世代とともに学歴水準はどんどん上がってきていて、高校卒業後の中等後教育に進学する人の割合で見れば日本は決して高いわけではありません。

なのに何で、という話になるのですが、それにはちゃんと訳があります。

大学をはじめとした中等後教育がどんどん拡大していくのは世界共通ですが、それは主としてそれまでより低い学歴水準の者が就いていた職業の技能の高度化に伴って、より高度な職業技能教育を施す中等後教育が拡大してきたからというのが大きいのです。

実は、日本でもこの間着実に拡大してきた専門学校(高校卒業後に進学する専修学校)はまさにこれに対応しています。

ところが日本では、この間それ以上に「大学」が膨れ上がってきたのです。問題はこの「大学」です。

大学とは何でしょうか?

世界的に見れば、数多くの大学の大部分は高等職業教育訓練機関です。そういうものとして存在し、そういうものとして学生が進学し、そういうものとして卒業生がそれぞれの職場に就職していきます。

日本でも、実態というか、本音では大学は就職のために進学する機関です。だって、大学卒業後に大学院に進学する「進学組」よりも企業等に就職する「就職組」の方が圧倒的に多いのですから、いい大学というのは、本音ではいい会社に就職できる大学のことです。これは、世界的に見れば何らおかしなことではなく、むしろ極めて自然な事態です。

ところが、なぜか建前上はそうなっていないのです。日本では大学というのは、実態としてはもはや同世代人口の過半数が進学する就職組のための機関でありながら、建前上は学術研究のための神聖なるアカデミズムの機関であるということになっているのです。そんなものは世界中どこの国でもごく僅かです。いや日本でも実態からいえば大学の中の一部に過ぎないでしょう。

でも、戦後すぐの1947年に制定された学校教育法では、大学を「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする」(第83条)と定義しており、そこには職業という文字はでてきません。

戦後新制大学は、戦前の旧制大学、旧制高校、専門学校、師範学校をまとめて一本化したものであり、職業教育機関としての性格を有していることは明らかであったにもかかわらず、法文上からはそれが失われてしまいました。初発の段階から、現実に存在する職業教育機関としての側面を無視してあたかも純粋アカデミックな機関であるかのような幻想とともに出発したのです。

なぜそうなったのかについては、いろいろと研究もあり、別途書きたいと思いますが、これに対しては戦後はやい時期から見直しの声が繰り返されてきました。

たとえば、占領終了直後の政令諮問委員会の答申では、普通大学を学問研究を主とするものと高度の専門的職業教育を主とするものと教員養成を主とするものに分けるべきとしていました。

とりわけ高度成長期には、1963年の中教審答申「大学教育の改善について」において、高等教育機関には、(ア)高度な学問研究と研究者の養成を主とするもの、(イ)上級の職業人の養成を主とするもの、(ウ)職業人の養成および実際生活に必要な高等教育を主とするもの、の3つがあるとし、とりわけ学部レベルではこれら多様な使命を同じ目的・性格の大学学部で行っており、一律の規制を受けているため、十分にその使命を果たせていないと批判して、高等教育機関を次の5種類に分けるべきと提唱しました。

①大学院大学:高等の学術研究を行なうとともに、高い専門職業教育を行なうもの

②大学:主として高い専門職業教育を行なうもの

③短期大学:専門職業教育を行なうものまたは実際生活に必要な知識、技能を与えもしくは教養教育を行なうもの

④高等専門学校:義務教育修了者に対して専門職業教育を行なうもの

⑤芸術大学:音楽、美術等に関する専門家の養成を行なうもの

この類型論で注目すべきは、普通の大学を端的に職業教育機関と定義しようとしていた点です。現実の大学の姿から目を背けてアカデミズムの幻想に浸るのではなく、そこから脱却しようという動きが、60年前には確かにあったのです。

これは当時の日本政府が職務給やジョブ型雇用を推進しようとしていたことと論理内在的にはつながっているのでしょう。

これが実現していれば、職業的レリバンスの欠如だとか、「教育と職業の密接な無関係」だとかいった特殊な日本的教育・雇用ネクサスもより希薄になっていたかも知れません。

ただ同答申には大学の管理運営の強化等も盛り込まれていたこともあり、日本学術会議、日教組、社会党をはじめとした革新勢力が猛反発し、筑波大学や技術科学大学などごくわずかな改革が実現したにとどまりました。

その結果、今日においても未だに学校教育法上では大学は職業教育機関とは位置付けられず、最近できた専門職大学がごくわずか存在するほかは、あとは数百の大学がすべてあたかも純粋アカデミックな機関であるかの如き幻想が維持される状態が続いています。

そして、60年前にくらべても比較にならないくらい大学進学率が増加し、圧倒的多数の大学生が「就職組」であるにもかかわらず、ほとんど妄想に近いアカデミズム幻想をふりかざす人々が悪目立ちしてくると、Fラン大学がどうのこうのという、本質的にはあまり意味のない悪罵ばかりが飛び交うようになるのでしょうね。

(追記)

このエントリをツイートした常見陽平さんに対し、このエントリに対する意見をぶつける人がいっぱいいたようで、

大学は学術研究機関か職業教育機関か? hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

濱口桂一郎先生のブログだからね。 反対、異論を僕に叩きつけるの、どうなのかね

すみませんねえ、ご迷惑をおかけしたようで。

というか、私が謝る筋合いでもなさそうではあるんだけど。

まあ、この話題がある種の人々を興奮させるトピックであることだけは間違いないようです。

せっかく追記したので、上で「なぜそうなったのかについては、いろいろと研究もあり、別途書きたいと思いますが」と述べた点について、ちょっとだけ追加しておきますね。

上で述べたように、戦後すぐの1947年に制定された学校教育法では、大学を「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする」(第83条)と定義しており、そこには職業という文字はでてきません。

戦後新制大学は、戦前の旧制大学、旧制高校、専門学校、師範学校をまとめて一本化したものであり、職業教育機関としての性格を有していることは明らかであったにもかかわらず、法文上からはそれが失われてしまいました。初発の段階から、現実に存在する職業教育機関としての側面を無視してあたかも純粋アカデミックな機関であるかのような幻想とともに出発したのです。

このとき高等教育機関が一元化されたのは世上、米教育使節団報告に基づくものとされていますが、大崎仁『大学改革19451999』(有斐閣選書、1999年)によれば、同使節団報告自体は633制を要求しているだけで、大学への一元化を求めていなかったのです。では、なぜ一律一元化に至ったのかというと、日本の大学関係者による日本教育家委員会(委員長:南原繁)の非公表の報告書が秘かにGHQに渡され、これが翻って日本に強制されたからとのことです。同委員会は、①大学への系列と専門学校への系列に分かれていることが、専門学校進学者・卒業者を不利な立場に置き、弊害を生じているので、専門学校を充実して大学にする、②高等学校は、その卒業生だけが大学に進学する結果、彼らのみが将来国家社会の指導者となる特権を受けることになるから廃止する、③師範学校は改造して、他の大学と同じ地位を持つ教育大学にする、④学術研究を志す者のために、総合大学に大学院を設ける、ことを提起していました。

同書によれば、この発想の源流は戦時下の1937年に近衛文麿首相の私的研究会である教育改革同志会が取りまとめようとしていた学制改革案にあります。同案は「現在の大学、高等学校、専門学校は、その官公立たると私立たるとを問わず、総てこれ等を国家社会の需要に応じて適当に整理し、専門の職業教育機関としての新制の大学校に改造する」ことを提言していました。

こうした流れの中で考えれば、新制大学はむしろ正面から職業教育機関と位置付けられてしかるべきであったようにも思われますが、大学の目的規定が文部省の法案の「高等の学術技芸を教授研究すること」から上記現行規定へGHQにより修正されてしまい、職業教育的色彩が希薄になりました。そしてGHQの指示による大学基準により一般教育重視と専門教育軽視のカリキュラムが生み出されていくことになります。日本側では専門学校の大学化というイメージでとらえられていた大学一元化が、GHQからは旧制高校・大学予科の大学化として捉えられたことから生み出された制度設計の悲劇といえましょう。

 

 

 

 

 

 

2026年5月 7日 (木)

浦田誠『どうなる? ライドシェア』

F301c99f12d242bb98dd122fdd7d87b0 浦田誠さんの『どうなる? ライドシェア 交通と労働の未来』(岩波ブックレット)をお送りいただきました。

https://www.iwanami.co.jp/book/b10166252.html

2024年に「日本版ライドシェア」が始まり、将来的な全面解禁も目されている。画期的なサービスとしてライドシェアを推進する動向に注目が集まる一方で、このビジネスモデルは様々な問題を内包している。先行して導入された世界各国の実態を検証し、ライドシェアの基本知識や課題を示すと共に、交通と労働の未来を見通す。

ライドシェアというのは、ウーバーのようなタクシー型のプラットフォームビジネスですが、浦田さんは長く私鉄総連と国際運輸労連にいてこの問題に取り組んできました。

  はじめに
第一章 日本とライドシェア
 コラム①日本版ライドシェアとは
第二章 究極の規制緩和
第三章 安全よりもビジネス優先
第四章 ライドシェアの労働実態
第五章 裁判で争い、規制に抗う
第六章 公共交通のオルタナチブ?
終 章 どうなる? ライドシェア
 コラム②連立政権でライドシェア導入

ちょうど来月には、ILO総会でプラットフォーム労働に関する条約・勧告が審議され、おそらく何らかの文書が採択されることになると思われます。そういう時期に、そもそもライドシェアにはどんな問題点があるのかをきちんと押さえておくことは重要なことでしょう。

 

 

 

『改革者』5月号で、神林龍さんが拙著を書評

H11 旧民社系のシンクタンク政策研究フォーラムの『改革者』5月号に、神林龍さんが拙著『外国人労働政策』の書評を寄稿されています。1ページを充てて拙著の意のある所をくまなくくみ取っていただいており、ありがたい限りです。

https://www.seiken-forum.jp/publications-top/reformer/

濱口桂一郎著『外国人労働政策』
評者 神林 龍

……本書は、日本の外国人政策がいかに労働(雇用)政策として形成されてき(こなかっ)たのかを、政策形成過程と雇用慣行の関係から体系的に描いた点で、意外に類例の少ない書籍である。とりわけ制度の表層的な記述にとどまらず、その背後にある政策主体の力学と制度的制約に光を当てている点に特色がある。
 内容は大きく二点に整理できる。第一に、外国人政策が省庁間の綱引きの中でどのように形成されてきたのかという点である。著者の官僚経験を背景に、法務省と旧労働省の間の権限争いが具体的に描かれ、政策決定過程のケーススタディとしても読み応えがある。第二に、日本的雇用慣行との整合性という観点から外国人政策を読み解いている点である。……
外国人政策を労働政策として捉え直すことの重要性と同時に、その内実をいかに構想すべきか、本書はこの難問を鋭く提起する。外国人問題に関心を持つ読者にとって、研究的にも政策的にも示唆に富む一冊である。 

 

2026年5月 1日 (金)

ボリス・ビズミック『エスノセントリズム』

676335   ボリス・ビズミック著・石部尚登訳『エスノセントリズム 〈集団〉と〈境界〉を理解するための統合的視座』(明石書店)をお送りいただきました。

https://www.akashi.co.jp/book/b676335.html

自らの民族集団がきわめて重要で、他のどの民族集団よりも優れ、価値があるという信念や態度は、どのように形成され、何をもたらすのか。心理学、政治学、社会学、人類学、生物学、マーケティング研究など、学際的なアプローチによる統合的な視点からこの概念の本質、要因、帰結を明らかにする。

ほとんど日常用語になっているエスノセントリズムですが、その概念をここまで緻密に分析した本は初めてです。

第1章 エスノセントリズム研究の歴史と背景
 第1節 社会科学成立以前のエスノセントリズムに関する記述
 第2節 エスノセントリズムに関する社会科学的記述
 第3節 本章の総括と結論

第2章 エスノセントリズムの概念
 第1節 エスノセントリズムの定義における主要テーマ
 第2節 外集団否定とは区別されるエスノセントリズム
 第3節 外集団否定を伴わない内集団肯定とは区別されるエスノセントリズム
 第4節 内集団肯定と外集団否定の結びつきとは区別されるエスノセントリズム
 第5節 エスノセントリズムの諸次元
  5.1 献身性
  5.2 集団凝集性
  5.3 選好性
  5.4 優越性
  5.5 純粋性
  5.6 搾取性
 第6節 再概念化されたエスノセントリズム
 第7節 再概念化されたエスノセントリズムの測定
 第8節 エスノセントリズムの概念化に関する補足的整理
  8.1 エスノセントリズムと民族集団―民族性がもつ重要性
  8.2 エスノセントリズムの対概念
 第9節 本章の総括と結論

第3章 エスノセントリズムの近接的要因――恐怖と自己誇大化
 第1節 恐怖に起因するエスノセントリズム
  1.1 現実的脅威に基づく説明
  1.2 象徴的脅威に基づく説明
  1.3 内的心理的脅威に基づく説明
 第2節 自己誇大化に起因するエスノセントリズム
  2.1 自尊感情に基づく説明
  2.2 搾取と支配に基づく説明
 第3節 理論的検討
  3.1 二重過程の認知・動機づけモデル
  3.2 価値観を基盤とする理論的枠組み
 第4節 本章の総括と結論

第4章 エスノセントリズムの遠隔的要因――社会的要因と生物学的・進化的要因
 第1節 社会的要因に基づく説明
  1.1 社会化と社会的規範
  1.2 無知と集団間接触の欠如
  1.3 社会的カテゴリー化
  1.4 社会的要因に基づく説明への批判
 第2節 生物学的・進化的要因に基づく説明
  2.1 生物学的アプローチ
  2.2 進化論的アプローチ
  2.3 生物学的・進化的要因に基づく説明への批判
 第3節 理論的検討
 第4節 本章の総括と結論

第5章 エスノセントリズムの帰結
 第1節 エスノセントリズムの帰結としての人種主義とナショナリズム
 第2節 エスノセントリズムの帰結としての行動
 第3節 エスノセントリズムの帰結としての偏見と外集団忌避
 第4節 エスノセントリズムの帰結としての非人間化、正当性否認、道徳的排除
 第5節 エスノセントリズムの帰結としての民族紛争、民族浄化、民族大量虐殺
 第6節 エスノセントリズムの特定形態とその帰結
 第7節 本章の総括と結論

第6章 エスノセントリズムの要因と帰結の統合
 第1節 再概念化されたエスノセントリズムの要因と帰結に関する実証研究
 第2節 再概念化されたエスノセントリズムの要因と帰結の統合的考察
 第3節 エスノセントリズムの集団強度モデル
 第4節 本章の総括と結論

第7章 心理学におけるエスノセントリズムとその影響
 第1節 心理学へのエスノセントリズムの影響
  1.1 研究テーマ
  1.2 理論的枠組み
  1.3 研究手法
  1.4 心理学史の表象
  1.5 心理学における制度的枠組み
  1.6 学術的社会ネットワーク
  1.7 引用パターン
 第2節 エスノセントリズムにとらわれない心理学への障壁
 第3節 今後の方向性
 第4節 本章の総括と結論

 付録A エスノセントリズムの定義とテーマ分析
 付録B エスノセントリズム尺度1(36項目版)
 付録C エスノセントリズム尺度2(36項目版および12項目版)

エスノセントリズムは大きく分けて内集団志向(ex.ニッポンスゲェ)と外集団志向(ex.支那朝鮮ヒデェ)からなり、それぞれがさらに献身性と集団凝集性、先行性・優越性・純粋性・搾取性からなり、それぞれごとにその尺度となる6項目ずつのテーゼが巻末付録に並んでいます。

本文は必ずしも読みやすくないのですが、この巻末の36尺度はなかなか楽しく、昨今の政治情勢に照らし合わせて考えるといろいろな感想が湧いてきます。

それぞれのはじめの項目を並べてみると以下のようになります。

献身性

1 どのような犠牲を払ってでも、自分の文化や民族集団の価値観や生活様式、信念は守らなければならない。

・・・・・・

集団凝集性

1 私たちは、自分たちの文化集団の中で、より強固な一体感や共同体意識、連帯感を育むことに全力を注ぐべきだ。

・・・・・・

選好性

1 私はたいてい、自分の文化の人々の方を、他の文化の人々より好む。

・・・・・・

優越性

1 世界中の他の全ての文化集団や民族集団が私の文化を手本にすれば、世界ははるかに良い場所になるだろう。

・・・・・・

純粋性

1 異なる民族集団や文化集団に属する人々は、結婚しない方が良いと思う。

・・・・・・

搾取性

1 私たちは常に自分たちの利益を最優先すべきであり、他の文化や民族集団の利益に過度に配慮すべきではない。

・・・・・・

 

 

 

 

 

 

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