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2026年4月 1日 (水)

橋元秀一・武井寛・伊藤彰信・本田一成『労働組合による労働者供給事業の世界』

97847989200611 橋元秀一・武井寛・伊藤彰信・本田一成『労働組合による労働者供給事業の世界 市場・法制度・運動』(東信堂)をお送りいただきました。

https://www.toshindo-pub.com/book/%e5%8a%b4%e5%83%8d%e7%b5%84%e5%90%88%e3%81%ab%e3%82%88%e3%82%8b%e5%8a%b4%e5%83%8d%e8%80%85%e4%be%9b%e7%b5%a6%e4%ba%8b%e6%a5%ad%e3%81%ae%e4%b8%96%e7%95%8c/

労働市場史の未解明領域に切り込む―
戦後日本において原則禁止とされた労働者供給事業。その例外として制度化された労働組合による労働者供給(労組労供)は、労働市場の中でいかなる役割を果たしてきたのか。本書は、市場経済の理論構造、労働法制の形成と変容、労働運動の実践という三つの視覚を架橋し、労組労供の歴史的展開と制度的特質を総合的に解明する。自動車運転、港湾、建設、介護、ITなどの精緻な事例分析を通じて、その成果と限界、そして非正規労働問題などに対する可能性を理論的に提示する初の本格的研究書。

著者の4人がそれぞれ下記の1章ずつを担当執筆しています。

はじめに
第1章 労働市場の経済原理と日本の特徴、および労組労供の意義と課題
第2章 労働組合による労働者供給と労働法
第3章 労働組合による労働者供給事業と日本の労働運動
第4章 労組労供の軌跡と展望
おわりに

この労組労供については、今から20年前から色々と考え、何回か書いたり喋ったりしてきたことがありますが、この本にはそのいくつかが引用されており、個人的にも懐かしい思いが沸き起こってきました。

とりわけ、2008年に東大の労働判例研究会で報告した泰進交通事件(東京地判平成19年11月16日)(労働判例952号24頁)については、報告レジュメをそのまま拙ホームページに載っけたままで、評釈を『ジュリスト』に載せることもしなかったのに、本書ではわざわざURLを示して引用していただいており、改めて読み返してこういう議論をしていたなあ、と思いに浸りました。

泰進交通事件(東京大学労働判例研究会2008年11月14日)

4 「雇用の安定の要請」について
 
 やや余談であるが、本件判決では、労働者供給事業への解雇予告の適用の根拠として、昭和42年の旅客自動車運送事業運輸規則改正が取り上げられている。この趣旨が議論された国会議事録は後掲の通りであるが、これを一読すればわかるように、この改正は乗車拒否や交通事故の原因は日雇い運転手の存在であると考えた運輸省当局が、日雇いによる労働組合の労働者供給事業も含めて日雇い運転手を禁止したものであり、当時の社会党の木村美智男議員が、労働者供給事業を行う労働組合の立場に立って、日雇い全面禁止に反対の立場から質疑を行ったものである。
 したがって、労働組合が行う労働者供給事業について、供給先との関係で雇用の安定の要請があると直ちに考えることはできない。それは労働行政担当ではない当時の運輸省の担当者の考えに過ぎず、労働政策としてそのような立場が示されたわけではない。この規則改正を受けて、労働者供給事業を行う労働組合は日雇い形態をやめたが、それは事業を継続するための措置であって、労働組合の立場からすれば、良好な労働条件を確保している労働者供給事業が日雇いであって悪いわけではなかったはずである。この点については、鶴菱運輸事件判決や渡辺倉庫運送事件判決が指摘するとおりであり、供給先との関係で「雇用の安定の要請」を求めるのは、適当とは思われない。仮に供給先との関係で「雇用の安定」がかくも重要であるのであれば、有期契約の雇い止めを何の留保もなく容認することと整合性がないであろう。

 

131039145988913400963_20260401152601 また、労働組合による労働者供給事業と登録型派遣事業と臨時日雇型有料職業紹介事業のビジネスモデルをほぼ同じだと主張したのは、2009年に刊行した『新しい労働社会』(岩波新書)においてでした。

労働組合の労働者供給事業
 実態として登録型派遣事業における登録状態に最も近いのは、労働組合の行う労働者供給事業における組合員としてのメンバーシップでしょう。現在労働者供給事業を行っている労働組合はごくわずかです。日本型雇用システムにおける企業別組合とはまったく正反対のタイプの労働組合ですから、イメージが湧きにくいかも知れません。例えば新産別運転者労組(新運転)は1960年に設立されて以来、タクシーやトラックの運転手を供給してきました。そのほか、バスガイドや添乗員、システムエンジニアや介護、さらには音楽家の供給事業まであります。
 登録型派遣事業とは、労働組合以外によるものであっても、一定のメンバーシップに基づく労働者供給事業には弊害がないから認めたものなのではないでしょうか。そして、そう考えれば、登録型派遣事業についても労働者供給事業と基本的に同じ規制を行えば足りるはずであり、逆に同じ規制を行うべきであるということになるはずです。
 労働者供給事業については、極めて乏しい議論しかされてきていませんが、いくつかの裁判例は存在します。鶴菱運輸事件(横浜地裁1979年12月21日)、渡辺倉庫運送事件(東京地裁1986年3月25日)、泰進交通事件(東京地裁2007年11月16日)といった地裁レベルの判決はいずれも、供給先と供給労働者の関係を「使用関係」としながらも、供給組合と供給先との間の供給契約が存在する限りで存続する特異な使用関係としています。おそらく、それが最も実態に即した法的構成でしょう。そして、登録型派遣事業における派遣先と派遣労働者の関係も、社会的実態としてはこれと同じであると考えられ、同じような特異な使用関係と捉えることがもっとも適切であったはずです。ところが、1985年に労働者派遣法が制定される際には、実態的に労働者供給事業と類似する登録型派遣事業を、請負や出向と類似する常用型派遣事業とまったく同じ法的構成(「自己の雇用する労働者を・・・」)の中に押し込めてしまったのです。
 労働組合の労働者供給事業は何ら限定なく合法的に行われる事業であるにもかかわらず、積極的な意味でほとんど労働法学的な検討の対象になってきませんでした。いまでも、労働法学者が労働者供給事業に言及するときは、禁止されるべき悪の象徴として語られることがほとんどで、労働者供給事業の法的構造を正面から論じた業績は(全くないわけではありませんが)ほとんど見あたりません。そろそろ正面から議論すべき時期であるように思います。
 その際、労働組合法との関係を改めてきちんと整理し直す必要があります。現在の仕組みでは、労働者供給事業を行う労働組合と供給先の企業が労働協約を締結し、これが供給契約になるとされていますが、そうすると供給元と供給先の間の商取引契約である供給契約が、同時に供給労働者の労働条件について規範的効力(労働条件を定める効力)を有する労働協約でもあるということになってしまい、労働法規制のあり方として問題をはらんでいます。
 また、労働組合に事業者性が認められないために、社会労働保険の適用が難しいという点が従来から指摘されています。これに対応するため、労働組合が派遣事業体を設立し、労働組合から派遣事業体に労働者を供給し、派遣事業体から派遣先に労働者を派遣するという入り組んだ仕組みをとるところもあります。あるいは、中小企業等協同組合法に定める企業組合を設立し、その組合員という形で事業をおこなうところもあります。この場合、その組合員は企業組合への労務出資者ということになりますので、労働法の適用上難しい問題をもたらします。このあたりも突っ込んだ議論が求められるところです。

臨時日雇い型有料職業紹介事業
 もう一つ、実態として極めて登録型派遣事業に近いのが、家政婦、マネキン、配膳人といった臨時日雇い型の有料職業紹介事業です。これらにおいても、求職者は有料職業紹介所に登録し、臨時日雇い的に求人があるつど就労し、終わるとまた登録状態に戻って、次の紹介を待ちます。ところが、こちらは職業紹介という法的構成を取っているため、就労のつど紹介先が雇い入れてフルに使用者になります。実態が登録型派遣事業と同様であるのに、法的構成は全く逆の方向を向いているのです。これは、占領下の政策に原因があります。
 もともと、これらの職種は戦前は労務供給事業で行われていました。ただし、港湾荷役や建設作業のような労働ボス支配ではなく、同職組合的な性格が強かったと思われます。ところが、これらも職業安定法の労働者供給事業全面禁止のあおりを受けて、弊害はないにもかかわらず禁止されてしまいました。一部には、労務供給業者が労働組合になって供給事業を行うケースもありました(看護婦の労働組合の労働者供給事業など)が、労働組合でなくてもこの事業を認めるために、逆に職業紹介事業という法的仮構をとったのです。
 しかしながら、これも事業の実態に必ずしもそぐわない法的構成を押しつけたという点では、登録型派遣事業と似たところがあります。最近の浜野マネキン紹介所事件(東京地裁2008年9月9日)に見られるように、「紹介所」といいながら、紹介所がマネキンを雇用して店舗に派遣したというケースも見られます。マネキンの紹介もマネキンの派遣も、法律構成上はまったく異なるものでありながら、社会的実態としては何ら変わりがないのです。その社会的実態とは労働者供給事業に他なりません。
 このように、登録型労働者派遣事業、労働組合の労働者供給事業、臨時日雇型有料職業紹介事業を横に並べて考えると、社会的実態として同じ事業に対して異なる法的構成と異なる法規制がなされていることの奇妙さが浮かび上がってきます。そのうち特に重要なのは、事業の運営コストをどうやってまかなうかという点です。臨時日雇い型有料紹介事業では法令で手数料の上限を定めています。労働組合の労働者供給事業は法律上は「無料」とされていますが、組合費を払う組合員のみが供給されるわけですから、実質的には組合費の形で実費を徴収していることになります。これと同じビジネスモデルである登録型派遣事業では、派遣料と派遣労働者の賃金の差額、いわゆる派遣マージンがこれに当たります。正確に言えば、法定社会保険料など労働者供給事業や有料職業紹介事業では供給先や紹介先が負担すべき部分は賃金に属し、それ以外の部分が純粋のマージンというべきでしょう。この結果明らかになるのは、派遣会社は営利企業であるにもかかわらず、臨時日雇い型紹介事業と異なり、その実質的に手数料に相当する部分について何ら規制がないということです。派遣元が使用者であるという法律構成だけでそれを説明しきれるのでしょうか。・・・・・

本書の第3章と第4章では、個々の労供労組の今までの活動の有り様が活写されていますが、その中で今現在一番関心をそそるのは、『家政婦の歴史』と裏腹の関係にある田園調布看護婦家政婦労働組合(田看労)の波瀾万丈の歴史でしょう。

(おまけ)

ついでに、かつて労組労供事業に関わっていくつか書いた文章をお蔵出ししておきましょうか。

組合労供事業と不当労働行為(『労基旬報』2010年9月25日号)

 昨今話題の労働者派遣事業の源流が労働者供給事業であることは知っていても、今日に至るまで労働組合が労供事業を許され、現に行ってきていることを知っている人は多くない。拙著『新しい労働社会』では、登録型派遣に最も近いのは労供事業であり、労供事業を中心にこの種の人材ビジネスを法的に再整理する必要があるのではないかと論じてみた。
 ここではすこし視点を変え、労働組合が労供事業を行うことから生ずる意外な法的論点を見ておきたい。それは供給依頼の停止が不当労働行為になるかという問題である。これは近畿生コン事件で、京都府労委が2007年3月22日に命令を、中労委が2008年4月2日に再審査命令を発し、東京地裁が2009年9月14日に判決を下している。
 Y社に組合員を供給していた組合が分裂し、本件申立人(裁判では被告)のX組合とZ組合に分かれたのだが、その後さまざまないきさつがあり、同社はX組合から日雇労働者の供給を受けなくなった。X組合は雇用再開を求める団体交渉を申し入れたが拒否されたので、府労委に救済を申し立てたわけである。府労委も中労委も東京地裁も、供給先Y社の労組法上の使用者性を認め、組合労供事業が労組法7条3号の組合の運営に当たると認め、Y社が複数労組間の労供事業について差別的取扱いをすることが同号の不当労働行為(支配介入)に当たると認めた。
 つまり、Y社の「労供事業は純然たる事業活動で取引行為」であり「労組法で保護される組合活動に当たらない」という主張を退けたわけであるが、この点はもう少し丁寧に検討する必要があるように思われる。仮に派遣会社が分裂し、そのうち一方の派遣会社のみから派遣を受け入れたような場合は、労働組合ではないのだから不当労働行為になりようがないが、三者間労務供給関係における実態としてはほとんど変わりがないのに、このような格差が生ずることをどこまで合理的と説明できるであろうか。
 組合労供事業も組合員のための組合活動であることは確かだが、しかし一個の経営体としての事業活動であることも確かである。この両義性をきちんと踏まえた形で議論が展開される必要があるように思われる。 

組合労供事業とはそもそも何か?(『労務事情』2010年10月15日号)

  昨今話題の労働者派遣事業の源流が労働者供給事業であることは知っていても、今日に至るまで労働組合が労供事業を許され、現に行ってきていることを知っている人は多くない。拙著『新しい労働社会』では、登録型派遣に最も近いのは労供事業であり、労供事業を中心にこの種の人材ビジネスを法的に再整理する必要があるのではないかと論じてみた。
 ここではすこし視点を変え、労働組合が労供事業を行うことから生ずる意外な法的論点を見ておきたい。素材は新運転事件(東京地判平22.3.24判タ1325号125頁)であり、労働者供給事業を営むA組合の代表Yを、組合員Xが団結権侵害による不法行為として訴えた事件である。Aは労働協約を締結して供給を受ける企業とともに労働福祉・事故防止協議会(事故防)を設立し、組合所有の事務所ビルを事故防名義に移転した。組合代表者Yによる組合Aの行為が組合員Xの団結権の侵害であるという主張を東京地裁は認めたのである。
 しかしこの問題を考える上では、そもそも「団結権」とは使用者との関係で労働条件の維持改善を図る観点から、特に他の団体とは異なり高度の保護を受けるものとして認められたという本質論が必要ではなかろうか。事業活動それ自体としては営利企業としての労働者派遣事業と特に変わるところのない組合労供事業について、組合員個人個人に団結権があるという考え方を前提にして、その組合員個人の同意しない組合代表者の組合のための行為を団結権侵害としてしまうのは、事業運営を不可能にしてしまうように思われる。もっとも本件では、Yが組合大会に付議しなかったという手続的瑕疵があり、これが判決に影響しているように見えるが、これは企業体における経営意思決定問題である以上、組合員個人の団結権を持ち出すのはいかにも奇妙に見える。
 しかしながら、むしろここに露呈しているのは、事業という点では通常の会社と同じ商行為である組合労供事業が、その事業主体たる労働組合に関する法規定としては、もっぱら使用者との関係で団結権や団体交渉権、争議権を保証している労働組合法しかなく、事業を行う労働組合とはいかなるものであるべきかについてのまともな検討がほとんどなされたことがないという労働法学の現状なのである。
 筆者は、組合労供事業とは労働者の労務サービスの販売を協同組合原理に基づいて行う事業であると位置づけるべきではないかと考えている。いわば労務サービスに特化した労働者協同組合である。従って、営利企業と異なり労働しない出資者に利潤が配分されないし、事業運営は民主主義原理に従って行われることになるが、そうした協同組合原理を超えて対使用者関係で発達してきた団結権の理論を不用意に持ち込むことは、あまり有益ではないように思われる。将来的には、労働組合法とは切り離して、労働者供給事業協同組合法といったかたちに移行していくことも考えてよいのではなかろうか。

 

 

 

 

 

 

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