『ジョブ型雇用社会とは何か』9刷
皆様のお陰で、拙著『ジョブ型雇用社会とは何か』(岩波新書)に9刷がかかりました。2021年9月の刊行から4年半が経ちましたが、依然としてロングセラーを続けさせて頂いているようで、有り難いことです。
書店の人事労務管理のコーナーに行くと、大きな書店では「ジョブ型」なんていう棚差しプレートで仕切られていたりすることもありますが、そこに並んでいる「ジョブ型」をタイトルに謳った本の大部分(全てではない)が、本書で「そんなものはジョブ型じゃねぇ」と一刀両断したはずの代物であるのは、この言葉をでっち上げた張本人からすると、なかなかに微妙なものでありますね。
一方、今でも時たま、ネット上に本書への熱のこもった書評が書かれているのを見ることがあり、有難いことだと感じております。
最近もnoteに、いそかぜ@読書ノートさんという方が、かなり長大な本書の書評をアップされていました。
#130 『ジョブ型雇用社会とは何か』(濱口桂一郎)──概念を奪われた名付け親の怒り
自分がつくった言葉が独り歩きしたとき、人はどうするか。『ジョブ型雇用社会とは何か』は、その問いへの回答だ。
著者・濱口桂一郎は「ジョブ型」「メンバーシップ型」の名付け親だ。2009年の前著で提示した分類概念が、12年のあいだに別物に変わった。
成果主義の言い換え。解雇自由化の道具。中高年の賃金を切り下げる方便。どれも著者の定義とは関係がない。
本書は概念の奪還から始まる。
序章の筆致に怒りがある。「間違いだらけのジョブ型論」と題し、流通する誤解をひとつずつ潰す。学術書の体裁をとりながら、抑えきれない苛立ちが文体ににじむ。・・・・・・
いやいやそこまで怒りに満ちているわけではなく、ただ誤解を解きたいというだけなんですが、でも怒っているように見えてしまったのでしょうね。
本書で最も切れ味のある装置は「能力」へのかぎ括弧だ。
年功賃金を「能力主義」で説明し直した1960年代の転換を、著者は精緻に追う。職能資格制度が生み出した「下がらない能力」の矛盾。成果主義はその矛盾を解消するどころか、ご都合主義的に利用された。
この経緯を読むと、いま流通している「ジョブ型」論の大半が、かつての「成果主義」ブームの焼き直しであることに気づく。言葉だけが新しくなり、構造は何も変わっていない。
著者はその反復を、怒りではなく構造分析で示す。だからこそ読後に残るのは怒りではなく、居心地の悪さだ。・・・・・・
この、日本における「能力」に必ずカギかっこをつけることに着目していただいたところは、実に我が意を得たりというか、そうそこなんですよ、というところです。
« 小松恭子『日本女性の仕事とキャリア』 | トップページ | 「働きたい改革」の本丸、裁量労働制拡大は可能か@『中央公論』2026年5月号 »
« 小松恭子『日本女性の仕事とキャリア』 | トップページ | 「働きたい改革」の本丸、裁量労働制拡大は可能か@『中央公論』2026年5月号 »

コメント