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月1回の『労働新聞』書評。今回は鶴見太郎『シオニズム』(岩波新書)です。
https://www.rodo.co.jp/column/214229/
2023年10月7日、ガザ地区を支配するパレスチナのイスラム原理主義組織ハマスが壁を越えてイスラエルを攻撃し、多くの人質を奪って以来、イスラエルはガザ地区を猛烈に攻撃し、ほぼ瓦礫の山となった。本書は、帯の文句にあるように、イスラエルが「なぜ、パレスチナ人を徹底して攻撃するのか」を、その思想的源流であるシオニズムに遡って腑分けしていく。彼が強調するのは、これまでのシオニズム論が西欧中心主義だったということだ。冒頭、イスラエルの首相、その家族、指導者の出身地、そして1900年における世界のユダヤ人人口分布の表が繰り出されるが、その圧倒的大部分はロシア帝国、とりわけかつてポーランド・リトアニア共和国領であった地域である。本コラムで昨年取り上げたティモシー・スナイダーのいう「ブラッドランド」だ。ロシア帝国支配下で繰り返されたユダヤ人虐待(ポグロム)の中から、自分たちもやられるだけではいけない、ネーションとしてのユダヤ人を確立し、独立の国家をもたなければならないという強い意思が生み出されていった。ブラッドランドで繰り広げられたホロコーストは、その最終版である。本書の187頁に、いかにも戦後日本人的な発想の問いかけが書かれている。「なぜホロコーストの悲惨さを一番よく知るユダヤ人にあのようなことができるのか」。これに対する答えは、むしろ被害の記憶が原資となり、自民族の防衛に対する意識が強まるからだ。とりわけ身に沁みるのは次の台詞だ。「ユダヤ人は、例外的な『正義の人』を除き、世界がユダヤ人を助けなかったこともよく記憶しているのだ。自分たちの身は自分たちで守るしかない」。意外に思われるかもしれないが、戦後ホロコーストは西ドイツを除いてほとんどケアされてこなかった。とりわけ主戦場だった「ブラッドランド」では、戦後社会主義体制となったこともあり、資本主義の手先のユダヤ人のことは放置された。それに先立つポグロムはほとんど記憶すらされていない。誰も自分たちのことなど気にかけてくれない。戦わなければ殺されるだけだ。ベギンやネタニヤフなど右派政治家はみなブラッドランド出身者やその子孫である。こうした中で構築されてきた被害者意識ナショナリズムからすれば、ハマスによる攻撃はポグロムの、ホロコーストの再現と認識され、徹底的に戦わなければ、また自分たちが虐殺の憂き目に遭うことになる。これと対極に位置して結果的に共鳴し合うのが、戦後ドイツの加害者意識に基づくイスラエル擁護のスタンスである。イスラエルを擁護することがナチズムへの反省の証であり、今度こそ自分たちが迫害されたものを助ける役回りをしなければならない。これが、大量に流入するムスリム移民への嫌悪感と結合し、反ユダヤ的なムスリムを排除する正当性を与えている。二重三重にねじれたイスラエル・パレスチナ問題を根源に遡って考える上で必読の書であろう。
『労基旬報』2026年2月25日号に「EU最低賃金指令はおおむね条約違反に非ず」を寄稿しました。
EUの最低賃金指令については、本誌上で何回も取り上げてきました。2020年3月25日号で「EU最低賃金がやってくる?」を、同年11月25日で「EU最低賃金指令案」を、そして昨年の2025年2月25日号では「EU最低賃金指令は条約違反で無効!?」を寄稿しています。本指令は2022年10月19日に正式に採択され、その国内法転換期日は2024年11月15日でした。ところが2025年1月14日、EU司法裁判所のエミリオウ法務官は、同指令は条約違反であるから全面的に無効とすべきであるという意見を公表し、大きな騒ぎになっていたのです。昨年の拙稿は、提訴に至る北欧諸国の労使関係と、この法務官意見の主要部分を解説するものでした。ヨーロッパの労使関係者が息を詰めて見守る中、昨年末の2025年11月11日、欧州司法裁判所は遂に判決を下しました。その内容は、ごく一部を除き、条約違反ゆえ無効との訴えを退けるものでした。つまり、EU最低賃金指令はおおむねEU条約違反ではないと、司法がお墨付きを出したことになります。以下、判決を見ていきましょう。まず、条約第153条第5項の「賃金」の適用除外に違反するという点については、従前の判例を踏まえて、加盟国における賃金水準の均等化や最低保証賃金を設定することに限られ、賃金に関わる問題全てに及ぶものではないとします。そして賃金は労働条件の不可分の一部なのだから、同条第1項の「労働条件」に基づくEUの権限は、同条5項で適用除外される「賃金」と部分的にオーバーラップするのであり、直ちに条約違反とは言えないとします。具体的には、まず指令第4条(賃金に係る団体交渉の促進)については、同条は加盟国の賃金設定モデルの選択に介入しておらず、各国の伝統を尊重しているとします。また同条は団体交渉の内容や結果を支配しようとしておらず、手段を義務づけているだけだとします。また団体交渉や労働協約に係る労使団体の広範な裁量を認めている点も指摘し、これが条約第152条と整合的であるとします。また指令第5条(十分な法定最低賃金の決定手続)については、同条は加盟国に法定最低賃金の導入を義務づけているわけではなく、原告のデンマークやスウェーデンのように法定最低賃金を持たず労働協約で設定している国に法定最低賃金を強制していないと指摘します。また、法定最低賃金のある国にも「十分」さについては国内の社会経済状況によって裁量の余地を与えており、この規定が直ちに労働者に十分な法定最低賃金の権利を与えるわけではないと指摘します。これに対し、同条第2項は法定最低賃金の決定で考慮すべきとする4要素として、生計費を考慮に入れた購買力、賃金の一般水準と分布、賃金の上昇率、長期的な生産性水準の進展を挙げていますが、これは最低賃金の構成要素の調和化を図ろうとするものであり、賃金決定におけるEU法の直接の介入に該当すると判断しています。同条第1項第5文も、「第2項にいう要素を含め」と同項を引用しているので、やはり問題があるとします。同条第3項は自動的な物価スライド制の規定で、その採用自体は任意ですが、「その適用が法定最低賃金の減額につながらない限り」という条件を付している点が直接介入にあたると判断しています。同条第4項は賃金中央値の60%、賃金平均値の50%といった基準値を示した規定ですが、加盟国は別に拘束されるわけではなく自由に決定できるので、直接介入にはあたらないとします。同条第5項は定期的見直し規定で、同条第6項は諮問機関の規定ですが、いずれも手続規定で直接介入にあたらないとします。こうして指令第5条には上記3か所について条約第153条第5項の「賃金」の適用除外の違反が認められるとしつつも、それ以外についての違反はないと判断しています。もう一つの大きな論点は、同じ条約第153条第5項の「団結権」の適用除外です。そもそも条約中にはまさにその団結権の主体である労使団体(ソーシャルパートナー)に関わる規定が多く盛り込まれ、条約第152条に至っては労使対話の促進を謳っていることから見ても、これは団結権に関わる事項の全面適用除外ではなく、国内における労使団体の自律性を確保するための規定とみるべきだと判決はいいます。また、団体交渉権は団結権と密接不可分ではあるけれども、団体交渉権が団結権の適用除外によってEUの権限から除外されるわけではないと指摘します。そもそも条約第153条第1項第f号は、「共同決定を含む労働者及び使用者の代表権とその利益の集団的防衛」をEUの権限として明確に規定しており、これには団体交渉に関わることが当然含まれます。また、条約第156条第1項第7号は、加盟国間の協力奨励と調整促進の対象として「団結権及び使用者と労働者の間の団体交渉の権利」を規定し、両者が異なることを明示しています。というわけで、本判決は団結権の適用除外はあくまでも労働組合を含む労使団体を結成したり解散したりする権利に限られ、労使間で団体交渉する権利をEUの権限から除外するものではないと判示します。その上で指令第4条(賃金決定に関する団体交渉の促進)について、いずれの規定もEU法による直接介入にはあたらないとしています。この部分については全面的に条約違反を否定しています。なお、判決ではもう一つの論点として、同指令が条約第153条第5項の適用除外違反でないとしても、立法手続違反であるというものもありますが、これについては省略します。こうして本判決は最後に次のように判示しました。1.(最低賃金)指令第5条第1項第5文の「第2項にいう要素を含め」の部分、第5条第2項及び第5条第3項の「その適用が法定最低賃金の減額につながらない限り」の部分を無効とし、2.それ以外の請求を棄却し、・・・この結果は、昨年1月14日のエミリオウ法務官意見が、同指令を条約違反として全面的に無効としていたことを考えれば、痛み分けというよりはむしろほぼ完全に請求棄却に近い判決であるというべきでしょう。この判決に基づいて、最低賃金指令を添削すると、次のようになります。今後このような指令改正案が提案されることが予想されます。第4条 賃金決定に関する団体交渉の促進1 団体交渉の適用範囲を拡大し、賃金決定に関する団体交渉権の行使を容易にする目的で、加盟国は労使団体を関与させつつ、国内法と慣行に従って、次の措置をとるものとする。(a) とりわけ産業別又は産業横断レベルにおいて、賃金決定に関する団体交渉に関与する労使団体の能力の構築及び強化を促進すること、(b) 労使団体が賃金決定に関する団体交渉に関してその機能を遂行するために適当な情報にアクセスできるという対等の立場で、両者間における賃金に関する建設的、有意味で情報に基づく交渉を奨励すること、(c) 適当であれば、賃金決定に関する団体交渉権の行使を保護し、労働者や労働組合代表に対して賃金決定に関する団体交渉に参加し又は参加しようとしたことを理由とするその雇用に関する差別から保護するための措置をとること、(d) 賃金決定に関する団体交渉を促進する目的で、適当であれば、団体交渉に参加し又は参加しようとする労働組合及び使用者団体に対して、その設立、運営又は管理において互いに又は互いの代理人若しくは構成員によるいかなる干渉行為からも保護する措置をとること。2 これに加えて、団体交渉の適用率が80%未満である各加盟国は、労使団体に協議した後に法により又は労使団体との合意により、団体交渉の条件を容易にする枠組みを導入するものとする。これら各加盟国はまた団体交渉を促進する行動計画を策定するものとする。当該加盟国は、労使団体に協議した後に若しくは労使団体との合意により又は労使団体の共同要請に基づき労使団体間で合意した通りに、かかる行動計画を策定するものとする。行動計画は、労使団体の自治を最大限に尊重しつつ、団体交渉の適用率を段階的に引き上げる明確な日程表と具体的な措置を規定するものとする。加盟国はこの行動計画を定期的に再検討し、必要があれば更新するものとする。加盟国が行動計画を更新する場合、労使団体に協議した後に若しくは労使団体との合意により又は労使団体の共同要請に基づき労使団体間で合意した通りに行うものとする。いかなる場合でも行動計画は少なくとも5年に1回は再検討するものとする。行動計画及びそのすべての更新版は公表され、欧州委員会に通知されるものとする。第2章 法定最低賃金第5条 十分な法定最低賃金の決定手続き1 法定最低賃金を有する加盟国は、法定最低賃金の決定及び改定の必要な手続きを設けるものとする。かかる決定及び改定は、まっとうな生活条件を達成し、在職貧困を縮減するとともに、社会的結束と上方への収斂を促進し、男女賃金格差を縮小する目的で、その十分性に貢献するような基準に導かれるものとする。加盟国はこれらの基準を国内法、権限ある機関の決定又は政労使三者合意における国内慣行に従って定めるものとする。この基準は明確なやり方で定められるものとする。加盟国は、各国の社会経済状況を考慮して、第2項にいう要素も含め、これら基準の相対的な重要度について決定することができる。2 第1項にいう国内基準は、少なくとも以下の要素を含むものとする。(a) 生計費を考慮に入れて、法定最低賃金の購買力、(b) 賃金の一般水準及びその分布、(c) 賃金の上昇率、(d) 長期的な国内生産性水準及びその進展。3 本条に規定する義務に抵触しない限り、加盟国は追加的に、適当な基準に基づきかつ国内法と慣行に従って、その適用が法定最低賃金の減額につながらない限り、法定最低賃金の自動的な物価スライド制を用いることができる。4 加盟国は法定最低賃金の十分性の評価を導く指標となる基準値を用いるものとする。このため加盟国は、賃金の総中央値の60%、賃金の総平均値の50%のような国際的に共通して用いられる指標となる基準値や、国内レベルで用いられる指標となる基準値を用いることができる。5 加盟国は、法定最低賃金の定期的かつ時宜に適した改定を少なくとも2年に1回は実施するものとする。第3項にいう自動的な物価スライド制を用いる加盟国は少なくとも4年に1回とする。6 各加盟国は法定最低賃金に関する問題について権限ある機関に助言する一またはそれ以上の諮問機関を指名又は設置し、その機能的な運営を確保するものとする。第6条 変異及び減額1 加盟国が特定の労働者集団に対して異なる法定最低賃金率又は法定最低賃金を下回る水準にまで支払われる賃金を減少させる減額を認める場合には、加盟国はこれら変異及び減額が非差別と比例性(合法的な目的の追求を含む)の原則を尊重するよう確保するものとする。2 本指令のいかなる部分も、加盟国に法定最低賃金の変異や減額を導入する義務を課すものと解釈されてはならない。第7条 法定最低賃金の決定及び改定における労使団体の関与加盟国は、法定最低賃金の決定及び改正において、第5条第6項にいう諮問機関への参加及びとりわけ次の事項を含め、意思決定過程を通じた審議への自発的参加を提供する適時かつ効果的な方法で、労使団体の関与に必要な措置をとるものとする。(a) 第5条第1項、第2項及び第3項にいう法定最低賃金の水準の決定と、自動物価スライド制がある場合にはその確立と修正のための基準の選択及び適用、(b) 法定最低賃金の十分性の評価のための第5条第4項にいう指標となる基準値の選択及び適用、(c) 第5条第5項にいう法定最低賃金の改定、(d) 第6条にいう法定最低賃金の変異及び減額の確立、(e) 法定最低賃金の決定に関与する機関及び他の関係当事者に情報を提供するためのデータの収集及び調査と分析の遂行の双方に関する決定。第8条 法定最低賃金への労働者の効果的なアクセス加盟国は、労使団体の関与により、労働者が適切に効果的な法定最低賃金保護(適当であればその強化と執行を含め)にアクセスすることを促進するために、次の措置をとるものとする。(1) 労働監督機関又は法定最低賃金の施行に責任を有する機関によって行われる効果的、比例的で非差別的な管理及び現地監督の提供、(2) 法定最低賃金を遵守しない使用者に先制的に狙いを定め追及するため、とりわけ訓練と指導を通じた施行機関の能力向上。
WEB労政時報に「技能実習制度から育成就労制度へ」を寄稿しました。
https://www.rosei.jp/readers/article/90437
日本の外国人労働政策は、1980年代のバブル景気による人手不足の時代に不法就労者が急増し、鎖国論と開国論が賑やかに議論されましたが、政府レベルでは当時の労働省が提起した雇用許可制案を法務省が全面的に否定し、1989年入管法改正により、専門・技術的外国人のみを受け入れ、単純労働者は受け入れないという建前の下で、労働者性を否定された研修生と、労働者としてではなく血縁に基づいて受け入れる定住者(日系人)という、いわゆるサイドドアによるブルーカラー外国人労働者の受入れが始まりました。その後、研修制度は労働者性を認められた技能実習制度に展開していきましたが、あくまでも人材育成による国際貢献という位置づけであり、日本の産業界の人材確保のためではないという建前が維持されていました。・・・・・・
新書ブログで有名な山下ゆさんが、新書以外の本を取り上げているもう一つのブログ「西東京日記 IN はてな」で、拙著『外国人労働政策』を書評していただいております。
https://morningrain.hatenablog.com/entry/2026/02/22/231421
バブル期(88年頃)に持ち上がった外国人労働者受け入れ政策が、なぜ「研修」というサイドドアを使ったものとなり、搾取の温床ともなってしまった技能実習制度が温存されてしまったのかを探った本。
技能実習制度などの日本の政策の問題点を指摘するというよりは、「なぜそうなってしまったのか」という問いに答える内容になっています。
そう、まだまだ(ますます?)ホットな話題ではありますが、私のスタンスは歴史の謎解きなのです。
本書を手に取った理由として、もちろん著者の今までの本が面白かったからというのがあるのですが、もう1つは昨年読んだ是川夕『ニッポンの移民』(ちくま新書)の主張の一部に納得できなかったからというのもあります。
『ニッポンの移民』はいろいろと勉強になる部分があり面白い本でしたが、「日本に移民政策はなかった」とする「移民政策不在論」に対する批判と、入管行政には「埋め込まれたリベラリズム」があったいう主張については首をかしげざるを得ませんでした。
本書を読むと、法務省には日本の労働慣行に対する理解がなく、労働省には法務省を押しのけて外国人労働政策を取り仕切る力がなかったことが、結果的に「移民政策の不在」と呼ばれても仕方のない事態を引き起こしていることがわかります。
別に示し合わせたわけではないのですが、是川さんの本とはほぼ同時期に、同じように客観的な立場からの分析を目指しながら、ある意味対照的な認識を提示する形になっており、こういう風に両者を照らし合わせながら読んでいただくと、より楽しめるのではないかと思います。
以下、本書の内容を詳細に紹介していき、最後近くで、
このように、本書は霞が関の縄張り争いと日本型雇用と法務省などが考える制度のミスマッチが外国人労働者をめぐる政策を混迷と、根本となる政策の不在を生んだことを明らかにしています。
本書を読むと、法務省には法務省なりの理屈があったことはわかりますが、結局、「外国人労働者法」のような包括的な法制度はつくられずにここまできてしまったわけです。
と、まとめていただいております。
その次の末尾に、本書のある引用部分をそのまま引用されているのですが、それがこの30年の端的な要約になっているという仕掛けになっています。見事な書評をいただき、ありがとうございました。
福岡の経済メディアデータマックスが出している『I・B(Information Bank)』2016新春特別号に「雇用システムと若者雇用」を寄稿しました。
https://www.data-max.co.jp/article/83266
この雑誌に寄稿するのは、昨年の新春号、夏季号に続いて3回目ですが、今回は若者雇用です。
私は今から十数年前、若者雇用に関する本を翻訳し、自著を刊行したことがある。すなわち2010年にはOECDの報告書である『日本の若者と雇用』、2011年には『世界の若者と雇用』を翻訳した。また2013年には一般向けの『若者と労働』(中公新書ラクレ)を刊行し、これは今まで10刷を重ねている。同書で私が強調したのは、欧米と日本では雇用システムが全く異なり、そのために若者雇用の姿が全く異なって現われてくるということであった。欧米(及びアジア)のジョブ型雇用社会では、企業とは様々な職務(ジョブ)の束であり、それぞれの職務にそれを最も的確に遂行しうる人材を採用して嵌め込むことが「採用」ということの唯一の意味になる。つまり採用とは全て(新たなポストを創設する場合も含め)欠員補充なのであり、「その仕事をできる人」を採用するのが当然である。この「当然」というのは、企業経営上その方が合理的だというだけではない。あるポストに応募してきた複数人の中から、その仕事をできる人を差し置いて、その仕事をできない人を採用したとするならば、それは明白な採用差別となる。とりわけ、できる人が女性でできない人が男性であったり、できる人が黒人でできない人が白人だったりすると、訴えられて勝つ見込みはほとんどない。圧倒的に多くの日本人にはこの肝心要のところがほとんど理解されていない。差別というのは何か感情的な話だと思い込んでいる。それは、ジョブ型雇用社会のイロハのイが全く理解されていないからである。こういうジョブ型雇用社会においては、若者というのは不利な立場に立たされる。とりわけ学校を卒業したばかりの新卒者は、仕事をしたことがないのだから「その仕事ができます」と応募することは難しい。経験を積んだ中高年齢者と競争すれば、企業側は(差別と言われないように自己防衛するためにも)未経験の若者ではなく経験のある中高年齢者を採用することになる。つまり、ジョブ型社会では、若者は若者であるが故に労働市場で不利な立場に立たされることになるのである。この点も、新卒一括採用システムに慣れ親しんで、それ以外の採用を「中途採用」などとあたかも例外であるかのようにみなしている日本人にはなかなか理解しがたい点であろう。もっとも、「その仕事ができる」証明は職歴に限らない。学歴もそうである。というと、日本も学歴社会だから同じじゃないか、と思われるかもしれないが、根本的に異なるのは、学歴すなわち教育機関の卒業証書(ディプロマ)が「その仕事ができる」証明であるという点である。それゆえ、ビジネススクールの卒業証書は、企業の管理職ポストへの最強のパスポートになる。しかしながら、すべての学校の卒業証書がその卒業生の職業スキルを証明してくれるわけではない。そうすると、自分の職業スキルを証明してくれる材料を持たない低学歴の若者は、つらく苦しい「学校から仕事への移行」の時期を過ごさなければならなくなる。欧米社会というのは、若者が就職しにくい社会なのだ。だから、過去数十年にわたって、欧米諸国の雇用対策というのは、中高年などはほったらかしにして、ほとんどもっぱら若者の就職対策に集中してきたのである。先に挙げたOECDの報告書『世界の若者と雇用』に、大変印象的なグラフが載っている。学校から職業への移行がうまくいったかどうかで、若者を「勝ち組」「うまく入り込めなかった新参者」「取り残された若者」「教育に戻った若者」の4つに分けている。さて、ここでいう「勝ち組」(high performer)の定義は何だとお考えになるだろうか?OECDのいう「勝ち組」とは、教育を離れた後の5年以上の期間、その期間の大部分(70%以上)において雇用に就いており、学校を離れてから初職を見つけるのにかかった期間が6か月未満の若者のことである。え?それでどこが「勝ち組」なのか?と多くの日本人は思うだろう。いや、それで「勝ち組」なのだ。それが、若者は就職できないのが当たり前の欧米社会の常識なのである。就職氷河期のような特殊な時期を除けば、誰でもがほぼ間違いなく自分の就職先を見つけ出すことができた日本から見れば、つまり若者雇用問題が存在しなかったかつての日本からすれば、とても「勝ち組」に見えないような若者が「勝ち組」であるのが、欧米のジョブ型雇用社会なのである。そして、欧米諸国の若者雇用対策はほぼ揃いも揃って、スキリング、つまり教育訓練を施して何らかの職務のスキルを身につけさせることに焦点を当ててきた。なぜ若者は就職できないのか?それはスキルがないからだ。ならばスキルを与えよう。さすれば就職できるであろう。実のところ、欧米諸国の若者雇用対策はほぼこの一言に尽きるのである。そのために膨大な予算が組まれ、様々な若者雇用対策が講じられてきたが、にもかかわらず若者はなかなか就職できない。卒業即無業というのがデフォルトルールで、そこから必死に這い上がって何とか就職にたどり着くという在り方自体に変わりはないからだ。そこで、卒業する以前から、在学中から、就職させてしまえばよいのではないかという発想が出てくる。これは別に新しい考え方ではなく、ドイツやその周辺諸国では昔から行われてきているデュアルシステムというものだ。これは、中世のギルド制度に起源を有するとも言われる仕組みだが、一言でいえば学校教育の枠組みの中で、学校における座学と企業現場における実習とを組み合わせた仕組みである。かつては主として後期中等教育つまり高等学校レベルで行われてきたが、最近は高等教育つまり大学レベルでも盛んに行われるようになっている。学校の座学と企業現場の実習を組み合わせるといっても、その組み合わせ方は半端なものではない。両者が同じくらいの分量で組み合わされているのある。例えば、高校の3年間、毎週の週日のうち3日間は学校に通って基礎科目や職業科目について勉強をし、残りの2日間は企業現場に通って職場の管理者や先輩労働者に教わりながら実際に作業をやって、職業スキルを身につけていくというパートタイム型もあれば、数か月間は学校に通って勉強をし、次の数か月間はずっと企業現場で作業をするというブロック型のやり方もある。デュアルシステムの下では、学校の生徒や学生が同時に企業で働く見習労働者でもある。スキルのない若者が企業現場で実習を通じてスキルを身につけるという点では、日本のやり方と似ているといってもよいが、一番重要な点は、デュアルシステムで実習している生徒や学生は、卒業したらその実習している企業に就職するとは限らないということである。デュアルシステムは政府が援助しているが、その主体は地域の業界団体であり、その会員の企業が業界全体の技能労働者養成という目的のための活動として若者を見習労働者として受け入れているのである。決して自分の会社のために、自社の将来の人材を養成するという狭い目的のためにやっているわけではない。これはやはり、ギルド的な業界のつながり、強い絆があって初めて行えることであろう。なお、これまでデュアルシステムは主として高校レベルで行われてきたが、近年の大学進学率の上昇に対応して、同じようにデュアルシステムで勉強しながら職業スキルを身につける専門大学という教育機関が急速に拡大してきている。今では高等教育機関の6割以上はアカデミックな大学ではなく、専門大学なのである。このお陰で、ドイツやその周辺諸国はEUの中では例外的に若年失業率が低く、ほぼ日本並みである。これに対して、フランスをはじめとする多くのEU諸国で広がっている教育から職業への移行の装置はトレーニーシップ(研修制度)である。スキルがないゆえに卒業後就職できない若者を、労働者としてではなく研修生として採用し、実際に企業の中の仕事を経験させて、その仕事の実際上のスキルを身につけさせることによって、卒業証書という社会的通用力ある職業資格はなくても企業に労働者として採用してもらえるようにしていく、という説明を聞くと、大変立派な仕組みのように聞こえるが、実態は必ずしもそういう美談めいた話ばかりではない。むしろ、研修生という名目で仕事をさせながら、労働者ではないからといってまともな賃金を払わずに済ませるための抜け道として使われているのではないかという批判が、繰り返しされてきている。とはいえ、ジョブ雇用型社会のヨーロッパでは、研修生であろうが企業の中で仕事をやらせているんだから労働者として扱えという議論が素直に通らない理由がある。労働者として採用するということはそのジョブを遂行するスキルがあると判断したからなのであって、そのスキルがないと分かっている者を採用するというのは、そのスキルがある応募者からすればとんでもない不正義になるからである。スキルがない者を採用していいのは、スキルを要さない単純労働だけである。そして、単純労働に採用されるということは、ほっとくといつまで経ってもそこから抜け出せないということを意味する。ジョブ型雇用社会というのは、本当に硬直的で面倒くさい社会なのだ。スキルがない者であるにもかかわらず、スキルを要するジョブの作業をやらせることができるのは、それが教育目的であるからである。労働者ではなく研修生であるという仮面をかぶることで、スキルのない(=職業資格を持たない)者がスキルを要するジョブのポストに就くことができるのである以上、この欺瞞に満ちた研修制度という仕組みをやめることは難しい。とはいえ、さすがにそれはひどいではないかと声が高まり、EUでは2014年に「研修制度の上質枠組みに関する理事会勧告」という法的拘束力のない規範が制定されている。そこでは研修制度の始期に研修生と研修提供者との間で締結された書面による研修協定が締結されること、研修生の権利と労働条件の確保、手当や報酬が支払われるか否か、支払われるとしたらその金額を明示すること、期間が原則として6カ月を超えないこと等が求められている。とはいえこれは法的拘束力のない勧告なので、実際には数年間にわたり研修生だといってごくわずかな手当を払うだけで便利に使い続ける企業が跡を絶たない。欧州委員会は2024年3月に研修生(偽装研修対策)指令案を提案し、去る2025年6月に閣僚理事会で一般的アプローチに合意され、同年10月欧州議会でも意見がまとまり、両機関の間で交渉が始まっている。原案では研修を偽装した正規雇用関係を判断する5要件が示され、また均等待遇や期間の上限などが盛り込まれているが、最終的にどのような規定に落ち着くかはわからない。いずれにしても、これがジョブ型雇用社会における若者雇用の実態なのである。これと比べると、職業資格や職業経験のまったくないど素人を好んで採用し、採用してから適当な職場に配置して、上司や先輩がその若者に作業をさせながら鍛え上げていくというのが、日本的なメンバーシップ型社会の最もメインストリームのやり方である。OECDの『世界の若者と雇用』では、先進諸国の若者雇用を4つに類型化しているが、日本はそこにうまくはまらない。同報告書では、第1グループは北欧やオランダなどの「働きながら年長まで勉強」モデル、第2グループはアングロサクソン諸国などの「働きながら勉強」モデル、第3グループは多くの欧州諸国が含まれる「まず勉強、それから仕事」モデル、そして第4グループはドイツ、スイス、オーストリアの「実習制度」モデルであり、このうち第3グループは若者の就業率が低く、ニート率が高いなど問題山積なので、学習と労働を組み合わせる方向の政策をとるべきだと力説する。ところが、奇妙なことに、第3の「まず勉強、それから仕事」モデルの最も典型的な国が日本であるにもかかわらず、その若者雇用のパフォーマンスはドイツよりもいいくらいなのだ。その理由は、日本独特の「入社」の仕組みにある。私が「教育と職業の密接な無関係」と呼ぶ「スキルがなくても、いやむしろ下手にスキルのない若者の方を選好する」日本企業の行動様式が、この欧米人には理解不能な事態をもたらしているのである。最後に、本誌の特集との関係で、AIが若者雇用にどのような影響を与えるかを考えておこう。実のところ、AIが今後どこまで進化していくか、私も分からないし、誰も分からないだろう。ホワイトカラーが従事している多くの知的な仕事の大部分が代替されるという議論もあるし、そこまではいかないという議論もある。ただ現時点で起っているのは、比較的低スキルの、エントリージョブといわれるジョブがAIによって代替され、その結果普通の大卒クラスの若者が(就くべきジョブがなくなったので)就職できないという事態である。この点に関する限り、日本ではそもそもジョブに就くのではなく、会社の社員として全人格的に「入社」するのであるから、同じことは起らないだろう。「入社」後にあてがわれ、上司や先輩に鍛えられながら身につけていくべきスキルが初めからより要求水準の高いものになるだけである。それもしんどいが、しかしそれで済むかどうかは分からない。AIが代替するのがエントリーレベルに留まる保証などないのだから。ホワイトカラーが総体として今までのような規模では不要になっていくのだとしたら、若者であろうか中高年であろうが雇用が危なくなる可能性は否定できない。そうなれば、AIの苦手な繊細な手作業を行うブルーカラーの方が安泰になるのかもしれない。いずれにしても、現段階では鬼が笑う話である。
一昨日のこの記事はかなり多くの方に読まれたようですが、
ここに述べたことを、昨年末に『週刊東洋経済』12月20日号に「労働時間の規制と緩和 日本はどちらも難しい」という1ページの記事として書いておりました。
もう出てから2か月以上経つので、全文をここに掲載しておきますね。この図は、週刊東洋経済編集部の黒崎亜弓さんが作ってくれたものです。

大内伸哉『最新重要判例200[労働法]<第9版>』(弘文堂)をお送りいただきました。
https://www.koubundou.co.jp/book/b10154485.html
働き方の多様化や生成AIの出現で構造変化が進むなか、いま押さえておくべき200判例を厳選して解説した判例ガイド。
膨大な判例の中から新しいものを中心に一貫した視点で重要判例を選び、単独執筆により統一的に理解できます。判旨の要点がひと目でわかるよう2色刷りにし、読者の学習に配慮した判例解説の決定版です。
今改訂では、必要かつ十分な判例を読者に届けるという目標を再確認し厳選した結果、10判例を削除、新規判例10件を追加しました。限られた紙幅の中で、関連判例や最新の法令情報も可能なかぎり盛り込んでいます。法学部生をはじめ、各種国家試験受験生、社労士、企業の人事・労務担当者に最適なコンパクトな判例集。
たった一人で選択した判例集としておそらく唯一のこの本も、ほぼ2年ごとの更新で第9版を迎えました。200という枠を設定して、これを入れるならあれを外すしかないと色々と考えてこのラインナップになったのでしょう。
私も、市販本ではないですが、JILPTの資料シリーズとして『個別労働関係法ハンドブック』という判例集みたいなものを作ったりしたので、判例選びって難しいだろうなと思います。
ちなみに、今回入った渋谷労基署長(山本サービス)事件は、例の家事使用人扱いされた家政婦の事件ですが、大内さんは解説の最後で、
・・・このため家政婦の紹介サービスも職業紹介と位置づけられるが、労基法等の責任主体としての適格性と家政婦の保護を考えれば、紹介事業者が家政婦を雇用し、家庭が指揮命令するという労働者派遣とみて(労派法2条1号を参照)、個人(家庭)ではなく事業者が使用者としての責任をとる形態が推奨されるべきであろう。
と、きわめてまっとうな意見を述べています。
朝日新聞が「高市首相、裁量労働制の見直し表明へ 拡充念頭か、施政方針演説原案」と報じていますが、
https://www.asahi.com/articles/ASV2K3QTNV2KULFA017M.html
働き方改革の見直しをめぐり、高市早苗首相が、特別国会の施政方針演説で裁量労働制の見直しを表明する方向で調整していることがわかった。就任時に指示した「労働時間規制の緩和検討」から具体策に踏み込む形で、裁量労働制の拡充などを念頭に検討を加速する狙いがあるとみられる。
判明した原案では、経済成長戦略の一環として、時間外労働に上限規制などを設けた「働き方改革」について、「働き方改革の総点検においてお聞きした労働者の方々の声を踏まえ、裁量労働制の見直し」を打ち出す。
実は、昨年就任したばかりの高市首相が厚労相に労働時間規制の緩和を指示したときに、その緩和って具体的にどの労働時間規制の緩和なの?という疑問がありました。
昨晩、都内某所で某氏と会話。高市総理は「労働時間規制の緩和検討」を指示したけれども、一体誰のどういう労働時間規制を緩和したいのだろうか?
これが連合と経団連が労政審でぶつかる話であるなら、話は簡単。ブルーカラー向けの労基法の労働時間規制がふさわしくない自律的に働くホワイトカラーの労働時間規制を緩和せよ、という話だ。実際、過去30年にわたって、裁量労働制、ホワイトカラーエグゼンプション、高度プロフェッショナル制度と、この話は繰り返され、高プロがほとんど空振りになってしまったので、もう一遍裁量労働制を大きく拡大しようというのは、経団連が最近も言っている。そういう話なら、そういう話として対処できる。でも、高市総理の頭にあるのはたぶんそういう話じゃない。
地方の中小企業、それもトラックなどの運輸業や建設業は、5年の猶予期間が切れて昨年4月から上限規制がかかっているが、ただでさえ人手不足で回らないうえに、数少ない労働者を長く働かせて何とか回そうとすると、上限規制に引っ掛かるからそれ以上働けません、とくる。実は、いま日本の地方の中小企業、とりわけ運輸、建設業といった業種の事業主は、裁量労働制だのエグゼンプションだのと言った東京のきれいなオフィスにいる連中の話なんか関心ない。そんな話はどうでもいいから、この上限規制を何とか緩めてくれと悲鳴を上げている。
で、保守本流ではない高市総理の耳に入ってくる「労働時間規制の緩和」を求める声ってのは、経団連流の裁量労働だのエグゼンプションじゃなくって、こういう地方中小企業の、とりわけ運輸、建設業の上限規制を何とかしろという声である可能性が高いのではないだろうか。
てな話をしてました。
これは、高市首相肝煎りの日本成長戦略会議においても、上限規制の緩和を求める日本商工会議所と、裁量労働制の緩和を求める経団連の間に、はっきりとした断絶が見られたのです。
昨日、官邸で第2回日本成長戦略会議が開催されました。注目すべきは、大企業を代表する経団連と中小企業を代表する日本商工会議所から、それぞれ全くベクトルの異なる二つの労働時間規制緩和論が示されていることです。
経団連の筒井会長は、従前繰り返し求めているように、裁量労働制のさらなる拡充を求めています。
一方、日本商工会議所の小林会頭は、働き方改革で導入された時間外休日労働の上限規制の緩和を求めています。
今回の報道は、この経営側内部の対立が、裁量労働制の緩和を求める経団連の側の勝利になりつつあるということのようです。
批判派はなんでもかんでも味噌も糞もまぜこぜに労働時間規制緩和反対とだけしかいわないので、こういうきめの細かい分析が抜け落ちてしまうのですが、政治過程分析で大事なのはこういう所なんですよ。
これは、今後仕事が下ろされてくる厚労省サイドからすると相対的には望ましい展開といえます。というのも、上限規制はそもそも過労死するような長時間労働はだめだという話なので、緩和するというのはダイレクトに過労死させてもいいのか、という話になってしまい、なかなか理屈が立ちにくいのに対して、裁量労働制は確かに総合職ホワイトカラーが実際に裁量的な働き方をしている面があり、かつ労働時間ではなく成果で評価すべきだという議論が本人にも正当性を持って受け入れられる面があるので、長時間労働による健康障害を防止する措置を講じつつ、というあれこれを付け加えながら、一定の正当性のある法政策を講じることができる可能性があるからです。
そもそも論からいうと、なぜ裁量労働制やエグゼンプションがかくも大問題になってしまうのかというと、拙著『管理職の戦後史』でも論じたように、ホワイトカラーがマネージャー、スペシャリスト、アシスタントの3階級にきれいに分かれ、前2者はエグゼンプトであり、後者はノンエグゼンプトであり、そのやっている仕事は別々であるジョブ型社会に対して、日本的なメンバーシップ型社会では、総合職サラリーマンというのはみんな、課長でなくてもなにがしかマネージャー的な仕事をし、専門職でなくてもなにがしかスペシャリストがするような仕事をし、でもやっぱりヒラなのでクラーク的な単純作業に従事しているというアマルガム的存在だからです。
人事部の職員で、高級な「現行の人事制度の問題点やその在り方等について調査及び分析を行い、新たな人事制度を策定する業務」ばかりを行い、「人事記録の作成及び保管、給与の計算及び支払、各種保険の加入及び脱退、採用・研修の実施等の業務」などという低級な業務は一切やらないなどという鼻持ちならない奴は一人もいないでしょう。でも、企画業務型裁量労働制の指針では、そういう奴しか適用できないことになっているのです。ジョブ型社会であればまことにもっともな厳格な業務内容による区分が、全部ごたまぜの大部屋日本式メンバーシップ型サラリーマンには、まことに適用しにくいものになってしまうわけで、これは雇用システム論の根本にも関わる話でもあるのですね。

毎月私が書評を書いている『労働新聞』に、拙著『外国人労働政策』の紹介が載りました。
https://www.rodo.co.jp/column/213410/
報道を史料に過程追う
なぜ日本は外国人を労働者として受け入れず、研修生などの形を採ってきたのか――著者の濱口桂一郎氏は、背景には外国人政策における労働省と法務省の権限争いと、日本型雇用慣行の特殊性があると説明する。
本書は、政策過程を明らかにするため、新聞報道を史料としている。たとえば1988年、労働省が職業安定局を実施者とする「雇用許可制」を提案。一方で法務省は、労働者性を否定する「研修」案を推し進める――公式発表で分かるのはここまでだが、その2年前の報道をみると、法務省内でも外国人を「労働者」として受け入れる政策を検討していたことが分かる。
現行制度の成立ちから、その「なぜ」を理解する一助になるだろう。
八代尚宏さんより『「政府の失敗」の克服―規制改革をどう進めるか』(日本法令)をお送りいただきました。
1990年代から続く日本経済の長期停滞を克服するには、需要の喚起だけでなく、産業や企業の生産性向上という供給面の政策が必要です。そのためには企業の新規投資を妨げている旧来の規制の改革が重要です。
必要な規制改革を進めるための理論的枠組みとして必要なのは、「市場の失敗」を補うために政府の介入が必要という伝統的な考え方に対して、「政府もまた失敗する」という認識です。
本書は、「政府の失敗」の事例として、年金制度改正、少子化対策、外国人労働行政、農業政策、東京一極集中是正策、労働市場制度などについて検討し、克服のための具体策を提示します。
対象分野は以下のように非常に広範にわたっていますが、外国人労働者受入れ政策の章は、ちょうど私も『外国人労働政策』を上梓したばかりでもあり、大変共感をもって読みました
第1章 「市場の失敗」と「政府の失敗」
第2章 規制改革への歴史的接近
第3章 将来人口推計と年金財政検証
第4章 第3号被保険者と遺族年金
第5章 異次元の少子化対策の失敗
第6章 外国人労働者受入れ政策
第7章 農業政策の失敗
第8章 東京一極集中是正策の失敗
第9章 労働市場改革の課題第6章 外国人労働者受入れ政策
1.外国人労働の役割
2.移民政策の定義
3.外国人増加の財政効果
4.外国人の犯罪率
5.経営・管理ビザの問題点
6.外国人の社会保険加入
7.外国人登録制度の改善
8.「外国人雇用法」の制定
9.日本の移民輸出国としての経験
拙著『外国人労働政策』(中央公論新社)を読まれた神行太保さんが、
高度人材のポイント計算、自分にはめてみると80点なんやけど合ってるのか不安になるし、同僚の中国人女子が65点はええんか?と思わなくもない 彼女、別にそこまで高度な人材ちゃうぞ
と呟いているのですが、いやまさにそれが狙い目。
ブルーカラー外国人労働者を「単純労働者」と見下して建前上受け入れないと言い続けてきたその一方で、単に大学や専門学校卒業レベルのホワイトカラー労働者を「専門・技術的労働者」と誇大広告して導入してきた結果、いまや「技人国」は技能実習よりも特定技能よりもいわんや定住者よりも多数を占めるに至っているわけですが、それ以上に超誇大広告な在留資格が、鳴り物入りで導入されてきた「高度専門職」であって、その中身がいかに怪しいものであるかをよく分かっていただくために、拙著252~253ページには、その高度人材のポイント計算表を載せて、自分だったら何点取れるかをその場ですぐに計算して頂けるようにしておいたのです。
これでいけば、あなたもわたしもみんな高度人材になっちゃうよ、という話です。
まず、ごく普通の大学を卒業していればそれで一〇点。大学卒業後五年以上経っていればそれで一〇点。年齢が二九歳以下で年収が四〇〇万円あればそれで一〇点。この年齢二九歳以下というのがそれだけで一五点。そして(これは日本人なので当たり前ですが)本邦の高等教育機関において学位を取得しているので一〇点。ここまででもう五五点になります。これに、日本人なので当然その能力があるはずの日本語能力試験N1合格者以上の一五点を加えると、それだけで合格点の七〇点に到達してしまいます。
もちろん、外国人は最後の日本語能力のところにハードルがありますが、高度な専門能力を証明するはずの部分に関する限り、日本人であればそんじょそこらのごく普通の若手ホワイトカラー労働者でも「高度専門職」になれてしまうような要件設定になっていることは確かなようです。しかしながら、これは入管法の欠陥というよりは、入管法が作動する場としての日本の雇用社会そのものの性格がもたらしているというべきでしょう。つまり、日本社会においては、ホワイトカラー労働者はエリート層とノンエリート層に明確に区別されていないという特徴です。
アメリカであればビジネススクールをはじめとした大学院レベルを卒業したエリート層ホワイトカラーがはじめから管理職や専門職として就職し、はじめから労働時間規制の適用除外(エグゼンプト)として高給で処遇されますし、フランスでもグランゼコールと呼ばれる高等専門教育機関の卒業生がはじめから高給の管理職、専門職(カードル)として、普通の大卒ホワイトカラーとは隔絶したキャリアを歩んでいきます。ところが日本では、戦前には民間分野でもホワイトカラーが大卒のエリート層と実業学校卒のノンエリート層の二層制でしたが、戦後その区分はなくなってしまい、ホワイトカラーはすべてトップに上り詰める可能性のあるエリート候補生として、しかし若いうちはみんなノンエリート的な雑巾がけの仕事をやらされるという平等主義的な社会になってしまいました。私はこれを「みんながエリートを夢見る社会」と呼んだことがありますが、その価値判断は措くとして、それが欧米の制度を見習って作られた「高度専門職」という在留資格との間に矛盾をはらんだものであることは間違いありません。
佐々木俊尚さんが、voicyの「毎朝の思考」で、外国人労働(移民)問題に関する二冊の本を取り上げて喋っていて、そのうちに拙著『外国人労働政策』(中央公論新社)も入っています。
https://voicy.jp/channel/2185/7527566
「外国人労働者問題の解像度を上げる2冊」とのことで、もう一冊は是川夕さんの『ニッポンの移民』(ちくま新書)です。
本日の日経新聞の書評欄で、拙著『管理職の戦後史』(朝日新書)が1段ベタ記事ですが紹介されています。
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO94256950W6A200C2MY6000/
管理職は戦後から現在まで日本型雇用システムの重要な存在であり続けてきたが、その立ち位置は驚くほど変わった。働き方改革から取り残され、権限は乏しいのに残業代が出ない「名ばかり管理職」のイメージが強いが、終戦直後は労働運動の先頭に立って経営者を追及していた。最近では若者から「罰ゲーム」とさえ呼ばれるようになった管理職の波瀾万丈の歴史をたどり、その在り方を考える。
八代充史・牛島利明・梅崎修・島西智輝・南雲智映・山下充編『戦後労働史研究 成果主義人事管理 オーラルヒストリー 90年代以降の富士通・NECの制度改革』(慶應義塾大学出版会)をお送りいただきました。ありがとうございます。
https://www.keio-up.co.jp/np/isbn/9784766430868/
・90年代に導入された「成果主義」とは何だったか。
・大変革期の中、企業はいかにして制度改革を実行したのか。
・社員・管理職・経営陣・組合員は成果主義をどう捉えたのか。90年代初頭、それまでの年功序列の評価に替わり、個人業績によって報酬等を決める「成果主義」を導入する制度改革が、リーディング・カンパニーである富士通とNEC で実施された。その背景や運用や試行錯誤の実態を、当時者へのインタビューによって明らかにする。今日の人事管理の諸問題の検討にも役立つ1冊。
『能力主義管理』『新時代の日本的経営』『日産・ルノー』ときたオーラルヒストリーの4冊目で、あの90年代の富士通の成果主義を推進した人々の生の証言が読めるというだけで、これはもう面白くないはずはないという一級史料です。
はじめに
解題 本書の概要とその意義(八代充史)
第1部 富士通の成果主義人事管理
第1章 成果主義導入の背景――三宅龍哉氏
第2章 メガコンペティションへの対応と成果主義――岡田恭彦氏
第3章 労働組合はいかに成果主義に対応したのか――山形進氏
第4章 富士通の人事改革――飯島健太郎氏
第2部 NEC の成果主義人事管理
第5章 成果主義導入の目的――佐藤秀明氏
第6章 報酬をめぐる制度改革――瓜生光裕氏
第7章 役割を基準とした等級制度――上南順生氏
90年代の富士通の成果主義を勤労部長、人事勤労部長として推進した岡田氏、その下で勤労部プロジェクト課長として切り込み隊長として活躍した三宅氏の二人の回想と、その時期に富士通労働組合の労働対策部長、中央書記長としてカウンターパートとして対応した山形氏の回想とが、見事に噛み合っていて、これが決して経営側が突っ走ったという分けではなくむしろ労働組合側の強い問題意識に引っ張られる面もあって進められたということが、浮かび上がってきます。
八代 労働組合は裁量労働制を適用することとか、あるいは世間一般でいう、社長が当時使われていた成果主義を導入するということに関しては、どうだったのでしょうか。
三宅 基本的にはスタンスは前向きですね。・・・当時の中央執行委員長の渡辺紀暢さんから直接伺った話です。
今までの組合活動を通じた集団的な労使関係で、平均的な賃金水準はずいぶん高くなってきて、最低限の下支えはずいぶんできてきた。これから先の処遇の改善では、一律に配るのではなくて各人の貢献に見合って配分すべきではないかと。だから底上げはできたので、ここから先はやった人に配ろうではないかと。素晴らしい問題意識だと思います。
それで、さらにこれも渡辺委員長から何度も聞いているのですが、「成果主義は組合から社長に提案した」と。そういうことなので、あるべき論をめぐるは労使間ではなかったといっていいと思います。・・・
この背景の一つは、日本的な企業別組合であるわけですが、
八代 日本の企業別組合は、もともと会社以上に会社のことをよく知っているし、会社思いですからね。
岡田 いま、会社以上にとおっしゃいましたよね。まったくそのとおりで、会社以上に会社が勝ってほしいと思っている。同時に漏れそうな人を救済するのが組合の役割ですから、それもやってくれるわけです。それでも、富士通労組でいえば、会社以上に富士通がメガコンペティションで勝ち残ることを強く願っていると。むしろ、山本や関沢ですら感心するぐらいだったと思いますね。
組合側の山形氏の回想によれば、これは組合員のマジョリティを占めるようになった技術者たちの気持ちの反映でもあったようです。
八代 ・・・富士通の労働組合も、成果主義の定義にもよるのですが、どちらかというと成果主義に対してはそんなにネガティブではなく、むしろ経営側の問題意識に積極的に応えていったという理解でよろしいでしょうか。
山形 平等よりも、公平公正を求めるようになったわけです。さっき言った、SEの例が顕著ですけど、仕事の質が悪い人の収入が多くて、仕事の質がいい人が少ないというのは変でしょう。・・・
これを見て思いだしたのは、『管理職の戦後史』で、企画業務型裁量労働制の議論の元になったものの一つである松下電器産業労組研究所『よみがえホワイトカラー』です。これが労働側から大幅な裁量労働制の導入を訴え、これに反応する形で日経連が裁量労働制研究会で提起していくという流れになるわけですが(拙著186頁以下)、富士通にしろ、本書でもう一つ取り上げられているNECにしろ、あるいは極めて日本的な会社だと思われていた松下電器にしろ、当時の電機労連(現在の電機連合)に属するエレクトロニクス系の労働組合は、共通した問題意識を持っていたとこが窺われます。
本日の日経新聞に、礒哲司さんが「解雇の金銭救済、3たび議論」というかなりの分量の記事を書かれています。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOTG0887C0Y6A100C2000000/
不当解雇された労働者に、復職するか、金銭の対価を受け取って退職するかを選ぶ権利を与える「解雇の金銭救済制度」について、厚生労働省は今年、新検討会で研究を再開する。直近では2015年以来3度目の議論となるが、11年たつ今も労働者の8割は制度の意図を理解していない。ジョブ型雇用で金銭救済が多い欧州と日本の雇用管理は異なる。救済額の算定式を編み出せるかが法制化の可否を占う。・・・・・
この記事の中に、JILPTの2024年の解雇無効判決後の復職状況調査や、2025年の労働者意識調査の結果がグラフ付で引用されております。それぞれのもとになった調査シリーズの全文はここから読めますので、ご参考までに
調査シリーズNo.244 解雇等無効判決後における復職状況等に関する調査
また、まだ報告書としてはまとまっていませんが、諸外国の実情調査を担当した山本陽大さんにかなり詳しく取材したようで、
同機構の山本陽大主任研究員は「ドイツでは産業別労働組合による権利保護サービスの充実などで労働者が容易に訴訟を起こせるため」と日独の差を説明する。・・・・・・
山本氏は「ドイツで金銭解決が機能する背景には、同一職種に転職した場合は基本給が変わらないジョブ型雇用の徳性がある」と話す。
などと書かれています。

拙著『外国人労働政策』(中央公論新社)を読まれた「大和モロー」という方が、こんなことを呟いておられて、
濱口桂一郎の労働本まじですごい。どこまでもついていこうという気持ちを起こさせる。
あまりにも面白いので、とにかくなんでもいいから濱口桂一郎を一冊、みんな、読もう。
いやぁ、ここまで言っていただけるというのは、ほんとに著者冥利に尽きます。
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