朝日新聞の取材考記@澤路記者
本日の朝日新聞夕刊の取材考記に、澤路毅彦記者が例の裁量労働制の件で書いています。
https://www.asahi.com/articles/DA3S16382419.html
厚生労働省が昨年10月上旬の自民党の会合で示した資料に、裁量労働制に労働時間の上限規制が「適用されない」とあったのを見て驚いた。「厚労省がそれを公言していいの?」と。・・・・
これ、私が本ブログで批判したあの記事の件だよな、と思って読んでいくと、
・・・実際の労働時間に規制がかからないから、厚労省の説明に理由がないというわけではない。実際、このことを記事にすると、「枝葉末節」との批判も頂いた。
ここまで読んで、思わず吹き出しました。これって、本ブログの
本日の朝日新聞の1面トップは「裁量労働制は上限規制の「適用外」 厚労省が自民会合で不正確な説明」という記事ですが、正直言って、何がそんなにけしからんのかよく分からないというか、労働時間の一番大事な肝心要の話をそっちのけにして、法形式論の枝葉末節にばかりこだわっているかの如き印象を受けました。この記事を礼賛している「識者」諸氏に対しても以下同文です。・・・
澤路さんからすると、それはそのとおりだが、そういうのは「制度を批判する側の主張」であって、厚労省自らがそう認めてしまうのは「割り切れなさが残った」ということのようです。
なるほどね、気持ちはわからないではないですが、でも裁量労働制の本質が論ずる立場によって変わるわけでもないと思うのですがね。
過去30年の労働時間制度の焦点は、裁量労働制、ホワイトカラーエグゼンプション、高度プロフェッショナル、そしていま再び裁量労働制と、法制度上はみなし制と適用除外で違うように見えるけれども、やりたい側もやりたくない側も、同じようなものとして対してきたことは間違いないわけで。
そしてそれらに対する私の考えは、近著『管理職の戦後史』で詳細に論じたように、そもそも管理職が限りなくヒラ社員であり、ヒラ社員が限りなく管理職であるこの日本型雇用システムにおいては、これらはみな限りなく正しく、同時に限りなく間違っているとしか言いようがないのですね。そこのところを取り残した議論は全て本質を取り落とした空疎な議論になってしまうのだと思っています。
ただ、今回の記事(エッセイ)の主眼は、そっちよりもその後の
背景を取材すると浮かび上がった来たのは、「働き方改革」で導入された上限規制を必死で守ろうとする厚労省の苦しい立場だ。。
という点にあるようです。これも、本ブログで示唆してきたことですが、やはり上限規制自体の緩和は過労死を促進するのか!?という批判があまりにも明らかなので、管理職でなくてもそれなりに自律的に働いているというそれなりに正当性のある裁量労働制で何とか手を打ちたいという気持ちはとてもよくわかります。まあ、でもいよいよ衆議院が解散されて総選挙になるようでもあり、この先何がどうなることやら誰にとっても全く五里霧中というところなのではないでしょうか。
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