エリートとノンエリートとジョブ型とメンバーシップ型
わたしが世界の労働の在り方の標準形(であるがゆえに特に名前はついてない)とまったく異なる日本独自の労働の在り方を「メンバーシップ型」と名付け、それに対する対義語としてわざわざ日本以外の国では同義反復でありリダンダントな形容でしかない「ジョブ型」という言葉をでっちあげてから20年近く経ちますが、依然として日本的なメンバーシップ型を基準としてしか物事を考えられず、それゆえ日本以外のどこでもわざわざ名前などついていないごくごく当たり前の労働の在り方である「ジョブ型」を、あたかも標準形に対する特異形であり、これまでには存在してこなかった新奇なものであり、そしてこれから目指すべき理想形である、というような、全く造語者の意図と完璧に反するイメージを脳内に溢れさせてしまい、世界中のごくごく普通ノンエリート労働者のごくごく普通の働き方でしかない「ジョブ型」を、世界中の国がこれから目指すべき理想なるべき働き方に描き出してしまう妄想が、これほどまでに日本中に瀰漫するとは、さすがに私でも全く想像していませんでした。
そうすると、当然ながらいやいや諸外国のジョブ型ってのはそんなに立派な代物じゃなくって硬直的で困ったものなんだよという、その点だけを取ればまともな批判が出てくる。いやそれは全くその通りだし、私は一番最初からそれを言ってるんだが、なぜかそういう批判をする人は、世間のジョブ型推進論者の議論ばかり耳に入れているものだから、およそ「ジョブ型」を論じている人はみんな、ジョブ型こそはこれから世界中が目指すべきあるべき働き方であるぞよと唱えているかのごとく思い込んでしまい、そしてそういう人の脳内もまた、客観的に諸国の雇用システムを価値中立的に比較するなどという退屈な学問にはあまり関心はなく、世の人々、とりわけ企業の人事担当者にいかにして新たな新商品を売りつけるかということにしか関心がないので、新商品の営業マンよろしく、「いやいやいこれからはジョブ型じゃなくって自営型であるぞよ」といった風な商売ネタにするばかりで、肝心の雇用システム論の議論を深めることには何ら役立たない人事コンサル用の「ジョブ型」という言葉ばかりがますます氾濫する一方という仕儀に相成り果てていますな。
いうまでもなく、世界標準のジョブ型社会では、下の方の労働者になればなるほどジョブディスクリプションに基づく典型的なジョブ型であるのに対して、スペシャリストやマネージャーといった上層労働者になれば、ジョブ自体が大まかで包括的になり、働き方も自律的になります。その両者の違いに注目すれば、ジョブ型社会の下層労働者が典型的なジョブ型であるのに対して、上層労働者はジョブ型の度合いが薄い、あるいは、雇用契約であっても自営業者とあまり変わらないような自律性を持って働いていると言えます。とはいえ、この雇われながら自律的に働いている労働者は、いかなる意味でも日本的なメンバーシップ型ではない。会社と契約関係で働く働き方に、下層労働者の典型的なジョブ型と上層労働者の自律的な働き方があるということ。
これに対して、日本では上層から下層までメンバーシップにどっぷり漬かってジョブがない。その地位に従って、末端のヒラから経営陣に近い上層管理職に至るまで、日本以外では下層労働者がやるような仕事から上層労働者がやるような仕事まで、少しずつその度合いを連続的に変化させつつも、切れ目なくつながっているところが日本の特色だ。それゆえ、末端労働者で比較すると、ジョブ型社会のジョブディスクリプションに縛られた下層労働者に比べると日本のヒラ社員はまことに自律的に働く。かつて40年前に日本の経済力が世界中に鳴り響いていた時に、日本に強みだと盛んに宣伝されていたのは、このヒラ社員の自律的なモウレツ労働であって、それを成り立たせていたのが「社員」という身分の安定器であり、それを私はメンバーシップ型と呼んだわけだ。
一方で、全く同じ「社員」という身分の安定器の上でヒラ社員と大して変わらないそこそこの自律性を発揮している日本の上層労働者たちを、ジョブ型社会のカウンターパートと比較すると、そんな日本のヒラ社員並みの自律性などとは隔絶したプロフェッシナルなスペシャリストやマネージャーに比べて見劣りするのは当然だろう。そして、そういうところばかりに注目する人々(私は彼らを「エリート視野狭窄症」と呼びたい)は、勘違いした「ジョブ型」をもてはやしてみたり、エリート専用の「自営型」を称揚してみたりする。それは人事コンサルの商売ネタとして大いにおやりになればいいけれども、客観的な雇用システム論を深める上ではあまり役に立たないでしょうな。
参考までに、『週刊東洋経済』編集部が、拙著『管理職の戦後史』に基づいて作ってくれたこの図が、わかりやすいと思います。

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日本はどうもなんでもかんでもガラパゴス化する変な国ですから仕方ないのかもしれません。
・漢字は音読み・訓読みがある→韓国語は普通はほぼ一つの読み。
・ひらがな・カタカナ二種類の書き言葉がある。→他の国はハングル(韓国)字楠(ベトナム)コックグー(ベトナム)など一種類。
・国号「日本」の読みが決まっていない(^^; →二ホン・ニッポンの二種類があるが、決めてないものだから省庁ごとですら統一されていないらしい(^^;私のかつて勤めていた機関で「ニッポンネンキンキコウ」と言わないと上司に叱られた、と言う経験をお持ちの方がいました。法律に定めてないですよ(^^;
・国家・国旗に一応理屈はついてますが、実は「めでたい時に歌う歌」「めでたい時に立てる旗」を無理やり国旗にしただけだった。→他の国は一応理屈はあり、公募した国も多い。
・キリスト教・イスラム教・ユダヤ教のいわゆるアブラハムの宗教の信者が1パーセントしかいない。→韓国・中国・ベトナムでは詳しくは分かりかねますが少なくとも5パーセントはいるかと思います。
・多くの日本人は神道・仏教の二種類の宗教を同時に信じている事になっている。→マーク・マゾワーの名著「バルカン」ではオスマン帝国支配下であるときはキリスト教、あるときはイスラム教、と言う人が結構いたと書いてはありましたが、一応同じ神様を信じてますしねえ(^^;
こういう国ですからガラパゴス的なメンバーシップ型雇用が蔓延しても仕方ないのではないかと(^^;
投稿: balthazar | 2025年12月30日 (火) 20時39分