健康保険法には「哺育手当金」が残ったのはなぜか?
先日『労基旬報』に寄稿した「「育児時間」は本来「哺育時間」であった」に対して、社会保険労務士の大河内満博さんから、健康保険法には戦後もちゃんと「哺育手当金があったぞ」という指摘をいただきました。
「育児時間」は本来「哺育時間」であった@『労基旬報』2025年11月25日号
・・・しかしながら当時の状況を考えると、これはおそらくその直前の1946年11月5日に国語審議会が答申し、同月16日に内閣が告示した当用漢字表の1850字の中に、この「哺育」の「哺」の字が含まれていなかったためではないかと思われます。政府が提案する法律の文言の中に、政府が定めたばかりの当用漢字表にない字を使うわけにはいかないという判断だったのでしょう。
しかしながら、哺乳類という言葉があるように、哺育とは母乳を与えて育てることです。これに対して、育児とはそれよりはるかに広い意味の言葉なので、立案者の趣旨は全く変わらなかったとはいえ、字面の上では誤解を招きかねないものになってしまいました。・・・
平成6年10月1日以降は、現行法にあるように、子どもが健やかに生まれ育つ環境づくりを図る観点から、「分娩費」と「育児手当金」を包括化し、「出産育児一時金」として大幅な給付改善を図ることとなりました。
※ なお、労働基準法第67条の規定による「育児時間」については、歴史的経緯を踏まえたうえ、今後は男性労働者にも取得が可能になるような法改正を妨げるものではないと思われます。
2017年と少し古くなりますが、出産育児一時金と埋葬料に関するニッセイ基礎研究所の資料になります
はい、その通りで、1947年に作られた労働基準法では「哺育時間」という表記を避けて「育児時間」に書き換えているのに、その翌年の1948年には(労働省と別れた厚生省の保険局によって)「哺育手当金」という表記が行われているんですね。
実は、私はこれを知っていました。
『季刊労働法』2022年秋号に載せた「育児休業給付の法政策」の中で、関連制度としてこれにも言及しており、ちゃんと「哺育手当金」という表記も引用しています。
育児休業給付の法政策@『季刊労働法』2022年秋号(278号)
一方少し遡りますが、戦時中1942年3月の勅令改正により哺育手当金が任意給付として創設され(第87条の8)、これが戦後1948年法改正により法律上の必須給付に格上げされました。第50条の2 被保険者ガ分娩シタル場合ニ於テ其ノ出生時ヲ哺育シタルトキハ哺育手当金トシテ分娩ノ日ヨリ起算シ引続キ六月間哺育期間一月ニ付百円ヲ支給ス但シ其ノ期間一月ニ満タザルトキハ之ヲ一月トス1961年6月の法改正により哺育手当金は育児手当金という名称になり、金額は2000円となりました。いずれにしても微々たる額であって、「育児手当金」という名称に勘違いしそうになりますが賃金補填的性格は全くありません。この「育児」という言葉は、労働基準法67条の「育児時間」と同じく、まさに「哺育」つまり授乳のための手当金とみるべきでしょう。なおこれは1994年6月の法改正で廃止され、分娩費とまとめて出産育児一時金となりました。
なぜ労働基準法と異なり、こちらは当用漢字でない「哺」の字が残ったのかといえば、労基法は(内容的には工場法を引き継ぐとはいえ)形式的には全くの新規立法であるのに対して、健康保険法という文語旧仮名遣いの法律に既にある用語をそのまま引き継ぐだけだったからではないかと思われます。
実際、健康保険法もそうですが、かつての民法も当用漢字にない見たこともないような難しい漢字が結構残っていましたよね。
ただ、上記の通り、労働基準法の影響を受けたのかそうでないのか定かではありませんが、1961年に「哺育手当金」は「育児手当金」に変わってしまいました。
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