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2025年12月

2025年12月31日 (水)

大晦日に『ジョブ型雇用社会とは何か』を読んでいただくということ

Fzmhfluacaaelep_20251231182201 1年で一番せわしない師走の大晦日、その日にわざわざ拙著『ジョブ型雇用社会とは何か』を読んでいただき、その感想をX(旧twitter)に書き込んでいただけるというのは、著者冥利に尽きる幸せです。ヘコマルさん、ぱぴこさんの勧めで読まれたそうですが、ピタリだったようですね。

濱口桂一郎『ジョブ型雇用社会とは何か -正社員体制の矛盾と転機』 ぱぴこさん @inucococo が激賞していたので読んでみました。 自分が日々職場で悶々として吠え散らかしていることが、あながち的外れでないことが確認できてよかったです。

ココっ!という一文を抜粋することが難しいぐらい、筆者がありとあらゆる言葉を駆使して全編キレ続けています。 が、敢えて挙げるとすれば「(メンバーシップ型では)何に熟達するかというと、我が社に熟達し、いわば我が社の専門家になるわけです」の一節でしょうか。嫌味が過ぎる。

あと、「管理職とは単なる役割であって、別に偉いわけではない」と自分は職場でよく言っているのですが、一定の年齢以上の方にはあまり理解されません。 その理由が分かった気がしました。

Asahi2_20251231182301 この最後の管理職の話を深堀して一冊にまとめた本『管理職の戦後史』もぜひどうぞ。

 

2025年12月30日 (火)

ココナツ・チャーリーさんの拙著書評

Asahi2_20251230150101 ココナツ・チャーリーさんが、noteの「2025 読書この一年」で、新書新刊の5冊のうちに拙著『管理職の戦後史』を入れて次のように評していただいています。

https://note.com/charlieinthefog/n/ndf940107e966

 『管理職の戦後史』は興味深いネタが多数。個人的に興味を引いた点を列挙しておきますと、①戦前はホワイトカラーとブルーカラーとで法的枠組みも所管省庁も違っていたこと、②戦後の生産管理闘争の時代には管理職が労働組合の運動をリードしていた時代があって、経営側が巻き返す過程で係長・職長レベルを含めた「職制」という概念につながっていったこと、③管理も監督もしないスタッフ職の「管理監督者」が認められる有名な通達の背景には、当局の「思い切り」があったこと、といったあたりです。(12月6日読了)

ちなみに他の4冊は、善教将大『民度』飯田一史『町の本屋はいかにしてつぶれてきたか』小野圭司『太平洋戦争と銀行』内務省研究会編『内務省』でした。

 

 

 

エリートとノンエリートとジョブ型とメンバーシップ型

わたしが世界の労働の在り方の標準形(であるがゆえに特に名前はついてない)とまったく異なる日本独自の労働の在り方を「メンバーシップ型」と名付け、それに対する対義語としてわざわざ日本以外の国では同義反復でありリダンダントな形容でしかない「ジョブ型」という言葉をでっちあげてから20年近く経ちますが、依然として日本的なメンバーシップ型を基準としてしか物事を考えられず、それゆえ日本以外のどこでもわざわざ名前などついていないごくごく当たり前の労働の在り方である「ジョブ型」を、あたかも標準形に対する特異形であり、これまでには存在してこなかった新奇なものであり、そしてこれから目指すべき理想形である、というような、全く造語者の意図と完璧に反するイメージを脳内に溢れさせてしまい、世界中のごくごく普通ノンエリート労働者のごくごく普通の働き方でしかない「ジョブ型」を、世界中の国がこれから目指すべき理想なるべき働き方に描き出してしまう妄想が、これほどまでに日本中に瀰漫するとは、さすがに私でも全く想像していませんでした。

そうすると、当然ながらいやいや諸外国のジョブ型ってのはそんなに立派な代物じゃなくって硬直的で困ったものなんだよという、その点だけを取ればまともな批判が出てくる。いやそれは全くその通りだし、私は一番最初からそれを言ってるんだが、なぜかそういう批判をする人は、世間のジョブ型推進論者の議論ばかり耳に入れているものだから、およそ「ジョブ型」を論じている人はみんな、ジョブ型こそはこれから世界中が目指すべきあるべき働き方であるぞよと唱えているかのごとく思い込んでしまい、そしてそういう人の脳内もまた、客観的に諸国の雇用システムを価値中立的に比較するなどという退屈な学問にはあまり関心はなく、世の人々、とりわけ企業の人事担当者にいかにして新たな新商品を売りつけるかということにしか関心がないので、新商品の営業マンよろしく、「いやいやいこれからはジョブ型じゃなくって自営型であるぞよ」といった風な商売ネタにするばかりで、肝心の雇用システム論の議論を深めることには何ら役立たない人事コンサル用の「ジョブ型」という言葉ばかりがますます氾濫する一方という仕儀に相成り果てていますな。

いうまでもなく、世界標準のジョブ型社会では、下の方の労働者になればなるほどジョブディスクリプションに基づく典型的なジョブ型であるのに対して、スペシャリストやマネージャーといった上層労働者になれば、ジョブ自体が大まかで包括的になり、働き方も自律的になります。その両者の違いに注目すれば、ジョブ型社会の下層労働者が典型的なジョブ型であるのに対して、上層労働者はジョブ型の度合いが薄い、あるいは、雇用契約であっても自営業者とあまり変わらないような自律性を持って働いていると言えます。とはいえ、この雇われながら自律的に働いている労働者は、いかなる意味でも日本的なメンバーシップ型ではない。会社と契約関係で働く働き方に、下層労働者の典型的なジョブ型と上層労働者の自律的な働き方があるということ。

これに対して、日本では上層から下層までメンバーシップにどっぷり漬かってジョブがない。その地位に従って、末端のヒラから経営陣に近い上層管理職に至るまで、日本以外では下層労働者がやるような仕事から上層労働者がやるような仕事まで、少しずつその度合いを連続的に変化させつつも、切れ目なくつながっているところが日本の特色だ。それゆえ、末端労働者で比較すると、ジョブ型社会のジョブディスクリプションに縛られた下層労働者に比べると日本のヒラ社員はまことに自律的に働く。かつて40年前に日本の経済力が世界中に鳴り響いていた時に、日本に強みだと盛んに宣伝されていたのは、このヒラ社員の自律的なモウレツ労働であって、それを成り立たせていたのが「社員」という身分の安定器であり、それを私はメンバーシップ型と呼んだわけだ。

一方で、全く同じ「社員」という身分の安定器の上でヒラ社員と大して変わらないそこそこの自律性を発揮している日本の上層労働者たちを、ジョブ型社会のカウンターパートと比較すると、そんな日本のヒラ社員並みの自律性などとは隔絶したプロフェッシナルなスペシャリストやマネージャーに比べて見劣りするのは当然だろう。そして、そういうところばかりに注目する人々(私は彼らを「エリート視野狭窄症」と呼びたい)は、勘違いした「ジョブ型」をもてはやしてみたり、エリート専用の「自営型」を称揚してみたりする。それは人事コンサルの商売ネタとして大いにおやりになればいいけれども、客観的な雇用システム論を深める上ではあまり役に立たないでしょうな。

参考までに、『週刊東洋経済』編集部が、拙著『管理職の戦後史』に基づいて作ってくれたこの図が、わかりやすいと思います。

Kanrishoku_20251230114101

 

 

 

 

2025年12月26日 (金)

解雇の金銭救済制度はさらにもう一遍有識者検討会で

労働政策審議会労働条件分科会の去る11月18日の議事録がアップされました。前半の労働時間法制の議論の後、解雇の金銭救済制度に係るJILPTの3つの調査結果が報告され、委員の意見が一通り開陳された後、山川分科会長から、話をもう一遍有識者検討会で引き取るという話になったようです。

https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_68076.html

○山川分科会長 ありがとうございます。
 ほかに御意見、御質問等ございますでしょうか。よろしいでしょうか。
 今の鈴木委員、その前の神吉委員の御発言に関しましては、資料No.2-1の8ページに、あっせんの場合と労働審判の場合と赤の裁判上の和解の3つに分かれて金額のデータが出てきて、これはそれぞれの制度の特性をある種反映したようなところがあるのかなというふうに思っております。失礼しました。13ページのほうでしたが、同じような感じになっておりますけれども、青とピンクと赤での分布状況の差異が出てきております。
 それで、様々な御意見ありがとうございました。それぞれの御意見をお伺いしておりますと、また、アンケートでも、解決水準・内容等が分からないと、そもそも判断がつかないというご感想がかなり出てきたということでございます。委員の皆様方から、さらに検討が必要な事項等についての御指摘もいただきました。そういうことを考えますと、今後の議論の素材ないし前提として、具体的な政策的検討を進めるためには、バックペイ等のお話もありましたけれども、解雇による不利益と解決金との関係、あるいは算定方法、上下限の設定可能性等について、より具体的な資料、データを用いて議論しておくことが必要ではないかというふうに感じた次第でございます。
 そうしますと、さらに有識者による議論、これも御指摘がありましたけれども、先だって行われました法技術検討会は相当に法技術的な分析に特化した性格のものでありますけれども、今日の、特に公益委員の先生方の御指摘を踏まえますと、より別個の観点から改めて、さらに有識者による議論を行うべきではないかというふうに感じた次第でございます。専門的な観点から、法学のみならず、経済学等の専門家も交えて、有識者による議論をまず行っておくということが必要かと考えた次第でございます。
 この点につきまして、御質問、御意見等ございますでしょうか。よろしいでしょうか。様々な課題が指摘されましたので、議論の素材ないし前提としての有識者による検討をさらに続けるということでございます。
 それでは、特段ございませんでしたら、皆様から様々御意見いただきましたので、それも留意しつつ、今後の対応をお考えいただきたいと事務局にお願いしたいと思いますが、事務局としては何かございますか。
 それでは、岸本基準局長、お願いします。
○労働基準局長 労働基準局長でございます。
 ただいま分科会長から御指摘いただいた点につきましては、有識者に検討いただく場を設ける方向で検討させていただきたいと思います。
○山川分科会長 それでは、御検討をお願いいたしたいと思います。よろしいでしょうか。

というわけで、この問題は再び三たび、有識者検討会で議論されることになりました。

当面は労働時間関係が大問題なので、実際に動き出すのはだいぶ先になりそうですが、なんだか永遠に回り続けるネタのようであります。

 

岩﨑仁弥『4訂版 社内諸規程作成・見直しマニュアル』

2473148001 岩﨑仁弥『4訂版 社内諸規程作成・見直しマニュアル』(日本法令)をお送りいただきました。

https://www.horei.co.jp/iec/products/view/3996.html

企業にとって必須というべき24のモデル規程と、その策定や見直しをするうえで必要となる視点やポイントを、根拠となる法律や指針等を示しながら解説します。
4訂版では、新たに「内部公益通報取扱規程」、「テレワーク勤務規程」、「テレワークにおけるセキュリティガイドライン」、「副業・兼業規程」、「定年後再雇用規程」を収録したほか、就業規則、育児・介護休業規程なども大幅に内容を見直しました。
また、“規程そのものの作り方”の解説もさらに充実したものとなり、見栄えよく・誤解のない規程を作成するためのノウハウが詰まったものとなっています。 

【序】 きちんとしたルールを整備するために
Ⅰ.規程整備が求められる社会的変化
Ⅱ.社内諸規程作成・見直しに必要な法律知識
Ⅲ.既存の社内諸規程の整備のポイント
Ⅳ.社内諸規程作成のポイント(条文構成等)
Ⅴ.社内諸規程作成のポイント(文章表現、用語の使い方)
Ⅵ.社内諸規程作成のポイント(作成手順)
Ⅶ.規程の実効性を高めるために
【1】就業規則
【2】規程管理規程
【3】文書管理規程
【4】社内諸規程及び業務文書に関する作成基準
【5】組織規程
【6】稟議規程
【7】営業秘密等管理規程
【8】個人情報取扱規程
【9】特定個人情報(マイナンバー)等取扱規程
【10】内部公益通報取扱規程
【11】自動車管理規程
【12】借上社宅管理規程
【13】労働時間管理規程
【14】時間外労働及び休日労働に関する労使協定書
【15】社内貸付規程
【16】テレワーク勤務規程
【17】テレワークにおけるセキュリティガイドライン
【18】通勤手当支給規程
【19】育児・介護休業規程
【20】副業・兼業規程
【21】定年後再雇用規程
【22】慶弔見舞金規程
【23】国内出張旅費規程
【24】国外出張旅費規程

 

 

 

 

2025年12月25日 (木)

労使コミュニケーション法制のこれまでとこれから@『労基旬報』2026年1月5日号

『労基旬報』2026年1月5日に「労使コミュニケーション法制のこれまでとこれから」を寄稿しました。

 昨年1月8日に労働基準関係法制研究会の報告書が公表され、その中のかなり大きな部分を「労使コミュニケーションの在り方について」という項目が占めていました。最も議論が白熱している労働時間法制や、別途労働基準法における「労働者」に関する研究会で突っ込んだ議論が行われている労働者性の問題と並んで、この労使コミュニケーションがこれからの労働法制の在り方を左右する大きな論点であることは間違いありません。今回は、新春号向けの拡大版のトピックとして、この問題のこれまでの経緯と現在行われている議論の概要を見ていき、これからのあるべき姿を考えてみたいと思います。
 
 戦後確立した日本の労働法制は、労働基準法等の労働保護法により労働条件の最低基準を設定し(個別的労働関係法)、最低基準を上回る労働条件については労働組合による団体交渉を通じた労働協約により設定する(集団的労使関係法)ことを予定しています。しかし、こうした伝統的労働法モデルは、労働組合組織率の低下や労働者の多様化によって十分に機能しなくなってきています。とりわけ、多くの労働組合が非正規労働者に加入資格を与えていないため、非正規労働者は使用者に対して発言する機会が乏しくなっています。
 世界的に見ると、集団的労使関係システムは、労働組合のみが労働者を代表しうるシングル・チャネルの国と、労働組合と常設的従業員代表機関の二本立てのデュアル・チャネルの国に分けられます。アメリカとスウェーデンは前者に該当し、ドイツ、オランダ、フランス、韓国等は後者に含まれます。イギリスは典型的なシングル・チャネルの国でしたが、EU指令の国内法化によって限られた場面でのみ労働組合以外のチャネルが設けられ、現在はシングル・チャネル・プラスと呼ばれています。
 この観点で見ると、日本の集団的労使関係法制(労働組合法、労働関係調整法)は純粋なシングル・チャネルで構築されています(もっとも、アメリカのシングル・チャネルが排他的交渉代表制によって単一のシングル・チャネルを確保しているのに対し、複数組合平等主義によって組合のマルチ・チャネルが保障されています。)が、個別的労働関係法における特定の場面において過半数代表に一定の役割が与えられています。より細かく見ると、労働基準法における就業規則の作成・変更時の意見聴取や時間外・休日労働協定の締結等の当事者は、過半数労働組合またはそれがない場合は過半数代表者とされており、制定経緯から見ても過半数労働組合を原則とするシングル・チャネル・プラスとみることができます。
 一方、現実の日本社会における集団的労使関係システムは、労働組合がほとんどもっぱら企業レベルで結成され、この企業別組合が労働組合法の予定する団体交渉を行うだけでなく、それよりむしろ積極的に労使協議を行ってきたことに特徴があります。デュアル・チャネルの国では、産業別労働組合が企業を超えた産業レベルで労働条件について団体交渉を行い、従業員代表機関は企業から情報を提供されて協議を行うという分担が成り立っていますが、それが主体においても内容においても重なり合っているのです。
 もっとも、シングル・チャネルのスウェーデンでも、極めて高い組織率を背景に、全国レベルから企業レベルまで労働組合が団体交渉から労使協議まで行っています。しかし、組織率が2割未満の日本では、これは多くの労働者が集団的発言チャネルから排除されていることを意味します。組合があっても非正規労働者が排除されていることが多いことは前述の通りです。上の分類でシングル・チャネルに追加された「プラス」に当たる過半数代表者についても、常設性や機関性がなく、意見集約やモニタリングの機能を果たしうるようになっていないなど、制度上の問題点が指摘されています。また、選出手続については省令に規定があるとはいえ、実態としては会社側指名など不適切な選出方法が多く見られます。
 従業員代表制については、既に数十年にわたって労働法学者の間でさまざまな議論が闘わされてきていますが、その意見を大きく分けると、まず、従業員代表制の立法化に積極的な意見の中にも、過半数組合があってもこれとは別に従業員代表制を設置するという併存的従業員代表制度論がある(西谷敏ら)一方、過半数組合がない事業所に限って従業員代表制を設置するという補完的従業員代表制度論があります(毛塚勝利ら)。前者が現在の労働組合の活動への低評価に基づいているのに対し、後者は実現可能性と労働組合への悪影響を懸念しているわけです。これに対し、従業員代表制の立法化に消極的な意見の中にも、過半数組合に一定の従業員代表機能を認めるとともに公正代表義務を課すという労働組合強化論がある(道幸哲也ら)一方、労働者の選択の自由を最重視して組合強化の介入をも否定する放任論があります(大内伸哉ら)。いずれも労働組合中心主義に立ちながら、それを法的介入によっても積極的に実現すべきと考えるか、団結権を行使しない方が悪いと突き放すかで対照的となっています。
 
 日本の労働法政策を概観すると、戦前期には内務省社会局や協調会から労働委員会法案が提起され、帝国議会に産業委員会法案が提出されたことがありますが、戦後は基本的に今日に至るまで、純粋シングル・チャネルの集団法と「プラス」に当たる過半数代表制という終戦直後に作られた仕組みを維持してきました。1998年労基法改正により(企画業務型裁量労働制の導入という限られた場面ですが)労使委員会という常設機関が登場しましたが、労使委員会の労働側委員は過半数代表または過半数代表者が指名するため、選出等の問題点はそのままです。
 この労使委員会の役割を大幅に拡大しようとする試みが、2007年労働契約法制定に向けた検討の中で行われました。2005年9月の今後の労働契約法制の在り方に関する研究会報告書は、就業規則による労働条件の不利益変更について、過半数組合または労使委員会の委員の5分の4以上の合意があれば原則として合理性が推定されるという仕組みを提起するとともに、解雇の金銭解決の要件として労働協約や労使委員会の決議を求めるなど、これを労働契約法制の中核に位置づけようとしたのです。
 ところが同年10月から労働政策審議会労働条件分科会で公労使三者構成の審議が始まると、労働側はこれに猛反発しました。労使委員会の制度設計が不十分なまま同委員会に労働条件決定・変更という重要な機能を担わせることに対して労働組合が反発するのは当然ですが、労働側は過半数組合に大きな権限を与えることにも反対しており、明確な集団的労使関係モデルの構想が欠けていたようにも見えます。
 この間、厚生労働省事務局からは労使委員会に代えて「事業所のすべての労働者を適正に代表する者(複数)」という提案が示されたりもしましたが、結局審議の中で消えてゆき、最終的に労働契約法10条において、不利益変更の合理性判断要素の例示として、4番目に「労働組合との交渉の状況」が並ぶだけに終わりました。
 次にこの問題が論じられたのは、2010年代前半期に非正規労働問題の解決の道筋として集団的労使関係システムに着目する議論が提起されたときです。2011年2月の今後のパートタイム労働対策に関する研究会報告書や2012年3月の非正規雇用のビジョンに関する懇談会報告書では、「ドイツの事業所委員会やフランスの従業員代表制度を参考に、事業主、通常の労働者及びパートタイム労働者を構成員とし、パートタイム労働者の待遇等について協議することを目的とする労使委員会を設置することが適当ではないか」と、かなり踏み込んだ提案をしていました。
 こうした流れを受けて、労働政策研究・研修機構(JILPT)は厚生労働省の要請を受けて、様々な雇用形態にある者を含む労働者全体の意見集約のための集団的労使関係法制に関する研究会を開催しました。同研究会は2013年7月に報告書を公表し、①現行の過半数代表制の枠組を維持しつつ、過半数労働組合や過半数代表者の機能の強化を図る方策、②新たな従業員代表制を整備し、法定基準の解除機能等を担わせる方策、を提示しました。しかしながら、その後の非正規労働者の均等・均衡処遇政策においては、この問題意識が顧みられることはなく、2018年の働き方改革においても、派遣労働者の労使協定方式という周辺的な制度が設けられただけで、課題はそのままになっています。
 
 今回の議論の口火を切ったのは、2023年10月の新しい時代の働き方に関する研究会報告で、「働き方の個別・多様化が進む、非正規雇用労働者が増加する、労働組合組織率が低下する等の状況を踏まえると、企業内等において、多様な働く人の声を吸い上げ、その希望を労働条件の決定に反映させるためには、現行の労働基準法制における過半数代表者や労使委員会の意義や制度の実効性を点検した上で、多様・複線的な集団的な労使コミュニケーションの在り方について検討することが必要である。その際、労働基準法制については、労使の選択を尊重し、その希望を反映できるような制度の在り方を検討する必要がある」と、従業員代表制の議論を提起しました。
 これを受けて、厚生労働省は2024年1月から労働基準関係法制研究会を開催し、幅広い議論を開始し、翌2025年1月に報告書をとりまとめました。そこでは「労使コミュニケーションの在り方」として、過半数代表者の適正選出を確保し、基盤を強化するために、①労働基準法における「過半数代表」、その下位概念である「過半数労働組合」、「過半数代表者」の定義、②過半数代表者の選出手続、③過半数代表、過半数労働組合、過半数代表者の担う役割及び使用者による情報提供や便宜供与、権利保護(不利益取扱いを受けないこと等)、④過半数代表として活動するに当たっての過半数代表者への行政機関等の相談支援、⑤過半数代表者の人数や任期の在り方等について、明確にしていくことが必要としています。同報告書は、同月直ちに労働政策審議会労働条件分科会に報告され、同分科会で審議が行われています。
 一方、2024年1月には、経団連が「労使自治を軸とした労働法制に関する提言」を公表し、労働時間規制の緩和を求めるとともに、それとの関係で集団的労使関係枠組みの見直しにも踏み込んでいました。すなわち、過半数労働組合がある企業については労働時間規制のデロゲーションの範囲を拡大する一方で、過半数労働組合がない企業を対象に労使協創協議制(選択制)を創設すべきと論じているのです。これは「過半数労働組合がない企業に限り、有期雇用等労働者も含め雇用している全ての労働者の中から民主的な手続きにより複数人の代表を選出、行政機関による認証を取得、必要十分な情報提供と定期的な協議を実施、活動に必要な範囲での便宜供与を行うなどを条件に、例えば、同一労働同一賃金法制対応のため有期雇用等労働者の労働条件を改善するなど、労働者代表者と会社代表者との間で個々の労働者を規律する契約を締結する権限を付与することが考えられる。また、より厳格な条件の下、就業規則の合理性推定や労働時間制度のデロゲーションを認めることも検討対象になりうる」というものです。
 これはなかなかにくせ球で、労働者の自発的結社である労働組合とそうでない過半数代表者を分けて、前者のみをデロゲーションに係らしめるという発想は、労働法の根本哲学からすると、労働者の意思を反映していない過半数代表者による規制緩和に否定的な労働組合に対し、自らの権限の範囲内については責任を持てよ、という話なのであり、筋論としては反対しづらいうまい球になっています。しかしこのままでは労働組合未組織の大部分の企業ではデロゲーションは不可能になり、中小企業からは苦情が出てきそうです。
 そこで経団連が投げ込んでくるのが労使協創協議制(選択制)の創設ですが、これが労働組合サイドから見て大変なくせ球である理由は、その導入要件にあります。上記「過半数労働組合がない企業に限り、有期雇用等労働者も含め雇用している全ての労働者の中から民主的な手続きにより複数人の代表を選出、行政機関による認証を取得、必要十分な情報提供と定期的な協議を実施、活動に必要な範囲での便宜供与を行う」という文言は、実は連合自身が四半世紀前から提起し続けてきている労働者代表委員会制度の考え方を明確に意識し、それに適合するように考えられたものだからです。「過半数労働組合がない企業に限り」という点が重要です。ほとんど全てが企業別組合である日本の労働組合にとって、同じレベルで従業員代表制が併存することはその存立に関わる脅威になります。それゆえ、連合の見解は、上記学者の議論の2番目の、あくまでも本来の姿である過半数組合が存在しない事業場においてのみ、補完的に労働者代表委員会を設置するという形になっているのです。
 経団連の提言は、「より厳格な条件の下、就業規則の合理性推定や労働時間制度のデロゲーションを認めることも検討対象になりうる」と慎重な言い方になっていますが、論理的筋道からすれば、現在の過半数代表者のようないい加減な仕組みではなく、連合も求めるようなちゃんとした従業員代表制であれば、過半数組合と同様にデロゲーションをやらせてもいいではないか、という結論に至るようになっていると言えましょう。
 
 労政審労働条件分科会では既に1年近く議論が行われていますが、未だ具体的な方向性は示されていません。ただ、9月30日の第203回に提示されたJILPTの調査結果は、過半数代表者の実態について興味深いデータを示しています。過半数代表者の選出方法を前回調査(2017年)と比較すると次の表のようになります。不適正な選出方法(太字)は、前回が
27.6%であったのに対して、今回は16.0%に減少しています。
  2017年 2025年
投票や挙手 30.9% 38.8%
信任 22.0% 20.6%
話合い 17.9% 21.6%
親睦会の代表者等、特定の者が自動的になる 6.2% 2.4%
使用者(事業主や会社)が指名 21.4% 13.6%
その他 0.3% 1.1%
無回答 1.3% 1.8%
 また事業所調査では、任期を決めて選出しているのは23.9%、複数代表者を選出したことがあるのは2.8%ですが、過半数代表者アンケートでは、任期付で選出されたのが50.8%、複数人が選出されたのは34.9%でした。
 各側からの意見で興味深いものを拾うと、労働側からは「選出手続に関する規定は法律に規定すべきであり、選出手続に問題があった場合には当該協定は無効になることを法律で明確に定めるべき」とか、「過半数代表者に関する不利益取扱いは許されないという趣旨を明確化した上で、法律に規定すべき」等と主張され、使用者側からは「過半数代表者に意見集約等の『義務』を課すことには賛成しかねる。仮に、『義務』となれば、意見集約が行われないと労使協定が無効になる事態が考えられ、会社側が何も関与できないまま労使協定が無効になることに強い懸念」とか、「選出方法について、投票や挙手だけでなく、信任や話合いなども含め、様々な方法を認めるべきであり、ガイドラインを設けてルールを明確化すべき」とか「意見集約、便宜供与等について画一的な基準を定めることで、企業風土等に合わせた多様な運用が阻害される懸念があり、法律では不利益取扱いの禁止等の最低限の規定に留めるべき」等と主張されています。
 今後の議論の方向はまだ見えませんが、労働時間法制についての労基法改正が行われることになれば、その際に上述の労働基準関係法制研究会報告で提起されたいくつかが労基法上に規定されることになる可能性がありそうです。ただ、連合のスタンスが、一方では過半数組合のない場合の労働者代表委員会制度を掲げながら、他方では自発的結社としての労働組合の存在意義を強調してその機能を損いかねない従業員代表制に対して極めて警戒的であるため、現行過半数代表者制度の充実強化を超えた新たな制度導入に踏み込んでいく可能性は、現段階では乏しいものといわざるを得ません。
 ちなみに、デュアル・チャネルのEU諸国では、多国籍企業を対象に1994年に欧州労使協議会指令が成立し、今日まで適用されてきていますが、昨年10月に閣僚理事会が欧州議会との間でその改正案に合意したと公表しました。その内容については改めて紹介したいと思いますが、日本はこの先当分の間、シングル・チャネル・プラスの「プラス」を若干いじる程度で進みそうです。

 

日本成長戦略会議における二つの労働時間規制緩和論

昨日、官邸で第2回日本成長戦略会議が開催されました。注目すべきは、大企業を代表する経団連と中小企業を代表する日本商工会議所から、それぞれ全くベクトルの異なる二つの労働時間規制緩和論が示されていることです。

https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/nipponseichosenryaku/kaigi/dai2/gijisidai.html

経団連の筒井会長は、従前繰り返し求めているように、裁量労働制のさらなる拡充を求めています。

https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/nipponseichosenryaku/kaigi/dai2/shiryou3-6.pdf

Kdr01Kdr02
一方、日本商工会議所の小林会頭は、働き方改革で導入された時間外休日労働の上限規制の緩和を求めています。

https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/nipponseichosenryaku/kaigi/dai2/shiryou3-3.pdf

(2) 【労働市場改革】と【家事等の負担軽減】 ~ 実態に即した柔軟な働き方、両立支援

・ 時間外労働の上限規制については、運輸、宿泊・飲食、建設等の特定業種で、特に人手不足を理由に対応困難な状況。業種毎の実情を踏まえ、実態にそぐわない上限規制の見直し、労働者の健康管理を前提としたより柔軟な働き方を可能とする法制度が必要

昨年5年の猶予が切れた運輸と建設に加え、宿泊・飲食も人手不足と上限規制の板挟みで大変なんだということのようです。

これに対して、連合の芳野会長は、次のように反論していますが、政治の勢いは規制緩和の方向に流れていきそうです。

○「働き方改革」から約 6 年が経過し、長時間労働是正にかかる労使の取り組みが進められてきたものの、依然として一般労働者の総労働時間は 2,000 時間前後で高止まりするとともに、過労死等による労災認定件数も過去最高を記録している。
こうした「働き方改革」の達成には程遠い現況を踏まえれば、時間外・休日労働に係る上限時間の段階的・計画的縮減などの方策こそが必要である。
○他方、一部では、「成長」の観点から上限規制の緩和や裁量労働制の安易な拡大などの労働時間規制の緩和を求める声があるが、これらは「働き方改革」に逆行するものと言わざるを得ない。そもそも現行の上限規制は過労死認定ラインと同水準であり、「心身の健康維持」の観点で最低限の基準である。また、労働時間法制が果たす役割は、「心身の健康維持」だけではなく、家庭・社会生活を営むための「生活時間の保障」という機能を持つ。この機能は育児や介護も含め、様々な事情を抱えながら働く者も含めた多様な労働参加を確保する観点でも極めて重要である。さらに、「従業者の選択」という点についても、労使の力関係の差が厳然と存在することを直視すべきである。
○なお、裁量労働に関しては、業務の内容・量が過大なものであった場合には、「みなし労働時間制」の下で長時間労働を助長しかねない。こうした課題の改善に向けて2024年に適正化に向けた制度改正が行われたばかりであることからすれば、今必要なことは新制度の下での適正運用であって安易な拡大や要件緩和ではない。
○今後の検討においては、上記の点を踏まえた議論が行われることを強く求める。

 

 

 

 

 

 

 

『労働局あっせんにおける解雇型雇用終了事案の分析』

Assenkaiko 本日、労働政策研究報告書No.237『労働局あっせんにおける解雇型雇用終了事案の分析』がJILPTのホームページにアップされました。

https://www.jil.go.jp/institute/reports/2025/0237.html

https://www.jil.go.jp/institute/reports/2025/documents/0237.pdf

去る11月18日に概要が労政審労働条件分科会に報告されたものの最終報告書版です。

研究の目的

解雇無効時の金銭救済制度について、令和4年4月より労働政策審議会労働条件分科会における審議が始まり、今日まで審議が続けられているところであるが、同分科会における審議に資するため、厚生労働省からの要請に基づき、労働局あっせん事案について調査を行った。

研究の方法

令和5年度内に4労働局で処理が完結したあっせん事案のうち、解雇型雇用終了事案に該当する485件を対象として、あっせん制度運営関係では申請人、あっせん終了区分、制度利用期間、解決期間及び弁護士・社会保険労務士の利用の状況について、労働者の属性では労働者の性別、年齢、雇用形態、賃金形態、勤続期間、賃金月額、賃金形態別賃金額、職種及び役職について、企業の属性では企業の業種、企業規模(従業員数)及び労働組合の有無について、事案の内容では雇用終了形態及び雇用終了事由について、請求関係では請求事項及び請求金額について、解決関係では解決内容、解決金額、月収表示の解決金額、勤続期間当たりの解決金額及び勤続期間当たりの月収表示の解決金額について、集計分析している。さらに、これら諸項目と解決金額とのクロス集計、月収表示の解決金額とのクロス集計、その他のクロス集計を行い、労働局あっせんにおける解雇型雇用終了事案の全体像を浮かび上がらせている。

主な事実発見

  1. あっせん制度運営関係

    (1) あっせん終了区分

    全485件中、合意成立は180件(37.1%)、被申請人の不参加は207件(42.7%)である。

    (2) 制度利用期間

    あっせん申請した日から終了した日までの期間は、合意成立事案180件中、2-3月未満が85件(47.2%)と最多で、1-2月未満は75件(41.7%)でこれに次ぐ。

    (3) 解決期間

    雇用終了日からあっせん終了日までの期間は、合意成立事案180件中、3-6月未満が74件(41.1%)と最多で、2-3月未満が44件(24.4%)でこれに次ぐ。

  2. 労働者の属性

    (1) 性別

    男性に係る案件が212件(45.4%)、女性に係る案件が255件(54.6%)であり、2008年度調査、2012年度調査では男性の方が多かったので逆転している。

    (2) 年齢

    年齢が判明した事案のうち、60代が35件(27.8%)、50代が29件(23.0%)と中高年齢層が多い。

    (3) 雇用形態

    直用非正規が254件(52.4%)と過半数を占め、正社員は159件(32.8%)、派遣が65件(13.4%)であり、2008年度調査、2012年度調査では正社員が過半数を超えていたので逆転している。

    (4) 賃金形態

    月給が218件(53.8%)と過半数を占め、時給は157件(38.8%)であり、日給は18件(4.4%)、年俸は8件(2.0%)に過ぎない。

    (5) 勤続期間

    1-6月未満が152件(31.4%)と3分の1近くを占め、1月未満の75件(15.5%)、6月-1年未満の69件(14.3%)と、1年未満の短期勤続者が6割強に及ぶ。2012年度よりほぼ半分に短縮している。

    (6) 賃金月額

    20-30万円未満が171件(42.2%)と最多で、10-20万円未満が77件(19.0%)とこれに次ぐ。2012年度は10-20万円未満が最多であったので上昇している。中央値は23.0万円である。

    (7) 職種

    事務従事者が115件(25.4%)と最多で、専門的・技術的職業従事者が80件(17.7%)、サービス職業従事者が79件(17.4%)、販売従事者が61件(13.5%)と続く。ブルーカラー系は2割以下である。

  3. 企業の属性

    (1) 企業の業種

    医療・福祉が74件(16.4%)、卸売・小売業が57件(12.7%)と多く、製造業は40件(8.9%)に過ぎない。

    (2) 企業規模(従業員数)

    10-50人未満が98件(22.1%)、100-300人未満が86件(19.4%)、10人未満が81件(18.2%)であり、中央値は70人である。

    (3) 労働組合の有無

    労働組合の存在する企業が59件(13.1%)、存在しない企業が390件(86.9%)である。

  4. 事案の内容

    (1) 雇用終了形態

    雇用終了の法形式的な分類で見ると、普通解雇が249件(51.3%)と過半数を占め、雇止めが163件(33.6%)と約3分の1で、整理解雇は25件(5.2%)、懲戒解雇は20件(4.1%)と少ない。

    (2) 雇用終了事由

    使用者が雇用終了するに至った理由を見ると、労働者の行為が263件(54.2%)と過半数を占め、労働者の能力・属性は122件(25.2%)であり、経営上の理由は66件(13.6%)に過ぎない。

  5. 請求事項と請求金額

    (1) 請求事項

    金銭のみを請求するものが401件(83.0%)で最も多く、次いで金銭又は復職を求めるものが58件(12.0%)で、復職のみ請求は12件(2.5%)、金銭及び復職を請求は11件(2.3%)と少ない。

    (2) 請求金額

    50-100万円未満が124件(27.3%)、50万円未満が109件(24.0%)、100-200万円未満が98件(21.5%)であり、中央値は90.3万円である。

  6. 解決内容と解決金額

    (1) 解決内容

    合意成立事案180件中、復職は2件(1.1%)に過ぎず、復職せずが178件(98.9%)と大部分である。

    (2) 解決金額

    10-20万円未満が40件(22.3%)、20-30万円未満が32件(17.9%)、30-40万円未満と50-100万円未満がいずれも24件(13.4%)であり、中央値は23.5万円である。

    図表1 労働局あっせんにおける解決金額

     

    件数

    5万円未満

    14

    7.8

    5-10万円未満

    16

    8.9

    10-20万円未満

    40

    22.3

    20-30万円未満

    32

    17.9

    30-40万円未満

    24

    13.4

    40-50万円未満

    11

    6.1

    50-100万円未満

    24

    13.4

    100-200万円未満

    10

    5.6

    200-300万円未満

    4

    2.2

    300-500万円未満

    2

    1.1

    500-1,000万円未満

    2

    1.1

    1,000-2,000万円未満

    -

    -

    2,000-3,000万円未満

    -

    -

    3,000-5,000万円未満

    -

    -

    5,000万円以上

    -

    -

    合計

    179

    100.0

    中央値(万円)

    23.5

    第1四分位(万円)

    10.0

    第3四分位(万円)

    45.7

    (3) 月収表示の解決金額

    解決金額を賃金月額で除した月収表示の解決金額を見ると、1月分未満が66件(38.8%)、1-2月分未満が54件(31.8%)で、この両者で7割を超える。中央値は1.03月分である。

    図表2 労働局あっせんにおける月収表示の解決金額

     

    件数

    1月分未満

    66

    38.8

    1-2月分未満

    54

    31.8

    2-3月分未満

    22

    12.9

    3-4月分未満

    8

    4.7

    4-5月分未満

    5

    2.9

    5-6月分未満

    3

    1.8

    6-9月分未満

    9

    5.3

    9-12月分未満

    -

    -

    12-18月分未満

    2

    1.2

    18-24月分未満

    -

    -

    24-36月分未満

    -

    -

    36月分以上

    1

    0.6

    合計

    170

    100.0

    中央値(月分)

    1.03

    第1四分位(月分)

    0.57

    第3四分位(月分)

    2.14

政策的インプリケーション

労働政策審議会労働条件分科会における審議の素材となる。

政策への貢献

第205回労働政策審議会労働条件分科会(令和7年11月18日)において厚生労働省事務局より概要を報告。

 

2025年12月24日 (水)

『外国人労働政策 霞が関の権限争いと日本型雇用慣行が招いた混迷の30年史』

本屋さんに並ぶのは来年早々の1月8日の予定ですが、拙著『外国人労働政策 霞が関の権限争いと日本型雇用慣行が招いた混迷の30年史』(中央公論新社)の見本がわたくしの手元に届きました。

Gaikokujin

https://www.chuko.co.jp/tanko/2026/01/005983.html

日本は外国人労働者に極めて差別的、技能実習制度は「現代版奴隷制度」など、国内外から批判されてきた日本の外国人労働政策。80年代には、「開国論」対「鎖国論」が論壇を賑わせたが、日本の制度が歪んだのは、排外主義的な政治家や狭量な国民のせいとは言い難い。本当の原因は、霞が関の権限争いと、日本型雇用慣行の特殊性にあった。労働政策研究の第一人者で、元労働省職員でもあった濱口桂一郎が、驚きの史実を解き明かす。

今までこの手の一般向けの本はだいたい新書の形で出しておりましたが、今回の本はハードカバーの単行本です。定価は2,400円+税とやや高めですが、これまでの外国人労働者モノ、移民モノとはかなり異なる角度からの史的分析になっているのではないかと思っております。この副題を見て、「どういう意味なんだ!?」と思われた方は、是非本屋さんの店頭でパラパラとめくっていただければと思います。

はじめに
序章 混迷の三〇年の原点
一 「開国論」対「鎖国論」の虚妄
二 外国人労働問題をめぐる労使の非対称性
三 日本の外国人労働政策のねじれた構造
 
【第一部】 ブルーカラー外国人労働政策――混迷の源泉
 
第一章 労働省と法務省の戦い
一 法務省は正面からの受入れを検討していた
二 労働省の労働ビザ構想
三 雇用許可制という特殊日本型モデルの提起
四 法務省の猛反発
五 在日韓国民団の批判と労働省の撤退
 
第二章 日本の雇用政策の紆余曲折
一 近代的労働市場を目指していた六〇年代
二 石油危機と企業主義の時代
 
第三章 日本の入管政策の紆余曲折
一 戦前の外国人政策
二 戦後の出入国管理法制と在日韓国・朝鮮人問題
 
第四章 「研修」というサイドドア政策の形成
一 法務省の完全勝利
二 「研修」は非就労活動という苦しい建前
三 労働者性を否定された「実務研修」の拡大
四 日系南米人という「血の論理」
五 ブローカーが暗躍する素地が生まれる
 
第五章 日本の教育訓練政策の紆余曲折
一 「見よう見まね」の教育訓練の否定
二 企業内訓練万能主義の時代
 
第六章 研修・技能実習制度の創設
一 労働者性を否定する「研修」と労働者性を前提とする「技能実習」
二 「研修」をめぐる省庁間のせめぎ合い
三 「研修」と「実務経験活動」の綱引き
四 研修・技能実習制度の創設
五 技能検定の紆余曲折
六 研修・技能実習制度の展開と矛盾の露呈
 
【第二部】 ブルーカラー外国人労働政策――混迷解消への長い道
 
第一章 「技能実習」の確立と技能実習法
一 規制改革関係会議による問題の指摘
二 ようやくできた「技能実習」在留資格
三 技能実習法の制定
 
第二章 フロントドア政策の再提起と部分的実現
一 正面から受け入れようとする機運
二 規制改革関係会議の正論
三 政治家サイドからの提起
四 ミニ版フロントドア創設の試み
 
第三章 「特定技能」というフロントドア
一 「単純労働者」とは何者か
二 官邸主導による大転換
三 特定技能一号と二号
四 対象分野の拡大と外国人労働者の生活支援
 
第四章 「国際貢献」という美辞麗句から「育成就労」へ
一 「国際貢献」という建前と実態の乖離
二 「技能実習」改め「育成就労」
三 定住者の拡大
 
【第三部】 ホワイトカラー外国人労働政策
第一章 増え続ける「技人国」
一 「技人国」はジョブ型の在留資格
二 教育と職業の密接な無関係
三 「技人国」在留資格の変遷
四 ホワイトカラー外国人にも日本的雑巾がけを求める
 
第二章 「高度専門職」の虚実
一 高度人材を求める声
二 高度人材ポイント制の創設
三 「高度専門職」在留資格の創設
四 日本に高度専門職なんているのか?
 
第三章 留学生のアルバイト就労
一 留学生のアルバイト就労の解禁
二 留学生・就学生のアルバイト拡大
三 「留学生」への統一
四 日本型雇用社会における学生アルバイト
 
終章 混迷の三〇年の教訓と将来像
 
あとがき

 

 

2025年12月23日 (火)

『管理職の戦後史』へのX(旧twitter)での短評

Asahi2_20251223221201 先月刊行した『管理職の戦後史』(朝日新書)に対しては、X(旧twitter)上でもいくつか短評が寄せられていますので、若干紹介しておきます。

読めば読むほど弊社は一部部署除いてホワイトというかぬるいという感想しか出てこない 一部出来る認定された人間に寄せられる業務の幅の広さはゾッとするが

濱口桂一郎『管理職の戦後史』やはり面白すぎる! 管理職待遇のスタッフ職も管理監督者扱いする例の金融機関通達について、当時の監督課長が「思い切った割切りをした」と書いてある論文があるとのこと!!!!思い切りすぎる!!

管理職は波瀾万丈の歴史を辿ってきた。戦後すぐは労働運動の先頭に立って経営者を追及するも、やがては労働組合の矛先は現場の管理職に向くように。 管理職の人員過剰が企業の悩みであった時代から、今日のパワハラ問題まで。 読み応えある一冊。

かんりしょく的にはなかなかおつらい内容であった

日本の管理職の意味について戦後から見事に描いた渾身作。日本雇用は年齢の区切りに基づく。国の制度も全て年齢。ジョブ型、役割給も絵に描いた餅に終わる日本の末路。

また、読書メーターでは、Francisさんに続いてみぐさんからもこのようなコメントをいただきました。

「管理職」とは、社会で、そして企業でどう位置づけられ、結局何をすることが求められているのか。戦後の「管理職」の役割やポジションについて、時系列での変遷を示していく。欧米型のマネジャーを形式上は模しているが、実態は似ても似つかぬ「管理職」が、我が国の社会の中でしわ寄せを受け続けて今に至っている。下からの突き上げを食らい、その数が過剰となれば、外に放り出され、裁量労働や高プロといった制度ができていく一方で、管理監督者の取扱いについては忘れ去られたかのよう―。論調としては「管理職って結局大変だよね」スタイル。個人的に関心のあった点は、終戦直後の生産管理闘争においては管理職が組合をリードしていたこと。「産業報国会と工場ソヴィエトのアマルガム」(55頁)のようなこの組織は、奇妙な見た目をしながらも機能していた。また、一定の世論の支持を背景に旧労働組合法上も無理くりな解釈で合法とされていたのは「どさくさ」を大いに感じるエピソード。

 

2025年12月22日 (月)

小畑史子,緒方桂子,竹内(奥野)寿『労働法 第5版』

L15144 小畑史子,緒方桂子,竹内(奥野)寿『労働法 第5版』(有斐閣)をお送りいただきました。

https://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641151444?top_bookshelfspine

労働法と日常生活との関わりを意識して読み進められるよう事例を活用しつつ,労働法の基本的な考え方を丁寧に解説。労働法を学ぶ意義や楽しさを実感できる,初学者に最適の1冊。旧版以降の法改正や新判例に対応し,AIと労働法など最新のトピックスを入れて全面改訂。

第4版からほぼ2年半での第5版です。

コラムの「AIと労働法」では、経済系でよく言われる「AIにより仕事が奪われる」云々に対して、労働法的観点から、

・・・たとえば、採用、昇進などについて、AIにより候補者を自動的に選別する場合、モデル作成のもととなったデータ(過去の採用者)に偏りがあると(特定の性別に偏っているなど)、AIが差別を直接または間接に生み出してしまうという問題が生じる。また、AIにより様々な人事管理上の判断が自動的になされる場合、なぜ特定の判断がなされたか、使用者も説明ができず(「ブラック・ボックス化」)、透明性、納得性が欠如するという問題も生じる。・・・

等と説明されています。これはまさに近年のEU労働法の展開の焦点の一つですが、残念ながら日本ではあまり関心が持たれておらず、政策論としてもほとんど議論になっていません。

 

 

 

 

桓檀古記騒動

先日、『労働新聞』に寄稿した書評は、「東日流外三郡誌」という偽書をめぐる新聞記者の奮闘を描いた「斉藤光政『戦後最大の偽書事件「東日流外三郡誌」』」でしたが、

斉藤光政『戦後最大の偽書事件「東日流外三郡誌」』@『労働新聞』書評

実は日本というのはこの手の古代史を騙る偽書がゴマンとある国でして、大きな本屋さんに行くと、古史古伝コーナーというのがあって、上記(うえつふみ)だの秀真伝(ほつまつたえ)だの、宮下文書(富士古文書)だの竹内文書だのといった、超古代史本が所狭しと並んでいます。

Img_cb05ba146e72d5ba58062aaf872530144020 つい最近も福井県で、ひな祭りの発祥は福井県越前市だという話の根拠にホツマツタエが持ち出されるという悲劇が起っていたようです。

ひな祭り発祥地、福井県越前市か…歴史書「ホツマツタヱ」に原型儀式の記述

2025121680115_0 この手の古史古伝にコロリという現象は、日本だけではなくお隣の韓国でもはびこっているようで、李在明大統領が桓檀古記に言及したということで、歴史家たちが困惑しているようです。

公の場で偽書「桓檀古記」に言及した李在明大統領に韓国歴史学界は困惑顔

『桓檀古記』は、檀君朝鮮以前に桓国3301年、倍達国1565年の歴史が存在し、韓国史の始まりは1万年前にまでさかのぼり、桓国の領土はアジア大陸のほぼ全てを含む「南北5万里、東西2万里」だったと記している。また「12の桓国の一つである須密爾(スミリ、スミル)は、世界最高の文明を築いたシュメール」と解釈され、世界の文明は韓民族から始まったという主張の根拠となった。中国神話の人物だった蚩尤が、『桓檀古記』では「倍達国第14代の王だった」と記されたことから、サッカー韓国代表の応援団のシンボルになるなど、社会的影響も少なくなかった。

 しかし学界では、偽書だという根拠は明白だとみている。内容の大半が他の歴史書には全く書かれていない上に▲1979年以前に『桓檀古記』を見た人物が李裕岦以外にいない▲「国家」「人類」「世界万邦」「男女平権」など、近代以降に出現した漢字語が多く書かれている▲考古学的にも桓国や倍達国の時期は国家が生まれていない新石器時代だった-といった理由からだ。

 概して『桓檀古記』を「本物」と考えるのは保守傾向の人々だとされているが、2008年に『新翻訳 桓檀古記』を出版した人物は、「主体史観で我が国の歴史を捉えなければならない」と主張していた親北傾向のカン・ヒナム牧師だった。左派の民族主義陣営にもあがめられる書物だったというわけだ。

「エセ歴史学に対して断固たる立場を」 韓国の歴史学界、李在明大統領「桓檀古記」発言に批判声明

2025121980106_0

 

2025年12月21日 (日)

今年の人気エントリランキング

今年もそろそろ終わりに近づき、ちょっと気が早いですが、毎年恒例の人気エントリランキングを発表します。ただし、一昨年まではPV数でランキングしていましたが、中には入口回数が極めて少ないのになぜかPV数だけ異様に多いのもあったりして、そういうノイズを排除するため、昨年より入口回数でランキングすることにしています。

まず第1位は、9月15日の「発言と解雇」で、3736回でした。これはアメリカの病理的なキャンセル現象から日本で起きたあの事件を想起したものです。読んで「そうだよな」と思った方が多かったということなのでしょう。

発言と解雇

アメリカでこんなことが起こっているようですが、

「チャーリー・カーク氏暗殺」を嘲笑した者たちが相次ぎ解雇…深まる米国の分断

英紙ガーディアンは13日(現地時間)、SNSでチャーリー・カーク氏の銃撃事件を蔑視し嘲笑した人々が相次いで解雇されていると報じた。教師や公務員、消防士だけでなく、大統領の警護を担当する大統領警護隊(シークレットサービス)の職員も、カーク氏の死を嘲笑する投稿をした後に解雇された。「カーク氏の死は神の贈り物」「カーク氏の訃報が私の人生を輝かせた」「自業自得」などの投稿をしたことが理由だった。
民間企業もカーク氏を嘲笑した社員を懲戒したり解雇したりし始めた。アメリカン航空とデルタ航空はこの日X(旧ツイッター)に「いかなる種類の暴力にも反対する」とし、カーク氏の死を嘲笑したパイロットと乗務員に停職処分を下したと明らかにした。北米で最高の人気を誇るスポーツ、米プロフットボールリーグ(NFL)のカロライナ・パンサーズの広報担当は、SNSにカーク氏の写真と共に「なぜ悲しむのか。(銃器所持を擁護した)あなたにはその価値がある」と投稿したが、11日に職を失った。 

気に食わない発言をしたことを理由にその発言者をキャンセルしたがるこういう風潮はもちろん批判されるべきですが、そこには当然知的誠実性が必要でしょう。

かつて呉座勇一さんがSNS上での不適切発言をしたことを理由に雇止め(解雇?)されたときにそれをきちんと批判した人だけが、このアメリカの醜悪な動きに批判の言葉を投げかける資格があるというべきでしょう。少なくとも、オープンレターに付和雷同した人々が、知らんぷりして批判していい案件ではないように思われます。

これは労働法的にも大変興味深い事案なので、是非判決まで行って欲しい

続く第2位は、9月12日の「政治家もメディアも解雇規制を誤解している-問題は法ではなく雇用システム@『中央公論』2024年12月号」で、3668回でした。これは自民党総裁選に小泉進次郎が出るという話で、昨年『中央公論』12月号に寄稿した文章を紹介したものです。一知半解で知った風な口をきく人ばかりがやたらに多い解雇問題について、おそらく過不足なくもっとも的確に解説した文章なのではないかと思います。

政治家もメディアも解雇規制を誤解している-問題は法ではなく雇用システム@『中央公論』2024年12月号

Koizumi 本日、小泉進次郎氏が自民党総裁選への出馬の意向を固めたと報じられています。

小泉進次郎氏、自民総裁選に立候補の意向固める 来週会見で調整

 小泉進次郎農林水産相(44)は12日、自民党総裁選(22日告示、10月4日投開票)に立候補する意向を固め、周囲に伝えた。13日に地元の神奈川県横須賀市で支援者と意見交換し、来週中に記者会見を開く方向で調整している。

61lvdan9yul_sy466__20250912122301 こうなると、昨年の総裁選で失速した原因ともいわれている「解雇規制」問題について、総裁選直後に『中央公論』12月号にわたくしが寄稿した文章をじっくりと読んでいただくことが重要なことではないかと愚考し、一年近く経った文章ではありますが、ご披露申し上げておきたいと思います。

政治家もメディアも解雇規制を誤解している-問題は法ではなく雇用システム@『中央公論』2024年12月号

 去る9月27日に自由民主党の総裁選挙で石破茂氏が総裁に選出され、10月1日の臨時国会で内閣総理大臣に指名されて石破茂内閣が発足した。石破首相は臨時国会会期末の9日に衆議院を解散し、27日投開票の衆議院議員選挙で自民党は連立政権を組む公明党と合わせても過半数を割る大敗を喫したが、比較第一党には留まり、連立の組み替えなどを模索している。
 今回の自民党総裁選ではさまざまな論点が議論の俎上に載せられたが、その中でも政治家やマスメディアの関心を惹いたものの一つに、解雇規制をめぐる問題があった。とりわけ総裁選が始まった当初は最有力候補と目されていた小泉進次郎氏が、結果的に石破、高市早苗両氏の後塵を拝して3位に終わった原因の一つとして、彼が立候補表明時に「労働市場改革の本丸である解雇規制の見直し」を掲げたことが指摘されている。
 小泉氏は「現在の解雇規制は、昭和の高度成長期に確立した裁判所の判例を労働法に明記したもので、大企業については解雇を容易に許さず、企業の中での配置転換を促進してきた」と述べ、「人員整理が認められにくい状況を変えていく」と訴えたことで、多くの批判を浴びた。また、結果的に候補者9人中8位と惨敗した河野太郎氏も、解雇規制の緩和や解雇の金銭解決を主張していた。
 この間、マスメディアではやや通り一遍の解説がいくつか掲載されはしたが、この問題の本質を雇用システム論を踏まえて論じたものは少なかったように思われる。本稿は、この問題を考えるうえで必要最小限の論点を提示し、世上にはびこる「解雇規制をめぐる誤解」を解きほぐそうとするものである。
 
法規定上の「解雇規制」は強くない
 まずもって、政治家もマスメディアも「解雇規制」という言葉を何の疑いもなく使っているが、そもそも日本の実定法上に解雇を規制する法律は存在しているのだろうか。小泉氏が言うような「大企業については解雇を容易に許さず、企業の中での配置転換を促進」するような法規定があるのだろうか。
 実定法上、特定の解雇を規制する規定は存在している。労働基準法は30日前の解雇予告を義務付けるとともに、産前産後休業中と労災休業中の解雇を禁止しているし、労働組合法は組合員であることを理由とする解雇を禁止、男女雇用機会均等法、育児・介護休業法等々、特定の解雇を規制する法規定は結構ある。しかし、小泉氏が想定しているような法規定は存在しない。
 というと、いやいや、労働契約法第16条が解雇を一般的に規制しているではないかという声が出てくるだろう。しかし同条は「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする」と述べているだけである。これこそが解雇を困難にしている元凶であり、速やかに削除すべきだと主張する人もいる。ではこの条文を削除したらどうなるだろうか。何も変わらないのである。本条は2007年に労働契約法が制定されたときに労働基準法第18条の2が平行移動したものだが、同規定は03年の改正で書き込まれたもので、それまでは存在しなかった。では03年改正まで解雇は原則として自由だったのかといえばむしろ逆で、六法全書のどこにも書かれていない解雇権濫用法理によって、現在と同様に裁判所では多くの解雇事案が権利濫用ゆえに無効と判断されていた。
 権利濫用法理とは民法第1条第3項に「権利の濫用は、これを許さない」と書かれている一般原則で、法律上行使できる権利であっても濫用してはならないという当然の理路に過ぎない。問題は何が権利の濫用に当たるかだが、労働契約法第16条は「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合」という、それ自体としては何ら特定性のない一般的な文言を示しているだけである。従って、いかなる解雇がこれに該当するかは、1950年代以来蓄積されてきた判例によってしか判断できない。
 小泉氏が想定しているのはおそらく、整理解雇4要件と呼ばれるものの第2要件「解雇回避努力義務」であろうが、これは最高裁判例ですらなく、1979年の東洋酸素事件という東京高等裁判所の下級審裁判例があるに過ぎないのだ。しかしながらそれ以来、圧倒的に多くの裁判例において、裁判所はこの枠組みに従って判断してきた。
 
日本型雇用特有の「職務無限定」性
 ではなぜかくも茫漠とした一般的な解雇権濫用法理が、小泉氏の言う「人員整理が認められにくい状況」を生み出してきたのだろうか。それは、社会の現実に国家が介入するという意味での法規制のゆえではなく、社会の現実が無効とすべき権利濫用の中身を決定づけてきたからである。社会の現実とは何か。それは、企業と労働者の間の雇用契約関係の在り方であり、近年流行の用語法でいえば、欧米アジア諸国で普遍的なジョブ型雇用契約ではなく、日本独特のメンバーシップ型雇用契約である。
 産業革命以来、日本を除く世界の雇用契約のスタンダードは、まず職(ジョブ)があり、そこに人をはめ込むというものである。借家契約が家主と借主が特定の住宅について設定する賃貸借契約であるのと同様、雇用契約も使用者と労働者が特定の職務について設定する労務の賃貸借契約である。募集採用もすべて特定の職務をめぐる欠員補充であるし、社内昇進も公募への応募という形をとる。これを言葉の正しい意味での就「職」と呼ぶならば、日本に就「職」はほとんど存在しない。
 では日本で「しゅうしょく」と呼ばれているものの内実は何かといえば、共同体の一員として会社に入ること(入社)を意味している。使用者と労働者は特定されるが、具体的にいかなる職務を遂行するかという、日本以外であれば最も重要であるはずの要素が、日本の雇用契約では限定されていない。それゆえ原理的には、社員にとっては会社の中に存在する全ての職務が、会社の命令によって従事する義務の対象となりうる。実際、日本の最高裁判例によれば、契約上絶対に他の職務には回さないと言っていない限りは、配置転換を受け入れる義務がある(1989年の日産自動車村山工場事件判決)。
 ごく最近になって、将来就く職務についての明示義務が省令に規定されたり、職種限定の労働者を会社が一方的に配置転換するすることができないという最高裁判例が出たりして、若干の動揺はあるとはいえ、今日でもなお職務無限定性こそが日本の雇用契約の特徴である。これを筆者は欧米アジア諸国の「ジョブ型」に対して、日本独特の「メンバーシップ型」として定式化してきた(『ジョブ型雇用社会とは何か』岩波新書)。
 
強大な人事権に伴う解雇回避の義務
 会社側がそれだけ強大な人事権を持っているので、逆に社内で配置転換が可能な限り、解雇は正当とされにくくなる。これは規制ではない。雇用契約で職務が特定されていれば、その職務が消滅するのであれば、他の職務に配置転換することが許されない以上、配置転換によって解雇を回避する努力義務などいうものはありえない。しかし、社内のいかなる職務にも配置転換する権利を会社が有しているのであれば、いざというときには当然その権利を行使すべきであって、幾らでもできるはずの配置転換をあえてやらずに「君の仕事はなくなった」などと言って整理解雇することが許されないのは当然であろう。
 多くのジョブ型社会には解雇規制立法が存在し、不当な解雇を禁止している。特にヨーロッパ諸国には事細かな解雇の手続規制も存在するが、職務がなくなるがゆえに解雇するという整理解雇は、それが真実である限りあらゆる解雇類型の中で最も正当な解雇理由である。これに対して能力不足解雇や労働者個人の問題を理由とする解雇は厳しく制限されることになる。
 これと対照的に、社内のあらゆる職務に従事しうる日本のメンバーシップ型社員の場合、経営危機で会社自体が収縮し、社内に配置転換可能な職務が存在しないという状況に追い込まれない限り、整理解雇が正当と認められにくくなる。この現状を「人員整理が認められにくい状況」と表現するのは正しいが、それはいかなる意味でも、実定法の規定が会社の意図に反して上から押しつけている規制ではない。会社が行使できる強大な人事権が、いざというときに自らを拘束しているに過ぎない。
 なお、日本では整理解雇だけでなく能力不足解雇も認められにくいとよく言われる。確かにそうだが、その理由も雇用契約の職務無限定性にある。社内のどんな仕事にも就けられるのだから、ある仕事ができなくても探せばやれる仕事があるだろう、というわけだ。欧米アジア諸国のジョブ型社会では、具体的な職務に関して雇用契約を結ぶのであるから、当該職務を遂行する能力が著しく劣る者を解雇することは、それをきちんと証明することを条件として正当と認められる。とはいえ、それは「私はその仕事ができます」と言っていたのに、採用して実際にやらせてみたら全然できないというような場合に限られる。長年その仕事をやらせて、言い換えればその仕事のスキルに文句をつけずに労務を受領し続けておいて、5年も10年も経ってから能力不足だと言いがかりをつけて解雇することが認められるわけではない。
 
法改正では「解雇規制緩和」は困難
 さてこのように見てくると、小泉氏が言う「大企業については解雇を容易に許さず、企業の中での配置転換を促進」したり「人員整理が認められにくい状況」を生み出してきたのは、会社の意思に反して上から押し付けられる法規制ではなく、労働者を会社内のいかなる仕事にも就けることが可能な強大な人事権にあることが分かるだろう。この人事権も、別に実定法のどこかに規定されているわけではなく、現実の日本企業の姿に対応して、過去の判例が積み上げてきた配置転換法理として存在しているに過ぎない。日本の労働法制というのは、肝心かなめの部分というのは法規制ではなく、会社の現実の姿を映し出した判例法理という形で存在しているのである。
 では、それを変えるためにはどうしたらいいのだろうか、法律の規定改正でそれが可能になるのだろうか。筆者がかつて政府の規制改革会議雇用ワーキンググループに呼ばれて意見を述べた時、「労働契約法第16条が問題ではないか」と問われたことがあるが、同条は権利を濫用してはいけないという当たり前のことしか述べていないので、改正することは不可能だ。まさか「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合であっても、その権利を濫用したものとはみなさず、有効とする」などとは改正できまい。面倒くさいとばかりに同条を削除してみても、2003年改正以前に戻るだけである。1990年代末に規制改革会議で八代尚宏氏らが解雇規制の緩和を主張し始めたときには、六法全書上には解雇権濫用法理の規定などまったく存在していなかったのだ。
 筆者がかつて2013年に当時の産業競争力会議雇用・人材分科会に有識者として呼ばれたとき、一つの案として提示したのは、未だに法規制としては存在していない解雇に係るルールを、法律上明確に法規制として書き込んでしまうというものであった。皮肉な言い方だが、欧州並みに解雇規制を設ければ、その例外(解雇できる場合)も明確化するだという理路である。具体的には、次のような条文が考えられる。
第○条 使用者は次の各号の場合を除き労働者を解雇してはならない。
一 労働者が重大な非行を行った場合。
二 労働者が労働契約に定める職務を遂行する能力に欠ける場合。
三 企業経営上の理由により労働契約に定める職務が消滅または縮小する場合。ただし職務が縮小する場合には、解雇対象者は公正に選定しなければならない。
2 前項第三号の場合、過半数労働組合または従業員を代表する者に誠実に協議をしなければならない。
 「労働契約に定める職務」というのが明確に限定されている場合、この条文は意味を持つ。また、今回小泉氏が強く主張していた整理解雇時にリスキリングや再就職支援を義務付けるというのも、第2項に追加して「前項第三号の場合、・・・解雇対象者に対する能力再開発訓練を実施するとともに、他の企業への再就職を支援しなければならない」との規定を設ければ実現できる。
 ただし言うまでもないが、この条文はあくまでも「労働契約に定める職務」が限定的に存在することを前提にしたジョブ型の法規定である。いつでもどこでもなんでもやる無限定正社員と企業の強大な人事権をそのままに維持しておきたいのであれば、これはほとんど解雇禁止規定になってしまうであろう。従って、なお圧倒的に多くの日本企業がメンバーシップ型であり続けようとしている今日、このような提案が実現する見込みはほとんどない。
 
現実が先行する「解雇の金銭解決」
 解雇についてはもう一点、河野太郎氏が言及した金銭解決という問題がある。これは実際に、2003年以来20年以上にわたって労働政策において検討が続けられ、現在は労働政策審議会労働条件分科会で審議対象となっている案件である。筆者自身も、政府の要請に応じて実際に行われている解雇の金銭解決の実情を調査し、報告書にまとめ、その内容は政府の検討会や審議会に報告されており、この問題の当事者でもある。しかしここでは、そもそも解雇の金銭解決制度の創設という問題設定そのものの問題点を指摘しておきたい。
 解雇の金銭解決制度が必要だという前提で政策が動いてきている以上、日本では解雇は金銭解決できないと思っている人がいるかもしれないが、日本の実定法上で解雇を金銭解決してはならないなどという法律はどこにもない。むしろ、現実には解雇の圧倒的大部分は金銭解決されているのである。金銭解決ができない、正確に言うと金銭解決の判決が出せないのは、裁判所で解雇無効の判決が出た場合のみである。判決に至るまでに裁判所で和解すれば、解雇事案の大部分は金銭解決しているし、あるいは同じ裁判所でも労働審判という手続きをとれば、やはり解雇事案のほとんど金銭解決している。行政機関である労働局の個別労働関係紛争のあっせんであれば、金銭解決しているのが3割で、残りはいわば泣き寝入りの方が多い。そこまで行かないものも山のようにあるだろうから、現実に日本で行われている解雇のうち、そもそも金銭解決ができなくて問題となっているというのは、氷山の一角というのも言い過ぎで、本当に上澄みの一部だけである。
 筆者は労働局のあっせん事案を千数百件ほど分析したが、むしろ問題は3割しか金銭解決していないことに加えて、金銭解決している事案についても、例えば解決金の中央値は16万円程度に過ぎないという金額の低さにある。労働審判における金銭解決水準の中央値は概ね150万円であり、裁判上の和解であれば300万円程度であることを考えると、金銭解決の基準が明確になっていないために、非常に低額の解決をもたらしているか、あるいは解決すらしていないことになる。大企業の正社員でお金のある人ほど裁判ができるが、そうではない中小零細企業や、あるいは非正規の人になればなるほど裁判はできない。弁護士を頼むということもできず、低額の解決あるいは未解決になっていることに着目をして、まさに中小零細企業や非正規の労働者の保護という観点から、解雇の金銭解決を法律に定めていくことには意味があるのではないかと考えられる。
 ところが、現在政府の審議会で議論されている解雇の金銭救済制度案というものは、あくまでも裁判において解雇が無効である場合に原職復帰の代わりに金銭救済を労働者が請求できるという極めて限定的な制度設計になっている。そのようになった経緯はいろいろあるのだが、現実社会に存在する事実上の金銭解決とは切り離された議論になってしまっている感が強い。現実社会の解雇は大部分が金銭解決しており、むしろ低額の解決が問題になっているにもかかわらず、なぜこの問題はここまで込み入った話になってしまったのだろうか。詳細な解雇規制立法を有するヨーロッパ諸国でも、ドイツやフランスのように解雇は金銭解決が一般的なのに、なぜ日本ではそれが難しい話になるのだろうか。
 その最大の理由は、例外的な状況に対して最後の手段として持ち出してくるべき権利濫用法理を、よほどのことがない限り常に適用される原則的な法理として確立してしまったことにある。権利濫用法理と言いながら解雇に正当事由がなければ権利濫用になってしまうという、原則と例外が逆転した法理になっているのだ。
 
的外れではなかった河野氏の主張
 皮肉な話であるが、ヨーロッパ諸国のように解雇を正面から規制する立法をしておけば、その例外としての金銭解決を法律上に規定することも簡単であったろう。実際、日本労働弁護団は2002年に、解雇の原則禁止規定に加えて金銭賠償規定も盛り込んだ「解雇等労働契約終了に関する立法提言」を公表していた。
 こうしてみると、河野氏の「会社都合で一方的に解雇されたときに金銭補償のルールがあることが大事だ」という主張はそれほどおかしなものではないし、その論拠として「中小零細企業の従業員は、会社都合で解雇されたのに金銭の補償がなされない場合が少なくありません」というのも、(多くのマスメディアの報道に反して)むしろ現実を見据えたものであったといえよう。小泉氏の議論と同列に批判されたのは、やや気の毒な話ではあった。今後の解雇規制に関する議論は、せめてこの水準から始めてもらいたい。

第3位は、昨年1月13日の「地方公務員は労働基準法第39条第7項が適用除外となっている理由」で、1996回でした。こちらは正直言って労働法の超絶トリビアな話題であって、一般向けするようなトピックであるとは全然思えないのですが、なぜか多くの人が読みに来たようです。

地方公務員は労働基準法第39条第7項が適用除外となっている理由

F9fmcqd_400x400 焦げすーもさんが、トリビアのように見えてなかなかディープな問題提起をしています。

おっちゃん「地方公務員の1/4くらいが年休5日/年取れてないという調査知っとるかい?」 ワイ「知らんけど、実感とズレるなあ。」 おっちゃん「地方公務員の大部分が労基署の調査対象外やけど、そもそも、年休取得が義務化されてない。」 ワイ「嘘やん、地方公務員法第58条第3項・・・ほんまや。」

地方公務員法第58条第3項(他の法律の適用除外等) “労働基準法第二条、(中略)第三十九条第六項から第八項まで、(中略) の規定並びにこれらの規定に基づく命令の規定は、職員に関して適用しない。” 改正労基法の年次有休休暇の取得義務の箇所がすっぽりと適用除外に。 どうしてこうなった。。

おっちゃんのこの問いは、なぜ地方公務員の労働基準が守られないかという根源的なものであった。 回答としては、 1.民間と比較して、監督機関が機能していない 2.罰則を背景としていない(※)ため、管理者が法令遵守する動機づけが弱い(※現業等を除く) 3.人事管理部署が素人集団 といったところか。

あとは、 同規模の民間企業と比較して、管理職のマネジメント意識・能力が低いこと。(エビデンスはない

そもそも地方公務員に労働基準法が原則的には適用されているにもかかわらず、国家公務員と同じように適用除外だと勝手に思い込んでいる人が結構多かったりするんですが、それはまあおいといて。

ていうか、そもそも労働基準法が1947年に制定された時に、ちゃんとこういう規定が設けられており、これは今日に至るまで存在し続けているんですが、公法私法二元論という実定法上に根拠のない思い込みの法理論によって、脳内で勝手に適用除外してしまっている人のなんと多いことか。

(国及び公共団体についての適用)
第百十二条 この法律及びこの法律に基いて発する命令は、国、都道府県、市町村その他これに準ずべきものについても適用あるものとする。

いずれにしても、地方公務員法で労働基準法の一部の規定については適用除外になっているのですが、それは公法私法二元論などとは全く関係がなく、単純に公務員法上は過半数組合又は過半数代表者がないために、それに引っかけた規定が適用除外されているということなんですね。そもそも、労働基準法第2条が先頭に立って適用除外されているのは、民間企業では労使対等かも知らんが、公務員に労使対等なんてないぞ、使用者は国民様や住民様であるぞ、というイデオロギーから来ているのですね。

で、労働基準法が制定された時には、第39条の年次有給休暇の規定はフルに適用されていたのですが、1987年改正で労使協定による計画付与(現在の第6項)が設けられた時に、労使協定というのは地方公務員にはあり得ないからという理由で、この項が適用除外にされたのです。労使協定による変形労働時間制やフレックスタイムや裁量労働制なんかと同じ扱いです。

さて、そういう目で働き方改革で導入された第7項を見ると、どこにも過半数組合又は過半数代表者とか労使協定とかという文字は出てきません。

 使用者は、第一項から第三項までの規定による有給休暇(これらの規定により使用者が与えなければならない有給休暇の日数が十労働日以上である労働者に係るものに限る。以下この項及び次項において同じ。)の日数のうち五日については、基準日(継続勤務した期間を六箇月経過日から一年ごとに区分した各期間(最後に一年未満の期間を生じたときは、当該期間)の初日をいう。以下この項において同じ。)から一年以内の期間に、労働者ごとにその時季を定めることにより与えなければならない。ただし、第一項から第三項までの規定による有給休暇を当該有給休暇に係る基準日より前の日から与えることとしたときは、厚生労働省令で定めるところにより、労働者ごとにその時季を定めることにより与えなければならない。

どこをどうみても、使用者に年休を取得させる義務を課しているだけで、これを適用除外する理由はなさそうに見えます。

ところが、この2018年改正時の地方公務員法第58条第3項の改正規定を見ると、それまで労働基準法第39条第6項だけが適用除外であったのが、同条第6項から第8項までが適用除外となっているのですね。いったいこの第8項とは何かというと、

 前項の規定にかかわらず、第五項又は第六項の規定により第一項から第三項までの規定による有給休暇を与えた場合においては、当該与えた有給休暇の日数(当該日数が五日を超える場合には、五日とする。)分については、時季を定めることにより与えることを要しない。

第5項は時季変更権ですが、第6項がまさに1987年改正で導入された労使協定による計画付与で、その場合にはこの第7項が排除されるというわけです。つまり、第7条の適用されるか否かは、第6条によって影響を受けるのであり、それは過半数組合や過半数代表者が関わってくるので、その論理的帰結として、第7条の規定も丸ごと地方公務員には適用除外とした、というまあそういう説明になるわけです。

とはいえ、そういう手続規定の輻輳を理由として、れっきとした実体法的規定を適用除外してしまっていいのか、というのは、それ自体大きな問題であり得るように思います。

本来なら立法の府であるはずの国会で、選良であるはずの国会議員の方々が口々に疑問を呈してもよかったはずだと思いますが、残念ながら国会審議の圧倒的大部分は、裁量労働制のデータが間違っていたことの非難と、高度プロフェッショナル制度というのが如何に危険きわまりないものであるかの糾弾に終始し、誰もこういう問題を提起することはありませんでした。まあ、それも繰り返される光景ではありますが。

第4位は10月14日の「石破首相、連合大会でストライキを論ずる」で、1833回でした。

石破首相、連合大会でストライキを論ずる

000182308 去る(昭和100年)10月10日に、公明党が連立離脱するという激震が走り、同日には石破首相の戦後80周年所感が公表されるという騒ぎの中で、もはやほとんど忘れられつつありますが、10月7日の連合定期大会に石破首相が招かれて挨拶をしていて、その中で最低賃金だけではなくストライキの話をしていたんですね。

https://www.kantei.go.jp/jp/103/actions/202510/07rengou.html?s=09

・・・私は三島由紀夫という小説家がすごい好きで、学生の頃からよく読んでいたのですが、『絹と明察』という小説を御存じの方もあるかもしれません。昭和30年代の小説です。1954年、昭和29年に、近江絹糸の労働争議というのがありました。ここは初めての人権争議というものでございました。この争議において、女子従業員の方々が外出、結婚、教育の自由がないというような労務管理が行われとったわけでありますが、この是正、そういう方々の待遇改善、そういうものを組合が求めて全面的に勝利したというのを描いておるのが、三島の『絹と明察』という小説でございます。新潮文庫で出ていますから、どうぞお暇があればお読みください。
 昔の話だよと、今は関係ないんだよと、いうことかもしれません。ですけれども、私は昭和54年に学校を出て、とある銀行に入りましたが、高校に入ったのは昭和47年のことでございました。ストライキのピークは1974年、昭和49年です。私、高校3年生でした。そのときにストライキというのは5,200件あったんだそうです。参加した人は362万人いたんだそうです。1週間学校休みになりました。じゃ、直近去年2020年はどうであったかというと、ストライキは何件があったか、27件です。全国で、ピークの0.5パーセント。ストライキに参加した人は何人だったか、935人。ピークの0.03パーセントということであります。
 それはそれでいいことだと、いろいろな労使の協議というのがあって、ストライキとかそういう手段に訴えなくても、いろいろなことが改善していく、社会生活もきちんと安定する、それはそれですばらしいことでありますが、日本国憲法に団結権、団体交渉権、団体行動権、労働三権というのが明記をされておるわけでございまして、これが労働者の大切な権利であるということは何ら変わりはございません。

連合の組織内議員のいる政党ではなく、その政権をひっくり返そうと運動しているはずの自民党政権の(自民党のではなくても)トップから、「君たち、自分たちにはストライキ権という大事なものがあるってことを忘れるんじゃないよ」と教え諭されているかのようで、これもまたなかなかじわじわくるものがあります。

(追記)

ちなみに、この近江絹糸人権争議については、本ブログで、本田一成さんの本を紹介したことがあります。

本田一成『写真記録・三島由紀夫が書かなかった近江絹糸人権争議』

9784794811189 本田一成さんより、『写真記録・三島由紀夫が書かなかった近江絹糸人権争議 絹とクミアイ』(新評論)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.shinhyoron.co.jp/978-4-7948-1118-9.html

昭和二九(一九五四)年、一〇六日間に及ぶ日本最大級の労働争議「近江絹糸人権争議」が発生し、国民の目を釘付けにした。その一〇年後、三島由紀夫がこの争議を題材とする長編小説『絹と明察』を世に出している。ところが、関係者に取材をしたはずの三島、なぜか争議の詳細を作品に書き込まなかった。集団就職で工場に勤めた中卒労働者たちと本社の一流大卒エリートたちが見事に一致団結して経営者に立ち向かったこの比類なき争議を詳しく調べていくと、実に興味深い人間と社会の実相が浮かび上がってくる。労働組合を一貫して敵視し続けた経営者。やがて自殺者まで出るに至る凄絶な緊張感。会社側に肩入れする不可解な警察の介入。解放されたはずの若者たちを襲った「もう一つの争議」等々、そこにはいくつもの特異性と謎がある。この争議について記した文献のほとんどは彦根工場における活動を中心に描いているが、実は大阪、大垣、富士宮、東京など各地同時多発の全国規模の争議であった。また、一口に争議といっても、ストライキ、ロックアウト、ピケッティング、乱闘、セスナ機からのビラまき、製品ボイコット、不当労働行為、オルグ合戦、募金活動、銀行や省庁への陳情、政治家の動員、真相発表会、裁判闘争などなど、労使双方が多様な戦術を繰り広げ、マスコミ、警察、暴力団、国会すらも巻き込む総力戦であった。そして各地の現場には、仲間を守って闘い抜いたヒーローたちがいた。争議を経験した若者たちもいまや八〇歳を超えている。筆者は存命のヒーローたちにお会いして、当時の写真を前に心ゆくまで語ってもらった。するとお話を聞くうちに、写真の中から被写体が飛び出してきて、この事件の謎を解きはじめた!――まるでタイムスリップである。争議勃発から六五年が経過し、平成が終わりつつある現在、働く人びとや経営者が本書を読んで(見て)何を感じるか、ぜひ知りたい。そして、叶うことなら二〇〇点を超える未公開写真を掲載した本書を、三島に見せびらかしてやりたい。

近江絹糸の人権争議と言えば、戦後労働運動史に燦然と輝く労働組合側が全面勝利した争議の一つです。それゆえ、それに関する本も多いのですが、今回の本は主としてチェーンストアの労使関係やパートタイマーを研究してきた本田さんが、カタカナのゼンセンになる前の「全繊」、つまり繊維産業の産別組合だったころの話に手を伸ばしています。

まえがきに、本書出版に至る経緯が書かれているのですが、本田さんが前著『オルグ!オルグ!オルグ!』を書く際に、チェーンストアを組織したゼンセン同盟がむかしは全繊同盟で、近江絹糸人権争議なんてのもあったと触れるために1枚の写真を使わせてもらうために、争議の指導者のひとりであり、争議に関する本を書いている朝倉克己さんに手紙を書いたところ、100枚以上の写真を段ボールに溢れるような資料が届き、会いに行ってしゃべっているうちに「写真記録をベースにした本にしますが、よろしいですか」と打診しタラ、朝倉さんの顔が輝いたんだそうです。

というわけで、本書は200ページ余りのうち半分近くが当時の写真で埋めつくされています。当時の日本のにおいがプンプン漂ってくるような写真です。そのうち見開きを2枚ほどアップしておきますが、憎き夏川社長の墓碑銘(法名 釋畜生餓鬼童死至 俗名 那津川蚊喰児)を書いてみたり、なかなかワイルドです。

Ohmi1

Ohmi2

第5位は、6月17日の「許可制は健全で届出制は不健全?(再掲)」で、1357回でした。これはもともと2021年6月16日に書いたエントリだったのですが、最高裁の最終判決が出たのを契機に再掲したものです。

許可制は健全で届出制は不健全?(再掲)


昨日、最高裁判所が風営法の特殊営業事業者に持続化給付金を支給しないのはOKだよという判決を下したということで、改めてこれを掘り返してみましょう。

許可制は健全で届出制は不健全?

朝日の夕刊に「性風俗業は「不健全」か コロナ給付金巡り、国「道徳観念に反し対象外」」という記事が載っていて、この問題自体は本ブログでも厚生労働省の雇用助成金と経済産業省の持続化給付金の取り扱いの違いについて論じてみたことがありますが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2020/04/post-b631f8.html(新型コロナと風俗営業という象徴)

・・・雇用助成金の時には、風俗営業だからと言って排除するのは職業差別だとあれほど騒いだ人々が、岡村発言の直後にはだれも文句を言わなくなってしまっているというあたりに、その時々の空気にいかに左右される我々の社会であるのかがくっきりと浮かび上がっているかのようです。

本日はその件ではありません。

https://www.asahi.com/articles/DA3S14941351.html(性風俗業は「不健全」か コロナ給付金巡り、国「道徳観念に反し対象外」)

何の話かというと、政府が性風俗業を持続化給付金の対象から外した論拠として、スナックや料亭といった(性風俗ではない)風俗営業は公安委員会の「許可」制にしているのに対し、性風俗業は公安委員会への届出制にしていることを挙げているという点に、ものすごい違和感を感じたからです。曰く、

・・・性風俗業を「性を売り物にする本質的に不健全な営業」「許可という形で公認するのは不適当」としている。

国はこれらをもとに、性風俗業は「不健全で許可制が相当でない業務とされてきた」・・・

性風俗業がいかなるものであるかについてはここでは論じませんし、持続化給付金の対象にすべきかどうかもとりあえずここでの論点ではありません。

しかし、「本質的に不健全」であるがゆえに許可制ではなく届出制とするのだ、というこの政府が裁判所で論じたてているらしい論理というのは、どう考えてもひっくり返っているように思われます。

そもそも、行政法の教科書を引っ張り出すまでもなく、許可制というのは、一般的禁止を特定の相手方に対して解除するという行政行為です。なぜ一般的に禁止しているかといえば、それはほっとくと問題が発生する恐れがあるからであり、何か問題が起きたら許可の取り消しという形で対処するためなのではないでしょうか。

それに対して、届出制というのは一般的には禁止していないこと、つまりほっといても(許可制の事業に比べて)それほど問題は発生しないであろう事業について、でもやっぱり気になるから、念のために届出させて、何かあったら(届出受理の取り消しなとということは本来的にありえないけれども)これなりにちゃんと対応するようにしておこうという仕組みのはずです。

そして、労働法政策においても、たとえば有料職業紹介事業は許可制ですが、学校や公益法人等の無料職業紹介事業は届出制ですし、派遣も今は許可制に統一されましたが、かつては登録型派遣は許可制で、常用型派遣は届出制でした。これらはどう考えても、前者の方が問題を起こしやすく、いざというときに許可の取り消しができるように、後者はあんまり問題がないだろうから、届出でええやろ、という制度設計であったはずです。

それが常識だと思い込んでいたもんですから、このデリバリーヘルス運営会社の起こした持続化給付金訴訟において、政府が上述のような全くひっくり返った議論を展開しているらしいということを知って、正直仰天しています。

※ ま、どっちがノーマルでどっちがアブノーマルかは人類史の解釈次第でしょうけど、それよりも私が驚愕したのは、持続化給付金を所管する経済産業省なのか、風俗営業法を所管する警察庁なのかはともかく、大学の法学部で一通り行政法を勉強し、公務員試験でも行政法で受験した法律職の公務員がいっぱいいるはず(警察庁であれば大多数)の霞が関の役人たちが、そういうイロハのイをすっからかんに忘れた風情で、前近代の「お目こぼし」思想全開の議論を、裁判所で並べ立てているらしいことでした。

大学の法学部で一通り行政法を勉強したはずの霞が関の役人だけではなく、日本国の法律のエキスパート中のエキスパートであるはずの最高裁判所の裁判官たちが揃いも揃って、

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/179/094179_hanrei.pdf

そして、本件特殊営業については、風営法において種々の規制がされているところ(第4章第1節第2款)、これは、本件特殊営業が上記の特徴を有することに鑑み、このような規制をしなければ、善良の風俗や清浄な風俗環境を保持し、少年の健全な育成に障害を及ぼす行為を防止することができないと考えられたからにほかならない(同法1条参照)。また、風営法が本件特殊営業を届出制の対象としているのは(31条の2)、本件特殊営業については、その健全化を観念することができず、風俗営業(同法2条1項)に対するものと同様の許可制をとること、すなわち、一定の水準を要求して健全化を図ることを前提とした規律の下に置くことは適当でないと考えられたことによるものと解される。

などという訳の分からない屁理屈を並べて満足しているように見えるさまは、些か唖然とせざるをえません。

類似の事業を営む者に対して、一方には許可制をとり、他方には届出制をとるという立法政策を説明するにあたって、行政法には統一的な基準というものはかけらも存在せず、そのときそのときに勝手にやっているのだ、それでいいのだ、と嘯くならともかく、日本国の行政について一般的に通用する許可制と届出制についての共通判断基準というのがあるのであれば、それはここで最高裁が堂々と謳い上げたこの基準ということになるはずですが、それでいいのですかね。

そうすると、最高裁の法理からすると、有料職業紹介事業は「一定の水準を要求して健全化を図ることを前提とした規律の下に置く」ために許可制にしているけれども、学校や公益法人等の無料職業紹介事業は「その健全化を観念することができ」ないから届出制にしているんですかね。思わず、「なるほど!」と言ってしまいそうですが。

第6位は5月9日の「労働基準法上に「民主集中制」という概念は存在しない」で、1251回でした。これは漫画評論家の紙屋高雪さんこと元共産党職員の神谷貴行さんが共産党を解雇された事件をめぐる一連のエントリの一つです。

労働基準法上に「民主集中制」という概念は存在しない

Jigazou_400x400_20250509105101 漫画評論家の紙屋高雪さんこと元共産党職員の神谷貴行さんが共産党を解雇された事件については何回か取り上げてきましたが、

結社/経営体としての日本共産党

雇用労働者か職業革命家か?

党専従職員は労働者に非ず…ってのは

まあ、「我が社の社員はみんな同志みたいなもんじゃ、労働基準法なんか関係ないワイ」とうそぶいていたワンマン社長が、言うことを聞かないからとクビにした社員に訴えられて、しぶしぶ労働者性を認めざるを得なくなり、監督署にせっつかれて就業規則や36協定を届け出なくてはならなくなるなんてことは、世の中にはそれこそゴマンとある訳ですが、労働者の味方を標榜している天下の日本共産党もそのワンマン中小零細企業の仲間入りをしたようです。

その神谷さんのブログに、昨日こういうエントリがアップされました。

これが歴史的な共産党の36協定…だけどよく見るとヘンでは?

神谷さんは就業規則と36協定の情報開示を求めたのですが、就業規則本体は不開示だったようです。

でも、面白いのは、労働基準法第90条に基づき、「労働者の過半数で組織する労働組合がある場合にはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半数を代表する者の意見」を労働基準監督署に届け出る際に添付しなければならない、というその「意見書」は開示されたようで、その写真が載っているのですが、これが実に不可思議な代物になっています。

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労働法をちょいとでも勉強した人ならすぐに気がつくと思いますが、意見書というのは過半数代表が使用者に対して出すものであって、その出された意見書を使用者が就業規則に添付して監督署に届け出るものです。

ところが、この意見書の宛名は「福岡中央労働基準監督署長殿」になっていますね。うーん、天下の日本共産党は労働基準法の基礎の基礎が分かっていないようです。

「労働者の過半数を代表する者の選出方法」が「投票による選挙」になっていますが、さてはて、どこでどういう選挙をして、どういう方を選出されたのか、まさか労働基準法施行規則第6条の2で定められている「監督又は管理の地位にある者でないこと」や「使用者の意向に基づき選出されたものでないこと」に反していませんよね、と、労働法クラスタなら心配になるところです。

使用者とは異なる立場の人が法に則って適切に「選挙」されているのであれば、自分が意見書を提出する相手(自分と対峙する使用者)と、その相手方が当該意見書を添付して就業規則を提出する相手(監督署)をごちゃ混ぜにするなんてことはあり得ないはずですが、どうも、この日本共産党に雇用される労働者の過半数代表という方は、自分が書いた意見書の提出相手は監督署だと心底から思い込んでしまっているようで、労働者の代表なのか使用者の代表なのかよく分からないところがあります。その意味でも、この墨塗になっているところが気になりますね。なんにせよ、まことに残念ながら、労働基準法上に「民主集中制」という概念は存在しないのですよ。

でも、それよりもっと面白いのは、神谷さん曰く「日本共産党の103年の歴史でもおそらく初めてであろう36協定」です。

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これ、労働法の授業で間違い探しをやらせたくなるような、なんとも不思議な内容になっています。

詳しくは、リンク先の神谷さんのブログで説明されていますが、史上初の36協定の出来がかくもスバラ式代物になってしまっているというのは、なんともはやではあります。

第7位は9月27日の「発言と解雇--真正の人文知識人の言葉」で、1178回でした。これは上の第1位の「発言と解雇」の続きで、将基面貴巳さんの言葉を紹介したエントリです。

発言と解雇--真正の人文知識人の言葉

先日のこのエントリの問題に関わって、

発言と解雇

P25wrrni_400x400 言葉の正確な意味での、真正の人文知識人というべき人による、こういうつぶやきが聞こえてきました。将基面貴巳さんの言葉です。

自分の信念や良心に基づいて発言した結果、大学や学校の教員が次々と解雇されていると、アメリカの研究仲間から悲鳴が聞こえてくる。暴政が猛威を振るい出すと、「発言」は危険極まりなく、「離脱」という選択が現実的に不可能であれば、「国内亡命」という20世紀ドイツ知識人を悩ませた選択肢しか残されないことになる。これは日本の有権者にとって対岸の火事だろうか。

現代アメリカの危機はマッカーシズムの場合と同日の談ではない。マッカーシズムは上からの運動にすぎず、大学でも(脆弱な)学問の自由を守り抜くことができた。トランプの時代では、上からの圧力だけでなく草の根の共鳴盤が大きく広がっている。「国内亡命」することで嵐が去るのを待つという消極的態度をよしとしないのであれば、どんな選択肢が残るのか。

アメリカに限った話ではないが、大学の側にも問題がある。特定のイデオロギーを正統視する(ことで異端を排除する)風潮を許したことで「学問の自由」を自ら掘り崩した上に、社会における反知性主義的反感をいっそう増幅した側面もあるのではないか。さらに、暴政への最終抵抗手段としての暴力の問題とリベラル知識人はどう向き合うのか。「国家の理想」(矢内原忠雄)のために自己犠牲を払う覚悟があるのか。実に重い問題がアメリカを舞台として目の前に立ち現れつつあるように思われる。

でも、この言葉を一番じわじわと味わうべき人の心には、なかなか届かないのでしょうね。

第8位は7月29日の「排外主義と階級」で、976回でした。

排外主義と階級

思いつきのメモ

欧米で数十年前からはびこってきている極右政党の社会的基盤として、外国人労働者に職を奪われ(ると思い込んでい)る労働者階級や、貧しい外国人に福祉を奪われ(ると思いこんでい)る貧困層が、自分たちを裏切った(と思い込んでいる)社会民主主義政党から離れたからだとよく言われる。もちろんそれで説明できないところはいっぱいあるけれども、全体的にはそういう説明が了解されているように思われる。

そういう労働ショービニズムや福祉ショービニズムの傾向は、もちろん日本にもちらちらとは存在しているけれども、今回の参議院選挙で一気に噴出した排外主義は、それに加えて、というよりもむしろそれ以上に、中流サラリーマン層の被剥奪感が大きいのではなかろうか。印象論だが、日本人ファーストというときに想定されているのは、決して技能実習生が就いている製造業、建設業、農業の3K労働なんかではなく、自分がお金を貯めて、ローンで買えるはずだったマンションが富裕な外国人に買い占められて価格が暴騰して手が出なくなったことのように思われる。

過去数十年間着実に増加してきた技能系の在留資格ではなく、これまで外国人論議ではほとんど取り上げられることのなかった経営管理在留資格がここにきて急激に話題になっていることからしても、どうもこれは欧米型の労働ショービニズムや福祉ショービニズムではなく、日本的中間層たるサラリーマンショービニズムの気配が感じられる。

第9位は1月25日の「党専従職員は労働者に非ず…ってのは」で、889回でした。これも、第6位の「労働基準法上に「民主集中制」という概念は存在しない」と同様、神谷貴行さんに対する日本共産党のブラック企業もかくやという奇妙奇天烈なロジックをからかったものです。

党専従職員は労働者に非ず…ってのは

日本共産党の田村委員長が、例の紙屋高雪さんこと神谷貴行さんの件について、こう語ったそうですが、

共産・田村智子委員長「専従職員の地位はいわゆる労使関係と異なる」 労働法令違反で見解

共産党福岡県委員会の労働法令違反を巡り、田村智子委員長は24日、党機関で働く専従職員の地位は一般の労働者とは異なると主張した。田村氏は国会内で記者団から専従職員の地位について問われ、「いわゆる労使関係というものとは異なると考える」と語った。

党側の労働法令違反を巡っては、党福岡県委員会が労働基準法で義務付けられている労働基準監督署への就業規則の届け出を怠っていたなどとして、当局から是正指導を受けていた。

田村氏は専従職員の地位について「結社の自由の下で、自主的、自発的な意思のもとで活動していることが一番の根本にある。結社の自由の下で、私たちは国民の切実な要求と社会進歩の促進のために活動するということだ」と説明した。

入門書レベルでいいから労働法の教科書をちゃんと読んでね、というようなことは誰でもいうので、ここでは別にそんなことはいいません。

それって、「わが社はみんな家族みたいなもんじゃ、アカの他人がごたごたいうんじゃねえ、おめえはアカか?」とうそぶく中小企業のオヤジとどこが違うのか、というようなことも誰でもいうので、わざわざそんな当たり前のことも言いません。

こういう理屈が下手をしたら通ってしまいかねない世界というのも実はありまして、ボランティアっていうんですね。革命を目指す政党と同じように、その目的はさまざまですが、「結社の自由の下で、自主的、自発的な意思のもとで活動していることが一番の根本」であるような組織です。

実はこれで思い出したのが、これだったんですね。

ボランティアといえば労働じゃなくなる?

同じ問題がボランティアにもあって、これは『季刊労働法』222号の鎌田先生、島田先生、池添さん、水口さんの座談会で紹介されていたものですけど、例の堀田力さんのさわやか福祉財団が、4年前に、こういう法案みたいなのを作っていたんですね。

http://www.sawayakazaidan.or.jp/news/2004/20041013.html

>第一条  労働関係を規制する法令における労働その他の用語、職業を規制する法令における事業その他の用語、及び税について規定する法令における収益事業その他の用語であって、有償性もしくは無償性、報酬性(対価性、対償性その他、提供される財の市場価値を、これとの交換において支払う性質を表すすべての用語を含む)、または、収益性の有無を要素とするものの解釈は、この法律による。

>第二条  ボランティアとは、雇用契約によらず、他者のために、自発的に、無償でサービスを提供する者をいい、ボランティア活動とは、ボランティアによるサービスの提供をいう。
2  ボランティア活動は、労働と区別される。
3  サービスの受益者またはボランティア活動を組織しもしくは支援する者が、サービスに対して金品を提供した場合において、サービスに対する報酬としてではなく、その実費の負担またはこれに対する謝礼として提供したときは、そのサービスは無償で提供されたものとみなす。
4  サービスに対して提供された金品の価格が当該サービスの市場価格の五分の四以下であるときは、当該金品は謝礼として提供されたものと推定する。その価格が最低賃金額以下であるときは、謝礼として提供されたものとみなす。ただし、サービスを提供する者が、ボランティア活動としてではなく、労働としてこれを提供したときは、この限りではない。

もちろん、ボランティア活動はたいへん崇高なものではありますが、とはいえ親分が「おめえらはボランテアなんだぞ、わかってんだろうな」とじろりと一睨みして、子分がすくみ上がって「も、もちろんあっしは労働者なんぞじゃありやせん」と言えば、最低賃金も何も適用がなくなるという法制度はいかがなものか、と。

そして第10位は、つい先日の12月12日のエントリですが、「ガンバリズムの平等主義とユトリズムのエリート主義」で、746回でした。これは直接的には飯間浩明さんによる高市首相の昔の本の紹介に触発されて、今から10年近く昔に書いたエッセイを紹介したものです。

ガンバリズムの平等主義とユトリズムのエリート主義

高市首相の人気がなぜ高どまりしているのか、ウヨだのサヨだのといったイデオロギー話を別にして、「働いて働いて働いて働いて働いて」という過労死遺族会が怒るそのガンバリズムが含意するある種の平等主義が、実は人気を支える一つの要因なのではないか、という見方もあるのではないかという話です。

言葉の専門家である飯間浩明さんが、高市首相の昔の本『アズ・ア・タックスペイヤー』(ノン・ブック、1989年)を紹介しているのですが、その中にこんな一節があったそうです。

https://x.com/IIMA_Hiroaki/status/1999253977024835724

高市首相には、日本の首相としては珍しく、若い頃の著作があります。『アズ・ア・タックスペイヤー』(1989年)もそのひとつ。作家の初期作品が重要であるように、首相の「アーリーワーク」も資料的価値があります。私はことばの面を中心に読みましたが、他の面からも興味深いでしょう。(続く)・・・

・・・なお、ことばの面では、2025年の「新語・流行語大賞」に選ばれて賛否両論のあった「働いて働いて……」という高市首相の発言のルーツも、本書から読み取れる気がして、興味深く思いました。このように、読者の関心に応じ、さまざまな面から読むことのできる本です。

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これで思い出したのが、今からほぼ10年前に書いたこれなんですが、

「ガンバリズムの平等主義」@『労基旬報』2016年2月25日号

・・・欧米ではノンエリートとして猛烈な働き方なんかする気にならない(なれない)多くの労働者が、日本では疑似エリートとして猛烈に働いている、というこの構造は、なかなか切り口の難しい代物です。ある種の左翼論者は、それは資本家に騙されて虚構の出世を餌に搾取されているだけだと言いたがりますが、もちろんそういうブラック企業も少なくないでしょうが、日本型雇用を代表する多くの大企業では必ずしもそうではなく、確かに猛烈に働く係員島耕作たちの中から課長島耕作や部長島耕作が、そしてきわめて稀にですが社長島耕作が生み出されてきたことも確かです。とはいえ、ではこの構造は人間の平等と企業経営の効率を両立させた素晴らしい仕組みだと褒め称えて済ませられるかというと、そうではないからこそ長時間労働が問題になっているわけです。

 このシステムにおける「平等」とは、いわばガンバリズムの前の平等です。凄く頭のよいスマート社員がてきぱきと仕事を片付けて、夕方には完璧な成果を出してさっさと帰宅している一方で、そんなに頭の回転は速くないけれども真面目にものごとに取り組むノンスマート社員が、夕方にはまだできていないけれども、「明日の朝まで待って下さい。ちゃんと立派な成果を出して見せます」と課長に頼んで、徹夜して頑張ってなんとかそれなりの成果を出してきた、というケースを考えましょう。長時間労働は良くないから禁止!ということは、ノンスマート社員に徹夜して頑張ってみせる機会を奪うことを意味します。さっさと仕事を片付けられるスマート社員だけがすいすいと出世する会社になるということを意味します。そんなのは「平等」じゃない!と、日本の多くの労働者は考えてきたのです。

 とはいえその「平等」は、そうやって頑張ることのできる者だけの「平等」にすぎません。かつての係員島耕作たちの隣にいたのは、結婚退職が前提で補助的業務に従事する一般職女性だったかも知れませんが、その後輩たちの隣にいるのは、会社の基幹的な業務に責任を持って取り組んでいる総合職女性たちなのです。彼女らはもちろん結婚しても出産しても働き続けます。しかし、子どもを抱えた既婚女性には、かつての係員島耕作とは違い、明日の朝まで徹夜して頑張ってみせることも不可能です。島耕作たちの「平等」は、彼女らにとってはなんら「平等」ではないのです。むしろ、銃後を専業主婦やせいぜいパート主婦に任せて自分は前線での闘いに専念できるという「特権」でしかありません。その「特権」を行使できない総合職女性たちがいわゆる「マミートラック」に追いやられていくという姿は、「平等」という概念の複雑怪奇さを物語っています。

 ノンエリート男性たちのガンバリズムの平等主義が戦後日本の経済発展の原動力の一つとなったことは間違いありません。しかし、その成功の原因が、今や女性たち、さらには男性でもさまざまな制約のために長時間労働できない人々の活躍を困難にし、結果的に日本経済の発展の阻害要因になりつつあるとすれば、私たちはそのガンバる平等という戦後日本の理念そのものに疑いの目を向けて行かざるを得ないでしょう。

 長時間労働問題はなかなか一筋縄でいく代物ではない、からこそ、その根源に遡った議論が必要なのです

「能力がない分、夜だって朝だってお構いなしに仕事をしてしまう」ので、「デートの約束より仕事を優先させてしまう」というのは、まさにエリートではない下から叩き上げで上り詰めてきた人の生き様であり、そういう「ガンバリズムの平等主義」に対する共感こそが、それを上から目線で批判するユトリズムのエリート主義に対する反発と相まって、「働きたい改革」への声なき声となっているとすると、なかなかこれは根が深い話なのです。

 

 

2025年12月20日 (土)

誰の労働時間規制を緩和したいのか?

昨晩、都内某所で某氏と会話。高市総理は「労働時間規制の緩和検討」を指示したけれども、一体誰のどういう労働時間規制を緩和したいのだろうか?

これが連合と経団連が労政審でぶつかる話であるなら、話は簡単。ブルーカラー向けの労基法の労働時間規制がふさわしくない自律的に働くホワイトカラーの労働時間規制を緩和せよ、という話だ。実際、過去30年にわたって、裁量労働制、ホワイトカラーエグゼンプション、高度プロフェッショナル制度と、この話は繰り返され、高プロがほとんど空振りになってしまったので、もう一遍裁量労働制を大きく拡大しようというのは、経団連が最近も言っている。そういう話なら、そういう話として対処できる。でも、高市総理の頭にあるのはたぶんそういう話じゃない。

地方の中小企業、それもトラックなどの運輸業や建設業は、5年の猶予期間が切れて昨年4月から上限規制がかかっているが、ただでさえ人手不足で回らないうえに、数少ない労働者を長く働かせて何とか回そうとすると、上限規制に引っ掛かるからそれ以上働けません、とくる。実は、いま日本の地方の中小企業、とりわけ運輸、建設業といった業種の事業主は、裁量労働制だのエグゼンプションだのと言った東京のきれいなオフィスにいる連中の話なんか関心ない。そんな話はどうでもいいから、この上限規制を何とか緩めてくれと悲鳴を上げている。

で、保守本流ではない高市総理の耳に入ってくる「労働時間規制の緩和」を求める声ってのは、経団連流の裁量労働だのエグゼンプションじゃなくって、こういう地方中小企業の、とりわけ運輸、建設業の上限規制を何とかしろという声である可能性が高いのではないだろうか。

てな話をしてました。

 

 

 

2025年12月19日 (金)

諸外国における解雇規制と紛争解決制度について@山本陽大

永年議論が続いている解雇の金銭解決(救済)制度について、JILPTでは3つの調査研究をしてきて、先月労政審労働条件分科会でまとめて報告されましたが、JILPTでも次第に公表しつつあります。

一昨日公表された『解雇等に関する労働者意識調査』に続いて、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2025/12/post-a6f517.html

山本陽大さんらが担当した諸外国における解雇規制と紛争解決制度について、労働政策研究報告書になるのはもう少し先になりますが、そのエッセンスの部分だけ、表の形で公開されたので、紹介しておきます。

https://www.jil.go.jp/foreign/labor_system/2025/12/special.html

いわゆる「解雇の金銭解決(救済)制度」は、日本では2000年代に入って以降、政府の審議会や検討会等においていくどか検討が行われてきた。その立法政策としての要否・妥当性や制度設計等について今後検討を進めるに当たっては、いま現に解雇の金銭解決制度が整備されている諸外国における解雇規制や紛争解決制度について、それらをめぐる運用実態や政策的な評価等を含めて調査研究を行うことは、有用な素材となると考えられる。そこで、労働政策研究・研修機構(JILPT)においては、令和6年度以降「海外における解雇の金銭解決制度に関する有識者等に対するヒアリング調査」を実施することとした。同調査研究においては、ドイツ・フランス・イギリスにおける(解雇の金銭解決制度を含む)解雇規制や紛争解決制度の現状について、文献による調査を進めるとともに、各国における制度の運用実態や政策的な評価等に関して、現地の有識者(法曹関係者、労働組合・使用者団体、行政機関、研究者等)に対して、ヒアリング調査をも行った。本フォーカスにおいて公表する以下の資料は、かかる調査研究により得られた知見を、各国ごとに一覧表の形で整理したものである。なお、最終的な研究成果については、今後、労働政策研究報告書『諸外国における解雇の金銭解決をめぐる制度構造・運用実態・政策評価-独・仏・英における有識者ヒアリングを踏まえた調査研究』が刊行される予定であるので、詳細はそちらを参照されたい。

なお、わたくしが担当した労働局あっせんにおける解雇型雇用終了事案の分析は、多分年末にはアップされる予定ですので、しばらくお待ちください。

 

 

 

 

 

 

 

2025年12月18日 (木)

欧州議会が職場のアルゴリズム管理について勧告決議

昨日(12月17日)、欧州議会は「職場のデジタル化、AI、アルゴリズム管理」という決議を採択しました。

https://www.europarl.europa.eu/doceo/document/TA-10-2025-0337_EN.pdf

この報告には、付録(Annex) として、欧州委員会に対してこういう内容の立法提案をせよという勧告がつけられています。EUでは立法府たる欧州議会には立法提案をする権限がなく、提案権は行政府たる欧州委員会にしかないので、こういう回りくどいやり方になるのですが、要するに、日本で言えば議員立法的な提案を勧告決議という形でやっているわけです。

この件については、先日『労働法律旬報』に寄稿した「スポットワークの系譜と今後の展望」の一番最後のところでもチラリと触れておきましたが、

・・・日本ではプラットフォーム労働といえばほとんど専ら労働者性の問題と考えられているが、同指令では第3章の7条から15条にわたって、アルゴリズム管理に対する規制が事細かに規定されているのである。さらに、欧州議会は今年「職場におけるデジタル化、人工知能及びアルゴリズム管理に関する欧州委員会への勧告」案を採択し、その付属文書である「職場のアルゴリズム管理に関する指令案」は、労働者と一人自営業者双方を対象としてアルゴリズム管理を包括的に規制しようとしている。日本でも今後、スポットワークを雇用型プラットフォーム労働ととらえ、アルゴリズム管理の規制という観点から考えていく必要は今後ますます高まっていくと思われる。その上でも、スポットワーク事業者を単なる仲介事業者ととらえている現在の立法の建付けを再検討する必要が出てくるのではなかろうか。

より詳細には、『労基旬報』8月25日に「欧州議会の『職場のアルゴリズム管理指令案』勧告案」として詳しく紹介してあります。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2025/08/post-a6ff97.html

 去る6月26日、欧州議会の雇用社会問題委員会に、「職場におけるデジタル化、人工知能及びアルゴリズム管理に関する欧州委員会への勧告」案が提出されました。これには付属文書という形で「職場のアルゴリズム管理に関する指令案」がついていて、内容的にはこちらが中心です。EUでは、立法機関たる欧州議会には立法提案をする権利はなく、指令案を出せるのは欧州委員会だけなので、こういういささか回りくどい形式をとっているのですが、要するに議員立法の法案みたいなものだと考えていいでしょう。
 職場のアルゴリズム管理への規制としては、昨年10月23日に正式に成立した「プラットフォーム労働における労働条件の改善に関する指令」が、プラットフォーム労働遂行者に限って、個人データ保護や意思決定システムの透明性等を規定していますが、他の労働者には及びません。しかし、近年のAIの発達により、あらゆる職場でアルゴリズム管理が用いられるようになり、欧州労連などは法的対応の必要性を叫んでいました。今回の勧告案は、それを受けたものということになります。
 プラットフォーム労働指令が雇用関係のあるプラットフォーム労働者だけでなく雇用関係のない者も含むプラットフォーム労働遂行者まで含めてアルゴリズム管理規制の対象にしていたことに倣って、今回の勧告案は労働者と一人自営業者双方を対象としており、これを裏返せば使用者とサービス調達者を義務づけの名宛て人にしていることになります。規制の内容はプラットフォーム労働指令を若干補正した形になっています。すなわち、透明性と情報入手の権利(第3条)、協議(第4条)、禁止行為(第5条)、人間による監視と再検討(第6条)、労働安全衛生(第7条)、権限ある国内機関の責任(第8条)という条文立てになっており、中でもプラットフォーム労働指令と同様、人間による監視と再検討に重点が置かれています。以下では、勧告案付属指令案の本文の主要部分を翻訳して紹介しておきます。
 
第1条 主題と適用範囲
1.本指令は、職場におけるアルゴリズム管理の透明な利用のための最低要件を規定する。
2.本指令は、EUの全ての労働者及び使用者並びに一人自営業者及び関係するサービス調達者に適用する。
第2条 定義
1.「アルゴリズム管理」とは、作業環境内の活動を監督するために個人データを処理するシステムや、作業割当の編成、報酬、安全衛生、労働時間、訓練機会昇進及び契約上の地位のような労働者又は一人自営業者に重大な影響を与える意思決定を行うか又は支援するためのシステムを含め、電子的手段により、労働者の作業成果及び労働条件に関し、監視し、監督し、評価し、又は意思決定を行うか若しくは支援するための自動的システムの利用をいう。
2.「労働者」とは、労働協約及び国内慣行を含め、EU法及び国内法で定義された雇用契約又は雇用関係を有するとみなされる者をいう。
3.「一人自営業者」とは、雇用契約又は雇用関係を有さず、関係するサービスの提供のための彼又は彼女の個人的な労働に主として依存する者をいう。
4.「使用者」とは、国内法及び慣行に従い、労働者との雇用契約又は雇用関係の当事者である自然人又は法人をいう。
5.「サービス調達者」とは、特定のサービス又はタスクの提供のための一人自営業者との契約合意の当事者である自然人又は法人をいう。
第3条 透明性と情報入手の権利
1.加盟国は、使用者及びサービス調達者がそれぞれ、その契約関係にある労働者及び一人自営業者並びにその代表に対し、職場におけるアルゴリズム管理のためのシステムの利用又は利用の計画に関して、書面で情報を提供するよう確保するものとする。
2.第1項にいう情報は以下を含むものとする。
(a) その目的の一般的な記述を含め、アルゴリズム管理システムが利用されているか又は導入を意図しているという明確な声明、
(b) その行動及び成果に関連するデータ並びに監視される行為又は活動のタイプも含め、労働者又は一人自営業者との関係でかかるシステムによって収集され又は処理されたデータのカテゴリー、
(c) 収集されたデータが自動的な意思決定を遂行するために利用されるか、及びかかる意思決定の性質及び範囲の記述の明確な表示
3.第1項にいう情報は次の時期に提供されるものとする。
(a) 労働者の就労初日以前及び一人自営業者の契約初日、
(b) 労働条件、作業編成又は作業成果の監視及び評価に重大な影響を与える変更の導入以前、
(c) その要請に基づきいつでも。
4. 第1項にいう情報は、明確で容易に理解できる方法で提供されるものとする。加盟国は、使用者及びサービス調達者が、労働者又は一人自営業者が理解することが合理的に期待できるデジタルリテラシーのレベルに合わせて、かつ不必要に技術的又は複雑な言語の利用を避けるような方法で、情報を提供するよう確保するものとする。
 加盟国は、第1項にいう情報が障害者にもアクセス可能なフォーマットで提供されるよう確保するものとする。
5.本条に基づく情報の提供は、労働者又は一人自営業者がその労働を遂行し、アルゴリズム的なシステムが彼らに影響を与える意思決定にいかに影響するかを理解し、その権利を行使するのに厳格に必要なものに限定するものとする。
第4条 協議
1.加盟国は、労働者の報酬、労働編成又は労働時間に直接影響する新たなアルゴリズム管理のシステムの配置又は既存のシステムのかかる更新が、作業編成又は契約関係の重大な変化をもたらすような意思決定とみなされ、かかるものとして指令2002/14/EC(一般労使協議指令)第4条第2項第(c)号に基づく協議の対象となるよう確保するものとする。
2.かかる協議には次の事項が含まれる。
(a) 配置又は更新の背後にある目的及びその影響を受ける作業過程及び労働者、
(b) 作業負荷、労働密度、日程、労働時間、柔軟性又は職務内容の変化、
(c) 労働安全衛生への影響、
(d) 収集されるデータのタイプ、
(e) 偏見又は差別的帰結を探知し及び緩和するための措置、
(f) 人間による監視の機構
(g) 影響を受ける労働者及び一人自営業者への訓練及び支援の措置。
第5条 禁止行為
1.加盟国は、使用者及びサービス調達者が次に関わる個人データを処理することを禁止されるよう確保するものとする。
(a) 労働者又は一人自営業者の感情的又は心理的状態、
(b) 神経監視、
(c) 私的な会話、
(d) 勤務時間外又は私的な部屋にいる労働者又は一人自営業者の行動、
(e) EU基本権憲章に規定する結社の自由、団体交渉及び団体行動権又は情報提供及び協議を受ける権利を含め、基本権の行使の予測、
(f) 人種的若しくは民族的出自、移民の地位、政治的意見、宗教的若しくは思想的信条、障害、健康状態、労働組合への加入又は性的指向の推測。
2.本指令のいかなる規定も、規則(EU)2016/679(一般データ保護規則)又は規則(EU)2024/1689(AI規則)の下で禁止されている行為を許容するものとして解釈されないものとする。
第6条 人間による監視と再検討
1.加盟国は、使用者及びサービス調達者が職場に配置された全てのアルゴリズム管理システムに対してあらゆる時に有効な人間による監視を維持するよう確保するものとする。加盟国はまた、使用者及びサービス調達者が、かかるシステムの適用される法的、安全衛生上及び倫理上の基準への遵守を含め、かかるシステムの作用及び影響の監視並びにその意思決定の再検討に責任を有する者を指名し、それを労働者、一人自営業者及びその代表に対し通知するよう確保するものとする。
2.加盟国は、労働者及び一人自営業者が、その要請に基づき、タスクの配分、成果の査定、労働時間の日程調整、報酬、懲戒処分を含め、その雇用又は契約関係の重要な側面に影響を与えるいかなる意思決定に関しても、かかる事項に関する意思決定が既に行われ又はアルゴリズム的システムにより重大な影響を受けている場合には、使用者又はサービス調達者から、口頭又は書面による説明を受ける権利を有するように確保するものとする。
 第1項にいう説明は、合理的な時間内に、関係する労働者又は一人自営業者にアクセス可能で理解可能なフォーマットで提供されるものとする。
3.加盟国は、雇用又は契約関係の開始又は終了、契約関係の更新又は不更新及び報酬のいかなる変更に関する意思決定もアルゴリズム管理のみに基づいてとられることのないよう確保するものとする。かかる意思決定もまた、人間の監視者による再検討及び最終決定に従うものとする。
4.加盟国は、労働者及び一人自営業者の代表が、使用者又はサービス調達者に対し、アルゴリズム管理システムがシステム的なバイアス若しくは欠陥を示し又は労働者若しくは一人自営業者の精神的若しくは身体的健全性又は職場の安全衛生に脅威を与えるという正当な懸念がある場合には、設置されたかかるシステムの作用の再検討を開始するよう要請することができるように確保するものとする。
第7条 労働安全衛生
1.指令89/391/EEC(労働安全衛生指令)及び職場の安全衛生分野における関係諸指令に抵触しない限り、加盟国は使用者に次のことを確保するものとする。
(a) とりわけ作業関連災害、心理社会的及び人間工学的リスク並びに労働者への過度の圧力に関し、アルゴリズム管理システムの安全衛生へのリスクを評価すること、
(b) これらシステムの安全装置が作業環境の特別の特徴の観点から特定されるリスクにとって適切であるかどうかを評価すること、
(c) 適切な予防的及び保護的措置を導入すること。
第8条 権限ある国内機関の責任
1.加盟国は、その各労働監督機関に、職場におけるアルゴリズム管理システムの安全で非差別的な利用を監視する任務を課すものとする。
2.労働監督機関は、次のことを監視し、統制し、評価する任務を負うものとする。
(a) とりわけ労働者の精神的及び身体的健康への影響に関して、雇用の過程で利用されるアルゴリズム管理システムの安全性、
(b) かかるシステムの設計、配置又は作用においてバイアス及び差別がないこと、
(c) アルゴリズム管理システムの労働時間及び労働者への成果圧力に対する影響、
(d) 労働安全衛生及び均等待遇に関する規定を含め、本指令並びに他の適用されるEU法及び国内法の関連規定の遵守。
3.加盟国は、その各労働監督機関がその機能を有効に遂行するために十分な資源、権限及び技術的専門性を有するように確保するものとする。

2025年12月17日 (水)

原昌登『あなたのキャリアと労働法』

L24398 原昌登『あなたのキャリアと労働法』(有斐閣)をお送りいただきました。

https://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641243989

就職活動の時,入社1年目,昇進した時──知っておきたい労働法の知識はこれだ!企業でのキャリアや働く場面を意識し,実際にありそうなケースも用いて,労働法制全体を解説。法学や民法の基礎知識にも随所で言及しており,法学部生以外も学びやすい。

入門書オブ入門書ですが、第1章の「労働契約の意味・内定」の前に、序章として「労働法の基本はアルバイトにあり」というのがあって、その冒頭でいきなり読者に対して、

問0-1 アルバイト先の会社が、アルバイトをしている皆さんに、「これをやって」「これを運んで」などと仕事を命じることができるのは、なぜだろうか?

① バイト先の方が偉いから。

② そういう「約束」をしているから。

というやたらに本質的な問いかけをしてきたりします。

 

 

 

 

 

『解雇等に関する労働者意識調査』

Kaiko 本日、JILPTの調査シリーズNo.260として『解雇等に関する労働者意識調査』がアップされました。

https://www.jil.go.jp/institute/research/2025/260.html

解雇等及び解雇等をめぐる紛争の実態、並びに解雇無効時の金銭救済制度に対する意識等について把握するため、解雇、雇止め(以下「解雇等」。)経験者及び解雇等未経験者(以下「その他の者」。)を対象としてアンケート調査を行った。なお、本調査は厚生労働省労働基準局の要請に基づいて実施したものである。

去る11月18日に、労働政策審議会労働条件分科会に報告された解雇関係の3つの調査結果のうちの一つで、

https://www.mhlw.go.jp/content/11201250/001595984.pdf

より詳細なデータが載っています。

担当者には私の名前も載っていますが、実際に調査を実施し、執筆したのは、調査部主任調査員の上村聡子さんです。

  1. 解雇等の際の状況(解雇等経験者)

    解雇等の理由 (複数回答)は、「経営状況の悪化」が34.0%と最も多く、次いで「自身の担当する業務がなくなったから」(14.3%)、「その他」(12.3%)、「会社の倒産」(10.5%)、「理由なしに単に「帰れ」「やめろ」「来なくていい」などと言われたから」(9.1%)、「職務能力不足(仕事ができない)と判断されたから」(9.0%)などが続いている。雇い止めのケースでは、解雇のケースと比べ、「自身の担当する業務がなくなったから」「その他」「年齢が高いから」といった理由がやや多く、「会社の倒産」「理由なしに単に「帰れ」「やめろ」「来なくていい」などと言われたから」といった理由はやや少なくなっている(図表1)。

    図表1 直近の解雇等の理由(複数回答)

    図表1画像

  2. 解雇等の際の紛争解決制度の利用状況(解雇等経験者)

    解雇等の際に紛争解決制度 を利用したかどうかを尋ねると、「利用した」が7.6%、「利用していない」が92.4%となっている。雇止めのケースに比べて解雇のケースではやや「利用した」の割合が高くなっている(図表2)。

    図表2 直近の解雇等の際の紛争解決制度の利用の有無

    図表2画像

  3. 解雇等をめぐる紛争解決やその予防のために必要と考えること

    復職請求等の現行制度は維持しつつ、解雇等をめぐる紛争解決やその予防のために何が必要と考えるかについて、解雇等経験者とその他の者それぞれに尋ねたところ(複数回答)、解雇等経験者においては「わからない」が49.0%と最も多く、次いで「紛争となった場合どのような結果になるか予想しやすくするための解雇等に係るルールの分かりやすい周知」が25.2%、「和解等で支払われる金額の算定方法や考慮要素(給与額、勤続年数等)の明確化」が19.3%、「解雇等無効判決を得た労働者が復職や継続就労しやすくなるための環境整備」が18.7%、「解雇等無効判決や金銭での和解が成立した具体的事例の周知」が16.5%、「簡易迅速に解決可能な、都道府県労働局のあっせん等や労働審判等のさらなる利用促進」と「解雇等無効時に労働者の請求により金銭を受け取ることで労働契約を終了させる制度の創設」がそれぞれ15.9%などとなっている。

    その他の者については「わからない」が61.6%と最も多く、次いで「紛争となった場合どのような結果になるか予想しやすくするための解雇等に係るルールの分かりやすい周知」が21.6%、「和解等で支払われる金額の算定方法や考慮要素(給与額、勤続年数等)の明確化」が19.0%、「解雇等無効判決を得た労働者が復職や継続就労しやすくなるための環境整備」が18.3%、「解雇等無効判決や金銭での和解が成立した具体的事例の周知」が14.8%、「簡易迅速に解決可能な、都道府県労働局のあっせん等や労働審判等のさらなる利用促進」が13.4%、「解雇等無効時に労働者の請求により金銭を受け取ることで労働契約を終了させる制度の創設」が12.6%などとなっている。

    「わからない」の割合がその他の者で高いものの、解雇等経験者とその他の者で回答傾向に大きな差異はみられない(図表3)。

    図表3 解雇等をめぐる紛争解決やその予防のために必要と考えること(複数回答)

    図表3画像

 

 

 

EUがクオリティ・ジョブ法について労使団体への第一次協議を開始

Adobestock_607448542 去る12月4日、欧州委員会はクオリティ・ジョブ法について労使団体への第一次協議を開始しました。

https://employment-social-affairs.ec.europa.eu/document/download/059a1e18-2508-4520-9b15-5831c50e0f91_en?filename=Consultation_Quality-Jobs-Act_2025.pdf

As announced by President von der Leyen in her 2025 state of the EU address and the Commission’s 2026 work programme, the Commission will propose a Quality Jobs Act in 2026. The new law will update EU rules protecting workers while supporting productivity and competitiveness.

Today’s first-stage consultation seeks social partners’ views on the direction of EU action to improve job quality. The consultation highlights several areas that a future law could cover, including:

・Algorithmic management and artificial intelligence (AI) at work: Digital tools are now central to working life. AI can save time and increase productivity. However, 84% of Europeans believe that these technologies must be carefully managed at work.

・Safety and health at work: New technologies and mobile digital equipment have transformed workplaces and expanded remote work. Psychosocial and ergonomic risks at work have increased, highlighting the need to update EU rules on safety and health at work. In 2025, 29% of workers reported experiencing stress, anxiety or depression caused or worsened by their job, up from 27% in 2022, according to the latest EU-OSHA pulse survey.

・Subcontracting: Subcontracting helps companies access expertise and innovate. However, it can also lead to abusive practices and poor compliance with labour, health, and safety regulations, especially in long and complex subcontracting chains.

・Just transition: The green and digital transitions are driving companies across the EU to restructure, creating major challenges for both workers and employers.

・Enforcement and role of social partners: Strong enforcement is essential for workers to benefit from their rights. Persistent issues such as undeclared work and weak compliance undermine job quality and fair competition.

This new consultation will complement the right to disconnect and telework consultation finalised in October 2025.  

フォン・デア・ライエン委員長は既に、来年(2026年)にクオリティ・ジョブ法を提案するんだと言ってるんですね。言ってから改めて労使に協議しているという構図のようです。

正直言って、なんだかやたらに総花的で何をしようとしているのかわかりにくいところもありますが、今日労働問題として注目を集めているトピックとしてはやはり、最初のアルゴリズム管理とAIの話と、三つ目の下請連鎖の話が中心になるように思われます。

これから労使団体がどのような反応を示すかも見ていきたいと思いますが、とりあえず現場からは以上です。

 

2025年12月16日 (火)

石井保雄『沼田稲次郎の労働法学』

671078 石井保雄『沼田稲次郎の労働法学』(旬報社)をお送りいただきました。ありがとうございます。

https://www.junposha.com/book/b671078.html

戦後労働法学は80年に近い時間を重ねてきた中で、当初から大きく二つの理論的な潮流が対抗していたといわれる。本書は、その潮流のひとつである「プロレーバー労働法学」をけん引し、多くの労働法学徒の支持・共感を集め、学界の主流を占めた沼田稲次郎(1914~1997年)の研究の軌跡を通し、その思索と生涯を追った研究書である。

前著『わが国労働法学の史的展開』が、末弘厳太郎、孫田秀春、森山武市郎、木義男、中村武、永井亨、菊池勇夫、津曲蔵之丞、後藤清、吾妻光俊、浅井清信といった創生期の労働法学者たちの評伝集であったのに対し、ほぼ同じくらいの分厚さの本書は、その全てが沼田稲次郎という一人の労働法学者に注ぎ込まれています。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2018/12/post-df2d.html

その内容は次の通りですが、

序 章――戦後労働法学と「戦後労働法学」
第一章 「戦後労働法学」以前――沼田稲次郎の青春
 補 章 翻刻/沼田稲次郎「労働協約理論史の一齣」稿
第二章 唯物史観労働法学の開局と形成――敗戦時から一九五〇年代初め
第三章 唯物史観労働法学の展開――一九五〇年代から一九六〇年代初め
第四章 唯物史観労働法学の成熟と終局――一九六〇年代中頃から一九八〇年代初め
終 章――沼田の長逝と「戦後労働法学の見直し」論

実はこの浩瀚な本の中に二か所、注として、わたくしの論が引用されています。

一つ目は391ページの注49で、労基旬報に書いた「戦後労働法学の歴史的意味」で、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2019/08/post-b38a94.html

もう一つは、449ページの注137で、『HRmics』に寄稿した「帰ってきた原典回帰最終回 沼田稲次郎『現代の権利闘争』」です。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2021/03/post-e9b6bb.html

おそらく、石井さんのまなざしに比べると、私の沼田に対する視線は限りなく冷ややかに見えるだろうと思うのですが、でも沼田の議論は論ずるにたる面白さがあるのも確かです。

 

 

フィンランド人と汎ツラニズム

フィンランド人がアジア人を馬鹿にした云々という騒ぎを聞いて、

フィンランド、ミスや国会議員つり目投稿 くり返されるアジア人差別

恐らく今日の日本人のほとんど誰一人として記憶していないかもしれないけれども、戦前結構流行ったイデオロギーに汎ツラニズムというのがあって、東は日本から、朝鮮、満州、モンゴル、ウイグル、トルコ、ハンガリー、フィンランドまで、ユーラシア大陸を東西に貫くいわゆるウラル・アルタイ系の民族運動があったことを思い出しておりました。

ごく簡単には、Wikipediaに「ツラニズム」という項目がありますが、

ツラニズム

この政治イデオロギーはフィンランド人ナショナリストで言語学者のマティアス・カストレンに起源を発する。カストレンは汎ツラニズムのイデオロギー、すなわちウラル・アルタイ系民族の人種的な統一性と将来にわたる重要性の信念を擁護し、フィン人は中央アジア(アルタイ山脈)に起源をもち、ハンガリー人、テュルク人、モンゴル人などを含む民族集団の一部であったと結論付けた[1][2]。カストレンは汎トルコ主義におけるすべてのテュルク人のみならず、より広範に類縁関係のツラン人種、すなわち「ツラン語族」の話者としてウラル・アルタイ人種の団結を唱えたのである。アーリアンという語のように、〈ツラニアン〉と言う語は言語学用語として主に用いられ、ウラル・アルタイ語族に相当するものとされた[3]。

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Turan01 今岡十一郎『ツラン民族運動とは何か』日本ツラン協会(1933年)は、国会図書館デジタルコレクションで読めますが、「ハンガリー人、トルコ人、フィンランド人、バスキール人、タタール人、蒙古人、満州人、朝鮮人などと『ツラン民族同盟』を組織」していたのですな。いや、まじめに、そういうイデオロギーがあったのですよ、.そしてその言い出しっぺはフィンランド人だったのです。

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Turan03 ちなみに、デジコレでは他にもツラニズム関係の本が何冊も読めますが、野副重遠の『日本民族指導原理としての汎ツラニズム』には、ユーラシア北半をツラン系同胞民族の祖国を描く地図も載っています。

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「吊り目」でアジア人差別ごっこをしているフィンランド人が、その吊り目のアジア人と同族であるとしてかくも壮大な世界民族闘争計画を立てていたという事実は、残念ながら当のフィンランドでも、それに感動奮起してツラン同盟を訴えた我が日本においても、ほぼ完全に忘れ去られているということなんでしょうね。

Turan00 も一つ、デジコレから野副重次『ツラン民族運動と日本の新使命』所収の、フィンランド人詩人ラリンキュオスチの「日本に捧ぐ」という詩を紹介しておきましょう。「我ら二つの国をつなぐ 伝統ゆかしき自由の日本 解放されし若きスオミ」云々には、ロシア帝国から独立を果たして意気盛んなフィンランド人の民族意識がよく現われています。

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2025年12月15日 (月)

ぱぴこさんが拙著をネタに熱弁

Fzmhfluacaaelep_20251215204401 ポッドキャストで、ぱぴこさんが拙著『ジョブ型雇用社会とは何か』をネタに、「すべての会社は”因習村”である」と熱弁をふるっています。

https://open.spotify.com/episode/5P8fkmpjMsOswAPsRhFbKt?si=pDSPw19sRA6UFKIuZq-wHQ&pi=YsVuwJ_1Scy9h&nd=1&dlsi=35005b2370ff4664

今月のゲストは、外資系OLとしての経験をいかしつつ「ここが変だよJTC」を発信し続けているビジネス系インフルエンサー・ぱぴこさん。JTCに転職したての頃のぱぴこさんを救ったバイブルだという本書を片手に語り合いました!

というわけで、41分57秒にわたって、熱い議論が展開されています。

2025年12月14日 (日)

ほとんどの図書館で借り出されているようです

「カーリル」という図書館検索サービスがあるのですが、東京都の図書館を見てみたら、ほとんどの図書館で借り出されているようです。

管理職の戦後史 栄光と受難の80年 (朝日新書1033)

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働いていると本が読めなくなったのは誰か?

611b1jbvvjl245x400_20251214105201 三宅香帆さんの『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』をめぐって、論争(らしきもの)が勃発したそうですが、

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はどこが間違っているのか(抄)

「『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はどこが間違っているのか」はどこが間違っているのか

実は、私自身昨年この本を『労働新聞』の書評で取り上げていたので、働いていると本が読めなくなったと嘆いているのは三宅香帆さん本人じゃないかと思ってました。

三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』@『労働新聞』書評

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』というタイトルに、「読書史と労働史でその理由がわかる」というオビの文句を加えれば、これはもうドンピシャリ、『労働新聞』の書評コラムに取り上げないという選択肢はあり得まい。いや実は、著者の三宅香帆さんは一昨年、この書評コラムで毎月面白い本を紹介していた当人でもある(選書のまとめ…上半期分下半期分)。

 その彼女が、リクルートに就職し、週5日間毎日9時半~20時過ぎまで会社にいる生活になって、「ちくしょう、労働のせいで本が読めない!」とショックを受けた。時間がないわけではないが、「本を開いても、目が自然と閉じてしまう。なんとなく手がスマホのSNSアプリを開いてしまう。夜はいつまでもYouTubeを眺めてしまう。あんなに本を読むことが好きだったのに」。結局、本をじっくり読むために、彼女は3年半後に会社を辞めたという。本書のタイトルは、その経験をそのまま言語化したものだ。

 ここから彼女はその原因を探索する長い歴史の旅に出る。労働を煽る自己啓発書(スマイルズの『西国立志編』)が読まれた明治時代、労働が辛いサラリーマン(『痴人の愛』の河合讓治)が生まれた大正時代、サラリーマンが円本(改造社『現代日本文学全集』)を積読インテリアとして書斎に並べた昭和初期、サラリーマン小説(源氏鶏太)とハウツー本(カッパブックス)を買い求めた高度成長期、司馬遼太郎の文庫本をノスタルジーとして愛読した1970年代、「教養」より「コミュ力」が求められた(『BIG tomorrow』)1980年代、ノイズを除去する自己啓発書(『脳内革命』)が求められた1990年代、労働で自己実現を果たすことが称揚される(『13歳のハローワーク』)一方で、ノイズの除去された「情報」が求められた(『電車男』)2000年代、そしてさまざまな労働小説が勃興した2010年代。

 長い歴史遍歴の果てに彼女が直面したのは、「ノイズ込みの知を得る」ための「読書」の対極にある、「ノイズを除去した情報」としての「ファスト教養」に溢れる社会であった。それゆえに、仕事にどっぷり浸かることが求められれば求められるほど、仕事のノイズになるような知識をあえて受け入れる「読書」という行為が難しくなったのだ。これを逆転させて、「働いていても本が読める社会」にしようではないか、というのが本書のメッセージだ。どうしたらそうできるだろうか。

 彼女が訴えるのは、全身全霊のコミットメントをやめよう、頑張りすぎるのをやめよう、燃え尽き症候群はかっこよくなんかない、一言で言えば「半身(はんみ)で行こう」ということだ。仕事も家事も趣味も読書も、全身全霊じゃなくって、半身で良いのだ。全身で働けないから半身でも良いよ、というのではなく、みんなが半身で働ける社会をめざそう、それこそが「働きながら本が読める社会」「半身(はんみ)社会」なのだ、と。

 さて、本紙の読者の皆さんは「読書」しているだろうか?「今週の労務書」で紹介される仕事関係の情報本だけじゃなくて、本欄に登場するノイズだらけの本を読んでいるだろうか。もしそうじゃないなら、まずは本書を手に取ってほしい。

 

 

2025年12月12日 (金)

ガンバリズムの平等主義とユトリズムのエリート主義

高市首相の人気がなぜ高どまりしているのか、ウヨだのサヨだのといったイデオロギー話を別にして、「働いて働いて働いて働いて働いて」という過労死遺族会が怒るそのガンバリズムが含意するある種の平等主義が、実は人気を支える一つの要因なのではないか、という見方もあるのではないかという話です。

言葉の専門家である飯間浩明さんが、高市首相の昔の本『アズ・ア・タックスペイヤー』(ノン・ブック、1989年)を紹介しているのですが、その中にこんな一節があったそうです。

https://x.com/IIMA_Hiroaki/status/1999253977024835724

高市首相には、日本の首相としては珍しく、若い頃の著作があります。『アズ・ア・タックスペイヤー』(1989年)もそのひとつ。作家の初期作品が重要であるように、首相の「アーリーワーク」も資料的価値があります。私はことばの面を中心に読みましたが、他の面からも興味深いでしょう。(続く)・・・

・・・なお、ことばの面では、2025年の「新語・流行語大賞」に選ばれて賛否両論のあった「働いて働いて……」という高市首相の発言のルーツも、本書から読み取れる気がして、興味深く思いました。このように、読者の関心に応じ、さまざまな面から読むことのできる本です。

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これで思い出したのが、今からほぼ10年前に書いたこれなんですが、

「ガンバリズムの平等主義」@『労基旬報』2016年2月25日号

・・・欧米ではノンエリートとして猛烈な働き方なんかする気にならない(なれない)多くの労働者が、日本では疑似エリートとして猛烈に働いている、というこの構造は、なかなか切り口の難しい代物です。ある種の左翼論者は、それは資本家に騙されて虚構の出世を餌に搾取されているだけだと言いたがりますが、もちろんそういうブラック企業も少なくないでしょうが、日本型雇用を代表する多くの大企業では必ずしもそうではなく、確かに猛烈に働く係員島耕作たちの中から課長島耕作や部長島耕作が、そしてきわめて稀にですが社長島耕作が生み出されてきたことも確かです。とはいえ、ではこの構造は人間の平等と企業経営の効率を両立させた素晴らしい仕組みだと褒め称えて済ませられるかというと、そうではないからこそ長時間労働が問題になっているわけです。

 このシステムにおける「平等」とは、いわばガンバリズムの前の平等です。凄く頭のよいスマート社員がてきぱきと仕事を片付けて、夕方には完璧な成果を出してさっさと帰宅している一方で、そんなに頭の回転は速くないけれども真面目にものごとに取り組むノンスマート社員が、夕方にはまだできていないけれども、「明日の朝まで待って下さい。ちゃんと立派な成果を出して見せます」と課長に頼んで、徹夜して頑張ってなんとかそれなりの成果を出してきた、というケースを考えましょう。長時間労働は良くないから禁止!ということは、ノンスマート社員に徹夜して頑張ってみせる機会を奪うことを意味します。さっさと仕事を片付けられるスマート社員だけがすいすいと出世する会社になるということを意味します。そんなのは「平等」じゃない!と、日本の多くの労働者は考えてきたのです。

 とはいえその「平等」は、そうやって頑張ることのできる者だけの「平等」にすぎません。かつての係員島耕作たちの隣にいたのは、結婚退職が前提で補助的業務に従事する一般職女性だったかも知れませんが、その後輩たちの隣にいるのは、会社の基幹的な業務に責任を持って取り組んでいる総合職女性たちなのです。彼女らはもちろん結婚しても出産しても働き続けます。しかし、子どもを抱えた既婚女性には、かつての係員島耕作とは違い、明日の朝まで徹夜して頑張ってみせることも不可能です。島耕作たちの「平等」は、彼女らにとってはなんら「平等」ではないのです。むしろ、銃後を専業主婦やせいぜいパート主婦に任せて自分は前線での闘いに専念できるという「特権」でしかありません。その「特権」を行使できない総合職女性たちがいわゆる「マミートラック」に追いやられていくという姿は、「平等」という概念の複雑怪奇さを物語っています。

 ノンエリート男性たちのガンバリズムの平等主義が戦後日本の経済発展の原動力の一つとなったことは間違いありません。しかし、その成功の原因が、今や女性たち、さらには男性でもさまざまな制約のために長時間労働できない人々の活躍を困難にし、結果的に日本経済の発展の阻害要因になりつつあるとすれば、私たちはそのガンバる平等という戦後日本の理念そのものに疑いの目を向けて行かざるを得ないでしょう。

 長時間労働問題はなかなか一筋縄でいく代物ではない、からこそ、その根源に遡った議論が必要なのです

「能力がない分、夜だって朝だってお構いなしに仕事をしてしまう」ので、「デートの約束より仕事を優先させてしまう」というのは、まさにエリートではない下から叩き上げで上り詰めてきた人の生き様であり、そういう「ガンバリズムの平等主義」に対する共感こそが、それを上から目線で批判するユトリズムのエリート主義に対する反発と相まって、「働きたい改革」への声なき声となっているとすると、なかなかこれは根が深い話なのです。

 

 

 

 

 

 

 

『週刊東洋経済』12月20日号にチラリと登場

15405_ext_01_0 『週刊東洋経済』は来週月曜日刊行の12月20日号から3回にわたって「2026年大予測」を特集するようですが、その1回目の「政治・経済編」の中に、例の高市首相の労働時間緩和指示問題をめぐって、ごく短い解説記事を書いております。

https://str.toyokeizai.net/magazine/toyo/

特集
2026年大予測 政治・経済編

Part1
政治 漂流の行く先

働き方改革は行き過ぎか? 労働時間の規制と緩和 日本はどちらも難しい

中身は、『管理職の戦後史』で詳しく論じた話のごくごく簡単な要約になっています。

この1ページ弱の記事を読んだ方が、この問題に関心を持って拙著を手に取っていただけると嬉しいのですが。

(追記)

紙版はまだ出ていませんが、東洋経済オンラインにややフライング気味にこの記事がアップされているようです。

https://toyokeizai.net/articles/-/923464

高市早苗首相は、2025年10月21日の内閣発足とともに、上野賢一郎厚生労働相に対して、「心身の健康維持と従業者の選択を前提にした労働時間規制の緩和の検討」を指示した。

18年の働き方改革では、史上初めて時間外・休日労働の上限規制が導入された。原則月45時間以下、特別な事情があるときでも年間720時間以下であり、単月100時間未満という絶対上限値は労災保険における過労死認定基準の数字である。なお運転手や医師の規制はさらに緩い(年間960時間など)。これを緩和せよというのであれば、「過労死促進ではないか」という批判が出るのは当然だ。

管理職は罰ゲーム

一方で、働き方改革が行き過ぎて、若い社員に残業をさせないよう配慮するあまり、仕事に熟達できなくなったという批判も聞こえてくる。「ゆるい職場」というものだ。

これは、スキルのない若者に猛烈に仕事をさせることで仕事ができるように育てるという日本的なOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)の風習との摩擦である。その基盤を働き方改革が揺るがしているという危惧が、“おじさん族”による「働きたい改革」唱道の根源にある。・・・

Kanrishoku

 

2025年12月11日 (木)

『季刊労働法』291号(2025冬号)

291_h1347x500 『季刊労働法』291号(2025冬号)の案内が労働開発研究会のHPに出たので、こちらでもご案内。

https://www.roudou-kk.co.jp/books/quarterly/13895/

特集:第2次トランプ政権下の労働法

今号では、「第2次トランプ政権下の労働法」を特集します。連邦労働法の後退と州労働法の台頭、反DEI の潮流がもたらす雇用差別禁止法理の揺らぎ、さらには連邦公務員の解雇をめぐる現況を、多角的に分析します。小特集では2025 年改正法の意義と課題を検討します。労働安全衛生法改正の背景と展望、公益通報者保護法改正の残された課題を取り上げ、制度の実効性を問います。さらに特別企画として「労働基準関係法制研究会報告書」を読み解き、労基法立法史の観点からその評価を行うとともに、報告書の検討を通じて今後の労働基準法制の方向性を考察します。

目次は以下の通りですが、わたくしの「労働法の立法学」は、今回は「女子保護と母性保護の法政策」を取り上げています。

特集 第2次トランプ政権下の労働法

連邦労働法の落日、州労働法の月光

―第二次トランプ政権と労働法の一年

法政大学准教授 藤木 貴史

反DEIにゆれるアメリカ雇用差別禁止法理

名城大学教授 柳澤 武

トランプ政権下における連邦公務員の解雇をめぐる現況

大阪公立大学名誉教授 渡邊 賢

【小特集】2025年改正法の意義と課題

改正労働安全衛生法の意義と課題

青森中央学院大学教授 原 俊之

改正公益通報者保護法の意義と残された課題

淑徳大学教授 日野 勝吾

■特別企画■ 「労働基準関係法制研究会報告書」を読む

労働基準関係法制研究会報告書の評価

―労基法立法史の観点から

明治大学名誉教授 野川 忍

労働基準関係法制研究会報告書の検討

早稲田大学名誉教授 島田 陽一

■日弁連シンポジウム■

労働審判制度発足20周年記念シンポジウム

 第一部:「労働審判制度の創設と展開」(基調報告)

日弁連労働法制委員会 水口 洋介 弁護士(第二東京)

日弁連労働法制委員会 和田 一郎 弁護士(第一東京)

 第二部:「労働審判制度の現状と課題に対する提言」(パネルディスカッション)

司会 棗 一郎 弁護士(第二東京)

労働審判員 田中 静江 氏(東京地裁)

元労働審判員 西原 浩一郎 氏(東京地裁)

労働者側弁護士 金子 直樹 弁護士(埼玉)

労働者側弁護士 伊藤 安奈 弁護士(東京)

使用者側弁護士 中山 達夫 弁護士(第一東京)

使用者側弁護士 河本 みま乃 弁護士(第一東京)

■論 説■

被用者保険法における「使用される者」とはなにか

―近時の新しい働き方をめぐる議論をふまえて

専修大学准教授 根岸 忠

年休自由利用の原則の諸側面

―京王プラザホテル札幌事件第一審および控訴審判決を受けて―

一橋大学教授 櫻庭 涼子

労働安全衛生規制における民間規格の利用:米国法からの示唆

近畿大学大学院博士前期課程・元労働基準監督官 笹井 健司

労災保険制度の在り方を巡る諸問題

―労働者の範囲、家事使用人、遅延性疾病、時効期間、事業主への情報提供

弁護士 古川 景一

■集中連載■ 比較法研究・職場における健康と男女の性差(第3回)

職場における健康と性差

―社会保障に関する論点とフランスのアプローチ

東京大学教授 笠木 映里

■要件事実で読む労働判例―主張立証のポイント 第14回■

懲戒処分の要件事実

―モルガン・スタンレー・グループ事件・東京地判令和6・2・27労判1326号14頁を素材に

弁護士 多根井 健人

■アジアの労働法と労働問題 第60回■

シンガポールの2024年プラットフォーム労働者法の概要

神戸大学名誉教授 香川 孝三

■労働法の立法学 第76回■

女子保護と母性保護の法政策

労働政策研究・研修機構労働政策研究所長 濱口 桂一郎

■判例研究■

障害の発覚を機とした退職合意の成否および退職勧奨の違法性

中倉陸運事件(大阪高判令6・1・19労判1327号92頁)

北海道大学法学研究科博士後期課程 柏木 彩奈

■重要労働判例解説■

大学教員による個人研究室利用権の主張と大学の裁量

学校法人梅光学院事件(広島高判令6・5・15LEX/DB25620152)

信州大学特任教授 弁護士/NY 州弁護士 松井 博昭

脳・心臓疾患の労災認定基準に基づく業務上認定における労働時間と他の負荷要因の総合評価

国・岡山労基署長(日本電気)事件(福岡高判令5・9・26労判1321号19頁)

労働保険審査会委員 菅野 淑子

 

 

 

 

 

2025年12月10日 (水)

スポットワークの系譜と今後の展望@『労働法律旬報』2025年12月上旬号

671293 『労働法律旬報』2025年12月上旬号に「スポットワークの系譜と今後の展望」を寄稿しました。

https://www.junposha.com/book/b671293.html

これは「厚労省「いわゆる『スポットワーク』の留意事項等」を読む」という特集の中の一本で、他は脇田滋、毛塚勝利という大御所の論文です。

[特集]厚労省「いわゆる『スポットワーク』の留意事項等」を読む
スポットワークをめぐる厚生労働省文書の意味と問題点=脇田滋…………06
スポットワークをめぐる法政策のあり方=毛塚勝利…………14
スポットワークの系譜と今後の展望=濱口桂一郎…………23
[資料①]いわゆる「スポットワーク」を利用する労働者の労働条件の確保等について(厚生労働省、令7.7.4、基発0704第3号、職発0704第2号、雇均発0704第1号)…………61
[資料②]いわゆる「スポットワーク」における適切な労務管理等について(協力依頼)(厚生労働省、令7.7.4、基発0704第2号、職発0704第1号)…………62

毛塚さんはその最後で、スポットワーク労働は単なる職業紹介ではなく、契約管理労働たる三者間関係として法的整備すべきだと論じていますが、わたしはむしろ、そのための日雇派遣という枠組みを否定してしまったことに問題の根源があるのだと論じています。

1 はじめに
2 日雇労働対策の系譜
3 日雇派遣の原則禁止
4 スポットワークと賃金支払い代行サービス
5 スポットワークの労働契約上の問題
6 おわりに

 

 

2025年12月 7日 (日)

マシナリさんが拙著を2冊まとめてガッツリ書評

マシナリさんが久しぶりにブログを更新しておられて、なんと拙著を2冊まとめて書評していただいております。

互いに補助線となる良書(両書)

Asahishinsho_20251207172601 まず、昨年の『賃金とは何か』についてですが、

実は『賃金とは何か』は発売後すぐに購入して雑ぱくな感想をメモしていましたが、それはどこかに散逸してしまったので改めて読み返すと、終章に出てきて帯にもでかでかと書かれていて「上げなくても上がるから上げないので上がらない賃金」というパワーワードが本書の真骨頂だなと思います。それに先立つ各章は、いかにこの呪文が日本型雇用の一部でありながらその運用に大きく影響しつつ頑健なシステムとして形成され、その結果どのような問題を抱えてしまったのかを丁寧に解き明かすために書かれたようなものと理解することもできそうです。

Asahi2_20251207173201 そしてこの賃金の問題と密接不可分なのが、もう一冊で取り上げた管理職問題になります。

日本型雇用においては新卒で「白地の石板」として採用されて異動しながら職能資格を積み上げてきた正社員の進化形が管理職であって、その進化の境目は極めてあいまいです。日本型雇用の正社員はポケモンよろしく全く違う形態に「進化」(まあ生物学的には変態でしょうけれども)するのではなく、新卒でヒラの正社員として入社し、何年かまっとうに勤務を継続すれば主任とか係長の役職が付いて、同じように課長とか部長とかの「管理職」となっていくような進化を遂げます。もちろんその前提として、自分の担当業務に加えて、平社員のうちから新卒一括採用で毎年入社してくる後輩に対して指導を行うことを「管理的」業務の経験として評価するシステムがあります。つまり、新卒から管理職に至るまで全員が評価対象となるシステムがあり、そこで職能資格が上がったと評価されると管理職に進化=昇進するのが日本型雇用であり、その運用は経験年数による年功的昇進となっているわけですね。

1年を隔てて出した2冊の本が、「散逸」のせいとはいえ、こうして有機的につながった形で論じられるのは嬉しい限りです。

日本型雇用的「管理職」が職種として認識されうる経路として過半数代表者制を法定するというのは有効そうですが、「罰ゲーム」「無理ゲー」化している管理職への風当たりは強くなることはあっても弱くなることはなさそうにも思えるところでして、その現状を考える上で歴史的経緯を学ぶために必読の書であることはいうまでもありませんね。この分野になじみのない方も朝日新書から続けて刊行された良書(両書)を互いに補助線として読まれるとよろしいのではないかと思うところです。

ありがとうございます。

 

 

 

 

2025年12月 6日 (土)

健康保険法には「哺育手当金」が残ったのはなぜか?

先日『労基旬報』に寄稿した「「育児時間」は本来「哺育時間」であった」に対して、社会保険労務士の大河内満博さんから、健康保険法には戦後もちゃんと「哺育手当金があったぞ」という指摘をいただきました。

「育児時間」は本来「哺育時間」であった@『労基旬報』2025年11月25日号

・・・しかしながら当時の状況を考えると、これはおそらくその直前の1946年11月5日に国語審議会が答申し、同月16日に内閣が告示した当用漢字表の1850字の中に、この「哺育」の「哺」の字が含まれていなかったためではないかと思われます。政府が提案する法律の文言の中に、政府が定めたばかりの当用漢字表にない字を使うわけにはいかないという判断だったのでしょう。

 しかしながら、哺乳類という言葉があるように、哺育とは母乳を与えて育てることです。これに対して、育児とはそれよりはるかに広い意味の言葉なので、立案者の趣旨は全く変わらなかったとはいえ、字面の上では誤解を招きかねないものになってしまいました。・・・

■hamachanブログに「出産育児一時金」を追加します。 健康保険法においては、昭和23年8月1日から、立法当初からあった「分娩費」に加えて、新たに「哺育手当金」を創設します。その後、昭和36年6月15日に「哺育手当金」を「育児手当金」と改称、そして、

平成6年10月1日以降は、現行法にあるように、子どもが健やかに生まれ育つ環境づくりを図る観点から、「分娩費」と「育児手当金」を包括化し、「出産育児一時金」として大幅な給付改善を図ることとなりました。

※ なお、労働基準法第67条の規定による「育児時間」については、歴史的経緯を踏まえたうえ、今後は男性労働者にも取得が可能になるような法改正を妨げるものではないと思われます。

[注] 昭和23年8月1日から健康保険法に新設された「哺育手当金」は、正確には「哺育手當金」という旧字体表記でした。昭和21年11月16日に内閣が告示した当用漢字表の1850字の中に「哺」の字が含まれていなかったとしても、その直後の改正健康保険法において「哺育」という漢字表記が用いられています。

2017年と少し古くなりますが、出産育児一時金と埋葬料に関するニッセイ基礎研究所の資料になります

はい、その通りで、1947年に作られた労働基準法では「哺育時間」という表記を避けて「育児時間」に書き換えているのに、その翌年の1948年には(労働省と別れた厚生省の保険局によって)「哺育手当金」という表記が行われているんですね。

実は、私はこれを知っていました。

278_h1768x1086_20220916085401_20251206111301 『季刊労働法』2022年秋号に載せた「育児休業給付の法政策」の中で、関連制度としてこれにも言及しており、ちゃんと「哺育手当金」という表記も引用しています。

育児休業給付の法政策@『季刊労働法』2022年秋号(278号)

 一方少し遡りますが、戦時中1942年3月の勅令改正により哺育手当金が任意給付として創設され(第87条の8)、これが戦後1948年法改正により法律上の必須給付に格上げされました。
第50条の2 被保険者ガ分娩シタル場合ニ於テ其ノ出生時ヲ哺育シタルトキハ哺育手当金トシテ分娩ノ日ヨリ起算シ引続キ六月間哺育期間一月ニ付百円ヲ支給ス但シ其ノ期間一月ニ満タザルトキハ之ヲ一月トス
 1961年6月の法改正により哺育手当金は育児手当金という名称になり、金額は2000円となりました。いずれにしても微々たる額であって、「育児手当金」という名称に勘違いしそうになりますが賃金補填的性格は全くありません。この「育児」という言葉は、労働基準法67条の「育児時間」と同じく、まさに「哺育」つまり授乳のための手当金とみるべきでしょう。なおこれは1994年6月の法改正で廃止され、分娩費とまとめて出産育児一時金となりました。

なぜ労働基準法と異なり、こちらは当用漢字でない「哺」の字が残ったのかといえば、労基法は(内容的には工場法を引き継ぐとはいえ)形式的には全くの新規立法であるのに対して、健康保険法という文語旧仮名遣いの法律に既にある用語をそのまま引き継ぐだけだったからではないかと思われます。

実際、健康保険法もそうですが、かつての民法も当用漢字にない見たこともないような難しい漢字が結構残っていましたよね。

ただ、上記の通り、労働基準法の影響を受けたのかそうでないのか定かではありませんが、1961年に「哺育手当金」は「育児手当金」に変わってしまいました。

 

 

 

 

 

2025年12月 5日 (金)

今年の『労働新聞』書評で取り上げた本

今年も、『労働新聞』で計12冊の本を紹介しました。もし読み落としの向きがありましたら、これからでも遅くはありませんから、是非ご一読のほどをお願いします。読む値打ちは保証します。

エマニュエル・トッド『西洋の敗北』@『労働新聞』書評

71tzv7pjh6l276x400_20251205161301 本欄でエマニュエル・トッドを取り上げるのは約2年ぶりだが、前回(参考記事=【書方箋 この本、効キマス】第4回 『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』エマニュエル・トッド 著/濱口 桂一郎)の本がトッド人類史の総括編であったのに対し、今回の本はロシア・ウクライナ戦争について世の常識と正反対の議論をぶちかまし、返す刀で米英をはじめとする西側諸国をめった斬りにするすさまじい内容である。なにしろ、ロシアは勝っているというのだ。ウクライナに対してだけではない。ウクライナを支援しているアメリカや西洋諸国に対して現に勝ちつつある。むしろ崩壊の寸前にあるのは米英の方であり、それに巻き込まれているヨーロッパ諸国だというのだ。

 トッドは別にプーチンが正義だなどといっているのではない。トッド流の家族構造による世界各国の絵解きからすると、ロシアは中国と同じ共同体家族だが、ウクライナは東欧では数少ない核家族型社会であって、ウクライナがロシア支配を嫌がるのは当然だ。しかし、地政学的にウクライナをロシアから引き剥がそうとする企てはウクライナに悲劇をもたらす。

 そこから話は西洋諸国への批判に向かう。西側の政治家や知識人はロシアの専制主義に対して西洋の自由民主主義が闘っていると思い込んでいるが、実は西洋のリベラル寡頭制とロシアの権威主義的民主主義との闘いなのだ。そして今崩壊の危機に瀕するのは西側諸国の方だ、というのが彼の主張である。彼が描き出すアメリカの姿は、不正義の勝利、知性の崩壊、そして能力主義の終わりによる寡頭制とニヒリズムの世界である。

 それゆえに、とトッドはいう。西洋(west)ではないその他(rest)の世界はみんなこの戦争でロシアの側に立っている。正義の西側ではなく大悪党のはずのロシアを支持しているのは、正義面している西洋が今までさんざんぱらその他の諸国を搾取してきたからだ。そして世界的には少数派に過ぎない家族構造の米英仏が、LGBTQなどの思想を強制することに苛立っているからだ。西側から見ればスキャンダラスに見えるプーチンの反LGBTQ政策は、世界の大部分の諸国にとってはあまりにもまっとうな考えであり、これこそがロシアの「ソフトパワー」だという。共産主義のソビエトが敵に回していたユーラシアの大部分の諸国にとって、プーチンの保守主義ロシアは何の心配もなく仲良くやれる「いい国」というわけだ。いや直系家族の日本でも、ラーム・エマニュエル駐日米国大使によるLGBTQの押しつけが保守主義の反発を生み出しているではないか、と。

 本書の原著は2023年7~9月に執筆されたが、邦訳はそれから1年以上経って刊行された。「日本語版へのあとがき」の中で彼は、本書は「未来予測の書」として書かれたが、今やウクライナの敗北は明確になり、本書はより古典的な意味で「歴史を説明する書」となったと語っている。これに反発する人も多いであろうが、喧伝された反転攻勢はうまくいかず、遂にアメリカでプーチンに親近感を隠さないトランプ大統領が再選した今、彼の本はいかに不愉快であろうが読まれなければならないはずである。

楊海英『墓標なき草原』@『労働新聞』書評

 81sk8qgzhkl_ac_uf10001000_ql80__20251205161601 5938613_20251205161601 日本の相撲界にはモンゴル人がたくさんいるが、そのなかには中国国籍の内モンゴル人もいる。蒼国来(現・荒汐親方)や大青山がそうだ。彼ら内モンゴル人が、中国の文化大革命時に死者5万とも10万とも言われる大虐殺(ジェノサイド)を被ったことをご存じだろうか。口を開けば人権を叫ぶ戦後進歩主義者たちがだんまりを決め込んできた、戦後世界で最大規模の大虐殺の詳細な姿が本書で描き出される。

 著者楊海英の両親をはじめとする親族の体験談から始まり、そのさまざまな縁者の経験が彼らへのインタビューを中心に展開されていく。これでもかこれでもかと繰り返される虐待、虐殺の描写はあまりにも凄惨なので、時々それ以上読み進められなくなる。たとえば下巻の第7章に登場する奇琳花は、モンゴル貴族の家系に生まれ、延安民族学院で学んだ筋金入りの中国共産党員であった雲北峰と結婚し、内モンゴル自治区政府直属機関の幹部となっていたのだが、自治区主席のウラーンフーの一味として激しい暴力にさらされた。

 「駅で降りた瞬間、無数の漢人農民たちが洪水のように襲ってきました。私は下半身が完全に破壊されて、血だらけになって歩けなくなりました。漢人農民たちは磨いたことのない黄色の歯を見せて笑っていました」。「拷問が毎日のように続いたため、一九六六年になると奇琳花の子宮が脱落してしまった」。「モンゴル人というだけで、女性たちは言葉ではいいつくせない虐待を日常的に漢人たちから受けていました。世界でほかにこんな残忍非道な例がありますか」。

 だが奇琳花はかろうじて生き残った。ほとんど全滅に近い虐殺が行われたのは下巻第10章以下で描かれるトゥク人民公社だ。何しろ生き残ったのは当時7歳の幼児だけなのだ。本書の章題にも「モンゴル人がいくら死んでも、埋める場所はある」とか「中国ではモンゴル人の命ほど軽いものはない」とか「モンゴル人が死ねば食糧の節約になる」といった漢人たちの捨て台詞が用いられている。

 なぜこんな虐殺が行われたのか。当時の中国はソ連と激しく対立し、その侵攻を恐れていた。同族の国モンゴルはソ連の先兵として攻めてくるかもしれない。そのとき、独立を希求しながら中国に無理やり併合された内モンゴル人たちは中国を裏切って敵と結託するかもしれない。だから、先手を打って内モンゴル人、とりわけその指導者となり得るエリート層を叩き潰しておかねばならない。物理的に。かくして、偉大な領袖毛沢東の命令によって、20世紀後半最大の虐殺劇が繰り広げられたというわけだ。今日新疆ウイグルやチベットで行われていることの源流は、半世紀前に内モンゴルで予行演習済みだったわけである。

 いまや、内モンゴル自治区人口2500万人のうち、モンゴル族は500万人と圧倒的少数派だ。本書から離れるが、最近の習近平政権下では、モンゴル語の授業を削減し、漢語教育を義務化する教育改革が行われ、抗議活動は徹底的に弾圧されたという。

ヴィリ・レードンヴィルタ『デジタルの皇帝たち』@『労働新聞』書評

1863183_20250226225001_20251205161701  タイトルの「デジタルの皇帝たち」(原題は「クラウド・エンパイアズ」なので、正確には「クラウドの諸帝国」)とは、GAFAといわれるデジタル巨大企業だ。アマゾン、アップル、グーグル、ウーバーといったグローバルに展開するプラットフォーム企業によって、我われの生活は支配されている。本書はここ数十年のその展開の歴史を興味深いエピソードを交えながら語る。
 これら諸帝国の出発点は、しかしながら現実世界の権力を嫌い、サイバー空間に自由と互恵を求める草の根的な民主的電子マーケットにあった。第2章「互恵主義」のジョン・バーロウが思い描いたバーチャル理想社会は、デジタル巨人企業の急成長とともに、著者が「ソ連2.0」と呼ぶ中央計画自由市場へと変貌を遂げてゆく。かつてソ連型社会主義が失敗したのは、当時のコンピュータのデータ処理能力では到底間に合わなかったからだ。ところが今や、GAFAのアルゴリズムは独占企業による完全市場を創り出してしまった。「完全な市場を実現する夢を見ながら、アイン・ランド作品の愛読者であったシリコンバレーのリバタリアンが、結局はソ連2.0を生み出しているのだとしたら、皮肉以外の何物でもない」と著者は言う。
 だが、彼が「帝国」の語に込めた意味合いは、第Ⅱ部「政治的制度」で明確になる。現在、各国の裁判所で処理される訴訟の件数よりも、デジタルプラットフォーム企業内部で処理される紛争の件数の方が多いのだ。そして、共産主義革命によって創り出された共産主義帝国と同様、デジタル革命によって生み出されたデジタル帝国は、かつて救済すると言っていた人民(プラットフォーム利用者)を搾取収奪の対象としていく。ジェフ・ベゾスの父ミゲルはカストロのキューバから逃げ出し、アメリカという新天地で活躍できたが、今世界中の電子マーケットを支配するアマゾンから逃げ出しても、顧客を奪われて無一文で放り出されるだけだ。
 されば、万国のインターネット労働者よ、団結せよ!「集合行為」と題された第9章と第10章は、帝国に反抗するデジタルプロレタリア階級(アマゾン・メカニカル・タークの就労者)とデジタル中産階級(アップル・ストアの出品者)の姿を描き出す。だが前者は絶望的だ。クリスティ・ミランドの訴えに呼応したターカーはほんの僅かだった。一方後者には希望がありそうだ。アップルはアンドリュー・ガズデッキーらの訴えを受けて、テンプレートやアプリ生成サービスを使って制作したアプリを却下するという方針を変えた
 著者は、「プラットフォーム独裁政治からプラットフォーム民主政治へと至る道」はブルジョワ革命だという。労働者と貴族の間に位置するアプリ開発者、オンライン販売業者、フリーランス専門家等々が、中世の市民と似た非公式の制度を生み出し、もちろんそんな「歴史の法則はない」が、もしかしたら民主化を実現するかもしれない、と。

71bgexdemzl_ac_uf10001000_ql80__20251205161801  ロッキード事件と言っても、多くの読者にとっては歴史上の事件だろう。筆者は当時高校生であったが、田中角栄元首相が逮捕されるに至る日々のテレビや新聞の報道は今なお記憶に残っている。田中が逮捕された頃、『中央公論』に田原総一朗の「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」というルポが載った。父が買ってきたその雑誌を読んで、ロッキード事件がアメリカの仕掛けた罠であり、独自の資源・エネルギー政策を試みた田中をアメリカが憎んだからだという見立てに感心したことを、半世紀後の今でも覚えている。

 ロッキード事件の真実とは何なのか? 今日に至るまで繰り返しロッキード本が刊行されてきていることからしても、それは日本人が常に問い続けてきた問題であった。これに対して、アメリカ政府が秘密指定を解除して公開された文書を徹底的に読み込んで、アメリカ側からの視点でロッキード事件を再構成してみせたのが、原著が刊行された2016年当時、朝日新聞記者であった奥山俊宏による本書である。彼は、ワシントンDCの国立公文書館や全米各地に散らばる各大統領図書館などで、膨大な資料の密林に分け入り、当時のアメリカ政府の中枢で何がどのように行われていたのかをリアルに再現する。

 その結果浮かび上がってきた姿は意外なものであった。アメリカ政府、とりわけニクソン、フォード政権で外交を担っていたキッシンジャーは田中角栄を嫌っていた。その嫌いっぷりは本書冒頭で繰り返し出てくる。ただし、それは田原の言う資源・エネルギー外交ゆえではなく、田中の粗野で粗雑なスタイルへの嫌悪感であった。とくに、日中国交回復に伴う日米安保条約の台湾条項問題で、「台湾条項は事実上消滅したということか」というメディアの問いに、勝手に「字句にこだわる必要もない」と答えたことに激怒したという。

 しかし、ロッキード事件そのものに対しては、アメリカ外交の闇を暴こうとする上院外交委員会多国籍企業小委員会(とりわけジェローム・ロビンソン)と、それを抑えようとするキッシンジャーらアメリカ政府とのせめぎ合いが激烈であった。田原の「虎の尾」説が成立する余地はない。もっとも、田中の名前はあるが中曽根の名前がないことを知って、心置きなく文書を日本の検察に渡したという可能性は否定しきれない。

 ところが、ロッキードで名前が出ながら無事だった他の政治家にとっては、「虎の尾」説はずっと心の中にわだかまっていたのではないか、というのが著者の見立てだ。とりわけ中曽根康弘は、三木武夫政権で自民党幹事長として真相解明を掲げながら、陰でアメリカ政府に対し「私は、合衆国政府がこの問題をもみ消すこと(MOMIKESU)を希望する」とのメッセージを送っていた。若き日には民族主義的であった中曽根が、アメリカ世界戦略の下で日本を「不沈空母」と呼ぶに至ったのは、アメリカの「虎の尾」を踏まないようにその行動に追従する道を選んだからではないか、というのだ。

J.D.ヴァンス『ヒルビリー・エレジー』@『労働新聞』書評

817owjuk5pl_uf10001000_ql80__20251205161901  今年2月、ホワイトハウスに招かれたウクライナのゼレンスキー大統領はアメリカのトランプ大統領と口論を繰り広げて合意が破談になったが、そのきっかけはヴァンス副大統領の「失礼だ」「感謝しないのか」という発言であった。トランプに輪をかけた暴れん坊っぷりを世界に示したヴァンス副大統領とはどういう人物なのか? それを語る彼自身による半生記が本書だ。2017年に第一次トランプ政権が発足したときに単行本として刊行され、その後文庫化された。その内容はすさまじいの一言に尽きる。

 彼の故郷オハイオ州ミドルタウンはかつて鉄鋼メーカーの本拠地だったが、その衰退とともにいわゆるラストベルトとなり、失業、貧困、離婚、家庭内暴力、ドラッグが蔓延する地域となっていた。彼の両親は物心のついたときから離婚しており、看護師の母親は、新しい恋人を作っては別れ、そのたびに鬱やドラッグ依存症を繰り返す。そして、ドラッグの抜き打ち尿検査で困ると、息子に尿を要求する。登場人物表には、「筆者の父親、および父親候補(母親の彼氏)たち」という項目があり、実父を始め6人の名前が列挙されている。おおむねろくでなしばかりだ。

 母親代わりの祖母ボニーが、彼の唯一のよりどころであり、窮地に陥った彼を助けてくれる全編を通しての天使役だが、彼女自身も十代で妊娠してケンタッキーから駆け落ちしてきた女性であり、貧困、家庭内暴力、アルコール依存症といった環境しか知らない。彼の育った環境を彼はこう描写する。

 「どこの家庭も混沌を極めている。まるでフットボールの観客のように、父親と母親が互いに叫び声を上げ、罵り合う。家族の少なくとも一人はドラッグをやっている。父親の時もあれば母親の時もあり、両方のこともあった。特にストレスが溜まっているときには、殴り合いが始まる。それも、小さな子どもも含めたみんなが見ているところで始まるのだ」。「子どもは勉強しない。親も子どもに勉強を求めない。だから子どもの成績は悪い。親が子どもを叱りつけることもあるが、平和で静かな環境を整えることで成績が上がるよう協力することはまずあり得ない。成績がトップクラスの一番賢い子たちですら、仮に家庭内の戦場で生き残ることができたとしても、進学するのはせいぜいが自宅近くのカレッジだ」。

 そんな環境で育ったヴァンスが、一念発起して海兵隊に入隊し、イラクに派兵され、帰国後オハイオ州立大学に入学し、さらにエリート校中のエリート校であるイェール大学ロースクールに進学するというのだから、絵に描いたようなサクセスストーリーともいえる。だが、彼はイェールで居心地の悪さを禁じ得ない。恋人ウシャに対して突発的にとってしまう暴言や乱暴な振る舞いの中に、彼は母親の姿を見てしまう。逆境的児童体験によるトラウマから脱却しようと試みる。とはいえ、彼は祖母の生き方に息づいているヒルビリー(田舎者)の精神が大好きだ。上流階級の匂いをプンプンさせている民主党が大嫌いなのだ。

ユヴァル・ノア・ハラリ『NEXUS 情報の人類史』@『労働新聞』書評

9784309229430_200in01_20251205162001 9784309229447_20251205162101  世界中がおかしい。とりわけアメリカがおかしい。おかしいトランプ大統領が世界を振り回している。日本もおかしい。とりわけ大統領型で選ばれる知事や市長がおかしい。これは一体何が起こっているのか? 著者は、その近い原因をAI(人工知能)に、遠い原因を人類が生み出した共同主観に求める。だから本書は、アクチュアルな現代社会論であると同時にグローバルヒストリーでもあるのだ。

 情報とは、多くの人が誤解するように真実を映し出すものではなく、人々を共同主観的な虚構によって秩序付けるものだ。後から考えれば何の根拠もない虚構に踊らされて、多くの人の命を奪った事例は人類史に山のように見付けられる。近世初期のヨーロッパで『魔女への鉄槌』というデマ文書によって多くの人々が魔女として焼き殺された事例や、社会主義に敵対するクラーク(富農)という名のもとにスターリン体制下のソビエトで莫大な人々の命が奪われた事例は、共同主観的虚構の恐ろしさを物語る。

 だが、そういう蒙昧な時代は終わった、今や自由民主主義の天下が始まった、と、ソ連崩壊後の知識人は傲慢にも考えた。とんでもない。共同主観的な虚構の暴政は、人間が作る(紙や電波といった)メディアに頼って人間が意思決定する段階から、意思決定そのものを非有機的な存在――AIが担う段階に進みつつあるのだ。ここで注意しなければならないのは、知能は意識ではない点だ。AIは通俗SFで描かれるような意識はもたないが、決まったアルゴリズムに基づいて意思決定をする。真に恐るべきは、「ロボットの反乱」ではなく「魔法使いの弟子」なのだ。

 ミャンマーでロヒンギャの虐殺が行われた最大の原因は、フェイスブック上で、ロヒンギャへの憎悪を掻き立てる事実無根のヘイト動画が繰り返し閲覧され、拡散したことだという。なぜそうなったのか。フェイスブックの経営陣は、多くの閲覧数を獲得するようなコンテンツを優先して表示するアルゴリズムを組んでいた。ミャンマーで一番人気を博したコンテンツはロヒンギャ憎悪もので、AIは素直にヘイト動画ばかりを推奨した。検索するとヘイトコンテンツが並び、見る気のなかった人々も繰り返し見るうちにロヒンギャはとんでもない連中だと思うようになっていく。新興印刷術によって膨大な部数がまき散らされた『魔女への鉄槌』を読んだ近世人のように。事実に即してロヒンギャを擁護する投稿は、ずっと下位に位置付けられ、ほとんど見られなかった。かくして、ミャンマー人の共同主観は、フェイスブックのAIの意思決定によって、ロヒンギャ憎悪へ、虐殺へと動かされていった。これはアメリカ大統領選で、そして日本の昨今の知事選などで見られた現象を予告していたように見える。

 著者は希望を失わない。人類は自己修正メカニズムによって正道を保ってきた。しかし、それは人間が真実を認識し得る限りのことだ。AIにおいては、意思決定の理由が外から見えない。我われが直面しているのは、そういう時代なのだ。

湊一樹『「モディ化」するインド』@『労働新聞』書評

9784121101525_1_4274x400_20251205162201  インドといえば、我われ日本人には偉大なガンディーが作った国・・・というイメージが強い。「ガンディーが助走をつけて殴るレベル」というネットスラングも、非暴力主義でインドの独立を果たしたガンディーの高潔さを前提としている。そのガンディーを暗殺した右翼結社の民族奉仕団(RSS)で頭角を現し、グジャラート州知事として「実績」を挙げて、今日インドの首相として絶対的権力を振るっているのが、ナレンドラ・モディその人だ。
 ロシアや中国といった権威主義国家が近隣にある日本は、どうしても「世界最大の民主主義国家」という触れ込みのインドに点が甘くなりがちだ。だが、モディ政権の実態を細密な写実画のように描きだした本書を読み進んでいくと、ロシアや中国も顔負けの権威主義国家の姿が浮かび上がってくる。
 政権党であるインド人民党(BJP)は、RSSが母体となって作られたヒンドゥー至上主義の政党であり、少数派(といっても13億人中2億人弱だが)のイスラム教徒を目の敵にしている。貧家に生まれたモディはRSSで頭角を現し、グジャラート州の知事の座をつかむ。知事時代に同州で起こったのがグジャラート暴動といわれるイスラム教徒の虐殺事件だ。当時の英国政府の報告書から浮かび上がってくるのは、州政府が意図的にイスラム系住民の情報を流し、暴徒による虐殺を容易にしていたという疑惑だ。
 しかし、モディは制裁を受けるどころか「暴力の配当」としてその権力を強化する。そして、グジャラート経済を活性化した「モディノミクス」をひっさげて、2014年の総選挙で大勝し、インド首相の座についた。本書に溢れるモディのイスラム教徒に対するヘイトスピーチは、ヒンドゥー教徒の多数派によって支持されているのだ。
 もう一つ、我われが知らなかったモディの真実は、ロシアや中国並みの情報統制で、国民を知らしむべからず由らしむべしの状態に置いていることだ。膨大な予算をつぎ込んでモディを礼賛する映画や番組を流す一方で、マスメディアに対しては脅迫と妨害、時には権力による抑圧の限りが尽くされる。インド国内ではもはやモディ礼賛以外の報道は不可能だ。その力が及ばないBBCが23年、グジャラート暴動やイスラム教徒への差別・攻撃政策を描きだしたドキュメンタリーをイギリスで放送したとき、インド政府はBBCの現地支局に家宅捜査に入り携帯電話まで押収した。
 20年にインドを訪問したトランプ米大統領が「自由、解放、個人の権利、法の支配、そして、一人ひとりの尊厳を誇りを持って尊重する国、それがインドです」と褒め称えたとき、地元デリーでは与党系のヒンドゥー至上主義勢力がイスラム教徒を「国賊」と叫んで暴行を呼びかけ、暴動が起きていた。今年起こったカシミール州での事件も、イスラム教徒が多数を占める同州の自治権を19年に剥奪したことが原因だ。モディのインドは、我われが学んできたガンディーのインドとは正反対の存在になり果ててしまっているようだ。

ヤニス・バルファキス『テクノ封建制』@『労働新聞』

9784087370089_110_20251205162301  著者はギリシャの政治家・学者で、経済危機時に財務大臣になり、債務帳消しを主張したことで有名だ。本書の語り相手に設定されている父親譲りの左翼で、資本主義がやがて社会主義にとって代わられることを夢見ていた。ところがあに図らんや、確かに資本主義はとって代わられたのだが、とって代わったのは社会主義ではなくテクノ封建制であった。
 テクノ封建制とは何か。資本主義とどう違うのか?資本主義は、資本家が資源や労働力を活用(搾取)して生産活動を行い、利潤を生み出す。だから、資本家と労働者の対立が社会の基本対立図式になるし、生産活動の場で労働者が団結して資本家と対決し、労働者の利益を拡大する社会を目指すことも可能であった。ところが、テクノ封建制ではすべてがひっくり返ってしまう。
 テクノ封建制を支配するのは生産手段を所有する資本家ではなく、プラットフォームと呼ばれる需給をアルゴリズムでマッチングする「場」を独占するクラウド領主たちだ。GAFAMと呼ばれるごく少数の領主たちは、そこに商品を出品する封臣資本家に対しても、労務サービスを提供するクラウド農奴に対しても、絶対的な権力を持っている。プラットフォームへのアクセスをスイッチオフするだけで、彼らはあらゆる商品・サービス需要へのアクセスから遮断されてしまうのだから。売るためには領主さまに従わなければならないのだ。その絶対的権力を駆使して、クラウド領主たちは莫大な「利用料」を巻き上げる。これはもはや資本主義的な「利潤」ではなく、経済学的には「レント」(地代)に属する。「利潤」が(労働者を使った)資本家による生産活動によって生み出されるのに対し、「レント」は他人に生産活動を行わせて、その上がりを我がものにするだけだ。その姿は、かつて中世封建社会で、武力を振りかざして年貢を巻き上げていた領主たちと変わらないではないか、というわけだ。
 筋金入りの社会主義者のはずのバルファキスが、資本主義の大明神たるアダム・スミスを引っ張り出してこんな愚痴を語らせるというのが、何とも皮肉の極みであろう。曰く、「スミスがスコットランド訛りで嘆く声が聞こえてきそうな気がする。2008年以降、資本主義救済の名目で、中央銀行は資本主義のダイナミズムとその利点を抹殺した。有害な封建的地代まがいのものが蘇って、実り豊かな資本主義的利潤に対する歴史的な復讐を果たす機会を得たことに、スミスは落胆しているだろう。利潤の追求は哀れなプチ・ブルジョワに委ねられる一方で、本当の金持ちは、『負け犬が利潤を追い求めているぞ』と嬉しそうに囁き合っている。」
 いまや世界でクラウド領主がいるのはアメリカと中国だけだ。EUも日本も、利潤追求の資本主義時代にはアメリカを追いつめるほどに威勢が良かったが、現在は哀れな負け犬として、一生懸命生産活動で稼いだ利潤を領主さまに巻き上げられる一方だ。彼に言わせれば、米中対立の真の姿は、どちらのクラウド領主が世界を支配するかという死闘なのだ。 

内務省研究会編『内務省』@『労働新聞』書評

71mcy2cmphl240x400_20251205162401  新書としては異例の550頁を超える分厚さで、オビの惹句に曰く、「なんだ?この『怪物』は…現在の警察庁+総務省+国土交通省+厚生労働省+都道府県知事+消防庁…」。戦前存在した巨大官庁を、総勢25人の研究者たちが、通史とテーマ別とコラムを分担執筆した本格的歴史書だ。比類ない巨大官庁でありながら、2度の被災に加えて敗戦前の資料焼却、戦後の解体といった事情から、内務省については資料的制約が大きいため、日本近代史には必ず出てくる登場人物なのに、主人公にした著作は極めて少ない。私も、戦前の労働行政史ではその主役は内務省社会局なのに、社会局以外の内務省のことはよく知らなかった。

 内務省のコアに当たるのは地方行政と警察行政だ。前者は藩閥政府による選挙干渉から、政党内閣による局長や知事ポストの争奪戦など、まさに政治闘争そのものの世界であるし、後者は特高警察による左翼や右翼の取締りで有名だ。とりわけ後者は、それが理由で戦後GHQによって内務省が取り潰されたという都市伝説が広まっていた。しかし本書を読むと、内務省には神社行政、衛生行政、土木行政、社会政策、防災行政などなど、実に広範な領域が含まれていたことが分かる。

 意外だったのは通史の第4章(米山忠寬)で、通念とは異なり、既に戦前から内務省の地位は低下していたのであり、占領期の突然の解体も「最後にとどめを刺したのがアメリカ・GHQというだけのことであって、すでに戦時日本の状況の下で弱体化が進んでいたというのが実態」とした。「内務省解体による民主化」という古典的構図から脱却すべきとの指摘は新鮮だ。

 テーマ編第2章の神社行政(小川原正道)では、南方熊楠が批判した神社合祀政策が、欧米型田園都市構想に基づくものであったことを明らかにしている。「床次次官も、欧米で視察した荘厳なキリスト教会に比して、全国に散在する由緒のない小規模な村社や無格社を問題視したようで、一町村一社を原則として壮麗な社殿を備えた礼拝体系を整備するよう期待し、内務省は小規模の神社を中心に合併を進め」たという。

 さて、本書は内務省の膨大な所管分野をほぼカバーしているが、そこから見事に脱落している領域がある。まことに残念ながら労働行政だ。テーマ編第6章の社会政策(松沢裕作)が取り上げているのは、恤救規則から救護法に至る社会福祉行政であって、内務省社会局の第二部の担当に限られる。第一部が所管していた工場法改正や労働組合法案など労働分野が本書で取り上げられていないのは、取り上げるに値しないと思われたためか、担当できる研究者がいなかったためか。いずれにせよ、そこを掘り下げてきた私としては、もう20ページほど増やしてでも書いてほしかったと思わざるを得ない。

 実は正確にいうと、社会局第一部の話題はちらりと出てくる。日本女子大学校を卒業後雇員として働いた後、工場監督官補に任用され、連日工場を臨検したダンダリン第1号の谷野せつが、女性官僚の源流として紹介されている。

ティモシー・スナイダー『ブラッドランド』@『労働新聞』

71ze8uoht9l_uf10001000_ql80__2025120516260161ntvvln2ol_ac_uf10001000_ql80_  1933~45年までの10年余の間に、スターリンのソ連とヒトラーのドイツに挟まれた流血地帯――ウクライナ、ベラルーシ、ポーランドおよびバルト三国――では1400万人が殺害された。ただしこの数字には、独ソ戦で戦死した膨大な兵士たちは含まれない。20世紀でもっとも凄惨と言われる独ソ戦の傍らで、戦闘行為としてではなく、階級や民族といったあるカテゴリーに属する人びとを、そのことを理由として、殺すために殺した数を積み上げると1400万人になるのだ。

 もちろんその一部は我われにホロコーストやスターリンの大テロルとして知られている。だが本書を読むと、我われの知識がいかに局部的であったかを思い知らされる。ホロコーストというと、アウシュビッツ収容所のガス室が思い起こされるが、それはそのうちもっとも「近代的」な氷山の一角に過ぎない。アウシュビッツのガス室が嘘だというデマが繰り返されるのは、みんなそれしか知らないからだ。

 だが、東欧のユダヤ人の圧倒的大部分は収容所でガスで殺されたのではなく、各集落で裸に剥かれ、穴の上で銃殺され、そのまま埋められたのだ。その多くは戦後ソ連領となったベラルーシとウクライナであり、膨大な死者はソ連人としてカウントされてきた。偉大な大祖国戦争の語りに、米帝の手先のユダヤ人の悲劇はそぐわないからだ。

 スターリンの大テロルというと、ジノヴィエフをはじめとする見せしめ裁判や軍人の粛清が思い起こされるが、それはそのうちもっともエリート層の氷山の一角に過ぎない。クラーク(富農)というでっち上げの階級に属することを理由に、多くの真面目な農民たちが収容所に送られ銃殺されたのだ。だがそれはまだ専門家の間ではそれなりに知られている。階級の敵の撲滅はマルクス・レーニン主義の真骨頂であり、栄光の歴史として語られたからだ。

 本書で初めて知ったのは、独ソ戦が始まる前に、ソ連当局がポーランド人をその民族的帰属を理由に、組織的に大量虐殺していたことだ。スターリンはポーランドと日本による挟み撃ちを恐れていたからだという。ジェノサイドはナチスの登録商標ではない。それより先にスターリンがポーランド人相手に大々的に行っていたにもかかわらず、戦後長らくタブー視されてきた。ポーランドの軍人が2万人以上銃殺されたカティンの森事件はその氷山の一角に過ぎない。

 本書を読み進むのはとてもつらい。ページをめくるごとにこれでもかこれでもかと殺害の記述が続く。そのなかにときどき、殺される直前の少女のあどけない言葉が挟まれる。

 著者スナイダーは、ソ連崩壊以後、この流血地帯の文書館を渉猟し、入手可能になった膨大な殺人の記録を拾い集めて、本書に結実させた。ああ、ホロコーストね、大テロルね、知ってるよ、と済ませずに、是非全巻読み通してほしい。プーチンのロシアが、自国の虐殺行為に言及することを刑罰で禁止する今日だからこそ、それが必要だ。

シュロモー・サンド『ユダヤ人の起源』@『労働新聞』書評

61zcff2fuyl_ac_uf10001000_ql80__20251205162801  202310月、ガザを支配するハマスがイスラエル領内を奇襲し、1,400人を殺害するとともに240人の人質を拉致した後、イスラエル軍はガザ全域に侵攻し、空襲で多くの建物は瓦礫となり、戦闘は未だに続いている。イスラエル政府はますます強硬になり、ヨルダン川西岸も含めパレスチナとの共存はますます遠のいている。

 こういう絶望的な時期にこそ、改めて読み返されるべき大著がイスラエル在住の歴史家シュロモー・サンドによる『ユダヤ人の起源』だ。邦語タイトルは「起源」だが、表紙に書かれた英語タイトルは「The Invention of the Jewish People」である。以前似たようなタイトルの本を紹介したことをご記憶だろうか。本紙24年3月4日号掲載のビル・ヘイトン『「中国」という捏造』だが、その英語タイトルは「The Invention of China」である。つまり、本書は「ユダヤ人という捏造」とも訳せるわけだ。

 彼によれば、現在のユダヤ人の祖先は別の地域でユダヤ教に改宗した人々であり、古代ユダヤ人の子孫は実は現在のパレスチナ人である。そもそも、ユダヤ人は民族や人種ではなく、宗教だけが共通点に過ぎない。第二次世界大戦中に約600万人のユダヤ人を虐殺したナチス・ドイツが、ユダヤ人は民族や人種であるという誤解を広めたのであり、イスラエル政府が標榜する「ユダヤ人国家」には根拠がないという。シオニズム運動は欧州で迫害された19世紀末に起こり、「ユダヤ人国家の再建」を目指した。運動の根拠になったのは、ユダヤ人が紀元後2世紀までにローマ帝国に征服され、その地から追放されて放浪の民となったという「通説」だったが、彼は「追放を記録した信頼できる文献はない。19世紀ユダヤ人の歴史家たちが作った神話だった」と主張する。彼曰く、古代ユダヤ人は大部分追放されず農民として残り、その後キリスト教やイスラム教に改宗して今のパレスチナ人へと連なっているのだ。

 古代ユダヤで生み出された宗教に改宗した人びとの子孫が、ユダヤ人という人種・民族に属する者として憎まれ、迫害され、虐殺された挙げ句に、その虚構の「血」の論理を自らのアイデンティティとして民族国家を「再建」し、かつてその宗教を生み出した地に永年住み続けて、キリスト教やイスラム教に改宗した人びとの子孫を、異邦人として憎み、迫害し、虐殺するに及ぶ。何という皮肉極まる姿であろうか。殺す側も殺される側も、いずれもユダヤ人であり、いずれもユダヤ人ではないのだ。

 最後の第5章には、もともと人種ではなかったユダヤ人の「種族化」を試みる現代イスラエルで流行のイデオロギーが紹介される。そこでは生物学的、遺伝学的なユダヤ人の「特徴」があれやこれやと「発明」されているのだ。そのロジックを振りかざしてユダヤ人の殲滅を図ったナチス・ドイツによってではなく、それによってほとんど殲滅されかけた人びとの子や孫であるイスラエルのユダヤ人自身によって。

斉藤光政『戦後最大の偽書事件「東日流外三郡誌」』@『労働新聞』書評

91rqz5vqixl_ac_uf10001000_ql80__20251205162901  「東日流(つがる)外三郡史」とは、青森県五所川原市の和田喜八郎という炭焼き農家の屋根裏から落ちてきた行李2つに詰められたという古文書である。そこには、古代の大和王権から迫害された民が津軽に繁栄していた歴史が書かれていた。
 旧市浦村から『市浦村史資料編』として刊行されたこの「古文書」は、1980年代の古代史ブームの中で注目され、多くの関連書が刊行されるとともに、高橋克彦の東北史関係の伝奇小説にも取り上げられ、多くの人がこれを半ば歴史的真実だと信じるようになった。
 地元紙東奥日報でサツ回り記者をしていた著者は、たまたま和田に対する盗作民事訴訟の取材から、この「古文書」をめぐる奇奇怪怪の人間模様に巻き込まれていく。素直に奇妙なことを奇妙と思い、その周辺を地道に取材して記事を書くと、猛烈な反発を受けるようになる。和田の口車に乗って、東北各地の自治体が根拠のない資料や遺物を買い取らされたり、立派な施設を作ったりしていたのだ。しかし、その肝心の「古文書」はおかしなことだらけだった。
たとえば、東日流外三郡誌を執筆したのは江戸時代の秋田孝季ということになっているけれども、その中には明治時代以降、いや戦後になってから作られた言葉すら頻出していた。
 その極めつけは「天は人の上に人を作らず人の下に人を作らず」という名文句が登場することだ。いやそれは福沢諭吉の言葉だと批判されると、和田は曾祖父和田末吉宛の福沢諭吉の手紙なるものを出してくる。ところがこれは、福沢が自著を「学文之進め」と表記し、(門外不出のはずの)古文書を見せてもらった中にあった台詞を引用させてもらったと謝意を示すものだった。これをめぐって、当時慶應義塾福沢研究センター長を務めていた労働経済学者の西川俊作まで振り回された。
和田はその膨大な古文書の原本を絶対に見せようとしなかった。しかし、そのコピーをみれば、字体や誤字の癖などすべてが、和田喜八郎自身の書いた字とそっくりだった。
 筆跡鑑定からすれば、秋田孝季とは和田喜八郎自身以外の何者でもなかった。さらに古文書と言いながら、戦後生産された版画用の和紙が使われ、墨を塗りつけて古めかしくしていた。
 こうした事実を一つひとつ積み上げて、著者は多くの記事を書いていき、和田やその擁護者から憎まれていく。その代表が、昭和薬科大学教授の古田武彦だった。そして著者と二人三脚で真実を明らかにしていったのは、古田の下で助手をしていたが、偽書に固執する師匠に決別した原田実だった。
 多くの主流の歴史学者があえて言及を避け続けるなかで、大衆文化の中で異様に繁殖していき、地域興しのネタに飢えた自治体が次々に引っ掛かっていくという悲喜劇に対して真正面から取り組んだのは、心ある在野の歴史研究者と地元紙の新聞記者だけだったのだ。

東京の最低賃金1,226円@『労務事情』2025年12月1日号

8afffa30f9574da2b57a1bf5a193e417 『労務事情』2025年12月1日号に「東京の最低賃金1,226円」を寄稿しました。

https://www.sanro.co.jp/book/b10154276.html

今回の数字は統計数値ではなく、法律に基づく最低賃金額そのものです。この東京都の最低賃金1,226円という数値自体というよりも、過去20年近くにわたってそれが急激に上昇してきたことがここでの問題です。・・・・・・

 

 

2025年12月 2日 (火)

各種学校、専修学校から専門職大学へ@WEB労政時報

WEB労政時報に「各種学校、専修学校から専門職大学へ」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers/article/90055

かつて本連載で、10年ほど前に、後に専門職大学として立法化される新たな学校種の検討段階について何回か論じたことがあります。
2014年11月14日付『「G型大学、L型大学」論の炎上を受け、議論していくべきこと』
2015年12月14日付『実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化』
 この問題の淵源を探っていくと、実は“各種学校”“専修学校”という学校教育法上の「非一条校」(同法1条で挙げられている小中学校や高等学校、大学等に該当しない学校のこと)の悲願が背景にあったことが分かってきます。今回は、各種学校、専修学校の歴史をたどりながら・・・・・

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