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2025年11月

2025年11月27日 (木)

本田一成『〈クミジョ〉を考える』

B2d0f25aa6084025933d33bc7bd17b64本田一成『〈クミジョ〉を考える』(信山社)をお送りいただきました。

https://www.shinzansha.co.jp/book/b10153582.html

労働組合の力をみんなで全開させて、労働者の幸福を高めるためにどうすればよいのか。労働界で活躍する女性(クミジョ)の現状と課題を考察し、労働組合の活性化を図る。労働組合の力を、みんなで全開させるために必読!

この本の表紙を見てください。本田さんの名前の上の肩書は、武庫川女子大学経営学部教授じゃなくって、「クミジョプロデューサー」となっています。

さらに、本文の冒頭では「これは恐らく日本でただ一人だけの職業だと思います」とまで言っていますので、これはもう本気ですね。ムコジョのセンセであるよりはクミジョのオルグだと。

本田さんが芳野連合会長と「クミジョ」について対談しているページはこちらです。

https://www.jtuc-rengo.or.jp/rengo_online/2023/09/20/1888/

・・・授業で労働組合の話をすると「クミジョになりたい!」という学生がたくさんいる。「なってどうするの?」と聞くと「先生の話を聞いてると、クミダン、めっちゃハラタツ。それはあかんやろ」って(笑)。私のゼミにはクミジョ予備軍がひしめいています。・・・

 

 

 

 

 

斉藤光政『戦後最大の偽書事件「東日流外三郡誌」』@『労働新聞』書評

91rqz5vqixl_ac_uf10001000_ql80_ 恒例の『労働新聞』書評、今回は斉藤光政『戦後最大の偽書事件「東日流外三郡誌」』(集英社文庫)です。

https://www.rodo.co.jp/column/209527/

 「東日流(つがる)外三郡史」とは、青森県五所川原市の和田喜八郎という炭焼き農家の屋根裏から落ちてきた行李2つに詰められたという古文書である。そこには、古代の大和王権から迫害された民が津軽に繁栄していた歴史が書かれていた。
 旧市浦村から『市浦村史資料編』として刊行されたこの「古文書」は、1980年代の古代史ブームの中で注目され、多くの関連書が刊行されるとともに、高橋克彦の東北史関係の伝奇小説にも取り上げられ、多くの人がこれを半ば歴史的真実だと信じるようになった。
 地元紙東奥日報でサツ回り記者をしていた著者は、たまたま和田に対する盗作民事訴訟の取材から、この「古文書」をめぐる奇奇怪怪の人間模様に巻き込まれていく。素直に奇妙なことを奇妙と思い、その周辺を地道に取材して記事を書くと、猛烈な反発を受けるようになる。和田の口車に乗って、東北各地の自治体が根拠のない資料や遺物を買い取らされたり、立派な施設を作ったりしていたのだ。しかし、その肝心の「古文書」はおかしなことだらけだった。
たとえば、東日流外三郡誌を執筆したのは江戸時代の秋田孝季ということになっているけれども、その中には明治時代以降、いや戦後になってから作られた言葉すら頻出していた。
 その極めつけは「天は人の上に人を作らず人の下に人を作らず」という名文句が登場することだ。いやそれは福沢諭吉の言葉だと批判されると、和田は曾祖父和田末吉宛の福沢諭吉の手紙なるものを出してくる。ところがこれは、福沢が自著を「学文之進め」と表記し、(門外不出のはずの)古文書を見せてもらった中にあった台詞を引用させてもらったと謝意を示すものだった。これをめぐって、当時慶應義塾福沢研究センター長を務めていた労働経済学者の西川俊作まで振り回された。
和田はその膨大な古文書の原本を絶対に見せようとしなかった。しかし、そのコピーをみれば、字体や誤字の癖などすべてが、和田喜八郎自身の書いた字とそっくりだった。
 筆跡鑑定からすれば、秋田孝季とは和田喜八郎自身以外の何者でもなかった。さらに古文書と言いながら、戦後生産された版画用の和紙が使われ、墨を塗りつけて古めかしくしていた。
 こうした事実を一つひとつ積み上げて、著者は多くの記事を書いていき、和田やその擁護者から憎まれていく。その代表が、昭和薬科大学教授の古田武彦だった。そして著者と二人三脚で真実を明らかにしていったのは、古田の下で助手をしていたが、偽書に固執する師匠に決別した原田実だった。
 多くの主流の歴史学者があえて言及を避け続けるなかで、大衆文化の中で異様に繁殖していき、地域興しのネタに飢えた自治体が次々に引っ掛かっていくという悲喜劇に対して真正面から取り組んだのは、心ある在野の歴史研究者と地元紙の新聞記者だけだったのだ。

 

 

 

2025年11月25日 (火)

常見陽平『日本の就活』

D0561c87c7db42f1adac36035c3895c2 常見陽平『日本の就活 新卒一括採用は「悪」なのか』(岩波新書)をお送りいただきました。

https://www.iwanami.co.jp/book/b10151795.html

何社にもエントリーシートを提出し、厳しい面接を繰り返し、ひたすら内定を追い求める。この就職戦線には学歴フィルターにオワハラ、学業の阻害といった様々な問題が山積みだ。財界も学者もその原因は「新卒一括採用」にあるという。しかし本当にそうなのか? 就活の現実を直視し、労働社会の根幹にメスを入れる。

副題にあるように、またオビにでかでかと書かれているように、新卒一括採用が「悪」なのかという問いに徹底的に向き合った本です。

ただ、私からすると、新卒一括採用というのは、終身雇用とか年功序列とか企業別組合とか、はたまた定期人事異動とか解雇回避努力義務とか定年後再雇用だとか、全て諸々と同じように日本型雇用システムがもたらす不可避的な現象です。その現象の一つだけと取り上げてあれこれあげつらってみても、あんまり意味がないんだよと言うことを私自身は繰り返し語ってきましたし、とりわけ本書の対象である若者の学校から仕事への移行については、もう12年前の『若者と労働』で嫌というほど論じ、新卒一括採用のメリットもデメリットも全て表裏がピッタリと張り付いているのであって、都合のいいところだけつまみ食いができるようなものではないと論じてきたことなので、正直あんまり目新しいことが書かれている感じはしませんでした。

 

 

朝日新聞の枝葉末節症候群

本日の朝日新聞の1面トップは「裁量労働制は上限規制の「適用外」 厚労省が自民会合で不正確な説明」という記事ですが、正直言って、何がそんなにけしからんのかよく分からないというか、労働時間の一番大事な肝心要の話をそっちのけにして、法形式論の枝葉末節にばかりこだわっているかの如き印象を受けました。この記事を礼賛している「識者」諸氏に対しても以下同文です。

裁量労働制は上限規制の「適用外」 厚労省が自民会合で不正確な説明

 実際に働いた時間ではなく、一定時間働いたとみなして賃金を払う裁量労働制について、厚生労働省が自民党の会合で、残業など時間外労働の上限規制が適用されるにも関わらず、「適用されない」との文書を示し、制度を不正確に説明していたことがわかった。適用外との説明は「働かせ放題」との誤解を広げる恐れがある。

 朝日新聞が入手した資料や関係者への取材で明らかになった。今回の説明には、経済界や政府・自民党で労働時間の規制緩和を求める動きが強まる中、裁量制を適用外と説明することで、時間外労働の上限規制そのものの見直し圧力をかわす意図があったとみられる。 

いや確かに、法学部やロースクールの授業であれば、裁量労働制を適用除外などと言ったら「馬鹿者」と叱られます。労働時間規制が適用除外の管理監督者と異なり、裁量労働制とは労働時間規制の適用除外ではなく、みなし労働時間制であるというのは、最も重要なことだからです。みなし労働時間制というのは適用除外ではなく、労働時間規制の適用の仕方が実労働時間ではなく、あらかじめ何時間とみなした時間数で規制するだけだからです。

しかしながら、あえて言えばそれは法律家の頭の中だけで峻別されているのであって、実際に何時間働こうがそれとは関係なくあらかじめ何時間とみなしておいた時間だけ働いたものと看做すというのは、現場の感覚から言えば適用除外と何ら変わりはありません。

そのみなされるべき時間数にはもちろん、適用除外じゃないので上限規制とやらはかかりますよ。でも、その上限はあくまでもみなし時間にかかるんであって、実際に働いた時間にかかるわけではないのであって、だからみなし労働時間制ってのは実のところ適用除外の看板を書き換えたものにすぎないとも言えるわけです。

この新聞記事は何に対してかくも激高しているのかよく分かりかねるのは、裁量労働制に上限規制がかかっているじゃないかぁ!たとえば1日10時間とみなしているんだから、適用除外じゃないじゃないかぁ!と叫ぶことにどういう意義があるのかさっぱり分からないことです。だから裁量労働制はいいじゃないか、といいたいのかと思いきや、全く逆で、裁量労働制はけしからんと言いたいらしい。気分だけは伝わるけれども、怒るポイントがあまりにも的外れで、ここは法学部やロースクールのお勉強の場じゃないんだけど、とつい言いたくなります。

ちなみに、裁量労働制には健康福祉措置というのがあり、また労働安全衛生法上の労働時間の状況把握義務というのはかかりますが、いうまでもなくそれらは適用除外であるかどうかとはまた別の話です。働き方改革の時にあれだけ大騒ぎをした高度プロフェッショナル制度にも、同様の制度がありますが、こちらは労基法上はみなし労働時間制ではなく適用除外です。

そして、何よりも訝しいのは、一番肝心要の管理監督者の適用除外ということに対して、この記事を書いた記者の方々はほとんど関心の外であるらしいことです。東京管理職ユニオンが騒いだり、マクドナルド事件で判決が出たりすると、急に思い出したように「名ばかり管理職」がどうたらこうたらと山のように書き立てるわりに、そうでないときにはほとんど関心がないのだということがよく分かります。

そもそも、名ばかり管理職が問題になるのも、非管理職が裁量労働制とかホワイトカラーエグゼンプションとして(事実上ないしは法律上)適用除外が目指されるのも、日本のメンバーシップ型雇用社会が上は経営者から上級管理職、中間管理職、現場監督者、ベテランのヒラ社員、普通のヒラ社員、末端のヒラ社員に至るまで、どこにも明確な線引きができないずるずるとつながった連続体を成しているからで、そういう本質論から目をそらして、法学部やロースクール向けの法形式論だけで議論してみても、何ら事態の解決にはつながらないと思いますがね。

Asahishinsho2_20251125105301 というわけで、日本の労働時間規制の本質論に切り込んだ拙著『管理職の戦後史』(朝日新書)でも読んでいただけると有り難いです。

 

 

 

 

 

 

 

2025年11月24日 (月)

『管理職の戦後史』にぼつぼつネット書評が

Asahi2_20251124175801 11日前に発売された『管理職の戦後史』ですが、ぼつぼつネット書評サイトでも取り上げられてきています。

読書メーターでは、本ブログでもおなじみのFrancisさんが、ご自分の職業人生とも重ねながらぼやき気味の感想を書かれています。

https://bookmeter.com/reviews/131702303

「ジョブ型」「メンバーシップ型」なる雇用形態の名称を定着させた労働省出身の労働法研究者濱口桂一郎先生の新著です。第4章2「管理職ユニオン」以降で展開される議論は同時代を生きた私にとって既視感ありまくりです。私も最初の公務員時代○○専門官なる係長待遇のスタッフ職をあてがわれ、長時間残業に勤しむも年功給故にコスト削減のためリストラ要員となり法人化して8年後退職に追い込まれた経験があります(^^;今の職場も管理職は部下の残業時間管理など本当に大変そうです。管理職は日本的雇用問題の極北であると言えましょう(^^;

この本は「新卒一括採用」「年功給」「新卒一括採用された正社員であれば(一応は)誰でも役員まで出世できる(はず)」と言うガラパゴス的な日本的「メンバーシップ型雇用」の馬鹿馬鹿しさがこれでもか、これでもかとばかり活写されておりまする。私もいわばその「メンバーシップ型雇用」の被害者…(^^;なので「ジョブ型雇用」への改革を強く願っているのですが、その改革への道のりもこれまた真に険しいと尊敬する濱口先生の本を読んで思うのであります(^^;

ブクログでは、テクノグリーンさんが、「読み応えは十分ある反面、一般読者には難解すぎるかもしれない」と懸念をされています。

https://booklog.jp/users/1890vincentgogh/archives/1/4022953454

 管理監督者や企画業務型裁量労働時間制、ホワイトカラーエグゼンプションなどの法制度の変遷、政策決定の舞台裏について、行政文書などを引用しつつ、丁寧に解説している。
 読み応えは十分ある反面、一般読者には難解すぎるかもしれない。
 ヒラ社員から中間管理職、上級管理職、経営陣に至るまで、連続的に管理職的性格が強まっていくのが日本の雇用システムの特徴であるがゆえに、管理監督者とそうでない者の線引きが曖昧になっているというのが筆者の主張である。
 そうであるにも関わらず、労基法の建前がジョブ型雇用であるがゆえに、管理監督者とそうでない者との間に大きな溝があり、これが様々な問題を生んできた。
 管理職一歩手前の者への適用を想定した企画業務型裁量労働時間制や高度プロフェッショナル制度が厳格な手続きを敷いているのに対して、管理監督者は何らの行政官庁の認可も届出もなく、使用者の胸三寸で決まってしまう。
 わざわざ要件も手続も複雑な裁量労働制や高度プロフェッショナル制を利用しなくても、管理監督者扱いにしてしまった方がはるかに楽である。
 管理監督者の定義に関する記載は法文上存在せず、行政通達で「経営者と一体の立場にある者」と語られているだけである。
 労基法には罰則規定があり、労基法に違反した場合には送検されるおそれもあるのだが、こと管理監督者に関しては、罪刑法定主義に反しているのではなないかと思う。
 また、最後のパラグラフにあるパワハラ問題については身につまされる思いがした。近年、何でもかんでもパワハラだと言ってくる労働者が増加しており、上司が必要な権限の行使をおそれてしまい、職場秩序が崩壊寸前に陥っている。その結果、モンスター社員と何もしない上司だけが残り、真面目な労働者は会社を辞めていくという悪循環が起きている。
 果たして、日本の雇用社会はどうなっていくのか。

 

2025年11月21日 (金)

「育児時間」は本来「哺育時間」であった@『労基旬報』2025年11月25日号

『労基旬報』2025年11月25日号に、「「育児時間」は本来「哺育時間」であった」を寄稿しました。

 労働基準法第67条には「育児時間」の規定が置かれています。
 
(育児時間)
第六十七条 生後満一年に達しない生児を育てる女性は、第三十四条の休憩時間のほか、一日二回各々少なくとも三十分、その生児を育てるための時間を請求することができる。
② 使用者は、前項の育児時間中は、その女性を使用してはならない。
 
 これを見て、“育児休業は男女両方が取れるのに、育児時間のほうは女性しか取れないのはおかしいのではないか”と思った人はいませんか?この規定ぶりを素直に読めば、そう思う人が出てくるのは不思議ではありません。今の日本で「育児時間」といえば、父親であろうが母親であろうが、その子どもの世話をするための時間だと考えるのが当然だからです。ところが、実はこの労基法上の「育児時間」というのは、そういう日常言語で想像されるような意味ではなく、母乳による「哺乳時間」のことなのです。
 あらためて労基法第67条の置かれている場所を確認してみると、「第六章の二 妊産婦等」という章に含まれています。もともと女子保護規定と母性保護規定が含まれていた章から、男女雇用機会均等法の差別禁止法化改正に伴って女子保護規定が削除されて、母性保護規定だけになった章です。そこに残っているということは、この規定は産前産後休業などと同様のマタニティに関する規定であることが分かります。
 労働法の論文を検索してみても、この規定についてあれこれ論じている人はほとんど見たことがありません。労基法制定以来ほとんど変わらず存在し続けているにもかかわらず、かなりな程度忘れられた規定であるようです。そこで、今回はこの規定の歴史を振り返ってみましょう。実は、この規定の淵源は労基法よりも古く、1923年の改正工場法に基づく改正工場法施行規則に登場しています。そこではこれは「哺育時間」という名称でした。
 
第十二条 主務大臣ハ病者又ハ産前産後、若ハ生児、哺育中ノ女子ノ就業ニ付制限又ハ禁止ノ規定ヲ設クルコトヲ得
則第九条ノ二 生後満一年ニ達セサル生児ヲ哺育スル女子ハ就業時間中ニ於テ一日二回各三十分以内ヲ限リ其ノ生児ヲ哺育スヘキ時間ヲ求ムルコトヲ得此ノ場合ニ於テ工業主ハ哺育時間中其ノ女子ヲシテ就業セシムルコトヲ得ス
 
 担当の監督課長であった吉阪俊蔵の『改正工場法論』(大東出版社、1926年)では、この新たに設けられた哺育時間の規定は「嬰児保護」という見出しの下に置かれています。その趣旨は、「蓋し嬰児は生母の乳の出ない場合又は病気の場合の外は自然の命ずるところに従ひ母乳にて哺育せらるるを以て最良の方法とする」からであり、「乳児死防遏のため産後母体と乳児とを比較的長く接触せしめ、且母乳を以て養育することが有効であると謂はねばならぬ」と断言しています。
 終戦直後に労働基準法が制定される時も、この1日2回各30分という「哺育時間」の規定は1946年4月12日の第1次案から同年12月24日の労務法制審議委員会答申に至るまでずっと変わらず維持されていました。
 
哺育時間
第六十五条 生後満一年に達しない生児を哺育する女子は、第三十三条の休憩時間の外一日二回各三十分その生児を哺育するための時間を求めることができる。
 使用者は前項の哺育時間中にその女子を使用してはならない。
 
 戦前の工場法施行規則第9条の2を口語体にしたほかは「休憩時間の外」を追加しただけでほとんど変わっていません。ところがこれが、翌1947年1月20日付の答申修正案になるときに、内容は全く変わっていないにもかかわらず、用字だけが次のように修正されていたのです。削除された字は下線付で、挿入された字は【 】で挟まれた形で表示されています。
 
育【児】時間
第六十【六】条 生後満一年に達しない生児を【て】る女子は【、】第三十【四】条の休憩時間の外【、】一日二回各【〃少くとも】三十分【、】その生児を【て】るための時間を請求することができる。
 使用者は【、】前項の育【児】時間中【は、】その女子を使用してはならない。
 
 細かいところを別にすれば、要するに「哺育」という用語が「育児」に、「哺育する」が「育てる」に変わっています。なぜそんな改変をしたのかは、渡辺章編集代表『日本立法資料全集 労働基準法(1)~(4下)』(信山社、1996‐2011年)に残された資料のどこにも出てきません。しかしながら当時の状況を考えると、これはおそらくその直前の1946年11月5日に国語審議会が答申し、同月16日に内閣が告示した当用漢字表の1850字の中に、この「哺育」の「哺」の字が含まれていなかったためではないかと思われます。政府が提案する法律の文言の中に、政府が定めたばかりの当用漢字表にない字を使うわけにはいかないという判断だったのでしょう。
 しかしながら、哺乳類という言葉があるように、哺育とは母乳を与えて育てることです。これに対して、育児とはそれよりはるかに広い意味の言葉なので、立案者の趣旨は全く変わらなかったとはいえ、字面の上では誤解を招きかねないものになってしまいました。
 
(育児時間)
第六十六条 生後満一年に達しない生児を育てる女子は、第三十四条の休憩時間の外、一日二回各〃少くとも三十分、その生児を育てるための時間を請求することができる。
② 使用者は、前項の育児時間中は、その女子を使用してはならない。
 
 もっとも、法制定時に担当課長名で書かれた解説書では、これが哺乳時間であることが明確に書かれています。寺本廣作『労働基準法解説』(時事通信社、1948年)の解説です。
 
 母乳で育てられる乳児の死亡率と人工栄養で育てられる乳児の死亡率の比較又は一般の乳児の死亡率と女子労働者の乳児の死亡率の比較に関する研究の結果として乳児を持つ女子労働者の為に特別の育児時間が必要であることは既に立証されてゐるところである。国際労働条約案(第一回)で哺乳時間に関する規定を設けてゐる。工場法施行規則(第九条ノ二)鉱夫就業扶助規則(第十六条)でも同様の規定を設けてゐたが、従来の規定では普通の休憩時間を哺育時間に充当し得ることになつてゐたので本法では普通の休憩時間の外に育児時間を請求し得ることを規定した。国際労働条約案でも労働時間中に哺乳時間が与えらるべきことを規定してゐる。立法当時、休憩時間と哺育時間は同一時間で可なりと主張した女医の人もあつたが、従来の工場法でもさうであり又本法の規定でも同様であるが休憩時間は食事時間に充てられ得るので、休憩時間を哺育時間に充て得ることを認めると、実際上は乳児を持つ女子労働者にとつては休憩時間は休憩時間であると共に食事時間であり且つ哺育時間であることとなり、到底休憩時間としての意味をなさないことになるので、本条では休憩時間の外に育児時間を請求し得ることとした。
 然し、本条でも育児時間が有給たるべきことを規定してゐない。育児時間は請求によつて得られるものであるからその時間が無給であれば、結局貧しい母たる女子労働者の休憩時間は自己の食事と乳児の保育のための時間とならざるを得ない。
 
 短い文章中に「哺育時間」「哺乳時間」「育児時間」という言葉が入り乱れていますが、これらはすべてここでは同義語で、乳児に母乳を哺乳する時間を意味しています。当用漢字表のせいとはいいながら、実に紛らわしい用字法であり、制定に関わった人々がいなくなり、次の世代の人々がこの規定を論ずるようになると、字面に引きずられた議論が出てくるようになります。それは、1978年11月の「労働基準法研究会報告(女子関係)」です。男女雇用機会均等法の立法プロセスの出発点に位置するこの報告書の中では、育児時間について、本来授乳等のための時間だが、近年は通勤時間の延長のため作業場所を離れて直接授乳等をすることは困難になっており、現在では就業時刻の始めと終わりに生児を保育所に送り迎えするのに使われていると、制度の趣旨と異なっていることを認めつつも、法文上は「生児を育てるための時間」となっているので問題はないと述べています。「哺」の字が当用漢字になかったために、「哺育」を意味が広すぎる「育児」に変えてしまったことが、意外な効果をもたらしたようです。
 いずれにしても、男女雇用機会均等法(努力義務法)に伴う1985年改正でも、男女雇用機会均等法(差別禁止法)に伴う1997年改正でも、この規定は(条文番号が第66条から第67条にシフトしただけで)ほとんど変わることはありませんでした。1997年改正で「女子」が「女性」になった程度です。ただ、1985年改正では別の規定に「哺育」という用字が登場しています。それは、旧第63条の女子年少者に対する危険有害業務の就業制限規定が、新第64条の5で妊産婦等に係る危険有害業務の就業制限に置き換えられたことによるものです。
 
(妊産婦等に係る危険有害業務の就業制限)
第六十四条の五 使用者は、妊娠中の女子及び産後一年を経過しない女子(以下「妊産婦」という。)を、重量物を取り扱う業務、有害ガスを発散する場所における業務その他妊産婦の妊娠、出産、哺育等に有害な業務に就かせてはならない。
②前項の規定は、同項に規定する義務のうち女子の妊娠又は出産に係る機能に有害である業務につき、命令で、妊産婦以外の女子に関して、準用することができる。
③前二項に規定する業務の範囲及びこれらの規定によりこれらの業務に就かせてはならない者の範囲は、命令で定める。
 
 ここで昔懐かしい「哺育」という言葉が再登場しています。これは、1981年に当用漢字から常用漢字に移行し、法令における表外漢字の使用も可能になったことが背景にあると思われます。それなら第67条の育児時間も、戦前の工場法施行規則から戦後の労務法制審議委員会答申に至るまで一貫して用いられてきた「哺育時間」に戻してしかるべきだったのではないかと思われますが、そちらは意味が紛らわしい「育児時間」のままです。そのため、この「育児時間」が本来母乳による哺育時間であることがますます分かりにくくなってしまいました。これははっきり言って、立法ミスというべきでしょう。哺乳をしない一般的な育児時間でもいいというのであれば、これを女性専用の制度として設けておく理由がなくなるはずですが、そういう問題意識は当時の文献には見当たらないようです。
 また、1997年改正時の解説書(労働省女性局編『詳説 男女雇用機会均等法』労務行政、2000年)では、育児時間を「授乳その他の種々の世話のために要する時間」と解説していますが、母乳による哺育以外の生児の世話であれば女性に限定する必要はないはずです。せっかく男女平等を実現した法改正時にも、そういう問題意識は全く見られなかったようですし、その後も誰も指摘していません。
 その後、「哺」の字は2010年11月には常用漢字表に加えられていますが、それを受けてこの育児時間の規定の表記を見直そうという動きも全くないようです。そもそも、これが本来は「哺育時間」であり、終戦直後に当用漢字表に「哺」の字がなかったために仕方なく意味が大幅に広すぎる「育児時間」になってしまったのだといういきさつを知っている人が、厚生労働省の担当部局も含め、今の日本にはおそらく一人もいなくなってしまったためなのでしょう。
 ちなみに、2010年11月に「哺」の字が常用漢字表に追加されたのは、その直前の2009年4月に日本哺乳類学会が求めたからのようです。その意見書を見ると、「保育」と「哺育」は意味が違うのだというようなことが縷々書かれており、文科系の研究者よりも理科系の研究者のほうが漢字の用字法に対して敏感であるかのようで、複雑な思いがします。

 

2025年11月19日 (水)

労務屋さんの拙著評

Asahi2_20251119232001 労務屋さんがさっそく拙著『管理職の戦後史』にコメントされています。

https://roumuya.hatenablog.com/entry/2025/11/19/154727

さすが労務屋さんだけあって、こういうところに着目されています。

とりわけ、まさに様々な場面でこの「範囲がどこまでなのさ」が大問題となり、それをいかに法令として表現するのかをめぐって政労使のせめぎ合いがあったわけで、まあ私もその一言一句をああでもないこうでもないとやってきたわけなので、どうしても法令をそのまま紹介しないと解説も評価もできないというのが新書としては苦労されたのではないかな、とは思いました。行政文書の密教的なノウハウの部分であって一般読者にはなかなか消化しにくいと思う一方で、かといって要約したり簡略化したりできるものでもないわけですが、そこを読み飛ばしてもなんとか議論の大筋がつかめるよう苦労して書かれているな、と感心した次第です。

全体を通じるテーマは日本では管理職と非管理職が連続的で、どこで線引きしても問題が残るという話なんですが、それを法律改正のプロセスの中に明らかにしようという部分は、確かに普通の新書本にしてはやたらに行政文書の引用が長々とされていて、そういうのに慣れている人でないと読み飛ばしたくなるだろうな、とは思います。

とはいえ、そのディテールの中に、日本の管理職と非管理職のありようがにじみ出ているのも確かなので、なかなかざっくりと簡略化できないのですね。

その分、下世話な週刊誌の記事も結構引用したりして、バランスをとっているつもりではあるんですが。

 

 

 

2025年11月18日 (火)

労政審労働条件分科会に解雇に係る調査結果が提出

本日14時から開催されている労働政策審議会労働条件分科会に、解雇に係るJILPTの3つの調査結果が提出されています。

https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_65974.html

一つ目は、「労働局あっせんにおける解雇型雇用終了事案の分析」(概要)で、今まで2008年度と2012年度の2回やってきた労働局あっせんの3回目の調査です。これは私が担当しました。

https://www.mhlw.go.jp/content/11201250/001595980.pdf

二つ目は、「解雇等に関する労働者意識調査」(概要)で、WEBアンケート調査により、解雇経験者と未経験者双方に、解雇の金銭救済制度等について聞いています。これは調査部の上村聡子主任調査員が担当しました。

https://www.mhlw.go.jp/content/11201250/001595984.pdf

三つ目は、「諸外国における解雇の金銭救済制度に関する有識者に対するヒアリング調査」(概要)で、ドイツ、フランス、イギリスにおける解雇の金銭救済制度の運用の実情を詳しく聞いています。これは、労使関係部門の山本陽大主任研究員が担当しました。

https://www.mhlw.go.jp/content/11201250/001595985.pdf

 

 

 

 

 

 

海老原嗣生『外国人急増、日本はどうなる?』

9784569860237 海老原嗣生さんの『外国人急増、日本はどうなる?』(PHP新書)をお送りいただきました。

https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-86023-7

日本社会において長らくタブーとされてきた「外国人問題」が、2025年参議院選を機に突如として主要な政治テーマとなった。背景には、クルド人による事件や不法滞在者の存在がクローズアップされたことがあるが、議論の多くは全体のわずか2%に過ぎない「不法在留外国人」に集中している。しかし、残り98%の正規在留外国人の存在こそ、今後の日本社会にとって本質的な論点であると著者は指摘する。

 日本は深刻な人口減少と労働力不足に直面している。2030年代後半には、年間約100万人規模で労働人口が減り続けるといわれる中で、外国人の受け入れは避けて通れぬ国家的課題である。外国人労働が賃金低下や治安悪化を招くという通念についても、著者はデータをもとに再検証を試みており、感情論ではなく事実に基づいた議論を呼びかけている。

 また、難民認定制度の運用の歪みや、就労目的の偽装申請問題にも触れ、リベラルな性善説にも冷静な視点を持ち込む。一方で、在留外国人との共生を拒み続ければ、将来日本が危機に陥った際、支援を申し出てくれる国が現れないかもしれないという、地政学的リスクにも警鐘を鳴らす。

 本書の後半では、日本で学び働いた外国人が帰国後に“親日派”として各国に影響力を持つ可能性を取り上げ、その存在を活用した外交・安全保障戦略を提案する。さらに、日本語を世界に広める構想をも含み、外国人政策を「守り」から「攻め」へと転換すべきであると論じている。

 本書は、外国人問題に関する論点を幅広く網羅しつつ、冷静かつ実証的に考察した実用的な一冊である。極端な排外主義でも、性急な受け入れ論でもない、中庸かつ未来志向の政策ビジョンがここにある。感情ではなく、理性と戦略で外国人問題に向き合うべき時が来ている――その現実を突きつける書である。

海老原さん流の外国人労働者問題へのアプローチが展開されているのは第3章で、ここは『HRmics』誌で繰り返し論じていた話が出てきますが、全体としては、昨今の外国人「問題」に対する話が中心になっています。特に、第1章は例のクルド人問題から不法滞在者や難民申請者、送還忌避者をめぐる話が主で、確かに昨今の過熱気味の外国人フォビアへの冷水としては有用ですが。

また、第4章は海老原さんらしい大風呂敷を広げて見せていて、帰国する外国人労働者の社会保険の企業負担分を財源にして、いろんな政策を打てるぞ、という話で、面白いは面白いのですが、実際にはどうかなという感じもします。

本書自体が、新書本としてはやや薄い作りなのですが、肝心の外国人労働者問題を取り上げた第3章が、ちょっと薄くて、やや大づかみな議論になっていて、もう少し個別制度に立ち入って細かく論じてほしかったな、という感じがしました。

まあでも、これだけ外国人問題が話題になっているからこそ、最近立て続けに外国人関係の本が出版されているのでしょうね。

Chukogaikoku_20251118134301 ちなみに、わたくしも来年早々、『外国人労働政策』(中央公論新社)というのを出します。

 

 

 

2025年11月17日 (月)

初岡昌一郎『回想のライブラリー』

Auto0ktnfc 初岡昌一郎さんのエッセイ集『回想のライブラリー』(オルタ出版室)をお送りいただきました。

初岡さんとは、以前、本書にも出てくるソーシャルアジアフォーラムで、2010年に台湾に行った特に、ご一緒したことがあります。

というか、そのときに書いたこの記事で、本書に収録されているメールマガジンオルタの初岡さんの説明をそのまま引用していたのでした。

ソーシャルアジアフォーラムの由来

今週の木・金と、台北でソーシャルアジアフォーラムに出席することは本ブログで申し上げましたが、このフォーラムの由来について、初岡昌一郎さんご自身が書かれた文章をネット上に見つけました。ちょうど5年前に同じく台北で第11回のフォーラムが開かれたときに「メールマガジン オルタ」の22号に、「回想のライブラリー(4)」として書かれたものです。・・・・

このエントリは、初岡さんの文章を大量に引用していますので、関心のある方は是非読んでみてください。

本書は、冒頭の「岡山県の山間僻地から広い世界へ」から始まって、初岡さんの社会民主主義者、労働運動家としての人生の諸相が、関係する書物と一緒に描き出されています。

結構興味深いのが、60年安保闘争の同志であった香山健一さんと終生友情を保ち、中国の胡啓立さんとのつながりに関わっていたこととか、ソ連、ポーランド、ユーゴスラビアなどの話です。

また、107ページにはシュトルムタールの『ヨーロッパ労働運動の悲劇』が次のような文脈で紹介されています。

共産党批判のもう一つのソースは読書だった。大学時代に読んだ本で、社会民主主義に傾斜する契機を与えてくれたのは、アドルフ・シュトルムタールの『ヨーロッパ労働運動の悲劇』Ⅰ・Ⅱ(岩波書店)だった。それから少し後に読み、大きな影響を受けたE,H.カー『危機の二十年』(岩波書店)しも同じ時代、すなわち第一次世界大戦・第二次世界大戦の間を対象としていた。しかし、社会民主主義者としての自覚を持つのは、青年学生運動時代より後、労働組合の仕事を始めてからのことであった。あの当時は「社民」という言葉は左翼の中で特別な蔑称であり、人を中傷するために広く用いられていた。

Sturmthal_2 わたしは、もはやその「社民は蔑称」の時代は知らない若い世代ですが、このシュトルムタールの本は、少し違う文脈で読まれるべき本として紹介したことがあります。

『ヨーロッパ労働運動の悲劇』を復刊して欲しい

昨日のエントリでも引用したシュトルムタールの『ヨーロッパ労働運動の悲劇』は、日本では1958年に岩波書店から岩波現代叢書の一環として、神川信彦・神谷不二両氏の翻訳により2冊組で刊行されています。

これは今こそ読み返されるべき名著だと思うのですが、今ではほとんど知っている人も少なく、amazonでも中古品が1円とかいう値段がついてしまっています。

巻末の同叢書の一覧を見ると、カーの『危機の二十年』、ノーマンの『日本における近代国家の成立』、ヒックスの『価値と資本』、カッシーラーの『人間』、ハヤカワの『思考と行動における言語』など、その後岩波文庫に収録された名著が結構並んでいますが、シュトルムタールのこの本も決してそれに劣らない値打ちがあると思うのですよ。

岩波書店の中の人が見てたら、是非一度書庫から取り出して、半世紀以上前に出版された本書を読んでみて、今の時代に何らかの示唆を与えるものであるかどうか検討してみて欲しいと思います。

残念ながら、他の名著は軒並み岩波文庫に入っているのに、このシュトルムタールは放置プレイのままです。

なお、15年前の台北でのソーシャルアジアフォーラムの報告は次の通り

亜洲社会論壇報告

先ほど、台北から戻って参りました。

ソーシャルアジアフォーラムは、結局直前に中国からの参加予定者が許可が出なかったということで出席しないことになり、中国側の報告は台湾の出席者が代読することになりました。その内容は、現在の中国の労使関係状況をきわめて的確かつ犀利にえぐり取るもので、わたくしには戦前の日本の進歩的な官僚や学者が無理解な体制の中で労使関係システムの確立を説いた姿を想起させるものでした。

わたくしが興味を惹かれたのは台湾からの報告で、今年ようやく労使関係3法が全面改正され、来年施行されることになったということです。実は中華民国工会法は1930年に制定されており、日本よりも古い労働組合法なのですが、日中戦争、国共内戦、その後の戒厳令体制のもとで、自由な労働組合運動は許されなかったのですね。ようやく民主化とともに労働組合運動も国民党の支配下から脱し、古い工会法も改正されるに到ったようです。このあたり、わたくしもあんまりよく知らない分野であったのですが、じっくり勉強してみたいと強く感じました。

韓国からは労使共同の訓練事業についての報告があり、日本からはわたくしが雇用システムの話、連合総研の龍井さんがもっと広い視野の話をしました。

フォーラム以外では、いろいろと興味深いことがありましたが、とりあえず一つだけ。会場の近くの「紫藤廬」という茶館で、高山茶をじっくりと楽しみましたが、この茶館、日本植民地時代の海軍宿舎で、奥の方には畳の座敷があり、何とも言えないいい雰囲気でありました。

台湾の労働尊厳教育

亞洲社会論壇(ソーシャルアジアフォーラム)では、各国からの報告討議に先立って、ホスト側の台湾の行政院労工委員会副主任(労働副大臣に相当)である潘世偉さんが基調講演をされました。潘さんは労働法の先生から政府に入った方ですが、自ら携わっておられる最近の労働法、労働政策の動きについて包括的に語られました。

その中で一つ、最後の方で述べられた労働尊厳教育の話が興味深いものでした。ディーセントワークの考え方を教育段階から国民に浸透させていこうというものですが、ご多分に漏れず台湾でも教育部はきわめて消極的なんだそうですが、それでも中学校段階から労働尊厳教育を実施しつつあるということでした。

そもそも今回の工会法改正でも、教師の労働基本権には大変否定的で抵抗したそうで、韓国でもそうですし、教師は聖職にして労働者に非ずというのは東アジアに共通の感覚なのでしょうかね。

 

 

 

 

 

 

 

 

2025年11月16日 (日)

遠藤公嗣「ILO100号条約第3条第3項の不審な政府公定訳(1967年)と劣化する解釈」(『労働法律旬報』2091号)への政策過程論的コメント

Rojun2091670059 『労働法律旬報』2091号に、遠藤公嗣さんの「ILO100号条約第3条第3項の不審な政府公定訳(1967年)と劣化する解釈」というたいへん長い論文が載っています。

https://www.junposha.com/book/b670059.html

その趣旨は、ILO100号条約が批准される間際に、それまでのまともな邦訳が、意味不明の悪訳に差し替えられ、そのためにその後の労働法学者は全く間違った解釈を繰り広げてきている、というもので、浜田富士郎、浅倉むつ子、木村愛子といった研究者に対する舌鋒は極めて激烈ですが、それは研究者同士の論戦としては当然とも言えます。

ただ、前半部で、邦訳改悪の下手人として当時の高橋展子婦人少年局長を名指しして批判しているところについては、当時の婦人少年局の置かれていた状況についての認識が薄いのではないかという感想を持ちました。

目次
一 課題
二 労働省による和訳作業
 1 三つのILO公式報告書の和訳
 2 一〇〇号条約の労働省仮訳
 3 一〇〇号条約の労働省定訳とその普及
 4 一〇〇号条約の批准案件と政府公定訳
三 第三条第三項の政府公定訳
 1 悪訳への改変:
   労働省定訳との比較考察
 2 政府公定訳でなく労働省定訳を国会答弁で引用する労働省幹部
 3 労働省幹部の国会答弁における第三条第三項の回避
 4 高橋展子と早川崇の国会審議外における「宣言」見解
 5 経緯の仮説
四 第三条第三項の解釈史⑴:労働省定訳のもとでの過去
 1 四つの文献
 2 石松亮二﹇一九六八﹈による高橋展子﹇一九六七a﹈の批判
五 第三条第三項の解釈史⑵:
  政府公定訳のもとでの現在
 1 浜田富士郎﹇一九八八﹈の五つの誤り
 2 浜田富士郎﹇一九八八﹈の時代背景
 3 浅倉むつ子﹇二〇〇四﹈への三つの疑問
 4 木村愛子﹇二〇一一﹈の荒唐無稽
六 結語

これは本論文にも書かれていることですが、この1967年という時点でILO100号条約が急に批准されることになったのは、外部からの圧力、すなわちILOから国際人権年に併せてILO条約を批准するように求められて、国内法を改正する必要がないからという理由で、この条約が選ばれたという経緯があります。労働省婦人少年局が、男女平等のためにぜひ批准してくれと言い出したわけではありません。

しかし、国内法を改正する必要がないからというのは、正確には正しくありません。これも本論文に書かれていますし、拙著でも繰り返し書いてきたことですが、労基法第4条は、労務法制審議会に出された原案では「男女同一価値労働同一賃金」であったのが、労働側の西尾末広委員の「労働の価値によつて賃金を払ふといふよりは、その労働者の家族が多ければその家族に手当を与へる、いはゆる生活賃金、生活をし得る程度の賃金を与へるといふ考へ方と、男女同一価値労働に対する同一賃金といふ観念とには矛盾がある」という批判を受けて、吉武労政局長から「まあ女だからといつて当分低くしてはいかんぞ、といふくらゐに解釈して貰はなければならんか」と答え、これを受けて「同一価値労働」が削除されて、現行のただの「男女同一賃金」になったという経緯があります。

もちろん、1947年に労基法ができた時には、ILO100号条約はまだできていないので、この「同一価値労働」の中身は厳密な意味でILO100号条約と同一であるわけではありませんが、とはいえ、そもそも職務給を否定して生活給を認めるために修文された規定なのですから、その規定があるからILO100号条約が批准できるというのは、かなりインチキな議論であったことは確かです。

率直に言えば、ILOの人権関係条約はどれもこれも難しい問題がてんこ盛りで、簡単に国内法を改正できるような代物はほとんどない中で、例外的に婦人少年局が所管している労基法第4条だけが関わる100号条約は、ILOへの「おみやげ」に差し出すにはちょうど手ごろなものだと、官房国際労働課を中心とした労働省幹部たちは考えたのでしょう。

それまで細々と勉強を続けてきたこの条約を、瓢箪から駒で急に批准することになったからよろしくといわれた婦人少年局はどう思ったか。もちろん、厳密には労基法第4条では不十分であり、せめてそれを「男女同一価値労働同一賃金」に改正しなければ、条約と不整合が生じます。なにしろ、「男女同一賃金」とは「まあ女だからといつて当分低くしてはいかんぞ」という程度の規範なのですから。

とはいえ、ほかの条約は法改正が必要だから難しいので、それなしでちゃちゃっと批准できる100号条約にしようというのに、やはり法改正が必要だから無理です、なんて婦人少年局が言えるかといえば、そんなこと言えるわけはありません。当時の婦人少年局は、労基法のごく一部を所管するだけで、自前の法律一本もなく、毎回のようにその存在意義に疑義を呈され続けていた弱小部局で、せっかく飛び込んできたILO条約批准の機会を自分から蹴飛ばすなんてことは不可能です。

とないえ、100号条約を批准してしまうと、そこに書かれていることをちゃんとやっているのかと問われることになります。労基法第4条があるから大丈夫という理屈で批准しても、国内法の労基法第4条は上記の通りであって、同一価値労働なんて発想はそもそも削除されていて、いまさら法改正もなしに急にでっち上げられるわけにもいきません。

つまり、婦人少年局は、批准せざるを得ないILO100号条約と改正できない労基法第4条の矛盾を引き受けなければならないのです。それが当時、高橋展子婦人少年局長が置かれていた立場だったのです。

本論文で、高橋展子局長がこの条約は宣言に過ぎないと強調していたことが批判的に引用されていますが、いやそれは、そう言わなければ、100号条約の細かな規定の一つ一つがいちいち労基法第4条との関係でどうなのかとギリギリ詰められては、とてももたないから、もたないことが予測できたから、わざとそういう細かな議論に陥ることのないように、宣言に過ぎないと言っていたのでしょう。

この経緯を見てくると、なんだか労働省の官房と他局がぐるになって、弱小の婦人少年局をいじめているようにも見えます。立場上批准を拒むことはできないし、法改正を打ち出すこともできないという足元を見透かして、「ほれほれ条約を批准できるぞ」と恩に着せながら、矛盾はお前の局で始末しろ、といわんばかりです。

もうひとつ、これはおそらく遠藤さんは気づいていないのではないかと思いますが、ちょうどこの時期、佐藤内閣の一省庁一局削減という行革の嵐が労働省にも押し寄せ、どの局を廃止するかで大揉めに揉めていたのです。率直に業務量でみれば、男女均等法や育児介護休業法等々ができる以前の婦人少年局というのは、普及啓発活動が主で、実体的な権利義務に関わる行政機能は極めて乏しく、20年にわたって繰り返し廃止論が唱えられ続けてきたのを、婦人団体などの外部の応援団や、その象徴的意義から辛うじて維持してきていたのですが、ここにきて再度婦人少年局廃止論がクローズアップされてきました、結局紆余曲折の末、新設されたばかりの安全衛生局をもとの安全衛生部に戻すということで決着したのですが、この時期の婦人少年局の行動を考えるうえで、この状況は念頭に置かれる必要があります。

遠藤さんの筆致にかかると、この高橋展子婦人少年局長というのは誠実性に欠けたいい加減な役人であったかのように見えますが、彼女がそのように行動せざるを得なかった状況も踏まえて見ていく必要があるのではないかと、感想を抱いた次第です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『管理職の戦後史』発売開始

Asahi2_20251116090901 木曜から土曜まで、ソウルで北東アジア労働フォーラムに出席し、昨晩ようやく帰ってきましたが、その間に拙著『管理職の戦後史』が書店の店頭に並び、すでに読まれて感想を書かれた方も出てきています。

そのうちyamachanさんは、

帰宅すればhamachan先生の「管理職の戦後史」が届いているのだが、ひと足先に書店でパラ読み。 ワイが十数年前に書いたレポートで引用した金融業の管理監督者通達に関するあれこれや、大昔の労働法学者松岡三郎も出てくるっぽいな。

そういえば、yamachanさんは2013年度の法政大学公共政策大学院で雇用労働政策研究の授業に出ていたのですね。実はその時のyamachanさんの期末レポート「労働行政からみる労基法上の管理監督者〜通達を中心に〜」がパソコンのハードディスクの奥にあったので、読み返してみたら、想像していた以上に今回拙著とターゲットが重なっていたんですね。

ちなみに、これが分かる人はかなりの「通」です。

hamachan先生は、情け容赦なく、M氏の素性を新著でバラしてましたwww

 

 

2025年11月15日 (土)

『外国人労働政策 霞が関の権限争いと日本型雇用慣行が招いた混迷の30年史』(中央公論新社)

Chukogaikoku

◆労働省vs法務省の権限闘争と、
特殊な日本型雇用システムにあった!
労働政策研究の第一人者が解き明かす、驚きの真実

「開国論」vs「鎖国論」という知識人たちの浅薄な議論の陰で
起きていたこととは……

日本は外国人労働者に極めて差別的、技能実習制度は「現代版奴隷制度」など、国内外から批判されてき日本の外国人労働政策。80年代には、「開国論」対「鎖国論」が論壇を賑わせたが、日本の制度が歪んだのは、排外主義的な政治家や狭量な国民のせいとは言い難い。本当の原因は、霞が関の権限争いと、日本型雇用慣行の特殊性にあった。労働政策研究の第一人者で、元労働省職員でもあった濱口桂一郎が、驚きの史実を解き明かす。

 

2025年11月12日 (水)

そんな本は書いてない!が続々

書いた覚えのない本が続々と出てくるんですが、一体何が起っているんですか?

ケアテック(介護ロボット)と在宅利用者の心理

ロボットが動作を助ける瞬間に、
「人の存在」が感じられるように設計されること。
それこそが、人と機械のあいだに“倫理”という温度を保つ条件なのでなないだろうか。

ほとんど私の書いてきた領域と重ならないような話が続いた挙げ句、「参考文献・引用元(考察の裏づけ)」として、こんな著者のこんな本が明記されているんですが、

  • 濱口桂一郎(2022)『ケアの倫理と労働の未来』岩波新書

いやいやいやいや、わてはそんな本出しておまへんがな。どこでどう混線して、こんなでっち上げが生み出されたのか不明ですが、かくしてネット上には私の著書と称する実在しない本が積み重ねられていくことになるようです。

 

2025年11月11日 (火)

EU最低賃金指令はOK@EU司法裁判所

今年1月に法務官がEU最低賃金指令は条約違反で無効だという意見を発表して大騒ぎになっていたことについては、その時に本ブログで紹介しており、

EU最低賃金指令は条約違反で無効@欧州司法裁法務官意見

その後『労基旬報』にやや詳しい解説を書きましたが、

EU最低賃金指令は条約違反で無効!?@『労基旬報』2025年2月25日号

その行方を関係者がかたずをのんで見守って10か月経って、ようやくEU司法裁判所の判決が出されたようです

なぜかまだ裁判所のHPにはアップされていないのですが、欧州委員会のHPに、最低賃金指令の有効性を認めた判決を喜ぶ旨の記事が載っています。

Commission welcomes the judgment of the EU Court largely confirming the validity of the Directive on adequate minimum wages

In its judgment, the EU Court of Justice dismissed the request to annul in its entirety the Directive on adequate minimum wages. The Court confirmed the validity of the provisions of the directive relating to collective bargaing on wage-setting.

その判決において、EU司法裁判所は十分な最低賃金に関する指令を全面的に無効とすることを求める請求を棄却した。裁判所は賃金決定に関する団体交渉に関する指令の規定の有効性を確認した。

そのうち裁判所のHPに判決文がアップされると思いますので、詳細はその上で。

 

 

 

 

 

2025年11月10日 (月)

そんな本は書いてないし、そんなことは言ってない

最近、ネット上のあちこちで、「そんな本は書いてないし、そんなことは言ってない」現象が頻発しているようです。AIの嘘こき(ハルシネーションというユーフェミズムが頻用されますが)のせいなんでしょうが、嘘こかれた方はたまらんですわ。

「【速報】高市早苗総理午前3時勉強会と労働時間規制緩和」といういかにも人目を引くことを狙ったげなタイトルのこの記事の中に、

【速報】高市早苗総理午前3時勉強会と労働時間規制緩和

深掘り: 労働経済学者の濱口桂一郎氏は、著書『日本の雇用と労働』(岩波新書)の中で、労働時間規制の緩和が労働者の権利を侵害し、格差を拡大する可能性を指摘しています。特に、非正規雇用労働者や、交渉力の弱い労働者にとっては、労働時間規制の緩和は、長時間労働や低賃金労働を強いるリスクが高まります。

まず、おいらは労働経済学者じゃねえし、岩波新書から本を2冊出してるけれども、こんなタイトルじゃない。このタイトルにギリギリ近いのは、『日本の雇用と労働法』(日経文庫)だけれども、これは法政大学の授業用に作ったテキストであって、こんな主張はこれっぽっちもしていない。つまりこのたった3行のなかはことごとく嘘っぱちだらけなんだが、いかにもちゃんと調べてきましたかのような平然たる風情で淡々と書いているものだから、知らん人はコロリと騙されるだろうな。

ちなみに、そのすぐ後ろには、

一方で、経営学者の楠木建氏は、著書『ストーリーとしての競争戦略』(東洋経済新報社)の中で・・・

と、中身はともかく、現存する著者の現存する著書を引用して見せてるだけに、たちが悪いわ。

 

 

 

 

「辞令一本」今は昔? 企業vs社員の軌跡 「常識」覆す法令改正も@『毎日新聞』デジタル

9_20251110092101 本日の毎日新聞デジタル版に、「「辞令一本」今は昔? 企業vs社員の軌跡 「常識」覆す法令改正も」という記事がアップされており、その中にわたくしのインタビューも出てきます。

https://mainichi.jp/articles/20251108/k00/00m/020/234000c

 転勤は時に会社と社員による法廷闘争に発展してきた。約40年前に企業側の裁量を幅広く認める判例が示され、現在も「正社員なら転勤して当たり前」という考えは根強いが、そうした「常識」を転換し得る法令改正も近年された。専門家は「働く人の意識の変化に合わせて、社会通念や司法判断も変化していくだろう」とみる。

 日本企業は終身雇用や年功序列の昇給・昇進と引き換えに、社員を「辞令一本でいつでもどこにでも」配置転換させてきた。会社が転勤を命じることができると就業規則に明記している企業も多く、業種によっては内示もなく、1週間前など直前に辞令を言い渡されることもあった。

日本型正社員モデルの中心的存在

 労働政策研究・研修機構の濱口桂一郎研究所長は「時間、空間、職務が無限定の日本型正社員モデルの中心的存在として、高度経済成長期以降に作られた」と指摘する。・・・

 

 

2025年11月 9日 (日)

「全員が猛烈に働く」文化、脱する道は ワーク・ライフ・バランスの現在地 濱口桂一郎氏に聞く@『朝日新聞』(紙版)

去る10月20日にデジタル版に載ったわたくしのインタビュー記事が、今日の紙版の『朝日新聞』に載っています。第21面の「Reライフ」というページです。

「全員が猛烈に働く」文化、脱する道は ワーク・ライフ・バランスの現在地 濱口桂一郎氏に聞く

「ワーク・ライフ・バランスという言葉を捨てます」。自民党総裁選での高市早苗氏の発言に対し、様々な意見が出ました。中には「ワーク・ライフ・バランス」を重視する社会へのいらだちが垣間見える声も。労働政策研究・研修機構労働政策研究所長の濱口桂一郎さんに、日本の「ワーク・ライフ・バランス」の現在地について聞きました。(田中聡子)

 ――高市氏の発言をきっかけに「ワーク・ライフ・バランス」に注目が集まりました。

 「ワーク・ライフ・バランス」って、実は変な言葉ですよね。この言葉は「ワーク」と「ライフ」が対立を起こしているというイメージを与えます。

 でも家事や育児が「アンペイドワーク(無償労働)」と言われるように、「ライフ」は「ワーク」でもあります。同時に、「ワーク」とされるものは「職業生活」という「ライフ」でもある。

 ――明確に境界線があるわけではないのですね。

 一般的には、ワークは「マスト(やらねばならない)」の世界、ライフは「ウィル(やりたい)」の世界であると考えられています。でも実際は、家事・育児を誰かが「やらなければならない」ように、仕事も面白さややりがいなど「やりたい」からやるということもあります。

 「ワーク‧ライフ‧バランス」という⾔葉は、複雑な現実を単純化してしまいました。そして「ワーク=マスト」「ライフ=ウィル」と考えるから、ライフのためにマストを制限すると「やるべきことをおろそかにしてライフを満喫している」と⾒られてしまう。・・・・・

 

 

2025年11月 5日 (水)

大庭伸介『歴史の暗に埋もれた朝鮮戦争下の清水港・山猫スト』

Gsrocmramackutq 服部一郎さん(ハンドルネーム:kiryuno)から、大庭伸介『歴史の暗に埋もれた朝鮮戦争下の清水港・山猫スト』(梁山泊出版部)をお送りいただきました。占領下で行われた港湾山猫ストの記録です。エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)のHPに詳しい紹介が載っているので、関心のある方はそちらをご覧下さい。

https://l-library.hatenablog.com/entry/2025/08/25/194558

本書の主題である「朝鮮戦争下の清水港・山猫スト」は、1951年4月末の米軍用物資積載船の出港日に、丸一日清水港の荷役業務が完全にストップした史実であり、「山猫スト」の実施主体は「清水一般自由労働組合」である。そして、その史実の掘り起こしは同労組の浅野書記長へのヒアリングに基づいている。

 

 

 

 

転勤制度のこれまでとこれから@WEB労政時報

WEB労政時報に「転勤制度のこれまでとこれから」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers/article/89897

最近、転勤をめぐって議論が盛んになっています。私自身も、2025年7月25日付の『日本経済新聞』経済教室で、「転勤制度を考える」という小論を書いています。ただ、そこでは紙面の関係でごく限られた情報しか書けなかったので、本稿ではかつての裁判例の動向など、今ではあまり記憶されていないことも含めてやや詳しく解説しておきたいと思います。・・・・・

 

2025年11月 4日 (火)

『管理職の戦後史』が届きました!

今月13日発売予定の『管理職の戦後史 栄光と受難の80年』(朝日新書)がわたくしの手元に届きました。

少なくとも外見はよい仕上がりになっていると思います。

あとは、読者の皆さまにどのようにご評価いただけるかです。

Asahi2_20251104164801

はじめに
 
序章 雇用システムと管理職
 1 管理職とは何か
  (1) 職業分類における管理職
  (2) アメリカのO*NETにおける管理職、専門職、事務職
  (3) 日本のjob-tagにおける課長と事務員
 2 日本社会における「管理職」
  (1) 「部長ならできます」
  (2) 戦後経営秩序における管理職
 
第1章 労働組合のリーダーから経営側の尖兵へ
 1 終戦直後の労働運動と管理職
  (1) 管理職がリードした労働運動
  (2) 旧労働組合法における「使用者の利益代表者」
  (3) 1949年改正労働組合法
 2 経営権の確立と職場闘争
  (1) 経営側の尖兵としての「職制」
  (2) 職場闘争の時代
 
第2章 管理監督者と管理職の間
 1 労働基準法の「管理監督者」
  (1) 労働基準法制定以前の状況
  (2) 労働基準法の制定過程
  (3) 管理監督者と深夜業
 2 金融機関管理監督者通達
  (1) 金融機関の管理職昇進事情
  (2) 地銀連の申告闘争
  (3) 1977年金融機関管理監督者通達
  (4) 1988年通達
 
第3章 管理職問題の時代
 1 経営側の管理職論
  (1) 『管理職の職務給』
  (2) 『管理職-活用と処遇-』
  (3) 『新時代の管理職処遇』
 2 学者とメディアの管理職論
  (1) 役職者割合の推移
  (2) 岩田龍子の管理職論
  (3) 週刊誌に見る「管理職受難」
  (4) 松岡三郎の管理職組合結成論
 
第4章 管理職組合の挑戦
 1 企業内管理職組合
  (1) 東洋交通管理職組合
  (2) 青森銀行管理職組合
  (3) セメダインCSUフォーラム
 2 管理職ユニオン
  (1) 管理職リストラの時代
  (2) 管理職ユニオンの活動
  (3) 個別労働紛争解決制度における管理職
 
第5章 年俸制と企画業務型裁量労働制
 1 年俸制
  (1) 年俸制の流行
  (2) 年俸制の状況
 2 企画業務型裁量労働制
  (1) 専門業務型裁量労働制の出発
  (2) ホワイトカラーの労働時間制度をめぐる議論
  (3) 裁量労働制をめぐる諸見解
  (4) 裁量労働制研究会
  (5) 企画業務型裁量労働制の創設
  (6) 2003年改正
 
第6章 名ばかり管理職とホワイトカラーエグゼンプション
 1 名ばかり管理職問題
  (1) 日本マクドナルド事件判決と名ばかり管理職問題
  (2) 2008年適正化通達とチェーン店通達
 2 ホワイトカラーエグゼンプション
  (1) ホワイトカラーエグゼンプションを求める声
  (2) 労働時間制度研究会
  (3) 労政審答申
  (4) ホワイトカラーエグゼンプションの蹉跌
 
第7章 女性活躍と高度プロフェッショナル制度
 1 女性管理職の時代
  (1) 戦後経営秩序における女性
  (2) 男女雇用機会均等法
  (3) 労働基準法女子保護規定の指揮命令者
  (4) 女性活躍推進法の管理職
 2 高度プロフェッショナル制度
  (1) ホワイトカラーエグゼンプションの再提起
  (2) 高度プロフェッショナル制度という帰結
 
第8章 管理職はつらいよ
 1 働き方改革の忘れ物
  (1) 時間外・休日労働の上限規制
  (2) 放置された管理監督者
  (3) 管理職のための間接的労働時間規制
  (4) 管理監督者の労働時間規制へ?
 2 パワハラに気をつけろ
  (1) パワーハラスメントの問題化
  (2) 何でもハラスメント時代の管理職
 3 管理職の代表機関を
  (1) 過半数代表者と管理監督者
  (2) 管理職の過半数代表者?
 
おわりに

男性の育児休業給付初回受給者数 18万100人@『労務事情』11月1日号

B20251101 『労務事情』11月1日号に「男性の育児休業給付初回受給者数 18万100人」を寄稿しました。

https://www.e-sanro.net/magazine_jinji/romujijo/b20251101.html

1991年に育児休業法が成立したときにはノーワーク・ノーペイの原則で給付はありませんでしたが、1994年の雇用保険法改正により育児休業給付が設けられました。・・・・・

 

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