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2025年10月 6日 (月)

書評していただけるのは有り難いのですが・・・

Asahishinsho_20251006224401 昨年出した『賃金とは何か』(朝日新書)に対して、2300字を超える字数の長大な書評を書いていただいていること自体には大変有り難いことであると思っております。肯定的であれ否定的であれ、書評していただけること自体がうれしいということに偽りはありません。

とはいえ、この書評を読み進んでいくと、正直申し上げてもやもやするものが湧いてきて、有り難いでは済まないように感じます。

年収=あなたの価値? その誤解を解く――『賃金とは何か』が教える、“お金と人の価値”の本質

 SNSを開けば、「年収1,000万円」「FIRE」「高収入の人が選ぶ仕事」など、お金で人を測る言葉があふれています。
でも、それを見てモヤッとしたことはありませんか?
「自分の年収は、人としての価値を表しているのか?」
「努力しても給料が上がらないのは、自分のせいなのか?」
そんな疑問に真正面から向き合うのが、『賃金とは何か――職務給の蹉跌と所属給の呪縛』(濱口桂一郎著)です。
本書は、明治から現代までの賃金制度の歴史をたどりながら、お金のもらい方が人の意識をどう形づくってきたかを描き出しています。
つまり、「年収=あなたの価値」という思い込みは、実は長い歴史の中で社会全体が作り出した“幻想”なのです。・・・・・

わたくしの本を引用しながら、この考えを説明していく・・・という文章が続いていきます。

が、

その先にわたくしの著書からの文章として「引用」されているのは、こういう文脈なのですが、

大切なのは、“評価”と“価値”を混同しないことです。
評価は、あくまで制度の中での相対的な位置づけ。
価値は、あなた自身が何を生み出し、誰にどんな影響を与えたかという絶対的な意味のものです。

本書の視点を借りれば、


「賃金とは、その人が社会のどこに位置づけられているかを示す“構造的な値”であり、人格や人間的価値を表すものではない」

賃金とは何か 職務給の蹉跌と所属給の呪縛 (朝日新書)

ということになります。

いや、拙著にはこんな箴言めいた名文句はありません。書いた覚えはありません。本書を書いた本人が言うのだから間違いありません。大体、引用の形をとりながら、何ページからという注釈がありません。ないはずです。そんな台詞は拙著のどこにも存在しないのですから。

この地の文の「評価と価値を混同しないこと」云々というのが書評者御自身の見解であるように、このあたかもわたくしの著書からの引用であるかのように「引用」されている文章も、書評者御自身の見解であって、その部分の知的財産権はいかなる意味でもわたくしにも属していません。

その先にも、わたくしが書いた覚えがないし、自分で書くことはありえないであろうような気の利いた(効き過ぎた)一句が「引用」されています。

年収を上げることは悪いことではありません。
でも、それが「自分の価値を証明する唯一の手段」だと思い込むと、人生の幅を狭めてしまいます。

『賃金とは何か』は、そうした「お金と価値の関係」をほどきながら、私たちにこう問いかけます。


――あなたは、“いくらもらうか”より、“どう生きるか”で、自分を測れているか?

賃金とは何か 職務給の蹉跌と所属給の呪縛 (朝日新書)

この「書評」を読まれて、濱口桂一郎というのはこんなにも思想的に深みがありそうな哲学的めいた箴言を語る奴であったのか、と思われてしまうと、現物はとてもそんな代物ではありませんので、ぜひとも誤解を解いていただきたく存じます。

というか、ここまでくると、ほとんど捏造の域に達しているようにも思われますが。

 

 

 

 

 

 

 

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コメント

 noteは私も見ていますが、極端な意見の人が目立ちすぎる気がします。
 と言うか、あえてそうしてますよね。
 一応「バランスを取る」ようにアルゴリズムを組んでいる、と言い訳してますが。
 だから私はスマホでフォローした人しか見ないようにしています。
 それすらもげんなりしてますが(^^;

いや、極端な意見ならそれはそれでいいのですが、これって、どう見ても、あんまり出来のよくない生成AIが、例によってもっともらしい出まかせをふかしている典型例のようにしか見えないものですから

 あ、なるほど!
 noteに投稿する人は生成AI頼りの人が多いのかもしれないですね。
 じゃあ、そう言う視点で見てみれば却って面白そうですね。

 ・・・ってそう言う問題ではないですね(^^;

この「書評」のnoteを書いてる人、1日に10本も20本も山のような「書評」を量産しているようなので、生身の人間なら到底不可能な量産ぶりであることからすると、やはり人間業ではなさそうです。

 私もこの「よねさんの読書ナビ」のタイムライン、チラ見しましたが、確かにこれ、怪しいですね。
 誰かが適当に生成AIで書評作ってもらって投稿してるのでしょうか。
 noteは最新のit技術を使っていることを売りにしてるようですが、逆手に取られてるのかもしれないですね。
 
 …どうも怖い世の中になっているようです。

 こちらから辿れるnoteのエントリは、灰色の四角の枠の文章のそばに「賃金とは何か 職務給の蹉跌と所属給の呪縛 (朝日新書)」との記載がありますね。

 私も、これを見て、著書「賃金とは何か」からの引用だと認識しましたが。

 その後、この著書に関するエントリでは、灰色の四角の枠の箇所から、著書のタイトルを表すフレーズが消えたので、指摘が来て、記述法を改善したのかもしれませんね。

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