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2025年6月16日 (月)

年次有給休暇の法政策@『季刊労働法』288号(2025年夏季号)

289_h1768x1095_20250616124001 先日予告した『季刊労働法』288号(2025年夏季号)が届きました。

『季刊労働法』288号(2025年夏季号)の予告

わたくしの連載「労働法の立法学」は、「年次有給休暇の法政策」です。

はじめに
 
 労働法の世界における重要なトピックでありながら、これまでこの連載で取り上げてこなかったテーマに年次有給休暇があります。終戦直後の1947年に労働基準法に規定されてから80年近い年月が流れましたが、その歴史は本来の趣旨とはかけ離れた形に進化(退化?)し続けた過程であり、今日もなおその矛盾の中にあります。
 
1 労働基準法における「年次有給休暇」の成立
2 労働基準法施行規則における時季聴取義務とその削除
3 1987年改正
4 1993年改正と1998年改正
5 2008年改正
6 2018年改正
7 年次有給休暇取得率の推移
8 近年の動き

ちなみに今号で面白かったのは、一番最後の判例解説でした。

条件付採用の地方公務員に対する分限免職処分(本採用拒否)の適法性 宇城市(職員・分限免職)事件(福岡高判令5・11・30労判1310号29頁) 全国市長会副参事 戸谷 雅治

判決では、「B係長及びC主査はXに自らの指導が伝わらないことについて特段の工夫をしていないし、・・・業務以外の話をするなどXとのコミュニケーションを積極的に取ろうとしたとは窺われない」等として、分限免職を違法として取消しを命じていますが、評釈で戸谷さんは、「B係長やC主査が業務以外の話をするなど、Xとのコミュニケーションを積極的に取ろうとしていたとは窺われないとしたことについては、そうした業務以外の話は、現代社会においては私生活への干渉、ひいてはハラスメントなどと受取られるおそれがあり、上司には難しい判断が求められる。始動をする立場にある職員に対して、積極的なコミュニケーションとして業務以外の話までも求めるのは酷に過ぎるように思われる」と批判しています。

拙著『ジョブ型雇用社会とは何か』でも述べたように、ジョブのスキルではなく潜在能力で採用された日本型新入社員は、上司や先輩があたかも教師が生徒を教導するかの如く教え導くのが当然とされ、それもしないでスキルが足りないなどといって解雇することは断固認めないのですが、それこそが「職場の暴力とハラスメント」はどの国にも山のようにありながら、日本では「教育指導とパワハラはどこで線引きするのですか」という他に類を見ない質問ばかりがパワハラ講習会で続出する原因であるわけです。

日本の裁判官は、本事案のような局面では、プライベートにずかずか踏み込んで旧来の日本型メンバーシップで以て部下を指導しろ、それをしないのはけしからんと言っておきながら、また別の局面では、上司といえども部下のプライベートにずかずか踏み込むのは許しがたいと、日本型メンバーシップを批判するものだから、現場の上司は困るんだよね・・・・・というぼやきが聞こえてくるような評釈です。

 

 

 

 

 

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コメント

> プライベートにずかずか踏み込んで旧来の日本型メンバーシップで以て部下を指導しろ
> プライベートにずかずか踏み込むのは許しがたい
> 現場の上司は困るんだよね・・・・・というぼやきが聞こえてくる

中居正広問題(中居は部下じゃないけど)への反応に見られるようなポリコレさん達の言い分には実は法的な由来があるということですかね。それか、ポリコレと裁判官たちによるエコーチャンバーですかね。まあ、当関係は、生徒と担任(学級会)とか、部員と顧問(部活)とかのような契約関係であると判示してるんでしょうね。担任や顧問をやりたがる人がいなくなって来てるようですけどね。

> 業所管官庁といえば親も同然、所管業界といえば子も同然、箸の上げ下ろしからすべて業所管官庁様のご指導の宜しきを得なければ何事もまともに動かない
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2023/12/post-38b221.html

両立してるみたいですね

> 対象に未熟さを見出しその未熟さを根拠として介入を正当化するという論理である。それは集団就職によって新規に産業に参入してきた若年労働者の「若さ」を資源として、対象にあるべき主体への駆動を要請できる「教育のロジック」だった
https://x.com/hahaguma/status/1935468330019864842

> 国際日本文化研究センター(日文研)の指示でジェンダー・フェミニズムに関するカウンセリングを受講いたしました。私は人間文化研究機構・日文研の一連の処分は不当と考えておりますが、このカウンセリングを受講させていただいたことには感謝しております
https://ygoza.hatenablog.com/entry/2022/09/22/103713

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