フォト
2025年6月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
無料ブログはココログ

« 就業確保措置実施済み企業 31.9%@2025年6月1日号 | トップページ | 『とうきょうの自治』136号に拙著書評 »

2025年6月 1日 (日)

ナチス「逆張り」論の陥穽(も一度再掲)

なぜか、この昔のエントリが人気記事ランキングの1位になっていたので、たぶんここで私が語ったことになにがしか意味があったのだろうと思って、再三になりますが再掲しておきたいと思います。

ナチス「逆張り」論の陥穽

As20220524001471_comm 昨日の朝日新聞の15面に、「逆張りの引力」という耕論で3人が登場し、そのうち田野大輔さんが「ナチスは良いこともした」という逆張り論を批判しています。

https://www.asahi.com/articles/ASQ5S4HFPQ5SUPQJ001.html

 私が専門とするナチズムの領域には、「ナチスは良いこともした」という逆張りがかねてより存在します。絶対悪とされるナチスを、なぜそんな風に言うのか。私はそこに、ナチスへの関心とは別の、いくつかの欲求があると感じています。
 ナチスを肯定的に評価する言動の多くは、「アウトバーンの建設で失業を解消した」といった経済政策を中心にしたもので、書籍も出版されています。研究者の世界ではすでに否定されている見方で、著者は歴史やナチズムの専門家ではありません。かつては一部の「トンデモ本」に限られていましたが、今はSNSで広く可視化されるようになっています。・・・

正直、いくつも分けて論じられなければならないことがややごっちゃにされてしまっている感があります。

まずもってナチスドイツのやった国内的な弾圧や虐殺、対外的な侵略や虐殺といったことは道徳的に否定すべき悪だという価値判断と、その経済政策がその同時代的に何らかの意味で有効であったかどうかというのは別のことです。

田野さんが想定する「トンデモ本」やSNSでの議論には、ナチスの経済政策が良いものであったことをネタにして、その虐殺や侵略に対する非難を弱めたりあわよくば賞賛したいというような気持が隠されているのかもしれませんが、いうまでもなくナチスのある時期の経済政策が同時代的に有効であったことがその虐殺や侵略の正当性にいささかでも寄与するものではありません。

それらが「良い政策」ではなかったことは、きちんと学べば誰でも分かります。たとえば、アウトバーン建設で減った失業者は全体のごく一部で、実際には軍需産業 の雇用の方が大きかった。女性や若者の失業者はカウントしないという統計上のからくりもありました。でも、こうやって丁寧に説明しようとしても、「ナチスは良いこともした」という分かりやすい強い言葉にはかなわない。・・・

ナチスの経済政策が中長期的には持続可能でないものであったというのは近年の研究でよく指摘されることですが、そのことと同時代的に、つまりナチスが政権をとるかとらないかという時期に短期的に、国民にアピールするような政策であったか否かという話もやや別のことでしょう。

田野さんは、おそらく目の前にわんさか湧いてくる、ナチスの悪行をできるだけ否定したがる連中による、厳密に論理的には何らつながらないはずの経済政策は良かった(からナチスは道徳的に批判されることはなく良かったのだ)という議論を、あまりにもうざったらしいがゆえに全否定しようとして、こういう言い方をしようとしているのだろうと思われますが、その気持ちは正直分からないではないものの、いささか論理がほころびている感があります。

これでは、ナチスの経済政策が何らかでも短期的に有効性があったと認めてしまうと、道徳的にナチにもいいところがあったと認めなければならないことになりましょう。こういう迂闊な議論の仕方はしない方がいいと思われます。

実をいうと、私はこの問題についてその裏側から、つまりナチスにみすみす権力を奪われて、叩き潰されたワイマールドイツの社会民主党や労働組合運動の視点から書かれた本を紹介したことがあります。

Sturmthal_2-2 連合総研の『DIO』2014年1月号に寄稿した「シュトゥルムタール『ヨーロッパ労働運動の悲劇』からの教訓」です。

https://www.rengo-soken.or.jp/dio/dio289.pdf

・・著者は戦前ヨーロッパ国際労働運動の最前線で活躍した記者で、ファシズムに追われてアメリカに亡命し、戦後は労使関係の研究者として活躍してきた。本書は大戦中の1942年にアメリカで原著が刊行され(1951年に増補した第2版)、1958年に邦訳が岩波書店から刊行されている。そのメッセージを一言でいうならば、パールマンに代表されるアメリカ型労使関係論のイデオロギーに真っ向から逆らい、ドイツ労働運動(=社会主義運動)の悲劇は「あまりにも政治に頭を突っ込みすぎた」からではなく、反対に「政治的意識において不十分」であり「政治的責任を引き受けようとしなかった」ことにあるという主張である。
 アメリカから見れば「政治行動に深入りしているように見える」ヨーロッパ労働運動は、しかしシュトゥルムタールに言わせれば、アメリカ労働運動と同様の圧力団体的行動にとどまり、「真剣で責任ある政治的行動」をとれなかった。それこそが、戦間期ヨーロッパの民主主義を破滅に導いた要因である、というのだ。彼が示すのはこういうことである(p165~167)。

・・・社会民主党と労働組合は、政府のデフレイション政策を変えさせる努力は全然行わず、ただそれが賃金と失業手当を脅かす限りにおいてそれに反対したのである。・・・
・・・しかし彼らは失業の根源を攻撃しなかったのである。彼らはデフレイションを拒否した。しかし彼らはまた、どのようなものであれ平価切り下げを含むところのインフレイション的措置にも反対した。「反インフレイション、反デフレイション」、公式の政策声明にはこう述べられていた。どのようなものであれ、通貨の操作は公式に拒否されたのである。
・・・このようにして、ドイツ社会民主党は、ブリューニングの賃金切り下げには反対したにもかかわらず、それに代わるべき現実的な代案を何一つ提示することができなかったのであった。・・・
社会民主党と労働組合は賃金切り下げに反対した。しかし彼らの反対も、彼らの政策が、ナチの参加する政府を作り出しそうな政治的危機に対する恐怖によって主として動かされていたゆえに、有効なものとはなりえなかった。・・・

 原著が出された1942年のアメリカの文脈では、これはケインジアン政策と社会政策を組み合わせたニュー・ディール連合を作れなかったことが失敗の根源であると言っているに等しい。ここで対比の軸がずれていることがわかる。「悲劇」的なドイツと無意識的に対比されているのは、自覚的に圧力団体的行動をとる(AFLに代表される)アメリカ労働運動ではなく、むしろそれとは距離を置いてマクロ的な経済社会改革を遂行したルーズベルト政権なのである。例外的に成功したと評価されているスウェーデンの労働運動についての次のような記述は、それを確信させる(p198~199)。

・・・しかし、とスウェーデンの労働指導者は言うのであるが、代わりの経済政策も提案しないでおいて、デフレ政策の社会的影響にのみ反対するばかりでは十分ではない。不況は、低下した私的消費とそれに伴う流通購買力の減少となって現れたのであるから、政府が、私企業の不振を公共支出の増加によって補足してやらなければならないのである。・・・
それゆえに、スウェーデンの労働指導者は、救済事業としてだけでなく、巨大な緊急投資として公共事業の拡大を主張したのである。・・・

 ここで(ドイツ社会民主党と対比的に)賞賛されているのは、スウェーデン社会民主党であり、そのイデオローグであったミュルダールたちである。原著の文脈はあまりにも明らかであろう。・・・

田野さんからすれば「「良い政策」ではなかったことは、きちんと学べば誰でも分かります」の一言で片づけられてしまうナチスの経済政策は、しかし社会民主党やその支持基盤であった労働運動からすれば、本来自分たちがやるべきであった「あるべき社会民主主義的政策」であったのにみすみすナチスに取られてしまい、結果的に民主的勢力を破滅に導いてしまった痛恨の一手であったのであり、その痛切な反省の上に戦後の様々な経済社会制度が構築されたことを考えれば、目の前のおかしなトンデモ本を叩くために、「逆張り」と決めつけてしまうのは、かえって危険ではないかとすら感じます。

悪逆非道の徒は、そのすべての政策がとんでもない無茶苦茶なものばかりを纏って登場してくるわけではありません。

いやむしろ、その政策の本丸は許しがたいような非道な政治勢力であっても、その国民に向けて掲げる政策は、その限りではまことにまっとうで支持したくなるようなものであることも少なくありません。

悪逆無道の輩はその掲げる政策の全てが悪逆であるはずだ、という全面否定主義で心を武装してしまうと、その政策に少しでもまともなものがあれば、そしてそのことが確からしくなればなるほど、その本質的な悪をすら全面否定しがたくなってしまい、それこそころりと転向してしまったりしかねないのです。田野さんの議論には、そういう危険性があるのではないでしょうか。

まっとうな政策を(も)掲げている政治勢力であっても、その本丸が悪逆無道であれば悪逆無道に変わりはないのです。

繰り返します。

悪逆非道の徒は、そのすべての政策がとんでもない無茶苦茶なものばかりを纏って登場してくるわけではありません。

まっとうな政策を(も)掲げている政治勢力であっても、その本丸が悪逆無道であれば悪逆無道に変わりはないのです。

悪逆無道の輩はその掲げる政策の全てが悪逆であるはずだ、という全面否定主義で心を武装してしまうと、その政策に少しでもまともなものがあれば、そしてそのことが確からしくなればなるほど、その本質的な悪をすら全面否定しがたくなってしまい、それこそころりと転向してしまったりしかねないのです。

 

« 就業確保措置実施済み企業 31.9%@2025年6月1日号 | トップページ | 『とうきょうの自治』136号に拙著書評 »

コメント

まったくもってその通りだと思います。

今欧米の民主主義諸国でトランプ率いる共和党、ルペン率いる国民連合、ドイツにおけるドイツのための選択肢が擡頭したのかを考察するうえでも当時の社会民主主義勢力がナチスを阻止できなかった歴史的事実に反面教師として学ぶ必要があると思います。

 最初に掲載されていたのが、2022年5月でしたか。トランプ再選という「大惨事」を挟んだ今現在の時点で、もう1回読み返してみると、やはり身につまされますね。
   昨2024年における、米民主党の国政選挙への取り組みは、「トランプ政権誕生という政治的危機に対する恐怖によって主として動かされていたゆえに、有効なものとはなりえなかった」ことは明白でした。
 現在および将来の生活不安におびえる、労働者階級および多くの中産階級に希望をもたらし、移民、有色人種、ヒスパニック、セクシャルマイノリティ、等々を広汎に巻き込むことができる社会経済政策を全面的にうちだして「新ニューディール連合」を形成することが、唯一の勝利への道だった筈です。
 米民主党は、今回の敗北を教訓として、次につなげることができるのか、引き続き注視していきたいと思います。

先月、アベノミクスを提唱したアメリカのノーベル経済学賞受賞者のスティグリッツ教授の「プログレッシブ・キャピタリズム」を読みました。

https://str.toyokeizai.net/books/9784492315231/

この本は第1次トランプ政権の誕生を受けて書かれたものですが、内容は今も古くなっていません。
富裕層が経済成長のもたらした富を独り占めし、格差を拡大してきたかが余すところなく書かれています。
そして累進所得課税、大企業への課税、反トラスト法の強化、オバマ・ケアの復活、労働法制を労働者側に有利に改正する、など民主党が訴えるべきであった政策が書かれています。

スティグリッツ教授は2011年の「ウォール街を占拠せよ」運動にも強い影響を与えたと言われています。

スティグリッツ教授の唱えた政策をどうして民主党は強力に唱えなかったのか残念でなりません。
やっぱりピケティ教授の言うところの「バラモン左翼」が民主党を乗っ取っていたからでしょうね。

なお、スティグリッツ教授もピケティ教授の理論を強く支持しています。

SATO殿

>現在および将来の生活不安におびえる、労働者階級および多くの中産階級に希望をもたらし、移民、有色人種、ヒスパニック、セクシャルマイノリティ、等々を広汎に巻き込むことができる社会経済政策を全面的にうちだして

私もそのような政策を打ち出してほしいと思いますが現実としてはかなり困難だと思います。
古き良きアメリカでは多数の普通の人々が額に汗して鉄鋼や洗濯機やTシャツを作って経済が成り立っていたと思います。しかし現在のアメリカではごく少数の極めて優秀な人々が空調の効いた部屋で端末を叩いて金融取引をしたりAIの研究をしたりAIチップの設計をして経済が成り立っています。このような経済になった事でアメリカ経済は非常に好調です。しかし問題は経済が好調でパイ全体は大きくなっていますが、大きくなった分はごく少数の極めて優秀な人々が取ってしまい大多数の普通の人々には恩恵が回ってこない事だと思います。このような格差の拡大は社会民主主義的な再分配政策によって対応すべきだと思いますが、アメリカでは社会民主主義を共産主義と同一視する人も多いそうなので再分配政策の賛同も得にくいのかもしれません。
このブログの以前の記事で
  民主党が敗北したのは労働者に寄り添わなかった事が原因である
という意見を紹介していましたが、私にはよく理解できません。
私は民主党政権の経済政策が多くの労働者を満足させられなかったのは、
  A) アメリカ経済はごく少数の極めて優秀な人を中心にしていて、しかもそれにより全体としては大成功を収めている
  B)格差を是正する社会民主主義的な再分配政策には反対する国民が多い
事が原因であって
  労働者に寄り添わなかった
事が原因ではないと思います。私はどんな政権でもA)B)の条件が変わらなければ、どんなに労働者に寄り添っても多くの労働者を満足させられる経済政策は困難だと思います。トランプ政権は民主党政権よりも”労働者に寄り添っている”かもしれませんが、その経済政策(高関税による輸入制限と国内雇用の増加)は酷いものだと思います。
経済学は医学と同様に厳密ではなくても法則が存在し、多くの問題点に対してそれへの対処方法がある程度確立しています。そして問題点と対処方法の関係は相手に寄り添う事とは関係ないと思います。
上手い例えではないかもしれませんが、現在のアメリカ経済は
  重度のがん患者が不愛想だが真面目な担当医が懸命に行う標準治療で症状が改善しないので
  患者に寄り添うと評判のクリニックに転院して医師に勧められたキノコの煮汁を飲んでいる
という状況だと思います。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 就業確保措置実施済み企業 31.9%@2025年6月1日号 | トップページ | 『とうきょうの自治』136号に拙著書評 »