トランプの学術攻撃:大学自身にも責めがある?@ボー・ロトステイン
久しぶりにソーシャル・ヨーロッパから、ボー・ロトステインのエッセイを。題して「トランプの学術攻撃:大学自身にも責めがある?」
Trump’s Attacks on Academia: Is the U.S. University System Itself to Blame?
冒頭はトランプのやってるあれやこれやのひどさの話ですが、そこから話が大学自身に向かいます。
However, there is reason to question whether American universities themselves bear some responsibility for this dreadful situation.
しかし、アメリカの大学自身がこの悲惨な状況に何らかの責任があるのではないかと問うべき理由がある。
アメリカの大学には傑出した政治学者や経済学者が山のようにいるけれども、
Given these facts, it is obvious that both economists and political scientists in the United States have failed miserably in conveying their fundamental insights to a very large segment of the electorate. To put it bluntly, the country with the world’s best political scientists and economists has not only elected its “worst” president, from the perspective of what constitutes quality of government, but also a president who pursues the “worst” trade policy economists can imagine. What are the reasons for this calamity? One answer is that American economists and political scientists have not taken sufficient responsibility for communicating their fundamental insights to the public.
とすると、アメリカの経済学者も政治学者も彼らの基本的な洞察を選挙民の最大多数に送り込むことに惨めに失敗したことは明らかだ。露骨に言えば、世界最高の政治学者と経済学者を有する国は、政府の質を構成する観点から「最悪」の大統領を選んだだけではなく、想像しうる「最悪」の通商政策を追求する大統領を選んだのだ。この惨禍の理由は何か?一つの答えは、アメリカの経済学者や政治学者が彼らの基本的洞察を公衆にコミュニケートすることに十分な責任を果たしてこなかったことだ。
The Scottish-American economist Angus Deaton, who has been at Princeton University since 1983 and received the Nobel Memorial Prize in Economic Sciences in 2015, has argued that despite their strong position, “the great American universities are not blameless. They have long been dangerously isolated from the society in which they are located and which ultimately supports them.” He pointed out that this isolation has led many with lower education to view universities as serving only an economic and social elite, while their relative economic and social situation has deteriorated significantly.
ノーベル経済学賞受賞者のアンガス・ディートンは、「偉大なアメリカの大学には責めがないわけではない。彼らは長らく危険なまでに、彼らがそこに位置し、究極的には彼らを支える社会から孤立してきた」と論じた。彼が指摘するように、この孤立は多くの低学歴者たちに、彼らの経済社会状況が著しく悪化している一方で、大学を経済的社会的エリートと見るように導いた。
Another prominent figure who has highlighted this problem is the leading liberal writer Nicholas Kristof. In an article in The New York Times, he emphatically called for increased participation in the public debate by the American research community. He contended that career conditions for younger researchers only reward publication in the highest-ranking but most inaccessible academic journals, while informing the public debate about research results does not count. He argued that too many researchers had marginalised themselves and concluded his article by stating that “my onetime love, political science, is a particular offender and seems to be trying, in terms of practical impact, to commit suicide.”
この問題を強調するもう一人の著名人はニコラス・クリストフだ。ニューヨークタイムズ紙の記事で彼は熱心にアメリカの学者共同体が公衆の議論に参加することを呼びかけている。彼が言うには、若い研究者のキャリア条件は最高レベルだがほとんどアクセス不可能なアカデミックジャーナルへの公刊のみに報酬を与え、研究結果を公衆の議論に提供することはなんら評価されない。彼は、あまりにも多くの研究者たちが彼ら自身をマージナル化してきたと論じ、「私のかつての恋人だった政治学は、とりわけ犯罪的で、実際の効果という意味では、自殺にコミットしているように見える」と結論付けている。
いやいや、ポール・クルーグマンとか活躍してるじゃん、とか思うけれども、でもアカデミズムの圧倒的大部分はそういうことなんでしょうね。
大衆から乖離したインテリの悲劇、というと月並みな感じですが、でも、ハーバード大学への補助金をやめて訓練校に金を回すというのに喝采する大衆にこそ、メッセージが届かなければ、大学自体が成り立たないのだよ、というのは確かでしょう。
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ほとんど誰も気にしていない日本学術会議の件にについても同様の指摘ができそうですね。
投稿: 希流 | 2025年6月11日 (水) 08時40分
学術会議の問題については、私は、学術会議をめぐる争点が、完全に戦後日本の「1955年体制~ネオ55年体制」という政治構造(境家史郎先生の「戦後日本政治史」(中公新書)参照)に組み込まれてしまい、与党案への反対派は、しょせん、政権担当能力のない、無責任野党の立場を代弁しているにすぎない、とみなされてしまっている、という理由が大きい、と考えています。
「減税」と「反軍=護憲」しか主張できない、「浮遊するリベラル=拠点なきリベラル」がどうなろうが、しょせん庶民に関係のない、綺麗事を言っている人達のことであって、俺たちの生活に全く関係のない話だよね、ということですね。
投稿: SATO | 2025年6月11日 (水) 13時15分
>>アメリカの経済学者も政治学者も彼らの基本的な洞察を選挙民の最大多数に送り込むことに惨めに失敗したことは明らかだ。露骨に言えば、世界最高の政治学者と経済学者を有する国は、政府の質を構成する観点から「最悪」の大統領を選んだだけではなく、想像しうる「最悪」の通商政策を追求する大統領を選んだのだ。この惨禍の理由は何か?一つの答えは、アメリカの経済学者や政治学者が彼らの基本的洞察を公衆にコミュニケートすることに十分な責任を果たしてこなかったことだ。
いや、主流派経済学者の推奨する通商政策が消費者としての利益を最大化(ただし分配の問題も無視している)するものであって、労働者としての利益を考慮するものではないというのが根本的な問題ですからねえ。単なるコミュニケーションの問題ではないでしょう。主流派経済学自身に価値判断上の偏りがあるのは否めない。
もちろんそれはトランプの関税政策が当然に正しいということは意味しない。トランプの政策は労働者としての国民の利益を増大させようというものだが、消費者としての利益を犠牲にするものなので、このトレードオフをアメリカ国民がどこまで受け入れられるかが問題である。すでにかなりの部分トランプは関税引き上げを撤回しているので、このことは明らかであろう。消費者としての利益と労働者としての利益のトレードオフ問題は、最終的には戦争による民意の統合によってしか解決できないのかもしれない。
政治学は、アメリカのポリサイに現下の政治状況について有意味なインプリケーションの導出を期待するのは無理があろう。
根本的にアメリカの社会科学は行き詰まっているのだ。結局、世界中から人材と資金をかき集めて研究に投下するというやり方は、理系の実験系の学問では一定のパフォーマンスを出せても(実験をすれば一定の結果はでるであろうから)、社会科学や人文学ではあまり意味をもたない。しょーもない業績稼ぎの論文が量産されるだけになるのであろう。
>>若い研究者のキャリア条件は最高レベルだがほとんどアクセス不可能なアカデミックジャーナルへの公刊のみに報酬を与え、研究結果を公衆の議論に提供することはなんら評価されない
という状況は科学技術の発展という意味では問題がないのであろうが、社会科学や人文学では、害のほうが大きかったのであろう。
アメリカの大学の危機は、結局のところパクス=アメリカーナの危機を意味しているというべきである。それはもはやアメリカの一般国民に恩恵をもたらさないどころか、むしろマイナスをもたらすものになり果てているのだから、当然のことではある。
日本の大学政策はアメリカの猿真似に終始してきたが、それは日本の知的基盤の崩壊という結末をもたらした。日本もポスト・パクス=アメリカーナを構想すべき段階に来ているのであろう。
投稿: 通りすがり2号 | 2025年6月11日 (水) 19時47分
ピケティのバラモン左翼論と通じるものがありますね
投稿: いけだ | 2025年6月11日 (水) 20時12分
>いやいや、ポール・クルーグマンとか活躍してるじゃん、とか思うけれども、でもアカデミズムの圧倒的大部分はそういうことなんでしょうね。
ポール・クルーグマン、そしてジョセフ・スティグリッツ両教授はノーベル経済学賞を受賞しています。つまり功成り名遂げた人と言う事で、アカデミズムからは半分引退した感じですね。だからクルーグマン教授がニューヨークタイムズやブログ、スティグリッツ教授が日本で徳間書店から出ていた経済エッセイを書いて多少は社会に知られていたわけです。
おまけにアメリカの経済学者の大半はミクロ経済学、それも市場重視の人たちであるのも大きい。
クルーグマン、スティグリッツ両教授はケインジアン寄りでアメリカでは少数派の経済学者ですから。
だからピケティ先生もフランスに逃げ帰って元同僚たちをバラモン左翼!とこき下ろしているのでしょう。
投稿: balthazar | 2025年6月11日 (水) 21時52分