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2025年6月

2025年6月10日 (火)

トランプの学術攻撃:大学自身にも責めがある?@ボー・ロトステイン

Borothstein150x150 久しぶりにソーシャル・ヨーロッパから、ボー・ロトステインのエッセイを。題して「トランプの学術攻撃:大学自身にも責めがある?」

Trump’s Attacks on Academia: Is the U.S. University System Itself to Blame?

冒頭はトランプのやってるあれやこれやのひどさの話ですが、そこから話が大学自身に向かいます。

However, there is reason to question whether American universities themselves bear some responsibility for this dreadful situation. 

しかし、アメリカの大学自身がこの悲惨な状況に何らかの責任があるのではないかと問うべき理由がある。

アメリカの大学には傑出した政治学者や経済学者が山のようにいるけれども、

Given these facts, it is obvious that both economists and political scientists in the United States have failed miserably in conveying their fundamental insights to a very large segment of the electorate. To put it bluntly, the country with the world’s best political scientists and economists has not only elected its “worst” president, from the perspective of what constitutes quality of government, but also a president who pursues the “worst” trade policy economists can imagine. What are the reasons for this calamity? One answer is that American economists and political scientists have not taken sufficient responsibility for communicating their fundamental insights to the public.

とすると、アメリカの経済学者も政治学者も彼らの基本的な洞察を選挙民の最大多数に送り込むことに惨めに失敗したことは明らかだ。露骨に言えば、世界最高の政治学者と経済学者を有する国は、政府の質を構成する観点から「最悪」の大統領を選んだだけではなく、想像しうる「最悪」の通商政策を追求する大統領を選んだのだ。この惨禍の理由は何か?一つの答えは、アメリカの経済学者や政治学者が彼らの基本的洞察を公衆にコミュニケートすることに十分な責任を果たしてこなかったことだ。

 The Scottish-American economist Angus Deaton, who has been at Princeton University since 1983 and received the Nobel Memorial Prize in Economic Sciences in 2015, has argued that despite their strong position, “the great American universities are not blameless. They have long been dangerously isolated from the society in which they are located and which ultimately supports them.” He pointed out that this isolation has led many with lower education to view universities as serving only an economic and social elite, while their relative economic and social situation has deteriorated significantly.

ノーベル経済学賞受賞者のアンガス・ディートンは、「偉大なアメリカの大学には責めがないわけではない。彼らは長らく危険なまでに、彼らがそこに位置し、究極的には彼らを支える社会から孤立してきた」と論じた。彼が指摘するように、この孤立は多くの低学歴者たちに、彼らの経済社会状況が著しく悪化している一方で、大学を経済的社会的エリートと見るように導いた。

Another prominent figure who has highlighted this problem is the leading liberal writer Nicholas Kristof. In an article in The New York Times, he emphatically called for increased participation in the public debate by the American research community. He contended that career conditions for younger researchers only reward publication in the highest-ranking but most inaccessible academic journals, while informing the public debate about research results does not count. He argued that too many researchers had marginalised themselves and concluded his article by stating that “my onetime love, political science, is a particular offender and seems to be trying, in terms of practical impact, to commit suicide.”

この問題を強調するもう一人の著名人はニコラス・クリストフだ。ニューヨークタイムズ紙の記事で彼は熱心にアメリカの学者共同体が公衆の議論に参加することを呼びかけている。彼が言うには、若い研究者のキャリア条件は最高レベルだがほとんどアクセス不可能なアカデミックジャーナルへの公刊のみに報酬を与え、研究結果を公衆の議論に提供することはなんら評価されない。彼は、あまりにも多くの研究者たちが彼ら自身をマージナル化してきたと論じ、「私のかつての恋人だった政治学は、とりわけ犯罪的で、実際の効果という意味では、自殺にコミットしているように見える」と結論付けている。

いやいや、ポール・クルーグマンとか活躍してるじゃん、とか思うけれども、でもアカデミズムの圧倒的大部分はそういうことなんでしょうね。

大衆から乖離したインテリの悲劇、というと月並みな感じですが、でも、ハーバード大学への補助金をやめて訓練校に金を回すというのに喝采する大衆にこそ、メッセージが届かなければ、大学自体が成り立たないのだよ、というのは確かでしょう。

 

 

 

 

 

2025年6月 8日 (日)

『季刊労働法』288号(2025年夏季号)の予告

289_h1768x1095 『季刊労働法』288号(2025年夏季号)の予告が労働開発研究会のHPにアップされたようなので、こちらでも紹介しておきます。

https://www.roudou-kk.co.jp/books/quarterly/13057/

特集 カスタマーハラスメントの法規制

カスタマーハラスメントに対する規制の動向(条例制定と法改正の動向) 成蹊大学教授 原 昌登

カスタマーハラスメントに係る裁判例の動向と法的論点 大東文化大学准教授 滝原 啓允

「カスタマーハラスメント」に関する海外の法的議論―フランス及びカナダ・ケベック州を素材に― 東京大学社会科学研究所准教授 日原 雪恵

UA ゼンセンからみたカスハラ対策の課題 UAゼンセン流通部門執行委員 佐藤 宏太

【第2特集】競業避止特約をめぐる労働法と競争法―イギリスと日本

本特集の趣旨 早稲田大学名誉教授 石田 眞

労働市場の買手独占と競業避止特約:労働法を活かせるか? エディンバラ大学教授 デイヴィッド・カブレリ (訳:慶應義塾大学講師 林 健太郎)

David Cabrelli 教授の報告に対するコメント 専修大学教授 石田 信平

石田信平教授のコメントへの応答 エディンバラ大学教授 デイヴィッド・カブレリ (訳:慶應義塾大学講師 林 健太郎)

契約終了後の競業避止契約に対する法規制 ―独禁法と公序規制との関係に関する一考察 専修大学教授 石田 信平

■論 説■

労働者等の動員体制と国家緊急権 九州大学名誉教授 野田 進

ドイツ法における性的アイデンティティを理由とする差別の禁止 立正大学教授 高橋 賢司

イギリスにおける労働分野の契約の義務の相互性とコントロール概念の展開 ―Uber 事件最高裁判決のその後のその後 九州大学准教授 新屋敷 恵美子

問題提起―猛暑と労働 岐阜大学教授 河合 塁

労働紛争の調整的解決と強行規定 ―公的紛争解決機関の行為規範に関する一試論― 神戸大学教授 大内 伸哉

■集中連載■ 比較法研究・職場における健康と男女の性差(第2回)

ドイツにおける妊娠に関連する労働不能と賃金継続支払法 ―セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツに着目して 北九州市立大学准教授 岡本 舞子

■要件事実で読む労働判例―主張立証のポイント 第12回■

異動命令の有効性と職種限定の合意に関する要件事実 ―社会福祉法人滋賀県社会福祉協議会事件(最二小判令和6・4・26労判1308号5頁)を素材に 弁護士 鈴木 みなみ

■イギリス労働法研究会 第47回■

イギリス個別労働紛争処理における調整的解決と判定的解決の連携 ―ACAS 早期あっせんによる調整的解決の意義― 同志社大学大学院法学研究科 谷川 葉純

■アジアの労働法と労働問題 第58回■

マレーシアにおける複数組合併存問題 神戸大学名誉教授 香川孝三

■労働法の立法学 第74回■

年次有給休暇の法政策 労働政策研究・研修機構労働政策研究所長 濱口 桂一郎

■重要労働判例解説■

職種限定範囲を超える当該職種廃止に伴う違法な職種変更命令の法的責任 社会福祉法人滋賀県社会福祉協議会(差戻審)事件(大阪高判令7・1・23労判1326号5頁) 専修大学教授 長谷川 聡

条件付採用の地方公務員に対する分限免職処分(本採用拒否)の適法性 宇城市(職員・分限免職)事件(福岡高判令5・11・30労判1310号29頁) 全国市長会副参事 戸谷 雅治

わたくしの連載は、今回は「年次有給休暇の法政策」です。

2025年6月 4日 (水)

日本の賃上げはなぜ難しいのか?@『Voice』2025年7月号

拙稿「日本の賃上げはなぜ難しいのか?」が掲載されている『Voice』2025年7月号は6月6日(金)発売予定です。

https://www.php.co.jp/magazine/voice/

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公益通報者保護法改正案への反対票を投じたのは

本日、参議院本会議で労働施策総合推進法等の改正案(カスハラ関係等)が成立しましたが、同時に公益通報者保護法改正案も成立しました。

で、参議院のホームページで投票結果を見ると、前者は賛成216票、反対18票で、反対しているのは日本共産党、れいわ新選組、NHKから国民を守る党、及び無所属の神谷宗幣議員(参政党)で、まあそんなところだろうな、というところです。

https://www.sangiin.go.jp/japanese/touhyoulist/217/217-0604-v003.htm

面白いのは、後者(公益通報者保護法改正案)への賛否で、賛成232票、反対2票と、前者に反対した党もこちらでは賛成に回っているのが多いのですが、そういう大勢に反して、断固反対を貫いているのは、NHKから国民を守る党の二人ですね。

https://www.sangiin.go.jp/japanese/touhyoulist/217/217-0604-v002.htm

そこはやっぱりそうなるか、と思いました。

 

 

労働基準法の「労働者性」、40年ぶり見直しで何が変わるか 濱口桂一郎氏に聞く@弁護士ドットコムニュース

Bengoshi 弁護士ドットコムニュースに「労働基準法の「労働者性」、40年ぶり見直しで何が変わるか」というインタビュー記事が掲載されました。インタビュワーは有馬知子さんです。

労働基準法の「労働者性」、40年ぶり見直しで何が変わるか 濱口桂一郎氏に聞く

人間ではなく、アルゴリズムが提示したルートに基づいて、飲食物などを配達するウーバーイーツ配達員のように、プラットフォームワーカーと呼ばれる人たちが世界的に増えている。

彼らは、労働法で保護される労働者なのか、それとも、自営業者なのか。労働基準法の「労働者性」については、40年前に厚労省の研究会で議論されたものが今でもベースとなっているが、再検討のタイミングを迎えており、厚労省は今年5月、「労働者性」について議論するための研究会「労働基準法における『労働者』に関する研究会」を立ち上げた。

今回の研究会の意義や、「労働者性」の再検討が働き手にどのような影響を及ぼし得るのか、労働政策研究・研修機構(JILPT)の濱口桂一郎研究所長に聞いた。(ライター・有馬知子)

 

 

 

「戦後80年を問う」(8) 戦後日本型雇用システムの諸問題@日本記者クラブ

1061a49c12884ef787c2b4d1f0eba857 昨日、日本記者クラブで、「戦後80年を問う」というシリーズの題8回目として、「戦後日本型雇用システムの諸問題」というタイトルでお話をしてきました。

https://www.jnpc.or.jp/archive/conferences/36979/report

早速、YOUTUBEに動画がアップされているようなので、毎度おなじみの話ではありますが、関心のある方はどうぞ。

1時間ほど私が喋った後、多くの方が次々に質問をされたので、50分くらい質疑応答が続きます。

https://youtu.be/mWp6EVIWDLo?si=g-rEd66U-i6FRwAS

 

 

 

2025年6月 3日 (火)

水島治郎編『アウトサイダー・ポリティクス』

427a7005d8fb4e3cbd0a2d91188217b3 水島治郎編『アウトサイダー・ポリティクス ポピュリズム時代の民主主義』(岩波書店)をお送りいただきました。ありがとうございます。

https://www.iwanami.co.jp/book/b10134164.html

トランプ再選、欧州右翼政党の主流化、「れいわ」躍進……。既成政治を批判し、その周縁から躍進するアウトサイダーの政治家たち。日米欧にとどまらず、ラテンアメリカ、東南アジアにも視野を広げ、世界を揺るがすアウトサイダー政治の「見取り図」を、各国政治研究の第一人者たちが描く、現代政治を理解するための必読書。

ポピュリズムの比較政治ですが、本書の特徴はヨーロッパ諸国に加えてアメリカ、中南米、フィリピン、日本まで視野を広げて分析しているところです。

はじめに アウトサイダーの時代なのか……………水島治郎 

第Ⅰ部 現代政治をどう見るか

 第一章 欧州ポピュリスト政党の多様性――概念設定と比較分析
     ……………古賀光生
 第二章 西ヨーロッパにおける自由化・市場化の進展と
     反移民急進右翼政党の「主流化」
     ――世紀転換期の民衆層急進化の政治史に向けて
     ……………中山洋平
 第三章 「アウトサイダー」時代のメディアと政治
     ――脱正統化される「二〇世紀の主流派連合」
     ……………水島治郎

第Ⅱ部 転回するヨーロッパ政治――既成政治の融解

 第四章 英国における左右のポピュリズムの明暗
     ――問われる統治力と応答力
     ……………今井貴子
 第五章 右翼政党「ドイツのための選択肢(AfD)」の「主流化」
     ――若者と旧東ドイツにおける支持とその背景
     …………… 野田 昌吾
 第六章 アウトサイダーのジレンマ
     ――イタリアにおける五つ星運動の政治路線
     ……………伊藤 武
 第七章 フランスから見た
     「ヨーロッパの極右・ポピュリスト政党」
     ……………土倉莞爾
 第八章 鼎立するベルギーのポピュリズム
     ……………柴田拓海
 第九章 福祉の代替か、アートの拠点か、犯罪か
     ――オランダにおける空き家占拠運動の六〇年
     ……………作内由子

第Ⅲ部 環太平洋世界はいま――交錯する新旧の政治

 第一〇章 トランプ派の「メインストリーム化」と民主党の「過激化」?
     ――二〇二四年アメリカ大統領選挙の分析
     ……………西山隆行
 第一一章 なぜラテンアメリカの人びとは「異端者」を選ぶのか?
     ……………上谷直克
 第一二章 フィリピン――食いものにされる「変革」への希望
     ……………日下 渉
 第一三章 れいわ新選組を阻む壁
     ――日本の左派ポピュリズム政党の限界
     ……………中北浩爾
 第一四章 ポピュリズムへの防波堤としての参議院
     ――郵政民営化・日本維新の会・希望の党と第二院
     ……………高宮秀典

 おわりに……………水島治郎

各国編の中では、やはりかつて暮らしたベルギーの章が面白かったですね。ワロンとフランデレンの対立図式の中でポピュリズムの三つ巴が生み出されるというのは、なるほどと思います。

最後に二つ並んでいる日本の考察が結構面白いです。特に、参議院がポピュリズムの防波堤になる例として、旧民主党系における労組系議員の集まる参議院の役割が提示されているのもなるほどという感じでした。

本日ちょうど韓国で大統領選が行われているからというわけでもないですが、この第Ⅲ部の諸国に入っていてもおかしくないのが、韓国だったようにも思います。

 

 

 

2025年6月 2日 (月)

『とうきょうの自治』136号に拙著書評

Tokyo 公益社団法人東京自治研究センターが出している『とうきょうの自治』136号(2025年春号)に、拙著『賃金とは何か』の書評が載っています。

評者の乙幡洋一さんは、「公務員のためいき」というブログを書かれている方で、そこでも今年の二月に丁寧な書評を書いていただいておりました。

『賃金とは何か』を読み終えて

今回もその最後に、このように深読みしていただいています。

・・・ジョブ型とは何か、定期昇給の本質的な仕組みなど、少しでも正しく理解した上で今後の賃金制度論議につなげて欲しい。このような著者の思いを感じ取っていた。また、直接的な言葉は見受けられないが、日本の労働組合に対する叱咤激励が込められた内容だったようにも思っている。 

 

 

2025年6月 1日 (日)

ナチス「逆張り」論の陥穽(も一度再掲)

なぜか、この昔のエントリが人気記事ランキングの1位になっていたので、たぶんここで私が語ったことになにがしか意味があったのだろうと思って、再三になりますが再掲しておきたいと思います。

ナチス「逆張り」論の陥穽

As20220524001471_comm 昨日の朝日新聞の15面に、「逆張りの引力」という耕論で3人が登場し、そのうち田野大輔さんが「ナチスは良いこともした」という逆張り論を批判しています。

https://www.asahi.com/articles/ASQ5S4HFPQ5SUPQJ001.html

 私が専門とするナチズムの領域には、「ナチスは良いこともした」という逆張りがかねてより存在します。絶対悪とされるナチスを、なぜそんな風に言うのか。私はそこに、ナチスへの関心とは別の、いくつかの欲求があると感じています。
 ナチスを肯定的に評価する言動の多くは、「アウトバーンの建設で失業を解消した」といった経済政策を中心にしたもので、書籍も出版されています。研究者の世界ではすでに否定されている見方で、著者は歴史やナチズムの専門家ではありません。かつては一部の「トンデモ本」に限られていましたが、今はSNSで広く可視化されるようになっています。・・・

正直、いくつも分けて論じられなければならないことがややごっちゃにされてしまっている感があります。

まずもってナチスドイツのやった国内的な弾圧や虐殺、対外的な侵略や虐殺といったことは道徳的に否定すべき悪だという価値判断と、その経済政策がその同時代的に何らかの意味で有効であったかどうかというのは別のことです。

田野さんが想定する「トンデモ本」やSNSでの議論には、ナチスの経済政策が良いものであったことをネタにして、その虐殺や侵略に対する非難を弱めたりあわよくば賞賛したいというような気持が隠されているのかもしれませんが、いうまでもなくナチスのある時期の経済政策が同時代的に有効であったことがその虐殺や侵略の正当性にいささかでも寄与するものではありません。

それらが「良い政策」ではなかったことは、きちんと学べば誰でも分かります。たとえば、アウトバーン建設で減った失業者は全体のごく一部で、実際には軍需産業 の雇用の方が大きかった。女性や若者の失業者はカウントしないという統計上のからくりもありました。でも、こうやって丁寧に説明しようとしても、「ナチスは良いこともした」という分かりやすい強い言葉にはかなわない。・・・

ナチスの経済政策が中長期的には持続可能でないものであったというのは近年の研究でよく指摘されることですが、そのことと同時代的に、つまりナチスが政権をとるかとらないかという時期に短期的に、国民にアピールするような政策であったか否かという話もやや別のことでしょう。

田野さんは、おそらく目の前にわんさか湧いてくる、ナチスの悪行をできるだけ否定したがる連中による、厳密に論理的には何らつながらないはずの経済政策は良かった(からナチスは道徳的に批判されることはなく良かったのだ)という議論を、あまりにもうざったらしいがゆえに全否定しようとして、こういう言い方をしようとしているのだろうと思われますが、その気持ちは正直分からないではないものの、いささか論理がほころびている感があります。

これでは、ナチスの経済政策が何らかでも短期的に有効性があったと認めてしまうと、道徳的にナチにもいいところがあったと認めなければならないことになりましょう。こういう迂闊な議論の仕方はしない方がいいと思われます。

実をいうと、私はこの問題についてその裏側から、つまりナチスにみすみす権力を奪われて、叩き潰されたワイマールドイツの社会民主党や労働組合運動の視点から書かれた本を紹介したことがあります。

Sturmthal_2-2 連合総研の『DIO』2014年1月号に寄稿した「シュトゥルムタール『ヨーロッパ労働運動の悲劇』からの教訓」です。

https://www.rengo-soken.or.jp/dio/dio289.pdf

・・著者は戦前ヨーロッパ国際労働運動の最前線で活躍した記者で、ファシズムに追われてアメリカに亡命し、戦後は労使関係の研究者として活躍してきた。本書は大戦中の1942年にアメリカで原著が刊行され(1951年に増補した第2版)、1958年に邦訳が岩波書店から刊行されている。そのメッセージを一言でいうならば、パールマンに代表されるアメリカ型労使関係論のイデオロギーに真っ向から逆らい、ドイツ労働運動(=社会主義運動)の悲劇は「あまりにも政治に頭を突っ込みすぎた」からではなく、反対に「政治的意識において不十分」であり「政治的責任を引き受けようとしなかった」ことにあるという主張である。
 アメリカから見れば「政治行動に深入りしているように見える」ヨーロッパ労働運動は、しかしシュトゥルムタールに言わせれば、アメリカ労働運動と同様の圧力団体的行動にとどまり、「真剣で責任ある政治的行動」をとれなかった。それこそが、戦間期ヨーロッパの民主主義を破滅に導いた要因である、というのだ。彼が示すのはこういうことである(p165~167)。

・・・社会民主党と労働組合は、政府のデフレイション政策を変えさせる努力は全然行わず、ただそれが賃金と失業手当を脅かす限りにおいてそれに反対したのである。・・・
・・・しかし彼らは失業の根源を攻撃しなかったのである。彼らはデフレイションを拒否した。しかし彼らはまた、どのようなものであれ平価切り下げを含むところのインフレイション的措置にも反対した。「反インフレイション、反デフレイション」、公式の政策声明にはこう述べられていた。どのようなものであれ、通貨の操作は公式に拒否されたのである。
・・・このようにして、ドイツ社会民主党は、ブリューニングの賃金切り下げには反対したにもかかわらず、それに代わるべき現実的な代案を何一つ提示することができなかったのであった。・・・
社会民主党と労働組合は賃金切り下げに反対した。しかし彼らの反対も、彼らの政策が、ナチの参加する政府を作り出しそうな政治的危機に対する恐怖によって主として動かされていたゆえに、有効なものとはなりえなかった。・・・

 原著が出された1942年のアメリカの文脈では、これはケインジアン政策と社会政策を組み合わせたニュー・ディール連合を作れなかったことが失敗の根源であると言っているに等しい。ここで対比の軸がずれていることがわかる。「悲劇」的なドイツと無意識的に対比されているのは、自覚的に圧力団体的行動をとる(AFLに代表される)アメリカ労働運動ではなく、むしろそれとは距離を置いてマクロ的な経済社会改革を遂行したルーズベルト政権なのである。例外的に成功したと評価されているスウェーデンの労働運動についての次のような記述は、それを確信させる(p198~199)。

・・・しかし、とスウェーデンの労働指導者は言うのであるが、代わりの経済政策も提案しないでおいて、デフレ政策の社会的影響にのみ反対するばかりでは十分ではない。不況は、低下した私的消費とそれに伴う流通購買力の減少となって現れたのであるから、政府が、私企業の不振を公共支出の増加によって補足してやらなければならないのである。・・・
それゆえに、スウェーデンの労働指導者は、救済事業としてだけでなく、巨大な緊急投資として公共事業の拡大を主張したのである。・・・

 ここで(ドイツ社会民主党と対比的に)賞賛されているのは、スウェーデン社会民主党であり、そのイデオローグであったミュルダールたちである。原著の文脈はあまりにも明らかであろう。・・・

田野さんからすれば「「良い政策」ではなかったことは、きちんと学べば誰でも分かります」の一言で片づけられてしまうナチスの経済政策は、しかし社会民主党やその支持基盤であった労働運動からすれば、本来自分たちがやるべきであった「あるべき社会民主主義的政策」であったのにみすみすナチスに取られてしまい、結果的に民主的勢力を破滅に導いてしまった痛恨の一手であったのであり、その痛切な反省の上に戦後の様々な経済社会制度が構築されたことを考えれば、目の前のおかしなトンデモ本を叩くために、「逆張り」と決めつけてしまうのは、かえって危険ではないかとすら感じます。

悪逆非道の徒は、そのすべての政策がとんでもない無茶苦茶なものばかりを纏って登場してくるわけではありません。

いやむしろ、その政策の本丸は許しがたいような非道な政治勢力であっても、その国民に向けて掲げる政策は、その限りではまことにまっとうで支持したくなるようなものであることも少なくありません。

悪逆無道の輩はその掲げる政策の全てが悪逆であるはずだ、という全面否定主義で心を武装してしまうと、その政策に少しでもまともなものがあれば、そしてそのことが確からしくなればなるほど、その本質的な悪をすら全面否定しがたくなってしまい、それこそころりと転向してしまったりしかねないのです。田野さんの議論には、そういう危険性があるのではないでしょうか。

まっとうな政策を(も)掲げている政治勢力であっても、その本丸が悪逆無道であれば悪逆無道に変わりはないのです。

繰り返します。

悪逆非道の徒は、そのすべての政策がとんでもない無茶苦茶なものばかりを纏って登場してくるわけではありません。

まっとうな政策を(も)掲げている政治勢力であっても、その本丸が悪逆無道であれば悪逆無道に変わりはないのです。

悪逆無道の輩はその掲げる政策の全てが悪逆であるはずだ、という全面否定主義で心を武装してしまうと、その政策に少しでもまともなものがあれば、そしてそのことが確からしくなればなるほど、その本質的な悪をすら全面否定しがたくなってしまい、それこそころりと転向してしまったりしかねないのです。

 

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