「ホワイトすぎてゆるブラック」の雇用システム的要因
最近、またぞろホワイトすぎて若者が辞める云々という話が流行っているようですが、なぜそういうまともな理屈から言えば奇妙奇天烈な話が成り立ちうるのかということについて、昨年『Voice』という雑誌の7月号に寄稿した「日本の労働者は「守られ過ぎ」か」の最後のところで解説していますので、その部分だけ載せておきます。
なお、『Voice』誌にはそのちょうど1年後の今年7月号にも寄稿をしておりますので、来月発行時には御笑覧下さい。
断言できない「複雑な問い」「労働者は守られ過ぎ」の歴史「日本型雇用」の基本構造日本の解雇規制は厳しすぎる?日本の若者は守られ過ぎか?「ホワイト化」の功罪最後に、最近よく耳にする「ホワイト過ぎてゆるブラック」企業について考えたい。「ゆるブラック企業」とは、ブラック企業のように過度な残業やパワハラなどはないものの、仕事で成長できない会社を指す。繰り返しになるが、日本企業は多くの場合、若者を採用する際に、「ジョブに紐づいたスキル」があるかどうかは、重視しない。入社時点では何のスキルもないが、入社後に上司や先輩の指導のもとで一生懸命に仕事を覚え、できるようになっていく(はずの)者を採用する。つまり、マクロ社会的に描写すれば、ジョブ型社会では「教育訓練」が雇用に先行するのに対し、日本では「雇用」が教育訓練に先行するのだ。あるいは、欧米型の企業に当てはめれば、日本企業の多くは「インターンシップ生」をわざわざ社員として採用した後に、一人前の給料を払いながら教育訓練を行なっている、ともいえる。以上のことに鑑みれば、日本の若者は、「守られ過ぎ」とさすがに断言してもよさそうに思えるが、「雇用システム」の問題はやはり一筋縄にはいかない。これは、日本の若者が「自立した労働者」ではなく、会社という「先生」の指導下に置かれた「生徒」と見なされている、ということでもあるからだ。日本企業の場合、入社したばかりの若者の多くは、「何もできない」のがデフォルトだ。何もできないのに、会社は一人前の労働者として給料を払ってくれる。その給与は、上司や先輩のいうことを若者が聞き、一生懸命仕事を覚え、できるようになることの対価である。裏を返せば、何もできない状態でヒトを採用する以上、上司や先輩は若者を厳しく鍛えなければならない。「こいつは仕事ができないから首にしてください」などと泣き言を言うことは許されない。それをできるようにするのがお前の任務だ、と会社に言われるだけだ。そのような背景から、上司や先輩は、ときには厳しい言葉を若手社員に投げかけながら、仕事ができるようになるまで時間外労働を行ない、休日も返上して、何回も指導する。「俺も若い頃は鬼軍曹の課長にしごかれた。そのおかげでここまで成長できたのだ」などと回想する中高年社員は多かろう。このような指導が、わが国の雇用システムの麗しき美風であったはずなのだが、それがいまや過重労働や、パワハラに当たるという糾弾が飛び交うようになった。その結果、「守られ過ぎ」のはずの日本の若者は、西欧社会の若者と比べても、人権が守られていない可哀想な存在となった。若者が長時間労働と上司のパワハラにいじめ抜かれて自殺するブラック企業が、諸悪の根源とみなされるようになった。かくして、日本の雇用システムの根幹は何も変わっていないにもかかわらず、若者の労働環境の「ホワイト化」が進行した。鬼軍曹はもはや許されない。仮にジョブ型社会であれば、この「ホワイト化」は、企業がめざすべき「正常な道」への復帰であり、何ら問題はない。なぜならば、若者といえども社会的に「ジョブ」のスキルを認められた一人前の労働者であり、年齢や年次に関係なく、対等な関係であるべきだからだ。ところが、それが日本社会の文脈では、鍛えれば仕事ができるようになるはずの若者を、鍛えることなく放置する事態を生む。昨今多くの日本企業で進む、若者の労働環境の「ホワイト化」は、若者が一人前の労働者になれる機会を奪ってしまうという意味では、何よりも「ブラック」な状況ではないか。かくして、「ホワイト過ぎてゆるブラック」という、ジョブ型社会の人にとっては意味不明な世迷い言が、日本社会では意味のある言説になってしまう。「古典的ブラック企業」と「ホワイト過ぎてゆるブラック」のどちらが守られ過ぎでどちらが守られなさ過ぎなのか、すなわち「旧世代」と「現在の若者」のどちらが守られ過ぎと言えるのか――。一筋縄ではいかないことが、これでおわかりいただけたであろうか。
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