公共職業安定署??
社労士の大河内満博さんがこんな疑問を呈しておられますが、
国立国会図書館のデジタルコレクションで「公共職業安定署」を検索すると、
56件ほどヒットしますね。ただし、その多くは単純な間違いのようです。
ただ、初めの方の「社会保障制度への勧告 : 米国社会保障制度調査報告書」における「公共職業安定署」は、もとの英文(Public Employment Security Office )を(既に労働省が分離独立した後の)厚生省が訳したもので、このときに法令上の「公共職業安定所」ではなく「公共職業安定署」という字になってしまったのがそもそもの原因のようです。
なぜ厚生省が「署」の字で訳してしまったのかというと、労働省が分離独立する直前の厚生省にあったのは「国民勤労動員署」改め「勤労署」であり、この「勤労署」のイメージを脳裡に残したまま、上記勧告を訳したので、「公共職業安定署」という実在しない官署名になってしまったのではないかと思われます。
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コメント
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気になったので社会保険事務所ならぬ社会保険事務署で国立国会図書館のデジタルコレクションを検索しましたが、明らかに誤記と思われる1件を除き、ヒットしませんでした。
まあ、こちらはずっと旧厚生省でしたし。
しかし、「国民勤労動員署」改め「勤労署」と言うのが現実に存在したと言うのは驚きですね。
投稿: balthazar | 2024年12月30日 (月) 16時13分
上記のコメントへの補足です。
高橋俊之「年金制度の理念と構造」(発行 社会保険研究所)319頁に
「健康保険法の1926(大正15年)の施行に伴い、内務省社会局に保険部が置かれ、各都道府県県庁所在地等の全国50か所に、健康保険署が設置されました。当時の内務行政は、地方庁を通じて実施するのが通例であり、社会局がその出先機関を持つことは異例でした。」とのことです。
その後1929年からは健康保険の地方における事務は、地方長官に移管され、府県の出先機関として後に社会保険出張所となる健康保険出張所が設けられたとの事でした。
なお、著者の高橋俊之氏は元年金局長であり、「ルポ年金官僚」にも最後の方で登場します。
投稿: balthazar | 2025年1月11日 (土) 22時40分