労働関係図書優秀賞
JILPTの『日本労働研究雑誌』12月号は、「労働移動」が特集テーマで、sansan( 松重豊部長が「それ、早く言ってよ~」というコマーシャルの奴)の名刺データを使った移動の分析なんていう「へぇ、そんなの使う手があったんだ」という論文もあったりしてなかなか面白いですが、ここでは毎年恒例の労働関係図書優秀賞のコーナーを紹介。
受賞作は鈴木誠さんの『職務重視型能力主義 ―三菱電機における生成・展開・変容』と吉田誠さんの『戦後初期日産労使関係史 ―生産復興路線の挫折と人員体制の転換』で、既に本ブログで紹介していますが、それぞれについて、首藤若菜さんと梅崎修さんの「受賞理由について」と、鈴木さん、吉田さんの「受賞の言葉」が載っています。
鈴木さんは仁田道夫先生への感謝の言葉です。
拙著は,仁田道夫先生が実質的な指導教官として面倒を見てくださらなかったら,完成させることができませんでした。元になっている論文の多くは仁田先生のご指導によって公にできています。草稿を郵送して研究室にうかがい,コメントをいただいて書き直しを繰り返した結果,一つひとつの論文を公にするのに時間がかかり,拙著のとりまとめも大幅に遅れましたが,それは仁田先生も私も妥協を許さなかったからです。私の周りでは,『日本労働研究雑誌』『大原社会問題研究所雑誌』『日本労務学会誌』(ないしは『社会政策』)に査読論文を載せることが一人前の労働研究者になるための鉄則だと言われています。現在,曲がりなりにも研究者として独り立ちすることができたのは,『日本労働研究雑誌』『大原社会問題研究所雑誌』『社会政策』に査読論文を載せられたことが大きいと考えています。もちろん,それらのジャーナルに査読論文を掲載できたのは全て仁田先生のおかげです。仁田先生の懇切丁寧なご指導には感謝の気持ちでいっぱいです。
一方吉田さんは日産争議当事者との邂逅を回想しています。
さて,戦後初期日産の労使関係研究に取り組むきっかけになったのは 2000 年に日産争議当事者の方々と知遇を得たことでした。このとき,念頭にあったのは職場闘争や組合規制に着目した先行研究の枠組みでした。既に日産争議を対象とした立派な研究書が存在していました。容易に新しいことなど出てくるわけがないと思い,最初の数年はただひたすら彼らの話を先行研究の枠組みで理解しようとするばかりでした。今から振り返ると,彼らの言葉の機微に触れられていなかったように思います。
2003 年に手弁当で開催した日産争議 50 周年のシンポジウムを機に,元全自日産分会員の浜賀知彦氏(1926 ~ 2011)の知己を得,氏が同分会の貴重な資料を収集された「浜賀コレクション」を拝借することになりました(現在はご遺族により東京大学経済学部資料室に寄贈されています)。これを活用して本格的な研究へと踏み込んでいくことができました。2007 年に全自の賃金原則(1952 年)を主題とした前著を上梓した後,一次資料を読むなかで生じてきていた種々の疑問に答えるために,それ以前の歴史へと遡っていくことになりました。そのなかで見えてきたのは,1949 年のドッジ・ライン期の人員整理を境に日産の労働組合の方針や人員体制が大きく変転を遂げたのではないかということでした。
資料を何往復もし,小さな発見を積み上げていくなかで,本書の骨格ができてきました。さっと資料を読んで図式を描けるほどのスマートさをもっていなかったため,15 年もの歳月をかけることになりました。そして,ようやく当事者たちから聞きとったことの意味が分かるようになり,彼らの言葉を置くべき場所を見つけたのです。
どちらも泥臭い歴史研究ですが、もっともらしいワードを振り回してきれいな議論を展開する研究とは対極にあるこういう業績が受賞したことを心から喜びたいと思います。
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