去る9月27日に自由民主党の総裁選挙で石破茂氏が総裁に選出され、10月1日の臨時国会で内閣総理大臣に指名され、直ちに石破茂内閣が発足し、その後衆議院の解散総選挙が行われました。今回の自民党総裁選ではさまざまな論点が議論の俎上に上せられましたが、その中でも政治家やマスメディアの関心を惹いたものの一つに、解雇規制をめぐる問題がありました。とりわけ当初は最有力候補と目されていた小泉進次郎氏が、結果的に石破、高市両氏の後塵を拝して3位に終わった原因の一つとして、彼が立候補時に「労働市場改革の本丸である解雇規制の見直し」を掲げたことが指摘されています。また、結果的に9人中8位と惨敗した河野太郎氏も、解雇規制の緩和や解雇の金銭解決を主張していました。
このうち河野氏が主張していた解雇の金銭解決制度は、過去20年以上にわたって官邸や内閣府の諸会議体と厚生労働省の検討会、審議会で議論が続けられている案件です。すなわちまず、2000年の総合規制改革会議の答申を受けて、2003年の労働基準法改正時に解雇権濫用法理が同法第18条の2に書き込まれた際に、労政審答申には金銭補償の仕組みも盛り込まれたのですが、法案の国会提出の間際に撤回されました。次に2005年の労働契約法制の在り方研究会報告に基いて、2006年に労政審労働条件分科会で議論されたときも、最終的には先送りとなりました。その後第2次安倍政権下で2013年から規制改革会議や産業競争力会議が議論を再燃させ、『日本再興戦略』の閣議決定を受けて、2015年から厚労省の透明かつ公正な労働紛争解決システム等の在り方検討会で議論がされ、さらに解雇金銭救済制度の法技術的論点検討会で細かな議論が詰められ、2022年からは労政審労働条件分科会で何回か審議が行われています。この間、筆者も政府の求めに応じ、労働局あっせん、労働審判、裁判上の和解における金銭解決の実態調査を繰り返してきたので、人ごとではない感覚を持っています。
ところで、この解雇の金銭救済制度については、労働組合サイドは絶対反対のスタンスであるというのが、多くの人々の常識でしょう。確かに、連合は繰り返し「不当解雇を正当化しかねない制度は断じて認められない」、「労働者保護のため制度導入阻止に向けて取り組む」と述べています。しかしながら、金銭解決制度が不調に終わった上記2000年代半ば頃までは、連合自体ではないにしても、連合と密接な関係を有する関係団体が、解雇に関する立法提言を行っており、その中では労働者側の請求による金銭救済制度の導入も求めていたのです。現時点ではほとんど忘れられた昔の文書ですが、労働側から見ても解雇の金銭救済制度というのは検討する値打ちのある制度であるということを問わず語りに示している文書ではないかと思われますので、20年ぶりの古証文を掘り返して見たいと思います。
まず、労働側弁護士の集まりである日本労働弁護団が、その機関誌『季刊・労働者の権利』2002年夏号(245号)に掲載した「解雇等労働契約終了に関する立法提言及び解説」を見てみましょう。同提言は、まず解雇には正当事由が必要であるという規定を打ち出します。
第2(解雇の正当理由)
使用者は、労働契約を維持しがたい正当な理由が存在しなければ、労働者を解雇することができない。
このように、2003年改正で条文化された解雇権濫用法理ではなく、立法論としては正当事由説に立っていたのです。その理由は、「解雇権濫用法理は、あくまでも立法の不備を補うものであり、また、その内容が一般市民に十分浸透し理解されているとは言い難い。そこで、まず、正当な理由がなければ解雇できないという基本原則を法律上明記することとした」というものです。今では権利濫用説か正当事由説かという論争は忘れ去られてしまっていますが、そもそも論からいえば権利を行使するするのが当たり前で、(宇奈月温泉事件のような)特別な例外の場合だけ権利の濫用として無効とするという法的テクニックを、多くの解雇事案に恒常的に使い続けるという法律的には異常な事態に対する違和感が、少なくともこの時期にはまだ残っていたことがわかります。
これを受けて、整理解雇と能力・行為を理由とする解雇についての細かな規定を設けています。
第3(経営上の理由による解雇)
経営上の理由による解雇が正当となるためには、次の各号のいずれも充足されていなければならない。
一 解雇しなければならない客観的かつ合理的な経営上のやむをえない必要性が存在すること
二 解雇回避の努力が尽くされたこと
三 解雇対象者の人選基準が客観的合理性を有し、かつ、その適用が公平になされること
但し、使用者は、被解雇者を選定する際、再就職の難易及び生活上の打撃など労働者の被る不利益をも考慮して、より社会生活上の不利益の少ない労働者を選定しなければならない。
四 使用者と労働者、労働者の所属する労働組合があるときは当該労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合があるときは当該労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がないときは労働者の過半数を代表する者との間で、説明協議が誠実に尽くされること
第4(労働者の労働能力又は行為を理由とする解雇)
労働者の労働能力又は行為を理由とする解雇が正当となるためには、次の各号がいずれも充足されていなければならない。
一 労働者の労働能力又は行為に関して、解雇しなければならない客観的かつ合理的な理由が存在すること
二 警告、再教育、配置転換等の解雇回避の措置によって労働契約を維持できる可能性があるときは、使用者においてかかる解雇回避の努力を尽くしたこと
三 使用者が労働者に対し、解雇理由に関する説明を尽くし、弁明の機会を付与したこと
四 労働者が所属する労働組合、又は、労働者の過半数を組織する労働組合(これがないときは労働者の過半数を代表する者)から説明協議の求めがあったとき、使用者が誠実にこれを尽くしたこと
第3は整理解雇4要件を若干膨らませて条文化したものですが、第4は過去の諸判例に現れた判断要素を類型化したものです。
この後、第5(解雇理由の告知)、第6(解雇予告)、第7(退職)、第8(解約通知等の撤回)、第9(みなし解雇)、第10(有期雇用)といった条文案が並んでいますが、その最後にこういう条文案が提起されていたのです。
第11(違法解雇等の救済方法)
1 この法律若しくは他の法律に反して解雇が行われた場合、又は、解約通知等が撤回若しくは取り消された場合、労働者は使用者に対して、次の各号のいずれかを選択して請求することができる。
一 労働契約上の地位の確認、原職又は原職相当職での就労請求、賃金請求、及び、精神的損害等に対する賠償請求
二 得べかりし賃金相当額及び精神的損害等に関する賠償請求
2 原職又は原職相当職が存在しない等客観的かつ合理的な理由があるとき、使用者は、労働者の原職又は原職相当職への就労請求を拒むことができる。
見ての通り、この第1項第1号はこれまでの裁判例に沿って、解雇無効に基づく地位確認とバックペイ請求等ですが、第2号は地位確認なしの金銭賠償のみの請求です。つまり、この時点での日本労働弁護団は、地位確認請求+バックペイ請求等と金銭救済のみの二本立ての救済方法を考えていたのです。
その理由について、同提言の解説はこう述べています。「しかしながら、解雇を巡る紛争においては、『解雇は納得できないが、さりとて人間関係が破壊されているので職場復帰したくない。でも、企業に法的責任をとらせたい』という要求が多数存在する。このため、職場復帰を求めなくとも金銭賠償を請求することを可能とする方途を講じる必要があり、かつ、将来の賃金相当額の賠償も認めて、金銭賠償総額の水準を引き上げる必要がある。」そしてドイツの金銭解決制度を紹介しつつ、「日本においても、これらと同様に法律を整備する必要がある。但し、ドイツのように違法な解雇を行った使用者に金銭補償の申出権を認める必要はない」と述べていました。これはまさに、現在厚生労働省の労政審で審議の対象となっている労働者からのみ金銭救済の申立てを認める発想とほぼ同じです。現在の日本労働弁護団は、この考え方に猛反発していますが、20年前には自ら唱道していたのです。
もう一つは、連合のシンクタンクである連合総研が、厚労省の労働契約法制の在り方研究会報告が出された直後の2005年10月に公表した『労働契約法試案』です。これは毛塚勝利氏を主査として、労働法学者8名が執筆したものですが、そのうち労働契約の終了に関する規定案は次のようなものでした。基本規定と救済に関する規定を見てみましょう。
(解雇理由)
第53条 解雇は、就業規則その他の文書において規定した解雇理由に基づくものでなければならない。
2 解雇は、客観的に合理的な理由に基づき、社会通念上相当であると認められる場合でなければ、その効力を生じない。
(解雇無効の救済)
第60条 裁判所が解雇の無効を確認した場合には、使用者は解雇された労働者を原職又はそれと同等の職に戻さなければならない。
2 前項の規定にかかわらず、裁判所は労働者の請求に基づき、労働契約を終了させて、使用者に補償金を命じることができる。
3 前項にいう補償金は、平均賃金の180日分以上の額であるものとする。ただし、解雇が強行法規又は公序に反してなされたと判断するときは、前項にいう補償金は、平均賃金の360日分以上の額であるものとする。
4 第2項にいう補償金は、解雇が無効とされた理由、解雇手続の履行状況、労働者に支払われていた賃金の額、労働者の在職年数、年齢等の事情を考慮して、定めなければならない。
5 第2項に基づき、裁判所の命令により労働契約を終了させるときは、労働契約の終了の時点は、当該命令の発令時とする。
こちらも、第60条第2項は「労働者の請求に基づき」と、労働者側請求のみを認め、使用者側請求による金銭補償を認めていません。逆に言えば、現在厚生労働省の労政審で審議の対象となっている労働者からのみ金銭救済の申立てを認める発想と同じであり、それをしも否定するような発想ではなかったのです。
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