高木剛さん死去
元連合会長の高木剛さんが亡くなったというニュースが飛び込んできました。
労働組合の中央組織・連合の会長を務め、2009年の民主党政権誕生を後押しした高木剛(たかぎ・つよし)さんが2日、死去した。80歳だった。葬儀は近親者で営んだ。
三重県出身。東大法学部を卒業後、1967年に旭化成工業(現旭化成)に入社した。69年に労組の専従になり、全旭化成労組連合会書記長やゼンセン同盟(現UAゼンセン)会長を歴任。05年に連合の5代目会長に選ばれ、07年に再選して09年まで務めた。
連合会長として小沢一郎・民主党代表(当時)と深い関係を築いた。一緒に全国行脚するなどして民主党の躍進を支え、政権交代に貢献した。
連合内に非正規労働センターを設け、正社員中心の労働運動の見直しも進めた。
東大では野球部で活躍。労働界では早くから、政界、官界に人脈を持つ新時代のリーダーと目された。外務省に出向し、初の労組出身外交官として在タイ1等書記官を務めたこともあった。
高木さんとは(酒席も含め)何回かお目にかかっていろいろと興味深い話を伺ったこともありました。
晩年は足を悪くされ、杖をつきながらヒアリングの場に来られていたことも思い出します。
本ブログでは、高木さんのオーラルヒストリーを取り上げたことがあります。
労働関係者オーラルヒストリーシリーズの『高木剛オーラル・ヒストリー』をお送りいただきました。インタビュワは例によって、南雲さん、梅崎さん、島西さんです。
高木剛さんといえば、言わずと知れた元連合会長ですが、その前のゼンセン同盟会長時代、さらにその前の旭化成労組時代など、いろんなエピソードがてんこ盛りです。
ゼンセンといえば、本ブログでも紹介した二宮誠さんのようなオルグ馬鹿一代記みたいな武闘派が思い浮かびますが、逢見直人さんのような学者肌のプロパーもおり、そして高木さんのような企業単組から引っ張られて来た人もいます。高木さんは東大卒業後旭化成に入って、数年後に、本部書記長が来て「君に組合に来てもらうことになったからね」の一言で、4年のつもりが50年になったと述懐しています。鷲尾さんなどと同じタイプです。
旭化成労組書記長時代で興味深いのは、職務給導入にまつわる話です。
・・・ただ、完全職務給化していくというのは大変で、全職種について職務分析をやらなければならないし、職務分析がちゃんと真っ当なものか、一方的に会社のいうことだけではなくて、組合も一緒になって評価しないと組合員の信頼にも関わるから、職務分析・評価の作業に組合も付き合うのが大変だった。全職種を職務分析・評価するのは大仕事。だから労使とも、担当者が主事業所を飛び回って、年のうち何百日出張だというのを2年ぐらいやったのかな。それで、全職種。職務給も、1級からあるけれど、一番低いのは実質的には3級ぐらいから。それで8級まで職務価値で格付ける。9級から上はもう役付だから、職務分析に値せずということで。・・・
管理職からジョブ型にするなどという近頃のひっくり返った訳の分からない話に比べれば、ランクアンドファイル中心に職務給導入という、労使とも真っ当な発想であったことが分かります。そういう昔のことを覚えている人がほとんどいなくなったので、インチキコンサルのでたらめジョブ型が流行るんでしょうけど。閑話休題。
それから、いま統一協会の件で選挙活動の手足になるボランタリー労働力の問題が注目を集めていますが、労働組合は別に宗教団体じゃないので、神仏の御心でただ働きというわけにはいかないけれども、公職選挙法上はただ働きしてもらわないと困るというわけで、こういう話になるようです。
・・・これは新聞に書かれると困るような話もいっぱいあるけどさ。公職選挙法というのは厄介で、戸別訪問したらいかんというし、仕事中に抜けていって選挙運動をやると運動買収だというし。だから、年休を取らさなければいけない。個人が勝手に個人の意思で年休を取って、たまたま選挙運動にいっただけだというふうにせなあかんわけだから。みんなに「年休を取って選挙運動にいってくれ」と頼むわけよ。それは最初の1年、2年はよかったけれど、毎年続くと「あの年休は後で返せよ」ということになる。・・・
また、昨年茨城の方で実現した労組法18条の労働協約の拡張適用についても、高木さんがゼンセン産業政策局長時代に、愛知県で実現しているんですね。
・・・労組法18条を具体的に運動としてやって実現させたところはそう多くない。それは大変なこと。4分の1の労働者を雇用する経営者は、「何で俺らが県の言うことを聞かなあかんのだ。県の命令かなんか知らんけど、なんじゃ」と。県にも文句を言うわ。県会議員は出てくるわ、大騒ぎよ(笑)。それは15年ぐらい続いたのかな。拡張適用をね。・・・
高木さんの話はまことに多岐にわたります。今朝の朝日新聞の「(中国共産党大会2022)指導部にガラスの天井 政治局員25人中、女性は1人」に出てくる孫春蘭副首相も、中華総工会の秘書長時代に、ILOの理事選挙関係でガイ・ライダーを交えて交渉したという思い出を語っています。
https://www.asahi.com/articles/DA3S15371768.html
・・・その時に交渉に来たのが、総工会の秘書長で孫春蘭という女性。立派な人だったよ。いまは、中国共産党の政治局員だな。女性でいま一番偉いのか。常務委員にはなっていないけど。このおばさんは、いまは副首相をしているよ。孫春蘭さんといって、もともとは女工さん上がりよ。優秀な人で、交渉もタフだった。・・・
そして、ちょうどいまデッドロックに引っかかったみたいになっている最低賃金ですが、これが急激に上がり始めた第1次安倍内閣のときのこういういきさつも、率直に語っています。
・・・最賃の話は、連合の時に頼まれて俺もだいぶ骨を折ったから。「もう、1円、2円上げる話はやめた。そんな最賃なら決めてくれんでいい」といってがんばった。安倍内閣の厚労大臣をやっとったのが愛媛出身の塩崎(恭久)氏で、その塩崎氏が官房長官の時の話だが、「最賃をなんとかならないか」と言ったら、「やりましょうや」と言ってやってくれて、塩崎氏と大田弘子さんの2人が骨を折ってくれた。「1円、2円の話は付き合わんぞ。何十円の話だ」と説得し、結局、何十円の話になった。だから、これも連合会長時代の話だけど、「最賃の問題を最賃審以外の場で、官邸の場で協議するようにしたから、組合も付き合ってくれ」という流れになった。そこで、私は連合で、「最賃のプロはもういい。官邸の会議には連れて行かん。お前らが議論するとまた1円、2円の話をしてくるから」と。・・・
官邸主導の最賃政策の裏ばなしですね。
そして、これは制度を作る上で高木さんが一番重要な役割を果たした労働審判制度についても、こんな思い出を語っています。
・・・こんな議論をしながら、菅野和夫先生にえらい骨を折ってもらって本郷三丁目の角に、いまはもうなくなったらしいけれども、「百万石」という料亭があったが、そこで菅野さんと矢野さんと私の3人で何回か議論をしたこともあった。・・・
そして、高木さんによればその副産物が労働契約法なのですが、そこにこういう齟齬があったようです。
・・・これについては部分的に賛否両論がいろいろあって、連合も中途半端な対応だったものだから菅野さんが後で怒っておった。「お前がやれと言うから一所懸命やったら、連合が横から口を入れてくるから叶わんかった」と言われたけどさ。「ええ、そんなことがあったんですか。申し訳ありませんでした」と謝罪したことがあった。・・・
これも、労働法政策的には大変興味をそそられる裏話です。
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高木剛さん 東大法学部だったのですね。今まで知らなかったので驚きました。
>それから、いま統一協会の件で選挙活動の手足になるボランタリー労働力の問題が注目を集めていますが、労働組合は別に宗教団体じゃないので、神仏の御心でただ働きというわけにはいかないけれども、公職選挙法上はただ働きしてもらわないと困るというわけで、こういう話になるようです。
・・・これは新聞に書かれると困るような話もいっぱいあるけどさ。公職選挙法というのは厄介で、戸別訪問したらいかんというし、仕事中に抜けていって選挙運動をやると運動買収だというし。だから、年休を取らさなければいけない。個人が勝手に個人の意思で年休を取って、たまたま選挙運動にいっただけだというふうにせなあかんわけだから。みんなに「年休を取って選挙運動にいってくれ」と頼むわけよ。それは最初の1年、2年はよかったけれど、毎年続くと「あの年休は後で返せよ」ということになる。・・・
戸別訪問禁止は1925年普通選挙制度になった時に、無産者政党の伸長を抑えるために治安維持法とあわせて導入されたと聞いています。
どうして戦後戸別訪問解禁を要求しなかったのか不思議です。
細川護熙内閣の政治改革法案でも当初戸別訪問は解禁の方向だったのに、参院で否決され、野党自民党との妥協の結果、そのままになったと記憶しています。
いい加減に戸別訪問解禁しても良いと思います。
もっとも河井元法相のようにお金をばらまいた人がいるのでしばらくは無理ですかね(^^;
高木剛さんのご冥福をお祈りいたします。
投稿: balthazar | 2024年9月10日 (火) 19時05分
高木さんの出身母体のUAゼンセン次期会長に女性が選ばれたそうです。
UAゼンセンは組合員の6割が女性にもかかわらず、永島さんが初めての女性会長になるそうです。
何だか面白い事になりそうな気がします。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC111RU0R10C24A9000000/
投稿: balthazar | 2024年9月11日 (水) 18時42分