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2024年9月 8日 (日)

「労使双方が納得する」解雇規制とは何か──解雇規制緩和論の正しい論じ方@『世界』2013年5月号(再掲)

先週水曜日(9月4日)に、河野太郎氏が解雇規制緩和を語ったということで、今から11年前の文章を古証文よろしく再掲したところですが、

解雇規制緩和論の誤解@『労基旬報』2013年5月25日号(再掲)

843 その後も、今度は小泉進次郎氏が解雇規制緩和を謳ったとかで、ネット上には解雇規制をめぐるあれこれの議論が氾濫していますが、さすがにこの10年間の議論をよく踏まえているのも多い一方で、脳内が20年前から進化していない御仁も結構いるようなので、ほぼ同じころに書いたものですが、少しだけ詳しいのを一部省略して再掲しておきます。

「「労使双方が納得する」解雇規制とは何か──解雇規制緩和論の正しい論じ方」 @『世界』2013年5月号

・・・・

日本の解雇規制は厳しいのか?
 さて、ここまで読まれて読者はいぶかしく感じておられると思う。筆者は日本の解雇規制が「先進国でもっとも厳しい」という日経新聞の論調を批判しながら、その解雇規制を緩和しようとしている(ように見える)経済財政諮問会議や規制改革会議の議論には反対ではないらしい。いったいどうなっているのか、と。
 答えはこうである。日本の解雇規制そのものは、ヨーロッパ諸国のものと比べて何ら厳しいわけではない。しかし、解雇規制が適用される雇用契約の在り方がヨーロッパ諸国とまったく異なっている。そのため、ある局面を捉えれば、日本はヨーロッパよりも解雇規制が厳しいように見え、別の局面を捉えれば、ずっと解雇しやすいように見えるのだ、と。
 これでも話が抽象的でよくわからない、という声が聞こえてきそうである。少し腰を落ち着けて議論をしておこう。以下は、拙著『新しい労働社会』(岩波新書)で展開した議論の要約である。
 日本型雇用システムの本質は「正社員」と呼ばれる労働者の雇用契約にジョブ(職務)の限定がないという点にある。日本以外の社会では企業の中の労働をその種類ごとにジョブとして切り出し、その各ジョブに対応する形で労働者を採用し、その定められた労働に従事させるのに対し、日本型雇用システムでは、企業の中の労働をジョブごとに切り出さずに一括して雇用契約の目的にする。労働者は企業の中のすべての労働に従事する義務があるし、使用者はそれを要求する権利を持つ。
 もちろん、実際には労働者が従事するのは個別のジョブである。しかし、それは雇用契約で特定されているわけではない。どのジョブに従事するかは、使用者の命令によって決まる。雇用契約それ自体の中には具体的なジョブは定められておらず、そのつどジョブが書き込まれるべき空白の石版であるという点が、日本型雇用システムの最も重要な本質である。これは企業という共同体のメンバーシップを付与する契約と考えることができる。
 日本以外の社会のように具体的なジョブを特定して雇用契約を締結するのであれば、企業の中でそのジョブに必要な人員のみを採用することになるし、そのジョブに必要な人員が減少すればその契約を解除する必要が出てくる。ジョブが特定されている以上、そのジョブ以外の労働をさせることはできないからだ。ところが日本型雇用システムでは、契約でジョブが決まっていないのだから、あるジョブに必要な人員が減少しても、別のジョブで人員が足りなければ、そのジョブに異動させてメンバーシップを維持することができる。これをある人は、「雇用安定、職業不安定」と喝破した。
 しかしながら、これは逆に、日本以外の社会では正当と思われないような解雇を認めるロジックにもなり得る。日本の最高裁は、時間外労働や遠隔地への配転を拒否した労働者を懲戒解雇することを正当な解雇と認めているし、学生運動に従事していたことを理由に試用期間満了時に本採用を拒否したことも合理的としている。いわば、企業のメンバーとしてふさわしくないと判断された者に対する解雇への規制は緩やかなのである。
 
竹中平蔵氏の一方的な認識
 こういう観点からすると、先の日経新聞の記事がいう「先進国でもっとも厳しい」という認識がいかに一方的かがわかるだろう。そういう認識を前面に出して論じているのが、竹中平蔵氏である。彼は代表を務める「ポリシー・ウォッチ」で2月24日、次のように語っている。
 
規制改革はかなり幅広くやらなくてはならない。しかし、あえてその中の更に中心的な一丁目一番地の中の一丁目一番地として、雇用に関する労働市場に関する規制改革が重要であるということを述べたい。
・・・日本の正社員というのは世界の中で見ると非常に恵まれたというか、強く強く保護されていて容易に解雇ができず、結果的にそうなると企業は正社員をたくさん抱えるということが非常に大きな財務リスクを背負ってしまうので、常勤ではない非正規タイプの雇用を増やしてしまった。
本来どのような働き方をしたいかというのは個人の自由なはずで、多様な働き方を認めた上で、それでも同一労働同一条件、つまり正規も非正規も関係なく全員が雇用保険、そして年金に入れるという制度に収斂して行かなければならない。
 
 この議論も実は半分正しい。「日本の正社員というのは世界の中で見ると非常に」特殊な在り方であるということ自体、筆者が口を酸っぱくして言っていることである。しかし、その特殊さを、「非常に恵まれたというか、強く強く保護されていて容易に解雇ができず」という側面だけで捉えてしまうと、あたかも日本の企業は世界で最も博愛的で、異常なまでに自社の利益を顧みずに労働者保護ばかりに勤しんできたかのような、とんでもない誤解を与えることになる。
 もちろん、そんな馬鹿な話はない。日本型正社員の特殊さは、まず何よりも、職務も時間も空間も限定がなく、会社の命令で何でもやらなければならないというところにある。そういう無限定さの代償として、「何でもやらせられる」強大な人事権の論理必然的なコロラリーとして、いざというときにも「何でもやらせることによって解雇を回避する」努力義務というのが発生してくるのである。
 前者の側面だけ見れば、日本の企業は世界で最も人権を踏みにじるとんでもない存在に見えるが、そして、時間外労働を拒否したり、転勤を拒否したりする労働者を懲戒解雇してよろしいとお墨付きを出している日本の最高裁は、その人権無視の共犯者に見えるが、それもまた、後者の側面と相互補完的に組み合わされているが故に、一種の労使妥協として存在し得てきたのである。
 ここで重要なのは、こういう法社会学的な相互補完的存在構造が、経済学者の目には全然見えていない、ということであろう。だから、「日本の正社員というのは世界の中で見ると非常に恵まれたというか、強く強く保護されていて容易に解雇ができず」などという、半分だけ正しいけれども、残りの極めて重要な半分を無視した暴論を平気で言えてしまうわけである。
 
ヨーロッパ諸国の解雇規制
 こういう傾向は、経済学者にとって解雇とはもっぱら経営上の理由によるジョブレス解雇のことであって、ジョブはちゃんとあり、かつそのジョブをちゃんとやっているのに、労働者を解雇するといったたぐいのアンフェア解雇を念頭に置くことがほとんどないためであるように思われる。近年、スウェーデンが解雇自由であるという事実無根の議論が経済学者を中心として流布しているのも、そのためであろう。
 若者による労働問題専門誌『POSSE』第8号のインタビューで、経済学者の飯田泰之氏はこう述べていた。
 
モデルではなくて理論ですよ。強いていえば、一番極端な例はスウェーデンでしょう。スウェーデンは解雇に関して公的な規制が極めて少ない。税金は途方もなく高いですが、その代わり保証は充実。その一方で規制はゆるゆるです。完全な「employment at will」。会社が雇いたい人だけ雇うというシステムです。・・・・・・
 
 筆者が自分のブログでこの点を批判したところ*1、飯田氏は率直に自らのブログで訂正された*2。それゆえ、これは飯田氏への批判ではなく、解雇といえばジョブレス解雇しか目に入らない傾向にある経済学者一般への警鐘と受け取っていただきたい。
 スウェーデンに限らず、ヨーロッパ諸国には(程度の差はあれ)何らかの解雇規制が存在する。しかし、それらを素直に検討する際に一番邪魔になるのは、日本的な解雇規制の常識なのである。日本でも欧米と同様に、解雇の正当な理由は労務提供不能、非違行為、経営上の必要性とされているが、そのうち経営上の理由による剰員整理解雇は、労働者には何ら責められるべき理由がないのに、経営上の理由によって解雇されるのだから、より厳しく判断すべきと考えられている。
 しかし、これこそジョブの定めがない共同体メンバーシップの発想であって、ジョブ型契約を前提とすれば、契約の大前提であるジョブがなくなったのに雇用関係を維持せよという方が筋が通らない。ドイツでも、フランスでも、イギリスでもどの国でもそうだが、ジョブがあるのに解雇しようという企業に対しては、それが不当な解雇でないことをきちんと立証させるし、立証できなければそれは不当な解雇とされる。その解決方法としては復職・再雇用とともに金銭補償も認められているが、別に金を払えば不当な解雇が正当になるわけではない。
 それに対して、ジョブが縮小したことを理由とする剰員整理解雇は、法定の手続をきちんととることを前提として、そもそも正当な解雇とみなされる。どちらに責めがあるなどという話は関係ない。ただし、ジョブが縮小するからといって、誰を解雇するかを企業の自由に委ねたりしたら、「こいつは生意気だからこの際解雇しよう、あいつは可愛いから残してやろう」といった恣意的な選別を許すことになる。それゆえ、EUレベルで剰員整理解雇に対しては労使協議を義務づけているとともに、選別基準を法定している国もある。スウェーデンでは厳格な年功制(勤続年数の短い方から順番に解雇)を定めているし、ドイツでは勤続年数、年齢、扶養家族数を挙げている。一般には若者ほど先に解雇せよとなっているのだ。リストラといえば人件費のかさむ中高年が狙い撃ちされる日本とは、まったく状況が異なるのである*1
 ちなみに、政府の産業競争力会議に3月15日長谷川閑史武田薬品社長が提出した「人材力強化・雇用制度改革について」というペーパーでは、「雇用維持型の解雇ルールを世界標準の労働移動型ルールに転換するため、再就職支援金、最終的な金銭解決を含め、解雇の手続きを労働契約法で明確に規定する」と述べ、一見西欧風のジョブ型ルールへの移行を提唱しているように見えるが、実はまったく似て非なるものである。その証拠に、具体的な姿として、「その際、若手・中堅世代の雇用を増やすために、例えば、解雇人数分の半分以上を20代-40代の外部から採用することを要件付与する等も検討すべき」などと書かれている。素直に読めば、例えばジョブが100人分縮小したら、解雇する必要のない人まで含めて200人以上解雇しなければならず、その後100人以上を採用せよという奇妙なルールであり、しかもその際年齢差別をしなければならないとまで義務づけている。リストラといえば中高年を追い出すものという日本的感覚が横溢しているこの文書を、長谷川氏がかつて子会社の社長をしていたドイツの人々に読ませればどういう反応が返ってくるか、興味深いところではある。
 なお、ジョブが縮小してもそれが一時的なものである場合には、労働者の労働時間を一律に減らし、賃金原資を分け合って雇用を維持するということは行われる。リーマンショック以後の金融危機の時期には、ドイツやフランスを中心にかなり行われた。こういうワークシェアリングが可能なのも、やはり雇用契約がジョブに基づいているからであろう。
 要するに、アンフェア解雇は厳しく規制するが、ジョブレス解雇は原則として正当であり、ただしそれがアンフェアなものとならないようきちんと手続規制をかけるというのが、ヨーロッパ諸国の解雇規制の基本的な枠組みなのである。
 この解雇に関する日欧の常識の乖離が露呈したのが、日本航空(JAL)の整理解雇問題であった。JALの労組は国内向けには整理解雇法理違反だと主張していたが、国際労働機構(ILO)や国際運輸労連(ITF)にはそんなものが通用しないことがわかっているので、解雇基準が労組に対して差別的だという国際的に通用する主張をしていた。ところが、それを報じた日本の新聞は、記事の中では「2労組は、整理解雇の際に『組合所属による差別待遇』『労組との真摯(しんし)な協議の欠如』『管財人の企業再生支援機構による不当労働行為』があったと指摘。これらは日本が批准する結社の自由と団結権保護や、団体交渉権の原則適用などに関する条約に違反すると主張している。」とちゃんと書いていながら、見出しは「日航2労組『整理解雇は条約違反』ILOに申し立て」であった*1。残念ながら、「整理解雇は条約違反」ではないし、そんなナンセンスな申し立てもされていないのである。
 
解雇規制緩和論をどう論じるべきか?
 以上を前提とした上で、日本の解雇規制の在り方をどう考えていくべきだろうか。まず、現在の雇用契約をめぐる状況を前提とした上での議論と、今後の方向性がどうあるべきかの議論を分ける必要がある。現在の大企業「正社員」の大部分は、ジョブ型の欠員補充で「就職」したのではなく、メンバーシップ型の新卒一括採用で「就社」した人々であり、「何でもやらされる」代わりに「雇用が維持される」という約束を信じて働いてきた人々である。そういう権利と義務のバランスの上にいる彼らを「非常に恵まれた」と決めつけて、どんな命令にも従わなければならないという義務をそのままに、雇用維持という権利だけ剥奪することが許されるはずがない。
 とはいえ、そういう権利と義務の相補関係は、高度成長期という一定の経済社会環境を前提として構築された労使妥協であり、今日の、そしてこれからの経済社会状況の中でそのまま維持できるのか、そして維持すべきなのかは、また別の問題である。
 そして現実に、1995年に日経連が発表した『新時代の「日本的経営」』以来、日本の企業はメンバーシップ型の正社員(「長期蓄積能力活用型」)を縮小し、少数精鋭化する一方で、ジョブ型の非正規労働者(「雇用柔軟型」)を拡大してきた。問題は、この日本型非正規労働者が単にジョブの消滅縮小に対する雇用保障が少ないだけではなく、いうことを聞かないからクビといったアンフェアな解雇や雇止めに対しても極めて保護が乏しく、低レベルの賃金・労働条件と相まって、お互いに納得できる権利と義務の相補関係が成り立っていないような状態に陥っていることであろう。
 とすれば、今後の方向性としての議論は、ジョブがある限り、そしてそのジョブをきちんとこなしている限り、アンフェアに解雇されることのない、それなりの安定性をもったジョブ型雇用契約を創出していくことにあるのではなかろうか。
 そのようなモデルとして、筆者は既に「ジョブ型正社員」という在り方を提示している*1。当面は今までの非正規労働者や正社員から希望に応じてジョブ型正社員に移行するという形になろうが、将来的には雇用契約のデフォルトルールをジョブ型正社員とする必要があるのではないかとも考えている。
 ここで改めて、冒頭で引用した経済財政諮問会議や規制改革会議の文書を見よう。そこで提示されている「ジョブ型のスキル労働者」という概念は、筆者がここ数年論じてきたジョブ型正社員に近いように見える。もしそうだとすれば、それを前提とした解雇規制緩和論とは、「非常に恵まれた」という認識に基づいた一方的な解雇自由化論ではなく、ジョブレス解雇は手続規制にとどめるが、アンフェア解雇は厳しく規制していくというヨーロッパ諸国で一般的な姿を志向するものであるはずであろう。いや、そうでなければ、それは権利と義務のバランスのとれた「労使双方が納得するもの」となることはあり得ない。
 
現実に横行している解雇と金銭補償の意義
 さて、以上縷々述べてきたのは、実は出るところへ出たときのルールの話に過ぎない。日本の解雇規制が厳しいという議論が相当程度間違っているのは、一つには上述のような権利と義務の相補関係を見落としているからであるが、それ以上に重要なのは、現実の労働社会においては、ジョブレス解雇であれアンフェア解雇であれ、裁判所に持ち込めば適用されるであろう判例法理とはかけ離れたレベルで自由奔放に行われているからでもある。
 これは経済学者の議論に欠落しているだけでなく、それに猛然と反発しているように見える法律家の議論でもほとんど取り上げられることがない。そのため、あたかも全国津々浦々の中小零細企業でも判例法理に則って企業が行動しているかのような現実離れした前提で解雇をめぐる議論が進められることとなる。
 しかしながら、日本では労働紛争が裁判所に到達するのは極めてわずかな数でしかない。ヨーロッパ諸国のように労働裁判所で年間数十万件の事案を処理しているような国とは違う。そこで、筆者は裁判所まで行かない主として中小零細企業における個別労働紛争とその解決の実態を探るため、都道府県労働局におけるあっせん事案の内容を分析し、昨年『日本の雇用終了』(労働政策研究・研修機構)として公刊した。
 詳細は同書をお読みいただきたいが、まず中小零細企業では経営不振は解雇に対する万能の正当事由と考えられており、ジョブレス解雇をもっとも強く規制する判例法理とはまったく逆の世界が広がっている。中小零細になればなるほど他のジョブに異動させてメンバーシップを維持する余裕などないのであるから、これは当然とも言える。とはいえ、中小企業はジョブ型の世界でもない。労働局あっせん事案のうちもっとも多いのは、態度が悪いからという理由による解雇であり、それも上司や同僚とのコミュニケーション、協調性が問題とされたり、さまざまな権利行使や社会正義の主張が悪い態度の徴表と見なされているケースが多い。同書の冒頭の事案をいくつか並べただけでも、このような状況である。
 
・10185(非女):有休や時間外手当がないので監督署に申告して普通解雇(25 万円で解決)
・10220(正男):有休を申し出たら「うちには有休はない」その後普通解雇(不参加)
・20017(正男):残業代の支払いを求めたらパワハラ・いじめを受け、退職勧奨(取下げ)
・20095(派男):配置転換の撤回を求めてあっせん申請したら雇止め(不参加)
・20159(派男):有休拒否に対し労働局が口頭助言した直後に普通解雇(不参加)
・20177(派女):出産直前に虚偽の説明で退職届にサインさせた(不参加)
・20199(派女):妊娠を理由に普通解雇(不開始)
・30017(正女):有休申請で普通解雇(使は通常の業務態度を主張)(打ち切り)
・30204(非女):有休をとったとして普通解雇(12 万円で解決)
・30264(非女):有休を請求して普通解雇(6 万円で解決)
・30327(非女):育児休暇を取得したら雇止め(30 万円で解決)
・30514(非男):労基署に未払い賃金を申告したら雇止め(不参加)
・30611(正男):指示に従わず減給、これをあっせん申請して懲戒解雇(打ち切り)
・30634(正男):労働条件の明示を求めたら内定を取り消し(15 万円で解決)
 
 労働局のあっせんは任意の手続であり、参加を強制できないので、事案の4割は会社側不参加であり、解決に至るのは3割に過ぎない。そういう不安定さを反映して、解決金の水準で最も多いのは10万円台であり、約8割が50万円以下である。もちろん、膨大な費用と機会費用をつぎ込んで裁判闘争をやれば、解雇無効の判決を得られるのかもしれないが、明日の食い扶持を探さなければならない圧倒的多数の中小零細企業労働者にとって、それはほとんど絵に描いた餅に過ぎない。
 ここに、法廷に持ち込まれる事案だけを見ている法学者や弁護士には見えにくい解雇の金銭補償の持つ意味が浮かび上がる。たとえば、経済学者が解雇自由と誤解するスウェーデンでは、違法無効な解雇について使用者が復職を拒否したときは、金銭賠償を命じることができると定めているが、その水準は、勤続5年未満:6ヶ月分、5年以上10年未満:24ヶ月分、10年以上:32ヶ月分、である*1。このような金銭補償基準が法定されれば、ごく一部の大企業正社員を除き、アンフェア解雇に晒されている圧倒的多数の中小零細企業労働者にとっては福音となるのではなかろうか。

 

 

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コメント

> メンバーシップ型の新卒一括採用で「就社」した人々であり、「何でもやらされる」代わりに「雇用が維持される」という約束を信じて働いてきた人々である。そういう権利と義務のバランスの上にいる彼らを「非常に恵まれた」と決めつけて、どんな命令にも従わなければならないという義務をそのままに、雇用維持という権利だけ剥奪することが許されるはずがない。

欧米で作られた経済学は雇用契約はジョブ型として想定されているが、
日本の雇用契約の多くはそうではないということを経済学者が理解して
いないためにジョブ型の経済理論で切ろうとすることによる齟齬では?
突き詰めれば、立法の建付けと判例法理の齟齬が原因と言えるのでは?

小泉進次郎さんですが、発言を早くもトーンダウンさせました。

https://www.jiji.com/jc/article?k=2024091301008&g=pol#goog_rewarded

この人は親父さん同様「ウケ狙い」しか考えてないような人なのでしょう。

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