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2024年9月 6日 (金)

Assert Webで拙著書評

Asahishinsho_20240906093001 左翼系のサイトらしいAssert Webというところで、杉本達也という方が拙著『賃金とは何か』を書評していただいています。

https://assert.jp/archives/12598

本書は著者の前著『ジョブ型雇用社会とは何か』(岩波新書)で展開された賃金論を、歴史的に戦前期・戦時期・戦後期・高度成長期・安定成長期・低成長期と分けて解説している。こうした賃金論の歴史的背景は、現在の組合幹部にとっては全く思考の外にある。たぶん、言葉そのものが通訳不能となっている。おそらく今の組合幹部は本書で戦後期の賃金制度として1節を設けている「電産型賃金体系」も知らない。さらに第Ⅱ部の第1章でわざわざ「船員という例外」にふれている。・・・・この章は他の章と比較すると全く異質であり、ほとんどの組合幹部は海員組合なるものも知らないであろうことを予想してわざわざ紹介している。

さすがに「ほとんどの組合幹部は海員組合なるものも知らない」ということもないと思いますが、かつて右派系労働組合の雄としてその名を鳴らし、戦後も繰り返し海員争議を敢行して大体勝ってきたこの希有な組合も、日本人船員の激減のために今や縮小して零細組織となり、ほとんど意識されない存在になっていることは確かでしょう。

著者も「これで終わりにしてしまったら、いくらなんでも希望がなさすぎるのではないか」として、日本における賃金引き上げの処方箋について、何点かを挙げている。「一般職種別賃銀と公契約法案」・「公契約条例」・「派遣労働者の労使協定方式による平均賃金」・「個別賃金要求」・「特定最低賃金」(産業別最低賃金)など、職種別の賃金システムを拡げていく手がかりを挙げているが、いずれも50~60年の既視感はある。

いやそれは賃金に関することは全てデジャビュの塊であって、本書の主要テーマである職務給と職能給、ベースアップと定期昇給、全てが半世紀以上むかしのデジャビュの再演なのであってみれば、既視感があるのは当然ですが、そこから何かしらヒントというかネタをひねり出そうとして踏ん張ってみても、出てくるのはこんな程度という話なわけです。

著者は最後に、“官製春闘”といわれるような「国家権力の力を借りなければ賃金を支えられないなどというのは労働組合として恥ずかしいことなのです」とし、北欧諸国の産業別労働組合の最近の事例を挙げ、「イーロン・マスク率いるテスラ社のスウェーデン工場で2023年11月、金属労組IFメタルが労働協約締結を拒否する同社に対して行ったストライキに、港湾労働者や郵便労働者などが同情スト(テスラ車だけ荷下ろし拒否、テスラ車のナンバープレートだけ配達拒否など)で協力した」と述べ、「公共性とは国家権力への依存ではなく、産業横断的な連帯にある」と締めくくっている。

この「あとがき」の記述に注目していただいたのは内心ありがたかったです。スウェーデンは福祉国家なだけじゃなく、国家権力から独立した労使自治を原理的に追求する国でもあるのです。

 

 

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コメント

労の集まりと使の集まりは別物で、その間で交渉をしている訳なのですが、
A社とB社が交渉し、契約をすることは自治とは、あまり言いませんから、
労使自治という言葉は語弊があるかもしれません。むしろ、労使一体化を
良しとするメンバーシップ型理念は自治という言葉が相応しいと思います。
メンバーシップ型に対しては、そんなに労使自治がやりたいのなら、株式
会社ではなくて、労働協同組合でやればいいのでないですか、と思います。

>スウェーデンは福祉国家なだけじゃなく、国家権力から独立した労使自治を原理的に追求する国でもあるのです。

 と言うよりも国家権力から独立した労使自治を原理的に追求したからこそ、そこから生まれた社会保険などの従業員への福祉サービスを国家権力を絡めて社会に拡大適用したのが福祉国家である、という事だと思います。
 日本ではまだこのような考え方が一般化していないようですが。

会社がそのメンバーである労働者(正社員)の生活を保障すべきであるから、
給与所得に対して課税するな、というのが旧来の日本型生活保障の原理です。

> トヨタとか日立とかの各会社が学校を設立し、その会社の社員でものを教えられそうな有能なのやその奥さんを適当に見繕って、人事異動で教師に回して教えさせる、部活もやらせる、ってのでしょうね。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2023/01/post-4afa46.html

因みに、リバタリアンは会社は社員の生活の面倒を見ろとは言わないでしょ。

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