吉岡真史さんの拙著評
元経済企画庁・内閣府のエコノミストで現在は立命館大学教授の吉岡真史さんが、「経済学部教授のブログ」で拙著『賃金とは何か』を取り上げていただいているのですが・・・
次に、濱口桂一郎『賃金とは何か』(朝日新書)を読みました。著者は、労働省(旧)のご出身で、労働政策研究・研修機構(JILPT)の労働政策研究所の所長です。エコノミストではありませんから、タイトルに引かれて読んだ本書でも、経済学的な賃金についてはほとんど何も解明されていません。すなわち、本書は3部構成となっていて、第Ⅰ部が賃金の決め方、第Ⅱ部が賃金の上げ方、第Ⅲ部が賃金の支え方、となっています。その上、第Ⅰ部がボリューム的に過半のページ数を割かれており、日本の賃金の決め方の歴史が延々と展開されています。経済学的な決まり方ではありません。その意味で、歴史の勉強にはなりますが、戦後日本の労働慣行の大きな特徴である長期雇用と年功賃金が経済学的には補完関係にある点などは、誠に残念ながら、それほど詳しく言及されているわけではありません。
経済学者の眼から見て賃金について論じるべきことはほとんど書かれていない、ということのようです。
では、経済学者の立場からはいかなる議論を展開するべきなのかというと、
エコノミストの目から見て、本書のタイトルの問いに答えるとすれば、賃金のもっとも重要な本質のひとつは要素所得である、ということになります。もう少していねいに表現すれば、経済活動あるいは生産活動が行われ付加価値が得られた後に、その付加価値が経済活動あるいは生産活動に参加した生産要素の間に分配されるうちの労働の取り分、ということになります。もう一方の取り分は資本に配分されます。
なるほど。でもそういうことどもについて私に論じろというのは無理難題の類ですし、そういう議論は世の中にいっぱいあって、それはそれでいいのですが、逆に本書で展開したような制度論的な、あるいは労使関係論的な賃金論というものは、残念ながら昨今は全く人気がなくって、それこそ大学や大学院の教科書の類の中になかなかそういう議論を見つけることも難しい状態ですので、拙著には拙著の存在理由があると考えています。
いくつかの統計で企業の利益剰余金が積み上がっている一方で、賃金がまったく上がっていない、日本の賃金は韓国にも抜かれて先進国の中で最低レベル、というのはエコノミストの間で広く確認されていところです。でも、階級闘争が激化したり、ましてや革命に至ったりすることは目先まったく予想されず、政権交代すら見込めないのは私には大きな謎です。
いやまさに、なぜ日本の賃金が上がらないのかについて、そういう経済学的な観点からではなく、制度論的観点から「定期昇給があるから」という答えを提示したのが本書だったつもりなのですが。
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コメント
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吉岡先生ですが、経歴を検索しましたところ、目がテンになりました。
2013/04/01 ~ 2014/08/15
勤務先 労働政策研究研修機構
部署名 経済社会と労働部門
役職名 統括研究員
hamachan先生が今おられるところでは?
ここで研究されたのであればご著書を少しでも理解しようと言う気を起こさないものですかねえ?
おまけに
>でも、階級闘争が激化したり、ましてや革命に至ったりすることは目先まったく予想されず、政権交代すら見込めないのは私には大きな謎です。
…階級闘争…。
…革命…。
吉岡センセイ、貴方はマルクス経済学者にでもおなり遊ばされたのですか(^^;
投稿: balthazar | 2024年9月28日 (土) 22時30分
経済学セクターでも全く人気なかった分配が一気に注目される時代ですね
それを支える制度論もそうあってほしいものです
学生には人気あるんですが大学側がダメかな笑
投稿: 耕ちゃん | 2024年9月29日 (日) 06時21分
アプローチの方法は違えど、「謎」についてhamachan先生はその理由を述べています。
「謎」というのは学者にとって飯のタネであり、取り組むべきことだと考えているのですが、この「謎」を放置したままの世に多くいる経済学者は何をやっているんでしょうね。
吉岡先生がそうだというわけではありませんが、実学たる経済学の先生方には活発な議論を期待したいところです。
投稿: いけだ | 2024年9月29日 (日) 21時34分
「階級闘争が激化したり、ましてや革命に至ったりすることは目先まったく予想されず、政権交代すら見込めない」のは、なぜか。
それはhamachan先生が、「年功給か職務給か?@『労働情報』にコメント 2017年6月 2日 (金)、2024年10月 3日 (木) 再掲載」でおっしゃられているような、「若年・中年男性非正規労働者がいかに生活に苦しんでいたとしても、それは彼らの「能力」不足の帰結に過ぎない」、すべてはそのような能力を獲得することを怠った本人の自己責任である、というイデオロギーが、今日では、もちろん男女を問わず、日本社会の隅々まで浸透した反面、それに対抗しうるだけの、説得力を有するイデオロギー体系(冷戦終結前の「社会主義」など)が完全に消滅していることが、主要な原因である、と私は考えていますが、皆様はいかがお考えでしょうか。
投稿: SATO | 2024年10月 3日 (木) 18時50分
SATO様
日本社会では「自己責任」論に対抗しうるだけの説得力を有するイデオロギー体系が完全に消滅している、と言うのは全くその通りであると思います。
日本ではもともと「自己責任論に対抗しうるだけの説得力を有するイデオロギー体系」が他の地域の社会に比べて深く根付いていなかったと言うのがあろうかと思います。
欧米社会ではユダヤ・キリスト教が説く「隣人愛」、そして日本の近隣諸国が含まれる東アジア社会では儒教の「孝悌」思想、と言う「個人と個人同士で連帯する」イデオロギーが根付いており、それが社会を支えるイデオロギーともなっている。
対する日本は一応東アジア社会に含まれますが同じ儒教でも主君に対する「忠」が強調されるように「個人と個人同士で連帯する」イデオロギーがそれほど深く根付いていなかった。
それゆえに近代以降、「自己責任」論が蔓延することになってしまったのではないでしょうか。
投稿: balthazar | 2024年10月 5日 (土) 06時57分