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2024年9月

2024年9月18日 (水)

ポケベル異聞

ポケットベル、略称ポケベルといえば、労働法界隈ではやはり昭和63年基発第1号通達でしょう。1987年労働基準法改正でそれまでの省令レベルから法律上に規定された事業場外労働のみなし労働時間制について、「事業場外で業務に従事する場合であっても、使用者の具体的な指揮監督が及んでいる場合については、労働時間の算定が可能であるので、みなし労働時間制の適用はない」と釘を刺し、その例として「事業場外で業務に従事するが、無線やポケットベル等によって随時使用者の指示を受けながら労働している場合」を挙げています。 

この40年近く前にはごくごく普通に存在していた原始的電子機器が時を経るに従って世の中にほとんど存在しない代物になっていき、いまや若い人たちから「ポケットベルって何ですか?」という問いが発せられて答えるのに苦労するという事態が日本各地で発生しているわけです。

その昔、スマホどころかガラケーもなかった時代、外回りの営業マンたちはポケベルというのを持たされてだな、これは通信機能はないので話はできないんだが、本社から連絡すべきことがあるとピーピーなるんだな、そうすると、近くの電話ボックスに駆け込んで、いや昔は町のあちこちに電話ボックスというのがあってだな、お金を入れて電話できたんだよ。ていうか、スマホもガラケーもない時代だから、そうしないと話はできないんだな、ポケベルがピーピーなると、電話ボックスから本社に電話して「はい、濱口ですが、何でしょうか」と聞くわけだ、昔はそういうのがあったんだ、そのポケベルが、今でも事業場外労働の通達では生きてるんだね、というふうに、説明するわけです。

Poke ところがこの2024年になって、この古典的電子機器がスパイ戦争の最前線で注目を集めることになったというのです。

ポケベル爆発 ヒズボラ“イスラエルによる犯行だ”報復を示唆

中東レバノンの各地で「ポケットベル」タイプの通信機器が爆発し、これまでに12人が死亡し、2700人以上がけがをしました。
レバノンを拠点とするイスラム教シーア派組織ヒズボラはイスラエルによる犯行だとして報復を示唆しています。
一方、ヒズボラは安全を確保するための通信手段としてこの通信機器を関係者に配っていました。

ヒズボラがなぜこういう原始的電子機器を使っていたのかといえば、スマホやガラケーではどこにいるかが分かってしまうからなんでしょうね。ポケベルの良さは、それだけではどこにいるかはわからない点なのでしょう。だから「安全を確保するための通信手段」なのでしょうが、それでもモサドの手にかかると、こういう風に使われてしまうというわけです。

2024年9月17日 (火)

労働法の立法学第71回「企業内教育訓練への支援政策」@『季刊労働法』286号

286_h1347x500_20240917114001 『季刊労働法』286号が届きました。労働法の立法学第71回の拙稿「企業内教育訓練への支援政策」も掲載されております。

https://www.roudou-kk.co.jp/books/quarterly/12405/

拙稿の中身は以下の通りです。

1 徒弟制から技能者養成制度へ
(1) 徒弟制
(2) 工場法における徒弟制
(3) 戦時下の技能者養成
(4) 労働基準法における技能者養成制度

2 職業訓練法における認定職業訓練
(1) 1958年職業訓練法
(2) 1969年職業訓練法
(3) 雇用保険法による能力開発事業

3 企業内教育訓練自体への支援
(1) 1978年改正職業訓練法
(2) 多様な企業内教育訓練への助成金
(3) 認定職業訓練の拡大
(4) 職業訓練法から職業能力開発促進法へ

4 個人主導能力開発時代の企業内教育訓練への支援
(1) 自己啓発へのシフト
(2) 個人主導の職業能力開発の強調
(3) キャリア形成支援への政策転換
(4) 日本版デュアルシステムから実習併用職業訓練へ
(5) ジョブ・カード制度

 

 

 

2024年9月14日 (土)

第1回産業競争力会議雇用・人材分科会有識者ヒアリング(平成25年11月5日)

自民党総裁選で解雇規制の話がますます迷走しているようですが、たぶんあんまりよくわかっていない人々に噛んで含めるように可能な限りわかりやすく説明した議事録がありますので、これももう11年前のものですが、再掲しておきます。

第2次安倍内閣が発足して1年足らずの平成25年(2013年)の11月に、官邸に設置された産業競争力会議の雇用・人材分科会に有識者として呼ばれてお話したものです。

第1回産業競争力会議雇用・人材分科会有識者ヒアリング議事要旨

 私からは若干広く今後の労働法制のあり方について、雇用システムという観点からお話をさせていただく。
 ここ半年近くの議論について感じていることを申し上げる。雇用というものが法律で規制されている、その法規制が岩盤であるといった言い方で批判をされているが、どうも根本的にその認識にずれがあるのではないかと感じている。
 むしろ私が思うのは、現代の日本では特にこの雇用・労働分野については法規制が乏しい、ある意味で欠如しているがゆえに、慣行というものが生の形で規制的な力をもたらしている。そのメカニズムを誤解して、法規制が諸悪の根源であるという形で議論をすると、かえって議論が混迷することになるのではないかと思っている。それゆえ、まずは問題の根源である日本型の雇用システムからお話をしたい。
 本当はこれだけでも1時間や2時間かかる議論だが、ごくざっくりとお話をすると、雇用のあり方を私はごく単純にジョブ型とメンバーシップ型とに分けている。日本以外は基本的にジョブ型。日本も、法律上ではジョブ型。
 ジョブ型とは、職務や労働時間、勤務地が原則限定されるもの。入るときも欠員補充という形で就「職」をする。日本は、就「職」はほとんどせず、会社に入る。「職」に就くのだから、「職」がなくなるというのは実は最も正当な解雇理由になる。欧米・アジア諸国は全てこれだし、日本の実定法上も本来はジョブ型。
 ところが、日本の現実の姿は、メンバーシップ型と呼んでいるが、職務も労働時間も勤務地も原則無限定。新卒一括採用で、「職」に就くのではなく、会社に入る。これは最高裁の判例法理で、契約上、絶対に他の「職」には回さないと言っていない限りは、配転を受け入れる義務があり、それを拒否すると懲戒解雇されても文句は言えないことになっている。
 それだけの強大な人事権を持っているので、逆に、配転が可能な限り、解雇は正当とされにくくなる。一方、残業を拒否したり配転を拒否したりすれば、それは解雇の正当な理由になる。日本の実定法は、そのようにしろと言っているわけではなく、むしろ逆である。にもかかわらず、いわば日本の企業が、もう少し正確に言うと人事部が、それを作り上げ、そして、企業別組合がそれに乗っかり、役所は雇用調整助成金のような形で、端からそれを応援してきたというだけのこと。しかしながら、法規制が欠如していることによって、これが全面に出てくる。
 実は1980年代までは、メンバーシップ型のシステムが日本の競争力の源泉だと称賛をされていた。ところが、1990年代以降は、いろいろな理由でメンバーシップ型の正社員が縮小し、そこからこぼれ落ちた方々は、パート、アルバイト型の非正規労働者になってきた。とりわけ新卒の若者が不本意な非正規になってきたことが社会問題化されてきた。一方、正社員はハッピーかというと、いわゆるメンバーシップ型を前提に働かせておきながら、長期的な保障もないといういわゆるブラック企業現象が問題になってきている。
 したがって、求められているのは規制改革ではない。規制があるからではなく、規制がないからいろいろな問題が出ている。雇用内容規制が極小化されるとともに、その代償として雇用保障が極大化されているメンバーシップ型の正社員のパッケージと、労働条件や雇用保障が極小化されている非正規のパッケージ、この二者択一をどうやっていくかというのがまさに今、求められていることだろう。一言で言うと、今、必要なのはシステム改革であって、それを規制改革だと誤解すると、いろいろな問題が生じてくる。

 以下、規制改革であると誤解することによる問題を述べる。まず、一番大きなものが解雇規制の問題である。非常に多くの方々が、労働契約法第16条が解雇を規制していると誤解し、人によってはこれが諸悪の根源だと言う方もいるのだが、これは客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない解雇を権利濫用として無効とすると言っているだけである。つまり、これは規制をしておらず、それまでの判例法理を文章化しただけである。
 本来、権利濫用というのは、権利を行使するのが当たり前で、例外として権利濫用を無効とするというだけなのだが、その権利濫用という例外が、現実には極大化している。
 なぜかというと、裁判官が何も考えず勝手に増やしたわけではなく、そこに持ち込まれる事案がメンバーシップ型の正社員のケースが圧倒的に多いため。彼らは職務も労働時間も勤務地も原則無限定だから、会社側には社内に配転をする権利があるし、労働者側にはそれを受け入れる義務がある。そうであるならば、例えば会社から「濱口君、来週から北海道で営業してくれたまえ」と言われれば受けなければならない人を、たまたまその仕事がなくなったからといって整理解雇することが認められるかと言えば、それはできないだろう。つまり規制の問題ではなく、まさにシステムの問題。
 日本よりヨーロッパの方が整理解雇しやすいと言われている。それは事実としてはそのとおりだが、法体系、法規制そのものはヨーロッパの方が非常に事細かに規制をしている。それではなぜヨーロッパは、整理解雇が日本に比べてしやすいと見えるのかというと、それはそもそも仕事と場所が決まっており、会社側には配転を命ずる権利がないから。権利がないのに、いざというときにしてはいけないことをやれと命ずることができないのは当然。逆に日本は会社にその権利があるから、いざというときにはその権利を行使しろということになる。
 そうすると、この法律はどうできるのかという話になる。単純に労働契約法第16条を、例えば客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない権利濫用であっても有効であるとするのは、だめなものはだめと書いているのをだめなことはいいと書きかえろと言っているだけの話なので、それは法理上不可能。気に食わないからこれを削除してしまったらどうなるかと言えば、これは2003年以前の状態に戻るだけ。
 まさに八代先生が、その規定が全くない状態でどうするかということを議論されていたときに戻るだけなので、実はそんなものは何の意味もない。逆に皮肉だが、欧州並みに解雇規制を法律上設ければ、その例外、すなわち解雇できる場合というのも明確化される。これは別にこうしろという意味ではなくて、例えばこんなことが考えられるだろう。
 使用者は次の各号の場合を除き、労働者を解雇してはならない。
一 労働者が重大な非行を行った場合
二 労働者が労働契約に定める職務を遂行する能力に欠ける場合
三 企業経営上の理由により労働契約に定める職務が消滅または縮小する場合
 当然、職務が縮小する場合は対象者を公正に選定しなければならないし、また、組合や従業員代表と協議しなければならない。実はこれは今とあまり変わらない。何が違うかというと、労働契約に定める職務というものが定められていなくて何でもしなければならないのであれば、要するに回せる職務がある限りはこれに当たらないということが明確化するということ。すなわち、規制がない状態から規制を作るというのも、1つの規制改革であろうというのがここで申し上げたいこと。
 解雇についてはもう一点。いわゆる金銭解決という問題があるが、これもまた多くの方々がかなり誤解しているのは、日本の実定法上で解雇を金銭解決してはならないなどという、そんなばかげた法律はどこにもない。かつ、現実に金銭解決は山のようにある。
 金銭解決ができない、正確に言うと金銭解決の判決が出せないのは、裁判所で解雇無効の判決が出た場合のみ。判決に至るまでに和解すれば、それはほとんど金銭解決しているということだし、あるいは同じ裁判所でも労働審判という形をとれば、それはほとんど金銭解決をしていることになる。行政機関である労働局のあっせんであれば、金銭解決しているのが3割で、残りは金銭解決すらしていない。いわば泣き寝入りの方がむしろ多い。そこまで来ないものもあるので、現実に日本で行われている解雇のうち金銭解決ができないから問題であるというのは、実は氷山の一角というよりも、本当に上澄みの一部だけ。
 むしろ問題は、私は労働局のあっせん事案を千数百件ほど分析したが、3割しか解決していないというのも問題だが、解決している事案についても、例えば解決金の平均は約17万円であるということ。労働審判の方は大体100万円であることを考えると、金銭解決の基準が明確になっていないために、非常に低額の解決をもたらしているか、あるいは解決すらしていないことになる。大企業の正社員でお金のある人ほど裁判ができるが、そうではない中小零細企業になればなるほど、あるいは非正規になればなるほど裁判はできない。弁護士を頼むということもできず、低額の解決あるいは未解決になっていることに着目をして、まさに中小零細企業あるいは非正規の労働者の保護という観点から、解雇の金銭解決を法律に定めていくことに意味があるのではないか。
 ドイツの法律を前提として解雇無効の場合にも金銭解決ができるという書き方をしても、そんなものは解雇の判決の後だけの話なのだから、その前には役に立たないということを言う人がいるが、ドイツでは、労働裁判所に年間数十万件の案件が来ているが、圧倒的大部分は実は判決に至る前の和解で解決している。なぜ解決できるかというと、法律で金銭解決の基準が定まっているから。
 もう一つ言うと、日本の場合、金銭解決というと必ずドイツ式が議論される。ドイツは、社会的に不当な解雇は無効であるとした上で、無効であっても金銭解決はできるとなっている。しかし、実はイギリスやフランスなどヨーロッパの多くの国々は、もちろん不当な解雇がいいなどという法律はないが、不当な解雇だから必ず無効になるというわけでもなく、その場合、金銭解決をすることがむしろ原則となっており、また、悪質な場合には裁判官が復職、再雇用を命ずることができるという規定もある。不当な解雇の効果、法的な効果をどうするかということについて、既存の判例をそのまま法律にしなければいけないと思えば別だが、そうではなく、新しく作るということであれば、実はヨーロッパのいろいろな国々の法システムの中には参考になるものがあるのではないか。以上が解雇についての誤解を解くお話。・・・

 

 

 

本日の日経新聞書評欄に登場

Asahishinsho_20240914084801 本日(9月14日)の日本経済新聞の書評欄に、拙著『賃金とは何か』が取り上げられています。

賃金とは何か 濱口桂一郎著 定期昇給が停滞の背景に

 一昨年まで、日本の賃金はなかなか上がらない状況が約30年にわたって続いてきた。デフレだけで説明はつかない。日本独特の賃金の決め方と、上げ方に根本的な要因があった。

 年功賃金や定期昇給、ベースアップといった仕組みはどのように生まれ、変遷をたどってきたのか。戦前まで遡り歴史を振り返ることで、賃上げ停滞の背景を探っている。

 今や賃上げは国政の重要課題だ。岸田文雄政権は欧米流の職務給(ジョブ型賃金)の導入を企業に呼びかけている。・・・・

という風に、さらりとした紹介です。

最後のところで、こんなメリットも指摘しています。 

・・・・賃金の基礎知識を網羅し、資料価値もある一冊だ。

2024年9月12日 (木)

『労働新聞』書評に金子良事さん

Asahishinsho_20240912090801 私がレギュラー執筆者として月1回寄稿している『労働新聞』の「書方箋 この本、効キマス」に、ゲスト寄稿者として金子良事さんが登場しました。書評している本は・・・・

【書方箋 この本、効キマス】第81回 『賃金とは何か 職務給の蹉跌と所属給の呪縛』 濱口 桂一郎 著/金子 良事

なんと7月に出たばかりの拙著でした。

同じコラムの執筆陣の著書を取り上げたといえば、私自身も8月5日号で三宅香帆さんの『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を取り上げていますが、でも三宅さんが執筆していたのはもう2年前ですからね。

Img_8774300x400 この選書はいささか八百長感が漂うのでいかがなものかとも思うのですが、まあでも金子さんとして(ご自分のブログで書くだけではなく)いいたいことがあったからなのでしょう。

『賃金とは何か』が岸田文雄総理の退陣に間に合った。流行りのジョブ型雇用の言葉の生みの親で知られる著者の最新刊である。「ジョブ型雇用」は著者の意図せざるところで展開してしまった感もあるが、「メンバーシップ型雇用」とともに人口に膾炙しやすかったこともたしかである。本書の序章でもこのふたつの概念を使った見取り図を描いている。

 こういう理論モデルで捉えることには功罪があって、概観しやすい反面、細部の観察がおろそかになるリスクを抱えている。だが本書は現代の読者に読みやすいように、たとえば戦前の資料を口語訳するような作業をしているが、基本的には資料そのものの紹介に重きを置き、理論的に丸めるようなことはしていない。

金子さんは、本書の中で一番目立たなさそうな第Ⅲ部(賃金の支え方)を持ち上げているのですが、

本書で読むべきところは、第3部の賃金の支え方、すなわち最低賃金制度である。第1~2部は今までどういう議論がされて来たのかという議論を概観するという意味ではざっと読めば良いが、政策的含意は、政府が賃金制度(この場合、職務給)の改革方針を掲げても、それで企業の制度が変わることはないということなので、これを読んで企業の人事の方が人事制度を考えようとしてもあまり意味がない(ただし、ベースアップと定期昇給の違いが分からないという人は2部を繰り返し読むと良い)。

実は書いた立場からすると、第Ⅲ部はそれほど大したことを書いた気はしていないのです。『日本の労働法政策』の該当部分を膨らませただけという感じです。第Ⅰ部も、今までジョブ型、メンバーシップ型のはなしを、職務給をめぐる政策論争史として再構成しただけでそれほど目新しいことを書いたわけではない。

自分として、かなり踏み込んで書いたつもりだったのは第Ⅱ部で、もちろん、今ではそもそもあんまり理解されなくなってきているベースアップと定期昇給について、こういうことなんだよと昔の常識を説明するという意味もありますが、そもそもこの両者の意味を理解している人々もちゃんと理解していなかったその「出生の秘密」を、かなり細部に分け入って解明したという点は、私としては内心「ここをこそ読んでほしい」と思っていたところではありました。

連合創立を機に協調的労使関係が完成したと捉えられ、かつての3大労働行政のひとつであった労政は後退した。本書で数多く参照されている労働官僚の先達も労使関係を重視していた。私には、著者が賃金を切り口に、改めて政労使の三者構成の意義を後生に伝えようとしたのではないかと思えてならない。

まあ、あとがきでわざわざスウェーデンの労働組合の対テスラ争議を取り上げたのは、集団的労使関係を強調したかったからであることは確かです。

 

 

 

 

 

 

2024年9月11日 (水)

『季刊労働法』2024秋号(286号)

286_h1347x500 『季刊労働法』2024秋号(286号)の案内が労働開発研究会のサイトに出ています。

https://www.roudou-kk.co.jp/books/quarterly/12405/

特集:リプロダクティブ・ヘルスと労働法

 「性と生殖に関する健康と権利」と訳されるリプロダクティブ・ヘルス・ライツ。近年、諸外国では、人権保障の観点から、女性特有の体調のゆらぎに対する政策的対応が深化しています。日本でも、そうした政策的対応が強化され、科学的根拠に基づく施策が打ち出されつつあります。今号では、先進的な取り組みが見られるスペイン、ハンガリーの動向を分析し、リプロダクティブ・ヘルスの尊重の視角から、日本の法制度の課題を検討します。

本特集の目的 福岡大学教授 所 浩代

職場のウェルビーイングと月経の健康~ SRHRの概念の発展を踏まえて 福岡大学教授 所 浩代

女性の健康と労働法~スペインの新たな展開 マドリード・カルロス3世大学(スペイン)准教授 ダニエル・ペレズ・デル・プラド

月経の健康、生理休暇及び雇用法~ハンガリーに重点を置いた法的考察 ミシュコルツ大学(ハンガリー)准教授 ベルナデット・ソシモリ・セケレス

【特別企画】公務員集団的労働関係法をめぐる分野横断的検討(前編)

企画趣旨 金沢大学准教授 早津 裕貴

新たな公務労使関係法制の展望―労働法学の立場から 早稲田大学名誉教授 島田 陽一

公務員の勤務条件決定システムの制度構築と憲法28条:憲法28条論における「制度的思考」の可能性 大阪公立大学名誉教授 渡邊 賢

公務員勤務条件決定システムとしての団体協約制度に関する立法論の基本的視座ー行政法学の立場から 千葉大学教授 下井 康史

■集中連載 AI・アルゴリズムの導入・展開と労働法■

職場におけるAI・アルゴリズムの導入・展開と労使コミュニケーションの可能性?―イギリス・TUC のプロジェクトの軌跡とAI 法案の趣旨・内容 九州大学准教授 新屋敷 恵美子

■論説■
ドイツ労働法における政治的な排外主義とヘイトスピーチ禁止~憂うドイツの「闘う民主制」 立正大学教授 高橋 賢司

公益通報目的の情報収集行為を理由とする懲戒処分と国家賠償請求―京都市(児童相談所職員・国家賠償請求)事件・京都地判令5・4・27判例集未登載を契機として 小樽商科大学教授 國武 英生

交渉担当者をめぐる「特別の事情」(地公法55条6項)の解釈と団結権侵害の問題―春日井市教職員労組事件・名古屋地判令6・5・29を契機として 南山大学教授 緒方 桂子

アメリカの組合組織化をめぐる労使関係と法―「スターバックス、アマゾン」のその後― 獨協大学特任教授 中窪 裕也

■要件事実で読む労働判例―主張立証のポイント 第9回■
労働者の辞職・退職の意思表示をめぐる紛争の要件事実―医療法人A病院事件(札幌高判令和4・3・8労判1268号39頁)を素材に 弁護士 加部 歩人

■イギリス労働法研究会 第44回■
イギリスにおける全国最低賃金法(National Minimum Wage Act 1998)の目的と性格―「社会的賃金」を分析概念として― 西南学院大学大学院博士後期課程 菊池 章博

■労働法の立法学 第71回■
企業内教育訓練への支援政策 労働政策研究・研修機構労働政策研究所長 濱口 桂一郎

■判例研究■
障害を有する労働者に対する配慮義務違反が否定された例 Man to Man Animo 事件(岐阜地判令4・8・30労判1297号138頁) 東京経済大学准教授 常森 裕介

■重要労働判例解説■
上司への誹謗中傷等を理由とした降格処分の有効性が争われた例 セントラルインターナショナル事件(東京高判令和4・9・22労判1304号52頁、さいたま地判令和2・9・10労判1304号63頁) 富山県立大学教養教育センター教授 大石 玄 

 

 

 

2024年9月10日 (火)

高木剛さん死去

As20240909002941 元連合会長の高木剛さんが亡くなったというニュースが飛び込んできました。

元連合会長、高木剛さん死去 民主党の09年政権交代を後押し

 労働組合の中央組織・連合の会長を務め、2009年の民主党政権誕生を後押しした高木剛(たかぎ・つよし)さんが2日、死去した。80歳だった。葬儀は近親者で営んだ。
 三重県出身。東大法学部を卒業後、1967年に旭化成工業(現旭化成)に入社した。69年に労組の専従になり、全旭化成労組連合会書記長やゼンセン同盟(現UAゼンセン)会長を歴任。05年に連合の5代目会長に選ばれ、07年に再選して09年まで務めた。
 連合会長として小沢一郎・民主党代表(当時)と深い関係を築いた。一緒に全国行脚するなどして民主党の躍進を支え、政権交代に貢献した。
 連合内に非正規労働センターを設け、正社員中心の労働運動の見直しも進めた。
 東大では野球部で活躍。労働界では早くから、政界、官界に人脈を持つ新時代のリーダーと目された。外務省に出向し、初の労組出身外交官として在タイ1等書記官を務めたこともあった。 

高木さんとは(酒席も含め)何回かお目にかかっていろいろと興味深い話を伺ったこともありました。

晩年は足を悪くされ、杖をつきながらヒアリングの場に来られていたことも思い出します。

本ブログでは、高木さんのオーラルヒストリーを取り上げたことがあります。

『高木剛オーラル・ヒストリー』

労働関係者オーラルヒストリーシリーズの『高木剛オーラル・ヒストリー』をお送りいただきました。インタビュワは例によって、南雲さん、梅崎さん、島西さんです。

高木剛さんといえば、言わずと知れた元連合会長ですが、その前のゼンセン同盟会長時代、さらにその前の旭化成労組時代など、いろんなエピソードがてんこ盛りです。

ゼンセンといえば、本ブログでも紹介した二宮誠さんのようなオルグ馬鹿一代記みたいな武闘派が思い浮かびますが、逢見直人さんのような学者肌のプロパーもおり、そして高木さんのような企業単組から引っ張られて来た人もいます。高木さんは東大卒業後旭化成に入って、数年後に、本部書記長が来て「君に組合に来てもらうことになったからね」の一言で、4年のつもりが50年になったと述懐しています。鷲尾さんなどと同じタイプです。

旭化成労組書記長時代で興味深いのは、職務給導入にまつわる話です。

・・・ただ、完全職務給化していくというのは大変で、全職種について職務分析をやらなければならないし、職務分析がちゃんと真っ当なものか、一方的に会社のいうことだけではなくて、組合も一緒になって評価しないと組合員の信頼にも関わるから、職務分析・評価の作業に組合も付き合うのが大変だった。全職種を職務分析・評価するのは大仕事。だから労使とも、担当者が主事業所を飛び回って、年のうち何百日出張だというのを2年ぐらいやったのかな。それで、全職種。職務給も、1級からあるけれど、一番低いのは実質的には3級ぐらいから。それで8級まで職務価値で格付ける。9級から上はもう役付だから、職務分析に値せずということで。・・・

管理職からジョブ型にするなどという近頃のひっくり返った訳の分からない話に比べれば、ランクアンドファイル中心に職務給導入という、労使とも真っ当な発想であったことが分かります。そういう昔のことを覚えている人がほとんどいなくなったので、インチキコンサルのでたらめジョブ型が流行るんでしょうけど。閑話休題。

それから、いま統一協会の件で選挙活動の手足になるボランタリー労働力の問題が注目を集めていますが、労働組合は別に宗教団体じゃないので、神仏の御心でただ働きというわけにはいかないけれども、公職選挙法上はただ働きしてもらわないと困るというわけで、こういう話になるようです。

・・・これは新聞に書かれると困るような話もいっぱいあるけどさ。公職選挙法というのは厄介で、戸別訪問したらいかんというし、仕事中に抜けていって選挙運動をやると運動買収だというし。だから、年休を取らさなければいけない。個人が勝手に個人の意思で年休を取って、たまたま選挙運動にいっただけだというふうにせなあかんわけだから。みんなに「年休を取って選挙運動にいってくれ」と頼むわけよ。それは最初の1年、2年はよかったけれど、毎年続くと「あの年休は後で返せよ」ということになる。・・・

また、昨年茨城の方で実現した労組法18条の労働協約の拡張適用についても、高木さんがゼンセン産業政策局長時代に、愛知県で実現しているんですね。

・・・労組法18条を具体的に運動としてやって実現させたところはそう多くない。それは大変なこと。4分の1の労働者を雇用する経営者は、「何で俺らが県の言うことを聞かなあかんのだ。県の命令かなんか知らんけど、なんじゃ」と。県にも文句を言うわ。県会議員は出てくるわ、大騒ぎよ(笑)。それは15年ぐらい続いたのかな。拡張適用をね。・・・

高木さんの話はまことに多岐にわたります。今朝の朝日新聞の「(中国共産党大会2022)指導部にガラスの天井 政治局員25人中、女性は1人」に出てくる孫春蘭副首相も、中華総工会の秘書長時代に、ILOの理事選挙関係でガイ・ライダーを交えて交渉したという思い出を語っています。

https://www.asahi.com/articles/DA3S15371768.html

・・・その時に交渉に来たのが、総工会の秘書長で孫春蘭という女性。立派な人だったよ。いまは、中国共産党の政治局員だな。女性でいま一番偉いのか。常務委員にはなっていないけど。このおばさんは、いまは副首相をしているよ。孫春蘭さんといって、もともとは女工さん上がりよ。優秀な人で、交渉もタフだった。・・・

そして、ちょうどいまデッドロックに引っかかったみたいになっている最低賃金ですが、これが急激に上がり始めた第1次安倍内閣のときのこういういきさつも、率直に語っています。

・・・最賃の話は、連合の時に頼まれて俺もだいぶ骨を折ったから。「もう、1円、2円上げる話はやめた。そんな最賃なら決めてくれんでいい」といってがんばった。安倍内閣の厚労大臣をやっとったのが愛媛出身の塩崎(恭久)氏で、その塩崎氏が官房長官の時の話だが、「最賃をなんとかならないか」と言ったら、「やりましょうや」と言ってやってくれて、塩崎氏と大田弘子さんの2人が骨を折ってくれた。「1円、2円の話は付き合わんぞ。何十円の話だ」と説得し、結局、何十円の話になった。だから、これも連合会長時代の話だけど、「最賃の問題を最賃審以外の場で、官邸の場で協議するようにしたから、組合も付き合ってくれ」という流れになった。そこで、私は連合で、「最賃のプロはもういい。官邸の会議には連れて行かん。お前らが議論するとまた1円、2円の話をしてくるから」と。・・・

官邸主導の最賃政策の裏ばなしですね。

そして、これは制度を作る上で高木さんが一番重要な役割を果たした労働審判制度についても、こんな思い出を語っています。

・・・こんな議論をしながら、菅野和夫先生にえらい骨を折ってもらって本郷三丁目の角に、いまはもうなくなったらしいけれども、「百万石」という料亭があったが、そこで菅野さんと矢野さんと私の3人で何回か議論をしたこともあった。・・・

そして、高木さんによればその副産物が労働契約法なのですが、そこにこういう齟齬があったようです。

・・・これについては部分的に賛否両論がいろいろあって、連合も中途半端な対応だったものだから菅野さんが後で怒っておった。「お前がやれと言うから一所懸命やったら、連合が横から口を入れてくるから叶わんかった」と言われたけどさ。「ええ、そんなことがあったんですか。申し訳ありませんでした」と謝罪したことがあった。・・・

これも、労働法政策的には大変興味をそそられる裏話です。

 

 

2024年9月 8日 (日)

「労使双方が納得する」解雇規制とは何か──解雇規制緩和論の正しい論じ方@『世界』2013年5月号(再掲)

先週水曜日(9月4日)に、河野太郎氏が解雇規制緩和を語ったということで、今から11年前の文章を古証文よろしく再掲したところですが、

解雇規制緩和論の誤解@『労基旬報』2013年5月25日号(再掲)

843 その後も、今度は小泉進次郎氏が解雇規制緩和を謳ったとかで、ネット上には解雇規制をめぐるあれこれの議論が氾濫していますが、さすがにこの10年間の議論をよく踏まえているのも多い一方で、脳内が20年前から進化していない御仁も結構いるようなので、ほぼ同じころに書いたものですが、少しだけ詳しいのを一部省略して再掲しておきます。

「「労使双方が納得する」解雇規制とは何か──解雇規制緩和論の正しい論じ方」 @『世界』2013年5月号

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日本の解雇規制は厳しいのか?
 さて、ここまで読まれて読者はいぶかしく感じておられると思う。筆者は日本の解雇規制が「先進国でもっとも厳しい」という日経新聞の論調を批判しながら、その解雇規制を緩和しようとしている(ように見える)経済財政諮問会議や規制改革会議の議論には反対ではないらしい。いったいどうなっているのか、と。
 答えはこうである。日本の解雇規制そのものは、ヨーロッパ諸国のものと比べて何ら厳しいわけではない。しかし、解雇規制が適用される雇用契約の在り方がヨーロッパ諸国とまったく異なっている。そのため、ある局面を捉えれば、日本はヨーロッパよりも解雇規制が厳しいように見え、別の局面を捉えれば、ずっと解雇しやすいように見えるのだ、と。
 これでも話が抽象的でよくわからない、という声が聞こえてきそうである。少し腰を落ち着けて議論をしておこう。以下は、拙著『新しい労働社会』(岩波新書)で展開した議論の要約である。
 日本型雇用システムの本質は「正社員」と呼ばれる労働者の雇用契約にジョブ(職務)の限定がないという点にある。日本以外の社会では企業の中の労働をその種類ごとにジョブとして切り出し、その各ジョブに対応する形で労働者を採用し、その定められた労働に従事させるのに対し、日本型雇用システムでは、企業の中の労働をジョブごとに切り出さずに一括して雇用契約の目的にする。労働者は企業の中のすべての労働に従事する義務があるし、使用者はそれを要求する権利を持つ。
 もちろん、実際には労働者が従事するのは個別のジョブである。しかし、それは雇用契約で特定されているわけではない。どのジョブに従事するかは、使用者の命令によって決まる。雇用契約それ自体の中には具体的なジョブは定められておらず、そのつどジョブが書き込まれるべき空白の石版であるという点が、日本型雇用システムの最も重要な本質である。これは企業という共同体のメンバーシップを付与する契約と考えることができる。
 日本以外の社会のように具体的なジョブを特定して雇用契約を締結するのであれば、企業の中でそのジョブに必要な人員のみを採用することになるし、そのジョブに必要な人員が減少すればその契約を解除する必要が出てくる。ジョブが特定されている以上、そのジョブ以外の労働をさせることはできないからだ。ところが日本型雇用システムでは、契約でジョブが決まっていないのだから、あるジョブに必要な人員が減少しても、別のジョブで人員が足りなければ、そのジョブに異動させてメンバーシップを維持することができる。これをある人は、「雇用安定、職業不安定」と喝破した。
 しかしながら、これは逆に、日本以外の社会では正当と思われないような解雇を認めるロジックにもなり得る。日本の最高裁は、時間外労働や遠隔地への配転を拒否した労働者を懲戒解雇することを正当な解雇と認めているし、学生運動に従事していたことを理由に試用期間満了時に本採用を拒否したことも合理的としている。いわば、企業のメンバーとしてふさわしくないと判断された者に対する解雇への規制は緩やかなのである。
 
竹中平蔵氏の一方的な認識
 こういう観点からすると、先の日経新聞の記事がいう「先進国でもっとも厳しい」という認識がいかに一方的かがわかるだろう。そういう認識を前面に出して論じているのが、竹中平蔵氏である。彼は代表を務める「ポリシー・ウォッチ」で2月24日、次のように語っている。
 
規制改革はかなり幅広くやらなくてはならない。しかし、あえてその中の更に中心的な一丁目一番地の中の一丁目一番地として、雇用に関する労働市場に関する規制改革が重要であるということを述べたい。
・・・日本の正社員というのは世界の中で見ると非常に恵まれたというか、強く強く保護されていて容易に解雇ができず、結果的にそうなると企業は正社員をたくさん抱えるということが非常に大きな財務リスクを背負ってしまうので、常勤ではない非正規タイプの雇用を増やしてしまった。
本来どのような働き方をしたいかというのは個人の自由なはずで、多様な働き方を認めた上で、それでも同一労働同一条件、つまり正規も非正規も関係なく全員が雇用保険、そして年金に入れるという制度に収斂して行かなければならない。
 
 この議論も実は半分正しい。「日本の正社員というのは世界の中で見ると非常に」特殊な在り方であるということ自体、筆者が口を酸っぱくして言っていることである。しかし、その特殊さを、「非常に恵まれたというか、強く強く保護されていて容易に解雇ができず」という側面だけで捉えてしまうと、あたかも日本の企業は世界で最も博愛的で、異常なまでに自社の利益を顧みずに労働者保護ばかりに勤しんできたかのような、とんでもない誤解を与えることになる。
 もちろん、そんな馬鹿な話はない。日本型正社員の特殊さは、まず何よりも、職務も時間も空間も限定がなく、会社の命令で何でもやらなければならないというところにある。そういう無限定さの代償として、「何でもやらせられる」強大な人事権の論理必然的なコロラリーとして、いざというときにも「何でもやらせることによって解雇を回避する」努力義務というのが発生してくるのである。
 前者の側面だけ見れば、日本の企業は世界で最も人権を踏みにじるとんでもない存在に見えるが、そして、時間外労働を拒否したり、転勤を拒否したりする労働者を懲戒解雇してよろしいとお墨付きを出している日本の最高裁は、その人権無視の共犯者に見えるが、それもまた、後者の側面と相互補完的に組み合わされているが故に、一種の労使妥協として存在し得てきたのである。
 ここで重要なのは、こういう法社会学的な相互補完的存在構造が、経済学者の目には全然見えていない、ということであろう。だから、「日本の正社員というのは世界の中で見ると非常に恵まれたというか、強く強く保護されていて容易に解雇ができず」などという、半分だけ正しいけれども、残りの極めて重要な半分を無視した暴論を平気で言えてしまうわけである。
 
ヨーロッパ諸国の解雇規制
 こういう傾向は、経済学者にとって解雇とはもっぱら経営上の理由によるジョブレス解雇のことであって、ジョブはちゃんとあり、かつそのジョブをちゃんとやっているのに、労働者を解雇するといったたぐいのアンフェア解雇を念頭に置くことがほとんどないためであるように思われる。近年、スウェーデンが解雇自由であるという事実無根の議論が経済学者を中心として流布しているのも、そのためであろう。
 若者による労働問題専門誌『POSSE』第8号のインタビューで、経済学者の飯田泰之氏はこう述べていた。
 
モデルではなくて理論ですよ。強いていえば、一番極端な例はスウェーデンでしょう。スウェーデンは解雇に関して公的な規制が極めて少ない。税金は途方もなく高いですが、その代わり保証は充実。その一方で規制はゆるゆるです。完全な「employment at will」。会社が雇いたい人だけ雇うというシステムです。・・・・・・
 
 筆者が自分のブログでこの点を批判したところ*1、飯田氏は率直に自らのブログで訂正された*2。それゆえ、これは飯田氏への批判ではなく、解雇といえばジョブレス解雇しか目に入らない傾向にある経済学者一般への警鐘と受け取っていただきたい。
 スウェーデンに限らず、ヨーロッパ諸国には(程度の差はあれ)何らかの解雇規制が存在する。しかし、それらを素直に検討する際に一番邪魔になるのは、日本的な解雇規制の常識なのである。日本でも欧米と同様に、解雇の正当な理由は労務提供不能、非違行為、経営上の必要性とされているが、そのうち経営上の理由による剰員整理解雇は、労働者には何ら責められるべき理由がないのに、経営上の理由によって解雇されるのだから、より厳しく判断すべきと考えられている。
 しかし、これこそジョブの定めがない共同体メンバーシップの発想であって、ジョブ型契約を前提とすれば、契約の大前提であるジョブがなくなったのに雇用関係を維持せよという方が筋が通らない。ドイツでも、フランスでも、イギリスでもどの国でもそうだが、ジョブがあるのに解雇しようという企業に対しては、それが不当な解雇でないことをきちんと立証させるし、立証できなければそれは不当な解雇とされる。その解決方法としては復職・再雇用とともに金銭補償も認められているが、別に金を払えば不当な解雇が正当になるわけではない。
 それに対して、ジョブが縮小したことを理由とする剰員整理解雇は、法定の手続をきちんととることを前提として、そもそも正当な解雇とみなされる。どちらに責めがあるなどという話は関係ない。ただし、ジョブが縮小するからといって、誰を解雇するかを企業の自由に委ねたりしたら、「こいつは生意気だからこの際解雇しよう、あいつは可愛いから残してやろう」といった恣意的な選別を許すことになる。それゆえ、EUレベルで剰員整理解雇に対しては労使協議を義務づけているとともに、選別基準を法定している国もある。スウェーデンでは厳格な年功制(勤続年数の短い方から順番に解雇)を定めているし、ドイツでは勤続年数、年齢、扶養家族数を挙げている。一般には若者ほど先に解雇せよとなっているのだ。リストラといえば人件費のかさむ中高年が狙い撃ちされる日本とは、まったく状況が異なるのである*1
 ちなみに、政府の産業競争力会議に3月15日長谷川閑史武田薬品社長が提出した「人材力強化・雇用制度改革について」というペーパーでは、「雇用維持型の解雇ルールを世界標準の労働移動型ルールに転換するため、再就職支援金、最終的な金銭解決を含め、解雇の手続きを労働契約法で明確に規定する」と述べ、一見西欧風のジョブ型ルールへの移行を提唱しているように見えるが、実はまったく似て非なるものである。その証拠に、具体的な姿として、「その際、若手・中堅世代の雇用を増やすために、例えば、解雇人数分の半分以上を20代-40代の外部から採用することを要件付与する等も検討すべき」などと書かれている。素直に読めば、例えばジョブが100人分縮小したら、解雇する必要のない人まで含めて200人以上解雇しなければならず、その後100人以上を採用せよという奇妙なルールであり、しかもその際年齢差別をしなければならないとまで義務づけている。リストラといえば中高年を追い出すものという日本的感覚が横溢しているこの文書を、長谷川氏がかつて子会社の社長をしていたドイツの人々に読ませればどういう反応が返ってくるか、興味深いところではある。
 なお、ジョブが縮小してもそれが一時的なものである場合には、労働者の労働時間を一律に減らし、賃金原資を分け合って雇用を維持するということは行われる。リーマンショック以後の金融危機の時期には、ドイツやフランスを中心にかなり行われた。こういうワークシェアリングが可能なのも、やはり雇用契約がジョブに基づいているからであろう。
 要するに、アンフェア解雇は厳しく規制するが、ジョブレス解雇は原則として正当であり、ただしそれがアンフェアなものとならないようきちんと手続規制をかけるというのが、ヨーロッパ諸国の解雇規制の基本的な枠組みなのである。
 この解雇に関する日欧の常識の乖離が露呈したのが、日本航空(JAL)の整理解雇問題であった。JALの労組は国内向けには整理解雇法理違反だと主張していたが、国際労働機構(ILO)や国際運輸労連(ITF)にはそんなものが通用しないことがわかっているので、解雇基準が労組に対して差別的だという国際的に通用する主張をしていた。ところが、それを報じた日本の新聞は、記事の中では「2労組は、整理解雇の際に『組合所属による差別待遇』『労組との真摯(しんし)な協議の欠如』『管財人の企業再生支援機構による不当労働行為』があったと指摘。これらは日本が批准する結社の自由と団結権保護や、団体交渉権の原則適用などに関する条約に違反すると主張している。」とちゃんと書いていながら、見出しは「日航2労組『整理解雇は条約違反』ILOに申し立て」であった*1。残念ながら、「整理解雇は条約違反」ではないし、そんなナンセンスな申し立てもされていないのである。
 
解雇規制緩和論をどう論じるべきか?
 以上を前提とした上で、日本の解雇規制の在り方をどう考えていくべきだろうか。まず、現在の雇用契約をめぐる状況を前提とした上での議論と、今後の方向性がどうあるべきかの議論を分ける必要がある。現在の大企業「正社員」の大部分は、ジョブ型の欠員補充で「就職」したのではなく、メンバーシップ型の新卒一括採用で「就社」した人々であり、「何でもやらされる」代わりに「雇用が維持される」という約束を信じて働いてきた人々である。そういう権利と義務のバランスの上にいる彼らを「非常に恵まれた」と決めつけて、どんな命令にも従わなければならないという義務をそのままに、雇用維持という権利だけ剥奪することが許されるはずがない。
 とはいえ、そういう権利と義務の相補関係は、高度成長期という一定の経済社会環境を前提として構築された労使妥協であり、今日の、そしてこれからの経済社会状況の中でそのまま維持できるのか、そして維持すべきなのかは、また別の問題である。
 そして現実に、1995年に日経連が発表した『新時代の「日本的経営」』以来、日本の企業はメンバーシップ型の正社員(「長期蓄積能力活用型」)を縮小し、少数精鋭化する一方で、ジョブ型の非正規労働者(「雇用柔軟型」)を拡大してきた。問題は、この日本型非正規労働者が単にジョブの消滅縮小に対する雇用保障が少ないだけではなく、いうことを聞かないからクビといったアンフェアな解雇や雇止めに対しても極めて保護が乏しく、低レベルの賃金・労働条件と相まって、お互いに納得できる権利と義務の相補関係が成り立っていないような状態に陥っていることであろう。
 とすれば、今後の方向性としての議論は、ジョブがある限り、そしてそのジョブをきちんとこなしている限り、アンフェアに解雇されることのない、それなりの安定性をもったジョブ型雇用契約を創出していくことにあるのではなかろうか。
 そのようなモデルとして、筆者は既に「ジョブ型正社員」という在り方を提示している*1。当面は今までの非正規労働者や正社員から希望に応じてジョブ型正社員に移行するという形になろうが、将来的には雇用契約のデフォルトルールをジョブ型正社員とする必要があるのではないかとも考えている。
 ここで改めて、冒頭で引用した経済財政諮問会議や規制改革会議の文書を見よう。そこで提示されている「ジョブ型のスキル労働者」という概念は、筆者がここ数年論じてきたジョブ型正社員に近いように見える。もしそうだとすれば、それを前提とした解雇規制緩和論とは、「非常に恵まれた」という認識に基づいた一方的な解雇自由化論ではなく、ジョブレス解雇は手続規制にとどめるが、アンフェア解雇は厳しく規制していくというヨーロッパ諸国で一般的な姿を志向するものであるはずであろう。いや、そうでなければ、それは権利と義務のバランスのとれた「労使双方が納得するもの」となることはあり得ない。
 
現実に横行している解雇と金銭補償の意義
 さて、以上縷々述べてきたのは、実は出るところへ出たときのルールの話に過ぎない。日本の解雇規制が厳しいという議論が相当程度間違っているのは、一つには上述のような権利と義務の相補関係を見落としているからであるが、それ以上に重要なのは、現実の労働社会においては、ジョブレス解雇であれアンフェア解雇であれ、裁判所に持ち込めば適用されるであろう判例法理とはかけ離れたレベルで自由奔放に行われているからでもある。
 これは経済学者の議論に欠落しているだけでなく、それに猛然と反発しているように見える法律家の議論でもほとんど取り上げられることがない。そのため、あたかも全国津々浦々の中小零細企業でも判例法理に則って企業が行動しているかのような現実離れした前提で解雇をめぐる議論が進められることとなる。
 しかしながら、日本では労働紛争が裁判所に到達するのは極めてわずかな数でしかない。ヨーロッパ諸国のように労働裁判所で年間数十万件の事案を処理しているような国とは違う。そこで、筆者は裁判所まで行かない主として中小零細企業における個別労働紛争とその解決の実態を探るため、都道府県労働局におけるあっせん事案の内容を分析し、昨年『日本の雇用終了』(労働政策研究・研修機構)として公刊した。
 詳細は同書をお読みいただきたいが、まず中小零細企業では経営不振は解雇に対する万能の正当事由と考えられており、ジョブレス解雇をもっとも強く規制する判例法理とはまったく逆の世界が広がっている。中小零細になればなるほど他のジョブに異動させてメンバーシップを維持する余裕などないのであるから、これは当然とも言える。とはいえ、中小企業はジョブ型の世界でもない。労働局あっせん事案のうちもっとも多いのは、態度が悪いからという理由による解雇であり、それも上司や同僚とのコミュニケーション、協調性が問題とされたり、さまざまな権利行使や社会正義の主張が悪い態度の徴表と見なされているケースが多い。同書の冒頭の事案をいくつか並べただけでも、このような状況である。
 
・10185(非女):有休や時間外手当がないので監督署に申告して普通解雇(25 万円で解決)
・10220(正男):有休を申し出たら「うちには有休はない」その後普通解雇(不参加)
・20017(正男):残業代の支払いを求めたらパワハラ・いじめを受け、退職勧奨(取下げ)
・20095(派男):配置転換の撤回を求めてあっせん申請したら雇止め(不参加)
・20159(派男):有休拒否に対し労働局が口頭助言した直後に普通解雇(不参加)
・20177(派女):出産直前に虚偽の説明で退職届にサインさせた(不参加)
・20199(派女):妊娠を理由に普通解雇(不開始)
・30017(正女):有休申請で普通解雇(使は通常の業務態度を主張)(打ち切り)
・30204(非女):有休をとったとして普通解雇(12 万円で解決)
・30264(非女):有休を請求して普通解雇(6 万円で解決)
・30327(非女):育児休暇を取得したら雇止め(30 万円で解決)
・30514(非男):労基署に未払い賃金を申告したら雇止め(不参加)
・30611(正男):指示に従わず減給、これをあっせん申請して懲戒解雇(打ち切り)
・30634(正男):労働条件の明示を求めたら内定を取り消し(15 万円で解決)
 
 労働局のあっせんは任意の手続であり、参加を強制できないので、事案の4割は会社側不参加であり、解決に至るのは3割に過ぎない。そういう不安定さを反映して、解決金の水準で最も多いのは10万円台であり、約8割が50万円以下である。もちろん、膨大な費用と機会費用をつぎ込んで裁判闘争をやれば、解雇無効の判決を得られるのかもしれないが、明日の食い扶持を探さなければならない圧倒的多数の中小零細企業労働者にとって、それはほとんど絵に描いた餅に過ぎない。
 ここに、法廷に持ち込まれる事案だけを見ている法学者や弁護士には見えにくい解雇の金銭補償の持つ意味が浮かび上がる。たとえば、経済学者が解雇自由と誤解するスウェーデンでは、違法無効な解雇について使用者が復職を拒否したときは、金銭賠償を命じることができると定めているが、その水準は、勤続5年未満:6ヶ月分、5年以上10年未満:24ヶ月分、10年以上:32ヶ月分、である*1。このような金銭補償基準が法定されれば、ごく一部の大企業正社員を除き、アンフェア解雇に晒されている圧倒的多数の中小零細企業労働者にとっては福音となるのではなかろうか。

 

 

2024年9月 6日 (金)

Assert Webで拙著書評

Asahishinsho_20240906093001 左翼系のサイトらしいAssert Webというところで、杉本達也という方が拙著『賃金とは何か』を書評していただいています。

https://assert.jp/archives/12598

本書は著者の前著『ジョブ型雇用社会とは何か』(岩波新書)で展開された賃金論を、歴史的に戦前期・戦時期・戦後期・高度成長期・安定成長期・低成長期と分けて解説している。こうした賃金論の歴史的背景は、現在の組合幹部にとっては全く思考の外にある。たぶん、言葉そのものが通訳不能となっている。おそらく今の組合幹部は本書で戦後期の賃金制度として1節を設けている「電産型賃金体系」も知らない。さらに第Ⅱ部の第1章でわざわざ「船員という例外」にふれている。・・・・この章は他の章と比較すると全く異質であり、ほとんどの組合幹部は海員組合なるものも知らないであろうことを予想してわざわざ紹介している。

さすがに「ほとんどの組合幹部は海員組合なるものも知らない」ということもないと思いますが、かつて右派系労働組合の雄としてその名を鳴らし、戦後も繰り返し海員争議を敢行して大体勝ってきたこの希有な組合も、日本人船員の激減のために今や縮小して零細組織となり、ほとんど意識されない存在になっていることは確かでしょう。

著者も「これで終わりにしてしまったら、いくらなんでも希望がなさすぎるのではないか」として、日本における賃金引き上げの処方箋について、何点かを挙げている。「一般職種別賃銀と公契約法案」・「公契約条例」・「派遣労働者の労使協定方式による平均賃金」・「個別賃金要求」・「特定最低賃金」(産業別最低賃金)など、職種別の賃金システムを拡げていく手がかりを挙げているが、いずれも50~60年の既視感はある。

いやそれは賃金に関することは全てデジャビュの塊であって、本書の主要テーマである職務給と職能給、ベースアップと定期昇給、全てが半世紀以上むかしのデジャビュの再演なのであってみれば、既視感があるのは当然ですが、そこから何かしらヒントというかネタをひねり出そうとして踏ん張ってみても、出てくるのはこんな程度という話なわけです。

著者は最後に、“官製春闘”といわれるような「国家権力の力を借りなければ賃金を支えられないなどというのは労働組合として恥ずかしいことなのです」とし、北欧諸国の産業別労働組合の最近の事例を挙げ、「イーロン・マスク率いるテスラ社のスウェーデン工場で2023年11月、金属労組IFメタルが労働協約締結を拒否する同社に対して行ったストライキに、港湾労働者や郵便労働者などが同情スト(テスラ車だけ荷下ろし拒否、テスラ車のナンバープレートだけ配達拒否など)で協力した」と述べ、「公共性とは国家権力への依存ではなく、産業横断的な連帯にある」と締めくくっている。

この「あとがき」の記述に注目していただいたのは内心ありがたかったです。スウェーデンは福祉国家なだけじゃなく、国家権力から独立した労使自治を原理的に追求する国でもあるのです。

 

 

2024年9月 5日 (木)

濱口桂一郎は嫌いでも、読んで面白いと言ってくれればいい

Asahishinsho_20240905141701 ジャムさんという方が、中田さんの

面白すぎて震えてます。自社の給与体系に訝る従業員と自社の給与体系をどうすべきかに悩む経営者の皆様に全力でお勧めできます。 明治期から賃金体系が頻繁に変化し複雑化してきた日本の歴史を、興味深い多数の資料やエピソードとともに紐解いてくれる一冊。目から鱗and鱗

という呟きに対して、

本当に面白いのだろうか?濱口桂一郎氏はあまり好きではないのだけど。気になる。

と、アンビバレンツな気持ちを表明しておられます。

いや、濱口桂一郎なんて嫌いでいいんですよ。別に好きになる必要なんかこれっぽっちもない。だけど、この本が面白いかどうかは、ぜひ読んでみて判定してほしいですね。面白すぎて震えるかどうかは保証の限りではありませんが、賃金という問題に何かしら関心のある人にとっては、(その認識が愉快であれ不愉快であれ)今までになかった認識を得られるものになっていることは保証します。

誤解のないよう書きますが濱口桂一郎氏を嫌いではないですよ。あたりさわりある書き方になってしまったけど。

嫌いじゃないけど、好きでもない、と。でも、そんなことはどっちでもいいのです。「本当に面白いのだろうか?」という疑問は、ぜひ実際に手に取って(あるいは画面で見て)確認してみてください。

濱口って奴はやっぱり好きになれないけれど、嫌いだけれど、でも悔しいけれども、この本は本当に面白かった。

と、思っていただければ、それで私は結構です。

 

2024年9月 4日 (水)

解雇規制緩和論の誤解@『労基旬報』2013年5月25日号(再掲)

自民党の総裁選で河野太郎氏が解雇規制の見直しを口走ったとかで、またぞろネット上で解雇規制問題を語る人が増えているようです。20年前、10年前のどいつもこいつも全然わかっちゃいなかった時代に比べると、ジョブ型、メンバーシップ型という用語が政府中枢を含め広く一般化したこともあり、雇用システム論をきちんと踏まえて論じる人が格段に増えたように見えることは、この間正しい解雇に関する議論の在り方を説いてきたわたくしとしては、大変喜ばしいことではありますが、それでもなお脳内が20年前、10年前から一向に進化しておらず、むやみやたらに人をクビにしまくることが唯一の正義だと思い込み続けている人がなおもっともらしく論じて見せたりしているようでもあり、もはや10年以上も昔の古証文ではありますが、脳みその進化していない人にはこれくらいがちょうどよいのではないかと思われることもあり、すぐ読める短文でもあるので、『労基旬報』2013年5月25日号に載せた「解雇規制緩和論の誤解」を再掲しておきます。

 昨年末安倍政権が成立してから、再び解雇規制論議がかまびすしくなっているが、筋道をきちんと理解しないままに思い込みで議論する傾向が一部に見られ、混乱を増幅させている。
 まっとうな議論を展開しているのは、政府の経済財政諮問会議と規制改革会議である。いずれも、職務や勤務地が無限定の「メンバーシップ型正社員」ではなく、職務限定、勤務地限定の「ジョブ型正社員」を創出することを前提に、当該ジョブがなくなったり縮小したりしたときに、契約を超えた配転ができないがゆえに整理解雇が正当とされるという筋道で議論を展開しようとしている。
 ところが同じ政府の産業競争力会議では、そういう前提抜きに現在の日本の解雇規制が厳しすぎるとして、その緩和、あるいはむしろ自由化を求める声が出ているようである。
 労働契約法第16条は「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない」解雇を無効としているに過ぎない。どのような解雇が客観的に合理的であり、社会通念上相当であるかは、その雇用契約が何を定めているかによって変わってくる。
 欧米で一般的なジョブ型雇用契約では、同一事業場の同一職種に配転可能でなければ、労使協議など一定の手続を取ることを前提として、整理解雇は正当なものである。それが日本型正社員について正当とされにくいのは、雇用契約でどんな仕事でもどんな場所でも配転させると約束しているからだ。実際日本企業はそのおかげで欧米企業には考えられないような内部的柔軟性を存分に享受してきた。共稼ぎで親の介護と乳幼児の保育を理由に遠隔地配転を拒否した正社員の懲戒解雇を、日本の最高裁は正当と認めている。
 日本は解雇規制が厳しすぎるのではない。解雇規制が適用される雇用契約の性格が「なんでもやらせるからその仕事がなくてもクビにはしない」「何でもやるからその仕事がなくてもクビにはされない」という特殊な約束になっているだけなのだ。「なんでもやる」という前提に逆らった者に対しては、欧米では信じられないような冷たい対応も正当となるのである。
 権利と義務とは表裏一体である。正社員の内部的柔軟性を享受したいのなら、外部的柔軟性は制約されるのは当然であろう。世の中、いいとこ取りはできない。
 と、ここまで述べてきたことは、実は出るところ(裁判所)へ出たときのルールに過ぎない。年間数十万件の解雇紛争を労働裁判所で処理している西欧諸国に比べ、日本で解雇が裁判沙汰になるのは年間1600件程度に過ぎない。圧倒的に多くの解雇事件は法廷にまで来ないのだ。全国の労働局に寄せられた雇用終了関係の相談件数は年間10万件に上るが、そのうちあっせんを申請したのは約4000件弱である。
2008年度のその実態を調査したところ(『日本の雇用終了』)、そこには態度が悪いからとか上司のいうことを聞かないからといった理由による解雇が山のように並んでいる。しかも金銭解決の水準は平均17万円と極めて低い。
日本の大部分を占める中小企業レベルでは、解雇は限りなく自由に近いのが現状なのだ。

 

 

 

『賃金とは何か』がトギャられていました

Asahishinsho_20240904101601 7月に刊行した『賃金とは何か』に対して、X(旧twitter)上でいろんな方がいろんな評論をされ、それがまたトギャられていたようです。

https://togetter.com/li/2429024

面白すぎて震えてます

というコメントは、心の底からありがたいものです。

 

 

 

2024年9月 3日 (火)

カスタマーハラスメント対策の立法化@WEB労政時報

WEB労政時報に「カスタマーハラスメント対策の立法化」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers/web_limited_edition

 去る8月8日、厚生労働省は「女性をはじめとする全ての労働者が安心して活躍できる就業環境の整備に向けて」という副題の「雇用の分野における女性活躍推進に関する検討会報告書」を取りまとめ、公表しました。その内容は大きく、男女賃金格差に係る情報開示義務の対象拡大など女性活躍推進法に関わる問題と、カスタマーハラスメントなどハラスメント法制の強化に関わる問題からなります。今回はこの報告書の内容をざっと概観するとともに、その中で特に注目すべきカスタマーハラスメントの問題について、これまでの経緯を振り返りつつ論じてみたいと思います。・・・・

 

2024年9月 2日 (月)

解雇無効判決後の職場復帰状況@労働開発研究会

Jilpthukushoku_20240902131801 明後日の9月4日、労働開発研究会で,「解雇無効判決後の職場復帰状況」という講演を行います。

第2943回「解雇無効判決後の職場復帰状況」

 解雇の金銭解決制度(解雇無効時の金銭救済制度)をめぐる議論は長らく厚生労働省で継続されています。2022年には厚生労働省が設置した有識者検討会により解雇無効時の金銭救済制度に係る法技術的論点に関する報告書が取りまとめられ、引き続き労働政策審議会において制度導入の是非等を議論していくこととなっています。
 雇用の現場においては、すでに働き方の多様化は進み、終身雇用等の雇用慣行への意識も変化するなか、解雇規制の見直しを望む声もあります。また依然として解雇をめぐる紛争は絶えない状況でもあり、労使にとって解雇の金銭解決制度は極めて関心の高い問題です。
  この制度の検討に際して、このほど労働政策研究・研修機構から「解雇等無効判決後における復職状況等に関する調査」が公表されました(JILPT 調査シリーズNo.244・2024年7月)。この調査は日本労働弁護団や経営法曹会議等の労働問題に関連する弁護士を対象に機構が行ったもので、解雇事案において解雇無効とされた場合に、復職状況等の実態はどうなっているのかを調査しており、労使にとっても解雇をめぐる現状や問題を知ることは重要であると思われます。
 そこで本例会では、この調査を執筆された労働政策研究・研修機構(JILPT)研究所長の濱口先生を講師にお招きして、今回の調査に関する解説と今後の制度検討の行方等についてお話しいただきます。解雇法制をめぐる状況や制度検討の経緯等に精通する濱口先生からの貴重なお話しとなりますので、企業人事や労働組合のご担当者をはじめ関心ある皆様はぜひこの機会にご受講ください。

 

ロッシェル・カップ『DX時代の部下マネジメント』

8d4b9508395b0df4d070e5876d7fa5d12c19057a ロッシェル・カップ『DX時代の部下マネジメント』(経団連出版)をお送りいただきました。

https://www.keidanren-jigyoservice.or.jp/pub/cat5/2e902af2ed7915f16a676213bb25627171975212.html

デジタル・トランスフォーメーション(DX)は、日本のビジネスにおける重要なキーワードです。DX導入により、仕事の内容や進め方が大きく変化し、それらの動きと呼応するように、従業員の専門性を促進するためにジョブ型人事を導入する企業も増えています。
これほどの大きな変化が起きているにもかかわらず、マネージャーが部下を管理する方法が何十年も前とあまり変わっていない企業も少なくありません。それが、日本企業の弱点ともいわれています。日本の労働生産性や従業員エンゲージメントがほかの先進国より低いこと、長時間労働が解消できないこと、多岐に及ぶハラスメント問題も、深刻さが増加しているメンタルヘルス問題や過労死問題も、管理方法と無関係とはいいきれません。
DXを導入し、イノベーションを起こすにあたっては、従業員が新しい現実を受け入れ、古い習慣を改め、それまでの思考法と働き方を変えることが必要です。変革を進めるなかで部下をサポートしながら動機づけできる上司も必要です。時代の変化に対応し、部下の管理方法を改善することが日本のマネージャーにとって急務となっているのです。
DXに適したマネジメントスタイルに「サーバント・リーダーシップ」があります。権限を委譲して部下に仕事を任せ、仕事の詳細に干渉したりコントロールしたりしない姿勢をとる一方で、上司はビジョンを示し、仕事の邪魔になる障壁を取り除くように働きかけて働きやすい環境を整え、コーチングとフィードバックを部下を通じて育成していくものです。スキルというより態度といったほうがよいかもしれません。「部下は仕事をこなす能力をもっている、だから適切な環境をつくってサポート体制を整えておけば、仕事を任せても大丈夫」という前提にもとづいています。本書では、現在の日本のニーズに合致しているサーバント・リーダーシップを身につける具体的手法を紹介します。

【おもな内容】
序 論 DX時代のマネジメント手法
第1章 DX時代に適した管理方法への転換
第2章 管理からリーダーシップへ
第3章 デレゲーション-権限委譲
第4章 ネガティブ・フィードバックの効果的な伝え方
第5章 ポジティブ・フィードバックを与える
第6章 コーチング
第7章 パフォーマンス・マネジメントと職務内容の明確化
第8章 ダイバーシティ
第9章 イノベーションを生み出す組織づくり

 

解雇無効判決後の労働者状況 復職4割弱・復職せず5割強@『労務事情』9月1日号

B20240901 『労務事情』9月1日号の「数字から読む日本の雇用」に「解雇無効判決後の労働者状況 復職4割弱・復職せず5割強」を寄稿しました。

https://www.e-sanro.net/magazine_jinji/romujijo/b20240901.html

◎数字から読む 日本の雇用 濱口桂一郎
第27回 解雇無効判決後の労働者状況 復職4割弱・復職せず5割強

 過去20年以上にわたって解雇の金銭解決制度の立法化が試みられてきましたが、現時点でなお実現に至っていません。労働審判や裁判上の和解では金銭解決が圧倒的に多いにもかかわらず、判決まで至ると解雇有効か解雇無効というオールオアナッシングになってしまいます。では、解雇無効=雇用継続判決を得た労働者は、実際に会社に復職して元のように働けているのでしょうか。・・・・

 

 

労働組合は給与交渉代行サービスか?

6znhda3e_400x400 アウグストさんがコメント欄で言及しているようなやりとりがX(旧twitter)上であったようですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2024/08/post-a4894b.html#comment-121553497

自分で辞めたいって言えない人向けの退職代行サービスが結構ニーズあるって話を聞くけど、給与交渉代行サービスってあるのかな?やったら流行りそうな。

世界はそれを「労組」と呼ぶんだぜ。

いくつか解きほぐすべきことどもがあります。

まず、前澤友作さんが想定しているであろう「給与交渉」というのは、おそらく上級ホワイトカラー層(いわゆるエグゼンプト)の、個人別に給与が決定されるような人々の成果給的な給与交渉のことであって、ホワイトカラーでもごく普通のクラーク層や、グレーカラー、ブルーカラーといった、典型的なジョブ型雇用で生きている人々の「賃金交渉」ではないように思われます。

前者はそもそも個人別に交渉決定されるので、その交渉の代行も当該個人の交渉の代行というまさにエージェント的なものになりますし、そういう層の給与というのはそこらのランクアンドファイルの賃金とは違って極めて高額なので、個人交渉の代行をすることでせしめることのできるフィーもかなり高額のものとすることができます。プロ野球選手の年俸交渉というのは、その最も典型的なものでしょうが、いうまでもなくそういう「給与交渉」が社会的に存立可能な領域は極めて限られています。

では「世界はそれを「労組」と呼ぶんだぜ」という言葉はどの程度正しくどの程度間違っているのか。

まずもって、今例に出したプロ野球選手は労働組合を結成して団体交渉しているのも確かなので、両者がまったく別世界というわけではありません。ただ、プロ野球であれ何であれ、労働組合の仕事は上で前澤さんが想定しているような、一人一人の年俸をいくらにするというような個別交渉の代行業ではないことは確かです。労働組合とはあくまでも集団的な交渉を行うものですから。

ではその集団的な交渉とは何か。これが、現在の日本ではなかなかわかりにくいのですが、おそらく一番わかりやすいたとえは、医師会が診療報酬の引上げのために頑張ること、農協が米価の引上げのために頑張ること、そういう一人一人の個別的な報酬額ではなく、当該組織に加盟しているメンバー全員に共通するところの、「共通の売り物の単価の引上げ」という共通利害のために、当該組織のリーダーが当該組織のメンバーをいわば代行して交渉することであるといえば、一番近くてわかりやすいたとえになるでしょう。

これが、ジョブ型雇用社会における労働組合の役割です。個別交渉の代行ではなく、共通の売り物-「ジョブ」-の値段を引き上げるための集団的な交渉を行うのが労働組合であり、法理的には一個の組織のリーダーとメンバーなので代理や代行ではありませんが、社会経済的実態からすればリーダー層がメンバー層の代行をしているという言い方も可能です。むしろ、その側面に着目したのが、アメリカの労働組合を描写するときによく使われる「ビジネス・ユニオニズム」です。「ビジネス」といっても、これはそんじょそこらの普通の労働者の集団的な利益のための代行であって、前澤さんの想定するようなエグゼンプトな人々の個別交渉とは隔絶した世界であることは認識しておく必要があります。

はい、ここまでで相当の字数を使いましたが。まだ世界標準のジョブ型雇用社会の話であって、この先に、ところが日本の労働組合というのはそういうのとは違って・・・という話が延々と続きます。

Asahishinsho_20240902100301 めんどくさくなったので、そしてそれはまさに7月に刊行したばかりの『賃金とは何か』の主たるテーマでもあるので、ここから先は同書を読んでください。

3 労使関係のジョブ型、メンバーシップ型

 ジョブ型社会における労働組合とは、基本的に同一職業、あるいは同一産業の労働者の利益代表組織です。従って、同一職業の労働者の利益を代表するものとして、この仕事はいくらということを決めます。それもできるだけ高く決めようとします。それが労働組合の任務です。これに対して、メンバーシップ型社会においては、労働組合は同一企業に属するメンバー(社員)の利益代表組織です。社員の社員による社員のための組織です。ですから、やることが全く違います。
 ジョブ型社会、とりわけヨーロッパ諸国においては、労働組合は産業レベルで団体交渉を行い、労働協約を締結します。産業レベル、たとえばドイツでいうと金属労組と金属産業の使用者団体との間で、鉄鋼であれ、電機であれ、自動車であれ、金属労働者を一貫して、この仕事はいくら、この技能レベルの仕事はいくらという値付けをするのが労働組合の任務です。つまり、ジョブ型社会における団体交渉、労働協約とは、企業を超えた職種や技能水準ごとの労働力価格の設定です。これを何年かに一回、大々的に行うのです。ジョブについた値札を一斉に書き換える運動が、ジョブ型社会の団体交渉だと考えればいいでしょう。
 それに対してメンバーシップ型社会においては、企業別に組織された労働組合という名の組織が、団体交渉を行い、労働協約を締結しますが、それはいかなる意味でも職種や技能水準の値付けではありません。単純に、欧米は産業別組合だが日本は企業別組合であり、そこだけが違うのだと考えていると間違います。欧州では産業別組合が産業別交渉で職種や技能の値付けをしていますが、日本では企業別組合が企業内交渉で職種や技能の値付けをしている、というわけではありません。では、ヒトの値付けをしているのか、というと、そうでもないのです。少なくとも、社員一人ひとりの賃金額がいくらになるかというようなことを、日本の団体交渉で決めているわけではありません。
 先に述べたように、メンバーシップ型社会ではそもそも賃金が職務では決まりません。そういう社会において、団体交渉や労働協約は一体何を決めているのかというと、これは読者の皆さんがよくご存じの通り、企業別に総額人件費の増分(社員の分け前)を交渉しているのです。ベースアップ(略して「ベア」)という、英語とは似ても似つかぬ、訳のわからないカタカナ言葉がありますが、これは一体何かというと、企業別に総額人件費をどれだけ増やすかを決めているわけです。なぜかというと、メンバーシップ型社会の労働者にとっての最大の利益がそこにあるからです。どちらも、組合員にとっての最大の利益になることを一生懸命やるのが労働組合ですが、その最大の利益の存在する場所が全然違うということです。この意味で、メンバーシップ型社会の賃金は属人給であるとともに、企業に所属していることに基づく所属給と呼ぶこともできるでしょう。
 以上は基礎の基礎ですが、世間で賃上げというときに、ベースアップと定期昇給を一緒にして何%ということがあります。いやむしろ、労働組合も経営団体も政府も、賃上げ率をいうときには定昇込み何%というのが普通です。しかし、ベースアップは、理屈や仕組みは全然異なるけれども、欧米におけるジョブの価格設定と同じように、労使間で交渉して決めるものです。交渉がうまくいかなければストライキに訴えることもあり得ます(少なくともかつてはありました)。これに対して定期昇給というのは、そもそもメンバーシップ型社会における賃金設定の根幹をなす制度です。団体交渉をしなくても毎年定期昇給で少しずつ賃金は上がっていくのですが、それを超えて賃金を引上げるのがベースアップです。しかし、一人ひとりの賃上げ額まで決めるわけではなく、企業全体で総額人件費をいくら上げるというマクロの数字を、労働者の頭数で割った一人当たりいくらというのはあくまで抽象的な数字に過ぎません。
 このベースアップと定期昇給の複雑な関係については、本書第Ⅱ部で歴史的経緯を詳しく見ていきますが、とりあえずここでは以上のことだけを頭に入れておいてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(Question)職場のハラスメント、世界では?@朝日新聞

去る8月12日付で朝日新聞デジタルに掲載された私のインタビュー記事ですが、本日の朝刊紙面に載ったようです。

https://www.asahi.com/articles/DA3S16023861.html

兵庫県や自衛隊をはじめ、自治体、大学、企業……と問題が絶えないパワーハラスメント。日本は世界と比べても深刻なのか。労働政策研究・研修機構の濱口桂一郎労働政策研究所長に聞いた。・・・

 

 

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