枝野演説から山口二郎氏の反省シリーズを思い出すなど
朝日新聞に「立憲・枝野氏「猫もしゃくしも改革。乗ってしまった反省がある」」という記事が載っていまして、
立憲・枝野氏「猫もしゃくしも改革。乗ってしまった反省がある」
日本新党から初めて衆院選に立候補した時も、責任ある「変革」が党のスローガンだった。それから30年余り、猫もしゃくしも政治家は、「変革」「改革」と言う。ずっとやってきたのは、小さな政府と民営化と規制緩和。私も最初の10年間は、その主流派に乗ってしまっていた反省がある。
なんだかものすごいデジャビュが感じられたので、何だったかなと考えたら、あれでした。山口二郎氏の反省シリーズ。
今頃あんたが後悔しても遅いわ、なんて突っ込みは入れません。この文章自体がまさにそれを懺悔しているわけで、人間というものは、どんなに優秀な人間であっても、時代の知的ファッションに乗ってしまうというポピュリズムから自由ではいられない存在なのですから。
まあ、でも90年代のそういう風潮に乗せられて、いまだに生産の場に根ざした連帯を敵視し、それこそが進歩だと信じ込んで、地獄への道をグッドウィルで敷き詰めようとする人々が絶えないんですからね。
そこまで分かっているのであれば、「医療費の削減だとか、国民生活に直接影響する施策がたくさん内包されていたのにそれらがまともに吟味されることなく通ってしまった」というような小泉政権下の事態をもたらした責任の一端は、そういう「政治学の立場からの批判の矢」にもあったのではないかとという自省があってもいいように思われます。
五十嵐さん、和田先生の本のエントリーでも述べたことですが、もしカイカクがもっぱら竹中氏らの(新古典派)「経済学の立場から」の議論だけであったとしたなら、ああいう国民全体を巻き込むような熱狂的な「カイカク正義」万歳の大渦にはならなかったでしょう。
まさに山口二郎氏のような「政治学の立場からの批判の矢」が、朝日新聞をはじめとするリベラルなマスコミをも巻き込んで多くの国民を、とにかく極悪非道の官僚を叩いて政治主導のカイカクをやっているんだから正しいに違いないという気分にもっていったのではないかと私は思うわけです。
わたくしも、まったくそう思います。ただ、この真理を、一昨年の総選挙の前にも語っていたのであれば、もっと説得力があったように思います。
当時の麻生首相に「もう少し政権を続けさせることが現状では最善の選択だと」は考えなくても、「わざわざ最悪を引き寄せる」ようなことをしていなかったか、権丈先生であれば若干違う意見をお持ちかも知れません。
その違いが「長年の付き合いだから」ということであったのであれば、それはやはり考えるべきことがあるのでしょう。
さはあれ、「ポピュリストやデマゴーグの出番」がもっとも避けるべきであることだけは、まっとうな感覚の持ち主であれば共有するところでしょう。
まことに「政治とは悪さ加減の選択である」という真理が身に沁む思いです。
(追記)
北の山口二郎さんといえば、名古屋の後房雄さんですが、河村市長を応援してしまった経験がどこまで身に沁みておられるのかなぁ、と思わせられるブログ記事が。
その魔法使いの弟子たちの挙げ句の果てが大阪やら名古屋であるという教訓は、いったいどこに行ったのでしょうか。
山口二郎氏の反省その2 参加や直接政は必ずしも民主主義を増進させないのか!?
立派な政治学者が今頃になってそんなことを言い出さないでよ!!といいたくなりますね。
実は、山口二郎氏と私は同年齢。同じ年に同じ大学に入り、同じような環境にいたはずですが、私がその時に当時の政治学の先生方から学んだのは、まさに歴史が教える大衆民主主義の恐ろしさであり、マスコミが悪くいう自民党のプロ政治のそれなりの合理性でした。
・・・今ごろ痛感しないでよ!と言いたいところですが、山口氏の同業者には未だに痛感していない、どころかますます熱中している方もおられるようなので、それ以上言いませんが。
ついでに言うと、政治学者と同じぐらい罪深いのは政治思想学者じゃないかと思ってます。「熟議」とかなんとか、横のものを縦にしただけの薄っぺらな議論をやってると、その言葉をポピュリストにうまいこと流用されるだけ。
大向こう受けだけを狙った朝まで生テレビ的超浅薄な議論が「熟議」にされちゃって、あんた等がさんざん悪く言っていたその分野に精通した自民党プロ政治家の利害関係者の利害得失をとことん突き詰めた「熟議」は、利益政治の名の下にゴミ箱に放り込まれてしまっていますよ。
まあ、下世話な話といえばそうかも知れませんが、向こう三軒両隣にちらちらするフツーの人々は、むつかしげな政治思想の本なんかそうそう読むわけではありませんから、「熟議」とかいう新しげな言葉は、橋下さんちの「維新の会」みたいなやり方のことをいうんだろうなぁ、とたぶん何の違和感もなく思うんだと思いますよ。・・・
なるほど、「熟議」ってのは、守旧派の既成政党がぐだぐだ言って動かないのをむりやり動かすために、なにやら「市民」さまを持ち出して言うこと聞かせることなんだなぁ、と、ここ十年ばかりの物事を見てきたフツーの人々は思うのでしょうね。名古屋方面でも、そんな感じだったようだし。・・・
いやぁ、「市民側の議論の活発化」ですか。まさに、「市民」主義の皆様方がここ十年ばかり目指してきた路線ではありませんか。涙がこぼれるくらい素晴らしいです。これぞ「市民維新」でしょうか。
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コメント
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山口二郎さんも枝野幸男さんも戦後日本を支えた中間層、すなわちメンバーシップ型雇用、年功給、配偶者は専業主婦、そして家庭間の不和はない、という階層のご出身のようですね。
そのような人であれば「小さな政府と民営化と規制緩和」になっちゃうのかな、という気はします。
メンバーシップ型雇用、年功給でそれなりの給与を貰えていれば父ちゃんのお給料でローンで家も買えて、息子を大学に行かせてやれて、奥さんも専業主婦させられる。
だから政府は余計な干渉をしない方がいい、となってしまったのではないでしょうか。
「ルポ年金官僚」によると枝野さんは「年金は金額は少なくても良い」なんて言っていたそうですね。
年金がなくたってサラリーマンであれば貯金がたっぷりあるから食っていけるのだ!保険料を官僚どもに食い逃げされるよりましだ!と安易に信じていたのではないでしょうか。
民進党のブレーンだった井手英策さんは普通のサラリーマンの家の出身ではなかったから、大変な苦労をされていて、その経験から高福祉高負担のスウェーデンに倣った社会を作ろうと呼びかけをされています。
だから井手さんは枝野さんの作った立憲から手を引いたのでしょうね。
投稿: balthazar | 2024年8月14日 (水) 21時59分
今思えば、1980年代から2000年代にかけての日本は、「官僚、公務員、そしていわゆる公=悪、民間、私企業=善」という思想が、共産党を除いて広くはびこっていたと思います。
その結果、所謂リベラル層も含めて企業の専横に対処できず、就職氷河期による少子高齢化という形で日本を没落させていきました。企業の権力増強は、絶対王政や共産主義よりも前時代的な、中世の封建領主制への回帰とさえ言い得るものでした。
公務員叩きが現場の疲弊と人手不足につながっていることが明らかになった今になって、かつての「公」批判への反省の声が出ていますが、「佼」批判で味を占めた自民・公明政権与党や維新は1980年代以降の「公」批判で突っ走っています。
自民、公明のみならず、大企業従業員などの新中間層に媚びて1980年代以降の「公」批判、企業権力増大への改革に手を貸した非自民非共産勢力も、本気で反省しなければなりません。
投稿: 国道134号鎌倉 | 2024年8月15日 (木) 18時23分
「公的サービスの多くは不効率、減税&公的サービス削減」vs「公的サービスが不充分、増税&公的サービス拡充」の綱引きは当然、あり得る訳ですが、
公的サービスが不充分!増税はケシカラン!
という訳の分からん一団をどうにかして欲しいです。
投稿: tama | 2024年8月15日 (木) 20時58分
> 官僚、公務員、そしていわゆる公=悪
> 公務員叩きが現場の疲弊と人手不足につながっている
> メンバーシップ型雇用、年功給でそれなりの給与を貰えていれば父ちゃんのお給料でローンで家も買えて、息子を大学に行かせてやれて、奥さんも専業主婦させられる。だから政府は余計な干渉をしない方がいい
「公務員のシステム」が悪いでなく、「公務員の人達」が悪いなる言説は、ジョブではなく、公務員というメンバーシップにそもそも注目している訳で、それが可能なのは公務員がメンバーシップ型だからなんですよね
> メンバーシップ型人事制度の特徴だが、霞が関は日本で最も強固に維持されている。
https://x.com/hahaguma/status/1824018552103551330
投稿: 近畿題額 | 2024年8月15日 (木) 21時35分
>「医療費の削減だとか、国民生活に直接影響する施策がたくさん内包されていたのにそれらがまともに吟味されることなく通ってしまった」というような小泉政権下の事態をもたらした責任の一端は、
>まさに山口二郎氏のような「政治学の立場からの批判の矢」が、朝日新聞をはじめとするリベラルなマスコミをも巻き込んで多くの国民を、とにかく極悪非道の官僚を叩いて政治主導のカイカクをやっているんだから正しいに違いないという気分にもっていったのではないかと私は思うわけです。
小泉政権やその後の”政治主導のカイカク”に関して、
山口二郎氏のような「政治学の立場からの批判の矢」が、朝日新聞をはじめとするリベラルな
マスコミをも巻き込む事により国民は
A) 自分たちの生活にマイナス面がある事を知らされずにカイカクに賛成した
B) 根拠もなく官僚を批判した
と感じている方もいらっしゃるようですが、私は”政治主導のカイカク”に関して別の印象を持っています。
A) 小泉純一郎氏は首相在任中の国会演説で”米百俵”という逸話を引用しました。これは
戊辰戦争で焼け野原になった城下に隣の藩から救援物資として百俵の米が届けられた。
しかし城下の人はそれを食べずに、それを売った金で学校を作り後にその学校から偉人が輩出した
というもので
改革で当面は苦しくなるかもしれないが将来のために我慢してほしい
という内容ですが、この演説は好評だったと思います。また当時は”痛みを伴う改革”という言葉もあったと思います。つまり改革による当面のマイナスがある事を理解した上で長期的なプラスを重視して改革に賛成した国民も多かったような印象があります。
このように当初は好評だった改革(郵政改革)も小泉氏退任後の麻生内閣の頃には批判が強くなりましたが、これは改革によるマイナス面の影響よりも改革で儲ける(私腹を肥やす)人がいた事が大きいと思います。
日本では(それが善い事かは別として)
乏しきを憂えず等しからずを憂う
という意見に賛成する人も多いと思います。このため
マイナス面をみんなで甘受するというので改革に賛成したが、それで儲ける奴がいるなら話が違う
と考えて改革に反対する人が増えたように感じました。
B) 小泉政権やその後の”政治主導のカイカク”の主な対象となったのは
B1)郵政の民営化
B2)道路財源の一般財源化
だと思います。
B1) 小泉純一郎氏は郵便事業の民営化が必要な理由の1つとして
特定郵便局の局長は年収1000万円の準公職だが世襲になっている。
郵便事業を民営化して、局長は客観的な基準に基づいて選ばれるようにすべきだ。
と述べていたと思います。
B2) 当時はガソリンや自動車に関する税金は道路建設に充てられていたので、これらの税金で過疎地の利用者が少ない道路が建設されていました。このため、これらの税金は道路建設ではなく一般の財源にすべきだ という批判がありました。
私は、これらの制度を批判し制度の廃止や再発防止のための”カイカク”を求める事は極めて真っ当な事だったと思います。
投稿: Alberich | 2024年8月24日 (土) 22時15分
郵政民営化についてですが、どうなったかと言えば、民営化された日本郵便は労働環境が悪化しました。
JP労組の委員長の記事がありました。
https://www.jtuc-rengo.or.jp/rengo_online/2024/02/05/2550/?print=print
特定郵便局ですが今も問題は続いています。
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/731648/
郵政民営化ですが、どうして行われたのか、国民のみなさんは今もって知ろうとしないようですが、これは財務省の財政投融資の原資が郵便貯金、公的年金の積立金を元に運用されているのを改めるためでした。
国民からいただいたお金が市場原理に基づかない形で運用されるのはまずいと考えられたのです。
財政投融資は財投債で行われることに改められました。
そして郵便貯金は民営化されたゆうちょ銀行へ、
年金の積立金は年金積立金管理運用法人へ移管されました。
郵政民営化の本筋はこちらの方でした。
あの時国民は確かに熱狂しましたが、ではその熱狂の下に行われた郵政民営化の結果としての日本郵便の労働者の待遇の改善や特定郵便局問題の解決についてあの当時と同じくらい関心を持っているとは思えないのです。
このような結果を見た上で郵政民営化の正当性を判断すべきでありますまいか。
投稿: balthazar | 2024年8月27日 (火) 22時53分
前のコメントに補足します。
郵便局に入った大学時代の同窓生に卒業後数年して「民営化とか色々言われているように大変なので郵便局で取り扱っているお土産品買ってくれないかな」と頼まれました。
その時は大学で同じクラスだったからと言っても、と断りました。
ところが10年ぐらい後の事。
当時私の勤務していた官庁の後輩に弟さんが郵便局に勤務していた人がいました。
彼は年末になると「弟がノルマに追われているので申し訳ありませんが、年賀はがきを少しで良いので買ってもらえませんか」と職場で周囲の同僚に頼んでいました。
すでに私の官庁も民営化されるのではないか、と言われており、とても他人事とは思えず、年賀はがきを何回か買いました。
同僚にも彼から買う人がかなりいました。
民営化後は分からないですが、もっとひどくなっていたかもしれません。
郵便貯金、簡易保険の民営化は必要でしたが、手紙・はがきの減少により経営難が予測されていた郵便事業は今まで通り国営で、という声もありました。
アメリカも国営を続けている、という意見も少なからずありました。
しかし多数の声になりませんでした。
ではどうしてあの時国民は「郵政民営化」に熱狂したのか。
それは「郵便公社で働いている人は国から良い給料もらいやがって!」と言う実態を見ない公共への不信だったのではないでしょうか。
実際には郵政公社は独立採算で黒字だったのですが、そんな事情は全く知ろうともしなかった。
確かに改革は必要でした。
であれば財政投融資の改革とセットになったゆうちょ・かんぽの民営化のみにとどめ、郵便事業はライフラインの維持、通信の秘密の観点から国営を維持し、必要であれば公的資金の投入の道を開く。
そして庁舎の買取など特定郵便局の改革も進める。
これが正しい改革の道であったと思います。
私はあの時の郵政民営化の熱狂の事はよく覚えております。
だからあの時の「カイカク」とは何だったのであろうか、と今も疑問に思っております。
投稿: balthazar | 2024年8月27日 (火) 23時22分
balthazar殿
>あの時国民は確かに熱狂しましたが、
国民が当初、郵政改革に熱狂したのは
A) 当時の状況
B) 小泉氏のキャラクタ
によるものが大きいと思います。
A) 小泉氏の前任の首相は森喜朗氏でしたが、森氏は就任の経緯や就任後の言動から
当時の体制の最も醜悪な部分を具現化している人物
として多くの人から嫌悪されていたと思います。このため当時の制度を森氏と同一視して小泉氏の唱えた制度改革を
森氏やそのお仲間を成敗する行為
として賛成する人も多かった印象があります。
B)小泉氏は前任者と正反対で明るく気さくな性格で発言も短く歯切れが良かったので多くの人から好感を持たれていました。このため、あの小泉氏が主張しているから という理由で改革に賛成する人も多かった印象があります。
>ではその熱狂の下に行われた郵政民営化の結果としての日本郵便の労働者の待遇の改善や特定郵便局問題の解決についてあの当時と同じくらい関心を持っているとは思えないのです。
以前のコメントでも申し上げましたが、郵政民営化は当初は熱狂的に支持されましたが実態が明らかになるにつれ急速に支持を失ったと思います。麻生太郎氏が首相在任時に ”私も郵政民営化に反対だった” と発言した時、世間では ”今になって言うな!” という反応が多かったと思います。
日本郵便の労働者の待遇(派遣職員の自爆営業)や特定郵便局(局舎の賃貸料の局長への支払)の問題は、郵政の問題点として報道されていたと思います。しかし、その後もっと大きな問題(かんぽ保険の不正販売)が発覚し、そちらに報道が集中してしまったのでこれらの問題への世間の関心が薄くなってしまった印象があります。
投稿: Alberich | 2024年8月29日 (木) 22時34分
balthazar殿
>それは「郵便公社で働いている人は国から良い給料もらいやがって!」と言う実態を見ない公共への不信だったのではないでしょうか。
郵便公社で働いている人には世襲によって年収1000万円の職に就いた人がいる
という事は事実だったと思います。そのような人がいると言う実態への不信から、このような制度の改革を主張する事は極めて真っ当だと思います。
>実際には郵政公社は独立採算で黒字だったのですが、そんな事情は全く知ろうともしなかった。
独立採算で黒字である事は改革が不要な理由にはならないと思います。
国が認めた独占事業で黒字であるという事は、
親方日の丸で経営してもお金が余るくらい高い料金を利用者に払わせているのだから
民営化して複数の会社で競争させて料金を下げるべきだ
という主張は極めて真っ当だと思います。実際、通信分野(電電公社)はそのような主張に基づき民営化され料金が下がりました。
>私はあの時の郵政民営化の熱狂の事はよく覚えております。
>だからあの時の「カイカク」とは何だったのであろうか、と今も疑問に思っております。
私はあの「カイカク」の時期は、”痛みを伴う改革”という言葉が示すように
当面は苦しくなるかもしれないが将来のために我慢しよう
という事を多くの国民が合意した稀有の時期だったと思います。しかしそのような時期は短く郵政改革の実態が判明するにつれそのような合意はなくなりました。”All for All” をモットーに消費税増税という痛みを伴う改革を主張されている方も「カイカク」の時期に主張されていれば、賛同者はもっと多かったかもしれません。
郵政改革の実態が判明するにつれて「カイカク」を冷めた目で見る人が増えたように思います。私の印象ですが、この契機となったのはバス業界に対する規制緩和だったと思います。規制緩和によってバス業界に参入する会社が増えて便利になり料金も下がりました。しかしその後バス運転手の過労による事故が頻発しました。郵政の派遣社員による自爆営業が問題になったのもこの頃だったと思います。このため
多数の人が利益を得ても弱い立場の人がさらに苦しくなる「カイカク」は実行すべきでない
と考える人が多くなったように思います。
最近の例ではウーバーがあります。これはタクシー運転手でない一般の人が自分の車でタクシーと同様に人を運んで料金を得るシステムで多くの国で既に導入されています。日本でも
多くの国で導入されているシステムが日本では国とタクシー業界の癒着により導入されていない。
「カイカク」によってシステムを導入しタクシーを利用しやすくし料金を下げるべきだ。
と主張する人がいますが
タクシーが利用しやすくなり料金が下がっても、タクシー運転手がさらに苦しくなる制度は導入すべきではない
と考える人も多く、まだ導入されていません。
「カイカク」当時は、
当面は苦しくなるかもしれないが将来のために我慢しよう
という”痛みを伴う改革”を支持する人が多かったですが、現在は
多数の人が得る利益を我慢しても弱い立場の人がさらに苦しくなる「カイカク」は実行すべきでない
という”痛みを伴う不改革”を支持する人が多い印象があります。
しかし独占企業に対する「カイカク」に対しては違う評価のようです。以前は一般家庭はその地域の電力会社から電力を買えませんでした。しかし「カイカク」により一般家庭でも他の地域の電力会社やガス会社等から電力を買えるようになりましたが、この「カイカク」に対して
電力料金が下がっても、電力会社の社員がさらに苦しくなる制度は導入すべきではない
という意見はほとんどなかったように思います。
投稿: Alberich | 2024年8月31日 (土) 22時13分