峰崎直樹さんの拙著書評
北海道労働者福祉協議会のホームページに毎週連載されている峰崎直樹さんのコラム「独言居士の戯言」で、拙著『賃金とは何か』を書評いただきました。
峰崎さんは本ブログでも何回か取り上げたことがありますが、一般的には政治家であり、民主党政権(鳩山・菅政権)における財務副大臣を務めた方ということになりますが、本書を取り上げられたのはその前半生が関わっています。
何故この『賃金とは何か』という著書を待ち望んだのか、私自身のヒストリーとも関係してくる。一つは、私の生まれた広島県呉市という戦前の海軍工廠があり、私の家族も含めて『職工』さんの街でもあったわけで、労働者にとって生活の糧である賃金に子供の頃から関心を持っていたことは言うまでもない。家庭内で、ちゃぶ台を囲みながら晩酌をする父親から「毎年春の昇給期に査定の不公平さに愚痴をこぼす姿を見聞きしてきた」わけだ。
さらに、私自身が大学を卒業し初めて仕事に従事したのが鉄鋼労連であり、1969年から5年間だったが日本を代表する鉄鋼産業の労働組合で春闘をはじめとする労働運動に身を置くこととなった。しかも、賃金問題を担当する部署に配属され、「職務給」とは何なのか、濱口さんの今回の『賃金とは何か』の中で中心的なテーマとして扱われている問題を、初心者として勉強させられたのだ。この5年間、千葉利雄調査部長の下で宮田義二委員長が進める鉄鋼労連の第一期長期賃金政策の戦いの第一線に参加したわけだ。ちょっと余談になるが、この新書の中でもしばしば登場する金子美雄氏(労働省発足時の初代調査局長などを歴任)についても千葉利雄部長と一緒に懇談する機会があった。金子美雄氏が一番好感を持っておられた労働組合が、何と当時の「動労」(国鉄動力車労働組合の略称)だったという事など、今思うに身近で大変な権威のある方達から日本の労働問題の在り方についての貴重な話に触れることができ、光栄の至りであった。それにしても、今思うに鉄鋼労連の5年間は短すぎたように思う。
この二つのパラグラフを読んだだけで、『賃金とは何か』に出てくるさまざまな舞台設定や登場人物が出てきますね。呉海軍工廠の生活給思想、鉄鋼労連の賃金政策、千葉利雄に宮田義二、しかも、本書に最初から最後まで出てくる主人公の金子美雄が動労を評価していたなんていう裏話まで飛び出してきます。
動労は本書にも(総評の賃金パンフレットから)ちょびっと出てきますが、そもそも動労の前身の機労(機関車労組)は国労という企業別組合の中に職種別処遇を求めて分離独立した日本には極めて稀なる職種別労組であって、そういう観点からの研究がもっとされてもいいと思っています。動労というと動もすると革マル派だの松崎明だのという話ばかりになるのですが、そうでない観点がなさ過ぎではないかと。と、話がそれてしまいました。
本書について詳しく紹介していきながら、ご自分の経験も踏まえていろいろとコメントをされています。最後のところで、
最後に、何故日本の賃金は上がらないのだろうか、終章で「上げなくても上がるから上げないので上がらない賃金」という禅問答のような指摘がなされている。「定昇」という2%前後毎年上がっていくシステムが存在していることによって、労働者には賃金が上がっているように思えるが、労務費総体は増えないままである。世界はジョブ型であり、「定昇」等は存在していない。自分たちの賃金は自分たちが力で勝ち取っていく以外にないわけで、その力が失われている日本の賃金が欧米に比べて落ち込んでいくのは必然なのかもしれない。
本を読み終えて、まことに良く書かれた賃金の書ではあるが、どう日本の労働組合が「1940年体制」から脱却していけるのか、深くて構造的な弱点(ジョブ型ではなくメンバーシップ型雇用といった)の克服に向けてもがき続ける労働運動の姿が私には浮かんでこない。それが現実なのだろうが、次の世代に託す以外に道はないのだろう。
本書では「1940年体制」という言葉は出てきませんが、戦後日本の賃金の在り方(決め方も上げ方も支え方もその全て)が1940年前後の賃金統制令に発しているというのが本書のメッセージですから、まさに「「1940年体制」の硬くて重い壁をどう改革できるのか」というのが本書のスフィンクスの問いになるわけです。
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