満薗勇『消費者と日本経済の歴史』
満薗勇『消費者と日本経済の歴史』(中公新書)を送りいただきました。ありがとうございます。
消費者と日本経済の歴史 高度成長から社会運動、推し活ブームまで
SDGs、応援消費、カスハラなど、消費者にまつわる用語に注目が集まっている。背景にはどのような潮流があるのか。本書は、一九六〇年代の消費革命から、平成バブル、長期経済停滞、現在までを、消費者を通して読み解く。生産性向上運動、ダイエー・松下戦争、堤清二とセゾングループのビジョン、セブン‐イレブンの衝撃、お客様相談室の誕生などを論じ、日本経済の歩みとともに変貌してきた消費者の姿と社会を描き出す。
近現代史をもっぱら労働者の観点から眺めてきた私にとって、消費者の目線からの歴史叙述はそれだけで結構目を開かされる思いのする体験となりました。なんというのかな、ある事象をもっぱら労働者側からの(というか労働者と使用者という労使関係的な)視点から見てきたことが、消費者側からの(と言うか消費者と生産者という)視点により違ったように見えるという感じです。
そうですね、まずもって消費者主権という概念が経済同友会の修正資本主義理論の根幹に位置するという認識を、その大塚万丈の『企業民主化試案』を繰り返し読み、かなり詳しく紹介したはずの私が、全くもっていませんでした。
帰ってきた「原典回帰」(第1回) 経済同友会企業民主化研究会編『企業民主化試案』同友社
この結構長めの文章の中に「消費者」という言葉は全く出てきません。要するに、私の問題意識には全く引っかからなかったということです。でも、満薗さんにかかると、この大塚理論の中核には、株主や労働者に対して経営者の権限を正当化する最大の所以は消費者利益にあるのです。ここは読みながら、「そうだったのか!」と叫んでしまいました。
それに続く生産性向上運動についても、戦後労使関係史にとって枢要なエポックメイキングな出来事だと繰り返し論じてきたつもりですが、その生産性運動の中から消費者主権の考え方が打ち出され、日本消費者協会が生み出されていくという歴史も、残念ながら私の視野には全く入っていませんでした。
こういう風に、本書に出てくる登場人物は見知らぬ人々ではなく、結構見知った人々でありながら、本書で取り上げられる側面についてはほとんど知らなかった、という印象が続きます。
ちょっと違った視点から読めたのは、生活クラブ生協の話です。これについては結構本や雑誌を読んで調べたことがあるのですが、それは現在の労働者協同組合に流れ込んだ源流の一つであるワーカーズ・コレクティブの歴史をたどると、生活クラブ生協に行き着いたからです。
「労働者協同組合のパラドックス」(『季刊労働法』2021年夏号(273号))
・・・これに対して生活クラブ生協は、安保闘争を経験した活動家が家庭の主婦層に向けて1965年に牛乳の共同購入事業を始めたのが出発点で、その運動の主眼は国産、無添加、減農薬といったこだわりの安心食材を宅配するところにありました。社会運動的性格は強いものの、大都市近郊のサラリーマン家庭の専業主婦層を担い手とするもので、労働問題とは対極にある存在と言えます*10。ちなみにそこから生まれた政党が生活者ネットワークです。その生活クラブ生協が、店舗型共同購入の荷捌き所(デポー)の業務を遂行するため、1982年に神奈川に初のワーカーズ・コレクティブ「にんじん」を設立し、これが全国に広がっていきました。その設立呼びかけ文には、「産業化社会における雇用・被雇用の賃金労働は自己を物象化するだけでなく、労働の主体を曖昧にし、賃金労働以外の働くことの価値を歪曲し、労働の差別化を促し、かつ固定化するに及んでいます」云々と、雇用労働に対する敵意が溢れています。その後、1989年には首都圏のワーカーズ・コレクティブが全国市民事業連絡会を設けてネットワーク化を図り、やがて1995年にワーカーズ・コレクティブネットワークジャパンを結成し、その前後から立法化運動を進めていきました。
そこに向かう途中の歴史で、本書には登場しないのですが、消費者と労働者という観点から見て結構重要ではないかと思われるある出来事があります。それは近著『賃金とは何か』でも触れたのですが、1990年に日経連と当時設立されたばかりの連合が一緒になって、『内外価格差解消・物価引下げに関する要望』を行ったことです。そこでは、「労働組合は、職業人の顔とともに、消費者の顔をもつ」から「労働組合自らが消費者意識を高め、消費者に対しては物価引下げに必要な消費者意識や消費者世論の喚起に努めるべき」とまで言っていました。確かにその通りである面もありますが、その両者の利害が対立する面もあるわけで、消費者主権が「お客様は神様」に達すると、その神様に拝跪すべき労働者の権利は限りなく削られていくことになります。
その意味で、本書をじっくり読んだ上で、改めて消費者という大きなアクターを念頭に置いた上で、誰かが新しい『労働者と日本経済の歴史』を書いて欲しいなと思いました。
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https://x.com/yousuck2020/status/1829761743675146724
>自分で辞めたいって言えない人向けの退職代行サービスが結構ニーズあるって話を聞くけど、給与交渉代行サービスってあるのかな?やったら流行りそうな。
https://x.com/3z45501158/status/1830145452358148493
>世界はそれを「労組」と呼ぶんだぜ。
SNSで某有名経営者氏の「給与交渉代行サービス」に対して
「労組」と返され、その言説に多数の「いいね」が与えられるのが、
まさに「労組」の構成員すら「給与交渉」の当事者である労働者ではなく、
「労組」の提供する「給与交渉代行サービス」を受ける消費者なんだと
広く認識されている現況が、発言者の意図した文意がどうであれ、
端的にあらわれているのでは?と思いました。
投稿: アウグスト | 2024年9月 2日 (月) 07時26分