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2024年8月 1日 (木)

和田泰明『ルポ年金官僚』書評

例によって、月1回の『労働新聞』書評です。

・・・・って、おや?先週載ったのにまた今週も?どうしたの?とお思いでしょうが、いや、執筆予定者にいろいろあったそうで、急遽順番を差し替えとなった次第。その辺柔軟に対応いたします。

9784492224168_1_4277x400 というわけで、本来9月に載るはずだった書評は、和田泰明『ルポ年金官僚』(東洋経済新報社)です。

https://www.rodo.co.jp/column/180800/

 著者は週刊ポストや週刊文春の記者として年金記事を書きまくり、20年前の国民年金保険料未納を巡る騒動のときには、小泉首相の未納情報を関係者から入手して記事にした当人でもある。そういう人がこのタイトルで書いた本とくれば、例によって扇情的な年金ポルノ本の類いだろうと思う人も多いだろう。ところがさにあらず、週刊誌的な筆致で書かれた本書は、誠に真っ当な戦後日本年金史でもあるのだ。

 年金本は大きく3つに分けられる。年金保険とは何かをよくわきまえた社会保障学者や政策関係者が書いた真っ当だが読んでもあんまり面白くない本。年金のなんたるかをわきまえない俗流経済学者や政治評論家が制度を知らないままに経済理論だけで書いた制度攻撃の本。そして週刊誌やテレビがまき散らす年金にかかわるあれこれのスキャンダル=年金ポルノだ。戦後日本年金史、とりわけ過去30年の波瀾万丈の歴史は、この3つの流れが政治的思惑のなかで拗れながら絡まり合って生み出されてきた。その年金ポルノの制作現場にいた著者が、くそ面白くもない年金制度をしっかりと勉強して、無知な学者や政治家による年金攻撃の愚かしさを浮彫りにしているのが本書なのだ。

 本書は小山進次郎局長による国民年金法制定、山口新一郎局長による1985年年金大改正(基礎年金導入)を劇的に一叙事詩の如く描く。通史では淡々と書かれるその政策過程が、数々の回想を重ね焼きしながら情緒的に描き出される。とりわけ司令官の「戦死」のシーンは圧巻だ。だが、その間に挟まれた横田陽吉局長による73年改正が、田中角栄と野党のイケイケドンドンに乗って年金の大盤振る舞いとグリーンピアを生み出し、後代への負債となったことにも注意を喚起する。

 1990年代後半から2010年代前半までの20年間は、制度に一知半解の経済学者がおいしいネタを見つけたとばかりに、一斉に年金の世代間不公平を言い立て、積立制度への移行を主張した時代であると同時に、グリーンピア、タレントや政治家の年金保険料未納問題、そして年金記録の持ち主不明(基礎年金番号へ統合されていない記録)5000万件問題が次から次に湧いてきて、国民の年金不信が高まり、野党の政府攻撃の絶好の材料になった時代であった。

 年金ポルノで名をはせた野党政治家たちが「抜本改革」の名でぶち上げた年金改革案は、彼らが政権の座に就くことによって化けの皮が剥がれる。「幼稚園児のお絵かき、論評に値しない一枚紙の絵、政策でも制度でもない政治的プロパガンダ」は、現実に直面した民主党政権自らによって紙くずのように葬り去られ、自民党への政権交代直前に真っ当な社会保障制度改革への道が再びつけられた。

 民主党政権の「戦果」は、扶養から外れても届出しなかったために保険料未納の主婦たちについて、長妻厚労相の指示により運用で3号被保険者と認めるいわゆる「運用3号」通達を出した年金局の課長を更迭して見せたことと、不祥事続きの社会保険庁を解体して日本年金機構に改組する際、民主党の選挙運動に長年汗をかいてきた社会保険庁の労働組合員たちを懲戒処分経験者として「分限免職」で報いたことくらいだった。

 

 

 

 

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コメント

hamachan先生
「ルポ年金官僚」の書評ありがとうございます。
妥当な書評だと思います。

私のブログ評でお書き頂いた通り、旧社会保険庁のことが少ししか書いてないのが不満ではあります。

戦後GHQが「社会保険は地方分権で行え」と間違った指示を出し、旧厚生省は「社会保険は全国一体でやらないといけません」と反論するも、GHQの指令が結局は通ってしまい、やむを得ず機関委任事務と「当面の間」職員を国家公務員(地方事務官)とすることで何とか全国一体で運営できるように整えた。

しかし、職員は国家公務員が組織する職員団体(労働組合)だけでなく、地方自治体の職員が加入する職員団体にも加入できる、と言う特例措置があったため、これを都合よく利用した自治労国費評議会が跋扈して各都道府県ごとの「独立王国」状態に拍車をかけてしまった。

年金官僚たちや自由民主党の政治家たちは何度も改革を試みたが、自治労国費評議会が支持した日本社会党、まさに「社会党・総評ブロック」により改革は阻止され続け、2000年にようやく地方自治法改正により正常化されるも時すでに遅し、でした。

この旧社会保険庁における労働組合の歴史は旧国鉄同様に、戦後の労働運動史の組合側の壮絶な敗北劇と言って良いと思います。

私がかつて所属した旧共産党系も同様ですが、旧社会保険庁の労働組合は過去の歴史を真摯に反省し、後世に語り継ぐことにより、組合員の権利を守る労働組合として再生して欲しいと心から願っています。

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