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2024年8月 7日 (水)

現代の理論v.現代の理論事件第2ラウンド

以前本ブログで『現代の理論』と名乗る雑誌同士の知的財産権をめぐる訴訟について取り上げたことがありますが、

現代の理論v.現代の理論事件

Cover3_013_2007_9 Gr_cover030 現代の理論というのはかつて高度成長期には共産党に批判的な構造改革派左翼の雑誌として有名でしたが、21世紀になって再度刊行され、その時には私も何回か寄稿しています。その後今では電子版のマガジン「現代の理論」として発信されています。こちらが原告側の現代の理論です。

http://gendainoriron.jp/vol.27/index.html

Opinon101 一方被告側のNPO現代の理論も雑誌「現代の理論」を出していて、こちらはかつて「OPINION FORUM」というタイトルだったころに何回か寄稿(というか講演録の掲載)したことがあります。

https://sites.google.com/site/gendainoriron/forumopinion/2021natsu

もともと人的にも共通する似たような潮流の雑誌なんですが、そこが「現代の理論」というある意味後光が差すような有難い雑誌名をめぐっていわば家庭争議的に喧嘩しあっているということのようです。親の位牌を取り合う兄弟喧嘩とでもいうべきか。

本日発行された電子版『現代の理論』の編集後記に、「読者の皆さんにご迷惑をおかけしている「偽・現代の理論」問題について、本誌31号「謹告」で編集委員会の立場をお伝えしたが、そこに記載した第2次訴訟(2022年8月5日提訴)が当方の全面勝訴で決着したことをお知らせする」とあったので、裁判所のHPを見に行くと、その最高裁が上告を棄却した知財高裁の判決が、元の東京地裁の判決とともに載っていました。

東京地方裁判所令和5年8月24日

知的財産高等裁判所令和6年3月6日

この中で興味深いのは「雑誌の精神を誰が受け継いでいるか」という論点について、

また、雑誌「現代の理論」の創刊当時の精神を誰が引き継いでいるか否かといった事項は、権利関係の帰属の問題と異なり客観的に判断することが困25 難であり、本件においてこれを確定するに足りる証拠もない。第1審被告NPOが明石書店に雑誌「現代の理論」の出版権を譲渡した後に発行していた雑誌「FORUM OPINION」に「NPO現代の理論・社会フォーラム」という名称を付記していたとか、第1審被告NPOの名称に「現代の理論」が含まれているといった点は、第1審被告NPO側の認識を示すものにすぎないし、購読者らからのメッセージ(乙13)は、雑誌「現代の理論」5 を懐かしむ一定の者がいることを示すものとはいえても、第1審被告NPOが需要者から雑誌「現代の理論」創刊当初からの精神を引き継いでいると広く認識されていることを意味するものではない。

と一蹴していることでしょうか。

いずれにしても「親の位牌を取り合う兄弟喧嘩」であることに変わりはないようですが、そもそも『現代の理論』という雑誌名がそれほどまでに後光が差すような神聖なるものであるという感覚を共有する人々自体が、既に超高齢化して徐々にこの世から消滅しつつあるのではないかという気もしないではありません。

 

 

 

 

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コメント

ウェブ版の方は、左翼のいい加減さを徹底的に糾弾しなければならないのだ、と息巻いていました。そこまで起こるほどのことか、とも思ったのですが。紙版は今でも刊行されており、発行するたびに金を支払わなくてはならなくなっているそうですが、今後はどうなるのでしょうかね。意地でも発行を続けるのか。

「電子版」にしても「紙版」にしても70年代前半に構造改革論を「止揚」するとかいってグラムシを捨ててレーニンに走った人たちですからね。なんで今さら捨てたはずの構造改革論の象徴でもある「現代の理論」という名前にすがろうとするのでしょうか、理解できません。

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