近代的市民社会のあるべき姿とその正反対
この間色々な政治的イベントがあり、あれこれ論ずる人も多いのですが、(かつて拙著をいくつも論評していただいた)堀新さんがこういうことをつぶやいていたのが目に入り、ちょっと考え込んでしまいました。
この対比は、それこそいまから80年近く前の終戦直後の日本で、12歳の少年少女に懇々と説き聞かせるが如くに、近代市民社会というのは内心の自由を最も重要と考え、前近代の如きお互いに正義をぶつけ合う「神々の争い」ではなく、対等な市民同士の利害調整や討議によって民主主義を勧めていくんだぞい、と(ひいじいさんやひいばあさんらが)教わったことを考えると、ここでいう「自民支持層」がまさにそういう近代市民社会の理念に合致しており、ここでいう「野党支持者」はまるでそこで批判されていた戦時中に猛威を振るっていた前近代的な考え方そのものであるかのように見えてしまいます。
これはおそらく堀さんの「自民支持者」と「野党支持者」ということばの使い方がアンバランスだからであって、前者は『Hanada』や『WILL』あたりを愛読して、野党どころか自民党の多くの政治家にすら罵詈雑言を浴びせるたぐいの人々を捨象しているからでしょうし、後者はその正反対の位置で全く同様の行動様式をとるたぐいのやたらに目立つ(今次選挙で目立った)人々だけを取り出しているからでしょう。
なので、「野党支持者」がみんな他人の内心の自由を踏みにじっても当たり前だと考え、正義の高みに立って人に反省を押しつけるたぐいの人間だと言われると、憤然とする人も多いのではないかと思いますが、でもまあそういう印象を与えてしまうような行動が目立ったのも確かでしょうね。
近代市民社会のあるべき姿とその正反対の姿とは具体的にはどういうものをいうのか、抽象的な教科書の言葉であればいくらでもお経の言葉がずらずらと出てくるのでしょうが、実践の場に置かれれば、その真贋が露わになるということなのかも知れません。
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