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2024年7月25日 (木)

吉田誠『戦後初期日産労使関係史』書評@『日本労働研究雑誌』8月号

769_08 『日本労働研究雑誌』8月号は「家族と労働」が特集ですが、

https://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2024/08/index.html

提言 週末だけの平等? 大石亜希子(千葉大学大学院教授)

解題 家族と労働 編集委員会

論文 「生」と「ケア」を包摂する社会と社会科学─『親密圏と公共圏の社会学』からの提案 落合恵美子(京都産業大学教授)

ケア責任への脱家族化政策の影響─ダブルケア調査からの一考察 山下順子(ブリストル大学上級講師)・相馬直子(横浜国立大学大学院教授)

ケア労働に労働法はいかなる立場をとるべきか─介護労働及び家事労働に焦点をあてて 根岸忠(高知県立大学准教授)

夫婦の生活時間に見るジェンダー格差の趨勢 余田翔平(国立社会保障・人口問題研究所人口動向研究部第3室長)

子育てと女性の就労─国勢調査を用いた過去40年の就業の変化 深井太洋(学習院大学准教授)

「年収の壁」はどのように導入・維持されてきたか─政党に着目して 豊福実紀(お茶の水女子大学准教授)

小規模事業における家族従業者のフォーマル化─ジェンダー平等の追求を軸として 宮下さおり(名古屋市立大学教授) 

640758 後ろの方に載っている書評欄で、わたくしが吉田誠さんの『戦後初期日産労使関係史』(ミネルヴァ書房)を書評しております。

書評 吉田誠 著『戦後初期日産労使関係史─生産復興路線の挫折と人員体制の転換』 濱口桂一郎(JILPT労働政策研究所長) 

 著者の吉田誠は、『査定規制と労使関係の変容 全自の賃金原則と日産分会の闘い』(大学教育出版、2007年)で、1952年秋の賃金闘争で示された全自(全日本自動車産業労働組合)日産分会の賃金原則について、当事者であった浜賀知彦氏の秘蔵資料(浜賀コレクション)をもとに、その生活保障原則と同一労働同一賃金原則の関係について鮮烈な歴史認識を提起し、高い評価を得た。本書は引き続き、浜賀コレクションをはじめ多くの資料や聞き取り調査をもとに、それに先行する終戦直後期から1949年の人員整理、そして1953年の賃金闘争後の解散に至るまでの全自日産分会の歴史を、従業員共同体意識と女性の排除という二つの視角から描き出している。70年以上も昔の話でありながら、現代日本の雇用社会のあり方にも直結するテーマであり、いわば日本型雇用システム形成秘話とでもいうべき作品となっている。
 全体は大きくⅡ部に分かれる。第Ⅰ部は、日産の従業員組合が戦時中の産業報国会とも連続性を持つ経営内存在として生み出され、会社共同体意識に基づいて生産復興による会社再建を最優先してきたにもかかわらず、ドッジラインによる人員整理に裏切られていくまでの姿を描いている。第Ⅱ部は、その人員整理において女性労働者が主たる対象として解雇され、その後臨時工が活用されていく姿が描かれる。前者において、終戦直後の労組主導型企業共同体意識が、いったん経営者側の闘う姿勢によって拒否され、上記全自賃金闘争などの激しい闘争をくぐり抜けた後に、今度は経営主導型で再構築されていくという曲がりくねった歴史が描き出されるのに対し、後者はその後半世紀以上にわたって日本型雇用システムを特徴付ける男性正社員主義の形成秘話といえよう。

 以下、各章ごとにその内容を略述する。・・・・

・・・・

 労働者を会社という共同体のメンバーと考える思想は誰が生み出したのか?それは労働組合の側であって、会社側ではなかった、というのが、本書第Ⅰ部のメッセージである。工職混合の従業員組合として、工員と職員の平等化、処遇制度の統合を進めながら、生産復興を通じた会社再建を目指した組合は、会社共同体の共同リーダーとして、経営陣が大量生産への早期復帰を目指したことによる生産の混乱を収拾し、経営に失敗した社長の交代を実現し、その下での労使協調を目指した。にもかかわらず、会社側はドッジライン下における大量解雇という形でその期待を裏切った。吉田はいう。「この蹉跌により、新たな組合の方針はもはや生産復興による会社共同体の再建とするわけにはいかなくなる。これまで生産復興のスローガンの下に抑制されてきた現場の不満や困難の解決に取り組むことこそが新たな組合復興の鍵となる。そして、その実現手段としてストライキを用いることも、今や生産復興という旗を降ろしたことにより、躊躇することではなくなっていた。日産の労使関係に関する先行研究が注目してきた職場闘争や組合規制に取り組む組合像は、こうしたプロセスを経て形成されてきたのである。」これは日産というミクロの場のみで起こったことではない。経営協議会を通じた生産復興路線を進めてきた総同盟の高野実が、職場闘争を唱道する総評の高野実となっていくという形で、マクロ社会的に生じていた転換でもあった。
 これを裏返していうと、1940年代後半から50年代前半期において、「組合が目指してきた従業員共同体としての会社という観念を経営側がまだ保持していなかった」ということになる。この時期の日経連は「経営者よ、正しく強かれ」というスローガンの下、共同体としての雇用保障や生活保障給に対しては極めて否定的であった。ドッジライン下の人員整理とは、経営者には解雇権があるということをいやが上にも顕示するものであったのだろう。春秋の筆法をもってすれば、経済同友会の企業民主化構想という会社共同体路線を否定する日経連の「闘う経営者」路線が経営側で制覇したことが、共産党系の産別会議を駆逐して穏健化したはずの組合側において会社共同体路線を断念した職場闘争路線を生み出したということになろうか。
 その後日談は本書ではなく、前著『査定規制と労使関係の変容』の第7章「全自解散前後の日産における労使関係」に描き出されている。1953年争議における日産分会の敗北、1954年の全自の解散、そして1956年の分会解散とともに、職場を制覇した新たな日産労組は(再び!)「復興闘争」という名の活動を開始する。それは、整理解雇の回避を至上命題とし、「日産魂」を鼓舞しながら、組合活動の一環として時間外の改善活動を推進するものであった。前著で否定的に「会社の業務と組合の活動とが融合・癒着するようになった」と描写されている姿が、本書第Ⅰ部で描かれた「合法的生産管理」の輪廻転生に見えてくるのは評者だけではあるまい。
 ただしその生まれ変わりは、女性労働者を排除し、本工と差別的に扱われる臨時工の活用を積極的に推進する労働組合であった。男性正社員たる組合員の雇用を硬直的に守る一方で、組合員の残業と臨時工によって企業の求める柔軟性を確保するという、日本型雇用システムの二大基軸が紆余曲折の末確立したのである。

 

 

 

 

 

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コメント

まだ全文を入手できていませんが、書評の労をとっていただきありがとうございました。温かい評価をいただいたことに感謝いたしております。ひとまず御礼まで。

多くの方に読まれるべき本ですので、拙書評がそのきっかけにでもなれば幸いです。、

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