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« 美奈子・ブレッドスミス『企業と働く人のコミュニケーション』 | トップページ | フリーランス・ギグワーカーの労働者性と保護の在り方@『労基旬報』2024年7月25日 »

2024年7月24日 (水)

マージナル指向のなれの果て

河野有理さんのこの呟きに、若干違和感を覚えたのは、

「リベラル」は少数者の権利に関心があるから選挙で負けて当然なんだと言うのは負け惜しみ以前に危険な敗北主義ですね。「政治的多数」がさまざまな少数者の利益のcoalitionによって作為されること、そうした連合を作為することこそ政党と政治家の本業であることがどうも実感としてわかっていない。

日本におけるこの傾向は、むしろ左翼が迷走した挙げ句のマージナル指向のなれの果てなのではないかと感じるからです。

(参考)

「マージナル」とはちょっと違う

金子良事さんの

http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-56.html(マージナルなものに目を向けることの強みと限界)

>現代では、労働問題にせよ、社会福祉にせよ、いわゆる社会的弱者に対する問題関心からスタートしたことによる、思考の縛りがどこかしらにあるのではないのか、と考えることがある。

なるほどというところもあるけど、ちょっと違うと思う。

>たとえば、労働問題はもともとブルーカラーを対象にしていた。19世紀末日本の職工はまだまだ社会的弱者であり、彼らには生活面においてもしばしば救済が必要であった。時は流れて、戦後、ブルーカラーとホワイトカラーの身分差が撤廃されたにもかかわらず、労働問題研究や労使関係研究の中で扱われるのは、相変わらずブルーカラーであることが多かった。こうした現象は技術革新の大部分を外生変数としてきたこと、および内生変数と捉えても、QCサークル活動がやたらと強調されてきたことと無関係ではない。それによって見逃されたことも多いのではないか?ホワイトカラーの研究が少しずつ始まったのはここ20年くらいのことに過ぎない。

労働問題研究のあり方の議論としては、ほとんど賛成なのですが、ブルーカラーを「マージナル」っていうのはだいぶ違和感がある。

話はまったく逆で、労働問題がブルーカラー中心だったり、社会政策が貧民中心だったりしたのは、それが数量的少数者という意味での「マージナル」ではなく、社会の中のパワー構造では弱者の側ではあるけれども、数量的にはむしろマジョリティであって、近代社会の民主主義的建前上無視することができない存在だったからではないか、と。古めかしい言い方をすれば「多数派にすべての権力を」てな感じでしょう。

そうじゃなく、数量的にも「マージナル」でしかない存在に目を付けてそのアイデンティティポリティクスを強調するようになるのは、まさに「1968」以後の「1970年パラダイム」じゃないかという気がする。

ちょうど先日稲葉さんが紹介してくれた下田平裕身氏の回想録みたいなものを読むと、

https://soar-ir.shinshu-u.ac.jp/dspace/bitstream/10091/656/1/KJ00004357390.pdf(<書き散らかされたもの>が描く軌跡 : <個>と<社会>をつなぐ不確かな環を求めて : <調査>という営みにこだわって)

下田平氏はちょうどその1970パラダイムに見事にぶち当たってしまった世代だったんだなあ、と思うわけですが、その中の例えば、

>私は、少数派労働組合運動の体験、イギリスでの<異質なるもの>が併存する社会での生活体験、さらに韓国語の学習をきっかけとしたアジアにおける民族と文化の多様な存在についての認識を総合しながら、80年代初めにおける自分の社会認識のパースペクティブを再構築しようとしている。<社会>において<少数派>である存在の意味をもう一度、より広い視野で捉えなおしたいと思ったからであった。

>私は、高度成長の時代を、明治以来、日本社会のオブセッションだった<貧困>から脱出するための激しい生存競争の時代と表現している。全般的な生活水準が上昇するとともに、目に見える<貧困>は減少し、モノが満ち溢れる。ゆたかな<大衆消費社会>が到来した。すべての人が<人並みの生活>、さらには<ヨーロッパ並みの生活>を求めて競い合うエネルギーは、<経済成長>そのものをも創り出したといえる。一体的な生活競争の過程で、そこから脱落する存在、あるいは離脱する存在が生まれた。日雇労働者、派遣労働者などの不安定就労者、中小零細企業の労働者、不況産業の労働者、ブルー系、ホワイト系を問わず技術や熟練の変化に伴って労働市場からはじき出された労働者、過疎地帯の住民、失業者、農民、さまざまな傷病や心身の障害を負う人々、都市のホームレスの住民、日本に永住する少数民族、日本に出稼ぎに来ている外国人、労働災害や公害・薬害の犠牲者、高齢者、中高年者、家庭・職場における女性、子供・・・・・。私は、こうした多様な存在に、一体的な生活競争が解体し、はじき出していった、さまざまな生活の<個性>を見ていた。

というような辺りを読むと、これは少なくともそれまでの労働問題や社会政策への関心の持ち方とは相当に違うと感じざるを得ません。

それまでの多数派たる弱者だったメインストリームの労働者たちが多数派たる強者になってしまった。もうそんな奴らには興味はない。そこからこぼれ落ちた本当のマイノリティ、本当の「マージナル」にこそ、追究すべき真実はある・・・。

言葉の正確な意味における「マージナル」志向ってのは、やはりこの辺りから発しているんじゃなかろうか、と。とはいえ、何が何でも「マージナル」なほど正しいという思想を徹底していくと、しまいには訳のわからないゲテモノ風になっていくわけで。

それをいささかグロテスクなまでに演じて見せたのが、竹原阿久根市長も崇拝していたかの太田龍氏を初めとするゲバリスタな方々であったんだろうと思いますが、まあそれはともかくとして。

そのことと、ホワイトがどんどん増えていっているのに、いつまでもブルー中心の枠組みで研究し続けたことの問題云々というのはちょっと次元が違うと思う。

リベサヨとドロサヨまたはレフト2.0の2形態

先週いただいたブレイディみかこ・松尾匡・北田暁大『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう レフト3.0の政治経済学』(亜紀書房)については、金曜日に紹介したところですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2018/04/post-42b6.html(ブレイディみかこ・松尾匡・北田暁大『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう』)

その中で、松尾さんが私に言及しているところに、ちょっとコメントしたくなりました。

「補論1 来たるべきレフト3.0に向けて」のp141ですが、

松尾 そう、僕のいうレフト1.0と2.0というのは、労働研究の濱口桂一郎さんが、「オールド左翼」と「リベサヨ」と呼んでいらっしゃるものと近いところがあります。でも、この言い方だと、レフト2.0の中にもラディカルな武闘強硬派がいたりすることがうまくイメージできなくなってしまうと思うんですよね。

北田 かつての新左翼の流れにあるような急進派の人たちは「リベサヨ」をよく批判しますからね。

松尾 でも、この急進派と穏健派は、お互い一緒にされたくないでしょうけど、やはり共通のパラダイムの上に立っているということは言えると思うんですよね。

北田 どういうパラダイムを共有しているんですか。

・・・・・

松尾 はい、レフト2.0の急進派の方ではそうやって「第三世界」や地域コミューンの中での自律が志向されたりしたわけです。また、穏健派の方でも、国家行政主導の「大きな政府」は効率が悪く抑圧的だという反省があったと思います。

この松尾さんの議論はその通りだと思うのですが、そのレフト2.0急進派のことも、本ブログで何回か取り上げて、「リベサヨ」とはちょっと異なるある名前をつけていたことには、気づいていただけていなかったようです。

それは「ドロサヨ」。北田さんの言葉を引けば、


北田 従来型のマルクス=レーニン主義というよりは、「第三世界」との連帯とか、「辺境」の地域コミューンみたいなものを社会変革の根拠にしようとした人たちの流れですね。・・・

という流れで、確かに1968年以降の左翼の一つの軸として、細々と存在し続けていたようです。

ドロサヨ(泥臭左翼)の時代

「桐島、逃亡生活やめるってよ」というニュースが駆け巡った一日でしたが、彼が関わっていた「東アジア反日武装戦線」の爆弾事件はちょうど私の高校生時代で、あれからほぼ半世紀が経ったんだな、という感慨が湧いてきます。

そして、この頃のこういう動きが、左翼というのをそれまでの近代的、科学的な指向のイデオロギーから、それとはむしろ真逆の、反近代的、反科学的な指向のものと受け止める考え方の構えが一般化していったのだな、と思い返されます。

このあたり、もう10年以上も前に、演歌の本をめぐってこんなことを書いたことがありました。

新左翼によって「創られた」「日本の心」神話

わたくしの観点から見て、本書が明らかにしたなかなか衝撃的な「隠された事実」とは、演歌を「日本の心」に仕立て上げた下手人が、実は60年代に噴出してきた泥臭系の新左翼だったということでしょうか。p290からそのあたりを要約したパラグラフを。


いいかえれば、やくざやチンピラやホステスや流しの芸人こそが「真正な下層プロレタリアート」であり、それゆえに見せかけの西洋化=近代化である経済成長に毒されない「真正な日本人」なのだ、という、明確に反体制的・反市民社会的な思想を背景にして初めて、「演歌は日本人の心」といった物言いが可能となった、ということです。

昭和30年代までの「進歩派」的な思想の枠組みでは否定され克服されるべきものであった「アウトロー」や「貧しさ」「不幸」にこそ、日本の庶民的・民衆的な真正性があるという1960年安保以降の反体制思潮を背景に、寺山修司や五木寛之のような文化人が、過去に商品として生産されたレコード歌謡に「流し」や「夜の蝶」といったアウトローとの連続性を見出し、そこに「下層」や「怨念」、あるいは「漂泊」や「疎外」といった意味を付与することで、現在「演歌」と呼ばれている音楽ジャンルが誕生し、「抑圧された日本の庶民の怨念」の反映という意味において「日本の心」となりえたのです。

この泥臭左翼(「ドロサヨ」とでも言いましょうか)が1960年代末以来、日本の観念構造を左右してきた度合いは結構大きなものがあったように思います。

そして、妙な話ですが、本ブログではもっぱら「リベサヨ」との関連で論じてきた近年のある種のポピュリズムのもう一つの源泉に、この手のドロサヨも結構効いているのかも知れません。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-9d19.html(「マージナル」とはちょっと違う)

それまでの多数派たる弱者だったメインストリームの労働者たちが多数派たる強者になってしまった。もうそんな奴らには興味はない。そこからこぼれ落ちた本当のマイノリティ、本当の「マージナル」にこそ、追究すべき真実はある・・・。

言葉の正確な意味における「マージナル」志向ってのは、やはりこの辺りから発しているんじゃなかろうか、と。とはいえ、何が何でも「マージナル」なほど正しいという思想を徹底していくと、しまいには訳のわからないゲテモノ風になっていくわけで。

それをいささかグロテスクなまでに演じて見せたのが、竹原阿久根市長も崇拝していたかの太田龍氏を初めとするゲバリスタな方々であったんだろうと思いますが、まあそれはともかくとして。

(追記)

上で、「ドロサヨ」などという言葉を創って、自分では(「泥臭」と「左翼」という違和感のある観念連合を提示して)気の利いたことを言ってるつもりだったのですが、よくよく考えてみると、それはわたくしの年齢と知的背景からくるバイアスであって、世間一般の常識的感覚からすれば、むしろ、上で「ゲテモノ」とか「グロテスク」と形容した方のドロサヨこそが、サヨクの一般的イメージになっているのかも知れませんね。少なくとも、高度成長期以降に精神形成した人々にとっては、左翼というのは泥臭くみすぼらしく、みみっちいことに拘泥する情けないたぐいの人々と思われている可能性が大ですね。

・・・・・・

高度成長後の日本においては、「左翼」というのはこの上なく自由主義的で福祉国家を敵視するリベサヨか、辺境最深部に撤退して限りなく土俗の世界に漬り込むドロサヨか、いずれにしてもマクロ社会的なビジョンをもって何事かを提起していこうなどという発想とは対極にある人々を指す言葉に成りはてていたのかも知れません。

改めて考えてみれば、「東アジア反日武装戦線」なんて看板は、ナショナリズムとショービニズムとネイティビズムに充ち満ちたイデオロギーであって、ただ一つ異様なのは、日本人の一員である彼らがそれを民族的憎悪の対象とするという点にのみ存するということでしょう。そういうベクトルの向きだけ逆さに付け替えた極右思想を、過去半世紀の日本人は「左翼」だと思い込んできたわけです。

 

 

 

 

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