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2024年7月 2日 (火)

日本型年功制の源流はアメリカ型先任権だった!?

吉田誠さんが『立命館産業社会論集』に書かれた「戦後初期における先任権移植政策の展開と労使の対応」という論文は、とても面白い論点を提起しています。

https://www.ritsumei.ac.jp/ss/sansharonshu/assets/file/60-1_3-15.pdf

本稿ではまずGHQや労働省が戦後占領期における先任権の日本への移植の奨励をどのように進めてきたのかを時系列的に明らかにする。当初,GHQは黒子役に徹し,米国に通じた学者や労働省を通して先任権を含む米国的な労働協約の奨励を進めてきた。しかし,1948年末に経済九原則が本国より命令として出されたことを受けて,人員整理による労使紛争を避けるためにGHQが直接的に先任権の導入を奨励・指導する立場に転じた。また経営者団体は,二つの枠組みで先任権を受けいれる姿勢を示した。一つは,消極的な解雇基準としてであり,ドッジ・ライン期には「勤続年数の短かき者」といった表現で解雇基準の一つとして用いられることになった。もう一つは,経営民主化の流れの中で勤続年数を新たな従業員秩序の基準として用いる形で受けいれようとした。これは従業員の格差付けに勤続年数を用いることを意味しており,戦前の身分制度が戦後の資格制度に転換するにあたって,その枠組みとなった年功序列の基底には先任権の影響があった可能性を示す。

実は、この論点は2018年の)「1950年前後における先任権の日本への移植の試み」(『大原社会問題研究所雑誌』721号)で提起されており、

https://oisr-org.ws.hosei.ac.jp/images/oz/contents/721_05.pdf

1949 年のドッジ・ラインは多くの企業に人員整理を強いることになった。この時期は,戦後労使関係の枠組みが成立した後初めて体験する大量解雇の時期であったという意味で重要である。こうした雇用危機の局面において,電産型賃金体系のような賃金制度を導入している場合には,相対的に高賃金となる中高年層を企業から排出することが,人件費の効率的な削減につながるはずである。しかしながら,ドッジ・ライン下の人員整理においてはそうはならず,長期雇用の中高年の男性(定年間近の層を除く)の雇用が守られたのである。
 本稿で確認したのは,この時期,GHQが日本の労使関係に先任権の導入を奨励していたことであり,それにより人員整理基準に勤続の長短が入ってきたということである。確かに,経営側は「淘汰」されるべき労働者をまず整理対象とした。しかしそれを超える規模の削減が必要となる中で,誰を削減するのかについては先任権準拠の勤続基準に依拠した。結果的に,ドッジ・ラインによって引き起こされた雇用不安において,米国発の先任権概念は戦前からの長期雇用者を守るイデオロギーとして機能したのである。
 年長者の功という意味での年功的な観念が当時の日本社会に存在していた可能性は否定しない。しかし,その観念が直接的に勤続年数を解雇基準の1つへとなさしめたわけではなさそうだ。米国発の先任権概念を介することによって,経営にとっても長期勤続者の雇用を守ることは合理的,先進的であるとして,勤続の長短に関する規定が解雇基準の1つとして受容されたのであった。アメリカナイゼーションの一環として勤続基準が人員整理基準に挿入されたのである。そして,このために,戦前から当該企業で働く長期勤続の男性は解雇から免れ,戦後に入ってきた労働者が解雇の主要な対象となったことになる。
 先任権が新しい労務管理の手法として輝いていたのは占領期後半(1950年前後)というほんの短い期間であり,その後の日本に定着することはなかった。しかし,ここで留意しておきたいのは,先任権が導入されようとした時期である。既に触れたように「終身雇用」,「企業封鎖性」,「年功」などの日本的経営の特質が発見されたのは,奇しくもその数年後である。もし先任権導入の試みがなかったとしても,これらの事実発見は可能だったのであろうか。

さらに実はそのとき、私は本ブログでこの論文に対してこんな感想を書き付けておりました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2018/10/11-e249.html

あと、特集以外に、吉田誠さんの「1950年前後における先任権の日本への移植の試み」という論文が、いままで知られていなかった歴史の裏面のエピソードを垣間見せてくれて、これまた大変面白かったです。

ただ、正直言って、アメリカ流の先任権が占領下の時代に宣伝されたというのはなるほどそうだろうなと思うのですが、それは同時期の職務給の移植の試みと同様、非日本的なシステムの移植の試みであり、むしろその後日本型システムが優位になる中で消えていったものだと思うのです。少なくとも、おなじセニョリティシステムという英語になるからといって、リストラの際に中高年から先にやめてもらう日本の年功制の確立にアメリカ流先任権が寄与したわけではないだろうと思いますが。

今回の論文ではなんと、このわたくしのブログコメントが引用されており、

 本稿ではGHQや労働省が先任権の移植をどのように進めようとしていたのか,また経営者団体や労働組合がそれに対してどのような対応をとっていたのかを時系列的に確認していくこととする。吉田(2018)では先任権の移植という事実発見に重きを置き,その移植政策の展開過程については今後の検討事項としていたからである。

そのうえで先任権の導入がドッジ・ライン期に解雇基準の一要素となったというだけではなく,経営の民主化が問われている中で,昇進や昇給といった日本の人事制度に勤続年数重視という考え方を植えつけることになった点を示そう。戦後の年功序列の考え方の基底に米国の先任権が大きく関与している可能性を提示することにより,濱口氏の先のコメントへのリプライとしておきたい。

たった数行のコメントに、数十枚に及ぶ論文でリプライしていただいたということになり、恐縮の限りです。

実に丹念に政府や経営側や労働側の資料を読み解いていき、GHQが注入しようとしたアメリカ流セニョリティ概念が当初は「古参権」という今日では違和感すら感じる言葉で用いられていたのに、やがて日本古来のものであるかのような顔で「年功序列」と訳されていくあたりの叙述は、歴史の狡知を感じさせますね。

やや唐突に思われるかも知れませんが、これを読んで思い出したのは、輪島裕介さんの『創られた「日本の心」神話』です。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-aeb3.html

ホブズボームの『創られた伝統』以来、いま現在一見「伝統的」と見なされている事物が実は近代になってから創作されたものであるという認識枠組みは、社会学や人類学方面ではそれなりに一般化していますから、その意味ではその通俗音楽分野への応用研究ということでだいたい話は尽きるのですが、・・・

こういう皮肉な構造はいろんなところに見いだせるのかも知れません。そもそも、年功賃金を産み出している定期昇給制は、1950年代前半に日経連が労働組合のベースアップ攻勢を撃退するためのロジックとして、中労委の調停案に出てきたのを奇貨として大々的に持ち出してきたものであるわけで。(この辺の経緯は、近刊の『賃金とは何か』で詳しく述べております)

さて、こうしてリプライを頂いたのにお返しをしなければならないのですが、とりあえず、この論文を読む前の段階ですが、先日お送りいただいた『戦後日産労使関係史』の書評を、今月25日に刊行される『日本労働研究雑誌』8月号で書いておりまして、そこで第8章の次の補章に対するコメントも入っております。

 

 

 

 

 

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コメント

過分なお言葉をいただき、ありがとうございます。抜刷りを送らせていただこうと思っていましたが、その前に拙稿を取りあげていただいたこと、こちらこそ恐縮しております。
私のホームページ等からリンクを貼らせていただきます。とりいそぎお礼まで。

わざわざお越しいただき恐縮です。
月末刊行の『JIL雑誌』で貴著を書評させていただいておりますので、ご笑覧いただければと思います。

拙著書評をご執筆いただいたこと重ねてお礼申しあげます。心して拝読させていただく所存です。

1950年前後で労働省が先任権をアピールするための幻燈を作っていたようです。
ちょっと感動しました。
https://joseishugyo.mhlw.go.jp/joho/gento/G2/17.html

いやあ、こういうのも作っていたんですね、山川菊江以下の婦人少年局は。
当時のパンフレットの類いはぼろぼろのものがJILPTの図書館に所蔵されていますが、さすがにこんな幻灯フィルムというのは初めて見ました。
おおむね紙芝居という感じですが、この先任権のは、なにやら青春映画のスチール写真集といった趣がありますね。

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