オベリスクさんの『賃金とは何か』評
今まで多くの拙著をブログで書評してきていただいてるオベリスクさんが、今回は『賃金とは何か』に対して、おそらくこの本を読むであろう多くの読者とは異なり、「いわゆる「会社」ってところで働いたことがない」という立場から、素朴で本質的な疑問を提起されています。
https://obelisk2.hatenablog.com/entry/2024/07/16/082830
・・・わたしは「職務給と職能給」などというよりも、個人的に、「同一労働同一賃金」という正論的原則が、日本型雇用形態の中でどう扱われてきたか、という視点で読んだように思う。もともとわたしは、いわゆる「会社」ってところで働いたことがないので、「同一労働同一賃金」って当たり前じゃん、てな素朴な感覚でいたのだが、なかなかそれがどうして、そうはいかなかった、って話なんだよね。派遣であろうがパートであろうが女性であろうが、(男の)正社員と同じ仕事をすれば同じだけのお金がもらえるってのは、当たり前のことに感じていたわけであるが。
本書を読めば、そういうわたしの(正論的)感覚が、歴史的事実を見るといかにナイーブであったか、わかるわけだ。確かに、父親が働いてそれで一家を養う、なんていう考え方が常識なら、「生活給」、つまり家族を養っていくのに必要なだけの賃金を払う、という考え方(年功序列方式に繋がる)にも、ある程度の合理性を感じる。また、新入社員でもおっさんでも「同一労働同一賃金」っていうと、おっさんがいろいろ困るというのも、まあ感情的にわからないでもない。・・・
この「おっさんがいろいろ困る」話は、とりわけ第Ⅰ部第4章の「労働組合は職務給に悩んでいた」という当たりで詳しく描写しています。
なお、オベリスクさんは最後に「付け加えておくと、本書では「給料が上がるというのはどういうことか」という視点が重要なようだ。それは、じつはそれほど自明なことでないのである。」と付け加えておられますが、これは主として第Ⅱ部の「賃金の上げ方」に関わる話です。この第Ⅱ部のタイトルが「賃金の上がり方」(自動詞)ではなくて「賃金の上げ方」(他動詞)であるのには、深い意味があります。
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