フォト
2024年7月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

« 2024年6月 | トップページ

2024年7月

2024年7月24日 (水)

フリーランス・ギグワーカーの労働者性と保護の在り方@『労基旬報』2024年7月25日

『労基旬報』2024年7月25日号に「フリーランス・ギグワーカーの労働者性と保護の在り方」を寄稿しました。

 去る6月21日、いくつもの政府の政策文書が閣議決定されました。その中で注目されたのはもちろん経済財政運営と改革の基本方針(骨太方針)2024や新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画2024年改訂版で、例によって三位一体の労働市場改革という旗印の下で、ジョブ型人事とか職務給といった流行語が踊っています。しかし今回取り上げるのはそれらと同日付で閣議決定された規制改革推進計画の方です。こちらにも労働政策に関わる項目がいくつも並んでいるのですが、どれもひと味違ってやや玄人好みのトピックを扱っているのです。
 具体的には、フリーランス・ギグワーカーの労働者性及び保護の在り方、労使双方が納得する雇用終了の在り方、「自爆営業」の根絶、副業・兼業の円滑化という4項目が挙がっています。このうち、二番目のものは解雇の金銭救済制度の検討を急げ、そのために早急に調査を実施せよというもので、私自身が過去10年以上にわたって実態調査に関わってきたテーマであり、またまた発破を掛けられてしまった、というものなのですが、こちらについてはまた改めてじっくりと取り上げたいと思います。
 今回の規制改革推進計画で目新しいのは一番目のフリーランス・ギグワーカーの労働者性・保護の在り方と三番目の自爆営業ですが、特に最初のものはここ数年来世界的に大きな問題となり、本連載でも再三再四にわたってEUやILOの動向を紹介してきたテーマです。それが、今回規制改革という枠組みから対応を求められることになったわけです。
 まずは、今年の規制改革推進計画においてこの問題がどのように取り上げられているのかを見ましょう。
a 昭和 60 年の「労働基準法研究会報告」(以下「研究会報告」という。)に基づく労働基準法上の労働者性(以下「労働者性」という。)の判断基準(以下「判断基準」という。)においては、「業務の内容及び遂行方法に対する指揮命令の有無」は「指揮命令の程度が問題であり、通常注文者が行う程度の指示等に止まる場合には、指揮監督を受けているとは言えない」とされているが、現実には、就業者及び事業者による個別具体的な判断に当たって解釈が容易ではなく、特に、事業者側の人間による就業者に対する直接・対面の指示ではなく、アプリやAI、アルゴリズムを用いた連絡やGPSを用いた就業状況の把握など、研究会報告が取りまとめられた当時には想定されていなかったデジタル技術の扱いが不明確であり、労働者性の有無の予見可能性が低い状況にあるとの指摘がある。これらを踏まえ、厚生労働省は、労働者性がある働き方をしているにもかかわらず、名目上は自営業者として扱われ、最低賃金を始めとする労働基準法等に基づく保護を受けられていない、いわゆる偽装フリーランス問題の解決に資するよう、国民にとって労働者性の有無の予見可能性を高める観点から、例えば、配達業務を行う就業者に対して発注者が具体的な配達経路を連絡し、当該連絡に従わない場合には制裁を科す等の措置により当該連絡に従うことを強制するなど、就業時間中に発注者が就業者の業務遂行方法について業務の性質上当然に必要な範囲を超えた連絡を行い、就業者に対して当該連絡に従うよう強制するような場合には、人間による直接の指示ではなく、AIやアルゴリズムによる連絡であっても、業務遂行上の指揮監督関係を肯定する方向に働くことを明確にするなど、研究会報告による現行の判断基準を引き続き基礎としつつ、デジタル技術の活用等を踏まえた判断基準の明確化を検討し、その結果を踏まえ、就業者・事業者双方にとって分かりやすく解説するなどの周知を行う。
b 厚生労働省は、例えば、取引相手たる配達業務従事者にヘルメット等の安全器具の着用を求めることや、事故等の発生時に安全確保のために退避指示を行うこと、長時間就業する者に就業時間の短縮を推奨することなど、業務委託の発注者が安全管理又は健康確保のために取引相手(就業者)に対して行う「指示」「推奨」その他の連絡が、就業者の労働者性を肯定する要素である「指揮命令」や「拘束」と評価されるか否かが明確でない場合、当該連絡が「指揮命令」や「拘束」に該当するのではないかとの懸念から、発注者が、当該就業者自身及び顧客のための安全管理又は当該就業者自身の健康確保に資する連絡をちゅうちょするおそれがあるとの指摘があることを踏まえ、法令等に基づき国が発注者に義務付けているものも含め、安全管理又は健康確保のための就業者に対する連絡について、例えば、就業者への拘束を強める目的ではなく、安全管理又は健康確保を目的として行う就業時間の上限管理に係るものについて、業務委託契約の内容として、長時間就業による健康への影響を防止する観点から、就業時間の上限の目安について就業者と発注者が合意した上で、就業者がその目安に沿って自ら就業時間管理を行えるよう発注者が注意喚起を行うことは、判断基準における「指揮命令」や「拘束」として評価されるものではないと整理するなど、判断基準における「指揮命令」や「拘束」として労働者性を肯定する方向に働くものとそうでないものを整理し、発注者及び就業者に周知する。
c 厚生労働省は、労働者性の有無についての国の判断が、現状では、労災事故や労働紛争に関する訴訟等の提起前には明らかにならない事案があることや労働基準法第104条に基づき労働基準監督署へ労働者性に関する違反事実の申告等を行っても労働者性の判断に至らない事案が半数近くに上るとの調査結果もあることを踏まえ、労働者性がある働き方をする者が就業開始後早期に労働基準法等の保護を受けられ、また、社会保険料等の負担の有無に起因する競争環境の公平性を確保する観点から、例えば、ドイツにおいて就業者又は事業者の申請に基づき年金保険機構が自営業者か被用者かの地位確認を行う手続があることや、建設業の一人親方について判断基準を整理したチェックシートを用いて労働者性の自己診断の支援が行われていることを参考に、①自らを労働基準法上の労働者だと考える者から労働基準関係法令違反に関する相談を受ける窓口を整備する、②労働基準監督署は、自らを労働基準法上の労働者だと考える者からの申告に対して、関係者から資料が収集できないなどの特段の事情がない限り、原則として、労働者性の有無の判断を行うことを就業者に対して明確化するなど、労働者性の有無の判断が適切に行われるよう、必要な措置を行う。
d 厚生労働省は、「個人事業者等の健康管理に関するガイドライン」(令和6年5月 28 日)において、作業時間が契約期間で平均週40時間程度、契約期間が1年以上など労働者に近い専属性がある個人事業者等が一般健康診断と同様の検査を受診するのに要する費用を発注者が負担することが望ましいとされている点について、フリーランス・ギグワーカーへの発注控えにつながるおそれがあるとの指摘が当事者自身から行われていることを踏まえ、当該ガイドラインの公表後、一般健康診断の費用負担を理由とした発注控えの実態を調査し、当該理由による発注控えが生じていることを把握した場合には、当該ガイドラインの見直しも含めて必要な対応を検討し、実施する。
 これら4項目の実施時期はそれぞれ、aとcは令和6年度検討開始、結論を得次第速やかに措置であり、bは令和6年度措置、dは令和6年度措置、それ以降継続的に措置となっています。要するに、bとdは今年度中に何とかしろ、aとcも今年度から議論を始めて早々に措置しろというタイムスケジュールです。
 この問題が提起されたのは、規制改革推進会議の第4回働き方・人への投資ワーキンググループ(本年3月12日)においてで、厚生労働省の増田嗣郎労働条件政策担当審議官、一般社団法人プロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会の平田麻莉代表理事、全国赤帽軽自動車運送協同組合連合会の嵯峨徹也事務局長、水町勇一郎専門委員の説明を受けて、議論がされています。上記aからdまでの項目は、そこでの議論をかなりそのまま文章化したようなものであることがわかります。
 aの部分は、主として水町専門委員の労働法制の国際比較の観点からの議論を受けたもので、近年のEUプラットフォーム労働指令やILO、欧米諸国における動きなどを背景に、1985年の労働者性に関する労働基準法研究会報告の見直しを求める内容になっています。これは、まさに今年1月から労働基準局で開催されている労働基準関係法制研究会において、ホットな議論になっているテーマであり、水町氏自身もその研究会の委員でもあるので、その意味では既に検討が開始されているわけであり、「結論を得次第速やかに措置」ということになるのでしょう。
 bからdの部分は平田氏や嵯峨氏の提起を受けたものです。特に平田氏は、「「指揮監督」をはじめとする専門用語の解釈が難解であって、一般の人にはなかなか分からないということですとか、あくまでも複数の判断基準の総合判断で司法が決めますということになっていますので、曖昧であるということ」を指摘し、「この労働者性の判断基準の曖昧さから来る不安で、過剰に保守的なルールで発注者・フリーランス双方が働きづらくなってしまったり、フリーランスへの発注控えというのも生じてしまっています。例えば偽装フリーランスにはしたくないけれども何に気をつけていいか分からないですとか、安全性対策や福利厚生を提供したいが、労働者性を疑われたら困るので何もできないですとか、一対一のやり取りがあると指揮監督が疑われるやり取りが発生してしまうかもしれないので、飲み会に誘ったり、一緒にトイレに行くのは禁止ですといったルールがある会社があったり、あとは、労基署の判断に一貫性がないように見えるので、怖くてもうフリーランスとは働けませんという企業もあったりします」と訴えています。これに関連して、鈴木専門委員も「例えばフリーランスの保護を促進しなければならないという側面は確かにあるのですけれども、例えば安全・健康に関して健康や安全管理上の指示ということを発注者に課すということになって、発注者の側がフリーランスの保護を促進するという方向性を取ることは適切だと思うのですけれども、そうすると管理が厳格になっていって、結局はフリーランスとして雇おうとしていても労働者にしかならないみたいな、労働者に非常に近くなるような管理を行政が発注者側に課してしまうということにも将来的にはなり得ると思うのですが、これは結局指揮監督が肯定されやすくなってしまってフリーランスが使いにくいという、今、抑止効果とか、いろいろ話がありましたけれども、まさに行政が保護を促進すると、今度はフリーランスが使えないみたいなことになるというジレンマがあると思うのです」と述べています。これらを踏まえて、規制改革推進計画では「判断基準における「指揮命令」や「拘束」として労働者性を肯定する方向に働くものとそうでないものを整理し、発注者及び就業者に周知する」と言っているわけです。この点について、安全衛生部の船井専門官は「注文者の方がそういった安全の指示やアドバイスをする際に、それが必要な安全上の指示・指導なのか、それとも指揮命令に該当してしまうのかといった部分を、現場でどういうところに躊躇しているのかというのもちゃんと吸い上げた上で、現場が予見可能性を持ってできるような目安のようなものをお示しすることができないかということで、今、関係課と調整しております。これはなるべく幅広の団体から意見を聞こうということで、建設業や運輸業、製造業、あとフードデリバリーやECのプラットフォーマーさんなど、なるべく幅広に聞いて、現場でこういうことをやったら労働者性ありと言われてしまうからちょっと躊躇しているのですよね、というのがあるのかないのかというのは情報を集めて、今後、検討していきたいと思っております」と答えていたので、bは「令和6年度措置」ということにしたのでしょう。
 cについても、水町専門委員の「場合によっては判断基準を少し整理してチェックシートにしながら、チェックシートに丸づけをして、これだけチェックがいっぱいつくから労働者の可能性が高いねと。逆にあまりチェックがないからこれは自営業者の可能性が高いねと当事者の認識を高めるということと同時に、チェックシートでは例えば7つの項目について4対3だから労働者とか、2対5だから労働者ではないというふうに数で決められないので、そのチェックシートを使いながら認識を深めて、当事者でも分かりやすくしながら、最終的に微妙なところではきちんと行政による相談窓口をつくって、そこできちんと誘導をしてもらうということが必要なのではないか」という提起をベースに、鈴木専門員も「契約を結ぶ際に必要なチェックリストも、フリーランスの人と契約を結ぶ際にはチェックリストがあって、結果的に最終的な判断はもちろん司法の判断になるのですけれども、こういうチェックリストにのっとって労働者ではないと認識していますみたいな形で、事前に予測可能性を極めて高める方法を考えるとか」を提案しており、竹野監督課長が「予測可能性を高めるということは非常に重要だと考えておりまして、我々も労働基準監督署の判断事例を、先ほどの資料にありました軽貨物の事例でお示ししたりであるとか、そういったことを行っておりますので、分かりやすく周知をするということについては引き続きこれからも検討し、取り組んでいきたいと考えております」と答えていることも踏まえて、「令和6年度検討開始、結論を得次第速やかに措置」となったのでしょう。
 dはこれも平田氏がかなり熱心に追及していた点で、「個人事業者等の健康管理に関するガイドライン(案)」に対して、「長時間就業による健康障害の防止やメンタルヘルス不調の予防、あとは一般健診費用の負担などを発注者に求めるような内容になっています。その基準というのもほかの法律だったりガイドラインとまた違った基準で健診費を負担するようにとなっていたりするので、労働者性の判断や継続的業務委託に関する混乱や誤解を助長し、健康管理を建前とした労務管理を生んでしまったり、逆に発注控えや契約解除を生むおそれがあるのではないかなと少し気になっております」と指摘し、さらに「たかが健康診断費用でと思われるかもしれないのですけれども、例えばインボイス施行で免税事業者と取引する企業に発生する負担は取引額の僅か2%程度ですけれども、それでもちりつもだということで、フリーランスとの取引が多い企業は発注先を絞っています。当協会の調査でも免税事業者の17.3%が一方的な契約解除や値下げを経験しているということもあって、そういったことは起こり得るとは思います。また、いきなり契約解除とならなくても、今回のガイドラインでは1年以上の契約の場合、健診費の負担が望ましいとなっていますので、抵触しないように1年未満で契約終了してメンバーを入れ替えようという動きも可能性としてはあるかなと思います」と危惧の念を露わにしています。そういう懸念が強く示されたことから、dは「令和6年度措置、それ以降継続的に措置」ということになったのでしょう。
 労働法の観点からすると、やはりaとcが関心の中心になるわけですが、この点はまさにこれから労働基準関係法制研究会で何らかの方向性が出てくることが予想されますので、引き続き注意深く見ていきたいと思います。

 

 

マージナル指向のなれの果て

河野有理さんのこの呟きに、若干違和感を覚えたのは、

「リベラル」は少数者の権利に関心があるから選挙で負けて当然なんだと言うのは負け惜しみ以前に危険な敗北主義ですね。「政治的多数」がさまざまな少数者の利益のcoalitionによって作為されること、そうした連合を作為することこそ政党と政治家の本業であることがどうも実感としてわかっていない。

日本におけるこの傾向は、むしろ左翼が迷走した挙げ句のマージナル指向のなれの果てなのではないかと感じるからです。

(参考)

「マージナル」とはちょっと違う

金子良事さんの

http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-56.html(マージナルなものに目を向けることの強みと限界)

>現代では、労働問題にせよ、社会福祉にせよ、いわゆる社会的弱者に対する問題関心からスタートしたことによる、思考の縛りがどこかしらにあるのではないのか、と考えることがある。

なるほどというところもあるけど、ちょっと違うと思う。

>たとえば、労働問題はもともとブルーカラーを対象にしていた。19世紀末日本の職工はまだまだ社会的弱者であり、彼らには生活面においてもしばしば救済が必要であった。時は流れて、戦後、ブルーカラーとホワイトカラーの身分差が撤廃されたにもかかわらず、労働問題研究や労使関係研究の中で扱われるのは、相変わらずブルーカラーであることが多かった。こうした現象は技術革新の大部分を外生変数としてきたこと、および内生変数と捉えても、QCサークル活動がやたらと強調されてきたことと無関係ではない。それによって見逃されたことも多いのではないか?ホワイトカラーの研究が少しずつ始まったのはここ20年くらいのことに過ぎない。

労働問題研究のあり方の議論としては、ほとんど賛成なのですが、ブルーカラーを「マージナル」っていうのはだいぶ違和感がある。

話はまったく逆で、労働問題がブルーカラー中心だったり、社会政策が貧民中心だったりしたのは、それが数量的少数者という意味での「マージナル」ではなく、社会の中のパワー構造では弱者の側ではあるけれども、数量的にはむしろマジョリティであって、近代社会の民主主義的建前上無視することができない存在だったからではないか、と。古めかしい言い方をすれば「多数派にすべての権力を」てな感じでしょう。

そうじゃなく、数量的にも「マージナル」でしかない存在に目を付けてそのアイデンティティポリティクスを強調するようになるのは、まさに「1968」以後の「1970年パラダイム」じゃないかという気がする。

ちょうど先日稲葉さんが紹介してくれた下田平裕身氏の回想録みたいなものを読むと、

https://soar-ir.shinshu-u.ac.jp/dspace/bitstream/10091/656/1/KJ00004357390.pdf(<書き散らかされたもの>が描く軌跡 : <個>と<社会>をつなぐ不確かな環を求めて : <調査>という営みにこだわって)

下田平氏はちょうどその1970パラダイムに見事にぶち当たってしまった世代だったんだなあ、と思うわけですが、その中の例えば、

>私は、少数派労働組合運動の体験、イギリスでの<異質なるもの>が併存する社会での生活体験、さらに韓国語の学習をきっかけとしたアジアにおける民族と文化の多様な存在についての認識を総合しながら、80年代初めにおける自分の社会認識のパースペクティブを再構築しようとしている。<社会>において<少数派>である存在の意味をもう一度、より広い視野で捉えなおしたいと思ったからであった。

>私は、高度成長の時代を、明治以来、日本社会のオブセッションだった<貧困>から脱出するための激しい生存競争の時代と表現している。全般的な生活水準が上昇するとともに、目に見える<貧困>は減少し、モノが満ち溢れる。ゆたかな<大衆消費社会>が到来した。すべての人が<人並みの生活>、さらには<ヨーロッパ並みの生活>を求めて競い合うエネルギーは、<経済成長>そのものをも創り出したといえる。一体的な生活競争の過程で、そこから脱落する存在、あるいは離脱する存在が生まれた。日雇労働者、派遣労働者などの不安定就労者、中小零細企業の労働者、不況産業の労働者、ブルー系、ホワイト系を問わず技術や熟練の変化に伴って労働市場からはじき出された労働者、過疎地帯の住民、失業者、農民、さまざまな傷病や心身の障害を負う人々、都市のホームレスの住民、日本に永住する少数民族、日本に出稼ぎに来ている外国人、労働災害や公害・薬害の犠牲者、高齢者、中高年者、家庭・職場における女性、子供・・・・・。私は、こうした多様な存在に、一体的な生活競争が解体し、はじき出していった、さまざまな生活の<個性>を見ていた。

というような辺りを読むと、これは少なくともそれまでの労働問題や社会政策への関心の持ち方とは相当に違うと感じざるを得ません。

それまでの多数派たる弱者だったメインストリームの労働者たちが多数派たる強者になってしまった。もうそんな奴らには興味はない。そこからこぼれ落ちた本当のマイノリティ、本当の「マージナル」にこそ、追究すべき真実はある・・・。

言葉の正確な意味における「マージナル」志向ってのは、やはりこの辺りから発しているんじゃなかろうか、と。とはいえ、何が何でも「マージナル」なほど正しいという思想を徹底していくと、しまいには訳のわからないゲテモノ風になっていくわけで。

それをいささかグロテスクなまでに演じて見せたのが、竹原阿久根市長も崇拝していたかの太田龍氏を初めとするゲバリスタな方々であったんだろうと思いますが、まあそれはともかくとして。

そのことと、ホワイトがどんどん増えていっているのに、いつまでもブルー中心の枠組みで研究し続けたことの問題云々というのはちょっと次元が違うと思う。

リベサヨとドロサヨまたはレフト2.0の2形態

先週いただいたブレイディみかこ・松尾匡・北田暁大『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう レフト3.0の政治経済学』(亜紀書房)については、金曜日に紹介したところですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2018/04/post-42b6.html(ブレイディみかこ・松尾匡・北田暁大『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう』)

その中で、松尾さんが私に言及しているところに、ちょっとコメントしたくなりました。

「補論1 来たるべきレフト3.0に向けて」のp141ですが、

松尾 そう、僕のいうレフト1.0と2.0というのは、労働研究の濱口桂一郎さんが、「オールド左翼」と「リベサヨ」と呼んでいらっしゃるものと近いところがあります。でも、この言い方だと、レフト2.0の中にもラディカルな武闘強硬派がいたりすることがうまくイメージできなくなってしまうと思うんですよね。

北田 かつての新左翼の流れにあるような急進派の人たちは「リベサヨ」をよく批判しますからね。

松尾 でも、この急進派と穏健派は、お互い一緒にされたくないでしょうけど、やはり共通のパラダイムの上に立っているということは言えると思うんですよね。

北田 どういうパラダイムを共有しているんですか。

・・・・・

松尾 はい、レフト2.0の急進派の方ではそうやって「第三世界」や地域コミューンの中での自律が志向されたりしたわけです。また、穏健派の方でも、国家行政主導の「大きな政府」は効率が悪く抑圧的だという反省があったと思います。

この松尾さんの議論はその通りだと思うのですが、そのレフト2.0急進派のことも、本ブログで何回か取り上げて、「リベサヨ」とはちょっと異なるある名前をつけていたことには、気づいていただけていなかったようです。

それは「ドロサヨ」。北田さんの言葉を引けば、


北田 従来型のマルクス=レーニン主義というよりは、「第三世界」との連帯とか、「辺境」の地域コミューンみたいなものを社会変革の根拠にしようとした人たちの流れですね。・・・

という流れで、確かに1968年以降の左翼の一つの軸として、細々と存在し続けていたようです。

ドロサヨ(泥臭左翼)の時代

「桐島、逃亡生活やめるってよ」というニュースが駆け巡った一日でしたが、彼が関わっていた「東アジア反日武装戦線」の爆弾事件はちょうど私の高校生時代で、あれからほぼ半世紀が経ったんだな、という感慨が湧いてきます。

そして、この頃のこういう動きが、左翼というのをそれまでの近代的、科学的な指向のイデオロギーから、それとはむしろ真逆の、反近代的、反科学的な指向のものと受け止める考え方の構えが一般化していったのだな、と思い返されます。

このあたり、もう10年以上も前に、演歌の本をめぐってこんなことを書いたことがありました。

新左翼によって「創られた」「日本の心」神話

わたくしの観点から見て、本書が明らかにしたなかなか衝撃的な「隠された事実」とは、演歌を「日本の心」に仕立て上げた下手人が、実は60年代に噴出してきた泥臭系の新左翼だったということでしょうか。p290からそのあたりを要約したパラグラフを。


いいかえれば、やくざやチンピラやホステスや流しの芸人こそが「真正な下層プロレタリアート」であり、それゆえに見せかけの西洋化=近代化である経済成長に毒されない「真正な日本人」なのだ、という、明確に反体制的・反市民社会的な思想を背景にして初めて、「演歌は日本人の心」といった物言いが可能となった、ということです。

昭和30年代までの「進歩派」的な思想の枠組みでは否定され克服されるべきものであった「アウトロー」や「貧しさ」「不幸」にこそ、日本の庶民的・民衆的な真正性があるという1960年安保以降の反体制思潮を背景に、寺山修司や五木寛之のような文化人が、過去に商品として生産されたレコード歌謡に「流し」や「夜の蝶」といったアウトローとの連続性を見出し、そこに「下層」や「怨念」、あるいは「漂泊」や「疎外」といった意味を付与することで、現在「演歌」と呼ばれている音楽ジャンルが誕生し、「抑圧された日本の庶民の怨念」の反映という意味において「日本の心」となりえたのです。

この泥臭左翼(「ドロサヨ」とでも言いましょうか)が1960年代末以来、日本の観念構造を左右してきた度合いは結構大きなものがあったように思います。

そして、妙な話ですが、本ブログではもっぱら「リベサヨ」との関連で論じてきた近年のある種のポピュリズムのもう一つの源泉に、この手のドロサヨも結構効いているのかも知れません。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-9d19.html(「マージナル」とはちょっと違う)

それまでの多数派たる弱者だったメインストリームの労働者たちが多数派たる強者になってしまった。もうそんな奴らには興味はない。そこからこぼれ落ちた本当のマイノリティ、本当の「マージナル」にこそ、追究すべき真実はある・・・。

言葉の正確な意味における「マージナル」志向ってのは、やはりこの辺りから発しているんじゃなかろうか、と。とはいえ、何が何でも「マージナル」なほど正しいという思想を徹底していくと、しまいには訳のわからないゲテモノ風になっていくわけで。

それをいささかグロテスクなまでに演じて見せたのが、竹原阿久根市長も崇拝していたかの太田龍氏を初めとするゲバリスタな方々であったんだろうと思いますが、まあそれはともかくとして。

(追記)

上で、「ドロサヨ」などという言葉を創って、自分では(「泥臭」と「左翼」という違和感のある観念連合を提示して)気の利いたことを言ってるつもりだったのですが、よくよく考えてみると、それはわたくしの年齢と知的背景からくるバイアスであって、世間一般の常識的感覚からすれば、むしろ、上で「ゲテモノ」とか「グロテスク」と形容した方のドロサヨこそが、サヨクの一般的イメージになっているのかも知れませんね。少なくとも、高度成長期以降に精神形成した人々にとっては、左翼というのは泥臭くみすぼらしく、みみっちいことに拘泥する情けないたぐいの人々と思われている可能性が大ですね。

・・・・・・

高度成長後の日本においては、「左翼」というのはこの上なく自由主義的で福祉国家を敵視するリベサヨか、辺境最深部に撤退して限りなく土俗の世界に漬り込むドロサヨか、いずれにしてもマクロ社会的なビジョンをもって何事かを提起していこうなどという発想とは対極にある人々を指す言葉に成りはてていたのかも知れません。

改めて考えてみれば、「東アジア反日武装戦線」なんて看板は、ナショナリズムとショービニズムとネイティビズムに充ち満ちたイデオロギーであって、ただ一つ異様なのは、日本人の一員である彼らがそれを民族的憎悪の対象とするという点にのみ存するということでしょう。そういうベクトルの向きだけ逆さに付け替えた極右思想を、過去半世紀の日本人は「左翼」だと思い込んできたわけです。

 

 

 

 

2024年7月22日 (月)

美奈子・ブレッドスミス『企業と働く人のコミュニケーション』

Aa480fd3fc3a61da4ac1e0195f9a09668ed95d5f 美奈子・ブレッドスミス『企業と働く人のコミュニケーション』(経団連出版)をお送りいただきました。

https://www.keidanren-jigyoservice.or.jp/pub/cat1/2af7bbd9fe29c1a00f12b193f7ab21da34d52e73.html

ソーシャルメディアの台頭に伴い、個々人が情報の受信者であるとともに発信者にもなれる今日、企業は、自らの組織についての正しい情報を社員等と的確に共有していること、および双方向のインターナル・コミュニケーションによって現場情報を正しく把握しておくことが欠かせません。
コロナ禍を経た今日、オンラインでのコミュニケーションが増えています。対面での接触が減ることによって個人の遠心力が強くなると、組織と個人の距離が離れかねないことから、求心力を担保するための、インターナル・コミュニケーションの有効性も認識されるようになっています。
昨今の人手不足も、企業経営に大きな影響を与えています。社員は財産であるという企業主体の考え方から、企業は社員という人材から選ばれる客体になってきているのです。この流れは、元に戻ることはないでしょう。個人一人ひとりが自らのリソースである人的資本を投資し続けるに足る組織であるために、投資先である企業には、社員との間のインターナル・コミュニケーションを活用して良好な関係を構築し、それを維持していくことが求められます。
ひと昔前までの社内広報というと、単に「社内報を作る仕事」という狭い捉えられ方をされがちでしたが、インターナル・コミュニケーションは、いまや組織課題を解決するのに不可欠な役割を果たすようになっています。
本書では、組織課題を解決したインターナル・コミュニケーション戦略のプロセスとその成果を紹介しました。双方向性を取り込んだイントラ社内報を活用してビジョンの浸透をはかった例、経営陣が社員との対話を通じて社員の夢を傾聴することで社内の一体感を高め、業態変革を成功させた例など、29社の実例を通じてインターナル・コミュニケーション活動のヒントをご紹介します。

【収録企業】
アイリスオーヤマ/アクサ生命保険/味の素AGF/イケア・ジャパン/いづみ自動車/オイシックス・ラ・大地/AGC/沖縄科学技術大学院大学/技研製作所/クボタ/コニカミノルタ/サッポロビール/SmartHR/タニタ/大成建設/ディー・エヌ・エー/鳥取大学医学部附属病院/野村ホールディングス/ハピネット/日立製作所/日立造船/富士通/フジ・リテイリング/ベネッセホールディングス/マザーハウス/ユーグレナ/リコー/ロバート・ウォルターズ・ジャパン/ワークマン

 

森・濱田松本法律事務所『労働災害対応Q&A』

534e4060dc247f4a9eef335fda31f493a57ef2f7 森・濱田松本法律事務所、弁護士安倍嘉一、奥田亮輔、五十嵐充、大屋広貴著 『労働災害対応Q&A 企業と役員の責任』(経団連出版)をお送りいただきました。

https://www.keidanren-jigyoservice.or.jp/pub/cat3/65b56b6e8a9b312cb39690e95754f8e441ca5d68.html

労働災害による死傷者数は減少傾向にあり、2023年5月23日に厚生労働省から公表された「令和4年労働災害発生状況」によれば、2022年1月から12月までの新型コロナウイルス感染症への罹患によるものを除いた労働災害による死亡者数は過去最少となりました。他方、たとえば建設業における高所からの墜落や転落、製造業における機械等による挟まれ・巻き込まれ等の事故は多く、特に死傷者数が多い業種において対策に取り組むことが重要であることは変わりありません。また、業種によっては、化学物質の性状に関連の強い労働災害も多数発生しており、減少が見られません。過重労働による脳・心臓疾患の発症を理由に労災認がされる事案も依然として発生しています。さらに、メンタルヘルスに関しては、精神障害等による労災請求件数および認定件数が増加傾向にあります。
このようなことから、労災事故の発生の防止は日本全体の重要な課題となっていますので、企業としては、特定の業種において発生しやすい労災事故を防止するだけでなく、過重労働や精神障害等、どの業種においても問題となりうる労災事故の発生の防止に努める必要があります。
労働災害が発生した場合、企業には行政手続きへの対応、民事手続き対応、刑事手続き対応を行う必要が生じることがあります。労働者から労災申請があった際は、労働基準監督署との対応も必要です。労働者から企業に対し、さらには会社代表者、役員への損害賠償請求がなされる場合もあります。
本書では、労災補償制度を整理したうえで、業務災害で労働者が受けられる保障、フリーランスの個人事業主、海外支店勤務者、海外出張者、アスベストやうつ病、通勤途中、職場でのけんかなど、さまざまなケースを取り上げ、企業の労災民事賠償責任および刑事責任、役員の責任を詳述します。具体例に基づく、労働災害における企業の実務対応がわかります。


【収録事例】
*仕事中に、現場の他企業の労働者のミスにより当社の労働者が怪我をしました。この場合、労働者にはどのような補償がされるのでしょうか。
*会社の業務がきつくてうつ病になってしまい、休職を経て退職したのですが、その後に、労災の給付決定が下りました。労災であれば、会社に戻ることは可能でしょうか。
*安全配慮義務違反は誰が証明する責任を負うのでしょうか。
*元請企業は下請企業の従業員に対して安全配慮義務を負うのでしょうか。
*労働災害が起きた場合に、会社は刑事責任を負うことがあるのでしょうか。
*従業員の労働時間管理や健康の確保について、会社の取締役は一般にどのような義務を負うのでしょうか。
*役員責任に関する消滅時効期間は何年とされているのでしょうか。
*一定規模以上の組織化された会社において、代表取締役や人事部等の所管取締役に対して要求される労務管理体制の構築・運営義務として、裁判例上は具体的にどのような体制を構築・運用することが求められているのでしょうか。
*従業員がうつ病になり、会社を休むと言ってきました。会社としてはどのような対応をとればよいでしょうか。
*うつ病にかかり労災申請を希望した従業員が、「災害の原因」の箇所に、「上司からのパワハラ」と記載していました。会社としては、ハラスメントはなかったと考えており、申請書への押印がためらわれます。どうしたらよいでしょうか。

この最後のパワハラの有無ってのはよくある話ですね。

 

2024年7月21日 (日)

丸善丸の内本店の新書部門5位

丸善丸の内本店週間ベストセラー(2024年7月11日~7月17日)の新書部門で、拙著『賃金とは何か』が5位に入っているようです。

Gs908qbiaewtu

なお、ジュンク堂書店松坂屋高槻店では、新書部門第7位だそうです。

Gs_22hfbiamih3i

 

2024年7月20日 (土)

賃金の決め方、上げ方、上がり方

なるほどね。経営学と経済学は斯様に異なる、と。

そういう意味で言えば、「賃金の決め方」というのが経営学の一分野たる人事労務管理論の問題意識であり、「賃金の上げ方」というのが同じく経営学の一分野たる労使関係論の問題意識であるのに対して、拙著ではあえて項目として起こさなかった「賃金の上がり方」というのはまさに経済学の一分野たる労働経済学の問題意識ということになるのかな。

「賃金の決め方」の目線が人事部で賃金制度をいじくっている人事屋の目線であり、「賃金の上げ方」の目線が労務部で労使交渉を担当している労務屋やそのカウンターパートの労働組合役員の目線であるのに対して、「賃金の上がり方」の目線はまさに上から下界を見下ろす神さまの目線、というか神さまの立ち位置に座っている経済学者やエコノミストの目線というわけだな。

(参考)

日本型雇用システム論と小池理論の評価(再掲)

・・・・ここで、こういう小池氏の発想の根源を探ってみたいと思います。多くの人は小池氏を実証的労使関係論者だと思っているようです。しかし、小池氏の議論は労使関係論の基本的発想の欠如した純粋経済学者のスタイルです。それも新古典派というよりも宇野派マルクス経済学の直系です。
 労使関係論とは何でしょうか?一言でいえば、労使の抗争と妥協によって作り上げられる「ルール」の体系を研究する学問です。その「ルール」は政治的に構築されるのですから、経済学的に正しい保障はありません。もちろん、政治的に構築されたルールが持続可能であるためには経済学的に一定の合理性を持つ必要があります。
 戦時賃金統制と電産型賃金体系が確立した生活給自体は政治的産物であるので、その合理性を経済学から演繹することはできません。しかし生活給を変形した(厳しい個人査定付き)年功的職能給制度の合理性は経済学的に説明することが可能です。
 いわば、小池理論とは、労使関係論が最も重視する(政治的に決定される)「ルール」をあえて議論の土俵から排除することによって成立しているきわめて純粋経済学的な議論なのです。

 この労使関係論なき純粋経済学ぶりは、賃金の決め方と上がり方をめぐる議論にも明確に現れています。上記『賃金』(1966年)を見てみましょう。小池氏は、当時経営側や政府で流行していた「年功賃金から職務給へ」に反論して、こう述べます。

・・・だが、右の議論には納得できない疑問点が数多く見出される。第一に、賃金率の上がり方と決め方が混同され、区別されていない。決め方とは、ここの賃金率を直接規定する方式のことである。・・・これに対して、賃金率が結果としてどのような趨勢をとるかが「上がり方」の問題である。
重要なのは、この二つが全く次元の異なったものだということである。例えば、決め方が職務給でも、上がり方が年齢に応じて上昇することもあり得る。・・・この両者のうち、より一層重要なのは上がり方である。そこに生活がかかっているからである。ところが右の年功賃金論は、この区別を知らない。職務給をとれば上がり方も緩やかになる、と考えている。だが職務給はもともと決め方にすぎないのであって、決め方を変えたからといって、上がり方がそれによって変わるものではない。・・・だから、そもそも上がり方としての年功賃金を、決め方としての職務給と対立させるのがおかしいのであり、両者は両立しうるのである。・・・

 さらっと読むと一見もっともらしく見えますが、生活給とは「上がり方」そのものを「決め方」で規制する仕組みであり、結果としてこういう上がり方になりましたというものではありません。労使関係論者であれば労使の抗争と妥協の中でどういう「ルール」になったかが最大の関心になるはずですが、小池氏にとっては(当事者が決定した)「ルール」よりも「より一層重要なのは」(当事者ではなく外部の観察者が調査しグラフ化して初めてみえてくる)「上がり方」であるという点に、その純粋経済学者としてのスタンスが現れています。
 とりわけトリッキーなのは、「そこに生活がかかっているからである」という台詞です。「そこに生活がかかっているから」こそ、電産型賃金体系は直接に「ルール」でもって「上がり方」を「決め」ようとしたのです。つまり確実に上がるような「決め方」が大事なのであって、労使当事者が決められる「ルール」の外側の経済学者が観察しグラフ化してはじめてみえてくる「上がり方」などに委ねようとはしなかったのです。

 

2024年7月19日 (金)

奴隷は近代黒人奴隷に限らず

5sy4ret_400x400_20240719150901 いま炎上している話に加わる気は全くありませんが、ShinHoriさんのこの言葉にだけ一言。

「奴隷」というと欧米の黒人奴隷を真っ先に連想させるので「奴婢」とか「奴僕」というと、もう少しニュートラルになるかも?

いやいや、人類の文明史はどこを切っても(程度の差はあれ)奴隷労働が出てきますよ。

81enrd5kosl_sy425__20240719151101 先日『労働新聞』で書評したヤン・ルカセンの『人間と労働』でも、古今東西の奴隷の歴史がちりばめられています。

ヤン・ルカセン『仕事と人間』@『労働新聞』書評

また本書では奴隷労働がかなりのウェイトをもって語られているが、その視野も全世界的に広がっている。近代初期にアフリカからアメリカ大陸に送られた黒人奴隷だけではないのだ。・・・

大体、中世まではヨーロッパの白人奴隷をイスラム商人が売り飛ばすというのがよくあるパターンだったわけだし。

71ec9d7ekxl_20240719151601 そして、我が日本においても、これも昨年書評した本ですが、渡邊大門の『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』に、戦国日本の奴隷売買の有り様がこれでもかこれでもかと描写されています。

渡邊大門『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』@労働新聞書評

国内で奴隷狩り、奴隷売買が盛んな当時の日本は、彼らを外国に売り飛ばす国でもあった。豊臣秀吉は九州征伐の途上で、ポルトガル商人たちが日本人男女数百人を買い取り、手に鉄の鎖をつけて船底に追い入れている様を見て激怒し、イエズス会のコエリョと口論になったという。コエリョ曰く「日本人が売るから、ポルトガル人が買うのだ」。・・・

M90635220707_1  ちなみに、これは新刊書では入手できないので、古本屋か図書館で見て欲しいのですが、日本法制史の大家である瀧川政次郎に『日本奴隷経済史』という大著があります。

第一部 日本經濟史上の奴隷制度
 序說
 第一編 日本中古の奴隷制度
  第一章 中古賤民制度の制定
  第二章 中古賤民の奴隷的性質
 第二編 奴隷の用途
  第一章 奴隷の生產的用途
  第二章 奴隷の不生產的用途
  第三章 奴隷のその他の用途
 第三編 奴隷の價格
  第一章 奴隷の標準價格
  第二章 奴隷の財產的價値
  第三章 奴隷の需要と供給
  第四章 奴隷の價格の差異
 第四編 奴隷の人口
  第一章 奴隷人口と全人口との比
  第二章 奴隷人口の實數
 第五編 奴隷の分布
  第一章 奴隷の地方的分布
  第二章 奴隷の階級的分布
 第六編 奴隷の生活
  第一章 奴隷の衣服
  第二章 奴隷の食物
  第三章 奴隷の住居
 第七編 日本中古の勞働組織
  第一章 總說
  第二章 自由勞働制
  第三章 不自由勞働制
  第四章 半自由勞働制
 結論
第二部 日本奴隷史論考
 第一 奴の字と夜都古の語義
  序說
  第一章 奴の字の說文
  第二章 夜都古の語義
 第二 主と奴
 第三 本邦古代奴隷の待遇を論ず
 第四 大佛は奴隷勞力の結晶に非ず
 第五 東大寺の奴隷
 第六 觀世音寺の奴隷 

 

 

 

 

 

 

米運輸労組チームスターズがトランプ支持?

400x1 ポリコレでウォークな民主党なんかよりもラストベルトの労働者に寄り添うトランプの方がいいというわけか。

トランプ氏が全米運輸労組に秋波、企業寄りだった共和党の立場複雑に

15日開幕した米共和党全国大会で全米運輸労組(通称チームスターズ)のショーン・オブライエン(Sean O’Brien)会長が、 同党の大統領候補に正式指名されたトランプ前大統領を「タフなS.O.B.」と呼んだとき、前大統領は顔をほころばせ、支持者らは歓声を上げた。・・・

同大会におけるオブライエン氏のスピーチは、130万人の組合員がトランプ氏支持にオープンであり、また正式な支持表明さえあり得ることをほのめかした。こうした明確な示唆は、米労働組合指導者としては異例だ。・・・

あれほどバイデンが一生懸命UAWのストライキのピケラインに参加して、親労組ぶりをアピールしても、バラモン左翼から貧困ビジネス右翼への流れはせき止められないのでしょうか。

でも、この記事が続いて書いているように、選挙向けの貧困ビジネスの装いの下には、本物のビジネス右翼の本音が隠されているはずですが、そこのところの葛藤はどう解きほぐしていくのでしょうか。

もっとも演説は労組加入の奨励と企業の強欲に対する非難も伴った。こうしたメッセージは、共和党の大多数に加え、党内がトランプ氏と共にポピュリズムに傾斜しても同党を資金面で支える大口献金者とってなお禁句といえる。・・・

労働者を標的とする「経済的テロ」を批判した同氏の辛辣(しんらつ)な発言に、会場内の共和党員が冷ややかな反応を示す場面もあった。

  共和党指導者や全国大会代表は、一段と広範な組合加入を呼び掛けるオブライエン氏の立場を全面的に受け入れることには抵抗しつつも、ポピュリズムの訴えで、民主党から有権者を引き剝がしていると自信を抱いている。・・・

 

 

 

 

 

2024年7月18日 (木)

賃金は上がらないといけないのか?

Asahishinsho_20240718160901 オベリスク備忘録さんが、続いて『賃金とは何か』の第Ⅱ部以降について書評してくださっています。

https://obelisk2.hatenablog.com/entry/2024/07/17/085622

・・・終章で、いわゆる「日本が安い」理由、日本の賃金が諸外国に比べ低くなっている理由が指摘されている。つまり、日本では「定期昇給」があるので一見して(個人の)給料が上がるように思えるが、ベースアップがない限り、時間的にスライドしているだけで、トータルでの給料(それは個人からすれば一生のであるし、また国家全体ではその総和)は、世代的に変わらない。それに対し、諸外国の給料は「実質的に」増加しているので、相対的に「日本が安くなる」というからくりだ。確かにそれは「けしからん」ことであり、日本も外国並みにならなければいけない、御尤もである。
 しかし、ここがわたしの無知というか、バカな疑問で恥ずかしいのだが、なぜ、給料は「実質的に」上がらないといけないのか? なんで、外国では、団体交渉をして、ジョブにくっついた給料を上げるのだろう。そりゃ、給料が上がるとうれしいのはわかる。でも、日本人は、「定期昇給」というからくりに「騙されて」、実質的に上がらない賃金でそこそこやってきたではないか。外国人は、現状に「ガマンできない」のか?・・・

これはなかなか哲学的意味で本質的な疑問です。

外国の労働者は、なんでストライキをやってまでして無理やり賃金を上げようとするんだろうか。賃金なんて上がらなくっていいじゃないか、というのは一つの立派な考え方です。

いや、脱成長とかほざいているインチキマルクス主義者たちは、ハッキリそう言ったらいいと思いますよ。論理的には当然そういうことになるはずなんだから。

でも、そこまではっきり言う人は見たことがありませんね。賃金なんか上がらなくっていいじゃないか、外国の労働者がどんどん豊かになっているのに、日本の労働者が貧しいままでどこが悪いんじゃ。あいつらは下らないことに夢中になっているだけなんだ、と、言えばいいのに、いわないのは卑怯だと思うけど、まあいいや。

これに対して、私がこの本で言っているのは、そんな哲学的に本質論的な話じゃなくって、定期昇給は賃上げだと思い込んで、ここ30年間毎年2%ずつ賃金が上がってきたね、良かったね、と自分を慰めていても、それは内転しているだけで、日本人の賃金は全然上がってこなかったんだよ、と指摘しているだけです。

賃金なんか上がらなくてもいいと達観している人に言ってるんじゃなくって、賃金は上がるべきだと思っていて、実際少しずつでも上がってきていると思っている人に対して、いやいや定期昇給ってのは内転しているだけで、賃金自体は上がってなんかいないんだよ、と指摘して差し上げているだけなんです。まことに本質論的ではない世俗的でみみっちい話に過ぎないんです。

でも、この本はそういう世俗的次元にのみ焦点を合わせている本なので、哲学的にはまことに物足りない底の浅い議論になってしまっているのでしょうね。そこのところは書いた本人が良く承知しております。

1_20240718162901

6_20240718163001

『日本の労働経済事情 2024年版』

E737da351326d1a13ad17312c15e499238628fc4 日本経済団体連合会事務局『日本の労働経済事情 2024年版』(経団連出版)をお送りいただきました。

https://www.keidanren-jigyoservice.or.jp/pub/cat2/f6a7330ac20fd7b995b55d37005c746b0836d1ee.html

人事・労務全般に関する基本的な事項や、重要な労働法制の概要と改正の動向、わが国労働市場の動向などについて、1テーマ・1頁を基本に、図表を用いてわかりやすく簡潔に解説します。2024年版では、育児・介護休業法、雇用保険法等の重要な法令改正のほか、エンゲージメント向上のための施策、高齢者雇用における課題と対応策、外国人技能実習制度に代わる育成就労制度の創設等、最新の動向を解説しています。人事・労務部門の初任担当者がはじめに学習する際に役立つことはもちろん、新任管理職など、業務等を通じて人事・労務に関心を持たれた方が基本的な事項を理解・確認する手引きとしても、ご活用いただけます。


【おもな内容】
Ⅰ 労働市場の動向・雇用情勢・労働時間と賃金の概況
 失業率・求人倍率、雇用形態別労働者、労働時間、労働生産性 等
Ⅱ 労働法制
 労働基準法(賃金のデジタル払い等)、労働安全衛生法、労働契約法、職業安定法(労働条件明示に関する省令改正等)、障害者雇用促進法(短時間労働者の雇用率算定等)、労働者派遣法、育児・介護休業法、次世代育成支援対策推進法、公益通報者保護法 等
Ⅲ 人事・労務管理
 人事・労務管理における重要テーマ、人材育成、円滑な労働移動 等
Ⅳ 労使関係
 日本の労使関係の変遷、春季労使交渉 等
Ⅴ 労働・社会保険
 医療保険制度、介護保険制度、年金制度の体系、雇用保険制度(求職者給付、財政状況等)、労働者災害補償保険制度 等
Ⅵ 国際労働関係
 グローバル化の進展、ILO(国際労働機関) 等

 

イギリス労働党政権の労働政策

Images_20240718124201 世界中でいろんなことが起こりすぎて、イギリスで久しぶりに労働党政権ができたことにあんまり気が行ってなかったのですが、その労働党の労働政策のマニフェストを見ていくと、労働者概念に関するこれまでの三分法を二分法に簡素化するという政策を提示していたんですね。

LABOUR’S PLAN TO MAKE WORK PAY

これの「片手落ちの柔軟性を終わらせる」(Ending “one-sided flexibility”)には、ゼロ時間契約とか解雇即再雇用といった問題と並んで「労働者の単一の地位」(Single status of worker)ってのがあって、現在のイギリスのemployee,worker,self-employedの三分法をやめて、労働者と純粋自営業者の二分法に簡素化するという一節が盛り込まれています。

Single status of worker

The UK has a three-tier system for employment status, with people classified as employees, self-employed or ‘workers.’

The Taylor Review noted this framework often fails to provide clarity for workers and business. Determining which category you are in – and your access to various employment rights and protections – requires knowledge of complex legal tests and an “encyclopaedic knowledge of case law”. This means many workers find it difficult to get a clear picture of where they sit and what protections they are owed, while business can also struggle to properly place staff and comply with legal obligations.

The rise of new technologies and ways of working has exacerbated this challenge, with workers and businesses struggling to apply the complex legal framework to novel forms of working and operating.

In some extreme cases, the ambiguity has been deliberately used to cut costs and avoid legal responsibilities. Labour believes our three-tier system of employment status has contributed to the rise of bogus selfemployment, with some employers exploiting the complexity of the UK’s framework to deny people their legal rights. The complexity has meant businesses and workers are reliant on lengthy legal processes to resolve issues.

Therefore, we will move towards a single status of worker and transition towards a simpler two-part framework for employment status. We will consult in detail on a simpler framework that differentiates between workers and the genuinely self-employed.

We will consult in detail on how a simpler framework that differentiates between workers and the genuinely self-employed could properly capture the breadth of employment relationships in the UK, adapt to changing forms of employment and guard against a minority of employers using novel contractual forms to avoid legal obligations, while ensuring that workers can benefit from flexible working where they choose to do so. We will also evaluate the way flexibility of ‘worker’ status is used and understood across the workforce and the way it interacts with and is incorporated into collective agreements.

We will also consider measures to provide accessible and authoritative information for people on their employment status and what rights they are owed, tackling instances where some employers can use complexity to avoid legal obligations.

 

 

 

2024年7月17日 (水)

イデオロギー政治と利益政治(再掲+)

P589djcu_400x400 先日の都知事選の余波で、いろいろとめんどくさいことになっているようですが、まあそちら方面には立ち入る気は毛頭ありませんが、それに関連して2C1Pacificさんがこう呟いていたのに対しては、かなりの共感を感じたところです。

連合が共産党とは一緒にできないというのはよく分かるのだけど、民主党政権下で連合傘下労働組合員に良いことがあったとはちっとも思えないので、連合が旧民主党勢力を結集させて何したいのかさっぱり分からない。連合草創期・山岸章時代の「反自民・非共産勢力の結集!」なんて力もないでしょ。

連合系の国家公務員の労働組合(連合系が多数派でないところが多いと思うけど)が旧民主党系を支持するのに至ってはマゾヒストなのかと思ってしまう。いや、その人たち、わしらの給料、思いっきり下げたじゃん。

連合はもう政党政治から一歩引いた方がいいんじゃないですかね。総資本対総労働の時代でもないんで。

そもそも連合と共産党がどうこうという話以前に、連合が立憲民主党を支持するのがよく分からないとしつこく言っていきたい。民主党政権で労働者に何かいいことあったっけ。(まあ、麻生太郎が言ってたような話になっちゃうけど。)

特に公務員の労組ね。立憲民主党って、公務員への労働三権の完全付与と引き換えに公務員人件費削減を主張してたよね。もし、公務員労組のほうで労働三権がもらえるなら給与が下がってもいいなんて考えるなら、組織率の壊滅的な低下も残当でしょ。

連合が反共産党なのはケシカランというおバカなことを言っている人とは全然違う意味で、連合や芳野会長の政治姿勢は意味不明だと思っている。

以前似たようなことを書いた記憶があったので、検索するとこんなのが出てきました。

イデオロギー政治と利益政治

これも本ブログで何回も取り上げてきたテーマですが、

https://www.asahi.com/articles/ASL1G61VCL1GUTFK00C.html(「連合、陳情は自民。選挙は民進。あほらしい」 麻生氏)


企業の利益の割に、(労働者の)給料が上がっていない。給料や賞与を上げてほしいと今の政権が経団連に頼んでいるが、本来は連合や野党・民進党の仕事だ。連合は、陳情は自民党、選挙は民進党。あほらしくてやってられない。

こんなやり方、いつまでやってんだと。私のことですから、会うたびに連合の方やら何やらに申し上げてきています。全然おかしいですよ。何であんたの労働組合は民進党をやっている? 我々の方がよっぽど労働組合のためになっているんじゃないですかね。

これは、この限りでは全くその通りなので、これで腹を立てる人は、おそらく政治というものの理解が違うんでしょう。

要は、、政治というのは自らが抱く信仰やイデオロギー、とりわけ自分や自分たちが属する人々社会的位置に関わる経済的社会的利害得失といった世俗的なこととは切り離された、何か空中をふわふわ漂う、あるべき正義の観念みたいなものに関わるものごとであると思い込んでいる人々にとっては、麻生氏ら自民党政権の方が労働組合のためになることをしようがしまいが、そんなこととは何の関係もなく政党を支持したりしなかったりするべきものなのでしょう。

いや、そういう政治観念というのは立派にあって、それに殉じてきた人々も山のように歴史の中に並んでいるわけですが、とはいえ、(政党じゃない)労働組合がそういう信仰政治、イデオロギー政治をやって良いのかといえばそれはまた別の話で、それはやはり「労働者が主体となつて自主的に労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ることを主たる目的として組織する団体又はその連合団体」であって、「主として政治運動又は社会運動を目的とするもの」ではないと法律が明記している労働組合としては、まず何はともあれ、労働者の利益になることをするか否かで支持するか否かを決めるべきものであって、そうでなければそんな団体は労働組合の名に値しない、はずです。労働組合とは徹頭徹尾労働者の利益を追求する団体であり、その意味で世俗的利害に敏感な団体のはず。

その意味からも、労働者にとって大事な労働政策を平然と仕分けしたり、自分たちの仲間を理由にならない理由で平然とクビした政治家たちを真っ先に支持しに行くというのは、少なくともあるべき利益政治の観点からすると、いかがなものであろうかという感想を抱かせるものであることは間違いないと思いますよ。

もちろん、その上で、たまたま今労働者の味方をしているように見えるけれども長年にわたってそうじゃなかった政党よりも、政権を取ればそれよりももっと労働者のためになる政策をやってくれるはずの政党を支持するという判断は十分あり得ます。

でもね、なんだかそうじゃなさそうだからなあ。

政党支持によるロックイン効果


黒川滋さんが

http://kurokawashigeru.air-nifty.com/blog/2012/07/715-dac8.html(多様な政党支持のある労働組合であっても政党支持していけないものか)


話を戻すと、団体が構成員の政党支持の分布にしたがって政党支持を放棄するということは実にナンセンスな話で、団体が政党との間の政策や理念との取引の過程で、特定の政治家や政党を推薦したり支持したりすることを意思決定することは民主主義社会のなかでは当然の行為であろうと思います。むしろ団体に政党を支持してはならないという前提をつくることが、複数政党制を否定するか、政党との協議より役所に陳情することが常態化した官僚支配の国か、アメリカのにようにすべてが経済的な自由競争の論理で説明づけるような社会運営をしている国でもなければありえない現実です。

ヨーロッパの民主主義は社会を構成するさまざまな階層や要求を前提にした団体が政治参加して、その団体ごとの要求や政策を政党間での協議で調整しながら社会を運営していて、これは日本国憲法が否定するような社会体制ではありません。
また団体が特定の政治家や政党を支持することを運動とすることは、団体による運動の思想を啓発する役割もあり、こうした働きかけがなければ、社会を変えていくなどということはありえなくなります。

と述べていて、その趣旨は分からないではないですが、逆に労働者のための政策をちゃんとやってくれるかどうか怪しいような政党をうかつに全面支持してしまうと、支持された方は票が入るのは当たり前と全然感謝もしないままほかの方面からの支持を求めてあらぬ政策に熱中し、支持している方が今更ほかに票を回せないものだから、トンデモな政策を目の前でやられながら効果的にコントロールもできないというロックイン効果が生じるのではないでしょうか。「釣った魚に・・・」なんて思われるようでは、やはり政治的にインテリジェントとはいいがたいように思います。

そうならないためには、へたに「政党」まるごと支持してしまうのではなく、「政策」で支持するか支持しないかを考えさせていただく、という態度を(少なくとも建前としては)取らないと。

(追記)

ついでに、こんなのもありました。

そりゃそうなるよな


http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161130/k10010790081000.html(自民と連合が5年ぶりに政策協議)


・・・自民党本部で5年ぶりに行われた政策協議には、自民党から茂木政務調査会長らが、連合からは、逢見事務局長らが出席しました。この中で、連合の逢見氏は、「大きな影響力を持つ自民党との意見交換は大変ありがたい」と述べ、労働者の雇用の安定やすべての世代が安心できる社会保障制度の確立などを要請しました。
これに対して茂木氏は、「連合の政策に最も近いのは自民党ではないかと自負している。労働界を代表する連合との意見交換を通じて、働き方改革などの実現につなげていきたい」と応じ、協議を続けていきたいという考えを伝えました。
このあと連合の逢見氏は、記者団に対し、「相撲でいえば、お互いの感覚が一致して、立ち会いができた。自民党とは政策面での距離感は無く、特に雇用や労働、社会保障の面での問題意識は、自民党も同じであり、来年は、もう少し早く行いたい」と述べました。

ねずみを捕らない、どころか、ねずみをいっぱい引き入れて家の中をしっちゃかめっちゃかにする白猫と、ちゃんとねずみをたくさん捕ってくれる黒猫がいたら、それはもちろんねずみを捕ってくれる猫の方がいい猫なんです。

もちろん、その黒猫は猫をかぶっているだけで、白猫を追い出したらもっと性悪になるかも知れないという議論はあり得るけれども、ねずみを捕らないダメな白猫に「猫猫たらずとも」忠誠を誓えというのは愚かな議論です。

労働組合とは政治団体でもなければ宗教団体でもなく、況んや思想団体でもないのですから。

そこのところが分かっていない議論が多すぎるのが困ったことですが。

 

 


 


 

 

 

オベリスクさんの『賃金とは何か』評

81tj1p4qhol_sy466_ 今まで多くの拙著をブログで書評してきていただいてるオベリスクさんが、今回は『賃金とは何か』に対して、おそらくこの本を読むであろう多くの読者とは異なり、「いわゆる「会社」ってところで働いたことがない」という立場から、素朴で本質的な疑問を提起されています。

https://obelisk2.hatenablog.com/entry/2024/07/16/082830

・・・わたしは「職務給と職能給」などというよりも、個人的に、「同一労働同一賃金」という正論的原則が、日本型雇用形態の中でどう扱われてきたか、という視点で読んだように思う。もともとわたしは、いわゆる「会社」ってところで働いたことがないので、「同一労働同一賃金」って当たり前じゃん、てな素朴な感覚でいたのだが、なかなかそれがどうして、そうはいかなかった、って話なんだよね。派遣であろうがパートであろうが女性であろうが、(男の)正社員と同じ仕事をすれば同じだけのお金がもらえるってのは、当たり前のことに感じていたわけであるが。
 本書を読めば、そういうわたしの(正論的)感覚が、歴史的事実を見るといかにナイーブであったか、わかるわけだ。確かに、父親が働いてそれで一家を養う、なんていう考え方が常識なら、「生活給」、つまり家族を養っていくのに必要なだけの賃金を払う、という考え方(年功序列方式に繋がる)にも、ある程度の合理性を感じる。また、新入社員でもおっさんでも「同一労働同一賃金」っていうと、おっさんがいろいろ困るというのも、まあ感情的にわからないでもない。・・・

この「おっさんがいろいろ困る」話は、とりわけ第Ⅰ部第4章の「労働組合は職務給に悩んでいた」という当たりで詳しく描写しています。

なお、オベリスクさんは最後に「付け加えておくと、本書では「給料が上がるというのはどういうことか」という視点が重要なようだ。それは、じつはそれほど自明なことでないのである。」と付け加えておられますが、これは主として第Ⅱ部の「賃金の上げ方」に関わる話です。この第Ⅱ部のタイトルが「賃金の上がり方」(自動詞)ではなくて「賃金の上げ方」(他動詞)であるのには、深い意味があります。

 

 

 

2024年7月16日 (火)

バラモン左翼と貧困ビジネス右翼

もはやアメリカの英雄と化したかに見えるドナルド・トランプが、副大統領候補に選んだヴァンス上院議員というのは、ラストベルトの虐げられた白人労働者の声をこういう本にした人のようです。

トランプ氏、副大統領候補にバンス上院議員を選出…白人労働者層を描いた回想録がベストセラー

オハイオ州出身のバンス氏は、2016年出版の回想録「ヒルビリー・エレジー」で、製造業が衰退した「ラストベルト」の一つである同州の貧困に苦しむ白人労働者層の姿を描いた。同年大統領選で、トランプ氏を白人労働者が熱狂的に支持した現象が理解できるとして、ベストセラーとなった。

ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち

9784334039790 ニューヨーク生まれの富豪で、貧困や労働者階級と接点がないトランプが、大統領選で庶民の心を掴んだのを不思議に思う人もいる。だが、彼は、プロの市場調査より自分の直感を信じるマーケティングの天才だ。長年にわたるテレビ出演や美人コンテスト運営で、大衆心理のデータを蓄積し、選挙前から活発にやってきたツイッターや予備選のラリーの反応から、「繁栄に取り残された白人労働者の不満と怒り」、そして「政治家への不信感」の大きさを嗅ぎつけたのだ。

トランプを冗談候補としてあざ笑っていた政治のプロたちは、彼が予備選に勝ちそうになってようやく慌てた。都市部のインテリとしか付き合いがない彼らには、地方の白人労働者の怒りや不信感が見えていなかったからだ。そんな彼らが読み始めたのが、本書『ヒルビリー・エレジー(田舎者の哀歌)』だ。(解説より)

ポリティカリーコレクトでアイデンティティポリティクスでジェンダーに”のみ”センシティブで文化的に”だけ”マルクス主義的な「ウォーク」ども、ピケティのいう「バラモン左翼」に満ち満ちた民主党の大統領が、UAWのストライキに飛び入り参加して、組合のピケラインに加わった初めての大統領だと自慢してみても、そんなんじゃだまされねえぞ、粗野な田舎者の労働者の怒りを知るがいい、というメッセージを届けるのには一番ピッタリの人材だというわけでしょう。

その巧みさは、これぞ億万長者のトランプが貧しい労働者の味方面をする貧困ビジネスの真骨頂というべきでしょうか。(本来違う意味ですが)ピケティのいう商売右翼と悪魔合体させて「貧困ビジネス右翼」と呼びたい衝動に駆られます。

(追記)

ちなみにトランプが大統領に当選した2016年末にはこんな記事もありました。

明日のメシを満足に食べられる連中


朝日新聞の「Globe」が、「トランプがきた」の特集。

http://globe.asahi.com/feature/2016113000011.html

「中流が溶けていく」など、アメリカ社会の分析はだいたいこの間論じられているところに沿っていますが、興味深いのはあえて橋下徹前大阪市長にインタビューしているところ。

http://globe.asahi.com/feature/article/2016113000007.html?page=3

「負けたのは知識層だ」というタイトルで、インタビュワの突っ込みに対してむしろそれを上回る突っ込みを入れているやりとりが、いろんなことを考えさせます。

国末 かつて政治家の条件だったポリティカル・コレクトネスを、尊重しない人が出てきている。なぜでしょう。

橋下 有権者が政治家のきれいごとにおかしいと思い始めてきたんですよ。口ばかりで本気で課題解決をしない政治に。米国で言えばワシントン、英国で言えばウェストミンスターの中だけで通用するプロトコル(儀礼)できれいごとを言っても、それは明日のメシを満足に食べられる連中だから。ポピュリズムという言葉で自分たちと異なる価値観の政治を批判するのは間違っています。それは自分の考え以外は間違いだと言っているだけ。民主政治の本質は大衆迎合です。重要なのは、社会の課題を解決する力。エリート・専制政治の方が大衆迎合よりもよほど危険なことは歴史が証明しています。今回の選挙の敗北者は、メディアを含めた知識層ですよ。

ポリティカルコレクトネスを大事に考えている(と少なくとも振る舞っている)インタビュー記者に対して「それは明日のメシを満足に食べられる連中だから」という一言は、かなり痛烈なものでしょう。

そのあとのこのやりとりはさらに刺激的です。

国末 失礼な言い方だが、トランプは成り上がり者。橋下さんも庶民の出身。ポピュリストたちはみんなそうです。だからこそエリートの嫌な面が見えるのでしょうか。

橋下 明日のメシに苦労せず、きれいごとのおしゃべりをして、お互いに立派だ、かっこいい、頭がいいということを見せ合っているのが、過度にポリティカル・コレクトネスを重視する現在の政治家・メディア・知識人の政治エスタブリッシュメントの状況じゃないですか。そんな連中に社会の課題が分かるはずがない。政治なんて、もっとドロドロしたものなんです。僕はポピュリズムというものは課題解決のための手段だと思ってます。メディアの仕事は、下品な発言の言葉尻を批判することではなくて、政治家のメッセージの核を見つけて分析し、有権者にしっかりと情報提供することですよ。

実を言えばこの「明日のメシ」という台詞は、橋下氏だからこそ切実さを感じられる言葉になるので、トランプ氏が言っても空疎な感じがするだろうと思いますが、彼らに投票した人々の気持ちというレベルに降りてみれば、やはり重要なファクターであることは間違いないと思います。

そして、そもそも産業革命以来の200年の歴史を振り返ってみれば、「明日のメシを満足に食べられる連中」の中だけで通用する「プロトコール」に則った「立派」で「かっこいい」「頭がいいということを見せ合っている」政治、貴族やブルジョワジーの(当時の支配イデオロギーからすれば)政治的に正しい政治に対して「ノー」を突きつけてきたのが、社会主義運動や労働運動であったということは、高校世界史の教科書レベルでもちゃんと書いてあるわけです。

彼ら、それまでの上流の政治家たちから見れば眉をひそめるような低俗な要求、喰わせろだの金寄こせだのというドロドロした野卑な政策を掲げる、まさに当時の支配感覚からすれば低劣なポピュリズムが、やがて数にものをいわせて先進国の政治に地歩を獲得していくというのが、とりわけこの100年間の政治の歴史だったのではないか、と振り返ってみると、その人々の流れの果てがトランプやルペンに対してポリティカルコレクトしか対抗軸がなくなってしまったかに見えるこの事態はなんと皮肉なんだろうか、と思わざるを得ません。

(追記)

http://b.hatena.ne.jp/Yoshitada/20161204#bookmark-311098240


Yoshitada                                つーても、トランプは別に「富裕層寄りの政策をしない」とは言ってないし、経済閣僚はウォール街のもろエスタブリッシュメントで固めてるわけで。割と早い段階で貧困層の願望は裏切られるかと思うが。

私もそう思いますよ。つか、これは別にトランプ本人が「明日のメシを満足に食べられる連中」かどころか、億万長者であるかどうかとは別の話で、「明日のメシを満足に食べられる連中」のポリティカルコレクトを憎む人々の感情をうまいこと煽り立てたということに過ぎないので。

アメリカに限らず、かつては貧しい人々の本音を代弁していたはずの社会民主主義ないし米流「リベラル」な勢力が、そうやって鳶に油揚をさらわれるような状況になっているということについて、なにがしでも反省するかどうかということだと思いますが。

ご覧の通り、ウォークな人々に反省の気配はかけらもないようです。

 

2024年7月12日 (金)

「外交員の営業手当は事業所得」の原点

Booklet03220315_20240712151901 コロナ禍でそれまで露呈しなかったことがいろいろ露呈して、それを講演で喋り、それをまとめたこの本の中でちらりと論じたことがありますが、

フリーランスの労働法政策

12 税法上の労働者性

  このように、一方では、なかなか持続化給付金の対象であるフリーランスとして認めてもらえないという話がある一方で、逆の方向の問題も発生したようであります。たとえば、20206月、日本郵便とかんぽ生命保険は、新型コロナとは直接関係がないのに給付金を申請した社員が計約120人いたと明らかにしたのです【資料16】。これは、かんぽ生命の不正販売を受けた営業自粛による収入減を給付金で補おうとしたもので、両社は申請取り下げや給付金返還の手続きを促していると報じられました。

 両社も、報じるマスコミも肝心な点に疑問を持っていなかったようなのですが、まともな労働法の感覚を有する者であれば、日本郵便やかんぽ生命の社員、つまりれっきとした企業に雇用される雇用労働者であるはずの人が、なぜ中小企業や個人事業主が対象の持続化給付金を申請できるのかということに疑問を感じるはずです。

新聞報道によれば、郵便局員らは、給与所得とは別に、保険の販売成績に応じて支給される営業手当を事業所得として確定申告しているというのですが、れっきとした雇用労働者に支払われる労基法第27条にいう「出来高払制その他の請負制」の賃金である営業手当が、なにゆえに事業所得として確定申告できてしまうのかこそ、最大の疑問です。いうまでもなく、労基法第27条の「請負制」は請負契約ではなくて雇用契約の賃金制度だというのは、労働法の初歩の初歩で教わることのはずですが、税法上はそうなっていないようなのです。

 似たような問題はあちこちで露呈しています。20213月には、日本中央競馬会(JRA)が、競走馬のトレーニングセンターで働く調教助手や調教師、騎手ら厩舎関係者が、持続化給付金を受給していたと発表しています。騎手や調教師は個人事業主に該当するようですが、「調教師が雇用する調教助手や厩務員も給与や賞与以外に管理する馬がレースで獲得した賞金に伴う報酬を得ており、個人事業主となる」という訳の分からない説明をしているのです。なんではっきり「雇用されている」調教助手や厩務員が、全く別の個人としての仕事でならともかく、まさに雇用されている当の仕事で馬が稼いだ賞金の分け前をもらったら個人事業主になるのか、持続化給付金がもらえる立場になりうるのか、その辺の理屈がさっぱりわからないのですが、そこのところを突っ込んでいる記事はまったく見当たりませんでした。

今回これによって露呈したのは、労働法や社会保障における労働者概念、自営業者概念と、税法上における給与所得概念、事業所得概念というのは、どうも非常に大きくずれているらしいということだったのではないでしょうか。もっとも、所得税法上の定義は、給与所得は「俸給、給料、賃金、歳費及び賞与並びにこれらの性質を有する給与に係る所得」(28)であり、事業所得は「農業、漁業、製造業、卸売業、小売業、サービス業その他の事業で政令で定めるものから生ずる所得」(27)であって、特段不審な点はありません。ところが、後ろのほうに源泉徴収に関わって興味深い規定があります。源泉徴収といえばなじみ深いのは給与所得の源泉徴収ですが、その後に「報酬、料金等に係る源泉徴収」の規定もあり、第204条には、報酬や料金を支払う者が源泉徴収すべき具体的な職業の名前が列記されています。その第1項第4号に「外交員」が出てきます【資料17】。これはどう考えても、いわゆる生命保険のセールスレディのような(少なくとも契約形式上は)非労働者である外交員を指すのであって、雇用される労働者が労働基準法で定義される「賃金」として受け取っているものは当たらないはずです。

 ところがなぜか、「外交員」といえば(給与所得として源泉徴収するのではなく)こちらの事業所得として源泉徴収するという扱いになってしまったようです。実際、国税庁の所得税に係る基本通達を素直に読めば、会社の従業員である外交員でも、固定給とそれ以外の部分が区分されていれば、固定していない部分(つまり、労基法27条の「出来高払制その他の請負制 」による賃金部分)は給与所得ではなく事業所得になってしまいます【資料18】。この国税庁の解釈は、私の眼には、所得税法第204条の本来の趣旨を誤って解釈したものとしか思えませんが、とはいえ現場の税務署はこの通達に従って粛々とやるしかないのでしょうし、日本郵便もその解釈に従って粛々とやっているだけなのでしょう。

 その結果、まったく雇用関係の存在しない完全歩合制の生命保険のセールスレディ向けに設けられたはずの規定が、日本一の大企業でそれなりの基本給を給与所得として受け取っている日本郵便の営業マンたちに適用されるという、非常にゆがんだ状況が作り出されてしまっていたということのようです。

【資料16】グループ社員による持続化給付金の不適切な申請および受給について(2020618)

日本郵政株式会社

日本郵便株式会社

株式会社かんぽ生命保険

 このたび、日本郵便株式会社(東京都千代田区、代表取締役社長兼執行役員社長 衣川和秀、以下「日本郵便」)および株式会社かんぽ生命保険(東京都千代田区、取締役兼代表執行役社長 千田哲也、以下「かんぽ生命」)の社員が新型コロナウイルス感染症との因果関係がない事業所得の減少を理由に持続化給付金を申請したこと、また給付金を受給したことが判明いたしました。

 新型コロナウイルス感染症の影響によりまして多くの方々が大変な状況に陥っていらっしゃる中、社員がこのような不適切な行動を行っていたことにつきまして、お詫び申し上げます。

 現在、日本郵便およびかんぽ生命において、実態の把握に努めるとともに、持続化給付金制度の趣旨に照らして不適切な申請を行ったことが判明した社員につきましては申請の取り下げを、給付金を受給したことが判明した社員につきましては給付金の返還を促しております。本件につきましては、引き続き、中小企業庁と連携し、グループとして厳正に対処してまいります。

【資料17】所得税法(昭和40331日法律第33号)

(事業所得)

第二十七条 事業所得とは、農業、漁業、製造業、卸売業、小売業、サービス業その他の事業で政令で定めるものから生ずる所得(山林所得又は譲渡所得に該当するものを除く。)をいう。

2 事業所得の金額は、その年中の事業所得に係る総収入金額から必要経費を控除した金額とする。

(給与所得)

第二十八条 給与所得とは、俸給、給料、賃金、歳費及び賞与並びにこれらの性質を有する給与(以下この条において「給与等」という。)に係る所得をいう。

2 給与所得の金額は、その年中の給与等の収入金額から給与所得控除額を控除した残額とする。

(源泉徴収義務)

第二百四条 居住者に対し国内において次に掲げる報酬若しくは料金、契約金又は賞金の支払をする者は、その支払の際、その報酬若しくは料金、契約金又は賞金について所得税を徴収し、その徴収の日の属する月の翌月十日までに、これを国に納付しなければならない。

一 原稿、さし絵、作曲、レコード吹込み又はデザインの報酬、放送謝金、著作権(著作隣接権を含む。)又は工業所有権の使用料及び講演料並びにこれらに類するもので政令で定める報酬又は料金

二 弁護士(外国法事務弁護士を含む。)、司法書士、土地家屋調査士、公認会計士、税理士、社会保険労務士、弁理士、海事代理士、測量士、建築士、不動産鑑定士、技術士その他これらに類する者で政令で定めるものの業務に関する報酬又は料金

三 社会保険診療報酬支払基金法(昭和二十三年法律第百二十九号)の規定により支払われる診療報酬

四 職業野球の選手、職業拳けん闘家、競馬の騎手、モデル、外交員、集金人、電力量計の検針人その他これらに類する者で政令で定めるものの業務に関する報酬又は料金

五 映画、演劇その他政令で定める芸能又はラジオ放送若しくはテレビジョン放送に係る出演若しくは演出(指揮、監督その他政令で定めるものを含む。)又は企画の報酬又は料金その他政令で定める芸能人の役務の提供を内容とする事業に係る当該役務の提供に関する報酬又は料金(これらのうち不特定多数の者から受けるものを除く。)

六 キャバレー、ナイトクラブ、バーその他これらに類する施設でフロアにおいて客にダンスをさせ又は客に接待をして遊興若しくは飲食をさせるものにおいて客に侍してその接待をすることを業務とするホステスその他の者(以下この条において「ホステス等」という。)のその業務に関する報酬又は料金

七 役務の提供を約することにより一時に取得する契約金で政令で定めるもの

八 広告宣伝のための賞金又は馬主が受ける競馬の賞金で政令で定めるもの

2 前項の規定は、次に掲げるものについては、適用しない。

一 前項に規定する報酬若しくは料金、契約金又は賞金のうち、第二十八条第一項(給与所得)に規定する給与等(次号において「給与等」という。)又は第三十条第一項(退職所得)に規定する退職手当等に該当するもの

二 前項第一号から第五号まで並びに第七号及び第八号に掲げる報酬若しくは料金、契約金又は賞金のうち、第百八十三条第一項(給与所得に係る源泉徴収義務)の規定により給与等につき所得税を徴収して納付すべき個人以外の個人から支払われるもの

三 前項第六号に掲げる報酬又は料金のうち、同号に規定する施設の経営者(以下この条において「バー等の経営者」という。)以外の者から支払われるもの(バー等の経営者を通じて支払われるものを除く。)

3 第一項第六号に掲げる報酬又は料金のうちに、客からバー等の経営者を通じてホステス等に支払われるものがある場合には、当該報酬又は料金については、当該バー等の経営者を当該報酬又は料金に係る同項に規定する支払をする者とみなし、当該報酬又は料金をホステス等に交付した時にその支払があつたものとみなして、同項の規定を適用する。

【資料18】所得税基本通達(昭和4571日国税庁長官)

204-22 外交員又は集金人がその地位に基づいて保険会社等から支払を受ける報酬又は料金については、次に掲げる場合に応じ、それぞれ次による。

(1) その報酬又は料金がその職務を遂行するために必要な旅費とそれ以外の部分とに明らかに区分されている場合  法第9条第1項第4号《非課税所得》に掲げる金品に該当する部分は非課税とし、それ以外の部分は給与等とする。

(2) (1)以外の場合で、その報酬又は料金が、固定給(一定期間の募集成績等によって自動的にその額が定まるもの及び一定期間の募集成績等によって自動的に格付される資格に応じてその額が定めるものを除く。以下この項において同じ。)とそれ以外の部分とに明らかに区分されているとき。  固定給(固定給を基準として支給される臨時の給与を含む。)は給与等とし、それ以外の部分は法第204条第1項第4号に掲げる報酬又は料金とする。

(3) (1)及び(2)以外の場合  その報酬又は料金の支払の基因となる役務を提供するために要する旅費等の費用の額の多寡その他の事情を総合勘案し、給与等と認められるものについてはその総額を給与等とし、その他のものについてはその総額を法第204条第1項第4号に掲げる報酬又は料金とする。

このときは、おかしな運用をしているなあ、変な通達を出しているなあ、としか思わなかったのですが、今回の例の内閣府賃上げアイディアコンテストの余波(?)で、どうもその原因らしきものが薄々見えてきたようです。

Hitm3zcy_400x400 先週の『労働新聞』報道で炎上した内閣府のコンテストには、今週に入ってからいろんな人がコメントをしていますが、そのうち労働弁護士の渡辺輝人(通称ナベテル)氏の呟きが、このおかしな扱いの歴史的源泉を語っています。

https://x.com/nabeteru1Q78/status/1811260551219356012

このコンテスト、内閣府(つまり政府内)のものなのに、労働基準法ガン無視が凄いのと、提案者が民間生保から内閣府への出向者の可能性があり、生命保険会社が労基法を守らずに営業職員(昔の生保レディ)に常時やらせているインチキを全労働者に広げるすさまじい提案の可能性があると思っています。

生命保険は戦前から大蔵省(今の財務省)のお庭だったようで、労働基準法ができたとき、大蔵省銀行局長(なお局長は福田赳夫)が労働省ができる前の厚生省に対して「保険外務員に労基法適用すると生命保険募集機構の破壊になるから適用しないで!」と申入をしている(労基法の立法資料に残っている)。

もちろんそんな申入が通る訳はなく、発足後の労働省は大蔵省に対して「雇用契約の人は労基法全面適用、委任契約の人は不適用」と常識的な解答をしている。

しかし、(おそらく)保険会社は、雇用した保険外交員を自営業者として扱う習慣を捨てず、労働契約で賃金を支払っているのに保険外交員に交通費に始まって、顧客に配る飴代、カレンダー代など経費負担をさせ、確定申告をさせる(もちろん本来は違法)ことをやってきたと思われる。

大蔵省の方も所得税法の通達で怪しげなものをつくり、労働者である保険外交員について、本来できないはずの給与所得者による確定申告をずっと見逃して温存してきた。この点、給与所得者が確定申告して実額経費を収入から控除できるのなら、そもそもサラリーマン税金訴訟など起きないのだ。

この案件は、保険業界のブラックな慣行がそれを常識と思い込んだ出向者の口からぽろっと出てしまい、内閣府全体が労基法を知らないので「それ良いじゃん」となった可能性がある案件だということは、念頭に置いた方がよい。

労基法の適用除外の要請を、業界団体ではなく所管する省庁が直接厚生省に言ってくる浅ましい事例は、少なくとも労基法の立法資料の上では、大蔵省-生命保険業界以外にはないことも付言しておきます。なお、当該資料は立法資料4巻下733~734頁に載ってます。

私がこの件になぜ詳しいかというと、今年の重要判例解説に載っている住友生命(費用負担)事件の担当弁護士だからだが、控訴審で「給与所得者に確定申告をさせるのは違法だ」と、所得税法の条文を示して書面に書いたら、高裁判決は「現にできてるから良いじゃん」という驚くべき判決を書いてきた。

これは判決の一端に過ぎなけど、全体的に判決理由が(労使のどちらから見ても)破綻しており、労働者、使用者双方が上告して、舞台は最高裁に移りましたので、これを機にご報告しておきます。

なるほど、そういう曰く因縁があったわけですね。

一点だけ用語を訂正しておきますと、渡辺さんは「確定申告」が問題だといっていますが、別に給与所得者でも確定申告はできるので、問題は雇用される労働者の賃金を「給与所得」ではなく「事業所得」として確定申告できるというのが問題であるわけです。

(追記)

ついでにも一つ非本質的な指摘を。渡辺さんは「労基法の適用除外の要請を、業界団体ではなく所管する省庁が直接厚生省に言ってくる浅ましい事例は、少なくとも労基法の立法資料の上では、大蔵省-生命保険業界以外にはない」と述べていますが、いやいや文部省は教職員の適用除外を申入れてきていましたよ。拙稿「(公立学校)教師の労働法政策」(『季刊労働法』2022年冬号(279号) )参照のこと。

 

当時の厚生省労政局労働保護課が繰り返し作成した法案には、教師という職種に着目した特別扱いの規定は一切含まれてはいませんでしたが、1946年9月11日付で文部大臣官房文書課長から厚生省労政局長宛に出された「労働基準法草案について」は、次のように適用除外を求めていました

 

 本月3日貴省に於て労働基準法草案について関係各省の打合会開催の際、本省係員から申出を致しました意見を左記の通り文書を以てお届け致します。
        記
 労働基準法草案中次のやうに修正をお願ひします。
一、第七条第十二号「教育、研究又は調査の事業」の下に次のやうに加へる。
 「(教職員を除く)」
理由 教育、研究又は調査の事業に従事する者の中教職員は労働条件其の他について質的に本法に依る労働と相違する点があるからこれらの事業に従事する教職員は官吏と同様に本法の趣旨に準じて別途保護、保障の措置を考慮したいからである。

 

 「質的に本法に依る労働と相違する」という主張の中身が不明ですが(教職員でさえなければ、教育、研究、調査に従事しても質的に相違することはないようなので、少なくとも職種に着目しているのではなさそうです。)、自省が所管する教職員に対しては労働法の介入を嫌がっていたことだけはよく伝わってきます。しかしながらこのような意見が受け容れられることはなく、教職員も含む教育、研究又は調査の事業は労働基準法がフルに適用される業種として今日まで続いています。

 

 

 

 

 

 

調査シリーズNo.244『解雇等無効判決後における復職状況等に関する調査』

Jilpthukushoku 調査シリーズNo.244『解雇等無効判決後における復職状況等に関する調査』が公表されました。

https://www.jil.go.jp/institute/research/2024/244.html

https://www.jil.go.jp/institute/research/2024/documents/0244.pdf

研究の目的

解雇無効時の金銭救済制度について、地位確認がされた労働者の実際の職場復帰の割合等を把握することが重要であるとの観点から、弁護士へのアンケート調査を行った。

研究の方法

労働問題を専門とする日本労働弁護団、経営法曹会議に加え、日弁連その他の各弁護士会の労働問題に関連する委員会のメーリングリストに登録している会員弁護士を対象に、WEB上の調査票で回答を記入してもらうというやり方を採用した。実査は令和5年10月6日から11月6日に行われた。

図表1 回答者の所属団体別人数

 
日本労働弁護団 101 43.7
経営法曹会議 65 28.1
両団体以外 65 28.1
全体 231 100.0

主な事実発見

  1. 解雇等無効判決後の復職状況

    解雇・雇止め(以下「解雇等」)が無効との判決で終局した事案に係る労働者99人のうち、「再び働いた」(復職)が37人(37.4%)、「再び働くことはなかった」(復職せず)が54人(54.5%)であり、概ね4割弱が復職し、5割強が復職していないことになる。ただし、いったん復職した者のうち復職後継続就業している者は30人(30.3%)であり、7人(7.1%)は復職後、労働者本人は継続就業を望んでいたにもかかわらず、不本意な退職をしている。

    図表2 復職した者(うち継続就業の者、不本意退職の者)と復職しなかった者の人数と割合

     
    労働者数 99 100.0
      復職した 37 37.4
      復職後継続就業 30 30.3
    復職後不本意退職 7 7.1
    復職せず 54 54.5
    不明 8 8.1
  2. 復職しなかった労働者の復職しなかった理由

    解雇等が無効との判決で終局したが労働者が復職しなかった事案(54人)において、復職しなかった理由(複数回答)は、「復職後の人間関係に懸念」が21人(38.9%)、「訴訟で争ううちに退職する気になった」が12人(22.2%)、「労働者の復職に対する使用者の拒否が強い」が11人(20.4%)となっている。

  3. 復職後不本意退職者の退職理由

    解雇等が無効との判決で終局した後労働者が復職した事案(37人)において、復職後労働者が不本意に退職した理由(複数回答)は、「使用者からの嫌がらせ」が6人(16.2%)、「職場に居づらくなった」が3人(8.1%)となっている。

  4. 和解案の拒絶

    判決で終局した労働者数185人中、判決までの過程で裁判所から和解案が示されたものの、和解案を拒絶したのは160人(86.5%)に上り、大部分の事案において裁判所からの和解提案を拒絶することによって判決に至っていることがわかる。そのうち、労働者側が拒絶したケースが72人(45.0%)、使用者側が拒絶したケースが34人(21.3%)、労使双方が拒絶したケースが54人(33.8%)となっている。

    図表3 和解案を労働者側が拒絶したもの、使用者が拒絶したもの、双方が拒絶したものの人数と割合

     
    労働者数 160 100.0
      労働者側が拒絶 72 45.0
    使用者側が拒絶 34 21.3
    双方が拒絶 54 33.8
  5. 労働者側が和解案を拒絶した理由

    このうち、労働者側が和解案を拒絶した理由(拒絶した理由の回答があったもの(121人)。複数回答)としては、「合意退職の和解案だったが、労働者が復職を希望」が42人(34.7%)、「合意退職の和解案だったが、解決金額が低かった」が37人(30.6%)、「合意退職の和解案だったが、解雇無効を確信」が27人(22.3%)となっている。

  6. 使用者側が和解案を拒絶した理由

    また、使用者側が和解案を拒絶した理由(拒絶した理由の回答があったもの(72人)。複数回答)としては、「合意退職の和解案だったが、使用者が金銭支払を希望せず」が14人(19.4%)、「地位確認の和解案だったが、使用者が復職を希望せず」が11人(15.3%)、「合意退職の和解案だったが、解決金額が高かった」が10人(13.9%)となっている。

政策的インプリケーション

労働政策審議会労働条件分科会における解雇無効時の金銭救済制度に関する審議の素材となる。

政策への貢献

令和6年5月、規制改革推進会議働き方・人への投資ワーキング・グループにおいて、厚生労働省より概要を報告。

この最後の規制改革推進会議で厚生労働省が報告したときの資料はこちらです。

https://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kisei/meeting/wg/2310_03human/240510/human07_01.pdf

また、この調査の先行調査として、2005年に当時JILPTにおられた平澤純子さんが担当した資料シリーズ No.4『解雇無効判決後の原職復帰の状況に関する調査研究』はこちらです。

https://www.jil.go.jp/institute/siryo/2005/documents/05-004.pdf

 

 

近代的市民社会のあるべき姿とその正反対

5sy4ret_400x400_20240712092301 この間色々な政治的イベントがあり、あれこれ論ずる人も多いのですが、(かつて拙著をいくつも論評していただいた)堀新さんがこういうことをつぶやいていたのが目に入り、ちょっと考え込んでしまいました。

自民支持層は自分の推す候補が負けても「有権者は馬鹿だ」とは言わないが、野党支持層は負けると「有権者は馬鹿だ」どころか「有権者は反省すべき」と言うことがある というのは野党支持層は選挙=善悪の戦いと考えているので、悪に投票した有権者は当然、反省しなければならないことになるから。

ただ有権者から見ると、赤の他人から「反省しろ」と言われるのはなかなか理解しがたい 反省も何も、人様の内心や価値観に口出しするのは現代では異様に思われる 一方、自民支持層は選挙=政策や利害の調整としか思ってないので、利害で失ったものは利害で取り返すことしか眼中にないから発想が違う

「野党支持者の方が他人(有権者)の内心に踏み込んだ発言をして『反省しろ』とか『お前らはばかだ』と言ってしまうが、自民支持者は他人の内心には何の関心も示さないし踏み込まないという現象」 については研究してみる価値があるかもしれない

この対比は、それこそいまから80年近く前の終戦直後の日本で、12歳の少年少女に懇々と説き聞かせるが如くに、近代市民社会というのは内心の自由を最も重要と考え、前近代の如きお互いに正義をぶつけ合う「神々の争い」ではなく、対等な市民同士の利害調整や討議によって民主主義を勧めていくんだぞい、と(ひいじいさんやひいばあさんらが)教わったことを考えると、ここでいう「自民支持層」がまさにそういう近代市民社会の理念に合致しており、ここでいう「野党支持者」はまるでそこで批判されていた戦時中に猛威を振るっていた前近代的な考え方そのものであるかのように見えてしまいます。

これはおそらく堀さんの「自民支持者」と「野党支持者」ということばの使い方がアンバランスだからであって、前者は『Hanada』や『WILL』あたりを愛読して、野党どころか自民党の多くの政治家にすら罵詈雑言を浴びせるたぐいの人々を捨象しているからでしょうし、後者はその正反対の位置で全く同様の行動様式をとるたぐいのやたらに目立つ(今次選挙で目立った)人々だけを取り出しているからでしょう。

なので、「野党支持者」がみんな他人の内心の自由を踏みにじっても当たり前だと考え、正義の高みに立って人に反省を押しつけるたぐいの人間だと言われると、憤然とする人も多いのではないかと思いますが、でもまあそういう印象を与えてしまうような行動が目立ったのも確かでしょうね。

近代市民社会のあるべき姿とその正反対の姿とは具体的にはどういうものをいうのか、抽象的な教科書の言葉であればいくらでもお経の言葉がずらずらと出てくるのでしょうが、実践の場に置かれれば、その真贋が露わになるということなのかも知れません。

 

 

 

2024年7月11日 (木)

第134回労働政策フォーラム「ICTの発展と労働時間政策の課題─『つながらない権利』を手がかりに─」

Ict

末啓一郎『改訂新版 テレワーク導入・整備の法的アプローチ』

1027638e70b0959fa1ca1ec72807050e17444714 末啓一郎『改訂新版 テレワーク導入・整備の法的アプローチ トラブル回避の留意点と労務管理のポイント』(経団連出版)をお送りいただきました。

https://www.keidanren-jigyoservice.or.jp/pub/cat3/ce1653c513f5fb45d11d734d30a852ac680ca6f2.html

新型コロナウイルスの感染症の急速な拡大により、多くの企業が在宅勤務などを緊急避難的に推進しましたが、コロナ感染症が収束に向かうと、多くの人は出社勤務へと戻ってきています。しかし、中長期的な視点で見れば、情報通信技術(ICT)の進展にともない、テレワークがさらに普及していくことは間違いありません。
「テレワークにより場所と時間の両方において自由度が高まる」といわれます。通勤の必要がなくなることにより、ワークライフバランスの向上、業務のデジタル化を通じた効率化という面はありますが、テレワーク制度を適切に構築し、導入・整備、そして運用するためには、さまざまな労働関連法規の規制に対する適切な対応が欠かせません。
本書では、まず、ポストコロナ時代におけるテレワーク制度の導入・整備を進める視点、テレワークという働き方を整理し、それらを踏まえてテレワーク導入のメリット・デメリットをあらためて考えました。そのうえで、テレワークの中心となる雇用型テレワークの法的規律を具体的に取り上げるとともに、制度導入・運用・管理の具体的な留意事項および規定例等を詳述しました。雇用型・自営型テレワークの境界についての区分基準、労働者性、就労条件の変更などの課題も整理しています。
ポストコロナ時代の制度整備におすすめします。

 

『賃金とは何か』本日既に店頭に

明日発売だと聞いていたのですが、本日既に店頭に並んだ書店もあるようです。

紀伊國屋書店 梅田本店

【新書】#朝日新書 の新刊が入荷しました

・『始皇帝の戦争と将軍たち』鶴間和幸さん
・『賃金とは何か』濱口桂一郎さん
・『成熟の喪失』佐々木敦さん

新刊コーナー、E25-08 にて展開中ですi.w

Gskzzunbyaasfji

 

石井保雄コレクションの展示@JILPT労働図書館

JILPT1階の労働図書館の新着図書コーナーの横に、大変古びた本がいくつも並べられています。

Image0_20240711100901

これは、今年獨協大学を退職された石井保雄先生の蔵書の一部です。一昨年先生から連絡をいただき、図書館スタッフの方で既に収蔵済みの図書との照合作業を進めて、ようやくこのたびその一部が公開されました。なかなか目にすることもなさそうな稀覯本が並んでおります。こういう分野に関心のある方々にとっては貴重な資料ではないかと思います。

Image1

 

石川茉莉「日本における職業能力開発政策の変遷」@『雇用・就業関係の変化と労働法システムの再構築』

Research 労働問題リサーチセンターの報告書『雇用・就業関係の変化と労働法システムの再構築』をお送りいただきました。中身は石崎由希子さん、長谷川珠子さん、神吉知郁子さん、笠木映里さんはじめ東大系の研究者の方々がそれぞれに論文を書かれていますが、いずれもどっしりと重い論文でもあり、お送りいただいたのは連合総研の石川茉莉さんなので、ここでは彼女の「日本における職業能力開発政策の変遷」についてだけコメントしておきます。

これは前半で日本の職業能力開発政策の変遷を概観し、後半では今日の諸課題を検討しています。前半の歴史編はおおむね一般的な認識に沿った歴史叙述だと思うのですが、一点指摘しておきたいことがあります。

それは、1958年職業訓練法、1966年雇用対策法、1969年新職業訓練法までを企業横断的職種別外部労働市場を目指す(いわゆる「ジョブ型」の)法政策であるとした後、項目としてはいきなり1985年の職業能力開発促進法に飛んでいるんですが、実は1978年の職業訓練法改正こそが公共から企業へ、外部から内部へというイデオロギー転換の節目であり、エポックメーキングな改正であったことの指摘がやや希薄なのではないかという気がしました。1985年改正は確かに法律の名前が変わっていますが、それは前年に労働省の内部部局の名前が行革の関連で職業訓練局から職業能力開発局に変わっていたことに平仄を合わせただけであり、政策思想自体は既に転換していた内部指向がより強められただけであって、あまり大きな節目ではないように思われます。

この1978年改正時の役人による解説書(岩崎隆造『これからの職業訓練の課題 職業訓練法の改正の考え方』労働基準調査会(1979年))では、「従来の職業訓練制度は公共職業訓練を中心に考えられてき」たが、「この公共職業訓練優先の考えは、逆に職業訓練制度の社会的評価を矮小化することとな」った。「一方で高度経済成長期において事業主等の行う職業訓練及び民間教育訓練機関の行う教育訓練の発展は著しいものがあり」、「公共職業訓練を主体とする職業訓練施策は、全体の技能労働者の要請のうちわずかの部分においてしか役割を果たすことができない」状況だという認識を述べ、そこでこの改正では、「職業訓練制度は公共職業訓練を基本とするという意識を払拭し、公共職業訓練と事業主等の行う職業訓練とを対等に位置づけ」た。したがって「いやしくも公共職業訓練が職業訓練の本流であるとかの認識があってはなら」ないと、まさにほんの9年前の1969年改正時の公共訓練中心主義イデオロギーをほとんど全面否定するような激烈な企業内訓練優先主義を唱えているのです。

これが1990年代に徐々に自発的職業能力開発にシフトしていくわけですが、企業主義への転換の節目は1970年代後半なのであって、1980年代はもう完全に内部市場以外は目に入らないくらいにどっぷりつかっていたのです。

 

 

 

2024年7月10日 (水)

労働政策研究報告書No.231『地方の若者のキャリアの変化と職業意識』

231 労働政策研究報告書No.231『地方の若者のキャリアの変化と職業意識―北海道・長野調査および東京都調査との比較から―』が公表されました。

https://www.jil.go.jp/institute/reports/2024/0231.html

これはタイトルからもわかるように、15年前に行われた地方版若者ワークスタイル調査の最新版です。

2001年より東京都において「若者のワークスタイル調査」を5年ごとに実施するとともに、2008年に地方調査も実施してきたが、本報告書では2022年に約15年ぶりに実施した地方調査も踏まえて分析を行った。なお調査地域の選択に当たっては、求人状況と産業構造により3つの類型にわけ、【類型1】求人状況がよく労働力が流入してくる地域として東京都、【類型2】求人状況がよく、製造業が中心の地域として長野、【類型3】求人状況が悪くサービス業中心の地域として北海道、に位置づけた。さらにその地域の中でも特徴を持つ地域として、長野市・諏訪地域、札幌市・釧路市を選択して調査を実施した。

労働政策研究報告書No.108 地方の若者の就業行動と移行過程

この15年前の調査については、本ブログでこのように紹介しておりました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-79c4.html

今回調査の発見は、

離学直後の正社員比率の変化を見ると、2008年調査においてはいずれの調査地域とも東京都のような学歴による格差は小さく、女性においてはむしろ大学・大学院卒の方がより正社員比率は低かった。しかし今回の2022年調査においては、離学直後の高卒者の正社員比率は東京都よりも高く、東京都ほど学歴の格差は大きいわけではないものの、男性ではより学歴による格差が見えるようになり、女性では明確になった。この背景には、医療、保健、福祉、教育関連分野を専攻した高等教育卒業者が増加し、正社員として地域に定着していることがあると推測される。

もう少し砕いて説明すると、2008年調査では、学校から職業への円滑な移行という面において、東京は学歴が高く親が豊かであれば正社員になりやすいというふうに学歴格差が大きいけれども、長野は高卒も職業への移行が順調であり、北海道は大卒も職業への移行が不調というふうに、地域による若者の就業状況の違いが鮮烈に示されていたのですが、今回の調査結果からは、そうした地域による違いが、少なくとも3都道県の違いでは縮小し、長野や北海道がなんというか「東京化」してきていることが示されています。その背景にあるのは産業構造や教育システムの変化により、女性を中心に医療、保健、福祉、教育関連分野を専攻した高等教育卒業者が増加し、正社員として地域に定着するようになったということです。とはいえ、今回調査では長野県も長野市と諏訪地域、北海道も札幌と釧路というよりミクロな地域レベルの違いも検出しており、長野市や札幌が東京化する一方で、そうした地域との差が開いていることもわかります。

その他、最近の東京の若者はできれば仕事はしたくないという「仕事離れ」が高まり、「堅実性」が弱まっていたのですが、今回調査では、東京都の若者よりも地方の若者の方が「仕事離れ」志向が高く(ただし男性は有意ではない)、「堅実性」も弱く、「自分に向いている仕事がわからない」は地方で高かったという結果も出ています。

読んでいくと色々と発見があると思いますので、ぜひリンク先で目を通していただければと思います。

執筆担当者
堀 有喜衣労働政策研究・研修機構 統括研究員

小黒 恵労働政策研究・研修機構 研究員

小杉 礼子労働政策研究・研修機構 元統括研究員

柳煌碩日本大学 非常勤講師

上山浩次郎北海道大学大学院教育学研究院 講師

中島ゆり長崎大学 准教授 

 

 

 

 

 

 

 

2024年7月 9日 (火)

経団連の『労使協創協議制』構想は従業員代表制への途を開くか?@WEB労政時報

WEB労政時報に「経団連の『労使協創協議制』構想は従業員代表制への途を開くか?」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers/web_limited_edition

 去る1月16日、日本経済団体連合会(経団連)は「労使自治を軸とした労働法制に関する提言」を公表しました。この提言はざっくり言うと、労働時間規制の緩和を求める今まで繰り返されてきた議論と、集団的労使関係法制の見直しにつながりうる(経営側としては)目新しい議論を結合させたものということができます。・・・

 

2024年7月 6日 (土)

井上定彦『現代社会経済システムの変容と展望』

61rx927jql_sy522_ 井上定彦さんから『現代社会経済システムの変容と展望』をお送りいただきました。

これはISBNのついている市刊本ですが、定価がついていない私家本でもあり、井上さんが前著『社会経済システムの転機と日本の選択』(三一書房)を出されてからの四半世紀あまりの間に書かれた論文やエッセイをとりまとめられたものです。

そのいくつかは掲載時に読んでおり、記憶を新たにしたものも多いですが、今回初めて読ませていただいたものも結構ありました。

井上さんは2000年まで連合総研の副所長として活躍され(労働界では「教授」と呼ばれてましたね)、当時その下におられた鈴木不二一さんとともに、結構談論風発意気投合していたこともありました。

その後島根県立大学に行かれたため、なかなかお目にかかる機会が乏しくなり、たまに書かれたものを拝見するくらいになっておりました。

第一部 現代の経済システムの変化を認識する
第一章 グローバル情報金融資本主義の展開と限界
第二章 不平等と貧困――日本社会の現在と民主主義の中心課題5
第三章 世界の構図の変容――現代史の転換と日本の課題
第四章 「コロナ禍」が人類に突きつけた「問い」
第五章 日本 非西欧世界で最初の福祉国家へ
第二部 日本の社会システムと課題
第一章 「労働の世界」の融解か?
第二章 「個人化」と教育・学習の課題
第一節 個人化と孤立の中の教育
第二節 社会の持続可能性と教育の役割
第三章 高等教育改革論の現在
第四章 行政改革30年を問い直す
第五章 日本の賃金決定方式が持つ二側面
第三部 認識と方法の課題
第一章 日本社会論の「現在」
第二章 総合政策論と政策の方法 客体と主体のダイナミズム
第三章 地域政策の視点と方法
第四章 「日本資本主義論争」の位置
第四部 より良き社会モデルの探索―社会経済システムの変動と人間の主体的役割
第一章 「より良き社会モデル」再考―「持続可能な社会」を求めて―
第二章 日本とステークホールダー型企業の可能性-ハイロード・アプローチ
第三章 論壇展望「エコロジーと親和する社会民主主義」構築へ―21世紀政治(思想)潮流の思考軸を考える―
結びに代えて ~あとがき~

本書の中で今の関心事に近いのは「日本の賃金決定方式が持つ二側面」でしょうが、ここではその次の「日本社会論の「現在」」に一言。

これ、今年の正月にNHKのBSスペシャル 欲望の資本主義2024「ニッポンのカイシャと生産性の謎」でわたしが喋ったことと結構つながっています。

戦後日本の日本社会論の変遷をたどって、終戦直後の「近代化を目指した」時代、高度成長期の「日本的なるものの中に普遍性を発見した時代」、その後の70年代、80年代の「日本的なるものの普遍化モデル」が成立した時代、を経て、90年代の「再び近代主義への回帰か?」と一巡りする。これがそういう社会全体の議論でもそうだし、日本的経営論という一分野でみてもやはり、アメリカ的経営を学ぼうとした時代から日本的経営の合理性に注目され、日本モデルの普遍性が定式化された時代を経て、再び日本的企業統治が批判を浴びる時代に、というわけです。これも書かれたのはもう20年以上前ですが、大きな流れは変わっていないでしょう。

NHKでは、戦時中に「近代の超克」が叫ばれ、戦後「近代化」が叫ばれ、70年代、80年代には再び(大平総理の研究会などにみられるように)「近代を超えて」が叫ばれたかと思うと、90年代にはまたもや逆転して・・・という話をしたと記憶していますが、まあ、大きな流れはそういうことです。

封筒にはもう一冊、こちらは完全な私家版で『第二部(随想ノート) 社会理論の発展とカール・マルクスの位置』という小冊子も入っています。これは、タイトルはマルクスを歌っていますが、出てくるのはシュンペーター、ウェーバー、E.H.カー、ダニエル・ベル、ハバーマス、その他諸々の思想家たちで、一家言ある人たちはいろいろと文句があるかもしれません。

 

2024年7月 5日 (金)

連合の第7回(最終)集計はぎりぎり間に合わなかった

一昨日(7月3日)。連合が今年の春闘の第7回(最終)集計を公表しました。

https://www.jtuc-rengo.or.jp/activity/roudou/shuntou/2024/yokyu_kaito/kaito/press_no7.pdf?6150

これにぎりぎり間に合わなかったのが、来週全国の書店で発売される予定の『賃金とは何か』(朝日新書)です。

実は、これの第1次稿を書いたときには、3月22日の第2次集計の数字でした。その後編集者との間で行ったり来たり、校正が初校、二校、三校と進むにつれて、数字が少しずつ動いていき、最後の三校で、6月5日の第6次集計の数字を書き入れて校了となりました。

そして見本がわたしの手元に送られてきた7月3日に、最終集計が公表されたというわけです。まあ、7月刊行というスケジュールで動いていたので、これはしょうがないわけですが。

というわけで、わたしの手元にある見本の239ページをちらりとご覧に入れておきます。

Image0-1

最終集計の数字でいえば、「ベースアップ率は3.56%と、定期昇給率の1.64%の2倍を超え」となります。

厳密に言うと、235ページのこのグラフも、元データが少しずつずれているはずですが、そこまで修正していません。

Image0-3

 

 

政省令等からみるフリーランス新法@『先見労務管理』7月10日号

Senken_20240705130801 『先見労務管理』7月10日号に「政省令等からみるフリーランス新法」を寄稿しました。

https://senken.chosakai.ne.jp/

1 はじめに
 本誌の昨年6月25日号に「フリーランス新法を解析する」を寄稿してからちょうど1年が経った。去る4月12日に同法(正式には「特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律」)の政省令(公正取引委員会規則もここでは省令に含めておく)・告示・解釈ガイドライン等に関するパブリックコメントが行われ、その結果を受けて5月31日に政省令・告示が公布され、ガイドラインが策定されたのを受け、改めて同法の具体的な内容を解説しよう。なお、同法の施行期日は本年11月1日となった。
2 定義(第2条)
3 特定受託事業者の取引の適正化
(1) 条件明示義務(第3条)
(2) 報酬の支払期日(第4条)
(3) 特定業務委託事業者の遵守事項(第5条)
4 特定受託業務従事者に係る就業環境の整備
(1) 募集内容の的確な表示(第12条)
(2) 妊娠・出産・育児・介護に対する配慮(第13条)
(3) ハラスメント行為に関する措置義務(第14条)
(4) 解除等の予告(第16条)
5 その他

 

2024年7月 4日 (木)

内閣府(とりわけ幹部)に労働法研修を(追記あり)

毎週送られてくる『労働新聞』。私の書評の番でないときは、だいたい「ふーん」といいながらめくっていくんですが、今回(7月8日号)には驚愕しました。「今週の視点」の「驚愕のアイデアが優勝飾る」という記事。

https://www.rodo.co.jp/news/179307/

内閣府が全職員を対象に開いた賃上げに関する政策コンペで、「残業の業務を従業員が個人事業主としてこなし、手取り増を図る」という施策が優勝した。労働者性をめぐるこれまでの議論を完全に無視しており、実現可能性には疑問符がつく。厚生労働省にはぜひ「指揮命令が必要な業務だから労働者を雇う」という基本のキを、内閣府に教授してもらいたい。

あまりのことに、内閣府のサイトに飛んで行ってみたら、確かにありましたぞなもし。

「賃上げを幅広く実現するための政策アイデアコンテスト」を開催しました

今般、内閣府全職員を対象に、「賃上げを幅広く実現するための政策アイデアコンテスト」を開催しました。

 今年の春闘で昨年以上の賃上げ率が示される中、今後、物価高を超える賃上げを実現し、「賃金が上がることが当たり前」という前向きな意識を全国に広げ、社会全体に定着させていくことが重要です。
 こうした問題意識の下、本コンテストでは、内閣府の職員のみならず、他省庁・地方自治体・民間企業からの出向者等の参加を得て、賃上げを幅広く実現するための政策アイデアを募りました。

 応募アイデア総数の36件の中から、アイデアの新規性や詳細度、実現可能性の観点からの評価と、応募者からのプレゼンテーションにより、以下の優勝および優秀アイデアが決定されました。

その優勝したアイディアというのはこれです。

https://www.cao.go.jp/others/jinji/cntest/winner.pdf

001_20240704140901002_20240704141001
いや、もちろんこのアイディアを思いついて応募した内閣府の若い職員を責める気持ちは全くありません。若いうちはいろいろと考えを広げるのはいいことです。それとともに色々と勉強していけばいい。でもね、経済財政諮問会議や規制改革推進会議を抱え、ここ20年以上にわたって労働政策を大幅に左右するだけの権限を振るってきた内閣府の幹部職員の方々が、このアイディアを素晴らしいと褒め称えて優勝させていることについては、そこまで大目に見るわけにはいかないように思われますぞ。

「思ヒテ学バザレバ即チ殆シ」ってのは、若者に対しては「だからもっと勉強しような。だからといって考えることに臆病になるなよ」という意味合いで使われるんだと思うのですが、若くない方々にはもう少し厳しめの意味合いになりそうな気がします。

少なくとも、「アイデアの新規性や詳細度、実現可能性の観点からの評価と、応募者からのプレゼンテーションにより」決定したと書かれている以上、内閣府の幹部諸氏には、このアイディアがどれくらい実現可能性があると判断したのか詳細にお聞きしたいですね。なんてったって、優勝アイディアですからね。

まさか次の規制改革推進会議で、「労働者の時間外労働はフリーランスということにしてやるべし」なんてのが入り込んでくるんじゃないでしょうね。

(追記)

先週紹介したこの記事ですが、ここにきてようやくネット上でも話題になってきたようです、

内閣府のコンテストで「残業時間から突然個人事業主に変身し、業務委託契約になる」という案が、優勝しているらしい「過労死待ったナシ」

240613_04

(再追記)

というわけで、遂に朝日新聞の澤路毅彦記者が記事にしました。

脱法行為?賃上げアイデア「残業時間は個人事業主に」 内閣府が表彰

 残業時間はすべての会社員を個人事業主に――。こんな提案を内閣府が政策コンテストで優勝アイデアとして表彰したことがわかった。労働法規制や社会保険料の支払い義務を免れるための「脱法スキーム」を推奨しているともうけとられかねない内容だ。・・・・

 澤路さんのつぶやき:

濱口さんのブログで気がつきました。揚げ足取りが本意ではありませんが、さすがに驚きました。脱法行為?賃上げアイデア「残業時間は個人事業主に」 内閣府が表彰:朝日新聞デジタル

優秀賞の中には「物価上昇と連動した最低賃金改定システムの導入」というのがあります。こういうシステムの国はあるので、決して新しいものではありませんが、よっぽど内閣府らしいアイデアではないかと思いまし

(再三追記)

朝日新聞が社説で取り上げたようです。

(社説)内閣府コンペ 新藤大臣の見識を疑う

 この役所に政策の立案を任せて大丈夫なのか。そんな疑念を持たざるをえない事態だ。責任者である新藤義孝経済再生担当相に、早急に説明を求める。・・・ 

社説なので署名はありませんが、もちろん書いたのは澤路さんでしょう。

これには堪らないと、内閣府は諸々の情報をお蔵入りさせてしまったようです。

「賃上げを幅広く実現するための政策アイデアコンテスト」を開催しました

これらのアイデアの概要については、一定の周知期間が経過し、個人情報が含まれること等を考慮の上、掲載を終了しました。

 

 

 

 

2024年7月 3日 (水)

『賃金とは何か-職務給の蹉跌と所属給の呪縛』(朝日新書)見本到来

来週7月12日に発売される予定の『賃金とは何か-職務給の蹉跌と所属給の呪縛』(朝日新書)の見本が到来しました。

Image0_20240703123601

はじめに
 
序章 雇用システム論の基礎の基礎
 1 雇用契約のジョブ型、メンバーシップ型
 2 賃金制度のジョブ型、メンバーシップ型
 3 労使関係のジョブ型、メンバーシップ型
 
第Ⅰ部 賃金の決め方
第1章 戦前期の賃金制度
 1 明治時代の賃金制度
 2 大正時代の賃金制度
 3 生活給思想の登場
 4 職務給の提唱
第2章 戦時期の賃金制度
 1 賃金統制令
 2 戦時体制下の賃金思想
第3章 戦後期の賃金制度
 1 電産型賃金体系
 2 ジョブ型雇用社会からの批判
 3 公務員制度における職階制
 4 日経連の職務給指向
 5 労働組合側のスタンス
 6 政府の職務給推進政策
第4章 高度成長期の賃金制度
 1 日経連は職務給から職能給へ
  (1) 定期昇給政策との交錯
  (2) 職務給化への情熱
  (3) 能力主義への転換
 2 労働組合は職務給に悩んでいた
  (1) ナショナルセンターの温度差
  (2) それぞれに悩む産別
  (3) 単組の試み
 3 政府の職務給指向
  (1) 経済計画等における職務給唱道
  (2) 労働行政等における職務給推進
第5章 安定成長期の賃金制度
 1 賃金制度論の無風時代
 2 中高年・管理職問題と職能給
 3 定年延長と賃金制度改革
第6章 低成長期の賃金制度
 1 日経連(経団連)は能力から成果と職務へ
  (1) 『新時代の「日本的経営」』とその前後
  (2) 多立型賃金体系
  (3) 裁判になった職務給
 2 非正規労働問題から日本型「同一労働同一賃金」へ
  (1) 非正規労働者の均等待遇問題の潜行と復活
  (2) 二〇〇七年パート法改正から二〇一二年労働契約法改正へ
  (3) 同一(価値)労働同一賃金原則の復活
  (4) 働き方改革による日本型「同一労働同一賃金」
 3 岸田政権の「職務給」唱道
  (1) 「ジョブ型」と「職務給」の唱道
  (2) 男女賃金格差開示の含意
  (3) 職務分析・職務評価の推奨
 
第Ⅱ部 賃金の上げ方
第1章 船員という例外
第2章 「ベースアップ」の誕生
 1 戦時体制の遺産
 2 終戦直後の賃上げ要求
 3 公務員賃金抑制のための「賃金ベース」
 4 「ベースアップ」の誕生
 5 総評の賃金綱領と個別賃金要求方式
第3章 ベースアップに対抗する「定期昇給」の登場
 1 中労委調停案における「定期昇給」の登場
 2 日経連の定期昇給推進政策
 3 定期昇給のメリットとデメリット
第4章 春闘の展開と生産性基準原理
 1 春闘の始まり
 2 生産性基準原理の登場
 3 石油危機と経済整合性論
第5章 企業主義時代の賃金
 1 石油危機は労働政策の分水嶺
 2 雇用が第一、賃金は第二
 3 消費者目線のデフレ推進論
第6章 ベアゼロと定昇堅持の時代
 1 ベースアップの消滅
 2 定期昇給の見直し論と堅持
第7章 官製春闘の時代
 1 アベノミクスと官製春闘
 2 ベースアップの本格的復活?
 3 ベースアップ型賃上げの将来
 
第Ⅲ部 賃金の支え方
第1章 最低賃金制の確立
 1 業者間協定の試み
 2 賃金統制令
 3 労働基準法の最低賃金規定
 4 業者間協定方式の登場
 5 業者間協定方式の最低賃金法
 6 業者間協定は最低賃金の黒歴史か
第2章 最低賃金制の展開
 1 目安制度による地域別最低賃金制
 2 最低賃金の日額表示と時間額表示
 3 新産業別最低賃金制
 4 産業別最低賃金の廃止を求める総合規制改革会議
 5 二〇〇七年改正法
 6 最低賃金の国政課題化
第3章 最低賃金類似の諸制度
 1 一般職種別賃金と公契約法案
 2 公契約条例
 3 派遣労働者の労使協定方式における平均賃金
 
終章 なぜ日本の賃金は上がらないのか
 1 上げなくても上がるから上げないので上がらない賃金
 2 ベースアップに代る個別賃金要求
 3 特定最低賃金、公契約条例、派遣労使協定方式の可能性
 
あとがき

 

 

 

 

2024年7月 2日 (火)

日本型年功制の源流はアメリカ型先任権だった!?

吉田誠さんが『立命館産業社会論集』に書かれた「戦後初期における先任権移植政策の展開と労使の対応」という論文は、とても面白い論点を提起しています。

https://www.ritsumei.ac.jp/ss/sansharonshu/assets/file/60-1_3-15.pdf

本稿ではまずGHQや労働省が戦後占領期における先任権の日本への移植の奨励をどのように進めてきたのかを時系列的に明らかにする。当初,GHQは黒子役に徹し,米国に通じた学者や労働省を通して先任権を含む米国的な労働協約の奨励を進めてきた。しかし,1948年末に経済九原則が本国より命令として出されたことを受けて,人員整理による労使紛争を避けるためにGHQが直接的に先任権の導入を奨励・指導する立場に転じた。また経営者団体は,二つの枠組みで先任権を受けいれる姿勢を示した。一つは,消極的な解雇基準としてであり,ドッジ・ライン期には「勤続年数の短かき者」といった表現で解雇基準の一つとして用いられることになった。もう一つは,経営民主化の流れの中で勤続年数を新たな従業員秩序の基準として用いる形で受けいれようとした。これは従業員の格差付けに勤続年数を用いることを意味しており,戦前の身分制度が戦後の資格制度に転換するにあたって,その枠組みとなった年功序列の基底には先任権の影響があった可能性を示す。

実は、この論点は2018年の)「1950年前後における先任権の日本への移植の試み」(『大原社会問題研究所雑誌』721号)で提起されており、

https://oisr-org.ws.hosei.ac.jp/images/oz/contents/721_05.pdf

1949 年のドッジ・ラインは多くの企業に人員整理を強いることになった。この時期は,戦後労使関係の枠組みが成立した後初めて体験する大量解雇の時期であったという意味で重要である。こうした雇用危機の局面において,電産型賃金体系のような賃金制度を導入している場合には,相対的に高賃金となる中高年層を企業から排出することが,人件費の効率的な削減につながるはずである。しかしながら,ドッジ・ライン下の人員整理においてはそうはならず,長期雇用の中高年の男性(定年間近の層を除く)の雇用が守られたのである。
 本稿で確認したのは,この時期,GHQが日本の労使関係に先任権の導入を奨励していたことであり,それにより人員整理基準に勤続の長短が入ってきたということである。確かに,経営側は「淘汰」されるべき労働者をまず整理対象とした。しかしそれを超える規模の削減が必要となる中で,誰を削減するのかについては先任権準拠の勤続基準に依拠した。結果的に,ドッジ・ラインによって引き起こされた雇用不安において,米国発の先任権概念は戦前からの長期雇用者を守るイデオロギーとして機能したのである。
 年長者の功という意味での年功的な観念が当時の日本社会に存在していた可能性は否定しない。しかし,その観念が直接的に勤続年数を解雇基準の1つへとなさしめたわけではなさそうだ。米国発の先任権概念を介することによって,経営にとっても長期勤続者の雇用を守ることは合理的,先進的であるとして,勤続の長短に関する規定が解雇基準の1つとして受容されたのであった。アメリカナイゼーションの一環として勤続基準が人員整理基準に挿入されたのである。そして,このために,戦前から当該企業で働く長期勤続の男性は解雇から免れ,戦後に入ってきた労働者が解雇の主要な対象となったことになる。
 先任権が新しい労務管理の手法として輝いていたのは占領期後半(1950年前後)というほんの短い期間であり,その後の日本に定着することはなかった。しかし,ここで留意しておきたいのは,先任権が導入されようとした時期である。既に触れたように「終身雇用」,「企業封鎖性」,「年功」などの日本的経営の特質が発見されたのは,奇しくもその数年後である。もし先任権導入の試みがなかったとしても,これらの事実発見は可能だったのであろうか。

さらに実はそのとき、私は本ブログでこの論文に対してこんな感想を書き付けておりました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2018/10/11-e249.html

あと、特集以外に、吉田誠さんの「1950年前後における先任権の日本への移植の試み」という論文が、いままで知られていなかった歴史の裏面のエピソードを垣間見せてくれて、これまた大変面白かったです。

ただ、正直言って、アメリカ流の先任権が占領下の時代に宣伝されたというのはなるほどそうだろうなと思うのですが、それは同時期の職務給の移植の試みと同様、非日本的なシステムの移植の試みであり、むしろその後日本型システムが優位になる中で消えていったものだと思うのです。少なくとも、おなじセニョリティシステムという英語になるからといって、リストラの際に中高年から先にやめてもらう日本の年功制の確立にアメリカ流先任権が寄与したわけではないだろうと思いますが。

今回の論文ではなんと、このわたくしのブログコメントが引用されており、

 本稿ではGHQや労働省が先任権の移植をどのように進めようとしていたのか,また経営者団体や労働組合がそれに対してどのような対応をとっていたのかを時系列的に確認していくこととする。吉田(2018)では先任権の移植という事実発見に重きを置き,その移植政策の展開過程については今後の検討事項としていたからである。

そのうえで先任権の導入がドッジ・ライン期に解雇基準の一要素となったというだけではなく,経営の民主化が問われている中で,昇進や昇給といった日本の人事制度に勤続年数重視という考え方を植えつけることになった点を示そう。戦後の年功序列の考え方の基底に米国の先任権が大きく関与している可能性を提示することにより,濱口氏の先のコメントへのリプライとしておきたい。

たった数行のコメントに、数十枚に及ぶ論文でリプライしていただいたということになり、恐縮の限りです。

実に丹念に政府や経営側や労働側の資料を読み解いていき、GHQが注入しようとしたアメリカ流セニョリティ概念が当初は「古参権」という今日では違和感すら感じる言葉で用いられていたのに、やがて日本古来のものであるかのような顔で「年功序列」と訳されていくあたりの叙述は、歴史の狡知を感じさせますね。

やや唐突に思われるかも知れませんが、これを読んで思い出したのは、輪島裕介さんの『創られた「日本の心」神話』です。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-aeb3.html

ホブズボームの『創られた伝統』以来、いま現在一見「伝統的」と見なされている事物が実は近代になってから創作されたものであるという認識枠組みは、社会学や人類学方面ではそれなりに一般化していますから、その意味ではその通俗音楽分野への応用研究ということでだいたい話は尽きるのですが、・・・

こういう皮肉な構造はいろんなところに見いだせるのかも知れません。そもそも、年功賃金を産み出している定期昇給制は、1950年代前半に日経連が労働組合のベースアップ攻勢を撃退するためのロジックとして、中労委の調停案に出てきたのを奇貨として大々的に持ち出してきたものであるわけで。(この辺の経緯は、近刊の『賃金とは何か』で詳しく述べております)

さて、こうしてリプライを頂いたのにお返しをしなければならないのですが、とりあえず、この論文を読む前の段階ですが、先日お送りいただいた『戦後日産労使関係史』の書評を、今月25日に刊行される『日本労働研究雑誌』8月号で書いておりまして、そこで第8章の次の補章に対するコメントも入っております。

 

 

 

 

 

2024年7月 1日 (月)

藤本真・佐野嘉秀編著『日本企業の能力開発システム』

Abilitydevsystem 藤本真・佐野嘉秀編著『日本企業の能力開発システムー変化のなかの能力開発と人事・職場・社員』(JILPT)が刊行されました。

https://www.jil.go.jp/publication/ippan/ability-dev-system.html

「システム」の視点から日本企業における能力開発の実態・課題の広がりをとらえる!

企業における能力開発は、一連の制度や慣行によって企業内に構築される人事管理の体系の一部(サブシステム)として位置づけられるとともに、人事部門、職場管理者、社員といった能力開発に関わる当事者の取組みやその相互関係の体系としてとらえることができる。こうした「システム」の視点から、本書では各企業から集めた企業(人事部門)・職場管理者・社員の3層のアンケートデータを分析し、変化のなかにある日本企業の能力開発の実態・課題の解明を試みる。

内容は以下の通りですが

第1章 日本企業の能力開発システム
第2章 社員の能力開発に関わる企業の取組み
第3章 人事部門・職場管理者・社員における能力開発の取組み
第4章 「遅い」昇進選抜からの移行と昇進意思・教育訓練
第5章 「キャリア自律」を進める企業の能力開発
第6章 能力開発に関する人事部門と職場管理者の連携
第7章 社員の能力開発と職場管理者の能力開発支援
第8章 職種特性に応じた能力開発のマネジメント─ホワイトカラー職種における検討─
第9章 管理職社員の教育訓練機会と能力開発への取組み
終章 能力開発システムの現状と課題

元になった調査は2016年とやや古いのですが、日本型雇用システムのサブシステムとしての日本型能力開発システムがどの程度維持されていて、どの程度変化してきているのかを、企業(人事部)、管理者、社員という3層の調査で描き出そうとしています。

日本型能力開発システムとは、(1)人事部門の権限に基づく配置転換への関与を通じた社員への幅広い仕事経験の付与、(2)遅い選抜による広い範囲の社員への長期的インセンティブ付与と管理職登用に向けた能力開発、(3)配置した職場でのOJTを中心とし補完的にOffJTや自己啓発を用いる能力開発、を特徴とするものですが、それが近年分権化、個別化、早期分化、職場外化という4つの変化が進んでいると言われていて、それがどういうところでどの程度進んでいるのかそれともいないのか、というのが本書を通じる問題意識です・

元になった調査の後に、学び直しだとか、リ・スキリングだとかといった言葉が踊るようになっていますが、さてはてそれらはどの程度浸透しているのかいないのか。

 

 

 

« 2024年6月 | トップページ