コロナ禍でそれまで露呈しなかったことがいろいろ露呈して、それを講演で喋り、それをまとめたこの本の中でちらりと論じたことがありますが、
フリーランスの労働法政策
12 税法上の労働者性
このように、一方では、なかなか持続化給付金の対象であるフリーランスとして認めてもらえないという話がある一方で、逆の方向の問題も発生したようであります。たとえば、2020年6月、日本郵便とかんぽ生命保険は、新型コロナとは直接関係がないのに給付金を申請した社員が計約120人いたと明らかにしたのです【資料16】。これは、かんぽ生命の不正販売を受けた営業自粛による収入減を給付金で補おうとしたもので、両社は申請取り下げや給付金返還の手続きを促していると報じられました。
両社も、報じるマスコミも肝心な点に疑問を持っていなかったようなのですが、まともな労働法の感覚を有する者であれば、日本郵便やかんぽ生命の社員、つまりれっきとした企業に雇用される雇用労働者であるはずの人が、なぜ中小企業や個人事業主が対象の持続化給付金を申請できるのかということに疑問を感じるはずです。
新聞報道によれば、郵便局員らは、給与所得とは別に、保険の販売成績に応じて支給される営業手当を事業所得として確定申告しているというのですが、れっきとした雇用労働者に支払われる労基法第27条にいう「出来高払制その他の請負制」の賃金である営業手当が、なにゆえに事業所得として確定申告できてしまうのかこそ、最大の疑問です。いうまでもなく、労基法第27条の「請負制」は請負契約ではなくて雇用契約の賃金制度だというのは、労働法の初歩の初歩で教わることのはずですが、税法上はそうなっていないようなのです。
似たような問題はあちこちで露呈しています。2021年3月には、日本中央競馬会(JRA)が、競走馬のトレーニングセンターで働く調教助手や調教師、騎手ら厩舎関係者が、持続化給付金を受給していたと発表しています。騎手や調教師は個人事業主に該当するようですが、「調教師が雇用する調教助手や厩務員も給与や賞与以外に管理する馬がレースで獲得した賞金に伴う報酬を得ており、個人事業主となる」という訳の分からない説明をしているのです。なんではっきり「雇用されている」調教助手や厩務員が、全く別の個人としての仕事でならともかく、まさに雇用されている当の仕事で馬が稼いだ賞金の分け前をもらったら個人事業主になるのか、持続化給付金がもらえる立場になりうるのか、その辺の理屈がさっぱりわからないのですが、そこのところを突っ込んでいる記事はまったく見当たりませんでした。
今回これによって露呈したのは、労働法や社会保障における労働者概念、自営業者概念と、税法上における給与所得概念、事業所得概念というのは、どうも非常に大きくずれているらしいということだったのではないでしょうか。もっとも、所得税法上の定義は、給与所得は「俸給、給料、賃金、歳費及び賞与並びにこれらの性質を有する給与に係る所得」(第28条)であり、事業所得は「農業、漁業、製造業、卸売業、小売業、サービス業その他の事業で政令で定めるものから生ずる所得」(第27条)であって、特段不審な点はありません。ところが、後ろのほうに源泉徴収に関わって興味深い規定があります。源泉徴収といえばなじみ深いのは給与所得の源泉徴収ですが、その後に「報酬、料金等に係る源泉徴収」の規定もあり、第204条には、報酬や料金を支払う者が源泉徴収すべき具体的な職業の名前が列記されています。その第1項第4号に「外交員」が出てきます【資料17】。これはどう考えても、いわゆる生命保険のセールスレディのような(少なくとも契約形式上は)非労働者である外交員を指すのであって、雇用される労働者が労働基準法で定義される「賃金」として受け取っているものは当たらないはずです。
ところがなぜか、「外交員」といえば(給与所得として源泉徴収するのではなく)こちらの事業所得として源泉徴収するという扱いになってしまったようです。実際、国税庁の所得税に係る基本通達を素直に読めば、会社の従業員である外交員でも、固定給とそれ以外の部分が区分されていれば、固定していない部分(つまり、労基法27条の「出来高払制その他の請負制 」による賃金部分)は給与所得ではなく事業所得になってしまいます【資料18】。この国税庁の解釈は、私の眼には、所得税法第204条の本来の趣旨を誤って解釈したものとしか思えませんが、とはいえ現場の税務署はこの通達に従って粛々とやるしかないのでしょうし、日本郵便もその解釈に従って粛々とやっているだけなのでしょう。
その結果、まったく雇用関係の存在しない完全歩合制の生命保険のセールスレディ向けに設けられたはずの規定が、日本一の大企業でそれなりの基本給を給与所得として受け取っている日本郵便の営業マンたちに適用されるという、非常にゆがんだ状況が作り出されてしまっていたということのようです。
【資料16】グループ社員による持続化給付金の不適切な申請および受給について(2020年6月18日)
日本郵政株式会社
日本郵便株式会社
株式会社かんぽ生命保険
このたび、日本郵便株式会社(東京都千代田区、代表取締役社長兼執行役員社長 衣川和秀、以下「日本郵便」)および株式会社かんぽ生命保険(東京都千代田区、取締役兼代表執行役社長 千田哲也、以下「かんぽ生命」)の社員が新型コロナウイルス感染症との因果関係がない事業所得の減少を理由に持続化給付金を申請したこと、また給付金を受給したことが判明いたしました。
新型コロナウイルス感染症の影響によりまして多くの方々が大変な状況に陥っていらっしゃる中、社員がこのような不適切な行動を行っていたことにつきまして、お詫び申し上げます。
現在、日本郵便およびかんぽ生命において、実態の把握に努めるとともに、持続化給付金制度の趣旨に照らして不適切な申請を行ったことが判明した社員につきましては申請の取り下げを、給付金を受給したことが判明した社員につきましては給付金の返還を促しております。本件につきましては、引き続き、中小企業庁と連携し、グループとして厳正に対処してまいります。
【資料17】所得税法(昭和40年3月31日法律第33号)
(事業所得)
第二十七条 事業所得とは、農業、漁業、製造業、卸売業、小売業、サービス業その他の事業で政令で定めるものから生ずる所得(山林所得又は譲渡所得に該当するものを除く。)をいう。
2 事業所得の金額は、その年中の事業所得に係る総収入金額から必要経費を控除した金額とする。
(給与所得)
第二十八条 給与所得とは、俸給、給料、賃金、歳費及び賞与並びにこれらの性質を有する給与(以下この条において「給与等」という。)に係る所得をいう。
2 給与所得の金額は、その年中の給与等の収入金額から給与所得控除額を控除した残額とする。
(源泉徴収義務)
第二百四条 居住者に対し国内において次に掲げる報酬若しくは料金、契約金又は賞金の支払をする者は、その支払の際、その報酬若しくは料金、契約金又は賞金について所得税を徴収し、その徴収の日の属する月の翌月十日までに、これを国に納付しなければならない。
一 原稿、さし絵、作曲、レコード吹込み又はデザインの報酬、放送謝金、著作権(著作隣接権を含む。)又は工業所有権の使用料及び講演料並びにこれらに類するもので政令で定める報酬又は料金
二 弁護士(外国法事務弁護士を含む。)、司法書士、土地家屋調査士、公認会計士、税理士、社会保険労務士、弁理士、海事代理士、測量士、建築士、不動産鑑定士、技術士その他これらに類する者で政令で定めるものの業務に関する報酬又は料金
三 社会保険診療報酬支払基金法(昭和二十三年法律第百二十九号)の規定により支払われる診療報酬
四 職業野球の選手、職業拳けん闘家、競馬の騎手、モデル、外交員、集金人、電力量計の検針人その他これらに類する者で政令で定めるものの業務に関する報酬又は料金
五 映画、演劇その他政令で定める芸能又はラジオ放送若しくはテレビジョン放送に係る出演若しくは演出(指揮、監督その他政令で定めるものを含む。)又は企画の報酬又は料金その他政令で定める芸能人の役務の提供を内容とする事業に係る当該役務の提供に関する報酬又は料金(これらのうち不特定多数の者から受けるものを除く。)
六 キャバレー、ナイトクラブ、バーその他これらに類する施設でフロアにおいて客にダンスをさせ又は客に接待をして遊興若しくは飲食をさせるものにおいて客に侍してその接待をすることを業務とするホステスその他の者(以下この条において「ホステス等」という。)のその業務に関する報酬又は料金
七 役務の提供を約することにより一時に取得する契約金で政令で定めるもの
八 広告宣伝のための賞金又は馬主が受ける競馬の賞金で政令で定めるもの
2 前項の規定は、次に掲げるものについては、適用しない。
一 前項に規定する報酬若しくは料金、契約金又は賞金のうち、第二十八条第一項(給与所得)に規定する給与等(次号において「給与等」という。)又は第三十条第一項(退職所得)に規定する退職手当等に該当するもの
二 前項第一号から第五号まで並びに第七号及び第八号に掲げる報酬若しくは料金、契約金又は賞金のうち、第百八十三条第一項(給与所得に係る源泉徴収義務)の規定により給与等につき所得税を徴収して納付すべき個人以外の個人から支払われるもの
三 前項第六号に掲げる報酬又は料金のうち、同号に規定する施設の経営者(以下この条において「バー等の経営者」という。)以外の者から支払われるもの(バー等の経営者を通じて支払われるものを除く。)
3 第一項第六号に掲げる報酬又は料金のうちに、客からバー等の経営者を通じてホステス等に支払われるものがある場合には、当該報酬又は料金については、当該バー等の経営者を当該報酬又は料金に係る同項に規定する支払をする者とみなし、当該報酬又は料金をホステス等に交付した時にその支払があつたものとみなして、同項の規定を適用する。
【資料18】所得税基本通達(昭和45年7月1日国税庁長官)
204-22 外交員又は集金人がその地位に基づいて保険会社等から支払を受ける報酬又は料金については、次に掲げる場合に応じ、それぞれ次による。
(1) その報酬又は料金がその職務を遂行するために必要な旅費とそれ以外の部分とに明らかに区分されている場合 法第9条第1項第4号《非課税所得》に掲げる金品に該当する部分は非課税とし、それ以外の部分は給与等とする。
(2) (1)以外の場合で、その報酬又は料金が、固定給(一定期間の募集成績等によって自動的にその額が定まるもの及び一定期間の募集成績等によって自動的に格付される資格に応じてその額が定めるものを除く。以下この項において同じ。)とそれ以外の部分とに明らかに区分されているとき。 固定給(固定給を基準として支給される臨時の給与を含む。)は給与等とし、それ以外の部分は法第204条第1項第4号に掲げる報酬又は料金とする。
(3) (1)及び(2)以外の場合 その報酬又は料金の支払の基因となる役務を提供するために要する旅費等の費用の額の多寡その他の事情を総合勘案し、給与等と認められるものについてはその総額を給与等とし、その他のものについてはその総額を法第204条第1項第4号に掲げる報酬又は料金とする。
このときは、おかしな運用をしているなあ、変な通達を出しているなあ、としか思わなかったのですが、今回の例の内閣府賃上げアイディアコンテストの余波(?)で、どうもその原因らしきものが薄々見えてきたようです。
先週の『労働新聞』報道で炎上した内閣府のコンテストには、今週に入ってからいろんな人がコメントをしていますが、そのうち労働弁護士の渡辺輝人(通称ナベテル)氏の呟きが、このおかしな扱いの歴史的源泉を語っています。
https://x.com/nabeteru1Q78/status/1811260551219356012
このコンテスト、内閣府(つまり政府内)のものなのに、労働基準法ガン無視が凄いのと、提案者が民間生保から内閣府への出向者の可能性があり、生命保険会社が労基法を守らずに営業職員(昔の生保レディ)に常時やらせているインチキを全労働者に広げるすさまじい提案の可能性があると思っています。
生命保険は戦前から大蔵省(今の財務省)のお庭だったようで、労働基準法ができたとき、大蔵省銀行局長(なお局長は福田赳夫)が労働省ができる前の厚生省に対して「保険外務員に労基法適用すると生命保険募集機構の破壊になるから適用しないで!」と申入をしている(労基法の立法資料に残っている)。
もちろんそんな申入が通る訳はなく、発足後の労働省は大蔵省に対して「雇用契約の人は労基法全面適用、委任契約の人は不適用」と常識的な解答をしている。
しかし、(おそらく)保険会社は、雇用した保険外交員を自営業者として扱う習慣を捨てず、労働契約で賃金を支払っているのに保険外交員に交通費に始まって、顧客に配る飴代、カレンダー代など経費負担をさせ、確定申告をさせる(もちろん本来は違法)ことをやってきたと思われる。
大蔵省の方も所得税法の通達で怪しげなものをつくり、労働者である保険外交員について、本来できないはずの給与所得者による確定申告をずっと見逃して温存してきた。この点、給与所得者が確定申告して実額経費を収入から控除できるのなら、そもそもサラリーマン税金訴訟など起きないのだ。
この案件は、保険業界のブラックな慣行がそれを常識と思い込んだ出向者の口からぽろっと出てしまい、内閣府全体が労基法を知らないので「それ良いじゃん」となった可能性がある案件だということは、念頭に置いた方がよい。
労基法の適用除外の要請を、業界団体ではなく所管する省庁が直接厚生省に言ってくる浅ましい事例は、少なくとも労基法の立法資料の上では、大蔵省-生命保険業界以外にはないことも付言しておきます。なお、当該資料は立法資料4巻下733~734頁に載ってます。
私がこの件になぜ詳しいかというと、今年の重要判例解説に載っている住友生命(費用負担)事件の担当弁護士だからだが、控訴審で「給与所得者に確定申告をさせるのは違法だ」と、所得税法の条文を示して書面に書いたら、高裁判決は「現にできてるから良いじゃん」という驚くべき判決を書いてきた。
これは判決の一端に過ぎなけど、全体的に判決理由が(労使のどちらから見ても)破綻しており、労働者、使用者双方が上告して、舞台は最高裁に移りましたので、これを機にご報告しておきます。
なるほど、そういう曰く因縁があったわけですね。
一点だけ用語を訂正しておきますと、渡辺さんは「確定申告」が問題だといっていますが、別に給与所得者でも確定申告はできるので、問題は雇用される労働者の賃金を「給与所得」ではなく「事業所得」として確定申告できるというのが問題であるわけです。
(追記)
ついでにも一つ非本質的な指摘を。渡辺さんは「労基法の適用除外の要請を、業界団体ではなく所管する省庁が直接厚生省に言ってくる浅ましい事例は、少なくとも労基法の立法資料の上では、大蔵省-生命保険業界以外にはない」と述べていますが、いやいや文部省は教職員の適用除外を申入れてきていましたよ。拙稿「(公立学校)教師の労働法政策」(『季刊労働法』2022年冬号(279号) )参照のこと。
当時の厚生省労政局労働保護課が繰り返し作成した法案には、教師という職種に着目した特別扱いの規定は一切含まれてはいませんでしたが、1946年9月11日付で文部大臣官房文書課長から厚生省労政局長宛に出された「労働基準法草案について」は、次のように適用除外を求めていました
本月3日貴省に於て労働基準法草案について関係各省の打合会開催の際、本省係員から申出を致しました意見を左記の通り文書を以てお届け致します。
記
労働基準法草案中次のやうに修正をお願ひします。
一、第七条第十二号「教育、研究又は調査の事業」の下に次のやうに加へる。
「(教職員を除く)」
理由 教育、研究又は調査の事業に従事する者の中教職員は労働条件其の他について質的に本法に依る労働と相違する点があるからこれらの事業に従事する教職員は官吏と同様に本法の趣旨に準じて別途保護、保障の措置を考慮したいからである。
「質的に本法に依る労働と相違する」という主張の中身が不明ですが(教職員でさえなければ、教育、研究、調査に従事しても質的に相違することはないようなので、少なくとも職種に着目しているのではなさそうです。)、自省が所管する教職員に対しては労働法の介入を嫌がっていたことだけはよく伝わってきます。しかしながらこのような意見が受け容れられることはなく、教職員も含む教育、研究又は調査の事業は労働基準法がフルに適用される業種として今日まで続いています。
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