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« 『季刊労働法』285号 | トップページ | ベースアップの本格的復活?@WEB労政時報 »

2024年6月10日 (月)

中教審の議論の一番弱いところ

去る5月13日に、文部科学省の中央教育審議会が「審議のまとめ」というのを公表し、教師の職務は特殊だから給特法は合理性がある云々と述べて色々と批判を浴びています。

https://www.mext.go.jp/content/20240524-mxt_zaimu-000035904_1.pdf

https://www.mext.go.jp/content/20240524-mxt_zaimu-000035904_2.pdf

その批判で「定額働かせ放題」というのがけしかるとかけしからんとかいう話があり、文部科学省の国会答弁によると、立派な給特法を、こともあろうに極悪非道の高度プロフェッショナル制度を形容する「定額働かせ放題」と呼ぶのがけしからんとのことで、あれだけ高給の労働者を手厚い健康管理で守りながら、未だに適用労働者が600人あまりしかいないという情けない制度と一緒にされるのは、確かに不本意の極みでありましょうな。

いや、中教審のいっていることはあながち間違いだらけというわけではない。ある意味ではもっともな面もある。先入観なしに、部活だの生活指導だのといったことに煩わされないジョブ型社会のプロフェッショナル教師を想定すれば、以下の議論もそれなりにもっともな面があるのは確かです。

○ 教師の処遇の在り方を検討するに当たっては、まず、教師の職務の在り方等について検討する必要がある。
第2章1.で述べたとおり、教師は子供たちの人格の完成と我が国の未来を切り拓く人材を育成するという極めて複雑、困難な職務を担っており、専門的な知識や技能等が求められる高度専門職である。

○教職の性質は全人格的なものであり、教師は、一人一人がそれぞれ異なるとともに、成長過程にあり、日々変化する目の前の子供たちに臨機応変に対応しなければならない。このため、業務遂行の在り方として、どのような業務をどのようにどの程度まで行うかについて、一般行政職等のように逐一、管理職の職務命令によるのではなく、一人一人の子供たちへの教育的見地から、教師自身の自発性・創造性に委ねるべき部分が大きい。

○ また、教師の業務については、教師の自主的で自律的な判断に基づく業務と、校長等の管理職の指揮命令に基づく業務とが日常的に渾然一体となって行われており、これを正確に峻別することは極めて困難である。

○ さらに、必要となる知識や技能等も変化し続ける教師には、学び続けることが求められるが、例えば、授業準備や教材研究等の教師の業務が、どこまでが職務で、どこからが職務ではないのかを精緻に切り分けて考えることは困難である。

○ こうした一般の労働者や行政職とは異なる教師の職務の特殊性は、現在においても変わるものではないため、勤務時間外についてのみ、一般行政職等と同様の時間外勤務命令を前提とした勤務時間管理を行うことは適当ではないと考えられる。

○ また、教師の勤務時間には、学習指導や生徒指導等を行う子供たちが在校している時間と、長期休業期間等の子供たちが在校していない時間があるが、後者の時間は、どのような業務をどのようにどの程度まで行うかについて、個々の教師の裁量によって判断する余地がより大きいなど、その勤務態様が一般行政職等とは異なる特殊性がある点についても、現在においても変わるものではないと考えられる。

教師という職種が高度な専門職であり、自律性、裁量性が高いということは、中教審に言われなくてもみんなわかっていると思います。

ただ、だから、

○ 一方、時間外勤務手当を支給すべきとの指摘については、教師の職務等の特殊性を踏まえると、通常の時間外勤務命令に基づく勤務や労働管理、とりわけ時間外勤務手当制度には馴染まないものであり、教師の勤務は、正規の勤務時間の内外を問わず包括的に評価すべきであって、一般行政職等と同様な時間外勤務命令を前提とした勤務時間管理を行うことは適当ではない。

と断言してしまうと、教師という『職種』がそこまで特殊で時間外手当なんかになじまないというのであれば、職種とした全く変わるところのない国立学校の教師と私立学校の教師は労働基準法がフル適用であることとの整合性の説明がつかなくなってしまうでしょう。

いや、この「審議のまとめ」には、いちおうそこんとこの説明がこのように書かれているんですが、

○ 国立学校や私立学校では時間外勤務手当の支払いがなされており、公立学校も対象とすべきであるとの指摘もある。

この点については、職務の特殊性は、国立学校や私立学校の教師にも共通的な性質があるが、

・公立学校の教師は、地方公務員として給与等の勤務条件は条例によって定められているのに対し、国立・私立学校の教師は非公務員であり、給与等の勤務条件は私的契約によって決まるという勤務条件等の設定方法の違いは大きいこと

・公立の小・中学校等は、域内の子供たちを受け入れて教育の機会を保障しており 83、在籍する児童生徒等の抱える課題が多様であることなど、国立・私立学校に比して、公立の小中学校等においては相対的に多様性の高い児童生徒集団 84となり、より臨機応変に対応する必要性が高いこと

・公立学校の教師は、定期的に学校を跨いだ人事異動が存在することにより、特に社会的・経済的背景が異なる地域・学校への異動があった場合等においては、児童生徒への理解を深め、その地域・学校の状況に応じて、より良い指導を行うための準備を行う必要があるが、それをどのように、どの程度まで行うかについて個々の教師の裁量によるところが大きいことなど、職務の特殊性が実際の具体的な業務への対応として発現する際の有り様は、公立学校の教師と国立・私立学校の教師とで差異が存在する。

こんな説明にもなっていない説明で、等しく教師という崇高な専門職に就いていながら、公立学校の教師のような自律性、裁量性は乏しいので、労働基準監督官に臨検監督されても文句は言えないのだ、などと貶められてしまうのですから、国立学校や私立学校の教師は浮かばれませんね。

筋の通った議論を展開しようというのであれば、国立学校や私立学校の教師といえども、地方公務員という身分がないだけで教師という高度な職種であることに何の変わりもないのだから、給特法の適用対象に含めて、労働基準法の適用を除外すべきだと主張すべきでしょう。そうでないと、中教審は2割弱を占める私立学校・国立学校の教師たちから、「わたしたちを単純労働者扱いするんじゃない」という怒りの声がぶつけられるのではないでしょうか。わたしたちは「供たちの人格の完成と我が国の未来を切り拓く人材を育成するという極めて複雑、困難な職務を担って」いないのか、「専門的な知識や技能等が求められる高度専門職」じゃないのか、「どのような業務をどのようにどの程度まで行うかについて、一般(労働者)等のように逐一、管理職の職務命令によるのではなく、一人一人の子供たちへの教育的見地から、教師自身の自発性・創造性に委ねるべき部分が大きい」のではないのか、「教師の自主的で自律的な判断に基づく業務と、校長等の管理職の指揮命令に基づく業務とが日常的に渾然一体となって行われており、これを正確に峻別することは極めて困難」じゃないのか、等々と。

かつて、『季刊労働法』に書いたように、わたしは専門職としての教師にふさわしい労働法制の可能性というのはあり得ると考えています。

 さて、しかし、上でちらりと示唆したように、給特法制定時の人事院の意見の背景には、欧米ジョブ型社会のプロフェッショナルな教師たちと同様、授業だけがその遂行すべき職務であるような、それゆえ授業時間だけが勤務時間であるような、そのようなあるべき社会の姿が夢見られていました。ややもすると政治イデオロギー的な教師聖職論と紛らわしい目で見られることもあったとはいえ、この思想それ自体は真剣な検討に値します。
 そして、給特法制定当時は専門職としての大学教授にふさわしい労働時間制度など存在せず、事実上の裁量労働が放任されていたに過ぎなかったのに対し、その後労働基準法上に専門業務型裁量労働制が規定され、講義等の授業の時間が1週間の所定労働時間の半分以下の大学教授は専門業務型裁量労働制が適用されるようになっています。学科担任制や科目担任制の中学校や高校では、この制度を適用する余地のある教師は存在しうるのではないでしょうか。もちろん、現実に膨大な学校事務や生徒指導、部活動等々を強いられている教師たちにそのまま適用することはあり得ませんが、将来のあるべき学校の姿、教師の姿として、そうした専門職としての教師にふさわしい労働法制の可能性を探っていくことも、考えられていいのではないかと思われます。
 いうまでもなく、その際には、公務員であるかないかなどという職種の性質にはなんの関係もない雑事に煩わされることなく、言葉の正確な意味において「まじめ」に検討されなければなりません。

残念ながら、中教審は筋の通った「まじめ」な議論になり得る途を放棄し、見るからにインチキな屁理屈で乗り切ろうとしたようです。でも、この問題は「定額働かせ放題」などという表層的な罵詈雑言の是非だけで済ませていい問題ではないはずです。

 

 

 

 

 

 

 

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コメント

用務員さんを雇うだ。
役職定年の地方公務員は山ほどおるでね。

労働法制上の議論としては濱口さんのおっしゃるとおりでしょうが、結局のところ、「子供たちの人格の完成と我が国の未来を切り拓く人材を育成するという極めて複雑、困難な職務を担っており、専門的な知識や技能等が求められる高度専門職」という精神論過多な概念によって総合職的な教師の現状の働き方を正当化し、現在の学校組織の在り方と賃金構造を温存しようというのが中教審の本音なのは明らかでしょう。

しかしこれでは教員の過重労働問題、教員の成り手不足の問題はまったく解決しないでしょう。給料を上げるんだからもっと仕事を押し付けようという圧力がかかるのは必至だ。


そもそも人口減少が進むなかで「子供たちの人格の完成と我が国の未来を切り拓く人材を育成するという極めて複雑、困難な職務を担っており、専門的な知識や技能等が求められる高度専門職」なんてものをこなせる人材がそんなにいるはずがないのである。じゃあ給料を大幅にあげて人を集めようといっても、財政上の問題はさておき、学校にばかり優秀な人材を集めるわけにはいかない。社会全体の適材適所というものを考えなければならない。

戦後日本の学校の在り方は人口が過剰で人材をいくらでも集められた状況を背景として可能になっていたと考えるべきだろう。地方では大卒者の就職先が公務員と教職ぐらいしかなかった。特に高学歴女性の就職先が限定されるなかで、学校が優秀な女性を吸収してきたという側面がある。いずれにしてもそのような条件は消滅した。

こういうと怒られるだろうが、これからは学校をそこそこの人材でどう回すかを考えなければならない。まあ現状特に若手はそこそこの人材ばかりの状況で「子供たちの人格の完成と我が国の未来を切り拓く人材を育成するという極めて複雑、困難な職務を担っており、専門的な知識や技能等が求められる高度専門職」の負担を押し付けるからパンクしているのであろう。


欧米型のジョブ型教員を基本として学校組織を組み立てるべきだろう。教師以外のスクールカウンセラーやソーシャルワーカーなどの専門職からなるジョブ型の組織とすべきである。これらの多彩な人材をマネジメントする学校経営職には優れた人材が必要であり、高い待遇を与えるべきだろう。東大など研究大学の教育学部はそのような人材を育成すべきである。教育学部が率先して行わなければ、ビジネス系の人材が学校に入り込むことになるだろう。それが良いことだとは私は思わない。教員のトップは教頭であり、学校全体を運営する校長以下の経営スタッフとは原則別ラインとなるイメージである。

一方教育困難校や小規模校など負担が重かったり総合職的な働き方が求められる職場では力量のある教師を配置して高い待遇を与えるべきである。

職務の負担と責任の重さに応じたメリハリのある賃金体系を導入すべきだろう。

といっても教育界が自ら動くとは思えないので、ここで一案を提示すると、修士以上を取得した、テニュアを得ていない研究者を教科教育しか担当しないジョブ型教員として採用して配置するというのはどうだろうか。給料は低いが業務負担は少なく研究時間が確保できるポストであれば非常勤講師よりはましでそれなりに魅力的であろうし、文系や非実験系の理系の学問の基盤ポストとなり得るだろう。文科省の愚劣な大学院重点化政策の後始末にもなる。そもそも戦前の旧制中学の教師は研究者の末端ポストであった。そこに戻すのである。

国が直接雇用して各自治体に配置するのが良い。教育委員会の人事裁量権を制約すべきである。

このような人材が大量に教育現場に入れば従来の業務ルーチンは破綻するだろう。しかしそこまでいかなければ過重業務でパンクしている現状から脱却することはできないのではないか。

>戦後日本の学校の在り方は人口が過剰で人材をいくらでも集められた状況を背景として可能になっていたと考えるべきだろう。地方では大卒者の就職先が公務員と教職ぐらいしかなかった。特に高学歴女性の就職先が限定されるなかで、学校が優秀な女性を吸収してきたという側面がある。いずれにしてもそのような条件は消滅した。

 これは学校以外の日本の職場も同様だったと言えますね。
 だから日本以外には例のないメンバーシップ型雇用社会に日本はなってしまった。
 
 少子化対策、人口減少対策なんざとっくに手遅れで、過剰人口を前提としたメンバーシップ雇用社会を何とかせにゃいかんのに、メンバーシップ雇用社会の成功体験に囚われ続けていつまでもジョブ型雇用社会に移行できない日本社会の悲しさよ。

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